「牀」 三国志の筑摩訳本を読む

・サポ板の投稿
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=2061

 上記リンク先の投稿をする前、三国志蜀書[广龍]統伝と裴松之注のところで三国志の訳本(筑摩書房、世界古典文学全集、今、出回っている文庫本じゃなくてハードカバー本)を参照にしていたんだけど、その[广龍]統伝の注に引く襄陽記で以下のような気になる文を目にする。

孔明はその家を訪れるといつもただ一人寝台の下に額(ぬか)ずいて挨拶したが、徳公はまったく止めようとはしなかった。

 「その家」とは[广龍]徳公の家。人の家に訪れるといつも、わざわざ寝台のところまでいってその下で挨拶するだなんて、この孔明ってやつは変態?! そりゃ徳公って言う人も怖くて止められないね!……
……
……ではなく。
 あらかたどういう訳し方なのか予想は付くけど、一応、原文をあたると、

孔明毎至其家、獨拜牀下、徳公初不令止

となっている。つまり「牀(床)」を「寝台」と単純に訳しているから変になっているんだと思う。(※ちなみに中華書局の三国志では「牀」になっていて中央研究院の漢籍電子文獻ではうちの環境だと「床」にみえる)
 そういえば他の「牀」がでてくる箇所はどうなっているかと思い、手元の電子テキストの三国志で魏書の武帝紀の初めから「牀(床)」を検索し、引っかかるたびにその該当個所を三国志の筑摩訳本で探し、訳を確かめる。そうすると探すたびに「牀(床)」→「寝台」あるいは「牀」にルビで「ベッド」というふうに訳されている。ただ、三国志の初めの方に出てくる「牀(床)」は「寝台」と訳しても意味の通じるものばかりで冒頭で掲げたような変な意味になることはない。例えば三国志魏書の呂布伝の陳登のところの許[シ巳]の言葉に「自上大牀臥、使客臥下牀。」(みずから大きな牀の上で寝て、客を牀の下に寝させる)とある。何かしら眠っていたり、病に伏していたりするシチュエーションなのだ。
 じゃ、三国志の筑摩訳本では「牀(床)」を「寝台」と訳してばかりか、というとそうではなかった。ちょうど三国志魏書も終わりの方の方技伝の管輅のところで、「寝台」とは違った訳を見つける。曰く、

牀(人がその上で坐ったり寝たりする大きな台)

となっていた。そうそうこれこれ! 牀の形状は低い台みたいなもので、その上に正座する用途やその上で眠ったりする用途があるのだ。ただ用途別に牀の大きさや形状が違うかどうか、私は知らない。ちなみに牀の上に正座する様子は画像石でよくみかけるシチュエーションだ。
 あと、その近くの管輅別伝のところには「牀(おおきなこしかけの台)」と訳されている。私が画像石等で見た限り、当時の中国で、こしかける座り方は馬上かはたを織る器具を使うときしか知らないので、語弊を招く訳なのかな、と思った。(あと「胡牀」について考察の余地ありかな)

 それで話を冒頭に戻して。

孔明毎至其家、獨拜牀下、徳公初不令止

 これは「牀」は「牀」でも寝台として使う「牀」ではなく座具としての「牀」であろう。以下、素人の戯言だけど、諸葛亮(字、孔明)が拝する(おがむ)にしても、「牀」に座って[广龍]徳公と対等に拝するのではなく、自分を下げて、わざわざ「牀」から降りて地べたで拝するという意味だろう。
 にしても三国志の筑摩訳本の文庫化の際にここらへん改善されているのかな。

※追記 メモ:踞牀

※追記 「四大奇書」の研究(2010年11月10日)

<2007年3月21日追記>
 『中国社会風俗史』を読んでいて気付いたけど、「獨拜」って「ただ一人~額(ぬか)ずいて挨拶したが」と訳すとすごく語弊があるね。「獨拜」はつまりここでは徳公が拜せず諸葛亮が拜しているという意味で「獨」なんだね。

※追記 諸葛孔明(2010年3月5日 学習漫画 世界の伝記NEXT)

※追記 『イナズマイレブンGO クロノ・ストーン』で劉備登場(2012年10月3日)


※追記 スーパー歌舞伎 新・三国志 三部作(衛星劇場2016年2月6日13日20日)

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