<<
>>
伝説からこんにちわ(孫氏からみた三国志0)
031207
<<旧前置き


   始皇帝の時代

   そう、みなさん、ご存じのように、始皇帝は中国を統一し、初めて、皇帝になった人。天下を取っていい気になったのか、その始皇帝が東へ巡遊していた。長江揚子江)を越えたあたりのとき、霊気をみて占う人がこう言った。

五百年後、長江の東は天子の気を持ちます。金稜の地です。王者の勢いがあります」

   天子とは皇帝のこと。長江の東なんて始皇帝とは縁もゆかりもない地だから、五百年後のこととはいえ、気味悪がったのかな? 始皇帝はそれをふせぐため、「金稜」の名を「秣陵」に改めたそうな。

   このエピソードは、「搜神記」、「晉書」、「宋書」にみられる1)。とは言っても、三つの書物とも三国志の時代の後の時代に作られたもので、後付の作り話かもしれないけど。

   この地で何が起こるかはまだまだ先の話。




1)   三つの書物に出ているけど、微妙に違ってる。ざっと並べると、
「秦始皇東巡、望氣者云『五百年後、江東有天子氣。』」(搜神記より)、 「始秦時望氣者云『五百年後金陵有天子氣』、故始皇東遊以厭之、改其地曰秣陵、塹北山以絶其勢。」(晉書卷六帝紀第六元帝より)、「初、秦始皇東巡、濟江。望氣者云『五百年後、江東有天子氣出於呉、而金陵之地、有王者之勢。』於是秦始皇乃改金陵曰秣陵、鑿北山以絶其勢。」(宋書卷二十七 志第十七 符瑞上より)
   三つの書物とも「五百年後」と共通しているけど、セリフ部分の地名が微妙に違う。これも含めていろいろうんちくはあるかもしれないけど、ここはさらりと流す。   <<戻る

<<
>>