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記事 (215)

2007年1月下旬 猫さんごくし にゃー (1)


  • 2006年12月31日(日) 11:45 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,609
マンガ コーエーの立ち読みサイトで連載している漫画「猫さんごくし にゃー」。
コーエーのサイトによると2007年1月下旬に単行本が発売予定とのこと。

・猫さんごくし にゃー (1)
著者:宇多川友恵
定価:924円
ISBN:978-4-7758-0563-3
出版社:コーエー

・コーエーの立ち読みサイト
http://www.gamecity.ne.jp/tachiyomi/comic/
・猫さんごくし にゃー
http://www.gamecity.ne.jp/tachiyomi/comic/nekosan/index.htm

・作者の宇多川友恵さんのサイト。

イラストハウスFAI 宇多川友恵



<2月6日追記>
単行本化に合わせたのか四話以降、見ることができなくなった。こういうのって企業的には普通かな。

2007年7月29日三国志学会第二回大会


  • 2006年12月27日(水) 22:35 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,102
研究  下記のブログより三国志学会の学会誌『三国志研究』第一号が発行されたことを知った。

・古代中国箚記
http://ancientchina.blog74.fc2.com/
・『三国志研究』第一号
http://ancientchina.blog74.fc2.com/blog-entry-48.html

 ついに発行されたのか、と興味を抱いていて、ふと何か肝心なことを忘れていることに気付く。
 あわててうちの郵便受けを見てみると、三国志学会からの封筒が届いていた。中をあけてみると、プリントと『三国志研究』第一号が入っていた。そうそう申し込んだんだった。

・三国志学会
http://www.daito.ac.jp/sangoku/

 プリントには次回の三国志学会第二回大会の予定もかかれてあった。

 三国志学会第二回大会
会場:大東文化大学板橋校舎多目的ホール
日時:2007年7月29日日曜日 10:00-17:00

 『三国志研究』第一号の編集後記によると、この予定は変更の可能性もありとのこと。

<2007年7月1日追記>
会場は「大東文化大学 板橋校舎 30114教室」に変更になったようだ。

・三国志学会第二回大会のプログラム発表
http://cte.main.jp/newsch/article.php/636

<追記終了>

 話を『三国志研究』第一号に戻し、下記に箇条書きで記す。

・『三国志研究』第一号
発行:2006年12月15日
価格:1500円
ISSN:1881-3631
内容:
 三国志学会 設立趣意書
 三国志学会会則

 講演
  狩野直禎  私と三国志
 論考
  石井 仁  呉・蜀の都督制度とその周辺
  和田英信  建安文学をめぐって
  竹内真彦  呂布の装束 ──その意味についての考察
  渡邉義浩  九品中正制度と性三品説


 講演と論考の前者三つは三国志学会第一回と関連し、論考の四番目はこの第一号で初お目見え。関連したものでも下記リンク先からもわかるように、タイトルを変えているものもある(まだ中身は読んでいないが、それは後日、じっくり読むとしよう)

・2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノート
http://cte.main.jp/newsch/article.php/395

 第二号の現行の締め切りは2007年3月31日。第一号の編集後記によると「研究者以外の方々の原稿も広く募集しております」とのことなので興味のある方はどうぞ。

2007年1月26日「ブレイド三国志〈特別編〉サイバーロリータ」(月刊ガンガンWING 3月号)


  • 2006年12月26日(火) 18:26 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,397
マンガ

 てっきり今日発刊の「月刊ガンガンWING」2月号に三誌連続読み切り掲載の「ブレイド三国志〈特別編〉」が載ると思っていたら、違った。発売日に公式サイトの更新が行われるんで、知るのが遅くなるんだけど。

・ガンガンウイングオフィシャルサイト
http://www.square-enix.co.jp/magazine/wing/

上記サイトの次回予告によると、2007年1月26日発刊の「月刊ガンガンWING」3月号に読み切りで真壁太陽/原案・構成、壱河柳乃助/作画の「ブレイド三国志〈特別編〉サイバーロリータ」が掲載されるとのこと。
(どうでもいいけど、公式サイトでの3月号の発売日が「2006年1月26日」になっている・汗)

今回は「初の女性ブレイド黄月英登場!!」とのこと。最近は掲載された分を読んでいないせいか、ブレイドの人選が良くわからんな。
2006年12月22日に単行本が1巻2巻同時刊行されたんだけど、勢いはうまくつなげられるのかな。

ちなみに他の二誌の読み切りは下記。

・2006年12月12日「ブレイド三国志 特別編」(月刊少年ガンガン1月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/453

・2006年11月18日「ブレイド三国志 特別編」(月刊Gファンタジー12月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/452

<次回>2007年4月22日『ブレイド三国志』3巻発刊
http://cte.main.jp/newsch/article.php/619

※追記 軍師と囚われ男装姫~三国志艶義~ 上(2015年12月17日)
 

2007年2月15日-18日 濁流を清めるは清流なり


  • 2006年12月26日(火) 12:06 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,971
ショー  2006年の2月15日から19日までの間、東京の池袋で「三国志プロジェクト」と呼ばれる三国志の演劇があって、2007年も同時期に「三国志プロジェクト」第2弾として演目を変えて同じく三国志の演劇があるとのこと。その開演情報が公式サイト(下記リンク先)で更新されていたので、ここで情報中継し広報する。

・三国志プロジェクト
http://www.geocities.jp/sangokushiproject/

ミクシィ内三国志プロジェクトのコミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=506185

 お芝居のタイトルは「濁流を清めるは清流なり」。場所は東京芸術劇場小ホール2(池袋)。開演は全6回行われ、順に
2月15日19:00開演
 16日14:00開演、19:00開演、
 17日14:00開演、19:00開演、
 18日15:00開演
となっている。開場は開演の30分前。前回と同じく、開演前に前説コーナーがあるとのこと(前回の前説は面白かったので、こちらも見ておきたい)
 チケット代は当日、前売りともに3500円。全席指定。2007年1月15日より前売り開始。
 サイトを見ると、今回は曹操や袁紹が出てくるみたいだね。あと「党錮の禁」とか。

<2月20日追記>
・2007年2月17日「濁流を清めるは清流なり」観劇
http://cte.main.jp/newsch/article.php/513
<追記終了>

 前回の演劇は下記リンク先参照。今回の演劇を見に行くかどうかの参考していただくと幸い。

・2006年2月19日「長江の流れは緩やかに見えて」観劇
http://cte.main.jp/newsch/article.php/290

 そして今さらながら、去年と同じ日に告知記事を書いていたのに気付かされた(下記)

・2006年2月15日-19日「三国志外伝 長江の流れは緩やかに見えて」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/252

歴史学ファンタジー


  • 2006年12月25日(月) 21:42 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,781
小説  知人と鍋をつついてでてきた話。
 個人的に目から鱗な話だったんだけど、表現力のなさから、この感動をWorld Wide Webに乗せても誰一人としてほとんど伝わらないんだろうなと思いつつ、記事で書いてみる。その場に居た人は「こんなに食い付いてくるとは」と言っていたぐらいだし。
 まず関連リンクから。

・歴史と小説
http://cte.main.jp/newsch/article.php/256

 話の発端はA氏がB氏の歴史小説のことを「コスプレ現代劇」と言っていたという話(A氏だけが思っていることじゃなく、多くのその筋の専門家たちも思っていた、ってのが興味深かった。裏話なので詳しくは書かないが。試しに「コスプレ現代劇」と検索するとまったく別の用例が出てくる)。そこから二転三転し、当たり前だけど、多くの歴史小説の読み手は四六時中そればかりを考えているんではなく、日常のごく限られた割合を使っているに過ぎないよな、と話していた。例えば通勤通学の行き帰りの電車で読むとか。それに多くの小説や読み物の一つの選択肢でしかないわけだし。そんな多くの人の中には、ある歴史小説の作品や歴史小説というジャンル自体が好きになって、小説についてあれこれ考えたり論じたりする人も出てくるんだろう。さらにそのうちの何割かが歴史小説にやたら「史実」やら「歴史的に正しい」やら「この話は本当のことか」やらとこだわる読み手が出てくるんだろう、って話になった。その場ではこの読み手を「中級者」とした。いや、この言葉はおかしいだろ、ってすぐに自己ツッコミを入れたんだけど、わざわざ改めて言葉を定義付けるのも会食の席でアホらしいので、そのまま「中級者」で流した。
 「中級者」の視点から行くと、どうやら歴史小説は面白い面白くないよりそういった史実性を重視する傾向にあるんじゃないか、ってこと。その場に居た人は好んで歴史小説を読む人は居なかったのでネットを見て回ったときの印象でしかないのだけど。
 読み手の要求が高まれば書き手もそれに対応するだろうし、あるいは読み手の要求が高まる理由が書き手の側にあるんだろう、と話が書き手側へと移っていった。そういった「中級者」を史実重視にさせる痕跡、あるいは「中級者」が史実重視にさせる痕跡はあるのか、という話になり、あれこれどんな痕跡があるかあげていた。歴史小説の作中以外のところから自らの作品について書いていた例とか、小説なのになぜか参考文献があってそこに「アジア歴史事典」が上げられていた例とか(尤も大学の一回生が参考にする事典だそうなので学生の間ではネタとして語りぐさだそうだけど)、作中の地の文で史書の記述を引用した例とか、究極的には歴史小説内で本来だったら見せる必要がなかった取材過程の描写まで作品に織り込んでいる例とか。それだけだと説得力なくとらえられるので、書き手が○○大学○○学科出ているとか、元々、新聞記者で取材力が高いとか、元々、そこの文化圏の人だとか、読み手が勝手に権威付けするんだろうか。(そういえば小説から外れた上に読み手の方の話になるけど、古い時代を取り扱った漫画の感想を書いたブログの記事で「この作者さんは学会に出るほど」ってのもあった。正確に引用しようと検索かけるがソースが見つからず。)
 結局、こういった痕跡は「中級者」を意識して作品性を高めたりあるいは商業的価値を上げたりするため意図的につけているのか、それとも意識せず(天然で)ついてしまったのか、まったくの憶測で作品ごとにどうなんだろうとしゃべっていた。意図的に痕跡をつけ「中級者」の意識をコントロールしているとすれば、私だったら尊敬してしまう。
 書き手が意図的なのか成り行きなのかは別として、読み手である「中級者」が歴史小説に含まれる史実性に価値を見いだしたりと、あたかも「歴史学」のような立場(と実際は違うけど)をとり、批評をしたり評価を下したりするような構造が大なり小なりあるのかな、という気がした。こういった構造をその席で私は「歴史学ファンタジー」と名付け一人で、はしゃいでいた。すぐに歴史ファンタジーや中華ファンタジーという用語と紛らわしいね、と自己ツッコミしていたけど。
 「歴史学ファンタジー」(例によって会食の席で改める気がなかったのでこのまま)という考え方は私にとって目から鱗の視点で、いろんな現象を説明できるのではないか、という気になっていた。先に挙げた痕跡の例はまさに「歴史学ファンタジー」が成せる業なのかもしれないし、歴史の議論をしているのに出典として歴史小説をあげるのもこいつのせいかも。急に話が飛ぶけど、「魁!!男塾」の「民明書房」(分からない場合は検索してね)なんてまさに「歴史学ファンタジー」を逆手に取ったパロディーだしね(尤もあまりにも真に迫ったパロディーだったせいか、「民明書房」が実在していると多くの読者が勘違いしたそうだけど)。
 書き手がこの「歴史学ファンタジー」を熟知していてこれを利用し、作品やそれに付随する文章などを通じて読み手を育て(?)「中級者」を大量生産し、結局、「中級者」は書き手により価値基準を与えられているので、良いお得意さんがたくさんいて精神的にも物質的にも裕福になるなぁ、なんて妄想を抱いてしまっていた。もしかすると読み手の側も読み手の側で「歴史学ファンタジー」を熟知していて「中級者」の一歩先に進み、歴史小説を「正しい、正しくない」とか「面白い、面白くない」とかで語らず、「歴史学ファンタジー」に則した見せ方が「うまい、うまくない」で語り出しているのかもしれない。そうなるとそういう読み手は「上級者」とか呼ぶと「中級者」以上にかなりずれてくるので、普通の読み手をマーク、「中級者」をスマーク、わかっていて楽しむ人をスマートなんて名付けたりして。妄想が妄想を呼びここらへんはすでに会食の場では口に出すのもはばかられるので、単にニヤニヤして「歴史学ファンタジー」という考え方に黙ってただただ感心しているだけだった(外からみたら変な人だね)
 私も自分の小説に参考文献ぐらいは挙げておこうかな…と私が挙げても目の肥えた人に見せ方が下手とか言われて終わりそうだけど。

 それから今、All Aboutで「歴史小説」のガイドが募集されているので、誰かこれに応募して「歴史学ファンタジー」の観点から歴史小説を語ってくれないかな? なんて書いてみる。


 と上記、関連リンク先の話題にとんで。「中級者」が率先して「歴史学ファンタジー」を形成しようとしているんだから、読み手の多くが歴史と小説を混同してしまうのも無理ないかな、と思ってしまった。

<2月27日追記>
なるほど、「教条主義」って言葉があるのか。
しかしどこのファン層もいろんな事情がありそうだ。

・落語2.0宣言(「岡田斗司夫のプチクリ日記」内記事)
http://putikuri.way-nifty.com/blog/2006/12/20_954e.html

※追記 私的メモ3:三国志関連初心者向け

「十八史略 3 梟雄の系譜」(文庫)の三国志関連部分


  • 2006年12月19日(火) 07:59 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,255
書籍  いきなり予防線だけど、「十八史略」というワードの検索で来られた方は下記リンク先の記事の方が目的にそったものかも。そちらを参照してくださると幸い。

・「捜神記」で検索される訳
http://cte.main.jp/newsch/article.php/264

 さて、2006年12月8日に十八史略の訳本の文庫本が出た。そのことは以前、記事にした。
(余談だけど、十八史略は「じゅうはっしりゃく」と読む。いや私のパソコンで「しじつがん」とか「つてん」とか打っても正しく変換されないのにこちらは一発で変換されて感動したので)

・2006年12月8日 十八史略 3 梟雄の系譜(文庫)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/443


 それで実際に買ってさらっと読んでみた。
 やはり三国志ファンだと中身を知っているだけに現代語訳の細かい粗が目に付いてしまうのかな、という感想を持った(そういう箇所に原文と書き下しがあると問題なさそうだけど)。例えば「舒」が「舒州」と訳されていたり。
 まぁ、そういった些細なことを抜けば、上記記事で書いたように、三国志ジャンルの入門者向けの本といえるかも。

 あと読んでいて知ったんだけど、現行の十八史略は元代の曾先之の撰となっているが、現在通行している十八史略は明代の劉剡が補正した刊本とのこと。そのため、三国の正統は蜀漢になっているとのこと。天子(皇帝)のいない一年間がある、ってのも補正後の記述なのかな。

 というわけで、以下にこの文庫の三国志関連およびその前後の目次をまるまる引用しておく。三国志ファンで購入しようかどうか迷っている人はご参考までに。


I たそがれの漢帝国

四、外戚と宦官
 関西の孔子──楊震
 「一を聞いていくつを悟るか」──左雄
 車輪を埋めた男──張綱
 天子、手をこまぬくのみ
 登竜門
 党人の争い
 党錮の禍
 黄巾の乱
 「治世の能臣、乱世の姦雄」
 宦官二千人を誅殺──何進と董卓

II 三国鼎立

一、群雄割拠
 劉備と孫策
 曹操、献帝を許に移す
 官渡の戦い
 「天下の英雄は、ただきみと操とのみ」
 天下三分の計
 赤壁の戦い
 呉下の阿蒙
 劉備の自立
 関羽の死
 「魏は漢に代わるべし」

二、魏・呉・蜀の滅亡
 劉備、帝位に即く
 九品官人法
 蜀と呉の攻防
 「施すところなし」
 曹丕の死
 出師の表
 巨星落つ──諸葛亮の死
 泣いて馬謖を斬る
 司馬氏の台頭
 魏帝、臣下に刺される
 魏軍、蜀を急襲
 蜀、滅びる

III 貴族の世の中

一、忍びよる影
 「人臣の相にあらず」
 仁義ある戦い
 「青蓋、洛陽に入らん」
 礼法を軽蔑
 実現した予言──呉の滅亡
 羊車に乗って
 「この座、惜しむべし」
 三語の掾
 清談の流行
 八王の乱
 「どうして肉粥を食わぬのか」
 劉淵の台頭
 匈奴、漢王を称する
 土塀の下敷きとなる

千里中華街閉鎖/関帝廟、大阪・上海新天地へ移設


  • 2006年12月18日(月) 12:30 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    5,490
場所 ※ショックが結構、大きかったのでいつもにも増して私情を挟みつつかつ感傷的な日記調でお送りします。

2006年12月18日の朝。いつものようにノートパソコンを開きしばらくすると、RSSリーダーが反応する。RSSリーダー自体、よく理解していないが、ともかく私にとってはブログの更新を知らせてくれる機能だ。
そこでビックリしたのが英傑群像さんのブログの記事。タイトルが

千里中華街関帝廟移設

となっていたこと。なぜ移設? と思って、あわててそのブログの記事にアクセスする。

・英傑群像(三国志エンタメ三国志情報&グッズ)
http://www.chugen.net/
・千里中華街関帝廟移設
http://sangokushi.chugen.net/?eid=600609

 移設の理由がすぐにわかる。

 千里中華街が閉鎖していたってこと。

 私は過去、何度か、千里中華街(セルシー5階、日本最大級の屋内中華街)に訪れているし、そこでオフ会を二回、開いていて、愛着があったせいか、ショックは意外と大きかった。初めて行ったのが2002年10月27日、オフ会を開いたのが2002年12月23日祝日と2004年8月14日。

・初めて行ったときのレポ(個人サイト内)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w021027.html
・関プチ3
http://cte.main.jp/sunshi/off/3index.htm
・プチオフ会の日記(個人サイト内)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w040814.html

 あと2003年2月1日にも訪れて、そのときは春節シーズンだったので千里中華街ランタンフェスティバルやっていたっけ。中央広場に大きな龍のランタンが天井からぶら下がっていたなぁ。

・2003年2月1日の日記(個人サイト内)
http://cte.main.jp/sunshi/rireki/0302.html#ra

 春節シーズンで思い出したけど、来年の各地の中華街での春節行事が気になって、最近、私はセルシーの公式サイトにアクセスしている。

・2007年2月18日 中国史人游行(2007神戸南京町春節祭)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/450

上記のそのときの記事を見ると書き込みの日付は2006年11月15日。そのときは特に中華街閉鎖のことについて書かれていなかったような気がする。気付いたのは来年の春節関連の行事情報がなかったこととほとんど更新されている様子のないページぐらいだ。
 それで今、改めてセルシーの公式サイトを見に行く。

・セルシー公式サイト
http://www.selcy.co.jp/

 そうすると一ヶ月ほど前にアクセスしたときには見あたらなかった「中華街から地下一階に移転しました」という項目が出来ている。アクセスしてみると、五階にあった千里中華街内のお店「マンダリン」と「御馥(イーフー)」が地下一階に移設したとのこと。さらにリンクを辿ると、それら両店とも2006年11月19日日曜日まで千里中華街内での営業を終了している。

 ということは2006年11月19日日曜日が千里中華街の閉鎖日ということになるんだろうか。

 さらに公式サイト内のフロアガイド、5階部分を見てみる。
 ページの上部にその階の写真があるんだけど、テラス部分にまだ中華街時代の赤い柱が残っていてもの悲しい雰囲気を出している。中華街時代のお店は上海料理の「豪華」が残っているようで、「定休日」欄のところがまだ「中華街の定休日に準ずる」となっているところもものがなしい。
 このフロアはまだ改装中のようだけど、すでに中華以外のお店が二つ入っている。

 ともかく、「千里中華街、楽しい思い出をありがとう、そしてお疲れさま」といった言葉を捧げたい。


 それで千里中華街内には関帝廟があったんだけど、英傑群像さんのブログ記事によると、それはどうやら大阪日本橋の上海新天地に移設されたとのこと。
 この関帝廟も思い出深いので、また場所を新たに参拝できるのは嬉しい。この千里中華街時代の関帝廟については下記参照。

・関プチ3レポ「08.角を曲がると不二子ちゃん」(個人サイト内)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w030125.html

 移転先の大阪日本橋の上海新天地とはビル一つがまるまる中華関連の商品(チャイナレストラン、食品、書籍、カラオケ)をあつかっているチャイナモール。上海に新天地という巨大ショッピングモールがあるらしいのでそこにあやかってつけた名前なんだろうね。
 以前、噂を聞きつけて(…ってこれって確かチャットの三国志討論会で元歎さんから教えてもらったんだっけ?)、遊びに行って三国志ニュースの記事にしている。

・上海新天地(チャイナモール)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/346

 それで久々に上海新天地のサイトにアクセスしてみる(ここも確か春節関連の行事はないのかと、2006年11月15日にアクセスしている)。

・チャイナモール【上海新天地】
http://www.shanghai-xtd.jp/

 そうすると、入魂式のことが書かれてある。2006年12月16日に中二階で行われたとのこと。あそこって、入り口入ると、吹き抜けになっていて半階分ぐらいの階段を上がって二階に行くようになっているんだけど、そこが中二階なのかな? 一度確かめに行きたいね。

 次、関西で三国志関連のオフ会するとしたら、いよいよここでやることが濃厚になってきた。
 来年の三月か四月あたりかね。

「横山光輝の世界」展


  • 2006年12月 9日(土) 08:52 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,695
展覧会 「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第10弾。
2006年11月18日土曜日から2007年1月8日月曜祝日まで川崎市市民ミュージアムで「横山光輝の世界」展やっているようですね。

・川崎市市民ミュージアム公式サイト
http://www.kawasaki-museum.jp/

三国志だけじゃないですが、PART9まである公式サイトの会場構成によると

PART8:歴史ロマン・中国編シリーズ
 全60巻におよぶ「三国志」ほか、「史記」などの壮大な中国歴史ロマンの世界を紹介。

というふうに横山光輝の漫画「三国志」関連の展示もあるようです。

新作MMORPG『三國志 Online』 (コーエー)


  • 2006年12月 7日(木) 23:11 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,962
ゲーム <2月2日誘導>

・2007年3月29日 無双OROCHI
http://cte.main.jp/newsch/article.php/495
↑「コーエー 無双 新作」で検索されている方々はこちら。

<2月16日誘導>
・2007年3月29日 真・三國無双DS ファイターズバトル
http://cte.main.jp/newsch/article.php/509
↑こちらも「コーエー 無双 新作」ではあるな。
<誘導終了>

<12月22日追記>
三国志とは関係ないのですが、同じコーエーの動向ってことで。
プレイステーション3(PS3)での無双は真・三國でも戦国でもなくガンダムだそうです。
そのまま「ガンダム無双」
http://www.bandaigames.channel.or.jp/news/gundammusou.html
↑レーベルがバンダイで、開発がコーエーとのこと。
<追記終了>
<1月15日追記>
ガンダム無双の公式サイト  http://gundam-musou.jp/
<追記終了>


今日、コーエーから新作MMORPG『三國志 Online』(Win版) の発表があったのでメモ。
それにあわせて公式サイトもオープンとのこと

・三國志 Online
http://www.gamecity.ne.jp/sol/

MMORPGっていろんなところからいろいろ出たけど、成功したってのはほんの少しぐらいしか聞かないから、しっかりテストしてがんばって生き残ってほしいね。

というよりMMOといってもRPGだから、素で武装した人が市井をうろちょろしているんだね(笑)
モンスターらしきものも出ているし(これって牛魔王か)、聖獣召喚はあるし、三國志というか中華ファンタジーの方が的確なんだろうけど、やっぱり三國志というネームバリューは捨てないか。
公式サイトの登場人物(関羽、張遼、周瑜)を見るとバッチリ三國無双デザイン(使い回し?)なのが気になる。

しかし数日前の記事

・ΞKCTξΞ
http://superchaos.cool.ne.jp/
・「馬超は無慈悲な夜の女王」(日記内記事)
http://blog.superchaos.velvet.jp/?eid=441991

という日記を紹介したけど、ここにあるように、中国経由(11月30日)で発表会があるっていう情報が先行するってのは面白いね。

あと公式サイトにあるコピーライトの一つに「KOEI Entertainment Singapore Pte. Ltd.」ってあるけど、国際的だね。

<1月18日追記>
KOEI Entertainment Singapore Pte. Ltd.は2005年2月15日設立で元々、三國志Onlineを開発するための会社だそうです。
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050215/koei.htm

※追記 まとめメモ:『三國志 Online』『真・三國無双 Online』

※追記 三國志 Online サービス終了(2010年7月19日)

司馬師登場


  • 2006年12月 6日(水) 22:14 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,121
マンガ  ビックリして思わずタイトルにまで書いちゃったけど、いつも流のタイトルだと、

2006年12月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ1月号)

となり、ミステリーボニータに連載している漫画「八卦の空」の記事。ミステリーボニータの今月号は2006年12月6日発売。

 「八卦の空」は三国時代を舞台とする物語。三国志およびその注に名が出ている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビが奇々怪々な事件を解決する話で、一回で話が完結するパターンも多いけど、今回は前回からの続き。

・2006年11月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ12月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/445

 前回の最後のコマは黒幕の謎の男性が出ていたんだけど、その正体が扉絵で紹介されている。この記事のタイトル通り、それは司馬師(字、子元)。三国志ファンにはおなじみの司馬懿(字、仲達)の長男だ。作中では特に「司馬師」とされているわけではなく「司馬子元」と統一。
 ネタバレ含む話の前にまず関連リンクから。

※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※描き下ろしイラストあり。

・ミステリーボニータ1月号に「八卦の空」 金蚕〈後編〉(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=447196

・<次回>2007年1月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ2月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/479

※追記 真・三國無双6(2011年3月10日)

※追記 歌手名「司馬師」


 それから以下、ネタバレ含む話。ネタバレ注意。


 前回からの黒幕は司馬子元。前回のように重い雰囲気が続くかと思ったら、良い意味で裏切られる。
 司馬子元は端正な顔立ちで祝英青の前では表向き優しさを見せていて、「冷酷な腹黒キャラ?」なんておもっていてページをめくったら、急に司馬子元のキャラが崩れコメディタッチに! 祝英青への嫉妬から、皆の目の届かない家庭内で司馬子元が弟に八つ当たりするシーン。シリアスからコメディへのギャップで思わず声を出して笑ってしまう(輪郭線もこれでもか、と太くなってるし・笑)。ページをめくって崩すのはベタだけど、とても可笑しい。しかし、司馬子元の弟ということは明記されていないけど、もしかして司馬昭(字、子上)?
 このシリアス→コメディの展開は後はページ内で一回、ページをめくってのパターンで一回、計2回、繰り返され、その都度、声を出して笑ってしまった。司馬子元はボンボンとしてキャラたっている!(「桜蘭高校ホスト部」に居そうなキャラ)
 一方、管ちゃん、玄龍くん、英青ちゃん、梁山くんサイド。真実を知った梁山くんは病の縁(?)から復活し、黒幕を懲らしめる決心へ。ここらへんの描写が復讐といったおどろおどろしい感じではなく、何だか少年漫画の主人公を彷彿とするような元気でさわやかな描写(上からのカメラアングルでぐっとせまる意気込み)
 それで今回で司馬子元が懲らしめられ話としては一段落。梁山くんは英青ちゃんの元で暮らすこととなる。英青と梁山との主従関係は今後楽しみ。
 司馬子元は黒幕としては長続きしそうにないキャラだけど(笑)、キャラとしてはすごく面白いのでまた出てこないかな、とほのかに期待しておこう。
 次回は玄龍くんの前に謎の少女が現れるらしいよ。

2006年11月28日「ゲーミックスVol.1 横山光輝 三国志」公式サイトオープン


  • 2006年12月 4日(月) 18:01 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム 「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第9弾。

・2006年12月28日「横山光輝・三国志」(ニンテンドーDS)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/426

※追記 ARC STYLE: 三国志タワーディフェンス~銅牆鉄壁~(2010年7月28日)

上記記事でニンテンドーDSの「横山光輝・三国志」というゲームが発売されると知ってからちょくちょくアークシステムワークスのサイトをチェックしてたんだけど、なかなか更新されないものだから、チェックを怠っていた。

・アークシステムワークス
http://www.arcsy.co.jp/

※リンク追記
・ARC SYSTEM WORKS OFFICIAL WEBSITE
http://www.arcsystemworks.jp/

※新規関連記事 くにおくんの三国志だよ 全員集合!プロジェクト開始(2021年9月4日)

ところが11月28日に公式サイトがようやくオープンしたみたいだね。

・ゲーミックスVol.1 横山光輝 三国志
http://www.gamics.jp/sangokushi/
・ゲーミックス
http://www.gamics.jp/

公式情報以外では情報源をゲーム誌とし噂として私の元に聞こえてきていて、12月28日に発売されるソフトはゲームとして遊べる以外にも単行本10巻分を読むことができるってことをしっていた。
(ゲーム誌の方が公式サイトより情報が早いってのはゲーム業界の共存関係か何かだろうか、と素人考えで思ってしまう)
続きは紙メディアで? とか想像していたんだけど、上記、公式サイトをみると、ようやくその意味がわかる。つまり、ソフトは全6巻でソフト1巻あたり単行本10巻を収録するんで、ソフト6巻すべて買えばニンテンドーDS上で全て読めるってことだね

もうすでに全6巻のサブタイトルが上記公式サイトで発表しており、3巻まで発売日が確定している(2006年12月4日現在)。以下リストアップ。ついでに三国志スケジュール試用版へのリンクもはっておく。

2006年12月28日発売
ゲーミックスVol.1 横山光輝 三国志 第1巻~桃園の誓い~

2007年2月22日発売
ゲーミックスVol.1 横山光輝 三国志 第2巻~呂布の末路~

2007年3月発売
ゲーミックスVol.1 横山光輝 三国志 第3巻~三顧の礼~

ゲーミックスVol.1 横山光輝 三国志 第4巻~三国鼎立~

ゲーミックスVol.1 横山光輝 三国志 第5巻~出師の表~

ゲーミックスVol.1 横山光輝 三国志 第6巻~孔明の遺言~

それにしてもゲーミックスVol.2は何だろう? 単に長いやつだったら「コータローまかりとおる!」、はたまた横山光輝先生&歴史つながりで「項羽と劉邦」、三国志つながりで「蒼天航路」とかあれこれ勝手に想像するんだけど。

<1月17日追記>
2巻以降の発売日は日付が消され、変更になったようだ。
とりあえず2巻は2月8日発売に落ち着いたみたい
<1月30日追記>
……と書いている矢先に変更があった模様。公式サイトの1月17日更新分によると2月22日に変更になったみたいだね。

中国京劇院「三国志~諸葛孔明」のDVDとビデオ


  • 2006年12月 4日(月) 00:08 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ショー  「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第8弾

 例によって検索ワードであったんで再検索してみて知ったこと。

 今年、2006年6月6日から8月3日までの間、全国を巡回していた中国京劇院「三国志~諸葛孔明」のDVDとビデオがすでに販売されているとのこと。

・2006年7月14日 中国京劇院 三国志~諸葛孔明~(京都)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/321

 早速、三国志スケジュール試用版に登録だ、なんて思ったけど、肝心の発売日がよくわからない(おまけにDVDは売り切れているし)。
 まぁ、ネットでビデオを購入できるのは良いね。

(余談)この京劇は平日上演が多くて土日はあまり上演しない。個人的なことだけど、平日には見に行けないし地元で土日の上演ってのがない。そのため、私は東京で7月29日に三国志シンポジウムを見て、帰りの道中にある浜松で30日日曜日に上演される京劇を見ようと計画を立てていた。ところが東京で30日にある三国志学会第一回大会が一般聴講もOKだと知ったんで、観劇を中止し、30日も東京に居ることにした。そのため、結局、今回の京劇は見ることができなかったから、ビデオでもこの京劇を見れる機会があるのは嬉しい。

 この販売店「音和生活~my style music~」は「会社概要」のページを見ると、「三国志~諸葛孔明」を中国京劇院と共同制作した財団法人民主音楽協会(民音)そのものなのかな?(よくわからないけど)

・音和生活~my style music~
http://www.rakuten.co.jp/onwa/
・中国京劇院「三国志」(ビデオ販売ページ)
http://item.rakuten.co.jp/onwa/10000085/

 というわけでとりあえず今は三国志ニュースのみで。
 その代わりといっては何だけど、京劇関係で面白いサイトを見つけたのでリンクはっとく。

・サイト「紅娘の演劇観劇記」
http://www.geocities.jp/hongniang60jp/

 ここに非公式の紹介ページ「中国京劇院「三国志」~諸葛孔明~」もあったり、「日本で京劇を見るために」もあったり何より「来日公演こぼれ話」なんてのもある。後でじっくりと見ることにしようと。
 ちなみにここのサイトにあるブログのビデオの記事は下記

・中国京劇院「三国志~諸葛孔明」DVDかビデオを購入すると
http://hongniang60.cocolog-nifty.com/top/2006/08/post_a912.html
・ちょっと気になっていること
http://hongniang60.cocolog-nifty.com/top/2006/09/post_3128.html

12月3日は三国演義での周瑜の命日


  • 2006年12月 3日(日) 20:33 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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古典文学

http://cte.main.jp/newsch/article.php/164
↑前回の「8月23日は三国演義での諸葛亮の命日」の続き。

諸葛亮の命日は意外と複雑だったものの現行の普及している三国演義(毛宗崗本)にバッチリ載っているのに対し、周瑜の命日は載っていない。
それで元はどこから? って話がサポ板でされていて、どうやら三国演義の嘉靖本には載っているとのこと。版本によって内容に違いがあることは知っていたけど、こんなところに違いがあるだなんて面白い(詳しくは下記のリンク先)

・「周瑜の命日について」三国志ファンのためのサポート掲示板のツリー
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1899

それで池袋に用事で行ったとき、そこの某大型書店で確認してみる。そこのお店には試読するためのイスや机はあるものの、ノートを取ることは禁止なので、そこの部分を覚えて後で書き出してみる。短期的なこととはいえ記憶力に自信はないので、興味のある方はちゃんと確認されたし。

・三国演義(葉逢春本)の「諸葛亮大哭周瑜」より

而亡壽年三十六時建安十五年冬十二月初三日也

※追記 「四大奇書」の研究(2010年11月10日)

※リンク追記
・12月3日は周瑜の命日 - 三国与太噺
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20111203/1322890547

※2012年追記。毎年、この忌日になるとこの記事がよく検索されるわけだけど、Twitterがある程度、普及している今年はこのURLを教える様も可視化されており、それに対するリアクションも可視化され、ごくたまにそれに対する深い洞察を示す様や、逆にほとんどの場合の単にリンクを張って感嘆符を入れるだけの動物的反応を見れる。中でも一番、印象に残ったのはこの記事を教えられ周瑜の忌日が「通俗三国志」に載っているんだ、と小学生程度の読解力すらない、あるいはしっかり読む気のないうわついたツイートを返す様だった(『三国演義』葉逢春本や嘉靖本等ね)。これらのことを顧みるに2013年ではやりとりが可視化されている状況に少しは注意を払った方が良いのかもしれない。

※リンク追記
・やた管ブログ:ちゃんと文章を読まずに批判する人
http://blog.livedoor.jp/yatanavi/archives/53063660.html

※リンク追記
・2chとまとめサイトがひどすぎる! 許しがたき恥知らずな盗用&改竄行為について MANGA王国 ジパング/ウェブリブログ
http://world-manga.at.webry.info/201310/article_6.html

2006年11月13日「CR三国覇王伝」ホール導入


  • 2006年12月 1日(金) 12:29 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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パチンコパチスロ  「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第7弾なんだけど、ほとんど下記サイトの下記日記で知ったこと。

・ΞKCTξΞ
http://superchaos.cool.ne.jp/
・「馬超は無慈悲な夜の女王」(日記内記事)
http://blog.superchaos.velvet.jp/?eid=441991

 三国志を題材としたパチンコなのだ。まぁ百聞は一見にしかず下記公式サイトで雰囲気はつかめる。デザインはリアル方面の格好いい路線。オリジナルでかなり良い感じ。

・CR三国覇王伝
http://www.p-takeya.co.jp/sangokuhaou/index.html
・竹屋
http://www.p-takeya.co.jp/
・T・Kコーポレーション(総委託販売店)
http://www.tk-c.co.jp/

 出てくるキャラクターは、公式サイトに載っている分だと、蜀として劉備、諸葛亮、黄忠、関羽、張飛、呉として孫権、周瑜、魏として曹操、夏侯惇、あと、呂布と貂蝉。結構、伝統的なデザインを踏襲しているねぇ。しかし、人気の趙雲じゃなくて黄忠なのが渋い。
 パチンコのことはよくわからないんだけど、サイトを見ると、街の中をあるいて、他のキャラと遭遇し、いきなり一対一の戦いが始まっている(笑) やっぱり主役は蜀なのね。あと劉備じゃなくて孫権が二刀流とか細かいところはやや気になるが。

 以下余談
 しかし最近、「CR三国志」という検索ワードが多かったんだけど、てっきり、「CR真・三國無双」を間違っていただけかと思っていたけど、違ったんだね。「CR真・三国志無双」なんてワードもあったから余計そう思った。
 事前に情報をキャッチしたんじゃなくて、ホール導入してから情報が見かけるだなんて、まだまだ三国志ジャンルの奥深さを実感してしまった。
 その他の三国志のパチンコ関連は下記。

・2007年2月7日 フィーバー覇-LORD- 公式サイトオープン
http://cte.main.jp/newsch/article.php/484
・パチンコ機「CR真・三國無双」(ビスティ社製)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/339
・パチンコ「三国遊義」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/47

※追記 パチンコ 三國志~乱世に生きる英雄~

三国志関連同人誌即売会リスト2006.11.


  • 2006年11月30日(木) 22:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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二次創作 「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第6弾。

といっても三國無双関連の同人誌展示即売会(同人イベント)は真・無双検索の管理・登録審査のお手伝いをしている関係上、把握しているんだけど、三国志大戦関連のはあまり把握していなかった。
以下に同人イベントのリストをあげる。

2007年11月11日日曜日 交地ニハ絶ツコトナカレ 八

2007年10月7日日曜日 龍躍雲津

2007年7月8日日曜日 天下統一の計~萌もってこぉい~

2007年6月24日日曜日 天下布武 夏の陣

2007年6月17日日曜日 甘凌ノンストップ

2007年4月1日日曜日 万華繚乱

2007年3月25日日曜日 桜華剣乱 参

<12月21日追加>
2007年3月4日日曜日 終~血たぎり祭り4~桃園卒業式
<追加終了>

2007年2月18日日曜日 戦さ人~もののふ~弐

2007年2月4日日曜日 交地ニハ絶ツコトナカレ 七


※関連リンク
・三国志関連同人誌即売会リンク集2006.2.
http://cte.main.jp/newsch/article.php/293

※追記 天下布武 冬の陣(2010年2月7日)

2007年2月26日「一騎当千Dragon Destiny」放送


  • 2006年11月29日(水) 00:09 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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アニメ

「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第5弾。

といってもスケジュールに載せるかどうか検討中(載せるとしても何も告知せずこっそり載せてそう・笑)

月刊コミックガムに連載中の漫画「一騎当千」。

・COMIC GUM OFFICIAL WEBSITE
http://www.comicgum.com/

どんな漫画かというと簡単に説明すると、三国時代の人物の宿命を受け継ぎ現代に生まれた人物たちが織りなす物語。登場人物は三国時代の人物と同じ姓名字をしている(そしてどこまでが名字がわからない「姓+名+字」)。こう書くと全然、この漫画の本質を表現していないしイメージからかけ離れすぎているので、ちゃんと書くと登場人物の多くが女子高生。つまりパンチラ格闘マンガになっている。また作中でたびたび三国時代のこと(前世からの因縁とか)がふれられる。
(※注、私はこの漫画を読んだことがないので正確性に欠けるおそれあり)

過去、その「一騎当千」はアニメ化されたこともあったんだけど、このたび、再びアニメ化され、CS放送のアニメ専用チャンネルのAT-Xで2007年2月、地上波で2007年春に放送されるとのこと。その名も「一騎当千Dragon Destiny」(略号は一騎当千DDとのこと)。

・一騎当千Dragon Destiny
http://www.ikkitousen.com/
・AT-X
http://www.at-x.com/

いまいち「一騎当千」がどんな作品かつかみかねる人は上記のアニメのサイトや「COMIC GUM OFFICIAL WEBSITE」を見るとそのインパクトからだいたいのイメージはすぐにつかめると思う。

<4月12日追記>
『一騎当千Dragon Destiny』は全12回のようだね。AT-Xのサイトの番組表によると。
<4月3日追記>
というわけで地上波、各UHF局のスタートする日程を以下にまとめてみる。

・『一騎当千Dragon Destiny』
チバテレビ 4月1日日曜日 24:30-25:00
http://www.chiba-tv.com/
テレビ神奈川 4月1日日曜日 25:30-26:00
http://www.tvk-yokohama.com/
KBS京都 4月1日日曜日 25:15-25:45
http://www.kbs-kyoto.co.jp/
TOKYO MX 4月3日火曜日 25:30-26:00
http://www.mxtv.co.jp/
サンテレビ 4月4日水曜日 26:10-26:40
http://www.sun-tv.co.jp/
テレビ愛知 4月5日木曜日 25:58-26:28
http://www.tv-aichi.co.jp/
テレ玉 4月6日金曜日 25:30-26:00
http://www.teletama.jp/

<1月26日追記>

声優情報を下記リンク先に鋼鉄三国志と共にまとめてみました。

http://cte.main.jp/newsch/article.php/481

ちなみに放送は2007年2月26日より。
<追記終了>


しかし、また関羽でイメージ検索するとえらいことになりそうだな。
………以上、「関羽でイメージ検索」ネタの第三弾の記事でした。

※「関羽でイメージ検索」ネタ第一弾&第二弾
・恋姫†無双(こいひめむそう)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/356
・関羽でイメージ検索すると…
http://cte.main.jp/newsch/article.php/306

※追記 一騎当千DVD-BOX

※追記 AT-Xでアニメ『一騎当千』平日一挙放送(2010年7月23日-)

※追記 一騎当ちぇん!?(2011年8月26日-10月26日)

※追記 一騎当千 集鍔闘士血風録(AT-X 2012年2月13日)

<2007年2月15日イメージ検索ネタ追記>

・古典とパロディー その後(「宣和堂電網頁」内記事)
http://sengna.hustle.ne.jp/sb/log/eid870.html

「日本某游戲中的關羽模型」って(汗)
予感はしていたけど、国境を越えてえらいことになりつつあるね。

※追記 一騎当千 Blu-ray BOX 3タイトル(2014年7月30日9月24日11月26日)
 

「愈河」で検索すると。


  • 2006年11月28日(火) 22:12 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  えぇ加減、自分のサイトの更新をしたいなぁと思いつつ、徐々に文書いたり地図作成したりしてるんだけど、そんな中で「兪河」という文字を見かけ、とあることを思い出した。
 というのも、ちくま文庫の『三国志』訳本で「兪河」(実際は「<<」の部分が「リ」という形)を「愈河」と誤っており、その「愈河」表記を当時人気の三国志小説で採用されたものだから、その小説のファンたちはみんな「愈河」という表記にしていたため、検索してみると、「兪河」より「愈河」の方が検索結果が多くなってしまったというなんとも罪作りな誤植。ちなみにハードカバーの方の『三国志』訳本はちゃんと「兪河」となっている。なぜ文庫化に際し誤植されたのが謎。
 それで今はどうなんだろうと、検索かけてみるとやっぱり依然、「愈河」の方が多くなっていた。それより気になったのがgoogleで「愈河」と検索し検索結果の一番にくるページ。下記。

・孫河 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%B2%B3

 あまりウィキペディアのことについて私は詳しくないんだけど、孫河のところに「日本における「愈河」表記について」なんて項目が立てられているのには興味深い。
(※余談。しかし、ウィキペディアの三国志の人物のところは出典が明らかなものを出典を明らかにせず、未だに「一説には」とか使っちゃっているんだね。未だこのあたり個人的に馴染めない)
 それでわからないなりに、履歴を見てこの項目を付け足した利用者を見てみる。
 そうすると付け足した人の名とその人の個人ページ?みたいなところへのリンクが張られている。

 この人って私の知っている、あの人だよね?、とよくわからないことを書いてこの記事をしめる。

2006年11月16日『曹操孟徳正伝』特別編~瘴癘江


  • 2006年11月27日(月) 18:33 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ 「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第4弾

下記のリンク先のように10月10日から12月12日までの間、ネット上の三国志関連展覧会である「三國相承展」が開催されている。

・三國相承展
http://359s.net/

以前、三国志ニュースでも紹介した。

・2006年10月10日第三回三國相承展スタート
http://cte.main.jp/newsch/article.php/396

一度に全部の作品を展示するんじゃなくて、大きく分けて二回の作品展示がある。それで11月16日に更新された(作品展示された)のが「『曹操孟徳正伝』特別編~瘴癘江」という漫画作品。
このタイトルを見てピンと来た人は少なくないと思うが、この作品は2006年7月28日発行のコミック三国志マガジンVol.10まで連載していた漫画『曹操孟徳正伝』のいわば赤壁の戦い編だ。
連載時の漫画については以下のリンク先参照のこと。

・三国志マガジンvol.10(蒼天三国志blog内記事)
http://blog.livedoor.jp/arrow12ds/archives/50538501.html

「第三回三國相承展」自体は12月12日までなので、『曹操孟徳正伝』ファンの方はお早い目に。

2006年11月6日 龍狼伝 匈奴編完結


  • 2006年11月25日(土) 21:43 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ

「三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第3弾

「龍狼伝」という漫画は現代の少年が三国時代にタイムスリップするって漫画。講談社の月刊少年マガジンで1993年から連載中。三国志関連なもので、風聞をきいていつかちゃんとチェックしようと思っていたら、その間に、作中の舞台が中国から北の方へ行って、どうも匈奴関連のストーリーが中心で、三国志から離れているときいていた。
そのためチェックする時期を逸した形になったわけで、まだ三国志から離れた話だろうと思っていた。

余談だけど、「龍狼伝」の連載が始まった1993年に、集英社の月刊ジャンプオリジナルにも同じく現代の少年が三国時代にタイムスリップする漫画「RYUBI」が掲載されていた。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/124

話戻し、最近、見に行ったのが「龍狼伝」が連載している月刊少年マガジンのサイト。そこに「龍狼伝」の情報が少し載っているんだけど、三国志関連から離れたときいていた匈奴編がどうやら2006年12月号で完結したとのこと。
これから先の話が三国志に絡んでくるのかな?(というか匈奴編を読むのが先か…)

<追記>
37巻、2007年1月17日発売。
<2月20日追記>
・2007年3月6日 龍狼伝 連載再開
http://cte.main.jp/newsch/article.php/511

※追記 『エレ片のコント太郎』ポッドキャストで三国志ネタ

※追記 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

※追記 三国演義連環画と横山三国志

※追記 メモ:国立国会図書館で種々の三国マンガの連載開始を当たる(2013年9月30日10月1日)
 

2007年の関帝誕は8月6日


  • 2006年11月25日(土) 17:44 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所三国志スケジュール試用版」の情報探索で知ったこと第2弾

以下の横浜中華街のサイトのイベントスケジュールのところによると2007年の関帝誕(関羽の誕生を祝う祭り)は8月6日月曜日とのこと。

・横浜チャイナタウン
http://www.chinatown.or.jp/

それから横浜中華街の関帝廟のサイトなんてあったんだね。Q&Aに関羽にまつわるいろんな情報(説?)がつまっている。

・横浜中華街の関帝廟
http://www.yokohama-kanteibyo.com/


※関連記事 2008年の関帝誕は7月26日土曜日

2007年3月25日 川本喜八郎人形美術館(仮称)オープン


  • 2006年11月25日(土) 10:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 17日から「三国志スケジュール試用版」というサイトの情報入力をしているんですけど、その情報探索で今まで私が見過ごしていた三国志関連情報を紹介するシリーズ第1弾。

下記の飯田市川本喜八郎人形美術館(仮称)のサイトによるとこの美術館のオープンは2007年3月25日日曜日に決まっているようですね。今まで「2007年春」とか大まかな告知でしましたが、これでぐぐっと現実的になりました。新たな三国志的名所に期待が膨らみます。

・飯田市川本喜八郎人形美術館(仮称)
http://www.city.iida.nagano.jp/puppet/kawamoto/
・川本喜八郎Official Web Site
http://www.kihachiro.com/


※関連記事 川本喜八郎人形美術館(仮称)

※追記 第四回三国志祭(2010年10月2日3日)

レファレンス協同データベース


  • 2006年11月21日(火) 19:06 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  私自身、図書館のレファレンス・サービスを受けたことがないし、そういうものがあることも知らないでいた。レファレンスサービスとは資料や情報を求める利用者に文献の紹介や提供するサービスとのこと。
 レファレンス・サービスでの質問回答のやりとりをデータベースとしてネット上で公開しているサイトがある。それが下記サイト。「国立国会図書館が、全国の公共図書館、大学図書館、専門図書館等と協同で構築しているデータベースです。」とのこと。
 これを見るとどういったサービスなのか、かいま見ることができる。

・レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/

 それでここで紹介したということは三国志関連のレファレンス事例もあるから。
 上記サイトの「データベース検索」であれこれ覗くと見つかる。
 まず「人物」のところには「蔡文姫」「諸葛孔明」「曹操」が上がっているし、「NDC」の「歴史/アジア史.東洋史」や「文学/中国文学」にもちらほらと三国志関連を見ることができる。
 三国志が読みたいだの、当時の人口が知りたいだの「三国志ファンのためのサポート掲示板」でもありそうな質問もあって微笑ましいし、その質問に図書館の人がどう回答したか、って観点でも面白い。それから案外、google等のウェブ検索を薦めているあたりも面白いね。

 ここらへんのことで、AKN's三國志図書館のあっくんさんがプチオフ会でおっしゃっていたことを思い出す。予め議論の前提条件となるようなやりとりをデータベースしておけばさらに一歩踏み込んだ議論ができるのではないか、というもの。

 「レファレンス協同データベース」を知ったのが虎渓之橋の雑記帖。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/hu-xi/min/041.html#20061120
(リンク用URLが設置されてようやく利用するときが来た)


※追記 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)

2006年12月12日「ブレイド三国志 特別編」(月刊少年ガンガン1月号)


  • 2006年11月18日(土) 18:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ

・2006年11月18日「ブレイド三国志 特別編」(月刊Gファンタジー12月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/452

前回、「ブレイド三国志」が「Gファンタジー」「少年ガンガン」「ガンガンウイング」に続けて載るのかな? と思っていて、すぐに「月刊少年ガンガン」のサイトに行ったら、「NEXTガンガン」のところにばっちりそのことが載っていた

・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/

2006年12月12日発売の月刊少年ガンガン1月号に真壁太陽/原案・構成、壱河柳乃助/作画の「ブレイド三国志 特別編」の読み切りが載るとのこと。

この読み切りは郭嘉のブレイドとのこと。さてどんな話やら。
しかし連載が終わったと思ったらまだすごいプッシュだ。実は結構、人気ある?
お次は「ガンガンWING2月号」。おそらく12月26日発売。
<12月26日追記>
というわけで1月26日発売分の3月号でした(下記)。

・2007年1月26日「ブレイド三国志〈特別編〉サイバーロリータ」(月刊ガンガンWING 3月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/473
 

2006年11月18日「ブレイド三国志 特別編」(月刊Gファンタジー12月号)


  • 2006年11月18日(土) 18:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ

 検索ワードが結構、多いんで、成り行きでおっかけてしまうんだけど、ブレイド三国志の読み切りが2006年11月18日発売の「月刊Gファンタジー」12月号に載る情報をつかんだ。

・月刊Gファンタジーオフィシャルサイト
http://www.square-enix.co.jp/magazine/gfantasy/

まだ書店で確認していないけど、今回はあの華陀登場(やっぱりブレイド?)。上記サイトでイラストがみれるけど、これが華陀?

「ブレイド三国志 特別編」 原案・構成 真壁太陽 作画 壱河柳乃助

上記サイトによると単行本が12月に1巻、2巻同時販売するんで(おそらく12月22日)、『「Gファンタジー」「少年ガンガン」「ガンガンウイング」にて連動キャンペーン』ってことだけど、後者二誌に読み切りが続けて載るのかな?

※関連リンク
・2006年9月30日「グリフォンブレイド」(ガンガンカスタムNo.01)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/432

・2006年12月12日「ブレイド三国志 特別編」(月刊少年ガンガン1月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/453
 

2006年11月8日-ブログ「古代中国のあれこれ雑記」


  • 2006年11月16日(木) 21:01 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  たまに自主点検で、適当な言葉で検索かけて三国志ニュースがどういうふうに検索結果としてでるか、やっているんだけど、今回、「三国志学会」で検索してたら、気になるブログを発見したのでこっそりメモを残しておく。

・古代中国のあれこれ雑記
http://ancientchina.blog74.fc2.com/

 このブログって下記の記事で紹介したブログと同名。復活されたのかな?

・2005年11月中旬「図説 中国文明史」第五巻 魏晋南北朝・融合する文明
http://cte.main.jp/newsch/article.php/207

 といっても記憶に残るAuthor名と違うし、以前あった「古代中国のあれこれ雑記」との関連性(過去ログがあるとか)が見いだせないため、同名別ブログの可能性もある(と、一応、書いておこっと)。
 まぁ、どちらも面白いので一閲覧者としてはどちらでも問題ないけど。どちらの対象も学術寄り。タイトルでも分かるように三国志ファン以外にも中国古代に興味ある人は是非。
(それにブログだとRSSがあるので更新チェックに便利。大手のブログサーバーだから新着ブログとかなんとかで検索ロボットが通りやすかったのかな……と思っていたら枕流亭のアンテナにすでに登録されていた)

 話が冒頭に戻るんだけど、「三国志掲示板」とgoogleで検索すると、今のところ、有名掲示板を抜いてサポ板が一番上にきている。
 一時的だろうけど、何年も「三国志掲示板」ではかなり下位にいたので驚き。

2007年2月18日 中国史人游行(2007神戸南京町春節祭)


  • 2006年11月15日(水) 18:19 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所

<11月21日追記>

2007年の春節は2月18日日曜日だそうです。

検索があまりにも多いので一応。
※ちなみに当サイトのカレンダーの日付は記事を書き込んだ日なので、現時点でいくら2007年2月18日をカレンダーで探しても何も記事はない。
<追記終了>

どこの中華街でも毎年、春節(旧歴の正月)にはお祝い事があって、各種イベントがあるもので、神戸の中華街の、神戸南京町も例外ではない。
神戸南京町の「2007神戸南京町春節祭」のイベントの一つに「中国史人游行」というのがある。これは京劇の衣装とメイクで仮装し、中国の歴史上の人々になりきって神戸南京町とその周辺をパレードするという企画だ。この仮装する人たちは公募によって選ばれた一般の人たち。

・神戸南京町
http://www.nankinmachi.or.jp/

今回は2007年2月18日日曜日(春節当日)に「中国史人游行」が行われ、パレード参加への応募締め切り(書類郵送)は2007年1月10日水曜日必着とのこと。
応募資格は「当日必ず参加できる18歳以上の男女(高校生不可)」ということで幅広い。興味のある人は下記のURLより詳細をチェックのこと。

2007春節祭 中国史人游行 参加者大募集!
http://www.nankinmachi.or.jp/shunsetsu/spring2007/parade/index.html

ちなみに上記ページに2005年の仮装写真の一例が載っている。三国志関連だと、諸葛亮(字、孔明)、劉備、関羽、張飛ね。

前回の「中国史人游行」の様子は下記リンク先参照。

<前回>2006年1月29日 中国史人游行(神戸南京町・春節祭2006)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/275
<次回>中国史人游行(2008年2月7日木曜日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/733

※追記 2009年の春節祭

一方、横浜中華街のパレード「祝舞遊行」(中華街全域)は2007年2月20日火曜日16時から17時半までの間。こちらはサイトによると「関平将軍ら人形隊・皇帝衣装獅子舞などによるパレード」とのこと。関平とは渋い!

・横浜中華街
http://www.chinatown.or.jp/
※イベントスケジュールのところ

※追記 2013春節カウントダウン(横浜中華街関帝廟2013年2月9日-10日)
 

「長沙呉簡の世界」ノート4


  • 2006年11月14日(火) 00:23 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    2,118
研究

・「長沙呉簡の世界」ノート3からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/428


 お昼休みも終わり。次の報告へ。

○報告IV(13:30~14:05):王素(中国・故宮博物院)「中日長沙呉簡研究述評」

 13:40スタート。予稿集にA4で13ページの資料がある。中国語のご報告ということなのでそれは中国語(繁体字)で書かれている。巻末の5ページにわたり中國・日本で人物ごとに長沙呉簡の研究が論集・論叢8つからリストアップされている「參考文獻略稱」は役立ちそう。

※注
 ご報告は中国語だけどそれが終わった段階で、日本語での要約があるとのこと。清岡にとって中国語はさっぱりなので、ご報告中、中国語のわかるしずかさん(短期留学帰り)の予稿集のページめくりに合わせながら、ご報告を聞いているそぶりにつとめた(笑)。
 というわけでここではご報告本編というより日本語要約のノートとなる。

 1996年に出土された長沙呉簡、その研究はすでに史料集は2つ、論文集が8つだされ、関連論文は100点を越える。研究内容は非常に広い。ここでは中日両国の参照論文だけとりあげる。論評して、中日両国の研究の趣向や方向について述べる。

一 關於長沙呉簡的性質
※この小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。

 まず長沙呉簡の性質について。[木當]案(役所の文書)であることは間違いないが、どの役所に帰属するものか、三つの説がある。
※以下3つ、予稿集の写し

 (一)長沙郡有關各曹文書[木當]案(胡平生・宋少華1997A・1997B)
 (二)臨湘縣・長沙郡文書[木當]案(王素・宋少華・羅新1999A)
 (三)臨湘侯國田戸曹文書[木當]案(關尾史郎2005)

 (三)については新しい説。この性質について検証をまつ必要がある。

二 關於≪田家[艸/別]≫的性質

 いわゆる≪田家[艸/別]≫の性質について。今回でも何度か触れられているようにこの大木簡の性質について主に九つの説があげられている。その中の(三)納税人總帳(關尾史郎1998・2001A、伊藤敏雄2003)と(四)郷租税簿(張榮強2001・2003)の二つが有力だろう、とのこと。

三 關於≪田家[艸/別]≫田地的性質

 ≪田家[艸/別]≫の中で言及される田地について。

(一)二年上限田
※この小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。

 主に六つの説があるうちの(4)根據輪耕制制定的按照二年一墾標準収取官租的規定(張榮強2001・2003)と(5)以二年為周期進行輪耕或休耕的田地(呉榮曾2001、孟彦弘2004)の二つ。総合的に見ればこの二つの説が正しく、それ以外は成立しないだろう。

(二)火種田
 主に五つの説があり、(4)火耕水耨田(張榮強2003)と(3)刀耕火種・燒兩次耕種・夥同互助耕種三田選一(呉榮曾2001)の二つが妥当。「田家[艸/別]」であり稲を収穫しているので(4)だろうと王素先生が考えている。

(三)餘力田與餘力火種田

 主に六つの説があって厳格に言えばそれぞれ根拠があるがどれも充分ではない。(※清岡注。このあとのところはよくわからず)

四 關於≪田家[艸/別]≫的統計錯誤

 ≪田家[艸/別]≫にでてきた統計上の誤りについて。土地面積や合計などの数に大分、誤りがある。これについて主に三つの説がある。具体的に、共通にあがっているある郷の特定の郷吏が誤ったものだろう、という説であろう。

五 關於丘的性質及其與郷・里的關係

 非常に重要なこと。丘と郷・里の関係。主に十の説。十のうち三つが妥当。(三)丘陵地區村落(王素・宋少華・羅新1999、張榮強2001、李卿2002、宋超2005)、(四)居住地或居民點(關尾史郎2001B・侯旭東2004)、(五)含有田地的居住地。「丘」というのは孫呉時期特有のものだと思われていたのが、先ほどの報告にもあったように後漢時期では「丘」と「里」が併用されている地域もあるので、孫呉時期特有という説は誤り。この「丘」というものの性質を理解するのに王素先生はご自身の一つの経験を紹介し、それを参考にしてほしいとのこと。つまり1969年冬に湖北省荊門県にいったときの話。そこは典型的な丘陵地区で山間に細長くのびる、「沖」(チョン)と呼ばれる低地が多数あった。それぞれに○○沖って言う名前が付いていた。細長いのでいくつもの行政単位に分かれていた。例えば土地の農民に「あなたはどこの人ですか?」ときくと「▽▽生産隊の人間で○○沖に住んでいる」と答えた、とのこと。これについて生産隊が当時の「里」に相当し、沖が当時の「丘」に相当すると考えれば、この問題はすっきり解決するのではないか。

六 關於戸口簿籍及其相關問題

(一)戸口簿籍的分類與定名

 まず戸籍簿の分類と名前の付け方。ここでは主に七つの説がある。この中で(七)吏民年紀簿・叛走人名簿・師佐年紀簿(關尾史郎2005)が最も孫呉時期の実際の状況に即しているだろう。

(二)戸口簿籍所見“殘疾病症”

 戸籍の中にある傷害や病気の問題について。ここでは12種類の見解がある。諸説入り乱れ結論がでない。多くの説にはどれも賛成できない。それらの中で傷害や病気が免役の目的なのか、そういった観点を高く評価している。また何の病気がどれにあたるかというのも検討しなければならない。

七 關於邸閣・倉・庫及其相關問題

(一)邸閣的性質與作用

 「邸閣」という言葉について。五つの説がある。鍵は「關邸閣」という言葉の「關」をどう理解するか。「關」というのは動詞だという説があり、王素先生はそれには道理があるとのこと。

(二)三州倉・州中倉及庫的性質與作用

 これについて七つの説がある。ただ倉・庫吏が県吏である、ということは成立しない。州中倉は郡倉である、と王素先生は考えておられる。倉と庫は一緒に存在しており、庫は倉に附属している、という考えをどちらかというと支持している。

(三)邸閣主管與倉吏・庫吏的身分

 邸閣に関係する吏の身分について。これは州吏県吏の一種の職役だろうという意見に賛成している。

小結
※このタイトルもレジュメの写し

 非常に多岐に問題がわたっているが、非常に大事なところに、中国と日本の研究者の注目する問題に違いがある。中国では賦役とか身分とかに注目するが日本ではあまりない。日本では基礎的な研究を重視するが中国ではそういう研究は非常に少ない。両国で共同で努力することは非常に大事である。日本の多くの研究は重要で、この分野に非常に貢献している。呉簡について新史料が続々と現れるのでこの分野の前途は非常に明るい、と信じているとのこと。

 質疑は特になし。


・「長沙呉簡の世界」ノート5へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/642
 

2006年10月31日 FLASH EXCITINGに三国城記事


  • 2006年11月13日(月) 18:26 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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雑誌 まだ書店で確認していないけどタレコミ情報が舞い込んできた。
光文社発行の男性誌に「FLASH」というのがあって、その増刊号として「FLASH EXCITING」というのがあるそうな。
その「FLASH EXCITING」の通巻97号 12月5日増刊号(2006年10月31日火曜日発売)に三国城の記事があるそうな。

三国城とは中国の無錫にある三国演義のテーマパーク。ここでは詳細は書かないので、知らない人は「三国城 無錫」とかの検索ワードで検索し各自、チェックしてくれると幸い。
……と検索してみると、検索結果の最上位にでてくるのが、英傑群像さんのコンテンツにある玲可さんの「中国旅行記」。そこを参照のこと。

・英傑群像(三国志エンタメ三国志情報&グッズ)
http://www.chugen.net/
※ここにある「三國志旅行記」。写真が豊富で雰囲気が伝わる。

話を戻し、下記リンク先の光文社のサイトによると「FLASH EXCITING」12月5日増刊号に

お笑い!三国城~小誌記者潜入取材ルポ30時間

という記事があるそうな。どんな記事だろ。

・光文社
http://www.kobunsha.com/

三国志重大ニュース2006ノミネーション


  • 2006年11月10日(金) 23:40 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  例年通り、三国志重大ニュースの企画を立ち上げようと思う。今年はサイドバーのリンクにも期間限定でリンクを張っておこう。
 三国志重大ニュースの企画はてっきり昨年だけしかやってないと思っていたら、実は全然、スタイルは違うし規模も小さいけど、私は2003年からやっていたようだ。

・あなたの2003年の三国志系重大ニュースは?
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=557
・あなたの2004年の三国志系重大ニュースは?
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1435

 昨年は「ノミネート」と称し三国志ニュースからニュースをピックアップしていきオフ会で投票を募って、順位を決め、さらにその結果を同人誌に寄稿するというこったことをやっていた。

・三国志重大ニュース2005
http://cte.main.jp/newsch/article.php/233
・「三国志重大ニュース2005」投票結果発表
http://cte.main.jp/newsch/article.php/247
・2006年3月9日 三国志onlyサークル会誌「KINGDOMS×REVOLUTION」5号発行
http://cte.main.jp/newsch/article.php/303

※追記 ゼロ年代を振り返って十大ニュース

 今年は特に何かする予定はないけど、とりあえず2006年の三国志関連のニュースのタイトルと参考リンクだけあげとく。それらが今年のノミネーションってわけ。ノミネーションと言いつつあるたけ41件もあげたんだけど。あとリンクはそのものズバリのニュースがない場合は関係しそうなものをあげておいた。しかしこうやってあげてみると昨年のニュースの続きみたいなのも見えて面白い。

 つーわけで、君はいくつ2006年三国志関連のニュースを知っていたかなぁ?(お約束決めセリフ)


01)2006年1月7日- 衛星劇場で「眞説・三国志」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/257

02)2006年1月16日,7月14日「三国志烈伝 破龍」2巻,3巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/272

03)2006年1月23日「続続・STOP劉備くん!」新装版
http://cte.main.jp/newsch/article.php/273

04)2006年1月23日「蒼天航路」35巻&36巻発売(最終巻)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/265

05)2006年1月28日コミック三国志マガジン創刊一周年
http://cte.main.jp/newsch/article.php/449

06)2006年2月「三国志-正史と小説の狭間」刊行
http://cte.main.jp/newsch/article.php/277

07)2006年2月15日-19日「長江の流れは緩やかに見えて」演劇
http://cte.main.jp/newsch/article.php/290

08)2006年2月18日 歴史群像シリーズ83「演義三国志」刊行
http://cte.main.jp/newsch/article.php/299

09)2006年2月26日 三国志、三検索サイト移転
http://cte.main.jp/newsch/article.php/296

10)2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR 三国鼎立から統一へ」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/305

11)2006年3月17日「三國志11」(コーエー)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/249

12)2006年3月23日「真・三國無双4 Empires」発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/260

13)2006年4月14日,9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻2巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/322

14)2006年4月26日,11月24日「諸葛孔明 時の地平線」12巻,13巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/240

15)2006年4月27日,7月28日,12月26日武論尊/原作・池上遼一/作画「覇-LORD-」5巻6巻7巻発売

16)2006年5月4日,8月14日 第四回&第五回三顧会(三国志城イベント)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329

17)2006年5月24日 三国志大戦2稼働(アーケードゲーム)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/343

18)2006年5月下旬パチンコ機「CR真・三國無双」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/339

19)横山光輝三国志 カード型ライター発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/352

20)2006年6月4日 赤兎馬Presents「三国志の宴」開催
http://cte.main.jp/newsch/article.php/313

21)2006年6月6日-8月3日 中国京劇院 三国志~諸葛孔明~
http://cte.main.jp/newsch/article.php/321

22)2006年6月6日,10月10日第二回,第三回三國相承展(ネットの企画)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/396

23)2006年6月11日-(中国情報局のコラム)名場面と人物で見る三国志
http://cte.main.jp/newsch/article.php/408

24)2006年6月12日-9月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/357

25)2006年7月25日「天破 三国志 1」(歴史群像新書)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/435

26)2006年7月29日 三国志シンポジウム
http://cte.main.jp/newsch/article.php/374

27)2006年7月30日三国志学会 第一回大会(三国志学会発足)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/395

28)2006年9月9日「DRAGON SISTER!」3巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/350

29)2006年9月10日 英傑号令(三国志大戦オンリーイベント)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/308

30)2006年9月15日,29日 宮城谷昌光/著「三国志」4巻,5巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/22

31)2006年9月17日「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」(学術シンポジウム)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/417

32)2006年9月24日 中華コスプレ日本大会(in鳥取・燕趙園)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/371

33)2006年9月28日ニンテンドーDS版「雀・三國無双」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/419

34)2006年9月29日「幻想三国誌II」発売(ファルコム、ファンタジースペクタクルRPG)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/431

35)2006年10月21日-11月26日徳島城博物館の特別展「美術の中の三国志」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/429

36)2006年10月30日 白川 静 先生 他界
http://cte.main.jp/newsch/article.php/442

37)2006年11月1日真・三國無双BB 稼働
http://cte.main.jp/newsch/article.php/434

38)2006年11月3日-19日 横山光輝「三国志の世界」(神戸の展覧会)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/433

39)2006年11月20日-22日 京劇「三国志」公演(新宿文化センター)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/440

40)2006年12月8日 十八史略 3 梟雄の系譜(文庫)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/443

41)2006年12月28日「横山光輝・三国志」(ニンテンドーDS)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/426

<12月8日追加分>
42)2006年1月31日- 三国志ブロックフィギュアコレクション 群雄割拠編
http://cte.main.jp/newsch/article.php/236

43)2006年11月13日- CR三国覇王伝
http://cte.main.jp/newsch/article.php/462

<12月18日追加分>
44)2006年11月19日、12月16日 千里中華街閉鎖/関帝廟、大阪・上海新天地へ移設
http://cte.main.jp/newsch/article.php/470

2006年11月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ12月号)


  • 2006年11月 6日(月) 22:38 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  「八卦の空」は三国時代を舞台とする物語。三国志およびその注に名が出ている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビが奇々怪々な事件を解決する。少女漫画誌である月刊ミステリーボニータに連載中。

・2006年10月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ11月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/422

 今回は初見の少年が何やら指令を受けているところから始まる。少年の名は梁山。どうやら祝英青(サブ・レギュラーでオリジナル・キャラクター)に恨みを抱いていておとしいれようとしているんだけど。
 というわけで話はだいたい梁山視点で祝英青のまわりで進んでいく。英青の正体を知ってあれこれ妄想する梁山くんはかわいいなぁ。
 と、今回、一話完結も思いきや、冒頭でも少し臭わしていたように、梁山くんの後には黒幕が居て、最後のコマでその姿が描かれている。次回へ続く?!

※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※描き下ろしイラストあり。

・ミステリーボニータ12月号に「八卦の空」 金蚕〈前編〉(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=427640

 そういえば、今号は久しぶりに「ミステリーボニータ ホットライン」(つまり読者からのお便りコーナー)に「八卦の空」へのお手紙有り。前回の変身管ちゃんについて。やっぱりあれってファンの間で印象深かったんだ(笑)

・2006年12月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ1月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/466

2006年10月19日-12月3日「始皇帝と彩色兵馬俑展 ~司馬遷『史記』の世界」(京都文化博物館)


  • 2006年11月 5日(日) 12:15 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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展覧会 三国時代や後漢時代に関係なさそうなのでリラックスして見てきた。
何かというと京都文化博物館で今、やっている展覧会「始皇帝と彩色兵馬俑展 ~司馬遷『史記』の世界」。

・京都文化博物館
http://www.bunpaku.or.jp/
※きっと展示期間が終わればこの展覧会のページもなくなるだろう

各地を巡回しているようで、前回は江戸東京博物館でやっていたそうな。次回はどこだろ。
というわけで江戸東京博物館での展覧会を書いているサイトさんを記憶を頼りにアップしてみる。以下(というかこれを見れば今回の私の記事を見なくても良いような気がする・笑)。

・宣和堂電網頁
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xuan-he/
・驚異の地下帝国 始皇帝と彩色兵馬俑展-司馬遷『史記』の世界
http://sengna.hustle.ne.jp/sb/log/eid625.html



本展を見る前の入り口前の小部屋にトラップされる。
その小部屋の中では「五感で楽しむ古代中国」と題して三つの企画が行われていた。
というかすでに係員がいる時間を過ぎていたのでお客さん以外は居なかったのだけど。
それらは「変身コーナー」、「竹簡づくり(小・中学生対象)」、「兵馬俑色つけ体験(小・中学生対象)」。
「兵馬俑色つけ体験」では白い小さな「彩色跪射俑」が何体かあって、その色づけを体験する企画だそうな。すでに色づけされたのが何体かあって、あからさまなサンタクロース色づけとかあったりとユニーク。
「竹簡づくり」はまず自分で竹簡をつくってそこに思い思いの字を書くそうな。
「変身コーナー」には「2000年前の古代中国の皇帝や宮廷女性がイメージできるような衣装を用意しました」とのこと。写真のように服がハンガーにかかっていて、これらが皇帝や宮廷女性の服だろうか? 脇にはその服の着付けを再現した人形が展示されてあった。あと子供用と称して紙製の「石鎧」があった。記念撮影も可とのことで、三名の女性の先客がいて、わいわいと写真とって楽しんでいた。
某お城の某集会もこれらの企画を参考にすれば良いかなぁ、と無責任なことを思ったり。
(追記。江戸東京博物館では変身コーナーがなかったそうな)

そして本展の方。
ところどころに秦漢より後世の展示物があったんで何か違和感を感じつつも、これは突っ込めということなのか、ということで心の中でパネルのところを突っ込んでいた。(漢が出来る前なのに後漢の武冠だ)とか(やっぱり肖像画といえば「三才圖會」からのが使われるのか)とか。
しかし、日頃、後漢期の[巾責]を含むタイプの冠を見慣れているせいか秦や前漢のかぶりものは面白い。冠や弁どれも小さく見えるし、兵馬俑に見られる、髪のお団子を収納できるようなとっきぶつ付きの帽子(アホ表現でごめん)とか面白い。前漢の騎馬俑の造形は見慣れているけど、色ついたやつは初めて見た。なるほど、参考になる。色が参考になるといえば、展覧会場の最後にあった大型スクリーンによる映像展示。2200年前の彩色兵馬俑がよみがえる『バーチャル・シアター』(TBS/凸版印刷 製作)とのこと。
あと収穫だとおもったのは、耳杯を上に置いて酒を暖める燗酒器。なるほど、こういうふうに酒を暖めて飲むのか、と。

そういえば、展覧会の出口にやっぱり販売スペースがあって、やっぱり三国志トランプ(というか「三国演義高級撲克」)が売っていた。それから中国歴代皇帝とか中国歴代名臣とかのトランプも。


※追記 天神橋筋商店街での関羽人形

2006年11月2日 コミック三国志マガジン公式サイトリニューアル


  • 2006年11月 5日(日) 00:00 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ メディアファクトリーより隔月刊で出ている「コミック三国志マガジン」の公式サイトが2006年11月2日にリニューアルオープンしたとのこと。COMIC-FLAPPER.comからコミック三国志マガジンの公式サイトにいくことができる。

・COMIC-FLAPPER.com
http://www.comic-flapper.com/

一応、コミック三国志マガジンのサイトのURLは

http://www.comic-flapper.com/sangokushi.html

というのがあるようだけど、そのページにアクセスすると、METAタグによってすぐに

http://www.comic-flapper.com/3mgz_11.html

というページにとばされる(2006年11月14日現在)。後者のページはURLを見ても中身を見てもわかるように、コミック三国志マガジンVOL.11紹介のページだ。おそらくVOL.12が発行される前後でVOL.12紹介のページが出来て、そこのページにとぶように設定されると思うので、ブックマークやリンクはCOMIC-FLAPPER.comのページにつけるのが無難のようだ。

関連記事
・コミック三国志マガジン読者限定ウェブサイト
http://cte.main.jp/newsch/article.php/209
※リンク先にあるhttp://www.comic-flapper.com/sangokushi/はすでに存在しない


サイト移転に伴い、ブログも移転。fc2.comのブログからCOMIC-FLAPPER.comのサーバー内のブログになった。以下。

・コミック三国志マガジン 編集部が出師の表
http://www.comic-flapper.com/3mgz/blog/

関連記事
・2005年10月1日ブログ「コミック三国志マガジン 編集部が出師の表」稼働
http://cte.main.jp/newsch/article.php/188

※追記 ブログ「コミック三国志マガジン 編集部が出師の表」併合(2009年8月17日)

2006年12月8日 十八史略 3 梟雄の系譜(文庫)


  • 2006年11月 2日(木) 12:52 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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書籍  1975年に初版、1999年・2000年に第2版が刊行された徳間書店の「十八史略」の訳本が文庫化され2006年10月から一ヶ月ペースで刊行されている。部分的に原文と書き下し文が書かれている。第2版の価格が1900円ぐらいだったのが文庫版だと1000円となっている。
 『十八史略』(じゅうはっしりゃく)とは元代の曾先之の撰で史記、漢書、後漢書、三国志、晋書、宋書、南斉書、梁書、陳書、後魏書、北斉書、周書、隋書、南史、北史、新唐書、新五代史の十七の史書(正史)に、当時まだ宋史ができていなかったので、続資治通鑑長編と続宋編年資治通鑑を加えたものから事柄を部分的に抜き取って時代順に構成した史書だ。全七巻。
 この徳間書店の訳本は全五巻で、順に「覇道の原点」、「権力の構図」、「梟雄の系譜」、「帝王の陥穽」、「官僚の論理」というサブタイトルがつけられており、おそらく文庫本もこれに準ずると思われる。

 実際、文庫版の一巻を買って読んでみる。三国志関連の時代以外のことをまったく知らないというよく居る三国志ファンの私にも分かりやすく興味を持ったまま読みすすめることができた。その秘訣は何かなと思っていたら、文庫版の一巻にズバリそのままのことが書いてあった。「解題 一、『十八史略』の構想」というところの「『十八史略』の特色」と銘打たれた小項目の文だ。以下、引用。

------------------------------------------------------
一定の紙幅のうちに網羅しようとすれば、いきおい叙述は簡略にせざるを得ない。しかし、その簡略さは、抽象化する方法によるものではなく、要点だけを具体的に示すという方法によったものであるから、読む者に、もっと深く知りたいという意欲を起こさせるような簡略さなのである。初学者を本格的に史書に向かわせる絶好の手引書とされるのは、このためである。
------------------------------------------------------

 どうしても何かを簡略化させようとすると抽象化させたり、概略を示したりしがちなんだけど、こういうふうに具体的なことを部分的に抜き取る方法も効果的なんだな、と思い知る。
 上の文に「もっと深く知りたいという意欲を起こさせる」とあるように、実際、私も史記で照らし合わせたりしていた。

 そこで思ったんだけど、三国志ジャンルの入門者に対し、この技法は使えないかな? と。
 幸い、『十八史略』の元となる史書群に『三国志』が含まれており、ちょうど『三国志』の記載がでてくる訳本(文庫)の「十八史略 3 梟雄の系譜」は2006年12月8日に刊行されるので、それがこの技法の良いお手本になることだろうし。

・「十八史略 3 梟雄の系譜」(文庫)の三国志関連部分
http://cte.main.jp/newsch/article.php/470

※追記 十八史略 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典(2011年1月25日)


-------------------------------キリトリ-------------------------------
 三国志をまったく知らない人にとって、三国志といえば「なんか難しそう」と思うか、「ひげ面の男たちが闘っているやつ?」とか漠然としたイメージを思い浮かべるんだろう。そういう人たちにとって簡略化は重要で、そうしなければ前者だと「やっぱり難しいものなんだ」とかなるし、後者だと「こんな難しいものだったの?」とか第一印象でつまずいてしまう怖れがある。
 そういった意味では現状で、ネットにしろリアルにしろ三国志ジャンルの入門者に手引きとなる簡略なもので諸手をあげてすすめられるものなんて一つもないように思える。
 かといって既存の創作物をとりあえずすすめておくような逃げに出ると、正史だの演義だの吉川版だの宮城谷版だの横山版だのと口走るような誤った認識をしてそうな三国志ファンの量産に加担しているような歯がゆい気分になる。
 そんな気分になったときはいつも三国志ジャンルの入門者向けの手引きコンテンツの作成を夢見てしまう。

白川 静 先生、死去


  • 2006年11月 2日(木) 07:55 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 訃報です。
2006年10月30日に白川 静 先生が多臓器不全のため死去されました。96歳でした。

・読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/
※ここの「おくやみ」のところです。

個人的なことなんですが、三国志や後漢書などの漢文を読むとき、白川 静 先生のご著作「字通」(CD-ROM版)には常にお世話になり続けていました。
また、京都でたびたび開催されるご講義に一度でも参加しておけばよかったという後悔の念でいっぱいです。

白川 静 先生のご遺徳を偲び、哀悼の意を表します。

2006年11月1日-30日 真・無双検索 カテゴリ要望アンケート実施


  • 2006年11月 1日(水) 18:24 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    1,961
ネット  ネットで何かサイトを探そうと思うと便利なのが検索サイト。何かしらキーワードを入れると該当するサイトやページをピックアップしてくれる。
 ただそれだけだと検索結果が多すぎたり、キーワード自体思いつかなかったりする場合がある。そういう場合は予めカテゴリ分け(ディレクトリ分け)されている検索サイトを使うと手がある。
 そういった検索サイトは何もgoogleやyahooやmsnやgooなどネット全般を対象にした大型のものだけじゃなく、特定のジャンルに絞った比較的小規模な検索サイトもある。
 「真・無双検索」は、コーエーの真・三國無双シリーズ(戦国無双は含まない)を取り扱った個人サイトを探すことができる検索サイト。個人サイトが対象となるので、予め個人サイトの管理人に自サイトを登録して貰うタイプ。

・真・無双検索
http://sangokumuso.lib.net/

 カテゴリはサイト検索時やサイト登録時に指定できる。そのカテゴリは勢力ごと(魏蜀呉その他)や人物ごとなど多岐に渡っているが、今回、それらカテゴリの追加、あるいは削除するための調査として真・無双検索でアンケートを実施しているとのこと。期間は2006年11月1日から11月30日までの一ヶ月間。一人につき一回のアンケートだそうなので焦らず慎重に回答するのが良いんだろうね。
 この検索サイトを日頃から利用している方、あるいは自分のサイトを登録している方で「多くのサイトがあるカテゴリに当てはまりそうなのにこのカテゴリが現状では存在しないなぁ」とか日々、思っていることをアンケートで書くと良いんだろうね。

※追記 サイト「真・無双検索」の開設日っていつ?

2006年11月20日-22日 京劇「三国志」公演(新宿文化センター)


  • 2006年10月30日(月) 20:43 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ショー 久しぶりのタレコミ情報。
2006年11月20日月曜日から22日水曜日に東京の新宿文化センター大ホールにて2006年中国文化フェスティバル特別公演として京劇精彩「三国志」公演があるそうな。日本語字幕付とのこと。演目は『虎牢関、小宴』『金鎖陣』。開場は18:30、開演は19:00、終演は21:00。チケット料金はS席が6000円でA席が4000円とのこと。詳しくは下記の公式サイトにて。

・中華文化芸術センター
http://www.china-art.co.jp/

※会場
・新宿文化センター
http://www.shinjukubunka.or.jp/


※追記 三国志-呂布と貂蝉(2009年10月2日-5日)

三国志下敷き(2005年JaGra作品展 開発・開拓部門佳作)


  • 2006年10月28日(土) 23:15 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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物品  メールアドレス変更のためあれこれメルマガの解除/登録を繰り返していたんだけど、そのときにたまたま見かけたのでメモ書き。
 作り手側の話だから大々的に書いて良いかわからないんで、トラックバックも出さずにこっそり書いておこう。
(むしろ宣伝してくれって場合はトラックバックを三国志ピープルにとばします)

 JaGra(日本グラフィックサービス工業会)というのがあるらしくそこで毎年作品展をやっているそうな(と全然、私は詳しくないんで下記サイト参照)
 その2005年の開発・開拓部門の佳作のところを見ると「三国志下敷き」と書かれている。

・JaGra(日本グラフィックサービス工業会)
http://www.jagra.or.jp/index.html
・会員TOPページ(現在、2005年JaGra作品展の結果が書かれている)
http://www.jagra.or.jp/member/main/main.html

 それで早速、その会社の名前を検索してみるとどうやらサイトがあるようだ。

・(株)ビジネス印刷センター
http://business.hey.ne.jp/index.html

 ここのサイトの「メルマガ印刷だより」のバックナンバー27号を見ると、やっぱり英傑群像さんで取り扱ってる「三国志下敷き」だったんだ。

・英傑群像(三国志エンタメ三国志情報&グッズ)
http://www.chugen.net/
※ここの「英傑オリジナル品」をクリックして移ったページにあり。

ある管理人のサイト登録状況


  • 2006年10月28日(土) 15:44 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    3,895
ネット  ごく私事なんだけど、私が愛用していたメールアドレスの「freemail」サービスが2007年1月31日をもって終了すると言うお知らせが昨日、届いた。とりあえずこのサイトのサービスについてきたメールアドレスがあるので、それに移行する予定。

・freemail
http://www.freemail.ne.jp
・ロリポップ(三国志ニュースで利用しているレンタルサーバー)
http://lolipop.jp/

 昨日から暇を見つけて、公私合わせてあれこれ登録情報を片っ端から変えている。
(まだ期間があるので、過去、メールのやりとりした方については、かなり後日にBCCで一斉にお知らせする予定)
 とりあえずこの場を借りてお知らせ

旧 oka_kiyo(at)mint.freemail.ne.jp
    ↓
新 cte(at)fu.main.jp

※(at)を@に変更したのがメールアドレスです。

 私としてはコミュニケーションにメールよりサイトの方をよく使っているので、2005年4月のサイト移転の方がたいへんだろうという印象。 あのとき一ヶ月も余裕なかったしね。
http://cte.main.jp/sunshi/rireki/0504.html
未だに挨拶回りもコンプリートしているかどうか自信がない(汗)
 とはいってもfreemailのメールアドレスは愛着深く、私がネットで三国志関連の情報を見るようになっていきなり取得したやつなので、かれこれまる六年つかっている、いやはや。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w0206092318.html

 よく見ると何気に三国志ニュースとこのメールアドレスとの誕生日同じ。

・2006年10月22日 三国志ニュース2周年
http://cte.main.jp/newsch/article.php/437

 それで手元の三国志関連サイトで登録した情報を各登録型検索サイトで変更している最中。
 そこで気付いたのが、なくなったサイト、移転したサイト、残っているサイトがあるってことかな。

・サイト「孫氏三代」、「mikotoba」と「呉検索項」に登録
http://cte.main.jp/newsch/article.php/23

 ここで紹介した「三国志を題材とした創作活動を行うサイト」を検索できる「mikotoba」が見あたらない。
 「呉検索項」は下記のURLへ移転。

・呉検索項
http://ove.flop.jp/

 歴史小説検索は健在。三国志関連に限らず何か歴史小説をネット上に公開しているのだったら、是非ここで登録。こちらはサイトの登録というより作品ごとの登録。

・歴史小説検索
http://www3.to/historical/

 三国志サーチが移転したことは以前、書いたとおり。

・2006年2月26日 三検索サイト移転
http://cte.main.jp/newsch/article.php/296

・三國志サーチ
http://sangoku.lib.net/sansearch/


 そういえば三国志ニュースの方は一つのサイトでしか登録していないな。下記の「三国志サイトナビゲータ」。もともと「三国志ファンのためのサポート掲示板」のスピンオフの意味合いが濃かったので少な目。
 どこか登録して欲しいところがあれば是非おっしゃってください>登録ユーザー様

・三国志サイトナビゲータ
http://sangoku.lib.net/apl/navi/

 あと、強いて言えば、三国志ピープルを初めとするに登録しているってことになるのかな。サイトごとというより、ページごとの登録といったところ。

・三国志ピープル
http://tbp.jp/tbp_1243.html
・TBPリンク集
http://cte.main.jp/newsch/article.php/219

 個人サイトへのリンクと言うより、こうやってページへのリンクに世間の好みが変わっていくのかな、と思っているんだけど(願望色濃く含む)、どうなんだろ。楽しみ。

・ページtoページの時代からサイトtoページの時代へ(三国志サプリメント内記事)
http://sangoku.lib.net/apl/blog/?no=138

2006年10月22日 三国志ニュース2周年


  • 2006年10月27日(金) 12:57 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  10月22日以前は何か記念となる記事を書いてやろうと息巻いていましたけど、ふたをあけてみると案の定、すっかり忘れてます。
 というわけで2006年10月22日で三国志ニュースも二周年を迎えました。
 一回でも見に来て下さった皆様、それにもちろんいつも見に来て下さっている皆様、ありがとうございます。
 少なくとも私個人は見に来ているってことを励みに日々の記事を書き込んでます。

・三国志ニュース「永安日報」について(他サイト内記事)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1368
・三国志ニュース最初の記事
http://cte.main.jp/newsch/article.php/1
・三国志ニュース1周年(+1ヶ月)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/227

※追記 サイト「真・無双検索」の開設日っていつ?

※追記 三国志ニュース6周年(10月22日)

※16周年記事(2020年) 三国志ニュース16周年(2020年10月22日)


 と、ありがちな話ですけど、当初、立ち上げた理由と今の状況とを簡単にくらべて二周年を振り返ってみます。
 上記のリンク先にもあるように、「永安日報」へのあこがれみたいなものがあって始めてます。それに加え、思い返してみると大小や方向を問わず、日々、何かしら流れている三国志関連のニュース(それは歴史系だけに留まらず三国創作関連も)を見過ごしているもしくは何も記録されないのは勿体ないな、という思いがありました。自分の目の届く範囲なんてたかが知れていて、見逃すニュースなんて山ほどありそうだったので、その効果のほどはどうかわからないですが、誰でもニュースの記事を書き込めるスタイルにしました。
 当初、ニュースに使えるスクリプトを探していたんですが、適したものが見つからなかったので、当時、流行り始めていたweblog(ブログ)のスクリプトを採用しました。丁度、多人数で書き込めるスクリプトがありましたので。
 それで実際に記事を書いていると、三国志関連のニュースは多様にあり、始める前は書籍情報や三国志個人サイトの更新情報に終始するだろう、と思っていたんですが、むしろそれらは現在でも結構、おざなりになっています。

 手元のサイトのアクセス状況を見ると、「三国志ファンのためのサポート掲示板」や個人サイトの一コンテンツ「孫氏からみた三国志」などは結構、いくつものページを次々と手繰ってアクセスされるケースが多いんですが、三国志ニュースは大抵、一つのページ(記事)を見られそれっきりのパターンが多いです。それらは大きく二つに分けることができて、常連さんが更新された記事をチェックするパターンと外部の検索サイトからある特定のページ(記事)にアクセスするパターンの二つです。前者はともかく後者は記事自体に注目されていてその記事が載っているサイト自体はあまり注目されないんでしょうね。閲覧者にうるさがられずサイト自体を注目させようとすれば、なるべくサイト内の別ページ・別記事へアクセスさせるのが一番だと思うので、ページ間・記事間の関連を強める(関連リンクを増やす)のが良いんでしょうね。
(私の記事に関してのリンクは新記事→旧記事は多くしてますが、逆に旧→新はそれほどサポートしてません。閲覧者がサイト検索すればここらへんの関連の弱さを解消できそうですが、そこまで閲覧者は労力をかけないでしょうね。)
 例えば今、googleで「八卦の空」と検索すれば上から二番目に三国志ニュースの記事が引っかかるんですけど、それは2006年1月の記事でとても古い記事で(2006年10月27日現在)、「八卦の空」について新しい情報を知りたい閲覧者にとっては有益な情報とは言えません。うまいこと、新しい記事、例えば9月に単行本の2巻が発売したよなどの記事に導いてやることができれば閲覧者にとって有用でしょう。ここらへんは後からその記事などへのリンクを追記すれば良いんですが、あまりスマートなやり方とは言えません。それをやっちゃうとこのケースだとすべての「八卦の空」関連記事にリンクを追加しないといけないので。ここらへん、うまくスクリプトで解消したいところですね(そのためだったら三国志ニュース内じゃなくて外部のサイト、外部のスクリプト利用も視野に入れたいです)。ここらへんが三国志ニュースの今の課題でしょうか。

歴史ファンの方に100のお題


  • 2006年10月26日(木) 12:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット Splendissimaさん(SPLさん)という方が運営されていた「三国志小説同盟」が2004年3月に閉鎖され、続いて一年近く経った後に個人サイトの方も閉鎖されたので、ネット上ではもうこの方の小説が読めないのかな、と思っていた。
ところがサイト企画の方の「歴史ファンの方に100のお題」のページは生きていた。このサイトはタイトル通り「100のお題」を提供している。そのお題を使って歴史に関する創作(二次創作含む)をどうぞ自由に使って下さい、って主旨だ。
さらにリンクを辿るとこのお題を使ったSplendissimaさん作のSS(ショートストーリー)を読むことができる。

・歴史ファンの方に100のお題
http://www.geocities.jp/xian_fen_lian/
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/6892/

2006年7月25日「天破 三国志 1」(歴史群像新書)


  • 2006年10月25日(水) 19:08 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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小説 今さら気付いたのでメモ書き程度(※実際、手にとって読んでない)
2006年7月25日は学研のサイト情報なので、実際はこれより早い発刊かも。

吉本健二/著「天破 三国志 1」(歴史群像新書)
定価 945円
ISBN:4054031846

孫策が死ななかったら、といういわゆる架空戦記小説とのこと。
「1」ということは「2」へと続くのかな。

詳しくは下記、学研のサイトへ

・学研
http://www.gakken.co.jp/
※ここの「文庫・新書・文芸書」→「歴史群像新書」→「このカテゴリーの全商品を見る」と辿ってください



というか、例によって他のサイトで知った。

・薄紅午睡
http://www5.ocn.ne.jp/~rosynap/
・「孫策死なない架空戦記小説」(上記サイト内ブログ記事)
http://yaplog.jp/azusa_z/archive/14
※記事を直接見る前にサイト傾向を見た方が吉

武将ブログ(『真・三國無双BB』オフィシャルブログ)


  • 2006年10月23日(月) 12:57 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム いつのまにやらこんな公式weblogが出来ていたんですね。
おそらくファンの方はご存知だと思うんで、特にトラックバック送信したりはしません。
更新、楽しみです。

・武将ブログ(『真・三國無双BB』オフィシャルブログ)
http://blogs.yahoo.co.jp/musoubb_mmo/

・真・三國無双BB公式サイト
http://www.musou-bb.jp/
・スタッフブログ
http://www.musou-bb.jp/more/staff_blog/index.html

※追記 まとめメモ:『三國志 Online』『真・三國無双 Online』

2006年11月3日-19日 横山光輝「三国志の世界」(神戸)


  • 2006年10月21日(土) 00:40 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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展覧会 例によって被検索→再検索で発見したネタ。
兵庫県神戸市長田区のアスタプラザウエストの琉球ワールドで2006年11月3日から19日までの間、「横山光輝 三国志の世界」という展覧会があるとのこと。

○展覧会詳細
KOBE鉄人PROJECT特別展第2弾
横山光輝「三国志の世界」

場所:琉球ワールド沖縄宝島2F特設会場
期間:2006年11月3日金曜日-11月19日日曜日
開場時間:10時-20時   ※入場無料
公式サイト(アクセスなど詳細情報):
・KOBE鉄人PROJECT
http://www.kobe-tetsujin.com/

さらに下記サイトによると11月12日日曜日には露の団六さんによる「落語で語る横山光輝の三国志の世界」が15時よりあるとのこと。

・沖縄宝島
http://www.okinawa-takarajima.com/
※ここの「店舗・催事案内」にある「琉球ワールド(神戸・新長田)」参照

・団六のねっと大通り(露の団六さんのサイト)
http://www3.osk.3web.ne.jp/~danroku/

ちなみにこの情報を知るきっかけになったのが以下のサイト。

・琉球サンバ in 神戸
http://kuukuusea.ti-da.net/
・三国志展
http://kuukuusea.ti-da.net/e1033630.html

2006年9月30日「グリフォンブレイド」(ガンガンカスタムNo.01)


  • 2006年10月19日(木) 21:23 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ

2006年9月30日に発売した「ガンガンカスタムNo.01」(株式会社スクウェア・エニックス)という漫画雑誌のトリを飾る読み切りは以下の漫画。

ブレイド三国志外伝 グリフォンブレイド
原案・構成:真壁太陽
作画:壱河柳乃介

・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
・別冊ガンガンカスタム
http://gangan.square-enix.co.jp/ggcustom/

上記サイトで「ブレイド三国志外伝 グリフォンブレイド」の扉絵を含む三ページと本編終了後の作品解説ページ「CUSTOM DATA FILE:8」をDHTMLビューワーかFlashビューワーで見ることができる。そのページと扉絵にも書いてあるけど、なんとブレイド三国志の単行本が2006年12月に1巻2巻、同時販売とのこと。これで月刊少年ガンガンで連載されてあった「ブレイド三国志」を一気にみることができる。

それで今回の読み切りだけど、舞台は西暦2189年の六本木から始まる(ちなみに本編は西暦2194年)。主人公は趙雲の生まれ変わり。つまり趙雲のブレイドだ。
それに対するのは西暦2184年に黄巾賊が復活し名を変え登場した黒覇道(「ヘイパータオ」とルビ)。黒覇道の日本方面担当の張梁のブレイド、そしてその部下の波才のブレイドが主人公に立ちはだかる。
作中に趙雲別伝の「子龍一身都是膽也」が引用されていたり良い感じ。

参考リンク
・2006年6月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/357
・2006年7月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン8月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/423
・2006年8月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/379
・2006年9月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン10月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/415

↓それからSNSのmixi内にコミュニティできてるね。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1153488


・2006年11月18日「ブレイド三国志 特別編」(月刊Gファンタジー12月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/452
 

2006年9月29日「幻想三国誌II」発売(ファルコム、ファンタジースペクタクルRPG)


  • 2006年10月18日(水) 18:12 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム  というわけで後追いながら告知。2006年9月29日に「幻想三国誌II」というゲームが発売された。ジャンルはファンタジースペクタクルRPGとのこと。ちなみに二年前の前作も三国志ニュースでは後追いだった(汗)

・ファルコム公式サイト
http://www.falcom.co.jp/
・幻想三国誌2
http://www.falcom.co.jp/fs2/index.html

・2004年9月29日「幻想三国誌」発売(ファンタジーRPG、ファルコム)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/9

対応OSは前作と同じくOSはWindows98/Me/2000/XP。
公式サイトの「時代背景」をみると結構、「三国志」的要素を入れているようだね。
公式サイトの「サブキャラクター」で現在、取り上げられている三国志関連人物は(※メインキャラクターはオリジナルのキャラクター)、
馬超、献帝、曹操、郭嘉、劉備、呂布、孫策、周瑜、袁紹、袁術、袁煕
となる。

「イベント報告」カテゴリーを分割


  • 2006年10月18日(水) 18:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット すっかり報告し忘れだけど、数ヶ月前に「イベント報告」カテゴリーの件数が多くなったので、「イベント報告」と「講演報告」に分割した。後者は学術系イベントの報告ってこと。サイト情報の件数が多くなってきたので、次はこちらをわけるかも。
現状のカテゴリー別の記事の件数は以下の通り。

サイト情報 (50)
サイト企画 (16)
サイト宣伝 (9)
ブログ (18)
コミュニティ話題 (8)
文献史料 (13)
出土史料 (21)
場所 (14)
小説 (9)
読み物 (14)
マンガ全般 (20)
マンガ連載系 (34)
ゲーム (32)
フィギュア (4)
番組 (7)
同人 (26)
世間の中の三国志 (21)
その他メディア (22)
イベント告知 (29)
イベント報告 (35)
講演報告 (23)
依頼・募集 (3)
その他 (6)
管理系 (12)


・参考:「イベント」カテゴリーを分割
http://cte.main.jp/newsch/article.php/314

※追記 管理系:話題(記事のカテゴリ)を変更

徳島城博物館の特別展「美術の中の三国志」


展覧会 このたび徳島市立徳島城博物館で、特別展「美術の中の三国志」を開催いたします。みなさまのご来館を心よりお待ち申しあげております。

会 期  2006年10月21日(土)~2006年11月26日(日)
趣 旨
江戸時代中期の『通俗三国志』翻訳刊行以来、「三国志」は日本においても広く親しまれるようになりました。それとともに、芸術や文化に広く影響を及ぼすようになります。
たとえば与謝蕪村、谷文晁、葛飾北斎、歌川国芳など、近世美術の巨匠たちによって「三国志」に主題を求めた絵画作品が多数描かれるようになります。あるいは端午の節供に飾られる人形や幟旗など造形美術の分野にもその影響が見られるようになります。
この展覧会ではさまざまな美術作品を通じて、近世日本の人々に親しまれてきた三国志とその文化について考えていきたいと思います。

会期中休館日    毎週月曜日・11月24日(11月23日は開館)
観覧料金      大人500円、高校・大学生300円、中学生以下無料
開館時間      9:30~17:00(入館は16:30まで)
会 場       徳島市立徳島城博物館
          〒770‐0851 徳島市徳島町城内1-8
          電話088-656-2525
後 援       徳島新聞社・四国放送・NHK徳島放送局
助 成       芸術文化振興基金助成事業
   

関連イベント情報

◇展示解説
日時:11月4日(土)・11月18日(土) 13:30~

◇「三国志」ハイクラス特別講座
第1回 10月28日(土)13:30~15:00
 「英雄たちの風貌―三国志の人物像」
 講師:葭森健介氏(徳島大学 教授)
第2回 10月29日(日)13:30~15:00
 「美術の中の三国志―日本における受容」
 講師:小川裕久(徳島城博物館 学芸員)
第3回 11月25日(土)13:30~15:00
 「神様になった三国志の英雄たち」
 講師:高橋晋一氏(徳島大学 助教授)
※参加には事前の申し込みが必要となります。
 受講料1,000円(入館料は不要)。

◇切り絵で愉しむ三国志
 日時:11月11日(日)13:30~15:30
 講師:東 育夫氏(徳島市教育委員会)
※受講料は無料(ただし入館料は必要)

◇三国志トリビア・クイズ
 日時:11月23日(木・祝) 9:30~16:00受付
 三国志クイズ〈初級編〉〈上級編〉を楽しみましょう。
 先着100名様に、参加賞をプレゼント。
 成績上位者には、三国志グッズと賞状をお渡しします。
※参加費は無料(ただし入館料は必要)

「長沙呉簡の世界」ノート3


  • 2006年10月15日(日) 13:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究

・「長沙呉簡の世界」ノート2からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/425

○報告III(11:50~12:25):町田隆吉(桜美林大学)「長沙呉簡よりみた戸について-三国呉の家族構成に関する初歩的考察-」

 11時54分スタート。予稿集7ページ、レジュメ12ページ、共にA4サイズ。
 本報告は長沙市文物考古研究所・中国文物研究所・北京大学歴史学系走馬楼簡牘整理組編『長沙走馬楼三国呉簡』竹簡〔壹〕(上、中、下)(文物出版社、2003)から伊藤敏雄先生が中心となってつくったデータベースをもとにした研究について。

1. はじめに
※この数字付きの小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。

 『漢書』食貨志に「五口之家」という記述。中国古代の農民の家族というのは五人家族。では具体的な家族はどうだったか?
 しかしながら、走馬楼の呉簡にはたくさんの名籍(竹簡)が含まれている。竹簡は編綴の紐が腐食してバラバラになっており、それを可能な限り元に戻すことで、三国呉の農民の「戸」が再現できる安部聡一郎さんの研究(「長沙呉簡にみえる名籍の初歩的検討」(『長沙呉簡研究報告』第2集、2004)など)や關尾史郎さんの研究など先行する研究を踏まえ、名籍の表記、竹簡の簡番号(出土時の位置関係)、竹簡の形状(編綴痕の位置)、書体などからより確度の高い復元を試みた。こういう「戸」の復元に基づき、三国呉の農民の家族構成を視覚的に示し、家族構成の特徴を考察。

2. 長沙呉簡名籍の検討

 いくつかの時代が混ざっている。レジュメ1ページ末の胡禮という人物を例に。六年の開きがある。「師佐籍」「烝嚢」の場合、時期が同じという例。

(1)名籍にみえる「戸」と「家」
※この括弧数字付きの小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。

 「戸」や「家」はどういう意味か。「夏隆」という人物を例に。
 民籍では冒頭の「戸人」に「戸」を代表(→「…戸人公乘夏隆…」)。集計簡の「家」の字に「戸人」の名を冠し、その下に家に居住する人数(「口」)と資産評価額(「[此/言]」)を記す(→「右隆家口食九人 [此/言] 一 百」)。つまり「戸」とは「戸人」某に代表される「家」であり、そして「同居」と観念される。
※清岡注。予稿集やレジュメに出ているのは復元後の釈文。例えばこの「夏隆」の例だと一行が一つの竹簡に対応していて、左横に「9090/9165/9213/9217…」など簡番号が打たれている。「口食九人」となっていて、実際、9人の一人一人の竹簡に書かれた個人情報があるが、うち3人は見つからなかったとのこと。
 この名籍に多様な親族姻族が含まれていて、その続柄をこれから紹介。続柄の表記は必ずしも統一されていないとのこと。予稿集に続柄の多くの例が整理され書かれている。ここで気をつけないといけないのは「妻」が名前の場合があるんで単に検索しただけでは駄目。

(2)名籍の書式

 名籍では冒頭に「戸人」の名、そのあとの家族の部分では妻や最初の子どもを除くとそれ以降「戸人」の続柄ではなく直前の記載者の関係を示す書式(※清岡注 例えば先の「夏隆」の例だと「9165 隆子男帛年十一」「9213 帛男弟燥年八歳」「9217 燥男弟得年六歳」 )。これと同じ書式は紙形式(敦煌発見の「西涼建初12年(416年)正月籍」(紙)、楼蘭発見の「晋[4世紀?]楼蘭戸口簿稿」(紙))にも継承されている。池田温先生によると、こうした書式の前提には木簡名籍の存在を想定。簡がバラバラになったり順序が前後しても原型に復しやすいようにするためと推測。長沙呉簡はそういう推測を裏付ける。では言葉の使い方は前後の史料でどうなっているか?→レジュメ2~3ページ
 例えば、前漢景帝2年(BC155)では「戸人」、前漢永光4年(BC40)では「子少女」(子○○)、後漢建寧4年(171)では戸人、子○○。後漢光和6年(183)では「女替、替弟建、建弟顔、顔女弟」。晋[4世紀?]楼蘭戸口簿稿では前の行のを受ける形式で「息男奴□…」「□男弟□得…」「得□□阿罔…」。4ページの「西涼建初12年(416年)正月籍」でも同じだが、西魏大統13年ではそういう書式が消え戸人との続柄になる。プリントでは表にまとめてある。(その表を見ながら)走馬楼までは「戸人」、晋楼蘭と西涼建初は書いてない。西魏大統では「戸主」。子どもに関しては走馬楼までは「子男/子女」等、晋楼蘭からは「息男」等。

(3)名籍にみえる戸人と戸数・口数

 戸人に関して年齢別、男女別に統計をとったものがレジュメの5ページに記されている。表1 長沙呉簡の名籍中の戸人の年齢分布(総数406人) 男子391人、女子15人。最年少の戸人(男)13歳(漢籍番号2951)大女33歳、最年長85歳老女81歳。
 さらに次の表では口数の分布。表2 長沙呉簡名籍にみえる口数と戸(477戸) 中心は口数が5人よりやや少ないところにくるとのこと。ちなみに『太平広記』に基づく唐代庶民層の家族規模3.9人に近い。

3. 戸(同居家内集団)に対する初歩的考察

 復元した戸に基づいた図式化の話。予稿集では3ページに渡り6例、レジュメの方には9例あり、それぞれ釈文(簡番号あり)と家系図のような家族関係を図示したものがある。この図示は戸人簡がなくても残存したものから推測したものを含んでいる。
 まず予稿集。単純家族世帯、拡大家族世帯、拡大家族世帯(戸人簡なし)、多核家族世帯の例について説明していき、それから非家族世帯、兄弟の同居+その他の親族[叔父、従小父、従兄]の同居の例、非家族世帯、兄弟の同居+その他の親族[寡婦と子ども]の同居の例
 他の時代との比較。例えば西涼建初12年(416)籍。レジュメの9ページに記載。そうするととりわけ妻の親族や兄弟の寡婦およびその子を含んでいる世帯の存在などは他の時代の戸籍にはほとんどみられず、呉簡名籍の特徴がわかる。孫呉政権には相互扶助的な機能を有する世帯を前提とした戸口編成をおこなっていたようにみえる。
 ここでレジュメ8ページへ。「三国時代の呉地域や越族特有の女系を含む家族形態が名籍に反映されている可能性」【小林 2005】 後漢時代長沙郡における嬰児殺し(『北堂書鈔』巻75謝承『後漢書』) 長沙太守となった宗慶という人物は民が子を殺すことを禁止し、年間で子を養う人は三千人あまりとなって、その年、男女はみな、宗を名とした。ここで注目するのは、この土地の人口に対する耕地の狭さ(嬰児殺し)→相続における耕地の細分化を回避する必要性(つまりそれが拡大家族世帯、多核家族世帯、非家族世帯の多さに関わる?)。後漢豪族の同族内の相互扶助の例。後漢崔寔『四民月令』9月令。

4. むすびにかえて

 民籍の他に師佐籍がある。レジュメ8ページに師佐籍の例があり、それはみかけは1つの単純家族世帯で実体は2つの単純家族世帯(同居していない)。レジュメで資料をつけたのは、唐西州戸籍・手実 こういった時代の比較も重要。

 12時30分終了。

 時間がおしているので、午後は13時40分スタートとのアナウンス。


○昼食・休憩(12:25~13:30)

 予稿集やレジュメとともに「日曜日に営業している食堂」というB5一枚のプリントも配られていて、それを元にどこか行こうと思ったけど、結局、そこには載っていなかった近くの喫茶店で食事した。



・「長沙呉簡の世界」ノート4へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/448
 

長沙呉簡研究会


  • 2006年10月12日(木) 19:09 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究  1996年に長沙市の走馬楼から十数万枚も三国時代・呉の簡牘が発見された。あまりにも大量のため十年目の今日でも整理がついていない状況であるし、史書のようにまとまったものでもないが、当時の「生」の情報が得られるということで私のような素人目に見ても当然、その資料的価値は非常に高い。
 と、この簡牘の内容が多岐に渡っていて、全然知らない人向けへの文を書けそうにないので、下記のリンクを参考にされたし。

・睡人亭
http://www.shuiren.org/
・走馬楼呉簡
http://www.shuiren.org/sangoku/chikkan.htm
※「三国志の頁」内にあるんで一般の三国志ファンに分かりやすく書かれていておすすめ

 この簡牘に関する研究会が日本でも1999年9月に発足されており、その研究会のサイトは下記にあるので、詳しくはそちらで。

・長沙呉簡研究会
http://h0402.human.niigata-u.ac.jp/prof/research/chosa.htm

 このサイトには長沙呉簡研究会の過去の発行物および活動の紹介以外に、「長沙走馬楼呉簡一覧・統計表」や「長沙東牌楼漢簡一覧表」がある。
 前者は過去の論稿からの抜粋。PDF形式。今年の6月21日、27日、28日、30日、7月4日と集中的にアップされている。見てみると釈文が書いてあるやつもあって、読んでいて面白い。

・「長沙呉簡一覧・統計表」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/3673459

 後者は長沙市文物考古研究所・中国文物研究所編『長沙東牌楼東漢簡牘』(文物出版社、2006年4月、7-5010-1857-X)と対応が効いて便利。

・「長沙東牌楼漢簡一覧」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/3839252

2006年12月28日「横山光輝・三国志」(ニンテンドーDS)


  • 2006年10月12日(木) 18:01 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム  最近、やたら「横山光輝 三国志 DS」というキーワードで検索され、何かあったのかな、と思っていて、たまたま「MsH」というブログ12日の記事を見て判明した。
 答えは任天堂ホームページ(下記にリンク)の発売日カレンダーにある。

・任天堂ホームページ
http://www.nintendo.co.jp/
※ここの発売日カレンダー

 発売日カレンダーの12月28日の項目に「DS」アイコン(つまり機種はニンテンドーDS)とともに下記のように書いてあった。

横山光輝・三国志(ASNetworks)

 どうやらASNetworksというところから「横山光輝・三国志」というニンテンドーDS用ゲームがでるってことで。
 下記メーカーのサイトにはまだ情報がないみたい(2006年10月12日現在)

・アークシステムワークス
http://www.arcsy.co.jp/
<追記>
※公式サイト11月28日にオープンです。
「横山光輝・三国志」
http://www.gamics.jp/sangokushi/
<追記終了>

※リンク追記
・ARC SYSTEM WORKS OFFICIAL WEBSITE
http://www.arcsystemworks.jp/

 ジャンルは何? 定番通りシミュレーション? とか気になることが多い。

 しかしこれでニンテンドーDSでは、芸人さんの言葉を借りるなら、koei、SEGA、ASNetworksの三国志状態?!

※参照記事
・2006年9月28日ニンテンドーDS版「雀・三國無双」発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/419
・2006年8月2日 「三国志大戦DS」公式サイトオープン
http://cte.main.jp/newsch/article.php/375

※追記 ARC STYLE: 三国志タワーディフェンス~銅牆鉄壁~(2010年7月28日)

「長沙呉簡の世界」ノート2


  • 2006年10月11日(水) 22:40 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究

・「長沙呉簡の世界」ノート1からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/421

○報告II(11:10~11:45):小嶋茂稔(東京学芸大学)「後漢孫呉交替期における臨湘県の統治機構と在地社会-走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の記述の比較を通して-」

 11時7分スタート。予稿集4ページとは別にA4の7ページのレジュメ。予稿集を読み上げる形で報告をすすめていくとのこと。主に走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の比較の報告。

緒言
※この小タイトルは予稿集の写し

 日本の長沙呉簡研究会の「長沙呉簡研究報告」第1集・第2集や羅新先生がお勤めになっている中国の北京大学の北京呉簡研討班の『呉簡研究』第1輯・第2輯などにより広く学界に共有。
 しかし、走馬楼呉簡は文献史料との接点が極めて少なく、理解の共有化に至るには困難。一例として「丘」の問題。それまでの文献中心の研究から知られなかった「丘」という存在が走馬楼呉簡の研究の一つの軸になった。いまだ論者同士で議論が平行化。
 少ないながらも文献史料と呉簡の接点を探ることで、従来の文献から得られた研究成果を活用するのもあり得る。「丘」について具体的には中国古代の地方行政制度史の研究蓄積を活用。
 これまでの走馬楼呉簡から文献史料を凌駕する知見が得られていないが、見方をかえて孫呉政権下の臨湘において国家の統治統制が及んでいたことは間違いないため、そういった累積的な国家統治機構の延長上で「丘」をどうとらえるかという方法が可能。さらに後漢から孫呉で統治機構がどう変わったかというのも論点となりうる。
 走馬楼近くに東牌楼簡牘(後漢末)が発見される。走馬楼呉簡には「官文書簡牘」と分類されるのが公開されていて、それに対する東牌楼簡牘でも行政機構間の職務上のやりとりの記録がある。二つの文書群と記載された内容を比較で機構の変容があったかどうか探ることができる。
 以上のように、この報告は走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の記述を比較検討しながら、従来の研究に依拠し、当時の臨湘県や長沙郡において実現していた国家統治の具体相を論じる。「丘」の問題を全面的にとりあげない。高村武幸先生・侯旭東先生の「郷」に関する研究、羅新先生の督郵に関する研究に学びながら、「郷」の問題を取り上げる。

1. 呉簡から見る孫呉期臨湘侯国下の郷
※この小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。

 「郷」に関して、ここにいる人に説明不要だとおもうが、一応、プリント(レジュメ)1ページ目で文献に見られる「郷」をとりあげた。
 孫呉政権期の臨湘侯国治下における「郷」のあり方について、高村武幸先生(「長沙走馬楼呉簡に見える郷」)と侯旭東先生(「長沙走馬楼三国呉簡所見“郷”与“郷吏”」)の「郷」に関する研究に依拠しながら紹介。
 吏民田家[艸/別]の表題簡には「南郷」などの郷名があったが小型竹簡の公表でさらに多くの郷名を確認。代表的なものはレジュメに記載。都郷・北郷・西郷の「方角名+郷」以外にも広成郷・小楽郷などの郷名もあり。ちなみにこれらの郷が臨湘侯国に属するかは議論が分かれている。
 走馬楼呉簡の「官文書簡牘」にも「郷」の字が数点みられる。それらは「勧農掾」と関係する内容がある。例として簡番号J22-2543(『文物』1999-5 彩版参-1 .戸籍)のところ。予稿集に釈文、レジュメにその書き下しが載っている。さらにレジュメに別の二つの記述の釈文とその書き下しが載っている。この勧農掾はどういうものなのか議論の余地あり。県吏? 漢代の郷嗇夫と同じとみるのは難しいが、漢代と孫呉期の郷とにそれほど大きな違いはなさそう。
 レジュメにある二例目の簡番号J22-2546(『文物』1999-5 彩版肆 1 .戸籍)の「一人夜」や「四人真身已逸」となっている釈文は実際、小嶋先生が簡牘をみたら、それぞれ「一人被」、「四人真身已送」という可能性も感じたとのこと。
 プリントの2ページ目に「呉簡に見える郷」という項目でまとめられている。

2. 呉簡から見る臨湘侯国と長沙郡の関係-督郵の存在から-

 督郵の基本的な資料はプリントの3ページ目。漢代では郡吏として県の監察を掌握、監察区域は郡の内部でいくつかに区分。呉簡で督郵あり。羅新先生の研究(「呉簡所見之督郵制度」)がある。
 呉簡に「中部督郵」が見られる。その他「東部」。租税徴収業務に何らかの関与→プリント3ページに抽出。督郵が長沙太守の指揮下にあったことを示すもの等
 木牘(簡牘番号J22-2540 『文物』1999-5、彩版参)の方にも見られる。予稿集にその箇所が引用されている(プリントの4ページには書き下しあり)。郡吏である督郵と録事掾以下(県の属吏)の関係を考察。督郵の告発を受け、取り調べが行われていた。胡平生・李天紅『長沙流域出土簡牘与研究』(湖北教育出版社、2004)の611ページに中賊曹掾の陳曠が調査報告した事例の釈文あり(しかし督郵は出てない)。小嶋先生の考えでは告発までが督郵の仕事でそれから先の取り調べは別。
 藤岡喜久男先生の研究(「督郵研究」)では督郵はまず属県への監察が先行(論拠は漢代でもっとも古い記述、漢書尹翁帰伝)。羅新先生の研究では郵便通信機関に対する監察が先行。
 文献から見られないことで呉簡に見られたことは勧農掾の存在と勧農掾が県の指示で戸籍の照合等を行っていたこと。督郵の存在が明確に見られる。臨湘が中部督郵の監察下にある。
 呉簡は「漢制の枠組みの継承」という点で格好の史料。東牌楼簡牘と比較することで深化した検討が可能。

3. 東牌楼簡牘に見える長沙郡と臨湘県

 「東牌楼簡牘」は走馬楼のすぐ近くの長沙市東牌楼の古井から発見。木簡・木牘・封検・名刺・簽牌など。後漢霊帝期の年号が多く記される。ここでは最近、刊行された長沙市文物考古研究所・中国文物研究所編『長沙東牌楼東漢簡牘』(文物出版社、2006年4月、7-5010-1857-X)の釈読に従う。
 ここで注目するのは次にあげる五つの点。
(1)臨湘県の「東部勧農郵亭掾」の名を記した「封匣」がある。→プリント4ページに記載。勧農掾と県との関係について考えを深化可能
(2)「監臨湘」の李氷と「例督盗賊」の殷何が起草した上行文章(簡牘番号五 1001号)→プリント4ページに記載、以下同じ。この二人が「中部督郵」の掾の檄を受けての文章。
(3)臨湘の県令(簡牘では「守令」)が上言した文章(簡牘番号一二 1105号)
(4)東牌楼簡牘に「丘」の記述あり。呉簡に見えない「度上丘」。呉簡にみれる「桐丘」。「丘」は霊帝期にも存在。小嶋先生個人としてはショックを受けたとのこと。
(5)様々な姓の記述。呉簡に見られる姓と共通のものが多い
 その他、プリントの方に督郵の記述の資料。
 孫呉政権は基本的に後漢からそのまま継承している。

 報告終了

 質問というより補足。プリント2ページの終わりの方。誤「5分の1」→正「7分の1」


・「長沙呉簡の世界」ノート3へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/428

※追記 歴史評論 2014年5月号 3世紀の東アジア――卑弥呼と『三国志』の世紀(2014年5月10日)
 
 

2006年6月29日 みんなで作ろう三国志 @Wiki


  • 2006年10月11日(水) 22:37 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット 別件でたまたま見かけたサイト「みんなで作ろう三国志 @Wiki」。タイトルにWikiとあるとおり特定の管理人がコンテンツを築いていくというより有志によりコンテンツを築いていくタイプのサイト。
ちなみにこのサイトでいう「三国志」とは陳寿の「三国志」限定だそうな

・みんなで作ろう三国志 @Wiki
http://www15.atwiki.jp/soutoku/

サイトの創設が2006年6月29日とのこと。
以下、サイト内で見かけたこのサイトを表す特徴的な文を引用。

>ここは「みんなで三国志の総合年表をつくろう!」を合言葉に創設されたサイトです。

検索で引っかかるってことはどこからかリンクが張られていると思うんだけど、見かけないなぁ。

ちなみに三国演義のwikiもある。以下へリンクをはる。

・三国志Wiki
http://wiki.fdiary.net/sangokushi/

しかしこちらは管理が行き届いていないようで掲示板が宣伝書き込みでひどいことになっている。

2006年7月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン8月号)


  • 2006年10月 8日(日) 21:18 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,974
マンガ

 漫画雑誌の「月刊少年ガンガン」に連載してあった「ブレイド三国志」。
たまたま旅先の大衆食堂で月刊少年ガンガンがおいてあって、見逃した第二話をみることができた。月刊少年ガンガン8月号ね。

・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/

それで第二話ではいきなり主人公が死線をさまよう。そういった幻想世界でいきなり三国志の説明。例の「正史と演義の二種類があり」ってやつで、やっぱりあの昭和初期の訳本の「三国志」が何なのかさっぱりわからないんだけど。

・2006年6月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/357

死線をさまよったせいか、主人公の前世のことがことごとくよみがえる。つまり孫策の生涯ダイジェスト(上のようなことだから歴史に忠実と言うより後世の創作とイメージ込み込み)。呂範やら大喬小喬やら袁術やら周瑜やら出てくる。この流れの戦いのシーンに第四話に繋がる「大声で敵将を倒す」設定がでてくる。

・2006年9月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン10月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/415

そういった臨死体験(?)がきっかけで主人公はブレイド(武霊士って当て字)の自覚とともにTAOに目覚めるってことね。第三話に繋がった。

・2006年8月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/379

しかし全体をみてみると、今まで見てきた「ブレイド三国志」のどの回よりも三国志色が強いなぁ。
 

2006年10月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ11月号)


  • 2006年10月 8日(日) 19:59 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  先月の15日に単行本2巻が刊行され、盛り上がっている「八卦の空」。

・2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/414

 「八卦の空」は三国時代を舞台とする物語。三国志およびその注に名が出ている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビが奇々怪々な事件を解決する。少女漫画誌である月刊ミステリーボニータに連載中。

・2006年9月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ10月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/406

 今回は巻頭カラー(つまり扉絵がカラーの意)。右に玄龍、左に……って誰?。扉絵の左側には謎の美少年キャラ、それに「何者?」感を煽る文。
 また前号に続き美少年系の新キャラ? と思いつつ読みすすめる。その前に関連リンクを。

※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※最近、前にもまして活発な「お絵描き掲示板」。描き下ろしイラストあり。

 それで以下、ネタバレ含む感想。



 この話の中盤までシチュエーションですごく可笑しく楽しんだ!
 読みすすめると、カラー扉絵の謎の人の正体がわかる。管ちゃんだ。後で扉絵見返してみると、ちゃんといつもの八卦柄の上着を着てるし(笑)。先生のブログでも扉絵のことがしっかりネタになっている(笑)

・ミステリーボニータ11月号に「八卦の空」
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=404148

 しかし、連載が進んで、単行本が増えていって人気が高くなると、この組み合わせでそのうち腐臭のある人々から管ちゃんが演算子の前後どちらかなのか、変身前後のどちらかなのか、計4派に分かれて熾烈な争いが予想される(そんなわけないか)

 扉絵から本編に話戻す。
 扉絵では八卦柄の上着だけど、本編では太い眉毛など微妙に管ちゃんの特徴を残す以外は服も全部、元の姿とは違う姿。とある理由で三日間だけ屏風の絵と入れ替わっているとのこと。
 その理由というのが管ちゃんが医者として通っているところにあり。患者は人間に化けることができる狐の名家のお嬢さん、金秋ちゃん(五行な名前だね)。それから召使い、寸鉄くんがいて、両親と離れて暮らしている。この狐、二尾なのが特徴。
 そのお嬢さんの部屋には人間の美男子が描かれた屏風が飾ってあって格好いい人間にあこがれているんだけど、「狐粋主義者」の両親がゆるすわけがなく、それを捨てろ、とのお達し。
 そこで狐の術で両親が滞在する三日間だけ、屏風の絵と管ちゃんの姿を入れ替えようという作戦。

 屏風の絵の姿になった管ちゃんからもう爆笑のシチュエーション。
 何段かブチ抜きで初お目見えしたお姿。美形なんだけど性格はいつもの管ちゃんってあたりでまず可笑しくて。玄龍くんなんか初めはそんな管ちゃんに驚くもすぐに妓楼に連れていこうとする始末。町にでた管ちゃんはいつもどおりの性格なもんで、道行く人が咳したら何が薬として効くかアドバイスしただけなのに、やさしくて格好いい人みたく町ではモッテモテ。

 とまぁ、こんなネタどころもあるけど、全体のテーマは、変身、そしてそれに伴う周りの反応。管ちゃんの姿形が変わってもあまり態度を変えない玄龍くん。それがそのまましんみり終わらせる最後への伏線となる。


 管ちゃんを変身させたのは「八卦の空」の新たなる可能性をみたよな。


・2006年11月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ12月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/445

「長沙呉簡の世界」ノート1


  • 2006年10月 2日(月) 23:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究

 ・2006年9月17日「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」ノートからの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/417

 中国からの先生が到着するのを待つために5分押しでスタート。
 まず総合司会の三崎良章先生から会場の注意事項についてアナウンス。

○開会挨拶(10:00~10:10):窪添慶文(お茶の水女子大学)

 窪添慶文先生の挨拶。中国訳が逐次入る。長沙呉簡の紹介と研究の現状について。呉簡の全貌が明らかにされていないが、最近、北京大学を中心とした北京呉簡研討班による『呉簡研究』第2輯が刊行されたことなど。日本の長沙呉簡研究会のも含めた今までの研究の流れも紹介。あと、中国から来られた王素先生、宋少華先生、羅新先生、それから韓国からの朴漢済先生の一人一人の紹介。紹介ごとに先生が起立され、その都度、拍手。あと日本からの阿部幸信先生、小嶋茂稔先生、町田隆吉先生のご紹介。


○主旨説明(10:10~10:25):關尾史郎(新潟大学)

 予稿集の1ページ目を開くように言われ、そこには「主旨説明」と銘打たれた文章が2ページに渡りあった。基本的にはそれを關尾史郎先生が読み上げていく。1996年に長沙市の中心街である走馬楼の工事現場の古井戸(J22)から大量の簡牘が見つかったことから始まり、その価値、影響や研究動向について解説され、その後、このシンポジウムで発表される報告について一つ一つ順に概略を述べられていた。
 主旨説明が終わると拍手。

○報告I(10:30~11:05):阿部幸信(日本女子大学)「嘉禾吏民田家[艸/別]数値データの整理と活用」

 予稿集とは別に資料があるA4の2ページの資料と附表が配られる。

はじめに
※この小タイトルは予稿集の写し

 昨年の8月に行われた北京大学での長沙呉簡の国際シンポジウムでの日本側のデータベースの発表に中国側から強い関心が寄せられたので、それを受けての報告とのこと。

1.嘉禾吏民田家[艸/別]とは
※この小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。

 まず田家[艸/別]の説明。50センチメートル前後の木簡で、面積に応じた租税額の計算と納税の確認が記録されているとのこと。それぞれの情報はすべて1枚におさまっている。記録された年度は嘉禾四年と五年(西暦235,236年)に集中しているとのこと。長沙のこの時期について詳細な情報が得られる。
 その記載例が予稿集とレジュメに書かれている。記載例に項目ごとに順に番号が打たれていてその後、それぞれの意味するところが説明されている。「(1)丘名(2)身分(3)姓名(4)田地の総数……(30)銭の納入先(31)校閲日(32)校閲者の官職・姓名(名は自著)」といったようなこと。ここで予稿集とレジュメ両方間違っていると言うことで訂正。予稿集とレジュメは釈文(実物を見て解釈された文)に則って書かれたが、写真を見ると、違っていたとのこと。正「(32)田戸経用曹史趙野張惕陳通校」。訂正前は「用」が抜けていた
 田家[艸/別]の性質としては今のところ不明とのこと。

2.数値データベースの紹介

 データベースは簡番号、釈文、『嘉禾吏民田家[艸/別]』の掲載ページ(写真版・釈文)いうシンプルなもの。入力作業そのものは2001年に終了。しかし、釈文と写真版を比べるとあれこれ論ずる点が出てくる。例えば「丘ごとの納税者の偏り、年度ごとの記載情報の特徴」とか。こういったことはデータベースの副産物。
 さらに進んで、データベースを検索システムにとどめず、数値化し、田家[艸/別]全体を分析・利用する手段にしようという動きが出てくる。
 具体的には、阿部幸信・伊藤敏雄/編『嘉禾吏民田家[艸/別]数値一覧(I)』に載っている三つの数値一覧、(1)阿部幸信/編「嘉禾吏民田家[艸/別]田土額一覧」(2)伊藤敏雄/編「嘉禾吏民田家[艸/別]米納入状況一覧」(3)伊藤敏雄/編「嘉禾吏民田家[艸/別]における丘別・倉吏別米納入状況一覧」。この本のタイトルに「(I)」とあるのはまだ全部じゃなくごく一部で、全部は膨大な量とのこと。
 続いて『嘉禾吏民田家[艸/別]数値一覧(I)』の作成の背景について。田家[艸/別]は木簡一枚ごとに完結したものなので、できるだけ多くの複数枚のデータを抽出して比較検討する必要がある。田家[艸/別]のように田地の状況と課税の過程が詳細に表れている史料はなく、さらにそれが2000点以上もまとまっているので、数値データベースの手法が有効な手段の一つとしてでてきた

3.「嘉禾吏民田家[艸/別]田土額一覧」の活用事例─町数と畝数の関係を中心に─

 数値データベース、「嘉禾吏民田家[艸/別]田土額一覧」の活用例(一例)について解説。判別不能な部分も逆算して求めることもしてある。
 田地の数(町数)と田地の総面積について双方にについて判明するものを選別。
 「丘」が田地を含んだ一定の空間的広がりをもつものであるとしてここでは扱う。田家[艸/別]のその次の記載に身分と姓名が記されている。これが耕作者なのか納税者なのか不明。その次の課税と直接関係しない田地の数量まで記載された理由が不明。しかし、嘉禾4年・5年の長沙近辺の田地の数と広さを知ることが出来る。
 ここで面積を個数で割ることでその人物が工作していた個数あたりの面積(畝数/町数)をだすことができる。そうして出したデータの嘉禾4年全体をみてやると平均値が6.1畝、中央値が5.0畝とのこと。
 こういったデータを丘ごとにわけてやる。その結果がはじめに配られた附表。丘によって畝数/町数にばらつきが出てくる。つまり数字が大きいものと小さいものに分かれてくる。
 ここにどういった意味があるかというと、阿部先生が仮説を立てる。傾斜が比較的きつい丘では畝数/町数が小さく、平坦に近いと畝数/町数が大きくなると仮説。「丘」という名称が使われていても必ずしもそこが傾斜地であるとはかぎらないのではないか。

※清岡補足
 後日、コメントで仁雛さんから教えていただいたんだけど、ネット上に「走馬樓三國呉簡.嘉禾吏民田家[艸/別]資料庫」というデータベースがある。試しに今、地名で「下伍」と検索すると地名が下伍丘である木簡の出土編號、地名、人名、年代編號、内容(釈文)が項目としてあげられ表となってずらずらと出てくる。内容(釈文)はこの報告通りのフォーマットであることを追認できる。なかなか楽しい。

・走馬樓三國呉簡.嘉禾吏民田家[艸/別]資料庫
http://rhorse.lib.cuhk.edu.hk/

※追記 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)


 司会から、予稿集に質問用紙が挟んであるので、それに書き込んでもらうことで、午後のパネルディスカッションで質疑応答を行うとアナウンス。その関係か特にこの時間の質疑応答はなし。

・「長沙呉簡の世界」ノート2へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/425

※追記 走馬樓三國呉簡 嘉禾吏民田家莂資料庫

 

2005年『世界古典文学全集24 三国志』(筑摩書房)再版


  • 2006年9月28日(木) 12:46 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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書籍  三国志関連のコミュニティで結構、見かける質問に三国志(俗に言う「正史」の方)の完訳本(日本語訳)を教えて?ってのがあるけど、そういうとき、私だったら筑摩書房から出ている二種類をあげてみる。いわゆるハードカバー版と文庫版の二種類。下のリンク先参照。

・「正史 三国志の翻訳について」(サポ板内投稿)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=285

 上のリンク先には書いてないんだけど、実はハードカバー版は絶版になったとのこと。

・復刊リクエスト投票ページ(復刊ドットコム内)
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=1942

 まあハードカバー版がほぼそのまま文庫化されたんだし、値段も文庫版の方が安いので、ハードカバー版が売ってなくても問題ないようなに思えるが、個人的にはハードカバー版の方をおすすめする。というのも文庫版8冊に対し、ハードカバー版は3冊で、持ち運ぶには不便な大きさだけど、家で読む場合や何かを探すときには冊数が少ない方が使い勝手がよい。ちなみにハードカバー版の内訳は1冊目が魏書の大半で、2冊目が魏書と蜀書、3冊目まるまるが呉書となっているので、蜀書だけとか呉書だけとか調べたり読んだりするのには便利。呉書の巻末には年表やら官職表やら人名索引がついている(これは文庫版の方にもついているらしい)。
 さらにごく個人的な感想をいえば、ハードカバー版には『正史 三国志』なんて誤解をまねくようなタイトルはついていないところも良い(→参照記事「歴史と小説」

 そんなおりに見かけたのがこのハードカバー、つまり『世界古典文学全集24 三国志』(筑摩書房)の再販のニュース。といってもどうやら2005年のニュースらしい。下記のように於菟先生のブログ記事より。

・中国の文学と美学・人虎窟の世界
http://yellow.ap.teacup.com/kadowaki/
・「日本中国学会報・学界展望2005年「文学」(14)」
http://yellow.ap.teacup.com/kadowaki/428.html
※「(14)」は実際には丸に14が入った文字。機種依存性文字のためここでは書き換えている

 ここではごく端的な部分を紹介したけど「日本中国学会報・学界展望2005年」の記事全体はとても興味深いので、下にリンクはっておく。各記事の数字に直リンクしている。

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (再修正版)

 話を戻して、実際に筑摩書房のサイトに行って「三国志」と検索するとハードカバー版のばら売りの在庫はないものもあったが三冊セット販売は在庫があった。

・筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/

 ちょいとばら売りも含めデータをあげてみる。

○筑摩世界古典文学全集 三国志3冊セット
刊行年月日:1991年10月29日
定価:21,420円
ISBN:4-480-20399-0

○筑摩世界古典文学全集24A 三国志1
刊行年月日:1977年6月29日
定価:7,140円
ISBN:4-480-20324-9
 今鷹真・井波律子訳/訳

○筑摩世界古典文学全集24B 三国志2
刊行年月日:1982年2月18日
定価:7,140円
ISBN:4-480-20352-4
 今鷹真・小南一郎・井波律子/訳

○筑摩世界古典文学全集24C 三国志3
刊行年月日:1989年4月21日
定価:7,140円
ISBN:4-480-20354-0
 小南一郎/訳

 1冊目が1977年6月29日刊行で三冊目が1989年4月21日というのは驚き。それだけ全訳には労力と時間のかかるものなんだと思った。
 私が買ったのはおそらく3冊セット。学研歴史群像シリーズでそういう訳本があることを知って悩みつつも購入した覚えがある。当時は確か1冊5000円代で3冊セットでも18000円以内で買えたような記憶があるんだけど、消費税の関係上、高くなっている? ちなみに文庫版全8冊セットだと12600円なので、値段的に言えば文庫版の方が購入しやすい。

2006年9月28日ニンテンドーDS版「雀・三國無双」発売


  • 2006年9月26日(火) 18:06 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム 気付いたら、もう発売日が迫っているのか。
KOEIからニンテンドーDS版「雀・三國無双」が2006年9月28日に発売される。
KOEIの人気シリーズである真・三國無双シリーズのキャラクターが出てくる麻雀ゲーム。2006年3月23日にPS2版の「雀・三國無双」はすでに発売されている。
KOEIも徐々にニンテンドーDSへ自社タイトルを出しているなぁ。
詳しくは下記のリンク先へ。

・KOEI NINTENDO DS PORTAL SITE
http://www.gamecity.ne.jp/ds/
・ニンテンドーDS版 『雀・三國無双』
http://www.gamecity.ne.jp/ds/jmusou/

余談だけど、この「雀・三國無双」に「無双闘牌」モードというのがあって、それは真・三國無双シリーズの無双モード同様、ストーリーをすすめていくモード。
ただ無双モードでは人物を選ぶのに対し、こちらは魏伝、呉伝、蜀伝の三つから選ぶそうな。
しかしこのネーミング、あるゲームを連想してしまう。
そういえば、SEGAのニンテンドーDSのゲーム「三国志大戦DS」は2007年1月25日発売ってことで、KOEIの迎撃とも見て取れるな。

・2006年8月2日 「三国志大戦DS」公式サイトオープン
http://cte.main.jp/newsch/article.php/375

桑原隲蔵/著「支那史上の偉人(孔子と孔明)」


  • 2006年9月26日(火) 17:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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書籍  ちょいと自分の文体について悩むことがあって、青空文庫で古典を眺めようかとアクセスしてみる。

・青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/

 私はあまり青空文庫を利用しないので、来るたびに個人的な新たな発見をしてしまうんだけど(前回は捜神記の日本語訳だっけ)、今回も例外にならず、「分野別」ってところを見かけ、クリックする。それでさらに本来の目的を忘れ、「2 歴史」→「22 アジア史.東洋史」→「222 中国」とページを辿ってしまったんだけど、そこで目に付いたのが

・桑原隲蔵/著「支那史上の偉人(孔子と孔明)」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/card3537.html

 これって三国志学会第一回大会で狩野直禎先生が講演でおっしゃっていた文章(下記リンク先参照)だな、と思い出しつつ、読んでいた。

・三国志学会第一回大会ノート6
http://cte.main.jp/newsch/article.php/407

 公演中におっしゃっていた平田篤胤先生のエピソードが「支那史上の偉人(孔子と孔明)」に載っていることを確認。
 桑原隲蔵先生って「東漢の班超」の冒頭にも孔子と孔明のことを書かれているね。

2006年9月17日「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」ノート


  • 2006年9月22日(金) 12:08 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究

後から撮った会場の様子。開始10分前 2006年9月17日に長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」が開催されること、さらにそれは一般聴講可能だと聞き及び、前日、清岡は関西から東京入りする。
 当日、同じく関西からのしずかさんと共に東京メトロ丸ノ内線で会場となるお茶の水女子大学最寄り駅、茗荷谷駅に向かう。
 茗荷谷駅から歩いて北上し、途中のコンビニで飲料水を買いつつ、やってきたのはお茶の水女子大学の正門。正門近くのお茶の水女子大学附属高等学校で輝鏡祭(学園祭)をやっているようで華やか。
 それを尻目に会場となる理学部3号館へ向かう。前のスーツ姿の人の後をつけて、3号館の2階から入り、エレベータで7階へ。7階についてエレベータを出ると前は汲古書院などの店舗となっていて、そこから会場を探し歩く。
 7階は狭く細長い一本の廊下があるだけなので、少し階段を上がったりしつつそれをずんずん進んでいくと、廊下の突き当たりに受付があったので、受付をすまし、予稿集とレジュメを受け取り、廊下突き当たり左手の701教室へ入る。予稿集は「長沙呉簡研究報告」第1集・第2集と似た構成で、茶色の厚紙が表紙で、表紙が目次代わりとなっている。
 どこに座ろうかと、会場向かって右側の通路を通っていると、不意に仁雛さんに声をかけられ、軽く挨拶する。席を真ん中左寄り、前から四列目を確保。10時開始の10分前だけどまわりにあまり人が座っていないのが気になった。ほとんどの人は後や右の端っこの方に座っている。
 専門外の清岡は全く気付かなかったけど、しずかさんによると、入り口側、つまり会場向かって右側に席には著名な先生方がかたまっているとのこと。前日、同大学で「第6回魏晋南北朝史研究会大会」があったので、その流れかな、と話していた。

・「第6回魏晋南北朝史研究会大会」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/4182734

 当時もそうだけど、上記記事をみると興味深いので聴講しにいけばよかったと後悔。

 会場の様子は右上の写真のようになっている。プログラム等は以下の通り。【直前情報】長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」關尾史郎先生のブログ内記事)のほぼまる写し

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○長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」

日時:2006年9月17日日曜日、10:00~17:00
会場:お茶の水女子大学・理学部3号館7階701教室
主催:長沙呉簡研究会

総合司会:三崎良章(早稲田大学)

プログラム:
開会挨拶(10:00~10:10):窪添慶文(お茶の水女子大学)
主旨説明(10:10~10:25):關尾史郎(新潟大学)

報告I(10:30~11:05):阿部幸信(日本女子大学)「嘉禾吏民田家[艸/別]数値データの整理と活用」
 ※文字コードの表示上の都合から[艸/別]は「別」の字にくさかんむりをつけた字という意味、以下、同じ

報告II(11:10~11:45):小嶋茂稔(東京学芸大学)「後漢孫呉交替期における臨湘県の統治機構と在地社会-走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の記述の比較を通して-」

報告III(11:50~12:25):町田隆吉(桜美林大学)「長沙呉簡よりみた戸について-三国呉の家族構成に関する初歩的考察-」

昼食・休憩(12:25~13:30)

報告IV(13:30~14:05):王素(中国・故宮博物院)「中日長沙呉簡研究述評」

報告V(14:10~14:45):宋少華(中国・長沙簡牘博物館)「長沙出土簡牘的調査」

報告VI(14:50~15:25):羅新(中国・北京大学)「従〈呉簡研究〉看呉簡研究所面臨的困難」

・休憩(15:25~15:45)

パネルディスカッション(15:45~16:45)
 コメンテーター:朴漢済(韓国・ソウル大学校)

・閉会挨拶(16:50~17:00):伊藤敏雄(大阪教育大学)

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 また以下のリンクは開催後の記事

・長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界―三国志を超えて―」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/4174556


 それにしてもこのシンポジウム、タイトルに「三国志を超えて」とあるんだけど、個人的に史書である『三国志』にない情報がたくさん長沙呉簡に含まれているという意味で「超えて」だと思っていた。シンポジウムが終わった後、幸さんの話によると、三崎良章先生から「(このシンポジウムには)三国志はないですよ」というようなことを言われたとのこと。それをきいて清岡は、『三国志』を飛び「超えて」しまって通り過ぎたという意味で『三国志』はないんだ、なんてアホなことを思っていた。

・「長沙呉簡の世界」ノート1へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/421


※追記 新出魏晋簡牘をめぐる諸問題(2009年9月13日)

※追記 レポート:関プチ5 全国ツアー:6/22特別講座「新発見!三国志と日本」勝手に予習(2014年6月22日)  

2006年9月23日 100人の偉人2 美女編(日本テレビ系列の番組)


  • 2006年9月22日(金) 07:41 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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テレビ 日本テレビ系列で2006年9月23日土曜日の21時から2時間半程度にわたって「100人の偉人2 美女編 ニッポン人が好きな美女ベスト100発表」という番組が放送される。

・100人の偉人 美女編~ニッポン人が好きな100人の美人~
http://www.ntv.co.jp/ijin/index.html

前回、5月7日の「ニッポン人が好きな100人の偉人」では三国志に載っている人物として、68位 曹操、44位 卑弥呼、28位 諸葛亮孔明が出てきたけど、今回はどうかな? 案外、三国志平話や三国演義の登場人物、貂蝉が出てきたりしてね。

・2006年5月7日 ニッポン人が好きな100人の偉人(日本テレビ系列の番組)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/355

番組の紹介文をみると三国志の魏書三十 烏丸鮮卑東夷傳第三十にでてくる卑弥呼の登場は確定のようだ。住田裕子弁護士が演じるとのこと。
<追記>
卑弥呼は31位でした。一位は夏目雅子。
第三弾は天才編とのこと。すでに投票ができて選択肢にある三国志の人物は政治家に卑弥呼、武将・軍人・剣豪に諸葛孔明。
http://www.ntv.co.jp/ijin/index.html


・2007年1月5日 100人の偉人 天才編(日本テレビ系列の番組)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/477

2006年9月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン10月号)


  • 2006年9月21日(木) 08:01 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ

漫画雑誌の「月刊少年ガンガン」に「ブレイド三国志」ってのが連載されている。
原案・構成が真壁太陽さんで作画が壱河柳乃助さん
第四回「俺の屍を越えて行け」ね。

表紙には「ブレイド三国志単行本12月発売決定」という文字がある。おぉ、早くも単行本?
そしてもう一つニュースなのが2006年9月30日発売の『ガンガン・カスタム』で「ブレイド三国志外伝 グリフォン・ブレイド」が掲載される。こっちは趙雲ブレイドが主役とのこと。

話の前に物語の人物紹介と人物関係のページ、話の後にに三国志講座のページとバックアップ体制は万全。

・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
・2006年8月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/379

以下、ネタバレ含む。
前回に引き続き孫策と公孫[王賛]の戦いの続き。何か、一般人にも見ることができる軍馬の幻影みたいのが出てくる。
それで孫策ブレイドは歌手とのことで声で能力に目覚めることに。

孫策といえば大声っ!! 声で敵将を撃ち破るといわれるほどだった

というような解説じみたセリフが入るんだけど、大声といえば、後漢書公孫[王賛]伝に

為人美姿貌、大音聲、言事辯慧。

とあるようにどちらかというと公孫[王賛]の方なんだけど(汗)

ともあれ孫策が勝ち、孫策の父の孫堅ブレイドの話をからませつつ物語がとんとん拍子にすすむ。途中で張[合β]ブレイドがでてきたりと、物語に膨らみが出て来るんだけど……

これって今回で終わり?

あまり明記されていないけど次回予告もないし三国志講座も終わるし。『ガンガン・カスタム』で移籍ってことでOK?
<追記>
『ガンガン・カスタム』では読み切りなんで、一区切りついたってところだろうか。ジャンプ的にいえば「第一部 完」


・2006年9月30日「グリフォンブレイド」(ガンガンカスタムNo.01)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/432
 

2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売


  • 2006年9月20日(水) 12:12 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  三国志およびその注に名が出ている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビ中心の漫画。このコンビが奇々怪々な事件を解決するのが話の骨格。特に歴史事実に縛られることなくオリジナリティ豊かに描かれる。少女漫画誌である月刊ミステリーボニータに連載中。
 2006年4月14日の一巻に引き続き、「ふしぎ道士伝 八卦の空」(ボニータコミックスα)というタイトルで第2巻が発売された。
 まだ読んでいない人は今、読み始めるのがお得。2巻の頭が読みきりで登場人物の人間関係や性格もわかりやすいんで、2巻から読んでも充分、話についていけるけど、どうせだったら1巻と2巻まとめ買いして一気にじっくり読んでいきましょう。そうすると「八卦の空」の魅力ある物語世界に引き込まれることでしょう。

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
※2006年9月15日現在、2巻の表紙原画公開中

・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/

・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/

○それから上記二つのサイト内のブログの単行本2巻発売記事
・ふしぎ道士伝 八卦の空 2
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=383508
・書店用POPその1
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=640719
・書店用POPその2
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=641952
・ふしぎ道士伝「八卦の空」コミックス第2巻!!発売中!
http://bluefan.exblog.jp/3814124/

 1巻発売のときは行きつけの月刊ミステリーボニータが置いてある書店で置いてなかったんだけど、今回は人気がどんどん高まっているためか1巻と共に置いてあったので、発売日に購入できる。おかげさまで連休中の旅のお供にさせてもらった♪ 連載時に読んだけど、もう一度、通して読むと一巻の話の流れやら人間関係やらで話の深みを感じることができてさらに面白くなっていた。
 表紙は上記の他のサイトの記事にあるように1巻と同じく玄龍くんピン。前巻より華やかさがアップしてる。裏表紙に一巻と同様、管ちゃんの絵が入る。

・2006年4月14日「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/322

 それで今回の収録作品は最後のページにある「[初出一覧]」によると次のようになる。

[初出一覧]
県庁の怪:'05年ミステリーボニータ9月号掲載
僕の瑞星:'05年ミステリーボニータ10月号掲載
神亀:'05年ミステリーボニータ11月号掲載
書虫子:'05年ミステリーボニータ12月号掲載
巫炎(一)~(六):'06年ミステリーボニータ3月号~8月号掲載

※書虫子は「ほんのむし」と読む

 元々、それぞれの話にはタイトルがついていなかったので、そういうところも単行本化で楽しめるところ。連載時には各話のタイトルのところには「八卦の空」と入っていたんだよね。
 というわけで連載時に三国志ニュースでとりあげた記事にリンクを張っておく。ほとんど『2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売』の記事のまんまだけど。

○県庁の怪 '05年ミステリーボニータ9月号掲載 24p

☆管ちゃん&玄龍くんの子ども時代
○僕の瑞星 05年ミステリーボニータ10月号掲載 24p
○神亀 '05年ミステリーボニータ11月号掲載 24p

○書虫子 '05年ミステリーボニータ12月号掲載 28p

☆巫炎編
○巫炎(一) '06年ミステリーボニータ3月号掲載 32p
○巫炎(二) '06年ミステリーボニータ4月号掲載 32p
○巫炎(三) '06年ミステリーボニータ5月号掲載 32p
○巫炎(四) '06年ミステリーボニータ6月号掲載 32p
○巫炎(五) '06年ミステリーボニータ7月号掲載 32p
○巫炎(六) '06年ミステリーボニータ8月号掲載 32p

 今回、単行本のページの都合上、掲載されなかった話は'06年ミステリーボニータ2月号。3巻のオープニングを飾るのかな?

○ '06年ミステリーボニータ2月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/263

 私は'05年ミステリーボニータ9月号から「八卦の空」を見始めたので、それがまるまるコミックになったのでとても感慨深い。
 それから単行本に挟まれているチラシは何気にアンケートもついているんで、それに八卦の空のことを書いてハガキに貼って出版社に送ると良いかも。

<次巻>『ふしぎ道士伝 八卦の空』3巻発行(2007年6月15日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/626

※追記 イケメン“三国志”特集!!(ミステリーボニータ2010年12月6日)

文物圖象研究資料庫 全文檢索


  • 2006年9月16日(土) 22:22 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史  9月17日に長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」があってそれに一般聴講しにいくんだけど、それにおつむを無理からにでもあわせるため、最近は暇を見つけて「長沙呉簡研究報告」第1集や第2集に目を通している日々だ。
 そういえばよくよく思い出してみると、こういう出土資料に目を向けるようになったのは、昔からもっと当時の息吹を感じられる資料を欲していたのは確かだけど、決定的になったのは籾山明/著「漢帝国と辺境社会」という本のおかげ。こんな小さく手軽に持ち運べる本なのに得る物が多すぎる。対象となる時代は前漢時代と三国時代より古いけど、三国創作に携わる人は是非、読んで欲しい本。

・籾山明/著「漢帝国と辺境社会」
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=165

 その本でここで多くとりあえられているのが居延漢簡。エチナ河流域で発掘された漢代の木簡。漢代では「居延」と呼ばれる地域で発掘されたので居延漢簡と呼ばれるとのこと。

 その木簡の内容を含め、いくつかの出土資料に書かれた文を検索できるウェブページがあることを思い出す。一度、見かけブックマークしてそのままだったんだけど、今改めてとなかなか面白いページ。中央研究院歴史語言研究所の文物圖象研究室のサイトの一コンテンツだ(下記)。検索元となる文献も検索結果として出てくる。

・中央研究院歴史語言研究所 文物圖象研究室
http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/index.html

・文物圖象研究資料庫 全文檢索
http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/search.htm

 これだけだとわかりにくいんで、このサイトを知るきっかけとなったサイトとそこを紹介したページをあげておく。

・睡人亭
http://www.shuiren.org/

・文物圖象研究資料庫マニュアル
http://www.shuiren.org/chuden/toyoshi/zuzou/index-j.html

 以前、紹介した曹全碑の全文を検索できたり、当時の成人女性の名前の例を知りたければ「大女」というワードで検索をかけたり、あれこれ楽しむことができる。

 長沙呉簡の内容も将来的にこうやって検索できるようになるといいんだけど。


※追記 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)

※追記 リンク:「漢代における郡県の構造について」

※追記 メモ:「功次による昇進制度の形成」

※追記 第24回下鴨納涼古本まつり(京都古書研究会2011年8月11日-16日)

2006年9月16日演劇「徳島三国志」


  • 2006年9月15日(金) 12:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ショー  最近、「徳島三国志」という検索ワードが多くて、てっきり去年の徳島城博物館の「三国志展」を今頃になって検索されていると思って再検索しなかったが、違った!
 徳島ニュービジネス協議会設立10周年記念事業の一環(徳島ビジネスチャレンジメッセ2006の一環)で、協議会の会員有志が2006年9月16日に徳島ビジネスチャレンジメッセ会場で演劇をやるとのこと。詳しくは下記サイトの「設立10周年記念事業」の「徳島三国志」を参照のこと。

・徳島ニュービジネス協議会
http://www.tnbc.or.jp/

以下、演劇情報引用。

--------------------------------------
2006年9月16日(土)
開場:午後1時 開演:午後1時 30分
場所:徳島ビジネスチャレンジメッセ会場
    (アスティとくしま 3階)
--------------------------------------

 それで、ポスターがどこか別の土地、別の時代っぽかったので、そのまんま三国志関連の演劇かと思ったら違った。以下の徳島ニュービジネス協議会のページからの引用のように現代劇とのこと。

--------------------------------------
協議会の会員有志が、経済問題をベースにした演劇を上演します。
※現代劇です
--------------------------------------

 キャスティングをみると、○○社長役とか○○専務役とか女子社員A役(笑)とか見えるんで、もろ現代劇。
 それからあのポスターの拡大画像と制作話とかが下記のブログの記事で見ることが出来る。よく見ると、現代的な物を手に持っているのか。

・【ほぼ日刊】デザインな現場
http://adfahren.jugem.jp/
・【演劇】徳島・三国志
http://adfahren.jugem.jp/?eid=223

2006年9月5日「三国志大戦2」Ver.2.01にバージョンアップ


  • 2006年9月14日(木) 21:56 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム

 未だに「三国志大戦2」を「三国志対戦2」と誤って検索してくる人が後を絶たないので、啓蒙の意味でも記事を書いておこう。
「三国志対戦2」は微妙に字が間違いってるぞ。早く気づけよ。この情報社会で大きく損してるぞ

さて、三国志大戦公式サイトによると、9月5日より三国志大戦2がVer.2.01にバージョンアップした。群雄伝に董卓伝と袁紹伝が目新しいな。つかますます真・三國無双かその猛将伝の無双モードを連想してしまうんだけど。

・三国志大戦2公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/

・Ver.2.0
http://cte.main.jp/newsch/article.php/343

・DS版
http://cte.main.jp/newsch/article.php/375
 

三国志漫画劉備くんファンブック(仮)


  • 2006年9月14日(木) 21:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  2006年7月27日にサイト「曹洪の三国志」が更新再開しネットでしか読めない漫画、「三国志漫画劉備くん」の連載も再開し、すぐに86話、87話が公開され、現在、もう90話まで公開されている。
 まったくの未見の人は騙されたと思って、先入観なしに読みすすめるのをお勧めする。

・サイト「曹洪の三国志」
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Cell/6435/

・2006年7月27日 「曹洪の三国志」再開
http://cte.main.jp/newsch/article.php/372

 そんな「三国志漫画劉備くん」だけど、実は公式ファンサイトがあるぐらい人気なのだ。

・「三国志漫画劉備くん同盟」
http://f13.aaa.livedoor.jp/~ryubikun/

 そのファンサイトで9月2日に持ち上がった企画が「三国志漫画劉備くんファンブック(仮)」を作ろうって企画。まだ企画が持ち上がったばかりなので、「本のタイトル」やら「本の方向性」やらを公募している段階。掲示板にツリーが立っているので、何かアイディアがあればそこに書き込めば良いかも。

三国志学会第一回大会懇親会


  • 2006年9月13日(水) 22:36 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 ・三国志学会第一回大会ノート6の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/407

 三国志学会第一回大会は17時に予定通りに無事終了。
 プログラム通りだと18時から希望者は懇親会だ。
 ここで渡邉義浩先生によるアナウンス。それによると、余裕を持って17時半に終わると考え、その後の予定もその通りに組んだとのこと。懇親会の会場は大東文化大学の板橋キャンパスになるとのことなので、そこまでチャーターしたバスで移動する手順。予想外にきちんと時間通りに終わったので、30分程度、大東文化会館での待ち時間となる。

 とりあえず清岡KJさんやらUSHISUKEさんやらげんりゅうさんやらミミまろさんやらたいがあさんやらそれぞれとしゃべったりしていて時間をつぶしていた。何の話してたっけ? USHISUKEさんとKJさんが全国津々浦々に我々のような三国志ファンの集まりがあるはずって話かな。そういった草の根の集まりと連絡をとりあって連携をとりたいなぁなんて言っていた。それは必ずしもネットにつないでいる集まりではないからどうやって把握しようって話かな。清岡は実現性を考えないと前置きをおいて我々がイベントやら講演やらの巡業をすればいいんじゃない?なんて言ってた。あとミミまろさんとは清岡が手に持つ礼記の訳本を元にした話(殿下、陛下の語源をお聞きしたり)、たいがあさんとはやっぱりテイラー訳の種本の話をしていた。
 時間になって呼びかけがあったんで、地下のバス発着場に降りると、大型のバスが二台きていた。みんなで同じバスへ乗り込む。

 大東文化大学板橋校舎に到着し、案内されたところは食堂みたいなところ。「大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot」とのこと。

○懇親会(18時-) 会 場:大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot

 そこにはテーブルが10ぐらい用意されていて、みなさん、用意された荷物置き場に荷物をおいて、自由にそれぞれのテーブルへ陣取る。
 案の定、我々6人だけが一つのテーブルにかたまった。

 そして懇親会は、沈伯俊先生からの乾杯のご挨拶から始まる。
 一同「乾杯!」、そして満場拍手。
 懇親会のお料理はバイキング形式+立食パーティー形式。こういうときは清岡は話すよりも何よりも真っ先にお料理を取りに行く(汗)

 遠目で岡崎先生を見かけたので、宣和堂電網頁のオフ会の受け売りな上に冗談で、げんりゅうさんに「田中芳樹先生のこと、聞いてきてくださいよぉ」なんて言っていた(私自身、田中芳樹先生のご著作をまとまって読んでいないので実行できなかったが)。
 それから6人であれこれお話。この6人だと三国志関連のネットの話とかネット上の知り合いの話とかの話になりがち。

 それで我々6人専用と化していたテーブルへの初のお客様はKJさんのお知り合いの池田雅典さん(※清岡は初対面だったので初め誰だかわからないでいた)。今回、スタッフをされていて、あれこれ裏方のお話をしてくださる。
 その次のお客さんが11歳の女の子とそのお母さん(と思われる女性)。実は三国志学会第一回大会の会場でこのお二人のすぐ後ろに我々が陣取っていたので、どの講演でもこの女の子が熱心にノートをとっていたのを我々は知っていた。
 それで我々のところへ来た用件というのが、USHISUKEさんが質疑応答で名乗った「NPO三国志フォーラム」についてそれは何の団体かって聞きに来たとのこと。ということで代表者のUSHISUKEさんに説明してもらう……ってまだ団体の実体はほとんどない(汗) それでメンバーのサイトなどを紹介したり。「NPO三国志フォーラム」のお客さん第一号だ。
 その後、その女の子は「三国志の舞台」という本を手に作者の田中靖彦先生の元へサインを貰いに行っていた。

 その後、我々6人のところへ来たお客さんは仁雛さん。清岡とあれこれ話をした。それにしても国際シンポジウムの定義は外国人の方が参加していたらそういうことだとのこと。それから画像石を使う場合の著作権の話とか(まるまるスキャンはその絵の著者や撮影者の著作権に抵触するので駄目だけど、スケッチだとOKだとか)。あと仁雛さんとげんりゅうさんとに意外なつながりがあったことが判明。しばしお二人でローカルトークで盛り上がる。その後、仁雛さんはKJさんと三国時代の地理関連の話をされていた。

 お次のゲスト(?)はビッグなゲスト。USHISUKEさんのところへ澤章敏先生がいらっしゃる。やっぱりこれも質疑応答がきっかけになってるね。場所が遠かったので何を話していたかわからなかったけど、結構、長い間、熱心にUSHISUKEさん、聴いていたなぁ。

 19時ごろ、狩野直禎先生による三国志学会第一回大会に対する総評が入る。おっしゃるとおり会を追うごとに会員が増えると良いなぁ。

 それから誰か確認とってないけど、たいがあさんのところへお客さん。こちらもやっぱり質疑応答がきっかけになってる。
 狩野先生の総評をまたいで、仁雛さんとKJさんと熱心に話していて、さらに清岡が加わり交代し(笑)、結構、長い間、あれこれ話していた。「漢代の文物」が共同研究の成果の本だから市販されていない幻の書だったとか、画像石に異民族はなかなか書かれていないとか、学生を中国に送り込む方式(?)とかあれこれ。

 その後、また6人で話していたんだけど、ここで、たいがあさんからネット関連のビッグニュースをきく。さっそくその夜……というかオフ会への移動最中、三国志ニュースの記事にしたんだけどね。



 20時ごろ、そうこうしている間に懇親会も終了の宣言。
 帰り方の概要が説明された後、石井仁先生から締めの挨拶。
 「この席は三国演義でいうところの桃園結義」とおっしゃり場内をわかせる。満場拍手。
 その後、渡邉義浩先生が「来年は三顧の礼1800年記念でございますから、来年もお会いしたいと」と場内をわかせ、さらに「再来年は赤壁の戦いで」とさらに場内を沸かせ、解散。

 お別れの挨拶をそれぞれの人に言って、スタッフの方が先導してくれる帰り道にそれぞれ別れる。
……とそのまま6人、別れるはずだったんだけど、仁雛さんのこの後、飲みに行くのかって質問になぜか再結集する。USHISUKEさん、げんりゅうさん、KJさん、清岡、ミミまろさん、仁雛さんの6人が池袋で軽く飲みに行くことに(清岡が乗る夜行バスの出発時間がリミット)。
 スタッフの池田雅典さんが先導するままに東武練馬駅行きのバス停へ向かって歩き出し、会場を後にした。


・第3回三国志シンポジウム 雑感(2007年7月28日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/661


<次回>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/679

(中国情報局のコラム)名場面と人物で見る三国志(1)~(8)


  • 2006年9月11日(月) 12:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  サイト「むじん書院」の即席掲示板で気付いたんだけど、ポータルサイトの中国情報局(サーチナ、searchina)で慶應義塾大学非常勤講師の伊藤晋太郎先生による「名場面と人物で見る三国志」というコラムが月一程度のペースで連載されている。ちゃんと歴史上の話をふまえた上で三国演義に込められた意味や時代背景について触れられていて面白い。

・中国情報局
http://searchina.ne.jp/
※リンク規定をみると、トップページ以外のページには連絡しないといけないんで、例のごとくトップページだけはっときます
 上記サイトの検索フォームで「三国志」(ニュースのところ)って入力して検索してください。

○名場面と人物で見る三国志
(1)2006/06/11(日) 14:06 桃園結義と劉備:一貫して「政を為すに徳を以てす」
(2)2006/07/09(日) 14:26 連環の計と貂蝉:悪女から中国四大美女の1人へ
(3)2006/08/13(日) 17:44 千里独行と関羽:死後には神に、顕彰された忠と義
(4)2006/09/10(日) 15:20 三顧の礼と諸葛亮:劉備に指針を与えた天下の奇才


 内輪の話だけど、三国志ニュースで「三国志学会第一回大会ノート5」という記事を書いて以来、http://www.google.com/ とかからやたら「伊藤晋太郎」というワードで検索されてくる方が多かったので、どうしてかな、と思ったら、中国情報局でコラムを連載している先生だったんだね。というか、私、コラムに気付くの遅すぎ(汗)
 あと、コラムの記事中で何気に三国志学会の宣伝をしているのが何だか微笑ましい。


11月15日追記
○名場面と人物で見る三国志
(5)2006/10/08(日) 15:54:01 博望坡の戦いと諸葛亮:デビュー戦で見せた神算
(6)2006/11/12(日) 15:58:00 長坂の戦いと張飛:美男子説もある勇猛な豪傑

 最近、「張飛」とセットで「美人」やら「美女」やらの検索が続いたと思ったら、これが原因ね。

2007年1月22日追記
○名場面と人物で見る三国志
(7)2006/12/10(日) 16:36:01 赤壁の戦いと曹操:文学にも秀でた中原の覇者
(8)2007/01/21(日) 15:58:04 荊州争奪戦と周瑜:小説では割を食った設定に


<2007年5月20日追記>
(9)2007/02/18(日) 12:20 単刀会と周倉:関羽の脇侍として祀られる
(10)2007/03/18(日) 15:32 荊州失陥と関羽:独断で出陣した真の目的
(11)2007/04/22(日) 15:56 諸葛亮の北伐と姜維:小説では諸葛亮を破る
(12)2007/05/20(日) 15:02 夏侯覇の投降と張飛:張飛と曹操は親戚?

「張飛と曹操は親戚」というと三国志ファンの騒動を思い出すけど、そういうダーク面はさすがに触れられていない。当たり前か。。。

※参照記事
・2005年3月28日 別冊宝島1133 三国志 僕たちの英雄伝説
http://cte.main.jp/newsch/article.php/94

「名場面と人物で見る三国志」自体12回で連載終了とのこと。

※関連記事
・(中国情報局のコラム)「名場面と人物で見る三国志」完結
http://cte.main.jp/newsch/article.php/594

三国志学会第一回大会ノート6


  • 2006年9月10日(日) 23:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 ・三国志学会第一回大会ノート5の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/405


 司会の渡邉義浩先生から狩野直禎先生の紹介が入る。狩野先生がご著作の『諸葛孔明』を書くに至ったか、のご講演とのこと。

○狩野直禎(三国志学会会長、元京都女子大学学長)「私と三国志」

 レジュメは縦書き手書きの5枚。ある意味、貴重なレジュメ。

 先祖は熊本肥後。(転勤族の)父親が初めて東京に赴任したときに狩野先生がお生まれになったとのこと。大半は京都にいらっしゃったとのこと。
 小学校5年生のときに再び東京へ転勤。夏休みに引っ越し。そういう意味で友達がいなかったので両親が佐藤春夫/著『支那文學選』(新潮社、新日本少年少女文庫14)を買ってくださったとのこと。
 ここで狩野先生が初めて三国志の存在を知ったとのこと。そこのエピソードは「天下の英雄は君と僕だけさ」「五丈原の戦ひ」など。そこの解説では三国時代は我が国の神功皇后の時代、と解説があったそうな。さらに引用した書物の簡単な解説があるとのこと。そこに『三国志演義』と『三国志』の解説があったそうな。狩野先生がこの本で印象に残ったのは「故郷(ふるさと)」と題したもの。魯迅の「故郷」を訳したもの。
 1942年3月に小学校卒業。
 当時は義務教育6年間。狩野先生は東京の中学校進学。当時の主要教科は英数國漢だそうな。現代では考えられないが漢文の授業があった。教科書は簡野道明『新修漢文』。最初は簡単だが(江戸時代に書かれた漢文)、十八史略など入ってきて、曹植「七歩詩」などがあったそうな。歴史(社会の一つじゃなく独立している。)は一年が日本史、二年が東洋史、三年が西洋史、四年がふたたび日本史だったとのこと。そのとき二年の教科書は羽田亨『中等東洋史』とのこと。仏教がらみでインド史が入ってくる程度。三国時代も当然、入ってくるが30分か1時間程度。
 1944年で中学三年生。労働に使われたりしたそうな。狩野先生は防空壕の木材を運んだりしたとのこと。そのため西洋史については勉強する機会がなかったそうな。そのうち空襲が始まる。京都に帰る。京都府立の中学に転校。戦争が終わったら終わったで車掌として労働にかり出されていたとのこと。
 その後、出師表について授業を受けたそうな(教科書、土井晩翠『星落秋風五丈原』)。祖父が手紙で書き下し文を送ってくれたとのこと。後年、狩野先生の『諸葛孔明』でその文をそのまま使ったとのこと。
 京都の高等学校に進学。高等学校の一年生は日本史、二年生は東洋史、三年生は西洋史。東洋史の授業の先生は羽田亨先生のご令息だったそうな。そのときの夏休みの宿題が内藤虎次郎『中國中古の文化』(1927年の授業が本になったものとのこと)を読むようにというもの。当時は紙は悪いし内容が難しいし読みづらいものだったそうな。感想文提出。その中の項目で「曹操の文学趣味」「曹操の矯正策」「諸葛亮の矯正策」というのがあったとのこと。岡崎文夫『魏晋南北朝通史』を読んだそうな。
 大学へ進学(当時は高等学校進学の方が難しいそうな)。狩野先生は哲学に行くか、文学に行くか、史学に行くか迷ったとのこと。結局、東洋史学へ。狩野先生は四川省に興味をもつ。那波利貞「文化史上より観察する四川省成都」(歴史と地理 十二巻五号・六号)、久村因(ちなみ)の諸論文(漢代の地名に詳しい)。大庭脩「秦の蜀地経営」(卒業論文→竜谷史壇33号、1950年)。卒業研究は蜀漢か五代十国がまよったが、結局、その両方を含む○○伝説の研究(※聞き取れず)。三国志の研究に近づく。
 1953年に大学を卒業。そのころに小川環樹・金田純一郎/訳『三国志』(岩波文庫、1953年、※三国演義の訳) 旧制大学院に進学。一切、単位なし。そのころに川勝先生の論文が書かれる。
 川勝義雄「曹操軍団の構成について」(京都大学人文科学研究所創立二十五周年記念)、その中で曹操軍団の構成は任侠的結合である、とかかれていたとのこと。同じ頃に宮川尚志先生が京大に来られる。
 宮川尚志「三国呉の政治と制度」(史林38巻1号、1955年)
 狩野先生はちょうどそのとき史林の編集委員だったとのこと。この論文の構成などをしたとのこと。
 吉川幸次郎「曹氏父子伝」(世界121~132 6回 1956年)。この中の文を読まれる。内容は、我々は曹操を三国演義的な人物像を想像するが、それは正しくない、とかそういう旨。
 1957年に狩野先生はある論文を書き上げる。それが狩野直禎「後漢末の世相と巴蜀の動向」(東洋史研究15巻3号、1957年)。その書き上げた直後に、吉川幸次郎「曹植兄弟」(新潮55巻、1958年)の連載が始まる。その後、1962年に吉川幸次郎「三国志実録」(筑摩書房)刊行。時代区分論争に関連し、「魏晋から中世なのか?」と吉川先生から三ヶ月も質問を受けた、という話。
 その後、五斗米道の話も含めた論文、狩野直禎「蜀漢政権の構造」(史林42-4、1959年)を書き上げたそうな。このころ、狩野先生は京都大学東洋史辞典編纂会『東洋史辞典』(東京創元社、1961年)の出版(下請けの仕事)に携わる。ここでいろんなことを勉強したとのこと。
 そのころから狩野先生は聖心女子大学の小林分校に就職。そこで二年間勉強すると短大の資格が貰えるとのこと。その時期に狩野直禎「華陽国志の成立を廻って」(聖心女子大学論叢21、1963年)を書き上げる。狩野直禎「後漢時代地方豪族の政治生活」(史泉22、1961年)という論文を書く。これは[牛建]為郡の張氏について書かれていて、三国時代から離れて後漢時代だとのこと。
 狩野直禎『両漢學術考』(筑摩書房、1964年)。吉川先生から言われた仕事とのこと。元は1924年の講義。後漢における老荘思想の萌芽。
 宮崎市定先生が定年を迎える。普通は定年記念で論文集ができるが、人物往来社から中国人物叢書の企画があがる。第一回配本は随の煬帝で宮崎市定先生ご自身の著。第二回配本は「諸葛孔明」で狩野先生に割り当てられる。狩野直禎『諸葛孔明』(人物往来社、中国人物叢書2、1966年)。これに書くに当たって参考にした本がレジュメに書かれている。内藤虎次郎『諸葛武侯』(東華堂 1897年)。これは劉備がなくなった時点で終わっている。つまり未完。非常に細かく優れた内容。内藤先生は三顧の礼を否定。杉浦重剛・猪狩又藏『諸葛亮』(博文館、1913年)。古本屋で購入。宮川尚志『諸葛孔明』(富山房、支那歴史地理叢書、1940年)。植村清二『諸葛孔明』(筑摩書房、1964年)。
 桑原隲藏「孔子と孔明」。これは「支那史上の偉人」というタイトルで1923年に大阪の懐徳堂で講演したときの紀要。のちに『東洋史説苑』(弘文堂、1923年)におさめられる。そこには桑原先生が「至誠一貫してその行動に一点の不純をも認めぬ」と断定。その中で中国嫌いの平田篤胤先生が「孔明の生涯の中で尤も感激に堪えぬのは、実に成敗を度外に北伐を実行して義務に殉じた時にある」と紹介されているとのこと。
 その後、狩野先生は森鹿三/編『東洋の歴史』第四巻「分裂の時代」(人物往来社、1967年)で「三国の鼎立」、「西晋から東晋へ」、「民族の大移動」の章を執筆されたとのこと。それと平行して狩野直禎『魏晋學術考』(筑摩書房、1968年、1926年の講義内容)を執筆。狩野直禎『支那文學史』(みすず書房、1970年、1908年の講義内容)を出版。これは六朝文學。狩野直禎「李固と清流派の進出 田村博士頌寿 東洋史論叢」(1968年)を執筆。これはタイトル通り三国時代の前の話。狩野直禎『「三国志」の世界─孔明と仲達─』 清水書院、1971年 人と歴史東洋5。孔明についてそれ以前に書いたので、仲達を入れたとのこと。

○質疑応答

 質疑を呼びかけたものの、特になかったので、「ご講演ということで質疑はなし」ってことで終了。満場拍手。


・三国志学会第一回大会懇親会へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/409

2006年9月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ10月号)


  • 2006年9月 6日(水) 23:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    1,985
マンガ  月刊の漫画雑誌、ミステリーボニータ(秋田書店)に連載中の「八卦の空」。三国志およびその注に載っている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビがオリジナリティ豊かに漫画で描かれていている。
 前々号で巫炎シリーズが終わり。一区切りついて、前号が休みだったので、二ヶ月ぶりの「八卦の空」。読み切り。

・前回
http://cte.main.jp/newsch/article.php/363

 今月15日に単行本2巻の発売が控えているので単行本情報がミステリーボニータ10月号に散らばっている

・2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/362

 連載の扉絵の1ページ前には単行本情報がある。よく見ると「★厚くて評判の1巻よりさらにもっと厚くなって読みごたえもたっぷり!」とあるんだけど、1巻よりさらに厚くなるんですか?!
 あとミステリーボニータ10月号の裏表紙をめくったところがカラーのコミック最新刊情報。ここに何気なく「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻の表紙絵が描かれてある。これって初公開?!

 で、本編。ネタバレなくご紹介。
 表紙が劉朱姫の絵が大きく出ていて「今回はあたしが主役です!!」とか書かれていたので、おぉ他のサブレギュラーキャラが掘り下げられる?!と思ったら、よく見たらその後に「……ウソ。」って書かれていた(笑)
 とはいっても、劉朱姫は冒頭と末尾で活躍して居るんでキャラに深みがでている感じ(冒頭あたりで一瞬、テレビドラマの「トリック」みたいな展開になるかと思った)。
 初登場の陸 采美、いい味だしているキャラだなぁ。影のある出自だとか。


 本筋とは関係ないけど、それにしても管ちゃんがなぜ椎の木の上のことを知っていたのか、キャラを壊してしまうようなことを想像してしまうんだけど(汗)。まぁ、占いには鋭い観察眼が必要不可欠ってことかな。


※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※ここに、最近、前にもまして活発な「お絵描き掲示板」に描き下ろしイラストあり。

・ミステリーボニータ10月号に「八卦の空」 神女の恋人(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=377841


・2006年10月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ11月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/422

三国志学会第一回大会ノート5


  • 2006年9月 3日(日) 18:19 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 ・三国志学会第一回大会ノートお昼休みからの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/402


 14時に定刻通り始まる。


○劉世徳(中国社会科学院教授)、通訳 伊藤晋太郎(慶応義塾大学講師)「『三国志演義』嘉慶七年刊本試論」


 今回はレジュメというより「≪三国志演義≫嘉慶七年刊本試論」という11ページの論文が配られている。それはタイトルも含め簡体字で書かれている。以降、ここで表示できる漢字に置き換える。
 劉世徳先生は中国の三国志演義学会の会長でだそうな。司会の金文京先生によると、中国の古典小説研究の権威とのこと。
 講演のスタイルは前日の劉先生の大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」と同じくまず劉先生が中国語で話し、随時、その後に通訳の伊藤先生が訳されていくというものだ。

 なぜ劉先生が三国演義の版本について研究しているかのお話。三国演義の版本については日本の方が先を行っていて、中国人の方も急いで追いつかないといけないとのこと。そういう考えの元、一人に日本人学生(博士課程)をとったとのこと。もちろんその学生は版本研究。彼の論文は優秀だと評価されたので、研究所では彼を版本研究にとどめようとしたそうな。ところが彼はその研究所から去ることになったとのこと。その理由は彼が結婚することになったんだけど、彼は家を貰えなかったからとのこと。その後、彼は商売替えし、三国演義から完全に離れてしまったとのこと。
 その後、劉先生自ら、版本の研究をすることになったとのこと。

 劉先生が今まで嘉慶七年刊本の研究をしてきた理由。その版本というのは希なものだから。イギリスの学者、アンドリュー・ウエスト(論文の除魏安?)の「三国演義版本考」という本によると、嘉慶七年刊本はアメリカのハーバード大学にしかないとのこと。その版本というのは紹介する価値がある。

 その版本の特徴は福建省の建陽というところで清の時代(嘉慶七年)に刊行されたとのこと。
 嘉慶七年刊本は二つの版本の流れが合流している性質がある。この趨勢は明代の終わりから清代の初めに始まった。福建省の建陽にあった出版社のあるものが南京の方へうつった。本来は上三分の一が絵で残り下三分の二が字だったんですが清代になりその形式を捨て去った。この時代の版本は毛宗崗本にどんどん近づいた。この版本は毛宗崗本についてた絵を移植している。また金[又/土][口又]という有名な文芸評論家の名を勝手に使っている。毛宗崗本に近づいているのに毛宗崗本とは称されていない。福建省の建陽の版本は風下におかれていて絶体絶命の状況にあった。
 嘉慶七年刊本は12幅(12枚)の絵がある(論文にその人物が書かれている。昭烈帝、張飛、諸葛亮、趙雲、姜維、曹操、張遼、許チョ、呉大帝、周瑜、魯粛、司馬懿)。その中に関羽だけ居ない。

 明代、関羽は重きを置かれていた。嘉靖本とその復刻本の区別がある。嘉靖本には関羽がどのように殺されるか詳しく書かれている。復刻本ではそういう場面がない。どう書き換えられたかというと、天から関羽を呼ぶ声(「はやくおいでよ」)がした、というふうに書き換えられている。このように明代には関羽を尊重して書き換えが行われている。同じように関羽の名前もでず「関公」と置き換えられている。それに対し、嘉慶七年刊本では関羽の絵がなくなっている。明代から清代の初めにかけて関羽を神様にする機運が高まっていたが、嘉慶年間になると関羽崇拝のブームが覚めてきた。
 嘉慶七年刊本は簡本(二十巻)であり、福建の本は簡本と繁本の二種類に分かれる。それら簡本は「志伝」と「英雄志伝」の二種類がある。嘉慶七年刊本を劉龍田刊本と黄一鶚刊本とで比較した。論文の比較は全面的ではないかもしれない。

 次に論文の構造と結論についての話。
 論文は八つの部分で構成。一は概況。二はいくつかの注意点。ここで四つの問題について述べている。一つ目は嘉慶七年刊本に書かれた作者の出身地が間違っている。二番目に関羽がいない点。三つ目は誤字が多い。四つ目はコスト削減のため臨機応変的な処置をとっている。
 三番目のテーマはこれが福建省の出版なのかどうか。三つの問題。一つは劉先生は福建省出版と認識している。その理由は書店、序文の作者や巻の構成などから。三つ目は二つの可能性がある。一つの可能性は福建の書店が出版した。二つ目の可能性は余所の書店が福建の古い版本をつかって出版した。
 四番目のテーマは三国演義第240節の題名について述べられている。三つの問題について述べている。一つ目は目次と本文の題名の不一致。二つ目は第139節、本文に関索は出てこないが、本の先頭にある目次には関索の文字が見える。三つ目は節のタイトルに誤字が見られる。→黄一鶚刊本によく似ている。
 五番目のテーマ。一部分をみて全体を判断する、其の一。235節の本文を例にとって述べている。いろんな本を比べ文字を見ると「簡本」に分類。他の簡本に比べてもかなり簡略化されている。
 六番目のテーマ。一部分をみて全体を判断する、其の二。33節と175節の末尾。33節の最後の部分には三つの違いがある。嘉慶七年刊本は明代の黄一鶚刊本の系列の簡略化された本と同じ。
 七番目のテーマ。一部分をみて全体を判断する、其の三。関索の挿話について述べている。結論。嘉慶七年刊本は基本的に黄一鶚刊本、明代の劉龍田刊本と同じ。別の系統にある周曰校刊本とは異なる。
 八番目は終わりに。すでにお話ししたのでここでは繰り返さない。


○質疑応答

 たいがあさんからの質問。三国志演義の版本について、日頃から疑問に思っていたことの質問。三国志演義の英訳(テイラー訳)について。英訳本と和訳本(小川環樹訳)とに内容が食い違う部分がある。例えば三顧の礼のシーンで諸葛亮が吟じる詩のところ。
※ここらへんは「三国志ファンのためのサポート掲示板」で出ていた話題なので以下のリンク先を参照のこと
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2023
これら二つは版本が元々違うのか?

→司会の金文京先生が(和訳の話なので)劉先生には答えることはできないとし、まず話の確認から。小川環樹訳は毛宗崗本とのこと。それから誰がおわかりになるか? と呼びかける。しばし二、三人からの中国語が会場に響き渡る。
(※中国文学のイギリス人の訳と日本人の訳について中国人と韓国人が中国語で話し合っているのを多くの日本人が静かに見守るという何とも国際色豊かなシーンだと清岡は内心思っていた)
司会の金先生は「それは面白い問題ですね」と話す。
→(劉先生の中国語の話を金先生が日本語に訳して)まとめると、結論としてはお答えできない。なぜなら劉先生自体、英訳も和訳も見ていないから。一般的な状況としてそれらは毛宗崗本に基づいて訳されている。毛宗崗本と一言にいってもそれは複雑で毛宗崗本の中でもいろんな違いがある。もしかすると英訳と和訳とでは元にした本が違うのかも。もし同じものに基づいていたら違いは起こらないだろう、と劉先生は信じているとのこと。明らかな例をあげると毛宗崗本では冒頭で詩があげられているが、本来の羅貫中のにはなかったここらへんは{前日の三国志シンポジウムの基調報告にあった話だ)
→さらにここから実際に諸葛亮の詩の違いについての確認。英訳にあたるような版本はない、とのこと。意訳ではないか? この間、やっぱり中国語が飛び交う。
(清岡がたいがあさんにきくと今、英語の文が手元にないとのこと。あとで清岡がノートPCでサポ板のツリーを見せる)

周文業先生からの質問。嘉慶七年刊本を劉先生はどこでみたのか?
→亡くなった方の蔵書の中で見た。

ハーバード大学のものと劉先生のみた本は同じものか?
→同じものであろう

12幅の絵で関羽が居ない理由は? それは単に抜けているだけでは?
→その可能性は小さいだろう。ハーバード大学の方の本でも関羽が居ないから。

周先生の理解では関羽崇拝ブームがどんどん高まっていった。劉先生との考え方以外で説明できることはないか?
→関羽崇拝は文化現象。明代の終わりから清代の初めまで関羽崇拝が高まったことは間違いない。清代中頃、関羽崇拝がさがっていったかどうかは検討の余地がある。劉先生は版本の話だけで述べた。関羽崇拝がどんどん高まっていったという根拠は?

周先生による別の考え方。関羽を崇拝するあまり怖ろしくて絵にもできなくなった(場内笑)。それは証拠があって清代に関羽のお芝居をすることが禁止された例がある。
→劉先生。関羽があるべきところにはあるはずだし、必要なければないはずだ。(何か例が出たけど清岡失念)。お芝居というのは特殊な状況で版本の問題は別。しかし、周先生の解釈も否定できない。

33節の末尾に三つの違いがあるということだけどどれが正しいか?
→字数の調整による違い。区切り方によってそれぞれのテキストに違いがでてきた。(その後、「紅楼夢」の例があげられる。) 話を通すと全部、同じだが、どこで区切るかによって違う。33節の末尾について専門に論文を書いたことがある。建陽で火事が起き出版業がだめになったことがある。数年前に建陽にいったことがあるが出版業が盛んだった時代のいかなる痕跡も残っていなかった。建陽の出版業は時代が下るごとに縮小していった。出版の中心は浙江省の杭州や南京の方へ移っていった。(以下、専門的な話が続く)

司会の金先生からのコメント。こういったテキストの研究というのは必要なものではあるが、非常に退屈なこと。劉先生の講演の冒頭で学生さんが版本の研究を離れるのも当然か、なと(場内笑)。もう一人名前の出ていたイギリスの人も今は銀行員になっていて、刊本研究をやめている。これから版本研究をやる人はご参考に、とのこと(場内笑)

○10分休憩

 ここで清岡は昨日一瞬、会った仁雛さんと会い、挨拶。
 あと清岡はさっきのたいがあさんの質問に関してたいがあさんとあれこれ話す。それからKJさんとUSHISUKEさんとでホールの入り口の外側近くで雑談。三国志シンポジウムって中国語に訳すと三国志座談会なんだ。
 そうするとホールの後ろの方でげんりゅうさんが話している人がいた。あまりにも自然な光景だったので、清岡はてっきりげんりゅうさんの出身大学関連の人(げんりゅうさんの先輩)かな、と思っていたら、渡辺精一先生だった(汗)。あまりにも唐突なことだったので、心の準備ができないまま、結局、清岡は渡辺先生にお話することができず仕舞いだった。その後、USHISUKEさんやKJさんあたりは渡辺先生とお話していたかな。ちなみにげんりゅうさんの話によると、渡辺先生もこちらのことをげんりゅうさんの出身大学関連の人だと思っていたとのこと。


・三国志学会第一回大会ノート6へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/407

2006年9月16日17日プチオフ会


  • 2006年9月 2日(土) 11:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    1,787
ネット  今回、プチオフ会参加者が集まれば開催という曖昧なことなので、トラックバック送信もせずここに告知しておきます。
 以下、「三国志ファンのためのサポート掲示板」からの引用。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=2483

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■2006年9月16日17日プチオフ会 by 清岡美津夫 -06/9/1(金) 19:10-
────────────────────────────────────
 2006年9月17日日曜日にお茶の水大学で、長沙呉簡国際シンポジウムの「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」があるとのことです。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/359

 私はこのシンポジウムに一般聴講しにいく予定です。前日、昼特急高速バスで夜ぐらいに東京入りし、翌日、夜に新幹線で帰る予定です(月曜日は祝日♪ 一応、その日は予定を開けてます)。

 それで日が差し迫っているのに何ですが、またまたプチオフ会を開けたら開こうか、と思ってます。ネットを見ても今回のシンポジウムはあまり三国志ファンの話題になってないんで、今回のプチオフ会は参加者がある程度、あつまりそうだったら、どこか適当なお店になだれ込む、ぐらいの消極的な考えです(汗)

 私は16日に昼特急高速バスで移動し、夕方ぐらいに新宿に到着します。ホテルは池袋です。なので開くとすれば19時スタートぐらいそのあたりでしょうか。17日はシンポジウムの方が17時終了なので、18時ぐらいに新宿・池袋あたりではじめる感じでしょうか。
 今回、集合場所集合時間集合目印(開催決定の場合、個別にメールでお知らせ?)以外、具体的には決めない感じなんですが、参加したいな、って方やこんな案があるぞ、って方はレス、よろしくお願いします。もちろんシンポジウムを見に行かない人やサポ板はROM専だって人も歓迎です。

 それから参加される方でもし清岡に何か三国志関連のものを持ってきて欲しいときはおっしゃってくださいね。例えば、「長江の流れは緩やかに見えて」のパンフレットとか、「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」のレジュメとか、「三国志シンポジウム」の冊子とか、「三国志学会第一回大会」のレジュメとか。
 まぁ、それらの土産話は清岡に標準装備されてますが(笑)

 もしプチオフ会を開くことができたら、2005年7月31日三国志シンポジウムあわせのプチオフ会、2005年9月3日三国志納涼オフ会in東京、2005年12月17日三国志忘年オフ会in東京(仮)、2006年2月18日・19日「長江の流れは緩やかに見えて」あわせのプチオフ会、2006年3月10日・11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」あわせのプチオフ会、2006年7月29日三国志シンポジウムあわせのプチオフ会に続く第7弾ってことになりますね。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

三国志同人イベント情報サイト


  • 2006年9月 2日(土) 10:02 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,708
二次創作 下記のように三国志ニュースで三国志関連の同人誌展示即売会(イベント)をお伝えしてきた。

http://cte.main.jp/newsch/article.php/308
http://cte.main.jp/newsch/article.php/341
http://cte.main.jp/newsch/article.php/376

それらを取り上げていると、同人イベントの情報専用のサイトってあったら便利だなぁと思っていた。
そんなおり、見かけたのが「三国志同人イベント情報サイト」。三国志関連のイベントのみならずコミケやシティなど(あえて略称を使うが)の大規模イベントの情報まで載っている。

・三国志同人イベント情報サイト
http://s594.sakura.ne.jp/event/

しかもサークル参加しようと思っている人に便利なようにそれらのサークル参加締め切り日等の情報もあげられている。
こういうサイトは長いこと続いてくれれば(そして更新はいつでも素早く)、かなり重宝されるよな。
(※あと個人的にはシンプルなバナーなんだから「3594 801 SEARCH」のように小さいバナーもあるとありがたい ※追記→というわけで小さいバナーも追加された。ありがたい♪)

三国志学会第一回大会お昼休み


  • 2006年9月 1日(金) 12:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
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研究 ・三国志学会第一回大会ノート4からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/401


 我々はアナウンス通り、お昼をとろうと近くのスーパーの最上階を目指す。
 ここで伊比学さんは旧交をあたためた徹夜明けのためそのまま帰宅。KJさんは業務のため昼休み我々と行動を別にする。そのため、USHISUKEさん、げんりゅうさん、清岡、ミミまろさん、たいがあさんの五人で昼飯へ。
 歩きながら、前日の三国志シンポジウムにこれなかったUSHISUKEさんやたいがあさんに前日の会場の様子や客層などを話す。

 スーパーの最上階はレストランを集めた階で、さすがに子供の夏休みの日曜日とあって通路まで大混雑。我々は空いているお店をうろうろ探すと、意外と簡単にみつかる。ジンギスカンのお店。ランチメニューや単品もあるんでそこに決定!

 店に入って、皆、メニューを決めると、やはり午前中の質疑応答でUSHISUKEさんが質問したことが話題になる。やっぱり王平が出るとUSHISUKEさんが質問するんだな(以下のリンク参照)、って話。

・【独占!】王平は南蛮非漢民族出身か!?
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2366658#2366658
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2370072#2370072
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2410665#2410665
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2422391#2422391

 さらに前日の三国志シンポジウムのパネルディスカッションは去年と違ったのか、って話。そうそう予め質問用紙が配られたり、研究会からの質問が控えめになったりしたんだ。
 メニューをきく人が来る。やはりビビンバとか韓国系のランチが豊富みたいでそれを頼む人も結構居た。清岡は冷麺ランチ。韓国風冷麺ね。

 やがて自己紹介が始まる。
 まず、げんりゅうさんから。唯一、初対面のたいがあさんからあれこれ質問が来る。分かりやすい、げんりゅうさんのブログの行き方は三国志連環の「三国志連環について」のページから。そこから右回りに、お次は、たいがあさんの自己紹介。次、向かいに座っている清岡、その次、向かって右に座るUSHISUKEさん、さらに右に座るミミまろさん。
 それから三国志学会第一回大会の懇親会に出ようか出まいかどうしようって話をしていた。私はKJさんに合わせるといった事を言っていた。

 そのうち徐々に食事が来て、来た順に各人が食べていった。

 また話が昨日の三国志シンポジウムへ。清岡から。USHISUKEさんに{上田先生の報告で発表のあった江戸中期の三国演義を受容した人たちのピラミッドの図の話(下記のリンク先参照)をする。そうそう2月18日にプチオフ会をしたとき、USHISUKEさんとげんりゅうさんと隼鶻さんとで、現代の三国志ファンの話をしていたとき、同じような図(下記のリンク先参照)が出ていたんだよな。プチオフ会のときは上下逆さで下に向かって先細りした図だけど。

・上田望先生の報告「小説『三国志』と日本人」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/377
・2月18日プチオフ会での話
http://cte.main.jp/newsch/article.php/288
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2191

 それから上田先生の報告にあった、歌舞伎役者に挿し絵を似せるのは現代の真・三國無双のキャラのようなものだ、とか。
 次は映画「赤壁之戦」の話。北京オリンピックにあわせて公開されるんで撮影開始がさらに遅れた、など話していた。あと公開後は役者のファンが三国志ジャンルにどっと押し寄せて来るんだろうな、って話をしていた(7月18日の宣和堂電網頁オフ会に出た話題の受け売りなんだけど・笑)。
 あと韓国の三国志映画の話もどうなったんだ、とか。

 時間も時間だったので我々はその店を後に

 それから店の旧名が実は「ジンギスカン フランス人」だった。謎な店名(汗)。ジンギスカン(チンギスハン)はフランス人だった?!とか皆いろんなツッコミをしていた。

 帰り道は中国と日本の三国志研究の活発さの話をしていた。中国語わからないと、理解できないことが多いね、とか。

 13時50分ぐらい。大東文化会館の建物に入ると、KJさんに会う。真っ先に懇親会の話を振ってみたら、KJさん出る予定ということなので、そこの五人全員出ることに。
 あと三国志学会の話になって、普通の会員よりグレードが高い維持会員があるって話をしていた。それから三国志学会のサイトでその前日ぐらいから広報担当の人の所属が「NPO三国志フォーラム」に変わっていたって話もしていた(笑)
 その後、清岡は受付で懇親会に出席する手続きをすませ、ホールに入る。

 さていよいよ午後の部だ。


・三国志学会第一回大会ノート5へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/405

三国志学会第一回大会ノート4


  • 2006年8月31日(木) 01:07 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 ・三国志学会第一回大会ノート3からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/400

 待ち時間、たいがあさんが持ってきた小川環樹先生による『三国演義』の訳本のの挿し絵を見せて貰っていた。その挿し絵はちょうど昨日の三国志シンポジウムの上田望先生の報告で出てきた葛飾戴斗二世の絵だった。

 次の司会は三国志学会副会長の金文京先生(京都大学人文科学研究所所長)。

○竹内真彦(龍谷大学助教授)「呂布には何故ひげがないか-三国志物語の図像と本文の関係について」

 ※以下、「1. 」といった番号に続くタイトルはレジュメのをそのまま使っている。

1. 問題意識

 レジュメは4ページ、それに図像が10ページ。
 図像の葛飾戴斗二世の呂布の絵(『絵本通俗三国志』)を見せ、髭があることを確認し、次に図像の中国の『絵図三国演義』の呂布の絵を見せ、髭がないことを確認した。
 その後、図像の二枚目を見せ、呂布が貂蝉に言い寄る場面で日本(『絵本通俗三国志』)と中国(『三国志演義』周曰校本)での呂布の描かれ方の違いを見せた。あきらかに日本は美女にむさい男が言い寄っているが、中国のは美男美女。むしろ中国の方がなぜ美男美女に描かれるのかが疑問(本報告のきっかけ)

 図像三枚目、上が『三国志演義』呉観明刻本の王允と策をねっているところ。下が虎牢関。ともにひげのない「白面の貴公子」
 →こう描かれるには『三国演義』本文にはでていない「呂布の物語」があったのではないのか?

2. 呂布の物語

 赤兎馬。『三国志』では関羽が乗っていないが、『三国演義』や『三国志平話』では乗っている。なぜ関羽は赤兎馬に乗っているのか?→関羽は物語中、英雄的役割だから。
 呂布に物語があった? 『水滸伝』中に過去の英雄が出てくる。「小温侯 呂方」。登場人物が呂布の物語を背負っている
 具体的にどういう物語なのか確認できない。

3. 呂布の物語

※以下の漢文はレジュメそのまま引用。
『三国志平話』 
  董卓見呂布身長一丈、腰闊七圍、獨殺百十餘人、如此英雄、方今天下少有。(巻一)
『三国志演義』呉観明刻本
  時李儒見丁原背後一人、身長一丈、腰大十圍、弓馬熟閑、眉目清秀。五原郡九原人也。姓呂、名布、字奉先。(第三回)
『三国志演義』毛宗崗本(通行本)
  時李儒見丁原背後一人,生得器字軒昂,威風凜凜,手執方天畫戟,怒目而視。(第三回)

 古い『三国演義』(呉観明刻本)では「眉目清秀」となっている。まだあたらしくなると(毛宗崗本)では「威風凜凜」になっている。
 呂布の「髭がない」とされるのはかなり少ない。ただこちらはそれほど古い歴史はない
 もう一つの特徴としてかぶりものがあげられる。同じ者をかぶっている登場人物はそれほどいない。

 図像の四枚目上、『三国志平話』に出てくる呂布のところ。はっきり呂布に髭がある。しかしかぶりものが共通している
 →かぶりものに意味がある?

4. 呂布の装束

※以下の漢文は表示できるかぎりレジュメそのまま引用。
『三国志平話』
  左有義兒呂布、布騎赤免馬、身披金鎧、頭帶[けものへんに解]豸冠、使丈二方天戟、上面挂黄幡豹尾
「関雲長単刀劈四寇」雑劇穿関
  三叉冠雉鷄 抹額 蠎衣曳撒 袍 項帛 直纏 [ころもへんに荅]膊 帯 三髭髯 簡

 かぶりものは『三国志平話』に「頭帶[けものへんに解]豸冠」とあり、『三国演義』に先行する雑劇に服装の指定が書かれているのがある。それが「三叉冠雉鷄」(かぶりもの)とあるが「三髭髯」(ひげの指定)がある。
 「帶[けものへんに解]豸冠」」や「三叉冠」はいずれも図像のものではない。
 →図像は「束髪冠」


※以下の漢文はレジュメそのまま引用。

『演義』呉観明刻本
  頭戴三叉束髮紫金冠、體挂西川紅錦百花袍、身披獸面呑頭連環鎧、腰繁勒甲玲瓏獅蠻帶。弓箭隨身可体、手持畫桿方天戟、坐下嘶風赤兔馬。果然是人中呂布、馬中赤兔。人馬之中、漢末両絶。(第五回)

 『三国演義』呉観明刻本では「三叉束髮紫金冠」。束髮冠とはどんなものか?
 →図像四枚目下図。三才図絵から。
 ・『紅楼夢』の賈宝玉が図像(五枚目上)でつけている。本文では「束髪嵌宝紫金冠」となっている。ここは「束髪」に注目。
 束髮冠とは何か?→古代の帝王、貴人(三王など)・公子(賈宝玉)がかぶるもの?
 他の雑劇や小説でも束髮冠が出てくる。普通の武将がかぶるようなものではない。

5. 「連環記」再考──結びにかえて

 『三国演義』では貂蝉は自発的に(王允の恩義に報いるため)計略をかけようとする。
 →実は伏線がなくなっている
 「錦雲堂美女連環記」雑劇(息機本)では呂布と貂蝉は夫婦で生き別れ、王允はそれを知りそれを利用する(貂蝉は身を汚すことを王允に強制される)
 ※『三国志平話』でも元々、夫婦。
 →雑劇の方が原型に近い。
 竹内先生の考えでは原型は呂布と貂蝉が復縁する話。呂布は善玉だったのでは?
 →『三国演義』は全体的な流れで呂布を悪玉にする必要があり、夫婦設定はカット。その善玉設定が残って「束髮冠」であり「ひげがない」のでは。


○質疑応答

 大学院生からの質問。京劇の呂布にひげがないことに前々から疑問に思っていた。「4. 呂布の装束」。雑劇の例でひげがあるとのことだけど、宮廷で上演されたものではないのでしょうか?(宦官が演じていたのでは?)
 →もちろんそうだけど(宦官が演じていたが)、ひげをつけない場合もあるので解釈が難しい。同じ特性をもったものに同じような格好をさせる(同じ符号を与えられる)。※あとその例をあげられた。敵役の武将に髭をつける場合がある。他の例として忠義の符号を与えられた関羽と岳飛はかぶりものが同じ。(司会補足。明末からということですよね、雑劇ででてくるのは、ひげがないのは)

 [けものへんに解]豸冠は後漢書輿服志か独断ででてきたのではないか?(※こまかいところは聞き取れず)
 →ありがとうございます。
 司会補足、[けものへんに解]豸は想像上の動物とのこと。
 ※清岡注。細かい議論が見えてこなかったけど、今、続漢書輿服志をみてみると確かに法冠のところに書いてある。あと手元の「漢代の文物」をみてみると、ばっちり[けものへんに解]豸の画像と法冠の画像が載っている。しかし『三国演義』関連の図像と当時の冠は一致しないことの方が多いと思うので、これでたどると危険かも。

 中国語で質問(劉先生か周先生だと思うけど失念)。司会が翻訳。『三国演義』葉逢春本でひげがあるかどうか?
 →ない。(そのころの)人物像が簡単なんでひげがない人が多い。そのため呂布にひげがないことに意味があるか不明。


 というわけで午前の部は終わって次はお昼休み。
 渡邉義浩先生がご飯の食べられるところについてのアナウンスが入り、聴衆はぞろぞろと会場の外へと動き出した。


・三国志学会第一回大会お昼休みへ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/402

三国志学会第一回大会ノート3


  • 2006年8月29日(火) 00:00 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 ・三国志学会第一回大会ノート2からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/399

 時間がおしているので休憩なしでそのまま。会場のホールでの空調の調子は悪いが、皮肉なことに一階上の控え室はガンガンにクーラーが効いている、と渡邉先生の小粋なアナウンスが入る。

 お次は文学の研究とのこと。建安文学がどういう位置づけかとのこと。あと和田先生のご紹介。

○和田英信(お茶の水大学助教授)「建安文学をめぐって」

 レジュメは縦書きの2ページ。丸で囲った数字が全部で16あり、それぞれの数字の下に引用した文が載せられている。建安は後漢の年号。建安期を代表する文学者、曹操、その息子、曹丕、曹植、その周りに集まった王粲といった詩人たち。
(1)李白の詩で建安のことが詩でうたわれている。建安は中国の文学の中で特別な位置。建安はその他の時代と異なる。
 建安期以前の詩とはどのようなもの? そのほとんどが古詩あるいは樂府と呼ばれる作者不詳の詩。
(2)(3)現在見られるものの例、『文選』にある「古詩」十九首など。
(4)樂府とは音楽と共にうたわれたもの。例として『宋書』樂志にのっているもの。
 古詩あるいは樂府はいつどのようなにつくられたか、はここでは論じないが、建安の詩人たちの土俵になったことは間違いない。曹操の作品は現在、樂府にカテゴリーに分類される。
 古詩・樂府と建安を隔てる大きな違いは作品に署名があるかどうか。
(5)(6)

 なぜ建安期によってかわったか。どのようにかわったか
 建安期以降、歴史時代にはいったという考え(※漢字あってるかな)
 具体例。(7)古詩と(8)曹植の詩の比較。
(7)「古詩十九首」其三。洛陽がにぎやかな代名詞としてあげられている。ここではかならずしも実在の洛陽でもなくてもよい。
(8)曹植「送應氏」二首其一。應氏が実在の人物。作者と作品とが関係。董卓の時代(190年)に宮室が焼かれた洛陽が描写される。ここでは洛陽を他の場所におきかえることができない。
 人物に関して(3)古詩と(9)曹植の詩の比較。古詩の中に描き込まれる人物は神仙、神話上の人物など特殊な人物がほとんど。
(3)「古詩」十九首其十五。仙人がでてくるが不老不死の代名詞として出てくる。
(9)曹植「贈丁儀王粲」。二人の人物がでてくる。その人そのものを指す。具体的背景のその人たちへのメッセージ。作者と作品の関係は署名だけではなく詩のうたい方にも現れている。詩のあり方がかわったから、作者の署名が加わるようになったと考え方もできる。
 建安以降、あらゆる詩がこうなったというわけではない。

(10)曹植「贈徐幹」。(個性を有した)徐幹を生き生きと描くのみならず、そういったメッセージを贈った作者そのものも生き生きと表現されているようだ。

 建安以降、文学は個を表現するようになった。

 建安期以降、詩が極めて具体的な政治状況で詩がくみ出されること。
(11)曹丕「令詩」。詩は明らかに政治的な文脈で書かれている。
(12)曹丕「至廣陵於馬上作詩」
 曹操も政治的な作品をつくっている。政治的アピール。(13)曹操「短歌行」(14)「苦寒行」
 (12)と(14)に東山詩が組み込まれている。
→そういう意味では文学は政治に従属するようになった?

(15)典論論文の文学至上主義はそういう文脈でみると…

(16)『文選』にみられる建安期の詩人


○質疑応答
※清岡が失念。文学と政治の話が司会と報告者で延々と応酬される。その後、質問者が一人。


・三国志学会第一回大会ノート4へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/401

三国志学会第一回大会ノート2


  • 2006年8月28日(月) 00:07 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 ・三国志学会第一回大会ノート1からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/397


 司会に三国志学会副会長の堀池信夫先生がついて、早速、次の報告がスタート。

○澤 章敏(関東学院六浦中学校・高等学校)「五斗米道研究の現状と課題」

 レジュメは6ページ。家系図、年表やら史書からの引用がある。
 初めは澤先生から高校の授業で三国志がほとんど取り上げられないことに不満の声が挙がるほど関心が高いという掴み。

【1】宗教名の変遷

 まず五斗米道の説明。張陵が始祖。いつのころから天師道と呼ばれるようになったとのこと。元代には正一教と呼ばれる。南北朝のころには様々な経典を受け入れ、道教とも呼ばれるようになった。つまり初期道教と呼ばれる。

【2】歴代張天師

 歴代の天師名がレジュメに並べられる。初期の三代を三張(張道陵、張衡、張魯)と呼ばれる。現在は64代目の張源先(1969~)で台湾におられるとのこと。この系図は疑わしい部分がある。張魯のときに五斗米道は大きな飛躍をする。

【3】五斗米道関係年表

 190年に劉焉と結びつき漢中郡と巴郡を支配下に置き、五斗米道に基づいた政治を行う。この政権は宗教王国のような捉え方をされている。道教からの研究(道教の歴史や教義、仏教との論争等)と歴史からの研究の二つがある。歴史研究において太平道(黄巾の乱)に比べ副次的に五斗米道が研究されてきた。

【4】『三国志』巻8張魯伝

 タイトルにある三国志魏書張魯伝の冒頭の漢文が引用されていて、それが読まれていく。五斗米道は病気を治す→レジュメ【5】裴松之注を読まれる

【5】同前、裴松之注

 五斗米道の細かいところが読まれる。「老子五千文」を読ませるとか。老子がテキストに使われていることに注目。五斗米道のころから老子が重要。六朝時代から唐の時代にかけての道教の伝承では張衡あるいは張魯が老子に注をつけたということで「老子想爾注」が成立したとのこと。道教の研究には不可欠なもの。成立年代は多くの人が後漢の成立だろうといっている。疑問の声もある。

【6】『後漢書』巻8霊帝紀、中平元年(184)の条

 裴松之の指摘。張脩を張衡としている。これらの論争があって幸田露伴は裴松之に従う。張脩のままでいいんだ、としている人もいる。五斗米道の研究ではさらにやっかいで、張脩という人物は三人出てくる。裴松之注に引く典略、三国志魏書張魯伝、後漢書本紀の三カ所出てきて、どれとどれとが同一人物とかいろんなパターンが出てくる。
 実は張脩が五斗米道を開き、張魯が乗っ取って張魯が歴史をねつ造したという興味深い説もある。
 澤先生は裴松之の指摘は間違いで、三カ所の張脩は同一人物と考えているとのこと。そうすると本筋とは別の問題が出てくる。なぜ陳寿は『三国志』で「別部司馬張脩」とだけ載せたか? 五斗米道との関係を書かなかったのか。澤先生は張魯の伝であって、張魯中心に書いていたため張脩については簡略に書いた、と考えた。

 歴史研究、五斗米道を主な研究としたもの。「教団の組織」と「異民族との関係」とを対象とした二つがある。
 まず教団の組織について。大きな組織(大きな軍)をおさめられたのか? 地元の豪族の協力が必要。教団そのものではない。政権としては地元の有力者を形式的に祭司に任命し治めさせていたのではないか。信者じゃない人も信者としていた

【7】『華陽国志』巻8霊帝紀、中平元年(184)の条
【8】『三国志』巻1武帝紀、建安20年の条
【9】『文選』巻4所載、蜀都賦注引『風俗通』
【10】『後漢書』巻86南蛮伝、板楯蛮夷の条

 そして異民族との関係。曹操に攻められたとき、異民族を張魯は味方にしていた。【7】で[宗/貝]人(そうじん)、【10】で板楯蛮と呼ばれている。非常に勇猛な民族をうまく取り入れた。民族の首長を祭司に任命し取り入れた。

・残された課題

 五斗米道と太平道との関係。宮崎市定先生から「君、関係あると思うかね?」ときかれたそうな。黄巾の乱とは別に考える?

・質疑応答

 津田先生からの質問というか意見。
 第一に張魯の娘が曹操の息子に嫁ぐ。その息子が最後の皇帝になる。そういったことに関係するのか。
 第二に陳寿のこと。陳寿の出身地は五斗米道の活動範囲とかぶる。

 USHISUKEさんからの質問。名乗らず、NPO三国志フォーラムに所属とのこと
 異民族についての質問。王平のこととか。
 五斗米道はどの程度、異民族に対し寛容であったか。
※詳しくは下に示す三国志漂流の記事参照

・三国志漂流
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040
・『三国志学会』レポート
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2606181#2606181

 →元々、漢民族に対し協力的。後漢になると中央政府に対する板楯蛮の反乱が多くなってくる。そういった異民族に対し五斗米道は受け入れる体制にあった。板楯蛮は租税を免除されいたんだろう。曹操に降った後、異民族は軍団長に任命されていたり、と。


・三国志学会第一回大会ノート3へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/400

メモ:三顧会の企画を分類


  • 2006年8月27日(日) 16:01 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所  三国志城とは無関係に非公開で個人的にまとめていたら結構、面白い読み物になったところもあるので企画のところを公開しておこう。

 山口県に三国志城という三国志関連の資料館があって、そこで5月の大型連休と8月の盆の年二回、「三顧会」というイベントがある。同名に会員制があるが、ここではイベントのみを指す。

・「三国志城」公式サイト
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

 三顧会の他の三国志系イベントにはない魅力的なところと言えば、インタラクティブ(双方向)なところ。
 もし学術的なことを聴講したいのであれば、三国志シンポジウム三国志学会の大会が年一回あるし、エンターテイメントなショーを見たければ、三国志の宴があるし、演劇であれば三国志プロジェクト京劇、それからもう終わったけど人形劇スーパー歌舞伎があった。コスプレを見たければ中華コスプレ日本大会、それに三国志系の同人誌展示即売会でみれるところもあるし、それ自体、三国志系の同人誌を買うことができる。
 しかし、どれも参加者同士の交流の場は特に用意されておらず(強いて言うなら、三国志学会大会の懇親会や三国志系の同人誌展示即売会によっては用意される交流会)、参加者同士の交流という意味でも三顧会は秀でているし、元々のイベント設立目的の一つがそういった交流を深めて貰おうというのがあった。

 その三顧会の特長を担うのがプログラムに組み込まれた企画の数々。第一回はそれらの企画は場所(コーナー)ごとに設定されていた。例えば「三国志を大いに語る会コーナー」に参加したければ特別企画展示場に行き、「三国志グッズ展示コーナー」であれば第二展示場に行くといった仕組み。第二回以降は時間が決められ(プログラムが組まれ)、いってみれば時間ごとに企画が設定されていた。参考までに以下に各回の三顧会の参照リンクを上げておく。

・第一回三顧会の様子(個人サイトの日記)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w040815.html
・第二回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/115
・第三回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/156
・第四回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329
・第五回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/380


 それらの企画は以下のように大きく四つに分類できそうだ。
(※以下、三顧会の回数は便宜上、[]付けにする。第三回三顧会のことなら[3]となる。)

○作り物系企画

 文字通り、参加者が何か作る企画。さらに陶器系・非陶器系とかチーム系・個人系とかに分けられそうだ。

[1]落書きコーナー

[2]三国志を陶器にしよう
[2]木牛を皆でいっしょに作ってみよう

[4]中国酒盃を作ろう(三国志を陶器にしよう第二弾)

[5]三国志城を旗で飾ろう

 「木牛を皆でいっしょに作ってみよう」以外は基本的に一人での作業になる。だけど、それで参加者が孤立しやすいとかではなく、むしろ逆で何かを作りながらだと、その作るものの話から自然と参加者同士で会話が弾む。「三国志城を旗で飾ろう」での旗作りは文字でも絵でも表現できて参加者の技能を選ばないせいか、大いに盛り上がったなぁ。


○ゲーム系企画

 文字通り、みんなでゲームをする企画。さらにテーブル系・競技系に分けられそう。

[1]三国志ゲーム試遊コーナー

[2]英傑群像企画イベント(三国志トランプ大会)

[3]三国志弓術大会
[3]英傑群像イベント<三国志トランプ大会>

[4]三国志ビンゴ大会
[4]三国志トランプ大会(協力:英傑群像)

[5]三国志トランプ大会チーム戦
[5]三国志巨大パズル大会

 第四回までの「三国志トランプ大会」っていうのが創作神経衰弱。めくった二枚のカードに描かれた三国志関連の人物の関係を説明するという結構、三国志的知識を要求されるゲーム。それに個人戦なので、ここらへんをチーム戦にすればお互いに助け合って知識を出し合うものだからチーム内の交流ひいてはチーム間が深まるのかなぁ、と思った。「[5]三国志トランプ大会チーム戦」はチームで一人ずつ前に出すタイプだったので、特にチーム内の交流という意味では希薄だった。


○語り系企画

 初めは講義系にしたが、よく考えたら、挨拶や自己紹介関連もここに入るな、と思って語り系に改める。さらに講師系・自己紹介系に分けられそう。

[1]三国志を大いに語る会コーナー(座談会形式)

[2]三国志城ガイドツアー

[3]本参加自己紹介
[3]三国志風水講習会

[4]ご挨拶&簡単な自己紹介など

[5]挨拶&簡単な自己紹介
[5]三国志講習会「劉備のデビュー」

 参加者の自己紹介は第三回から定番となっている。どこから来たのかどんな人物が好きなのかきくのが楽しみ。三国志ファンの知的好奇心の高さは他のジャンルではあまり見られない。この知的好奇心の高さを満たすような講習系企画が一つあるとより三国志のイベントらしくなるかなぁ。


○随時系企画

 時間に縛られない企画。展示や紙にいつでも書き込めるクイズラリーなど。クイズラリーは三顧会だけの企画じゃなく一ヶ月程度の企画だけど、三顧会のプログラムに掲げられていたのでここに書いておく。

[1]三国志グッズ展示コーナー
[1]三国志クイズラリー

[3](三国志コスプレ
[3]三国志玉璽を探せ 印鑑探し&クイズ
[3]三国志クイズラリー(三国志クイズペーパー試験)
[3]第二回イベント「三国志陶器をつくろう」完成品展示

[4]三国志コスプレ大歓迎

[5]三国志コスプレ大歓迎!
[5]三国志クイズラリー(三国志クイズペーパー試験)
[5]三顧会作品展示「三国志陶器をつくろう」
[5]第25回イラストコンテスト投票

 随時開催は他の企画の待ち時間で参加者を退屈させないのに役立ってるようだ。例えば[3]三国志弓術大会では、他の参加者の弓術を見ている人の他に三国志クイズラリーをやったり三国志玉璽を探せ 印鑑探し&クイズをやったりしている方も見かけた。

三国志学会第一回大会ノート1


  • 2006年8月27日(日) 01:52 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 ・2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノート0からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/395

○報告(10時-12時40分)

 司会に津田資久先生がついて、まず石井仁先生の紹介が述べられる。

○石井 仁(駒澤大学助教授)「呉・蜀の軍事制度に関する覚書」

 昨年、三国志シンポジウムで「三国時代の軍事制度」の報告をされた先生。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152

 トップバッターで反董卓時期の曹操にあやかりたいとのこと(すぐに曹操は敗れたから縁起が悪いと自己ツッコミ)
 レジュメは6ページの箇条書き。

 まず時代区分の論争(中世古代の論争)について軽く説明。都督は封建的主従関係かって論争があったそうな。それへの疑問が石井先生の制度史研究のきっかけになったそうだ。当時の制度をきっちりおさえることが大事だと。
 それから魏晋の軍事制度のこと。これは記録が多いが呉や蜀は少ない。呉・蜀の軍事制度と魏晋との比較を今回、行う。

 魏晋の軍事制度の中心的なものについて説明。中軍(中外軍)、つまり魏晋の正規軍のこと。次が都督について。「使持節・都督○○諸軍事」の略称。各方面の行政・軍事を統轄する機関および長官のこと。必ず三公ないし将軍の加官。魏初には河北都督、揚州都督、荊州都督、雍涼二州都督がいた。駐屯地には都督府がある。
 レジュメでは続いて参考文献が列挙されている。


1. 呉・蜀の都督制度

 まず呉の都督
 通俗的理解では、呉は魏晋よりも小規模な「督」を列置。都督→督の二重構造。
 三国志呉書では「假節・督夏口」の記述。三国志魏書では「使持節・都督夏口諸軍事」。同じく「西陵督」と「都督西陵諸軍事」。そのため単なる表記上の問題とみなす(資料の経路の違い?)。魏晋の都督制度とほぼ同等。監軍が派遣されている。呉の都督の特徴として長江流域の重鎮(樂郷・武昌など)の都督が左右(東西)で構成されている。
 ※レジュメでは本文があって、そこに○数字がうってあって、その丸数字には論拠となる史書の記述が列挙されている。以下、同じ。

 次が蜀の都督。
 表記が一定せず統一性がない(レジュメで督の部分を列挙)。「陳寿という人は都督制を理解していたのか?」という根本的なことに行きかねない。魏晋は「督軍」(前漢由来)と「都督」(曹操政権)が融合。そのため正式名称は「都督督軍」。蜀にも都督督軍が一例あるので魏晋と同じ可能性あり。呉も都督と督軍がある。
 [广+來]降都督(らいこうととく)だけは統一的表記。[广+來]降は南中の地名だそうな。必ず副貳(副官)がついたとのこと。これは「[广+來]降屯副貳都督」「南中参軍」とも称され、さらに魏晋の記録では[广+來]降都督を「南中都督護軍」「南中監軍」と称す。正式名称は「都督南中諸軍事」? [广+來]降は通称? [广+來]降は来降に通じやってきて降るの意? 受降城と同義?

2. 都護・軍師・監軍・領軍・護軍・典軍・参軍

 蜀は「都護→軍師→監軍/領軍→護軍→典軍→参軍」という序列の官職がある。軍部関連。魏晋に似たような官職があるが同一視できない。

 呉にも同様なのがある。蜀より簡略。「軍師→都護→護軍」。断片的。始まりは周瑜の「左右大督」に分かれたのを機に「左右護軍」に分かれる(「左右都護」「左右軍師」を累加)。軍部関連。次第に名誉職の意味合いが強くなる。

 ここで時間になったのでまとめに入る。
 呉・蜀では「都護・軍師・監軍・領軍・護軍・典軍・参軍」の本質は西魏二十四軍の指揮系統に期限を持つ勲官に類するものと推測。

おわりに

 蜀は10人に一人兵士、呉は11人に一人兵士。
 三国は基幹部分を共有している(劉備集団は曹操政権および孫呉政権と綿密に関わる)。ここらへんも考慮する必要があるか否か。三国時代もしくは中国~東アジアをトータルに眺める視点。


○質疑応答

※理解せず聴いていたので以下、ただのメモ。
 龍谷大学の村田先生。「都督」、「督」は名詞的方法? 動詞的用法?
 当時の都督のイメージ、陳寿の都督のイメージ、現代の都督のイメージが異なるかもしれませんが…。国家を運営する理念が都督制に反映されている。
 文官・武官のやりとり。
 →時間なので後は懇親会で。


・三国志学会第一回大会ノート2へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/399

2006年10月10日第三回三國相承展スタート


  • 2006年8月26日(土) 10:12 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット オンライン上で三国志に関する作品を展示する「三國相承展」の第三回がテーマを「赤壁とし、2006年10月10日から12月12日まで開催される。現在、絵・漫画・動画・詩・書・音楽・Flashコンテンツ・短編小説・論文・レポート等、ウェブで転じ可能な三国志関連の作品募集中とのこと。詳しくは書きURLへ。

http://359s.net/

ちなみに過去の展示は

・第一回「三国志作品」
2005年10月10日~12月12日(神無月)

・第二回「縁-enishi-」
2006年6月6日~7月7日(水無月)

となる。

※追記
 三國相承展トリニティ「魏-wei-」今秋開催決定
 2006年11月16日『曹操孟徳正伝』特別編~瘴癘江

2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノート0


  • 2006年8月23日(水) 16:52 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 開始30分前の会場。さすがまだ人は集まっていない。・三国志学会
http://www.daito.ac.jp/sangoku/

 2006年7月29日土曜日に三国志シンポジウムが大東文化大学の板橋キャンパスで開かれ、その次の日に三国志学会の第一回大会が大東文化大学の板橋キャンパス近くの大東文化会館ホールで開かれるということだった。
 ちょうど私は前日の板橋キャンパスへは東武練馬駅から歩き大東文化会館発のスクールバスに乗っていったので、スムーズに三国志学会 第一回大会の会場へ行くことができた。到着したのは開始30分ほど前。会場となるホールの入り口にはすでに何人か人がいて、東方書店の出張店舗で本を物色している人や、立ち話をしている人など様々だった。
 受付には前日の三国志シンポジウムで通訳をされていた田中靖彦先生が座っておられて、三国志学会への入会手続き等の担当をされていた。私は予め書いていた入会申込書を手渡し学会費を払い、三国志学会会員となった。今回の大会のレジュメなどを受け取り、ホール内の真ん中あたりの席を確保した。写真のとおりまだ人はほとんど来てなかった。
 缶コーヒーを買って待っていると、まずげんりゅうさんが現れ、あれこれ話していたら、そのうち、2005年の三国志シンポジウムでお会いした、たいがあさんに声をかけられ、昨日の三国志シンポジウムの話などをしていた。
 そのうち、前日にお会いした、ミミまろさんや伊比学さんがこられ、さらにKJさんとUSHISUKEさんが来られ、私の近くの席に座っていた。
 そして開始を待つ。

 満場拍手の中、三国志学会の会長の狩野直禎先生が壇上に立たれる。
 そして、狩野直禎先生により「三国志学会 設立趣意」が高らかに宣言される。
 満場拍手。


 以下に当日、もらった「三国志学会 第一回大会」のプログラムを転載しておく。一部、仮題だったのでそこは修正してある。

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三国志学会 第一回大会
日時:2006年7月30日(日) 10時-17時
会場:大東文化大学 大東文化会館ホール(東武東上線、東武練馬駅1分)


報告(10時-12時40分)

石井 仁(駒澤大学助教授)
「呉・蜀の軍事制度に関する覚書」

澤 章敏(関東学院六浦中学校・高等学校)
「五斗米道研究の現状と課題」

和田英信(お茶の水大学助教授)
「建安文学をめぐって」

竹内真彦(龍谷大学助教授)
「呂布には何故ひげがないか-三国志物語の図像と本文の関係について」

お昼休み

講演(14時-17時)

劉世徳(中国社会科学院教授),通訳 伊藤晋太郎(慶応義塾大学講師)
「『三国志演義』嘉慶七年刊本試論」

狩野直禎(三国志学会会長、元京都女子大学学長)
「私と三国志」

懇親会(18時-)
会 場:大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot

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・三国志学会第一回大会ノート1へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/397


※追記 三国志学会 第三回大会プログラム発表

※追記 『中国古典小説研究』第14号(2009年11月15日)

2006年8月20日「東呉華亭」再OPEN予定


  • 2006年8月23日(水) 13:39 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  よくネットを使う三国志ファンに三国志関連の総合サイトをいくつかあげてって言ったら、数年前までだと確実に上がっていたサイトに「東呉華亭」というのがある。
 そこのサイトは管理人によるコンテンツをみせるってのもあるけど、メインはやはり閲覧者参加型のコンテンツ。三国志の人物になりきってチャットをするタイトルそのまま「三国志なりきりチャット」やら、映像作品にまでみんなで感想や批評を入れていく「三国志書評DX」。参加せずとも見ているだけでも面白いコンテンツが多かった。

 その「東呉華亭」だけど、2003年8月30日に最後の更新、2004年11月23日に最後のトップページ更新をしてそのまま更新停止状態だったけど、2006年8月7日で同サイトにて引越し&リニューアルOPENすることが宣言される。
 再OPEN予定は2006年8月20日でもう数日過ぎたんだけど、まぁ予定は未定で確定ではないということでとりあえずもうすぐ再OPENってことで楽しみだ。

http://www.linkclub.or.jp/~tougo/san/san.html

第五回三顧会ダイジェスト6 「三国志巨大パズル大会」


  • 2006年8月22日(火) 23:21 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 関羽の巨大パズル・第五回三顧会ダイジェスト5からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/392


 15時。
 旗を飾りおえ特別企画展示場へ帰ってくると、早速、「三国志巨大パズル大会」が始まる。さっきと配置が同じで、茣蓙の上に左右に長机があって、まずどちらに座るか決めるらしい。
 清岡は入って、右の机に。実はこの時点で勝負が決まっていたような(汗)

 つまり入って、右の長机と左の長机であわせて二つのチームがあり、左の机は趙雲のジグソーパズル、右の机は関羽のジグソーパズルをそれぞれ仕上げるとのこと。
 つまり清岡のチームは関羽の巨大ジグソーパズルを仕上げればよい(写真が完成したやつ)。お手本はちょうど入って左の壁にありそういう意味で地の利はこちらにない……って思っている間に、趙雲のジグソーパズルが仕上がってしまう(笑)
 とりあえずこちらの関羽のジグシーパズルが仕上がるまでまってくれるとのこと。その間、趙雲チームは記念撮影にいそしんでいた(汗)

 あまりにも力の差があったので、同じチームで別のジグソーパズルで再戦。
 高順さんのあおるような実況が入る(笑)

 そして見事、我々のチームは早々に趙雲を仕上げることに。やっぱり勝負は机を選んだ時点で決まっていた。趙雲のパズルの方が圧倒的に簡単なのだ(汗)

 でもマニアックな例えながら同チームの傅僉さんと、武藤敬司と高田延彦の頂上対決の高田延彦の気分なんてことを話していた(笑)

 というわけでこの「三国志巨大パズル大会」は20分程度で終了。なかなか白熱した戦いだった。

 15時半。谷様による閉会の挨拶。満場拍手。
 次は来年の5月ということだけど、待ちきれない感じ。かなり楽しかったなぁ。


 それから清岡はこの後、二次会と称してカラオケへ連れていってもらうことに。
 しかしそこは特に三国志ネタはなかったかな。
 あ、十一月兎亭さんが「横山光輝三国志」(アニメ)のオープニングテーマ二連発と真・三國無双2のエンディングテーマを歌っていたぐらいかな。


・2007年5月4日 第六回三顧会(1)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/578

第五回三顧会ダイジェスト5「三国志城を旗で飾ろう」


  • 2006年8月22日(火) 22:36 JST
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    清岡美津夫
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場所 ・第五回三顧会ダイジェスト4からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/391

 それで次の「三国志城を旗で飾ろう」開始の13時半に近づくと写真のように特別企画展示場を入って左右に、茣蓙の上に長机が用意される。どうやらここで旗づくりが行われるようだ。
 とりあえず清岡は、谷様から旗の材料をもらって入って右の机に陣取る。旗の材料は予め切り込みの入っている大きい絹状のものと小さい絹状のものと棒と紐。谷様から「(大きい絹状のものに)自分の好きなことをかいてください」とのこと。諸葛亮が東南の風を呼ぶときに立てた旗をイメージしていて、風がくるように願いを込めてかくとのこと。ちなみにツルツルの方が表で裏にかくと縁起が悪いとのこと(笑)
 「風を呼ぶように」とピンときた清岡はたまたま持ってきていた三国志シンポジウムのレジュメを鞄から取り出す。そうそう渡邉義浩先生の報告「諸葛亮の兵法」の「四、演義の諸葛亮像」に書かれていた呼風符をそのまま写そうという魂胆。

・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3
http://cte.main.jp/newsch/article.php/381

 それで資料を見ながら、それから清岡は同じ机の右隣に座っておられた劉備コスの撫子さんや諸葛亮コスの飛 翼翔さんたちに、風を呼ぶ「発[火慮]」、「歩[四/正]」や「叩歯」のことを語る。とそれは良いとして肝心の旗の作り方を谷様からきいておらず、飛 翼翔さんにきく始末。しかも飛 翼翔さん、その直前に撫子さんに説明していたので二度手間(汗)
 そのうち左隣に皓さんとはとむ子さんが登場。はとむ子さん、陸遜コスのせいで正座できず(笑) そして飛 翼翔さんに教わったとおりのことをお二人に偉そうに教える(笑) ちゃんと「(諸葛亮コスの飛 翼翔さんをさし)軍師さんの受け売りですけどね」とネタばらししたけど。
 それから前に座るお二方(結局、名前、きかなんだ)が「三国志検定」という本を持ってきておられたのでその話で盛り上がる。いや、単なる本の名前で公式じゃないっすよ(内輪ネタ)
 清岡の旗が桃色なので→桃の天然水→桃園?→「張飛の天然水」(げっ)ってネタが飛び出ていた。
 ちなみに、はとむ子さんは写真のように赤い旗に陸遜を描いてていた
 旗に字を書いていると白樺 亮さんがやってこられて、以前、教えてくださった三国志大戦の馬岱の「ここにいるぞ!」Tシャツを見せてくださる。

 実物を手に取るとすごく面白かった。首の裏に「伏兵」って書いてあるし(笑) ちなみに馬岱の「ここにいるぞ!」のネタ元は三國演義「第一○五回:武侯預伏錦嚢計、魏主拆取承露盤」にある「吾敢殺[イ尓]!」ね。それが三国志大戦でのセリフ等に採用されたそうな。

 それで清岡は絹のようなものに呼風符を書き上げたので旗にしてもらおうと谷様のところへ行く。紐に切り込みの入った竹を挟んで完成とのこと。あと小さい絹状のものには制作者の名前とか書くんだけど、清岡はなぜか「発[火慮]」、「歩[四/正]」、「叩歯」と書く。そしてボンドでその小さい絹状のものを旗に張り付ける。
 ここで気づいたんだけど、なんと英傑群像の岡本さんも呼風符を書いておられた。別に岡本さんは三国志シンポジウムに行ったわけじゃないので、本当に偶然。三国志ファンの高い次元だと行き着くところは同じだと妙に感動していた(笑)。例えるなら「外国で日本人に会ったような……しかも知り合い!」てな感じ。

 それからもう一方の長い机でKJさん&KRさんはそれぞれ横山三国志の劉備と張飛を描いていた。劉備のところには「チャポーン」、張飛のところには「ジャーンジャーン」と描かれているのがポイント高い(笑)

会場の様子。はっきり写らないようにわざと手ぶれさせている(笑)はとむ子さん作、陸遜茶味さん作、関羽

 旗をつくるところは何も茣蓙の長机だけじゃなくて、三国志トランプ大会で使ったテーブルも解放されている。そのテーブルの上に汚れないように新聞紙がひろげてあってそこで旗に絵をかけるようになっている。
 ふと見てみると茶味さんが緑の旗に関羽を描き込んでいる(写真)。茶味さん、「関羽の髭、描き放題、超うれし~」とかいって、すごくテンション高めですごく面白い。勢い余りまくって、敷いている新聞紙にも絵を描きまくる。曹丕、司馬懿、凌統などなど。
 茶味さん、その絵を皓さん(真・三國無双、凌統コス)にプレゼントすると、皓さんが満面の笑みを浮かべながら「ありがと」と言いながら、新聞紙をちぎり凌統だけを奪い去る(笑) さらにその凌統の絵にある目の下のほくろの位置が左右逆なことを「これじゃ前回の私」と指摘していた(笑)
 で、ほくろの位置が左右逆ならば裏写りしまくっている新聞紙を裏表、逆にすれば解決、なんて言っていて、裏返すと新聞紙には何か広告になっていて写真とともに「悩殺必至」とかいう文字が踊っていた(汗) それがみつかったらすぐに皓さんによってその文字はちぎられ捨てられていた(笑)

そしてみなで壁の金具に各自の旗を刺していく

 そして実際、皆で外へ旗を立てに行くことに(写真)。いやー、こうみると爽快だ。何か七夕を彷彿とするなぁ。
 ちなみに清岡は「まさしくこれ」とか言いつつ「奇問遁甲」の看板のところにおいてきた。

 しかしこの企画、文字でも絵でもそれぞれが楽しみめる良い企画だなぁ。



・第五回三顧会ダイジェスト6へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/393


※追記 ワークショップ via 「大三国志展ブログ」

第五回三顧会ダイジェスト4「お食事(各自)」


  • 2006年8月22日(火) 15:33 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 ・第五回三顧会ダイジェスト3からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/385


 12時30分。というわけでプログラム上はお昼休み。
 「事前に売店で食券購入必要」ってことだけど時間は11時からでもOKだったようだ。かくゆう私はすっかり食券を買う機会を逸していたし、食堂に行ったら、満席御礼だったので、まぁ朝食食べたし、とりあえずいろんな人とお話しする時間に当てようとした。

 というわけでこの時間帯は食堂と特別企画展示場を往復する清岡
 食堂にいったら某さんが前回の三顧会と同じくゆで卵の黄身だけわたそうとするし(笑)
 それから三国志大戦のUC司馬懿の扮装をしている十希野さんにあって、コスプレの話。それからたまたま三国志大戦の周瑜の扮装をしていた遜瑜懿さんが通りかかってきたので、実際に三国志大戦の周瑜のカードを首から下げているのは素敵なアイディアだ、なんて言っていた。
 そこらへんでKJさん&KRさんと合流し、なぜか「幸福の入口」(トイレのことね)の前でコスプレとか三国志城の印象とかクイズラリーの話とかの話をしていた。
 さらに如月雪さん夫妻や英傑群像の岡本さんがきて、立ち話でよもやま話続行。東京発の三国志城ツアーなんかあって東京山口間の三国志名所を回れればいいなぁ、と夢を話していた。それから三顧会はレイヤーさんのおかげでかなり華やかだな、って話も。「女の子も増えたからそういう意味でもすごく華やかになった」と如月さん。そういえば第一回・第二回に比べれば数としては増えてるなぁ。あ、如月さんは三顧会三回目なので谷様の色紙ゲット。
 それから如月さん、コスプレのことで意気込んで「私も来年しよう!、全身、豹柄で」と言いだし、「なぜ、豹柄?!」と皆を驚かせ(&笑わせ)、すかさず「『蒼天航路』の孫燁夏みたいな格好をして」と言ったので納得。それでも清岡は初めの「豹柄」発言を受けて「何をしはじめるんや! ここは三国志城やで! サファリパークやないで!」と突っ込んだが。

 そこからどこぞの報道機関が来て、英傑群像の岡本さんが取材をうけてた。
 トランプのことや旗のこと(旗づくりは当日これない人のために前日もあったので)を取材されたんだけど、清岡はたまたまもってきていた「漢代の文物」を片手に取材の人に西洋風の旗との違いを説明。もちろん

清岡「あんまり記事になるようなことじゃないんですが、ま、一応、説明を」

と自虐的なことを言いだし、「漢代の文物」に書かれている旗に関する文章を読み、画像石のスケッチを見せる。

清岡「多分、そんな詳しいことを考えながら作っているわけじゃないでしょうけどね」

なんて言いつつ。
 食堂に行ったら、前回と同じくまた某さんたちからアイスをねだられる。「激・無双乱舞、やってくれたら」と言いつつそれをかわす。
 また特別企画展示場へ向かうと、ちょうど第一展示場の中でKJさん&KRさんと如月さん夫妻と涼しいところで立ち話。今回の清岡の講習会について。あぁ、なるほどね。あと今回は清岡がスタッフと間違えられやすいって話(笑)。それからKRさんも如月さんの夫さんも三国志知識が0ってことで、2,3日前にKJさんがKRさんの前でさりげなく真・三國無双2をやったって話だった。
 それで「幸福の入口」前に出ると、はとむ子さんと皓さんがいらっしゃったんで、馬鹿話をしたり、写りがヤバいネタ写真をとったりしてた。

 それから、今回、清岡はレイヤーさん(コスプレをする人)たちの集合写真を撮ってなかったけど(ちょうど講習&トランプ大会のときに全員集合だったようで)、KJさん&KRさんが撮った写真をあてに(汗)、それぞれのレイヤーさんのサイトに載せていいか交渉行脚に出かけた。
 それで言ったのが、食堂奥のテラスの方。そこには横山三国志の劉備コスの撫子さんと諸葛亮コスの飛 翼翔(ふぇい いーしぁん)さんがいらっしゃったので交渉……と思ったら、逆に三国志サイトのことを訊かれたのでここ三国志ニュースのアドレスをさしあげた。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329
↑あ、過去の三顧会の様子はここらへんからたどってください。
 あと中華コスプレ日本大会(in鳥取・燕趙園)の話とか。本当は劉備&諸葛亮コス以外にも徐庶コスの人がくるはずだった話とか。

 それから特別企画展示場へ戻ると、若杉さんたちがクイズラリーへの回答にいそしんでいた。
 次のプログラムを待つことに。


・第五回三顧会ダイジェスト5へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/392

2006年10月7日-12月10日「中国古代の暮らしと夢」(東京・大倉集古館)


  • 2006年8月21日(月) 22:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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展覧会 「陶器が語る来世の理想郷 中国古代の暮らしと夢―建築・人・動物―」の展覧会が2006年10月7日(土)~12月10日(日)の期間で大倉集古館(ホテルオークラ東京)で開催するそうです。

・大倉集古館
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/index.html


情報は關尾史郎先生のブログより。

・關尾史郎先生のブログ
http://sekio516.exblog.jp/
・「陶器が語る来世の理想郷:中国古代の暮らしと夢-建築・人・動物-」
http://sekio516.exblog.jp/4024377


↓ちなみに京都でやってたときの雑感
http://cte.main.jp/newsch/article.php/317

2006年7月29日「三国志シンポジウム」便乗オフ会


  • 2006年8月20日(日) 21:42 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット 大東文化大学の学舎内にはこうやって「人文科学」が無料配布されている・2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」雑感からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/388


 ここでKJさんの携帯メール情報によると仁雛さんがこちらへ向かっているとのこと。話して合流できるのかね。
 ちなみに如月雪さんは我々が講演会を聴いている間に帰られたとのこと。

 それで下記のリンク先の予定通り、「三国志シンポジウム」の後、ネットの知り合いが集まってオフ会をすることになる。

・「オフ会をやります」(「三国志ファンのためのサポート掲示板」記事)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one;no=2394

 オフ会の会場はKJさんの人脈と、とある先生のご厚意により(名前出していいかわからないので一応伏せる)、ミーティングルームのようなところを貸していただく。そこのテーブルの周り皆が囲む。

 メンバーは清岡KJさん、三口宗さん、ミミまろさん、伊比学さん、げんりゅうさん

 それぞれ持ち込んだお土産を茶菓子としてみなでつまむ
 しばらくはこちらへ向かっている仁雛さん話。伊比学さんの教え子の小学生に仁雛(こちらは「にしな」と読む)という人がいるらしく、清岡、失礼にも「小学生が来るに違いない」とか言っていた。

 それでオフ会といえば恒例の自己紹介。KJさんからスタート。自サイトの話に続き、KJさん曰くオフ会初めて……もとい数回目。去年の三国志シンポジウム後のオフ会が初めてのこと。一回目の三国志シンポジウムの話になる。それから一回目と二回目の比較。今回、前回に比べ高校生が少なかったけど、場所がわかりにくかったかな。
 つづいて向かって左隣にすわる、げんりゅうさん。自ブログの話。やっぱり去年の三国志シンポジウムから縁があってっていう話。それから英傑群像さんにクイズを提供した話。
 自己紹介で伊比学さん、自サイトの話。それからミミまろさんと続く。それからミミまろさんからハンドルネームの話。やっぱりリアルで呼ばれると恥ずかしいとのこと(笑)
 で、話中断し、清岡のノートPCで英傑群像のクイズをみせていた。
 続いて三口宗さんの自己紹介。自サイトの話とよく行くサイトの話。それから清岡の自己紹介。
 そこから派生してNPO三国志フォーラムの話。真・無双検索の登録の話。三国志連環の話。そろそろデッドリンクを整理が始まるという話。登録内容を変えないとそろそろ消されてしまうという話を伊比さんにしていた。
 それから清岡から。過去に真・無双検索で登録サイトをどんどん消して3600サイトから3200サイトぐらいにまでなったって話。げんりゅうさんから「正史三国志原文検索」の母体となるサイトが閉鎖になったって話。みんなでうまくコンテンツを引き継ぎしたかったと話していた。
 学校からのアクセスだと変なページにリンクしているとリンク元のサイト自体、アクセスできないことが発生する。それでアクセスできないサイトに三国検索があがっていたとのこと。そこから恋姫†無双の話になる。
 あと伊比さんが本づくりをしたときの話。編集サイドから軍師100名出せと言われて、がんばって出したという話。とりあえず君主に献策したら軍師、って定義にしたそうだ(笑)
 それから明日の三国志学会にスーツを着ていくかどうかの話をしていた。
 あと清岡が持ち歩いていた英傑群像の三国志地図下敷きを見たり。

 ここで仁雛さんが登場したんだけど、すぐに先生方に連れて行かれた(汗)
 その一瞬の間に強引に「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」で中国の先生に通訳はあるのか、って仁雛さんに質問をする清岡(汗) 通訳はないけど要約する紙はだすとのこと。

 あと出版関係の話。どれぐらい刷れば採算が合うかって話。そこから復刊ドットコムの仕組みの話と三国志研究要覧の話(えぇ、ウェブにあるんすよ)
 そこから論文検索の裏話的な話。そこから今のレポートは手書きかワープロかって話に派生した(ネットからのコピー&ペーストとのかねあいね)。それで清岡がよくアクセス解析でそういういうのを調べているような検索ワードがあるって話になって、各自のサイトの検索ワードの話になった。

 そういう話をしていたら部屋をしめる時間帯になる。18時過ぎ。
 その部屋を片づけ一同、外へ。

 そのまま解散、あるいは二次会と思いきや、めざとく大東文化大学の研究紀要など無料配布のものを見つけ、それをみなであさり始める(笑)。なにかとてつもなく楽しいひとときだった……といいつつ、ゲットした紀要は未だ目を通していない(汗)
 あとしっかり物色している三国志マニアの方々の様子はしっかりKJさんとげんりゅうさんからデジカメで撮影されていた(汗)

 ここで一次会は終了したと言うことで、三口宗さんさんはここでお別れ。
 それ以外のメンバーは池袋の夜の街へと消えることとなる。


・2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノートへ続く。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/395

2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」雑感


  • 2006年8月20日(日) 19:31 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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教育機関 虎牢関の場所なんてわからないんで、旋門関で代用・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感4の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/386

 ということで15時30分に同じ教室で一般視聴可能な大学院生向けの講義があるとのことをきいて、それを聞くかどうか迷う我々。中国の先生による講義らしい。
 一つの懸念事項は通訳がつくかどうか。

 とりあえず残って聴く派と他の場所でくつろぐ派に分かれる。それで待ち時間まで如月さんと三国志学会や三顧会の話やらしていた。あとKJさんとげんりゅうさんとNPO三国志フォーラムの話とか。

○大学院特別講演会 曹操殺呂伯奢 ──從陳寿≪三国志≫到羅貫中≪三国志演義≫
                     中国社会科学院教授  劉 世徳

 いよいよ講演会が始まる。予め三枚のレジュメが配られている。レジュメは簡体字だけどここでは便宜上、表示できる字に変えてある。劉先生、今年で75歳になるとのこと。今回は大東文化大学の非常勤講師の人が通訳につくとのこと。名前は失念したが中国の方っぽい。
 講演に入る前に三国演義の四つの初めて(第一)。一つ目は中国古典小説でもっとも読者の多い。直接的な読者と間接的な読者がいるとのこと。日本でも三国演義が古典小説で第一。
 二つ目は中国での初めての長編小説。三つ目は初めての○○小説(ききとれず)。四つ目は初めての歴史長編小説。

 三国演義、中国の西遊記や水滸伝は蓄積的な小説。三国演義やその他の小説は大衆による小説。劉先生はこの二つの考え方に同意しない。劉先生は三国演義を作家の創作によりつくられた作品とみなす。建設的な作家によるある理想にそった偉大な作品(※あまり聞き取れず)。例えば、我々の前にはたくさんの布きれがある。一つの服にするには裁縫する人の考えが反映される。裁縫する人がいなければ所詮、布きれで服にはならない。つまり三国演義が蓄積的な小説であり大衆によって作られた小説であれば、作家の能力は認められない。

 曹操の名言「寧教我負天下人、休教天下人負我。」(三国演義第四回or第八節)。これは曹操の本質を表している。この言葉はいつ話されたか? それは曹操が呂伯奢を殺した後に出た。この物語は蓄積的な経緯がある。まず『三国志』武帝紀より。

卓表太祖為驍騎校尉、欲與計事。太祖乃變易姓名、間行東歸。出關、過中牟、為亭長所疑、執詣縣、邑中或竊識之、為請得解。卓遂殺太后及弘農王。太祖至陳留、散家財、合義兵、將以誅卓。

 ここでこの文章の説明。
 (レジュメには「出關(虎牢關)」ってなっているけど、この時代、虎牢關の記述はないよな)

 このとき、曹操は中牟から直接、陳留に行ったから成皋によってないので、実は呂伯奢に会うことはなかった。
(※講義後、げんりゅうさんは「成皋呂伯奢」の成皋が住んでいるところなのか出身地なのかが肝、とおっしゃっていた。なるほど)
 しかし注の中では呂伯奢という人が出てきた。まず三つの書籍を引用した。王沈の『魏書』、郭頒の『世語』、孫盛の『雑記』。具体的な記載の話にうつる。
 王沈の『魏書』から。

太祖以卓終必覆敗、遂不就拜、逃歸郷里。從數騎過故人成皋呂伯奢;伯奢不在、其子與賓客共劫太祖、取馬及物、太祖手刃撃殺數人。

 これを読んでいく。
 ここでは七つ注意すべき点がある。第一に曹操は何人かつれていた。同行者はどんな人か書いていない。第二に呂伯奢は単なる「故人」(旧友)。それほど親しくない。第三に曹操は呂伯奢本人に会っていない。第四に息子は何人かは書いていない。第五に息子たちがどう招いたかかいていない。第六に息子たちがまず曹操に悪意の行動をとった。第七に曹操は人を殺した。人殺しは仕方なく起こした。曹操が具体的に誰を殺したか、書いてない(息子が殺されたか不明)。

 次に郭頒の『世語』より。

太祖過伯奢。伯奢出行、五子皆在、備賓主禮。太祖自以背卓命、疑其圖己、手劍夜殺八人而去。

 やっぱりまずこれを読む。
 ここでは『魏書』と同じ点が二つある。第一に曹操は呂伯奢にあっていない。第二に人を殺したことは同じだが誰かはわからない。
 ここでは六つの注意する点がある。第一に曹操の同行者がいない。第二に曹操と呂伯奢の関係が不明。第三に呂伯奢の息子が五人居る。第四に息子たちは曹操を好意を持って招待した。第五に曹操は根拠なく疑い、悪意を持った。第六に曹操は全部で八人を殺した。しかし八人の中に息子が入っているかどうか不明。

 次に孫盛の『雑記』より

太祖聞其食器聲、以為圖己、遂夜殺之。既而悽愴曰:「寧我負人、毋人負我!」遂行。

 やっぱりこれを読む。これは前二つの書物を補う形となっている。
 呂伯奢の息子たちはどのように曹操に対して行動をとったか。はっきりした記述はない。どうして曹操は疑うにいたったか等、書かれている。最後の方は曹操の内心や本質が鋭く読者の前へ表した。

 三つの書物は異なる立場を持っている。この三つは共に三国演義の素材。
 比較すれば孫盛の『雑記』が最も良い。鋭く深みがある。郭頒の『世語』がその次で、王沈の『魏書』が一番下。
 『魏書』は曹操の悪いところを隠そうとして呂伯奢に悪意ある中傷をしている。羅貫中はその恣意を参考にしつつ創造的改造をした。創作の課程の中、検証しつつ省いたところもある。羅貫中の創作に三つある。
 第一に羅貫中は名のある人物を付け加えた。それは陳宮。陳宮は二つの役割を持つ。一つは曹操の救援者。もう一つは逃亡中の曹操の同行者。陳宮が質問し曹操が答えるシーンでそこで羅貫中は曹操の内心を見せている。
 第二に羅貫中は曹操と呂伯奢の関係を変えた。呂伯奢は曹操の旧友ではなく、曹操のお父さんの義兄弟にした。これで曹操と呂伯奢がかなり親しい間柄になる。呂伯奢が曹操に悪意を持つことをありえなくした。この設定で曹操の立場をより背徳的にした。呂伯奢がお酒を買いに行く必然性がでる。
 第三に羅貫中は二つの細かいシーンを付け加えた。一つは一家を殺した後に曹操は台所で殺される豚を見るシーン。ここで読者は本当のことを知る。実は一家は曹操を殺すのではなく豚を殺して曹操をもてなそうとしていた。もう一つは、曹操は帰ってくる呂伯奢と会い、呂伯奢を殺した。曹操は間違えて八人を殺し後悔することもなくさらに老人(呂伯奢、父の義兄弟)を殺した。これにより疑い深く、自己主義で、奸心が多くて、毒が多く、残虐な曹操の性格がよく描写された。

 まとめると曹操が呂伯奢を殺したシーンは羅貫中の最も優れた描写であって、羅貫中は曹操という人物の性格を描写するのに最も重要なシーンである。
 劉先生は蓄積的作品であればこれほどすばらしい作品にならないと思い、大衆による作品でも同様に思う。偉大な作品は必ず偉大な作家によるものだ。


 それから司会によるまとめがおわり、大学院生が会場の片づけに入る。
 とりあえず我々はオフ会へと向かった。

・2006年7月29日「三国志シンポジウム」便乗オフ会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/389

メモ:コスプレと新聞記事


  • 2006年8月20日(日) 11:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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新聞  2006年8月14日に山口県の三国志城で三顧会というイベントが行われて毎回、大小さまざまないろんな報道機関がくる。それで毎回、取材されるがそれが報道されるかどうかは別の話で、毎回、どれが取り上げられるんだろう、なんて話をしていた。
 5月4日に行われた前回では中国新聞の地域ニュース(2006年5月5日)に「三国志ロマン、杯作りに挑戦 光」という記事で紹介されていた。

・中国新聞に三顧会の記事
http://cte.main.jp/newsch/article.php/332

 上記リンク先を見てもらうとわかるんだけど、コスプレ(あるキャラクターの姿に扮装する行為、コスチュームプレイの略)の方が記事になりやすいとか言ってたんだけど、やっぱり今回、コスプレの方が記事となった。
 読売新聞の九州発(2006年8月15日)、「三国志ファンの女性10人、英傑の衣装着用しイベント…山口」という記事。詳しくは下記の英傑群像のブログの記事で。

・三国志エンタメ三国志情報&グッズ「英傑群像」
http://www.chugen.net/
・三国志ブログ英傑群像通信「読売新聞三顧会イベントの記事」
http://sangokushi.chugen.net/?eid=547454

 当日のコスプレは横山三国志系が劉備、諸葛亮、三国無双系が、凌統、4陸遜、司馬懿、3陸遜、関平(→月英)、三国志大戦系が、周瑜、司馬懿の計9名で約10名か、なるほど。
 (あと内輪ネタだとカンフー服とチャイナドレスとか)


 その二日後に日本海新聞の記事(2006年8月17日)で「燕趙園に集え中華英雄 来月コスプレ日本大会」というのがあった。こちらは鳥取の燕趙園で2006年9月24日に2006年度中華コスプレ日本大会をやるって記事。下記の記事参照。100名あつまるかな。参加申し込み締め切りは9月10日とのこと

・2006年9月24日 中華コスプレ日本大会(in鳥取・燕趙園)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/371

 そういえば、コスプレ大会のサイトの写真がポスター用の写真に差し替えられていた。イメージ統一でいよいよ開催って感が強まっている。

2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感4


  • 2006年8月19日(土) 18:49 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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教育機関 見にくい写真だけど張り出された今回のプログラム・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/381


 みなさまのおかげで今年はパネルディスカッションのスタートに間に合って良かったよかった。
 まだ始まるまで時間があったので立ち話。ここで如月雪さんと会う。どうやら渡邉義浩先生の報告には間に合ったとのこと。そこから新妻・如月雪さんの近況をきいたり、KJさんからUSHISUKEさんの近況をきいたり、清岡からしずかさんの近況をはなしたりと。
 それからどうやら如月さん、次の日に三国志学会の第一回大会があることを知らなかったようだ。でも学会には入るとのこと。

 それで13時30分になる。少し遅れてスタート。

○第二部 パネルディスカッション
     司会 大東文化大学文学部中国学科助教授  中川 諭
          コメンテーター   東京大学三国志研究会
          コメンテーター  学習院大学三国志研究会
          コメンテーター 大東文化大学三国志研究会

 司会の中川先生からアナウンス。午前中の報告への質問をする時間帯のようだ。質問者は主に前に並んでいる各大学の三国志研究会のみなさま。まず各研究会から簡単に一つずつ質問していく。ここらへん前回のパネルディスカッションで各三国志研究会からの質問がマニアックになりすぎて一般視聴者をおいてけぼりにしたことに対する反省を踏まえているとのこと。

 まず向かって右の学習院大学三国志研究会から。沈先生への質問。三国演義が中華民族精神への影響が第一だ、とおっしゃったことに対して、三国演義以外の水滸伝からの影響は位置づけ的にどうなのか? って質問。ここで通訳を交えるのでしばし待つ。
 まず沈先生は三国演義も水滸伝も研究されているとのこと。それまでの考え方だと人物描写・言葉遣いが深い。三国演義の方が理想がなされていて社会に対する影響はより強いものがある。報告で述べたように四つの要素がある。今のような正常な社会から見た場合、プラスに影響が働くのは三国演義の方がより強い。
※沈先生の発言→通訳→清岡の文でかなり元の情報が変質していることをご了承ください。以下、同様です。

 次が真ん中の東京大学三国志研究会から渡邉先生への質問。荊州学に関する質問。荊州学は兵法にどのような役割があるのか? 春秋左氏伝には戦いの記述があり、諸葛亮の行動へ反映されていることがわかるということを具体的な例をあげて渡邉先生が説明。兵の交代のエピソードだけど具体的なところは清岡失念。

 その次が大東文化大学三国志研究会から上田先生への質問。吉川英治が、劉備に自分の妻の肉を差し出すエピソードを嫌ったとのことだけど、葛飾戴斗二世の残虐性は当時の日本人(江戸の人)は受容していたのか? 戴斗が描いていたから読まざるをえなかったのか、それとも好んで読んだのか?
 上田先生は授業で戴斗のそのシーンを見せると女子学生が「キャー」といっていやがるとのこと。江戸時代の人でも評判がわるかったんだろうとのこと。一方、江戸時代、好まれる風潮もある。一概には言えないが嫌われて居たのだろうとのこと。

 ここで観衆からの質問タイム。今回初でうれしい試み。
 まず会場から質問を募ったが、さすがに誰も手を挙げなかったので、ここで質問用紙から中川先生が質問を読み上げる。
 羅貫中が理想を求める余り三国演義には三国志にはない記述がでてくるが、それに関して何か考えはあるか? これは沈先生への質問へとなる。
※以下、回答は箇条書き
 確かに三国演義は細かい部分では三国志に合致しない部分がある。三国演義には沈先生が思う600あまりの暗号がある。600あまりの暗号は三国志との食い違いに関するもの。情景に関して130の項目を設けている。小説の中の情景というのはどうしても虚構が入る。精彩を放つものほど虚構が入る。しかし、このどれも基本的な史実をかえているわけではない。相対的にみると三国時代の姿をよく反映しているのではないか。反映されている部分は国家統一への願い。これは三国時代の人々の願いと一致する。三国演義に見られる劉備集団に対する賞賛は唐代以降見られるようになる漢族政権による国家統一の願望が反映されている。まとめる国家統一への願望に関しては三国志と三国演義は一致する。劉備集団への賞賛は必ずしも事実と一致しない。というのも三国の争いはいずれも漢族だから。羅貫中の時代は漢族でない民族の支配が始まる時代なので、そういうのが劉備たちへの賞賛に反映される。小説を書く人の時代の影響を受けることは免れることができない。

 ここで観客席にいらっしゃった周文業先生からの渡邉先生への質問。もちろん通訳が入る。諸葛亮の軍事に二つの見方がある。三国演義では軍事的成功がある。三国志ではそれほど成功をおさめていない。(三国志での)赤壁の戦いでは、戦いは周瑜で、荊州をとったのも劉備・ホウ統で、諸葛亮は何もやっていない。南征は成果でありますが、それは単に南蛮の人たちが弱かった(会場、笑)。漢中を奪ったのでも劉備・法正で、諸葛亮は何もやっていない。
 中国でもこういった二つの見方がある(大衆は小説から諸葛亮を軍事に優れているとおもっているとのこと)。渡邉先生ご自身は史実の諸葛亮をどう評価するか。
 回答。「『一流である』と言い張ることに」(場内笑)。おっしゃるとおり負けてばかりだけど「負けっぷりが良い」とのこと(場内爆笑)。諸葛亮は負けるときには兵を損なわないという兵法において最も難しいことを実践している。曹操に勝てないのは仕方ない。曹操は超一流だから(場内爆笑)。諸葛亮が超一流に勝てないからといって諸葛亮が一流でない証明にはならない。諸葛亮を徹底的に擁護した人に朱子がいる。大東文化大学は朱子学の大学なので朱子に反することはできないという政治的立場かある(場内爆笑)。
 さらに質問。諸葛亮は確かに軍事的に優れていたが、蜀という国の力が劣っていたという見方もあるが、渡邉先生はどう見るか
 ※回答。沈先生は成都からいらっしゃっている。その先生の前で四川は国力で劣っているなんて言えない(場内爆笑)。

 簡単な質問。先生方の一番好きな登場人物は誰ですか?
 沈先生から。私だけでなく中国の絶対多数の人々の代弁をし、諸葛亮とのこと。なぜならば歴史人物としての諸葛亮は当時の知識文士の優秀な担い手。三国演義での諸葛亮の描写によりさらに人物の魅力が高まる。諸葛亮というのは現在の中国人民の心の中で最も優れた軍事家でもある。忠義なる人物で尽きることのない知恵、中国の人も外国の人もかわることのなくいずれも尊敬する不朽の人物。元々、歴史人物として優れていてさらに小説として高められた。ここで沈先生の著作の紹介。
 ここで上田先生にいくまえに周先生からの反論。大体、同意するが、別の人物も中国の人から好かれてる。まず関羽。影響の面から。つまり中国国内のみならず海外どこへ行っても中国人のいるところには必ず関帝廟があるから。次、曹操。今日において多くの歴史家が曹操の名誉回復につとめている。中国中央電視台製作のテレビドラマ「三国演義」(ここで全87話説と全84話説がでて場内をわかせる)でこのシーンは誰が主役か論じられた。監督は曹操こそ主役と述べていた。三つ目、趙雲。タイで「三国演義」が放送されたとき、国王の叔父さんがテレビで全国に向けて「趙雲にはかなわない」と呼びかけたそうな。それでタイでは趙雲だとのこと。

 それから上田先生の回答。10年前の同じ質問で関羽と答えていた。留学の時に中国での関羽の影響力に感銘を受け、それ以来、関羽グッズの収集家になったそうな。特定人物が好きだというか場面場面が好き。吉川三国志での長板坡の趙雲の活躍が好きだけど、それは場面が好きなのか趙雲が好きなのか未だによくわからないとのこと。

 渡邉先生の回答。日本では曹操の再評価というより学術的な話じゃなくて変な漫画?(場内笑)の影響で曹操ファンが増えていたり(暗に田中先生のことをさす?)、呉のファンがいたり(暗にゼミの学生をさす?)するので、いつも肩身の狭い思いをしていたが、今回は心強い味方がいる。三国志学会会長の狩野直禎先生も「諸葛孔明」を書いているし、渡邉先生も「諸葛亮孔明」を書いているし真っ当に読めば諸葛亮がナンバーワンってのはゆるがない。三国演義だと趙雲。

 あえて司会の中川先生からの回答。版本(はんぽん)研究やっている人だと関索とのこと(花関索伝)。なぜなら関索によってずいぶんネタを提供してくれた。

 ここから再び各三国志研究会からの質問
 学習院大学三国志研究会から沈先生への質問。レジュメから「このような考え方は、清代康熙年間に毛宗崗が改訂した『三国演義』のテキストの冒頭にある…」とあるが、このように変化があったことはどういう思想的なものが入っているのか?
 回答。毛宗崗本にならないとそういう表現はでてこないので、この表現を持って羅貫中の考えとすることはできない。長いこと統一されていたからそろそろ分裂だ、というような単なる循環的な考えではない。羅貫中の考えはどうしても分裂してしまうかもしれないが、それを乗り越えて統一したいというの羅貫中の本質的な考えである。毛宗崗本のこの記述は清代の一部の知識層の考え方を反映したもの。元々、羅貫中が書いたものと思われるものは、魏呉蜀の英雄に対する態度はまだ比較的公平。三国演義嘉靖本の典型的な話。嘉靖本では初登場の曹操は「英雄」と表現。ところが毛宗崗本では「英雄」という表現が削除されている。二つ目の例。嘉靖本では諸葛亮が馬岱に責任を押しつけるシーンがあるが毛宗崗本ではめでたくそのシーンがぬけている(場内、笑)。こういう変化はそれなりの合理性が出てくるが、曹操に関しては描写の豊かさが減ってしまっている。その他、挿し絵が入ってきたり様式が変わってきてる。知識層向けと一般人向けの版本に分かれていく。前者を通俗演義系統、後者を三国志伝系統と呼び、中川先生によると後者はさらに繁本系統と簡本系統に分かれる。これは難しい問題なので版本に関するシンポジウムが過去二回あった。さらに専門的な話を知ろうとすれば、金文京先生、上田先生、中川先生の論文を読むことをおすすめする。

 周文業先生も版本に関する研究をしていて明後日(第五回中国古代小説文献与数字化研討会)で発表するとアナウンス。さらに周先生から上田先生への質問。日本と中国の挿し絵の変化について何か考えがあるか? 
 回答。とっさに言えないが、簡単にいうと、初め模倣したが、自分たちオリジナルなものになっていた。中国での挿し絵は1ページごとに挿し絵がつく本(三国志伝系統)と、何ページかごとに緻密なものが一つつく本(通俗演義系統)に分類される。日本には両方とも輸入されていた。日本人が参考にしたのは主に後者。日本人は緻密なものを好んだ。そこらへんが日本と中国の違い。

※新規関連記事 メモ2:三国志学会 第十七回大会(2022年9月4日)

 東京大学三国志研究会から上田先生への質問。なぜ毛宗崗本の訳がすくでなかったか? なぜ湖南の文山の通俗三国志が長く読まれていたか?
 回答。水滸伝の版本から推測。滝沢馬琴の言葉から想像。儒教寄りの毛宗崗本の翻訳は日本人の肌に合わなかった。<湖南の文山の通俗三国志について> 原文より訳本の方がよく流通されていたし(需要があったし)、よく読まれやすかった。これを渡辺精一先生の言葉を借りて三国志の筑摩の全訳本がでてから『三国志』がよく読まれるようになったことに似ていると解説。

 質問用紙から沈先生への質問。大東文化大学の留学システムについて。回答。大東文化大学と四川大学には交流協定があるそうな。四川大学への留学を歓迎している。
 質問用紙から渡邉先生への質問。大東文化大学のカリキュラムについて。回答。漢文読解重視。三国志と三国演義、軍事史など三国関係を専門としている先生がそろっている。何よりも大きな顔をして大学を歩ける。なぜなら中国学が看板の大学だから。三国志を学びたい人は是非、大東文化大学へ。

 そして15時に三国志シンポジウムの終了が宣言され、これからの予定がアナウンスされる。なんでもこの後、15時半から一般視聴可能な大学院生向けの講義があるとのことだ。あと明日は三国志学会第一回大会があって、明後日は第五回中国古代小説文献与数字化研討会があるとのこと。

・2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」雑感へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/388

第五回三顧会ダイジェスト3「三国志トランプ大会チーム戦」


  • 2006年8月18日(金) 19:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 前日とった写真だけど、同じ配置。・第五回三顧会ダイジェスト2からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/384


 それで時間が30分押していたこともあってすぐに「三国志トランプ大会チーム戦」に移るとのこと。
 司会は英傑群像・岡本&飛熊さん。

 準備している間、入り口あたりをふらふらしていたら、如月雪さん夫妻や第二回のころからの知り合いの十一月兎亭(ノーヴェンバー・ラビット)さんに会う。三人とも結局、私の発表を聞けなかったとのことで、残念。

 そうこうしている間に、英傑群像の岡本さんから三人一組になるように言われる。そこで清岡は十一月兎亭さんと塚本さん(※多分)と組んでCチームになることに。
 まず1チーム一人ずつが入り口入って右奥のテーブル(写真の向かって右のところ)の奥のところへチーム名のアルファベット順に並ぶ。
 それで司会の二人は先ほど清岡が居た机(写真の向かって左のところ)に陣取る。机の上には何枚もカードが裏返しに置かれている。

 それで岡本さんからルール説明があった後、スタート。
 まず「所属国は何?」というテロップが出された後、机の上のカード1枚が司会によりめくられる。そうすると京劇の顔デザインのカードが出てきて、「程普」と読み上げられる。カードはビデオカメラで写され、そのままスクリーンに映し出され、観客がそれをみれるようになっている。
 そうするとテーブルのそばにたつ人たちが魏、呉、蜀と書かれたテロップのうちどれかをあげるって流れ。これは「呉」が正解で十一月兎亭さんは正解。意外と何人か間違っていたなぁ(「程普」って意外とマイナー?・笑)。その正解者に応じ、遜瑜懿さんが壁に掛かっている表に点数を書き入れる。それで一人三問ずつなので、続けて、カードがめくられる。次は周泰。これも「呉」が正解。その次が黄忠。「蜀」が正解。ここで一人、三問出されたので選手交代。

 二番手の人がテーブルに並ぶ。
 そして同じようにカードがめくられるその次は夏侯惇。「魏」が正解。で、ここで問題の種類が変わって「子供の名前」。カードが何回がめくられるが、誰も答えられないものばかりなので流れる。そして答えられそうな出たのが「孫権」。ここで白紙のテロップにみなマジックで書き込む。出た答えは「孫休」やら「孫昭」(チームCの答えだ)やら「孫亮」やら。正解は「孫休」と「孫亮」ね。一応、ここで十一月兎亭さんが三国志資料室から何かの本をとってきて確認をとってくれる。
 それから次も問題の種類が変わって「参加した戦い」。ここでカードがめくられ出たのが「司馬懿」。ほとんどの答えが「五丈原の戦い」。そこで岡本さんから「難しいの書いたらポイントアップ」とアナウンスされるが、特にそれ以上、出ず。なるほど答えによって点数が違ってくるのか。三問出たのでここで選手交代。

 チームCの三番手、清岡登場。
 ここで岡本さんから「最後の人は難しく…」とアナウンスされ、清岡、思わず「えっ?!」と言ってしまう。
 まず恒例の「所属国は何?」で、めくられたカードは「曹洪」。「呉かなぁ」とかとぼけながら清岡は「魏」を出す。全員正解で2ポイント。その次が「親の名前」。初め「徐晃」とかめくられるがもちろん誰も答えられないからスルーで次、出てきたのが「孫尚香」。「お母さんも書いたらポイントアップ」と事前にアナウンスされる。それで清岡は「孫文台、呉夫人、呉国太」と書く。呉国太は創作キャラだから一応、呉夫人も付け足す。他の人は「孫堅」「孫堅、呉夫人」「孫堅」「孫堅」。全員正解ながら、呉夫人と書いた2チームはポイントが高い。次の問題は「簡単な説明」。で、カードがめくられると「文醜」が出てくる。岡本さんが「袁紹の部下とか…」というと飛熊さんから「言っちゃだめです」とツッコミが入る(笑) で、出てきた答えは「袁紹の部下」「関羽に討たれた」「袁紹の部下、顔良と並び称される」(これは清岡の解答)「袁紹の部下、関羽に討たれた」「袁紹の部下、関羽に斬られた」「袁紹の武将、官途の戦い参加」など。「袁紹の部下」だけだと点数は低い。ちなみに官途の戦い参加は不正解ってことに(その前に斬られたんだっけ)。

 それで三人目も三問出たのでチーム戦終了、壁に掛けられている表を見ると、Cチームが1ポイントの僅差で勝利! Cチームの三人は賞品をもらうことに。
 清岡は三国志城煎餅、三国志トランプ(というか「三国演義高級撲克」)、豪剣三国志列伝(何かキーホルダーぐらいの長柄の武器3つ)、孔明のブロマイド(成都武侯祠の像の写真ね)。ちなみに十一月兎亭さんは前々回も三国志トランプ大会で優勝したから連覇だね。それとは関係ないんだけど、三国志トランプ80cmぐらいの槍をもらっていた。すげー。

 そしてお昼からのスケジュールのアナウンスがあって昼休みへ。


・第五回三顧会ダイジェスト4へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/391

第五回三顧会ダイジェスト2 三国志講習会「劉備のデビュー」


  • 2006年8月18日(金) 13:27 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 会場のスクリーンには初めこのようなのが映し出されていた・第五回三顧会ダイジェスト1からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/382

 予定時間を10分押しで10時40分ほどからスタート。
  三国志講習会「劉備のデビュー」ということで、発表者は清岡美津夫(NPO三国志フォーラム)。
 特別企画展示場を入って右奥の壁にスクリーンがあって、そこには写真のような画面が映し出されている。その手前に机がその上にノートPCがあってそこから発表者がスクリーンに映し出される資料を変えていくって方式。観客は茣蓙にすわっているか、壁沿いや入り口付近のイスに座っている

 これで私が聞き手だったら第三回三顧会の「三国志風水講習会」のようにメモに応じてそれを書き出せば良いんだけど、何せ送り手だから、いくらでも詳しくかけるし、発表してないことまで書くことができて、「三国志ニュース全10回スペシャル」とかできてしまうので、それは遠慮し概略だけ以下に記す。

 三顧会参加者には予めA4サイズの年表を配っている。その年表はひそかに自サイトで更新していた、下記のリンク先とほぼ同じ。

・第五回三顧会の清岡的副産物
http://cte.main.jp/sunshi/2006/0715.html

 違うところは年表には関連リンクがないところ、それから年表には[]付きの数字が打ってある。
 たとえば、

>[1] 1939年 吉川英治/著『三国志』(小説)、執筆される
とか
>[3] 1321~1323年 『新刊全相平話三国志』(三国志平話)(元の至治年間)

と書かれてある。
 これは1番目に『吉川三国志』、それから三番目に『三国志平話』でそれぞれ創作されている「劉備のデビュー」を紹介するって流れ。
 それぞれの作品を紹介した後に、「劉備のデビュー」に関わる描写から見える作品の特徴をあげてまとめている。
 ちなみにここでいう「劉備のデビュー」は劉備の初陣あたりまで。
 「劉備のデビュー」を紹介してなくても作品の概要を話すときは小数で番号を打っている。で、どの作品の「劉備のデビュー」を発表で触れたかというと

[1] 1939年 吉川英治/著『三国志』(小説)、執筆される
[1.5] 1689~1692年 羅貫中/原作、湖南文山/翻訳『通俗三国志』刊行(元禄時代)
[1.6] 1839~1841年 羅貫中/原作、湖南文山/翻訳、葛飾戴斗/挿画『絵本通俗三国志』刊行(天保時代)
[2] 14世紀? 羅貫中/作『三国演義』
[3] 1321~1323年 『新刊全相平話三国志』(三国志平話)(元の至治年間)
[4] 1974年 陳舜臣/著『秘本三国志』(小説)発表
[4.3] 1982年 10月2日 NHK/制作『人形劇三国志』放送開始
[4.6] 1985年 光栄(現コーエー)/制作『三國志』(PC88用シミュレーションゲーム)発売
[5] 1991年 『横山光輝三国志』(アニメ)放送開始
[6] 1994年 王欣太/著『蒼天航路』(漫画)連載開始(掲載誌:週刊モーニング、当時は原作に途中まで原作・李学仁)
[7] 1996年11月 北方謙三/著『三国志』(小説)発表
[7.5] 1999年 松竹/制作『スーパー歌舞伎 新・三国志』(演劇)初演
[8] 2000年8月3日 コーエー(オメガフォース)/制作『真・三國無双』(プレイステーション2用アクションゲーム)発売
[8.5] 2001年4月10日 宮城谷昌光/著『三国志』(小説)連載開始(掲載誌:文藝春秋)
[9] 2005年3月15日 セガ/制作『三国志大戦』(アーケードゲーム、リアルタイムカードアクション)稼働
[10] 161年 劉備生まれる

という主要10項目になる。一つ一つストーリーの流れを説明していると、さすがに時間が足りなくなってきて、11時30分に終わるところを気づいたら、12時前だったので、[8.5]の『宮城谷三国志』と[10]の史書のパートを発表せずそこでまとめを入れ終了した。

 当日、聞いてくださったみなさま、どうもありがとうございます。

 発表直後、ありがたいことに紹介した『三国志平話』に興味をもったとおっしゃってくれた方がいらっしゃったので発表した甲斐があったな、と思った。『三国志平話』の天界裁判の部分に興味を持たれたとのこと。
 あと三国演義での劉備の血筋をいっただけで、って部分やら酒の勢いでトントン拍子に話が進むあたりが印象深かったとか。

 元々、「劉備のデビュー」について史書のことは結構、前に調べていたので、それを織り込めば発表の準備も楽だなぁ、と思っていたんだけど、結局、史書の部分を使わなかったというオチ(笑)。
 せっかくだから、下にリストアップした上、リンク張っておこう。

リュウビ十五歳
リュウビ二十七歳
孫氏からみた三国志39「両頭共身」
リュービ十五歳ダッシュ
鄒靖



・第五回三顧会ダイジェスト2へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/385

2005年12月 『三国志城に「三顧会」なる会が出来て』(山口県博物館協会 会報第30号)


  • 2006年8月18日(金) 08:13 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    1,920
雑誌  第五回三顧会のことを書いているときに何気なく「三顧会」で検索すると関連文章が見つかるのでご紹介。

・山口県博物館協会
http://www.da.rs1.on.tiki.ne.jp/

 上記サイトの「会報」のところをクリックすると「山口県博物館協会 会報」を一部、PDFファイルでみることができる。
 その見ることの出来る中で三国志城関連を見かける。
 それは第30号(2005年12月発行)の「館園だより」というコーナーに

   三国志城に「三顧会」なる会が出来て
      三国志城 館長 谷 千寿子

という銘打たれたページを見かける。
 そこには2005年9月13日までの三顧会員数(270名超だって)と過去三回のイベントの方の三顧会の紹介が写真入りでなされている。あと三国志城の見取り図が貴重。


 それで失礼ながら注を入れると、

>平成15年9月13日に立ち上げ

 あれは第一回の三顧会のイベントと同時という記憶があるので平成16年8月15日が正解? それか、記念日的なものなので、三国志城開館五周年記念日に設立日を合わせなおしたんだろうね、きっと。

>●第1回三顧会 (平成16年5月)

 前述したように平成16年8月15日。ちなみに当日に第一展示場の入り口前に運動会で使うようなテントが設置されていたので、写真は当日の写真ではない。

>劉備玄徳、諸葛孔明、関羽、張飛に扮装して大会に参加され

 劉備玄徳、曹操、関羽、張飛が正解。ちなみに諸葛亮の扮装者は第五回三顧会で初めて登場。


 それとこの会報、26号(平成13年度)の「館園だより」に当時館長だった小山正典さんが「三周年を迎えて」という文を寄稿している。三国志城開館当時の様子(山口できらら博やっていたそうな)や一周年記念で始まった「三国志クイズラリー」のことなど書かれていて興味深い。

第五回三顧会ダイジェスト1「挨拶&簡単な自己紹介」


  • 2006年8月17日(木) 23:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 写真は前日のものだけど場所は同じ。会場設定もほぼこんな感じ。・第五回三顧会ダイジェスト0からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/380

 10時過ぎ。第2回から第4回まで挨拶の会場として使っていた食堂でなく、特別企画展示場で皆が集まる。
 会場は右の写真のような感じ。特別企画展示場の入り口からとった写真。これに左にあるテーブルを除けて、座敷の上に皆が座れるようになっている。右側が舞台代わりになっている。
 英傑群像の岡本さんから第五回三顧会の開催を告げられると一同拍手。それから司会の岡本さんと飛熊(ひゆう)さんが名乗る。
 マイクでまずオーナー兼館長の谷様からのご挨拶。「みなさまの顔を毎回見れるのを楽しみにしております」。一同拍手。
 それから岡本さんからこれからみなさんに自己紹介をしてもらう旨が告げられる。それから順に自己紹介が始まる。岡本さんや谷様のいる舞台がわりの場所から向かって右へ進む。まずレイさん。それから○○さん(※失念)、真・三國無双シリーズが好きだとのこと。撫子さん。真・三國無双が好きで「呂蒙が好きで親父が好きです」といって会場をわかせる。それから飛 翼翔(ふぇい いーしぁん)さん。先月、三顧会に入って、小学校のころ横山三国志を読んだとのこと。谷様から飛 翼翔さんが三国志城に来て就職が見事に決まったとアナウンス。一同どよめき拍手。茶味(ちゃみ)さん、三国志は真・三國無双シリーズから入ったってこととがんばって友達に普及している旨が言われる。十希野(ときの)さん、茶味さんの姉でやはり真・三國無双シリーズが好きとのこと。
 ここでスタッフの自己紹介が入る。レジ係をしている高順さん。「メガネがないんでみなさまの顔がみえないですが、今、心の目で見ています」とネタで会場をわかせる。
 続き。ハスフジさん(※多分)、好きなゲームは真・三國無双シリーズと今は三国志大戦、それから好きな漫画は蒼天航路、好きな武将は張遼とのこと。ここで谷様から舞台の向かって右に張ってあるCR真・三國無双のポスターの紹介。すぐもってきてくれたとのこと。
<2007年8月10日>
CR真・三國無双のポスターを持ってきた方を見かけたので、リンク張っておく。

・ぐだぐだ大戦記
http://blog.livedoor.jp/hzq_8292/
・またしても、だ。
http://blog.livedoor.jp/hzq_8292/archives/50651626.html
<追記終了>

 次から次へとやってくる人がいるので、一旦中断し、みんな前に詰める。
 劉蜀さん一家四名。息子が三国志を好きだそうな。KJさん、今まで三国志城に来たいと思っていて、なかなかこれなかったが今日、やっとこれて幸せだって旨が述べられた。それから家内のKRさんを連れてきたといって、KRさんが三国志のことを全然、知らないのでこれを機会に引き込んでいこうというようなことを述べていた。
 そこから舞台の対面にあるイスが並べられているエリアへ移行。入り口から順に。何進さん、横山三国志が好きとのこと。宮田さん、ゲームはノータッチだけど、横山三国志、蒼天航路、龍狼伝が好きとのこと。大宮さん、真・三國無双シリーズが好きで三国志のことをここで知っていきたいとのこと。大宮(弟)さん、横山三国志を少し読んだ程度とのこと。傅僉(ふせん)さん、好きななったきっかけは横山三国志、好きな武将は魏延とのこと。ハリマさん、好きになったきっかけはアニメ映画の三国志で、好きな武将は関羽とのこと。ヨネザワさん、好きな漫画は横山三国志で、ゲームはコーエーのシミュレーションの三國志シリーズでファミコンのときからやっていたとのこと、好きな関羽とのこと。ヤマデさん、蒼天航路が好きで、荀[或〃]が好きとのこと。清岡、好きな人物は孫堅。若杉さん、三顧会は二回目とのこと。谷様から前回、駅から歩いて来て感動したという旨が伝えられる。
 それからヤマデさんと清岡の前ぐらいに座っていた塚本さん、真・三國無双シリーズから入って今は三国志大戦にはまっていて好きな人物は諸葛孔明先生とのこと。第三展示場の諸葛亮像にお祈りしたら三国志大戦のスーパーレアカードを手に入れたという話をきいたのでお祈りしたいとのこと。
 それから舞台の向かって右の後ろの方へマイクが回される。皓(あきら)さん(確かすでに真・三國無双4凌統の格好をしていた)、真・三國無双シリーズぐらいしか知らないけど、好きな人物は凌統。はとむ子さん(確かすでに真・三國無双4陸遜の格好をしていた)、格好からわかるように真・三國無双シリーズが大好きとのこと。森田さん、真・三國無双シリーズが好きとのこと。さん(真・三國無双4関平のコスプレをしている)、真・三國無双シリーズから入ったとのこと。優美さん(真・三國無双シリーズの司馬懿の格好)、好きな人物は孔明さん。長(なが)さん(真・三國無双3の陸遜の格好)、見てのとおり陸遜が好き、とのこと。
 岡本さんからアナウンス。過去、三顧会で三回、こられた方は色紙をもらえるとのこと。但し、一度、もらった清岡や傅僉さんは除外。その場では名乗りでなかったが、あとではとむ子さんがばっちりもらっていた。
 後から入ってきた人の自己紹介。ヤマモトさん、好きな武将は呂布で、漫画は蒼天航路が好きとのこと。


・第五回三顧会ダイジェスト2へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/384

2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3


  • 2006年8月17日(木) 15:51 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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教育機関 この報告に感銘を受け、16日後に三国志城でレジュメに載っている呼風符を写してみる。なんだか形が崩れたが、大方、こんな感じ。・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/377

 10分間の休憩を終え、11:45、次の報告が始まる。

 司会の中川先生から「渡邉先生は三国志の歴史学のご専門家」というような紹介がありスタート。

○報告 諸葛亮の兵法
    大東文化大学文学部中国学科教授  渡邉 義浩

 渡邉義浩先生から
「わたくし、上田先生と違いまして大東文化大学を背負わなければいけませんので、大東文化大学の宣伝をいろんなところで入れながらお話をさせていこうかと考えています」
 とおっしゃってのっけから会場をわかしている。
 それから諸葛亮の兵法についてははっきりいってよくわからない、と断りつつ、こんなようなことがいえるんじゃないかというお話でも少ないそうな。だから歴史以外にも4番目には三国演義の話もでるとのこと

はじめに

 三国志では諸葛亮の兵法は興味深いけど、よくわからない、ってこと。『三国演義』では大軍師だけど、まず歴史(『三国志』)での有名な陳寿の評の紹介。「諸葛亮って人は臨機応変の戦術は得意じゃなかった」と書かれているとのこと。
 それから晋書の記述。司馬昭って人は蜀漢が滅びた後、諸葛亮の陣形、用法の方法、軍隊の統制方法といったことを陳[劦思](ちんきょう)って人に勉強させたそうな。陳[劦思]はそれを全部暗記したとのこと。そこで渡邉先生、(記述が少ないから?)「たいした内容じゃなかったんじゃないかな?」と突っ込み(場内笑)。そこで何か継承されたのではないか、と。
 南北朝期には「八陣図」を採用したり(当時はわかっていた)、「木牛・流馬」を制作した国もあるそうな。話しながら、午後のパネルディスカッションを見越して、前列の各大学の三国志研究会に「こんなこと聞くなよ」ってプレッシャーをあたえ笑わしている。
 唐代には諸葛亮は中国を代表する十人の良将に選ばれたとのこと。
 そこから今回の報告のアウトラインを小ネタを入れつつ述べていた。

一、諸葛亮の兵法の基本、荊州学

 諸葛亮が学んだ学問は荊州学と呼ばれている。荊州で学ばれた学問だから荊州学。司馬徽・宗忠たち中心。荊州学は渡邉先生の先生の一人が名付けたそうな。
 どんな学問かというと儒教。儒教から大東文化大学の宣伝が入れるが、あまり高校生が居ないことを自己突っ込み(笑)。温故知新をキーワードに『春秋』『詩経』『論語』に注をつけるという学問行為の丁寧な解説→訓詁学の説明。たとえば最初の四文字を説明するのに二万字がついていると解説。
 荊州学は簡単な注が特徴とのこと。それから学問を世の中に生かしていくことを目指したことが特徴とのこと。
 司馬徽は自らを儒者と区別し「俊傑」と称していたほど、学問を世の中へ生かすことを目指していたとのこと。諸葛亮は政治家として将軍として(管仲や楽毅に比し)国家の経営を抱負として学問を生かしていたとのこと。→つまり諸葛亮は軍事も勉強していた。
 荊州学は春秋左氏伝を中心に今までの経典をまとめなおしたいた。

二、兵法家としての諸葛亮

 陳寿は諸葛亮オタクで『諸葛氏集』というのを編纂。ここに諸葛亮が書いたものが載っているとのこと。これは散逸。唐代にはすでにかき集めているぐらい。後世に復元されたけど宋代の偽作が含まれありする。たとえば『心書』『将苑』。この二つは完全に偽物。現代に発売されたある本でこの二つが含まれていた、とかおっしゃって場内をわかせる。
 偽物とされるものにもわずかに本物が含まれている。太平御覧の引用と一致するところは本物だろう、と判断。具体的には『便宜十六策』。ここで『便宜十六策』治軍第九を引用。→あまり面白くない。主に孫子での常識的なことが書いているため。ここで大東文化大学の宣伝が入るが、実はその専門の先生が今年御定年ということで学べないという自己突っ込み(笑)
 『便宜十六策』斬断第十四の説明。主に戦いの地形の話。そこで渡邉先生が夷陵の戦いを例に出し、劉備はここに書かれていること(つまり諸葛亮が「やってはいけませんよ」と言っていること)に反したことを全部やっていると指摘した上で「そこらへんが劉備のかっこいいところ」と言い、場内をわかせる。「負けるべきして負けるわけです」
 『便宜十六策』斬断第十四にある七つの禁止事項が書かれている。
 それでこの項のまとめ、現在残っている諸葛亮の兵法はわかっている範囲ではそんなにおもしろくなく、軍隊を管理して運営していくものが多い。陳寿が評どおり、臨機応変の戦術からほど遠い印象を受ける、とのこと。確かに。
 あと、八陣図は「道蔵輯要」という本にあって、それは陸遜を退けた八陣の遺跡からうつしとったもので、そこから諸葛亮の兵法を考えることはできないそうな。

三、兵陰陽家としての諸葛亮

 前近代の戦いは合理的なものばかりではなく占いなどの呪術も含まれている。『漢書』芸文志によると、『孫子』などの兵法とは別に呪術などをふくむのは「兵陰陽家」と呼ぶそうだ。具体的には日時の吉兆、天体の方角などを占うとのこと。
 これらのことと諸葛亮の関係をきっちり資料からあげることはできないが、荊州学に『荊州占』という本がある(現在は残っていない)。
 仕方ないのでここから天文占の一般的な話になる。占星術が個人の運勢を占うのに対し天文占は国家の運命を占う。三垣・二十八宿の説明。それぞれ天の官僚。
 さらに『晋書』天文志の紹介。諸葛亮が陣没した話が載っているそうな。占文のとおり諸葛亮は死んだ、と記録されている、とのこと
 諸葛亮はどんな「兵陰陽家」か? 後世に偽物の書がたくさんある。

四、演義の諸葛亮像

 諸葛亮の『八門・遁甲の法』の話。『三国演義』において司馬懿との戦いで『八門・遁甲の法』の秘術を会得した諸葛亮が六丁・六甲の神兵を使った「縮地の法」を行ったとのこと。道教に『八門・遁甲の法』の話があるんじゃないかということで道教を調べる。
 明代には『秘蔵通玄変化六陰洞微遁甲真経』を会得すると六丁・六甲の神兵を使い「縮地の法」を行えるとされていたそうな。そこから道教の符[竹/録](ふろく、おふだの意)の効用の説明。レジュメのところには諸葛亮が風を呼んだ符[竹/録]が印刷されている。
 現行の三国演義は道教のお経を嫌っていたようでそういった記述は少なくなっている。「縮地の法」も同じ造りの三両の四輪車を交互に見せることで「縮地の法」にみせかけたそうな。
 ここで一例として赤壁の戦いで諸葛亮が風を呼んだ話が出てくる。三国演義中で諸葛亮は『奇門遁甲天書』を伝授された、と書かれている。そこで『秘蔵通玄変化六陰洞微遁甲真経』の流れをくみであろう『奇門遁甲天書』の中身の風を呼ぶ箇所の話になる。まず符[竹/録]を使う。それがレジュメでかいてあるやつ(写真参照)。それから「発[火慮](左手の中指を押し神を呼ぶ動作)」をするとのことだけど、実際、渡邉先生が左手で狐のような手でそれをやってくださる。さらにこのポーズで「歩罡(北斗七星の形にステップを踏む足運び)」をするそうだけど、実際、これも渡邉先生がその場でやって場内をかなりわかせていた。さらに「叩歯(上下の歯をカチカチとかみ合わせること)」をやるそうだけど、これも渡邉先生が実践。しかも金縛りにあったとき叩歯をやって(魔をうち破る効果があるそうな)それがとけたってエピソードを添えてさらに会場をわかせていた。
 それから二十八宿の旗を立て、天を祈っているから、天文占にあたると、天文占にあるように星をあやつれば大風が吹くが、天文占では星が動かないので、やっぱり道教の秘術を用いたことになるとのこと。

※追記 大津祭 孔明祈水山(2012年10月6日7日)

おわりに

 撤退したときに兵を損ねたことはなかったことを指摘し諸葛亮は名将だと評する。つまり「出でては将、入りては相」となる儒将だということでまとめ。
 報告終了。

 司会の中川先生は「大東文化大学に入るとこんなすばらしい講義がきける」と宣伝を入れつつ、次はお昼休みだということのアナウンスを入れる。
 あと今回はパネルディスカッションで一般視聴の人の質問も受け付けるそうで、何か質問があれば事前に配っていた質問用紙に質問を書いて、提出すれば良いとのこと。

○昼休み

 それで昼休みは学食に行こうと思ったら、前回、それでパネルディスカッションに遅刻したって実績(?)があったんで、大学の外に行くことに。
 幸い正門を出て道の向こう側にファミレスがあるのでそこへ行く。
 メンバーは清岡KJさん、三口宗さん、げんりゅうさん、げんりゅうさんの後輩さん、ミミまろさん、伊比学さん。やはり七人が座れるテーブルは混雑時期にはないということで前者3名と後者4名に分かれて食す。
 こっちの話題はもちろん三国志シンポジウムの方向の他、確かサイト運営の話をしていたかな。あと大学の研究会の話とか三国志関連のデータベースの話とか。


・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感4へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/386

2006年8月14日 第五回三顧会ダイジェスト0


  • 2006年8月16日(水) 17:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所  山口県光市には三国志の資料館「石城の里 三国志城」というのがあって、三国志ファンを対象とした「三顧会」というイベントが2006年8月14日に開催された。今回ではや第五回目。

・「三国志城」公式サイト
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

・第四回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329

 今回のイベントタイムスケジュールは以下のとおり。当日の張り紙の丸写し

--------------------------------------------------------------
開催場所:特別展示室(館内奥)

9時   三国志城開場
10時   挨拶&簡単な自己紹介
10時30分 三国志講習会「劉備のデビュー」
    講師:清岡氏
11時   三国志トランプ大会 チーム戦
12時30分 お食事(各自)・・・ 事前に売店で食券購入必要
13時30分 三国志城を旗で飾ろう
15時   三国志巨大パズル大会

<随時開催>
 ・三国志クイズラリー(三国志クイズペーパー試験)
 ・三顧会作品展示「三国志陶器をつくろう」
 ・第25回イラストコンテスト投票

8月13日 前日祭 おしゃべり会【孔明を偲ぶ】終日
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※ちなみに今回もコスプレが行われたんだけど、張り紙の「随時開催」には書かれていない。入れ忘れていたのかな。ネットではちゃんと告知されているし
http://cte.main.jp/newsch/article.php/360


恒例のウェルカム看板。第2回にもあったけど、そのときとデザインが違う前日作成のじゅんきさんの旗。楊修って人選が三国志ファンの目を惹きつける

 清岡は前日の8月13日の昼過ぎには来ていて、その夜、清岡を含め七人で三国志城の特別企画展示場に雑魚寝で泊まってたんで、当然、当日を早朝から三国志城に居た。
 なぜか6時過ぎには目が覚めて、しばしカメラ片手にうろちょろしていた。当日、これない人のために前日も「三国志城を旗で飾ろう」の企画が行われていたみたいで、すでにじゅんきさんの旗が飾られれていた(二枚目の写真)。こういう気遣いのある企画はうれしいね。
 その後、8時ぐらいにあらかじめ頼んでおいた朝食を前夜から泊まっていたみなさま+傅僉さんと食べることに。このボリュームといいおいしさといい、300円は安い。
 そこから特別企画展示室でだらだらと待つ。初めから7人も前夜から居たせいか、今回はイベント開始前から徐々に集まってきている印象はうすい。そういや龍蜀さん親子四名は結構、早い目に来ていて、三国志城の展示を家族そろって見ていたなぁ。
 スタッフも含めぽつぽつと顔なじみが現れそれぞれに軽く挨拶をする(そのとき誰が来たかは次の「挨拶&簡単な自己紹介」でまとめて)。
 10時前後に一台のタクシーが到着して、KJさん&KRさん夫妻と十希野(ときの)さん&茶味(ちゃみ)さん姉妹(漢字あってますかね)がご登場。なんか十希野さんからスタッフと間違えられたのでついでに案内(前回も私が馴染んだ様子で居たから?・笑)。というか私も「挨拶&簡単な自己紹介」の会場、どこかしらないんだけど。
 どうやら今回は特別企画展示場にメインの企画進行の会場を統一しているようなので、五人でぞろぞろと特別企画展示場へ。前回まで挨拶と自己紹介は食堂で行われていたけど、確かに一カ所で進めていった方が良い感じかもね。
 というわけで次の「挨拶&簡単な自己紹介」を待つことになる。


・第五回三顧会ダイジェスト1「挨拶&簡単な自己紹介」へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/382

2006年8月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン9月号)


  • 2006年8月16日(水) 13:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ

漫画雑誌の「月刊少年ガンガン」に「ブレイド三国志」ってのが連載されている。
第一回目をみてもあまり三国志に関係ないかなぁと思ってノーチェックだった。
だけどコンビニ行く用事ができたんでふと気になって「ブレイド三国志」をチェックしてみた。
第三回「前言撤回!」ね

・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
・2006年6月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/357

そうすると扉絵からいきなり孫策のブレイド(「生まれ変わり」とルビ)が出てきていて公孫[王賛]のブレイドと一対一の戦い。
イメージ絵として腹巻きタイプの鎧をきている生まれ変わる前の姿がでてくる。
あぁ、だから単純に2000年を足した西暦2194年が舞台なんだ。
一回目に出てきた昭和初期の訳本の「三国志」を持った少年がそれを読んで孫策と公孫[王賛]の解説をする。
特殊能力の総称か何かでTAO(「タオ」とルビ。道?)という概念が登場していて、公孫[王賛]はそのTAOで「白馬義從」という技を繰り出している(笑)
というか、孫家と公孫家は生まれ変わる前の反董卓時期後は同盟関係じゃなかったのかぁ?(笑)

こりゃ三国志ファンとして目が離せない感じ
(と書きつつ、チェックを素で忘れてそうな予感・笑)
他のブレイドのTAOが楽しみ。


・2006年9月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン10月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/415
 

エアコン星彩登場


  • 2006年8月 9日(水) 12:10 JST
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    清岡美津夫
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ゲーム 一見、何の変哲もないクーラーところがこんな製品名とは!小ネタです。中国特派員(?)の呂珪さんのタレコミ情報によると、宿舎のエアコンが「星彩」だったそうです。
右の写真を見て下さい。水色のラベルのところに確かに「星彩」と書かれています。ついでにアップの写真も載せました。
特派員の証言によると「強くて寒い」だそうです(笑)
しかし、去年のこの時期にもエアコン「星彩」が居たそうなので時期的にはどっちが先なんでしょう。あれこれ想像できて楽しいです。

……と星彩を知らない方へ一応説明。星彩とはコーエーから発売されているPlayStation 2用のタクティカルアクションゲーム「真・三國無双4」のオリジナルキャラクター。張飛の娘という設定です。

そのため、劉禅の妻の敬哀皇后かその妹の張皇后(同じく劉禅の妻)がモデルと言われています

三國志蜀書二主妃子伝より

後主敬哀皇后、車騎將軍張飛長女也。

後主(劉禅のこと、蜀漢の二代目皇帝)の敬哀皇后は車騎将軍・張飛の長女だ。

後主張皇后、前后敬哀之妹也。

後主の張皇后は前の皇后・敬哀の妹だ。

2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2


  • 2006年8月 8日(火) 23:52 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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教育機関 江戸中期、三国演義を受容した人たちのヒエラルキー真似図。しかし、現在の三国志ファンを連想してしまうなぁ・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/374


 司会の中川先生から上田先生の紹介。三国演義の専門家であり、会場に来ている東京大学三国志研究会の先輩(東大の先輩? 研究会の先輩?)と紹介される。


○報告 小説『三国志』と日本人
    金沢大学文学部助教授  上田 望

 発表形式は向かって左のスクリーンへパソコンから発表資料が映し出される。なるほど去年のシンポジウムでは和田先生がやっていた発表形式ね。

 そこに今回の報告をタイトルが映し出される。その日付が「2006年7月26日 午後11時-11時30分」となっていたことをここに記しておこう。
 上田先生は口べたで御夫人から(三国志シンポジウムはオープンキャンパスの一環なので)「あんたなんか口べたな人が話したら大東文化大学の生徒がへっちゃうよ」と言われた、という出だしから会場をわかす。
 あと子供の幼稚園児に中国の小説を読ませているそうな。

 はじめに

 この報告では日本人と三国演義との話をするそうな。

一、江戸時代の『三国志』(一)─『三国志』の輸入と完訳『通俗三国志』誕生まで

 まず江戸時代から。この時代、中国でいうところの明代、清代とのこと。中国では白話小説(口語体)が勃興している。タイムラグなしに江戸時代に輸入され、大きな影響を与えた。
 受け入れ方は、原文で読む→訳注が作られる→部分訳が作られる→完訳が作られる→ダイジェスト・絵本が作られる→挿図付き完訳本が作られる(ここらへんがスクリーンに出る)、という流れがあるのとのこと。
 で、まず原文。日本で最初に三国演義を読んだ人は誰だ? ってことでそれはおそらく儒学者の林羅山とのこと。羅山が読んだ本の目録に入っていたらしい(1604年)。もう一人は天海僧正の蔵書の中にあるそうな(1643年没)。天海が持っていた挿し絵がスクリーンに映し出される。
 次が徳川将軍家。紅葉山文庫に入っているとのこと。あと長崎の商人たち。これは『二刻英雄譜』。1673~1676。原文を読む人は儒学者、僧、大名クラス、通訳、徳川将軍家、将軍のブレーンなどに限られていたそうな。
 その次が部分訳。陽明学者、中江藤樹だそうな。1662年。
 次が『通俗三国志』の登場。世界で二番目に早い三国演義の完訳だそうな。翻訳した人は「湖南の文山」。謎の人。湖南は姓じゃなくて場所だそうな。なるほど、初耳。
 文山は『李卓吾批評三国志』を底本としているそうな。当時、すでに毛評本がでていたけど、あえて李卓吾本を訳している。
 『通俗三国志』の功罪。プラス面は多くの人が読めるようになったこと。水滸伝は1784年だし西遊記は1837年とぬきんでて早く訳されている。マイナス面。超訳が多く、原文の妙味が失われているとか、俗語の小説を翻訳するという意識の欠如がある。それを実際に長板橋の下りを例にとって、どこが省略されているか解説。
 逆に文山が適当に訳したからこそ三国演義は文山訳をみないとだめという主張もある。

二、江戸時代の『三国志』(二)─絵本の創作と『三国志』の大衆化

 江戸時代中期。正徳年間から享保にかけて日本では空前の中国ブーム。中国趣味は大流行。受容の形態は(1)中国語を学び、その学習課程で三国演義の原文を読む人。(2)中国語は学ばないが三国演義の原文なら読む人。(3)中国ブームに即発されて通俗三国志やダイジェスト本を読む人(当然中国語は読めない)。(4)字は読めない。歌舞伎や浄瑠璃や講談などで三国の物語を楽しむ人。(スクリーンに映し出される。)
 こういうふうに階層分化してきた。
 (1)と(2)の人のために中国から三国演義を輸入。(3)の人向けに通俗三国志が出版され続ける。絵本がたくさん出てくる。それから絵本の一覧がスクリーンに出される。絵本の絵はなるべく中国に似せようとしている(しかし少し変だ、とコメント)。中国の絵をまねているところを実際にスクリーンに映し出される。それから幕末の絵。とても中国の絵に見えない。関羽の絵だけど当時の歌舞伎役者の絵にかわっている(※清岡注。ん? どっかできいた話だな)
 それから話が元にもどって絵をそっくりぱくっている例が出される。
 江戸中期では、人々の間に、原作になるべく忠実に、という規範意識が芽生えたのではないかと。原作と違うとそれおかしいよ、と思う読者層が育ったとのこと。(※清岡注。これもどっかできいた話だな)
 この例外は浮世絵や浄瑠璃の世界。浄瑠璃につけられた絵の話。最後は孫権と劉備と曹操が三人仲良く終わるとのこと(場内爆笑)。歌舞伎の関羽→浮世絵化したものの例。
 それでスクリーンに映し出されるのは階層化されたファン層(ちょっと真似してここの記事の絵に載せてみる。真似版では三国志を三国演義と書きかけている。)
 中国からの舶来文学→日本の大衆文化。


三、江戸時代の『三国志』(三)─『絵本通俗三国志』の登場


 江戸後期。『絵本通俗三国志』刊行(1836~1841年、八編七十五冊)。この時代のエポックメイキングなできごと。元禄に『通俗三国志』の本文、それから草双紙、絵本、歌舞伎、浮世絵、そういったところで三国演義の絵がたくさんつくられ、そっちの挿し絵を元にした一種のコラボレーションと思うと説明。
 これは校訂をしている。カタカナをひらがなにすると大分、読みやすくなったと遊女か誰かが言っていたとのこと。挿図が葛飾戴斗二世で四百葉を越える。戴斗という画号は北斎(北斎はこの画号を使っていたことがあったそうな)から1809年に譲り受けている。だから二世とのこと(なるほど)
 戴斗二世の絵の特徴。正確な遠近法。桂宗信画『絵本三国志』を意識して、先行する異なる画像を敢えて取り上げているそうな。これは渡辺由美子氏の卒業研究だそうな(上田先生、すごいと思います、と賞賛)。遠近法は葛飾北斎も最初できなかったと解説。
 他の特徴は残虐性。残虐なシーンの数を読み上げる。残虐なのは幕末の流行だそうな。北斎も残虐な絵を描いている。
 もう一つの特徴は和風化。北斎は和風趣味だったそうな。あと登場人物は人気役者の似顔絵で描かれているとのこと。これを江戸中期の模倣の時代から江戸後期のパロディー化の時代と解説(※清岡注、なんかきいたことある話だ)
 まとめると、『絵本通俗三国志』は三国演義のネガティブな面を徹底的に図像化している、とのこと。

四、明治、大正、昭和初期における『三国志』

 近代出版技術が導入されて洋装本、活字本が出てくる。明治の最初の十年は木版本の絵本が出回っていた。明治10年(1877年)日本で初めての活字印刷された三国演義が世に出る(永井徳鄰和解『通俗演義三国志』)。毛評本の挿し絵を取り込んでいる。
 明治における三国演義と水滸伝のブーム。高島俊男氏の『水滸伝と日本人』で述べられている明治の水滸伝のブームと三国演義も当てはまると解説。出版社の傾向が似通っているから。
 第一期。明治10年代後半。二十種類の翻訳が出版。通俗三国志の活字本。リライト、絵本などバラエティに富んでいる。ここで日本初の洋装本の写真や浮世絵を映し出す。明治14年に政府が儒教道徳の復活をはかり、そのために中国の古典籍の復刻ブームがおきたので、その流れに便乗したとえば『絵本三国志』がよく売れたそうな。
 第二期。明治20年代後半。明治を代表する書店、博文館が帝国文庫シリーズとして『校訂通俗三国志』(活字本洋装本)を出す。昭和15年まで出版されつづける。上田先生は昭和15年に『吉川三国志』が出版されるんで、それにとって変わられたと推理。この時代、浮世絵がすられたと紹介。実際にスクリーンに映し出していた。講談(桃川燕林とか、明治31年)。参考書にも三国演義が取り入れられていた。明治前半が上田先生のいうところの三国演義受容のピークとのこと。
 第三期。明治40年代。日露戦争後、日本フィーバーで中国古典も活気づく。この時代の特徴は多様化。小説研究が出版に影響(幸田露伴の仕事など)。久保天随『三国志演義』(明治39年)を出版。妙訳だが日本初の毛評本の翻訳。日本での本格的な三国演義の研究の始まり。幸田露伴『通俗三国志』(明治44年)を出版。幸田は絵本三国志が李卓吾本に似ていると指摘。久保天随『新譯演義三国志』を出版(明治45年)(※清岡注。吉川英治が少年の頃、熟読していたやつね)。日本初の毛評本の完訳だそうな。深い考察付き(露伴の説をうけて李卓吾本と毛評本の優劣を論じている)。久保天随は毛評本の定着を願っていた。
 明治時代に識字率が向上。読者がレベルアップ。価格が低下(活字本の普及により)。上田先生「一家に一冊『三国志』」と説明。もう一つ大きな変化。音読から黙読への変化(明治30年代)。「読書の内省化」と説明。その逆の影響で講談や歌舞伎での三国演義ものが停滞。明治末年、幸田露伴と久保天随の輝かしい功績
 その後、大正から昭和初期。翻訳本という観点からは不毛の時代。昭和15年、吉川三国志出版。これ以外、特筆することはない時代。毛評本は定着せず。
 それからまとめ。日本と中国の違い。どちらも変わる部分と変わらない部分があるが、中国ではある程度、定着したテキストはそれ以上、いじらない。日本では原作があまり読まれなくなる。ここで金沢大学の教え子の話が例に出る。
 それからスクリーンには日本と中国の流れのまとめ図(フローチャート)が出る。中国では李卓吾本が読まれず毛評本が読まれるようになる。
 中国では三国演義に権威性がでる(文化ナショナリズム? 政治と文学)。日本ではそういうものがない。中国からきた娯楽として楽しむ。「日本の古典として三国志を読みなさい」と自分の学生に言っている。

 ここで10分ほど、休憩と中川先生からアナウンス。それから中国語のアナウンスも。

 10分の間、上田先生の講演でいっていた江戸時代の話は現代の三国志ファンと似ていて面白い、と清岡は話していた。

・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/381

「pepperoni quattro」開催中止


  • 2006年8月 5日(土) 07:37 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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二次創作 下記の同人誌展示即売会のイベントがサークル参加数不足のため開催の中止が決定しました。
サークル参加が決定していた人、検討していた人、一般参加をしようとしていた人、詳しくは下記URLを見て下さい。

○pepperoni quattro
内容:真・三國無双シリーズ 孫呉カルテット(陸遜・呂蒙・甘寧・凌統)オンリーイベント
日付:2006年9月24日(日)
会場:大阪府 味覚糖UHA館 7F 東会場
SP数:直参60sp 委託10sp
備考:コスプレ可
URL:http://escapade.schoolbus.jp/pq/


・参照リンク
http://cte.main.jp/newsch/article.php/293

2006年8月2日 「三国志大戦DS」公式サイトオープン


  • 2006年8月 4日(金) 17:41 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム

 サイト「むだぺじ」をみていたら、そこの日記でSEGAの三国志大戦DSの公式サイトに気付く。
アーケードゲームの三国志大戦がニンテンドーDSに移植されるってこともそこで初めて知る。

・「三国志大戦DS」公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/ds/
・「三国志大戦2」公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/

ロゴでは「三国志大戦」のバックにある「DS」がやっぱり龍か!
アーケードの雄がついにコンシューマにも出陣ってところだね。

ジャンルはリアルタイムカード対戦で、2006年秋発売予定とのこと。
<追記訂正>
2007年1月25日発売予定とのこと

・参照記事、2006年5月24日 三国志大戦2稼働&公式サイトリニューアル
http://cte.main.jp/newsch/article.php/343

※追加 2008年夏『三国志大戦・天』(ニンテンドーDS版)
 

2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1


  • 2006年8月 3日(木) 23:32 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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教育機関 会場の一番後ろからとった写真。 今年も三国志シンポジウムがあるということで、大東文化大学に出かける。前回は東松山キャンパスだったけど、今回は板橋キャンパス。前回より都心に近い。

・告知ニュース
http://cte.main.jp/newsch/article.php/342
・前回の雑感
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152

 今回は土曜日開催とということで金曜の夜から夜行バスで東京入りし、新宿で時間をつぶし、池袋に行き、東武東上線で最寄り駅の東武練馬駅で降りる。
 前回の高坂駅と違って、少し離れたところでスクールバスがあったようで、たまたま通っていた大学関係者らしき人に聞き、先を急ぐ。
 スクールバスがちょうどきていたけど、満員だったので次のバスを待つ。おかげで座れた。バスの中は高校の制服の人が多い。会話の内容も塾のテスト勉強をしているとかしていないとか初々しい。
 9時45分ぐらいに板橋キャンパス到着。場所を一号館101教室と覚えていたので急ぐ。
 101教室の外にKJさんを見かけたので手を振り、合流する。
 入り口で三国シンポジウムの冊子(以下、レジュメと表記)や中国学科のパンフレット、アンケート用紙、質問用紙など貰う。

 101教室は前回のところより、面積にして四分の一程度に縮小されたような感じで、人数もそれに合っているような感じだった。やはり去年は中国学科設立記念という意味合いもあって勢いはすごかったんだなぁ、と。
 あと高校生の制服も前回よりかなり少なくなっているような印象があった。

 それからKJさんのとなりの席におじゃまし、荷物をそこへ置く。
 その後、初対面の三口宗さんと顔合わせし、げんりゅうさんに挨拶し、開演を待つ。


○学科主任挨拶 大東文化大学文学部中国学科主任 門脇 廣文

 開演の10時。まず大東文化大学文学部中国学科主任の門脇廣文先生からの挨拶。この日は三国志シンポジウム、次の日は三国志学会第一回大会、さらに次の日は第五回中国古代小説文献与数字化研討会があるということでほぼ三日間、三国志づくしで楽しんでくださいということをおっしゃっていた。
 ここでマイクは司会の大東文化大学文学部中国学科助教授の中川諭先生にバトンタッチし、三国志シンポジウムに大学院生向けの講義があることが知らされ、一般視聴が可能であることが告げられた。

 そして壇上には基調報告をされる四川省社会科学院・四川大学教授の沈伯俊先生と通訳をされる田中靖彦先生が立たれる。

○第一部 報告

○基調講演「小説『三国志』の主要な内容」
    四川省社会科学院・四川大学教授  沈 伯俊

 何やら沈先生が中国語でおっしゃった後、田中先生が「みなさん、おはようございます」と通訳される。それに合わせ会場も「おはようございます」と挨拶。さらに中国語とその訳の挨拶があって、今回の報告の概要が述べられる。どうやらその都度、訳すのではなく翻訳原稿を田中先生が読み上げる形のようだ。確かにそっちの方が時間の短縮になる。ちなみに内容はほとんどレジュメのまま。
 あと私的に残念なのは『三国演義』を小説『三国志』とすべて言い換えているところ。とっさに他の報告のタイトルもみたけど、それはどうやらこの報告だけじゃなく三国志シンポジウム内の他の報告にも当てはまるようだ。この後の講演ではこういった小説『三国志』のみならず陳寿の『三国志』からも引用されていたため混同されかねない箇所が何度か出ていた。個人的には余計な親切心を出さずにそのまま『三国演義』にした方が余計な誤解が生じず良いのではないかと思っていた(むしろ憤りを感じていたぐらいだけど)。そのためさらにややこしいんだけど、この記事やこれ以降の記事では小説『三国志』を『三国演義』と言い換えている。

 発表の内容は三国演義の内容とそれがどう人々に影響を与えたかなどを論じてある。
 まず三国演義に見られる6つの「第一」(→一番)をあげる。以下、要約列挙。

・成立から600年経つ、十分に成熟した長編小説の第一の作品
・登場人物の多さ第一。1200人以上
・これをベースとして作られた作品のジャンルの広さ・数の多さとも第一
・関係する名所・旧跡の数第一。数百カ所
・関連する伝説物語の数、そして広範囲で第一
・中華民族の精神と生活に対する影響第一。

 三国演義自体、古い時代の考え方に基づいているから当然、封建思想の考え方が残されているのはやむを得ないが、全体的に中国伝統文化の優れたところが現れている、と説明。それにより「人々は国家のため、民族のため、理想のために突き進んでいくことができる。」とのこと。※「」内はレジュメの引用。以下、たびたびその様式を使う。

 その後、話がより詳しいものとなっていく。そのひとつひとつの流れは、まず一般的な認識を出しておいて、それに対する反論や同意などを交え解説していく流れが多い。

 その始まりが三国演義の重要な部分について。多くの人々はそれは「謀略」と思うとのこと。沈先生はそれが全面的なものではなく、戦争描写の優れたところが最も印象強いとのこと。それは作者の考えが色濃く出ている。
 それから三国演義と「道」の関係の話。「道」に次ぐものは「術」。三国演義は「道」に即して書かれており、作者の理想を代表する諸葛亮は計略にたけたすばらしい人物。曹操の謀略も優れているが、謀略により描かれ方が違うと解説。「国家の統一や社会の進歩に役立つような」謀略は肯定的に描き、「人を傷つけ己を利」する謀略には容赦なく批判し攻撃するとのこと。
(ここで読み上げるだけの田中先生からのコメント。田中先生は自身が曹操ファンだと告白し、耳が痛いと・笑)
 そのため三国演義は「はっきりとした道徳性を持ち、人民を根本とするという思想を規準している」とのこと。こうした三国演義の優れた点を四つあげられるそうな。それら四つが個別に解説されていく。

一、国家統一へのあこがれ

 作者が時代の脈拍を感じ、「多くの人民が国家統一を追求しようとする強烈な願望をはっきりと表現した」そうな。
 そんな三国演義だが、一般的にその内容は合久必分、分久必合(合して久しければ必ず分かれ、分かれて久しければ必ず合す)という言葉でよくまとめられる。沈先生はこれを安易な意見にすぎないと解説。それは明代の三国演義にはその言葉がないからこれで作者の創作意図を述べることができないからだそうな。
 作者は「分裂」の時期をひどく悲しみ、特に力を入れて描いているのは「英雄豪傑たちが再び全国を統一しようと戦いに苦しみ奮闘している偉大な姿」とのこと。

二、政治と政治家に対する選択

 三国演義は「“尊劉貶曹”(劉備を尊び曹操を貶める)」という考え方で論じられることが多いと切り出す。それに対し、三国演義成立以前の宋代にはこの考え方が存在すると説明。例の蘇軾の『東坡志林』の訳文を引用している。
 「尊劉」は姓が劉だからというわけではないとのことで、劉表、劉璋、霊帝を例に出して、劉備集団が「上報國家、下安黎庶」(「国家に報い、庶民を安らかにする」)という目標に向かって努力をおしまないと解説。さらにこの集団は劉備の「仁」、諸葛亮の「智」、関羽の「義」は羅貫中の道徳観に一致すると解説(しかし礼記にある四徳が「礼」以外、全部そろっているなぁ)。一方、「貶曹」。曹操が「奸雄」の典型で、漢に忠誠せず、たびたび民衆を殺戮し、優れた人物を虐げるからだそうな。その一方、大胆で巧妙な計略は肯定的に表現されている。歴史的な合理性があると説明。

三、歴史的経験についての総括

 三国演義は三国時代をまとめたもので、「人心を得ること、有能な人材を招くこと、謀略を重視することと言う三つ」が重要。それを軽視した人物、董卓、袁術、袁紹を紹介。それに対し劉備、曹操、孫権の優れた点を紹介。

四、理想的な道徳の追求

 「羅貫中は「忠義」という観点を道徳的規準」にしている。そこには多くの人々が三国演義に対し二つの誤解を持っていて、それを紹介している。

(一) 「桃園の誓い」の中心的価値は何か?

 「桃園の誓い」といえば多くの人が「不求同年同月同日生、但願同年同月同日死。」(「同年同月同日に生まれることを求めずとも、同年同月同日に死ぬことを願う」)を連想し、中心的価値と考えるが、実はこれは表面的。
 「則同心協力、救困扶危;上報國家、下安黎庶」(「心を同じくして協力し、国を救い危うきを扶(たす)け、上は国家に報い、下は黎庶(一般民衆)を安んじる」)に価値があり、特に「上報國家、下安黎庶」に劉備、関羽、張飛の政治目標があるとのこと。ここらへんが「一般的な通俗文芸を超越し、新しい精神世界に到達することができた」とのこと。
 「不求同年同月同日生、但願同年同月同日死。」はよく民間で真似され、「時にある種の民間結社や犯罪組織の間で」使われるが、それは「桃園の誓い」の目標に反する。

(二) 諸葛亮は「愚忠」(愚かな忠義)か?

 諸葛亮の「忠」を常に「愚忠」という人がいるがそれは一方的な見方だ、と。三国演義を注意深く読むと諸葛亮は「愚忠」などではなく、「帝王の師」という身分。「諸葛亮は劉備の主たる補佐役であるとともに、また劉備の心の指導者でもあった」とのこと。→諫めの言葉を拒んで失敗したのが呉の討伐。

おわりに

 三国演義の主題を一言でまとめるならば、「国家統一へのあこがれと忠義の英雄の賞賛」とのこと。国家統一へのあこがれ(政治思想)が縦糸、忠義の英雄の賞賛(道徳的基準)が横糸となり、座標軸を作り上げている。


 「…といった内容です」と田中先生が読み上げ終え、それから沈先生が中国語でなにやら言った後、田中先生が訳すというスタイルに戻る。
 どうしてこういう文(レジュメ)をしたかというと、長年、研究する中で、深く感じることがあったそうな。中国人はよく知っているだけでなくたいへん詳しいが、にも関わらず誤解というものもあり、こういった誤解は日本にもあったのではないか、と述べられる。
 あらぬ誤解を消したいという願いからこういう文を書いたそうな。この問題をみなさんが議論することを願っているとのこと。

 というわけで10:40ごろ終了。そこから司会の中川先生のコメント。感じ方、捉え方は人それぞれで、それから我々日本人は中国人の本質に迫るのは難しいなどなど。


・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2に続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/377

※追記 三国志飴(2010年9月16日)

※追記 週刊 三国志 ~芸術鑑賞会にむけて~(2010年10月15日-12月17日)

2006年7月30日「さんぞくみなごろし」再開


  • 2006年7月31日(月) 18:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット 「思いて学ばざれば」の記事で知ったんだけど、三国志系blogの草分け的存在の「さんぞくみなごろし」が2006年7月30日に再開している模様(下記URL先)。

http://d.hatena.ne.jp/ryuzen/

2006年7月27日の「曹洪の三国志」更新再開共々めでたい&楽しみが増えた♪

2006年7月27日 「曹洪の三国志」再開


  • 2006年7月30日(日) 21:17 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット 表題通り、2006年7月27日に「曹洪の三国志」更新再開、そして、同日に三国志漫画劉備くん86話、87話掲載。

http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Cell/6435/

まずは復活おめでとー♪

とりあえず今、私は取り込み中なのでまずはここまで。



三国志学会の懇親会でたいがあさんに教えてもらってびっくり!
http://cte.main.jp/newsch/article.php/97
↑このときからの話だから、一年以上も前からかぁ。

2006年9月24日 中華コスプレ日本大会(in鳥取・燕趙園)


  • 2006年7月29日(土) 08:31 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所

夜行バスに揺られ三国志シンポジウムが始まるまでの間、モスで朝食をとっていたら、何かの役得でお知らせが舞い込んできた。

なんでも、2006年9月24日に鳥取・燕趙園にて2006年度中華コスプレ日本大会があるとのこと。

・中華コスプレプロジェクト
http://www002.upp.so-net.ne.jp/camel-st/Chai-Cos.html

参加料2000円。23日が前夜祭と交流会、24日は参加自由のコンテスト。コンテストは5位まで賞品がつく(内容は上記サイト参照)

鳥取・燕趙園はたびたび三国志ニュースでも紹介しているけど、普通に(?)観光するだけでもとても良いところ。そういう素敵な場所にさらに綺麗な衣装の方々がいろんなところにいるんだから目に面白い。

・鳥取・燕趙園(三国志ニュース)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/104
<次回>2007年5月13日第2回・中華コスプレ日本大会(鳥取・燕趙園)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/500

それにしても中華コスプレプロジェクトの冒頭にある写真って、日本海新聞の2005年10月22日の紙面で使われたやつだね。詳しくは下記、英傑群像のブログの記事で。

・英傑群像
http://www.chugen.net/
・三国志コスプレ(三国志ブログ英傑群像通信)
http://sangokushi.chugen.net/?eid=365537


個人的な雑感では後援・協力の欄には燕趙園が入っているので、安心かな。

しかし、日本大会ということは他の国や地域でも大会があるんだろうか(笑)


<2007年5月14日追記>
・日本海新聞に中華コスプレ日本大会の記事2007
http://cte.main.jp/newsch/article.php/589

<8月18日追記>
http://blog.goo.ne.jp/gesotoku/e/f2288fa3f47525b9cac7205c32e2bcde
ついに日本海新聞の記事(8月17日付け)に取り上げられた模様。なるほどね。

<9月26日追記>
・日本海新聞
http://www.nnn.co.jp/
上記、日本海新聞のサイトのローカルニュース(2006年9月25日付け)の「なりきり度満点 燕趙園で中華コスプレ大会」によると、優勝したのは西遊記のコスプレをしたチームとのこと。写真をみるとフジテレビのドラマをモデルにしている。
イベントの代表の人が次の次ぐらいにアジア大会をしたいといっておられるが宣伝さえきっちりすれば本気であつまるかもね。
十二国記コスプレとか含まれてて楽しそう。

※参照
・枕流亭ブログ
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/
・『十二国記』コスプレする中国の婦女子たち
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20060617/p1

※追記 第4回中華コスプレアジア大会(2011年11月12日13日)

※追記 メモ:曹豹さんを囲む会(仮)(2013年5月4日)
 

7月16日 祇園祭宵山に菊水鉾


  • 2006年7月20日(木) 22:59 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所  今年も16日は休日ということで、行ってきた(藤井斉成会有鄰館オフの後ね)。

・7月16日 祇園祭宵山に孟宗山(昨年)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/147

※追記 京都祇園祭山鉾巡行に孟宗山(7月17日)

 昨年と同じく「祇園祭 宵山・巡行ガイド2006」とタイトルがうたれたチラシをもらう。それを読んでいるとまたまた三国志関連をみかける。以下に引用。

--------------------------------------
17 菊水鉾
室町通四条通上ル菊水鉾町

町内にあった「菊水井戸」
にちなんで名付けられ、
鉾頭には金色の菊花を
つける。稚児人形は、魏
の文帝の勅使が薬水を
求めて山に入った時に
出会った、菊の露を飲ん
で700年生き続けた少年
をあらわしている。唐破
風造りの屋根が特徴。
--------------------------------------

 ほうほう、魏の文帝に関係あるのか、と何番目かに行ってみる。
 真っ先に行かなかったのは、知っている人は知っていると思うけど、ただでさえ人が多く動きづらい状況だったのに、宵山の日の夕方、雨が降ったりやんだりしていて、雨を避けようとアーケードに逃げ込もうとする人や傘をさそうとする人でかなり動きづらかったから。特に菊水鉾は宵山の中心地、四条烏丸近くだったので。ちなみに山鉾巡行に行こうと思っていたけど雨がひどかったのでKBS京都の中継で済ませた。
 そのため晩ご飯をすまし、雨がやんでから菊水鉾へ向かった。
 菊水鉾前の立て看板には「菊水井戸」の話ばかりで特に魏の文帝の逸話については何もかかれてなかった。ちなみにデジカメの電源関連がいかれたみたいで今回は写真はなし(汗)

 手元の電子文献で軽く検索かけたけど、このエピソードが見つからない(といっても志怪小説は捜神記(搜神記)ぐらいしか私の手元にないけど)。この出典って何?

有鄰館(京都)


  • 2006年7月18日(火) 23:55 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 ビルの屋上にある赤い建物が今まで謎だった…… 無極オフのときは「長江の流れは緩やかに見えて」を見るため東京へ向かっていたし、春のオフ会6月のオフのときは私用とバッティングして行けず、今回、ようやく予定があって宣和堂電網頁のオフ会に行けることに。

・宣和堂電網頁
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xuan-he/
・藤井斉成会有鄰館を観に行きたい!
http://sengna.hustle.ne.jp/sb/log/eid560.html
・藤井斉成会有鄰館オフおさらい
http://sengna.hustle.ne.jp/sb/log/eid587.html

 上の記事タイトルのように、今回は有鄰館を見に行こう、という主旨だ(そのまんま)
 その有鄰館がどこにあるかというと京都の岡崎。京都市美術館、京都国立近代美術館、それから細見美術館以外にもまだ美術館があの辺りにあったんだ。「あれ何だろね」といつも気になっていた建物だ。
 しかも第一日曜日と第三日曜日の午後しか開館していないという希少価値(?)。こりゃ個人的にはなかなか行く機会ないなぁと思ったのでそういう意味でもちょうどよかった。

 で、迎えた2006年7月16日日曜日。
 とりあえず、清岡は顔なじみのしずかさんと合流。
 集合時間の12時前。京都の地下鉄東西線で東山駅に向かい、集合場所の改札へ向かって階段を上がる。そうすると、なにやら改札を出たところで輪になっている集団がみえる。
 確信した清岡は改札を出たら、すぐにその輪に声をかえるとやっぱりそうだった。
 サイト管理人の宣和堂さん、吉梨さん、さとうしんさん、師走さん。
 そのまま白川を通って有鄰館へ。その間に、清岡は宣和堂さんとしずかさんとトーク。というか、しずかさんから「清岡さん的にアウェイ」とプレッシャーのようなネタを言われていたので、妙に気を遣われているような気になる(笑)
 白川がとぎれるところを左に曲がると、あるビルの屋上にある中華風建物が目に付く(写真)。それが有鄰館。道に面したところから入るのかな、と思ったら、向かって右側の細い横道を入っていって、勝手口(失礼)のようなところから敷地へ入っていく。
 途中、「藤井」と表札のある家を見かけ、無関係かも知れないが「さすが、財団法人 藤井斉成会」などと思ってしまう。
 門から敷地へ踏み込むと、漢代の石室なるものが普通に庭に野ざらしになっていてビックリする。さらにその石室を四阿のように使っており、数人がくつろいでいたのをさらにビックリする。
 壁に他の美術館のポスターがいくつか貼ってある小道を抜けると、靴を脱いでスリッパに履き替えるところにでて、そこから建物の中に入り半階分を階段で上がると、受付に出る。そこで皆、本館の入館料を払って、半券を手に、まず一階のフロアに入る。

 後日、さとうしんさんのサイトで気付いたんだけど、半券にある「ホームページアドレス」はすでに期限切れか何かで見れないようになっている。仕方ないので例によってThe Internet Archiveで該当ページにアクセスする。

・有鄰館(The Internet Archive上)
http://web.archive.org/web/*sr_1nr_30/www.yurinkan-museum.com/*

※リンク追記
・有鄰館
http://www.yurinkan-museum.jp/

 そうするとある程度、見ることができるようになる。特に蔵品略目のページは有用。

・蔵品略目(The Internet Archive上)
http://web.archive.org/web/20050310165451/www.yurinkan-museum.com/art.html

 上記の蔵品略目以外のものを展示されていたようで、以前、見に来たことのあるオフ会参加者は口々に「前と展示品が少し変わっていた」とおっしゃっていた。

 と話戻してまず一階から。オフ会参加者は清岡以外、中国の時代を幅広く知ってる方々なので、話を聞きながら展示物を見ていると有意義でとても楽しい時間を過ごしているような気になる。
 見てきて面白いと思ったのを全部、書けば良いんだけど、それは書き手の知識が追いつきそうにないし、三国志ニュース的じゃないので、適当にピックアップしていこう。

 1階は佛像・彫刻、画像磚石・瓦当、石経・経石が展示されている。広さは大きい教室といったところ。漢代では画像石・画像磚がまず目立った。だけど、どうも劣化が進んでいて、進賢冠の梁の数を数えたり、武冠の編み目を見たりする程には到らなかった。しかしショーケースにも何も入れず、無造作に置いてあるのにはビックリするなぁ。
 あと、後漢の熹平石経の残石。それから魏の正始石経(三体石経)。ネットで見かけたとき勝手に拓本だと思っていたら、実物だった(汗)
 といっても後漢の熹平石経は破片の一つといった感じ。後漢書本紀によると

(熹平)四年春三月、詔諸儒正五經文字、刻石立于太學門外。

ということで、熹平四年(西暦175年)春三月五経(易・書・詩・礼・春秋)の文字を正せと諸儒に詔が下り、太学の門外に立てられたとのこと。ちなみに謝承後漢書の注では水經注卷一六穀水注から熹平四年(西暦175年)に刻みはじめ、光和六年(西暦183年)に立てたことに。
 展示されている残石の文字を追っても文として読めないレベル。説明文によると儀礼(つまり五経の「礼」にあたる)がかかれているとのこと。しかし残石といえども本物は本物なのに、本国じゃなく日本にあって良いんだろうか、と素人ながら不思議に思う。
 それから魏の正始石経(三体石経)。魏の正始は年号の名。三体は文字の書体、古篆隸の三体のもの。まるで字典なので、みているだけでも楽しい。

※追記 リンク:「三国志:最古級の写本、2巻同時に」(毎日新聞2010年10月13日)

 それから皆で二階に上がる。二階は青銅器・權量、銅仏、玉器、漆器、璽印・封泥・印譜など。
 青銅製の弩機は他の展覧会で結構、見かけるけど(たとえば「よみがえる中国歴代王朝展」)、木の部分はなかなか見かけない。ところが端っこがかなりすり減っているとはいえ、ここにはあった。漢代の「塗漆木肘付弩」ってやつだ。表題通り漆が塗ってある。
 あと漢代の封泥。話には聞いたことあるが、実物を見たのは初めて。形が崩れておらず、きれいに印が残っている。解説には裏には縄の跡があるとかで。なるほど本で読んだ通り。
 二階に入って皆でガラスケースを囲みつつ談笑しているときに気づいたことなんだけど、ここの館の人は私見だけど学芸員というより学生っぽい見た目の人が多い。勤勉にガラスケースを拭くもんだから、ガラスケースをべたべたさわって悪いなぁ、と思っていたんだけど。どうやら定期的に結構、頻繁に拭いているみたいだった。

 さらにもう一階、上があるようで、皆で三階へあがる。以前、来たことある人の話によると、以前は三階から屋上へ上がることができ、写真の中華風建物の中でセルフサービスのコーヒーが飲めたとのこと。今回はあがれずに残念。
 三階は陶磁器・玉器、衣裳、書蹟・古文書・碑版法帖、絵画。
 この階は漢代は陶俑。おなじみの望楼からあまり私は見かけなかった犬、鷲、梟の動物もの。あと「中国古代の暮らしと夢」で見かけたやつとほとんどデザインが同じな、包丁をつかう人物俑。こちらの方がかなりすり減っている感じ。この二つの俑の関係はどうなんだろ。気になった。

 皆で順々に展示品を見て回っていて、書のところにさしかかると、なにやら宣和堂さんに話しかける影が。
 どうやら宣和堂さんたちのお知り合いの山科さんとのこと。
 そこから山科さんから展示品に関する興味深いお話をあれこれお聴きすることになる。宣和堂さんのかゆいところに手か届く系の質問で、専門外の私でもとても楽しんでお話をお聴きしていた。
 と、ここでその話を再現するだなんて無理っぽいので、思い出せる分でちょっとだけ箇条書きをしておこう。

・ある書について「也」の位置から真贋を解説。
・これって模写だったのか、という一同のどよめきに「そりゃ模写にも、松、竹、梅とありますよ」「これは松の上の方」
・「○○コレクション(※覚えているけど敢えて伏せ字)は玉石の玉が多いところですね……玉が四割、五割」
・清の梅花碗古月軒について「オークションだと3億円からスタートとして…」

 山科さんとはそこで別れ、有鄰館を後にした。
 宣和堂さんによると、前回、来たときに館長さんが解説してくれたんで、今回もそれを目当てに来たが、館長さんが不在で残念がってたそうな。そこに思わぬ山科さんとの邂逅があって良かったとのこと。
 あとしずかさんがぼそっと、入館料1000円は高いが解説付きだから安いって言ってた(笑)

 その後、お昼にしよう、ってことで飯屋を求め辺りを彷徨ったんだけど、良い店がない。さらに雨がぽつりぽつりと降り始めていたので、仕方なく値段的に高いそば屋に入る。そこは豆腐料理のある一階がこみこみだったけど、メニューが限定された二階の和室(宴会場みたいだね)には途中から親子連れが入ってきたもののそれ以外誰も客がおらず、ゆったり語り合えた。外をみてみると豪雨。というわけで16時ぐらいまで長居することに。

 師走さん 宣和堂さん さとうしんさん
   テ ー ブ ル テ ー ブ ル
 吉梨さん しずかさん 清岡

 「北斗の拳」のラオウやシンはみな統治する意志があるのにケンは悪いやつを倒すだけ倒してどこかに行くから、実は一番、悪いとか、友人が深夜3時に電話で水戸黄門の801話をしてきたとか、田中芳樹先生の話とか、そんな話をあれこれ。
 雨が小降りになってから、その場決めで平安神宮へ参拝することになる。清岡は初めて言ったんだけど、あれこれ話が聞けて面白かった。
 その後、昼間、込んでいて入れなかった和菓子茶店へ。

 しずかさん さとうしんさん 宣和堂さん
    テ ー ブ ル
 清岡 師走さん 吉梨さん

 ここではやっぱり某オフ会の惨劇が印象的。それを元に三国志ジャンルで起こりそうな惨劇を予想していた。

 2008年公開の「赤壁の戦い」で○○(適当な役者名)が配役される
 →三国志オフ会を開催されると○○ファンが押し寄せてくる。
 →その○○ファンの一部がオフ会にて「今日は○○のためにみんな集まってくれてありがとう」なんてのたまう。
 →そういう○○ファンの一部はえてして厚顔無恥だったりして。会食で○○ファンの一部が集団で「腸詰め」と連呼してまわりを怯ませたり。

 こういうことを聞くと2005年7月の三国志関連のオフ会で、三国志ファンは入り口がいっぱいあって毎回いろんなファンが来てどれも歓迎だ、なんて話をしていたが、うかうかしてられないなぁ。
 あとそれとは違うオフ会の話で、師走さんの「オフ会に鶴が来た」話。そのオフ会の参加者は毎回、男性ばかり(そこでは暗に掃き溜めと例え)で、誰かの彼女で美人の女性(つまり鶴)が参加したそうな。そこで女性が携帯電話を持っていない、という話をしたら、いきなり参加者の一人が外へ出ていって携帯電話を買ってきて曰く「これを使って下さい」とのこと。
 あとは映画の無極の話がなんかあった。清岡は未見だけど、話をきいてすごくみたくなった。
 18時過ぎぐらいに祇園祭の宵山がもう始まっているということで店を後にする。ここで清岡は先約があったんで残念ながら離脱した。
 その後の様子を含めオフ会の様子は下記のリンクを参照のこと。

○オフ会関連リンク
・藤井斉成会有鄰館オフ(宣和堂電網頁
http://sengna.hustle.ne.jp/sb/log/eid589.html
・宣和堂氏主催 藤井斉成会有鄰館オフ (吉梨日記 白眉の逆襲編
http://kizurizm.blog43.fc2.com/blog-entry-1520.html
・藤井有鄰館と祇園祭の宵山オフ(金烏工房
http://blog.goo.ne.jp/xizhou257/e/32d25e0d329f8aa149a27a40588c1ef5
・藤井斉成会有鄰館(GameBook備忘録
http://orsinian.blog.ocn.ne.jp/gb/2006/07/post_010d.html

中華文化


  • 2006年7月15日(土) 17:46 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  以前の記事でも紹介したけど、改めて。それを知ったのが下記の枕流亭ブログ。

・枕流亭ブログ
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/
・記事「服飾史」
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20060713/p3

 ここで紹介されているのが人民教育出版社のサイト内にある「中華文化」というコーナー。中国のサイトなので、簡体字で書かれているので注意(この記事では表示できるよう書き換えている)。

・中華文化(サイト「人民教育出版社」内)
http://www.pep.com.cn/zhwh/index.htm

 それで何がここの特長かというと、中国の歴史文化に関する豊富な画像資料。
 画像は「中国絵画」「中国服飾」「中国書法」「中国家具」「中国壁画」「中国雕塑」「中国文物」にあり(あと「中国活劇」)。石器時代から近代まであり、三国志ファンとして漢~西晋のあたりに有用性がある。時代を限定しても膨大な数があるので、見て回るだけでも飽きない。
 ほんの一例をあげると「中国雕塑」→「圖片與説明(一)」にある「三国持盾武士俑(図)」。その陶俑の写真をみるとデフォルメれている表現といえども三国時代の兵士の甲冑姿を知ることができる。

 当時、単語が当時の名称じゃないが、どこから出土したといった情報がきっちり書かれている。さらに言えば「中国服飾」あたりだと当時、書かれた画像ではなく後代の作で正確性にかける画像が結構、まぎれているのでそこらへんの出典情報は要チェック。

2006年7月14日「三国志烈伝 破龍」3巻発売


  • 2006年7月14日(金) 23:41 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  「プリンセスGOLD」で連載されている長池とも子先生/箸「三国志烈伝 破龍」の3巻(プリンセス・コミックス 秋田書店)が2006年7月14日に発売された。

・長池とも子先生のサイト「三国茶屋」
http://homepage2.nifty.com/nagaiketomoko/

・2006年1月16日「三国志烈伝 破龍」2巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/272

 ラインナップは次のようになっている。

第七話 桃園結義 ('06年プリンセスGOLD3+4月号)
第八話 両雄の邂逅 ('06年プリンセスGOLD5月号)
第九話 盲夏侯 ('06年プリンセスGOLD6月号)
第十話 美女連環 ('06年プリンセスGOLD2月号)

 それで今回はすごくコンセプチャル!
 表紙が曹操と劉備の絵で第七話、第八話が劉備中心、そして第九話、第十話が曹操中心。
 1巻、2巻が短編集という装いだったのに対し、今回は伝統的三国創作の順序通り、桃園結義→黄巾退治→虎牢関の戦い→貂蝉の美女連関って流れ。こう書くと誤解されそうだけど、もちろんトレースした感じじゃなく、それぞれテーマがあって面白い。掲載号を見ると順序通りではないので、コンセプトにのっとって話数を決めていることがわかる。
 それにしても少女マンガで桃園結義は初めてじゃないのかな、ってひそかに思っているんだけど、どうでしょ。
 というわけであまりネタバレしない程度にコメントを少々。

・第七話 桃園結義
 やっぱり表題から連想されるように劉備、関羽、張飛がばっちりでてくるけど、それじゃ少女マンガ誌に載せるのは厳しいのかな。オリキャラの紅霞(女性)が出ている。これは吉川三国志でいうところの芙蓉の役割を担うのかな? 劉備が剣や鎧を重く感じている描写が臨場感があって好き。

・第八話 両雄の邂逅
 表題通り黄巾討伐時の劉備と曹操の邂逅。暖の劉備に対し冷の曹操が面白い。やっぱりこの作品の曹操が出てくるとストーリーが引き立つねぇ。単なる合戦話にしないところが好感を持てる。

・第九話 盲夏侯
 虎牢関の戦い中心。袁紹の金髪長髪(といってもこれは私の主観。ただベタやトーンが長髪に塗っていないだけ)の容姿がおもしろいなぁ。そしてそれに似合う性格。呂布はすごく強肩……じゃなくて無類の強さを見せる。夏侯惇視点のコマ割になるところが好き。

・第十話 美女連環
 この巻でこの話が一番おもしろかった。曹操が貂蝉の仕掛け人ってあたりで三国志ファンとしてはどうなるかと思ったけど、ふたを開けてみるとすごく面白く仕上がっていた。貂蝉、卞夫人、曹操のやりとりが面白い。人物と人物のせめぎ合い。先がどうなるかと引き込まれた。

一梁?メモ


  • 2006年7月13日(木) 18:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    4,536
歴史 左から三梁、両梁(二梁)、一梁。但し、一梁は想像。 右のは某所のネタで作った画像をさらにアレンジして作った画像。
 元ネタは「漢代物質文化資料図説」に載っている山東沂南の畫像石(東漢)の「戴有[巾責]之冠者」の絵。確か「中国古代の服飾研究」にも載ってたっけ。
 その画像を鏡像にしたり(それに合わせ服を改造)、髭をとったり、色を付けたりしてポップアートっぽくしてみた。

 まず左の人物に注目。頭上の一番上に針金が折れ曲がったような部分が「梁」だ。それが三本あることで「三梁」と呼ばれる。それとは別に頭上にあるのが「[巾責]」。頭上の屋根みたいなのが「顔題」と呼ばれ、それから後側から上に出ている箇所は「耳」と呼ばれる。この「梁」や「[巾責]」をまとめて「進賢冠」と呼ばれる。
 梁と「[巾責]」それから、顎にかけてある紐がどういう関係なのかよくわからない。進賢冠をかぶった人物の陶俑があってそのスケッチをみてみたら、[巾責]の外側を通って梁ごと紐で上側から抑えている感じ(晋 長沙)。
<7月14日追記>
枕流亭ブログで服飾のデータベースみたいなところの紹介があった。
・枕流亭ブログ
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/
・服飾史
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20060713/p3
そこのリンクをさらっと辿ってみると、上の陶俑の写真があった。
http://www.pep.com.cn/200301/ca143223.htm
↑右から二つ目。
<追記終了>

 ちなみに向かって右の顔の側面から出ているのは筆。元ネタにした画像は向かって左側から出ており、耳の上に筆を置いておく習慣があったとのこと(確か、「中国古代の服飾研究」にそこらへんのことが書いてあったかな)

 続漢書の輿服志によると

進賢冠、古緇布冠也、文儒者之服也。前高七寸、後高三寸、長八寸。公侯三梁、中二千石以下至博士兩梁、自博士以下至小史私學弟子、皆一梁。宗室劉氏亦兩梁冠、示加服也。

つまり、進賢冠とは古の緇布冠で、文儒者の服だ。前が高さ七寸、後ろが高さ三寸、長さは八寸となる。公や侯は三梁、中二千石以下、博士に至るまで両梁(二梁)、博士から以下、小史や私学の弟子に至るまで、皆一梁となる。劉氏の宗室(親類)もまた両梁(二梁)の冠を服に加えている、となる。

 身分によって梁の数が違ってくる。
 それで画像の左が三梁の冠で、真ん中が両梁(二梁)となり、最後は一梁と言いたいところだけど、ここは想像で書いている。
 というのも普通に考えると、針金みたいな梁の数が減っていくだけのような気がするが、畫像石で針金一本の梁を見かけたことがない。それに対して、画像の右のような幅のあるものを畫像石で結構、見かけ(但し、円筒上、そのまま大きくなっているのか、板を立てているものなのか、見ようによってはいろんな解釈ができる)、陶俑でも板を折り曲げたような冠を一例、見たことがある(成都羊子山)。なので、一梁はこんな感じだと予想。

※追記 メモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」

※追記 メモ:三国創作のための扶助会

真・三國無双シリーズ公式サイト(台湾)・リンク集


  • 2006年7月 8日(土) 11:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム ・真・三國無双シリーズ公式サイト・リンク集
http://cte.main.jp/newsch/article.php/309
・真・三國無双シリーズ公式サイト(英語圏)・リンク集
http://cte.main.jp/newsch/article.php/315

 何かの記念と言う訳じゃないけど、たまたま台湾の公式サイトを見かけたので、ここにあげておく。英語のときと違ってタイトルはほとんど見たまんまなので訳さない。括弧付きのところは何語版の販売か。日文が日本語表記、中文が中国語表記(繁體字)。というか、まだまだ日文版が多いね(汗) しかし、ゲーム中で日本語出ても文字、追えるんだろうか。昔の日本の海外ゲームみたく対訳冊子が付いてるとか?(←根拠ない憶測)

・真.三國無雙2(中文版)
http://www.koei.com.tw/html/lineup/am/tvgame_12.html
・真.三國無雙3(日文版)
http://www.gamecity.com.tw/products/products/ee/new/smusou3/index.htm
・真.三國無雙4(日文版)
http://www.gamecity.com.tw/smusou4/index.htm

 あと同じPS2でシナリオやシステムが異なってくる、いわゆる「スピンオフ」作品は以下のようになっている。

・真.三國無雙3 猛將傳(日文版)
http://gamecity.koei.com.tw/products/products/ee/new/smusou3m/
・真.三國無雙3 Empires(日文版)
http://gamecity.koei.com.tw/products/products/ee/new/smusou3e/
・真.三國無雙4猛將傳(日文版)
http://www.gamecity.com.tw/smusou4m/
・真.三國無雙4 Empires(日文版)
http://www.gamecity.com.tw/smusou4e/

 それからPS2以外への移植作。

・真.三國無雙(PSP、日文版)
http://www.gamecity.com.tw/psp/ssm_psp/
・真.三國無雙 2nd Evolution(PSP、日文版)
http://www.gamecity.com.tw/psp/sangoku2/
・真.三國無雙 Advanced(GBA、日文版)
http://www.gamecity.com.tw/smusougba/
・真.三國無雙3hyper(Win、中文版)
http://www.gamecity.com.tw/products/products/ee/new/smusou3/win.htm
・真.三國無雙4 Special(Win・Xbox360、中・日版)
http://www.gamecity.com.tw/smusou4sp/

 しかし、サイトを見ていると当たり前だけど漢字が合っているな。

2006年7月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ8月号)


  • 2006年7月 7日(金) 00:05 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  月刊の漫画雑誌、ミステリーボニータ(秋田書店)に連載中の「八卦の空」。三国志およびその注に載っている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビがオリジナリティ豊かに漫画で描かれていている。5号前からの続き物なので、今号で巫炎シリーズは6回目。そしていよいよシリーズ最後。32ページ(よく見るとページの内側下に小さいノンブルがあるね)
 今回、表紙前、2ページは陰陽の話。房中術の古書から引用したような絵物語で表現されている。巫炎シリーズ全体に関わってくることなんだな、陰陽は。
 そして扉絵。シリーズ最後を飾るのは巫炎の横顔。そして、ここに「緊急速報」が書かれている。詳しくは下記リンク。

・2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/362

 さて本編だけど、前回に引き続き、管ちゃん、玄龍くん、巫炎さん、東方朔仙師、藍児さんと役者がそろっている。

・前回
http://cte.main.jp/newsch/article.php/348

 あまり書くとネタバレになるんで、少しだけ。玄龍くんのセリフや最後の管ちゃんの想い、とても感動した。
 次回は一回休みを挟んで、ミステリーボニータ10月号(2006年9月6日)とのこと。単行本2巻発売と同じ月ってことで♪

※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※ここの「お絵描き掲示板」に書き下ろしイラストあり。

・ミステリーボニータ8月号に「八卦の空」 巫炎(六)(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=327976


 あとあまり関係ないけどミステリーボニータの裏表紙っていつの間に広告なくなったの? 広告収入減った分、大丈夫かなぁ、と素人ながら心配。

・2006年9月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ10月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/406

2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売


  • 2006年7月 6日(木) 21:30 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  月刊の漫画雑誌、ミステリーボニータ(秋田書店)に連載中の「八卦の空」。三国志およびその注に載っている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビがオリジナリティ豊かに描かれる漫画。
 ミステリーボニータの2006年8月号(2006年7月6日発売)の「八卦の空」扉絵によると、

緊急速報
コミックス1巻、即重版決定!!
めちゃくちゃ売れてます!! さらに
ボニータコミックスα「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻が9月中旬発売決定!!
※探しても見つからない時は、書店にてご注文ください。

とのこと。
 四月に1巻が発売されたばかりで早くも2巻発売決定。連載していたのが再度、しかも繰り返し読めるだなんて、今からとても楽しみ。

 それで1巻の発売のときを思い出して、公式サイトをチェック。

・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/

 そうすると、以下のように、秋田書店のサイトの新刊情報(9月15日のところ)に発売情報有り。

ボニータコミックスα ふしぎ道士伝 八卦の空 第2巻 アオキトモ 540円(514円)

 値段から考えると1巻と同じ1.5倍サイズ?!

※参考リンク
・2006年4月14日「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/322
・2006年4月中旬「八卦の空」コミックス化
http://cte.main.jp/newsch/article.php/279


○単行本未収録 現在までの総計 316p
※ちなみに単行本1巻収録 掲載時総計 278p

'05年ミステリーボニータ9月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/150

・管ちゃんが若いとき
'05年ミステリーボニータ10月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/175
'05年ミステリーボニータ11月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/193

'05年ミステリーボニータ12月号掲載 28p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/213
'06年ミステリーボニータ2月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/263

・巫炎編
'06年ミステリーボニータ3月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/284
'06年ミステリーボニータ4月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/301
'06年ミステリーボニータ5月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/316
'06年ミステリーボニータ6月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/335
'06年ミステリーボニータ7月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/348
'06年ミステリーボニータ8月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/363

<7月7日追記>
青木先生、トラックバックありがとうございます。
というわけで、2巻は'06年ミステリーボニータ8月号掲載まで収録し、目次などを合わせたページ数を300ページにおさえる都合上、読切1話を外すそうです。下記リンク先参照。

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青青日記『ミステリーボニータ8月号に「八卦の空」』
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=327976

管ちゃんが若いときと巫炎編ははずせないでしょうから、
'05年ミステリーボニータ9月号掲載 24p
'05年ミステリーボニータ12月号掲載 28p
'06年ミステリーボニータ2月号掲載 24p

のどれかが外れるんでしょうか。1巻とまったく同じ掲載時総計ページになる、それから内容の異色性から'05年ミステリーボニータ12月号掲載分が外れると予想。
あ、でも人面虫の話も好きだなぁ。

しかし、発売日が作者の耳より早い三国志ニュースって一体(笑) まぁそれだけ出版社が読者優先ってところでしょうか。

河北:タク州市、「中国三国文化の郷」に(新華通信ネットジャパンの記事)


  • 2006年7月 4日(火) 18:07 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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新聞  REFERERで気付いたんだけど、下記のサイトの記事で三国志ニュースが紹介されていた。感謝感激。

・火間虫入道 -信長の野望とか 蒐集者の庭-
http://hima.que.ne.jp/

そこと同じ記事で紹介されていたのが新華通信ネットジャパンの記事『河北:タク州市、「中国三国文化の郷」に』。

・新華通信ネットジャパン
http://www.xinhua.jp/
※ここのサイト内検索で「中国三国文化」と検索。

 記事にある「中国三国文化研究中心」って日本風にいうと○○センターって感じの施設だね。ここでいう三国文化ってのは、三国時代の文化なのか三国志および三国演義によって後世にもたらされた文化なのかどっちだろ? 個人的には前者希望かな。
 でも記事をみると史上、三国時代にはない「桃園の誓い」とか出ていて、後者なのかな。あと一応、記事に突っ込むと関羽の出身地(出生は不明)は涿県ではなく河東郡解県。
 それにしても「後漢時代の政治家盧植」と書くんだったら、メインの記事とリンクさせて「盧植」を「劉備の師」としても紹介した方が良いかと。

参照。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/276

2006年8月14日 第五回三顧会(三国志城イベント)


  • 2006年7月 2日(日) 19:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所  詳しい時間はまだだけど2006年8月14日に開催される山口県の三国志城のイベント「第五回三顧会」のプログラム内容が三国志城公式サイトで発表された。今回はこうやってネットで紹介できるようにバナーも用意されている(この記事にリンク無しで貼っているやつ)

・三国志城
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/
・第四回三顧会の様子(三国志ニュースの記事)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329


※2006年8月14日10時から
・三国志講座「劉備のデビュー」
・三国志城を旗で飾ろう
・三国志トランプ大会(チーム戦)

・三国志コスプレ大歓迎!(着替える場所ご用意します)


 三国志講座は2005年8月14日の第三回三顧会の三国志風水講習会みたいなのかな。

・三国志風水講習会(三国志ニュースの記事)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/161

 「三国志城を旗で飾ろう」は作りもの系かな。みんなで作るのか個々で作るのか謎だけど、2005年5月4日の第二回三顧会の「木牛を皆でいっしょに作ってみよう」みたいの?

・「木牛を皆でいっしょに作ってみよう」(三国志ニュースの記事)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/119

 三国志トランプ大会は2005年5月4日の第二回三顧会から定例になっているやつだろう。ただ個人戦だったやつがチーム戦とのこと。想像するに複数人で知識を出し合えるので、より高度なゲームが楽しめそう。

・第四回三顧会ダイジェスト4「三国志トランプ大会」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/336

 そして三国志コスプレは2005年8月14日の第三回三顧会から定例になっている。回を追うごとに人数が多くなっていて今回も楽しみ。

・第四回三顧会ダイジェストα「三国志コスプレ」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/330

 今回は前日の2005年8月13日日曜日に前日祭を開催するとのこと、8月23日の諸葛亮の命日(三国演義「第一○四回:隕大星漢丞相歸天、見木像魏都督喪膽」より)にちなんで「諸葛孔明を偲ぶおしゃべり会」が行われるそうな。
 また今回、宿泊施設として「三国志城所有の特別展示上もイベント前後の日(13日夜と14日夜)は無料開放いたします。仮眠場所にご利用ください。」とのこと。個人的に青春18きっぷと組み合わせるととても安く三顧会に参加できるので、お勧め。

2006年9月17日 「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」


  • 2006年7月 1日(土) 19:24 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究

 關尾史郎先生のブログより。2006年9月17日日曜日10時から17時まで、お茶の水女子大学・理学部3号館7階701教室にて長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」があるそうな。入場無料,一般聴講可とのこと。詳しくは下記のリンク先へ。

・關尾史郎先生のブログ
http://sekio516.exblog.jp/
・記事「長沙呉簡国際シンポジウム『長沙呉簡の世界-三国志を超えて-』」
http://sekio516.exblog.jp/3729950


<追記>2006年9月17日「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」ノート
http://cte.main.jp/newsch/article.php/417
 

2006年6月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン7月号)


  • 2006年6月28日(水) 08:05 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ

まだ私自身、書店で見てないです。ここではネットのみの情報。

・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/

株式会社スクウェア・エニックスの2006年6月12日発売の「月刊少年ガンガン7月号」で三国志漫画の連載がスタートしたとのこと。
以下、そのサイトから引用

■注目新連載!
今、新たな三国志時代の幕が開く─!!
「ブレイド三国志」
原作:真壁太陽 作画:壱河柳乃助


公式サイトでは扉絵を見れるんだけど、見た目、蜀関連のパラレルものにみえるんだけど。
第一回「ブッ飛んでるゼ Baby!!」だそうな。
減る一方だった各誌の三国志漫画の連載にちょっと増えた。


しかしガンガンで三国志漫画だったらあの先生だろ、って思うんだけど、まぁ、それは別に現行の連載が終わってからほのかに期待しておこう。

<追記>
ブレイド三国志、冒頭に西暦2194年って書いてあった。作中に昭和初期の訳本の「三国志」が出てくるけど、その時期に訳本なんてないんで、作中の人物が吉川三国志と間違っている??。


・2006年7月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン8月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/423

※追記 記事特集「戦-IXA-ONLINE」で三国志特集(2009年11月12日)

※追記 ヒゲも制服のうち(2009年11月27日)
 

恋姫†無双(こいひめむそう)


  • 2006年6月27日(火) 23:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム

何か騒がしいと思ったら、これか!

NEXTON Official Homepage 「TacticsNET」
http://www.tactics.ne.jp/
※18歳未満は閲覧禁止だそうな。

ここのブランド「BaseSon」のところに

恋姫†無双~ドキッ☆乙女だらけの三国志演義~
(ジャンル 妄想満載煩悩爆発純愛歴史AVG 対象年齢 18歳以上)

って製品の情報があり。2006年冬発売に向け鋭意制作中だそうな。
しかし、近い将来、関羽でイメージ検索するとまたえらいことになりそうだな。

<追記>
発売は2007年1月26日とのこと

※追記 『真・恋姫†無双 ~乙女繚乱☆三国志演義~』

※追記 いけ!いけ!僕らの『恋姫†無双』(2007年4月25日、2008年8月15日-)

※追記 Web恋姫†夢想(2010年12月20日)

※追記 サイト「同人用語の基礎知識」で三国志関連

※追記 CR恋姫†無双(2011年12月)

※追記 秋葉†無双 ~ドキッ★otakuだらけの秋葉原120%活用ガイド~(2009年7月18日)

※追記 女諸葛亮(2015年10月27日-)

※追記 神戸南京町広場四阿 彫刻
 

2006年5月7日 ニッポン人が好きな100人の偉人(日本テレビ系列の番組)


  • 2006年6月25日(日) 10:49 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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テレビ  撮り溜めしていた古いビデオを見ていると、2006年5月7日放送の「ニッポン人が好きな100人の偉人」(日本テレビ系列の番組)が残っていた。タイトル通り投票結果により日本人が好きな故人100人を選び、100位からカウントダウンしていくというもの。というかおそらく皆さんご存知で今頃、何、そんな話をしているんだ、って思われるかもしれない。

 その中で「69位 加藤大治郎」と「67位 真田幸村」の間で出てきたのが曹操。もちろん三国志の人物。

68位 曹操
三国志の中では敵役として描かれているがテレビゲームの影響で子どもたちに大人気

というナレーションとともにまず、王圻/編「三才圖會」(明代の本)からの魏太祖像(当然、後漢時代や三国時代の冠ではない)の映像と「68位 三国志の武将 曹操 (155~220)」という文字が出てくる。生年没年のところには中国の国旗が描かれている。しかし、三国志の冒頭の武帝紀で中心となる人物を「武将」とか「敵役」とかって誤認甚だしい(汗)
 その後、真・三國無双シリーズの映像が出てきて下に「テレビゲームの影響で子供達に人気」という文字が出てくる。それだけなのか? 「蒼天航路」の影響ではないの?

その後、三国志に載っている人物は「45位 伊能忠敬」と「43位 武田信玄」間に「44位 邪馬台国の女王 卑弥呼(?~248)」(どっからこの数字が出たんだろ? 「(正始)其八年」でもないし)、「29位 宮本武蔵」と「27位 ジョン・レノン」に挟まれ「28位 諸葛亮」と出てくる。

28位 諸葛亮孔明
三国志に登場する天才軍師。蜀の劉備に仕えた歴史上最も有能なナンバー2である。

というナレーションとともに「三才圖會」の諸葛孔明像に似た像(見比べてみると三才圖會と違った)と共に「28位 三国志の天才軍師 諸葛亮孔明 (181~234)」という文字が出てくる。その後、三国志の古そうな本が出てきてよく分からない戦争の挿絵が出てきて『歴史上もっとも有能な「ナンバー2」』という文字が画面に出てくる。なぜここだけ姓+名+字表記?

・2006年9月23日 100人の偉人2 美女編(日本テレビ系列の番組)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/416
・2007年1月5日 100人の偉人 天才編(日本テレビ系列の番組)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/477

鄒靖


  • 2006年6月19日(月) 22:17 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史  司馬法の嚴位第四に「起譟鼓而進、則以鐸止之」なんて書いてあるけど、退却の時も鐸を鳴らすんだっけ?なんて今、悩んでいる清岡です。こんばんは。

※追記 『イナズマイレブンGO クロノ・ストーン』で劉備登場(2012年10月3日)

 さてサイト「呉書見聞」のBBSでのニセクロさんの6月17日の書き込みを見て思い出したんですが、続漢書百官志にも軍の規模(大将軍の?)とそれに応じた官職が書かれているのですね。しかも俸禄付き。以下、抜粋。

其領軍皆有部曲。大將軍營五部、部校尉一人、比二千石;軍司馬一人、比千石。部下有曲、曲有軍候一人、比六百石。曲下有屯、屯長一人、比二百石。

つまり、大将軍には五部があって、それぞれの官職と俸禄、()内にその軍事組織の単位を書くと、

部校尉、比二千石(部)・軍司馬、比千石(部)
 ─軍候、比六百石(曲)
  ─屯長、比二百石(屯)

ってことになりますね。

 それと籾山 明/著「漢帝国と辺境社会 長城の風景」(中公新書1473、中央公論新社、1999年)の111ページによると(孫引きになるけど、元は 久保田文次 1988「青海省大通県上孫家塞115号漢墓出土木簡の研究─特に漢代の部隊編成を中心として─」『駿台史学』74号 だそうです)、出土木簡に見られる漢の軍団編成は、

軍尉(校)
─司馬(部)
 ─候(曲)
  ─五百将(官)
   ─士吏(隊)
    ─什長(什)
     ─伍長(伍)

だそうです。漢と後漢の違いはあれど結構、似ているところがありますね。あと「通典 卷第一百四十九 兵二 法制」に載っている後漢魏武軍令の歩戰令に「伍中有不進者、伍長殺之;伍長有不進者、什長殺之;什長有不進者、都伯殺之」とあるので、什長の上には都伯がいるのかな、とあれこれ思ってます。
 全然、関係ないですけど、三国志の筑摩訳本などで「部曲(私兵)」なんてありますけど、「部曲」(部と曲)自体は単に軍組織を指している言葉でたまたまその箇所の部曲が私兵的扱いがされているって意味でしょうか。「部曲=私兵」ではないですよね??
 あとこれを見ても「」と「候」とでは縦線一本違ったら意味がかなり違うことがわかりますね。「夏侯覇」を「夏候覇」と間違って検索している人や「夏侯惇」を「夏候惇」と間違って表記している人! 夏侯さんに失礼なのでお気をつけてくださいね。

 で、話を本題に戻しますと、以前、三国志ニュースのコメント(下記URL)で、むじんさんが指摘してくださった鄒靖について。

 そうそう下の自サイトのページにもあるように後漢書応劭伝によると中平二年の鄒靖は北軍中候って官職です。

・京師でゴタゴタと(孫氏からみた三国志29)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w040504.html
※しかし、ここの応劭のセリフの訳、当時も思っていたけど我ながら酷い訳ですね。機会を見つけて書き直したいと思います。

 「北軍中候」って北軍の中曲(ってあるの? 前曲や後曲みたく)の候って意味でしょうか?
 それから三国志蜀書先主伝に鄒靖が出てきていて(三国演義に似たように出て来るんで劉備関連の人として有名?)

<本文>
靈帝末、黄巾起、州郡各舉義兵、先主率其屬從校尉鄒靖討黄巾賊有功、除安喜尉。

<清岡のテキトー訳>
靈帝の時代の末、黄巾が起こり、州郡おのおのは義兵をあげ、先主(劉備)はその屬従を率い、校尉の鄒靖に従い、黄巾賊を討ち戦功があり、安喜尉(安喜県の尉)になった。

てな感じで、鄒靖は校尉って官職です。
 降格がないとすると、鄒靖は軍組織で北軍中候→校尉と昇進していると思われます。ということで、劉備の黄巾戦は中平二年(西暦185年)以降ってことになります。
 余談ですけど、三国演義の「第一回:宴桃園豪傑三結義、斬黄巾英雄首立功」、つまり黄巾と戦う時の劉備の年齢は28歳なんですよね(「及劉焉發榜招軍時、玄德年己二十八歳矣」)。三国演義でも史実の劉備と没年・享年が同じなのでこれは中平五年(西暦188年)に相当します。光和七年(西暦184年)、あるいは中平元年(西暦184年)ではないのが不思議ですね。

※追記 メモ:「魏晉南北朝の客と部曲」

三国志学会 発足


  • 2006年6月15日(木) 08:05 JST
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    清岡美津夫
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研究 『三国志』や『三国演義』に関する学会が発足されたとのこと。その名もそのまま「三国志学会」。会長は狩野 直禎先生、副会長は金 文京先生、大上 正美先生とのこと。2006年7月30日日曜日に大東文化大学 大東文化会館ホールで早くも第一回大会が開かれるとのこと。大会当日に三国学会でも入会できるとのこと。すでにプログラムも発表されている(下記URL参照)。それから機関誌『三国志研究』が刊行される。初年度は郵送で、基本は大会に配布されるらしい。

・三国志学会
http://www.daito.ac.jp/sangoku/

・大東文化大学 中国学科 渡邉研究室
http://www.daito.ac.jp/~y-wata/

※上記2サイトの新URL
・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/

・渡邉義浩ホームページ
http://www.kyuko.asia/book/b9553.html

すでに発表された三国志シンポジウムと合わせ、7月末の大東文化大学は三国志関連が熱いね。沈伯俊先生と金文京先生の対談で触れられていたのはこれのことね。

・2006年7月29日 三国志シンポジウム(大東文化大学)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/342
・沈伯俊先生と金文京先生の対談(?)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/345


<6月20日追記>
以下のリンクは關尾史郎先生のブログでの三国志学会(第1回大会)と三国志シンポジウムとの紹介記事。何かを端的に表しているようである意味、興味深い

・三国志学会第1回大会
http://sekio516.exblog.jp/3659742
・三国志シンポジウム
http://sekio516.exblog.jp/3659778

<11月16日追記>
検索でこられた方に便利なように下記に第一回大会のレポへのリンクはっとく

・2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノート
http://cte.main.jp/newsch/article.php/395

横山光輝三国志 カード型ライター


  • 2006年6月13日(火) 18:01 JST
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    清岡美津夫
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物品  如月雪さんのブログ「未来と過去の交差点」で面白い商品を見かけたので、こちらでも紹介しておこっと。横山光輝三国志の絵が入ったカード型ライターとのこと。

・未来と過去の交差点
mirakako.exblog.jp/
・月曜の朝から大興奮!!
mirakako.exblog.jp/3572350

 それで上のブログでもリンクが張ってあるように、そのライターはFUJISAWA製とのこと。下記URL参照。

・株式会社フジサワ
http://www.fujisawa-inc.com/

 それから公式サイト。今のところ全12種類だそうな。サイトで絵が見れる。

・横山光輝三国志 カード型ライター
http://www.fujisawa-inc.com/card_menu/card_sangokusi.html

 ついでその全12種類をここにメモっておく。絵以外にも勢力(?)を表す漢字一文字があるのでそれ毎に書いておこう。あとライターには何やら名言やらあだ名みたいなのが書いてるっぽい。

・劉
 劉備玄徳(若いとき)
・蜀
 張飛翼徳
 関羽雲長
 趙雲子竜
 諸葛亮孔明
 黄忠漢升
・馬
 馬超孟起
・呂
 呂布奉先
・魏
 曹操孟徳(若いとき)
 司馬懿仲達
・呉
 孫権仲謀
 周瑜公瑾

孫機/著『漢代物質文化資料図説』


  • 2006年6月10日(土) 08:57 JST
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    清岡美津夫
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研究  以前、下記の記事で紹介したんだけど、どんな内容かわかりにくいんで目次を列挙しておこう。ほとんど自分向けのメモ書きになっているけど。この本どころかまだ林巳奈夫/著「漢代の文物」も全部、読んでいないので、当分はこの目次を見て、必要な部分を読んでいく感じかな。

・跪坐と垂足坐
http://cte.main.jp/newsch/article.php/344

「漢代物質文化資料図説」の基礎データ。

・「漢代物質文化資料図説」(中国歴史博物館叢書第二号、平装定价)
著者:孫機
出版発行:文物出版社
出版年月:1991年9月第一版
ISBN 7-5010-0372-6/K・143
価格:25.00元
※中国の本なので実際は簡体字表記

 ページ構成はおおざっぱにいって各セクション(下の目次参照)で文章(当然、中国語、簡体字)が3ページ、挿図が1ページといったところ。各セクション末に注釈、それから巻末に出典が掲げられている。ちなみに下の目次は小項目(例えば「車I」だと「輅車、[車番]車、軒車、安車」とか)を入れようと思ったけど慣れない簡体字のため時間がかかりすぎるため挫折した。

目次

/農業I~VI/手工工具/計量器/窯業/製塩、採礦/冶鋳I~III/紡織I~VI/漁獵/銭幣I~II/車I~VII/輦、鹿車、輿,[木局]、擔、負、戴、鞍具/船/武備I~IV/旌旗、符節、騎吹/塞防設施/建築I~XIV/家具I~III/服飾I~VIII/盥洗器、化粧用品/鏡I~IV/文具I~III/圭表、漏壺、日[日/咎]、司南、地震儀/地図、星図/医葯/飲食器I~VIII/蒸煮器与炊具/炊爨、[酉良]造/笥、篋、[竹/鹿]、[匚+算]、笈、[竹/匪]、[竹/弁]、箪、盒/日用雑品/灯I~II/熏炉I~II/玉器I/玉器II;玻璃器/金銀器/楽器I~III/雑技I~II/娯楽/奴隷与刑徒的景況/宗教迷信物品/[歹僉]具/墓室/墓前立石/少数民族文物I~V/漢代与域外的文化交流/

 以上、111セクション、B5サイズ453ページ(巻末の図版細目をいれると514ページ)。かなりのボリューム。
 しかし漫画雑誌並みの紙質なので大事に使わないとね。

※追記 メモ:三国創作のための扶助会

nini先生のサイト「DELTA_online」


  • 2006年6月 7日(水) 21:29 JST
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    清岡美津夫
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マンガ  ちょっと前まで、結構、「ドラゴンシスター nini」や「百花繚乱」という検索ワードが多くてビックリしてた。根強いファンがいるのかな、と。その検索の行き着く先は下の記事。

・DRAGON SISTER! 三國志 百花繚乱
http://cte.main.jp/newsch/article.php/245

 この記事を見てもらえばわかるように、nini先生による三国志漫画「DRAGON SISTER! 三國志 百花繚乱」はコミックブレイドMASAMUNEという雑誌に連載中なのだ。
 そのnini先生のサイトを見かけたのでご紹介。

・DELTA_online
http://nini.sakura.ne.jp/

 現在、サイト小休止中とのこと。でも日記は結構、書かれている。
 サイト自体は別のサーバーで「螺子式少女」(akebi.sakura.ne.jp/~replica)といサイト名で2001年4月15日からやっておられたようだ。その時には個人サークル「DELTA」の情報もあったようだ。

 それから上のサイトにもリンクが張られているようにDRAGON SISTER!の同盟サイトもあるとのこと。下記リンク先参照。バナーを右上に貼ったが三国志ニュースのcgiの特性上、リンクは張れない(残念)

・DRAGON SISTER!同盟
http://naha.cool.ne.jp/dj0/

<関連>『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』情報
http://cte.main.jp/newsch/article.php/693

2006年6月6日 三國相承展 第2回「縁-enishi-」Web展示開始


  • 2006年6月 6日(火) 23:10 JST
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    清岡美津夫
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ネット  予定通り三國相承展 第2回「縁-enishi-」Web展示が2006年6月6日から開始となった。同年7月7日まで(相変わらずゾロ目で覚えやすい)。ともかく下記URLへアクセス。ちなみに第2回を前にzhan.xhianzhu.netからサイト移転している。

・三國相承展 第2回「縁-enishi-」
http://359s.net/

 このブログの機能上、リンクを張れないけど、バナーを右上に掲げておく。

 入口を飾るフラッシュ、それに多くのイラスト以外にも漫画も楽しめる。

・『三國相承展(さんごくそうしょうてん)』 今秋開催
http://cte.main.jp/newsch/article.php/173

2006年10月10日-12月12日 第三回三國相承展
http://cte.main.jp/newsch/article.php/396

2006年6月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ7月号)


  • 2006年6月 6日(火) 22:51 JST
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    清岡美津夫
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マンガ  月刊の漫画雑誌、ミステリーボニータ(秋田書店)に連載中の「八卦の空」。三国志およびその注に載っている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)が主役の漫画だ。4号前からの続き物なので、
今号で巫炎シリーズは5回目。

・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/

 前号は過去の出来事(前漢時代)の話だったんだけど、今回の冒頭ではそれをうけてか、現代(といっても三国時代)に巫炎が目覚めるシーン。これは巫炎シリーズ第一回目の冒頭で、管ちゃんへ朱姫が語る話の中身と同じシーン。つまり過去から現代へ話のリングがつながったってこと。そのまま現代によみがえった巫炎が事を起こすまでの説明が表紙以前のページで語られる。そのため今回の表紙前(海外ドラマ脚本用語でいうところのTEASERにあたるところだろうか)は長い目。

・前回
http://cte.main.jp/newsch/article.php/335

 そして表紙。ここで目に付くのは上端に書かれた煽り文句。曰く単行本1巻が「おそろしい勢いで売れてます!!」とのこと。
 これは景気の良いことを書いて購買意欲を高めているだけなのか、はたまた本当のことなんだろうか。そういえば、私が二冊目を買ったとき、本棚に無かったので店員にきいたら、例によってその本棚下の引き出しをあけて確認してくれたんだけど、そこにもなく、書庫かどこかに行って探し出してくれたな。それぐらい売れているってことだからやっぱり本当? だとしたら、単行本2巻も無事、刊行ってことに?! 期待して良いかなぁ♪

・単行本1巻
http://cte.main.jp/newsch/article.php/322

 単行本1巻は全8話収録されていたんだけど、単純に2巻も8話収録されるとすると(ページ数考えてないけど・汗)、順に2005年9月号10月号11月号12月号、2006年2月号3月号4月号5月号までとなる……って巫炎シリーズの途中になってしまう。2005年9月号~2006年2月号の読み切りのどれかを3巻回しにする? あるいは実は2巻から通常サイズに戻って、2巻は2005年9月号~2006年2月号、3巻は3月号4月号5月号6月号7月号、8月号と3巻に巫炎シリーズを持ってくる? などあれこれ想像してしまう。

 話、戻して、今回はそのまま二回前の続き。あることにより意識の戻った玄龍くんに彼をさらった巫炎の元へ追ってきた管ちゃん。
 あれこれ伏線がテンポよく消化され(単行本に登場したあるキャラも再登場♪)、ぐいぐい物語に引き込まれる。内容も私好みで結局、気持ちの行き違いが元で悪人なんていないんだ的になっていて物語が結末を迎える……と思われたが、予想を心地よく裏切られ、東方朔はやっぱり悪役だった! まさにダークヒーロー。かっこいい! しかも意外なオチが待っていて次号も見逃せない!
 最後のページの欄外の煽り文句をそのまま信じれば、次回で巫炎シリーズ最終回? さてさて次回も楽しみ。

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※ここの「お絵描き掲示板」に書き下ろしイラストあり。

・ミステリーボニータ7月号に「八卦の空」 巫炎(五)(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=302751

・2006年7月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ8月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/363


<6月23日追記>
 某所でまとめたのを転載。ページ数は上記青木先生のサイトより。

○単行本1巻収録 掲載時総計 278p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/322

・雑誌掲載時タイトルは「恋火」(よみきり)
恋火:'04年ミステリーボニータ8月号掲載 24p

・雑誌掲載時タイトルは「玉縁」(よみきり)
玉縁:'04年ミステリーボニータ9月号掲載 24p

・雑誌掲載時タイトルは「花咲く変幻記」(シリーズ)
妓女と幽鬼:'04年ミステリーボニータ10月号掲載 40p
劉朱姫:'04年ミステリーボニータ12月号掲載 35p
宝鼎の哭声:'05年ミステリーボニータ1月号掲載 40p

・雑誌掲載時タイトルは「八卦の空」(好評連載&シリーズ)以下、現在に至る
洛陽の龍<前編>:'05年ミステリーボニータ4月号掲載 38p
洛陽の龍<中編>:'05年ミステリーボニータ5月号掲載 37p
洛陽の龍<後編>:'05年ミステリーボニータ6月号掲載 40p


○単行本未収録 現在までの総計 284p

'05年ミステリーボニータ9月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/150

・管ちゃんが若いとき
'05年ミステリーボニータ10月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/175
'05年ミステリーボニータ11月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/193

'05年ミステリーボニータ12月号掲載 28p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/213
'06年ミステリーボニータ2月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/263

・以下、現在まで続く巫炎編
'06年ミステリーボニータ3月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/284
'06年ミステリーボニータ4月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/301
'06年ミステリーボニータ5月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/316
'06年ミステリーボニータ6月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/335
'06年ミステリーボニータ7月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/348

釜山 宝水洞古本通り


  • 2006年6月 3日(土) 10:19 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所  韓国の釜山に到着。
 釜山といえば港だし、港といえば、神戸、横浜、長崎よろしく中華街だ、ってことで何か三国志ネタはないかと上海街へ。門や武人像(誰だかさっぱりわからない)などデザインは中華街なんだけど、なんだか前記中華街より店が少ないし密度なくスカスカな感じで活気がない。むしろロシア人とロシア文字のお店の方が目立つぐらいで。関帝廟も見あたらない。ソウルの方にはあるって聞いたけど、釜山にはないの? 探し損ねているかも。
 日本人向けの観光向けマップを見ると、国際市場ってところに「宝水洞古本通り」ってのも発見(現地の言葉でなんていうか不明)。

 で、早速、行ってみると、車も通れないぐらい狭い横町の両側に古書店が密集している。どこを見てもハングルの本。漢字のタイトルでも手に取るとやっぱりハングル。韓国の古書店の暗黙のルールを知らないんで迂闊に店に入って立ち読みすることははばかられたので、通りをジロジロ見ながらゆっくり歩く。
 そこである店の店頭で三国志ジャンルらしきイラストが描かれた表紙の本を見かける。タイトルはハングルで書かれていて私はハングルを読めないんでどうかわからなかったが、手にとって中を見てみるとハングルの文字にコミカルなイラスト。文字の大きさからいって児童向けの本だろう。張飛らしき人が怒っている挿絵等、やっぱり三国志ものか。
 その後、注意深くいろんな店を見ていると、結構、「三国志」という漢字を見かける。それから横山光輝三国志の絵がちらりちらり。あと見たこともないデザインの諸葛亮とか(羽扇、もってたんで)。この国の三国志ジャンルの浸透ぶりの一端を垣間見るようで興味深かった。記念にこっそり右上の写真をとる。ハングルだけど絵は明らかに横山光輝三国志。箱のヨコをみると60まで数字があって、それぞれ何やらハングルで書いてあった。全60巻の横山光輝三国志かな。
 その後、中華書局の本でも見つけてやろうと息巻いていたが、同行者があからさまに不快な声をあげていたので、大人しく撤退した。

上海新天地(チャイナモール)


  • 2006年6月 2日(金) 21:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所

 平日の午後から暇ができて、帰り道は大阪市内を通るというシチュエーション。寄り道して何か買い物をしていこうなんてのはすぐに思いつくんだけど、どこか行きたいところがあったような……そうそう大阪の日本橋にある「上海新天地」というショッピングモールに一度、行ってみたいと思っていたんだっけ。なんでもビルまるまる一つが中華だとか。2004年5月オープンとのこと。

・チャイナモール【上海新天地】
http://www.shanghai-xtd.jp/

・中華いちば24
http://www.chuka-ichiba24.com/
※ここの会社概要に上海新天地を運営する中文産業株式会社について載っている。

 それで難波駅から徒歩でなんさん通りをてくてく歩き、堺筋に達したので右に曲がり、ずんどこ歩いていく歩いていく……といつのまにやら電気街(でんでんタウン)が尽きたのでそこでようやく道を間違えたことに気付き、あわててノートPCからネットにつなぎ上海新天地の位置を確認。あ、なんさん通りから堺筋に着いたら左に曲がってすぐなんだ、と気づき、来た道をまた元に戻る。つまりなんさん通りからみてでんでんタウンとは逆の方向ね(大阪の日本橋を知らなければさっぱりわからん記述だけど)。そしたらすごく分かりやすい建物があるではないか。それが右上の写真の建物。
 昼飯たべてないのでとりあえず4階の香港飲茶レストランへ。まだランチタイムが終わっていないし、食べ放題は安いんで早速、店に入ろうと思ったら、どうやら15時半からたまたま大掃除をするようで営業はその時間までとのこと。時計をみたら15時10分。20分の食事は慌ただしいんで、5階の中華料理店へ。そしたらチャイナ服着た店員さんに今日は17時から営業と言われる(後でサイトをみたら確かに平日昼の営業は14時半までだ)。トホホ平日の昼だから仕方ないな、と思いあきらめて「上海新天地」の外のお店で食事することに。
 とりあえず飯を食べながら上海新天地で無料配布されていた「月刊 上海新天地NEWS Vol.2」をまじまじとみる。A4で4ページカラーの冊子。うち1ページが中国語(繁体字)で書かれている構成。日本語のところには「上海新天地でショッピングに使える ひとこと中国語」というコーナーがあるのに対し中国語のところでは「便利日本生活指南」(七つの質問がある)があるのがツボ。あと両方の言語の紙面で6階の「カラオケ上海灘」で最新の中国曲が入荷されたとして林俊傑「曹操」があげられていた。
 昼飯を食べて上海新天地へ再訪問。まず正面から一階へ。三国志ニュース的には金ぴかの関羽像が印象深い。ちょうど半額セールやっていたが値札を発見できずいくらかわからず。
 それから階段で二階へ。途中で兵馬俑のレプリカを見かける。二階でまず目についたのが新天地トラベル(航空チケット、ビザ取得、ホテル等の手配)。店員が四名ぐらいいて、お互いに異国の言葉(中国語?)で話していた。そうか店員は中国の方なのかな?
 そしてほとんど自分的メインの目的地、中国書籍「中文書店」(書籍・雑誌・文具・中国ドラマのビデオレンタル)へ。まず大判の本が置いてある本棚を物色。おそらく現代の書家の書がページの上半分、下半分が漢代の画像石拓本という意図がよくわからない本をみたり、中華文明之旅というシリーズの図録を服飾のところとか見たり、神田の内山書店で見かけた服飾の本を眺めたり。それから古典小説の棚へ。なぜか人物名がタイトルになった本が多く取りそろえられていた(以下、簡体字を表示しやすいようにかえている)。「曹操大伝」とか「関羽」とか「四大才女之 蔡文姫」とかあった。一冊まるまる「蔡文姫」って何だろう? って思ったらぱらぱらと見たらやっぱり小説っぽかった。
 3階は中華食材マーケット。三国志ニュース的には「紹興酒 関帝」があったことかな。中華食材マーケットは日本人向けに奇をてらったものではなく、ホント、在日の中国人向けといった印象が強かった。生きた魚が水槽でいたり、新鮮な食材もあって良い感じ。あと韓国食材コーナーもあった。

 休日であれば昼間でも4階か5階で食事できるし、2階ではいろんな書籍を見れるし、カラオケは朝の5時までやっているし、三国志関連のオフ会するにはちょうど良いところなんだろうな、と思いながら、その場を後にした。

※追記 横浜大世界

※追記 京都で哲舟さんを囲む会(2013年2月5日)
 

沈伯俊先生と金文京先生の対談(?)


  • 2006年6月 2日(金) 12:55 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  ネットを見ていたら、沈伯俊先生と金文京先生の対談らしきコンテンツをみかけたので紹介しておきます。「対談らしきもの」というのは私が中国語をすんなり読めないからであり、違うかもしれません(指摘よろしくです)
 下記リンク先のページ内は簡体字ですが、ここでは表示できないため引用時は断りなしに繁体字に換えています。

・四川省社会科学院
http://www.sass.cn/
※ここの「特色研究」のところ。

・中國和日本:《三國》研究的回顧與展望 (2006-5-9)、沈伯俊 金文京 閲讀235次
http://www.sass.cn/news.asp?NewsID=3389&BigClassid=8&SmallClassID=15&SpecialID=0
※ページ末に「(載《文藝研究》2006年第4期)」と書かれているので「文藝研究」という雑誌からの転載?

 話題は三国演義の研究(研究の今までの流れとか 最近のトピックとか)についてでしょうか。最後の方にある、

最近、大東文化大學的渡邉義浩教授(研究三國歴史)帶頭倡導成立三國志學會、打算以文史結合為宗旨、集中力量全面展開相關的研究活動、加強國際交流。今年七月將召開成立大會、也要邀請一些中國和其他國家的學者參加。

ってあたりが気になりますね。

跪坐と垂足坐


  • 2006年5月28日(日) 15:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史 仁雛さんから教えていただいた「漢代物質文化資料図説」を買ってきた。
 林巳奈夫/著「漢代の文物」のときと同様、サイト「日本の古本屋」で検索し、古本屋で直接、買ってきた。

・日本の古本屋
http://www.kosho.or.jp/
・瓢箪山書房
http://www5.ocn.ne.jp/~hyoutan/

 それから「漢代物質文化資料図説」の基礎データ。

・「漢代物質文化資料図説」(中国歴史博物館叢書第二号、平装定价)
著者:孫機
出版発行:文物出版社
出版年月:1991年9月第一版
ISBN 7-5010-0372-6/K・143
価格:25.00元
※中国の本なので実際は簡体字表記

 ちなみに精装定价(ISBN 7-5010-0373-4/K・144)は方は35.00元。どちらにしてもそのまま日本円にすると格安なんだけど、やっぱり日本で買うと、すごく高くなるなぁ。まぁ「漢代の文物」より一桁安くかったので普通に買ったんだけど、もし私が中国へよく行く人だったら現地で買ってたかな。一桁安くなるし。

 それで「漢代の文物」のときのように目次をあげたりして本全体の紹介をすればいいんだけど、その前に私にとって衝撃画像(?)を見てしまったのでその紹介をとりあえず。

・三国志ニュースの記事「牀や榻のことばかり」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/286

 上記記事に関連する。そこでは

この当時の中国人は腰をかけて座ることあったのかな? と思うぐらい画像石の類でもそういう光景は(私の狭い視野の中では)あまりみかけない。画像石や俑をみてみると、馬車でも乗っている人も馬を操っている人も律儀に正座しているし(汗)。※がんばって腰をかけている画像をさがしてみると、艇(?)にのっているところ、釣りをしているところ、機織り器をつかっているところ、そして強いていうなら馬にまたがっているところなどが見つかった。探せばもっとあるかも。

なんて書いていたけど、「漢代物質文化資料図説」の「55 家具II [木平]、榻、床、席、鎮、凭几、衣杆」のところ、221ページの圖版55にある55-13の挿図にばっちり腰をかけて足を垂らし座っている画像があった。その人は刀を持っているけど、状況はよくわからない。「中国古代の暮らしと夢」の俑の個人蔵と違って、ちゃんと巻末に出所が明記されている。

55-13 踞坐凭几者、画像石、江蘇銅山耿集、東漢、≪徐州漢画像石≫圖202
※例によって元は簡体字だけど適当に繁体字に変えている。

 それであわててその図を説明している本文を読む。223ページのところ。中国語だからうまく読めないんだけど、下のようになる。一つの段落をまるまる引用。


 漢代通行跪坐、箕踞和垂足坐往往引起人[イ門]的反感。江蘇銅山耿集発現的一塊画像石、刻出一執刀人垂足坐于凭几之上(55-13)。這是一種無礼的姿勢、在当時很不多見。
※例によって元は簡体字だけど適当に繁体字に変えている。

<清岡のテキトー訳>
 漢代では跪いて座る(跪坐)ことが通用していて、箕踞(両足を投げ出して座ること)することと垂足(足をたれること)して座ることは人々の反感を引き起こす。江蘇銅山耿集で見いだせる一つの画像石で、一人の刀を持つ人が凭几の上に足を垂らして座っている(垂足坐)ところが刻みだされている(55-13)。この人は一種無礼な姿勢であり、当時においてほとんど見ることはない。


 この部分の一つ前の段落では「几」(または凭几。日本語で言うところの脇息)の説明がある。坐っている(日本語で言うところの正座している)んで、足がしびれたりするんで、几に肘を乗せるんだとか(足への体重の負担を軽くするため?)、二段階に高度調整が出来る几もあるとか、そんな説明。それを受けての前記引用文。つまり(55-13)の画像石は几の上に足を垂らして座っている画像だ。この文だとわかりにくいんで、右上に跪いて座る(跪坐)ところと足を垂らして座っている(垂足坐)ところの絵を描いてあげておく。右上の絵の垂足坐は膝をそろえて座っていて身体のラインもはっきり描いているけど、これはわかりやすくしているだけで、実際には(55-13)の画像石の垂足坐は股を開き気味に右足を右膝より前におき、左足を左膝より後に置き、座っている。
 しかし、行儀が悪いとはいえ、腰をかけて座るところは画像石に刻まれるぐらいだからないことはないんだね。とはいっても依然、腰をかけて座る目的のための座具はこの時代(もちろん三国時代も含む)の中国には作られてなさそうだ。

※追記 メモ:踞牀

2006年5月24日 三国志大戦2稼働&公式サイトリニューアル


  • 2006年5月25日(木) 07:51 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム

 <追記>
「三国志対戦2」と検索されている方へ。
それは「三国志大戦2」の間違いではないでしょうか?
そのままだと有用な情報は得られません。
<追記終了>


というわけでアーケードゲーム(リアルタイムカードアクション)の「三国志大戦2」が2006年5月24日に稼働しました。それに合わせて公式サイトもリニューアルされました。詳しくは下記公式サイトで。

・三国志大戦2公式ウェブサイト
http://www.sangokushi-taisen.com/

噂通り、1人用モードで群雄伝(シナリオ)があるようですね。魏伝、蜀伝、呉伝の三つから選べるそうです。これでより三国志ジャンルに密着した楽しみ方ができますね。

・参考記事「三国志大戦2の制作中の話」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/295

※『三国志大戦』関連記事
・2005年3月15日「三国志大戦」稼働開始
http://cte.main.jp/newsch/article.php/91
・『三国志大戦3』稼働開始(2007年12月13日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/760

※追記 まとめメモ:『三国志大戦』ネットワーク大会


<5月28日追記>
相互依頼の書き込みがあったんで、せっかくなのでここで紹介。

・三国志対戦し~ねっと
http://cnet.mimora.com/sangoku/
はやくも三国志大戦2から導入されたLE(レジェンド)のカードが紹介されている。
横山光輝三国志からは劉備、張飛、諸葛亮、「天地を喰らう」からは劉備、龍狼伝からは司馬懿。

あと三国志大戦2のサイトとしては以下のようなサイト。

・三国志大戦2 覇王への道
http://haou-miti.com/

<追記>
検索ワードを見ていると「三国志大戦2」を「三国志対戦2」と間違えている人が大勢いるんだけど。もしかして元からして「対戦」をイメージして「大戦」と名付けているのかな。

 

2006年7月29日 三国志シンポジウム(大東文化大学)


  • 2006年5月22日(月) 23:30 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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教育機関 今年も大東文化大学文学部中国学科で「三国志シンポジウム」をやるようだ。2006年7月29日土曜日10時~15時。詳細不明。今年は板橋キャンパスで、やはりオープンキャンパスの一環のようだ。下記サイトによると「リアル体験!in板橋」って企画の「体験授業」のところにカテゴライズされている。

・大東文化大学オープンキャンパス2006
http://www.daito-bunka.com/open_cam/index.html
※ここの「リアル体験in板橋」のところに少し情報あり。

ちなみに2005年の三国志シンポジウムは下記のリンク先参照。
・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152

またイベントあわせのオフ会やる?
http://cte.main.jp/sunshi/w/w050801.html

またシンポジウムの内容が入り次第、この記事に追記していく予定。

<追記>
三国検索の三国志サプリメントにシンポジウムの内容があったので転載しておく。

・三国検索
http://sangoku.lib.net/
・夏の三国志イベント!7月29日三国志シンポジウム
http://sangoku.lib.net/apl/blog/?no=144

日時:2006年7月29日(土)10:00~15:00
会場:大東文化大学 板橋キャンパス1号館101
主催:大東文化大学文学部中国学科
対象:高校生・大学生・一般市民
参加費:無料 (事前申込は不要)

シンポジウムの内容
■第一部:報告
基調報告:沈伯俊(四川省社会科学院・四川大学教授)
     「小説『三国志』の主要な内容」
報  告:上田望(金沢大学文学部助教授)
     「小説『三国志』と日本人」
     渡邉義浩(大東文化大学文学部中国学科教授)
     「諸葛亮の兵法」
■第二部:パネルディスカッション
コメンテーター:東京大学三国志研究会、学習院大学三国志研究会、大東文化大学三国志研究会など
司会:中川諭(大東文化大学文学部中国学科助教授)
■問合わせ先:大東文化大学文学部中国学科事務室 TEL 03-5399-7360

<さらに追記と会場変更>
多目的ホールだったのが、1号館101に変更になったとのこと。上のはすでに訂正済み。
あと、ポスターを下記サイトで2006年6月15日現在、見ることができる。

・大東文化大学 中国学科 渡邉研究室
http://www.daito.ac.jp/~y-wata/

2007年2月18日(日) 戦さ人~もののふ~弐(福岡)


  • 2006年5月17日(水) 22:56 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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二次創作 ・三国志関連同人誌即売会リンク集2006.2.
http://cte.main.jp/newsch/article.php/293

上記の追加分。2006年4月16日に行われた「戦さ人」の第二弾ってことだそうです。

○戦さ人~もののふ~弐
内容:三国・戦国系歴史オンリーイベント
日付:2007年2月18日(日)
会場:福岡県 福岡交通センタービル8階Aホール
SP数:直参60sp 委託20sp
備考:コスプレ撮影ゾーンあり
URL:http://cool-sugar-haine.holy.jp/ikusabito/
バナー:http://cool-sugar-haine.holy.jp/ikusabito/b/isb-bn1.gif
    ※直リンクでお願いします

2006年5月16日「三国志ファンのためのサポート掲示板」開設三周年


  • 2006年5月16日(火) 19:56 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット 「三国志ファンのためのサポート掲示板」(以下、サポ板と略す)が2003年5月16日にできたので、2006年5月16日で開設三周年をむかえる。
http://cte.main.jp/

・二周年の時の記事
http://cte.main.jp/newsch/article.php/123

ごく最近は管理メンバーがしゃしゃり出なくても質問だけの書き込みが放置されるってことがなく良い感じ。これからも管理メンバーの手から離れても大丈夫ってぐらいだと良いなぁ。

さて、恒例の書き込み数とカウンターをまとめると

一周年 書き込み数 944(記事番号より) カウンター16,000強
二周年 書き込み数 1737(記事番号より) カウンター48,000強
三周年 書き込み数 2328(記事番号より) カウンター82,000強

となり、増加量(一年間あたり)をとると

一周年 書き込み数 944(記事番号より) カウンター16,000強
二周年 書き込み数 793(記事番号より) カウンター32,000程度
三周年 書き込み数 591(記事番号より) カウンター34,000程度

となる。あいかわらず書き込み数は減少傾向にあって、カウンターから見られる閲覧数はそろそろ頭打ちかなぁ。

しかし大手の質問系掲示板(教えてgooとかyahoo知恵袋とか)だと、歴史カテゴリーで「三国志」関連の質問になると途端に創作関連の事柄が混じったり(例えば出典が「三国演義」だったり)、「その出典、何?」と聞きたくなるような、書き込みが多くなっていて見ていると歯がゆい思いをするんだけど、その点、サポ板はまだ良い方だと思う。

二周年のときと違って私自身、サポ板に手軽さをあまり求めなくなったんだけど、これからもレベルの高い「生暖かい」雰囲気であれば良いな、と個人的に思っている。

パチンコ機「CR真・三國無双」(ビスティ社製)


  • 2006年5月15日(月) 19:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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パチンコパチスロ すでに三國無双TBPでもトラックバックされているんで、ご存知の方は多いと思うんだけど、一応、こちらで紹介。
ビスティ社製パチンコ機「CR真・三國無双」なんてものがあるそうな。初め、真・三國無双がパチンコになったってきいたんで、真っ先にコーエーのサイトに見に行ったんだけど、違った。パチンコ関連のサイトへ行くのが正解(やはりパチンコ機のノウハウはパチンコ機のメーカーってことかな)。というわけで下記サイト。

・Fields
http://www.fields.biz
・ビスティ社製パチンコ機「CR真・三國無双」
http://www.fields.biz/catalog/cr_shin_sangokumusou/

<2月10日追記>
・2007年2月7日 フィーバー覇-LORD- 公式サイトオープン
http://cte.main.jp/newsch/article.php/484

<12月1日追記>
11月に下記のパチンコがホール導入されたとのこと。

・2006年11月13日「CR三国覇王伝」ホール導入
http://cte.main.jp/newsch/article.php/462

<5月23日追記>
そういや、同じ三国志ジャンルのパチンコに「三国遊戯」ってのがあったなぁ。

・パチンコ「三国遊義」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/47
<追記終了>

 Play Station2用のコーエーの製品に「パチスロ 信長の野望・天下創世」なんてのがあるんで、そのうち移植されるのかな??

「パチスロ 信長の野望・天下創世」
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/pachi_slot_nobu/

「三国志大戦セリフ集」


  • 2006年5月13日(土) 10:06 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット 株式会社セガのアーケードゲーム「三国志大戦」関連の個人サイトの紹介。白樺 亮さんからコメントで教えてもらったんだけど、「三国志大戦」中に出てくるセリフを集めたサイトがあるとのこと。下記リンク。

・三国志大戦セリフ集
http://www.geocities.jp/sangokushi_ism/

 しかし、こういったサイトはプレイヤーの方でも楽しめるし、私のような三国志大戦をプレイしたことのない三国志ファンでも元ネタがわかってニヤリとさせて良い感じ。例えば郭嘉【クール】の勝利の「我が千里眼に読めぬ展開はない」とか。
 あと三国志ニュースで結構、多い検索ワードは「三国志大戦 声優」ってのだけど、ここのサイトにある程度、載っている。「声タイプ」のところ。「草尾毅」さんとか声優に全然、詳しくない私でもわかる有名人の名も見える。結構、声優からあるジャンルに入るってファン層は無視できないんだよなぁ。そういう人にとって声優情報は嬉しいかと。

それからすでに三国志大戦2のセリフ情報も募集が始まっている。三国志大戦2の稼働後もこのサイトの更新が楽しみだ。

・参考記事「三国志大戦2の制作中の話」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/295


余談。今、気付いたんだけど、三国志大戦TBPに三国志大戦と関係のないトラックバックが多数あるような。。。。三国志に関係があっても三国志大戦に関係ないトラックバックをしても良いとはどこに書いているんだろう。実質問題、三国志に興味がない三国志大戦のプレイヤーがトラックバックをたどって見に行ったときにがっかりして、三国志ファンに良い印象を持たないだろうと思うし。

第四回三顧会二次会ダイジェスト


  • 2006年5月10日(水) 23:12 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 ・第四回三顧会ダイジェスト4からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/336


 三国志城を後にして(お土産に関羽むすびもらった♪)、別々に車で黒岩峡(後でネットで調べると「石城山県立自然公園」内にあるそうな)というところへ移動。二次会のコスプレ撮影会の屋外会場にするとか。会場は何でも三国志城とは石城山を挟んで反対側ぐらいにあるそうで、近いことは近いけど、歩くには遠い距離とのこと。
 「黒岩峡」という看板が見え、そこから右に曲がり、山道を経て、ゆるやかな渓谷っぽいところへ到着。木の目印に「黒岩峡」という文字が見える。
 17:50。二次会参加者がそろう。言い出しの、はとむ子さん(真・三國無双4の星彩の衣装)、さん(真・三國無双4の凌統)、遜 瑜懿さん(真・三國無双4の周瑜)、きり丸さん(横山光輝三国志の劉備)、せいがさん(横山光輝三国志の曹操)、以上レイヤーさん5名。というかその格好で車に乗り込んでいたのですね。
 それ以外はヨシトミさん、でこさん、白樺亮さん(昼ぐらいからいらっしゃったけど書き損している)、英傑群像・岡本さん、飛熊さん、清岡傅僉さん、○○さん(お名前失念)。
 もう時間も時間ということで三顧会メンバー以外の人は特に見ることもなく、これだったら思う存分、写真撮影できるな、と内心思っていた。一同、川の方へ降りていくと、そこは大小の岩がそこらかしこにあるところ。まず砂利の地に凌統(皓さん)と星彩(はとむ子さん)がお互いに写真の撮り合いをしていて、周りの者がそれに便乗する形になっていて、その後、周瑜(遜 瑜懿さん)と星彩(はとむ子さん)が大岩の上に乗って撮影していた。
 撮影者となっていたきり丸さんがここで「指定していいですか?」とお二人に提案する。お二人、同意。

きり丸さん「まず星彩が一人で…周瑜さんはちょっとよけてもらって。(星彩の)右足を結構、向こう側にひらいて、(岩の上なので)あぶないですか? 盾はちょっとナナメ左前にかまえて、槍をその上にのせる。もうちょっと脇をあげて… 右足はちょっとのばして。そうそうそう…」

と会話文だけにするとわかりにくいんだけど、ともかくまずは一人一人別々に撮影をするってことになり、まず星彩(はとむ子さん)から。きり丸さんのポージング指導により目に見えて格好良くなっていく星彩(はとむ子さん)。それをヨシトミさんがごついカメラで撮影。被写体に声をかけたり、いろんな角度でとったり、大岩に足かけて食いつくように近づいて撮影したり、本格的! それに便乗してコスプレしている人もそうでない人も写真を撮りまくる。
 きり丸さんの指導がテキパキしているもんだから、

清岡「きり丸さんが月影先生にみえた…」

なんてマンガ「ガラスの仮面」に出てくる月影先生にちなんで、ぼそっと茶々を入れると、

きり丸さん「マヤ…」
きり丸さん「おそろしい子ね」

てな感じでノッてくださる(笑)
 というわけで、月影“きり丸”先生の演技指導は星彩(はとむ子さん)から周瑜(遜 瑜懿さん)に移る。星彩と同じく細かい演技指導。続けて凌統(皓さん)ピンで。あ、凌統から清岡はカメラを預かり、本人の代わりにバシバシ撮っていた。
 それから場所を移動。川から離れた花の木のところで曹操(せいがさん)ピンの撮影をして、それから、再び川に近づき、今度は砂地のところでいよいよペアの撮影。まず凌統(皓さん)vs星彩(はとむ子さん)の撮影。事前に月影“きり丸”先生のポーズ指定があり、二人同時にポージング。

誰か「はやく撮ってあげないと腕がプルプルします。プルプル」

 ポーズの後にも月影“きり丸”先生の臨機応変な指導の嵐。そのとき撮ったのが右上の写真。容量の関係で大きい写真をお見せできないがなかなかの写真だ。
 その後、周瑜(遜 瑜懿さん)のソロ撮影。ついに「流し目で」とか表情まで演技指導が及んでいたのが印象的。
 その間に、はとむ子さんが撮影の際、手に持て余していた盾と矛を清岡が代わりに持ったんだけど(魔女っ娘のホウキみたく矛を足に挟んでいた)、周りに大自然があって野生に帰ったのか、矛を振り回して遊んでいた。はとむ子さんが携帯電話のカメラ片手に「一枚、ぬいでください」とかネタを入れたり(笑)

誰か「(第三回三顧会の企画「三国志弓術大会」にちなんで)次は『槍を投げよう』ってのもいけるかも」

 さらに調子に乗って矛をガンガンに振り回していたら、砂地に落としてしまう。

一同「あ~ぁ」

 そこから罵声の嵐(汗) 「サイテーや」とか「ホントやってくれましたね」とか「弁償!」とか「五万円!」とか「これはもう買い取っていただかないと」とか(笑)
 それから清岡の手から矛と盾が戻ってきたので、はとむ子さんのネタタイム。

はとむ子さん「(高い枝に矛をあてて)『高枝切りばさみ』…『でも高いんでしょ、ジョン?』…『そんなことないさ』…『え? 盾もつくの?』…」

 それから本編の撮影。そのまま砂地のところで劉備(きり丸さん)&曹操(せいがさん)のペア撮影となった。その後はありえないペア、劉備(きり丸さん)&星彩(はとむ子さん)などなど。

 その後、日も沈みつつあったので、19:00ぐらいに二次会終了。


 食事も兼ねて三次会の呼びかけ。
 結局、近くのファミレスで会食をすることに。たまに清岡のノートPCから、きり丸さんのブログを皆で見たり、個別に四方山話をしたりまったりした時間をすごしていた。
 途中で何人か帰宅し、最後は21:00ぐらいに解散となった。

 あぁ、2006年8月14日の第五回三顧会も楽しみだなぁ。


・2006年8月14日 第五回三顧会ダイジェスト
http://cte.main.jp/newsch/article.php/380

第四回三顧会ダイジェスト4「三国志トランプ大会」


  • 2006年5月10日(水) 01:25 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 ・第四回三顧会ダイジェスト3からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/334

 14:45。再び特別展示室にやってくる。部屋の中央にはテーブルがあって裏返しになったカードが規則正しく四角く置かれていた。そう三国演義創作神経衰弱ね。過去、第二回三顧会、第三回三顧会とやっていたやつ。
※紛らわしいので注意書きだけど、右の写真はトランプ大会後の食堂での写真。

・三顧会ダイジェスト3「英傑群像企画イベント」(三国志城イベント)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/117
・第三回三顧会ダイジェスト5「英傑群像イベント<三国志トランプ大会>」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/162

※追記 横山光輝三国志トランプ(2009年8月25日)

 まず谷館長の「しっかりがんばって、賞品をとってください」なんて挨拶があった後、司会進行役の英傑群像・岡本さんからルール説明。三国志人物の書かれたカードを裏返しにしてばらまき、そこから神経衰弱のように二枚、表に返し、その二人の人物同士の関係(主従とか戦ったことがあるとか)を説明できたら、カードを手元に置くが出来るってルールだ。その関係がOKかどうかは参加者たちが判断する形となる。カードにはそれぞれ★が一つとか三つとか描かれていて、それが点数となる。
 それで清岡から反時計回りにスタート。司会進行は飛熊さんにマイクと共にバトンタッチ。まず傅僉さんが「黄忠」、「趙雲」のカードを引いて「弓がうまい」って共通関係でカードのペアをゲット。飛熊さんの名司会っぷりで順番が各人にまわっていく。だれか「山」と「山」で普通に神経衰弱やってカードをゲットしていた(笑)。さすがに点数は低く2ポイントだ。わいわいと楽しみながら、「呂布」と「王允」で「連環の計」つながりとか、徐々に場からカードが抜けていく。ちなみに「孫堅」と「孫策」の「親子」で「孫堅」カード、ゲット♪ それから「孫権」と「城」で「石頭城」(三国志呉書呉主伝:十六年、權徙治秣陵。明年、城石頭、改秣陵為建業。)でゲット。孫氏三代揃い踏み♪
 その直後に高順さんが待ちに待った「魏延」「馬岱」がひく。高順さんが「魏延」のカードを掲げつつ「俺を倒せる者はいるか?!」。それから「馬岱」のカードを掲げつつ「ここにいるぞ!」。それで場内爆笑。ファンにはおなじみの三国演義、ひいては横山光輝三国志の魏延が馬岱に切られる名シーンだ。(三國演義「第一○五回:武侯預伏錦嚢計、魏主拆取承露盤」より 遂提刀按轡、於馬上大叫曰:「誰敢殺我?」一聲未畢、腦後一人厲聲而應曰:「吾敢殺[イ尓]!」手起刀落、斬魏延於馬下。衆皆駭然。斬魏延者、乃馬岱也。)
 そうやってカードをめくっては皆、あれこれ考えてカードをゲットして、いつの間にやらラスト一周のコール。最後は場にあるカードを全部めくってどうやって、とれたかとかみんなで座談。
 そしていよいよ結果発表。英傑群像・岡本さんから「10ポイント以上の方はいらっしゃいますか?」と呼びかけがあると、結構、たくさんの方が手を挙げられていたので20ポイント以上の方? と聞かれたら、傅僉さんが名乗り出て、それでその場の雰囲気も傅僉さん優勝! なんて感じだった。ところがそこで若者(名前聞きそびれ)さんが25ポイントであると宣言する。場内どよめく。というわけで優勝者は若者(仮名)さん。岡本さんから賞品が手渡され、以下、ポイントの高い者順に賞品が渡される。しかし、若者(仮名)さん、ビンゴ大会でも優勝していたような気がするから、もしかして二冠王? だとしたら素晴らしい!

 15:40 それから第四回三顧会のプログラムがすべて終了したことを告げられた。やはり楽しい時間というのはあっと言う間に過ぎてしまうなぁ。この後に二次会があることを告げられる。前回は花火大会だったけど、今回はどこに行くんだろう?


 というわけで、その後、大半の方は帰宅し、二次会参加希望者は一同、食堂でまったりした時間を過ごす。
 はとむ子さんの手作りケーキやらチョコやらゆで卵やら食す。いや昼に何も食べてないのを差し引いてもおいっしいっす、このケーキ。

 二次会は、はとむ子さんの提案でコスプレの屋外撮影会になりそうだった。そういうことは未経験だった私だけにどういうのになりそうか何かと楽しみだった。皆の足取りが揃うまでさらにまったり時間。
 その間に、せいがさん扮する曹操が本棚の横山光輝三国志を整理し始めたり(「歴史はこの丞相が決める!」って感じでしょうか)、きり丸さん扮する劉備が「三国志華容道パズル」をしてゲーム中の曹操コマを五将軍コマから逃がそうとアイスが溶けるぐらいまで真剣になっていたり、よくよく考えたらおもしろ光景が現れていた。
 ちなみに右上の写真はゲーム中の曹操を頑張って逃がそうとしている劉備(きり丸さん)にアドバイスを送る曹操(せいがさん)。結局、このパズル誰もとけなかったという、関羽おそるべしの結果だった(関羽のコマと曹操のコマがすれ違わない)。

※追記 三国志セット(2010年2月14日-21日空龍)

 17:30。そろそろ屋外での撮影が厳しくなるというヨシトミさんの意見により、二次会会場へ急ぐことに。名残惜しくも長いこと楽しんだ三国志城を後にした。

・第四回三顧会二次会ダイジェスト
http://cte.main.jp/newsch/article.php/337

2006年5月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ6月号)


  • 2006年5月 9日(火) 19:05 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  月刊のミステリーボニータに連載中の「八卦の空」。三国志およびその注に載っている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)が主役の漫画だ。3号前からの続き物なので、今号で巫炎シリーズは4回目。すっかり連載が板に付いた感じ。

・前回
http://cte.main.jp/newsch/article.php/316

 今回は冒頭で管ちゃんが巫炎の霊珠を拾い、そこから過去の出来事を読みとるシーンから始まり、後は巫炎視点で200年前のエピソードが描かれることになる。
 巫炎の生い立ちの話、東方朔との出会い、漢の武帝の登場、宮廷に行く経緯、姉との出会い、そして今回の事件に至る因縁が次々と語られていき、誌面に目が釘つけになる。他にも天漿やら玄牝やら神秘的なキーワードが盛りだくさん。ここらへんのことがどう発展していくのか(収束するのか)、次号以降、楽しみ。

・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
※ミステリーボニータの出版社。ミステリーボニータの情報あり。

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
※「八卦の空」の作者様のサイト。サイトでしか見れない漫画あり。
・サイト内ブログの記事『「ミステリーボニータ」6月号に「八卦の空」』
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=235659

・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※ここの「お絵描き掲示板」に書き下ろしイラストあり。


 ちなみにさすが単行本1巻がでたとあって、単行本の告知ページ(1ページまるまる)や欄外に単行本の告知があったりしている。それで売れて2巻も無事出てくれると良いなぁ。

・2006年4月14日「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/322

・2006年6月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/348

第四回三顧会ダイジェスト3「三国志ビンゴ大会」


  • 2006年5月 7日(日) 14:03 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 ・第四回三顧会ダイジェスト2からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/333

 13:15。三国志ビンゴ大会の会場となる特別展示室へ移動。
 入って、左の壁に映写スクリーンがあって、そこに何やら映写されている。左奥にはテーブルがあって、カードが裏返しになって何十枚か規則正しく四角く並べられている。左の壁の前に映写機兼カメラがおいてあって、カメラの先には左奥のテーブルがあり、あぁ、テーブル上のカードを写して、その場でスクリーンに映し出して居るんだと納得する。
 特別展示室には座ってスクリーンが見えるように椅子がいくつか置かれていた。私は椅子に座るのを遠慮して突っ立っていた。
 三国志ビンゴ大会の司会進行役の英傑群像・岡本さんが今から三国志ビンゴ大会を行う旨をつげられ、それから前のテーブルのところに出て「神経衰弱」をする人4名の参加の募集があった。で、神経衰弱をする人は、向かって右から横山光輝モデルの劉備扮するきり丸さん、清岡、少年(名前聞きそびれ)、傅僉さん。少年以外3名は口々に神経衰弱は苦手って言っていた。
 それから司会進行役からマイクでルール説明。あらかじめ配られたビンゴ用紙にも書いてあるんだけど、三顧会の初めに三顧会参加者にビンゴ用紙が配られていて、ビンゴ大会前にリストアップされた三国志の武将35名(用紙の左側)から一人ずつ選び、5×5のマス目(用紙の右側)に一マスずつ埋めていき、全部、埋めたら三顧会スタッフに不正がないことを確認してもらい、判子を押してもらう。ビンゴ大会中では、前で神経衰弱をやる。神経衰弱のカードには武将名が書かれてあって、神経衰弱で場から撮られたカードの武将名が前に張り出される。その武将名がビンゴ大会参加者各自の手元の用紙マス目のどこかに書かれていれば、そのマス目にチェックを入れる。チェックがタテ、ヨコ、ナナメいずれか、5マス揃ったら、5マス分、線を引き、その線が4本そろったらいわゆる「ビンゴ」。「ビンゴ」した参加者は早い順に何人か(10人ぐらい?)、賞品がもらえるって流れだ。
 神経衰弱参加の4名でジャンケンをした勝者・清岡から向かって左の方へ順に神経衰弱が行われる。初めの方だから、まずはどこに何があるかの把握といったところ。全然、ペアにならない妙な間が観客をわかせる。途中で司会進行役を岡本さんから飛熊さんへマイクと一緒にバトンタッチ。して三週目にして少年がようやく貂蝉をペアにする。そこから次々とカードのペアが場から出されていって、どんどん壁に武将名が張り出されている。ちなみに少年が一番、ペアをそろえている。飛熊さんの小気味の良い司会っぷりでテンポよく神経衰弱が行われていく。神経衰弱をしている面々もそれ自体を楽しんでいる様子。がんばってペアを作ろうとしている。ちなみに清岡は神経衰弱をやりつつ、ビンゴ用紙にチェックを入れていったんだけど、途中で「袁紹」を二つ書いていることに気付き、あきらめて神経衰弱に集中する。神経衰弱にありがちで、同じカードを何回もひいてしまう光景もみられた。呂布とか。
 22番目の「袁紹」でついにビンゴがでる。賞品は関羽の銅像と三国志大戦のケースだ。続けて23番目の「孫尚香」でビンゴが何人かでる。24番目「周瑜」、25番目「趙雲」。賞品は三国志城の本とポストカード。それから次々とビンゴ者がでてくる。賞品はカレンダー&ポストカード。
 それで最前列に座っていた曹操扮するせいがさんがリーチで、神経衰弱をしている劉備扮するきり丸さんに「張飛」を引くよう要求していた。劉備が義弟の張飛を引くことを命じる曹操だなんて面白い構図。それで結果的に清岡が「賈[言羽]」(26番目)を引いてそれを阻止してしまう(汗)。27番目に「張飛」が来たんだけど、賞品のカレンダーは残り一つ。いっぱいいるビンゴ者7名でジャンケンが行われていた。結局、せいがさんが賞品のカレンダーを手に入れられたかどうかはここでは書かないでおこう(汗)
 ちなみに神経衰弱参加者4名にはそれぞれ三国演義のポストカード3枚をもらうことに。
 13:50。司会の飛熊さんによりビンゴ大会終了が宣言される。

 それから食堂に戻りまったりする。ちなみに次の企画まで間がなさそうだったので清岡は食事をとらないでいた。食堂は繁盛していて注文がさっとうしていたしね。

・三国志コスプレ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/330


・第四回三顧会ダイジェスト4「三国志トランプ大会」へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/336

第四回三顧会ダイジェスト2「中国酒盃を作ろう」


  • 2006年5月 6日(土) 02:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 ・第四回三顧会ダイジェスト1からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/331

 11時頃。次のプログラム「中国酒盃を作ろう(三国志を陶器にしよう第二弾)」開始。ただ三国志を陶器にしよう第一弾のときに比べ人数が圧倒的に多いため、8人ぐらいに分けて順繰りで始めていくとのこと。場所は第一弾のときと同様(第二回三顧会)、バルコニーと中庭の両方。清岡は初めのグループよりすこし出遅れて参加したって状態。そのため自らを「1.5期生」なんて言っていた。
 1期生にはちゃんとレクチャーがあったようだけど1.5期生の私は言われたとおりとりあえず送り先の住所氏名電話番号を書いて、こねた粘土を岡村先生から授かり1期生のまねごとを始める。この方法が大失敗で全然、お椀型の形が保てず、机におくと、すぐ杯の縁が重力にまけて広がって行くし、ひび割れだらけのものになったりしていた。後でレクチャーしてもらったんだけど、やり方は粘土の固まりの真ん中から指で押さえていき、底が丸くなるよう真ん中から広げていくとのこと。厚さは5~7mmとのこと。粘土が乾いてひび割れたら手に水をつけてそれを埋める。ひび割れがひどけりゃ、やり直し(焼いたら割れるし)。つくっていくうちに縁の方がひび割れていくんだけど、そういうときは思い切って、糸ようじみたいなので切断するとのこと。私はなかなかコツがつかめず、ずっと粘土をこねくり回していた。
 少し話を戻して、今回の酒盃のデザインについて。私は始まるまで「どうせゲームやマンガにでてくるような虚構の杯をお手本にするんだろうな」と決めつけていたので、あらかじめ「漢代の文物」を読んだり展覧会「中国古代の暮らしと夢」で見たり「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻を見たりして自分の手でできるかどうかはともかく頭の中でイメージを固めていた。当時の杯は楕円形のお椀で、長い方の曲面の縁の両サイドに耳がついているのが特徴だ。そのため今は「耳杯」なんて言われている。そう思いながらいざ粘土をこねくりまわす机の前に立つと、真ん中にお手本としてプリントアウトした写真が置いてあった。そこには虚構の杯ではなく紛れもない「耳杯」があった。この写真は今、第三展示場に置いてある展示物をとったものということを耳にする。それであわてて見に行くとあった。確かに耳杯だ。イメージ通りの色彩の漆器がそこにあった。それが右上の写真だ。こりゃ本格的だ、と俄然テンションがあがる。もちろん漆器をお手本に陶器をつくるなんてなんだかシュール、という自嘲を心の中では忘れない(笑)
 しかしやる気と成果は世の中、比例関係にならないもので、なかなか良い形にならない。楕円のお椀型にするのは良いが、耳をつくる段でひび割れだらけになっちまう。
 別に耳杯にする必要はなく好きな形にしてもいいとのことなんで、私が何度も何度も手元の粘土をこねくり回している間に1期生はとっくの昔に卒業し2期生は色を塗り始め、3期生は高座をつけていて(とそんな明確な期生はなかったが)、バルコニーでは昼食を取り始める人が次から次へと現れ始め(そうかもう12時過ぎたんだ!)、まるで嫌いな食べ物を給食時間内で食べられず掃除の時間まで嫌いな食べ物と睨めっこしてるって気分を思い出していた。
 とすこし時間を戻して、そんな懸命なところへ中国新聞の記者がやってきて(ちなみに複数人じゃなくてカメラマンも兼ね一人)、作っている我々に「もうちょっと立ち位置を寄せてください」とか次々と指示を出し始め、写真をばしゃばしゃ取り始める。いや悪い気分ってわけじゃなくやる気を持ち直してくる。

 記者「真剣ですねぇ」
 傅僉さん「真剣です……仕事より真剣です」
 (笑)

 それから記者さんとぶっちゃけトーク(というかメモとっていたから取材の一環だな)。取材はするけど、紙面に載るか載らないか、載るとしたらいつ載るか、とか取材する記者にはわからないとのこと(「いつ載るんだ?」と問い合わせの電話がきたこともあるそうな)。取材した人の本名が載るんで迂闊なことは書けないそうな。

 記者「三国志読んでいて杯が出てくるシーンって多いんですか?」
 (一同、笑いながら首をかしげる。)
 記者「この杯できたらこういうことやってみたいってありますか?」
 傅僉さん「そうですねぇ……酒が冷める前に誰かの首を斬ってきます」
 (一同、爆笑)
 誰か「かけねーなー。それ記事にかけねーなー」
 清岡「あ、今の、犯行予告です(笑)」

 わからない人に説明すると「三国演義」の「第五回:發矯詔諸鎮應曹公、破關兵三英戰呂布」のエピソードで酒が暖かいうちに関羽が華雄を斬ったというエピソード(野暮でも説明するがこれはフィクションね)が元ネタね。さすが、三顧会、近くにいる人はネタをわかってらっしゃる!

 記者「なんかこういうことイメージしながら今、つくっているとか、ありますか?」
 傅僉さん「いやぁ、それ考えていたんですけど、やってみるとそれだけの余裕がないですね。ただもうどうやって形にするとか」
 誰か「そりゃそうだ」

 記者「実際、形にならなくても作る前にこういうイメージでって何かイメージありました? 何かシーンとかありました? こういう場面の杯をつくろう、とか」
 誰か「やっぱり首斬るところ(笑)」
 傅僉さん「ありますね……劉備って人と曹操って人が英雄を論じ合うところがあるんですよ」
 清岡「あぁ…」
 記者「何を論じ合うんですか?」
 傅僉さん「その当時に、割拠していた、群雄について、論じ合うんですよ」
 清岡「漢字変換が難しい(笑)」
 記者「全部、ひらがなで書いたんですよ(清岡、大うけ)。群雄割拠? について語り合うシーンがある?」
 傅僉さん「そうです」
 記者「でも、わかんないんですよ。あそこ(第三展示室)に展示してあるのは諸葛孔明が使ったとされる酒杯じゃないですか?」
 傅僉さん「えぇ」
 記者「わかんないんですけど、劉備と曹操は……諸葛孔明と……??」
 傅僉さん「諸葛孔明が仕えていた人は劉備です」
 記者「諸葛孔明が……つかえていた?(メモる」
 傅僉さん「(傅僉さん丁寧に言葉をあわせる)劉備です」
 記者「この曹操って人は……どこの国の人ですか?」
 傅僉さん「魏の人です」
 記者「劉備って人はどこの国ですか?」
 傅僉さん「蜀の人です」
(後ろで清岡は「全部、中国で」とか「全部、後漢で」とか、いらぬ茶々を小声で入れている)
 記者「すごくわかりやすいです」

 記者「その武将のシーンを……酒を酌み交わしながらやるというシーンはなぜ有名なんですか?」
 傅僉さん「『なんで』?」
 記者「えぇ、なんか、その後に大きな事件があったとか?」
 傅僉さん「うーん、結局、その劉備と曹操が…論議をふっかけたのは曹操なんですが、結局、その当時、活躍していた武将を挙げてみるんですけど、大した武将はいないって結論になるんですよ。結局、曹操っていう人が結局、『英雄と呼べる人のは自分と君だけだよ』みたいな」
 記者「すごいやつらですね。その話ってのは結局、『おれら二人が英雄だ』ということですね」

 後で元ネタを確認すると、三国志蜀書先主伝の

是時曹公從容謂先主曰:「今天下英雄、唯使君與操耳。本初之徒、不足數也。」

 ってやつね。多分、横山光輝三国志の影響で「君と予だ」って曹操が言うってのが三顧会での共通認識だったけど、細かくいうと、ルーツでは使君(牧相手の敬称。劉備は当時、豫州牧)と操(当時、一人称は自らの名をいう場合もある)だね。おまけに酒の記述はとくにない。…蛇足はともかく話戻す。

 記者「そこらへんのシーンを(頭で)描きながら、一回、酒を飲みたいと?」

 それから記者は傅僉さんの個人情報をくわしく聞いていた。年齢を聞いた後に記者は「若くみえますね」とコメント。あとファン歴とか(20年とのこと)、好きな人物とか。傅僉さんが好きな人物、劉備のことをあれこれきいていた。

 記者「なんかこういう……例えば夜、酒をのみたいとか、月みながらこの杯で酒のみたいとか? どうですか?」
 傅僉さん「そうですね。月下独酌という言葉が中国にはありますけど…」
 記者「三国志の中でも月の下で酒を飲むというシーンというのはあるのですか?」
 傅僉さん「あぁ、具体的にはないですね。ないと思います」
 記者「うーん、うーん…」

 記者「なんかこう僕としてはできれば三国志ファンの方ならではの、杯を作ってこういうふうにして飲みたいってのが、20年来のファンとしての思いを伝えられればと…」
 傅僉さん「なるほど……難しいですね……」

 この後、傅僉さんが三国時代から時代を下った中国の風習を紹介するが、あまり食いつかなかった。

 で、こういうやりとりでできあがった記事中のコメントは

「群雄割拠していた当時を想像しながら、月下で酒を飲んでみたい」

となっていた。いやはや取材する様子を間近に見て、その結果としての記事をみるととても面白いね。結局、傅僉さんオリジナルな部分は「群雄割拠」だけのような。しかし、取材が終わった後、全部、コスプレに持って行かれて傅僉さんの話は採用されない、なんて言ってたんだけど、ばっちり載っていた。

・中国新聞に三顧会の記事
http://cte.main.jp/newsch/article.php/332

 さて清岡の杯はというと何度もやりなおしたり、新たに粘土を貰ったり、岡村先生に何度かレクチャーしてもらって、それでも耳杯の壁は大きく厚くうまくできずほとんどあきらめていたんだけど、岡村先生の助けもあって何とか形になりつつあった。
 岡村先生によると、耳をつける手順のコツみたいなのがあるようだ。まず普通に楕円のお椀状に形をととのえ、耳部分以外の縁を切り落とし、その後、耳の部分の縁を徐々に曲げていって耳をつくっていけば良いとのこと。
 すでに13時を越えていて次のプログラムの時間になっていたので、とりあえず作りかけをおいてその場を後にする。

・三国志ビンゴ大会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/334

 その後、16時ぐらいに戻ってきたら、岡村先生が形をかなりととのえてくださっていて、高座をつけ、絵付けをして(杯の内側を赤く塗った)完成。それが右上の写真の左下隅のやつだ。
 後はみんなの杯と一緒に焼いて貰って、完成とのこと。出来上がりが楽しみ。

中国新聞に三顧会の記事


  • 2006年5月 5日(金) 17:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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新聞 2006年5月4日に山口県光市の三国志の資料館「三国志城」で行われたイベント「三顧会」に中国新聞(中国地方の新聞ね)の記者が来ていたんだけど、無事、記事として採用されたようだ。

・中国新聞
http://www.chugoku-np.co.jp
・中国新聞地域ニュース「三国志ロマン、杯作りに挑戦 光」
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200605050061.html

・「三国志城」公式サイト
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/
・2006年5月4日 第四回三顧会ダイジェスト(三国志ニュース)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329

中国新聞の記事の最後にあるファンのコメントはちょうど間近で取材を聞いていたんだけど、その誘導っぷりを知っているだけに、記事を読むと思わずほほえんでしまう。
記者の方は、モデルになっている杯が漆器なのに陶器をつくることを初めの方で指摘したり(ちなみにモデルにしていたやつはいわれはあやしいながらもちゃんとした当時の耳杯デザインのレプリカ)、ほとんど三国志についてほとんど知らない感じだったのに数々の質問を駆使してあれだけ立派な記事を書き上げるあたり、結構、有能な気がした。
記者からあらかじめ取材はするが、新聞に載るかどうかはわからない、と言われていたので、私自身、期待してないどころか、より派手なコスプレの方が記事になるのかな、と予想していた。
まぁ、取材の詳細は別に書こうとしよう。
<追記>
というわけで、以下のURLで詳しく書いてみる。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/333


また中国新聞以外にも読売新聞(どこの支社だろ?)からも取材が来ていたけど、そちらは記事になるのかな。

※関連リンク
・中国新聞に三顧会の記事2007
http://cte.main.jp/newsch/article.php/579

第四回三顧会ダイジェスト1「ご挨拶&簡単な自己紹介など」


  • 2006年5月 5日(金) 15:35 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 ・第四回三顧会ダイジェストαからの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/330

 10時10分ごろ。食堂には第三回三顧会ほどではないにせよたくさんの人が集まっていた。今回、第三回のころに比べ、テーブルが一つ多くなって、ゆったり座れるようになっている。ちょうど展示場へいく自動ドアのそば。レジ側のところ。あと、今回、マイク&スピーカーが導入されていた。聞き取りやすく良い感じ。
 まず谷館長の挨拶からはじまり、その後、英傑群像の岡本さんから今回のプログラムの説明。あらかじめ参加者に名札とプリントを配られたんだけど、プリントは三国志ビンゴ大会用とのこと。プリントの上半分には三国志ビンゴ大会のルールが書かれていて、下半分の左側に「選べる武将」35人の名前がピックアップされていて、下半分の右側に5×5の升目がある。なるほど、ビンゴが始まる前にこの升目を武将の名前で埋めて、スタッフにチェックして貰うって方式か。
 その後は自己紹介のコーナー。名前(HN可)、どこから来たか、好きな武将等をいうとのこと。まず売店のところで立っている三顧会スタッフたちの自己紹介。今回も黄色いたすきを身につけている。中村さん、中野さん、武末さん、傅僉さん、飛熊さん、高順さん。
 そして参加者の自己紹介(以下、聞き間違いや聞き損じ、漢字がわからないのでカタカナにした等、表記に混乱がある)。カウンター近くの売店側の席からぐるっとテーブルを回るようにマイクがまわっていく。前回も参加された渡辺さん。森本さん、塚本さん、南さん親子(息子さんの後に「父です」と自己紹介はうけた)。友里さん、ユキさん、はとむ子さん、さん、、亮明さん、森山さん、○○さん(聞き取れず)。ここでテーブル変わって、○○さん(聞き取れず)、長岡さん姉弟。○○さん(聞き取れず)。
 後から入ってきた四人組。きり丸さん、せいがさん、でこさん、ヨシトミさん。前者三名は前回も参加。
 それから一番、展示室側の壁側のテーブルの奥から。前回も参加した三人組。谷口さん、本川さん(修道大学のとあるサークルの会誌を紹介していた)、吉澤さん。そして前回参加した清岡美津夫。遅れてやってきたアリモトさん、ナガタさん。で自己紹介は終了。
 次のプログラムの準備期間ってことで一旦解散。

・中国酒盃を作ろう
http://cte.main.jp/newsch/article.php/333

第四回三顧会ダイジェストα「三国志コスプレ」


  • 2006年5月 5日(金) 13:37 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所 ・第四回三顧会ダイジェスト0からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329

 10時前、さん、はとむ子さん、友里さんが真・三國無双シリーズの自作衣装を着ていて(いわゆるコスプレってやつ)、谷館長の呼びかけもあって、外で撮影会をされていた。皓さんが真・三國無双4新キャラの凌統で、はとむ子さんが真・三國無双4新キャラの星彩、それから友里さんが真・三國無双4の司馬懿。それに便乗して私もカメラ片手に撮影に加わる。この数時間後に気付いたんだけど、皓さん&はとむ子さんは真・三國無双4新キャラあわせのコスプレね(私が気付くの遅すぎ・汗)。撮影が終わってすぐ後で聞いてみたんだけど、真・三國無双4の凌統と同じく皓さんはちゃんと目の下にほくろを描いていた。清岡は途中で気付いていたんだけど、実は真・三國無双4の凌統は向かって左の目の下にほくろがあるんだけど(真・三國無双4公式サイト参照)、皓さんは向かって右の目の下にほくろをかいていた。清岡は心の中で京劇の関羽よろしく(違うところに)ほくろをつけることで「本物とは違うんだよ」ってアピールかと自分自身を納得させていたんだけど、実は鏡を見て描くときに素で間違えていたことが後で判明した(笑)。
 そうこうしている間に食堂から谷館長からのマイクで拡声した呼びかけが聞こえてきた。いよいよ第四回三顧会が始まるんだ。

・ご挨拶&簡単な自己紹介など
http://cte.main.jp/newsch/article.php/331



・三国志ビンゴ大会からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/334

 14時前。三国志ビンゴ大会も終わりまったりした時間。私の知らぬ間にレイヤーさん三名が新たに加わっている模様。前回の三顧会でもコスプレやっていた、きり丸さんは前回と同じく横山光輝モデルの劉備だけど、今回は冠仕様。せいがさんも前回と同じく横山光輝モデルの曹操だ。前回、三顧会の参加者だったけどコスプレは今回初めての遜 瑜懿さんは真・三國無双4モデルの周瑜。前回は下記リンク先参照。

第三回三顧会ダイジェストα「随時開催」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/158

 それで清岡は、6名合同で撮影会をしないかと機をうかがっていたんだけど、特にそういう気配がない。それで思い切って、はとむ子さんに「合同で撮影会みたいなのをしないんですが?」ときいてみると「(きり丸さん&せいがさんが)きれいすぎて声かけられない」というような答えが返ってくる。つまり気後れしちゃっているみたいなので、門外漢の清岡がバルコニーでくつろいでいる、せいがさん&きり丸さんに声をかけてみると、快く承諾してくれる。というわけで右上の写真のように全員集合(もしかすると午前中、清岡が粘土と格闘している間にすでに全員集合があったかも→<【追記】やっぱり午前中に新聞社の方を交えて全員集合があったみたい。でも遜 瑜懿さんを加えたバージョンは多分、初)。

 写真で向かって左から

 きり丸さん 劉備 横山光輝三国志モデル
 せいがさん 曹操 横山光輝三国志モデル
 はとむ子さん 星彩 真・三國無双4モデル
 さん 凌統 真・三國無双4モデル
 遜 瑜懿さん 周瑜 真・三國無双4モデル
 友里さん 司馬懿 真・三國無双4モデル

となる。
※というか撮影している横からかけ声なしに清岡が勝手にとったので変に映っていたりしてます。すみません。。。

 今回は「三国志弓術大会」などコスプレが絵になる企画はなかったので、これで写真をとることもないだろう、と思っていたけど、その後、意外な展開を見せることになる。その話はまた別の記事で。

 レイヤーさん同士でおしゃべりしていて、16分ぐらい後に次の企画、三国志トランプ大会をやるという呼びかけでその輪はひとまず解散となった。


・三国志トランプ大会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/336

2006年5月4日 第四回三顧会ダイジェスト0


  • 2006年5月 5日(金) 09:29 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所  山口県光市には三国志の資料館「三国志城」というのがあって、2004年8月15日に三国志ファンを対象として「三顧会」というイベントが開催された。その第二回が2005年5月4日、第三回が2005年8月14日に開催された。

・「三国志城」公式サイト
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

・第一回三顧会の様子(個人サイトの日記)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w040815.html
・第二回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/115
・第三回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/156

 そして2006年5月4日に第四回が開催された。今回のプログラムを以下にしめす。

-------------------------------
【2006/5/4 プログラム】

 10時~ ご挨拶&簡単な自己紹介など
 11時~ 中国酒盃を作ろう(三国志を陶器にしよう第二弾)
 13時~ 三国志ビンゴ大会
 14時~ 三国志トランプ大会 (協力:英傑群像

 その他
  三国志コスプレ大歓迎 (着替える場所をご用意いたします)
-------------------------------


 迎えた当日。
 今回は交通費を節約するため、早い目にホテルを出て最寄り駅の岩田駅から歩くことに。地図で見ると3.3kmもある。カバンは一澤帆布の武骨な感じのリュックだけど(最近できた一澤信三郎帆布ではない)、服装はMICHEL KLEINでネタみたいな状態で歩いていた。天気も良く、三国志城は遠くから見るとカラフルな幟がたっていてわかりやすいってことを確認。7:50に駅を出たのについたのは8:40ぐらい。さすが3.3kmだ。
 三国志城の売店&食堂にはすでに何人か来ていて、食堂のところではなぜかアニメの横山光輝三国志の赤壁の戦前のエピソードが流されていた。私はそれを背に「漢代の文物」を読んだり、朝早くから三顧会とは無関係に見に来ている親子や老夫婦を後目に、三国志城の第四展示場に一枚一枚、展示されている、四川畫像磚の拓本を見て、三顧会開始まで時間をつぶしていた。見るたびに新たな発見があって面白い。きっと見る方の知識がかなりゆっくりと増えていっている証だな。榻の上に坐る人が膝を潜らせる几(つくえ)と榻の前に置く几の違いをみたり、堂の上でお互いに坐って向かい合っている様をみたり、車に先行する馬上の男が旄のようなのを持っているのをみたり。
 それから三国志資料室に「三国志烈伝 破龍」2巻「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻(また自分用に買います)、それから三国志シンポジウムの冊子と第二回 TOKYO 漢籍 SEMINARの配布物一式を置いていく。三国志シンポジウムの冊子はちゃんと「三国志研究要覧」の横に置いてきた。

・三国志資料室
http://cte.main.jp/newsch/article.php/113

 売店&食堂には顔見知りもそうでない人もまばらに集まってくる。いよいよ始まりそうな雰囲気。


・三国志コスプレ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/330


・2006年8月14日 第五回三顧会ダイジェスト
http://cte.main.jp/newsch/article.php/380

リュービ十五歳ダッシュ


  • 2006年5月 4日(木) 00:24 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史  ほとんどメモ書きだけど。
 下記の記事関連。

・リュウビ十五歳
http://cte.main.jp/newsch/article.php/276

 劉備(字、玄徳)が一体全体、何を目指して遊学してたか、想像してみる。盧植(字、子幹)に師事していたのは良いとして、このことがこれ以降のことにつながっていない。
 同じ盧植門下の公孫瓚(字、伯珪)は盧植の元で学ぶ前に一度、郡の門下書佐になっている(三国志魏書公孫瓚伝)といえども、盧植の元を離れた後、ちゃんと上計吏へ就職している(後漢書公孫瓚伝)。
 以前書いた記事(下記リンク先)に従うなら劉備は27歳頃まで職らしい職についていないので、遊学の目的がわからない。

・リュウビ二十七歳
http://cte.main.jp/newsch/article.php/278
・孫氏からみた三国志39(別サイト)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w060412.html

 27歳頃に従軍したことが盧植から軍事について教えてもらったとか就職を斡旋して貰ったとか盧植が関係するとは想像しにくいしね。
 それで遊学中の人、つまり当時の学生がどうだったか、たまたま見かけたのであげてみる。見かけた文献(というかネット上にあった電子文献。恥ずかしながらちゃんとした底本で確認していない)は唐の杜佑撰「通典」。その選舉典 通典卷第十三 選舉一のところ。

桓帝建和初、詔:「諸學生年十六以上、比郡國明經、試、次第上名。高第十五人・
上第十六人為中郎、中第十七人為太子舍人、下第十七人為王家郎。」

<以下、あやしい訳>
桓帝の建和年間(西暦147~149年)の初め、詔で告げる。「学生たち十六歳以上で、郡国の明経科から選び試験し、上から順に名をあげる。高の及第者十五人、上の及第者十六人を中郎にし、中の及第者十七人を太子舍人にし、下の及第者十七人を王家郎にする」

 そうか試験をやって成績に応じて、中郎(宮中の郎?)が31名、太子舍人(皇太子付きの宮中の官?)が17名、王家郎(皇帝ではなく王の郎?)が17名にするってことなのか。劉備はこういうことを目指していたのかな、と想像する。さらに通典の記述は以下のように続く。

永壽二年甲午、詔復課試諸生、補郎・舍人。其後復制:「學生滿二歳、試通二經者、補文學掌故;其不能通二經者、須後試復隨輩試、試通二經者、亦得為文學掌故。其已為文學掌故者、滿二歳、試能通三經者、擢其高第、為太子舍人;其不得第者、後試復隨輩試、第復高者、亦得為太子舍人。已為太子舍人、滿二歳、試能通四經者、擢其高第、為郎中;其不得第者、後試復隨輩試、第復高者、亦得為郎中。已為郎中、滿二歳、試能通五經者、擢其高第、補吏、隨才而用;其不得第者、後試復隨輩試、第復高、亦得補吏。」

<以下、あやしい訳>
永壽二年(西暦156年)の甲午の日、ふたたび諸生(学生)を課試し、郎・舍人としてたすよう詔で告げる。その後、再び制定する。「学生が二年間を満たすと、二経(易、書、詩、礼、春秋の五経のうち二つ?)に通じるか者か試験し、文学掌故の定員として足す。その二経に通じない者すべては後に再び共同で二経に通じるか者か試験し、また文学掌故になることができる。そのすでに文学掌故とした者が二年経つと、三経に通じる者か試験し、その高い及第者を引き抜き、太子舍人とする。それ以外の者は後にふたたび共同試験し、高い者をふたたび及第とし、また太子舍人となることができる。すでに太子舍人になり二年経つと四経に通じる者か試験し、その高い及第者を引き抜き、郎中とする。それ以外の者は後にふたたび共同試験し、高い者をふたたび及第とし、また郎中となることができる。すでに郎中になり二年経つと五経に通じる者か試験し、その高い及第者を引き抜き、吏(役人)として足し、才能に応じ用いる。それ以外の者は後にふたたび共同試験し、高い者をふたたび及第とし、また吏となることができる。」

 ということでつまり試験に受かり続けると、学生2年→文学掌故2年→太子舍人2年→郎中2年→吏という流れ。最短で8年で吏になれるってことだろうか。この例に近いのが、王郎(字、景興)の「以通經、拜郎中、除菑丘長。」(経に通じていたことで、郎中に拝命され、菑丘長に任官される。三国志魏書王郎伝)。 もちろん、茂才や孝廉にあげらえると、一気に吏(県令とか)や郎中になったりできるんだろう(後漢書臧洪伝の注によると「漢法、孝廉試經者拜為郎。」とのこと)。
 ちなみに誰かに師事し、その後、孝廉にあげられる流れの人は、傅燮(字、南容)の「少師事太尉劉寬。再舉孝廉。」(後漢書傅燮伝)、周防(字、偉公)の「師事徐州刺史蓋豫、受古文尚書。經明、舉孝廉、拜郎中。」(後漢書儒林列傳)、潁容(字、子嚴)の「博學多通、善春秋左氏、師事太尉楊賜。郡舉孝廉、」、王郎(字、景興)の「師太尉楊賜、賜薨、棄官行服。舉孝廉、辟公府、不應。」(三国志魏書王郎伝)などがあげられる。コネクションとまでは言わないものの孝廉に挙げられるにはその人に関する情報がある程度、伝わらないといけないかな、と。

 劉備がこういうことを目指していたかどうかなんてわからないことだけど、想像するとあれこれ創作の種になりそうで楽しい。というか書いているうちに、「行學」している人=「學生」 ってわけじゃないような気がしてきたが。

 ちなみに十六歳未満では、童子郎という官職がある。司馬朗(字、伯達)の「十二、試經為童子郎」(三国志魏書司馬朗伝)、「洪年十五、以父功拜童子郎、知名太學」(後漢書臧洪伝)などがあげられる。通典にも「年始十二、各能通經、雄並奏拜童子郎」とある(前後をちゃんと読んでいないので何かって私にはわからないけど)

趙雲子龍(マッスル)


  • 2006年4月28日(金) 22:55 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ショー

よくみにいくプロレス関連の個人ブログで見かけたんだけど。
マッスルという団体(なのか??)に趙雲子龍というレスラーがいらっしゃるそうな。

・『マッスル』オフィシャルウェブサイト
http://www.ddttec.com/muscle/index.html
※ddttec official web site内 http://www.ddttec.com/

上記サイトの「戦士紹介」のところで見ることができる。
出身地は中国、バックボーンは北京学院大学学生プロレスとのこと。しかし「トピックス」に書いてある「ジャイアント馬謖」の存在が気になるなぁ(笑)
あと「ストーリー」のところも要チェック。

趙雲子龍選手は5月5日にKAIENTAI DOJOに参戦するんだけど、過去、赤兎ちゃんかマスクド三国と組んだり戦ったりしたことがあるんだろうか?

・参考:2005年9月17日 赤兎ちゃん&マスクド三国 プロレスデビュー
http://cte.main.jp/newsch/article.php/177 

4月25日は夏侯惇の命日


  • 2006年4月25日(火) 18:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史 ・4月24日は劉備の命日
http://cte.main.jp/newsch/article.php/325

上の続き、かな?

 というか、ブログ「蓬莱の夢」の記事を見て初めて気付いた。命日のわかる三国志の人物は貴重。

・ブログ「蓬莱の夢」
http://blog.goo.ne.jp/hourainoyume
・記事「夏侯惇の命日によせて2006」
http://blog.goo.ne.jp/hourainoyume/e/26d1e23d0b402d23a7cec4c1d3ab493a

 上記記事のとおり、確かに三国志魏書夏侯惇伝にはなくなった月日の記述はない。そのため、手元の電子文献で試しに「惇 薨」で検索をかけるとあっさりみつかる。三国志の本紀。三国志魏書文帝紀の記述ね

三國志卷二 魏書二 文帝紀第二

(延康元年)夏四月丁巳、饒安縣言白雉見。庚午、大將軍夏侯惇薨。

 というわけで、延康元年(紀元220年)の夏四月庚午に大将軍の夏侯惇が薨去した。
 庚午は何日かというと、それはネットの「中央研究院兩千年中西暦轉換」を使えば良い。それがどこにあるか、使い方はどうか、は以下のリンク先を参照。

・「三国志ファンのためのサポート掲示板」のツリー1824
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one;no=1824

 つまり、4月25日は夏侯惇の命日。ちなみに丁巳は12日ね。ついで書くとその庚午は「中央研究院兩千年中西暦轉換」によると新暦でいうところの6月13日。

 あと、やたら「○○、命日」って検索ワードが多く、三国志関連においてそんなの滅多に歴史上、残ってないよって意味で以下に参照リンクあげとく。

・8月23日は三国演義での諸葛亮の命日
http://cte.main.jp/newsch/article.php/164
・周瑜の命日について
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1899
・太史慈の命日について
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2244

※追記
 閏1月28日は司馬師の命日
 4月25日は蹇碩の忌日


※追記 4月26日は三国呉の大皇帝崩御の日

4月24日は劉備の命日


  • 2006年4月24日(月) 21:31 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史 ・4月4日は孫策の命日
http://cte.main.jp/newsch/article.php/311

上の続き、かな?

三国志蜀書先主伝によると、

(章武三年)夏四月癸巳、先主殂于永安宮、時年六十三。

というふうに章武三年(紀元223年)の夏四月癸巳、先主(劉備)は永安宮において63歳のとき亡くなった。しかしながらこの年の四月に癸巳の日はない(「癸巳」にあわせると命日は3月5日?)。これに続く文の諸葛亮の上言によると

亮上言於後主曰:「伏惟大行皇帝邁仁樹徳、覆燾無疆、昊天不弔、寢疾彌留、今月二十四日奄忽升遐、臣妾號咷、若喪考妣。

と、今月の二十四日、たちまち天に昇った、とあるので劉備の命日は4月24日。

・参照
http://cte.main.jp/newsch/article.php/276

※追記 4月25日は夏侯惇の命日


※追記 4月26日は三国呉の大皇帝崩御の日

呉景の父


  • 2006年4月22日(土) 11:03 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史 メモ。
近頃、買った三国志集解を何気なくみていいると、呉書五 三國志五十 妃嬪傳第五の冒頭のところで

<本文>
孫破虜呉夫人呉主權母也。本呉人徙錢唐

<注釈>
呉錢唐均
見孫堅傳

とあり、これは普通に、前者が三国志呉書妃嬪伝の本文で「孫破虜(破虜将軍の孫堅)の呉夫人は呉主の権(孫権)の母だ。元々、呉人(呉郡呉県の人)で銭唐(会稽郡の銭唐)にうつった」とあり、後者(小さい文字で表記)が三国志集解特有の注釈であり「呉の銭唐は孫堅伝(三国志呉書孫破虜討逆伝)で均しく見られる」とある。
 さらに次のように続く。


<本文>
早失父母與
弟景居

<注釈>
趙一清曰寰宇記卷九十一云姑蘇山西北十二里胥口東岸有漢奉軍
都尉衡州刺史呉[火軍]墓(弼按寰宇記衡作衝漢時無衡州亦無衝州二

者均誤)[火軍]字光脩
丹陽太守呉景父也


 前者は同じく三国志呉書妃嬪伝の本文。「(呉夫人は)早くに父母を失い、弟の景(呉景)と住んでいた」となるんだけど、気になったのは小さい文字で書かれている注釈部分。以下に訳してみると、

 趙一清(清の人)はいう。寰宇記(太平寰宇記?)巻九十一によると姑蘇山の西北十二里にある胥口の東岸に漢の奉軍都尉衡州刺史の呉[火軍]の墓がある(盧弼は寰宇記を調べ「衡」を「衝」と作るが、漢代に衡州も衝州もなく両者はともに誤りだ)。[火軍]の字は光脩で、丹陽太守の呉景の父だ。

となり、個人的に記録に残っていないと思いこんでいたのが、あっさりと呉景の父親の名や字や就いてた官職があきらかになる。呉景の父親ということは異父姉弟じゃないかぎり、呉夫人の父ってことになり、ひいいては孫策&孫権の母方のお祖父ちゃんってことになる。

2006年4月18日DVD「長江の流れは緩やかにみえて」注文受付開始


  • 2006年4月18日(火) 19:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ショー  池袋シアターグリーン(東京都)で2006年2月15日から19日までの間の一日二回公演のペースで上演された舞台「三国志列伝 長江の流れは緩やかに見えて」(三国志プロジェクト第1弾、孫堅の若かりし頃を描いたもの)のDVDの発売が2006年4月18日より始まった。収録されているのは2月16日分とのこと。2500円(送料別)。支払いは代金引き換え(商品を宅配業者から受け取るとき、引き替えにお金を渡す方式)とのこと。詳しくは下記公式サイトで。

・三国志プロジェクト
http://www.geocities.jp/sangokushiproject/

 これで見に行けなかった人も観劇で楽しめって配慮は嬉しいね。もちろん見に行った人も何度でもDVDで楽しめるのが良い。このお芝居およびDVDの関連情報は以下の通り。

・2006年2月19日「長江の流れは緩やかに見えて」観劇
http://cte.main.jp/newsch/article.php/290

・2006年4月中旬 演劇「長江の流れは緩やかに見えて」DVD化決定
http://cte.main.jp/newsch/article.php/289

2006年4月14日「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻発売


  • 2006年4月17日(月) 12:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  2004年の月刊ミステリーボニータ8月号から「よみきり」という形でスタートした青木朋先生/作「八卦の空」(スタート時はこのタイトルはなかった。管輅(字、公明)が出てくる漫画)。ようやく2006年4月14日に「ふしぎ道士伝 八卦の空」(ボニータコミックスα)というタイトルで第1巻が発売された。

・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/

・「八卦の空」単行本1巻(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=881257
・ふしぎ道士伝 八卦の空 1(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=208459
・書店用POPを描きました(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=222945
・台湾版!(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=639196

 いつも月刊ミステリーボニータが置いてある書店では単行本が置いてなかったので休日に梅田の紀伊国屋にて購入。しかし、前もって単行本の厚さが普通の1.5倍って知っていたんだけど、実際見ると、その分厚さに驚く。試しに右の写真のように同じ秋田書店の単行本の「三国志烈伝 破龍」2巻と並べてみると一目瞭然。
 表紙は以前の記事に書いたけど玄龍くんピン。裏表紙にいつもの衣装の管ちゃんの絵がはいる。

・以前の記事 2006年4月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ5月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/316

 それで今回の収録作品は最後のページにある「[初出一覧]」によると次のようになる。

[初出一覧]
恋火:'04年ミステリーボニータ8月号掲載
玉縁:'04年ミステリーボニータ9月号掲載
妓女と幽鬼:'04年ミステリーボニータ11月号掲載
劉朱姫:'04年ミステリーボニータ12月号掲載
宝鼎の哭声:'05年ミステリーボニータ1月号掲載
洛陽の龍<前編>:'05年ミステリーボニータ4月号掲載
洛陽の龍<中編>:'05年ミステリーボニータ5月号掲載
洛陽の龍<後編>:'05年ミステリーボニータ6月号掲載

 元々、このマンガは「八卦の空」というタイトルじゃなくて、秋田書店のサイトを参考にすると、「恋火」と「玉縁」が(よみきり)という扱いでで、「妓女と幽鬼」、「劉朱姫」、「宝鼎の哭声」が『花咲く変幻記』(シリーズ)というシリーズ名で、「洛陽の龍」<前中後編>でようやく今の『八卦の空』(好評連載&シリーズ)ってタイトルが出てくることになる。現在、連載している分は「八卦の空」とだけあり話のタイトルがないので、「妓女と幽鬼」以降の話のタイトルは単行本化の際に付けられたのかな、と想像している。

・「八卦の空」連載一覧(2004年8月号~2005年11月)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/193


 '05年ミステリーボニータ7月号、8月号には「八卦の空」が掲載されてなく、私は'05年ミステリーボニータ9月号から「八卦の空」を見始めたので、ちょうどこの単行本で全部見たこととなる。
 もうその頃には今の主要キャラクターが揃っていたので、どういういきさつでいろんなキャラクターが登場したのか気になっていたんだけど、バッチリ出ていた。管ちゃん&玄龍くんは最初から出ているんだけど、管ちゃんの弟子の劉朱姫はタイトル通り「劉朱姫」で初登場するし、皇帝の近侍の祝英青は「宝鼎の哭声」で初登場、それから今の連載の重要キャラクターの東方朔仙師は「洛陽の龍」<前編>で初登場し、<後編>で管ちゃん&玄龍くんへ後を引くエピソードを残すことになる。

 それにしても単行本で知ったんだけど、「洛陽の龍」<前中後編>のように、やっぱり、今、数話連続でやっている巫炎編以外にも一話完結(読み切り)ではない続き物があったんだ、と知る。今の巫炎編もそうだけど、「洛陽の龍」<前中後編>は中だるみせずホント、面白いなぁ。「八卦の空」の私の初見が'05年ミステリーボニータ6月号とか中途半端ではなくて、きりのいい'05年ミステリーボニータ9月号であったことは幸運だった。

 感想を書いていくと、雑誌連載時の分×8の文量になるので割愛し、「三国志ニュース」としての見所のポイントを箇条書きにあれこれ少し書く。

・まず物語の舞台は三国魏の明帝(曹叡)の時代で、場所は洛陽あたり。そういった三国関連のことは設定のみと思っていたら、「宝鼎の哭声」で明帝がでてきたり「洛陽の龍」で当時の洛陽の地図が出てきたり、さらっと三国関連がでてくる。
・三国志を作品の題材につかわれる場合、過去、戦争や勢力争いに主眼を置きがちになってしまうため、やたら戦乱の世であることを強調したり国同士の敵対の描写がよくでてきがちだけど、この漫画ではそういった描写が少なく、治世下の話で個人的に好感が持てる。「洛陽の龍」で他国(呉)のことが出てきてそういや三国時代の話だったな、と気付くぐらいで個人的に程良い仕上がり。
・当時の文物があれこれマンガに取り入れられていて、画像石とか俑とかそっち方面のファンには嬉しい限り(例えば、杯、今で言うところの「耳杯」で玄龍くんが酒を飲んでいたり)。ただ漢代~三国時代の表現手法や画像関連の資料数の少なさからかなり想像に寄らないといけないという苦労が伺えるし、実際、公式サイトを見ていると試行錯誤のあとが見られる。


・2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/414

※追記 三国志ジョーカー 第3巻(2011年8月16日)

2006年7月14日 中国京劇院 三国志~諸葛孔明~(京都)


  • 2006年4月16日(日) 10:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ショー <4月23日追記>
京都駅の地下でポスターを見つける。そこに公式サイトが載っていたので下に書いておく。その他の日程がわかる。

・民音 中国京劇院「三国志」
http://www.min-on.or.jp/kyogeki2006/
<追記終了>

KBS京都を見ていたら画面に

「三顧の礼」から「五丈原」までのハイライトシーンを集め、諸葛孔明の青年期から晩年まで一挙に上演。

という文字とともに何やら賑やかで華やかな映像が。続けて、

7月14日(金)
昼の部14時30分開演 夜の部18時30分開演
京都会館第1ホール

の文字。そう2006年7月14日金曜日に中国京劇院が京都会館第1ホールにて「三国志~諸葛孔明~」を二回上演するとのこと。もうチケットは販売しているとのこと。詳しくは下記のKBS京都プレイガイドまで

・KBS京都プレイガイド
http://www.kbs-kyoto.co.jp/jigyo/
※ここの「洋楽&舞踊」のところ

 それと会場となるのは下記のリンク先参照。ちょうど平安神宮、細見美術館、みやこめっせ、京都美術館に囲まれたところにある。

・京都会館
http://www.kyotokaikan.org/

 他の6月から7月の中国京劇院の上演は下記のリンク先のブログ「GOGO三国志!」記事に書かれている。興味のある方はお近くで上演されるかチェックを。ここによると予定演目は「三顧の礼」「長坂坡」「赤壁の戦い」「空城計」「五丈原」とのこと。ということはバッチリ趙雲や周瑜や司馬懿もでるってことかな?

・GOGO三国志!
http://blog.goo.ne.jp/aoitako
・中国京劇院「三国志」諸葛孔明
http://blog.goo.ne.jp/aoitako/e/c01a46f4ad99f10b9172a14e059658e1

 ちなみに京劇の衣装は下記のような感じ。すごく華やか。

・2006年1月29日 中国史人游行(神戸南京町・春節祭2006)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/275

 とこんなに紹介しても、清岡は平日のこの時間は見に行けないってオチ(汗) 誰か見に行かれた方、レポよろしく。

三国志+よろずバトン


  • 2006年4月12日(水) 23:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  サイト「江河水」のTMKさんから「三国志+よろずバトン」なるものが回ってきた……って回されたのが3月17日なんで気付くの、遅すぎるぞ、清岡(汗) その3月はなんだかばたばたしてたもので。

・江河水
http://kougasui.fc2web.com/
・三国志+よろずバトン(ブログ「WALK ON」内記事)
http://kougasui.blog15.fc2.com/blog-entry-142.html

 作者はブログ「HONEY LYCHEE」の珍珠さんとのこと。

・HONEY LYCHEE
http://honeylychee.blog58.fc2.com/
・三国志+よろずバトン
http://honeylychee.blog58.fc2.com/blog-entry-1.html


 では答えていこっと。

○三国志+よろずバトン

1:もし今10万円手に入ったとしたら何に使う?

 バトンのタイトルからいって三国志関連と考えて…
 「漢代の文物」はこの間、買ってしまったんで(汗) 「中国古代の服飾研究」とか「太平御覧」あたりで。あれ? 相場だと10万越えるんだっけ? 下回るんだっけ?
 ……日本の古本屋で最安値を調べて「中国古代の服飾研究」24,150円、「太平御覧」14,000円、と意外と安かった。じゃ、現実的(…って10万円手に入ったって前提ですでに違うけど)に神田神保町で使い切りツアーってことで。


2:一番行ってみたい三国志関係の遺跡

孫堅(字、文台)の富春(現、富陽)で。確か、現在、廟か何かあったよね?


3:現代にいたらモテてそうな三国志の人物

 孫策(字、伯符)でどう? 三国志呉書孫破虜討逆伝によると

策為人、美姿顏、好笑語、性闊達聽受

となりつまり、孫策の人なりは、美しい姿と顔で笑いながら話すのを好み、生まれつき闊達で(よく話を)聞き入れる、そうなので(かなりテキトーな訳・汗)、モテ要素が高いとみた。
 まぁ、現在の美的センスと会話に適合性があるかどうか謎だけど。


4:三国志のイメージにぴったりだと思う曲。

 マイケル・ナイマンの弦楽四重奏1番~3番で。
 全体的にバイオリンの弦が切れるんじゃないか?って思うぐらい激しい曲が多いけど、映画「キャリントン」で使われた3番なんかはもの悲しくて美しい曲なので別の面でぴったり。


5:もし、三國無双のコスプレをするとしたらやってみたいキャラ。

三國無双シリーズのどれもやったことないんであまりイメージ、わかないけど、やるとしたらごつごつした重そうなのじゃなくて、軽めのキャラがいいなぁ……って甘寧? って軽いとかその前に恥ずかしいし寒そうだ(汗) 女性のレイヤーさんが甘寧のコスプレやっているのを何度か見てるけど、みんな工夫していて面白い。



6:無双次回作でプレイヤーキャラ化して欲しい三国志の人物(魏、呉、蜀、他それぞれ一人ずつ)

○魏
 ネットでは一部(一人?)やたら張春華(晋書后妃列伝)をおしている人がいるんらしいけど、どうなんだろ。ここは三国時代末期に幅を広げる意味でも羊[示古](字、叔子)で。

○呉
 先の羊[示古]と合わせるんだったら、陸抗(字、幼節)。それか、あと一人で揃うって意味では魯粛なんだけど、他にも程普(字、徳謀)や韓当(字、義公)、それから孫策の娘(陸遜の妻)期待されているけど、ここは一つ、孫堅(字、文台)の妻、呉夫人で。ただし三国演義オリジナルキャラ、呉国太はNGの方向で。

○蜀
 真・三國無双4発売前は馬岱登場を期待されていたなぁと思い出しつつ。蜀のことは全然、知らないんだけど、バランス的に法正(字、孝直)。というかキャラ付けが難しい??

○他
 現実的なことを考えたら韓遂(字、文約)がきそう。ここは後漢の立場を忘れ去られないように(三國志サーチ真・無双検索にもないしね)、皇甫嵩(字、義真)で。


7:今、三国志以外でハマっていること

 うーん、なんでしょ? デジタルオーディオプレイヤーを買ってからというものステキな(?)音楽生活を復活させている。毎日の行き帰りでCD200枚分の曲をシャッフルして聴いているのだ。


8:習ってみたいと思うお稽古事

 三国志とつなげると、漢文読み? ただし書き下しはなしの方向で。構文が知りたいな。


9:これからブームになりそうなもの

 これも三国志とつなげて、マンガなりゲームなり映画なりドラマなり三国志系の作品の衣装などそういったビジュアル面の時代考証をきっちり画像石や俑などの出土史料を元にするということ。一目で三国時代の風俗じゃないってのが多すぎ………と、予想というか、99%希望だ(笑)


10:このバトンを回す人5人

 下記のように、某メンバー+如月さんでいきます。特に連絡はしないですが、忙しかったり、バトンを受け取る気がない場合は見なかった振りしてスルーでお願いです。

1) USHISUKEさん
・三国志漂流
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040

2) げんりゅうさん
・げんりゅうの欣喜雀躍
http://blog.livedoor.jp/genryu_nori/

3) 曹徳さん
・蒼天三国志
http://www.h4.dion.ne.jp/~aruiwa/

4) KJさん
・三国検索
http://sangoku.lib.net/

5) 如月雪さん
・未来と過去の交差点

2006年4月10日 三國志11 for Windows アップデートプログラム(Ver.1.1)配布開始


  • 2006年4月11日(火) 18:43 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム 2006年4月10日より三國志11 for Windows(KOEIのシミュレーションゲームのこと)のアップデートプログラム(Ver.1.1)の配布を開始したとのこと。
アップデートプログラムの入手方法は二種類あって、一つは下記URLの「三國志11 for Windows ユーザーズページ」からダウンロードする方法と商品のCD-ROM(インストールディスク)の無償交換(こちらは4月14日より。詳しくは下記ユーザーズページより)する方法があるとのこと。

・三國志11 for Windows ユーザーズページ
http://www.gamecity.ne.jp/regist_c/user/san11/

私自身、ゲームの三國志に興味がないため、全然、知らなかったんだけど、検索ワードで「三國志11 不具合」とか「三國志11 ディスク交換」とかがここ数週間、やたら多いので、ここにメモ書きしておく。
どうも現行の製品版(Ver.1.0)に大きな不具合があるようで(上記ユーザーズページ参照)、大がかりなことになっているようだ。

※関連記事 2006年春「三國志11」(コーエー)発売予定

※追記 サイト「クソゲーまとめ @ ウィキ」で三国志関連

<追記>
裏ニュース的なことが知りたければ「フンゲイソウラン」というワードでネット検索かけるのが吉。

2006年4月3日 三国志討論会(チャット)移転


  • 2006年4月11日(火) 18:13 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  そこの管理人さんが独自ドメインを取得したとのことで、サイト「三国志愛好会」およびチャットサイトの「三国志討論会」のURLが下記のように変更となった。

・三国志愛好会
http://san-gokushi.com/

・三国志討論会
http://debate.san-gokushi.com/

 またほぼ時期を同じくしてチャットの仕様が変わったため、下記のリンク先のようにかねてからユーザーから要望のあったチャットのログの取得(過去ログの掲載)ができるようになった。

・三国志討論会 mixi臨時支局
http://mixi.jp/view_community.pl?id=540273
※一例で出しておきながらmixiのアカウントがないと見れないというオチ。すみません。

 すでに週に一回の毎週土曜日19時からのチャット会である2006年4月1日話題「街亭の戦い~~馬謖はなぜ山に登ったか」と2006年4月8日話題「呉最後の名将、陸抗」の過去ログ(下の行から上に向かって読むようになっている)は掲載されている。そのためチャット参加に興味があるけど、どういったチャット内容かわからないとかチャットのやり方を知らないとか不安のある方はその過去ログを参照にすれば良い。

中国古代の暮らしと夢


  • 2006年4月10日(月) 01:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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展覧会  ブログ「小芙蓉城」を見ていると、何やら気になる展覧会が愛知県陶磁資料館でやっていることを知る(下記リンク先参照)。後漢時代(つまり三国志の時代に通じる)の明器や俑(共に陶器の類)の展覧会だそうな。

・小芙蓉城
http://furong.mabinogion.net/
・記事『「陶器が語る来世の理想郷 中国古代の暮らしと夢-建築・人・動物」観覧記』
http://furong.mabinogion.net/archives/2006/03/post_303.html

 巡回にしていないかな、とそこの記事を頼りに調べる。なるほど8月に山口県の萩だったら三国志城の第五回三顧会との合わせ技で行けるかな、とかあれこれ考えてさらにネットを徘徊していたら、愛知県陶磁資料館の次は京都の細見美術館でその展覧会があることを知る。

・細見美術館
http://www.emuseum.or.jp/
特別展「陶器が語る来世の理想郷 中国古代の暮らしと夢─建築・人・動物」
2006年4月7日金曜日~5月28日日曜日

 でさっそく4月9日日曜日に行くことに。細見美術館は平安神宮の近くにある美術館。平安神宮近くの美術館といえば、京都市美術館と京都国立近代美術館なんだけど、まだ美術館があるんだな、と軽く驚く。
 白川の桜をみつつ、細見美術館へ到着。地下まで吹き抜けがある面白い建物。どうもその美術館は披露宴の会場としても使っているようで、展覧会に行く前に用を足そうと思っていてうろちょろしていたら止められてしまった。披露宴に呼ばれる方としてはそういった部外者のことに気をとられることがなさそうなので良い会場なのかな。
 それで展覧会の方もユニークでチケット(入場券)ではなくてシール。洋服の見えるところに貼るそうな。
 そして初めの自動ドアが開いてはいったところでまず目に付いたのが、チラシにもでかでかと載っている「水[木射](池中の望楼)」の明器。と思ったら、水[木射]は一つだけってわけじゃなくいろんな種類が何個かあるようだ。そこで気になったのが、作品を解説するプレートにおいて時代区分がおおざっぱだってこと。何世紀とかはなく「後漢」のみって場合ばかり。それに関連してか、どこどこの墓からでてきた、とかはなくやたら「個人蔵」が多いってこと。それに気付き、あまり時代考証とか考えずに今回は形を楽しもう、なんて思っていた。
 水[木射]で印象に残ったことは、そこにいる人がそれぞれ弩(いしゆみ)をかまえているんだけど、人によって弩の肩や弦の形が違う場合があり、つまり矢を放つ前なのか放った後なのかが違うってことだ。あとプレートの解説には「斗[木共]」(角度とか)が何回も登場するせいか「斗[木共]」図入りで説明がある。
 水[木射]の明器の後は後漢の楼閣や住居の明器が並ぶ。楼閣の明器のほとんどはちゃんと一階部分に中庭があって楼閣以外の残り三方が壁で囲まれているといったセオリー通り。それから格子窓(出窓)が表現されているのが印象的。格子窓の格子って結構、単純な幾何学模様なんだと感心していた。
 住居の明器は南方の建物で高床になっているって説明があって、確かに特徴のある形をしてたんだけど、それ以外は「漢代の文物」どおりで面白く感じた。門の両脇には闕が立っていて、門をくぐると廷(中庭)があり、令甓裓(煉瓦を敷いた道)の上を歩き廷を横切り、階を上がり堂に到る、という明器の形をしている。あと「漢代の文物」に載っていた囷(円筒状の蔵)の明器もいくつか展示されていて、現代に残る囷も写真で展示されていた。
<4月24日追記>
よくよく思い出してみると、囷って三国志ファン(というか呉ファン)にはおなじみの魯粛の蔵エピソードのまさしく蔵そのものの名称。
以下のように、三国志呉書魯粛伝に見られる。

肅家有兩囷米、各三千斛、肅乃指一囷與周瑜、瑜益知其奇也、遂相親結、定僑・札之分。

<追記終了>
 その後、一旦、吹き抜けの所へ出て階段を降りて次のフロアへ。そこで印象に残ったのが厠の明器。ちゃんと汚物処理用の豚の俑がいるし。いやかなり写実的だ(「漢代の文物」に載っていた圂の明器も展示されていた)。それから農作業をする建物の明器があったんだけど、その中に頬杖をついて腰掛けてすわる人が表現されていたけど、これって本当に後漢時代なのかな、と疑問に思った(腰掛けて座っているし)
 また一旦、吹き抜けの所へ出て階段を降りて次のフロアへ。そこで印象に残ったのは、楽器を使う「楽人」三体、それから踊る「舞人」一体の俑。不思議なことに全員、赤い[巾責]の上に武冠をかぶっていたこと。こういうのは士人のたしなみ?なんて想像していた。それと包丁をつかう俑。ディフォルメがきついけど、当時の包丁の持ち方や、その時の机(まな板がわり)の位置関係などがはっきりと表現されているし。あとは机の明器(同行者は孫権のエピソードを引き合いに出していたけど)、それと耳杯。後者は第四回三顧会の酒杯作りのネタ元として参考にしたいところ。

2006年4月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ5月号)


  • 2006年4月 8日(土) 16:18 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    1,926
マンガ  月刊のミステリーボニータに連載中の「八卦の空」。2号前からの続き物なので、今号で巫炎シリーズは3回目。根拠なくてっきり三部作だと思っていて読みのがしても今回につなげられるように前回の記事ではあらすじ中心に書いていたけど、今回はさらに次回へと続く話になっている。
 それというのも「ミステリーボニータ」5月号の表紙を開いてすぐのカラーの次号予告で「八卦の空」が載っていて、本編を読む前にそれを読んだので。思いっきり今回の話のネタバレだったので損した気分だった(笑) まぁ「巫炎」って文字が見えたのでどこで今回で話が終わっていないと分かったんだけど。ちなみにその次号予告のカラー絵はミステリーボニータ「1月号」と同じもの。

・前回の記事
http://cte.main.jp/newsch/article.php/301

 というわけでまだまだこの話に区切りがなさそうなので、今回はネタバレは少な目でご紹介。
 2006年4月14日の単行本発行を八日後に控えている所為か、今回、扉絵はカラー。夜桜の中、玄龍くん&管ちゃんが意味深く立っている。色彩と情感豊かなのだ(と、今ごろ気付いたんだけど管ちゃんの服って八卦柄。見返したら他の絵もそうだ)。そこに書かれている縦書きの文は今回のシリーズを示唆するもの。玄龍くんの想いが書かれている。
 それから目に付くのが左下の単行本情報。小さいながらも1巻のカバー絵の初出。単行本の表紙は玄龍くんピンの中腰の片膝ついた煌びやかな鎧姿。これだとよく知らない人が表紙買いしそうな勢いかも。というか管ちゃんファンはカバーイラストで出演ならずで残念。その単行本の表紙は2006年4月8日現在、下記、青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」でトップ絵として見ることができる。

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/

 厳密にいうと、未公開の原画があって、それを元にデザイナーさんがつくったのが単行本の表紙。それとは別に未公開の原画を加工したのが上記サイトのトップ絵だそうな。

・ブログ「青青日記」内「トップ絵更新」
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=197749

 それから今回のカラー表紙について

・ブログ「青青日記」内『「ミステリーボニータ」5月号に「八卦の空」』
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=197736

 話戻して、冒頭で巫炎姉妹のシーンがあってそれからおおざっぱにいって平行したダブルプロット。自室で巫炎について謎解きをする管ちゃん、僵屍の藍児に会いに巫炎の元へ行く玄龍くんの二つ。後者で玄龍くんと藍児のストーリーをしっかりと展開させながら、前者で東方朔仙師がまたまた登場したりと、巫炎関連の謎を秘めたトーリーも進んでいく。
 今回の見どころは藍児に対する玄龍くんの想いの行方。あと細かいところだと従者さんのコミカルなところ(笑)。それから東方朔仙師と管ちゃんとの因縁。ここらへんは既出のエピソードからの流れなのかな? ここらへんコミックで確認しなきゃ。ともかくコミックで過去のエピソード、それに次号でこの話の続き、どちらも待ち遠しい。

 以下、その他、関連サイト

・秋田書店のサイト
http://www.akitashoten.co.jp/
※ページの下の方にミステリーボニータのページへのリンクあり。単行本情報もここで。
 「八卦の空」は秋田書店の公式サイトで今回初めてイラスト付きの紹介。そのイラストは「青木朋HP++青青」でも掲載されている「花咲く変幻記」時代の予告用カット。

・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/


・2006年5月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ6月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/335

真・三國無双シリーズ公式サイト(英語圏)・リンク集


  • 2006年4月 6日(木) 12:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム ・前回の「真・三國無双シリーズ公式サイト・リンク集」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/309


※追記 Sangokushi News - Japanese fansite for anything based on the Romance of Three Kingdoms

※追記 メモ:Three Kingdoms


 サイト「中華庭園」の日記で気付いたんだけど、英語圏向けの無双シリーズの公式サイトもあるようで、それも見ていると面白いんで、ピックアップ。三國無双はDYNASTY WARRIORS(直訳:王朝の戦士たち)っていうそうな。ちなみに戦国無双はSAMURAI WARRIORS(直訳:侍戦士たち)でゲームの三國志はRomance of the Three Kingdoms(つまり三国演義)。
 PlayStationのDYNASTY WARRIORS(三國無双)に義理立てしているので真・三國無双はDYNASTY WARRIORS 2となり以下、日本の真・三國無双シリーズより番号付けが一つずつ繰り上がっている。ロゴは「真」がついているところに英語圏での番号が入っているし。

・Dynasty Games
http://www.koei.com/games/dynasty.cfm

Dynasty Warriors(三國無双)
http://www.koei.com/launch/Archive/DW.htm
Dynasty Warriors 2(真・三國無双)
http://www.koei.com/launch/Archive/DW2.htm
Dynasty Warriors 3(真・三國無双2)
http://www.koei.com/launch/DW3/index.htm
Dynasty Warriors 4(真・三國無双3)
http://www.koei.com/launch/DW4/index.htm
Dynasty Warriors 5(真・三國無双4)
http://www.koei.com/launch/dw5/index.htm


※ついでにキャラリスト。
●Dynasty Warriors 2(真・三國無双)
☆キャラ:
SHU(蜀)、Liu Bei(劉備)、Zhuge Liang(諸葛亮)、Guan Yu(関羽)、Zhang Fei(張飛)、Zhao Yun(趙雲)、Ma Chao(馬超)、Huang Zhong(黄忠)、Jiang Wei(姜維)
WEI(魏)、Cao Cao(曹操)、Sima Yi(司馬懿)、Xiahou Dun(夏侯惇)、Dian Wei(典韋)、Xu Zhu(許チョ)、Xiahou Yuan(夏侯淵)、Zhang Liao(張遼)
WU(呉)、Sun Quan(孫権)、Sun Jian(孫堅)、Zhou Yu(周瑜)、Lu Xun(陸遜)、Sun Shang Xiang(孫尚香)、Taishi Ci(太史慈)、Gan Ning(甘寧)、Lu Meng(呂蒙)

●Dynasty Warriors 3(真・三國無双2)
☆新キャラ:
SHU(蜀)、Wei Yan(魏延)、Pang Tong(ホウ統)、
WEI(魏)、Zhang He(張コウ)、Zhen Ji(甄姫)、Xu Huang(徐晃)、
WU(呉)、Sun Ce(孫策)、Huang Gai(黄蓋)、Da Qiao(大喬)、Xiao Qiao(小喬)、
Unaligned Characters(無所属人物)、Lu Bu(呂布)、Dong Zuo(董卓)、Diao Chan(貂蝉)、Meng Huo(孟獲)、Zhu Rong(祝融)、Zhang Jiao(張角)、Yuan Shao(袁紹)

●Dynasty Warriors 4(真・三國無双3)
☆新キャラ:
SHU(蜀)、Yui Ying(月英)、
WEI(魏)、Cao Ren(曹仁)、
WU(呉)、Zhou Tai(周泰)

●Dynasty Warriors 5(真・三國無双4)
☆新キャラ:
SHU(蜀)、Guan Ping(関平)、Xing Cai(星彩)、
WEI(魏)、Cao Pi(曹丕)、Pang De(ホウ徳)、
WU(呉)、Ling Tong(凌統)


 それからスピンオフ作品。

Dynasty Warriors 3 Xtreme Legends(真・三國無双2猛将伝)
http://www.koei.com/launch/xtreme_legends/index.htm
Dynasty Warriors 4 Xtreme Legends(真・三國無双3猛将伝)
http://www.koei.com/4xl/
Dynasty Warriors 4 Empires(真・三國無双3 Empires)
http://www.koei.com/launch/DW4E/index.htm
Dynasty Warriors 5 Xtreme Legends(真・三國無双4 猛将伝)
http://www.koei.com/dW5XL/
Dynasty Warriors 5 Empires(真・三國無双4 Empires)
http://www.koei.com/launch/dw5_empires/


 それから移植作

Dynasty Warriors for PSP(真・三國無双[PSP])
http://www.koei.com/launch/dwpsp/
Dynasty Warriors Advance(真・三國無双アドバンス)
http://www.nintendo.com/gamemini?gameid=40a2134d-c93b-4aba-be0a-cf3c87d8f9b5
Dynasty Warriors 4 Hyper for PC(真・三國無双3 ハイパー)
http://www.direct2drive.com/364/product/Buy-Dynasty-Warriors-4-Hyper-Download

 あと、Dynasty Tactics(三國志戦記)はDynasty Gamesに入るそうな。

Dynasty Tactics(三國志戦記)
http://www.koei.com/launch/Dynasty_Tactics/index.htm
Dynasty Tactics 2(三國志戦記2)
http://www.koei.com/launch/Dynasty_Tactics_2/index1.htm

「イベント」カテゴリーを分割


  • 2006年4月 5日(水) 19:35 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット 三国志ニュースの「イベント」カテゴリーが46件と多かったので、「イベント告知」と「イベント報告」に分けました。それでも「イベント報告」が圧倒的かとおもったんですがそうでもないですね。以下、現在のカテゴリー件数状況です。次、分けるとしたら漫画ですかね。
<追記>
というわけで41件あった「マンガ」カテゴリーを「マンガ全般」と「マンガ連載系」に分けました。

サイト情報(30)
サイト企画(13)
サイト宣伝(6)
ブログ(18)
コミュニティ話題(8)
文献史料(10)
出土史料(10)
名所・旧跡(10)
小説(8)
読み物(12)
マンガ全般(17)
マンガ連載系(24)
ゲーム(22)
フィギュア(5)
番組(4)
同人(23)
世間の中の三国志(18)
その他メディア(11)
イベント告知(22)
イベント報告(24)
依頼・募集(3)
その他(2)
管理系(13)

2006年6月4日 赤兎馬Presents「三国志の宴(仮)」開催


  • 2006年4月 5日(水) 18:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ショー  メールマガジンの三国志SHOP通信「赤兎馬」vol.109(2006年3月17日発行)によると、2006年6月4日に東京都、新宿のロフトプラスワンにて三国志ブランド「赤兎馬」主催で三国志トーク+ライブイベント「三国志の宴(仮)」を開催するそうな。
 すでに三国志ブランド「赤兎馬」のサイトでもその告知がある。

・三国志ブランド「赤兎馬」
http://www.plastic-rouge.com/souten/

 その予定をみると、コミック三国志マガジン編集者や「おもしろ三国志」さん(天下三分系電子音楽家とのこと)をゲストとして呼んだり、企画もあれこれあげられている。

※リンク追記
・特集-三国志の宴2006/6/4:三国志ショップ「赤兎馬」
http://www.plastic-rouge.com/souten/saito/ibe/loft_1_2006r.htm

 ついでに「赤兎馬」さんにまつわるニュースあれこれ。以下箇条書き

○赤兎馬スタッフのブログ「~赤兎馬・三国志あれこれ~」開設されている。ここで「三国志の宴(仮)」の情報もそのうち書かれるのかな。

・「~赤兎馬・三国志あれこれ~」
http://blog.livedoor.jp/sek1toba_r1ka/

○「赤兎馬」サイトにて三国志ブロックフィギュアのシークレット四体公開。諸葛亮だけじゃなかったんだ。しかし「(秘)隠れシークレット情報」って愉快な重語。

○マイクロモンチッチ・三国志販売。一時期、ゲソさんのブログ(下記のリンク先参照)で話題になっていたやつ。

・ゲソの三国志ブログ
http://blog.goo.ne.jp/gesotoku
・モンチッチ三国志
http://blog.goo.ne.jp/gesotoku/e/721584e11f98440d091dfcbaad757d46

林俊傑(リン・ジュンジエ)/歌「曹操」


  • 2006年4月 4日(火) 22:49 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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音響作品

・李清風/歌「三國誌」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/310

 上記記事の続きってわけじゃなくてたまたま似たようなネタが続く。

 台湾特派員(?)の呂珪さんのタレコミ情報によると、「曹操」というタイトルのCDを見かけたとのこと。そこには表題歌の「曹操」収録とのこと。なにかジャケットがアイドルぽかったってこと。ジャケットには「誰の心にも曹操が」みたいな面白いことが書かれていたそうな。
 呂珪さんはCDは高かったから買わなかったそうで、私としてはせめて歌手名だけでも聞きたかったんだけど、情報によると「林(りん)なんとか」ってことだそうな。
 そんな少ない情報でみつかるわけないや、とあきらめ半分で「曹操 林 CD」で検索をかけてみると………簡単にみつかった(汗)

http://tinyurl.com/nfess

 今年の発売で、ネットでジャケット写真も見れるし視聴もできる。おぉ、ポップス。中国音楽家音像出版社の出版だそうな。

※追記 メモ:CafeBar曹操(広島県広島市中区流川町)
 

4月4日は孫策の命日


  • 2006年4月 4日(火) 20:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史 ・8月5日は司馬懿の命日
http://cte.main.jp/newsch/article.php/148

上の続き、かな?

三国志呉書孫破虜討逆伝の注に引く志林をみると、

喜推考桓王之薨、建安五年四月四日。

となっていて、どうやら西暦200年4月4日に孫策(字、伯符)は亡くなったそうな。

以下の「三国志ファンのためのサポート掲示板」のツリー参照のこと。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=505

※追記 4月24日は劉備の命日


※追記 4月26日は三国呉の大皇帝崩御の日

李清風/歌「三國誌」


  • 2006年4月 2日(日) 17:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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音響作品

検索ワードの小ネタです。
「長崎物語(三國誌)」って検索ワードがあったんで同様に検索してみると、「三國誌」ってタイトルの歌が台湾にあるみたいですね。
それは日本の歌の「長崎物語」のカバー曲らしい(いやちゃんと調べていないもので)
で、「李清風 三國誌」というワードで検索してみると、それら検索結果の中に「三國誌」の歌詞がでてきます。おぉ、ホントに三国志だ!……というより「氣死周都督 孔明氣死周都督」ってあたりが「三国演義」ですけどね。

http://tinyurl.com/rb6go
 

真・三國無双シリーズ公式サイト・リンク集


  • 2006年3月24日(金) 23:45 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム  2006年3月23日に「真・三國無双4 Empires」それから「雀・三國無双」が発売した記念というわけじゃないけど、少々、koei(コーエー)の三國無双シリーズの公式サイトへのリンクをまとめてみる(2006年3月24日現在)。まず三國無双シリーズの本流作品へのリンク。

三國無双
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/Rlmusou.htm
真・三國無双
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/musou2/musou2.htm
真・三國無双2
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/smusou2/
真・三國無双3
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/smusou3/
真・三國無双4
http://www.gamecity.ne.jp/smusou4/

※ついでにキャラリスト。
●真・三國無双
☆キャラ:
劉備、諸葛亮、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠、姜維
曹操、司馬懿、夏侯惇、典韋、許チョ、夏侯淵、張遼
孫権、孫堅、周瑜、陸遜、孫尚香、太史慈、甘寧、呂蒙

●真・三國無双2
☆新キャラ:
魏延、ホウ統、
張コウ、甄姫、徐晃、
孫策、黄蓋、大喬、小喬、
呂布、董卓、貂蝉、孟獲、祝融、張角、袁紹

●真・三國無双3
☆新キャラ:
月英、曹仁、周泰

●真・三國無双4
☆新キャラ:
関平、星彩、曹丕、ホウ徳、凌統


 あと同じPS2でシナリオやシステムが異なってくる、いわゆる「スピンオフ」作品は以下のようになっている。今回、発売される「真・三國無双4 Empires」もここに入る。基本的に数字(例えば「真・三國無双4 Empires」だと4)が同じだと出てくるキャラクターは一致するのかな?

真・三國無双2猛将伝
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/smusou2/mosyo.htm
真・三國無双3猛将伝
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/smusou3m/
真・三國無双3 Empires
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/smusou3e/
真・三國無双4 猛将伝
http://www.gamecity.ne.jp/smusou4m/
真・三國無双4 Empires
http://www.gamecity.ne.jp/smusou4e/


 真・三國無双シリーズは人気シリーズだからPS2以外の機種やメディアにも移植されている。それが以下のもの。機種の特性上、完全移植は無理だったり、元のものより付加価値をつけたりするので、ある意味、スピンオフともいえる。


真・三國無双[PSP]
http://www.gamecity.ne.jp/psp/ssm_psp/
真・三國無双アドバンス
http://www.gamecity.ne.jp/smusougba/
真・三國無双 2nd Evolution
http://www.gamecity.ne.jp/psp/sangoku2/
真・三國無双3 ハイパー
http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/smusou3/win.htm
真・三國無双4 Special
http://www.gamecity.ne.jp/smusou4sp/
真・三國無双4TCG
http://www.gamecity.ne.jp/smusou4/tcard/

※追記。コーエーテクモゲームスの公式ポータルサイト「GAMECITY」によると「2012年09月18日 『真・三國無双4 Special』 (Xbox360版) ダウンロード版 本日配信開始!」とのこと。2940円

 それから今回、発売される雀・三國無双だけど、キャラクターが公式サイト等を見る限り、真・三國無双4と同じなので(とちゃんと確認してないが・汗)、真・三國無双4のスピンオフ作品といえるのかな?

雀・三國無双
http://www.gamecity.ne.jp/jmusou/

 あとまだどういった内容か知られていない「真・三國無双BB」。こちらは単なる真・三國無双4のスピンオフ作品になるのか、それともキャラクターもシステムもまったく違う本流作品になるのか今から楽しみ。

真・三國無双BB
http://www.musou-bb.jp/

2006年9月10日 英傑号令(三国志大戦オンリーイベント)


  • 2006年3月21日(火) 16:18 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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二次創作  というわけで下記の要領で2006年9月10日に三国志大戦の同人誌即売会が行われる。詳しくは下記リンク先。

○英傑号令
内容:三国志大戦オンリー同人誌即売会
日付:2006年9月10日(日)
会場:東京都 世田谷区民会館2F集会場
SP数:直参30sp
備考:委託、コスプレなし。
URL:http://herocommand.hp.infoseek.co.jp/

 真・三國無双シリーズのジャンルとセットでってパターンは過去にあったけど、兼行なしで三国志大戦のみっては初めてじゃないのかな。ちなみにバナーのデザインは魏呉蜀そろいぶみ。右上のは魏のバナー。

・その他、三国志関連の同人誌展示即売会は下記URLを参照。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/293


<関連記事>華宵之夢(2008年2月24日東京)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/713

2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」午後レポ


  • 2006年3月21日(火) 15:53 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 ・午前の部
http://cte.main.jp/newsch/article.php/305


 「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」の午後の部。
 まず司会の冨谷先生から座席についてのお願いとアンケート回答のお願い。


○講演「漢から魏へ──上尊号碑」(13:10~14:30)

 講師は井波陵一先生(京都大学人文科学研究所付属漢字情報研究センター教授)。講演の前に次回「TOKYO 漢籍 SEMINAR」のお知らせ

 そういや午前の部で書き忘れていたけど、貰った資料の中に次回のお知らせがあった。

2007年3月10日土曜日開催予定
「第三回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」
講演テーマ遠い世界へ Part 1 西域への旅 
玄奘三蔵『大唐西域記』

などをとりあげるとのこと

 それから講演に入る。プリントの資料の2-1に触れ、そこの最初の【延康】から触れている(以下、【】付けはプリントの資料2-1で【】付けにされている項目があるという意味)。延康元年(西暦220年)は曹操がなくなってからの改元だ。延康の前は建安で、建安文学の説明が入る。
 プリントの資料に則し次が【禅譲】。禅譲という言葉の走りは後漢書逸民伝に見られるとのこと。そこから禅譲の意味へ。禅譲は武力を伴わないものに対し「放伐」は武力にうったえるもの(例として夏→殷、殷→周)。なるほど、初耳。
 【220年当時の情勢】に話が移り、武力は必要ないが、大義名分が必要とのこと。まず周囲の盛り上がりが大事とのこと(曹丕が一方的に圧力をかけたわけではない)。元号の「延康」に漢王朝の抵抗の意味が込められていると説明。
 というわけで話は曹丕の【即位へ向けてのプロセス】へ。ここで上尊号碑にまつわる話に触れていく。上尊号碑が今、どういうふうにおかれているか、撮影許可をとるだけでも大変だ、という話など。
 それから【上尊号碑】を奉った人物の説明へうつっていく。その奉った人物の一覧表(46人)が別のプリント(2-4 表2)でまとめられている。上尊号碑にはまず肩書きがあって姓がなくて人物の名がくるとかとかいう概説。名しかないので誰のことかわからない人物が何人かいるとのこと。
 具体的に上尊号碑に記載のある人物の説明に移る。【三公】から。三公の相國が司徒とも呼ばれ御史大夫が司空とも呼ばれ、それぞれの担当を説明した後、最高責任者であると説明。九卿(元々は九つあったがこの時期は違う)が各省庁の大臣職官にあたると上尊号碑の碑額に「公卿将軍上尊号碑」(公卿→三公九卿)と書かれていて文官武官のトップクラスが並べられていることがわかる。
 三公である【華[音欠]・賈[言羽]・王朗】の説明。三国志魏書武帝紀などに見られる着任時期の話。三人が三公になったのは曹丕が魏王だったときで碑文と一致。ただし、三国志魏書賈[言羽]伝との記述とは一致しない。これは即位→即王位とすれば一致する(王昶「金石萃編」の主張)。賈[言羽]の爵位も史書と碑文は一致しない。
 【華[音欠]】。三国演義だと曹丕に即位を促した悪人と説明し、史書の説明に移る。三国志魏書華[音欠]伝において、靈帝を廃位しようとしたとき華[音欠]がそれを止めたというエピソードを紹介し(プリントの資料にその言葉が訳して載せられている)、それなのに曹丕に即位を促したというのは相当の覚悟だったと説明。
 【賈[言羽]】。資料のプリントには三国志魏書賈[言羽]伝にみえる「[言羽]自以非太祖舊臣、而策謀深長、懼見猜疑、闔門自守、退無私交、男女嫁娶、不結高門、天下之論智計者歸之。」の訳が書かれてあり、それを紹介。他の三公と違って「世説新語」に載せられていない人で面白いと紹介。元々、太祖の臣じゃないところからの心理的な考察等。
 【王朗】。経書に注釈を加えたというあたりに触れる。学者。三国演義では当時の学問的な話を取り上げることがなかった。王朗の息子の王粛の話にうつる。ちなみに王粛は鄭玄(じょうげん)の学説に反対の立場をとることが多かった。三国演義だと王朗は諸葛亮と対決する。実際の王朗とは違う云々。
 【04曹仁~14臧霸】(数字は上尊号碑においての順番)。碑文にある05劉若は三国志に伝がない。06鮮于輔~09閻柔は異様。「三国職官表」では判で押したように「上尊号碑は九卿の上に在れば、即ち亦た応に三品なるべし」(プリントの資料にあり)というような頼りないコメントであると説明。「通典」での将軍の序列は「大将軍、驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍、前後左右将軍、四征将軍、四鎮将軍、四安将軍、四平将軍、雑号将軍」となっている。これと上尊号碑を対応付け。碑文では……四鎮将軍→九卿→近衛軍→雑号将軍という流れ。「通典」では諱を避けて虎牙将軍(雑号将軍)が武牙将軍になっている。こういった官職の意味で06鮮于輔~09閻柔は序列が異様。さらに三国志には伝がない。曹丕との個人的関係によるもの?
 【曹仁・曹洪・曹真・曹休・夏侯尚・臧霸】。臧霸以外、曹丕の親戚。碑文にみえる「使持節・行都督督軍」や「仮節・都督諸軍事」の説明。節のランクが「使持節・持節・仮節」(資料のプリント)。(清岡はここで仮節の意味を取り違えていたことに気付く・汗)。厳密な使い分けは謎(碑文では使持節=仮節?)。臧霸について→川勝義雄先生の本を参照。プリントの資料2-2に引用されている。講演では「六朝貴族制社会の研究」。任侠的な人間関係の話が出てくる。
 11曹真の話。曹真残碑(資料のプリント2-6に拓本のコピーあり)について。「蜀賊諸葛亮」の「賊」が後世に削られたって話。清岡はこの話を知っていたけど、これって曹真残碑のことだったんだ。下記URL参照。

サイト「睡人亭」内曹眞殘碑
http://www.shuiren.org/sangoku/soshin.htm

 【前後左右将軍】。「朱霊という人物をよく知っている方がおられたらよっぽどの三国志マニアだと思います」。この四人は元々、他の配下。朱霊は自ら袁紹の元をさって曹操の元にきた。それは西暦194年で他の三人より早い。朱霊は三国志でちゃんとした伝が立てられていない。上尊号碑の順番で朱霊の重要性を改めて確認できる。
 【匈奴】。19呼厨泉。異民族、ある意味、お客さんだから高い位置。
 その次が【九卿】。九卿で22程昱トップ。24鍾[夕/缶系]は刑罰の分野で有名。肉刑論の話。→参考、冨谷至先生/著「古代中国の刑罰」。前漢の文帝の13年に肉刑廃止とか。鍾[夕/缶系]は肉刑復活論者。
 【近衛軍】。それほど有名な人物は出てこない。三国演義での話云々。【雑号将軍】。35焦触。三国演義では赤壁の戦いであっけなく殺される人物なので、上尊号碑に出てくるぐらい「あんた、生きてたの?」と口走ったほど個人的に面白かったとのこと。46許[木者](キョチョ、上尊号碑ではきへんで書かれているそうな)。上尊号碑の位置づけの最後というのは重要な意味を込めているかも。
 まとめ。碑文の名前の羅列と文献史料の対比で何かしら面白みを見いだしてくれたら幸い。

 それで司会の冨谷先生のコメント(井波先生の専門等、史書と碑文を厳密に比較云々、順番や官位は碑文の書き手が緊張するところだ)から質問タイムへ。時代の区分に関する質問。ここで清岡が興味深かったのが、史記は前漢あたり「経書」に分類されていたが、三国時代以降、「史書」に分類、つまり「史書」が独立されてきたって話。春秋の扱いに絡ませて。


○休憩(14:30~14:45、10分おしぐらい)

 ここで隼鶻さんと会う。よもやま話。


○講演「魏から晋へ──王基碑」(14:45~15:55、10分おしぐらい)

 司会の冨谷先生の紹介から、藤井律之先生の講演(京都大学人文科学研究所助手)。北京大学へ研修へ行くそうな。

 ≪1 未完の石刻≫。(以下、同様にプリント内の表題を≪≫でくくる)
 ≪・王基碑とは≫。王基碑の説明。清・乾隆年間に洛陽より出土。名前がないが碑文のキャリアから王基の碑文とされる。未完の碑文。発見時、下書きの朱字が残っていたそうな。その様子は2002年11月30日の「石刻が語る三国時代」で発表済み。ということで≪・朱字のミステリー、その後≫。2005年10月に王基碑の実物をみたそうな。そのときの様子を語っていた。そこには歴代の石碑が並べられているそうな。実物を見て前回の結論を確信したとのこと。プリントの資料3-2に写真あり。

 で、王基碑の時代背景にうつる。ポイントは王基碑がなぜ未完成に終わったか。≪2 正始政変と故吏≫。正始政変の説明。司馬懿のクーデター。曹爽一族を抹殺。
 ≪・曹真残碑の碑陰から≫。碑陰(石碑の裏側)に注目。プリントの資料3-2の図3。「州民」+「官職名」+「出身地」+「姓名字」の書式。おそらく彼らは曹真の故吏。
 ≪・故吏であるということ≫。故吏、つまりかつての部下って意味。かつての上司のために碑をたてることは後漢時代に盛んだった。必要に迫られていてのこと。盛んだったのは選挙制度(登用制度)の停滞が原因。
 ここで選挙制度の説明。前漢時代(武帝)に儒教を学問として試験に合格したものを登用する。また地方から孝廉(孝行、清廉潔白)の科目による推挙が制度化。孝廉→郎の流れ。郎(皇帝の親衛隊←清岡は出典が知りたい)は高級官僚へとステップアップする、つまり人材のプール。後漢時代には毎年、郎にするのが制度化されていたんで毎年、ある数の郎ができる。郎に定員はないが、その後のポストに限りがある。郎にはなったがその後が続かない。
 郎の制度に風穴をあけたのが辟召。辟召の説明。役所の長官によって登用、掾属になる。それが三公クラスの掾属だと郎と同格になる。→孝廉の選挙制度の変革。郎を拒否し辟召を待つ→碑を立てて、故吏個人がアピールする。そのため、曹操による立碑の禁
 ≪・正始政変の陰≫。曹爽の故吏たちが一斉に罷免される。ここで羊[示古]の逸話。羊[示古]の先見の明の話。羊[示古]は曹爽の辟召をうけることをすすめられるがそれを拒否。それに対し王基は曹爽の故吏→罷免。その他の西晋の功臣も罷免→うち何名か(賈充とか)は後に、司馬氏への積極的な与党。→福原啓郎先生の「西晋の武帝司馬炎」参照(と実は会場に福原啓郎先生が来られている)。

※追記 メモ:『西晉の武帝 司馬炎』

 ≪3 「功臣」王基≫。
 ≪・寿春の鎮将≫。寿春を反司馬氏勢力が拠点にしたそうな。ここは呉との係争地。ここで歴代の例をあげていく。王凌(じっさいはにすいじゃなくさんずい)、カン丘儉、諸葛誕の反乱例。王基は司馬氏側につき活躍。
 ≪・晋による王基の顕彰≫。王基がなくなった後、晋による顕彰。
 ≪・司馬昭の心≫。「司馬昭之心、路人所知也」にふれる。漢から魏は進駐型。魏から晋は本領安堵型と定義(←宮崎市定「九品官人法の研究」)
 ≪・魏の碑か晋の碑か≫。ここで王基碑がどちらの王朝のものか碑文の改行箇所から検証。五行目の大将軍(=司馬懿)で改行されず。司馬懿が皇帝とされていないので魏王朝のもの。碑がたてられなかったのは司馬氏への忠誠心のあらわれ。

 というわけで忠誠心がどうなったか。≪4 「忠義」のゆくえ≫。
 ≪・魏晋交替が生んだ石刻≫。プリントの資料3-2図4「郭夫人之柩銘」。嘉平六年(西暦254年)、反司馬氏の計画がばれて李豊が抹殺される。賈充(曹爽の故吏)はその李豊の娘を妻としていた離縁する。賈充は郭夫人をめとる。その間の娘(賈南風)が後の恵帝の皇后。
 正始政変の際、羊[示古]の妻の父、夏侯覇は蜀へと亡命。だけど羊[示古]は離縁せず。つまり王基碑と対照的に王朝交替により郭夫人之柩銘が残った。
 ≪・八王の乱──両石刻のその後≫。賈南風の専権→司馬倫による帝位簒奪と賈南風の誅殺→八王の乱→西晋滅亡。王基の娘婿の司馬[月三]は司馬倫とともに賈南風を皇后から廃す
 ≪・元帝の生母≫。司馬睿(元帝)の中興。プリントの資料に書かれている「司馬氏婚威簡図」を元に説明。実は司馬睿の生母は夏侯覇の弟・夏侯威の孫(夏侯淵の曾孫)、つまり晋の命脈をたもったのは曹操の一族であるという皮肉な結果になる。

 司会の冨谷先生のコメント(王基碑をなぜそのままにしたか等)から質問タイム。辟召についてとか揚州府と中央政府の関係とか。その後の質問のやりとりをあまり聞かずに荷物整理タイムにあててしまった(汗)。その他、講演全体の質問タイム


○総括・閉会挨拶(15:55~16:10 10分おしぐらい)

 森 時彦先生による挨拶。先生は清のご専門で今回のことは門外漢なので、楽しく聴いていたとのこと。それから来年の第三回についてのアナウンス。満場拍手。
 司会の冨谷先生からのアナウンス。今回の資料(封筒に入った分)に余分があるので、今日、来れなかった人のために余分に持って帰っても良いとのこと。それから簡単な挨拶でしめ。満場拍手。



 そういえば昼休みに青木朋さんが「今日ってサインもらうような会じゃないですよね」って呟いていたんだけど…

 すべてのプログラムが終わった後、会場に観衆がほとんど居なくなったぐらいに、左の通路で前からやってくる冨谷先生を青木さんが出待ち…というか迎撃。「先生」と呼びかけた後、青木さんがそのために持ってきておられた「木簡・竹簡の語る中国古代」へのサインを冨谷先生にお願い。冨谷先生、一瞬、困った様子をみせるも(というかサインを要求されるだなんて思ってもいらっしゃらなかっただろう)、快く承諾。青木朋さんの字をどう書くか、訊かれたあと、さらさらと書いていらっしゃった。書いていらっしゃるとき、「学生さんですか?」「いえ、とっくに卒業してます」とやりとり(そばにいた清岡は思わず笑ってしまった)。
 しかし清岡は「木簡・竹簡の語る中国古代」をもっているんだけど、さすがに道中、読まない本を持ち歩いてはいなかったし、サインという発想もなかった。あぁ、持ってくれば良かったなぁ。


 というわけで、その後、清岡、呂珪さん、青木さん、隼鶻さんと共に神田神保町へ行くことになる。

・2006年3月11日 プチオフ会 神田編
http://cte.main.jp/newsch/article.php/302

関羽でイメージ検索すると…


  • 2006年3月20日(月) 20:33 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,356
玩具

小ネタです。
http://images.google.co.jp/
↑googleにイメージ検索という機能があります。
単語を入力するとそれにまつわるネット上のイメージが検索されて、検索結果としてイメージの一覧が出てきます。
それで「関羽」と検索すると

・「関羽」のイメージ検索結果
http://tinyurl.com/gtbwx

ぬお!!
というか日本が誤解されますね(汗)
まぁ、繁体字にして「關羽」だったら引っかからないでしょうし……

・「關羽」のイメージ検索結果
http://tinyurl.com/f7lzr

と思ったら、微妙に残ってますね(笑)

※2006年3月20日の検索ネタなので時間が立つと検索結果がまったく違うかもしれません(個人的には違って欲しいのです)。
何が出ていたかは下記のリンク先参照です。

・2005年09月26日 AERA(2005年10月3日号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/185


<2008年2月7日追記>
・『一騎当千 秘蔵限定BOX』発売決定
http://cte.main.jp/newsch/article.php/723


・枕流亭ブログ
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/
・東アジア人のメンタリティーなんて似たようなもんです。
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20080203/p1

※追記 一騎当千XX × 真・恋姫無双

※追記 一騎当千 赤壁終結記念BOX

※追記 京都で哲舟さんを囲む会(2013年2月5日)
 

2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」午前レポ


  • 2006年3月19日(日) 12:57 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究  下記URLの記事にあるように2006年3月11日に京都大学人文科学研究所主催の「第二回TOKYO 漢籍 SEMINAR 三国鼎立から統一へ--史書と碑文をあわせ読む」が東京であるときいたので、行ってみることに。先着200名で事前に参加応募する形式で、送られてきた参加票を見ると私は94番目だった。後で会場にて聞いた話だと180名の参加者がいたとのこと。

・2006年3月11日 第二回TOKYO 漢籍 SEMINAR
http://cte.main.jp/newsch/article.php/270

※追記 「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開」ノート1(2008年9月14日)

※追記 東アジア人文情報学研究センター(2009年4月)

「第二回TOKYO 漢籍 SEMINAR
 三国鼎立から統一へ--史書と碑文をあわせ読む」
主催 国立大学法人京都大学人文科学研究所
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/
日時 2006年3月11日土曜日の10時30分~16時
場所 東京都千代田区 学士会館2階 210 大会議室

 当日、徹夜明けになるところを頑張って1時間半ほど眠ったぐらいで、私の頭の中はほわほわしてたんだけど、何とか予定通りの新幹線に飛び乗り、初めていく会場の学士会館へたどたどしい足取りでたどり着く。15分前ぐらいだ。

・学士会館
http://www.gakushikaikan.co.jp/

 階段を上がると、大会議室の前に受付があった。そこで今回の資料が入った封筒を手渡される。座る席は受付を済ませた順に前から詰めていく感じ。私はG4の指定席にすわった。前からA,B,C,D…と続いて左から1,2,3,4…18という順だからもう既に会場は結構、人で埋まっている。
 右上の写真のように前に壇上があって向かって左手に司会者がたつ配置だ。

 セミナーが始まる前に封筒の中を確認する。まず目に付いたのが今回のチラシ。裏にプログラムが書かれてある。よく見ると表の画像って武器もかぶり物も服飾も三国時代のものじゃないな。続けて、講師紹介のプリント。
 それと両面印刷のプリントが何枚も。どれも右上に○に数字がうってあって、その数字が3つまでだから、今回の3つの講演の資料なんだろう。あと2002年11月30日の「石刻が語る三国時代」というシンポジウムのパンフレット。こちらはちゃんと製本されている(というか私が元々、持っていたパンフレットを持ってきていたんだけど・汗)。それから今回のセミナーのアンケート。年齢のところが「~30歳」「31~40歳」「41歳~50歳」「51歳~」の四択なあたりがどういう年齢層の人たちが聞きに来ているか、おおかたわかるというものだ。後は京都大学人文科学研究所付属漢字情報研究センターのパンフレットなどなど。

○開会挨拶(10:30~10:35)

 というわけで京都大学人文科学研究所付属漢字情報研究センター長の森 時彦先生による開会挨拶が「おはようございます」とともに始まる。漢字情報研究センターの紹介。最近のIT化の話など。そうそう私個人としてデータベースにはお世話になってる(下記URL参照)。あと今回のセミナーの主旨。

・石刻拓本資料(京都大学人文科学研究所所蔵)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/215


○本テーマの狙いについて説明(10:35~10:45)

 続けて司会の冨谷至先生(京都大学人文科学研究所教授)による今回のセミナーについての説明。のっけから2002年11月30日のシンポジウム「石刻が語る三国時代」の説明。そのシンポジウムが中間報告で、最終報告として三國時代の出土文字資料班/編「魏晉石刻資料選注」(京都大學人文科學研究所)という本と今回のセミナーがあるそうな。やっぱり今回が最終報告だったんか! それから碑文がどういう史料的位置付けかの説明。史書は後の時代に書かれたものだけど碑文は同時代史料と説明した後、実のところ碑文は史料としては史書より情報が少なく役に立たないんだ、という敢えて断言(こういわれると引き込まれるなぁ)。そこから碑文の特徴を説明した後、碑文からいかに情報を引き出すのかが史家の腕の見せ所、と話をしめる。


○講演「魏・蜀・呉の正統論」(10:45~12:10)

 司会の冨谷先生から宮宅潔先生(人文科学研究所助教授)の紹介がありスタート。三国(魏・蜀・呉)がどのように正統を主張しているか説明し、その後、碑文でどう表現されているか、というのが講演の流れとのこと。
 まず王朝の交代の法則の説明。「その法則というのが皆さんご存知の陰陽五行説」とおっしゃっていたけど、陰陽五行説がみなさんご存知か?(汗)。それで配られたプリントには伏羲から順に五行(木、水、火、土、金)とともに王朝交代が書かれている。相生説の方だね。

・五行についての参考(別サイト)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1635

 まず王莽がたくみに五行をつかった解説。王莽は血統的に舜(土徳。つまり五行相生だと火徳の漢の次)の子孫ということを主張したそうな。さらに讖緯(予言のこと)や符瑞をつかってその正統化を強めたとのこと。
 こういった王莽の方法を真似たといって良いのが魏。まず予言の「当塗高」を例にあげていた(三国志魏書文帝紀の注に引く讖緯)。ここで袁術がこの予言を先に使ったと補足説明(三国志ファンにはおなじみだね)。それから曹家の血統の主張にふれる。プリントの資料に二つの例があげられている。一つ目の例では周の子孫を称していたけど、それでは五行的に不都合だということ(と推測できるの)で(三国志魏書蒋濟伝の注)、もう一つの例で、曹家は舜と祖先を同じにすると書かれたところをあげていた(三国志魏書文帝紀の注)。ここで実際の碑文ではどうかってことで「石刻が語る三国時代」のパンフレットの碑文の写真で示す。魏は漢からの禅譲に周到な演出をしている、と指摘。
 その次は蜀の正統性の主張。蜀に献帝は暗殺された、と誤った情報が流れたことに触れ、そこから劉備が皇帝になるプロセスの説明。なぜ数多い劉氏の末裔の中で劉備が選ばれたかは予言を利用したという事例がプリントの資料にあげられていた(三国志蜀書先主伝)。この予言というのは劉秀のときの予言(続漢書祭祀志)をお手本にしたことが、わかりやすくプリントの資料に二つの予言が並べられていた。劉秀には関係があるが劉備には関係のない「九世」が予言でそのままコピーしている様がよくわかる。それから天体現象を利用した正統性の主張について。これもお手本があるってことを説明していた(三国志蜀書先主伝と漢書天文志)。

 さて次は講演のメイン(?)となる呉について。まず魏と違って禅譲していず、また蜀と違って劉氏でもない呉はどういう立場だったかって話。三つ選択肢があったって話。1)新しい皇帝、魏の皇帝に忠誠を誓う。2)あくまで漢王朝に忠誠を尽くす。3)自ら皇帝になる。初め呉は1)を選んでいた。しかし一方、2)もあった。その証拠にプリントの資料に長沙呉簡の記述を挙げている。年号が「建安廿七年」(西暦222年)ってなっているってところ。魏が帝位をついで年号をかえたのが西暦220年なので。

・参照記事
http://cte.main.jp/newsch/article.php/232

 このあと孫堅(字、文台)の漢傳國璽の話。ここらへんはプリントの資料にあげていない。孫権が知星者に問うた話を説明(資料のプリント、三国志呉書呉主伝の注に引く魏略)。
 それから西暦229年に孫権が即位した時の正統論の話。告天文の事例(三国志呉書呉主伝の注に引く呉録)をあげている。それを主張する呉のやり方を説明。呉は血統をあげずに符瑞をあれこれあげている。東南の運気(三国志呉書呉主伝の注に引く呉書)、始皇帝巡行時の逸話(宋書符瑞志)、故老の話(三国志呉書張紘伝の注に引く江表伝)。当然、始皇帝の話は史記や漢書には載っていない。
 その次が「黄旗紫蓋」の話。三国志呉書三嗣主伝(孫皓伝)の注に引く江表伝に、丹陽の チョウ玄が司馬徽と劉[广異]の議論に偽って書き加えた話が載っている。司馬徽と劉[广異]の紹介があった後、こういったでっち上げについて解説があった。
 話が孫皓のころにうつり、石刻の説明にうつる。まず時代背景等や孫皓自身についての伝承を説明。それから孫皓の時代の符瑞にふれる。ここらへんは資料のプリントにまとめられている。それから石刻の説明で、禅国山碑について。設置場所とか形とか。「[穴/乏]石(へんせき)」を引き合いに出して、それにまつわる話、孫皓が[穴/乏]石に自分の業績を刻んだエピソード(太平寰宇記巻九六に引かれる「輿地志」)。現在では何が書かれているかわからないそうな。
 話が禅国山碑に戻る。書かれている内容について。「石刻が語る三国時代」のパンフレットに載っている釈文を中心に説明。符瑞がたくさん書かれている。禅国山碑と呉越春秋との共通した記述。「金冊青玉符」と「其書金簡青玉為字」。呉越春秋の作者は後漢の会稽の人、趙煜といわれている。実際は別の人の記述が混ざっていて漢から六朝の民間伝承と史実をごちゃまぜにされていると説明。
 呉の正統論の特徴をまとめた後、晋については午後の発表ということで講演が終わる。

 それで司会の冨谷先生のコメント(力さえあれば碑で正統性を主張しなくてもいいんじゃないかという個人的疑問等)から質問タイムへ。
 呉より後に影響はなかったかって質問→「黄旗紫蓋」は南朝で頻繁に出てくる。泰山以外の封禅に関する質問→泰山以外は例外中の例外、六朝時代に議論される。碑文はどういう層をターゲットにしたかって質問→よくわからない難しいテーマだけど個人的には自己満足な要素が強く宣伝の要素は少ない(宣伝の意味よりその当時の決意が重要)。

※追記 韋昭研究(2011年7月)


○休憩(12:10~13:10)

 いわゆる昼休みの食事休憩。清岡のその様子は少し下の記事で書いた。

・2006年3月11日 プチオフ会 神田編
http://cte.main.jp/newsch/article.php/302




 食事のため会場から出る前に、金 文京先生を見かけた。京都大学人文科学研究所の所長さんだから義務で来ておられていたのかな。
 あと、食事から帰ってきて学士会館の階段をあがってちょうど踊り場で目の前に革ジャン姿の中林史朗先生がいらっしゃって、向こうがこっちのことを知らないのは当然と1フェムト秒ぐらいで理解したんだけどあまりにもビックリしたんで「こんにちわ」と挨拶してしまった。
 会場で席に着くと、去年の三国志シンポジウムのノリを思い出して、素人考えで「変装の上、偵察か!」とか一人色めきたっていたんだけど、後で隼鶻さん情報によると、午後、冨谷先生と名刺交換をされていたとのこと。
 あと渡邉義浩先生らしき方も見かけたような気がする。


 というわけで午後の部に続く。

・午後の部
http://cte.main.jp/newsch/article.php/307

※追記 「三国文化」私観─諸葛孔明をめぐって(2012年2月1日水曜日)

※追記 日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

2006年3月11日 プチオフ会 新宿編


  • 2006年3月15日(水) 18:47 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    14,230
ネット ・前回、プチオフ会 神田編
http://cte.main.jp/newsch/article.php/302

 18時40分ごろまだ神田にいた清岡、呂珪さん、隼鶻さんの三人はとりあえず青木朋さんと合流せんと、携帯で電話してみるもつながらず、とりあえず、次の会場が新宿コマ劇場の近くだと先に伝えていたので、我々三人は新宿へ向かうことに。
 しかし神保町発の電車(都営新宿線)が18:47までないことに気付く(汗)。で、実際、新宿の駅についたのが18:56。プチオフ会の会場は新宿東口からさらに歩いたところなので清岡は内心、かなり焦っていた。ここで青木さんに電話してみると、もう新宿コマ劇場についているとのこと。さらに焦りだし。地上やら地下やら新宿界隈をすたすた歩く。
 そしてようやく新宿コマ劇場についたのが19:10(汗)。一言、新宿コマ劇場といってもいろいろあるらしく、青木さんはどこにいらっしゃるのかと、電話をかけてみる。そうすると、もう会場に着いたとのこと。
 それであわてて会場へ行く。会場は前回のプチオフ会で行きそびれた「異邦人」だ。

・「異邦人」(古代中国個室ダイニング)
http://www.ihohjin.com/
・前回のプチオフ会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/287

※追記 三国志ファン、コア層こわそう

 会場はUSHISUKEさんが予約を入れてくれていて、行ってみると、すでにUSHISUKEさんとKJさんがいらっしゃって、その奧には青木さんが居て、土下座されていた。いや時間に遅れまくった我々が土下座したいぐらいなんですが(汗)
 で、話を聞いてみると、我々が青木さんを探して新宿コマ劇場周辺を彷徨っていたと思っていたそうな。いや、そんなことなく単なる遅刻です(汗)

 さて話戻して「異邦人」の「蘭州」という名の個室。
 近頃の飲み屋は個室がはやっていて、個室といっても単にカーテンで仕切っているだけで、隣の部屋の声が丸聞こえって名ばかりの個室が多いけど、ここはそんなこと全然なく、一歩、足を踏み入れると、隣の部屋の声なんて全然、聞こえない感じ。部屋にカラオケが設置されていて、そこらの部屋では大熱唱のはずなのに全然、聞こえないってことはきっと下手なカラオケ屋より防音設備が良いに違いない。
 それもそのはず、そこはまるで洞窟の横穴のような空間。なんか中華系の変な壁の絵があるし(写真参照)、そしてなんとロフトまである。部屋の中の木の階段を上がると、二人がテーブルを挟んで軽く談話できるところだ。そんなんだから、ホント異世界に連れてこられた感じ。そして自分の部屋のように落ち着ける空間。
 で、メイン会場(?)は一階(?)のテーブルのところ。座布団が引かれている。席の並びは下のような感じ。サイトを持っている人へはリンクを張っている。

出入口

  KJさん 呂珪さん 青木朋さん

   テ  ー  ブ  ル 

USHISUKEさん 隼鶻さん 清岡


 もうコース料理のはじめの品はきているようなので、まず後から来た三人はドリンクを頼む。ドリンクがそろった時点で青木さんの「八卦の空」単行本発売お祝いとあと呂珪さんのお祝いと隼鶻さんの門出を祝って乾杯した。
 なぜか清岡と隼鶻さんはマンゴジュースを注文していたんだけど、はじめの品にピータンが添えられていて、ここで隼鶻さんが大発見をする。ピータンを食べてマンゴジュースを飲むと、口の中で奇妙な味(薬品みたいな?)が広がるとのこと。清岡は隼鶻さんに強くすすめられたけど、さすがに断った(笑) USHISUKEさんたちはチャレンジしていたようだけど(汗)
 結構、良いタイミングでくる料理を食しながら、あれこれおしゃべりする。清岡が最近、お手伝いしている検索サイトの話とか。
 あとサポ板のこと。たまに来る変な質問書き込み(検索かけて他の書き込みを見ずにそのまま書き込んだようなやつ)に、青木さん的表現だと「生暖かく」回答するあたりが他の掲示板になくてとても良いとのこと。確かに言われてみれば独特の雰囲気。他の掲示板だといきなり切り捨てたりされるところもあるらしいからね。そこでそういう質問書き込みをする人にとってあれこれ検討したりして正確性を出すより、もしかすると嘘でも良いんで単純明快な決まった回答があると納得して喜んで帰っていくかもって話をしていた。この間の話じゃないけど、とりあえず回答を元に同好の人たち同士で、知識を披露しあったりサイトで「祭り」の企画をやったりあれこれ盛り上がりたいのかな、と。例えば下記のURLだと特にサポ板の情報が検証されず(もしくはサポ板上で検証した私の書き込みには触れず)そのまま載っているし。
http://musou.s38.xrea.com/test/read.cgi/bbs/1114255029/#412


 それから話の大半をしめたのが、三国志ジャンル論。
 例えば、一言、「三国志」と言っても人によっては吉川三国志を連想するし、コーエー(koei、旧、光栄)のシミュレーションゲームや真・三國無双を想像するだろうし、単なる歴史書を思い浮かべる人もいろいろ居るだろう。はっきり「三国志」と一言いっても人によっていろんな意味があっていろんなジャンルがあると認識している人なら特に議論することはないけど、単に漠然と「三国志」というものを思い浮かべている人たちやゲームならゲームだけしかないと認識している人たちはいっぱいいるはずだ。そういう人たちがいざネットで「三国志」というキーワードを頼りにあれこれ調べたり同好の人を探したりし、ある架空の三国志総合サイトにたどり着く場合の話をしていた。主観はそういった三国志初心者の方じゃなくて、サイト管理人側の方。

 はたして、三国志サイトで歴史なり小説なりゲームなり「三国志」内カテゴリーを分ける必要があるのか

という課題。その場に居た、隼鶻さん以外の人たちは「三国志」ジャンル内のカテゴリーを分けるのが当然と思っていたんで、隼鶻さんの主張は私にとってなかなか興味深い話だった。いや、いきなりこんな込み入った設定の話をしたんじゃなくて、この間のプチオフ会の話の「コア層」の認識が微妙に違っていてその発展系といったところだろう。
 私にとっての「コア層」は一つあるいは複数の「三国志」内カテゴリーに増資が深く、当然、他の「三国志」内カテゴリーのことは詳しくないにせよ、ある程度は認識しているファンを想定している。一方、隼鶻さんはそういうファン以外にも他のカテゴリーのことをまったく知らないでもある一つの「三国志」内カテゴリーに長いこと逗留するファンも含むそうな。例えば「10年、コーエーの三国志のシミュレーションゲームやってます」っていうようなファンも含むそうな。
 隼鶻さんの想定するところは、ゲームファンなり小説ファンなり歴史ファンなりそういったいろんな三国志ファン(コア層でも)が「三国志」という共通することさえあれば、わかりあえるってこと。そういえば去年、オフ会を東京で何度か開いていたときも隼鶻さんは「三国志のオフ会をする」と広く告知さえすればいろんな三国志ファンが集まってくると言っていたなぁ。
 そのため、三国志の総合サイトにカテゴリー分けは要らないってのが隼鶻さんの主張だ。もっというとほとんど三国志のことは何も知らない初心者にわざわざ三国志ジャンルの中を区切って教える必要はないってことだそうな。下手をするとそのサイトの管理人の考えによって初心者である閲覧者が広い三国志ジャンルの中のごく一部、狭い一カテゴリーに押し込まれてしまうおそれがあるって危機感だ。
 これは前々から隼鶻さんが三国志ジャンル全体について疑問に思っていることの流れから来ている考えだ。隼鶻さんが見るに今の三国志ジャンルの中身が区切られていることに違和感を抱いているとのこと。理想としては先にあげたように「三国志」という共通項でいろんな方向性の三国志ファンが集まってくる状態だ。確かにその理想の実現にとって、三国志ジャンルが細分化されている現状は弊害以外の何者でもないのだろう。隼鶻さんにとって三国志ファンは初心者のうちから狭いカテゴリーに押し込められている観があるようだ。
 隼鶻さん自身が馴染みのない別の「三国志」内カテゴリー、スーパー歌舞伎を見に行ったり、同人誌展示即売会に行ったりしたことがあるのは、そういった細分化された現状はおかしいと考えている気持ちの表れなのかなぁ、と清岡は思っている。

 他の人にとっては思いもよらない話だけに真っ先に反論するというより先に隼鶻さんの主張を皆、理解しようとしていた。隼鶻さんにあれこれ質問したり、別の言葉で言い換えてそういう意味であっているか確認したり。
 清岡は総合サイトでカテゴリー分けがされていないと利便性が失われるのではないか、と思っていた。三国志ジャンルみたいに広い分野だとどこをクリックすれば良いかわからなくなるんじゃないか、と。
 青木さんや呂珪さんあたりがおっしゃっていたのが、サイト管理人のようなファン歴の長い人が初心者を狭いカテゴリーに押し込んでいるというより、むしろ初心者が進んで狭いカテゴリーに行っているんじゃないか、ってこと。初心者のうちは全然、方向性の違う三国志ファンと話を合わせようと勉めるより、初心者自身と好みや知識が近いファンたちのところで共感したり盛り上がったりしたんだろう、と。呂珪さんの言葉を借りるなら三国志の知識を広めるよりも今、持っている真・三國無双の太史慈の知識や想いから「子義祭り」をして盛り上がりたい! といったところだろう。これはこの間のプチオフ会の話の初心者の傾向と似通った理屈だ。とコア層が六人もあつまっている場だと、地に足のついた議論ではないかもしれないけど。
 あと、青木さんが示唆していたのが、何も「三国志」内カテゴリーはきっちり三国志ジャンルにおさまっているというわけではない、ってことだ。話に出ていたのが真・三國無双のファンのこと。真・三國無双シリーズのプレイヤーは、例えば真・三國無双4猛将伝にあきると、別の「三国志」内カテゴリーにうつるというよりは、戦国無双2で遊ぶだろうし、それにあきるとファイナルファンタジーXIIであそぶだろうってこと。つまり大半が三国志より先にゲームありきだろうってことだ。たまたま遊んでいるゲームで三国志が題材に使われているという感覚かもしれない(もしかすると題材に三国志が使われていることすら知らないかもしれない)。清岡が思うに、初心者にそれは三国志が題材として使われているのだよ、とそれとなく伝えるにはやっぱりカテゴリー分けが要るのかな、という気がしていた。

 と、こういう話をあれこれしていたら「異邦人」に居れる2時間があっと言う間にすぎた。そのためいそいそと会場をカラオケ店に移す。それにしても「異邦人」はとても居心地が良い店だった。
 カラオケ店でそこからさらに1時間半、同じテーマでおしゃべりして、23時半に解散となった。最後の方で隼鶻さんの壮大な野望を聴いたんだけど、それはここでは割愛。

 特に具体的な話が出たわけじゃないけど、なかなか興味深い話や見解をあれこれ聴けた。隼鶻さんの意見に賛同する人がいなかったので、雰囲気的に隼鶻さん対その他五人といった構図になってしまったけど、また機会があればこのテーマの続き(もちろん壮大な野望込みで)を話したいな、と思った。

2006年3月9日 三国志onlyサークル会誌「KINGDOMS×REVOLUTION」5号発行


  • 2006年3月14日(火) 12:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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二次創作  会報系三国志onlyサークルの名前でありそのサークルの会報の名前でもある「KINGDOMS×REVOLUTION」。その会報の五号が2006年3月9日に発送されたことが永空堂さんのサイト(下記URL)に書かれてあった。ついでに前号の記事も下記にかかげておく。

・ba69me
http://pksp.jp/ba69me/
※ここの→「三国志喫茶へ」→「KXR連絡所(BBS)」

・三国志onlyサークル会誌「KINGDOMS×REVOLUTION」4号発行
http://cte.main.jp/newsch/article.php/183

 11日の朝から12日の夜まで家をあけるんで、こりゃその間にくるな、と思っていたら、案の定。12日の夜でようやく見ることができる。
 今回もB5中綴じコピー本で、今回は20ページ。うち7ページが清岡の原稿。写真のように「三国志重大ニュース2005カウントダウン」ってやつだ。
 毎回、会報には特集のテーマが設定されていて、今回は「新年、1、2、3、ダー!!」。珍しく清岡の原稿はその特集テーマに即していたので目次にそう紹介されていた。まぁ、清岡の原稿はともかく特集にあるイラスト類に注目だ。

 次号、「KINGDOMS×REVOLUTION」6号の原稿締切は2006年5月20日。そして特集のテーマは梅雨に合わせてか、「雨、あるいは   」ってこと。
 サークルおよび会報へ興味ある方は上記、サイト「ba69me」(携帯電話対応)の「三国志喫茶」へGo!

 あと、ついでに「KINGDOMS×REVOLUTION」代表の永空堂さんがサイト「英傑群像」(下記URL)で2006年2月22日に「永空堂の徒然ボンド草」というタイトルの日記をスタートさせた。
 前々から「英傑群像」のブログで永空堂さんの名前があったんで、何か書かれるのかな、と思っていたけど、結局、独立したコンテンツになったんだね。

・三国志グッズ総合オンラインショップ「英傑群像」
http://www.chugen.net/

2006年3月11日 プチオフ会 神田編


  • 2006年3月13日(月) 18:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  2006年3月11日に「TOKYO漢籍SEMINAR」に聴講しに行ってきた。

・TOKYO漢籍SEMINAR(別サイト)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2177

 それでこういう場合、せっかく東京に来たもんだから普段、ネット上でコミュニケーションをとっている人々と実際に会ってみようという企画をそれとなく「三国志ファンのためのサポート掲示板」で立ててみる。いわゆるオフ会。

・イベントあわせのプチオフ会提案(別サイト)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2240

<追記>
・2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」午前レポ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/305
<追記終わり>

 で、こういう場合、セミナーかオフ会かどちらからレポートを書くか、迷うところなんだけど、まずは手元に資料がなくてもある程度、書けるプチオフ会からいってみよう。神田編から。


 「TOKYO漢籍SEMINAR」のお昼休みに居合わせた知り合いのメンバーは清岡呂珪さん青木朋さん。青木さんとお会いしたのは三国志シンポジウム後のプチオフ会以来なんだけど、向こうがこちらに気付いてくれたのでスムーズに会うことができる。というか花粉の季節なので、青木さん大きいマスクをしていて、こちらからははじめ全然、誰だかわからなかった。ついでに書くとかわいい帽子をかぶられていたんだけど、その大きいマスクのせいでその帽子のかわいさが殺されて、不審人物まっしぐらな感じだった(失礼)。いや後ろ姿はとてもキュートでしたよ、新宿のマクドの階段を上がるお姿とか(フォロー)。
 ちなみに呂珪さんは専門寄りの人なのでビシッとスーツ姿。清岡は専門でも何でもないのにネタで「司馬懿くんの事件簿」(下記URL参照)の司馬懿くんコスプレと称してのスーツ姿(笑)。いやノートPCはいつも持っているけど、さすがにタバコは用意しなかったなぁ。
(※というようなことを書いていたらすでに青木さんの日記で「今日のヒット」として紹介されていた・笑 下記URL参照)

・青木朋さんのサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
※ここで「司馬懿くんの事件簿」が読める。

・ブログ「青青日記」内『TOKYO 漢籍 SEMINAR』
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=167476

 清岡と呂珪さんは関西在住で、青木さんは小学館が近いこと(清岡が連想するに「サンデーGX」)から馴染みのある土地だということで、青木さんにお任せし、ついたところは中華粥と中華麺のお店。1時間の昼休みに軽く美味しく食べるにはちょうど良い感じのお店だ。
 清岡はやっぱりまだ読み切っていない「漢代の文物」を持ってきており(ホント、これだけ長い間、借りているんだったら買おうかな…)、食事の前後で「漢代の文物」を広げて青木さんと文物トークに花を咲かせていた(内輪ネタでいうところの畫像好き好きサークル「梁はいくつだ?!」のサークル活動)。そっち方面に興味のない呂珪さんを完全においてけぼりにしてしまった(汗) 内容は後漢の進賢冠の構造の話で、梁が直接頭の髪の上に乗っていて、屋のない[巾責]はそれを取り囲むようにしているとか、袍の上下は一枚つながり?とか。


 16時過ぎに「TOKYO漢籍SEMINAR」が終わる。
 で、もうすっかり顔なじみになった隼鶻さんと合流し、予告通り、神田神保町へ繰り出すことに。

・「本の町」神田神保町オフィシャルサイト
http://jimbou.info/

 まず青木さんが行きたいと書き込まれていた内山書店へ。

・内山書店
http://www11.ocn.ne.jp/~ubook/

 そこで皆、あれこれ物色する。青木さんがおもむろに読んでいたのは簡体字の本(つまり中国の本)。どうも俑やら画像石やら出土品に出てくる中国古代の服飾を実際につくって着てみよう、てなコンセプトの本らしい。兵馬俑とかの服も着込むのになぜかモデルはどれも女性。服飾が前漢の馬王堆漢墓から六朝へ急に飛ぶんで、買わなかったけど、コンセプト自体、とても面白い本だ。
 清岡はミーハー心を発揮し、「TOKYO漢籍SEMINAR」の司会をやっていた冨谷至先生の「古代中国の刑罰 髑髏が語るもの」(中央公論社の新書)を購入する。いや経験上、「中国古代」じゃなくて「古代中国」と銘打たれている書物は敬遠していたもので。
 ちなみに譚其驤/主編「中国歴史地図集」の第二冊(秦・西漢・東漢時期)、第三冊(三国・西晋時期)だけがおいてなかった。人気で在庫切れってことか。さすがは三国志関連。

 その次は隼鶻さんのガイドにより古書店の方へ行く。「一誠堂書店」。

・一誠堂書店
http://www.isseido-books.co.jp

 東洋史の本棚であれこれしゃべるだけ(汗)の我々に対しても丁寧に応じてくれる店員が印象的だった。ここで渡邉義浩先生/著「三國政権の構造と『名士』」を発見! 値段は9500円。500円しか安くなっていないところは流石。ちなみに呂珪さんは六朝関連の研究本に心惹かれていたようだったけど、値段を見ておずおずと棚に本を戻していた。

 その次は大阪でもおなじみの「東方書店」。新書の店だ。

・東方書店
http://www.toho-shoten.co.jp/

※追記 メモ:東方書店(2014年3月8日)

 ここで隼鶻さんは歴史群像シリーズ83「演義三国志」を購入されていた。何でも隼鶻さんにとって歴史群像シリーズの三国志関連本で三国志が好きになったとかで。あと、この時、確認できたこと。噂で聞いていたんだけど、「演義三国志」で渡邉義浩先生がいくつか寄稿されている。ファンの方は要チェック。
 あとは青木さんの中国古代の画像本探しのところでたむろする。やっぱり簡体字系の本は奧が深い。家具の歴史の本か何かで、馴染みのある画像の他、今まで見たことない画像がちらほらあった。の上で枕に頭を乗せて眠る男性の画像とか。じっくり見てなかったのでそれがどこから出土した画像なのかチェックしてなかった。
 後できいた話だけど、青木さんはここで漆器のカラー挿画がたくさん載った本(主に模様中心)をご購入されたそうな。その本を元にイラストを1枚描けば元が取れる、と力強いことをおっしゃっていた。すごい、というかうらやましい(笑)

 ここでまだまだ画像関連の本を漁る青木さんと他の三人は別行動をとることに。清岡は居残って青木さんと文物トークを繰り広げようという気持ちが強くあったけど、折角、初めて神田神保町に来たんだから、見聞を広めようという気持ちも強くあって、結局、東方書店から離れることになる。

 清岡、呂珪さん、隼鶻さんの三人はまず適当な喫茶店に入って、作戦会議……というか歩き疲れたので小休止。
 とりあえず東洋史系の本を求め歩くことになる。清岡の目当てはズバリ「漢代の文物」。テンション高めだったので多少高くても買ってしまいそうな勢い。というわけで隼鶻さん情報からまず神田古書センター1階にある高山本店で

・高山本店
http://takayama.jimbou.net/

 だけど昔あったらしい東洋史関連の本棚は見つけられず、しばらくあれこれ見て撤退。
 その次が南海堂書店。東洋史の棚がバッチリある。確かここには原田淑人/著「漢六朝の服飾」や「劇場都市 古代中国の世界像」があったような。

 それで次の約束の時間が来たので神田神保町から離れることに。それに18時半だとほとんどの店がしまっているしね。

 そういえば道中、隼鶻さんがたびたびおっしゃっていたのは「日本の古本屋」というサイトで神田神保町の古本屋ほとんどの古本の在庫情報を調べることができるってこと。後日、ネットで調べてみる。

・日本の古本屋
http://www.kosho.or.jp/

 そうすると「漢代の文物」が何件かばっちり出ていた。先にここで調べていた方がよかったなぁ。

 というわけで新宿編へ続く。以下のURLへどぞ。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/304

2006年3月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ4月号)


  • 2006年3月 8日(水) 18:11 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  月刊のミステリーボニータに連載中の「八卦の空」の記事。私の知っている範囲でそれまで一話完結(読み切り)だった漫画が、前号からの続きものだ。
 前号を見逃した人は下記記事参照。我ながら、参考になるのかな? って感じだけど。

・2006年2月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ3月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/284

 いつものように関連サイトを以下にあげとく。

・秋田書店のサイト
http://www.akitashoten.co.jp/
※ページの下の方にミステリーボニータのページへのリンクあり

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
※サイトでしか見れない三国志漫画アリ。

・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/



 というわけで以下、ネタバレあり(というか今回はあらすじ中心なのでホントにネタバレ)。


 今回の表紙前の冒頭は巫炎(前回の「謎の女性」)がまさに復讐をとげようと、僵屍(わかりやすく言い換えるとキョンシーとのこと)をあやつっているシーンだ。

 そして表紙。表紙に前回までのあらすじ、そして単行本が通常の1.5倍の厚さであることを告知してあるので、いつもより文字が多めの表紙。おぉ、1.5倍かぁ。読み応えありそう。
 で、物語は前回とは別の僵屍が現れ、皇族のひとりに復讐しようと未遂に終わったってことが英青ちゃんを通じて、管ちゃん&玄龍くんの元へ届けられるってところから始まる。また僵屍(女性)が皇族のひとり(男性)に復讐するのを阻止するってのが今回のメインのストーリー。もちろん前回からの巫炎姉妹の話が絡んでくる…その僵屍自体、巫炎が裏で操っているからね。
 ところではじめの方で玄龍くんに管ちゃんが「房中術」の説明をしていてその由来のところに触れるときに妙に管ちゃんが照れているところがかわいいんだけど(笑)

 僵屍が復讐するのは巫炎が操っているってだけじゃなくそれなりの訳がある。それは皇族のひとりから作中で語られるんだけど、昔にその皇族のひとりが出陣したとき、現地の女性に過ちをおかしてしまったってこと。それを苦に女性は井戸へ身を投げ自殺してしまい、僵屍として現れたってことだ。
 青木朋先生の日記によると三国志っぽい絵があるって話だけど、ここらへんの戦の絵かな。

・ブログ「青青日記」内『「ミステリーボニータ」4月号に「八卦の空」』
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=157269

 それでその皇族のひとりに謝ってもらうことで僵屍の恨みを鎮めるようという管ちゃんの作戦。裏で操る巫炎の強烈な「陰」により管ちゃんの作戦がうまく行くかどうか緊迫した状況。それでいよいよ作戦のクライマックス。奧から、皇族のひとりが出てきてもらうって段取りで、

なんと彼は逃げていた(汗)

 僵屍の恨みを逆撫でしてしまい、僵屍の冷気攻撃(「陰」の力)に管ちゃん絶体絶命のピンチ!
 ところがそこに巨大な龍が登場。龍は「陽」の象徴とのことだ。
 そして龍と共に颯爽とやってきたのは東方朔仙師。「陰」の中の強烈な「陽」(雷)で管ちゃんのピンチを救う。僵屍は雷で黒こげになる。ドラマチックですごくワクワクな展開。

 あぁ、なんか私の説明だとかなりチープになっちゃうけど(汗)、面白いねぇ。今回の話は次号へ持ち越し。次号、いよいよ巫炎姉妹の正体、それから東方朔仙師との関係が明らかになりそう。
 なにより次回は「大人気カラー」ってことでカラーな「八卦の空」、これまた楽しみなのだ。

 単行本発売に向けての強烈キャンペーンだね。

・2006年4月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ5月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/316

三国志サイトの寿命に関するメモ


  • 2006年3月 8日(水) 18:01 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  縁あってとある検索サイトのお手伝いをする機会ができた。その検索サイトはロボット検索じゃなくて登録型の検索エンジン。主な検索対象は特定のジャンルの個人サイトだ。
 個人サイトの管理人が検索サイトへ登録するとき、その個人サイトはある程度の審査を受け、審査が通った後は、検索サイトのリストにその個人サイトのリンクが登録されるって仕組みだ。その登録は検索サイトが管理していくことになる。もし登録された個人サイトがサイトを消す(いわゆる閉鎖)場合、登録の削除申請ができるようになっているが、どうもあまり利用されていないらしい。まあ、私自身、個人サイトの管理人だから、一度、検索サイトへ登録し、個人サイトを消すころには、登録したことなんて忘れている、もしくは気が回らないってことは理解できる。そんなんだから、検索サイトには登録があるものの、もうすでに消え去っているサイトはいくつもあるのだ。いわゆる「リンク切れ」した状態だ。
 私がお手伝いをする以前、そういった「リンク切れ」した個人サイトがその検索サイトにたくさん登録されているということを耳にしていた。そのため、ある程度、お手伝いの余力ができたので、自主的にそういった個人サイトの登録を削除しはじめた。
 とりあえず今まで登録されている1500サイトほどを見てきたが、風聞通り、リンク切れしている個人サイトがたくさんあった。私自身はその検索サイトが扱うジャンルの外にいる人で、その検索サイトは利用したことないんだけど、割合的に「リンク切れ」が多いことを体感できるほどだと思った。

 まぁ、一言にリンク切れといってもいろんなパターンがあってそれを思いつく限り以下に列挙すると、

・サイト自体にアクセスできない。グーグルのキャッシュにもない。
・サイト自体にアクセスすると、サーバーが用意した「not found」のページにうつる。
・サイトには閉鎖もしくは休止したという文章が掲げられているが、コンテンツ自体は従来通り
・サイトには閉鎖もしくは休止したという文章が掲げられていて、従来のコンテンツ自体は削除で、ブログ・日記の類が残っている。
・サイトには閉鎖もしくは休止したという文章が掲げられていて、コンテンツはすべて消去。
・サイトに移転先が明記されていて、移転先に従来通りのコンテンツがある。
・サイトに移転先が明記されていて、移転先にコンテンツがない、もしくはサイト自体がない。
・サイトに移転先が明記されていて、移転先のコンテンツが少なくなっている。
・サイトには閉鎖もしくは休止したという文章が掲げられていて、同じ管理人による別のジャンルのサイトへのリンクが掲げられている。


 登録削除にする基準はズバリそのジャンルのコンテンツが見ることができるか否か。コンテンツが見られれば、削除せず見られなければ削除。そのため、閉鎖宣言していてコンテンツが見られれば削除せず、移転先でコンテンツが見られれば削除しないといった感じだ。

 閉鎖もしくは休止したという文章には理由が書かれていることが多く、それでどういったことで閉鎖になったのか数多く目にしてきた。それら理由で多く目にしたもの、二つあげてみると

・高校受験もしくは大学受験のため。
・就職活動もしくは就職による忙しさのため。

 共に時間的制約によるもの。同じ時間的制約といえば、別ジャンルで見られるのが

・出産のため、もしくは産後、育児のため。

というものも考えられる。意外なことに、閉鎖した理由として「荒らされた」だの「さらされた」だのと書いてあるのは2件しかなかった。まぁ、実際にそうなってわざわざネットに書くかどうかは考察の余地があるんだけど。

 前者二つの理由に関係することだけど、オフ会でたまに話題になるのが、三国志ジャンルの個人サイトの寿命ってことだ。これは多分、三国志サイトに限ったことではないんだろう。もちろん想像の域は出なさそうだけど。

 曰く、中学もしくは高校に入って、新しいことを始めようと個人サイトを開設し、三年生で受験シーズンを迎え時間がとれなくなりサイトを閉鎖するため、その場合、個人サイトの寿命は二年。
 曰く、大学に入って、個人サイトを新しいことを始めようと個人サイトを開設し、四年生の就職活動シーズンを迎え時間がとれなくなりサイトを閉鎖するため、その場合、個人サイトの寿命は三年。
 曰く、長期休業、主に夏休みに入って、新しいことを始めようと個人サイトを開設し、別のことに興味がうつってしまいサイトを閉鎖するため、その場合、個人サイトの寿命は長くて一ヶ月。

 ここで疑問を持ってしまうのが、一旦、閉鎖してしまうと、また三国志サイトを立ち上げることはないのか? ってこと。もしかすると一旦、三国志ジャンルから離れてしまうと特に高校入学、大学入学など新生活を始めることも相まってか、興味の対象が三国志ジャンル以外のことに向いてしまったり、時間的制約で三国志ジャンル関連の優先順位が下がったりするのかな。
 まぁ、一旦、ジャンルから離れちゃうとまた戻ろうとしても醒めちゃうっていて、以前のような情熱がわいてこないのかもしれない(下世話な例えだと飲み屋の宴会で、途中でトイレに行って戻ってくるとテンションがなかなか合わせられないとか)。なので、そういうファンが戻るのをうまく迎え入れられると(飲み屋でトイレから帰ってきた人におしぼりを渡すような)、三国志サイトの寿命が延びたり、サイトが復活したりするってことなんだろうか。

 というようなことを大阪駅の旅立ちの鐘近くで待ち時間、サイト登録削除の作業を進めながら思っていたのだった。

<5月2日追記>

ARTIFACT@ハテナ系が

【思いて学ばざれば】から参照されてる。

※以下、蛇足
アクセスログで三国志ニュースが参照されているの知って、そのページ自体とページ内のリンク先がとても興味深くてこちらでも紹介したかったんだけど、追記することでループは閉じて(そうなのかな??)、まずは一安心。

<6月9日追記>
オフ会で話していた話題がサイト「中華庭園」のweblogで触れられていたのでご紹介。

・サイト「中華庭園」
http://chinesegarden.jp/
・Flashが隆盛しない理由
http://blog.livedoor.jp/silverpsychommunity/archives/50444927.html

2006年3月 歴史群像シリーズ83「演義三国志」


  • 2006年3月 7日(火) 12:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ムック 前々から出るのは知っていたんだけど、公式サイトの方にも情報がアップされているね。

・歴史群像オフィシャルホームページ
http://www.gakken.co.jp/rekigun/
※ここの「歴史群像シリーズ」のところの「新刊情報」もしくは「歴史群像シリーズ」のところに情報あり

2006年3月
歴史群像シリーズ83
「演義三国志 智略冴え猛将奔る群雄絵巻」
定価: 1,575円
学習研究社
ISBN:405604273X

内容
「図解・演義計略」、「史劇・三国志合戦」、「図解・演義計略」、「図解・演義アイテム」、「三国志演義人物伝」、「新たな演義の世界」

古い歴史寄りの三国志ファンだったらおなじみの歴史群像シリーズの三国志ものの最新刊ってわけだ。これが発売されるってきいて何やら違和感があったんだけど、今、わかった。「歴史群像シリーズ」と銘打っているのに、タイトルを見ると歴史じゃなく文学についての本ってこと。といっても私はジョージ真壁さん程の明確さはないもものそれに気付かなかった自分に驚いた。
それにしても正史やら演義やら言うのは前時代的かと思っていたけど(それをいうなら歴史と文学か、もしくは三国志と三国演義だろと)、まだまだ現役の言葉のようだね。
まだ読んでいないから何とも言えないけど、中身は三国演義の歴史(というか変遷)みたいな感じで、三国演義の葉逢春本の話とか資治通鑑の影響の話とか書いてあるんだろうか。

2006年5月4日&8月14日 三国志城イベント「三顧会」開催決定


  • 2006年3月 4日(土) 22:29 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所  ちょうどモスで期間限定のモスライスバーガー「カツカレー」を食べているとき。ノートPCを広げつつ「漢代の文物」のキリの良いところまで読もうとしていたとき、ノートPCのモニターからニュースが見えた。三国志ピープルから。英傑群像のブログの記事「三国志城博物館イベント5/4開催決定!」だ。おぉ、今年も三顧会、やるのか、楽しみだなぁ、と思いつつ、三国志城のサイトへアクセスした。

・三国志城
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/
・英傑群像
http://www.chugen.net/
・英傑群像ブログの記事「三国志城博物館イベント三顧会5/4開催決定!」
http://sangokushi.chugen.net/?eid=462228

 そうするとバッチリ情報が載っていた(3月4日にアップされたとのこと)。2006年5月4日(祝)、8月14日(月)に開催するとのこと。それぞれ数えて第四回と第五回ってことになる。
 5月4日の分はプログラムも載っている。挨拶と自己紹介から始まり、「中国酒盃を作ろう」、昼食、「三国志ビンゴ大会」、「三国志トランプ大会」の流れだ。
 一応、前回までの三顧会レポへのリンクをあげとく


・第一回三顧会の様子(個人サイトの日記、2004年8月15日)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w040815.html

・第二回三顧会の様子(2005年5月4日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/115

・第三回三顧会の様子(2005年8月14日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/156


 「中国酒盃を作ろう」は第二回三顧会の「三国志を陶器にしよう」の第二弾ってことだ。陶器をつくってみると意外と楽しかったからねぇ。私は第二回三顧会のときは陶器に、収がない[巾責]をかぶった孫堅の絵を描いたんだけど、今回は酒盃ということで[木否]をつくろう、耳の付いた平べったい杯。と、偶然にも「漢代の文物」で今、ちょうど「五 什器」の[木否]のところを読んでいたからだけなんだけどね。[木否]は漆器だし陶器、しかも素人の手でどこまで形が再現できるかは自明なんだけど(汗)

・三顧会ダイジェスト1「三国志を陶器にしよう」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/115

 「三国志ビンゴ大会」はやりそうで今までの三顧会でやってなかったもの。単純に数字を埋めていくのか、はたまた升目に三国志の人物名を入れていって、それを埋めていくのか気になるところだけど、三国志、と銘打たれているから、おそらく後者だろう。三国志初心者にも取っつきのいいようにあらかじめ主催者側が何人か人物名をピックアップしていて選択式みたいのだったらいいんだろうね。ちなみに今はなき同人誌展示即売会(歴史ジャンルオンリー)「歴史に名を刻め」はその形式だったなぁ。

・「歴史に名を刻め、完!」(他サイト)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w0212101124.html

 「三国志トランプ大会」は第二回、第三回三顧会と好評だったやつだろう。創作神経衰弱。人物の書かれたカードを裏返しにしてばらまき、そこから神経衰弱のように二枚、表に返し、その二人の人物同士の関係(主従とか戦ったことがあるとか)を説明できたら、カードを手元に置くが出来るってルールだ。

・三顧会ダイジェスト3「英傑群像企画イベント」(三国志城イベント)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/117
・第三回三顧会ダイジェスト5「英傑群像イベント<三国志トランプ大会>」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/162

 さてイベントがどんなんだか今から楽しみ。そういや今回もコスプレあるのかな??

・第三回三顧会ダイジェストα「随時開催」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/158

三検索サイトで「“3分で終わる”アンケート」実施中


  • 2006年3月 4日(土) 19:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット ・2006年2月26日 三検索サイト移転
http://cte.main.jp/newsch/article.php/296

 上記の記事の続き。
 移転した三国志連環、三國志サーチ、真・無双検索だけど(下記のリンク)それぞれのサイトで2006年3月3日、4日に「運営引継ぎのお知らせ」が掲げられた。それらお知らせには「“3分で終わる”アンケート」という文字にリンクが張ってあってクリックすると3サイト共通の「三国志WEBサイト閲覧状況調査」というページに移る。「今後、より良いサイトにしていくため、皆様のご意見を是非お聞かせください。」ってことだけど、アンケート集計結果は公表されるんだろうか。質問内容が個人的に興味あることなので(問3あたり)、知りたいなぁ。

・三国志連環
http://sangoku.lib.net/renkan/
・三國志サーチ
http://sangoku.lib.net/sansearch/
・真・無双検索
http://sangokumuso.lib.net/

2006年2月26日 三検索サイト移転


  • 2006年2月26日(日) 02:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット NIGHTMARE.TOによると、三国志連環、三國志サーチ、真・無双検索の三つのサイトが2006年2月26日1時頃にデータの引き継ぎが完了したとのこと。ブックマークやリンクのご変更はお早い目に。それぞれのリンク先は次に並べとく。

・NIGHTMARE.TO
http://www.nightmare.to/

・三国志連環
http://sangoku.lib.net/renkan/

・三國志サーチ
http://sangoku.lib.net/sansearch/

・真・無双検索
http://sangokumuso.lib.net/

<関連ニュース>
・2006年2月末 www.nightmare.to(三國志サーチ等)停止
http://cte.main.jp/newsch/article.php/282

三国志大戦2の制作中の話


  • 2006年2月25日(土) 13:41 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム

・三国志大戦公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/

上記公式サイトによると、2006年2月18日土曜日に千葉県千葉市の幕張メッセで開催された(一般公開された)「AOU2006アミューズメント・エキスポ」の「三国志大戦2」の制作が発表されたとのこと。上記公式サイトだと稼働時期はまだ「未定」になっており、中身もサイトではわからない。ロゴで「2」が龍になっているのが格好いいねぇ。

・Ver.1.12
http://cte.main.jp/newsch/article.php/285


<さらに追記>
・2006年5月24日 三国志大戦2稼働&公式サイトリニューアル
http://cte.main.jp/newsch/article.php/343

<追記>
三国志ピープル経由で知ったんですが、
三国志大戦2の稼動は2006年5月24日(水)なんですか?
詳しくは下記リンク先へ。

・三国志ブログ英傑群像通信内記事「三国志大戦2の稼動日決定!」
http://sangokushi.chugen.net/?eid=501247
 

三国志大戦関連のサイト検索


  • 2006年2月24日(金) 21:57 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    1,180
ネット  三国志大戦が正式に稼働してもう一年近くたつんだけど、すっかり確固たるプレイヤーを確保している感がある。
 だったらネット上に個人サイト(あるいはブログ)はもういっぱいできてんだろうな、と思っていたら、やっぱりいっぱいあった。
 それでそういったサイトをさがす三国志大戦専用の検索サイトがあるようだ。以下の二つ。

・三国志大戦リンク集
http://homepage3.nifty.com/taekoko/taisen/

・大戦検索
http://359.x0.com/
※カードごとに検索できるのが面白い

三国志関連同人誌即売会リンク集2006.2.


  • 2006年2月24日(金) 12:05 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    3,091
二次創作  これから先に開催される三国志関連の同人誌即売会(イベント)で2006年2月現在、わかっているものをまとめてみました。結構、ありますね。しかし、まったくの第三者の立場だからわからないですけど、「姜維争奪戦!」がそのサイトによると「あまりのキャラを嫌うゆえの暴言やねたみまがいのメール」によりサイトが閉鎖になったとのこと(イベントは不明)。世の中には心ない人がいるものですね。


○S☆S☆B
内容:三国無双・戦国無双・戦国BASARAオンリーイベント
日付:2006年3月19日(日)
会場:福岡県 福岡全労済モルティ天神ビル9F大ホール
SP数:直参70sp 委託30sp
備考:コスプレ登録のみ200円 カメラ登録のみ100円 コスプレ・カメラ登録200円
URL:http://ssb-web.hp.infoseek.co.jp/
バナー:http://ssb-web.hp.infoseek.co.jp/bn1.gif ※直リンク推奨

○戦さ人(「もののふ」と読む)
内容:真・三國無双、三国志大戦、蒼天航路、戦国無双、戦国BASARA等の三国・戦国時代がモチーフとなる作品の同人誌即売会および交流会
日付:2006年4月16日(日)
会場:福岡県 福岡交通センタービル8階Aホール
SP数:直参60sp 委託20sp
備考:コスプレ(事前登録):30名/200円、コスプレ(当日参加):∞名/300円
URL:http://marisan.whitesnow.jp/3591059/
バナー:http://marisan.whitesnow.jp/3591059/i/bn.gif ※直リンクでお願いします

○サンケット
内容:三国志関連オンリー同人誌即売会
日付:2006年5月5日(祝)
会場:東京都 都立産業貿易センター浜松町館5F
SP数:直参100sp
備考:じゃんけん大会など企画あり
URL:http://www.geocities.jp/sanket_sangokusi/
バナー:※バナーに直リンク不可。

○鳳凰飛翔
内容:真三國無双シリーズ魏軍オンリーイベント
日付:2006年6月11日(日)
会場:北海道 札幌市民会館5号・6号会議室
SP数:直参60sp・委託20sp
備考:コスプレコンテスト・ビンゴ大会・イラストコンテストあり コスプレ事前登録 開催記念アンソロジーあり
URL:http://wei6.easter.ne.jp/
バナー:http://wei6.easter.ne.jp/bana.jpg ※バナーは直リンクでお願いします。

○交地ニハ絶ツコトナカレ六
内容:三国無双中心三国志オンリー同人誌即売会第六弾
日付:2006年6月18日(日)
会場:東京都 大田区産業プラザPio
SP数:直参200sp 委託100c
備考:スタジオYOU主催
URL:http://www.youyou.co.jp/only/musou/
バナー:http://www.youyou.co.jp/only/musou/bn.gif ※直リンク推奨

○三國祭
内容:真・三國無双オンリーイベント
日付:2006年7月9日(日)
会場:東京都 都立産業貿易センター台東館5階南側
SP数:直参100sp 委託20sp
備考:コスプレ(当日登録制) 一人、300円
URL:http://zero-plan.com/sangoku/
バナー:http://zero-plan.com/sangoku/bana.gif ※直リンク推奨

○血たぎり祭り3
内容:真三國無双シリーズオンリーイベント
日付:2006年9月10日(日)
会場:北海道 札幌市民会館5号・6号会議室
SP数:直接60スペース
備考:同時開催企画、コスプレコンテスト・ビンゴ大会・イラストコンテスト
URL:http://ms103.fc2web.com/zueee/
バナー:http://ms103.fc2web.com/zueee/bana.jpg ※直リンクでお願いします

○pepperoni quattro
内容:真・三國無双シリーズ 孫呉カルテット(陸遜・呂蒙・甘寧・凌統)オンリーイベント
日付:2006年9月24日(日)
会場:大阪府 味覚糖UHA館 7F 東会場
SP数:直参60sp 委託10sp
備考:コスプレ可
URL:http://escapade.schoolbus.jp/pq/
バナー:http://escapade.schoolbus.jp/pq/bn.gif (直リンク推奨)

<追記>
○魏勇伝
内容:真・三國無双シリーズ 魏軍関連 同人誌即売会
日付:2006年9月17日(日)
会場:東京都 都立産業貿易センター(都産貿)台東館 7F 北
SP数:直参80sp 委託20sp
備考:コスプレ参加50名(事前登録)
URL:http://6ca.sakura.ne.jp/gi-yuden/
バナー:http://6ca.sakura.ne.jp/gi-yuden/img/banner/giyuden01.gif (直リンク指定)
※三国志ニュースは同人カテゴリもある立派な同人サイトってことで。

<2007年10月14日追記>

<次回>魏勇伝・弐(2008年9月21日東京)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/712

<追記>
・2006年9月10日 英傑号令(三国志大戦オンリーイベント)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/308

2006年2月16日 三國無双NAVI


  • 2006年2月22日(水) 18:27 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,783
ネット  一時期、真・無双検索や三國志サーチなどの存続が危ぶまれたんだけど、今月19日に引き継ぎ先が決まって、まずは続行と言うことで一安心。

・2006年2月末 www.nightmare.to(三國志サーチ等)停止
http://cte.main.jp/newsch/article.php/282

 で、他にも真・三國無双関連サイトの総合検索がないのかな、と思ったら最近できたみたい。そこの新着サイトを辿ると今月16日開設だそうな。それが以下の「三國無双NAVI」。

・三國無双NAVI
http://smnavi.sakura.ne.jp/

※追記 三國無双NAVI閉鎖(2010年4月18日)

(中国情報局の記事)2006年9月映画「赤壁之戦」撮影開始


  • 2006年2月22日(水) 07:15 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    1,911
新聞  サイト「三国検索」のブログ「三国志サプリメント」経由で中国情報局で知ったんだけど、以前から話題になっている香港の呉宇森(ジョン・ウー)監督の映画「赤壁之戦」(The War of The Red Cliff)が2006年9月からクランクイン(撮影開始)されるとのこと。

・中国情報局
http://searchina.ne.jp/
※リンク規定をみると、トップページ以外のページには連絡しないといけないんで、例のごとくトップページだけはっときます
 上記サイトの検索フォームで「三国演義」(ニュースのところ)って入力して検索してください。

・三国志ニュースの記事 三国志映画 『The War of The Red Cliff』
http://cte.main.jp/newsch/article.php/16

 それで中国情報局の記事のメインは「大喬」と「小喬」役に張静初(チャン・ジンチュー)と林志玲(リン・チーリン)に出演のオファー? ってことだ。この両名を知らない人でも写真があってわかりやすい。これが実現するとまさに美人姉妹!
 あと記事には劉備が周潤発(チョウ・ユンファ)、諸葛亮が梁朝偉(トニー・レオン)、曹操が渡辺謙って書いてあるけど、これで決定??

2006年2月19日「長江の流れは緩やかに見えて」観劇


  • 2006年2月21日(火) 21:22 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ショー  孫堅の若かりし頃を描いた舞台池袋シアターグリーン(東京都)で2006年2月15日から19日までの間の一日二回公演のペースで上演された。その中で19日13時の分を観劇してきた。ところでいつの間にタイトルが「三国志外伝」から「三国志列伝」に変わったんだろ。

・三国志プロジェクト
http://www.geocities.jp/sangokushiproject/
※「舞台写真up予定」ということなのでこれからも要チェックなサイト

ミクシィ内三国志プロジェクトのコミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=506185

 前説が20分ほどあるということをあらかじめ知っていたので、12時ぐらい到着でのほほんと待っておこうと思ったら、開場が12時半ということで、近くのコンビニ前の道の反対側の石段に腰を下ろし、サポ板に三国演義の葉逢春本の記事と通俗三国志の記事を書いていた。そんなことをしていたら後ろからげんりゅうさんに発見されたんだけどね。
 で、12時半前に開場に向かうと、もういっぱい人が待っていて、その中で、明らかに現代日本人の格好をしていない人が客引きをやっていた。それが右の写真。中で役者さんの写真をとれそうにないんで、一言ことわって写真におさめる。ちなみにこの人は劇中、皇帝を自称した許昌の両側に立つ近衛兵(?)の一人だったり、この写真と違う格好で許昌軍と戦う官軍の一兵卒を演じていた。

 USHISUKEさんとは会場の外で会って、KJさんとは会場の中で会った。お三方とは別々にチケットを購入したんで、席は別のところ。同じ前から二列目(B列)なんだけど、清岡は向かって左の方で、お三方はど真ん中のところだ。観客席は急勾配なんでどこからでもしっかり観劇できる良い感じ。

 会場入りしてすぐまず前説(説明コーナー)。「三国志とは何?」って説明からはじまって三国志初心者にもとてもわかりやすく、劇中で北の役人の仁、珪、良を演じていたお三人が説明していた。その話の流れでネットで今回の舞台のことが書かれているってことで、むじんさんや私の書き込みが音読され紹介されたのはなんか妙な気恥ずかしい感じだった。あ、個人的にはウェルカム。でも実は他の公演の前説ではなかったことかもね(ここらへん他の時間帯の公演を見た人の話求む)。えーとどこの書き込みかというと以下の二つの記事から。むじんさんのはDVD化してほしいとか書いてあったので、下の方かな? それとも別のソース?

・思いて学ばざれば
http://d.hatena.ne.jp/mujin/
・「朱儁も出てくるお芝居」のコメント欄
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20060128/p3#c


 「かっこわらい」までも音読された清岡の書き込みは以下の二つ。名前は公表されていなかったので、まるで別人の書き込みみたいだけど。


昨日、朱儁がでてくるってきいて浮かれちゃって思わずローソンでチケットかっちゃいました♪
私のところだと、交通費の方がどうやっても数倍かかってしまうんですけど(笑)

個人的には孫羌、孫堅、孫静、孫堅妹、呉夫人、呉景が織りなすコメディが好みなんですが(笑)、あの煽り文句からいくと活劇のような気がしますしどうなんでしょうね。


 で、「交通費が3倍としても」と具体的な数字でわかりやすく解説されました。あと二つ目の音読をきっかけにうまくお芝居の内容の紹介へとつなげてました。結果的にこの中で呉景は出なかったけど、それ以外、全員、出て、基本、活劇の中、たまにはコメディで正解ってことで。あと「もしかして今回、来られているかもしれませんね」と前説の人が言っていたのでもしかして狙っていたのかな?

 さて、今回、見に行けなかった人のためにストーリーの結末も含め詳細にレポを書こうとしてたんだけど、DVDが4月に発売されるということでそっちを見た方がよっぽど良いので、ネタバレはそれほどせず、そのDVDを見たくなるような記事にしてみよう。

 私がこれ以前に見に行った舞台が、戸川純の一人芝居「マリィヴォロン」だったせいか(関係ないか)、すごく人が多く感じた。それでキャラがみんな生き生きしていた。ゲームの真・三國無双シリーズみたく、勢力ごとに衣装が色分けされていて見る側にわかりやすくしようって配慮も良いね。事前に配られたパンフレットにも勢力ごとに役名と役者名が書かれていて上演中、確認できたし。ここら辺はスタイルブック片手に前説で触れていたけど、孫一家が赤で胡一家が緑で(孫一家と胡一家が対立関係と説明)、呉夫人を除く呉氏の面々や祖茂は黒(まさにダークサイドね、マトリックスなど最近、黒装束はヒーロー側だけど)、民(村人、民衆)は茶色、北の役人たちが紺色、呉夫人と朱治は白。前説では「このお芝居はアクションコメディジェットコースターお芝居」って説明。見終わった後、確かにそんな感じがした。あと呼び名の説明。演技中ではわかりやすく主に姓+名で呼び合うって前説で断りがはいっていた。こういった三国志ファンのコア層への配慮は嬉しいね。

 舞台は上下二段配置。上の段に上がるには客席から見えない位置にある裏の階段を使うか、舞台の外の左右から入ってくるか、手前へおりている大きな二つの階段を使って上がるかなんだけど、手前の二つの階段(骨組みの階段じゃなくて雛壇みたいなやつ)が移動式な上に可動式で、それの配置と照明と効果音と音楽でうまく別の場所をあれこれ見立てていた。手前の階段なんて時には門に見立てていたし。あと上の段と下の段がリンクしている舞台の使い方もあれば、まったく無関係の別場面にしちゃってあたかも画面が二分割になっているような見せ方もあった。舞台の向こう側の壁(スクリーン?)も便利で、照明で満月や波面を表現できていた。舞台上にある物はほとんど同じなのに別の場面をうまく見立てている。

 小説などでは表現できないんで、うらやましー、と思ったのは舞台で一度に大勢の人物を出せること。もちろんただ出しているだけじゃなくて、それぞれの人物が活きている。例えば右三分の二で呉氏たちと呉夫人が胡一家と孫一家をどうしようと話していると、その話の内容にあわせて左の方にいる黄蓋が茶目っ気たっぷりに体の動作で表現している。そりゃ風景の一部のような群衆としては何十人でも何万人でも小説でもマンガでもテレビドラマでもアニメでも映画でも表現できるんだけど、意味のある動きをいくつも一つのシーンで同時に出すことができるのはうらやましい。

 さて内容を冒頭だけ簡単に説明。以前の三国志ニュースの記事である程度、予想は立てたんだけど長江が舞台ってのは「(3)浙江は日本人になじみがなく、あえて分かりやすい長江にしたから」が正解。メインは(浙江の)銭唐。危惧していたようなことはなく、変に歴史的事実が足かせにならず良いお芝居だった。
 以下、実際に歴史ではどうなのかは人物ごとにリンクを張っておく。これを機に歴史にも興味をもった人はクリックして参照にされたし(ただ直接、とぶんじゃなくて、とんだ先のページのどこかにあるって感じになりそうだけど)。ここらへんの歴史に詳しい三国志ファンは歴史をどうアレンジしているかも楽しめていたのだ。

 いきなり迫力のアクションシーンから入る。民を襲って孫一家をおびき寄せる胡玉一家のシーン。ここで孫一家と胡一家の対立構造、それから孫一家が義賊だということがわかる。孫堅(と誰か孫一家)が客席の通路から登場、いきなり胡玉(海賊 胡一家の主)を討つ。孫一家と胡一家の説明はのちほど

 で場面転換。静かなシーン。役人の一人が寒がる演技でさきほどの場所とは違うんだよ、とさりげなく示していた。北の地方(令支)での「令支の娘」(令支地方の村娘)、「令支の男」(令支の娘の兄)と「令支役人」(令支地方の役人)が出てき地方官吏の腐敗っぷりを表現し、そこで「北の役人」である程普や韓当、それにオリジナルの仁、珪、良の三人がからみ、五人が訳ありになって、出奔することになる。このシーン、実は後々、メインテーマとして重要な伏線になってくるのだ。程普は青い巾(というかバンダナ)をつけていて、無口でかっこいい役どころ。武器は蛇矛。韓当は若くまだ青いところがある感じ。武器は長刀(なぎなた)。他の三人もうまくこの集まりの立場や思いを表現している。ちなみに令支は史上、韓当(遼西郡令支県)の出身地で、程普はその近くの出身。

 それから銭唐県の市井のシーンね。民が孫一家を慕っていることやみんな貧乏ってことがわかる。税金の取り立てで不足分として反物(船一つつ買える価値とのこと)を銭唐県の役人に奪われ、民衆は役人たちをよく思っていないことがわかる。
 民衆を象徴したような役どころの人がたくさん出てくる。みんなそれぞれキャラたっている。「茶屋の娘」、「反物屋 鈴」(反物屋の娘)、「酒屋」(酒屋の主人)、「茶屋主人」(酒屋と仲良し)、「魚屋」(魚屋さん)、「反物屋主人」(反物屋の女主人)。状況に応じてどう民衆の心が動いている様がメインテーマにかかっている。途中、考え方の違いから別行動に出たりね。まぁ見ているときはそんな難しいことは考えてなかったんだけど、みんな個性的でコミカルに動いて楽しい(ありゃ、孫静と仲良しは誰だっけ?)。

 それから場面がうつる。銭唐県の役人たちの宴会のシーン。のっけから下の方の舞台で舞踊。その美しさに見とれてしまう。上の方の舞台には黒い衣装に身を包む地方官吏の呉氏(銭唐の県令)、呉元(呉一族)、祖茂(呉近衛兵)が居座る。呉氏&呉元、共に史書には出てこない。この呉元は冷酷でずっと悪い役どころを引き受けているんだけど、終止、悪役で終わることなく、ちゃんと理由があったところがドラマとして奥が深い。口ひげをたくわえ貫禄がある。黒がお似合い。この人の持つ毒がキーアイテム。それから白い衣装に身を包む呉栄華(呉氏の娘、史書の呉夫人にあたる人ね)と朱治(護衛隊長)が出てくる。朱治は常に呉栄華の近くにいて真面目だけど妙にとぼけたところがあってキャラが立っている。武器は矛。
 民の犠牲の上になりたつ宴会をいさめる呉栄華。ここで舞台の左下での民たちの会話で、呉氏と呉栄華の親子だけど、民に対する考え方が違うことが表現される。

 そこへ孫一家が登場。民衆への取り立て(税金)を奪い返すという名目で銭唐県の役人たちと戦う。ここで先ほどの反物を奪い返す。ただ奪い返すんじゃなくて、呉栄華が民へ返すように孫堅へ反物が託される。
 赤い衣装に身を包む孫一家。孫鍾(孫一家の主)、孫羌(孫一家の長男)、孫堅(孫一家の次男)、孫静(孫一家の三男)。孫鍾はこの演劇中、一番、威厳や貫禄があってかっこいい。孫羌はスマートで背が高い。こちらもかっこいい役どころ。というか演劇が終わっても解明(説明?)されなかった大いなる謎を持っていることが追々わかってくるんだけど。そして主役・孫堅は冒頭で胡玉を討ったことで強さの象徴とされていたような気がする。髪は金髪で赤い衣装をまとう孫一家の中でも一際、目立つ。それから孫静は「弟キャラ」って感じ。背も一回り小さい役者さんをチョイスしているし。全員、武器は剣(あるいは刀)だけど、孫堅のは柄の部分がかっこいい特別仕様だったような気がする。
 宋書だと孫鍾は瓜売りだったが、ここでは海賊の頭領だ。まぁ、靴売りが皇帝になるご時世だからそれもアリ。しかしパンフレットだと「孫鐘」と誤字になっているので、DVD化に際して訂正して欲しいかな。私も昔、間違えまくっていたから人のことは言えないが。

 ここで銭唐の市井のシーン。民のことを救うという許昌(自称陽明皇帝)のことが言及される。
 銭唐に令支から出奔した程普や韓当たち五人組がやってくる。そこへ胡玉一家登場、胡玉艶(胡一家の女頭領)、胡蝶(胡一家の長女)、胡友(胡一家の次男)。遅れて登場で「帰ってきた」という設定の胡岱(胡一家の長男)。孫一家みたく団結しているように見えるこの一家だけど、物語が進むにつれて皆、それぞれの思惑からドラマがあるんだけど。海賊に女はいらないって設定みたいで、胡蝶は男として育てられている。
 さて、ここで胡一家のなわばり意識から程普や韓当たち五人組とバトル。いろいろあって程普や韓当たち五人組が結果的に追い返すことに。それをみていた呉元の誘いにより五人組は銭唐で仕官することになる。
 遅れて登場した孫一家。民から事情をきく。さらに呉栄華と朱治が登場。孫堅と呉栄華の仲を臭わすシーン。

 こういう感じで大抵のメンバーが出そろっていって、孫堅と胡岱の宿命の敵対関係や、過去に起こった凄惨な事件の話、呉栄華に秘められた過去、いろんな要素が出てきて、孫一家、胡一家、銭唐の役人たち(程普や韓当も含む)の三つ巴でストーリーが進んで行く。

 で、このままストーリーがどんどん流れていくと思ったら、意外で面白いアクセントが。孫堅と胡岱との一対一の対決の中、私闘はいけないと止めに現れたのが黄蓋(零陵郡泉陵の虎)。彼は呉氏に戦力として呼ばれたとのこと。武器は双剣(のちに普通の二つの棒)。この黄蓋、すごくコミカルな役どころで場が一気にギャグタッチになる。良い崩れ方。で、初登場でネットで話題騒然(?)の和歌山ネタが飛び出すし。ここらへんはDVDで要チェック。その後もシリアス一方になりがちな話を良いタイミングで緊張感を解いてくれていた。
 こんな感じでキャラクターの宝庫なんだけど、その分、ヒーロー&ヒロインの孫堅&呉栄華のキャラが薄れている感が私にはあった。でもその分、感情移入しやすいんだけどね。

 こんな複雑な人間関係でいろんな要素のつまったストーリーに収拾がつくのかなぁ、と思っていたけど、それは杞憂に終わったようで、次々と繰り広げられるアクション(殺陣)とコメディで飽きることなく舞台に目を釘付けにされ、伏線もどんどん解消されわかりやすくうまくまとまっていきながらテンポ良くストーリーも進み(ここらへんがまさにジェットコースター)、それから作品のテーマみたいなのもしっかり織り込まれ強調され、観客の心をぐっと鷲掴みにしていた。シナリオも演技も面白いんだよね。そこらへんはDVDで是非、見て欲しい。あと観劇後、プチオフ会の話でチェックし忘れていることに気付いたんだけど、殺陣のところで、やられた人の演技をちゃんと見てなかったな、と(プロレス用語で言うところのバンプ)。

 あと終わりの方で出てきた朱儁(許昌討伐の司令官)。孫鍾の役者さんと同じ人が演じている。わかりやすく中央から派遣された大将軍という役どころ。悪事を知りながら自分なりに正義を貫いている、これまたかっこいい。
 ここらへん歴史とは違うんだけど、確かに中央から派遣された揚州刺史・臧旻じゃわかりにくいしマイナーだし、かといって会稽郡主簿・朱儁だと軍事と関係ないしそれにわかりにくし。

 それから本筋とは関係ない繋がりで、ついでに書くと、孫堅たちの武器について。
 彼らの持つ武器は歴史書にはほとんど載っていないんだけど、小説の「三国演義」の「第五回:發矯詔諸鎮應曹公、破關兵三英戰呂布」には載っている。ざっと書くと孫堅が古錠刀、程普が一條鐵脊蛇矛、黄蓋が鐵鞭、韓当が一口大刀、祖茂が雙刀(双刀)。結構、共通する部分があるかな。三国志関連の創作物に出てくる武器に関しては下のリンク先が面白い。

http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=1444

 さて話を戻す。ネタバレでも良いからもっとこのお芝居について知りたいって人は以下のブログの記事を参照にされたし(とネタバレはほとんどないけど)。


・新説:黄蓋は和歌山県出身だった!?(げんりゅうの欣喜雀躍
http://blog.livedoor.jp/genryu_nori/archives/50380273.html

・舞台「三国志プロジェクト」観劇報告(ブログ「三国志漂流」
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2327347#2327347

・#60 「三国志列伝」感想文(「打撲ネット」
http://daboku-net.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_cdd7.html


 大満足で約2時間ほどのお芝居を見終え、アンケートを書く関係で(すみません、私はアンケート書いてないです)、少し会場を出るのが遅れたんだけど、会場の建物前はすごい人だかりだった。そうそう役者さんと話す機会があるって話だったんだ。建物前ではいろんなところで役者さんと話しているファンの輪ができているんだけど、もう着替えて居るんで誰が何を演じているかさっぱりわからず残念ながら誰とも話さずその場を後にする。
 USHISUKEさんが少しおっしゃっていたけど、今回、いろんな劇団からそれぞれ役者さんが来ているんで、もしそれぞれの役者さんのファンの人が来ていたら、結構、来客があるんじゃないかってこと。そうかそういうチケットの売れ方もあるんだな、と妙に納得していた。
 次回は東京芸術劇場小ホール2で2007年2月15日から18日まであるそうなので、余裕と資金があれば是非、見に行きたい。そういやパンフレットには以下のように

三国志プロジェクト第2弾! 2007年2月(予定)
「英雄伝説の幕開け(仮)」OR「清流派と呼ばれて(仮)」OR「・・・・・」
決まってないのかよ!詳しくはホームページにて。
http://www.geocities.jp/sangokushiproject/

と書いてあったなぁ。何にせよ、楽しみ。

 さて観劇を終えた、清岡、KJさん、USHISUKEさん、げんりゅうさんの四人は適当な池袋のお店に入って食事がてらプチオフ会としゃれこむ。15時半ぐらいににお店に入ったのに、出たのはなんと19時ぐらい。そのまま夕食を食べても良い時間。それぐらい時間も忘れてあれこれつもる話をしゃべっていたんだけど。
 その後、お三方に東京駅まで見送っていただいて、東京駅でさらに会食したのだった。

※次回、三国志プロジェクト
・2007年2月17日「濁流を清めるは清流なり」観劇
http://cte.main.jp/newsch/article.php/513

※追記 劇団EXILE W-IMPACT レッドクリフ(2011年8月8日-31日)

2006年4月中旬 演劇「長江の流れは緩やかに見えて」DVD化決定


  • 2006年2月19日(日) 09:52 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    1,900
ショー  今、三国志の孫堅のお芝居の「長江の流れは緩やかに見えて」の会場ってどこだっけ? とモスでブランチを食しながら三国志プロジェクトの公式サイトを見ていたらニュースが。今回のお芝居がDVD化されるとのこと。2006年2月16日撮影分。気になる発売の方だけど、詳細はまだ書かれていなくて、販売は4月中旬の予定とのこと。詳しくは、随時下記、公式サイト参照のこと。

・三国志プロジェクト
http://www.geocities.jp/sangokushiproject/

 それと今回と脚本が同じか違うかわかんないけど、次回公演も決定しているとのこと。今のところ、東京芸術劇場小ホール2で2007年2月15日から18日までだそうな。こちらも随時、公式サイト参照のこと。

三国志ファン、コア層こわそう


  • 2006年2月19日(日) 08:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    6,692
ネット  と、タイトルからしてのっけからオヤジギャクな上に意図せず二重の意味になっているけど、こわいけどべつにこわそうとは思っておらず、深いところで埋もれる前に、ブラックホールのようにどんどん初心者をマニアなところ、とまでは言わないまでもその中腹ぐらいまで引きずり込んで欲しいかなぁと無責任なことを思う今日この頃。と、自分がコア層の部類に入っているってのはもちろん棚上げだ。
 さて「長江の流れは緩やかに見えて」の観劇前夜のプチオフ会を開いた。今回は次の日が観劇ということで二次会(24時前)で終了した。「長沙呉簡研究報告」第1集や第2集を元に中国の学会に関する日本の学会動向などの話や「地鶏の唐揚げ」を「地獄の唐揚げ」と読み間違えたとかあれこれ話していた。
 それらの中から目から鱗だなぁって思ったことを一つだけ。
 げんりゅうさんがとある先生からきいた話に、三国志ジャンルの本を書くにあたり、三国志のことをあまり知らない人でもある程度、知っていることをちりばめて書いておかないと、読者がどんどん離れていくという意識があるらしい。だから「三国志」と書名にあるやつは三国志ファンのコア層にとってどれもこれもわかりきったことを書いているんだなぁと納得した。それに「三国志の世界」はやたら「演義では」と書いてあるのも。(三国志小説なんかもこの意識をもたないといけないとしたらイヤだなぁ)
 その話から発展して、このプチオフ会に来られているようなコア層は自分の知らない三国志の知識を喜んで飛びつくようなファンたちばかりだけど、三国志に興味はあるけど知らない人たちはむしろ自分の知らないことは敬遠し、知っていることで共感しあったりあれこれ語り合ったりしたいってのが優先されるって話をしていた。そんなんだから少数のコア層は日の当たらないどんどん深いところ深いところへ進んでいき、逆に大多数の初心者層はすぐに共感したり語り合ったりすることを消費しきってしまって「卒業」してしまうのだという話だ。だからここ何十年も水面近くではいろんなあぶく(マンガ系なりゲーム系なりいろんな三国志ファンの初心者層)が生まれては弾けていてをくりかえしていて、水底ではヘドロ(コア層)が何年もとどこおっているけど、その間には水(メディア?)だけしか見あたらないような二極化が進んでいるんだなぁ、と納得していた。そういや2005年7月31日の三国志シンポジウム後のプチオフ会でもそういった話の具体的な例を語り合っていたなぁ。
 そういう観点からいけば、某掲示板は意図せず初心者の寄せ付けない雰囲気になってんだなぁと思った(いや、だからといって変わるなら変わってもいいけど、私自身は変えようとは思わないけど)。初心者層からしてみれば、三国志とつくから、あるいは検索サイトから飛んでいって、見てみたら自分の語れる余地がないって仕組みだ。三国志ニュースの私のところは書きたいように書いているからそういう観点からは問題外だ(とこちらも特に変える予定はない)。それで私の長年の疑問は解けたんだけど、どんなジャンルにもファンの中の何%かは困ったちゃんがいるわけで、某掲示板へ三国志ファンの大多数の初心者層があまり寄りつかないんで困ったちゃんが書き込む絶対数もその分、かなり少なくなっているんで、それであまり荒れず管理のしやすい掲示板なんだなぁ、と妙に納得していた。もう三年近くになるけど未だに「知る人ぞ知る掲示板」だもんなぁ。

※追記 2006年3月11日 プチオフ会 新宿編

※追記 単軸モデルから多軸モデルへ(あるいはピラミッドモデルからすり鉢モデルへ)

「異邦人」(古代中国個室ダイニング)


  • 2006年2月19日(日) 01:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所  お芝居の「長江の流れは緩やかに見えて」の前夜にネットの知り合いであつまろうということになった。いわゆるプチオフ会
 告知が20日前だったしそんなに広くは告げていないので、今回の参加者は私、USHISUKEさん、隼鶻さん、げんりゅうさんの4名。一次会は新宿で19時から二時間ほど、豚カツのお茶漬けでがっちり喰った。
 その後、21時半ぐらいに二次会にどこに行こうという話になって、そこで出てきたのが、古代中国個室ダイニングの「異邦人」ってお店。新宿にある。

・「異邦人」(古代中国個室ダイニング)
http://www.ihohjin.com/

 店内は写真のような感じ。何でもチラシによると「古代中国のシルクロードをモチーフにしたタクラマカン砂漠の洞窟を再現した個室です」とのこと(詳しくは上記リンク先で)
 なるほど、すごく洞窟っぽくて良い感じ。
 通路を突き当たった部屋の名前が「長安」。そして四人が入れる個室(ホントに洞窟っぽいところ♪)に案内される。そこの部屋の名前は「西安」。うおっ! 時空を越えている(笑) そんなこんなで四人のテンションがあがったところで、ある事実が発覚。どうも飲みだけとかじゃダメでコース料理しか頼めないらしい。一次会で満腹になっている四人はあきらめ、泣く泣くその店を後にする。
 まぁ、今度、オフ会かなにかやる機会があったら利用したいお店。営業時間は朝5時までだしね(え?)

※追記 2006年3月11日 プチオフ会 新宿編

※追記 第9回魏晋南北朝史研究会大会ノート3

牀や榻のことばかり


  • 2006年2月18日(土) 16:21 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史  今、お芝居の「長江の流れは緩やかに見えて」の会場に向かっているところなんだけど、こういうときにしか読書する機会がないんで、これ見よがしに、まだ読み切っていない林巳奈夫/著「漢代の文物」を読んでいる。
 ここで恥を忍んでいきなり自己暴露なんだけど、大昔、私は「椅子・鐙チェッカー」でして、三国志を題材にした漫画で、三国志の時代になかった椅子や鐙(あぶみ)が出てきただけで、その漫画を読む気をなくしてしまっていた。もっとも鐙に関しては「中国古代の服飾研究」だと前漢のころにはすでにあったとされているんだけどね。それに同じ三国志を題材とした創作物でも「新刊全相平話三国志」(通称、三国志平話)の挿絵や「三国演義」葉逢春本(1548年刊行)の挿絵なんかに椅子が描かれているぐらい根深いし、漫画の本質にあまり関係なさそうだ。
 鐙はなくても技術さえあれば馬に乗れるんだけど、椅子がなければ、何に坐っていたんだ、あるいは地べたに座り込んでいたのか? って話になる。そういうときはいつも「牀とか榻とか呼ばれる台座みたいなところに正座していた」と私は答えている。そう椅子に腰掛けるんじゃなくて膝を最後まで曲げて腰をおろしていた。この当時の中国人は腰をかけて座ることあったのかな? と思うぐらい画像石の類でもそういう光景は(私の狭い視野の中では)あまりみかけない。画像石や俑をみてみると、馬車でも乗っている人も馬を操っている人も律儀に正座しているし(汗)。※がんばって腰をかけている画像をさがしてみると、艇(?)にのっているところ、釣りをしているところ、機織り器をつかっているところ、そして強いていうなら馬にまたがっているところなどが見つかった。探せばもっとあるかも。
 とか何とか書いているが、私の知識はとても浅くてそうやって牀と榻のことをあげたあと、自虐的に「といってもいまだに牀と榻の違いを私は知らないんですけどね」と書くのが常だった。
 で、ここでようやく冒頭の「漢代の文物」の話にもどるわけで、読みすすめていると、「五 什器」の章で「釋名」釋牀帳(漢の劉熙の撰)から引用しまとめてばっちりそれらの違いが書かれていた。というわけで以下に引用(一部、表示できないので[]で合成文字にしている)。「漢代の文物」の200ページ。

 大きくて高いのが牀、細長くて低いのが榻、一人用の小さいのが獨坐、足がなく板状のものが[木平]だといふのである。

引用終わり。牀や榻だけではなく、その他も座具についても挿図付きで紹介されている。わかりよい。さらに文献や具体的な出土品から牀や榻の大きさについても考察がある。
 具体的な大きさの例として榻、長さ87.5cm、幅72cm、高さ19cm、石榻(『初学記』に引かれている『通俗文』の「牀三尺五曰榻、板獨坐曰[木平]、八尺曰牀」から牀?)、長さ159cm、幅100cm、高さ18cmがでていた。

※追記 メモ:踞牀

2006年2月13日 三国志大戦Ver1.12にバージョンアップ


  • 2006年2月16日(木) 07:53 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ゲーム

三国志大戦公式サイトによると、2月13日より三国志大戦がVer.1.12にバージョンアップした。今回はカードの追加はなくシステム面での変更とのこと。詳しくは下記公式サイトで。

・三国志大戦公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/

・Ver.1.1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/194
 

2006年2月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ3月号)


  • 2006年2月14日(火) 00:26 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  発売から間があいたけど、今回もかいておこっと。
 三国志の人物、管輅(字、公明)が主人公の漫画「八卦の空」が月刊の漫画雑誌『ミステリーボニータ』に連載されている。2006年2月6日発売の「ミステリーボニータ3月号」に掲載されている。

・秋田書店のサイト
http://www.akitashoten.co.jp/
※ページの下の方にミステリーボニータのページへのリンクあり

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
※サイトでしか見れない三国志漫画アリ。

・「ミステリーボニータ」3月号に「八卦の空」 巫炎(一)(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=112381

 というわけで以下、ネタバレ含む。


 前の号の予告が「謎の女性の登場で!?」となっていたけど、今回、本当に「謎の女性」が登場。あと、前回の最後のページの欄外に「次号より新展開!! お楽しみに」って書いてあったけど、本当に新展開。1話完結だった「八卦の空」で「謎の女性」が謎を残したまま「次号へ続く」となっている。今回のメインの話(キョンシー?)の顛末共々、次号が楽しみ。

・2006年1月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ2月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/263

 連載の盛り上がりもあるし、4月中旬に単行本が発売されるという告知もあるし、読書欄には「八卦の空」への手紙やイラストがあるし今回はあれこれ盛り上がってるなぁ(詳しくは以下のリンク先の記事)

・2006年4月中旬「八卦の空」コミックス化
http://cte.main.jp/newsch/article.php/279

 で話戻して、本編の方だけど、黒幕ともいうべき三百年前の前漢のお墓からよみがえった(?)宮女は、冒頭で管ちゃんへ朱姫が語る話の中身(しっかりメインの話の伏線がはられている)と、正体を明かさずに管ちゃんに力を見せつけるシーン(ここらへん少年漫画のライバル登場の技法を連想する)と、そして次号へつながる最後のシーン(黒幕登場!)の三回だけ出てきて「臭わす」良い距離感を保って次号の期待が膨らむ。
 メインの話は玄龍くんと藍児(玄龍くんの叔母、すでに幽霊)の話。回想シーンでどういういきさつで出会って、絆を深める淡いエピソードがあって、そういう流れがあった中、そしてどうやって離ればなれになったか語られていて、すごく切ない。
 今回は玄龍くんがもつ鳴子がキーアイテム(関係ないけど、初めに鳴子が出てきたコマの玄龍くんを一瞬、携帯メールしているように認識してしてしまった・汗)。思い出のつまった鳴子が最後に決め手。思わず鳴子中心に読み返した。

・2006年3月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ4月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/301

蒼天航路ファンに50の質問


  • 2006年2月13日(月) 22:55 JST
  • 投稿者:
    曹徳
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ネット 去年の11月10日に「蒼天航路(王欣太)」が最終回を迎えた旨は、こちらのニュースでも報じられました。また先月23日、コミックス35巻・36巻が同時発売されたこともご存じの方いらっしゃるかと思います。


それを受けて昨日、
三國蒼天紀の簡鍛様が企画・発案で「蒼天航路ファンに50の質問」という企画をスタートされました。蒼天航路ファンの方もそうでない方も、少しでも蒼天航路に触れた方にはぜひこの企画にご参加いただきたいと思います。

「蒼天航路ファンに50の質問」
http://kanshigyoku.client.jp/100.htm

「三國蒼天紀」
http://kanshigyoku.client.jp/index.htm


おなじ蒼天航路を読んで答えた50個の質問でも、人によって受け取り方は千差万別。それらを見比べたり、これを通じて交流が広がれば面白いのではないかなと思います。
参加方法はとっても簡単なので、ぜひご参加くださいね。

2006年2月末 www.nightmare.to(三國志サーチ等)停止


  • 2006年2月13日(月) 17:48 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  逸聞三國志の管理人様からURL変更のお知らせが来て、確認のため、そのサイトに行ったら、驚愕のニュースが。

 NIGHTMARE.TOが閉鎖するとのことです。

 いや、こうかくと多くのネットの三国志ファンがわからないと思いますが、URLがwww.nightmare.toやwww2.nightmare.toから始まる三國志サーチ、三国志連環のページ、真・無双検索、tRTK CHATなどのすべてのサービスが停止するってことです。
 tRTK CHAT、三国志Webアーカイブプロジェクト以外は引継を募集してますので、我こそはと思う方はサイトが消える前に下のURLへ行って詳しい情報を見て下さい。

http://www.nightmare.to/

 しかし、三国志ネット界の大御所が消えたようで何かとても寂しいですね。近頃、歴史サーチの方も閉鎖になりましたし。

 管理人様をはじめ関係者方々、9年も長い間、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。


 それと逸聞三國志は下記URLへお引っ越しとなります。
http://nobmatsu.sakura.ne.jp/itsubun/

<2月19日追記>
 NIGHTMARE.TOによると、三国志連環、三國志サーチ、真・無双検索の引き継ぎ先が「三国検索」のKJ様に決まったようです。データの引き継ぎは26日 0時(25日24時)を予定しているそうなので何か書き換えたい人はお早い目に。
 あとtRTK CHAT、三国志WebアーカイブプロジェクトはNIGHTMARE.TOに残るってことかな。

※追記 tRTK CHAT閉鎖(2009年6月10日)

※追記 サイト「真・無双検索」の開設日っていつ?

※追記 ゼロ年代を振り返って十大ニュース

※追記 三國無双NAVI閉鎖(2010年4月18日)

雑誌「本の話」2005年12月号 曹操のなかの春秋と戦国(巻頭エッセイ)


  • 2006年2月10日(金) 21:38 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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雑誌  以前、文藝春秋の雑誌の月刊「本の話」(2004年11月号)で『宮城谷「三国志」』の特集があるって取り上げたんだけど、また三国志関連があったみたい。

・「文藝春秋」のサイト
http://www.bunshun.co.jp/index.html

・雑誌「本の話」2004年11月号 特集 宮城谷「三国志」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/125

 上記、「文藝春秋」のサイトのサイトの→「雑誌」→「本の話」→「PICK UP」/(本の話2005年12月号)とたどっていくと
「〈巻頭エッセイ〉曹操のなかの春秋と戦国 宮城谷昌光」
を読むことができる。

1548年 三国演義の葉逢春本


  • 2006年2月 7日(火) 23:44 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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古典文学  下記のサポ板の周瑜命日ツリーですでに書いたんだけど、こちらでも書く。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1899

 三国演義ができたころは抄本(写本)で広まり、その中で弘治七年(1494年)のいわゆる弘治本が有名で、どうも史書によって改訂された部分があるらしい。
 初めての刊本(木版印刷)は嘉靖元年(1522年)のいわゆる嘉靖本とのこと。さらにこの後、時代変遷があるため、これらの本が中央研究院でみられるような現在に伝わる三国演義と内容が所々、ちがうところがある。

・中央研究院
http://www.sinica.edu.tw/
※たどり方 →中文→公共服務/研究資源→漢籍電子文獻→瀚典全文檢索系統 1.3 版→小説戲曲→三國演義

 その中の一つが冒頭でリンクを張った周瑜の命日だろう。

 自分で実際、目にしたいとおもって、検索していると思わぬものを見つけてしまう。それが三国演義の葉逢春本のDigital Imagesだ。下記サイトのリンク先にある。

・BabelStone
http://www.babelstone.co.uk/index.html
※ここの→「Ye Fengchun Edition」→「Table of Contents」

 ここのサイトによると、葉逢春本は1548年刊行の三国演義とのこと。
 不完全なコピーながらthe Royal Library of the Escorial Monastery outside Madrid in Spainにあったとのこと。そういや三国志シンポジウムでスペインにあったと言っていたのはこのことかな。

 で、周瑜の亡くなるところ(諸葛亮三氣周瑜)を探してたけど、亡くなるページが「NOT PHOTOGRAPHED」とでてきた(汗)
 それでも周瑜が孫権にあてた遺書に今の三国演義(中央研究院のやつ)にはない「至建安十五年冬十二月朔周瑜謹書」の文字を見つけた。

<追記>
 冒頭に示した掲示板のツリーの最後の方に書いているが、三国演義の葉逢春本が関西大学出版部から『三國志通俗演義史傳』(上下巻)というタイトルで出版されていて、それによると、

而亡壽年三十六時建安十五年冬十二月初三日也

と書かれている。



※追記 「四大奇書」の研究(2010年11月10日)

※追記 クイズマジックアカデミー賢者の扉 三国志検定(2012年4月24日-5月20日)

2006年4月中旬「八卦の空」コミックス化


  • 2006年2月 6日(月) 22:27 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  速報です。
 ミステリーボニータ2006年3月号によると、2006年4月中旬に単行本が発売されるそうです。
 今回の号の「八卦の空」の表紙に「4月中旬、ついにコミックス化決定」という文字があり、それから次号予告のページの「八卦の空」のところに「コミックス発売決定!」という文字が出ていました。
※「八卦の空」については以下の記事参照。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/263

<2月7日追記>
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/

 以下、秋田書店のサイトの新刊情報(4月14日発売のところ)から引用です。4月14日発売で「ふしぎ道士伝」なんですね。

ボニータコミックスα ふしぎ道士伝 八卦の空 第1巻 アオキトモ 540円(514円)

<追記終わり>


 あと余談ですが、読者の投稿コーナー「ミステリーボニータ ホットライン」で読者から「八卦の空」への手紙、それから「ボニータギャラリー」に「八卦の空」のイラストが載ってましたね。
 こういう感じで読者の盛り上がりがわかるって良いですねー
(先月号だったらもっと図書館の本をみたら「おおっ」って言いまくりですね・笑)

 あともう一つニュースがあります。
 「八卦の空」の作者・青木朋先生のサイトが移転・改名となりました。
 お手元にブックマークがある場合は張り替えてくださいね。

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/

・青木朋さんホムペがお引越ししました!!
http://bluefan.exblog.jp/2626555
※ブログ「青木朋さん(私設)ファンクラブ」の記事。

 移転してから青青日記がブログ形式になったり「八卦の空」の制作メモができたりとパワーアップしているのです。
 ファンの方は要チェックですよ♪

 ちなみに三国志ニュースでは過去の記事のリンクを修正し、それそれトラックバック送信いたしました。

リュウビ二十七歳


  • 2006年2月 4日(土) 23:57 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史  前回からの続き。

・前回「リュウビ十五歳」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/276

 劉備について前々から疑問に思っていたのは、いつ初陣かということ。これが歴史じゃなくて三国演義だと「第一回:宴桃園豪傑三結義、斬黄巾英雄首立功」にあるようにおそらく中平元年(西暦184年)に、鄒靖に率いられ、黄巾賊の將、程遠志の軍と戦ったのが初めて、とすぐでてくるんだけど、歴史だと意外と難しい。
 まず劉備のことでスタンダードで最も重要な三国志蜀書先主伝をあたる。

<本文>
靈帝末、黄巾起、州郡各舉義兵、先主率其屬從校尉鄒靖討黄巾賊有功、除安喜尉。

<清岡のテキトー訳>
靈帝の時代の末、黄巾が起こり、州郡おのおのは義兵をあげ、先主(劉備)はその屬従である校尉の鄒靖に従い、黄巾賊を討ち戦功があり、安喜尉(安喜県の尉)になった。

 黄巾の乱がおこったのは光和七年(西暦184年)であり、一年ぐらいでリーダーの張角がいる冀州の本隊は壊滅しているが、その後、乱は消滅したというより各地に分散している。そのため、黄巾討伐といっても光和七年(西暦184年)とは限らない。
参照1 http://cte.main.jp/sunshi/w/w040112.html
参照2 http://cte.main.jp/sunshi/w/w040924.html

 ここで参照になるのが裴松之の注。典略から引いている。その内容を次にあげる。

<本文>
典略曰:平原劉子平知備有武勇、時張純反叛、青州被詔、遣從事將兵討純、過平原、子平薦備於從事、遂與相隨、遇賊於野、備中創陽死、賊去後、故人以車載之、得免。後以軍功、為中山安喜尉。

<清岡のテキトー訳>
典略にいう。平原の劉子平は劉備に武勇があることを知っていて、当時、張純が反乱をおこし、青州は詔(皇帝の命令)を受け、兵を率いた從事に張純を討伐させた。平原を通過中に子平は劉備を従事にすすめ、(劉備は)付き従うことになり、平野で賊にまみえることになった。劉備は傷を受け死んだふりをし、賊が去った後、旧知の人が車に劉備を載せ、事なきをえた。後に軍功により、中山の安喜尉(安喜県の尉)になった。


 典略にある「後以軍功、為中山安喜尉。」という文をそのまま受けると、順序としては「劉備と劉子平の張純討伐」(典略)→「劉備と鄒靖の黄巾討伐」(三国志)→「劉備が黄巾討伐の戦功で安喜尉になる」(三国志)というふうになる。
 劉子平も鄒靖も他の史書では見あたらないが、張純だけは他の史書で見られ、年代もある程度、特定できる。というわけで張純の記述。ここは後漢書本紀から四カ所、抜粋する。


<本文>
(中平四年六月~九月)漁陽人張純與同郡張舉舉兵叛、攻殺右北平太守劉政・遼東太守楊終・護烏桓校尉公[其/糸]稠等。舉(兵)自稱天子、寇幽・冀二州。

(中平五年)九月、南單于叛、與白波賊寇河東。遣中郎將孟益率騎都尉公孫[王賛]討漁陽賊張純等。

(中平五年十一月~十二月)公孫[王賛]與張純戰於石門、大破之。

(中平六年)三月、幽州牧劉虞購斬漁陽賊張純。

<清岡のテキトー訳>
(中平四年(西暦187年)六月~九月の記述)漁陽郡の張純と同郡の張舉は兵をあげ反乱し、右北平太守の劉政、遼東太守の楊終、護烏桓校尉の公[其/糸]稠たちを攻め、殺した。張舉が天子を自称し、幽州、冀州の二州に侵略した。

(中平五年(西暦188年))九月、南單于が反乱し、白波賊が河東へ侵略した。中郎将の孟益に騎都尉の公孫[王賛]を率いて、漁陽賊張純たちを討伐させた。

(中平五年十一月or十二月)公孫[王賛]と張純が石門で戦い、(公孫[王賛]が張純を)大破した。

(中平六年(西暦189年))三月、幽州牧の劉虞が漁陽賊の張純を購斬した(賞金をかけて斬った)。


 こういう感じで、張純の乱は西暦187年の半ばから始まって、西暦189年の3月に彼が斬られるまでの期間に起こっている。さらに後漢書公孫[王賛]伝をみると、

<本文>
會烏桓反畔、與賊張純等攻撃薊中、[王賛]率所領追討純等有功、遷騎都尉。張純復與畔胡丘力居等寇漁陽・河間・勃海、入平原、多所殺略。[王賛]追撃戰於屬國石門、虜遂大敗。

<清岡のテキトー訳>
たまたま烏桓と賊の張純たちが反乱し、(幽州広陽郡)薊県の中へ攻撃し、公孫[王賛]は受け持ちのところで張純たちを追討し戦功があり、騎都尉になった。張純はふたたび背き、胡(えびす)の丘力居(烏桓族の大人)たちが漁陽・河間・勃海に侵略し、平原に入り、多く殺人・略奪した。公孫[王賛]は追撃し属国(遼東属国?)の石門で戦い、敵はついに大敗した。


と、なっておりさらに後漢書劉虞伝だと


<本文>
(中平)四年、純等遂與烏桓大人共連盟、攻薊下、燔燒城郭、虜略百姓、殺護烏桓校尉箕稠・右北平太守劉政・遼東太守陽終等、衆至十餘萬、屯肥如。舉稱「天子」、純稱「彌天將軍安定王」、移書州郡、云舉當代漢、告天子避位、敕公卿奉迎。純又使烏桓峭王等歩騎五萬、入青冀二州、攻破清河・平原、殺害吏民。朝廷以虞威信素著、恩積北方、明年、復拜幽州牧。

<清岡のテキトー訳>
(中平)四年(西暦187年)、ついに張純たちと烏桓大人は連盟し、薊県のもとを攻め、城郭を焼き、百姓から略奪し、護烏桓校尉の箕稠(後漢書本紀の公[其/糸]稠と同一人物?)、右北平太守の劉政、遼東太守の陽終(後漢書本紀の楊終と同一人物?)たちを殺し、その衆は十万あまりにもなり、肥如に駐屯した。張舉は「天子」を自称し、張純は「弥天将軍安定王」を自称し、州や郡に張舉が漢の代わりに当たると述べる文書を移送し、天子に位を退くことを告げ、公卿に迎えるように勅命を下した。張純はまた、烏桓の峭王たちを歩兵騎兵五万を青州・冀州の二州に行かせ、清河や平原を攻め破り、官吏や民を殺害した。朝廷は劉虞に威信を示させ、北方に恩恵をつらねさせるため、明年、劉虞を幽州牧に復職させた(劉虞はそれ以前に幽州刺史だったことがある)。


となっている(あと三国志公孫[王賛]伝、後漢紀、後漢書南匈奴列伝、後漢書烏桓鮮卑列伝、三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝に張純の乱がでるがここでは略)。
 後漢書本紀とあわせると、張純との戦いは大きく三つに分けてまとめてみる。
 まず一つ目、中平四年六月~九月の張純による薊県(幽州広陽郡)攻め。このとき護烏桓校尉、右北平太守、遼東太守が殺される。肥如(幽州遼西郡)に駐屯。また戦功により公孫[王賛]は騎都尉になる。
 それから一つ目と二つ目の間、張舉が天子を自称した。
 二つ目は漁陽(幽州)、河間(冀州)、勃海(冀州)、清河(冀州)、平原(青州)、清河(冀州)に侵攻。
 三つ目は中平五年九月から現れる官軍の反撃戦。劉虞が幽州牧になったり、公孫[王賛]による石門での大破もここ。

 どの期間あたりに劉備が参戦しているかを考えてみる。少し張純のことから離れ、三国志蜀書先主伝やその注に立ち戻ってみる。「劉備と劉子平の張純討伐」の後の「劉備と鄒靖の黄巾討伐」は果たしてどの黄巾の乱にあたるんだろう?と思って、後漢書本紀から張純討伐の後の黄巾関連を五つほどピックアップしてみる。


<本文>
(中平五年三月)黄巾餘賊郭太等起於西河白波谷、寇太原・河東

(中平五年)夏四月、汝南葛陂黄巾攻沒郡縣。

(中平五年六月)益州黄巾馬相攻殺刺史[希β]儉、自稱天子、又寇巴郡、殺郡守趙部、益州從事賈龍撃相、斬之。

(中平五年)冬十月、青・徐黄巾復起、寇郡縣。

(中平五年十一月or十二月)遣下軍校尉鮑鴻討葛陂黄巾。

<清岡のテキトー訳>
(中平五年(西暦188年)三月の記述)黄巾賊の残党、郭太たちが西河白波谷で蜂起し、太原・河東へ侵略した。

(中平五年)夏四月、汝南葛陂の黄巾が郡や県を陥落させた。

(中平五年六月の記述)益州黄巾の馬相が刺史の[希β]儉を攻め殺し、天子を自称し、さらに巴郡へ侵略し、太守の趙部を殺した。益州從事の賈龍は馬相を撃ち、これを斬った。

(中平五年)冬十月、青州と徐州の黄巾がふたたび蜂起し、郡や県を攻めた。

(中平五年十一月もしくは十二月の記述)下軍校尉の鮑鴻をやって葛陂黄巾を討伐させた。


 中平五年の三月から六月の黄巾関連が対張純戦の一つ目の後あることは確実で、二つ目の後かは不確定。十月からの黄巾関連が対張純戦二つ目の後で三つ目の途中といったところだろう。
 なので、対張純戦一つ目二つ目ともに劉備の参戦の時期の条件としては当てはまる。ただ、地理的条件だと、あれこれ考える余地はありそう。例えば、典略での対張純戦では平原を通過しているけど、後漢書公孫[王賛]伝での対張純戦二つ目では張純側の丘力居軍が平原入りしている。
 もしかして張舉が天子を自称したことで朝廷が青州に命令し、幽州へ向かう青州軍と青州の平原へ向かう丘力居軍が道中で鉢合わせしたとか、あれこれ想像できる。

 しかし、劉備の兄弟子が対張純戦の中心人物の一人、公孫[王賛]っていうところとか、なんで劉子平は劉備に武勇があると思ったのか、とか小説など創作の材料としておいしいのが結構あるなぁ。創作で変に黄巾の乱一年目に出さなくても良いんじゃないか、って思うぐらいで。

2006年2月「三国志-正史と小説の狭間」


  • 2006年2月 3日(金) 21:40 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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書籍  まだ手にとって読んでないけど、ネットで見かけたので書籍をご紹介。

タイトル 三国志-正史と小説の狭間
著者 満田剛
ISBN 4-89174-786-2
価格 1800円
発売 2006年2月
出版 白帝社

・白帝社のサイト
http://www.hakuteisha.co.jp/
・三国志-正史と小説の狭間
http://www.hakuteisha.co.jp/new_pages/books/786-2.html
※このページから注文できる。

 「三国志」、「正史」とタイトルにつけられると、経験上、すごく胡散臭いものを想像してしまうが、失礼な書きようだけど著者は研究者の方なのでそういうことはなさそうだ。
 「長沙呉簡研究報告」第1集で「長沙走馬楼吏民田家[くさかんむりに別]に見える姓について」という報告を書かれている人だ(いや、たまたまその冊子が今、手元にあったもので)。
 上記リンク先の紹介文によると、内容は三国志、裴松之の注、三国演義、三国演義の日本での受容などが書かれているらしい。三国志の中身じゃなくて、三国志の成立とその後の影響について知るには良い本かもしれない。

<2月13日追記>
 ちょっと誤解していたんだけど、第1章が三国志、裴松之の注、三国演義、三国演義の日本での受容などが書かれていて、第2章から第7章までが三国志に載っていること(つまり三国志の中身)を時代順に説明しているとのこと。

※追記 図解 三国志 群雄勢力マップ(2009年6月16日)

※追記 【三国志街道】孔明の夢~街亭・五丈原~(2009年8月18日-24日)

※追記 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

リュウビ十五歳


  • 2006年2月 1日(水) 22:55 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史  自サイトで小説を書くためのメモ書きみたいな「孫氏からみた三国志」というコンテンツをつくっていて、そこに劉備(字、玄徳)のことを書くことになった。そのコンテンツで書く書かないは別として、劉備についてあれこれ調べていた。
 そこで気になったのが三国志蜀書先主伝の記述。

年十五、母使行學、與同宗劉徳然・遼西公孫[王賛]倶事故九江太守同郡盧植。徳然父元起常資給先主、與徳然等。

というところの、(劉備が)15歳のとき、劉備の母は(劉備を)同じ一族の劉徳然と遼西出身の公孫[王賛]とともに遊学させ、元、九江太守の同郡([シ豕]郡)出身の盧植につかえさせた。徳然の父、元起はいつも先主(劉備)と徳然たちへ資金援助していた。というところが気になった。

 そういえばこのとき盧植(字、子幹)は何をしていたんだっけ? 黄巾の乱で中郎将になるのは後年のことだし。

 まず年代だけど、幸運なことに劉備の没年と亡くなった歳がわかるので、そこから劉備が15歳のとき、何年だったがわかる。同じく三国志蜀書先主伝によると、

(章武三年)夏四月癸巳、先主[歹且]于永安宮、時年六十三。

というふうに章武三年(西暦223年)の夏四月癸巳(四月に癸巳の日はないので命日は3月5日?、これに続く文の諸葛亮の上言によると命日は4月24日)に先主(劉備)は永安宮において63歳のとき亡くなった、とあるので、そこから逆算し、当時は数え年なので、劉備は西暦161年生まれということになる。
 それで劉備が15歳のときは熹平四年(西暦175年)だ。

 一方、盧植はというと、後漢書盧植伝によると、

建寧中、徴為博士、乃始起焉。熹平四年、九江蠻反、四府選植才兼文武、拜九江太守、蠻寇賓服。以疾去官。作尚書章句・三禮解詁。時始立太學石經、以正五經文字

というふうに、建寧年間(西暦168年-172年)、(盧植は)博士になり、そこから起き始めた(それまで無官)。熹平四年(西暦175年)に九江郡の蠻(蛮)が反乱し、四府は文武を兼ねた才能のある盧植を選び、九江太守にし、蠻は屈服した。病気のため官を去った。尚書章句と三禮解詁(三禮は儀礼、周礼、礼記のこと)を作った。当時、初めて太學石經が立ち、それにより五經(易・書・詩・礼・春秋)の文字を正した、となっている。

 先の三国志蜀書先主伝をみると、「故九江太守同郡盧植」(元、九江太守の同郡出身の盧植)となっているので、九江太守をやめた後、盧植の元へいったと単純に思っても良いけど、経験上、官職の記述はあまりあてにならないと思うので、もうちょっと調べる。

 後漢紀によると

熹平四年 春三月、五經文字刻石立于太學之前。

 後漢書本紀によると

(熹平)四年春三月、詔諸儒正五經文字、刻石立于太學門外。

というふうに共に熹平四年春三月に後漢書盧植伝に記載のある太學石經が立ったことになっており、史書の記述を見比べてみると、九江郡の蠻の乱は熹平四年の上四半期のうちにおさまったんだろう(残念ながら他のところから乱に関する記述を見つけだせなかった)。
 ということは劉備たちは官職についていないときの盧植の元へ行っていたのかな(病をわずらっていないときと思うが・汗)。劉備たちが習ったことは当時、盧植が執筆した尚書章句と三禮解詁の内容を色濃く影響をうけたものだったんだろうか、とあれこれ想像してしまう。

・「リュウビ二十七歳」に続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/278

2006年1月29日 中国史人游行(神戸南京町・春節祭2006)


  • 2006年1月29日(日) 23:01 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所

 あけましておめでとうございます。旧暦の元旦にあたる2006年1月29日に神戸南京町(中華街)の春節祭2006に行って来た。お目当ては12時スタート(2006年2月1日水曜日にもあるらしい)の「中国史人游行~中国歴史人物パレード~」のパレード前にあるという人物紹介。

・2006年1月29日-2月5日 神戸南京町・春節祭2006
http://cte.main.jp/newsch/article.php/268

20分前ぐらいに神戸南京町の長安門(東側入口)について、人だかりといえども普通に通れるぐらいの混み具合で、大丈夫かな、と思っていたら、人物紹介の会場となる中央の南京町広場では身動きがとれないほどだった。
広場のまわりには簡単な柵が設けられていて、その柵から外に観客が何重にも取り巻いている状況。私は前から四列目ぐらいなのでほとんど中が見れない位置だった。だからカメラを頭上にかかげ、その状態でシャッターを押すことにした。
それでとれたのが右上の写真。
人物紹介は京劇のメイクをし衣装を着た人が一人一人出てきて紹介されるって段取り。今回で9回目を迎えるとのこと。総勢23名。演じている人たちは一般公募とのこと。一人目は明代の皇帝、二人目は明代の皇后、三人目は楊貴妃と続いていって、四人目でいよいよ三国志の人物登場。
それが写真の左上、諸葛亮(字、孔明)だ。ちなみに写真はクリックすると拡大される。羽扇が黒いのが印象的。
それから写真の諸葛亮の右は呂布(字、奉先)。写真ではわかりにくいが頭から1メートルぐらいの触覚みたいなのが二本のびている。武官の象徴か何かだっけ? しかしマイクで紹介している司会のお姉さんが呂布を「前漢の」武将って言ってしまっている。
さらに写真の右は劉備(字、玄徳)。諸葛亮や呂布や関羽だったら何とかわかるけど、ここらへんは紹介無しだとわかりにく。ちなみに背中からでている旗は師団の象徴とのことらしく、四つの旗だから四師団率いていることを表現しているそうな。そういえば呂布は旗がなかったな。
さらに写真の右は関羽(字、雲長)。これはわかりやすい。赤ら顔と美しいヒゲだし。京劇の関羽は伝統的に顔にほくろが描かれているとのこと。これは本物の関羽に役者が敬意を表して、本物の関羽ではありませんよ、という印とのこと。
さらに写真の右は普段は四阿(あずまや)で春節のときは祭壇となるところにまつられている関聖帝君の像(関羽像)だ。かっこいいねぇ。今年も昨年と同じで、参拝指南は西遊記の登場人物、孫悟空・猪八戒・三蔵法師であり、彼らとも記念撮影ができるのだ。

・神戸南京町・春節祭2005に関聖帝君登場。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/76

やっぱり今年もフォーチュンクッキーもらえて、昨年と違って、オレンジの口紅を用意しなくてよく、「部屋の模様替えで気分転換を!」とのこと。いや、その前に部屋の掃除をしなきゃ。
さて話を元に戻して、写真の下の段にうつって左端。うつっているのは張飛(字、翼徳)。ほうほう黒と金で渋いなぁ。
張飛の右にうつっているのが曹操(字、孟徳)。なんだかやさしそうな曹操だ。
で、最後が董卓(字、仲穎)。全然、董卓を悪く言う説明じゃなくてビックリした。衣装がピンクなんで心の中で「ラブリー董卓」という単語が浮かんでいた。

さて、三国志関連の人物はここまで。そう呉の人物が一人もでてこないのだ。

しかし人物紹介が終わったら人混みが動き出し見事にサンドイッチの具にされてしまった。

※追記 2009年の春節祭

※追記 『蒼穹の昴』で冀州の戦い(2010年11月11日)

※追記 神戸南京町広場四阿 彫刻
 

モバイル電子文献


  • 2006年1月28日(土) 09:54 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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ネット  ネットにつながる環境であれば、「中央研究院 漢籍電子文獻」にアクセスし、史記、漢書、後漢書、三国志など正史類の電子文献を読めるし、文献内の人物名や官職など単語を容易に検索できる。それにここだと史書系だけじゃなく三國演義など小説戯曲の類も読めるし。

・中央研究院
http://www.sinica.edu.tw/
ここのサイトの「中文」→「公共服務」→「研究資源」→「漢籍電子文獻」とたどる。

 ただ書籍と違って、逆にネットにつながなければ見れないし、それにネット環境に左右され、回線速度が遅ければ文字を早く追うのも難しくなる。

 そこで単純に思いつくのが、それらの電子文献をPCへダウンロードし読みたいときに読むってこと(もちろん配布などせずあくまでも個人的に楽しむものだけど)。またPCがノートPCや電子パッドの類であれば、持ち歩いていつでも読むことができ、実際、私はいろんな電子文献を個人的にノートPCに入れている。

 まぁ上記サイトは何回もいろんなページにアクセスしないといけないんで、そういうときは下記サイト(ここには資治通鑑もあるし)など他のサイトがおすすめ。

・新亞研究所 典籍電子資料庫(建設中)
http://www.hkedcity.net/project/newasia/resources/
※ここでは「三国志」は「三國誌」と表記されている。

 ただ「中央研究院 漢籍電子文獻」と違って、文献内を検索するのにいちいちダウンロードしたファイルをあけて検索しないといけないのが不便。私の使っているOSのファイル検索が繁体字中国語(Big5)など中国語のコードに対応できないからだ。

 そう思っていたときに見かけたのが下記サイトの下記ページ。

・過立齋
http://www.karitsu.org/index.htm
→電脳コラム→テキスト処理

 そうか、エディタの「ファイルから検索」機能をつかえばいいのか、と思って手元のエディタを使ってみると中国語のコードに対応してなかった。
 というわけで最新のEmEditor Professional v5.00を購入することに。プラグインで繁体字と簡体字との相互変換ができるので便利。

・Emurasoft
http://www.emurasoft.com/

 コンビニ支払いの手軽さが良いね。数日で送られてきたハガキを夜にコンビニにもっていて支払ったら、数時間以内にライセンスキーがメールで送られてきたのはビックリした。

 というわけでたまにPC内の電子文献を検索して遊んでる。

※追記 リンク:漢字文献情報処理研究会

2006年1月23日「続続・STOP劉備くん!」発行


  • 2006年1月27日(金) 23:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  というわけで二ヶ月前に「STOP劉備くん!」が復刊して、さらに一ヶ月前に「続・STOP劉備くん!」が復刊したわけだけど、やっぱり今月「続続・STOP劉備くん!」が2006年1月23日に復刊した。そして来月には「GOGO玄徳くん!!」が復刊される(…とこちらは普通に本屋に置いていたが…)

・2005年11月22日「STOP劉備くん!」発行
http://cte.main.jp/newsch/article.php/229
・2005年12月22日「続・STOP劉備くん!」発行
http://cte.main.jp/newsch/article.php/251

※追記 STOP!劉備くん! ひとまずの最終回 (2011年3月24日)

タイトル 続続・STOP劉備くん!
 MFコミックス、フラッパーシリーズ
 白井版三国志遊戯
著者 白井恵理子
発行 株式会社メディアファクトリー
発行日 2006年1月31日
定価 514円(税別)


 それで実際、今回のMFコミックス版を見てみると(以下、前回のフォーマットと同じ・汗)、角川書店発行の「続続・STOP劉備くん!」(1997年初版、あすかコミックス)の復刊が大部分をしめていて、8ページ~37ページの台詞部分が手書きじゃなく活字のページがコミック三国志マガジンで掲載されていた「STOP! 劉備くん!」四コマ作品23本(うち八コマ作品は6本)、それから結構、シリアスな近況が書かれている書き下ろしの「あとがき」(2005年12月16日)という中身になっている。
 それで復刊のきっかけとなった復刊ドットコムですでに2月下旬に「GOGO玄徳くん!!」(こちらは元々、潮出版のKIBO COMICS)の発行がメディアファクトリー予定されている。

・復刊ドットコムの該当ページ
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=8733


 今回は「コミック三国志マガジン」第5号の「赤壁の戦い」特集の掲載分なので「赤壁の戦い」ネタがてんこ盛りなのだ。もちろん最近の時事ネタ、ダースベーダーとか、てんこ盛り。

・2005年9月28日 コミック三国志マガジン第5号
http://cte.main.jp/newsch/article.php/182

 それと他のブログの記事も参照のこと。

・GOGO三国志!
http://blog.goo.ne.jp/aoitako/
・MF版 「続続・STOP劉備くん!」
http://blog.goo.ne.jp/aoitako/e/02aa30f7f7f05bcc586299edeee43117


 というわけで前回と同じくきっちり比較。右上の写真で左がMFコミックス版で右が角川書店版(あすかコミックス版、初版)。以下、箇条書き。
・MFコミックス版が一回り大きくて、絵も少し大きい。
・表紙の絵が違う(右上の写真参照)。あすかコミックス版の歴代表紙は馬に乗っているところで統一しているんだね。
・あすかコミックス版の「STOP劉備くん!」のカット(劉備が龍に乗ってでんでん太鼓を持っている。まんが日本昔話のオープニングのパロディー?)がMFコミックス版の中表紙の絵になっている。
・そのため、あすかコミックス版の中表紙はMFコミックス版にはない。
・あすかコミックス版の中表紙は各キャラクターのお正月光景(個人的にこちらが好き)
・あすかコミックス版の副題「白井版三国志遊戯……ぞくぞく との それはなりません」、MFコミックス版表紙の副題「白井版三国志遊戯」
・あすかコミックス版のカバーの端っこ表紙側(表紙をめくったところ)には白井恵理子先生の自画像とプロフィール(誕生日、出身、血液型、星座、デビュー作)、MFコミックス版はMFコミックスの刊行本一覧
・MFコミックス版の裏表紙は魏の人物がロープの輪で電車ごっこ(?)。「STOP劉備くん!」の裏表紙が蜀の人物が電車ごっこ(?)で「続・STOP劉備くん!」の裏表紙は呉の人物が電車ごっこ(?)だから三冊で三国揃い踏み。
・その分、あすかコミックス版の裏表紙のカットがMFコミックス版の目次のカットになっている。
・あすかコミックス版のカバーの端っこ裏表紙側(裏表紙をめくったところ)には白井恵理子先生のあすかコミックス刊行本一覧と版画調のカット(?)、MFコミックス版は白井恵理子先生のプロフィール(誕生日、出身、血液型、星座、デビュー作、代表作)
・もくじはデザインやカットやタイトルが違うが項目やスポットライトの順番は同じ。
・あすかコミックス版は「必殺 孫の手 もくじ」(※かゆいところにも手が届く?!・笑)
・もくじの後にともに「三国志遊戯 勢力分布図&主な登場人物」があるもののあすかコミックス版の方が紹介されている登場人物が多い。
・あすかコミックス版は「口上」の1ページ前に特別付録がある。「なりきって諸葛瑾」。
・MFコミックス版の8ページ~37ページがコミック三国志マガジンで掲載されていた「STOP! 劉備くん!」四コマ作品23本(うち八コマ作品は6本)。
・あすかコミックス版はたまにコマの外にカットがでてくるが、統一性をだすためかMFコミックス版ではことごとく消えている。
・あとがきが違う。あすかコミックス版のあとがきには各キュラクターがプリクラをとっている絵なのだ。

・しかしMFコミックス版の方のあとがきはあいかわらずヘビーな内容なんだけど、終わりの方に書いていた「格付けバトル」を私は見たことないんだけど(汗)、その後の
 女子校で文化祭に男子をなるべくよばないようにと言われた話→カブトムシやキリギリスもなるべく同じ籠に入れずに飼いましょう→『だから孔明も「かごを三つにしましょう」って…』あたりの三国志に戻す話の展開はお見事。
 「格付けバトル」に参加しないのはオタクっぽくてもてない、ってあたりは何か中島梓先生のトーナメント論と共通するものを見いだしてしまう。
 そういや余談だけど、数日前、私は知人に「某週刊少年漫画雑誌はその昔、幽霊主役の人情話がいつの間にかトーナメントになってたり、中華ファンタジー冒険活劇がいつの間にかトーナメントになってたり、怪獣退治ヒーローものコメディがいつの間にかトーナメントになってたり、ツッパリ硬派パロディーがいつの間にかトーナメントになってたり、変なプロテクターをつけた少年たちなんて初めからトーナメントだった漫画雑誌だったんだ!!」ってネタを言ってたっけ(笑)

2006年1月16日「三国志烈伝 破龍」2巻発売


  • 2006年1月26日(木) 22:11 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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マンガ  「プリンセスGOLD」で連載されている長池とも子先生/箸「三国志烈伝 破龍」2巻(プリンセス・コミックス 秋田書店)が予定通り2006年1月16日に発売された。

・長池とも子先生のサイト「三国茶屋」
http://homepage2.nifty.com/nagaiketomoko/

・2006年1月16日「<三国志烈伝>破龍」2巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/206

 で、気になるラインナップだけど、以下のようになっている。

第四話 北部尉・曹操  (プリンセスGOLD7+8月特大号)
第五話 江東の暗雲  (プリンセスGOLD9月号)
第六話 臥龍の恋  (プリンセスGOLD11+12特大号)
番外編 碧眼の花嫁  (プリンセスGOLD10月号)

 ここらへんは作品の近況やら作品の内容やらはブログ「GOGO三国志!」に詳しい。

・GOGO三国志!
http://blog.goo.ne.jp/aoitako/

・長池とも子 三国志「破龍」第2巻
http://blog.goo.ne.jp/aoitako/e/e0b6e4b6a3097f319b1f3d20bd5b2d68
・「破龍」単行本化の危機!?
http://blog.goo.ne.jp/aoitako/e/fd547e427c42f584ac3f43e3998a4998
・長池とも子「破龍」販促運動!!
http://blog.goo.ne.jp/aoitako/e/825fd28730c853919a6c5d95a2cf9a1b

 さて感想だけど、ここでは話ごとに簡単なコメントを書いていく。もちろんネタバレ含む。

・第四話 北部尉・曹操

 華蓮のキャラがたっていて、話をぐいぐいひっぱっていくんだけど、あっさりと舞台から消えて単発のキャラとしてはもったいないな、と思っていたら、なんと最新の号では再登場しているとのこと。やっぱりあの人物? あと冒頭の曹操がかっこよすぎ! 正妻と妾の距離感とか雰囲気とか表現が良い。あと漫画のタイトルが「破龍」である理由も最後に出てくる。

・第五話 江東の暗雲

 私が孫堅ファンだから史書で劉表の元へ孫堅の亡骸をひきとりにいった桓階(字、伯緒)や孫堅の亡骸を送った孫賁(字、伯陽)が出ていないのは気になるけど、まぁそれは漫画だから登場人物を減らして読みやすくするのは当たり前だとは思う(それを言ったら前巻の祖茂がなくなっていたのも気になるが)。孫堅ファンとしてきになる点を割引いても主役の公私ともに救いのない話であまり好みじゃない。まぁこれだけで評価するんじゃなくて、とびとびの連続したストーリーと考えると、今後、評価が変わってくるんだろうけど。孫堅の死因の二つの説をうまく融合させているところがツボ。

・第六話 臥龍の恋

 まず気にいったのが徐庶や崔州平との仲間の雰囲気。主役の諸葛亮を友人として暖かく見守っていて明るい関係がよく出ている。あと飢えや農業をテーマにして、諸葛亮と黄氏の育ちの違いとかそれによるそれぞれの気持ちの起伏に引き込まれる。

・番外編 碧眼の花嫁

 これはやっぱり孫堅の若い頃のドキドキ感→恋心のところがかわいすぎ!(笑) あと、公式サイトの日記にも書かれてたけど、12~13歳ぐらいの女性の裸の絵は苦労したようだ。年齢より幼い気がするけど雰囲気が充分でていて、若い孫堅たちがショックを受けたのもわかる気がする(笑)。


 ちなみに本筋とはまったく関係ないけど「江東の虎」はおそらく三国演義の「第五回:發矯詔諸鎮應曹公,破關兵三英戰呂布」の反董卓時期のシーンが由来かな。そのシーンで、ある人が孫堅に兵糧を送るなと袁術に進言したときのセリフに

或説術曰:「孫堅乃江東猛虎;若打破洛陽、殺了董卓、正是除狼而得虎也。今不與糧、彼軍必散。」

 三国志や周辺史書にはないので、ここの「江東猛虎」がおそらく由来(おまけにニュアンス的に蔑称ぽい・汗)


・2006年7月14日「三国志烈伝 破龍」3巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/366

2006年3月11日 第二回TOKYO 漢籍 SEMINAR


  • 2006年1月25日(水) 23:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究  2002年11月30日土曜日に京都大学人文科学研究所で「石刻が語る三国時代」という公開シンポジウムがあった。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w0212101130.html
 私は何げなくそのシンポジウムにいったんだけど、それはとても興味深いシンポジウムだった。それで主催は『京都大学人文科学研究所「三国時代の出土文字資料」研究班』というところとのことで、当日、配られたパンフレットには『「三国時代の出土文字資料」班(二〇〇〇~〇五)』と書かれていたので、勝手に「石刻が語る三国時代」を中間報告のシンポジウムととらえ、きっと最終報告のシンポジウムがあるに違いないとにらんで、ひそかに待ち続けていた。

 それと関係があるかどうかはさておいて、今日、「三国志ファンのためのサポート掲示板」である書き込みがあった。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2177

 そこの書き込みと掲げられたURLによると、

「第二回TOKYO 漢籍 SEMINAR
 三国鼎立から統一へ--史書と碑文をあわせ読む」
主催 国立大学法人京都大学人文科学研究所
日時 2006年3月11日土曜日の10時30分~16時
場所 東京都千代田区 学士会館2階 210 大会議室

があるとのこと。参加方法等、詳しくは下記URLで。

・京都大學 人文科學研究所
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/

 報告者や講演題目を見ると、「石刻が語る三国時代」と共通するところが多いんだよな。研究がどう進んだのか、楽しみ。

日本のいろんな中華街の春節


  • 2006年1月23日(月) 12:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所

というわけで神戸南京町・春節祭2006のことを見ていたら、日本の他の中華街の春節についてもネットで調べたくなった。

・2006年1月29日-2月5日 神戸南京町・春節祭2006
http://cte.main.jp/newsch/article.php/268



・横浜中華街
http://www.chinatown.or.jp/

・2006春節
期間 2005年12月2日金曜日~2006年2月26日日曜日

さすが横浜の中華街、期間が新暦旧暦も含めていて長いのが特徴。
新暦にも旧暦にもカウントダウンイベントがあって、その両方の年が変わる前後数時間は關帝廟があいているとのこと。あと1月29日日曜日の15時から17時には祝舞遊行という中華街全域をとおる民族衣装・獅子舞・龍舞によるパレードがあるとのこと。三国志関連はあるのかな?
他には關帝廟で2006年2月12日日曜日18時から元宵節燈籠祭というイベントがある。願いを込めたメッセージキャンドルを關帝廟に奉納するとのこと。


・長崎新地中華街
http://www.nagasaki-chinatown.com/

・2006長崎ランタンフェスティバル
http://www.nagasaki-lantern.com/
期間 2006年1月29日日曜日~2月12日日曜日

フェスティバルのメインを飾るランタンの中には劉備・関羽・張飛のランタンがあるのだ。上記URLに写真があるのでそちらを御覧あれ。


あと大阪の千里中華街で2003年2月にランタンフェスティバルやっていたけど、サイトを見ても今年、やるかどうかわからないな。

・千里中華街
http://www.selcy.co.jp/chaina/
 

2006年1月29日-2月5日 神戸南京町・春節祭2006


  • 2006年1月22日(日) 12:25 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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場所

 旧暦のお正月の「春節」を盛大に祝う春節祭。今年も神戸南京町(中華街)で2006年1月29日日曜日から2月5日日曜日の間にあるとのこと。まぁここでとやかく書くよりは下のURLを参照してください。

・神戸南京町・春節祭2006
http://www.nankinmachi.or.jp/shunsetsu/spring2006/

ここでは三国志ニュースということで、三国志関連をとりあげてみる。まず「祭壇参拝&記念撮影」。下記のURLにも書いてあるように去年と同じく祭壇にまつられているのは関聖帝君、つまり三国志に載っていてその後、神聖化された関羽(字、雲長)だ。ちなみに参拝指南は西遊記の登場人物、孫悟空・猪八戒・三蔵法師。記念撮影もできるとのこと。期間中は毎日、11時から19時に行われている。

・神戸南京町・春節祭2005に関聖帝君登場。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/76

あと、去年は日曜日におこなわれなかったが、今年は1月29日日曜日12時スタートと2月1日水曜日12時スタートの「中国史人游行~中国歴史人物パレード~」。内容はそのまま引用すると「三国志の英雄や楊貴妃などが、京劇の衣装とメイクで南京町~大丸~元町商店街をパレードします。」とのことだ。さてどんな三国志の英雄がでるか楽しみ。スケジュールをみると人物紹介もあるんで要チェック。

・「日本のいろんな中華街の春節」に続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/269


ちなみに去年、南京町から少し離れた神戸関帝廟に寄ったけど、特に春節用の催し物はやってなさそうだったけど、今年はどうかな。

・JR西日本の広告に神戸関帝廟
http://cte.main.jp/newsch/article.php/87
 

2006年6月11日 鳳凰飛翔(真三國無双シリーズ魏軍オンリーイベント)


  • 2006年1月17日(火) 21:14 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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二次創作 ・三国志関連同人誌即売会リンク集
http://cte.main.jp/newsch/article.php/218
・三国志関連同人誌即売会リンク集追加分
http://cte.main.jp/newsch/article.php/237
・三国志関連同人誌即売会リンク集追加分2
http://cte.main.jp/newsch/article.php/261

 昨日、やたら「魏 オンリー」と検索されるな、っと思ったらやっぱり真三國無双シリーズの魏軍オンリーの同人誌展示即売会があるみたい。詳しくは以下のURLにて。

○鳳凰飛翔
内容:真三國無双シリーズ魏軍オンリーイベント
日付:2006年6月11日(日)
会場:北海道 札幌市民会館5号・6号会議室
SP数:直参60sp・委託20sp
備考:コスプレコンテスト・ビンゴ大会・イラストコンテストあり コスプレ事前登録 開催記念アンソロジーあり
URL:http://wei6.easter.ne.jp/

形として残る、開催記念アンソロジーは嬉しいね♪

太平御覽の部の一覧


  • 2006年1月15日(日) 12:41 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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歴史  ほとんど自分向けのメモ書きなんだけど(汗)
 「太平御覽」という書物がある。清の紀鈞の「四庫全書總目」によると、子部に分類され、宋の李昉たちによる敕撰で一千巻。太平興國二年(西暦977年)に詔を受け、八年で完成したとのこと。旧名は「太平編類」。中身は世の中のいろんなことがまず大項目(○○部)それから小項目に分かれていて、その項目に関していろんな書物から引用されている。引用されている書物は一千六百九十種とのこと。例えば、「卷六十九」の「地部三十四」の「洲」の「呉録地理志」からは、「呉富春縣有沙漲、武烈為郡吏、赴府、郷人餞之、會於沙上、父老曰:『此沙狹而長、君後當為長沙太守。』後果然、因名孫洲。」となり、呉の富春県に沙漲(砂浜のわき起こり?)があって、武烈(孫堅のこと)が郡吏(郡の役人)になり、府(役所)にむかうとき、郷人(村人)たちがたまたま沙の上でこれをおくり(送別会をし)、父老(村の老人たち)は「ここの沙狹(砂の狭いところ)を長くすれば、あなたは後に長沙太守になるだろう」といって、その後、そうなり、そのため孫洲と名付けた、と引用されている。こういう感じで三国志に関係することも多数あるのだ。

※追記 リンク:中国盲人数字図書館 電子図書

 それでさすがに一巻一巻、どんな項目があるか書くのは一千巻もあるし長すぎるんで、どの巻からどんな部が始まるか、以下に列挙する。つまり「太平御覽」で何か調べるのに便利かと思って、自分向けにつくったメモ書きなのだ(笑)。

卷一 天部
卷十六 時序部
卷三十六 地部
卷七十六 皇王部
卷一百一十七 偏霸部
卷一百三十五 皇親部
卷一百五十五 州郡部
卷一百七十三 居處部
卷二百三 職官部
卷二百七十 兵部
卷三百六十 人事部
卷五百一 逸民部
卷五百一十一 宗親
卷五百二十二 禮儀部
卷五百六十三 樂部
卷五百八十五 文部
卷六百七 學部
卷六百二十 治道部
卷六百三十五 刑法部
卷六百五十三 釋部
卷六百五十九 道部
卷六百八十 儀式部
卷六百八十四 服章部
卷六百九十九 服用部
卷七百二十 方術部
卷七百三十八 疾病部
卷七百四十四 工藝部
卷七百五十六 器物部
卷七百六十六 雜物部
卷七百六十八 舟部
卷七百七十二 車部
卷七百七十七 奉使部
卷七百八十 四夷部
卷八百二 珍寶部
卷八百一十四 布帛部
卷八百二十一 資産部
卷八百三十七 百谷部
卷八百四十三 飲食部
卷八百六十八 火部
卷八百七十二 休征部
卷八百七十四 咎徴部
卷八百八十一 神鬼部
卷八百八十五 妖異部
卷八百八十九 獸部
卷九百一十四 羽族部
卷九百二十九 鱗介部
卷九百四十四 蟲豸部
卷九百五十二 木部
卷九百六十二 竹部
卷九百六十四 果部
卷九百七十六 菜茹部
卷九百八十一 香部
卷九百八十四 藥部
卷九百九十四 百卉部

2006年1月23日「蒼天航路」35巻&36巻発売


  • 2006年1月12日(木) 21:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    1,865
マンガ  「講談社BOOK倶楽部」によると王欣太/箸「蒼天航路」の単行本35巻と36巻は2006年1月23日の発売とのこと。税込価格は順に540円、580円。

講談社BOOK倶楽部
http://shop.kodansha.jp/bc/

 もうネットのあちこちで話題になっているんでご存知の方は多いと思うんだけど、2005年11月10日の連載終了に続き、今回の36巻で単行本の方も終了する。ちなみに私は主にサイト「蒼天三国志」を見ている。

・2005年11月10日「蒼天航路」堂々完結
http://cte.main.jp/newsch/article.php/216

 そのサイト「蒼天三国志」の掲示板でも指摘あったけど、発売日の1月23日は曹操の命日だ(ちなみに命日の出典は「2005年11月10日「蒼天航路」堂々完結」を参照のこと)。なんとも粋なはからいなのだ。

「捜神記」で検索される訳


  • 2006年1月11日(水) 19:11 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
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教育機関  検索ネタの第四弾。過去3つの記事は以下の通り。

・三国志 地図
http://cte.main.jp/newsch/article.php/242
・二宮事件
http://cte.main.jp/newsch/article.php/184
・三国志 服装
http://cte.main.jp/newsch/article.php/258

 それで今回は「捜神記 書き下し」とか「捜神記 訳」などの検索ワードについて。以前、以下のような記事を書いてからというもの、頻繁に干宝(干寶)の「捜神記(搜神記)」関係の検索ワードが出てくるようになった。

・捜神記の日本語訳
http://cte.main.jp/newsch/article.php/225

 初めは上記「二宮事件」のように(あるいは某チャンネルで話題に出てきた等)一過性のものかと思ったがどうもそうでもない。期間や地域性が見えてこない。あるいは「三国志 地図」や「三国志 服装」のように元々、厚い「ファン」層があって個々の興味の発展の結果、長い期間でよく検索されるとも考えられるけど、どうも理由としてはいまひとつ。
 いろんなところから長期間、検索される理由がわからないな、と知人に告げたところ、返ってきた推測は「(高校や大学の)授業で使われているから」というもの。私自身、漢文の授業は受けたことがないので、「捜神記」が授業の題材に使われているのに実感がわかず、いまいち納得できなかった。ネットで検索する必要性があるのか、と。
 そんなときに見かけたのが下記のリンク先、關尾史郎先生のブログの記事と「OKWave」の質問のところだ。

・關尾史郎先生のブログ
http://sekio516.exblog.jp/
・購入(05/12/05)
http://sekio516.exblog.jp/2090894

・「OKWave」
http://okwave.jp/
・赤壁の戦いについてなんですが・・・
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1498244

 前者のブログの記事はもちろん教える側の記述。後漢書の完訳本が発売されたというだけで、文献購読のテキストに後漢書を使わないということは、それだけ教わる側(ここでは大学の2、3年)の中で訳本に頼り切ってしまう人が多いということだろうか。
 後者の掲示板の質問は教わる側の記述。漢文のテストで「赤壁の戦い」がテスト範囲になったというだけでテスト前日に掲示板で質問するだなんて特例だろうけど、どうも漢文関連のテストや課題についてネットに頼ることの氷山の一角だと思えてならない。それに「赤壁の戦い」が一塊りだけの漢文として存在すると教わる側が認識している節がある時点で、その教える側の教え方を疑ってしまう。
※「赤壁の戦い」についての一応の参照リンク
http://cte.main.jp/newsch/article.php/195

 どうも検索ワードで「捜神記」関連が多いのは「授業で使われているから」、という推測を信じられるようになった、もっと言えば授業や講義で出た課題をネットで気軽に検索するだけですませてしまうのかもしれないな、と先の知人に告げたら、ほらみたことか、とばかりに言い返されたが、もう一つ面白い事例を聞くことができた。ある漢籍についての課題(書き下しと訳等)が出た直後に、その知人の知人が図書館でその漢籍の訳本を見つけすぐ借りたと自慢げに言っていた、とのこと。もし私がその場に居合わせたら素人の立場ながら「それだったらその専門の学生なのに、訳本の出ていない漢籍は読めないことになる」と反射的に突っ込むと思うけど。あと知人は、そんな理由で図書館から借りていたら別の理由で借りたがっている他の人が借りられない、と述べていた。確かに。
 ちなみに「捜神記」の訳本は発売されているし、以下のようにこれから刊行される本にもあるぐらいだ。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/243

 やっている本人としては図書館で訳本を探し出し課題やテストにあたるのは(短期的な視野では)楽なことなんだろうけど、ネットでつないで検索するだけだなんてさらに楽な方法で課程をおえた気になるもんだな……と、これは全く見当違いな邪推かもしれない。もしかすると自らの解答を他の解答と比較し、よりよいものにしようとする努力の跡が検索ワードに現れているかもしれない。

 あと大学じゃなく高校の漢文授業に関して、興味深いやりとりがあったので、以下に紹介しておく。

・漢文について
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1808005

 これがより専門性の高い大学になると端から講義を受けなければ良い、ということになるのかな??

<1月23日追記>
 「捜神記 復活」で検索したら、高校の教科書で使われていることとある高校のカルキュラムにあることを確認した。やっぱりか。
 ちなみに「新編古典講読(総合)」(株式会社明治書院)って教科書。
 「漢文、書き下し、訳」とともに、復活、定伯売鬼、漢文を読むために、義犬冢、死友、十八史略、三国時代、十八史略解説、天下三分之計、髀肉の嘆をかこつ、赤壁之戦、赤壁の奇略、白帝城遺言、阿斗、出師之表、死諸葛走生仲達、泣いて馬謖を斬る、などのワードで検索されたらそういう可能性が高い(汗)。


※追記 リンク:学生の動向

※追記 中国英雄列伝を漢文で読んでみる(2009年5月18日)

※追記 「三国志 読書感想文」or「三国志を読んで」

※追記 三国志オンライン検定! 赤兎馬検定(2010年3月16日-5月末)

※追記 教科書本文データ集(全国漢文教育学会)

※追記 蒙求 ビギナーズ・クラシックス中国の古典(2010年12月25日)

※追記 早稲田大学の入試で『三国志』

※追記 『100万人の三國志』内三国志クイズイベントに於いてのネット検索行為の実態調査

※追記 中国小説史入門(2012年4月13日-6月22日)

<2009年8月5日追記>
同じqaネタとして、下記のようにブログ記事にリンク張っておく。

・枕流亭ブログ
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/
・中国皇帝たちの名称について
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20090720/p2

2006年1月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ2月号)


  • 2006年1月10日(火) 22:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,290
マンガ  三国志の人物、管輅(字、公明)が主人公の漫画「八卦の空」が月刊の漫画雑誌『ミステリーボニータ』に連載されている。2006年1月6日発売の「ミステリーボニータ2月号」に掲載されている。
 前号の1月号は「八卦の空」はお休みで代わりに予告があったとのこと。ブログ「青木朋さん(私設)ファンクラブ」の下記のリンク先記事参照。

・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
・ミステリーボニータ「1月号」
http://bluefan.exblog.jp/2322309/

 上のブログの記事のコメント欄にある「編集さんが苦心して…」って話が個人的に気に入っているんだけど、やっぱりこの場合の「謎の男」は今回のゲストキャラの「韓 伯彦」になるんだろうか、と面白がっている。ある意味、ストーリーの途中で「謎の男」だし。

 青木朋先生のサイトの日記(2006年1月6日付け)にもあるように前回は「虫&ジジイ&文字」というネタだったが、それとは対照的に今回は恋愛もの。
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=101699

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
※サイトでしか見れない三国志漫画アリ。


・12月号のときの記事。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/213

 それと1月号の予告にもあったように、今回、表紙がカラー。玄龍くん&管ちゃんの盛装姿。カラーでとても華やかなのだ。

・秋田書店のサイト
http://www.akitashoten.co.jp/
※ページの下の方にミステリーボニータのページへのリンクあり



 さて以下、ネタバレになる本編についてなんだけど、導入の冒頭の2ページ、それからその最後のコマで侍女俑(侍女を形取った像)が作り物なのに顔を赤らめた姿が、全体の伏線というかテーマの一端をあらわしているようで印象的。
 ズバリ今回は立場を越えた恋愛が描かれている。ただロミオとジュリエットなんかよりももっと厳しい立場、なんてったって人間と神像だから(汗)。そして当人同士は相思相愛なんだけど、両サイドの偏見や思惑から当人たちの望まぬ方向に進んでいく。玄龍くん&管ちゃんは侍女俑サイド→伯彦サイドの流れ。物語は伯彦が侍女のことをどう思っているか謎のまま(ここらへんが「謎の男」?)すすんでいって、それに応じ侍女俑の心の揺れ動きが描かれ、やがて二人の取り巻きの利己的な行動の結果、伯彦の命に危険がおよぶ事態にまで発展するんだけど。そこから二人がそれぞれ持つ気持ちがあきらかになり事態は一応の解決をむかえる。そのあきらかになるあたりが感動的なんだよな。
 今回、廟の中の神像たちの描かれ方のかき分けが印象的。「モノ」としての神像たちの描かれ方、神像たち同士で話す描かれ方、伯彦の悪夢で出てくる神像たちの描かれ方とか、それぞれ面白い雰囲気。個人的には武官俑がお気に入り。あと、神様の元へ手紙を送る管ちゃん、今回も手堅く活躍している♪


 それから以下のブログ「小芙蓉城」の記事を読むと漫画のバックボーンも奥深く興味深い。

・小芙蓉城
http://furong.mabinogion.net/
・城隍神信仰と神像について
http://furong.mabinogion.net/archives/2005/12/post_282.html
・続・城隍神信仰と神像について
http://furong.mabinogion.net/archives/2005/12/post_286.html


 さて次回(3月号、2月6日発売)予告は「謎の女性の登場で!?」ということでどんな話だろ。というか「謎の男性」の次は「謎の女性」(笑)


・2006年2月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ3月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/284

ヨシトミ製作所(コスプレ用アイテム制作サークル)


  • 2006年1月 8日(日) 17:03 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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    2,360
二次創作  コスプレ用の武器や小物などの制作販売を行っているところを見かけたので、ご紹介。「ヨシトミ製作所」という名前。現在は三國無双シリーズを中心に制作を行っているとのこと。公式サイトは以下の通り。

・「ヨシトミ製作所」
http://www.d-flame.cx/~yositomi/

 上記サイトのカタログで三國無双関連で見られるのは、3の陸遜が使用する武器、飛燕と3と4の孫策が使用する覇王。カタログには写真と共に大きさや重量、それに材質等、詳しく書かれている。あと個人的にコメントのお茶目さが気に入っているんだけど(笑)

<4月13日追記>
 ブログを始められたようです。
http://yositomi.blog60.fc2.com/
<追記終了>



 それから下記のリンク先のコスプレの一番左の曹操(横山光輝モデル)の冠がヨシトミ氏制作と、どこぞかのサイトで見かけたような。。。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/158

三国志関連同人誌即売会リンク集追加分2


  • 2006年1月 7日(土) 18:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,311
二次創作 ・三国志関連同人誌即売会リンク集
http://cte.main.jp/newsch/article.php/218
・三国志関連同人誌即売会リンク集追加分
http://cte.main.jp/newsch/article.php/237

 情報はサイト「英傑群像」の三国志同人イベント投稿BBSより。

・三国志グッズ総合オンラインショップ「英傑群像」
http://www.chugen.net/

 追加分二つ目。今回は一つ、三国志関連オンリー。詳しくは下記URLで。

○サンケット
内容:三国志関連オンリー同人誌即売会
日付:2006年5月5日(祝)
会場:東京都 都立産業貿易センター浜松町館5F
SP数:直参100sp
備考:じゃんけん大会など企画あり
URL:http://www.geocities.jp/sanket_sangokusi/


・2006年6月11日 鳳凰飛翔(真三國無双シリーズ魏軍オンリーイベント)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/267

2006年3月「真・三國無双4 Empires」発売予定


  • 2006年1月 6日(金) 23:24 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,592
ゲーム 真・三國無双4にシミュレーションのゲーム性を加えた「真・三國無双4 Empires」がコーエーより2006年3月に発売予定だそうです。税抜き価格で4280円。もちろんPlay Station 2用のゲーム。詳しくは下記の公式サイトまで。
http://www.gamecity.ne.jp/smusou4e/

林 巳奈夫 先生、死去


  • 2006年1月 5日(木) 10:09 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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研究 訃報です。
2006年1月1日に林 巳奈夫 先生が急性心不全のため死去されました。80歳でした。

・産経新聞
http://www.sankei.co.jp/
※ここの「おくやみ」のところです。

林 巳奈夫 先生は京都大学名誉教授で「中国古代の生活史」(吉川弘文館刊、1992年3月10日発行、ISBN4-642-07311-6)の著者であり、つい最近、著作の「漢代の文物」を紹介したばかりです(下のリンク参照)。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/258
そのため、個人的にかなり驚きました。

林 巳奈夫 先生のご遺徳を偲び、哀悼の意を表します。

※追記 『中国古代の生活史』復刊(2009年12月15日)

1976年 林 巳奈夫/編「漢代の文物」


  • 2006年1月 2日(月) 11:41 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
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研究  以前、手元のサイトへの検索ワードで多いのが、「三国志 地図」って書いたけど、それと同じぐらい多いのが、服飾関係、「三国志 服装」とか「三国時代 衣服」とかまぁ衣装とか冠とかそういった類。

・三国志 地図
http://cte.main.jp/newsch/article.php/242

 当時の服飾をきかれた場合、私はとりあえず基本の史料となる続漢書の輿服志をおさえているかどうかをさぐってから、そこからおすすめの本をあれこれあげていくんだろうけど。

http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1550
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=62

 それらの中で「中国古代の服飾研究」はおすすめだけど、これは三国志の時代というより中国古代全体を時代順に紹介しているので、三国志の時代あたりの服飾の本にさく割合は小さくなっている。
 その点、林 巳奈夫/編「漢代の文物」(京都大學人文科學研究所1976年12月15日発行、新版は1996年)の文物はその名の通り、服飾だけじゃないけど、漢代のものばかり。三国志の時代は短いし、ピンポイントな史料はなかなかないので、それより一つ前の時代の漢代のものが一番、参考になる。
この本は出土史料(畫像石など)や文献史料を元に漢代の文物を浮き彫りにしている。本文と図版が分かれているタイプの本で、本文が592ページに対して、図版は232ページもの分量。挿図にはそれぞれ何ていうものなのかちゃんとキャプションがついているし、出所も別のページに明記されている。
 どんな文物が取り上げられているかは下記の目次からの抜粋を参照のこと。

一 衣服、はき物/二 かぶり物、その他身につける物/三 染織/四 建物/五 什器/六 農具/七 乗物/八 娯楽/九 楽器/一〇 武器、旌旗/一一 書契

例えば、「二 かぶり物、その他身につける物」(つまり冠や綬など中心)のところだと、続漢書の輿服志の記載の流れにそって出土史料と対応させながら先行する研究の原田淑人/著「漢・六朝の服飾」(東洋文庫1937年発行)をふまえ、漢代の文物について論じている。

※追記 林 巳奈夫 先生、死去

※追記 孫機/著『漢代物質文化資料図説』

※追記 メモ:三国創作のための扶助会

※追記 『中国古代の生活史』復刊(2009年12月15日)

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