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掲示板 件名 最新投稿

8月5日は司馬懿の命日


  • 2005年8月 5日(金) 12:47 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,582
歴史 晋書の帝紀(宣帝のところ)を見ると

(嘉平三年、紀元251年)秋八月戊寅、崩於京師、時年七十三。

となっていて

http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1824
↑ここを参考にしつつ、日を特定すると、どうやら紀元251年8月5日に司馬懿(字、仲達)は崩御したそうな。

ついでにいうと、司馬懿の息子の司馬昭(字、子上)は晋書の帝紀(文帝のところ)をみると

(咸熙二年、紀元265年)秋八月辛卯、帝崩于露寢、時年五十五。

となっておりどうやら紀元265年8月9日に崩御したそうな。

しらなんだ。

梁はいくつ?


  • 2005年7月11日(月) 21:33 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,402
歴史 趣味で三国志小説を書いていると当時の様子が気になる。
「中国古代の生活史」、「中国古代の服飾研究」など、三国志の時代の画像を元に当時の生活風景や衣装を解説している本はいろいろあって、どれも参考になるけど、一つ物足りないことがある。
それはそれらの本で書かれている内容と史書とで用語が往々にして違うため、なかなか対応付けして読めないと言うことだ。
その点、時代は少しずれて漢代になるけど、「漢帝国と辺境社会」は木簡に書かれた原文も豊富に載せられていて、史書との対応付けがしやすい。

そのため、どんなものかだいたいわかっているんだけど、当時、なんて呼ばれていたか、似たようなものだけど微妙に呼び方に違いがあるのか、など、わからないことがしばしば。
未だに「牀」と「榻」の区別、つかないし。
そういった中で気になったのが「中国古代の服飾研究」。当時の官吏の冠として紹介されていたのがその本での呼び名でいうところの「梁冠」。
史書で何て言うんだろう、と思っていたものの、あまりしゃっきり調べられず、頭の中がもやもやしたままで月日を費やした。

そんなときに見かけたのがサイト「青木朋HP++青青」の日記と掲示板。
http://aoki.moo.jp/
ここのサイトはサイトのタイトルと同名のweb三国志系コミックをメインに発表しているところ(このサイト自身は下記リンク参照)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=777

漫画の資料集めがきっかけなのか、サイト管理人の青木朋さんは服飾など当時の風俗に興味がある方のようで、しばしコンテンツ、日記や掲示板にもその様子が見られる。

そんなサイトの日記や掲示板で紹介されていた「漢~晋の冠について図付き解説ページ」。
どうやら、サイト「松濤堂酒店87號(ショウトウドウシュテンパシチハオ)」の管理人の嘉風松雲さんが青木朋さんに向けてつくったページとのこと。
・松濤堂酒店87號
http://www.h7.dion.ne.jp/~storm_e/index.html
※2005年7月10日現在サイト縮小中とのこと。

横から覗くのはちょいと後ろめたい気持ちもありながら(汗)、まぁ、ネットに公開されているのだから、ちょいとそのページを覗いてみる。

中国古代の冠のことがドカドカっと載せているじゃないですか!

とりあえず後からじっくりサイト全体をみようと思い、嬉々としてブックマークをつけてみる。
件のページで初めに目を引いたのが「進賢冠」のところ。
これって冒頭に書いた「梁冠」。しかも謎の金属のフレームのことが書かれている。
フレームの名は「梁」。なるほど、それで「梁冠」っていうんだ。
そしてこの「梁」は「一梁、二梁」というように梁の数には意味があるらしい。多い方が位が高いそうなのだ。
と感心しつつ、続漢書の輿服志を調べてみると、
「中二千石以下至博士兩梁、自博士以下至小史私學弟子、皆一梁」
と、ばっちり梁の数が書いている!
あぁ、今まで気付かなかっただなんて……しかも過去に高官でもないのに二梁で描いている人物のイラストがある(汗)……
ちなみにここのサイトの掲示板によると「梁冠」とは明代での呼び名とのこと。
※2005年7月10日現在、掲示板へのリンクはない。

なるほどー。やはり、「梁冠」は当時の呼び方ではなかったんだ。

<2006年2月4日一部修正>

前漢に鐙はあった?!


  • 2005年1月24日(月) 00:48 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    5,010
歴史 ほかの三国志ファンには大したことないかもしれないけど、私にとって重大なこと。

趣味で小説を書くにあたり、資料としてちょくちょく「中国古代の服飾研究(増補版)」という本を図書館から借りている。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w021124.html
↑その本。増補版の原本は1992年に書かれ1994年に訳されたそうな。
それで資料としてなので未だに一通り読むなんてことはしていない。
それで何気なく、136ページから140ページまでの「漢の刻画に見られる数種の騎士」という項目をみていた。
136ページから139ページまでは前漢の騎馬画像(壁画とか)が掲載されていて、あぁ、これが胡族の服装か、これが騎士の服装かなんて見てたんだけど、最後のページにでてきたのが「石寨山出土の銅製騎馬像」の写真とそれを解説する文章。石寨山とは雲南省晋寧県にあるとのこと。
まぁ、それは気にならなかったんだけど、問題はその文の方。
騎馬画像には詳しく書かれていないが、このころ(文の流れ的に前漢?)にすでに鐙(あぶみ)があったとすることが書かれていて、その証拠として同じページの「石寨山出土の銅製騎馬像」の写真があげられている。
その写真を見ると鐙と思われるものが確かに写っている。サイドビューだから左右二本ついているかどうか不明だけど。
また、本文にも書かれていたことなんだけど、青銅像と違って画像の方はいっさい鐙が描かれていない。
単に描画技術や技法上の省略なのか、それほど鐙が普及してなかったのかよくわからない。

それまで私の中の定説は、例えば「中国古代の生活史」の99ページに書かれているように

「鐙は中国では四世紀のおわりごろが早い例で、乗る時のために鞍の片側だけにつけられている。」

といったもので、まさか前漢にすでに発明されていたなんてにわかに信じがたい。
(ちなみに「中国古代の生活史」の100ページに載っている後2世紀の銅製騎馬像には鐙がない)

http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=75
↑「中国古代の生活史」

実際はどうだったんだろ? ほかに何か資料がないかなぁ。

ちなみに銅製騎馬像と同じ雲南省晋寧県石寨山出土の青銅器「狩猟場面貯貝器」が中国国宝展(国立国際美術館、2005年1月18日~3月27日)に出展されていたんだけど、その一部が騎馬像だったが、鐙はなかった。

<2008年1月4日追記>
近頃、思っているんだけど、石寨山出土って滇族の文化だよね。

<2008年6月24日追記>
下記のリンク先(始皇帝暗殺(その2)の方)によると、石寨山出土の騎馬像は片側の鐙だそうな。

・睡人亭
http://www.shuiren.org/
・始皇帝暗殺(その2)
http://www.shuiren.org/chuugoku/koramu/ko981011.htm#sono2


※追記 メモ:漢中興士人皆冠葛巾

※追記 『中国古代の生活史』復刊(2009年12月15日)

※追記 リンク:模範解答でいいのか(ニュースな史点2012/4/30の記事)

※追記 ノート1:三国志学会 第五回大会

劉備 幼名


  • 2004年11月23日(火) 01:13 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,330
歴史 某サイトのアクセス解析を見ていたら、昨日の夜9時半からやたらといろんなホストから「劉備 幼名」ってキーワードで検索がかかるんだけど、何かテレビかなんかであったんでしょうか。
その息子の幼名は有名だけど、劉備はとんときいたことないなぁ

三国志の基本史料


  • 2004年10月27日(水) 01:54 JST
  • 投稿者:
    KJ
  • 閲覧数
    1,406
歴史 三国時代のことが書かれている文献と言えば、歴史書としての正史「三國志」があるが、これに次ぐ史料として「長沙呉簡」と呼ばれる木簡がある。

「長沙呉簡」は、1996年に湖南省長沙市の古井戸から出土したもので、呉の嘉禾年間(232~237)の記録が木簡、木版、竹簡に記録されている。その数はおよそ10万点。

今後の整理により、身分制、地方行政、戸籍、賦税、物流などが明らかになるという。