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「牀」 三国志の筑摩訳本を読む


  • 2005年11月16日(水) 18:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    5,276
歴史 ・サポ板の投稿
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=2061

 上記リンク先の投稿をする前、三国志蜀書[广龍]統伝と裴松之注のところで三国志の訳本(筑摩書房、世界古典文学全集、今、出回っている文庫本じゃなくてハードカバー本)を参照にしていたんだけど、その[广龍]統伝の注に引く襄陽記で以下のような気になる文を目にする。

孔明はその家を訪れるといつもただ一人寝台の下に額(ぬか)ずいて挨拶したが、徳公はまったく止めようとはしなかった。

 「その家」とは[广龍]徳公の家。人の家に訪れるといつも、わざわざ寝台のところまでいってその下で挨拶するだなんて、この孔明ってやつは変態?! そりゃ徳公って言う人も怖くて止められないね!……
……
……ではなく。
 あらかたどういう訳し方なのか予想は付くけど、一応、原文をあたると、

孔明毎至其家、獨拜牀下、徳公初不令止

となっている。つまり「牀(床)」を「寝台」と単純に訳しているから変になっているんだと思う。(※ちなみに中華書局の三国志では「牀」になっていて中央研究院の漢籍電子文獻ではうちの環境だと「床」にみえる)
 そういえば他の「牀」がでてくる箇所はどうなっているかと思い、手元の電子テキストの三国志で魏書の武帝紀の初めから「牀(床)」を検索し、引っかかるたびにその該当個所を三国志の筑摩訳本で探し、訳を確かめる。そうすると探すたびに「牀(床)」→「寝台」あるいは「牀」にルビで「ベッド」というふうに訳されている。ただ、三国志の初めの方に出てくる「牀(床)」は「寝台」と訳しても意味の通じるものばかりで冒頭で掲げたような変な意味になることはない。例えば三国志魏書の呂布伝の陳登のところの許[シ巳]の言葉に「自上大牀臥、使客臥下牀。」(みずから大きな牀の上で寝て、客を牀の下に寝させる)とある。何かしら眠っていたり、病に伏していたりするシチュエーションなのだ。
 じゃ、三国志の筑摩訳本では「牀(床)」を「寝台」と訳してばかりか、というとそうではなかった。ちょうど三国志魏書も終わりの方の方技伝の管輅のところで、「寝台」とは違った訳を見つける。曰く、

牀(人がその上で坐ったり寝たりする大きな台)

となっていた。そうそうこれこれ! 牀の形状は低い台みたいなもので、その上に正座する用途やその上で眠ったりする用途があるのだ。ただ用途別に牀の大きさや形状が違うかどうか、私は知らない。ちなみに牀の上に正座する様子は画像石でよくみかけるシチュエーションだ。
 あと、その近くの管輅別伝のところには「牀(おおきなこしかけの台)」と訳されている。私が画像石等で見た限り、当時の中国で、こしかける座り方は馬上かはたを織る器具を使うときしか知らないので、語弊を招く訳なのかな、と思った。(あと「胡牀」について考察の余地ありかな)

 それで話を冒頭に戻して。

孔明毎至其家、獨拜牀下、徳公初不令止

 これは「牀」は「牀」でも寝台として使う「牀」ではなく座具としての「牀」であろう。以下、素人の戯言だけど、諸葛亮(字、孔明)が拝する(おがむ)にしても、「牀」に座って[广龍]徳公と対等に拝するのではなく、自分を下げて、わざわざ「牀」から降りて地べたで拝するという意味だろう。
 にしても三国志の筑摩訳本の文庫化の際にここらへん改善されているのかな。

※追記 メモ:踞牀

※追記 「四大奇書」の研究(2010年11月10日)

<2007年3月21日追記>
 『中国社会風俗史』を読んでいて気付いたけど、「獨拜」って「ただ一人~額(ぬか)ずいて挨拶したが」と訳すとすごく語弊があるね。「獨拜」はつまりここでは徳公が拜せず諸葛亮が拜しているという意味で「獨」なんだね。

※追記 諸葛孔明(2010年3月5日 学習漫画 世界の伝記NEXT)

※追記 『イナズマイレブンGO クロノ・ストーン』で劉備登場(2012年10月3日)

※追記 スーパー歌舞伎 新・三国志 三部作(衛星劇場2016年2月6日13日20日)

※新規関連記事 メモ:コミックマーケット92 3日目(2017年8月13日)

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  • 「牀」 三国志の筑摩訳本を読む
  • 投稿者:仁雛  2005年11月24日(木) 02:59 JST
興味の嗜好が清岡さんと似ているので、非常に面白く記事を読ませていただきました。かく言う自分は、もう15年も前になりますが、演義やや人形劇やアニメ・漫画などに出てくるような「ベッド」は、三国時代に存在しなかった、とあちこちで言っていたものです(笑)。

清岡さんの言われる通り、該当個所の「牀」を「ベッド」と訳すのは、やはり問題があるように思います。が、筑摩訳は、直接出版社に指摘をしないと訂正はしないと思います(自分は単行本ちくま訳で、中華書局の1行分の訳が抜けているのを見つけて、手紙を出しましたが返事無く、文庫本でたまたま見たら訳されていたのでビックリしました//笑)。

ただ、一昔前は、当該時代は後漢の画像石などしか画像資料がなかったのですが、現在は壁画墓なども見つかっています。それらを見ると、寝台として使う「牀」は実は出てきません。二人並んで座ったりというのはあるんですが^^;
唯一、伝・顧ガイ之の『女史箴図』には、腰をかける位の高さの二人並んで座れるくらい(1人が大の字で寝れそうなくらい)の大きさの「牀」で、屏風を囲い、帷をつけた「寝台」のようなものがありますが、なにぶん伝・顧ガイ之ということで(笑)。「腰をかける」程度の高さのもので、いわゆるベッド状のものが出てくるのは画像史料的には唐代からかと思ってます(すべての画像史料をあたったわけではもちろんないです^^;)。
  • 「牀」 三国志の筑摩訳本を読む
  • 投稿者:清岡美津夫  2005年11月24日(木) 23:22 JST
こんばんわ。
そういっていただけると嬉しいです。
中華書局の1行分の訳が抜けていて、さらに直接出版社に指摘されて、さらに菓子折の一つもよこさず(笑)に文庫で訂正されていたってって話は以前、どこかのサイトでみかけました。きっと仁雛さんの書き込みだと思います。読んだとき、衝撃を受けました。一行、まるまる抜けているだなんて(汗)
(ちなみに私の持ちネタ(?)は兪河が文庫の方で愈河になっていたってことですかね)
なるほど、それぐらいの高さのベッドはなかったって話ですね。牀はせいぜい足のすねの高さぐらいですしね。
「女史箴図」のことは知らなかったんで、ネットでさらりと調べました。清の時代なんですね。
そういえば、牀として紹介されていて、寝台として使われているのは、武梁石室(嘉祥武宅山)の2世紀の画像石で「枕をして寝る女と殺人者」(中国古代の生活史)ぐらいですかね。