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隣のおばさん伝説(孫氏からみた三国志2)
021005
<<瓜売り、その名は鍾(孫氏からみた三国志1)

   さて、伝説的な部分は終わり、と言いたいところだけど、まだ伝説っぽい話は続く。
   これは前回、取り上げた宋書符瑞志の文に続く文。だけど、それより古い史書、韋昭撰の「呉書」にも今から紹介する箇所は載っていた1)ので、まだ史実っぽいかなあ、と(つまり、出来事が起こってから文にされる期間がより短いので、まだ、尾ひれ羽ひれがつきにくいかと……)。
   話は前回、登場したお墓にまつわることから始まる。

   孫鍾が葬られた墓は、城の東にあった。
   その墓で、二、三回、奇妙な現象が起こる。墓の上で珍しい光があり、五色の雲が天に上がりつづけ、数里に広がるという現象。
   珍しい光がプラズマなのか、人魂なのか、UFOなのか、今となっては定かじゃないけど、五色の雲の方は、現代において「彩雲」という名の雲の一種として知られている。変な光に加えて、それが立ち上り、数里、広がっているのだから、さぞ、見応えのある光景だったんだろう。
   やはり、当時の人々は、その現象を面白がって、見に行ったとのこと。近所の訳知りぶった年寄りたちは
「非凡な気(オーラ)だ。こりゃ、孫さんの家は盛んになるぞ!」
なんて言い合っていたそうな。

   まあ、そんな騒ぎがいつ起こったかわからないけど、あるとき、鍾の息子夫婦に子どもができる。
   この子どもは長子じゃなくて、その前に羌という名の男の子がすでに産まれている2)。じゃ、なぜ、その子どものことをとりあげるんだって話だけど、実はこの子どもが母親のおなかの中にいる頃、奇妙なことが起こる。
   それは母親が見た変な夢。自分のお腹から腸が飛び出て、呉というところの城の昌門(西門のこと?3))に巡った夢を見たそうな。
   そんな変な夢、自分の内に留めて、忘れてしまえばいいものの、よほどグロテスクで気持ち悪かったのか、目が覚めて、母親はそれをおそろしくなり、隣のおばさんに相談することになる。家族や親戚の誰でもなく、隣のおばさんって??   やはり、そのおばさんはご近所でも評判の物知りさんだったのだろうか??
   そうすると、そのおばさんが言うに、
「どうして、吉兆じゃないっていえるの!?」
と、さも、それが、めでたい夢なのが当たり前であるかのような口振り。
   宋書符瑞志によると、夢に出てきた昌門とは、郭門(城壁の城門)とのこと。だからといって、凡人の我々の頭の中で、それと吉兆とは結びつかないし、ましてや腸が飛び出ることも吉兆とは結びつかない。おそらく、この母親もそう思って、あたふたしてたんだろうけど、そこに隣のおばさんが平然と言い放ったのだから、その夢が吉兆だと、信じ込んでしまったんだろう。

   こうして生まれたのが堅という名の子ども。

   もしかして、隣のおばさんが母親に助言しなければ、母親が我が子を気味悪がって、まともに育ててくれなかったかもしれない。そう考えると、ただの隣のおばさんが史書(韋昭撰「呉書」)に載ったのも納得できる………なんて(笑)



1)   「堅世仕呉、家於富春、葬於城東。」(「三國志卷四十六呉書一 孫破虜討逆伝」の注に引く韋昭撰「呉書」)に続く部分。これを参考に宋書符瑞志の一部は書かれたのかなあ。   <<戻る

2)   「孫賁字伯陽。父羌字聖壹、堅同産兄也。」(「三國志卷五十一呉書六   宗室傳第六」より)で、羌って兄がいることがわかる。それ以外、記述が見られないので一部の三国志ファンの間では謎兄ちゃんと呼ばれている(笑)   <<戻る

3)   私の手元の史書では「昌門」だけど、筑摩書房「世界古典文学全集24c   三国志III」だと、「昌」は昌に門がまえの字になる。これだと、その本に書かれている通り、西の城門の意になる。   <<戻る

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