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三国演義連環画と横山三国志


  • 2012年8月16日(木) 01:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    6,014
マンガ ※前記事 横山光輝三国志おもしろゼミナール(1984年7月)

 上記記事の続きで、『横山光輝三国志事典』(潮出版社1983年4月)を確認しての記事なので、記事名は「横山光輝三国志事典』(1983年4月)」になりそうなものの、その単行本だけに収まる話ではなくなったので、こういう名にした。

・横山光輝オフィシャルサイト
http://www.yokoyama-mitsuteru.com/

※関連記事 「横山光輝漫画」電子書籍ランキング ベスト10(2010年11月25日)

 下記関連記事にあるように、メーラーのEdMaxを使って個人的にチェックしている掲示板に、下記サイト「徹夜城の多趣味の城」の「史劇的な物見櫓」での掲示板「史劇的伝言板」がある。

※関連記事 メモ:鎧 and リンク:東アジアにおける武器・武具の比較研究

・徹夜城の多趣味の城
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/TETUYA.HTML

 そこにある秦太さんによる2002年12月11日投稿#3515「長期連載に歴史あり」が気に掛かる。横山光輝先生が自身のマンガ『三国志』について、小説の吉川英治/著『三国志』を原作としていると明言したことについての事実確認も気になるが(お茶を買う冒頭部分は事実上の原作になっているが)、それより、横山光輝/著『三国志』(マンガ、以下、「横山三国志」)について、

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
連載も後半になってくると、中国からの資料の購入や現地取材も可能になったそうです。特に中国で描かれた「連環画」は大変重宝したようで、終盤は、衣装や調度はもちろん、構図まで連環画そのまんまのコマが頻出する状態になっています。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※前後を引用していないのでここでは解りづらいが、横山三国志の連載1972年1月-1987年3月。日中国交正常化1972年9月で、それ以降に「現地取材も可能」となったということ。

というのが以前から気になっていた。典拠を示さない飲み屋の話レベル(※別に学術でなければそれが悪いということではないが)ではなく研究材として使えるよう、一度、裏のとれるように、あるいは実証的に調べたいと思うものの、一言、「連環画」といってもそれはジャンルを示す言葉であるため、どの作品なのか皆目検討がつかなかった。

※関連記事 リンク:中国の連環画の変遷とその描写技法

※追記 三国志展(鳥取県燕趙園2012年9月7日-27日)

 そこで手掛かりにしようと考えていたのが、横山三国志全60巻の後に同じ希望コミックで発売された、『横山光輝三国志おもしろゼミナール』(潮出版1984年7月)と『横山光輝三国志事典』(潮出版社1983年4月)の2冊だ。マンガだけでなく『三国志』や他の三国作品についても触れられていると期待した。そのうち前者は前記事でも書いたように、特に連環画についての記載がなかった。残念ながら『横山光輝三国志おもしろゼミナール』のあった京都国際マンガミュージアムには『横山光輝三国志事典』はないため、他を当たる必要があった。
 一応、借りられる当てはあったものの、少々時間がかかりそうだったので、青春18きっぷの余りを利用し、三国志資料室を当てに、山口県光市の「石城の里 三国志城」に行くことに。

・石城の里 三国志城
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

※関連記事 三国志資料室(山口県の三国志城)

※追記 第17回三顧会 前夜祭(2012年8月13日)

 ちょうどイベントの「第17回三顧会」の時期でその前後の夜は泊まれるため、時間に余裕がありそうだった(そのイベントも含め8月11日から15日、また今日のこともまた後日、報告する予定だ)。

※関連記事 第16、17回三顧会(2012年5月4日、8月14日)

 三国志資料室は基本的に来訪者の寄贈で成り立っており、原理的に網羅性を求めるようなことではないものの、様々な三国関連の書籍が書棚に集まっている。

三国志資料室三国志資料室三国志資料室

 当然のように、『横山光輝三国志事典』も『横山光輝三国志おもしろゼミナール』も収蔵されているどころか、二冊ずつあった。
 早速、三顧会前夜祭が始まる前に、三国志資料室、つまりはその一角を含む特別展示室の茣蓙の上の机で、メモ用にノートPCを広げチェックすることにした。
 『横山光輝三国志事典』はその名の通り、横山三国志の事典を模した本で後述する「第七章 「三国志」に見る故事ことわざ」や「第五章 総登場 キャラクター事典」などもある。ちなみにその「第五章」のP.96-97「袁術」の項目で、袁術が興した国を「仲」ではなくP.97「野望家で淮南に成という国をつくり、」としたことで、一部のファンでは有名な単行本だ。

※関連記事 メモ:「成皇帝 袁術」

 話を戻し、まずP.64のインタビュー「三国志を語る(2) 武器の動きと人名に苦労しました」には以下に引用する記述があった。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──『三国志』を漫画化するにあたって、当時の服装や武器を描くためには、相当苦労されたでしょうね。

横山 絵や遺物になって残り、それを紹介した書物もいくらかありますから、参考にはしていますが、漫画にするためには簡略化して描かなくてはなりませんからね。古ぼけた絵ではよくわからないんですよ。最近は香港などで売っているのを集めたりして、かなり楽になりましたが、初めの頃は大変でした。弩(石弓)などは、形はわかってもその動かし方がわからない。僕としては動作を描かなくてはなりませんから、石弓は出せない。そういう場合もあります。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ちなみにこの『横山光輝三国志事典』がいつの頃の単行本かというと、まだ連載の終わってない頃で、P.191-「参考文献」の「正史を翻訳したもの」に、今、最も通行する筑摩書房のものが挙げられておらず、それが時代を感じる。

※関連記事 2005年『世界古典文学全集24 三国志』(筑摩書房)再版

 加えて念のため見てみるとその「参考文献」には連環画関連は挙げられていなかった。
 続けて、P.167-180「第七章 「三国志」に見る故事ことわざ」を確認する。これはその名の通り、いろんな三国由来の故事ことわざについての説明と横山三国志からの絵が添えられている。
 しかし、P.177-178の「死せる孔明生ける仲達を走らす」でのP.178の絵だけが連環画と思わしき絵になっていた。司馬懿(字仲達)が画面の右に向かって馬に乗って逃げるシーンだ。これは単に『横山光輝三国志事典』が発売された時期は前述したように依然、横山三国志の連載が終了しておらず、諸葛亮が亡くなるまで連載が進んでいなかったためだろう。結局、『横山光輝三国志事典』での連環画に関する記載はこれのみで当てが外れた状況だった。
 いくら青春18きっぷの余りを利用し来たとはいえ、諦めたままその場を去るのも勿体ないので、次に念のため、潮出版社コミック編集部・編集『横山光輝「三国志」大百科 永久保存版』(潮出版社2003年4月21日)をチェックすることに。
 中身はほとんど『横山光輝三国志事典』の流用だが、中には次に引用するように、P.52 に「担当編集者は語る」というインタビューがあった。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・──資料集めなんかは、どのようにしていたんですが。
酒 それはまだ企業秘密でね。横山先生はいろいろ苦労されていました。さいわい、中国に行かれて、持ち帰った資料にはいいものがありましたけど。それから横山先生に成都の武侯祠博物館の研究員の方が自分の著作を送ってくれたんですけど、それに蜀の桟道とか連弩とか木牛流馬についての研究が載っていて、あれは役にたちましたね。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※末尾に「(「コミックトム」より転載)」とある。つまり雑誌『コミックトム』が初出。いつの号かは未確認。

 さらにP.194-201に「『三国志』から生まれた故事ことわざ」という章があって、これは先程の『横山光輝三国志事典』の「第七章 「三国志」に見る故事ことわざ」の流用だ。添えられる絵は『横山光輝三国志事典』とほとんど変わっているが、すべて横山三国志からの絵だった。
 そこで疑問に思ったのが、「死せる孔明生ける仲達を走らす」の項目ではどんな絵が使われているか、だった。それには横山三国志からの絵で、司馬懿が馬に乗って画面左に逃げるシーンだ。司馬懿が逃げる方向の違いやカメラアングルの微妙な違い、冠や模様の違い等、些細な違いはあるが、『横山光輝三国志事典』での連環画のような絵にデザインが似通っていた。逃げる方向の違いはまさに漫画と連環画の読む方向の違いが反映された結果だ。それが何の連環画か気になって、『横山光輝三国志事典』での出典の記載を探したがが、載っていなかった。それでも横山三国志が連環画を参考にしている証拠の一端を掴んだ気がして納得していた。
 そういう進行状況の時にちょうど、13日月曜日19時ぐらいから三顧会前夜祭として食事会が始まり一連のイベントが続き、横山三国志のルーツの一つ、連環画の探索を中断することに。

※追記 第17回三顧会 午前(2012年8月14日)

 それで次の日の14日火曜日に本編の第17回三顧会が16時ごろに無事終わり、参加者との別れを惜しみつつ、次第に人が居なくなり、同じ参加者は私を含め四人となっていた。やはり皆さん、お疲れのようでうたた寝するか静かにくつろいでいた。
 そのため、その余暇を利用し、残った体力で連環画の探索を再開する。あとはこの連環画が何か探すだけだと思い、望みは薄かったが念のため、その書棚に何か連環画がないか見てみると、 陳舜臣/監訳『画本 三国志』全12巻(中央公論社1982年8月-1983年6月、挟まるチラシを見ると20日ごろ配本)があった。但し、実際にはそこには1、2、10、11、12巻しかなかった。これはいくつかのポケットサイズの連環画の冊子を編集しまとめて載せたような構成で、(1ページ1画が基本である普通の連環画に対し)1ページの上下に絵を二枚載せ、絵の上側に文を添え、たまに出てくるフキダシの中身も日本語に訳し、日本の単行本のフォーマットとなっていた。その第12巻の末尾の「付記」には以下に引用することが書かれていた。

※追記 横山光輝マガジン オックス 1・2・3合併復刻号(2004年2月25日)

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
*本書は香港・新雅文化事業有限公司刊行の「三国演義連環画」を翻訳覆印したものである。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
*「三国演義連環画」の画家は以下のとおりである。
王亦秋 水天宏 朱光玉 汪玉山 徐正山 徐正方 徐宏達 徐一鳴 徐進 李福宝 李鉄生 凌濤 呉志明 陳光鎰 胡若仏 張令濤 陶于臣 湯義方 馮墨農 楊青華 葉之浩 屠全楓 劉錫永 趙三島 趙晋 蒋萍 蘇起峰 厳紹唐
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 それで期待せずに、先程の「死せる孔明生ける仲達を走らす」のところを見てみると、『横山光輝三国志事典』と全く同じ絵だった。一瞬、見間違いかと思い、両者を並べてみると、間違いなく同じ絵だった。
 他のシーンでも似たような絵があるのではないか、『画本 三国志』第10巻第11巻第12巻と横山三国志全60巻の終わりの方を見比べてみると、いくつかそういうコマを見掛ける。
 具体例を『画本 三国志』10巻(1983年)「天水関の戦い」と横山三国志49巻(1986年6月10日)「檄文」との比較で示すと、『画本 三国志』P.1の上の段の絵と横山三国志P.142の1コマ目とで、大きく違う点は前者に諸葛亮と隣接する鎧姿の人物がいる点であり、小さく違う点は、後者の奥のテーブルに果物が乗っていない、諸葛亮の机の巻物は前者が6巻で後者が3巻、密偵の上半身のポーズ、といったところだ。また、『画本 三国志』P.15の上の段の絵、横山三国志P.167の5コマ目については曹叡の冠等、細かいところは違うが構図が同じだ。『画本 三国志』P.16の下の段の絵、横山三国志P.175の2コマ目についてカメラアングルや細かいところは違うが、机の上のローソクを向かって右、筆立てを向かって左にあり、諸葛亮が正座して出師の表を書く点は同じだった。
 元はといえば、冒頭で触れたように2002年の書き込みでこの件は触れられているが、それを自分の目で確認し、実感した喜びはやはり大きく、その場でくつろいでいた三顧会参加者に見せにまわった。その中で一条さんは横山三国志の終わりの方では落ち着いた絵という印象を持っていたようで、納得されていた。
 さらに確認をすすめるため、逆に『画本 三国志』1巻2巻と横山三国志全60巻の初めの方とで似たデザインや画面構成のコマがないか、確認してみると、似たようなところは一切、見られなかった。前述したように残念ながらそこには3巻から9巻までが所蔵されていなかったので、残念ながらその場ではどの段階から横山三国志が大きく『三国演義連環画』を参考にし始めたのか確認できなかった。今後は機会を見付けて、『画本 三国志』と横山三国志とを比較し、どこらへんから横山三国志が連環画を参考にしたかを探りたいところだ。但し、境界が見つかったとしても、それは単に『画本 三国志』に収録されている連環画が参考にされていないだけで、それ以前は、『画本 三国志』に収録されていない別の連環画を参考にした可能性を否定できないが。
 またそこから両者を比較して、横山三国志が如何にして連環画をマンガの連続性に組み込んだのか、また連環画にないエピソードは、あるのに比べ(同時期の)どう違うのか、そこらへんの研究が欲しいところだ。それにより連環画とマンガ(少なくとも横山マンガ)の違いが浮き彫りになるし、横山マンガの創作の仕組みや普遍性を垣間見れるような気がする。

※関連記事 ノート:連環画は中国特有の『マンガ』なのか?その絵本としての可能性を探って(2012年2月15日)

 23時頃、さらに冒頭で触れた書き込みの吉川英治/著『三国志』(小説)と横山三国志との関係や『三国演義連環画』を参考にする以前はどうなっていたか気になり、同じくそこの書棚を探すと、ムック『三國志グラフィティ』(光栄1996年5月15日)での横山光輝インタビューを見掛けた。さらに興味深いところを下記へ引用する。

P.105-113「THE INTERVIEW」「横山光輝」P.106より
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──『三国志』との出会いは、いつごろのことですか?
 中学校のころ、学校の図書館で、吉川英治の『三国志』を読みました。当時は本を読もうと思うと、学校の図書館くらいにしかありませんでしたね(笑)。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

<9月15日追記>
そういえば吉川英治『三国志』(小説)との関係を示す重要なインタビュー箇所をこの記事で引用するのを忘れていた。上記のあとにP.107から下記に引用するのがある。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 僕は『三国志』は、歴史としてではなく、あくまでもドラマ、娯楽小説としてとらえています。曹操も好きですが、あれだけの力を持つと、主人公にはなりにくい。「劉備で始まり、諸葛亮で終わる」のが、物語『三国志』なんじゃないでしょうか。その意味で『演義』や吉川英治の小説が、僕にとっての『三国志』であるといえます。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

<さらに追記>
https://twitter.com/akiyon8/status/246802523355226112より下記に引用する。実際にその雑誌に当たりたいところ。→※追記。実際、あきよんさんから有り難いことにコピーを頂き、中学生の頃、読んだ経緯や連載に到る経緯が書かれていた。「吉川英治「三国志」を読みながら執筆」というのは語弊のある表現になっている。

━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あきよん @akiyon8    9月15日

@AkaNisin 歴史読本臨時増刊’81-6号の『「三国志」は私のライフワーク!?』という横山先生の特集随筆を読むと、横山先生と三国志の出会いが中学生の頃読んだ吉川英治「三国志」だったこと、吉川英治「三国志」を読みながら執筆していた様子が横山先生の言葉で語られています。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
<追記終了>

※関連記事 読み継がれる吉川英治文学展(2012年1月14日-3月4日)
 ※これを見ると「矢野橋村《「三国志」挿絵原画》」の影響も気になってきた。

P.105-113「THE INTERVIEW」「横山光輝」P.107より
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 連載が始まったのは日中国交回復の二ヶ月ほど前でしたので、資料がなかった。国交回復したからといって、いきなり資料が大量に入ってくるというわけでもありませんよね。そういうわけで最初は葛飾北斎の錦絵を資料にし、半ば想像で描いていた部分もあります。衣装などが少しずつ変化したことに気付かれた方もいるのではないでしょうか(笑)。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

P.105-113「THE INTERVIEW」「山原義人」P.112より
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──『龍狼伝』を描かれるようになってから、どういった本を読まれましたか?
 まず吉川英治の『三国志』から入り、正史、演義、それから、『孫子』や中国で買ってきた資料をなどなど、ここでは挙げきれないほど読みあさりました。はっきり言って、学生時代より勉強しましたね(笑)。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※関連記事 2006年11月6日 龍狼伝 匈奴編完結

※追記 みんなの呉 番外編(2013年3月28日)

 こうして『三国演義』を題材とした連環画が三国漫画に影響を与えた痕跡を目の当たりにした心地で満足し、15日の朝に三国志城を後にした。次はまず陳舜臣/監訳『画本 三国志』全12巻と横山三国志全60巻を見比べること、そして機会があれば『横山光輝「三国志」大研究』(潮出版社2010年8月10日)も連環画、それ以前に参考にしていた視覚的資料、吉川英治/著『三国志』(小説)についての記述がないか目を通したいところだ。

※関連記事 横山光輝「三国志」大研究(2010年8月10日)

<追記>

※前記事 第25回下鴨納涼古本まつり(京都古書研究会2012年8月11日-16日)

 以上のことでこの記事を終える予定だったが、やはり気になって、16日に「第25回下鴨納涼古本まつり」に昼まで行った後、下記サイトで京都府立図書館に陳舜臣/監訳『画本 三国志』全12巻も横山光輝/著『三国志』全60巻もあるのを知り、横山三国志が連環画を参照にし始めた境界を探りに行くことに。

・京都府立図書館
http://www.library.pref.kyoto.jp/

 ただ両方とも書庫にあるため、司書さんのお世話になりながら、新しいものから順に書庫から本を借り出し、両者を比較していき境界を探った。
 まず、曹操が華佗に診て貰う場面で、『画本 三国志』9巻(1983)P.8上段と横山三国志42巻(1985年3月)P.130の3コマ目とは、黒い寝台(デザインが少々異なる)、近くの黒い腰掛け、向かって左に黒色で縦長の家具、その上に食器か香具、華佗の服装、(後者別場面で)侍者の被りもの、服装が共通しており、前者のカメラアングルが横、後者のが俯瞰、前者の曹操のかぶりものお団子巾、後者のが小さい冠という相違点があった。ちなみにこれ以降に登場する孟獲の鎧姿はほぼ同じだが、祝融夫人が大きく異なる(『画本 三国志』9巻P256下:全身鎧、横山三国志48巻P.134の1コマ目:露出が高い)。
 さらに遡って、呂範が劉備に婚姻を持ちかけるシーンを見る。『画本 三国志』7巻(1983)P.9上段と横山三国志29巻(1982年6月)P.74の2コマ目との比較なのだが、ついに出版年が逆転する(ここが逆転の境というわけではないが)。これは前述したように『画本 三国志』が香港・新雅文化事業有限公司刊行の『三国演義連環画』を翻訳覆印したものであり、『三国演義連環画』の出版自体が古いからだと考えられる。劉備と呂範二人の冠服、座具、劉備の座具の上の几、呂範の座具の模様、床の敷物およびその模様が共通しており、前者のカメラアングルが二人の顔が見えるようになっており、後者のが呂範(※作中で名が出てこない)の背中から劉備を見るアングル、つまり読者の視点と呂範のとを一致させるというマンガ的技法になっている。前者の劉備の座具の足がフレームで向こうの床が見えるデザインになっており、後者のは座具越しに床が見えないのになっている。
 引き続き遡り、横山三国志20巻に移る。この単行本から掲載誌が『少年ワールド』から『コミックトム』に変わり、月日が過ぎ去った表現が強調されており、そのため、官渡の戦いがP.10の1ページ上半分の一コマで済まされている。このことは横山三国志ファンの間では有名な話だ。

※参照記事 立川中華街

 劉表と劉備との二人の宴の後のシーンで、『画本 三国志』5巻(1982)P.31上段と横山三国志20巻(1980年8月)P.59の2コマ目との比較にて、窓の右端に竹が見えること、二人の服装、(後者においての後の描写を含め)窓とは逆側の衝立の模様、衝立に隠れる蔡氏の服装が共通しており、前者のカメラアングルが横、後者のが俯瞰、前者の劉備が窓より右に対し、後者のが劉表との位置が逆で窓より左(手前)に座り、後者にコップや瓶がある。
 官渡の戦いの件があまりにも有名なため、すっかり『コミックトム』になってから『三国演義連環画』を参考にし始めたんだと思い込んで、念のため、さらに遡って書庫から出して貰う。待っている間、気付けば、近くで小学生ぐらいの男子2人が寝転がって『ドラえもん』を読んでいる。その後、その内1人が情報端末で器用に「ドラえもん」と打ち込みリストアップさせ、次に読む『ドラえもん』を書庫から出そうとしていた。
 それで次が張遼が関羽に投降させようとする交渉から帰ってきて曹操に報告するシーンだ。『画本 三国志』4巻(1982)P.117下段と横山三国志17巻(1979年8月)P.119の2コマ目との比較にて、横からのカメラアングル、衝立とその模様、床の敷物と模様、座具のデザイン、手前右に蝋燭、奥の幕、それらの配置が共通するものの、前者では、右で座る曹操が官吏服で、左で立つ張遼が鎧姿、二人が接近しているのに対し、後者では二人とも横山三国志キャラ特有の赤い鎧姿(白黒マンガなので実際にはベタだが)で、二人は少し離れており、さらに奥左に鎧姿の人が立っている。この当たりの横山三国志の古さではキャラがまったく似ていない、つまり連環画を参考にしていないが、構図やデザインは大いに取り込んでいるようだ。つまりは予想は外れ、横山三国志は『少年ワールド』掲載時でも連環画の影響下にあるようだ。
 さらに遡り、掲載誌が『少年ワールド』になる横山三国志15巻を見る。それ以前の掲載誌は『希望の友』になる。まず英雄論の場面で、セリフと動作が違うが、絵が似ている、『画本 三国志』3巻(1982)P.265上段と横山三国志15巻(1978年10月)P.109の3コマ目との二つを比較する。四阿の柵のデザイン、テーブルのデザイン、テーブルの上に土鍋のような食器がいくつかある点、座具のデザインは共通しており、前者では机の上にボトルがあり、劉備が箸を持ち、杯が古代のデザイン(※青銅器でよくあるヒゲ除けの二つの角がある器)で、後者では、劉備が杯をもち、杯が横山三国志特有の、現在のコップのようなデザインとなる。まぁ、ここで後漢や三国時代当時の杯は耳杯だろうというツッコミは野暮なんだろう。

※追記 第四回三顧会ダイジェスト2「中国酒盃を作ろう」

 同じ巻で少し遡り、劉備が御前に上がった後の曹操の官邸の場面で、『画本 三国志』3巻(1982)P.230下段と横山三国志15巻(1978年10月)P.17の2コマ目との二つを比較すると、それまでの横山三国志の流れがあるため、曹操の見た目、年齢と服装が全く似ておらず、また前述したように、前者の杯が古代デザイン、後者のがコップのようなデザイン、前者の曹操の前の部下が5人、後者のが2人(そして二人とも唐代の武冠のようなのを頂いている)と相違点があるものの、曹操の机に右肘を預け片膝を立てる座り方、机の上の食器、曹操の座る床のデザイン、靴置き場のデザイン、後の衝立のデザインが共通している。
 ところが、『画本 三国志』3巻(1982)P.149-224第十三話「呂布、白門楼に死す」と、前述の前巻の『希望の友』掲載分、横山三国志14巻「呂布の末路」(1978年7月) の「呂布の最期」の回との呂布の最期のシーンを比べてみると、冠服、家具、座具、食器(コップと古代杯)が異なり、構図も似たようなところが見付けられない。
 細かいデザインからだと詳細に分類でき段階的な変化を追えそうだが、まずは
コマの画面構成を中心に見ていくと、おそらく横山三国志14巻(雑誌『希望の友』掲載分とある)の呂布の最期までが『三国演義連環画』の依存性が低く、横山三国志15巻(『少年ワールド』掲載分とある)から『三国演義連環画』の連環画の依存性が急に高くなると言える。
 14巻までは主に吉川英治/著『三国志』(小説)のトランスメディア、15巻からは主に『三国演義連環画』のトランスメディアといえるかもしれない…と網羅的に調べている訳ではないからそういう結論とは言い切れないので、まだまだ研究の余地はあるだろう(まずは訳書ではなく原書の『三国演義連環画』を手に入れるところからか)。それに横山三国志14巻以前でもそれ以外でも『三国演義連環画』以外の連環画を参考にしている可能性も否定できない(あと単行本と連載時で絵が違うところがあるそうな)。
 当初、私のイメージでは1972年9月日中国交正常化直後、横山三国志に資料、特に三国の連環画が手に入ったイメージだったが、今一度、下記の論文を読んでみると、

高橋 愛「中国の連環画の変遷とその描写技法」(『美術教育学 : 美術科教育学会誌』27号 (20060331) pp.219-231 美術科教育学会 )
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004702829

※関連記事 リンク:中国の連環画の変遷とその描写技法

 そうすると、この論文のP.225に「文革後,連環画の挿図は,多様化する。1978年以降,題材に中外文学名著(著名な中国と外国の文学)や映画の内容を取り上げるようになる。」
とあり、横山三国志が『三国演義連環画』を参考にし始めた時期と文化大革命の終息の時期とがピタリと重なりそうで、今はむしろ文化大革命後に資料を手に入れたイメージが大きく思えている。

※追記 メモ:コミックマーケット82 3日目(2012年8月12日)

※追記 第17回三顧会 午後(2012年8月14日)

※追記 三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー(2012年9月9日)

※次記事 三国演義連環画(1956-1964年)

※追記 中国動漫新人類(2008年2月12日)

※追記 少年ワールド、コミックトム

※追記 天地を喰らう(リミックス2012年8月3日17日31日9月14日)

※追記 横山光輝『三国志』に見られる連環画の再構築 問題意識と目的 初稿

※追記 ノート:横山光輝『三国志』に見られる連環画の再構築(2013年7月6日)

※追記 月刊コミックトム 創刊号(1980年4月15日)

※追記 メモ:知られざる中国〈連環画 (れんかんが) 〉 ~これも「マンガ」?~ (2015年5月24日30日)

※追記 三國志研究第十号(2015年9月5日)

※追記 人形劇三国志 大百科(1993年4月1日)

※新規関連記事 中国のマンガ〈連環画〉の世界(2017年2月24日)

※新規関連記事 『三国演義』連環画とその日本版(連環画研究 第6号所収 2017年2月28日印刷)

※新規関連記事 中国の歴史3 三国志の英雄たち(集英社1987年8月25日発行)

※新規関連記事 メモ:パクリが平常運転化された連環画(パ平連)(マンガ論争18 2017年12月29日)

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