てっきり今日発刊の「月刊ガンガンWING」2月号に三誌連続読み切り掲載の「ブレイド三国志〈特別編〉」が載ると思っていたら、違った。発売日に公式サイトの更新が行われるんで、知るのが遅くなるんだけど。
・ガンガンウイングオフィシャルサイト
http://www.square-enix.co.jp/magazine/wing/
上記サイトの次回予告によると、2007年1月26日発刊の「月刊ガンガンWING」3月号に読み切りで真壁太陽/原案・構成、壱河柳乃助/作画の「ブレイド三国志〈特別編〉サイバーロリータ」が掲載されるとのこと。
(どうでもいいけど、公式サイトでの3月号の発売日が「2006年1月26日」になっている・汗)
今回は「初の女性ブレイド黄月英登場!!」とのこと。最近は掲載された分を読んでいないせいか、ブレイドの人選が良くわからんな。
2006年12月22日に単行本が1巻2巻同時刊行されたんだけど、勢いはうまくつなげられるのかな。
ちなみに他の二誌の読み切りは下記。
・2006年12月12日「ブレイド三国志 特別編」(月刊少年ガンガン1月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/453
・2006年11月18日「ブレイド三国志 特別編」(月刊Gファンタジー12月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/452
<次回>2007年4月22日『ブレイド三国志』3巻発刊
http://cte.main.jp/newsch/article.php/619
※追記 軍師と囚われ男装姫~三国志艶義~ 上(2015年12月17日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/164
↑前回の「8月23日は三国演義での諸葛亮の命日」の続き。
諸葛亮の命日は意外と複雑だったものの現行の普及している三国演義(毛宗崗本)にバッチリ載っているのに対し、周瑜の命日は載っていない。
それで元はどこから? って話がサポ板でされていて、どうやら三国演義の嘉靖本には載っているとのこと。版本によって内容に違いがあることは知っていたけど、こんなところに違いがあるだなんて面白い(詳しくは下記のリンク先)
・「周瑜の命日について」三国志ファンのためのサポート掲示板のツリー
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1899
それで池袋に用事で行ったとき、そこの某大型書店で確認してみる。そこのお店には試読するためのイスや机はあるものの、ノートを取ることは禁止なので、そこの部分を覚えて後で書き出してみる。短期的なこととはいえ記憶力に自信はないので、興味のある方はちゃんと確認されたし。
・三国演義(葉逢春本)の「諸葛亮大哭周瑜」より
而亡壽年三十六時建安十五年冬十二月初三日也
※追記 「四大奇書」の研究(2010年11月10日)
※リンク追記
・12月3日は周瑜の命日 - 三国与太噺
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20111203/1322890547
※2012年追記。毎年、この忌日になるとこの記事がよく検索されるわけだけど、Twitterがある程度、普及している今年はこのURLを教える様も可視化されており、それに対するリアクションも可視化され、ごくたまにそれに対する深い洞察を示す様や、逆にほとんどの場合の単にリンクを張って感嘆符を入れるだけの動物的反応を見れる。中でも一番、印象に残ったのはこの記事を教えられ周瑜の忌日が「通俗三国志」に載っているんだ、と小学生程度の読解力すらない、あるいはしっかり読む気のないうわついたツイートを返す様だった(『三国演義』葉逢春本や嘉靖本等ね)。これらのことを顧みるに2013年ではやりとりが可視化されている状況に少しは注意を払った方が良いのかもしれない。
※リンク追記
・やた管ブログ:ちゃんと文章を読まずに批判する人
http://blog.livedoor.jp/yatanavi/archives/53063660.html
※リンク追記
・2chとまとめサイトがひどすぎる! 許しがたき恥知らずな盗用&改竄行為について MANGA王国 ジパング/ウェブリブログ
http://world-manga.at.webry.info/201310/article_6.html
「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第5弾。
といってもスケジュールに載せるかどうか検討中(載せるとしても何も告知せずこっそり載せてそう・笑)
月刊コミックガムに連載中の漫画「一騎当千」。
・COMIC GUM OFFICIAL WEBSITE
http://www.comicgum.com/
どんな漫画かというと簡単に説明すると、三国時代の人物の宿命を受け継ぎ現代に生まれた人物たちが織りなす物語。登場人物は三国時代の人物と同じ姓名字をしている(そしてどこまでが名字がわからない「姓+名+字」)。こう書くと全然、この漫画の本質を表現していないしイメージからかけ離れすぎているので、ちゃんと書くと登場人物の多くが女子高生。つまりパンチラ格闘マンガになっている。また作中でたびたび三国時代のこと(前世からの因縁とか)がふれられる。
(※注、私はこの漫画を読んだことがないので正確性に欠けるおそれあり)
過去、その「一騎当千」はアニメ化されたこともあったんだけど、このたび、再びアニメ化され、CS放送のアニメ専用チャンネルのAT-Xで2007年2月、地上波で2007年春に放送されるとのこと。その名も「一騎当千Dragon Destiny」(略号は一騎当千DDとのこと)。
・一騎当千Dragon Destiny
http://www.ikkitousen.com/
・AT-X
http://www.at-x.com/
いまいち「一騎当千」がどんな作品かつかみかねる人は上記のアニメのサイトや「COMIC GUM OFFICIAL WEBSITE」を見るとそのインパクトからだいたいのイメージはすぐにつかめると思う。
<4月12日追記>
『一騎当千Dragon Destiny』は全12回のようだね。AT-Xのサイトの番組表によると。
<4月3日追記>
というわけで地上波、各UHF局のスタートする日程を以下にまとめてみる。
・『一騎当千Dragon Destiny』
チバテレビ 4月1日日曜日 24:30-25:00
http://www.chiba-tv.com/
テレビ神奈川 4月1日日曜日 25:30-26:00
http://www.tvk-yokohama.com/
KBS京都 4月1日日曜日 25:15-25:45
http://www.kbs-kyoto.co.jp/
TOKYO MX 4月3日火曜日 25:30-26:00
http://www.mxtv.co.jp/
サンテレビ 4月4日水曜日 26:10-26:40
http://www.sun-tv.co.jp/
テレビ愛知 4月5日木曜日 25:58-26:28
http://www.tv-aichi.co.jp/
テレ玉 4月6日金曜日 25:30-26:00
http://www.teletama.jp/
<1月26日追記>
声優情報を下記リンク先に鋼鉄三国志と共にまとめてみました。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/481
ちなみに放送は2007年2月26日より。
<追記終了>
しかし、また関羽でイメージ検索するとえらいことになりそうだな。
………以上、「関羽でイメージ検索」ネタの第三弾の記事でした。
※「関羽でイメージ検索」ネタ第一弾&第二弾
・恋姫†無双(こいひめむそう)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/356
・関羽でイメージ検索すると…
http://cte.main.jp/newsch/article.php/306
※追記 一騎当千DVD-BOX
※追記 AT-Xでアニメ『一騎当千』平日一挙放送(2010年7月23日-)
※追記 一騎当ちぇん!?(2011年8月26日-10月26日)
※追記 一騎当千 集鍔闘士血風録(AT-X 2012年2月13日)
<2007年2月15日イメージ検索ネタ追記>
・古典とパロディー その後(「宣和堂電網頁」内記事)
http://sengna.hustle.ne.jp/sb/log/eid870.html
「日本某游戲中的關羽模型」って(汗)
予感はしていたけど、国境を越えてえらいことになりつつあるね。
※追記 一騎当千 Blu-ray BOX 3タイトル(2014年7月30日9月24日11月26日)
「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第3弾
「龍狼伝」という漫画は現代の少年が三国時代にタイムスリップするって漫画。講談社の月刊少年マガジンで1993年から連載中。三国志関連なもので、風聞をきいていつかちゃんとチェックしようと思っていたら、その間に、作中の舞台が中国から北の方へ行って、どうも匈奴関連のストーリーが中心で、三国志から離れているときいていた。
そのためチェックする時期を逸した形になったわけで、まだ三国志から離れた話だろうと思っていた。
余談だけど、「龍狼伝」の連載が始まった1993年に、集英社の月刊ジャンプオリジナルにも同じく現代の少年が三国時代にタイムスリップする漫画「RYUBI」が掲載されていた。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/124
話戻し、最近、見に行ったのが「龍狼伝」が連載している月刊少年マガジンのサイト。そこに「龍狼伝」の情報が少し載っているんだけど、三国志関連から離れたときいていた匈奴編がどうやら2006年12月号で完結したとのこと。
これから先の話が三国志に絡んでくるのかな?(というか匈奴編を読むのが先か…)
<追記>
37巻、2007年1月17日発売。
<2月20日追記>
・2007年3月6日 龍狼伝 連載再開
http://cte.main.jp/newsch/article.php/511
※追記 『エレ片のコント太郎』ポッドキャストで三国志ネタ
※追記 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)
※追記 三国演義連環画と横山三国志
※追記 メモ:国立国会図書館で種々の三国マンガの連載開始を当たる(2013年9月30日10月1日)
・2006年11月18日「ブレイド三国志 特別編」(月刊Gファンタジー12月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/452
前回、「ブレイド三国志」が「Gファンタジー」「少年ガンガン」「ガンガンウイング」に続けて載るのかな? と思っていて、すぐに「月刊少年ガンガン」のサイトに行ったら、「NEXTガンガン」のところにばっちりそのことが載っていた
・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
2006年12月12日発売の月刊少年ガンガン1月号に真壁太陽/原案・構成、壱河柳乃助/作画の「ブレイド三国志 特別編」の読み切りが載るとのこと。
この読み切りは郭嘉のブレイドとのこと。さてどんな話やら。
しかし連載が終わったと思ったらまだすごいプッシュだ。実は結構、人気ある?
お次は「ガンガンWING2月号」。おそらく12月26日発売。
<12月26日追記>
というわけで1月26日発売分の3月号でした(下記)。
・2007年1月26日「ブレイド三国志〈特別編〉サイバーロリータ」(月刊ガンガンWING 3月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/473
検索ワードが結構、多いんで、成り行きでおっかけてしまうんだけど、ブレイド三国志の読み切りが2006年11月18日発売の「月刊Gファンタジー」12月号に載る情報をつかんだ。
・月刊Gファンタジーオフィシャルサイト
http://www.square-enix.co.jp/magazine/gfantasy/
まだ書店で確認していないけど、今回はあの華陀登場(やっぱりブレイド?)。上記サイトでイラストがみれるけど、これが華陀?
「ブレイド三国志 特別編」 原案・構成 真壁太陽 作画 壱河柳乃助
上記サイトによると単行本が12月に1巻、2巻同時販売するんで(おそらく12月22日)、『「Gファンタジー」「少年ガンガン」「ガンガンウイング」にて連動キャンペーン』ってことだけど、後者二誌に読み切りが続けて載るのかな?
※関連リンク
・2006年9月30日「グリフォンブレイド」(ガンガンカスタムNo.01)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/432
・2006年12月12日「ブレイド三国志 特別編」(月刊少年ガンガン1月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/453
<11月21日追記>
2007年の春節は2月18日日曜日だそうです。
検索があまりにも多いので一応。
※ちなみに当サイトのカレンダーの日付は記事を書き込んだ日なので、現時点でいくら2007年2月18日をカレンダーで探しても何も記事はない。
<追記終了>
どこの中華街でも毎年、春節(旧歴の正月)にはお祝い事があって、各種イベントがあるもので、神戸の中華街の、神戸南京町も例外ではない。
神戸南京町の「2007神戸南京町春節祭」のイベントの一つに「中国史人游行」というのがある。これは京劇の衣装とメイクで仮装し、中国の歴史上の人々になりきって神戸南京町とその周辺をパレードするという企画だ。この仮装する人たちは公募によって選ばれた一般の人たち。
・神戸南京町
http://www.nankinmachi.or.jp/
今回は2007年2月18日日曜日(春節当日)に「中国史人游行」が行われ、パレード参加への応募締め切り(書類郵送)は2007年1月10日水曜日必着とのこと。
応募資格は「当日必ず参加できる18歳以上の男女(高校生不可)」ということで幅広い。興味のある人は下記のURLより詳細をチェックのこと。
2007春節祭 中国史人游行 参加者大募集!
http://www.nankinmachi.or.jp/shunsetsu/spring2007/parade/index.html
ちなみに上記ページに2005年の仮装写真の一例が載っている。三国志関連だと、諸葛亮(字、孔明)、劉備、関羽、張飛ね。
前回の「中国史人游行」の様子は下記リンク先参照。
<前回>2006年1月29日 中国史人游行(神戸南京町・春節祭2006)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/275
<次回>中国史人游行(2008年2月7日木曜日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/733
※追記 2009年の春節祭
一方、横浜中華街のパレード「祝舞遊行」(中華街全域)は2007年2月20日火曜日16時から17時半までの間。こちらはサイトによると「関平将軍ら人形隊・皇帝衣装獅子舞などによるパレード」とのこと。関平とは渋い!
・横浜中華街
http://www.chinatown.or.jp/
※イベントスケジュールのところ
※追記 2013春節カウントダウン(横浜中華街関帝廟2013年2月9日-10日)
・「長沙呉簡の世界」ノート3からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/428
お昼休みも終わり。次の報告へ。
○報告IV(13:30~14:05):王素(中国・故宮博物院)「中日長沙呉簡研究述評」
13:40スタート。予稿集にA4で13ページの資料がある。中国語のご報告ということなのでそれは中国語(繁体字)で書かれている。巻末の5ページにわたり中國・日本で人物ごとに長沙呉簡の研究が論集・論叢8つからリストアップされている「參考文獻略稱」は役立ちそう。
※注
ご報告は中国語だけどそれが終わった段階で、日本語での要約があるとのこと。清岡にとって中国語はさっぱりなので、ご報告中、中国語のわかるしずかさん(短期留学帰り)の予稿集のページめくりに合わせながら、ご報告を聞いているそぶりにつとめた(笑)。
というわけでここではご報告本編というより日本語要約のノートとなる。
1996年に出土された長沙呉簡、その研究はすでに史料集は2つ、論文集が8つだされ、関連論文は100点を越える。研究内容は非常に広い。ここでは中日両国の参照論文だけとりあげる。論評して、中日両国の研究の趣向や方向について述べる。
一 關於長沙呉簡的性質
※この小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。
まず長沙呉簡の性質について。[木當]案(役所の文書)であることは間違いないが、どの役所に帰属するものか、三つの説がある。
※以下3つ、予稿集の写し
(一)長沙郡有關各曹文書[木當]案(胡平生・宋少華1997A・1997B)
(二)臨湘縣・長沙郡文書[木當]案(王素・宋少華・羅新1999A)
(三)臨湘侯國田戸曹文書[木當]案(關尾史郎2005)
(三)については新しい説。この性質について検証をまつ必要がある。
二 關於≪田家[艸/別]≫的性質
いわゆる≪田家[艸/別]≫の性質について。今回でも何度か触れられているようにこの大木簡の性質について主に九つの説があげられている。その中の(三)納税人總帳(關尾史郎1998・2001A、伊藤敏雄2003)と(四)郷租税簿(張榮強2001・2003)の二つが有力だろう、とのこと。
三 關於≪田家[艸/別]≫田地的性質
≪田家[艸/別]≫の中で言及される田地について。
(一)二年上限田
※この小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。
主に六つの説があるうちの(4)根據輪耕制制定的按照二年一墾標準収取官租的規定(張榮強2001・2003)と(5)以二年為周期進行輪耕或休耕的田地(呉榮曾2001、孟彦弘2004)の二つ。総合的に見ればこの二つの説が正しく、それ以外は成立しないだろう。
(二)火種田
主に五つの説があり、(4)火耕水耨田(張榮強2003)と(3)刀耕火種・燒兩次耕種・夥同互助耕種三田選一(呉榮曾2001)の二つが妥当。「田家[艸/別]」であり稲を収穫しているので(4)だろうと王素先生が考えている。
(三)餘力田與餘力火種田
主に六つの説があって厳格に言えばそれぞれ根拠があるがどれも充分ではない。(※清岡注。このあとのところはよくわからず)
四 關於≪田家[艸/別]≫的統計錯誤
≪田家[艸/別]≫にでてきた統計上の誤りについて。土地面積や合計などの数に大分、誤りがある。これについて主に三つの説がある。具体的に、共通にあがっているある郷の特定の郷吏が誤ったものだろう、という説であろう。
五 關於丘的性質及其與郷・里的關係
非常に重要なこと。丘と郷・里の関係。主に十の説。十のうち三つが妥当。(三)丘陵地區村落(王素・宋少華・羅新1999、張榮強2001、李卿2002、宋超2005)、(四)居住地或居民點(關尾史郎2001B・侯旭東2004)、(五)含有田地的居住地。「丘」というのは孫呉時期特有のものだと思われていたのが、先ほどの報告にもあったように後漢時期では「丘」と「里」が併用されている地域もあるので、孫呉時期特有という説は誤り。この「丘」というものの性質を理解するのに王素先生はご自身の一つの経験を紹介し、それを参考にしてほしいとのこと。つまり1969年冬に湖北省荊門県にいったときの話。そこは典型的な丘陵地区で山間に細長くのびる、「沖」(チョン)と呼ばれる低地が多数あった。それぞれに○○沖って言う名前が付いていた。細長いのでいくつもの行政単位に分かれていた。例えば土地の農民に「あなたはどこの人ですか?」ときくと「▽▽生産隊の人間で○○沖に住んでいる」と答えた、とのこと。これについて生産隊が当時の「里」に相当し、沖が当時の「丘」に相当すると考えれば、この問題はすっきり解決するのではないか。
六 關於戸口簿籍及其相關問題
(一)戸口簿籍的分類與定名
まず戸籍簿の分類と名前の付け方。ここでは主に七つの説がある。この中で(七)吏民年紀簿・叛走人名簿・師佐年紀簿(關尾史郎2005)が最も孫呉時期の実際の状況に即しているだろう。
(二)戸口簿籍所見“殘疾病症”
戸籍の中にある傷害や病気の問題について。ここでは12種類の見解がある。諸説入り乱れ結論がでない。多くの説にはどれも賛成できない。それらの中で傷害や病気が免役の目的なのか、そういった観点を高く評価している。また何の病気がどれにあたるかというのも検討しなければならない。
七 關於邸閣・倉・庫及其相關問題
(一)邸閣的性質與作用
「邸閣」という言葉について。五つの説がある。鍵は「關邸閣」という言葉の「關」をどう理解するか。「關」というのは動詞だという説があり、王素先生はそれには道理があるとのこと。
(二)三州倉・州中倉及庫的性質與作用
これについて七つの説がある。ただ倉・庫吏が県吏である、ということは成立しない。州中倉は郡倉である、と王素先生は考えておられる。倉と庫は一緒に存在しており、庫は倉に附属している、という考えをどちらかというと支持している。
(三)邸閣主管與倉吏・庫吏的身分
邸閣に関係する吏の身分について。これは州吏県吏の一種の職役だろうという意見に賛成している。
小結
※このタイトルもレジュメの写し
非常に多岐に問題がわたっているが、非常に大事なところに、中国と日本の研究者の注目する問題に違いがある。中国では賦役とか身分とかに注目するが日本ではあまりない。日本では基礎的な研究を重視するが中国ではそういう研究は非常に少ない。両国で共同で努力することは非常に大事である。日本の多くの研究は重要で、この分野に非常に貢献している。呉簡について新史料が続々と現れるのでこの分野の前途は非常に明るい、と信じているとのこと。
質疑は特になし。
・「長沙呉簡の世界」ノート5へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/642
2006年9月30日に発売した「ガンガンカスタムNo.01」(株式会社スクウェア・エニックス)という漫画雑誌のトリを飾る読み切りは以下の漫画。
ブレイド三国志外伝 グリフォンブレイド
原案・構成:真壁太陽
作画:壱河柳乃介
・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
・別冊ガンガンカスタム
http://gangan.square-enix.co.jp/ggcustom/
上記サイトで「ブレイド三国志外伝 グリフォンブレイド」の扉絵を含む三ページと本編終了後の作品解説ページ「CUSTOM DATA FILE:8」をDHTMLビューワーかFlashビューワーで見ることができる。そのページと扉絵にも書いてあるけど、なんとブレイド三国志の単行本が2006年12月に1巻2巻、同時販売とのこと。これで月刊少年ガンガンで連載されてあった「ブレイド三国志」を一気にみることができる。
それで今回の読み切りだけど、舞台は西暦2189年の六本木から始まる(ちなみに本編は西暦2194年)。主人公は趙雲の生まれ変わり。つまり趙雲のブレイドだ。
それに対するのは西暦2184年に黄巾賊が復活し名を変え登場した黒覇道(「ヘイパータオ」とルビ)。黒覇道の日本方面担当の張梁のブレイド、そしてその部下の波才のブレイドが主人公に立ちはだかる。
作中に趙雲別伝の「子龍一身都是膽也」が引用されていたり良い感じ。
参考リンク
・2006年6月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/357
・2006年7月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン8月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/423
・2006年8月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/379
・2006年9月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン10月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/415
↓それからSNSのmixi内にコミュニティできてるね。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1153488
・2006年11月18日「ブレイド三国志 特別編」(月刊Gファンタジー12月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/452
・「長沙呉簡の世界」ノート2からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/425
○報告III(11:50~12:25):町田隆吉(桜美林大学)「長沙呉簡よりみた戸について-三国呉の家族構成に関する初歩的考察-」
11時54分スタート。予稿集7ページ、レジュメ12ページ、共にA4サイズ。
本報告は長沙市文物考古研究所・中国文物研究所・北京大学歴史学系走馬楼簡牘整理組編『長沙走馬楼三国呉簡』竹簡〔壹〕(上、中、下)(文物出版社、2003)から伊藤敏雄先生が中心となってつくったデータベースをもとにした研究について。
1. はじめに
※この数字付きの小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。
『漢書』食貨志に「五口之家」という記述。中国古代の農民の家族というのは五人家族。では具体的な家族はどうだったか?
しかしながら、走馬楼の呉簡にはたくさんの名籍(竹簡)が含まれている。竹簡は編綴の紐が腐食してバラバラになっており、それを可能な限り元に戻すことで、三国呉の農民の「戸」が再現できる安部聡一郎さんの研究(「長沙呉簡にみえる名籍の初歩的検討」(『長沙呉簡研究報告』第2集、2004)など)や關尾史郎さんの研究など先行する研究を踏まえ、名籍の表記、竹簡の簡番号(出土時の位置関係)、竹簡の形状(編綴痕の位置)、書体などからより確度の高い復元を試みた。こういう「戸」の復元に基づき、三国呉の農民の家族構成を視覚的に示し、家族構成の特徴を考察。
2. 長沙呉簡名籍の検討
いくつかの時代が混ざっている。レジュメ1ページ末の胡禮という人物を例に。六年の開きがある。「師佐籍」「烝嚢」の場合、時期が同じという例。
(1)名籍にみえる「戸」と「家」
※この括弧数字付きの小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。
「戸」や「家」はどういう意味か。「夏隆」という人物を例に。
民籍では冒頭の「戸人」に「戸」を代表(→「…戸人公乘夏隆…」)。集計簡の「家」の字に「戸人」の名を冠し、その下に家に居住する人数(「口」)と資産評価額(「[此/言]」)を記す(→「右隆家口食九人 [此/言] 一 百」)。つまり「戸」とは「戸人」某に代表される「家」であり、そして「同居」と観念される。
※清岡注。予稿集やレジュメに出ているのは復元後の釈文。例えばこの「夏隆」の例だと一行が一つの竹簡に対応していて、左横に「9090/9165/9213/9217…」など簡番号が打たれている。「口食九人」となっていて、実際、9人の一人一人の竹簡に書かれた個人情報があるが、うち3人は見つからなかったとのこと。
この名籍に多様な親族姻族が含まれていて、その続柄をこれから紹介。続柄の表記は必ずしも統一されていないとのこと。予稿集に続柄の多くの例が整理され書かれている。ここで気をつけないといけないのは「妻」が名前の場合があるんで単に検索しただけでは駄目。
(2)名籍の書式
名籍では冒頭に「戸人」の名、そのあとの家族の部分では妻や最初の子どもを除くとそれ以降「戸人」の続柄ではなく直前の記載者の関係を示す書式(※清岡注 例えば先の「夏隆」の例だと「9165 隆子男帛年十一」「9213 帛男弟燥年八歳」「9217 燥男弟得年六歳」 )。これと同じ書式は紙形式(敦煌発見の「西涼建初12年(416年)正月籍」(紙)、楼蘭発見の「晋[4世紀?]楼蘭戸口簿稿」(紙))にも継承されている。池田温先生によると、こうした書式の前提には木簡名籍の存在を想定。簡がバラバラになったり順序が前後しても原型に復しやすいようにするためと推測。長沙呉簡はそういう推測を裏付ける。では言葉の使い方は前後の史料でどうなっているか?→レジュメ2~3ページ
例えば、前漢景帝2年(BC155)では「戸人」、前漢永光4年(BC40)では「子少女」(子○○)、後漢建寧4年(171)では戸人、子○○。後漢光和6年(183)では「女替、替弟建、建弟顔、顔女弟」。晋[4世紀?]楼蘭戸口簿稿では前の行のを受ける形式で「息男奴□…」「□男弟□得…」「得□□阿罔…」。4ページの「西涼建初12年(416年)正月籍」でも同じだが、西魏大統13年ではそういう書式が消え戸人との続柄になる。プリントでは表にまとめてある。(その表を見ながら)走馬楼までは「戸人」、晋楼蘭と西涼建初は書いてない。西魏大統では「戸主」。子どもに関しては走馬楼までは「子男/子女」等、晋楼蘭からは「息男」等。
(3)名籍にみえる戸人と戸数・口数
戸人に関して年齢別、男女別に統計をとったものがレジュメの5ページに記されている。表1 長沙呉簡の名籍中の戸人の年齢分布(総数406人) 男子391人、女子15人。最年少の戸人(男)13歳(漢籍番号2951)大女33歳、最年長85歳老女81歳。
さらに次の表では口数の分布。表2 長沙呉簡名籍にみえる口数と戸(477戸) 中心は口数が5人よりやや少ないところにくるとのこと。ちなみに『太平広記』に基づく唐代庶民層の家族規模3.9人に近い。
3. 戸(同居家内集団)に対する初歩的考察
復元した戸に基づいた図式化の話。予稿集では3ページに渡り6例、レジュメの方には9例あり、それぞれ釈文(簡番号あり)と家系図のような家族関係を図示したものがある。この図示は戸人簡がなくても残存したものから推測したものを含んでいる。
まず予稿集。単純家族世帯、拡大家族世帯、拡大家族世帯(戸人簡なし)、多核家族世帯の例について説明していき、それから非家族世帯、兄弟の同居+その他の親族[叔父、従小父、従兄]の同居の例、非家族世帯、兄弟の同居+その他の親族[寡婦と子ども]の同居の例
他の時代との比較。例えば西涼建初12年(416)籍。レジュメの9ページに記載。そうするととりわけ妻の親族や兄弟の寡婦およびその子を含んでいる世帯の存在などは他の時代の戸籍にはほとんどみられず、呉簡名籍の特徴がわかる。孫呉政権には相互扶助的な機能を有する世帯を前提とした戸口編成をおこなっていたようにみえる。
ここでレジュメ8ページへ。「三国時代の呉地域や越族特有の女系を含む家族形態が名籍に反映されている可能性」【小林 2005】 後漢時代長沙郡における嬰児殺し(『北堂書鈔』巻75謝承『後漢書』) 長沙太守となった宗慶という人物は民が子を殺すことを禁止し、年間で子を養う人は三千人あまりとなって、その年、男女はみな、宗を名とした。ここで注目するのは、この土地の人口に対する耕地の狭さ(嬰児殺し)→相続における耕地の細分化を回避する必要性(つまりそれが拡大家族世帯、多核家族世帯、非家族世帯の多さに関わる?)。後漢豪族の同族内の相互扶助の例。後漢崔寔『四民月令』9月令。
4. むすびにかえて
民籍の他に師佐籍がある。レジュメ8ページに師佐籍の例があり、それはみかけは1つの単純家族世帯で実体は2つの単純家族世帯(同居していない)。レジュメで資料をつけたのは、唐西州戸籍・手実 こういった時代の比較も重要。
12時30分終了。
時間がおしているので、午後は13時40分スタートとのアナウンス。
○昼食・休憩(12:25~13:30)
予稿集やレジュメとともに「日曜日に営業している食堂」というB5一枚のプリントも配られていて、それを元にどこか行こうと思ったけど、結局、そこには載っていなかった近くの喫茶店で食事した。
・「長沙呉簡の世界」ノート4へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/448
・「長沙呉簡の世界」ノート1からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/421
○報告II(11:10~11:45):小嶋茂稔(東京学芸大学)「後漢孫呉交替期における臨湘県の統治機構と在地社会-走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の記述の比較を通して-」
11時7分スタート。予稿集4ページとは別にA4の7ページのレジュメ。予稿集を読み上げる形で報告をすすめていくとのこと。主に走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の比較の報告。
緒言
※この小タイトルは予稿集の写し
日本の長沙呉簡研究会の「長沙呉簡研究報告」第1集・第2集や羅新先生がお勤めになっている中国の北京大学の北京呉簡研討班の『呉簡研究』第1輯・第2輯などにより広く学界に共有。
しかし、走馬楼呉簡は文献史料との接点が極めて少なく、理解の共有化に至るには困難。一例として「丘」の問題。それまでの文献中心の研究から知られなかった「丘」という存在が走馬楼呉簡の研究の一つの軸になった。いまだ論者同士で議論が平行化。
少ないながらも文献史料と呉簡の接点を探ることで、従来の文献から得られた研究成果を活用するのもあり得る。「丘」について具体的には中国古代の地方行政制度史の研究蓄積を活用。
これまでの走馬楼呉簡から文献史料を凌駕する知見が得られていないが、見方をかえて孫呉政権下の臨湘において国家の統治統制が及んでいたことは間違いないため、そういった累積的な国家統治機構の延長上で「丘」をどうとらえるかという方法が可能。さらに後漢から孫呉で統治機構がどう変わったかというのも論点となりうる。
走馬楼近くに東牌楼簡牘(後漢末)が発見される。走馬楼呉簡には「官文書簡牘」と分類されるのが公開されていて、それに対する東牌楼簡牘でも行政機構間の職務上のやりとりの記録がある。二つの文書群と記載された内容を比較で機構の変容があったかどうか探ることができる。
以上のように、この報告は走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の記述を比較検討しながら、従来の研究に依拠し、当時の臨湘県や長沙郡において実現していた国家統治の具体相を論じる。「丘」の問題を全面的にとりあげない。高村武幸先生・侯旭東先生の「郷」に関する研究、羅新先生の督郵に関する研究に学びながら、「郷」の問題を取り上げる。
1. 呉簡から見る孫呉期臨湘侯国下の郷
※この小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。
「郷」に関して、ここにいる人に説明不要だとおもうが、一応、プリント(レジュメ)1ページ目で文献に見られる「郷」をとりあげた。
孫呉政権期の臨湘侯国治下における「郷」のあり方について、高村武幸先生(「長沙走馬楼呉簡に見える郷」)と侯旭東先生(「長沙走馬楼三国呉簡所見“郷”与“郷吏”」)の「郷」に関する研究に依拠しながら紹介。
吏民田家[艸/別]の表題簡には「南郷」などの郷名があったが小型竹簡の公表でさらに多くの郷名を確認。代表的なものはレジュメに記載。都郷・北郷・西郷の「方角名+郷」以外にも広成郷・小楽郷などの郷名もあり。ちなみにこれらの郷が臨湘侯国に属するかは議論が分かれている。
走馬楼呉簡の「官文書簡牘」にも「郷」の字が数点みられる。それらは「勧農掾」と関係する内容がある。例として簡番号J22-2543(『文物』1999-5 彩版参-1 .戸籍)のところ。予稿集に釈文、レジュメにその書き下しが載っている。さらにレジュメに別の二つの記述の釈文とその書き下しが載っている。この勧農掾はどういうものなのか議論の余地あり。県吏? 漢代の郷嗇夫と同じとみるのは難しいが、漢代と孫呉期の郷とにそれほど大きな違いはなさそう。
レジュメにある二例目の簡番号J22-2546(『文物』1999-5 彩版肆 1 .戸籍)の「一人夜」や「四人真身已逸」となっている釈文は実際、小嶋先生が簡牘をみたら、それぞれ「一人被」、「四人真身已送」という可能性も感じたとのこと。
プリントの2ページ目に「呉簡に見える郷」という項目でまとめられている。
2. 呉簡から見る臨湘侯国と長沙郡の関係-督郵の存在から-
督郵の基本的な資料はプリントの3ページ目。漢代では郡吏として県の監察を掌握、監察区域は郡の内部でいくつかに区分。呉簡で督郵あり。羅新先生の研究(「呉簡所見之督郵制度」)がある。
呉簡に「中部督郵」が見られる。その他「東部」。租税徴収業務に何らかの関与→プリント3ページに抽出。督郵が長沙太守の指揮下にあったことを示すもの等
木牘(簡牘番号J22-2540 『文物』1999-5、彩版参)の方にも見られる。予稿集にその箇所が引用されている(プリントの4ページには書き下しあり)。郡吏である督郵と録事掾以下(県の属吏)の関係を考察。督郵の告発を受け、取り調べが行われていた。胡平生・李天紅『長沙流域出土簡牘与研究』(湖北教育出版社、2004)の611ページに中賊曹掾の陳曠が調査報告した事例の釈文あり(しかし督郵は出てない)。小嶋先生の考えでは告発までが督郵の仕事でそれから先の取り調べは別。
藤岡喜久男先生の研究(「督郵研究」)では督郵はまず属県への監察が先行(論拠は漢代でもっとも古い記述、漢書尹翁帰伝)。羅新先生の研究では郵便通信機関に対する監察が先行。
文献から見られないことで呉簡に見られたことは勧農掾の存在と勧農掾が県の指示で戸籍の照合等を行っていたこと。督郵の存在が明確に見られる。臨湘が中部督郵の監察下にある。
呉簡は「漢制の枠組みの継承」という点で格好の史料。東牌楼簡牘と比較することで深化した検討が可能。
3. 東牌楼簡牘に見える長沙郡と臨湘県
「東牌楼簡牘」は走馬楼のすぐ近くの長沙市東牌楼の古井から発見。木簡・木牘・封検・名刺・簽牌など。後漢霊帝期の年号が多く記される。ここでは最近、刊行された長沙市文物考古研究所・中国文物研究所編『長沙東牌楼東漢簡牘』(文物出版社、2006年4月、7-5010-1857-X)の釈読に従う。
ここで注目するのは次にあげる五つの点。
(1)臨湘県の「東部勧農郵亭掾」の名を記した「封匣」がある。→プリント4ページに記載。勧農掾と県との関係について考えを深化可能
(2)「監臨湘」の李氷と「例督盗賊」の殷何が起草した上行文章(簡牘番号五 1001号)→プリント4ページに記載、以下同じ。この二人が「中部督郵」の掾の檄を受けての文章。
(3)臨湘の県令(簡牘では「守令」)が上言した文章(簡牘番号一二 1105号)
(4)東牌楼簡牘に「丘」の記述あり。呉簡に見えない「度上丘」。呉簡にみれる「桐丘」。「丘」は霊帝期にも存在。小嶋先生個人としてはショックを受けたとのこと。
(5)様々な姓の記述。呉簡に見られる姓と共通のものが多い
その他、プリントの方に督郵の記述の資料。
孫呉政権は基本的に後漢からそのまま継承している。
報告終了
質問というより補足。プリント2ページの終わりの方。誤「5分の1」→正「7分の1」
・「長沙呉簡の世界」ノート3へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/428
※追記 歴史評論 2014年5月号 3世紀の東アジア――卑弥呼と『三国志』の世紀(2014年5月10日)
漫画雑誌の「月刊少年ガンガン」に連載してあった「ブレイド三国志」。
たまたま旅先の大衆食堂で月刊少年ガンガンがおいてあって、見逃した第二話をみることができた。月刊少年ガンガン8月号ね。
・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
それで第二話ではいきなり主人公が死線をさまよう。そういった幻想世界でいきなり三国志の説明。例の「正史と演義の二種類があり」ってやつで、やっぱりあの昭和初期の訳本の「三国志」が何なのかさっぱりわからないんだけど。
・2006年6月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/357
死線をさまよったせいか、主人公の前世のことがことごとくよみがえる。つまり孫策の生涯ダイジェスト(上のようなことだから歴史に忠実と言うより後世の創作とイメージ込み込み)。呂範やら大喬小喬やら袁術やら周瑜やら出てくる。この流れの戦いのシーンに第四話に繋がる「大声で敵将を倒す」設定がでてくる。
・2006年9月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン10月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/415
そういった臨死体験(?)がきっかけで主人公はブレイド(武霊士って当て字)の自覚とともにTAOに目覚めるってことね。第三話に繋がった。
・2006年8月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/379
しかし全体をみてみると、今まで見てきた「ブレイド三国志」のどの回よりも三国志色が強いなぁ。
・2006年9月17日「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」ノートからの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/417
中国からの先生が到着するのを待つために5分押しでスタート。
まず総合司会の三崎良章先生から会場の注意事項についてアナウンス。
○開会挨拶(10:00~10:10):窪添慶文(お茶の水女子大学)
窪添慶文先生の挨拶。中国訳が逐次入る。長沙呉簡の紹介と研究の現状について。呉簡の全貌が明らかにされていないが、最近、北京大学を中心とした北京呉簡研討班による『呉簡研究』第2輯が刊行されたことなど。日本の長沙呉簡研究会のも含めた今までの研究の流れも紹介。あと、中国から来られた王素先生、宋少華先生、羅新先生、それから韓国からの朴漢済先生の一人一人の紹介。紹介ごとに先生が起立され、その都度、拍手。あと日本からの阿部幸信先生、小嶋茂稔先生、町田隆吉先生のご紹介。
○主旨説明(10:10~10:25):關尾史郎(新潟大学)
予稿集の1ページ目を開くように言われ、そこには「主旨説明」と銘打たれた文章が2ページに渡りあった。基本的にはそれを關尾史郎先生が読み上げていく。1996年に長沙市の中心街である走馬楼の工事現場の古井戸(J22)から大量の簡牘が見つかったことから始まり、その価値、影響や研究動向について解説され、その後、このシンポジウムで発表される報告について一つ一つ順に概略を述べられていた。
主旨説明が終わると拍手。
○報告I(10:30~11:05):阿部幸信(日本女子大学)「嘉禾吏民田家[艸/別]数値データの整理と活用」
予稿集とは別に資料があるA4の2ページの資料と附表が配られる。
はじめに
※この小タイトルは予稿集の写し
昨年の8月に行われた北京大学での長沙呉簡の国際シンポジウムでの日本側のデータベースの発表に中国側から強い関心が寄せられたので、それを受けての報告とのこと。
1.嘉禾吏民田家[艸/別]とは
※この小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。
まず田家[艸/別]の説明。50センチメートル前後の木簡で、面積に応じた租税額の計算と納税の確認が記録されているとのこと。それぞれの情報はすべて1枚におさまっている。記録された年度は嘉禾四年と五年(西暦235,236年)に集中しているとのこと。長沙のこの時期について詳細な情報が得られる。
その記載例が予稿集とレジュメに書かれている。記載例に項目ごとに順に番号が打たれていてその後、それぞれの意味するところが説明されている。「(1)丘名(2)身分(3)姓名(4)田地の総数……(30)銭の納入先(31)校閲日(32)校閲者の官職・姓名(名は自著)」といったようなこと。ここで予稿集とレジュメ両方間違っていると言うことで訂正。予稿集とレジュメは釈文(実物を見て解釈された文)に則って書かれたが、写真を見ると、違っていたとのこと。正「(32)田戸経用曹史趙野張惕陳通校」。訂正前は「用」が抜けていた
田家[艸/別]の性質としては今のところ不明とのこと。
2.数値データベースの紹介
データベースは簡番号、釈文、『嘉禾吏民田家[艸/別]』の掲載ページ(写真版・釈文)いうシンプルなもの。入力作業そのものは2001年に終了。しかし、釈文と写真版を比べるとあれこれ論ずる点が出てくる。例えば「丘ごとの納税者の偏り、年度ごとの記載情報の特徴」とか。こういったことはデータベースの副産物。
さらに進んで、データベースを検索システムにとどめず、数値化し、田家[艸/別]全体を分析・利用する手段にしようという動きが出てくる。
具体的には、阿部幸信・伊藤敏雄/編『嘉禾吏民田家[艸/別]数値一覧(I)』に載っている三つの数値一覧、(1)阿部幸信/編「嘉禾吏民田家[艸/別]田土額一覧」(2)伊藤敏雄/編「嘉禾吏民田家[艸/別]米納入状況一覧」(3)伊藤敏雄/編「嘉禾吏民田家[艸/別]における丘別・倉吏別米納入状況一覧」。この本のタイトルに「(I)」とあるのはまだ全部じゃなくごく一部で、全部は膨大な量とのこと。
続いて『嘉禾吏民田家[艸/別]数値一覧(I)』の作成の背景について。田家[艸/別]は木簡一枚ごとに完結したものなので、できるだけ多くの複数枚のデータを抽出して比較検討する必要がある。田家[艸/別]のように田地の状況と課税の過程が詳細に表れている史料はなく、さらにそれが2000点以上もまとまっているので、数値データベースの手法が有効な手段の一つとしてでてきた
3.「嘉禾吏民田家[艸/別]田土額一覧」の活用事例─町数と畝数の関係を中心に─
数値データベース、「嘉禾吏民田家[艸/別]田土額一覧」の活用例(一例)について解説。判別不能な部分も逆算して求めることもしてある。
田地の数(町数)と田地の総面積について双方にについて判明するものを選別。
「丘」が田地を含んだ一定の空間的広がりをもつものであるとしてここでは扱う。田家[艸/別]のその次の記載に身分と姓名が記されている。これが耕作者なのか納税者なのか不明。その次の課税と直接関係しない田地の数量まで記載された理由が不明。しかし、嘉禾4年・5年の長沙近辺の田地の数と広さを知ることが出来る。
ここで面積を個数で割ることでその人物が工作していた個数あたりの面積(畝数/町数)をだすことができる。そうして出したデータの嘉禾4年全体をみてやると平均値が6.1畝、中央値が5.0畝とのこと。
こういったデータを丘ごとにわけてやる。その結果がはじめに配られた附表。丘によって畝数/町数にばらつきが出てくる。つまり数字が大きいものと小さいものに分かれてくる。
ここにどういった意味があるかというと、阿部先生が仮説を立てる。傾斜が比較的きつい丘では畝数/町数が小さく、平坦に近いと畝数/町数が大きくなると仮説。「丘」という名称が使われていても必ずしもそこが傾斜地であるとはかぎらないのではないか。
※清岡補足
後日、コメントで仁雛さんから教えていただいたんだけど、ネット上に「走馬樓三國呉簡.嘉禾吏民田家[艸/別]資料庫」というデータベースがある。試しに今、地名で「下伍」と検索すると地名が下伍丘である木簡の出土編號、地名、人名、年代編號、内容(釈文)が項目としてあげられ表となってずらずらと出てくる。内容(釈文)はこの報告通りのフォーマットであることを追認できる。なかなか楽しい。
・走馬樓三國呉簡.嘉禾吏民田家[艸/別]資料庫
http://rhorse.lib.cuhk.edu.hk/
※追記 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)
司会から、予稿集に質問用紙が挟んであるので、それに書き込んでもらうことで、午後のパネルディスカッションで質疑応答を行うとアナウンス。その関係か特にこの時間の質疑応答はなし。
・「長沙呉簡の世界」ノート2へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/425
※追記 走馬樓三國呉簡 嘉禾吏民田家莂資料庫
2006年9月17日に長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」が開催されること、さらにそれは一般聴講可能だと聞き及び、前日、清岡は関西から東京入りする。
当日、同じく関西からのしずかさんと共に東京メトロ丸ノ内線で会場となるお茶の水女子大学最寄り駅、茗荷谷駅に向かう。
茗荷谷駅から歩いて北上し、途中のコンビニで飲料水を買いつつ、やってきたのはお茶の水女子大学の正門。正門近くのお茶の水女子大学附属高等学校で輝鏡祭(学園祭)をやっているようで華やか。
それを尻目に会場となる理学部3号館へ向かう。前のスーツ姿の人の後をつけて、3号館の2階から入り、エレベータで7階へ。7階についてエレベータを出ると前は汲古書院などの店舗となっていて、そこから会場を探し歩く。
7階は狭く細長い一本の廊下があるだけなので、少し階段を上がったりしつつそれをずんずん進んでいくと、廊下の突き当たりに受付があったので、受付をすまし、予稿集とレジュメを受け取り、廊下突き当たり左手の701教室へ入る。予稿集は「長沙呉簡研究報告」第1集・第2集と似た構成で、茶色の厚紙が表紙で、表紙が目次代わりとなっている。
どこに座ろうかと、会場向かって右側の通路を通っていると、不意に仁雛さんに声をかけられ、軽く挨拶する。席を真ん中左寄り、前から四列目を確保。10時開始の10分前だけどまわりにあまり人が座っていないのが気になった。ほとんどの人は後や右の端っこの方に座っている。
専門外の清岡は全く気付かなかったけど、しずかさんによると、入り口側、つまり会場向かって右側に席には著名な先生方がかたまっているとのこと。前日、同大学で「第6回魏晋南北朝史研究会大会」があったので、その流れかな、と話していた。
・「第6回魏晋南北朝史研究会大会」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/4182734
当時もそうだけど、上記記事をみると興味深いので聴講しにいけばよかったと後悔。
会場の様子は右上の写真のようになっている。プログラム等は以下の通り。【直前情報】長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」(關尾史郎先生のブログ内記事)のほぼまる写し
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○長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」
日時:2006年9月17日日曜日、10:00~17:00
会場:お茶の水女子大学・理学部3号館7階701教室
主催:長沙呉簡研究会
総合司会:三崎良章(早稲田大学)
プログラム:
・開会挨拶(10:00~10:10):窪添慶文(お茶の水女子大学)
・主旨説明(10:10~10:25):關尾史郎(新潟大学)
・報告I(10:30~11:05):阿部幸信(日本女子大学)「嘉禾吏民田家[艸/別]数値データの整理と活用」
※文字コードの表示上の都合から[艸/別]は「別」の字にくさかんむりをつけた字という意味、以下、同じ
・報告II(11:10~11:45):小嶋茂稔(東京学芸大学)「後漢孫呉交替期における臨湘県の統治機構と在地社会-走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の記述の比較を通して-」
・報告III(11:50~12:25):町田隆吉(桜美林大学)「長沙呉簡よりみた戸について-三国呉の家族構成に関する初歩的考察-」
昼食・休憩(12:25~13:30)
・報告IV(13:30~14:05):王素(中国・故宮博物院)「中日長沙呉簡研究述評」
・報告V(14:10~14:45):宋少華(中国・長沙簡牘博物館)「長沙出土簡牘的調査」
・報告VI(14:50~15:25):羅新(中国・北京大学)「従〈呉簡研究〉看呉簡研究所面臨的困難」
・休憩(15:25~15:45)
・パネルディスカッション(15:45~16:45)
コメンテーター:朴漢済(韓国・ソウル大学校)
・閉会挨拶(16:50~17:00):伊藤敏雄(大阪教育大学)
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また以下のリンクは開催後の記事
・長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界―三国志を超えて―」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/4174556
それにしてもこのシンポジウム、タイトルに「三国志を超えて」とあるんだけど、個人的に史書である『三国志』にない情報がたくさん長沙呉簡に含まれているという意味で「超えて」だと思っていた。シンポジウムが終わった後、幸さんの話によると、三崎良章先生から「(このシンポジウムには)三国志はないですよ」というようなことを言われたとのこと。それをきいて清岡は、『三国志』を飛び「超えて」しまって通り過ぎたという意味で『三国志』はないんだ、なんてアホなことを思っていた。
・「長沙呉簡の世界」ノート1へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/421
※追記 新出魏晋簡牘をめぐる諸問題(2009年9月13日)
※追記 レポート:関プチ5 全国ツアー:6/22特別講座「新発見!三国志と日本」勝手に予習(2014年6月22日)
漫画雑誌の「月刊少年ガンガン」に「ブレイド三国志」ってのが連載されている。
原案・構成が真壁太陽さんで作画が壱河柳乃助さん
第四回「俺の屍を越えて行け」ね。
表紙には「ブレイド三国志単行本12月発売決定」という文字がある。おぉ、早くも単行本?
そしてもう一つニュースなのが2006年9月30日発売の『ガンガン・カスタム』で「ブレイド三国志外伝 グリフォン・ブレイド」が掲載される。こっちは趙雲ブレイドが主役とのこと。
話の前に物語の人物紹介と人物関係のページ、話の後にに三国志講座のページとバックアップ体制は万全。
・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
・2006年8月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/379
以下、ネタバレ含む。
前回に引き続き孫策と公孫[王賛]の戦いの続き。何か、一般人にも見ることができる軍馬の幻影みたいのが出てくる。
それで孫策ブレイドは歌手とのことで声で能力に目覚めることに。
孫策といえば大声っ!! 声で敵将を撃ち破るといわれるほどだった
というような解説じみたセリフが入るんだけど、大声といえば、後漢書公孫[王賛]伝に
為人美姿貌、大音聲、言事辯慧。
とあるようにどちらかというと公孫[王賛]の方なんだけど(汗)
ともあれ孫策が勝ち、孫策の父の孫堅ブレイドの話をからませつつ物語がとんとん拍子にすすむ。途中で張[合β]ブレイドがでてきたりと、物語に膨らみが出て来るんだけど……
これって今回で終わり?
あまり明記されていないけど次回予告もないし三国志講座も終わるし。『ガンガン・カスタム』で移籍ってことでOK?
<追記>
『ガンガン・カスタム』では読み切りなんで、一区切りついたってところだろうか。ジャンプ的にいえば「第一部 完」
・2006年9月30日「グリフォンブレイド」(ガンガンカスタムNo.01)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/432
未だに「三国志大戦2」を「三国志対戦2」と誤って検索してくる人が後を絶たないので、啓蒙の意味でも記事を書いておこう。
「三国志対戦2」は微妙に字が間違いってるぞ。早く気づけよ。この情報社会で大きく損してるぞ
さて、三国志大戦公式サイトによると、9月5日より三国志大戦2がVer.2.01にバージョンアップした。群雄伝に董卓伝と袁紹伝が目新しいな。つかますます真・三國無双かその猛将伝の無双モードを連想してしまうんだけど。
・三国志大戦2公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/
・Ver.2.0
http://cte.main.jp/newsch/article.php/343
・DS版
http://cte.main.jp/newsch/article.php/375
漫画雑誌の「月刊少年ガンガン」に「ブレイド三国志」ってのが連載されている。
第一回目をみてもあまり三国志に関係ないかなぁと思ってノーチェックだった。
だけどコンビニ行く用事ができたんでふと気になって「ブレイド三国志」をチェックしてみた。
第三回「前言撤回!」ね
・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
・2006年6月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/357
そうすると扉絵からいきなり孫策のブレイド(「生まれ変わり」とルビ)が出てきていて公孫[王賛]のブレイドと一対一の戦い。
イメージ絵として腹巻きタイプの鎧をきている生まれ変わる前の姿がでてくる。
あぁ、だから単純に2000年を足した西暦2194年が舞台なんだ。
一回目に出てきた昭和初期の訳本の「三国志」を持った少年がそれを読んで孫策と公孫[王賛]の解説をする。
特殊能力の総称か何かでTAO(「タオ」とルビ。道?)という概念が登場していて、公孫[王賛]はそのTAOで「白馬義從」という技を繰り出している(笑)
というか、孫家と公孫家は生まれ変わる前の反董卓時期後は同盟関係じゃなかったのかぁ?(笑)
こりゃ三国志ファンとして目が離せない感じ
(と書きつつ、チェックを素で忘れてそうな予感・笑)
他のブレイドのTAOが楽しみ。
・2006年9月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン10月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/415
サイト「むだぺじ」をみていたら、そこの日記でSEGAの三国志大戦DSの公式サイトに気付く。
アーケードゲームの三国志大戦がニンテンドーDSに移植されるってこともそこで初めて知る。
・「三国志大戦DS」公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/ds/
・「三国志大戦2」公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/
ロゴでは「三国志大戦」のバックにある「DS」がやっぱり龍か!
アーケードの雄がついにコンシューマにも出陣ってところだね。
ジャンルはリアルタイムカード対戦で、2006年秋発売予定とのこと。
<追記訂正>
2007年1月25日発売予定とのこと
・参照記事、2006年5月24日 三国志大戦2稼働&公式サイトリニューアル
http://cte.main.jp/newsch/article.php/343
※追加 2008年夏『三国志大戦・天』(ニンテンドーDS版)
夜行バスに揺られ三国志シンポジウムが始まるまでの間、モスで朝食をとっていたら、何かの役得でお知らせが舞い込んできた。
なんでも、2006年9月24日に鳥取・燕趙園にて2006年度中華コスプレ日本大会があるとのこと。
・中華コスプレプロジェクト
http://www002.upp.so-net.ne.jp/camel-st/Chai-Cos.html
参加料2000円。23日が前夜祭と交流会、24日は参加自由のコンテスト。コンテストは5位まで賞品がつく(内容は上記サイト参照)
鳥取・燕趙園はたびたび三国志ニュースでも紹介しているけど、普通に(?)観光するだけでもとても良いところ。そういう素敵な場所にさらに綺麗な衣装の方々がいろんなところにいるんだから目に面白い。
・鳥取・燕趙園(三国志ニュース)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/104
<次回>2007年5月13日第2回・中華コスプレ日本大会(鳥取・燕趙園)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/500
それにしても中華コスプレプロジェクトの冒頭にある写真って、日本海新聞の2005年10月22日の紙面で使われたやつだね。詳しくは下記、英傑群像のブログの記事で。
・英傑群像
http://www.chugen.net/
・三国志コスプレ(三国志ブログ英傑群像通信)
http://sangokushi.chugen.net/?eid=365537
個人的な雑感では後援・協力の欄には燕趙園が入っているので、安心かな。
しかし、日本大会ということは他の国や地域でも大会があるんだろうか(笑)
<2007年5月14日追記>
・日本海新聞に中華コスプレ日本大会の記事2007
http://cte.main.jp/newsch/article.php/589
<8月18日追記>
http://blog.goo.ne.jp/gesotoku/e/f2288fa3f47525b9cac7205c32e2bcde
ついに日本海新聞の記事(8月17日付け)に取り上げられた模様。なるほどね。
<9月26日追記>
・日本海新聞
http://www.nnn.co.jp/
上記、日本海新聞のサイトのローカルニュース(2006年9月25日付け)の「なりきり度満点 燕趙園で中華コスプレ大会」によると、優勝したのは西遊記のコスプレをしたチームとのこと。写真をみるとフジテレビのドラマをモデルにしている。
イベントの代表の人が次の次ぐらいにアジア大会をしたいといっておられるが宣伝さえきっちりすれば本気であつまるかもね。
十二国記コスプレとか含まれてて楽しそう。
※参照
・枕流亭ブログ
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/
・『十二国記』コスプレする中国の婦女子たち
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20060617/p1
※追記 第4回中華コスプレアジア大会(2011年11月12日13日)
※追記 メモ:曹豹さんを囲む会(仮)(2013年5月4日)
關尾史郎先生のブログより。2006年9月17日日曜日10時から17時まで、お茶の水女子大学・理学部3号館7階701教室にて長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」があるそうな。入場無料,一般聴講可とのこと。詳しくは下記のリンク先へ。
・關尾史郎先生のブログ
http://sekio516.exblog.jp/
・記事「長沙呉簡国際シンポジウム『長沙呉簡の世界-三国志を超えて-』」
http://sekio516.exblog.jp/3729950
<追記>2006年9月17日「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」ノート
http://cte.main.jp/newsch/article.php/417
まだ私自身、書店で見てないです。ここではネットのみの情報。
・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
株式会社スクウェア・エニックスの2006年6月12日発売の「月刊少年ガンガン7月号」で三国志漫画の連載がスタートしたとのこと。
以下、そのサイトから引用
■注目新連載!
今、新たな三国志時代の幕が開く─!!
「ブレイド三国志」
原作:真壁太陽 作画:壱河柳乃助
公式サイトでは扉絵を見れるんだけど、見た目、蜀関連のパラレルものにみえるんだけど。
第一回「ブッ飛んでるゼ Baby!!」だそうな。
減る一方だった各誌の三国志漫画の連載にちょっと増えた。
しかしガンガンで三国志漫画だったらあの先生だろ、って思うんだけど、まぁ、それは別に現行の連載が終わってからほのかに期待しておこう。
<追記>
ブレイド三国志、冒頭に西暦2194年って書いてあった。作中に昭和初期の訳本の「三国志」が出てくるけど、その時期に訳本なんてないんで、作中の人物が吉川三国志と間違っている??。
・2006年7月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン8月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/423
※追記 記事特集「戦-IXA-ONLINE」で三国志特集(2009年11月12日)
※追記 ヒゲも制服のうち(2009年11月27日)
何か騒がしいと思ったら、これか!
NEXTON Official Homepage 「TacticsNET」
http://www.tactics.ne.jp/
※18歳未満は閲覧禁止だそうな。
ここのブランド「BaseSon」のところに
恋姫†無双~ドキッ☆乙女だらけの三国志演義~
(ジャンル 妄想満載煩悩爆発純愛歴史AVG 対象年齢 18歳以上)
って製品の情報があり。2006年冬発売に向け鋭意制作中だそうな。
しかし、近い将来、関羽でイメージ検索するとまたえらいことになりそうだな。
<追記>
発売は2007年1月26日とのこと
※追記 『真・恋姫†無双 ~乙女繚乱☆三国志演義~』
※追記 いけ!いけ!僕らの『恋姫†無双』(2007年4月25日、2008年8月15日-)
※追記 Web恋姫†夢想(2010年12月20日)
※追記 サイト「同人用語の基礎知識」で三国志関連
※追記 CR恋姫†無双(2011年12月)
※追記 秋葉†無双 ~ドキッ★otakuだらけの秋葉原120%活用ガイド~(2009年7月18日)
※追記 女諸葛亮(2015年10月27日-)
※追記 神戸南京町広場四阿 彫刻
平日の午後から暇ができて、帰り道は大阪市内を通るというシチュエーション。寄り道して何か買い物をしていこうなんてのはすぐに思いつくんだけど、どこか行きたいところがあったような……そうそう大阪の日本橋にある「上海新天地」というショッピングモールに一度、行ってみたいと思っていたんだっけ。なんでもビルまるまる一つが中華だとか。2004年5月オープンとのこと。
・チャイナモール【上海新天地】
http://www.shanghai-xtd.jp/
・中華いちば24
http://www.chuka-ichiba24.com/
※ここの会社概要に上海新天地を運営する中文産業株式会社について載っている。
それで難波駅から徒歩でなんさん通りをてくてく歩き、堺筋に達したので右に曲がり、ずんどこ歩いていく歩いていく……といつのまにやら電気街(でんでんタウン)が尽きたのでそこでようやく道を間違えたことに気付き、あわててノートPCからネットにつなぎ上海新天地の位置を確認。あ、なんさん通りから堺筋に着いたら左に曲がってすぐなんだ、と気づき、来た道をまた元に戻る。つまりなんさん通りからみてでんでんタウンとは逆の方向ね(大阪の日本橋を知らなければさっぱりわからん記述だけど)。そしたらすごく分かりやすい建物があるではないか。それが右上の写真の建物。
昼飯たべてないのでとりあえず4階の香港飲茶レストランへ。まだランチタイムが終わっていないし、食べ放題は安いんで早速、店に入ろうと思ったら、どうやら15時半からたまたま大掃除をするようで営業はその時間までとのこと。時計をみたら15時10分。20分の食事は慌ただしいんで、5階の中華料理店へ。そしたらチャイナ服着た店員さんに今日は17時から営業と言われる(後でサイトをみたら確かに平日昼の営業は14時半までだ)。トホホ平日の昼だから仕方ないな、と思いあきらめて「上海新天地」の外のお店で食事することに。
とりあえず飯を食べながら上海新天地で無料配布されていた「月刊 上海新天地NEWS Vol.2」をまじまじとみる。A4で4ページカラーの冊子。うち1ページが中国語(繁体字)で書かれている構成。日本語のところには「上海新天地でショッピングに使える ひとこと中国語」というコーナーがあるのに対し中国語のところでは「便利日本生活指南」(七つの質問がある)があるのがツボ。あと両方の言語の紙面で6階の「カラオケ上海灘」で最新の中国曲が入荷されたとして林俊傑「曹操」があげられていた。
昼飯を食べて上海新天地へ再訪問。まず正面から一階へ。三国志ニュース的には金ぴかの関羽像が印象深い。ちょうど半額セールやっていたが値札を発見できずいくらかわからず。
それから階段で二階へ。途中で兵馬俑のレプリカを見かける。二階でまず目についたのが新天地トラベル(航空チケット、ビザ取得、ホテル等の手配)。店員が四名ぐらいいて、お互いに異国の言葉(中国語?)で話していた。そうか店員は中国の方なのかな?
そしてほとんど自分的メインの目的地、中国書籍「中文書店」(書籍・雑誌・文具・中国ドラマのビデオレンタル)へ。まず大判の本が置いてある本棚を物色。おそらく現代の書家の書がページの上半分、下半分が漢代の画像石拓本という意図がよくわからない本をみたり、中華文明之旅というシリーズの図録を服飾のところとか見たり、神田の内山書店で見かけた服飾の本を眺めたり。それから古典小説の棚へ。なぜか人物名がタイトルになった本が多く取りそろえられていた(以下、簡体字を表示しやすいようにかえている)。「曹操大伝」とか「関羽」とか「四大才女之 蔡文姫」とかあった。一冊まるまる「蔡文姫」って何だろう? って思ったらぱらぱらと見たらやっぱり小説っぽかった。
3階は中華食材マーケット。三国志ニュース的には「紹興酒 関帝」があったことかな。中華食材マーケットは日本人向けに奇をてらったものではなく、ホント、在日の中国人向けといった印象が強かった。生きた魚が水槽でいたり、新鮮な食材もあって良い感じ。あと韓国食材コーナーもあった。
休日であれば昼間でも4階か5階で食事できるし、2階ではいろんな書籍を見れるし、カラオケは朝の5時までやっているし、三国志関連のオフ会するにはちょうど良いところなんだろうな、と思いながら、その場を後にした。
※追記 横浜大世界
※追記 京都で哲舟さんを囲む会(2013年2月5日)
<追記>
「三国志対戦2」と検索されている方へ。
それは「三国志大戦2」の間違いではないでしょうか?
そのままだと有用な情報は得られません。
<追記終了>
というわけでアーケードゲーム(リアルタイムカードアクション)の「三国志大戦2」が2006年5月24日に稼働しました。それに合わせて公式サイトもリニューアルされました。詳しくは下記公式サイトで。
・三国志大戦2公式ウェブサイト
http://www.sangokushi-taisen.com/
噂通り、1人用モードで群雄伝(シナリオ)があるようですね。魏伝、蜀伝、呉伝の三つから選べるそうです。これでより三国志ジャンルに密着した楽しみ方ができますね。
・参考記事「三国志大戦2の制作中の話」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/295
※『三国志大戦』関連記事
・2005年3月15日「三国志大戦」稼働開始
http://cte.main.jp/newsch/article.php/91
・『三国志大戦3』稼働開始(2007年12月13日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/760
※追記 まとめメモ:『三国志大戦』ネットワーク大会
<5月28日追記>
相互依頼の書き込みがあったんで、せっかくなのでここで紹介。
・三国志対戦し~ねっと
http://cnet.mimora.com/sangoku/
はやくも三国志大戦2から導入されたLE(レジェンド)のカードが紹介されている。
横山光輝三国志からは劉備、張飛、諸葛亮、「天地を喰らう」からは劉備、龍狼伝からは司馬懿。
あと三国志大戦2のサイトとしては以下のようなサイト。
・三国志大戦2 覇王への道
http://haou-miti.com/
<追記>
検索ワードを見ていると「三国志大戦2」を「三国志対戦2」と間違えている人が大勢いるんだけど。もしかして元からして「対戦」をイメージして「大戦」と名付けているのかな。
よくみにいくプロレス関連の個人ブログで見かけたんだけど。
マッスルという団体(なのか??)に趙雲子龍というレスラーがいらっしゃるそうな。
・『マッスル』オフィシャルウェブサイト
http://www.ddttec.com/muscle/index.html
※ddttec official web site内 http://www.ddttec.com/
上記サイトの「戦士紹介」のところで見ることができる。
出身地は中国、バックボーンは北京学院大学学生プロレスとのこと。しかし「トピックス」に書いてある「ジャイアント馬謖」の存在が気になるなぁ(笑)
あと「ストーリー」のところも要チェック。
趙雲子龍選手は5月5日にKAIENTAI DOJOに参戦するんだけど、過去、赤兎ちゃんかマスクド三国と組んだり戦ったりしたことがあるんだろうか?
・参考:2005年9月17日 赤兎ちゃん&マスクド三国 プロレスデビュー
http://cte.main.jp/newsch/article.php/177
・李清風/歌「三國誌」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/310
上記記事の続きってわけじゃなくてたまたま似たようなネタが続く。
台湾特派員(?)の呂珪さんのタレコミ情報によると、「曹操」というタイトルのCDを見かけたとのこと。そこには表題歌の「曹操」収録とのこと。なにかジャケットがアイドルぽかったってこと。ジャケットには「誰の心にも曹操が」みたいな面白いことが書かれていたそうな。
呂珪さんはCDは高かったから買わなかったそうで、私としてはせめて歌手名だけでも聞きたかったんだけど、情報によると「林(りん)なんとか」ってことだそうな。
そんな少ない情報でみつかるわけないや、とあきらめ半分で「曹操 林 CD」で検索をかけてみると………簡単にみつかった(汗)
http://tinyurl.com/nfess
今年の発売で、ネットでジャケット写真も見れるし視聴もできる。おぉ、ポップス。中国音楽家音像出版社の出版だそうな。
※追記 メモ:CafeBar曹操(広島県広島市中区流川町)
検索ワードの小ネタです。
「長崎物語(三國誌)」って検索ワードがあったんで同様に検索してみると、「三國誌」ってタイトルの歌が台湾にあるみたいですね。
それは日本の歌の「長崎物語」のカバー曲らしい(いやちゃんと調べていないもので)
で、「李清風 三國誌」というワードで検索してみると、それら検索結果の中に「三國誌」の歌詞がでてきます。おぉ、ホントに三国志だ!……というより「氣死周都督 孔明氣死周都督」ってあたりが「三国演義」ですけどね。
http://tinyurl.com/rb6go
小ネタです。
http://images.google.co.jp/
↑googleにイメージ検索という機能があります。
単語を入力するとそれにまつわるネット上のイメージが検索されて、検索結果としてイメージの一覧が出てきます。
それで「関羽」と検索すると
・「関羽」のイメージ検索結果
http://tinyurl.com/gtbwx
ぬお!!
というか日本が誤解されますね(汗)
まぁ、繁体字にして「關羽」だったら引っかからないでしょうし……
・「關羽」のイメージ検索結果
http://tinyurl.com/f7lzr
と思ったら、微妙に残ってますね(笑)
※2006年3月20日の検索ネタなので時間が立つと検索結果がまったく違うかもしれません(個人的には違って欲しいのです)。
何が出ていたかは下記のリンク先参照です。
・2005年09月26日 AERA(2005年10月3日号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/185
<2008年2月7日追記>
・『一騎当千 秘蔵限定BOX』発売決定
http://cte.main.jp/newsch/article.php/723
・枕流亭ブログ
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/
・東アジア人のメンタリティーなんて似たようなもんです。
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20080203/p1
※追記 一騎当千XX × 真・恋姫無双
※追記 一騎当千 赤壁終結記念BOX
※追記 京都で哲舟さんを囲む会(2013年2月5日)
・三国志大戦公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/
上記公式サイトによると、2006年2月18日土曜日に千葉県千葉市の幕張メッセで開催された(一般公開された)「AOU2006アミューズメント・エキスポ」の「三国志大戦2」の制作が発表されたとのこと。上記公式サイトだと稼働時期はまだ「未定」になっており、中身もサイトではわからない。ロゴで「2」が龍になっているのが格好いいねぇ。
・Ver.1.12
http://cte.main.jp/newsch/article.php/285
<さらに追記>
・2006年5月24日 三国志大戦2稼働&公式サイトリニューアル
http://cte.main.jp/newsch/article.php/343
<追記>
三国志ピープル経由で知ったんですが、
三国志大戦2の稼動は2006年5月24日(水)なんですか?
詳しくは下記リンク先へ。
・三国志ブログ英傑群像通信内記事「三国志大戦2の稼動日決定!」
http://sangokushi.chugen.net/?eid=501247
三国志大戦公式サイトによると、2月13日より三国志大戦がVer.1.12にバージョンアップした。今回はカードの追加はなくシステム面での変更とのこと。詳しくは下記公式サイトで。
・三国志大戦公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/
・Ver.1.1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/194
あけましておめでとうございます。旧暦の元旦にあたる2006年1月29日に神戸南京町(中華街)の春節祭2006に行って来た。お目当ては12時スタート(2006年2月1日水曜日にもあるらしい)の「中国史人游行~中国歴史人物パレード~」のパレード前にあるという人物紹介。
・2006年1月29日-2月5日 神戸南京町・春節祭2006
http://cte.main.jp/newsch/article.php/268
20分前ぐらいに神戸南京町の長安門(東側入口)について、人だかりといえども普通に通れるぐらいの混み具合で、大丈夫かな、と思っていたら、人物紹介の会場となる中央の南京町広場では身動きがとれないほどだった。
広場のまわりには簡単な柵が設けられていて、その柵から外に観客が何重にも取り巻いている状況。私は前から四列目ぐらいなのでほとんど中が見れない位置だった。だからカメラを頭上にかかげ、その状態でシャッターを押すことにした。
それでとれたのが右上の写真。
人物紹介は京劇のメイクをし衣装を着た人が一人一人出てきて紹介されるって段取り。今回で9回目を迎えるとのこと。総勢23名。演じている人たちは一般公募とのこと。一人目は明代の皇帝、二人目は明代の皇后、三人目は楊貴妃と続いていって、四人目でいよいよ三国志の人物登場。
それが写真の左上、諸葛亮(字、孔明)だ。ちなみに写真はクリックすると拡大される。羽扇が黒いのが印象的。
それから写真の諸葛亮の右は呂布(字、奉先)。写真ではわかりにくいが頭から1メートルぐらいの触覚みたいなのが二本のびている。武官の象徴か何かだっけ? しかしマイクで紹介している司会のお姉さんが呂布を「前漢の」武将って言ってしまっている。
さらに写真の右は劉備(字、玄徳)。諸葛亮や呂布や関羽だったら何とかわかるけど、ここらへんは紹介無しだとわかりにく。ちなみに背中からでている旗は師団の象徴とのことらしく、四つの旗だから四師団率いていることを表現しているそうな。そういえば呂布は旗がなかったな。
さらに写真の右は関羽(字、雲長)。これはわかりやすい。赤ら顔と美しいヒゲだし。京劇の関羽は伝統的に顔にほくろが描かれているとのこと。これは本物の関羽に役者が敬意を表して、本物の関羽ではありませんよ、という印とのこと。
さらに写真の右は普段は四阿(あずまや)で春節のときは祭壇となるところにまつられている関聖帝君の像(関羽像)だ。かっこいいねぇ。今年も昨年と同じで、参拝指南は西遊記の登場人物、孫悟空・猪八戒・三蔵法師であり、彼らとも記念撮影ができるのだ。
・神戸南京町・春節祭2005に関聖帝君登場。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/76
やっぱり今年もフォーチュンクッキーもらえて、昨年と違って、オレンジの口紅を用意しなくてよく、「部屋の模様替えで気分転換を!」とのこと。いや、その前に部屋の掃除をしなきゃ。
さて話を元に戻して、写真の下の段にうつって左端。うつっているのは張飛(字、翼徳)。ほうほう黒と金で渋いなぁ。
張飛の右にうつっているのが曹操(字、孟徳)。なんだかやさしそうな曹操だ。
で、最後が董卓(字、仲穎)。全然、董卓を悪く言う説明じゃなくてビックリした。衣装がピンクなんで心の中で「ラブリー董卓」という単語が浮かんでいた。
さて、三国志関連の人物はここまで。そう呉の人物が一人もでてこないのだ。
しかし人物紹介が終わったら人混みが動き出し見事にサンドイッチの具にされてしまった。
※追記 2009年の春節祭
※追記 『蒼穹の昴』で冀州の戦い(2010年11月11日)
※追記 神戸南京町広場四阿 彫刻
というわけで神戸南京町・春節祭2006のことを見ていたら、日本の他の中華街の春節についてもネットで調べたくなった。
・2006年1月29日-2月5日 神戸南京町・春節祭2006
http://cte.main.jp/newsch/article.php/268
・横浜中華街
http://www.chinatown.or.jp/
・2006春節
期間 2005年12月2日金曜日~2006年2月26日日曜日
さすが横浜の中華街、期間が新暦旧暦も含めていて長いのが特徴。
新暦にも旧暦にもカウントダウンイベントがあって、その両方の年が変わる前後数時間は關帝廟があいているとのこと。あと1月29日日曜日の15時から17時には祝舞遊行という中華街全域をとおる民族衣装・獅子舞・龍舞によるパレードがあるとのこと。三国志関連はあるのかな?
他には關帝廟で2006年2月12日日曜日18時から元宵節燈籠祭というイベントがある。願いを込めたメッセージキャンドルを關帝廟に奉納するとのこと。
・長崎新地中華街
http://www.nagasaki-chinatown.com/
・2006長崎ランタンフェスティバル
http://www.nagasaki-lantern.com/
期間 2006年1月29日日曜日~2月12日日曜日
フェスティバルのメインを飾るランタンの中には劉備・関羽・張飛のランタンがあるのだ。上記URLに写真があるのでそちらを御覧あれ。
あと大阪の千里中華街で2003年2月にランタンフェスティバルやっていたけど、サイトを見ても今年、やるかどうかわからないな。
・千里中華街
http://www.selcy.co.jp/chaina/
旧暦のお正月の「春節」を盛大に祝う春節祭。今年も神戸南京町(中華街)で2006年1月29日日曜日から2月5日日曜日の間にあるとのこと。まぁここでとやかく書くよりは下のURLを参照してください。
・神戸南京町・春節祭2006
http://www.nankinmachi.or.jp/shunsetsu/spring2006/
ここでは三国志ニュースということで、三国志関連をとりあげてみる。まず「祭壇参拝&記念撮影」。下記のURLにも書いてあるように去年と同じく祭壇にまつられているのは関聖帝君、つまり三国志に載っていてその後、神聖化された関羽(字、雲長)だ。ちなみに参拝指南は西遊記の登場人物、孫悟空・猪八戒・三蔵法師。記念撮影もできるとのこと。期間中は毎日、11時から19時に行われている。
・神戸南京町・春節祭2005に関聖帝君登場。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/76
あと、去年は日曜日におこなわれなかったが、今年は1月29日日曜日12時スタートと2月1日水曜日12時スタートの「中国史人游行~中国歴史人物パレード~」。内容はそのまま引用すると「三国志の英雄や楊貴妃などが、京劇の衣装とメイクで南京町~大丸~元町商店街をパレードします。」とのことだ。さてどんな三国志の英雄がでるか楽しみ。スケジュールをみると人物紹介もあるんで要チェック。
・「日本のいろんな中華街の春節」に続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/269
ちなみに去年、南京町から少し離れた神戸関帝廟に寄ったけど、特に春節用の催し物はやってなさそうだったけど、今年はどうかな。
・JR西日本の広告に神戸関帝廟
http://cte.main.jp/newsch/article.php/87