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清岡的見解:ねこまんまさんについて http://tinyurl.com/nekonomanma3
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私的メモ3:三国志関連初心者向け


  • 2010年9月 7日(火) 23:55 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,070
研究 ※前記事 私的メモ2:三国漫画分析

 例によって『三国志』とは無関係なところから始まる。

・連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」
http://www9.nhk.or.jp/gegege/

 上記サイトにあるように、今、NHKで放送されている朝の連続テレビ小説は『ゲゲゲの女房』であり、これは『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』の作者でお馴染みの漫画家の水木しげる先生の妻、武良布枝さんの同名自伝を原案としたドラマ、つまりは事実を元にしたフィクションだ。
 最近、このドラマを楽しんで視聴していて、それを軸として、マンガの社会背景が判る書籍やそのドラマに登場する役のモデルになった人物の自伝を図書館から借りてきては読んで脳内補完する等、多角的に楽しんでいる。「楽しんで」と書いたのは、別に本業や趣味じゃないため、特に記録したり整理したりせず、一過的に見たり読んだりするだけだからだ。
 マンガを巡る社会背景が判る書籍は主に中野晴行/著『マンガ産業論』(筑摩書房2004年7月)であり、これで書店に並ぶマンガ雑誌とは別に、赤本、貸本といった書店に出回らない独自の商品や市場・チャネル(販売経路)があったことを知る(ここらへんは下記リンク参照)。

・赤本、貸本、雑誌週刊化の並列  (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2010/0701.html#02

 また作中で似たようなことが描かれている、1955年に起こった「悪書追放運動」について、大野茂/著『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(光文社新書400 光文社2009年4月20日)のP.21では「このときのマンガ排斥運動は、裏を返せば、マンガと児童文学のせめぎ合いだったと見る識者もいる。」と書かれており、歴史に面白い視点を与えてくれる。もっともこの話は裏がとれないようだけど。

 ドラマ『ゲゲゲの女房』の登場人物は「水木しげる」というペンネームとその作品名以外、大体、登場人物や団体名、雑誌名などの名前を実在のものから替えている。例えば作中で登場するマンガ雑誌『ゼタ』の編集長、深沢は、おそらく『ガロ』の編集長、長井勝一さんであり、ここらへんは長井勝一/著『「ガロ」編集長 私の戦後マンガ出版史』(ちくまぶっくす 筑摩書房1982年4月25日)という書籍で補完できる。また作中の水木の良き理解者と理想化されている深沢と、ダーティな面(「悪徳」とまで自称されている)をも持つ実在の長井さんとのギャップに創作化の過程が見えるようで興味深い。また、作中では創作の題材として使われていないが、長井さんは貸本や雑誌などのマンガ以外で「特価本」の商売をされていて、作中で結核で入院してもなお資金繰りにそれほど苦労した様子がなく復帰後すぐに人を雇っているのはそういう背景があるからなんだろうね。また『「ガロ」編集長』のあとがきを見ると、桜井昌一さんの言い出しで長井さんがこの書籍を書いた旨が書かれている。そしてそれに先立ち桜井昌一/著『ぼくは劇画の仕掛け人だった』(エイプリル出版1978年11月15日)という自伝が出版されている。この桜井さんをモデルとした登場人物も『ゲゲゲの女房』に戌井として登場しており、こちらも作中では良き理解者としての役割を持つ。実際は三洋社が潰れ佐藤プロ(桜井さんが出版社を立ち上げる前に関わっていたところ)を訪ねる水木先生に初対面という流れだが、そういう役割なせいか、作中では深沢(長井さん)と出会う前、さらには富田書房(兎月書房)と絶縁する前の段階で戌井が水木先生の作品に感動し先生を訪ねるという流れになっている。また作中では週刊マンガ雑誌『少年ランド』の若き編集者として登場する豊川は、当時、『週刊少年マガジン』の編集長だった内田勝さんをモデルにしたと予想がつき、それを補完する書籍として内田勝/著『「奇」の発想』(三五館1998年6月1日)という自伝が挙げられる。



 以上、長々と「三国志」と無関係なことを書いた訳なんだけど、ふと、こうやって事実を元にした作品を軸に関連する自伝を読んで補完する行為は以前、行ったような既視感(デジャブ)に襲われる。人によっては作中の深沢と実在の長井さんとのギャップ当たりに『三国演義』の劉備や陶謙を重ねて見る方もいらっしゃるだろう。
 すぐに何なのかわかったんだけど、つまり何も知らない状況で、三国要素を含む作品を消費し、実際はどうだったんだろう等の動機により、『三国志』を初めとする史書、あるいはその訳本にあるそれぞれ人物の伝を読んで補完する行為によく似ている。
 逆の論法で行くと、『三国志』について何も知らない人向け、いわゆる「初心者向け」「入門者向け」として、まずはこういった三国要素を含む作品を見て貰い(読んで貰い)、二回目以降で『三国志』(訳本)の伝で補完して貰うという方法は向いているのではないだろうか。何も知らない状態で、いきなり『三国志』やその訳本を読ませるのは難解ですぐに飽きて見るのを止めるだろうし、逆に一つの三国要素を含む作品だけを見ると、単なる一過性の消費で終わるだろうから、なるべく長く深く楽しく見る方法として思い付いた。前者の補足として、『三国志』自体は史書であるため、読んで楽しむものではなく、記録を第一としたものだろう。
 どうせだったら最初の三国要素を含む作品は一つではなく二つ以上を並行して見るのがより良い方法だと思う。下記関連記事にあるように、清岡の場合は初めの三国要素を含む作品は単数でなく複数であり、そのため、相互の違いが明確になり、それらはあくまでも創作であるという認識ができた。その後、時間はかかったものの『三国志』及びその注の訳本を読むようになった。

※関連記事 三国志関連で自分史作りのスゝメ

 以前、竹宮惠子先生が学術シンポジウム「マンガ×ミュージアム脱限界論-マンガ表現規制問題をめぐって-」(2010年5月23日開催)で仰っていたことに、読者である子どもは咀嚼する者であり、予め作者側で物語を噛み砕くのではなく、読者の咀嚼を促す方向へ持っていくというお考えがあった。件のやり方も初心者向けに予め噛み砕いた物語を作るのではなく、複数の既存の作品で咀嚼を促す方法といって良いだろう。前提として初心者向けに解説文を用いないのは、物語の特長である親和性や魅力を活かすためだ。

※参照リンク
・あのラーメン屋?  (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2010/0521.html#23

 「咀嚼を促す」行為についてより詳しく記述する。それは読み手が作品に対して持つ補完したい欲求を利用する。「日本マンガ学会第10回大会」の二日目(2010年6月20日)の第1部「<女子>が読んだゼロ年代」で話題に出ていたことに、端的に書けば、作品(あるいは人物)に補完の余地があれば人気が出る事例があった。例えば煌びやかなアイドルに、その見た目に見合う実力が伴わなければ、応援という補完行為が伴い人気が出るし、ある作品について描写されていない面があれば、受け手同士の語りや二次創作という補完行為が発生し、より長く興味を惹き付け人気が保たれる。

※参照リンク
・補完と共感  (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2010/0601.html#20

 これを『三国志』関連に当てはめるならば、単純に考えて、後世創作により足された部分を除けば、情報量は三国要素を含む作品より歴史の事象がはるかに多いわけだから、一つの作品に対しての補完の余地はかなり多いだろう。とは言っても補完の余地を埋めるのに、史書や出土品等の歴史を使う必然性はないし、歴史ですべて説明できるわけではないんだけどね。
 「咀嚼を促す」方法を選ぶ理由は、受け手(読者)自ら作品に補完の余地があることに気付いて欲しいためだ。そうすることで、その作品は一過性のものに終わらず、関連する作品や内包する要素へ興味を持って貰い、より長期に渡って関心を抱いて貰うのが狙いだ。

 ここまで来ればもはや「初心者」と呼べるレベルではなくなる。しかし、三国要素を含むジャンルに限定すれば、初心者の段階より気を付けないといけないのが所謂「中級者」の段階であり、まだ初心者の段階でも同じ受け手として警戒すべきはこの中級者だろう。
 というのも下記関連記事で示唆したように、補完する際に歴史的事実に絶対の価値を持つ中級者が多く、真偽を善悪の判断基準にしがちだ。それを各自の内に留めておけば特に問題ないのだが、特に他人に押し付ける動きやその基準を常識として扱う動きに初心者も中級者も注意が必要となる。

※関連記事 歴史学ファンタジー

 それと根本で重なる部分があるかもしれないが、別問題として中級者によって初心者の間で誤認が広まるケースがあり、これも注意あるいは警戒が必要となる。特に有名な誤解は「三国志には正史と演義の二種類がある」と言ったもの。さらに進んで『三国志』を単に「正史」と称したりわざわざ書名に「正史」と付け足して誤認を招いたり、『三国演義』を単に「演義」と称したり両者から本来の書名を奪うことも横行している。そのため、前提となる正しい知識の共有化が妨害され、下記参照リンク先に一例が見られるように、真っ当なコミュニケーションを取れない事例がネットでも散見される。

※参照リンク
・文帝紀について (※「三国志ファンのためのサポート掲示板内」ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3625
 ※「三国志には正史と演義の二種類がある」といった広まった誤解により前提となる知識の共有化が妨害されたまま、コミュニケーションをとる困難さが顕著に現れた例。

 そういった動きにに抗する意味で、下記のように検索に掛かるよう、タイトルに誤認を招く表現を含ませ、ネットに2003年末に仕掛けておいたが、その効果のほどに疑問が残る。

・「正史三国志」「三国志正史」
http://cte.main.jp/sunshi/w/w031211.html

※参照記事
 第23回下鴨納涼古本まつり(京都古書研究会)
 歴史と小説

 さらに進化し(深刻化というべきか)、既存の三国創作や事象について、『三国志』を基にしているか『三国演義』を基にしているか分類する事例がある。無論、そう言った事例では大抵、誤解を招く表現で「正史ベース」とか「演義ベース」とかが使われる。こういった誤認を促す表現が公共の電波に乗せられた事例も下記関連記事にあるように観測されている。マスメディアからも誤認を押し付けられる可能性があるため、初心者、そして中級者も注意どころか警戒が必要になるのかもしれない。

※関連記事 『BSマンガ夜話』で『蒼天航路』(2008年9月17日)

 これは根本に「シャーロック・ホームズシリーズ」において、そのファンがコナン・ドイルの作品をカノン(正典、正史)とするのと似たような感覚があるのかもしれない。『三国志』を史書ではなくてあたかも何かの虚構作品と思い違いしているかのように。

 と、まぁ注意事項をつらつら並べてしまって、初心者を単に怖がらせてしまっているだけになってしまったので、次に良い面、魅力的な面を少し挙げておく。
 初心者の段階から、ある程度の知識が増えてくると、同じ趣味を持つ者と知識や情報を共有できうる。そうなれば、作品対一人の受け手、あるいは複数の作品対一人の受け手というある意味、孤立した立場から脱却し、同じ受け手の立場とコミュニケーションを図りやすくなり、それにより自分のとは違った着眼点を知り得て、また語る楽しみ(アウトプットの喜び)が加わり、より深く味わうことができるだろう。
 ここに至るまでは、もしかすると作品名や書名に「三国志」と付いていれば何でも購入していたかもしれない。しかし、ここからはそれまで蓄積させてきた知識や経験を活用し購入前によく作品を吟味し、購入に慎重を期すると良いだろう。その上で、購入した作品およびそうした理由を周りに語るなりネットでブログ等を通じ発信すれば、かつてのあなたと同じ初心者たちをより深く楽しめる方向へ導くことができる。それは中級者から初心者への伝達があり、それら初心者が中級者になればまた同じ様な伝達が引き起こされ、どんどん連鎖される。こういった連鎖がゆっくりだが確実に受け手全体の意識の向上を促し、引いては送り手の意識をも向上させる力があるだろう。端的に言えば、作品のタイトルに「三国志」と付ければ売れる、あるいは作品のタイトルに「三国志」と付ければ買うみたいな作品の質に対して甘い考えを撲滅できるうる。

 それと余談だけど、冒頭の話を強引に『三国志』関連と繋げるならば、現在、連載中で、『三国志新聞』と『三国志戦略クロニクル』から取材したマンガ『覇-LORD-』の作画を担当されている池上遼一先生は、水木先生のアシスタントの経験があり、そのため、朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』でも池上先生をモデルとしたと思わしき倉田圭一なる役が出ていた。

※関連記事 『マンガノゲンバ』で『覇-LORD-』

※参照リンク
・「ガロ」編集長  (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2010/0701.html#20

※追記 龍路ツーリング(メロディ2000年2月号)

※追記 まんがのソムリエ(2014年5月31日発行)

※追記 京都祇園祭後祭山鉾巡行で後漢関連(2016年7月24日)

※新規関連記事 「少年ジャンプ」黄金のキセキ(2018年3月26日発売)

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