有鄰館(京都)

ビルの屋上にある赤い建物が今まで謎だった…… 無極オフのときは「長江の流れは緩やかに見えて」を見るため東京へ向かっていたし、春のオフ会6月のオフのときは私用とバッティングして行けず、今回、ようやく予定があって宣和堂電網頁のオフ会に行けることに。

・宣和堂電網頁
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xuan-he/
・藤井斉成会有鄰館を観に行きたい!
http://sengna.hustle.ne.jp/sb/log/eid560.html
・藤井斉成会有鄰館オフおさらい
http://sengna.hustle.ne.jp/sb/log/eid587.html

 上の記事タイトルのように、今回は有鄰館を見に行こう、という主旨だ(そのまんま)
 その有鄰館がどこにあるかというと京都の岡崎。京都市美術館、京都国立近代美術館、それから細見美術館以外にもまだ美術館があの辺りにあったんだ。「あれ何だろね」といつも気になっていた建物だ。
 しかも第一日曜日と第三日曜日の午後しか開館していないという希少価値(?)。こりゃ個人的にはなかなか行く機会ないなぁと思ったのでそういう意味でもちょうどよかった。

 で、迎えた2006年7月16日日曜日。
 とりあえず、清岡は顔なじみのしずかさんと合流。
 集合時間の12時前。京都の地下鉄東西線で東山駅に向かい、集合場所の改札へ向かって階段を上がる。そうすると、なにやら改札を出たところで輪になっている集団がみえる。
 確信した清岡は改札を出たら、すぐにその輪に声をかえるとやっぱりそうだった。
 サイト管理人の宣和堂さん、吉梨さん、さとうしんさん、師走さん。
 そのまま白川を通って有鄰館へ。その間に、清岡は宣和堂さんとしずかさんとトーク。というか、しずかさんから「清岡さん的にアウェイ」とプレッシャーのようなネタを言われていたので、妙に気を遣われているような気になる(笑)
 白川がとぎれるところを左に曲がると、あるビルの屋上にある中華風建物が目に付く(写真)。それが有鄰館。道に面したところから入るのかな、と思ったら、向かって右側の細い横道を入っていって、勝手口(失礼)のようなところから敷地へ入っていく。
 途中、「藤井」と表札のある家を見かけ、無関係かも知れないが「さすが、財団法人 藤井斉成会」などと思ってしまう。
 門から敷地へ踏み込むと、漢代の石室なるものが普通に庭に野ざらしになっていてビックリする。さらにその石室を四阿のように使っており、数人がくつろいでいたのをさらにビックリする。
 壁に他の美術館のポスターがいくつか貼ってある小道を抜けると、靴を脱いでスリッパに履き替えるところにでて、そこから建物の中に入り半階分を階段で上がると、受付に出る。そこで皆、本館の入館料を払って、半券を手に、まず一階のフロアに入る。

 後日、さとうしんさんのサイトで気付いたんだけど、半券にある「ホームページアドレス」はすでに期限切れか何かで見れないようになっている。仕方ないので例によってThe Internet Archiveで該当ページにアクセスする。

・有鄰館(The Internet Archive上)
http://web.archive.org/web/*sr_1nr_30/www.yurinkan-museum.com/*

※リンク追記
・有鄰館
http://www.yurinkan-museum.jp/

 そうするとある程度、見ることができるようになる。特に蔵品略目のページは有用。

・蔵品略目(The Internet Archive上)
http://web.archive.org/web/20050310165451/www.yurinkan-museum.com/art.html

 上記の蔵品略目以外のものを展示されていたようで、以前、見に来たことのあるオフ会参加者は口々に「前と展示品が少し変わっていた」とおっしゃっていた。

 と話戻してまず一階から。オフ会参加者は清岡以外、中国の時代を幅広く知ってる方々なので、話を聞きながら展示物を見ていると有意義でとても楽しい時間を過ごしているような気になる。
 見てきて面白いと思ったのを全部、書けば良いんだけど、それは書き手の知識が追いつきそうにないし、三国志ニュース的じゃないので、適当にピックアップしていこう。

 1階は佛像・彫刻、画像磚石・瓦当、石経・経石が展示されている。広さは大きい教室といったところ。漢代では画像石・画像磚がまず目立った。だけど、どうも劣化が進んでいて、進賢冠の梁の数を数えたり、武冠の編み目を見たりする程には到らなかった。しかしショーケースにも何も入れず、無造作に置いてあるのにはビックリするなぁ。
 あと、後漢の熹平石経の残石。それから魏の正始石経(三体石経)。ネットで見かけたとき勝手に拓本だと思っていたら、実物だった(汗)
 といっても後漢の熹平石経は破片の一つといった感じ。後漢書本紀によると

(熹平)四年春三月、詔諸儒正五經文字、刻石立于太學門外。

ということで、熹平四年(西暦175年)春三月五経(易・書・詩・礼・春秋)の文字を正せと諸儒に詔が下り、太学の門外に立てられたとのこと。ちなみに謝承後漢書の注では水經注卷一六穀水注から熹平四年(西暦175年)に刻みはじめ、光和六年(西暦183年)に立てたことに。
 展示されている残石の文字を追っても文として読めないレベル。説明文によると儀礼(つまり五経の「礼」にあたる)がかかれているとのこと。しかし残石といえども本物は本物なのに、本国じゃなく日本にあって良いんだろうか、と素人ながら不思議に思う。
 それから魏の正始石経(三体石経)。魏の正始は年号の名。三体は文字の書体、古篆隸の三体のもの。まるで字典なので、みているだけでも楽しい。

※追記 リンク:「三国志:最古級の写本、2巻同時に」(毎日新聞2010年10月13日)

 それから皆で二階に上がる。二階は青銅器・權量、銅仏、玉器、漆器、璽印・封泥・印譜など。
 青銅製の弩機は他の展覧会で結構、見かけるけど(たとえば「よみがえる中国歴代王朝展」)、木の部分はなかなか見かけない。ところが端っこがかなりすり減っているとはいえ、ここにはあった。漢代の「塗漆木肘付弩」ってやつだ。表題通り漆が塗ってある。
 あと漢代の封泥。話には聞いたことあるが、実物を見たのは初めて。形が崩れておらず、きれいに印が残っている。解説には裏には縄の跡があるとかで。なるほど本で読んだ通り。
 二階に入って皆でガラスケースを囲みつつ談笑しているときに気づいたことなんだけど、ここの館の人は私見だけど学芸員というより学生っぽい見た目の人が多い。勤勉にガラスケースを拭くもんだから、ガラスケースをべたべたさわって悪いなぁ、と思っていたんだけど。どうやら定期的に結構、頻繁に拭いているみたいだった。

 さらにもう一階、上があるようで、皆で三階へあがる。以前、来たことある人の話によると、以前は三階から屋上へ上がることができ、写真の中華風建物の中でセルフサービスのコーヒーが飲めたとのこと。今回はあがれずに残念。
 三階は陶磁器・玉器、衣裳、書蹟・古文書・碑版法帖、絵画。
 この階は漢代は陶俑。おなじみの望楼からあまり私は見かけなかった犬、鷲、梟の動物もの。あと「中国古代の暮らしと夢」で見かけたやつとほとんどデザインが同じな、包丁をつかう人物俑。こちらの方がかなりすり減っている感じ。この二つの俑の関係はどうなんだろ。気になった。

 皆で順々に展示品を見て回っていて、書のところにさしかかると、なにやら宣和堂さんに話しかける影が。
 どうやら宣和堂さんたちのお知り合いの山科さんとのこと。
 そこから山科さんから展示品に関する興味深いお話をあれこれお聴きすることになる。宣和堂さんのかゆいところに手か届く系の質問で、専門外の私でもとても楽しんでお話をお聴きしていた。
 と、ここでその話を再現するだなんて無理っぽいので、思い出せる分でちょっとだけ箇条書きをしておこう。

・ある書について「也」の位置から真贋を解説。
・これって模写だったのか、という一同のどよめきに「そりゃ模写にも、松、竹、梅とありますよ」「これは松の上の方」
・「○○コレクション(※覚えているけど敢えて伏せ字)は玉石の玉が多いところですね……玉が四割、五割」
・清の梅花碗古月軒について「オークションだと3億円からスタートとして…」

 山科さんとはそこで別れ、有鄰館を後にした。
 宣和堂さんによると、前回、来たときに館長さんが解説してくれたんで、今回もそれを目当てに来たが、館長さんが不在で残念がってたそうな。そこに思わぬ山科さんとの邂逅があって良かったとのこと。
 あとしずかさんがぼそっと、入館料1000円は高いが解説付きだから安いって言ってた(笑)

 その後、お昼にしよう、ってことで飯屋を求め辺りを彷徨ったんだけど、良い店がない。さらに雨がぽつりぽつりと降り始めていたので、仕方なく値段的に高いそば屋に入る。そこは豆腐料理のある一階がこみこみだったけど、メニューが限定された二階の和室(宴会場みたいだね)には途中から親子連れが入ってきたもののそれ以外誰も客がおらず、ゆったり語り合えた。外をみてみると豪雨。というわけで16時ぐらいまで長居することに。

 師走さん 宣和堂さん さとうしんさん
   テ ー ブ ル テ ー ブ ル
 吉梨さん しずかさん 清岡

 「北斗の拳」のラオウやシンはみな統治する意志があるのにケンは悪いやつを倒すだけ倒してどこかに行くから、実は一番、悪いとか、友人が深夜3時に電話で水戸黄門の801話をしてきたとか、田中芳樹先生の話とか、そんな話をあれこれ。
 雨が小降りになってから、その場決めで平安神宮へ参拝することになる。清岡は初めて言ったんだけど、あれこれ話が聞けて面白かった。
 その後、昼間、込んでいて入れなかった和菓子茶店へ。

 しずかさん さとうしんさん 宣和堂さん
    テ ー ブ ル
 清岡 師走さん 吉梨さん

 ここではやっぱり某オフ会の惨劇が印象的。それを元に三国志ジャンルで起こりそうな惨劇を予想していた。

 2008年公開の「赤壁の戦い」で○○(適当な役者名)が配役される
 →三国志オフ会を開催されると○○ファンが押し寄せてくる。
 →その○○ファンの一部がオフ会にて「今日は○○のためにみんな集まってくれてありがとう」なんてのたまう。
 →そういう○○ファンの一部はえてして厚顔無恥だったりして。会食で○○ファンの一部が集団で「腸詰め」と連呼してまわりを怯ませたり。

 こういうことを聞くと2005年7月の三国志関連のオフ会で、三国志ファンは入り口がいっぱいあって毎回いろんなファンが来てどれも歓迎だ、なんて話をしていたが、うかうかしてられないなぁ。
 あとそれとは違うオフ会の話で、師走さんの「オフ会に鶴が来た」話。そのオフ会の参加者は毎回、男性ばかり(そこでは暗に掃き溜めと例え)で、誰かの彼女で美人の女性(つまり鶴)が参加したそうな。そこで女性が携帯電話を持っていない、という話をしたら、いきなり参加者の一人が外へ出ていって携帯電話を買ってきて曰く「これを使って下さい」とのこと。
 あとは映画の無極の話がなんかあった。清岡は未見だけど、話をきいてすごくみたくなった。
 18時過ぎぐらいに祇園祭の宵山がもう始まっているということで店を後にする。ここで清岡は先約があったんで残念ながら離脱した。
 その後の様子を含めオフ会の様子は下記のリンクを参照のこと。

○オフ会関連リンク
・藤井斉成会有鄰館オフ(宣和堂電網頁
http://sengna.hustle.ne.jp/sb/log/eid589.html
・宣和堂氏主催 藤井斉成会有鄰館オフ (吉梨日記 白眉の逆襲編
http://kizurizm.blog43.fc2.com/blog-entry-1520.html
・藤井有鄰館と祇園祭の宵山オフ(金烏工房
http://blog.goo.ne.jp/xizhou257/e/32d25e0d329f8aa149a27a40588c1ef5
・藤井斉成会有鄰館(GameBook備忘録
http://orsinian.blog.ocn.ne.jp/gb/2006/07/post_010d.html


※追記 第29回 春の古書大即売会(京都古書研究会2011年5月1日-5日)

※追記 三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー(2012年9月9日)

※追記 関プチ2015:9/6京都・有鄰館へ(2015年9月6日)

※新規関連記事 あの人、こんな字!―歴史上の人物たち― 【中国編】(台東区立書道博物館2017年6月27日-12月17日)

※新規関連記事 香港漫画入門(大阪2019年10月6日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/369