三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【791】三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) ジョージ真壁 2004/3/30(火) 3:38 マニアック!
┣ 【792】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) 黄虎洞 2004/3/30(火) 9:17 管理系
┣ 【793】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) 孫ぽこ 2004/3/30(火) 12:53
┣ 【794】正しい知識とは? 2004/3/30(火) 18:09
┣ 【796】懐かしの「正史派」&「演義派」 清岡美津夫 2004/3/30(火) 22:09 雑談
┣ 【799】二極化と傑作を求む(再び長いです) ジョージ真壁 2004/3/31(水) 7:02 感謝♪
┃┣ 【800】むしろ三極化? 清岡美津夫 2004/3/31(水) 12:48 追記
┃┣ 【802】Re:二極化と傑作を求む(再び長いです) 孫ぽこ 2004/3/31(水) 13:46
┃┣ 【803】Re:二極化と傑作を求む(再び長いです) 孫ぽこ 2004/3/31(水) 14:17
┃┣ 【804】Re:三極化ではないのかと 黄虎洞 2004/3/31(水) 18:39
┃┃┗ 【806】議論というより雑談になってしまいますが わちこ 2004/3/31(水) 21:58
┃┣ 【807】三国鼎立と諸葛亮の北伐 そして柳毅 ジョージ真壁 2004/4/1(木) 11:51 感謝♪
┃┗ 【808】正史・演義の混同の原因 伊比 学 2004/4/1(木) 11:51 感想
┃┣ 【813】あみんも待てない二十年  そして電流 ジョージ真壁 2004/4/2(金) 4:16 感想
┃┃┗ 【843】電流。話の枝葉の部分ですが 清岡美津夫 2004/4/9(金) 12:03 雑談
┃┃┗ 【844】かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』 ジョージ真壁 2004/4/10(土) 15:21 雑談
┃┃┣ 【860】歴史創作と解説 清岡美津夫 2004/4/19(月) 22:16 雑談
┃┃┃┗ 【862】安西先生…三国志が…見たいです ジョージ真壁 2004/4/20(火) 5:46 雑談
┃┃┗ 【2251】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』 骨喰藤四郎 2006/3/8(水) 12:07
┃┃┗ 【2252】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』 清岡美津夫 2006/3/8(水) 18:49 ひと言
┃┃┗ 【2254】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』 骨喰藤四郎 2006/3/9(木) 18:50
┃┗ 【1374】Re:正史・演義の混同の原因 馬元義 2004/10/17(日) 10:44
┣ 【810】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) むじん 2004/4/1(木) 16:38
┃┗ 【814】(Re) 三国志の状況を格闘技に喩える ジョージ真壁 2004/4/2(金) 4:28 感謝♪
┣ 【815】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) KJ 2004/4/2(金) 14:40
┃┗ 【819】三国志書物の需要と供給 ジョージ真壁 2004/4/3(土) 2:46 感謝♪
┃┣ 【820】Re:三国志書物の需要と供給 黄虎洞 2004/4/3(土) 9:48
┃┃┗ 【824】コンセプトの統一か、明言を ジョージ真壁 2004/4/4(日) 20:25 感謝♪
┃┃┗ 【829】Re:コンセプトの統一か、明言を 黄虎洞 2004/4/5(月) 7:14
┃┣ 【830】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) KJ 2004/4/6(火) 0:07
┃┃┗ 【834】五虎将軍とホートク公 ジョージ真壁 2004/4/8(木) 1:50 ひと言
┃┃┗ 【840】Re:五虎将軍とホートク公 KJ 2004/4/8(木) 21:00
┃┃┗ 【850】アンケートに願いを込めて ジョージ真壁 2004/4/13(火) 2:58 感謝♪
┃┗ 【835】話がそれますが・・・ 2004/4/8(木) 11:29 雑談
┃┣ 【836】[ ジョージ真壁 2004/4/8(木) 14:43
┃┗ 【837】三国志愛…三国志小説と最近の漫画 ジョージ真壁 2004/4/8(木) 14:55
┃┗ 【1243】Re:三国志愛…三国志小説と最近の漫画 2004/8/28(土) 22:56
┣ 【823】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) ポコ 2004/4/4(日) 13:31
┃┗ 【826】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) 乍融 2004/4/5(月) 3:53
┃┗ 【831】愛ゆえに、知識と娯楽の二兎を追う ジョージ真壁 2004/4/6(火) 2:33 ひと言
┣ 【845】『週刊ビジュアル三国志』を読んで思う ジョージ真壁 2004/4/10(土) 17:56 感想
┃┗ 【848】Re:『週刊ビジュアル三国志』を読んで思う 伊比 学 2004/4/11(日) 3:21 ひと言
┃┗ 【851】ビジュアルの話と理想の三国志作品 ジョージ真壁 2004/4/13(火) 3:06 感謝♪
┣ 【1312】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) みうみう 2004/9/21(火) 7:06
┗ 【1433】北方謙三三国志読本 E=mc^2 2004/11/26(金) 10:48
┗ 【1436】Re:北方謙三三国志読本 清岡美津夫 2004/12/1(水) 19:31 ひと言
┣ 【1438】虎牢関 2004/12/3(金) 11:20 多分…
┃┗ 【1439】旋門関? 清岡美津夫 2004/12/3(金) 12:40 多分…
┃┗ 【1448】Re:旋門関? 2004/12/9(木) 22:39
┃┗ 【1449】Re:旋門関? 清岡美津夫 2004/12/10(金) 0:01
┃┗ 【1512】Re:旋門関? 飛翔 2005/2/4(金) 18:35 初心者質問
┃┗ 【1513】Re:旋門関? 清岡美津夫 2005/2/4(金) 19:02 ひと言
┃┗ 【1514】Re:旋門関? 飛翔 2005/2/5(土) 15:41
┃┣ 【1516】Re:旋門関? 2005/2/7(月) 15:17
┃┗ 【1519】Re:旋門関? 清岡美津夫 2005/2/8(火) 0:00
┗ 【2161】Re:北方謙三三国志読本 清岡美津夫 2006/1/14(土) 16:59 追記

【791】三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
マニアック!  ジョージ真壁  - 2004/3/30(火) 3:38 -

引用なし
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    はじめまして。はじめて書き込み致します。
 史書系三国志ファン(一般的に正史ファンと言われる)の
ジョージ真壁と申します。

 このたびは、三国志を取り巻く現状について私の見方を語らせて頂き、御意見を
うかがうべく書き込みをさせていただきました。

 私が三国志を知ったのは中学生の頃で、中学・高校と、ずいぶんと三国志に
ハマっておりました。光栄のゲームから三国志を知った身としては、活躍する
人物が偏っていて、いかにもフィクションじみた話の多い『演義』系の小説には
すぐに飽きてしまい、比較的早い段階で、正史の方に目覚めました。

 当初から三国志の本は多数刊行されていて、いまも続々と三国志の本が刊行
されていっていますが、多くの三国志本を読むたびに、私は憂鬱になることが
多いのです。なぜなのか? それは、史書に書いてある、いわゆる「史実」と、
『演義』で作られたフィクションが、よく混同されて語られることが多いから
なのです。例えば、主に歴史上の、三国志の時代について語る本にも関わらず、
「関羽が華雄を斬った」とかいうフィクションが、堂々と語られていたりします。
これらの本を読んでいると、「このエピソードは歴史書にある話なのか、それとも
フィクションなのか」という肝心な点が、非常にわかりづらい。さらには、オビ
には、「歴史に学べ!」などというコピーを打っておきながら、中身は、『演義』の
フィクションを語っていた、などという例もあります。『演義』は歴史を元とした
フィクションとして、最高に面白いものですが、『正史』の話を求めている人が、
『演義』のフィクションの話を読まされると辛い。三国志の時代に対する誤解を
生まないためにも、本を書く人には、フィクションなのか歴史書に書かれている話
なのか、ハッキリとしてもらいたいものです。そういえば、最近の本には、冒頭で
「この本は、正史を基礎にしている」などと宣言しているのにも関わらず、中身は
『演義』の話で満載、というモノがあり、購入してガックリしてしまいました。
話題が『演義』なら、本のタイトルに『三国志演義の〜』をつけてほしいし、
『正史』の話なら『正史三国志の〜』とつけてほしい、というのが、私の切なる
願いです。

 第二の憂鬱は、『正史』についての誤解です。最近になって、正史ファンが増え
たようで、演義ネタが多かった昔に比べ『正史』に目を向ける書物も増えたように
思います。しかし、ブームにあやかって、いい加減な知識でモノを書く人が多い
せいか、内容が「この人、全然、歴史書を読んでないなあ」という記事が、よく
見られます。例えば、
「黄忠が実際に老人だったかどうか、史書には記載がない」
「李儒は、正史には登場しない、演義のオリジナルキャラ」
などの記事が目につきます。黄忠に限らず、ある人物について語る時に、その
人の伝だけを読んで語ってしまう例が実に多い。ちゃんとした日本語訳も出ている
のだから、せめて正史『三国志』の中だけでも、黄忠が登場する場面をすべて
読んで、それから語ってほしいところです。次に、『三国志』だけが正史と思って
いるのか、それだけを読んで語る例もよく見られます。せめて、それを売って
お金にするのだから、『後漢書』『晋書』『資治通鑑』ぐらいはしっかりと読んで
から、語ってほしいところです。まして李儒なんて、皇帝を殺した人でしょうに。
最悪な本になると、
「ホウトウ(鳳雛の奴)とは、馬超の配下から曹操の武将になったホウトクの甥である」
などと、堂々と書かれています。きょうび、三国志初心者でも間違えないような
ことを、平然と書いているのは理解しがたい。こんな人が、中国歴史研究家なぞを
名乗っていられるのは、不思議なことと言わざるをえません。
 本来なら、正確な知識でもって、読者を啓蒙するはずの本自体が、かくも信用なら
ないというのは、『三国志』の悲劇だと思います。それとも、私が細かすぎるので
しょうか。幸い、今はインターネットがあるので、本を書いている方々よりも三国志
に詳しい方が、知識や調査結果をホームページなどで知らせて下さっているのは、
頼もしい限りです。

 憂鬱というのか、もう一つ、日本における三国志の悲劇と思うものは、三国志を
扱った小説は数多いが、ちゃんとこれら史書をあたって、しっかり吟味咀嚼して
小説を書いている作家さんが、あまりいない、ということです。小説なんだから、
エンターテイメント性を重視して、フィクションを作り上げるのは良いと思うの
ですが、ほとんどが『演義』の焼き直しにすぎないのが残念でなりません。どの
小説も、関羽が華雄を斬るのであれば、読む価値がない。『演義』の焼き直しでは、
吉川英治が、最高峰のものを書いているので、もっと違う方向に目を向ける人は
おらんのか、と言いたくなります。それに、正史をしっかり読めば、面白いエピ
ソードや、予想外の人物同士の以外な接点などが色々あるのですが、それらを
まったく無視して、勝手に話を作り上げているだけの作家さんが非常に多いのが
残念です。言ってみれば、同人誌的なのです。人気者のせいでしょうか、趙雲が、
まったく関係ないシーンに登場したりして、ガックリさせられます。そんな無駄な
シーンは多くても、劉備が後の魏の重臣である陳群を部下にしたり、後に魏の臣
となり北方で活躍する田予と劉備の別れなど、比較的メジャーな話ですら、小説で
取り上げられた例は聞きません。張飛が、夏侯氏の娘を嫁にしたエピソードですら、
無視されることが多い。これは思うに、作家さん達は、自分達の英雄像を描写する
ことに熱心になりすぎて、史書をちゃんと読まずに書いているのではないか、と
邪推せざるをえません。正史をちゃんと読んで、それに自分なりの解釈やフィク
ションをしっかり加えたエンターテイメント三国志を描こうとしているのが、
劇画の『蒼天航路』ぐらいしか思いつかないのが残念です。歴史小説としては、
陳舜臣『秘本三国志』が白眉でしょうか。『演義』の世界観から脱却した、新たな
傑作を待ち望んでやみません。


 というわけで、長々と書かせていただきましたが、私のこんな意見について、
いかがお考えになられたでしょうか? 御意見を頂戴できましたら幸いです。
なにかと、混同されたり誤解されたりする、三国志の世界。私は一ファンとして、
正確な情報が、少しでも多くの人に伝わることを願ってやみません。


                      ジョージ真壁

【792】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
管理系  黄虎洞 E-MAILWEB  - 2004/3/30(火) 9:17 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
初めまして、黄虎洞と申します。
真壁様の杞憂はごもっともだと愚考致します。
ご指摘の専門家の末席を汚す者として、お恥ずかしい限りです。
この問題に関する現状での三国志関係の小生の愚見は、
長くなりますので、以下をご覧下さい。
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/tyosaku/chuugokubunka.html
今後も皆様三国志フアンの方々の意に添うべき、鋭意努力して参ります。

【793】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 孫ぽこ WEB  - 2004/3/30(火) 12:53 -

引用なし
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   確かにおっしゃりたい事の意図は理解します。実際、私などがサイトを立ち上げた原点は【演義では呉が過小評価されているから正史の姿を広めたい】という欲求にありますし。

ただ、最近は考え方が多少変化して来まして、【有形無形の様々な三国志の世界観はそのままに自分のスタンスだけしっかりもっておればよい】と思うようになりつつあります。

というのは、実は【正しい姿】というのを追い求めるときりがないからです。

一例を挙げると、私はつい最近まで陸遜は流刑になったんだと思っていましたが、実際、原文をよく見ると流刑になったかどうか微妙だというのが分かりました。また集解訳を読むと、三国志原文のミスも指摘されており、例え、原文を白文のまましっかり読んだととしても、それが【正しい知識である】という保証はどこにもありません。

つまり、私などがインターネットを通じてやっている事もまた【正しい姿】ではありえず、正確な情報を伝える事に拘りすぎると、三国志の世界観の面白さを限定させてしまうものになってしまうのではないか?と感じる事があります。

とは言っても、書籍マスコミに関しては、歴史について語ると銘打つなら、演義基準で歴史の話はすな(怒)という気持ちはよーくよーく分かります。未だにNHK【その時歴史は動いた】の三国志版は最低だったと思っているくらいですしw

ただ、私はインターネットで個々が自分の楽しみとして三国志を語る分には(研究者としてではなく)華雄を切ったのは関羽と思っていようが、それを事実として認識しようが、それを否定する事はできないと思っています。ネットとはそういうモンです。早い話が2ちゃんで毎日のように流れる有形無形の噂を信じるか信じないか?は結局、見る側の責任であり、ネット上に流れる情報というのは信頼性に乏しい物であるという理解の上で、何を信じるか?という目が無ければ、ネット情報を扱う資格はないと思えるからです。

まー結局、何が言いたいのかというと(汗)

【金を取って歴史を語るなら責任を持たんか(怒)】
【ネット情報はそもそも、無責任なもんだからね】
という事ですかね(汗)。

【794】正しい知識とは?
   - 2004/3/30(火) 18:09 -

引用なし
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   こんにちは。仁と申します。
吉川三国志、光栄ゲームや演義から正史(この呼び方に抵抗ある方もあるそうですが)を知って少しずつ勉強している初心者で申し訳ありませんが・・・、こちら拝見して一言書かせて頂きます。

仰る通り、歴史評論家のコメントや作家の本、ドキュメントで、演義と正史を混同されているのは確かに困りますし、中途半端な知識で物を書く(私もその一人ですが)と中途半端なものしか出来ないのは確かです。
ですが、果たして正史、後漢書などの三国志についての記述を正確に知っているから「正しい知識」「正確な情報」なのでしょうか?
常識だと言われるかもしれませんが、編纂されたもの、個人の感情が蓄積された物語要素を含まれたとも言われる「正史」をそのまま受け止めてしまうのも一つ疑問があります。
私の体験でも目前であった出来事なのに、たった数日後になると全く違うものに変わっているということがあります。まして、人聞き、後の記憶、著書を手がかりにした集大成が本当の出来事とは思えませんから。
ただ、正史に書かれる人間の行動、その意味を理解しなければ、ただの知識で終わるのではないのでしょうか。私はまだ年齢、人生においての経験が少なく、年長者の思考を理解することが出来ません。それ自体、引け目を感じるものです。性格的な物の考えを除き、年を経なければわからないものもたくさんあります。事実重視で、これはこうなった、とだけ知っているだけでは応用が効かないと思います。小説を書くにしろ、読むにしろ、現実の生活に役立てるにしろ、人間の本質を知り、行動することが出来てこそ正しい知識を得ることにつながるのではないのでしょうか。
自分の英雄像を描きたいというのは物書きでは当然ですが、正史として成り立たなくても、そこに描き出された作家さんの文章に込められた訴えを知るのも悪くはないと思うのですが・・・。演義だから、焼き直しだからで全てを切るのもまたさびしい気がします。独自性に欠けるのが多いというのは一理ありますが。

蒼天航路での曹操は確かに独自の解釈があり、よく描かれていますが、私の意見ではあまりに格好良すぎます・・・。生身の人間というより、英雄として描かれた理想が強い気もします。英雄は英雄らしくの印象が強かったです。エンターテイメントとうってあるので、そうなのかな、と思いますが。そういう面では、最近の大衆人気に皆が倣う傾向の方が危機を感じます。

演義を知って正史を勉強する身ですし、空想的な三国志の話を描いてみたいと思っていただけに、こちらの内容にはショックでしたが、私は実生活と創作活動に役立ててこその「三国志」という知識だと思っています。
正史を生みだし、その人物達を愛し、演義を創り上げた中国でさえ、ドラマの放映などで混同される方が多いと聞きます。それでも三国志を愛しています。
ですので、正史と演義を混同しているから、それが悲劇だと思われるのもどうかな、と。
正史を元にしても個々の解釈があるように、演義の世界を含め、三国志文化として華があってもいいんじゃないでしょうか。
それに、正史ファンには正史ファンの仲間が集うでしょうし、こちらの掲示板のように演義ではこうだが正史ではどうなの?って教えて頂けるサイトもありますし・・・でも、重ねて、私も、正史関連の本だと思ってると、実は演義だったと裏切られるのは残念でした。

仰っておられる主旨と食い違っておりましたら(主旨の意味は理解しております)、ご指摘下さい。長々と批判めいた文章も含みまして申し訳ありません。お気にさわりましたらお許し下さい。私のこの一意見にも、感想などを頂けましたら、と思います。みなさんよろしくお願いします。
<sage>

【796】懐かしの「正史派」&「演義派」
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/3/30(火) 22:09 -

引用なし
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   初めまして、清岡と申します。
初投稿で読み飽きない長文書き込み、恐れ入ります。
問題提示としてもそうですが、文としても面白く拝見しました。


思えば、昔は三国志関連の書物を探し出しては、ワクワクしながら読んでいたような気がします。
おっしゃるとおり、私も出回っている本に信用ならないという印象があるのと、昔みたいにワクワク感が期待できないのとがあってか、今ではあまり三国志関連の書物を手にとって読むようなことは少なくなりました。

孫ぽこさんのおっしゃっていた「その時歴史が動いた 第64回三国志英雄伝」(2001年8月22日放送)について、放送がある前、ある程度、予想はしていたんですが、実物を見てみるとがっくりした覚えがあります。
その時、ネットでは非難囂々だろうなとおもっていろいろまわってみたんですが、そのほとんどは○○という人物が出なかったとか、●●という人物はそんなんじゃないとか、人物論に終始していて、番組が押しつけようとしていた(ようにみえた)勧善懲悪な歴史観についてはあまり書いているところが少なかったので、がっかりした覚えもあります。


それで、私が感じることはすでに初めの書き込みで書かれておられるので(私は根性がないので、すでに諦めが入ってます・汗)、それ以外で私が三国志を取り巻く現状で感じることを一つ。三国志ファンのこと。

昔、私は「正史派」と呼ばれても特に何も思わなかったんですが、そのしばらく後は少し居心地の悪い思いをしたことがありました。
(※[#T216]←以下、参照リンクでいう「正史派」、「演義派」とは意味合いがズレます)
というのも、私は特に目の当たりにした訳じゃないですが、いろんなウェブのサイトを見て回ると、どうも「正史派」(といっても現状は三国志のちくま訳本をベースとする人々が多数)と「演義派」(と定義されても、現状の多くはよく出回っている三国志関連情報をベースとする人々が多数。「正史派」が自称なのに対し、他称が多い?)の衝突みたいなのがあった(ある?)ようですね。
それぞれの意見を見ると、「正史派」は三国演義などの創作物を歴史として取り上げられることを嫌がり、なるべくそういうところを指摘したり疑問を投げかけたりしたいようで、逆に「演義派」はそれが歴史かどうかは問題ではなく、面白いかどうかの方が問題でして、「正史派」の指摘や疑問を正面から受け止めず、話を逸らし、煙たがるような印象がありました。
この両者が議論することがあっても、そんな調子だから、両者の納得のいく結論は得られるわけではなく、いつしか棲み分けしていたような気がしました。
あと、「正史派」は「真実を知っている」みたいな優越感を感じておられる方も多く、ヒエラルキー的な見方で同じ三国志ファンを見ているような気がします(考えすぎでしょうかね)。
(ここで、そういえばニセクロさんのサイト「偽黒武堂の三国志探訪」の2000年8月28日付けのテキスト「蒼天航路」に、「正史派」はドキュメンタリーの面白さを求めている、というようなことが書かれていたなと思い出しつつ)

私はそういう印象を持っているので、「正史派」とされることを敬遠していました(汗)。それにかといって三国演義や吉川三国志を読んだことのない私は「演義派」ではないですし。


話を戻して、現状では「正史派」&「演義派」の話はあまり聞かなくなったんですが、どうも「歴史系」と「娯楽系」(とでも言いましょうか。無双系ファンはこちらに入る?)の二極化が進んでいるような気がします。どちらが上とか下とかじゃなくて、お互いに「あれは別物」とか「私のようなのが迂闊に足を踏み入れるところではない」とかいった意識で敬遠してるのですかね。
(ここを書き込んでいる人にはそんな極端な方はおられないと思いますが)
もしかすると、出版社もどちらにターゲットを絞って良いものやら迷っているのかもしれません。

どちらかというと「歴史系」にいる私としては「そう敬遠せずに歴史を楽しんでよ」って気持ちが大きいですが、かといってそれを無理強いすると、上記の話の繰り返しです(汗)

私は趣味で三国志を題材とした小説を書いていて、他の人(趣味の領域)の創作物の製作過程にも興味があるんですが、史書に忠実にするということは、創作にとってプラスに働くより、むしろその手間から製作意欲をそぐように、マイナスに働くことの方が目立ちます。
逆のケースとして、私がある程度、史書を調べて小説を書くと、史書に関わってくる部分ばかりに目がいってしまうようで、こちらがみせたい小説のオリジナルな部分はあまり注目してくれないってことが多いです(私の腕が悪いと言えば、それまでですが・笑)

【799】二極化と傑作を求む(再び長いです)
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/3/31(水) 7:02 -

引用なし
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    皆様、懇切丁寧な御返事・御意見を下さり、誠にありがとうございます。
 私の長々とした文に、だった一日でこれだけ真摯な回答を頂けるとは、正直思って
いませんでした。三国志について真剣に考える方々がいる限り、日本における三国志が
すたれることはない、と、とても嬉しく思った次第です。

 で、今回は、皆様方の御返事に対して、私が回答させて頂こうと思います。
 本当は、頂いた文のひとつひとつに回答をしたいのですが、そうすると膨大な量に
なってしまいますので、要点をかいつまんで、再び私の考えを述べさせて頂こうと
思います。


  「正史」=「真実の姿」ではない、ということは、私も重々承知致しております。
ですから、私も、「事実でなければならない」と頑なに考えているわけではありません。
それに、それぞれの人々の心に色々な三国志の形があって良いと思います。ですが、
繰り返しになるかもしれませんが、「歴史」として紹介する以上は、ちゃんと調べて
書いてほしいし、フィクションの場合は「演義では〜」などと、ちゃんと説明を入れて
ほしい。今は、その両者がごちゃ混ぜになってしまっているのが残念でなりません。
『三国志』を語る書物は多いですが、「君は演義か、正史か、どちらのことを語っている
のか?」という点だけでいいから、ハッキリして頂きたいところです。

 では、なぜハッキリしてもらいたいのか? 演義のフィクションと正史の記述にある
話を同列に語ることは、意味がないと思うからです。
 こういった喩えが適切かどうかはわかりませんが、今の現状は、ドラマ『白い巨塔』
を見て、「唐沢寿明とは出世至上主義の男だ」と論じているのに似ています。
今更言うまでもないことかもしれませんが、フィクションと史実は、あくまで別の
ものです。別々に論じないと意味がありません。

そういえば、こういう本もありました。

 ある会社の、『三国志登場人物データ』みたいな本では、三国志の登場人物一人
一人に、色々な研究家の方々が分担して「統率力」「戦術戦略」などの点数をつけ
ていくという企画をやっていました。企画それ自体は面白そうな試みですし、色々
な方がどういう解釈をするのかが楽しみで、私はこの本を買いました。しかし、
読んだあと、私は深い溜息が出るのを抑えられませんでした。研究家の方々も、
一人一人価値観が違うから、点数のつけ方にバラツキが出るのはある程度仕方あり
ません。しかし、ある人は「演義」を参考にして点数をつけ、ある人は「正史」を
参考にして点数をつけているので、内容の統一性という点から見ると、もう無茶苦
茶でした。正史の記述と、演義のフィクションという、似て非なるものを、同じ
場所で語ることに意味を感じられません。これは、しつこいようですが、
「江口洋介 優しさ9点。財前教授 優しさ2点」と論じているようなものです。

 ちなみに、統一性とは直接関係ありませんが、この本では劉表配下のカイエツの
義理の点数が、たったの1点。理由は、「三国志ファンには義理を欠く」からだそうで、
もはや言っている意味すらわかりません。


 話を戻します。

 内容の統一という点では、最初の問題提起の文でも紹介致しました、
「この本は、正史を基礎としている」と冒頭で書いていながら、演義の話題が盛りだく
さんの書物も、失格です。冒頭の宣言だけを読んで買ってしまうと、騙されたような
気分になります。この本の恐ろしいところは、本文では、「史書」の記述から、鋭い
考察を展開しているのにも関わらず、本文の下の方にある図解では「演義」を参考に
した図が書かれている点です。「史書」の考察をしているのに、なぜ図は「演義」
なのか? 史実とフィクションを同じ場所で語ることにどんな意味があるというのか?
三国志初心者の方は特に、これを読んだら、何がなんだかわからなくなってしまうの
ではないかと危惧します。

 そういえば、最近『週刊ビジュアル三国志』という本が刊行されていましたが、
ああいうのも、私としては『ビジュアル三国志演義』と題してほしかった。
表紙に「桃園の義」とデカデカと書いてあるので、たいていの人は一目で「演義」
モノとわかると思うのですが、正史『三国志』がこれだけ親しまれるようになって
きた現在において、漠然とした『三国志』という題名で、買わせようとするのは、
いかがなものか。それに、『週刊ビジュアル日本の歴史』の方は、実際の歴史を
考察しているのに、『週刊ビジュアル三国志』がフィクションを題材としている
点についても、誤解を招きかねない要素と言えます。


 これらのことを考えるに、二極化は、むしろ歓迎すべきことではないかと考えます。
『演義』が好きな方は、演義の世界を集中して堪能し、『正史』が好きな人は正史に
集中して満喫する。出版社も、今までのような、三国志ファンという多様なものを
すべて引き寄せようとする中途半端な書物ではなくて、『演義』なら『演義』を特集し、
『正史』なら『正史』を特集するといった、旗幟鮮明な書物の方が、読者には歓迎
され、売れると思います。


  私も、「歴史系」にいる人間かと思います。そして、「歴史系」三国志を
普及させたいと思う人間でもあります。私は、他の三国志のファンの方を「歴史」に
目を向けさせるためには、やはり傑作が欠かせないと思います。私の友人でも、
「『蒼天航路』を読んで、正史に興味が出てきた」という人が結構います。
「娯楽系」の面白さを知らしめる傑作が、『吉川三国志』『横山三国志』などを
始めとして多々あるのに対して、「歴史系」の面白さを知らしめる傑作は、
今のところ『蒼天航路』ぐらいしか思い付きません。
傑作の登場。これこそが、「歴史系」普及のために重要なポイントかと思います。
陳舜臣『秘本三国志』は傑作だと思いますが、劇薬なので、「娯楽系」の方が
読めば、拒否反応を起こす可能性が大です。今まで、「娯楽系」の方々が見落と
していたエピソードなどを、面白く描いた作品が登場すれば、「歴史」にもっと
目を向ける方が増えるのではないかと思っています。
 そもそも、『三国志』が、かくも誤解されたり混同されたりするようになったのは、
『三国志演義』とその焼き直し『吉川三国志』が傑作すぎて、その影響力が多大だった
ことから始まります。その影響力を少しでも和らげ、多くの誤解を解くには、やはり
「歴史系」の傑作が必要なのではないかと思います。


  ところで、
  空想的な三国志でも、私は、面白いものなら大歓迎です。なぜ「演義」が素晴らしい
のかと言うと、「史書」にないオリジナルエピソードでも、血沸き肉踊る展開で、目が
離せなかったり、人間をしっかりと描いて興味深かったりするからです。しかしなが
ら、現在出ている小説を読むと、多くの場合、オリジナルエピソードは、読むのが
苦痛になるぐらいつまらないものが多いような気がします。そういうのを読むたびに、
「小説でじっくり描けば面白そうなエピソードが、正史にはまだまだたくさんあるの
に、なぜこんな下らないオリジナルなど書くのか!」と思ってしまいます。
やっぱり、エンターテイメントである以上、面白さが大事だと思います。自分で面白い
話を作れないなら、三好徹『興亡三国志』の初期のように、演義と史書の面白いところ
ばかりを集めて、歴史的には無謀でも、魅力あるキャラをバンバン伏線に配して、
バッサバッサやってくれた方が、痛快です。


 というわけで、いかがだったでしょうか? もう既に、私自身が述べたことと、
皆様方の御意見が出たあとに、「屋上、屋を架」した感がありますが、いかがで
しょうか?
 今回の私の結論としては、二極化をより進め、「演義」と「正史」の違いを
ハッキリとさせた上で、「歴史系」三国志作品の傑作の登場を待ち、「歴史系」の
普及を促す、ということになりました。現実がそのようになってくれると私としては
嬉しいのですが。
 また、皆様方の御意見を頂戴できましたら幸いです。


                 ジョージ真壁

【800】むしろ三極化?
追記  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/3/31(水) 12:48 -

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   皆で真面目に書き込み合う雰囲気のツリーも嬉しくなりますね。


以下、何か自己訂正じみてますが
「娯楽系」ファンは特に原典の忠実さを求めていないような気がします(私としてはそれはそれで良いと思いますよ)。
なので、第三の「文学系」(三国演義をベースとした)があると思います。私のまわりには「文学系」ファンはそれほど見かけないのですが、それを加味すると三極化になるのかなぁ、なんて思いました。


それで問題の部分は出版で「三国志」、「三国演義」、その他創作物をごちゃ混ぜにすると(例えば、「三国志」と題して中身がごちゃ混ぜの内容とか)、あまりそういうことを意識しないファンに誤解を与えてしまうってことですね。
これは一部のファンの間で昔から言われていることなんですが、あまり出版側に伝わっていないようですね。ファンがあまり声高に言わないからなのか、出版側が知ってて反映させてないからかわからないですが、「三国志」という単語を外すとよほど売り上げが下がると思われているのかなと想像してます。
(「週刊ビジュアル三国志」[#T734]のタイトルはそういう伝統にのっとっているんでしょうね・汗)


それとご存じでしょうが、一応、閲覧者に対するフォローということで。
「蒼天航路」は正史(というより陳寿の三国志や裴松之の注など)だけを題材しているのではなくて(←あ、閲覧者に対してのお断りです)、正史(というより陳寿の三国志や裴松之の注など)も題材の一つとして取り上げているといったようにきいたことがあります(私自身、「蒼天航路」の一部しか読んでいないので断言できないのですが。イタい参照リンク

それでも三国志の「歴史系」の面白さを世に広めているのであれば、願ったりかなったりですね。

【802】Re:二極化と傑作を求む(再び長いです)
 孫ぽこ WEB  - 2004/3/31(水) 13:46 -

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   こういうスレもたまには良いのではないでしょうか?

真壁さんのおっしゃりたい事は、私自身感じてきた部分ですし、共感しています。
ただ、前述しました通り、私自身の感じ方が変わってきた部分があって、実を言うと【人によって認識・評価が違う】という事自体が三国志の面白さの一つではないか?と感じる事があるんです。

これから私が書く事は、三国志を歴史学・史学として捉えるなら邪道も良い所なのですが。

なんでもそうですが、一つのジャンルが興隆する時というのは必ず対立構造というのがあります。プロレスで言うなら馬場と猪木(笑)。政治で言うなら自民党と民主党。自己主張と自己主張がぶつかり合うというのは、端から見ると醜かったり、馬鹿げていたりするもんですが、その対立構造の持つパワーというのは非常に大きい。

実際、光栄ゲームシリーズの人気から始まったと思われる、三国志ブームはもし演義基準だけの世界観しかなければ、いずれ一過性の物として衰退していった可能性すらあります。水滸伝は世界観が一つしかないが故に大きなムーブメントを起こすには到りませんでした。

しかし、そこに正史基準という世界観が割ってはいる事で、新たな対立構造が出てきた訳です。つまり、【えっ?赤壁では諸葛亮は何もやってない??】などという驚きが入ってきた。自分などが三国志を趣味の一つとしていった背景にはコレがあります。全然違う世界観が同じ題材に存在するという不思議です。三国志には他にも魏派・蜀派・呉派と言った対立構造もありますので、実を言うと三国志ファン層を支える根底にはこうした対立構造がどこかに存在していると言えます。

こうした対立構造があるからこそ、熱いw三国志サイトが多々存在するとも言える気がするのです。つまりサイト管理人になんらかの思い入れがあるからこそ、熱くなるのであって、それが無ければそのジャンルは衰退するでしょう。こうした思い入れを導入するには、実は対立構造の存在というのはうってつけなんです。

という視点で考えると、最近ちと三国志ブームが一時期より衰退しつつあるように思えるのは、ファンがスマートになり、所謂棲み分けが進んだ結果、対立構造が発生しずらくなった点にも一因があるのではないか?とすら思えます。それが証拠に棲み分けが進んでいない2ちゃんの熱い事熱い事w

まあそういう訳で、三国志を史学・歴史学として捉えるなら、とんでもない論法ではありますが、最近、私は【いろんな価値観をそのままに三国志の世界観に存在させた方が良いのではないか?】と思っているのです。棲み分けも良いですが、意外に棲み分けなんかしない方が面白いのではないかと。

【803】Re:二極化と傑作を求む(再び長いです)
 孫ぽこ WEB  - 2004/3/31(水) 14:17 -

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   とは言っても、真壁さんのおっしゃる通り、歴史に関する本・放送などであるならば、歴史に対して正しい認識を持つべきだという事には同感です。私がNHKの【その時歴史は動いた】を見て失望したというのは、まさにその点です。魏の政治は悪だったなんて、歴史を扱う人間がまともな思考ではじき出した物とは到底思えません。

ただし、これは私が、分類する所でいう、正史派(笑)だから感じる憤怒であって、三国志の世界観全体を考えれば、NHKは良い事をしてくれたのか?という感覚すら最近は持っているんですよね(汗)。あれがディープな三国志ファン向けに作られた物ではなく、夏休みに子ども向けに作られた物だったと考えるなら。

これから三国志に興味を持とうかな?という子どもの立場で考えれば、演義から入るのが正しい姿であろうと思うのです。史学として三国志を捉えると、三国志は他国の一時代の歴史に過ぎず、三国志というジャンルは衰退せざるを得ません。正しい認識の元、歴史学のジャンルとして存在させようとすると、そうなってしまいます。

三国志に人気があるのは、根底部分は演義であり、光栄三国志であり、吉川三国志であり、横山三国志です。最近であれば無双かなw?要するに、三国志というジャンルそのものの事を考えれば、特に三国志初心者は【史実とフィクションがごっちゃになっていた方が良い】のではないか?と思う事があるんですね。つまり

>史実とフィクションを同じ場所で語ることにどんな意味があるというのか?三国志初心者の方は特に、これを読んだら、何がなんだかわからなくなってしまうのではないかと危惧します。

という危惧自体が、もしかしたら私を含めて先達の余計なお節介なのかもしれないなと。何がなんだか分からなくなった方が良いのではないかと。

一例を挙げると、日本史での宮本武蔵像というのは、三国志の世界観に似ている部分があって、史実上の宮本武蔵と吉川氏のフィクションとしての宮本武蔵像がごっちゃになっています。これは史学として宮本武蔵の実像を広めたいと思っている人には憂うべき事態かもしれませんが、実はこうした虚構の存在自体が、歴史への興味への糸口であり、その糸口を無理に整理整頓する必要はないのではないか?と思っているのです。

【804】Re:三極化ではないのかと
 黄虎洞 E-MAILWEB  - 2004/3/31(水) 18:39 -

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   ▼ジョージ真壁さん:
歴史か『三国志演義』かと言う問題は、文章を発表する側の意識が、そこまで考えていないと思います。と言うより「この文章を見て読者がどう考えるか」などと言うことは、あまり意識に無いと思います。
出版社から「こういうコンセプトでお願いします」と言われて、「はいはい」と書いているのが現状だろうと思います。
正史やその他の歴史書に依拠してその内容の範囲以内で書き表すのが「歴史(正史)系」で、『三国志演義』に依拠してその範囲以内で書き表すのが「文学(演義)系」だろうと思いますが、現状ではこれ以外のゲームとか漫画とか映画とかテレビドラマとか有ります。
これらの中で、正史とも異なり『三国志演義』とも異なり、架空の人物の活躍や、架空の出来事が登場するのが「娯楽(歴史小説)系」だろうと思います。歴史小説と言うのは出だしと終わりが歴史事実に合っていれば、その過程は如何荒唐無稽の面白い話でもかまいません。そのフイクションの部分を如何面白くするかがエンターテーメントだろうとおもいます。
例えば、「真田十勇士」は娯楽の歴史小説で、如何彼等が活躍しても家康は殺せないのです。殺したら歴史小説ではなく単なるフイクション小説です。殺さないと言うのが歴史のノンフイクションで、架空の登場人物の活躍がフイクションで、これが上手くかみ合った小説が娯楽性の強い歴史小説だろうとおもいます。
実は、日本ではこれだけ三国志のフアンが多いのですが、実際中国語圏の世界では、三国志が映画化されたのは、今までに2回ほどだと思います。個別の曹操とか華陀とか諸葛亮孔明については数本有りますが、三国志自体は極めて少ないです。
これは、正史の内容と『三国志演義』の内容が近い、つまり歴史と小説が近い内容であるため、エンターテーメントにしづらいと言うことだろうと思います。因って『封神演義』とか『隋唐志演義(ムーランの話です)』とか『楊家将演義』とかの方が、はるかに多く映像化されエンターテーメントとしてもてはやされています。
と言うような訳で現在日本には、歴史系・小説系・娯楽系の三種類が存在し、依拠したものの名称を明白にしないまま、それぞれが勝手に正史に依拠とか演義に依拠とか言っているのが現状ではないのかと思います。
純粋に学問的に追究しないならば、どちらであれエンターテーメントとして優れて面白いものが一番愉しいように思います。

【806】議論というより雑談になってしまいますが
 わちこ  - 2004/3/31(水) 21:58 -

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   私は「娯楽系」ファンになるかと思います。1ファンの印象を御参考までに…
私としては、小説や漫画やゲームなどは、おもしろければ史実であろうとなかろうと、「曹操がこんなにかっこいいよ!」とかどうとでも楽しめますが、「三国志のひみつ」といったような情報系の本を読むときは、ある程度は歴史が知りたいという気持ちがありますから、根拠をはっきりしてくれたほうがありがたいと思います。
中学生のとき、自由研究で三国志を調べたんですが、たしか「完訳三国志」という本を参考にしたら、三国演義の訳で、子供心にショックでした(笑)。どちらかというと正史のほうを「正史三国志」とわけることが多いのかもしれませんね。
私ゲームの「三国無双」も大好きで、光栄のだしている「三国無双通信」というファンブックを買ったりするんですが(笑)、正史と演義を比較するコーナーがあったり、関連書籍の紹介も、わりと正史ベースとか演義ベースとかかいてあって、学問ではなく「普及」という水準でいえば親切だし、おもしろいですよ。

【807】三国鼎立と諸葛亮の北伐 そして柳毅
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/1(木) 11:51 -

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     どうも、真壁です。このたびも御返事、誠にありがとうございました。
皆様の卓見にお触れてして、目からウロコの落ちる思いです。


  なるほど。二極化ではなく、厳密に言うと、「歴史系」「文学系」「娯楽系」の
三者があるということですね。私は、二極化にせよ三極化にせよ、棲み分けが
望ましいと思っていたのですが、「孫ぽこ」さんの御意見を伺い、深く考え込んで
しまいました。
「対立構造があるからこそ人々は熱くなり、三国志に対する興味を喚起する」という
御意見は、まさしく卓見かと思います。この御意見に触れてしまうと、白黒ハッキリ
させたいとする私の意見は、ひどく子供っぽく見えてきます。
 思えば、確かに、「適度な派閥抗争は、会社を多いに発展させる」とも言いますし、
「芸術・文学を始めとする物事は、洗練されると、やがて衰退する」とも言われます。
「歴史系」「文学系」「娯楽系」をハッキリ棲み分けさせて、三国志を取り巻く状況が
スマートになってしまうと、それは、人々の三国志に対する熱を奪ってしまうことにも
なりかねません。「歴史系」「文学系」「娯楽系」の人々が、棲み分けせずに同じ
フィールドで三国志を語り、混沌とした状態が保たれてこそ、三国志ブームの永続に
つながるのかもしれません。混沌とした状態からは、人々は三国志に色々な可能性を
感じることができますが、棲み分けしてしまうと、やがて各方面の極点(洗練)に
辿り着き、人々は、三国志に飽きてしまう。思えば、昔はもっと自由な存在だった
「和服」も、洗練されすぎて、宇宙服のようになってしまい衰退しました。昔は、
粗削りで、色々な可能性を感じさせられた漫画が、絵がキレイになって洗練されて
下らなくなった例は、数知れません。毒と薬に満ちたあの『ドラえもん』でさえ、
今では洗練されて「癒し系」などと言われ、つまらないものになってきています。
「熱」が失われてしまったものの末路は、あまりに悲しい。

  話がすこし逸れましたが、「孫ぽこ」さんの御意見は、誠にもっともなものであると
思います。「歴史系」「演義系」「娯楽系」が魏・呉・蜀のように鼎立し、諸葛亮の
北伐のごとく、各者に抗争(交流)があってこそ、『三国志』が成り立つ、というのは、
まるで寓話のようによくできた話です。


 ですが、私としては、三国志の発展のため、初心者の方の三国志に対する情熱を
惹起するためのある程度のカオスは必要だとしても、それだけだと、やはり淋しい。
いつもまでも、三国志の書物といえば、「歴史」「演義」「娯楽」が一体となって、
何がなんだかわからないモノばかりというのは、三者のどのタイプの人であっても、
三国志ビギナーからマスターへと至る人にとっては、苦痛で仕方ないのではないかと
思うのです。どこの世界でも、極めたい人がいるように、「歴史系」を極めたい人、
「演義系」を極めたい人、「娯楽系」を極めたい人、というのが、いると思うのですが、
このカオスの状態では、「歴史」「演義」「娯楽」のそれぞれの中途半端な知識しか
得られないという心配があります。

 例えば、私を例に取ってみると、「歴史系」を極めていきたいと思っているのですが、
純粋に「史書」の三国志の世界を考察している書物は、驚く程少ない。ちゃんとした
歴史を扱ってそうな、「歴史読本」シリーズや「歴史群像」シリーズですら、演義の話
で満載です。そして、少しある「史書」の三国志を解説している本は、ほとんど、もう
わかりきったことばかり書いていて、「なるほど!」と言わせてくれるような本は、
ほとんどありません。これはストレスが溜まります。最近では、「別冊宝島」の本の
中の一部の記事で感銘を受けましたが、この本でも、「正史を基礎」を宣言しながら、
演義の話が混じるといった具合です。これほど正史『三国志』が読まれる時代に
なっても、公孫度の配下の柳毅に対する考察などが読めるのは、ネットの中だけ、
というのは、いささか淋しい気がします。


  というわけで、今は、カオスと洗練のバランスについて、迷っています。
三国志の今後の発展を思うと、カオスは欠かせないかもしれない。しかしながら、
ステップアップして、よりディープに三国志を語ろうとした時に、ほとんどの
書物や映像メディアがカオスなものしかないというのは、三国志を極めたい人に
とっては、逆に、三国志への興味を頭打ちにさせてしまわないかという危惧が
生じるのです。

  なんだか、観念的な話になってしまい、本来の話題の主旨と離れてきていないか
心配になりますが、また御意見・御感想などを賜れれば幸いです。
  三国志の小説については、後日また意見を述べさせていただこうと考えております。

 
                      ジョージ真壁

【808】正史・演義の混同の原因
感想  伊比 学  - 2004/4/1(木) 11:51 -

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   はじめて書き込みさせていただきます。

「正史」と「演義」が混同される原因について、私は「多くの日本人にとって、正史三国志も三国志演義も存在せず、ただ『三国志』があるだけ」だからだと考えています。

日本の歴史で人気のある時代はどのあたりでしょう。桶狭間から大坂夏の陣・幕末・忠臣蔵などが好きと答える人は多いでしょうし、我々もまたそういう人を一般に「歴史好きな人」と呼んでいます。
では、我々はそのあたりの知識をどこから得ているのでしょうか?
答えはおそらく大河ドラマであり、吉川英治であり、山岡荘八であり、司馬遼太郎でしょう(武田信玄好きでも、甲陽軍鑑を読んだことのある人は少ないはず)。山岡荘八で家康を知った人にとって、あの小説に書いてあることが家康の事実と思うはずです。それは決して真実ではありませんが、読者が対立する知識を持たなければ、その事実を真実として認識することになるでしょう。
そして、そういう人達が多数派を占めるようになれば、「家康=山岡荘八の家康」が共通の認識となり、少数派の意見はそれが真実であっても排除・無視されるのが世の常です。ガリレオ=ガリレイはいつの世にも存在するわけです。

三国志だとどうなるでしょう。メディアを動かす立場にいる製作者の年齢と、歴史(自称)番組を好んで見る人の年齢構成を考えれば、現時点では「三国志=吉川英治(≒演義)」だと思います。残念なことに当時は正史三国志が流通していませんでしたから、彼らにとって三国志に正史も演義もありません。「三国志」は1つしか無かったわけです。そういった独占状態が2,30年も続けば、「三国志」の共通認識が固定化されるのも仕方ないのではないでしょうか。
さらに、一度できてしまった共通認識を覆すのは容易ではありません。理科の教科書を見れば、存在もしない「電流」などというものが平然と書いてあり、「ウェブサイト」は「ホームページ」でも通じるようになってしまい、「クラッカー」は「ハッカー」と…(以下略)。

例えば馬超。演義の「親を殺されて復讐に燃える悲劇のヒーロー」と正史の「親を殺した血気盛んで政治力ゼロの馬鹿」ではイメージが違いすぎると思います。また、獅子の兜をかぶっていれば誰が書いても馬超とわかるくらい、イメージも演義で固定化されています。普通の兜をかぶった馬鹿武者の馬超が登場したときに違和感を感じなくなるようになれば、演義偏重時代も終焉を迎えることができるのではないでしょうか。

現在、三国志は正史・小説・ゲームなど多様化しているので、情報の発信の仕方しだいで状況を変えることは容易なはずです。よって、ちくまの和訳を読んだ世代がTV局の製作責任者になる時代になれば、今の状況は少しは変わるものと考えます。私の予想ではあと20年くらいかかると思いますが。

コーエーが新作ゲームで「正史武将しか出ない正史シナリオと、演義武将しか出ない演義シナリオに分ける」ついでに「正史シナリオと演義シナリオで武将の能力値を別にする」としてくれれば啓蒙として一番速いんですけどね。陳到と周倉が一緒にいるシナリオに萎え。

なお、野球を例にすると、
正史派=スポーツとしての野球が好きな人
演義派=チームや選手が好きな人
というのが私のイメージです。

長々と失礼しました。

【810】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 むじん E-MAILWEB  - 2004/4/1(木) 16:38 -

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   こんにちは、むじんです。

ご意見を伺いますと、以下、4つの立場が明確に区分されてないような印象を受けました。

(a)正史を題材にとって学問を追究する(史学)
(b)正史を題材にとって娯楽を追究する
(c)演義を題材にとって学問を追究する(文学)
(d)演義を題材にとって娯楽を追究する

また、学問の側(a,c)が娯楽追究(b,d)の成果を取り入れることはない一方、娯楽の側(b,d)が学問追究(a,c)の成果を取り入れることは正当な手続きであるというのもポイントです。したがって市場に流通する娯楽本が、正史から話を取ってきたり、あるいは演義から取ってきたりするのは別段奇異なことではなく、b,dを区別する必要はないように思われます。

また正史、史実という二つの語の混同もあるように見受けられました。

とりあえず気付いたのは以上の通りです。

【813】あみんも待てない二十年  そして電流
感想  ジョージ真壁  - 2004/4/2(金) 4:16 -

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    どうも、真壁です。御意見ありがとうございます。


 コーエー新作ゲームで、「演義シナリオ」と「正史シナリオ」に分けるっていうのは、
良いアイデアですねえ。ただ、「演義シナリオ」だと劉虞は君主として登場しないし、
コウソンサンの配下が少なかったり、少し、淋しくなる可能性はありますねえ。

 「正史シナリオ」は、とことんマニアックにやってもらいたいものです。
『信長の野望 蒼天録』などでは、武将が1500人も登場したのだから、『三国志』
でできないことはないと思うのですが。

  あと二十年は辛いので、やはり影響力の大きいコーエーのゲームに期待します。


  これも、おそらくありえないでしょうが、NHK大河ドラマで『三国志』あるいは、
『曹操』でもやってくれないものかなあ、と密かに思っています(この件については、
近々、ちょっとミーハーなスレッドを立てようかな、と考えております)。


  ところで、『三国志』と直接関係ないのですが、「電流」って、存在しないん
ですか? すみません、文系なもので、よく存じ上げません。『三国志』絡みで、
詳しく御教授下さる方がいらっしゃったら、ぜひよろしくお願い申し上げます。


                  ジョージ真壁

【814】(Re) 三国志の状況を格闘技に喩える
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/2(金) 4:28 -

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    どうも、ジョージ真壁です。

 むじんささん、御指摘・御意見、どうもありがとうございました。
 このたびは、御指摘に対しての、私の回答と、意見を述べさせて
頂こうと思います。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


>ご意見を伺いますと、以下、4つの立場が明確に区分されてないような
印象を受けました。
>
>(a)正史を題材にとって学問を追究する(史学)
>(b)正史を題材にとって娯楽を追究する
>(c)演義を題材にとって学問を追究する(文学)
>(d)演義を題材にとって娯楽を追究する
>
>また、学問の側(a,c)が娯楽追究(b,d)の成果を取り入れることは
ない一方、娯楽の側(b,d)が学問追究(a,c)の成果を取り入れることは
正当な手続きであるというのもポイントです。したがって市場に流通する娯楽本が、
正史から話を取ってきたり、あるいは演義から取ってきたりするのは別段奇異なこと
ではなく、b,dを区別する必要はないように思われます。


 なるほど。おっしゃられているように、4つの立場の境界について、少し(かなり)
曖昧だったかもしれません。改めて、私の意図を明確に宣言させていただきますと、
むじんさんの区分で言うところの、(b)(d)を、ハッキリ区別してほしい、という
ことになります。「同じ娯楽(先だっての皆様の御意見にある「娯楽系」とは意味が
異なる)なんだから、その成果をぶち込んでやれ」というのは、勘弁してほしい、
という嘆きなのです。

  なぜなのか。

  これは、レスリング・格闘技の世界で喩えるとわかりやすいかもしれません。
(プロレス・格闘技ファンの方々のお怒りを買うかもしれませんし、御存知ない方
にとっては、意味不明な喩えかもしれませんが、御容赦下さい)


 むじんさんの区分における四つの区分を、格闘技界で言えば、下のようになるのでは
ないかと思います。

(a)真剣勝負を、スポーツとして鑑賞する。(アマレス・相撲・他のアマ格闘技)
(b)真剣勝負を、娯楽として楽しむ。(K−1。プライド等)
(c)ショーとしての戦いを、スポーツとして鑑賞する。(一部のプロレス団体等か)
(d)ショーとしての戦いを、娯楽として楽しむ。(一般的な興行プロレス等)


(b)と(d)は、同じ格闘技であり、「娯楽」を求めている点では同じだが、
一方は「真剣勝負(真実に近いもの)」、一方は「ショー(フィクション)」という
明確な違いがあります。そして、「娯楽として楽しむ」と一口に言っても、当然、この
両者は、「求められている娯楽内容」の中身も違ってきます。もちろん、人に
よって様々な楽しみ方もあるでしょうが、(b)の場合は主に、「真剣勝負における
その内容と結果を堪能し、誰が一番強いのかを確認する過程」を楽しむのに対し、
(d)は、「勝負に至るまでの派閥抗争・因縁・パフォーマンスなどの前フリから
堪能し、対決での技の応酬・展開の起承転結という物語」を楽しむものと考えます。
同じ格闘技であり、娯楽ですが、お客が要求するものは、まったくの別物です。

三国志も同じで、娯楽として三国志を捉えていることは同じでも、「歴史系」「文学系」
「娯楽系」の各者が求めている内容は、まったく別物だと考えております。

  今、三国志の本などで行われていることは、真剣勝負に勝とうとしている武蔵
と、お客さんを見て楽しませたいグレートサスケが、同じリングに上がっている
ようなもので、見ている方としては、その意味を理解できません。格闘技の世界で
言えば、「人気者二人をリング戦わせれば、いいってもんじゃないやろ」という
ことになります。

両者は、明確に区分されてこそ、その本領が発揮されるものと考えます。
(もちろん、格闘技の場合は、グレートサスケがK−1のリングに上がる可能性が
ないわけではありませんが、その場合、主旨は統一されます)

以上が、私の最初の主張での主旨です。


 というわけで、格闘技で喩えてみましたが、いかがだったでしょうか?
かえって意味不明になったかもしれない、との危惧もありますが、その場合は、
御容赦下さい。また、御意見、御感想などを賜れれば幸いです。


                    ジョージ真壁

【815】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 KJ E-MAIL  - 2004/4/2(金) 14:40 -

引用なし
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   二極化あるいは三極化とされる「歴史系」「文学系」「娯楽系」、
言われてみるとそのように区別できるなぁと感心しながら拝見
させて頂いておりました。

ちょっと横道にそれるかもしれませんが、私の考えを述べさせて頂きます。

私が最初に三国志に興味を持ったのは横山三国志と光栄三国志でしたが
漫画を読み終えると、ゲームに飽きると、すぐに離れました。
五年後、既に社会人となってビジネスの観点から再び三国志に興味を
持ちました。それから数年経ち現在に至っています。

この観点は、ビジネスマンが自己実現のために歴史から学ぶというものです。
過去に戦乱の世を渡っていった大先輩のよいところ悪いところを、
現在の混沌とした経済状況におかれる自分のために活かすのです。

この見方は歴史系、文学系、娯楽系、どれに属すのか難しいところが
ありますが、少なくとも学ぶ対象が正史から引かれたものであろうと
演義から引かれたものであろうと、どちらでも構わないと思います。
そこまで追求する必要もないし、自分が生きる上で、仕事をする上で、
プラスになることを学べるだけでよいのです。多少味付けされてようが、
混同していようが、今の自分によければいいのです。

と、三国志に再熱した当初はそのように考えていました。
いつしか三国志を自分に反映させることがそっちのけとなり、
いわゆる歴史系に住み分けしちゃっている状態です。
といってもあまり考察などせず史実の収集に専念しているだけですが。
さらには三国志Web界でのニーズを把握し、それに如何に応えることが
できるか、という視点でサイト運営を行い、そのこと自体が自分の
本業の仕事の鍛錬になっています。(それはどーでもいいか、)

本の出版もビジネスですし、売れる本を企画するのが普通かと
思います。学術書として出版されるものは別かもしれませんが。
同じような内容の本でもパッケージを変えて新調すれば売れます。
三国志にこれから興味をもってもらうために参照元が正史だろうが
演義だろうが混同してようが、売れて興味を持ってもらえれば
それで構わないのではないかと思います。
ターゲットがビジネス向けか、一般大衆向けかに関わらずです。
だから多くの三国志本は、多くの人に読んで面白いようにできている。

欲しいと思う本がないのは、それだけニーズがないのだと思います。
本を書く人も生活がかかっていますし、特別な必要性がない限り、
売れない本は書かないと思います。

あまりビジネスビジネスと言っていると毛嫌いされそうなので
この辺に留めておきますが、欲するものがなければ自分で作る
という精神が大切なのではいでしょうか。

【819】三国志書物の需要と供給
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/3(土) 2:46 -

引用なし
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    どうも、真壁です。
 御意見ありがとうございました。
 このたびは、そこらへんの、「三国志書物における需要と供給は、
一致しているのか?」という点について、一人の客の立場として、
私の意見を述べさせて頂こうと思っております。
 どうぞ、よろしくお願いします。

 蛇足ではありますが、このような比較的カタい内容の話を真剣にでき、
皆さんが真剣に応えて下さるサイトが存在することを、三国志の
一ファンとして、私は非常に嬉しく思います。


 私も商売に絡む仕事をやっていましたもので、「ニーズ」が重要だと
いうことは、よく存じ上げているつもりです。ですが、どうなんでしょう?
果たして、本当に、私が求めるような「歴史系三国志ファンを唸らせる書物」の
ニーズって、ないんでしょうか? これだけ、あちこちのサイトで、
「正史三国志」が語られるようになっているのに、書物にはニーズがない、
というのは、私としてはどうも信じがたい気がするのです。

 私が気になるのは、この話題で「清岡さん」が書いておられた「(演義と
正史の違いが問題だということが)出版社に伝わっていないようだ」という
お話と、「黄虎洞」さんが書いておられた「歴史か『三国志演義』かと言う
問題は、文章を発表する側の意識が、そこまで考えていない」というお話が、
実状に近いのではないか?という点です。ことに、「黄虎洞」さんは、実際に
文章を発表なされる立場の側の方のようですので、その言葉には真実味が
あります。さらに「黄虎洞」さんがおしゃられている『「この文章を見て読者が
どう考えるか」などと言うことは、あまり意識に無いと思います』という
御意見は、衝撃的でした。顧客満足というものが最重視される、商売の世界に
いた私からしてみれば、読者(お客)を意識しない文章、というのは、「顧客を
無視して仕入れられた商品」と同じで、あってはならないものと考えるから
です。もちろん、ビジネス的観点からみるとそうなるが、学者さんやライター
さんにとっては、そうではないのかもしれません。もし、そのくらいの考えで、
出版社が「三国志本」を出しているのだとしたら、出版社側は、売れる題材を
売れないようにして出版している、とも言えるのではないでしょうか?

そのあたりを痛感させられたのが、「別冊歴史読本シリーズ」「歴史群像シリーズ」
の本です。「歴史」とつくからには、「歴史系」が要求するような内容かと言うと、
そうではない。「演義」と「史書」の話が入り混じっている。「歴史」を名乗っている
んだから、出版社よ、プライドを持て、と私は言いたい。だいたい、その題名に
対して、読者から何が期待されているのか、まるでわかっていない。顧客満足を
無視して作られた本だと言えます。
 そもそも出版社側が、「今度の本は、史実の話でお願いしますね」と一言、
コンセプトを統一しさえすれば、解決する話だと思うのですが…。

 おそらく、最近の「正史」ブームを受けて、別冊宝島では、「正史を基礎として
いる」と宣言する三国志本を刊行したのだと思うのですが、この本もいただけない。
「正史ブームだから、正史メインで書けば売れるだろう」という読みは、漠然
とした三国志本を出し続けた出版社より、ニーズの察知という点で、数枚優れて
いて、評価できます。ですが、せっかくの宣言も、中身で裏切っていては、顧客
満足には繋がりません。むしろ、読者としては、裏切られたような気持ちになります。
「正史を基礎としている」と書いているから買ったのに、ライターさん達は、演義
の話ばっかり書いており、腹立たしい。なぜ、ライターさんにお願いする時に、
コンセプトを統一するくらいのことができないのか? 本のクオリティについて、
軽く考えているのか、「三国志」とつければ売れるだろう、と三国志ファンを舐めて
かかっているのか。いずれにせよ、既に絶望している方が多いように思える
「歴史系」のファンを、さらにガッカリさせる事態だと言わねばなりません。
逆に言えば、清岡さんや私のように「昔は三国志本にワクワクドキドキしていた
が失望させられちゃった人々」を、再び「ワクワクドキドキ」させるような本が、
出版されたら、三国志本はもっと売れるものと、私は考えているのですが。

 もちろん、クオリティに関わらず、「三国志本」は出せば売れるからこそ、
出版社もバンバン本を出してきているものと思いますが。売れなくなった時に、
その責任を自らの本のクオリティに帰するのではなく、「ブームが終わったから」
と判断されそうで、怖いところであります。


 というわけで、今回はいかがだったでしょうか? 現在刊行されている本に対して、
少し辛口になってしまったような感があったり、何か同じことを繰り返し言っている
ような感もありますが、また、御意見・御感想などを賜れれば幸いです。


                    ジョージ真壁

【820】Re:三国志書物の需要と供給
 黄虎洞  - 2004/4/3(土) 9:48 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
読者と書き手と出版社(商売)との問題は、現実の経済活動の中で難しい問題をはらんでおり、一概にこうだとは申せませんが、小生の愚見を申し述べておきます。
現在、三国志ものを執筆される大半の方はライター(三国志関係を良くお書きになる)が中心で、実際の研究者は少ないと思います。
今まで、研究者の間では、三国志のことをすると「あいつは三国中毒だ」とか、蜀のことをすると「蜀中毒だ」とか言われ、「もっと真面目なことを研究しろ」などと言われてきました。因って今まで前後のからみや、論の展開上から「三国」のことに論及が及ぶことは有っても、「三国」を冠した専門研究書は存在せず、今年の三月末になって、渡邉義浩氏の『三国政権の構造と名士』(汲古書院、10000円)が本邦最初の「三国志」を冠した書籍です。
また一般向け雑誌の場合、執筆者全員を研究者でそろえ、絶対正史に依拠とのコンセプトを徹底すれば可能でしょうが、一雑誌の執筆者全員を研究者で揃えるのは困難であり、当然研究者+ライターの方々と言う組み合わせとなります。
研究者の場合は、出版社サイドが何を言っても、「俺は正史の範囲でしか書かないよ、いやなら書くのを辞めるよ」と言えます。なぜなら他に本職を持っているからです。
しかし、書くことで生計を維持されているライターの方々の場合は、そのような勝手な言いぐさは難しいと思います。よっぽど大物ライターで何でも通るような作家樣なら別でしょうが、普通では難しいと思います。
逆に、無理して研究者をかき集めて書かせれば、内容的には歴史的事実に依拠した雑誌になるでしょうが、専門用語の羅列した面白くもない雑誌となり、まるで研究書のダイジェスト版の様になるでしょう。こんな雑誌が本当に大量に売れるでしょうか。
結果、雑誌を売ると言う立場の出版(経済活動)サイドから言えば、ライターの方々と研究者の数人の組み合わせに因る執筆メンバー構成が、一番無難と言うことになるのではないのかと愚考致します。
因って小生の結論でありますが、出版の諸事情に因り執筆者を一元的に統一出来ないと言う現状の中で、読者の方々には、誰が執筆者であるかに因って読み分けるスタンスを持って頂きたいと愚考致します。ここまで三国志ものが氾濫し、多くのフアンがおられる状況を拝見すると、一雑誌の中でも「この人は歴史に依拠しているな」とか「この人は『三国志演義』系だ」とか、読み分ける楽しみを読者の方々に持って頂けたら幸いだなあと勝手に望んでおります。

【823】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 ポコ E-MAIL  - 2004/4/4(日) 13:31 -

引用なし
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   ポコです。
今まとめて読んでいました。
失礼かもしれませんが、非常にワクワクしながら読んでいました。

勝手に僕の意見を言いますが、ジョージさんの意見に賛成です。
皆さんの意見もうなずけます。
が、僕は光栄の三国志で三国志に興味を持ち、横山光輝三国志で三国志の話を知って、三国志好きと話してるうちに“正史・三国志!”というものがあるのを知ってそれから正史に興味を持ち始めて正史を知りたいと思うようになったのですが、正史の本を知ったのは最近なので全然正史の中身を知りません。
仮に清岡さんやむじんさんが正史を100とか90位知っているとしたら、僕は5位の知識しかないので、普通に三国志と書いてあるだけでは、中身を読んでも演義の話か正史の話かわかりません。非常に困ります。

いい出版社ないんですかねぇ。

それにしても1日24時間って少な過ぎますよね。100時間位あれば24時間が4つもある上にまだおつりがくるのに…。

【824】コンセプトの統一か、明言を
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/4(日) 20:25 -

引用なし
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     どうも、真壁です。


  貴重な御意見をどうもありがとうございました。
  研究者の方々と、ライターの方々の置かれる立場というものが、よく理解できま
した。


 記事を書くのが、研究者+ライターの方々という組み合わせになるのは、仕方ない
ですし、読み物としてのバラエティから考えれば、読者の立場からは、むしろそうで
あってほしいと思います。例えば、別冊宝島の『三国志 曹操 孟徳伝』という本では、
教授や助教授といった、本格的な研究者の方々はもちろんのこと、ライターの方々も、
非常に真面目に分析みたいなものを書いていました。その真摯な態度には好感が
持てますし、内容も、非常に参考になる点が多かったのですが、いかんせんカタすぎて
面白味に欠けたきらいがありました。研究者の方は、立場上、立証されていないことを、
勝手に推測して書いたりすることは難しいこともあるでしょうが、ライターの方は、
比較的自由に書けるところがあると思います。そして何より、ライターの方は、楽しく
読ませる文章を書くプロですから、「三国志はこんなに面白いんだよ」ということを、
再確認させてもらうためにも、ライターさんの存在は必要です。研究者の方では、
表現できないものを、ライターの方には表現してもらいたいところです。


 ただ、繰り返しになるかもしれませんが、私が不思議に思うのは、「なぜ、内容の
コンセプトを統一できないのか?」という点です。研究者の方は、立場上「正史」の
話しかできないかもしれませんが、ライターの方は、「演義」のことでも「正史」の
話題でもできる。となれば、最初に、「この本は、こういうコンセプトでいく」という
取り決めが重要になってくるはずです。それがちゃんとできているのかどうかという
点に、疑問を感じます。例えば、別冊宝島の『僕たちの好きな三国志』という本では、
冒頭に『本書で再現される三国志の世界は「正史」を基礎としている」と高らかに
宣言しています。ということは、出版社側のライターさん方への要求は、「内容は
正史の話」であったはずです。しかし、この本の中身を見るに、演義系の話で満載
です。読者からしてみれば、「これは、ナンなんなのだ?」と言いたくなるわけです。
ライターさん達が、もし、出版社側からちゃんと編集方針をきいていたなら、立場上、
ちゃんと正史の話を書いたはずです。そうなっていないということは、コンセプトを
ちゃんと事前に統一していないのではないか? 要は、編集側の仕事が、テキトー
なのです。読者との約束である、「正史が基礎」という宣言を守ろうという気がまるで
ありません。編集のプロとしてのプライドがないのか、コンセプトを統一するぐらいの
力量がないのか、それとも、三国志ファンを、読者を舐めているのか。私が問いたいの
は、編集側の姿勢そのものです。「別冊歴史読本」や「歴史群像シリーズ」の本も、
要は、編集側に、「俺達は、歴史を扱っているんだ」というプライドがないから、
内容のコンセプトが統一されないままの本を出して、なんら恥じるところがない。

 ナタデココが食べたくて、「ナタデココ」とラベルに書いたデザートを買ったのに、
中に「杏仁豆腐」が混じっていたら、客は怒るに決まっています(もちろん、
杏仁豆腐が好きな人なら、構わないかもしれないですが…)。

「売れれば良いのか!」という話です。もちろん、売れることが大事です。しかし、
本当に商売というものがわかっているなら、その場でただ売れるだけの本を出すの
ではなく、良いクオリティのものを出して、次の本も読者に買ってもらうように
努力するのが、真の出版社(商売人)のあるべき姿ではないのでしょうか? 


 私としてはできるだけ勘弁してもらいたいですが、あえてコンセプトを統一せず、
とりあえず「三国志」の話を集めてみた、という本を出す場合は、最低限、読者に、
この話は「演義」の話なのか「正史」の話なのか、明言して頂きたいものです。
最近刊行された、『週刊ビジュアル三国志』もその類の本だと思いますが、この点に
ついては、それなりに気を使っていたように見えました。それが筋だと思います。

 読者の側にいちいち、「この人は正史の話を書いている」「この人は演義だ」などと
判断させるというのは、正体不明の料理を出しておいて、「材料が何かは、自分の舌で
確かめろ」という料理屋みたいなものです。料理に詳しい人はわかるかもしれないが、
そうでない人には、判断のしようがない。私は、それは、不親切極まりないことでは
ないか、と思います。

「正史と演義の違いなんて、大事なの?」と、それすらわかっていないような出版社
は、その程度の認識で「三国志」の本など出すべきではない。国産なのか、アメリカ産
なのか、という違いが重要なのに、それを気付かず混ぜて売るようなお米屋は、もはや
プロとは言えますまい。


 ということで、またまた同じことを繰り返した感がありますが、いかがだったで
しょうか。また御意見・御感想を賜れれば幸いです。そろそろ、三国志小説についても、
述べていきたいと思っております。


                      ジョージ真壁

【826】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 乍融 WEB  - 2004/4/5(月) 3:53 -

引用なし
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   身も蓋もないですが、そういうエンタメ系出版社から出ている三国志本は情報の取捨選択が出来ないのならば知識吸収の為の媒体として利用しない方が良いと思います。矢張り玉石混交な感は否めませんから。

三国志の知識を深めたいのならば学術系の出版社から出ている本を読むのが無難でしょう。

書き手に我々が何かを求めるのは実質不可能ですし、それならば少々の知識がある者たちが、少しでも多くの方を良い読み手になるのを導くのが、今実際に三国志業界のために出来ることではないでしょうか?
私自身まだまだ未熟ですが、そのスタンスでHPを運営しています。
<sage>

【829】Re:コンセプトの統一か、明言を
 黄虎洞  - 2004/4/5(月) 7:14 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
コンセプトの統一を図れとのご意見はもっともだと思います。
出版サイドとしては一応コンセプトの統一を図っているつもりなんでしょうが、それでもご指摘のような現状が現れているわけで、なかなか解決するのは難しく、出版サイドの因り一層の努力を求めることぐらいしか出来ない現状です。
所で、歴史か演義かと行った場合、もう一つ重要なことがあります。それは、歴史といえば一般的に正史の『三國志』をイメージしますが、『三國志』以外の歴史書(野史)にも三国時代のことが多く書かれています。これらも歴史書です。問題なのは、これらの歴史書の中には、演義のネタになったような話が多くあります。因って歴史系の『三國志』の中に「これは演義系では」と思うような話が時たま出てくることになります。逆に演義系の『三國志』の中にも、「こんな話はどこにあるんだ」と思わせるような荒唐無稽な話が出てきたりすることが有りますが、これは『三国志演義』の元になった『全相三國志平話』の話の一部であったりします。
因って、歴史と銘打ったり、演義と銘打ったりしていても、中身に「あれ」と思わせる話が出てくることは、まま有ります。
とういっても、コンセプトの統一を図るのは、出版サイドの責務として当然の行為であろうと思います。

【830】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 KJ E-MAIL  - 2004/4/6(火) 0:07 -

引用なし
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   最初に、真壁さんのご意見を否定しているわけではありません。
基本的に賛成ですが、+アルファとして私の意見を加えたまでです。

それと前回のレスの訂正をいたします。

× 欲しいと思う本がないのは、それだけニーズがないのだと思います。
○ 欲しいと思う本がないのは、それだけニーズが少ないのだと思います。

× 本の出版もビジネスですし、売れる本を企画するのが
○ 本の出版もビジネスですし、売れて採算のとれる本を企画するのが

「少ない」「売れて採算のとれる」と言うべきでした。申し訳ございません。

> 私も商売に絡む仕事をやっていましたもので、「ニーズ」が重要だと
>いうことは、よく存じ上げているつもりです。ですが、どうなんでしょう?
>果たして、本当に、私が求めるような「歴史系三国志ファンを唸らせる書物」の
>ニーズって、ないんでしょうか? これだけ、あちこちのサイトで、
>「正史三国志」が語られるようになっているのに、書物にはニーズがない、
>というのは、私としてはどうも信じがたい気がするのです。

この部分、私がニーズが「ない」と言った上での返答として受け止めます。
私も正史演義等、内容の混同をしてほしくないと思う立場です。
ただ、Web上で正史について語られているからといって日本人全体から見れば
、さらに三国志ファン全体から見れば、ほんの一握りだと思うのです。
ROMのみの見えない実数があったとしてもそれを測定するのは不可能でしょうし、
売れる(売れて採算のとれる)という勝算がたたないからこそ、
私達の欲する本は出版されにくいのではないかと思ったのですね。
(後の黄虎洞先生の出版事情の話を聞くと、この推測もどうかと思いますが)

> 私が気になるのは、この話題で「清岡さん」が書いておられた「(演義と
>正史の違いが問題だということが)出版社に伝わっていないようだ」という
>お話と、「黄虎洞」さんが書いておられた「歴史か『三国志演義』かと言う
>問題は、文章を発表する側の意識が、そこまで考えていない」というお話が、
>実状に近いのではないか?という点です。

正史演義等の違いが分かる人は、それが区別されていないことが問題となりますが、
そもそも正史演義等を区別する必要のない人もいるわけです。
実際の比率は分かりませんが、おそらく多くの人が後者なのではないでしょうか。
出版社側自身も後者の場合があるかもしれません。ゆえに我々はWebサイト上で
正史と演義は違うんだよ、と唄っているのだと思います。ほとんどの人が区別
できているならいちいちそんなことを書くサイトは逆に少なくなってるんじゃ
ないかと思います。特に若い世代から多く三国志に興味を持ち、いずれ去っていき、
その中でほんの一握りの人たちが三国志にはまり、問題を受け止め、ファンとして
居続けるのだと思います。

>顧客満足というものが最重視される、商売の世界に
>いた私からしてみれば、読者(お客)を意識しない文章、というのは、「顧客を
>無視して仕入れられた商品」と同じで、あってはならないものと考えるから
>です。もちろん、ビジネス的観点からみるとそうなるが、学者さんやライター
>さんにとっては、そうではないのかもしれません。もし、そのくらいの考えで、
>出版社が「三国志本」を出しているのだとしたら、出版社側は、売れる題材を
>売れないようにして出版している、とも言えるのではないでしょうか?

出版社側が正史演義等の区別が分かっていて、正史演義等の各エピソードを
ごちゃまぜにしないでそれぞれ別個にきちんと理解してもらうことを望んで
いて、採算度外視で学術的に必要性のあるものであれば、出版すると思います。
それが皆無だとは思っていません。また、そのようなニーズが(多く)あれば
まさに「売れる題材を売れないようにして出版している」ことになると思います。

私は出版界の人間ではないので、詳しいことは分かりません。
でも、ただ「待ち望む」だけでは何も変わらないと思うのです。
それゆえ出版界に求める以外に「欲するものがなければ自分で作る」ことも
ひとつの選択肢だと思うのです。
「一ファンとして、正確な情報が、少しでも多くの人に伝わることを願ってやみません。」
というそのお気持ちを以って三国志等の原文の翻訳にチャレンジしてみては
いかがでしょうか?という漢籍翻訳のお誘いでした。私が反応したのはこの部分でした。

前回レスの冒頭でも述べましたが、三国志をめぐる二極化、三極化の話は
とても興味あります。こちらの話には、まとまった意見を言えませんので…

【831】愛ゆえに、知識と娯楽の二兎を追う
ひと言  ジョージ真壁  - 2004/4/6(火) 2:33 -

引用なし
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    どうも、真壁です。御意見、ありがとうございました。

 そうですね。確かにおっしゃられるように、知識を深めるためには、学術系の
出版社から出ている本を読んだ方が良いですね。

 私も、一三国志ファンとして、サクユウさん(カタカナで失礼します)のような
活動をなさっている方々を、陰ながら(心の中で)応援させていただきたいと思います。


 ただ、私としては、「ゼータク者め!」と思われるかもしれませんが、知識を
深めたいと同時に「楽しませてくれ!」という気持ちもあるのです。

 サクユウさんのお話とは、少し(かなり)話がズレますが、今回は、そのへんに
ついて、ボヤこうと思います。「ボヤいてばかりいないで、自分で何とかする
方向で努力しなさい」という御意見もあろうかと思いますが、一応、このスレッド
の主旨として、三国志を取り巻く多くの憂いをひとつひとつ挙げていって、
それについて皆様の御意見をうかがう、ということを考えておりましたので、
御容赦頂きたいと思います。


 すべてを確認したわけではないので、断言するわけにはいきませんが、学術系
の本は、どうしても内容がカタくなりがちのように思います。いかに興味深い内容
であっても、よほどコアなファンでもなければ、敬遠してしまいがちです。
「娯楽系」「文学系」の方々が、「歴史系」を敬して遠ざけることがあるのも、
このカタさが原因の一つではないのかと。私にしてみれば、「三国志」を知って、
その歴史(史実)に触れない言うのは、一番面白いところを見逃しているように
思えてなりません。ただ、カタい書物では、その一番面白いところの魅力を、
伝えきれていないのではないかと愚考致す次第です。もちろん、もともと、
面白がらせるつもりで発表している本ではないので、それは仕方のないこと
ではあります。しかし、それらの本だけをさらりと読んで、「歴史系はカタい。
面白くない」と思われてしまっては、とても淋しいし、その人にとっても、
惜しいことだと感じます。だから、私としては、多くの人に、「歴史系」の
面白さを知っていただくためにも、エンターテイメント系の書物でも、
「歴史系」な記事を、おもしろおかしくやってほしいと思うのです。
 何より私自身が、堅苦しい話ばかりではなく、史実という素材を面白い
話題に加工した記事を読んで楽しみたい。それが、「楽しませてくれ!」
という言葉の真意です。


 昔、光栄から出ていた、三国志の真実を語る(題名忘れました。すみません)
みたいな本や、比較的最近刊行された、別冊宝島の『僕たちの好きな三国志2 
戦争編』などは、その意味では、かなり「読ませる」本だったと私はみるのですが、
まだまだ、「歴史系」の面白さを伝えきれたとは言いきれません。


 今はまだ、「文学」と「歴史」の区別さえなされていないことが多いエンター
テイメント系三国志書物の現状を考えれば、「ゼータク」「ないものねだり」の
ように見えますが、やはり、ファンとしては、読みたいものは読みたい、と
いうところです。


 ということで、なんだか、ボヤキだったのかなんだったのかわからなく
なってしまいましたが、いかがだったでしょうか。また、御意見御感想など、
賜れれば幸いです。


                   ジョージ真壁

【834】五虎将軍とホートク公
ひと言  ジョージ真壁  - 2004/4/8(木) 1:50 -

引用なし
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    どうも、真壁です。
 御意見、どうもありがとうございました。


 う〜ん。「歴史系」の三国志ファンは、やはりまだまだ少数派でしか
ないのでしょうか。なんとか、「歴史系」の面白さを、もっと世に知ら
しめたいところです。「待ち望むだけでは何も変らない」という御意見は
ごもっともです。多くの三国志ファンがそうであるように、いつか私も、
史書を題材とした三国志の小説などをものしてみたい、と考えることは
あります。その際には、原文にも挑戦することになると思います。あと、
現地への取材と。はたして、いつになることやらわかりませんが、
見果てぬ夢です。

 今、現実的にやっていることと言えば、明らかに間違っていることを
書いている本のアンケート葉書に、「嘘を書いてはいけません」と書いて
送っていることだけなのが、残念なところです(暗い?)。


 今日も本屋をぶらついていたら、『三国志が面白いほどわかる本』という
のが見つかったので、中身が良ければ買おうと思い、立ち読みしました。
 正史『三国志』の話を、『演義』などとの違いにも注目しながら、時代の
順にわかりやすく解説するというコンセプトの本でした。「わかる本」という
だけあって、かなり丁寧なつくりです。「買おっかな〜」と思い、ページを
進めるうち、またもガッカリさせられる記事に出会ってしまいました。
「劉備が漢中に入った後、五虎将軍に任命うんぬん」の話が、何度も
繰り返し書かれていたのです。この本も、正史の話、と最初に宣言していた
はずではないか? それとも、書き手が無知なのか、無神経なのか? 最初は、
「のちに五虎将軍と呼ばれる…」と「のちに」をつけていたから良いものの、
あとは、「五虎将軍」などというものが、さも歴史の上にあったかのように
書かれていました。正史と演義の違いについて述べているはずのこの本にして
この体たらく。呆れるばかりです。「こんな本に千四百円も出せぬ」と思い、
購入はとりやめました。しかし、腹立ちのあまり、アンケートだけ抜き取って、
文句を書いて送ってやろうか?と思ったぐらいでした。もちろん、そのような
無法は致しませんが。それにしても、いつも思うのですか、本を出す前に、誰か、
「これ間違ってるよ」と注意する人はいないのでしょうか? 
スレッドの冒頭に書いた「曹操配下の武将ホウトク」と、「ホウシゲンのおじの
ホウトク公」を同じ人と勘違いしている研究家などは、あちこちの本で、
同じことを書いています。三国志初心者でも、最初に気がつく同姓同名の
人物なのに、研究家とぬかす人間が気がつかないというのは不思議としか
言いようがありません。


 それはともかく。
 正史演義を区別する必要がない方って、やっぱり多いんでしょうか。
 オールドファンは、「三国志」といえば、「文学系」の話が主流だった
時代の人たちなのでどうしてもそうなってしまうでしょうが、最近の
ファンの方がそうなってしまうのは、私としては、かなり淋しい。


 最近は、劇画『蒼天航路』などのおかげもあって、少しずつ風潮が変って
いっているのを感じますが、やはり、もっともっと「歴史系」で面白い
作品が出てきて、「歴史系」の面白さを世に広げてほしいものです。
 いつか、その一翼を私が担えれば、これほど素晴らしいことはありません。
いや、担わなくても、さっさと「歴史系」の傑作が出て、世につまらない
誤解がなくなれば、それが一番なんですが。


 ということで、つれづれなるままに書いてしまいました。
 また御意見、御感想、御指摘等を賜れれば幸いです。


                   ジョージ真壁

【835】話がそれますが・・・
雑談   E-MAIL  - 2004/4/8(木) 11:29 -

引用なし
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   先のレス、余計なお世話みたいで申し訳なかったのですが、また発言させて下さい。

私は歴史系の方々から見るとまだまだ知識がないせいか、「歴史群像シリーズ」は内容理解に助かったことが多いのですが・・・。演義ではこう変えられたが、実際はこうだよ、と書いてあったのでわかりやすく、なぜ変えられたのか、という過程に興味をそそられました。史実研究の側ではおもしろみに欠けるかもしれませんが、私はここまで深く演義との混在が問題になったからこそ、出版社もあえて両者をあげて説明していると思っていたのですが。その過程を説明しようとした出版社はやっぱりダメなんでしょうか。

話がそれるのですが、産経新聞で日本古代史を研究し、今は「日本書紀」「古事記」を取り上げている「蘇る民族の歴史」という連載をしていますが、今週は「三国志」のいわゆる「魏書東夷伝」の話になり、権力者となった司馬仲達がなぜ景初二年に訪れた倭の使節にだけ銅鏡を百枚も与えたのかや、銅鏡を作成する過程である、景初三年の1月1日に明帝は亡くなった為、12月が2回あり、慌ただしい歴改正を知らぬ工人が、ありもしない景初四年という年号を彫り込んだせいではないか、それこそが真実味を帯びる、などという記事がありました。
「司馬仲達」の文字にひかれたのがきっかけでしたが、こういう側面的な歴史検証を読むとまた三国志の時代背景をつかむきっかけになりますね。
・・・三国志というと出来事をそのまま表さなきゃいけないようなところがありますが、遊び心というのも変ですが、真っ直ぐ見るのとまた違った眼を養うのも必要かなとか。
要は、こういうしっかりとした歴史研究の上で、確かな推測をしようとする姿勢を持った歴史系三国志の本が出るととてもおもしろいと思うのですが。どうでしょうか。

・・・先日の記事で、昔の漫画家は文学や映画など色々なものを研究して漫画を描いているが、最近の漫画家は、その描かれた漫画を読んでから漫画を描くからだんだん小さな狭いものになるとありました。
小説からいうと、三国志小説を読んで、また三国志小説を書くからつまらないのが多くなっているのかな、と。演義読み、それで書かれた小説を読み、また小説を書くから焼き直しのものが多いのでしょう。
歴史系にしろ、娯楽系にしろ、最近は毒気もなく、強烈な印象を与える小説というのがない気がします。ワクワクしないというのは、一方で無難に済まそうとする作者の考えが伝わるせいかもしれませんね。

レスの場所を一カ所で済ましたようで、すみません。

【836】[
 ジョージ真壁  - 2004/4/8(木) 14:43 -

引用なし
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    どうも、真壁です。
 御意見、どうもありがとうございました。
 どのような御意見でも、私は歓迎です。

 仁さんのおっしゃる『歴史群像シリーズ』の本は、一体どれを指しているのか
わからないので、なんとも言えませんが、私が持っている、三冊ほどは、「演義」
と「史実」の混同が著しく、読んでいたら、何が本当の歴史(とされているもの)
なのかが、さっぱりわかりません。おっしゃっているのは、最近発売された分で
しょうか。もしよろしければ、御教授頂けましたら、また書店で確認してみます。
「>演義ではこう変えられたが、実際はこうだよ」というスタンスは、私としては、
多いにやってほしいところです。そうやって、『三国志』に対する誤解をだんだんと
解いていくことによって、最終的に「歴史系」の面白さに目覚めていただければ、
「歴史系」の人間として、これに勝る喜びはありません。
 まして、『歴史群像シリーズ』が「歴史」を名乗る以上、真実の歴史(とされて
いるもの)をしっかり追って頂きたい。

>・・・三国志というと出来事をそのまま表さなきゃいけないようなところがありますが、>遊び心というのも変ですが、真っ直ぐ見るのとまた違った眼を養うのも必要かなとか。
>要は、こういうしっかりとした歴史研究の上で、確かな推測をしようとする姿勢を持っ>た歴史系三国志の本が出るととてもおもしろいと思うのですが。どうでしょうか。

 まったくおっしゃられる通りです。
 私も、そのような本の出現を待っています。
 もうお読みになられているかもしれませんが、三国志小説では、何度も繰り返し
紹介しますが、陳舜臣『秘本三国志』が、かなり遊び心に満ちています。
 史書の記述をそのまま小説にするのではなく、必ず疑ってかかって、
「すべては陰謀だった」という形にするのが、陳舜臣氏の歴史小説の得意技なの
ですが、この『秘本三国志』でも、あちこちでそういった解釈が見られます。
あと、『三国志』というと、ついつい英雄たちの活躍にばかり目がいってしまい
ますが、民衆にもスポットを当てたこの作品は、やはり素晴らしい。ただ、今
見ると、考察にまだまだぬるいところが感じられます。
 こうやって、史書を前提として書いている三国志小説が、まだまだほとんど
ないのが残念です。

>・・・先日の記事で、昔の漫画家は文学や映画など色々なものを研究して漫画を描いて
>いるが、最近の漫画家は、その描かれた漫画を読んでから漫画を描くからだんだん
>小さな狭いものになるとありました。

 これは驚きですねえ。私とまったく同じことを考えている方が、やはりいたとは。
それとも、いつのまにか、この筆者の影響を私が受けていたのでしょうか。
 最近の『マガジン』や『ジャンプ』などの漫画には、もの凄く、それを感じます。
展開は読めるし、キャラクターは深みがないし。これは何も、私が大人になって
成長したから面白くないのだ、というのとは、ちょっと違うような気がします。
なんだか、『ドラゴンボール』の後半あたりから、漫画はダメになっていったような
気がしてなりません。人生経験も、想像力も、創造力も欠けた人が、漫画を書いて
いるように思われます。話はそれてしまいましたが。

>小説からいうと、三国志小説を読んで、また三国志小説を書くからつまらないのが
>多くなっているのかな、と。演義読み、それで書かれた小説を読み、また小説を
>書くから焼き直しのものが多いのでしょう。

 これは、まったく同感です。想像力も創造力も欠いているのです。
繰り返しますが、史書には、「小説にしたらどうなるだろう?」と想像をかきたて
られる題材が非常に多い。だが、多くの小説家と小説家志望は、そういう想像と
それに対する検証をまったくしないで三国志小説を書いているように見えます。
 たとえば、プロ・アマに限らず、趙雲は人気者で、小説にした人、小説に
したい人が数多くいる題材ですが、本気で趙雲を調べて、想像力を働かせて
書いている人は、私が感じた限りでは見当たりません。ほとんどが、ミーハー
的な内容です。それはそれで良いのだけれども、それは所詮、みんながやって
いることであり、少しも「私だからこそ、これが書けた」と誇れるようなモノでは
ありません。読む側としても、あえて読みたいと思うものではない。
 私に言わせたら、趙雲なんて、よく調べたら面白い人ですよ。テイイクが
「コウソンサンよりエンショウにつきなされ」とリュウタイに語ったように、
世の流れはエンショウにあった時代に、なぜ趙雲はコウソンサンについたのか?
当然出てこなければならないこの疑問が、従来の趙雲小説にはまるで出てこない。
私の考えでは、趙雲の出身地・常山郡真定は、流民の英雄・黒山賊首領の張燕の
出身地でもあり、趙雲は、この張燕の影響を受けていたのではないか? 張燕は
コウソンサンとなぜか結んでおり、それがゆえ、不利と思っても、地元の英雄・
張燕と対立しているエンショウ陣営に行くわけにはいかなかったのではないか?
などと私なぞは想像するわけです。あくまで想像にすぎませんし、よく御存知の
方から見れば、「なんだそりゃ?」という解釈かもしれませんが、こういった
ところを想像し、情景豊かに描かくのが、小説家の小説家たる所以ではないかと、
私は思うのです。呂布をも苦戦させ、エンショウが死んだ後でさえまだ生き残って
いた英雄・張燕と、趙雲との絡みなんて、胸が震えるではありませんか(私だけ?)。
 あと、趙雲と同郷のカコウラン。なぜ、趙雲は劉備について、カコウランは
曹操についたのか? そのあたりの心情を描くのも、小説家の腕のみせどころで
しょう。誰でも知っているような、リュウゼンを救うシーンや、「子龍は一身すべて
これ胆なり」のシーンを描いても、小説家としての評価としては、低くならざるを
えません。
 『北方三国志』が、従来のよく知られたエピソードを、ことごとくカットして、
自分なりの三国志を書こうとしたことは、そういう意味では評価できます。
 しかし、「赤壁では、孔明を活躍させない」とあらかじめ宣言していたので、
従来の三国志とは一線を画したものを期待しましたが、孔明は赤壁で活躍しない
のに、関羽は華雄を斬ったりして、結局、どっちつかずで、何がしたいのか
わからない中途半端な作品だったのが残念です。さらに、自分なりの三国志は
良いのですが、結局、「志を持つことが大事」というような自分の主張を、
三国志の登場人物に仮託することにのみやっきになっており、私としては、
「結局この作者は、三国志の登場人物に対して、本当の意味では畏敬の念を
持っていないし、好きではないのではないか?」という感想を持ちました。
歴史上の三国志の人物たちと、しっかりと向き合っていないのが丸わかり
だからです。
 もちろん、小説を書く人が、自らの主張を小説の登場人物に込めるのは
当然のことですから、とやかく言うことではないのですが。しかし、三国志
の登場人物に対する愛は感じられません。まあ、結局は「演義」も、本当の
意味では三国志の人物を愛していないのがハッキリわかる作品なので、
そういうもんなのかもしれませんが。
 そういう三国志小説が氾濫しているからこそ、私としては、「三国志愛」
を感じる作品に出会いたくなるのかもしれません。そういう三国志小説に
出会える日が来ることを、願ってやみません。趙雲小説も、本当の意味で
趙雲が好きな方が書いた小説を読んでみたいところです。

 ということで、また長々と書いてしまいましたが、いかがだったでしょうか?
また御意見・御感想・御指摘等を賜れれば幸いです。

【837】三国志愛…三国志小説と最近の漫画
 ジョージ真壁  - 2004/4/8(木) 14:55 -

引用なし
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    どうも、真壁です。
 御意見、どうもありがとうございました。
 どのような御意見でも、私は大歓迎です。


 仁さんのおっしゃる『歴史群像シリーズ』の本は、一体どれを指しているのか
わからないので、なんとも言えませんが、私が持っている、三冊ほどは、「演義」
と「史実」の混同が著しく、読んでいたら、何が本当の歴史(とされているもの)
なのかが、さっぱりわかりません。おっしゃっているのは、最近発売された分で
しょうか。もしよろしければ、御教授頂けましたら、また書店で確認してみます。

「>演義ではこう変えられたが、実際はこうだよ」というスタンスは、私としては、
多いにやってほしいところです。そうやって、『三国志』に対する誤解をだんだんと
解いていくことによって、最終的に「歴史系」の面白さに目覚めていただければ、
「歴史系」の人間として、これに勝る喜びはありません。
 まして、『歴史群像シリーズ』が「歴史」を名乗る以上、真実の歴史(とされて
いるもの)をしっかり追って頂きたい。


>・・・三国志というと出来事をそのまま表さなきゃいけないようなところが
>ありますが、遊び心というのも変ですが、真っ直ぐ見るのとまた違った
>眼を養うのも必要かなとか。要は、こういうしっかりとした歴史研究の上で、
>確かな推測をしようとする姿勢を持った歴史系三国志の本が出るととても
>おもしろいと思うのですが。どうでしょうか。

 まったくおっしゃられる通りです。
 私も、そのような本の出現を待っています。
 もうお読みになられているかもしれませんが、三国志小説では、何度も繰り返し
紹介しますが、陳舜臣『秘本三国志』が、かなり遊び心に満ちています。
 史書の記述をそのまま小説にするのではなく、必ず疑ってかかって、
「すべては陰謀だった」という形にするのが、陳舜臣氏の歴史小説の得意技なの
ですが、この『秘本三国志』でも、あちこちでそういった解釈が見られます。
あと、『三国志』というと、ついつい英雄たちの活躍にばかり目がいってしまい
ますが、民衆にもスポットを当てたこの作品は、やはり素晴らしい。ただ、今
見ると、考察にまだまだぬるいところが感じられます。
 こうやって、史書を前提として書いている三国志小説が、まだまだほとんど
ないのが残念です。


>・・・先日の記事で、昔の漫画家は文学や映画など色々なものを研究して漫画を
>描いているが、最近の漫画家は、その描かれた漫画を読んでから漫画を描く
>からだんだん小さな狭いものになるとありました。

 これは驚きですねえ。私とまったく同じことを考えている方が、やはりいたとは。
それとも、いつのまにか、この筆者の影響を私が受けていたのでしょうか。
 最近の『マガジン』や『ジャンプ』などの漫画には、もの凄く、それを感じます。
展開は読めるし、キャラクターは深みがないし。これは何も、私が大人になって
成長したから面白くないのだ、というのとは、ちょっと違うような気がします。
なんだか、『ドラゴンボール』の後半あたりから、漫画はダメになっていったような
気がしてなりません。人生経験も、想像力も、創造力も欠けた人が、漫画を書いて
いるように思われます。話はそれてしまいましたが。


>小説からいうと、三国志小説を読んで、また三国志小説を書くからつまらないのが
>多くなっているのかな、と。演義読み、それで書かれた小説を読み、また小説を
>書くから焼き直しのものが多いのでしょう。

 これは、まったく同感です。想像力も創造力も欠いているのです。
繰り返しますが、史書には、「小説にしたらどうなるだろう?」と想像をかきたて
られる題材が非常に多い。だが、多くの小説家と小説家志望は、そういう想像と
それに対する検証をまったくしないで三国志小説を書いているように見えます。

 たとえば、プロ・アマに限らず、趙雲は人気者で、小説にした人、小説に
したい人が数多くいる題材ですが、本気で趙雲を調べて、想像力を働かせて
書いている人は、私が感じた限りでは見当たりません。ほとんどが、ミーハー
的な内容です。それはそれで良いのだけれども、それは所詮、みんながやって
いることであり、少しも「私だからこそ、これが書けた」と誇れるようなモノでは
ありません。読む側としても、あえて読みたいと思うものではない。

 私に言わせたら、趙雲なんて、よく調べたら面白い人ですよ。テイイクが
「コウソンサンよりエンショウにつきなされ」とリュウタイに語ったように、
世の流れはエンショウにあった時代に、なぜ趙雲はコウソンサンについたのか?
当然出てこなければならないこの疑問が、従来の趙雲小説にはまるで出てこない。
私の考えでは、趙雲の出身地・常山郡真定は、流民の英雄・黒山賊首領の張燕の
出身地でもあり、趙雲は、この張燕の影響を受けていたのではないか? 張燕は
コウソンサンとなぜか結んでおり、それがゆえ、不利と思っても、地元の英雄・
張燕と対立しているエンショウ陣営に行くわけにはいかなかったのではないか?
などと私なぞは想像するわけです。あくまで想像にすぎませんし、よく御存知の
方から見れば、「なんだそりゃ?」という解釈かもしれませんが、こういった
ところを想像し、情景豊かに描かくのが、小説家の小説家たる所以ではないかと、
私は思うのです。呂布をも苦戦させ、エンショウが死んだ後でさえまだ生き残って
いた英雄・張燕と、趙雲との絡みなんて、胸が震えるではありませんか(私だけ?)。

 あと、趙雲と同郷のカコウラン。なぜ、趙雲は劉備について、カコウランは
曹操についたのか? そのあたりの心情を描くのも、小説家の腕のみせどころで
しょう。誰でも知っているような、リュウゼンを救うシーンや、「子龍は一身すべて
これ胆なり」のシーンを描いても、小説家としての評価としては、低くならざるを
えません。

 『北方三国志』が、従来のよく知られたエピソードを、ことごとくカットして、
自分なりの三国志を書こうとしたことは、そういう意味では評価できます。
 しかし、「赤壁では、孔明を活躍させない」とあらかじめ宣言していたので、
従来の三国志とは一線を画したものを期待しましたが、孔明は赤壁で活躍しない
のに、関羽は華雄を斬ったりして、結局、どっちつかずで、何がしたいのか
わからない中途半端な作品だったのが残念です。さらに、自分なりの三国志は
良いのですが、結局、「志を持つことが大事」というような自分の主張を、
三国志の登場人物に仮託することにのみやっきになっており、私としては、
「結局この作者は、三国志の登場人物に対して、本当の意味では畏敬の念を
持っていないし、好きではないのではないか?」という感想を持ちました。
歴史上の三国志の人物たちと、しっかりと向き合っていないのが丸わかり
だからです。

 もちろん、小説を書く人が、自らの主張を小説の登場人物に込めるのは
当然のことですから、とやかく言うことではないのですが。しかし、三国志
の登場人物に対する愛は感じられません。まあ、結局は「演義」も、本当の
意味では三国志の人物を愛していないのがハッキリわかる作品なので、
そういうもんなのかもしれませんが。


 そういう三国志小説が氾濫しているからこそ、私としては、「三国志愛」
を感じる作品に出会いたくなるのかもしれません。そういう三国志小説に
出会える日が来ることを、願ってやみません。趙雲小説も、本当の意味で
趙雲が好きな方が書いた小説を読んでみたいところです。


 ということで、また長々と書いてしまいましたが、いかがだったでしょうか?
また御意見・御感想・御指摘等を賜れれば幸いです。


                       ジョージ真壁

【840】Re:五虎将軍とホートク公
 KJ E-MAIL  - 2004/4/8(木) 21:00 -

引用なし
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   > う〜ん。「歴史系」の三国志ファンは、やはりまだまだ少数派でしか
>ないのでしょうか。なんとか、「歴史系」の面白さを、もっと世に知ら
>しめたいところです。
Web上ではたくさんいるように感じますが、ファン全体からすると少数派の
ような気がします。Webの三国志界に訪れていないファンもいるでしょうし。
それに正史三国志だけでは行き詰まってしまうこともあり、
三国志ファンである前に歴史ファンでないと続かないんじゃないかと思います。

> 今、現実的にやっていることと言えば、明らかに間違っていることを
>書いている本のアンケート葉書に、「嘘を書いてはいけません」と書いて
>送っていることだけなのが、残念なところです(暗い?)。
このような地道なアンケートが蓄積されてニーズとして把握されるんじゃ
ないかと思います。多分?ですけど、出版社側が読者の意見を聞けるのは
売上状況とこのアンケートだけじゃないでしょうか。
売上は漠然とした価値の測定にしかなりませんが、
アンケートは中身の質を評価してもらう生の声ですからね。
暗くはないですよ〜 ピカピカです。

>無法は致しませんが。それにしても、いつも思うのですか、本を出す前に、誰か、
>「これ間違ってるよ」と注意する人はいないのでしょうか? 
真壁さんが注意しちゃってください。というのは冗談ですが、
いっそのこと、うそつき本特集でも企画してみますか。
三国志マニアにとって「これはうそだ」と思うものをみんなで報告しあうような。
出版社やライターもビクビクしながら注目するような企画として。(しないか…)
けっこう救われる人いるんじゃないかな…。

> 正史演義を区別する必要がない方って、やっぱり多いんでしょうか。
> オールドファンは、「三国志」といえば、「文学系」の話が主流だった
>時代の人たちなのでどうしてもそうなってしまうでしょうが、最近の
>ファンの方がそうなってしまうのは、私としては、かなり淋しい。
最近とか昔とかの問題ではないと思います。
なんらかの形で三国志に触れて興味を持ち、その後の興味の深さに関係する
のだと思います。前述したビジネスマンの例で言えば、
自己実現のために三国志に触れ、ついでに三国志のイロハくらいは
多少知っておこうという程度の人もいるのです。興味の深さがそこまで
なんだと思います。(勿論悪いと言っているわけではありません。)
他にも三国無双から入ったファン、漫画から入ったファン、小説から入ったファン
も同じようなことが言えると思います。
三国志の入り口に立っている人たちをどんどん引き込みたいですね。

【843】電流。話の枝葉の部分ですが
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/4/9(金) 12:03 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
>  これも、おそらくありえないでしょうが、NHK大河ドラマで『三国志』あるいは、
>『曹操』でもやってくれないものかなあ、と密かに思っています(この件については、
>近々、ちょっとミーハーなスレッドを立てようかな、と考えております)。

実現すればこれ以上にない三国志普及なんですが、衣装とかセットとかそろえるのが大変そうですね。日本の歴史物だとノウハウが蓄積されているんで。
お試しに、一週間だけ毎日やるとかでも良いんで、国産「三国志ものドラマ」を見てみたいですね〜


>>三国志だとどうなるでしょう。メディアを動かす立場にいる製作者の年齢と、歴史(自称)番組を好んで見る人の年齢構成を考えれば、現時点では「三国志=吉川英治(≒演義)」だと思います。残念なことに当時は正史三国志が流通していませんでしたから、彼らにとって三国志に正史も演義もありません。「三国志」は1つしか無かったわけです。そういった独占状態が2,30年も続けば、「三国志」の共通認識が固定化されるのも仕方ないのではないでしょうか。
>>さらに、一度できてしまった共通認識を覆すのは容易ではありません。理科の教科書を見れば、存在もしない「電流」などというものが平然と書いてあり、「ウェブサイト」は「ホームページ」でも通じるようになってしまい、「クラッカー」は「ハッカー」と…(以下略)。

>  ところで、『三国志』と直接関係ないのですが、「電流」って、存在しないん
>ですか? すみません、文系なもので、よく存じ上げません。『三国志』絡みで、
>詳しく御教授下さる方がいらっしゃったら、ぜひよろしくお願い申し上げます。

私が返信を入れるとこじれそうですが、こんな意味かなと書いてみました。。。。

例えば「水流」というと、当たり前ですけど、水がある方向へ移動しているんですが、電流の場合、別に電(というか電子)が移動しているだけではありません。確かに電子は金属など物体の中を動くんですが、それ以外にドミノ倒しや連続した玉突きみたいな感じで、電子の押し合いへし合いがあります。
だから、例えば電子の詰まった物体(両端が開いているとする)があるとして、その物体の一方の端から電子何個か入れるとすると、もう一方の端からいくつか電子が飛び出るので(この場合、戻ってくるってのは無し)、あたかも入れた電子がもう一方の端まで流れたように思えるわけです。
これを「電流」と称し、存在するというのはおかしいって考えなんでしょうかね。
(ドミノ倒しでもドミノ自体は移動しませんし)
何より電流の向き(プラスからマイナスへいく)と電子もしくは負の電荷が動く向き(マイナスからプラスへ行く)は逆ですし。
(※こんな適当な説明で良いのでしょうか??)

と、ここまで長々とうんちくを書いたんですが、要は、今さら「電流は存在しない」と主張しても「電流」の言葉がなくなるわけでも訂正されるわけでもないとおっしゃりたいんでしょうね。
それと同じように、日本における「三国志」という言葉の意味が、陳寿撰の三国志も、裴松之の注も、羅貫中の三国演義も、それらの訳もそれらを題材にした創作物もひっくるめたものから変わりそうにないとおっしゃりたいんでしょうね。

電流については、私も今さら変わらないと思うので同感ですが、「ホームページ」、「ハッカー」あたりは何とか本来の意味に戻りそうな予感を私は持ってます(うーん、希望的観測でしょうか……)。
(ついでに「トップページ」ときくと、私は「一つのページのトップ(一番、上)」を連想するので、未だに違和感があります。自分が言う場合は「フロントページ」と言い換えてます)

「三国志」に関して、ここ半年ぐらい私は無駄なあがきをやってますよ。
いちいち揚げ足とったり訂正したりすることはないんですが、自分が言う場合、上記のいろんなものをひっくるめた「三国志」を「三国志系」とか「三国志ジャンル」と言い換えたり、「三国志」とタイトル付けされていても、「横山三国志」とか「北方三国志」と言い換えたりしてます。


あと、「正史」とかつけずに、「三国志」をちゃんと「三国志」といったりしてます(←意味を広義にとられるんで、その後すぐ、頭に「陳寿撰」とつける羽目になるんですが・笑)

【844】かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』
雑談  ジョージ真壁  - 2004/4/10(土) 15:21 -

引用なし
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    どうも、真壁です。
 電流について御丁寧に解説下さり、どうもありがとうございました。

 なるほど。そういうことだったのですね。ためになりました。
「電流」という言葉がもう頭に染み付いているために、実際にそういうものが
あるかのように思いこんでしまっていました。世の中には、こういう、実際には
違うのだが、存在したり、正しいと思われていることが結構たくさんあるの
でしょうねえ。


 NHK大河ドラマ『三国志』あるいは、『曹操』は、ありえないだろうとはいえ、
是非やってもらいたいと強く思っています。内容は、もちろん『歴史系』で。

 『演義系』は、すでに人形劇でやったから良いでしょう。昔は、あの内容で
良かったんでしょうけど、今あれを、呉ファン(特に『歴史系』)の方が見たら、
激怒モノではないでしょうか。関羽をおびき寄せるために、呂蒙が、罪なき民を
バッサバッサ殺していくなんて、判官びいきもここまでいくと、やりすぎの感が
否めません。そういえば、昔『横山光輝三国志』がアニメでやっていましたが、
あれも、孫堅や孫策の活躍のシーンはカットされているのに、関羽がなぜか
孫策を鍛えるシーンなどがあったりして、私の友人の呉ファンは、屈辱の怒りに
震えておりました。

 私は、たぶん失望するだろうと思って、最初からNHKの『その時、歴史は動いた』
の「三国志」の回は見ていなかったんですが、どうやら予想通りひどい内容だった
ようなので、その贖罪の意味も込めて、NHKには、一度、しっかりとした
『三国志』を、描いて欲しいと考えているのです。


 原作は、陳舜臣氏の『曹操』『秘本三国志』『諸葛孔明』あたりにして、内容を
ミックスさせたら、良いものができるのではないかとニラんでいます。『三国志』は、
どうしても男くさくなりがちですが、大河は、女性も重要なので、そういったことも
考えれば、陳舜臣氏の作品がベストではないかと。よく考えたら、それ以外に、
ハッキリと『歴史系』と呼べる原作がないというのもありますが。

 最近の大河は、あまり途中で歴史的な解説が入らなくなったので、ある程度
知識がないと、「これはどうなっているのだ?」というのがわからないことが多い
のですが、かつて大河でスーパーヒットした『独眼竜政宗』がそうだったように、
話の冒頭で解説を入れ、話の途中でもバンバン解説を入れて、わかりやすく面白く
してくれればこの上ありません。三国志の普及、三国志への誤解の解消には、
大きく貢献すると思います。


 『三国志』の国産ドラマと言えば、純国産とは言えないのでしょうが、辰巳琢郎が
劉備を演じた2〜3時間ほどのドラマが、十年ほど前にありました。
しかし、2〜3時間で三国志を語れるはずもありません。そういえば、本場中国で
作られた映画『三国志』もありましたが、2時間で桃園から赤壁までを一気に
やっていたので、まるで意味不明でした。周倉と趙雲は、なぜかカンフーで
戦っているし…。当時の中学生の千数百円は貴重なのに、友人たちとこぞって
わざわざ劇場に見にいって、えらい損した気分になりました。やはり大河で、
一年じっくりとやるか、清岡さんのおっしゃられるように、短期集中型で、
時間をかけてやって頂きたいところです。


 なぜ本場・中国ではなく、日本の人間が『三国志』のドラマを作らねばならん
のだ?という御意見もあると思います。ですが、私が思うに、日本人だからこそ、
『歴史系』の三国志ドラマが作れるのではないかと。というのは、中国の方は
日本人以上に、生活の中に三国志が入り込んでおり、その入り込んでいる三国志
とはすなわち『演義系』の三国志です。中国の方が、『歴史系』三国志を作る
というのは、日本人が、桃から生まれない『桃太郎』の話を作るのと同じぐらい
違和感があるのではなかろうかと。「原典の話はこうなんです」と言われても、
頭に『演義系』が染み付いているので、なかなか納得できないのではないかと
思うのです(勝手な推測にしかすぎませんが)。『演義系』ドラマでは、本場・
中国に勝てるはずがありません。『歴史系』で、人間を描くことに力を入れれば、
日本でも、高いレベルの『三国志』ドラマができるのではないかと愚考する
次第です。


 で、私は、このサイトにて、「NHK大河ドラマで『三国志』あるいは『曹操』を
やるとしたら、配役はどうなる?」という、まるっきりミーハーで、空想の世界で
あるスレッドを立てさせていたがこうかと思っていたのですが、真面目なこのサイトの
主旨に、どうもあわないような気がして見送っている次第です。


 う〜ん。清岡さんも、御自身でおっしゃられていますが、やはり、三国志における
認識を、誤解のないような形にもっていくのは、やはり「あがき」でしかないの
でしょうか。あがいて、もがいて、その先に光明があることを信じたいところでは
あります。


  ということで、今回は(いつも?)、かなり雑談になってしまいました。
  また、御意見、御感想、御指摘等を賜れれば幸いです。


                     ジョージ真壁

【845】『週刊ビジュアル三国志』を読んで思う
感想  ジョージ真壁  - 2004/4/10(土) 17:56 -

引用なし
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     どうも、真壁です。


  今回は、最近話題(?)の雑誌、『週刊ビジュアル三国志』について、私の
感想を書かせて頂こうと思います。

  『週刊ビジュアル三国志』については、既にスレッドが立てられていますが、
内容の主旨からすると、こちらに載せるのが適当かと思いますので、こちらで、
述べさせていただくことにしました。
 どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


『週刊ビジュアル三国志』の創刊号は購入し、第二号は立ち読みしました。


『週刊ビジュアル三国志』。この表紙の迫力はさすがです。ビジュアルの、ビジュ
アルたる所以が感じられます。この表紙だけでも、コレクションする価値があり
そうです。


 中身。現地の写真。これも圧巻。漫画の絵や小説・史書の記述からだけでは、
漠然とした想像しかできませんが、実際の写真を見ると、「こんなとこで戦って
いたのか」と、想像が膨らみます。これも、「ビジュアル」と銘打つ本ならではの、
素晴らしい企画だと思います。


 三国志漫画。これはいただけない。漫画という企画自体は大アリでしょうが、
この漫画にはいくつかの不満があります。「この内容で、この絵柄」。それが
不満です。内容は、まるっきり『演義系』です。それは構わないのですが、絵は
普通の漫画風。この組み合わせが、「どうかな?」と首を傾げざるをえません。
なぜなら、普通の漫画風で、内容が演義系ならば、すでに横山光輝が、最高峰の
ものを描いています。なぜ改めて、焼き直し以下のものを作る必要があるのか。
それに、『ビジュアル三国志』なのに、この絵柄はいかがなものか。どうせなら、
その宣言通り、「ビジュアル系三国志漫画」を読ませて欲しかった。例えば、
男っぽくいくなら、『北斗の拳』の原哲夫のような画風の漫画。女性風でいくなら、
『覇王伝説タケル』の島崎譲のような画風の漫画で。しかるに、この漫画からは、
そういった「ビジュアル」のプライドや、テーマが感じられない。少なくとも、
この漫画を目当てで、この本を買う人はいないのではなかろうか? 私は、
エンタメ系三国志本を買うときに思うことが多いことの一つに、「出版社は、
イラストを軽くみていないか?」ということがあります。「この人、三国志を
まったく知らないのではないか?」というような、『歴史系』でも『文学系』でも
『娯楽系』でもないテキトーなイラストが、三国志の記事とともに載っている
ことが非常に多い。「イラストが魅力的だったら、もっとたくさんの人が買うのに」
と、三国志の普及のために、残念に思わずにはいられません。テキトーなイラストを
載せるぐらいだったら、別冊宝島の『戦国武将最強列伝』のように、もうコーエーの
ゲームのキャラクター写真を載せた方がナンボか良い。イラストを見て、買うか
買わないか、最後の決断をする人は決して少なくないはずです。話はそれましたが、
この漫画は残念です。どうせなら、漫画もビジュアルにしてほしかったし、もしこの
絵柄にこだわるならば、内容は『歴史系』にすべきだったように思えます。
そうすれば、目新しいものなので、わざわざ買って読むだけの価値が出てくる。
「この内容で、この絵柄」は、もう必要ないでしょう。残念です。その残念な漫画が、
この本の内容の半分を占めているのが、ますますもって残念です。

 次は、記事。『三国志 戦略クロニクル』。漫画は演義のことをやっているのに、
この記事は正史のことをやっていて、統一性のなさが気になりますが、ちゃんと注釈
がついているし、中身が良いので気になりません。「中原を疾駆する漢の騎兵」の図は、
とても参考になりました。…が、第二号では、記事の中身が演義の話に変ってしまって
いました。「え、えーっ!」っていう話です。連載として、内容を統一する気すら
ないというのが残念です。一体、何がしたいのか。次のページの記事「三国志人物
列伝」では、また内容が歴史系に戻り、もはや何がなんだかわかりません。


 で、読み終わって最初の印象は、「中身がえらい薄いなあ」ということでした。
出版社は違うのですが、似たような主旨と名前の『週刊ビジュアル日本の歴史』の
方が、よりブ厚く、内容も比較的ギッシリと詰まっています。『週刊ビジュアル
日本の歴史』では、ページの上半分だけが漫画で、下半分にはビッシリと記事と
写真を載せており、読後の充実感は圧倒的にこちらが上です。『週刊ビジュアル
三国志』では、60ページ程の内容のうち、1ページをまるまる使用した、
価値を見出せない漫画がなんと33ページ。これでは、勝負になりません。
これが同じ価格というのも、納得のいかない話です。

 『週刊ビジュアル日本の歴史』では、桶狭間の戦い(1560年)〜大坂
夏の陣(1615年)の約55年を十冊分で。『週刊ビジュアル三国志』では、
黄巾の乱(184年)〜孔明の死(234年)の約50年を50冊分なので、
その分薄くなるのも当然かもしれませんが、そのようなこと以前に、内容を
充実させようという気構えが感じられません。毎週560円も払って、50週分
読もうという方は、相当三国志が好きな方だと思うのですが、そういう人が、
喜ぶ内容とは、到底思えません。かえすがえすも残念です。


  ということで、忌憚のない感想を述べさせていただきましたが、いかが
だったでしょうか。御意見、御感想、御指摘、あるいは、「私も見たが、私は
こう思った」等の話があれば、賜れれば幸いです。


                    ジョージ真壁

【848】Re:『週刊ビジュアル三国志』を読んで思う
ひと言  伊比 学 E-MAIL  - 2004/4/11(日) 3:21 -

引用なし
パスワード
   日本の三国志文化に興味がある人間として、ビジュアル三国志を全巻買おうかと思っている伊比です(すでに1,2巻を購入済み。ヒマ人ですね)。
今回は、真壁様の書き込みのうち、三国志漫画への意見に関して私見を述べさせていただきます。

真壁様は小・中学生時代に講談社の「世界の歴史」シリーズや、学研の「○○のひみつ」シリーズをお読みになられたことがございますでしょうか? 学校の図書室には間違いなく置いてある本です。シュガー佐藤氏は、それらの作画を広く手がけてきた人物です。石森プロの漫画家で、石森章太郎に最も作画が似ていたため、石森章太郎が亡くなられた後にマンガ日本経済入門の作画を行うなど、ほぼ実質的な後継者として扱われているようです。
私はシュガー佐藤と聞いた瞬間、学研の「○年の科学」に載っていたモアイくんを思い出したのですが…

さておき、石森プロは歴史漫画というジャンルで言えば、大御所中の大御所になります。その意味において、石森プロを起用したのは戦略的には失敗でもなんでもないと考えています。歴史漫画家としての知名度は横光以上だと思いますので。あとは今の読者層があの絵柄をどう受け取るかというだけの話。真壁様が良しとしたコーエーの絵柄を「けばけばしくて嫌い」という人もいるわけですから、絵柄についての議論は決着がつきかねるところだと思います。ただ、私としても「原作吉川英治+作画石森プロ」というのはあまりにも無難すぎる組み合わせで面白みに欠けると思っています。強いて挙げれば、この漫画をもっとも受け入れやすい世代は中年層でしょう。

あと、1つ気になったことが。真壁様はよく「歴史系の小説(或いは漫画)」と仰られていますが、理想の歴史系小説とはどのようなものなのでしょう。
オリジナルエピソードを全く含まないものでしょうか?
それとも、正史の記述に反すること以外なら何を書いても良いというスタンスでしょうか?

【850】アンケートに願いを込めて
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/13(火) 2:58 -

引用なし
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    真壁です。
 御意見、どうもありがとうございました。


 御意見を頂戴し、勇気づけられましたので、これからもガンガン、
アンケートを書いて送っていこうと思います。他のことでは、アンケート
ハガキを送るなんて、メンド臭くてたまらないのですが、どういうわけか、
こと三国志のことになると、体が熱くなり、筆がサラサラと進みます。
そういえば、送ってみたいトリビアも、ハガキだけ用意して、いまだに
書いてすらいません。思うに、体が熱くなってしまうほど、それだけ
テキトーな三国志本が多いということでしょうか。


 注意で思い出しましたが、高校生の頃、ある「三国志モノ」が不満で、
便箋15枚ぐらいに、ビッシリと所見を書いて送ったことがありました。
間違ったことは書いてはいなかったと思いますが、今思えば、狂信的な
マニアの行き過ぎで、若気の至りというところです。


 それはともかく、「うそつき本」を摘発すれば、やはり救われる方が
いらっしゃるのでしょうか。ちょっと古い本も含めれば、かなりの
数にのぼりそうです。


 「三国志の入り口に立っている人たちを、いかにして深みに
  引き込むか?」

 これは、永遠のテーマですねえ。
 私としては、中でも、『歴史系』の方に来て下さると嬉しいのですが。
 そのための第一歩として、『歴史系』の傑作が生まれることを願って
やみません。傑作こそ、人々を深みに引き寄せる鍵ではないかと思って
います。


  ということで、かなり雑談というか、個人的な決意表明みたいに
なってしまいましたが、いかがだったでしょうか?
  また、御意見、御感想、御指摘などを賜れれば幸いです。


                   ジョージ真壁

【851】ビジュアルの話と理想の三国志作品
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/13(火) 3:06 -

引用なし
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    どうも、真壁です。
 御意見、どうもありがとうございましました。
 興味深く読ませて頂きました。


 シュガー佐藤氏が、講談社『世界の歴史』や学研『○○のひみつ』などの
シリーズの作画を手がけていたことは、私も存じ上げておりました。シュガー
佐藤氏や「よこたとくお」氏の名前は、子供の頃に学習系の漫画を愛読していた
私にとっても、非常に懐かしいものであります。シュガー佐藤というペンネーム
が、「砂糖佐藤(さとうさとう)」というシャレだったことに気付いた時、私は
少し大人に近付いた気がしたものです。


 なるほど。歴史漫画の大御所という意味での起用なら理解できます。しかし、
伊比さんもおっしゃられているように、「原作吉川英治+作画石森プロ」の
組み合わせは、やはり無難すぎる気がします。この漫画が、『週刊ビジュアル
日本の歴史』のように、ページの上半分の扱いだったなら、私も不満は
なかったかと思います。歴史の流れ、三国志という話の流れを掴んでもらう
という意図の漫画ならば、こういう無難な絵柄の方が、かえって変な先入観を
抱かずにすむので、助かります。ですが、『週刊ビジュアル三国志』では、
この漫画が、まるまる1ページを使い、内容の半分以上を費やしたメイン
ディッシュです。メインディッシュがかくも無難で退屈では、毎週購入する
のはちょっと辛い。内容の半分以上をこの漫画に裂くぐらいですから、
「ぜひ、この漫画を読んでほしい!」という意図があってしかるべきなん
ですが、残念ながら、まるで工夫が感じられず、「今時この漫画はないで
しょう」と思わざるを得ません。

 ビジュアル系の漫画を採用するのが冒険なら、私としては、『週刊ビジュアル
日本の歴史』のように、この漫画は、参考程度のものにして、他の記事を
もっと充実させるべきだったと思っています。


 ところで、コーエーの絵柄を「けばけばしくて嫌い」という方も、やはり
いらっしゃるんですねえ。光栄のゲームから三国志を知った私としては、
多少気にいらない部分はあったとしても、コーエーの絵柄こそが、三国志
イラストのスタンダードだったので、「これが普通」と思い込んでいました。
「けばけばしい」という意識がなかっただけに、御指摘は意外でした。
なるほど、何をもって良い絵柄とするかは、難しいところですね。

 ただ、ヘンテコなイラストよりは、コーエーの絵柄の方が、ウケは
良いと思うのですが、いかがでしょう。


「理想の歴史系小説」についてですが、これは、ずっと書かせて頂こう
と思っていたのですが、なかなかハッキリとしたことを書くチャンスがなく、
あちこちのレスで小出しにするような形になってしまっていました。
 また、じっくりと書かせて頂くことがあるかもしれませんが、今回もまた、
サラリと述べさせていただこうと思います。


 そうですねえ、基本的には「史書の記述に反すること以外ならなんでも
良い」という感覚ですが、やはり大事なのは、「ちゃんと史書を読んで、
自分なりの解釈で書いている」というところがポイントですかねえ。
これまでは、演義を離れて、先入観を排して書いた三国志モノが、あまり
なかったですから、そういうものが読みたくてたまらないところです。
これまででは、せいぜい陳舜臣『秘本三国志』があったぐらいですか。
その『秘本三国志』も、『演義系』のファンにとっては、かなり驚きの展開
かと思いますが、まだまだ『演義』の感覚が抜けきれていない部分も
多いです。三好徹『三国志外伝』のようなスタンスで、史書の内容に
添ってはいるのだけれども、あくまでも小説(漫画)で、ところどころに
自分なりの想像・創造を加えている、という形が良いですね。それで
なおかつ、三国志の新しいスタンダードになれるような娯楽性があるのが
望ましい。『歴史系』=堅い、オモロない、という印象が一部にあるよう
ですが、実際のところは、、筑摩和訳の中だけでも、魅力のある話は
たくさんあります。今までの伝え手が、充分に表現してこなかった
この魅力を、いかに小説(漫画)の中に引き出してやれるかどうかが、
ポイントになると思います。かといって、ある小説はそんな感じでした
が、史書のエピソードを、何の工夫も加工もなく、ボンと小説に挿入すれば
良いというものではありません。想像と創造を加えて、興味深く面白い
内容にしてこそ、プロの小説(漫画)家というものです。幸い、史書には、
じっくり描けば面白そうな題材が、山ほどあります。その題材を、いかに
面白く、手に汗握る展開にするかが、腕の見せどころでしょう。

 まったくのオリジナルをやるのも全然構わないんですが、やるなら、
「なぜ、そのオリジナルのシーンや展開が必要だったのか?」ということが
わかるようにしてもらいたいところです。オリジナルをやるなら、やはり
テーマが欲しいのです。そのオリジナルをやることによって、ある人物の
深みが増したり、時代背景がより理解できたりするのなら、やっても
良いでしょう。しかし、よほど、その人物・時代に惚れ込み、その人物・
時代を想像してオリジナルを作らないと、かえって、とってつけたような
話になり、その人物・時代の魅力を損なうことになるでしょう。

 ファンサービスのつもりで、まったく脈絡のないところで、孔明や
趙雲を出す人もいますが、私としては、不快に感じる場合が多い。それは
なぜなら、そうすることによって、かえって彼らの魅力を損なう場合が
あるからです。テキトーに思い付いたエピソードでお茶を濁せば、本来
魅力的でしかるべき人物が、下らない人物と化すのは、当然のことと
思います。そんなことをするくらいなら、史書の魅力的なエピソードを
持ってきて描いてくれた方が、断然良いでしょう。ファンサービスで
やるなら、その人物に本当に惚れ込み、その場に適切かどうか?その
人物の魅力を存分に発揮させているかどうか?をしっかり判断してから
やってもらいたいところです。

 私見ですが、作家さんには、まずは、オリジナルを作ることを考える
より、史書『三国志』の素材の良さを引き出すことを考えてもらいたい
ところです。
 三国志の創作料理はもう飽きた。一度、三国志の懐石料理が一回食べて
みたいのです。いじりすぎた、化学調味料まじりの創作料理は巷にあふ
れています。素材の良さを十全に引き出した懐石料理を食べてみたい。


 とりあえず、こんな感じです。
 これはあくまでも、『歴史系』の理想を考えた場合ですので、すべてが
こうでなくてはならないと思っているわけではありません。しかし、
『三国志』と銘打つものは数あれど、実際の史書を読んで書いた、
本来なら『三国志』界の柱となるべき作品がまるでないというのは、
やはり淋しいところです。
 ぜひ、このようなスタンスの傑作が出てくることを願います。


 ということで、今回は、いかがだったでしょうか?
 「理想の三国志小説」の話は、皆様にちゃんと理解して頂けるように
書けたかどうか、少し(かなり)自信がありません。「いや、今までの
アンタのすべての文章が、理解できんよ」という方もいらっしゃるかも
しれませんが、御容赦下さい。また、御意見、御感想、御指摘等、頂戴
できましたら幸いです。


                    ジョージ真壁

【860】歴史創作と解説
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/4/19(月) 22:16 -

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   ▼ジョージ真壁さん:
> NHK大河ドラマ『三国志』あるいは、『曹操』は、ありえないだろうとはいえ、
>是非やってもらいたいと強く思っています。内容は、もちろん『歴史系』で。
>
> 『演義系』は、すでに人形劇でやったから良いでしょう。昔は、あの内容で
>良かったんでしょうけど、今あれを、呉ファン(特に『歴史系』)の方が見たら、
>激怒モノではないでしょうか。関羽をおびき寄せるために、呂蒙が、罪なき民を
>バッサバッサ殺していくなんて、判官びいきもここまでいくと、やりすぎの感が
>否めません。そういえば、昔『横山光輝三国志』がアニメでやっていましたが、
>あれも、孫堅や孫策の活躍のシーンはカットされているのに、関羽がなぜか
>孫策を鍛えるシーンなどがあったりして、私の友人の呉ファンは、屈辱の怒りに
>震えておりました。

人形劇の呂蒙の話は私も聞いたことがあります(昔、見ているはずなのに気付かなかったです・汗)
あれは三国演義とは無関係にただ番組の制作者が良かれと思って(わかりやすいと思って)子ども向けに勧善懲悪にしたんでしょうか(苦笑)
関係ないですけど、私の印象では、三国演義をベースに劉備中心に物語をつくっていくと、孫堅が漢伝国璽を持って都を離れたから反董卓軍が解散したってことになりがちのような気がします。


> 私は、たぶん失望するだろうと思って、最初からNHKの『その時、歴史は動いた』
>の「三国志」の回は見ていなかったんですが、どうやら予想通りひどい内容だった
>ようなので、その贖罪の意味も込めて、NHKには、一度、しっかりとした
>『三国志』を、描いて欲しいと考えているのです。

「その時歴史が動いた 第64回三国志英雄伝」は予想以上の内容でした(汗)
(第一部のテーマであるはずの赤壁の戦いでは、周瑜の名前すら出てませんでした。「呉の武将」と一言。)
「その時歴史が動いた」の番組でわざわざやる必要がなかったと思います。どちらかというと「その時虚構が動いた」だと思いましたし。
当時、何人かの三国志ファンは公式サイトにあるメールアドレスに意見を送ったと思うんですが、その公式サイトに載った意見は賛美するものばかりで批判的なものはまったく載せられてませんでした。
サイトの都合上、載せられなかったんでしょうか。

> 原作は、陳舜臣氏の『曹操』『秘本三国志』『諸葛孔明』あたりにして、内容を
>ミックスさせたら、良いものができるのではないかとニラんでいます。『三国志』は、
>どうしても男くさくなりがちですが、大河は、女性も重要なので、そういったことも
>考えれば、陳舜臣氏の作品がベストではないかと。よく考えたら、それ以外に、
>ハッキリと『歴史系』と呼べる原作がないというのもありますが。

陳先生のは描写があっさりしているので、脚本家や演出家の腕の見せ所かあるのかなぁと想像してます……といっても陳先生の「琉球の風」の原作と大河ドラマを見比べたわけではないですけどね。
歴史系だと、今、文藝春秋で連載している宮城谷三国志でしょうか。
http://gukko123.hp.infoseek.co.jp/←ぐっこさんのサイト「三国迷ぐっこのHP」
の三国志掲示板 CAFE"a Bridge too far"の「★『宮城谷三国志』総合スレッド★」参照)
しかし、私が見た印象ではドラマにするのは難しそうです、史書寄り過ぎて。

> 最近の大河は、あまり途中で歴史的な解説が入らなくなったので、ある程度
>知識がないと、「これはどうなっているのだ?」というのがわからないことが多い
>のですが、かつて大河でスーパーヒットした『独眼竜政宗』がそうだったように、
>話の冒頭で解説を入れ、話の途中でもバンバン解説を入れて、わかりやすく面白く
>してくれればこの上ありません。三国志の普及、三国志への誤解の解消には、
>大きく貢献すると思います。

歴史創作と解説って小説でもマンガでもドラマでもそのさじ加減は難しそうですね。
あまり多すぎると本編の創作と見ている人と距離ができてしまって感情移入できなくなってしまう恐れがあります(距離をおくと冷めた視点で創作を見てしまうと思います)。
歴史としての面白みだけを出すんだったら解説をいっぱい入れれば良いんでしょうね。
(と書きつつ、『独眼竜政宗』を見たことないんで、それはうまく解説を入れ込んでいるのかもしれませんね)

かと言って、まったくないと読んでいる人、見ている人にとって意味がわからなくなりますし。
うまく物語に組み込めれば良いんですが。
これがスポーツの創作ものだと、なにもそのスポーツについて知らない主人公が失敗したりさせて、そのスポーツのルールとか傾向とか主人公に慣れさせる、ひいては主人公に感情移入している(主人公視点である)読者に解説できるっていう少年マンガにありがちな技法を思いつくんですけどね。
だけど、歴史創作の登場人物はすでにその歴史舞台に慣れて当時の常識なども体得しているので、その技法もできそうにないですね。
(ファンタジーだと、現代人の主人公をその異世界に放り込むって技法ですかね)

そういった問題を解消しようとしたのが、歴史小説でよく見られる、導入部分をエッセイにしてしまう技法でしょうか。


> 『三国志』の国産ドラマと言えば、純国産とは言えないのでしょうが、辰巳琢郎が
>劉備を演じた2〜3時間ほどのドラマが、十年ほど前にありました。
>しかし、2〜3時間で三国志を語れるはずもありません。そういえば、本場中国で
>作られた映画『三国志』もありましたが、2時間で桃園から赤壁までを一気に
>やっていたので、まるで意味不明でした。周倉と趙雲は、なぜかカンフーで
>戦っているし…。当時の中学生の千数百円は貴重なのに、友人たちとこぞって
>わざわざ劇場に見にいって、えらい損した気分になりました。やはり大河で、
>一年じっくりとやるか、清岡さんのおっしゃられるように、短期集中型で、
>時間をかけてやって頂きたいところです。

国産で三国志もののドラマってあったんですね。
参考までに見てみたい気がします。
(…とよく思い出すと、国産ではスーパー歌舞伎がありましたね。このツリーの主旨からだと論外ですね・苦笑)

>
> なぜ本場・中国ではなく、日本の人間が『三国志』のドラマを作らねばならん
>のだ?という御意見もあると思います。ですが、私が思うに、日本人だからこそ、
>『歴史系』の三国志ドラマが作れるのではないかと。というのは、中国の方は
>日本人以上に、生活の中に三国志が入り込んでおり、その入り込んでいる三国志
>とはすなわち『演義系』の三国志です。中国の方が、『歴史系』三国志を作る
>というのは、日本人が、桃から生まれない『桃太郎』の話を作るのと同じぐらい
>違和感があるのではなかろうかと。「原典の話はこうなんです」と言われても、
>頭に『演義系』が染み付いているので、なかなか納得できないのではないかと
>思うのです(勝手な推測にしかすぎませんが)。『演義系』ドラマでは、本場・
>中国に勝てるはずがありません。『歴史系』で、人間を描くことに力を入れれば、
>日本でも、高いレベルの『三国志』ドラマができるのではないかと愚考する
>次第です。

中国で史書準拠の三国志ドラマをきかないのは、日本で史書準拠の水戸黄門や宮本武蔵がないのと同じ理由でしょうね、きっと。

【862】安西先生…三国志が…見たいです
雑談  ジョージ真壁  - 2004/4/20(火) 5:46 -

引用なし
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     どうも。真壁です。
  御意見、どうもありがとうございました。


  御意見に関連して、また、つれづれなるまま、三国志について
語らせて頂こうと思います。


>人形劇の呂蒙の話は私も聞いたことがあります(昔、見ているはずなのに気付かなかったです・汗)
>あれは三国演義とは無関係にただ番組の制作者が良かれと思って(わかりやすいと思って)子ども向けに勧善懲悪にしたんでしょうか(苦笑)


 人形劇は、私も全部を見たわけではないので、断言はできませんが、呂蒙の話は
悲しすぎます。「わかりやすいと思って、子供向けに勧善懲悪にした」のだとしたら、
それは明らかに判断ミスだと思います。世の中の人々を啓蒙すべきNHKが、子供
向け番組で、「世の中は、善と悪とに割り切れる」というような単純化された世界観を
子供たちに教え込むがごとき物語をやるとは何事でありましょうか。

 だいたい、『三国志』とは、ひとつの物事を三者(三国)の視点から捉えられる
物語であり、子供達にも「それぞれの立場によって、人々の考え方は異なる」
ということを理解させるにふさわしい作品かと思います。それをあえてブチ壊すとは、
「なんのために三国志を題材にしたのだ!」と思わずにはおれません。


 日本での子供向け作品は、
「悪(とされるもの)は、かならずしも悪とは限らない」
「悪(とされるもの)は、彼らなりの論理で生きている」
というような、「物事は一面ではない」ということを(意識的にか無意識的にか)主張
しているものが多いように思われます。当時ヒットした『キン肉マン』『ガンダム』
『北斗の拳』『キャプテン翼』『ウルトラマンシリーズ(再放送)』なども、そういった
作品でした。子供達は物心ついた時から、そういう作品に触れているので、単純な
勧善懲悪モノを喜ぶのは、せいぜい小学校低学年ぐらいまででしょう。三国志を
理解するぐらいの、小学校高学年の子供が、単純化されたキャラクターを喜ぶとは
思えません。むしろ、「うさんくさい」「幼稚くさい」と思うのが関の山でしょう。
その点からも、「わかりやすいと思って、勧善懲悪にする」という考え方は、誤り
だと思います。


 上の考え方から言うと、『演義』も、ひっかかってきそうですが、幸か不幸か、
『演義』の場合は、悪役曹操の悪行を、「これでもかこれでもか」と書き込んである
ために、かえって、曹操が魅力的になってしまっており、「単純化している」とは
簡単に言えない領域になっています。まあ、それでも鼻につくので、ホンモノを
求める人々が、『歴史系』へと誘われるのだと思います。


>
>「その時歴史が動いた 第64回三国志英雄伝」は予想以上の内容でした(汗)
>(第一部のテーマであるはずの赤壁の戦いでは、周瑜の名前すら出てませんでした。「呉の武将」と一言。)
>「その時歴史が動いた」の番組でわざわざやる必要がなかったと思います。どちらかというと「その時虚構が動いた」だと思いましたし。
>当時、何人かの三国志ファンは公式サイトにあるメールアドレスに意見を送ったと思うんですが、その公式サイトに載った意見は賛美するものばかりで批判的なものはまったく載せられてませんでした。
>サイトの都合上、載せられなかったんでしょうか。


『その時歴史が動いた』シリーズは、比較的真面目に歴史を考察しているように
見えたんですが、そんな調子では、この先「これ、ホンマかいな?」と懐疑的に
なってしまいそうです。それとも、『虚構が動いた』になってしまったのは、
三国志の回だけなのでしょうか。心配です。


>陳先生のは描写があっさりしているので、脚本家や演出家の腕の見せ所かあるのかなぁと想像してます……といっても陳先生の「琉球の風」の原作と大河ドラマを見比べたわけではないですけどね。
>歴史系だと、今、文藝春秋で連載している宮城谷三国志でしょうか。
>(http://gukko123.hp.infoseek.co.jp/←ぐっこさんのサイト「三国迷ぐっこのHP」
>の三国志掲示板 CAFE"a Bridge too far"の「★『宮城谷三国志』総合スレッド★」参照)
>しかし、私が見た印象ではドラマにするのは難しそうです、史書寄り過ぎて。


 『宮城谷三国志』!!!!
 前に見た時は、まだまだ一般的な「三国志」の範疇外の部分をやっていたので、
しばらくすっかり忘れていましたが、そちらのサイトのスレッドを見ると、もう
だいぶん「三国志」領域に入っていたようですね。迂闊でした。『宮城谷三国志』を
読まずして、「歴史系の三国志小説がない!」と嘆いていたのだから、我ながら
「無知とは恐ろしい」、といったところで、非常に恥ずかしい思いです。
 これを教訓とし、さらなる精進を重ねていきたいと思っております。


 したがって、まだサッパリ読んでいませんが、『歴史系』の「柱」となるべき
作品として、たいへん期待しています。


 陳先生の作品を、そのまんまドラマにしようとすると苦しいので、女性の視点、
民衆の視点、人間ドラマ、という要素だけを頂戴して、あとは脚本家や演出家の
腕に期待する、といったところが理想です。


>歴史創作と解説って小説でもマンガでもドラマでもそのさじ加減は難しそうですね。
>あまり多すぎると本編の創作と見ている人と距離ができてしまって感情移入できなくなってしまう恐れがあります(距離をおくと冷めた視点で創作を見てしまうと思います)。
>歴史としての面白みだけを出すんだったら解説をいっぱい入れれば良いんでしょうね。
>(と書きつつ、『独眼竜政宗』を見たことないんで、それはうまく解説を入れ込んでいるのかもしれませんね)
>
>かと言って、まったくないと読んでいる人、見ている人にとって意味がわからなくなりますし。
>うまく物語に組み込めれば良いんですが。
>これがスポーツの創作ものだと、なにもそのスポーツについて知らない主人公が失敗したりさせて、そのスポーツのルールとか傾向とか主人公に慣れさせる、ひいては主人公に感情移入している(主人公視点である)読者に解説できるっていう少年マンガにありがちな技法を思いつくんですけどね。
>だけど、歴史創作の登場人物はすでにその歴史舞台に慣れて当時の常識なども体得しているので、その技法もできそうにないですね。
>(ファンタジーだと、現代人の主人公をその異世界に放り込むって技法ですかね)
>
>そういった問題を解消しようとしたのが、歴史小説でよく見られる、導入部分をエッセイにしてしまう技法でしょうか。


 話は少しズレるかもしれませんが、私は昔、「三国志」の小説や漫画を読んだ
際に、必ずといって良いほど、大きな不満を持ったのです。その不満とは、
「現在地や、戦場、勢力範囲などの情報が、わかりにくい」ということです。
日本の話だったら、駿河・三河などという地名が出てきても、だいたいどこら
へんのことかがわかりますが、中国の地名ではそれがまったくわからない。
「現在の河南省」とか言われても、どこのことやらサッパリです。話の主役は、
今どこにいるのか、どこで、どこから攻めてきたどのような勢力を持つ敵と
戦っているのかを把握していないと、「三国志」の話も、三分の一は、楽しめ
ないような気がするのです。陳舜臣『秘本三国志』では、比較的何度も地図が
登場しましたが、多くの作品は、巻頭か巻末にテキトーな地図がついているだけ
です。これでは、どうにもなりません。戦争や移動のたびごとに、丁寧な地図を
表示してくれれば、登場人物達の感情も、より理解しやすくなると思うのですが。


 NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』では、当時ではまだ斬新だった(?)CGを
駆使して、地図を広げて、今、どこでどうなっているのかがわかりやすく解説
されていたりもしていました。『三国志』をドラマ化するなら、こういったこと
もやってもらいたいところです。


 さらに、空想(妄想)を進めて、NHK大河ドラマ『曹操』では、第一話は、
劇画『蒼天航路』の導入部のように、ちょっとした曹操への解説から始めて、
ババンと主題歌(曲)へ。主題歌が終わると、いきなり張角の顔のドアップが。
私が考える張角役の第一候補「京本政樹」なら、クールに「蒼天すでに死す、
黄天まさに立つべし」と唱えます。第二候補「ショーケン」なら、『利家とまつ』
の明智光秀役で見せた「愛宕百韻」のように、「蒼天すでに死すゥー。黄天まさに
立つべしィー」と特徴のあるイントネーションで絶叫する。そこで、「西暦
184年…」と簡単な解説が入り、いよいよドラマが開始する。

 …以上、妄想でした(妄想三国志ドラマ・キャスト案募集中)。


>
>国産で三国志もののドラマってあったんですね。
>参考までに見てみたい気がします。
>(…とよく思い出すと、国産ではスーパー歌舞伎がありましたね。このツリーの主旨からだと論外ですね・苦笑)


 国産ドラマは、どうということはない内容だったと記憶しています。
 確かテレビ東京系でやっていたと思うのですが、ビデオになっているのか
どうかはわかりません。
 感心した覚えも、怒り狂った覚えもないので、まあ無難な内容だったのだと
思います。


 スーパー歌舞伎は、テレビで「泣いてバショクを斬る〜死せる孔明」のあたりを
ちょっと見ましたが、あれはあれでよくできていると思いました。客席・視聴者の
皆様が、「あれはフィクションだ」と理解していることを祈ります。


 ということで、今回もかなり雑談でしたが、いかがだったでしょうか?
 御意見、御感想、御指摘等を賜れれば幸いです。


                   ジョージ真壁

【1243】Re:三国志愛…三国志小説と最近の漫画
  E-MAILWEB  - 2004/8/28(土) 22:56 -

引用なし
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   すみません、時効でしょうか?(汗)こんなにいっぱい答えて頂いてたなんて・・・。

正史と演義の検証では、歴史群像シリーズ「真三国志一〜三」の最後の方「虚と実の間に揺れる演義の世界」として渡辺精一氏が、毎巻7Pほどで書いていらっしゃいます。演義として出来上がるいきさつまで推理してあって、好きなところです。もう読んでいらしたらすみません。


※漫画は雑誌もTVも見てましたが(途中まで)・・・個人の勇が超人をこえて、手が届かなくなるから現実味が無くなったのかもしれませんね。


趙雲は好きなので(笑)彼と張燕の繋がりは考えたことがありましたが、そこまでは想像したことありませんでした・・・すごいです。最近では、彼は大軍を率いたことがない、というところが興味がありますが・・・彼も記述が案外少ないので、想像すればするほど色んな人生が出来上がりそうです。
「秘本三国志」では曹嵩を殺した彼を見つけた時は、すごい展開に圧倒されてしまいました。ああいうズバッとくる小説の新鮮さが愛おしいですね。

「北方三国志」・・・北方氏は、人間講座で自分が書く体勢ではない・・・おいそれと手がつけられないから、他の時代、人生を経て勉強し、やっと書けるようになったニュアンスのことを言っていたと思います。人間を勉強するのに、三国志に固執していたら出来ないという意味はいまさらになって痛感させられてますが。
彼の志はかなり強烈に、曹操や呂布、馬超など・・・男性的生き方が焼き付けてありましたが、それでも、人間味がある・・・超人的な要素よりも濃いぐらいの生の人間がいて、別の解釈では良かったんじゃないかな・・・と。

・・・演義の羅漢中は、趙雲と同郷で、その為に彼を演義で大活躍させたらしいですから、愛していないとは思いませんが・・・。別伝の容姿含め、たったあれだけの記述で、彼を活躍させ、他の人物も永い年月愛されていくには、とてもつもない想像力が必要だったと思います。また勉強していればこそ、あんなに史実と区別付けにくい壮大な物語が出来上がったのだと、物書きとしては、尊敬していますので。一つの作品を創り上げ、完結するには、やはり書き手の意志の強さと愛情があるんじゃないでしょうか・・・?

ほんとに時効じみた発言ですみませんでした・・・。
<sage>

【1312】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 みうみう WEB  - 2004/9/21(火) 7:06 -

引用なし
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   いまさら、古いスレッドを上げちゃいますが。(ゴメンナサイ)。
創作している側からの意見ということで。

ジョージさんのおっしゃることは正しいのですが、非常に難しいことでもあります。
ある意味、ラカンチュウの創作がすごすぎるというのか、「うっかり史実だと思いそうな」ことって多いんです。

たとえば、
「甘寧とリョウトウの和解(甘寧がリョウトウを助ける)は創作」
「黄忠と厳顔の年寄りコンビが大活躍、も創作」
「関羽が華雄を斬ったというのも創作」
かなり、史実としての三国志を読んでいるつもりでも、ウッカリこの、「本当のような嘘」に騙されることはかなりあります。

最近では、私は、「孫晧が、羊コとの交流を問責して陸抗を降格させた」が演義の嘘だと知って大ショックを受けました(だって孫晧ならいかにもやりそうなんだもん(^^;)。
実際は、問責はしましたけど、陸抗はむしろ「大司馬」に昇格してます。

こんなことはけっこうあります。
かなり読み込んでいらっしゃる方でも、「思い込み」がありえます。
(ただ、ホウトクの子供がホウトウだなんて酷すぎますけどね(^^; 襄陽のホウトク公と間違えておられるんでしょう(^^;;)
三国志をかなり知っていても、間違えられる方はおられると思います。


あと、三国志「演義」でもいろいろあります。
たいていの日本人が、「吉川」(かそれを基にした横山光輝の漫画)で三国志を知っています。
中国の、古典文学としての「三国志演義」では、「お母さんにお茶を買ってあげる親孝行の劉備なんてどこにも居ませんよ」と言うと、たいていの人が「うそー!?」と驚きます。
「三国志は、孔明が死んだあとも続きますよ」と言うと、これも「ええー!?」です。
だいぶ前の話ですが、「諸葛亮が劉備に仕える決意をする」場面を描いた作品を書いたのですが、それを読んだ方が、「劉備は小柄なはずです!」と指摘してくださいました(^^; その方は、関羽・張飛に守られる子供みたいな吉川の劉備しかご存知無かったのです。
(演義の劉備は8尺、正史の劉備は7尺五寸の、けっこう大柄な人なのに(^^;)

個人的には、完訳本の「演義」がもっと読まれて欲しいです。
吉川バージョンのは、実際の演義以上に「蜀が正義」「孔明はヒーロー」ですから。(周瑜の扱いが、実際の演義以上にもっと酷いので嫌なのです、周瑜ファンとしましては・・・)


でも、この、三国志に関する混迷は、私は一概に悪いことだとは思わないのです。
小説としてみた場合、はっきり言って三国志演義というのは、イマイチな部分があります。
もし、これが創作であれば「蜀が統一する」という結末が望ましいはずですが、史実をベースにして書いているために、そうではない。
それどころか、三国とも倒れて他の国が統一しました、チャンチャン♪ という、実にしまらない終わり方をしています。

人物にしても同じで、全体としてみれば非常に矛盾がある。
(赤壁で天候を変えられた亮くんが、なぜ司馬懿を焼き討ちしたときに雨を止められなかったのか、とか。)

でもそれだけに、他の創作者にとって創作の余地が非常に大きいのです。
水滸伝なんかだと、完全に翻案して「八犬伝」みたいにするか、あるいはダイジェスト版を作るか、あるいは個々の英雄について別伝をつくるか(「金瓶梅」のように)といったことしかできませんが、三国志はその不完全さゆえに、それ以上の創作の余地がある。

しかも登場人物の個性が強く、かなり破壊しても「三国志」の痕をとどめてしまう。
たとえば、
「曹操は金髪の悪の帝王、于禁はその悪の帝王を慕う女戦士」
「曹操と劉備は実は兄弟、劉備は野心なく貂蝉さえ居ればいいと思っている」
「劉備は実は女で、関羽とラブラブ」
「諸葛亮は絶世の美少年で、董卓からありとあらゆる性技をしこまれて・・・」
「陸遜は女の子みたいな美少年、張コウはナルシスト、諸葛亮は軍師ビーム発射」

・・・ここまで破壊しても「三国志」と銘打てるというのが、三国志の懐の広さかなあとも思っています。(必ずしも、上に挙げたようなものすべてを肯定しているわけではありませんが(^^;;)

創作者としてはこれ以上美味しい時代は無いと思います。


なぜこういうことが起こってしまうのかというと、
普通の歴史小説は、「歴史の史実」→「それを踏まえた小説」が書かれますが、三国志だけは、
「歴史の史実」→「三国志演義」→「三国志演義を踏まえた小説」というかたちで書かれてしまうからだと思います。
それだけ「三国志演義」が流布し、しかもその「三国志演義」が実際の史実からかなり離れたハチャメチャなものであればまだ良かったのですが、かなーり史実に近い、うっかりすれば史実以上に史実な創作までしている、というところに、「演義と分離して史実を語る、あるいはそこから創作する」というのを困難にするものがあると思っています。

私自身、先日、「定軍山」というタイトルで、夏侯淵を主人公にして、陳寿の「三国志」にある事実から小説を書きました。
つまり、夏侯淵とその13歳の息子夏侯栄の戦死のお話です。
私自身は、夏侯淵の大ファンで(サイトも妙才さまの息子を名乗ってますし、妙才さまをパパ上とお慕いしております(*^^*))、ですから演義の夏侯淵の死に様には大いに異議があり、ぜひとも正史ベースでの彼を書きたいと思っていました。
それでも、黄忠に弓を持たせてしまいましたから、演義の影響力はすごいものです。


でもまあ、ジョージさんのおっしゃることは、私も思うのです。
ですから、非力ではありますが、多少は今の状態を改善できるような創作を、と思っております。
私は、現在、サイトで、私家版の三国志「三国演義」を連載しています。
「演義」なのですが、できるだけ正史補正を入れて、自分の創作したキャラクターは出さないという方針で書いています。
各回の終わりには、「どこが演義で、どこが正史で、どこが創作エピソードか」明記しています。

演義が採らなかった美味しいエピソードって多いですよね。
たとえば、劉備を暗殺しに来た男が、劉備がそれと知らず心からもてなしたので、その仁徳に打たれて「実は自分はあなたを暗殺しに来た男です」と白状して立ち去った話とか(あの話をどうしてラカンチュウが採らなかったのか不思議です。)
そういうのを入れて書いてみています。

陳羣は「劉備と曹操の資質を比較できる」(さらには曹操と曹丕の資質も比較できる)重要なキャラクターとなる予定ですし。
王叡をぶちころす野心家な文台様や、決して無策ではない、むしろ智謀が働く董卓など、かなり正史っぽく書いていこうと思っています。

・・・ただし、華雄を斬るのは関羽ですけど(ゴメンナサイ(笑))
そうでもしないと劉備陣営に何の華もないので。

【1374】Re:正史・演義の混同の原因
 馬元義  - 2004/10/17(日) 10:44 -

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   始めて書き込みさせてもらいます。よろしく。

よく、三国志正史と演義を混同しない為にはあえて、正史・演義の両者とも
熟読するのがいいと思います。ご存知の通り正史は歴史書で演義は歴史小説です。
演義を読んで正史を読み、「本当はこんな人物だったんだ」と感銘を受けるも然り、正史を読んでその後演義を読んで「こんな描き方もあるのか」と思うのも
いいと思います。ただ、演義はあくまで、民間伝承の伝説を一挙にまとめて書物化したものです。演義を本当の「三国志」と認識することは横山三国志や北方三国志を「三国志」として認識すると同義ではないかなと自分は考えています。

ここの掲示板に始めて書き込みをしたのに、愚見を並べてすみません。

【1433】北方謙三三国志読本
 E=mc^2  - 2004/11/26(金) 10:48 -

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   ▼ジョージ真壁さん:
> というわけで、長々と書かせていただきましたが、私のこんな意見について、
>いかがお考えになられたでしょうか? 御意見を頂戴できましたら幸いです。
>なにかと、混同されたり誤解されたりする、三国志の世界。私は一ファンとして、
>正確な情報が、少しでも多くの人に伝わることを願ってやみません。
>
>
>                      ジョージ真壁

最近、北方謙三氏が自身の小説「三国志」について語った「三国志読本」という本をちらっと見たのですが、氏は「三国志演義はまったく見ず、歴史に基づいて小説を書いた」旨述べています。が、氏の「三国志」では関羽がカユウを切っている等多々「三国志演義」に基づく記載が出てきているように思われます。
個人的には、(少なくとも小説は)読み物として楽しければそれでいいやぁというスタンスで、しかも氏の「三国志」は個人的にとても好きな作品なのですが、ジョージ真壁さんの憂いも分かるような気がしてきてました。やっぱり、作家の人だけでなく、編集がフォローするシステムも必要なんでしょうかね。
内容の無い、レスですみません。

【1436】Re:北方謙三三国志読本
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/12/1(水) 19:31 -

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   ▼E=mc^2さん:
>最近、北方謙三氏が自身の小説「三国志」について語った「三国志読本」という本をちらっと見たのですが、氏は「三国志演義はまったく見ず、歴史に基づいて小説を書いた」旨述べています。が、氏の「三国志」では関羽がカユウを切っている等多々「三国志演義」に基づく記載が出てきているように思われます。

なるほどー。「北方三国志は正史準拠の三国志小説」って記述をネットでよくみかけるんですが、その本の記述が元になっているのでしょうね(汗) 長い間の疑問がとけました。まぁ、書くときにまったく三国演義を見ず、記憶(三国志か三国演義かわからない状態の)に基づいていれば、あながちウソでもないでしょうね。
 とりあえず私は当時(その後も?)実在しないであろう、[シ巳]水関、虎牢関が北方三国志に出てきたことを確認し、三国演義の影響も少なからずあるのだな、と確認しました。
<sage>

【1438】虎牢関
多分…   WEB  - 2004/12/3(金) 11:20 -

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   ▼清岡美津夫さん:
> とりあえず私は当時(その後も?)実在しないであろう、[シ巳]水関、虎牢関が北方三国志に出てきたことを確認し、三国演義の影響も少なからずあるのだな、と確認しました。


こんにちは。
歴史群像シリーズの17三国志上巻の6、7pに、虎牢関のことが載っていました。

河南省ケイ陽県の[シ巳]水西関にある、山が両側から対峙したせまい回廊にあたるところ

と、あり、現地の写真も掲載してありました。[シ巳]水関も地図では、虎牢関のすぐ東にありましたが・・・。「真・三国志」の地図にもあったので実在したかもです。
ただ、この資料も誤りに遭遇しましたしが・・・写真付きだったので、虎牢関だけは信用出来るかな、と。
<sage>

【1439】旋門関?
多分…  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/12/3(金) 12:40 -

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   ▼仁さん:
>こんにちは。
>歴史群像シリーズの17三国志上巻の6、7pに、虎牢関のことが載っていました。
>
>河南省ケイ陽県の[シ巳]水西関にある、山が両側から対峙したせまい回廊にあたるところ
>
>と、あり、現地の写真も掲載してありました。[シ巳]水関も地図では、虎牢関のすぐ東にありましたが・・・。「真・三国志」の地図にもあったので実在したかもです。
>ただ、この資料も誤りに遭遇しましたしが・・・写真付きだったので、虎牢関だけは信用出来るかな、と。

こんにちわ。
後漢書の皇甫嵩伝の洛陽回りの関の名前が列挙しているところ(西暦184年)の旋門(関)の注をみると、
「旋門在[シ巳]水之西」
となっており、「[シ巳]水西関」を[シ巳]水の西の関ととらえると、旋門関のことかもしれませんね。
<sage>

【1448】Re:旋門関?
  WEB  - 2004/12/9(木) 22:39 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
>後漢書の皇甫嵩伝の洛陽回りの関の名前が列挙しているところ(西暦184年)の旋門(関)の注をみると、
>「旋門在[シ巳]水之西」
>となっており、「[シ巳]水西関」を[シ巳]水の西の関ととらえると、旋門関のことかもしれませんね。

こんにちは。遅くなりました。
「旋門」。名称だけ見てると、それが何かの意味がありそうな気もしてきますが・・・。
一体、「虎牢関」というのはどこから出てきたんでしょうか。どちらの名も格好良い名には違いないですけど(笑)
・・・やっぱり色んな資料読まないとわからないことが多いですね。勉強になります。
<sage>

【1449】Re:旋門関?
 清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/12/10(金) 0:01 -

引用なし
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   ▼仁さん:
>こんにちは。遅くなりました。
>「旋門」。名称だけ見てると、それが何かの意味がありそうな気もしてきますが・・・。
>一体、「虎牢関」というのはどこから出てきたんでしょうか。どちらの名も格好良い名には違いないですけど(笑)
>・・・やっぱり色んな資料読まないとわからないことが多いですね。勉強になります。


史記の秦本紀の注に引く正義括地志によると、後漢の成皋は虎牢とも呼ばれていたので、そこから来たんでしょうかね。場所も多分、[シ巳]水関とかぶりますし。

洛州氾水縣古東カク國、亦鄭之制邑、又名虎牢、漢之成皋。

※中央研究院の漢籍電子文獻のコピー&ペーストですけど氾水って[シ巳]水でしょうか。よくわからないのですが…

あと、中央研究院の漢籍電子文獻の二十五史で「虎牢關」で検索かけてみると、新唐書からでてきますね。きっと、三国演義が書かれた時代には虎牢関は普通にあったんでしょうね。
<sage>

【1512】Re:旋門関?
初心者質問  飛翔  - 2005/2/4(金) 18:35 -

引用なし
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   はじめまして 飛翔と申します

▼清岡美津夫さん:
>▼仁さん:
>>こんにちは。遅くなりました。
>>「旋門」。名称だけ見てると、それが何かの意味がありそうな気もしてきますが・・・。
>>一体、「虎牢関」というのはどこから出てきたんでしょうか。どちらの名も格好良い名には違いないですけど(笑)
>>・・・やっぱり色んな資料読まないとわからないことが多いですね。勉強になります。

竹内書店出版の「三国志の大地」では
シ水関と虎牢関は同じ物で、三国時代ではシ水関と言われていた
とあるのですが、こちらは間違いでしょうか?

【1513】Re:旋門関?
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2005/2/4(金) 19:02 -

引用なし
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   ▼飛翔さん:
>はじめまして 飛翔と申します

>竹内書店出版の「三国志の大地」では
>シ水関と虎牢関は同じ物で、三国時代ではシ水関と言われていた
>とあるのですが、こちらは間違いでしょうか?

どうも、初めまして。
その本は知らないので、あっている、間違っているはわからないですけど、ざっと見た感じ、「三国志」には[シ巳]水関は出てこないです。「三国演義」にはでてくるんですが(例えば「第五回:發矯詔諸鎮應曹公、破關兵三英戰呂布」)
(あと、何か出土された、もしくは出土される可能性は否定できないですね)
ざっと検索かけた感じで、「虎牢關」と同じく正史系列では新唐書から出てきます。

三国志関連本の信憑度の話題はこのツリーのメインテーマの一つに関わってくるんでしょうね。
<sage>

【1514】Re:旋門関?
 飛翔  - 2005/2/5(土) 15:41 -

引用なし
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   返信ありがとうございます

シ水関 という記述は三国志にはなかったんですね
現状では、演技での虎牢関の三戦が
当時なんと呼ばれていた場所で行われたかは
わからないということでしょうか?

あと自分が参考にしたのは

竹内書店新社(すいません出版ではありませんでした…)
著 雑喉 潤
ISBN 4-8035-0327-3
税別1800\

です

【1516】Re:旋門関?
  WEB  - 2005/2/7(月) 15:17 -

引用なし
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   飛翔さん、こんにちは。清岡美津夫さん、レス見逃していてすみません。

>竹内書店新社(すいません出版ではありませんでした…)
>著 雑喉 潤
>ISBN 4-8035-0327-3
>税別1800\

私も持っていましたが、確認してませんでした(汗)
確かに、当時は「シ水関」と呼ばれていた旨、書かれていますね。清代に虎牢関の名が定着していただろうから・・・とも。
著者は一カ所だったと断定していますが、ご本人何度も各地を訪ねていらっしゃいますから、ひょっとしたら情報(表現が上手くできませんが)を持っておられるのかもしれませんね。

信憑性・・・私が参考にしている歴史群像シリーズも怪しい点があるということですよね。しっかり二つの関が存在したと書いてありますし・・・しかも見開きで復元イラスト付き。これも何を参考にしてこう書いたなどと元の資料を提示してくれたら信用出来そうです。

一方では同じ場所、もう一方では二関とも存在した、と書かれているのも不思議です。
<sage>

【1519】Re:旋門関?
 清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2005/2/8(火) 0:00 -

引用なし
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   ▼飛翔さん:
>返信ありがとうございます
>
>シ水関 という記述は三国志にはなかったんですね
>現状では、演技での虎牢関の三戦が
>当時なんと呼ばれていた場所で行われたかは
>わからないということでしょうか?

えーと、なんか話が二転三転しているので、ちょいと私の方の書きたいことを箇条書きにまとめてみますね。

○「三国演義」の[シ巳]水関・虎牢関の戦いのような戦いは、そもそも「三国志」には見られない。
 ・「三国演義」の[シ巳]水関の戦い([シ巳]水、[各隹]陽の東)
   →主に「三国志」の孫堅対華雄の前後がモデル?(こちらは大谷など南から[各隹]陽へのルート)
 ・「三国演義」の虎牢関の戦い([各隹]陽の東?) 董卓軍の呂布と劉備・関羽・張飛の戦いがメイン?
  →「三国志」では劉備たちと董卓軍は戦っていない
  
○そらら二つの関は三国志の時代に実在したかどうか
 →地名はあるが三国志(及び後漢書・晋書など三国志と近い時代の正史系列)には二つとも関としてはでてこない
 ・それに近い関をあえてあげるなら「後漢書」にでてくる旋門関?

ってところです。
 なので「三国演義」にでてくる三国時代の[シ巳]水関・虎牢関を探そうとすると不可能です(汗)
 もしかすると、有名な戦いの舞台にならなかった三国時代の[シ巳]水関・虎牢関があるかもしれませんが。。。
<sage>

【2161】Re:北方謙三三国志読本
追記  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2006/1/14(土) 16:59 -

引用なし
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   たまたま手元の藤水名子/箸「公子曹植の恋」(講談社文庫)をみていると解説を北方謙三先生が書いていて、そこには「かく言う私自身も、正史から起こした史実を中心に据え、長い小説を書いた。」と書かれていました。
確かに「だけ」ではなくあくまでも「中心」ですね。
<sage>

【2251】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』
 骨喰藤四郎  - 2006/3/8(水) 12:07 -

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   > 『三国志』の国産ドラマと言えば、純国産とは言えないのでしょうが、辰巳琢郎が
>劉備を演じた2〜3時間ほどのドラマが、十年ほど前にありました。
>しかし、2〜3時間で三国志を語れるはずもありません。

三国志の大地−長江・黄河1万キロの旅というテレビ東京系で、
やっていたドラマですね。古谷一行が諸葛亮役で、確か陳寿が解説?しながら
すすんでいったというような記憶があります。
 虎牢関ですが、http://www.arachina.com/attrations/sanguo/yizhi/hlg.htm
こちらによると、
"虎牢関は河南省鄭州市の西北部16キロの・緜辰砲△襦」
「虎牢」という地名は、西周の穆王がここで虎を飼っていたことに由来する。"
とのことです。
"特に、三大英雄、呂布がここの名声を大きくしている。"
ところで、この三大英雄の他は誰なんでしょうか?関羽、張飛でしょうか?

【2252】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2006/3/8(水) 18:49 -

引用なし
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   ▼骨喰藤四郎さん:
>> 『三国志』の国産ドラマと言えば、純国産とは言えないのでしょうが、辰巳琢郎が
>>劉備を演じた2〜3時間ほどのドラマが、十年ほど前にありました。
>>しかし、2〜3時間で三国志を語れるはずもありません。
>
>三国志の大地−長江・黄河1万キロの旅というテレビ東京系で、
>やっていたドラマですね。古谷一行が諸葛亮役で、確か陳寿が解説?しながら
>すすんでいったというような記憶があります。

別のツリー[#T1592]で話題になってますね。
一度、どんなドラマだったのか見てみたいです。

> 虎牢関ですが、http://www.arachina.com/attrations/sanguo/yizhi/hlg.htm
>こちらによると、
>"虎牢関は河南省鄭州市の西北部16キロの・緜辰砲△襦」
>「虎牢」という地名は、西周の穆王がここで虎を飼っていたことに由来する。"
>とのことです。
>"特に、三大英雄、呂布がここの名声を大きくしている。"
>ところで、この三大英雄の他は誰なんでしょうか?関羽、張飛でしょうか?

虎牢関のことはここのツリーの別のブランチの記事[#1519]で書かれてますよ。
まぁ観光地として売り出すのでしたら、歴史への正確性にこだわるより日本人に馴染みの深い三国志関連とつなげる方が結果的に集客が見込めるのでしょうね。
あ、三大英雄とはおっしゃるとおり、劉備、関羽、張飛のことでしょうね。三国演義の「第五回:發矯詔諸鎮應曹公、破關兵三英戰呂布」にもでてますし。
あと付け足すとしたら三国演義成立以前の元代の雑劇の「虎牢關三戰呂布」にも出ているようですし(と書きつつちゃんと読んでないですが・汗)

【2254】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』
 骨喰藤四郎  - 2006/3/9(木) 18:50 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
ありがとうございます。
元記事は二年も前のものだったのですね。すいません
あのドラマを見たのは中学生くらいだったと思いますが、劉備と諸葛亮が夕日を
浴びながら語り合っていたシーンをなんとなく覚えています。

元代のものにでていましたか。
それより前からあの三人は特別だったんでしょうね。
やはりあの三国志のことを知るためには、その前の時代はもとよりその後の時代
の事についても知っていかなければいけませんね!

ところで、こちらで聞いていいものやらわからないのですが、諸葛亮が風を起こそうとした、寿命を延ばすための儀式をした、という話がありますよね?
ああいうのをそんな馬鹿なと思っていたのですが、それは今の感覚でそう思う訳ですが、当時としては大真面目にしていたということはないでしょうか?

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