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錢唐慕情(孫氏からみた三国志6)
030128
<<ある日、パパと二人で〜(孫氏からみた三国志5)

   前回、荒々しいエピソードを紹介したけど、今回は打って変わって恋の物語。例のよって三國志(≡三国志)より。孫氏の家の兄妹、それぞれの恋なのだ。

   まず、妹の恋の方
   文台には仲の良い徐真(字不明)という者がいた。まごの出身地が「呉郡富春」となっているので、多分、徐真も富春の人なんだろう。

   この徐真という人は文台の妹と結ばれることになる

   おいおい、恋の物語と言っておきながら、いきなり結ばれてどうする!   ってお叱りの声を受けそうだけど、仕方がない。歴史なんだから、こっちが知りたいと思うことがいつも横たわっている訳じゃない。残念ながら、徐真という人も文台の妹も、この時点では結ばれたということしかわからない1)
   出会いはどんな感じだったとか(文台を介して?)、決定打はどうだったとか(どっちが積極的?)とか我々に残された想像という武器を最大限に生かしましょう。但し、それを他人に告げるときは「想像」と前置きをしましょう。


   だけど、お兄ちゃん、文台は史書(三國志)にしてはまだ詳しく書かれている。

   前回、説明したとおり、浙江という川の北岸に富春という街があり、その下流の北岸に錢唐という街がある。この二つの街は川沿いに40kmほど離れている。
   この錢唐に呉(郡じゃなく県の方)から移り住んできた家族がいた。姓はややこしいことに「呉」。呉郡呉県からやってきた「呉」さん一家なのだ。家族構成は父母に娘に息子。ところが、原因は史書に載っていないけれど、両親ともども亡くなってしまったらしい。その後、特に親戚の家に移り住むわけでもなく、そのまま錢唐で弟と二人で暮らすことになる。

   これだけだと、悲しいことにせよ、何も目新しいことや珍しいことはなく、人々の話題に上らないんだけど、この姉弟のあることが文台の耳に届く。

   それは姉に才覚と美貌があったということ。

   このことを文台は、海賊退治の後、錢唐に行ったときに聞いたのか、それとも富春に居るだけで耳にするほど、有名だったのか、定かではないけど、とにかく文台は海賊退治のときに見せたような行動力を発揮する。
(……とこのように書いているが実際のところ、海賊退治のエピソードが先かここらへんのことが先か史書では不明)
二人が出会う図
▲参考:譚其驤(主編)「中國歴史地圖集 第二冊秦・西漢・東漢時期」(中國地圖出版社出版) 但し、画面上のルートの位置に根拠はありません

   この呉氏の姉を娶りたいとアピールする。

   これに反応したのが、呉氏の親戚。当の本人、呉氏の姉はどう思ったかは脇に追いやられて(というか、史書に書いてない!)、呉氏の親戚は文台のことを拒んだ。彼らの言い分は「文台の輕狡なところがキラーイ。あいつ、何ていうかぁ、カルくてズルがしこいんだもん」(例によって口調は著者が勝手につけたもの。それに「あいつ」以降は著者の付け加え)というもの。
   どこでそんな情報を仕入れたのか聞きたいぐらいなんだけど、とにかく、呉氏の親戚は文台を嫌って結婚を断った。

   見ているこちら側としては「オイオイ、今まで、姉弟、二人きりにして、放っておいたくせに、今頃、口に出すなんておかしい!」と突っ込みたくなるけど、当事者の一人、文台にとっては深刻
   風聞だけで娶りたいとアピールしたことや、呉氏の親戚までに「文台って軽い」と知れ渡っていることから、この文を読んでいる人は「やっぱり文台って軽いヤツなんだ」なんて思うかもしれないけど。この恋は真剣だった。

   文台はこの結婚をあきらめるわけでもなく、ひどく恥じて呉氏の親戚を恨んだ。

   軽いヤツだったら、「世の中、女なんていっぱいいるやい、誰がおまえんとこの娘なんているかい、へん!」とかなんとか捨てセリフを残して去って、それっきりだろう。
   もしかして、娶りたいと思う前に、文台と呉氏の姉、密かに何回も会ってたんじゃないかと邪推したいぐらいだ。(って下世話な話だけど)

   そんな険悪なムードの文台と呉氏の親戚。
   そこで動き出したのは行動派・文台……じゃなくて、なんと、呉氏の姉の方だった。
   いや、呉氏の姉がアクションを起こさないとどうにもならなかったと考えるのが自然なのかもしれない。
   呉氏の姉がとった行動はドラマでよくある駆け落ち……ではなく、呉氏の親戚への説得だった。駆け落ちだったら、孫氏の親戚ぐるみと呉氏の親戚ぐるみで仲が悪くなることを見越してかどうか定かではない(もともと駆け落ち自体、選択肢にないかな・笑)

   と話戻して、呉氏の親戚への、呉氏の姉による説得の内容とは次に書くとおり。

「どうして、禍(わざわい)を招いてまで一人の娘を愛するわけ?   それで、たとえ不遇だったとしても、それは命(さだめ)でしょう」

   ここで、禍とは結婚できなかった文台が引き起こすことで、一人の娘とはもちろん呉氏の姉のこと。別に呉氏の姉は、結婚できなかった文台がやけをおこして呉氏の親戚に危害を加えるとは考えてたわけじゃないんだろうけど(推測)、何より文台のことを「輕狡」と嫌っていた呉氏の親戚のことだから、「そ、それはありえる」なんて彼らは文台を恐れたんでしょう。
   仮にこのセリフを文台が言っていたとすれば単なる恐喝物語として後世に伝わるんだろうけど、呉氏の姉が言うことで、格好いい話になっている。

   まさに呉氏の姉さん、才貌兼備!

   あ、ちなみに私は文台が立場的にこういうセリフを言い出すとは思わないッス。

   そして後半の言葉。ばっさりと、運命だ、と言い放っている。クールな対応でこれまた格好いい!
   でも、こんなことを女性の方から言い出すだなんて、外野(親戚のことね)がとやかく言わなければ、自他共に認めるラブラブ・カップルだったんじゃなかったのかな、って私は思ってる。

   で、肝心の呉氏の親戚の反応だけど、ついに婚約を許すことになる2)

   ヒューヒュー、憎いね、ご両人!(古?)   ご結婚、おめでとうございます♪   末永くお幸せに♪
   (ちなみに、当時の結婚はめでたいものではないという考え方であったと、小耳にはさんだんだけど、まぁそれはおいといてくださいね・笑)

 
   ちなみに今まで書かなくて不思議に思われた方もいるかもしれないけど、この呉氏の姉、名も字(あざな)も史書では不明。さらに弟の方の名は「景」ってわかるんだけど、字は不明。文台と結婚した人、それからその弟の名や字ぐらい後世に残そうと思わなかったんだろうか。これは残念。
   以後、史書にならい、呉氏の姉を呉夫人と呼ぶことにする。あ、それと弟は呉景ね。




1)   ちなみにこの徐真と文台妹のところ、参考にしたところはかなり短い部分なので、全文、あげとく。「呉主権徐夫人、呉郡富春人也。祖父真、與権父堅相親、堅以妹妻真、生[王昆]。」(三國志卷五十呉書妃嬪傳第五より)。こんな短い文章であそこまで引っ張ったかってわらってやってください。私の小説もそんな感じ(汗)   <<戻る

2)   ここは徐真と文台妹のところよりまだ長い。なんてったってセリフ付きですから。一応。免罪符代わり(というか訳の責任逃れ?)に全文引用。ちょっとこれから先の「孫氏からみた三国志」のネタバレを含む。「孫破虜呉夫人、呉主権母也。本呉人、徙錢唐、早失父母、與弟景居。孫堅聞其才貌、欲娶之。呉氏親戚嫌堅輕狡、將拒焉、堅甚以慚恨。夫人謂親戚曰:『何愛一女以取禍乎?如有不遇、命也。』於是遂許為婚、生四男一女。」(三國志卷五十呉書妃嬪傳第五より)。例の、文台さんのことを「カルくてズルがしこい」って親戚が嫌っているところは、「呉氏親戚嫌堅輕狡、」ね。この人物評、結構、小説の参考にしている(オイ)   <<戻る

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