三国志関連に三国演義や吉川三国志など古くから親しまれている小説があるせいか、長い間、三国志ファンをやっていると、多くの人々が歴史と小説との混同するのには、慣れているというよりある種のあきらめがある。三国志ファン歴の長い人の中には慣れないというよりむしろアレルギー反応を起こしている人も多いぐらいだ。
よく言われているのが、1939年に吉川英治が三国志を題材とし執筆した小説を歴史書と同名の「三国志」と名付けたせいで歴史と小説とが混同されてしまう、ってことなんだけど、どうやらそれだけではないようだ。
・参照記事「三国志とは」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/226
歴史と小説との混同はどうも現代日本だけじゃなく、本場、中国の清末の時代でもそういったが話があるみたい。三国志と三国演義とを混同したという笑い話だ。「点石斎画報」から引いている内容。詳しくは下記リンク参照。原文も参考リンクもあって良いページ。
・虎渓之橋
http://www011.upp.so-net.ne.jp/hu-xi/
※ここのサイト→「小草文集」→「知らずに借りた三国志」
・知らずに借りた三国志
http://www011.upp.so-net.ne.jp/hu-xi/sgcw/jieshu.html
この場合、ある意味、白黒はっきりした結末だけど(汗)、どうも三国志ジャンル以外の現代日本では、実はあまり自覚されていない歴史と小説の混同があるみたい。司馬遼太郎の小説ファンに多いみたいで。まぁ、ここでとやかく書くより下のブログ記事を参照。
・つばめ飛ぶ 餌を取りては 子のもとへ
http://tosa-toad.cocolog-nifty.com/blog/
・「歴史好き」と「歴史小説好き」は必ずしもイコールではない
http://tosa-toad.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_91d2.html
予想はつくけど、司馬遼太郎自身は決して歴史と小説とを混同していたなんてことはなかったそうで、きちんとわきまえていることがわかるエピソードを下記のサイトのエッセイ「詩と真実」で紹介されている。こちらもここでとやかく書くより、そのエッセイを参照のこと。
・山際のページ
http://homepage.mac.com/taihakuzan/
※ここのページ上部のリンク→「余談雑談」→「詩と真実」
しかし、「詩と真実」の末尾に書かれている「また聞きの話」は本当だろうか。筑摩書房から三国志の訳本がでたとき、三国演義(あるいは湖南文山の「通俗三国志」か吉川三国志)と三国志を混同した人から「内容が間違っている」という抗議の電話が殺到したという話。ここで書いてしまうと「またまた聞きの話」になっちまうけど(汗)、その後、筑摩書房が三国志の訳本を文庫化する際に文庫の方のタイトルを「三国志」ではなくわざわざ「正史 三国志」とした理由を目の当たりにしたようで、妙に納得してしまう話だ。当時、多くの日本人が抱いていた既存の「三国志」とは違うんだという意図でタイトルに「正史」を付け加えたんだろう。まぁ結果的に元の「三国志」は「三国志」という名を奪われた形になっているんだけど。事実、歴史書の「三国志」を「正史」って呼ぶ三国志ファンは多いしね。
※追記
第23回下鴨納涼古本まつり(京都古書研究会)
※追記
私的メモ3:三国志関連初心者向け
※追記
戦略は歴史から学べ 第5回 諸葛孔明は弱小組織を変えるためにこう考えた(2016年4月1日)
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尤も、「献帝春秋」とか、「山陽公載記」とか、創作が多いと裴松之が非難した歴史書もありますね。
実は僕も小学生の頃、tvで「アマデウス」を見て、モーツァルトを殺したのはサリエリだと思っていました(汗)
そちらのブログの最新記事を読んだのですが、物語と歴史的事実の混同の話を先に書かれていたのですね(今さら気付いております・汗)
歴史的記述だけだと、史書や出土物に正確性でまさるものはないですからね。物語として楽しんで、書いていきたいです。
裴松之の注は他にも現代人からみたら明らかに創作物なのも引用してますね。「捜神記」とか。
それで調べてみたら、僕のこれまでの呉人の書き方があんまりで、それで言い訳しなきゃならないな‥‥‥なんて(汗)そういう訳です。
僕はこれからも孫堅オールスターズや孫権をヤラレキャラとして書く予定ですが‥‥‥何卒ご容赦を(笑)
そのついでに、といっては失礼ですが、「目をとじれば」も読ませて戴きました。韓当、程普と、孫堅配下のオールスターが揃いつつある頃の作品で興味深かったです。確かに土ギンと令支はそれ程遠くはありませんし、こういう話はありそうな感じですね。
おー、私の小説で創作意欲がわいただなんて、光栄です!
まぁ、小説は書き手の考え方や見方が現れていて、続けて読むと変遷みたいなのがありますからね。
どうも、読んでいただきありがとうございます。
あれはダラダラと連載していて、急に終わらせてしまったので、少し心苦しいですが(汗)
程普と韓当は北の方、出身で孫堅との接点は謎ですね。朱治や黄蓋は想像できるのですが。
だから呂範を主役に、そろそろ正当派作品に戻りたいんです。本来の僕の文体と作風は、硬質なんですよ(汗)
先程「憧れのもとに」を読み終わりました。
「広き庭園」という作品の時も感じたのですが、清岡さんの作品は「女性と子供」が多く出てきますよね?出て来るというよりも、主役を張ってしまう。三国志小説という、非常に男っぽい世界の表現手段としては、異例な事では無いでしょうか?
これは、「孫氏からみた三国志」という方向性以上に、清岡さん自身の独自性であり、特徴であると思います。
清岡さんの作品には、他の三国志小説作品では読めない視点が多く含まれています。これこそが、清岡作品の魅力の一つなのだと思いますよ。
人造人間の話はブログに連載していたやつですね。確かにその辺は歴史の勉強ととらえて読む人はいなさそうですね(汗)
おぉ、本来の正当派作品、復帰第一作ですか! 良い作品がかけるとよいですね。
あ、どうも続けて読んでいただき、ありがとうございます。やっぱり書く方はあいかわず遅いので恐縮です(汗)
それに私の小説の個性みたいなのも読み込んでくれてありがとうございます。あんまり普段、注目されることもないんで、嬉しいです。
もしかして私は題材としては歴史的出来事など非常なことより日常的なことに目がいきがちなのかもしれませんね(笑)