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ノート:連環画は中国特有の『マンガ』なのか?その絵本としての可能性を探って(2012年2月15日)


  • 2012年2月28日(火) 22:19 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    5,660
研究  その日は、前夜に映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』3D版を見に行き、午前中に知恩寺の手づくり市に行って京都ベイクドチーズケーキドットコムのヘルシーチーズケーキを買い、昼から京都国際マンガミュージアムへ行って、公開研究会「広がりつつあるマンガ研究 京都精華大学芸術研究科博士後期課程院生による報告会」を一般聴講し、夕方にモスバーガーで期間限定のシーフードドックを買って間食し、京阪電車と大阪市地下鉄の終電を乗り継ぎ心斎橋駅で降りて、「リラックスダイニング little Birds」で晩飯を食べ、くつろぎ、28時になったらサッカーバー「Bar AZZURRI」に行き、UEFA Champions League 11/12 決勝ラウンド 1回戦 1st leg ACミラン VS アーセナルを観戦するという、一見、三国志とは無関係な一日だった。 ちなみに前日の占いではレジャー運が良いとのことで。

※新規関連記事 映画 真・三國無双を見に行く小旅行(2021年10月23日)

・ALWAYS 三丁目の夕日'64
http://www.always3.jp/

・手づくり市ホームページ|京都:百万遍さんの「手づくり市」、梅小路公園「一木手づくり市」の情報をお届けします。
www.tedukuri-ichi.com/

・京都ベイクドチーズケーキドットコム
http://baked-cheesecake.com/

・京都国際マンガミュージアム
http://www.kyotomm.jp/

・【芸術研究科】 公開研究会「広がりつつあるマンガ研究 京都精華大学芸術研究科博士後期課程院生による報告会」
http://www.kyoto-seika.ac.jp/seikaweek2012/#kyotomm

・モスバーガー|今日、モス気分。
http://www.mos.co.jp/

・京阪電気鉄道株式会社
http://www.keihan.co.jp/

・大阪市交通局
http://www.kotsu.city.osaka.jp/

・ぐるなび - リラックスダイニング little Birds
http://r.gnavi.co.jp/kap3600/

・サッカーバー アズーリ 大阪のサッカーバー「Bar AZZURRI」
http://www.azzurri.ws/

・UEFAチャンピオンズリーグ – UEFA.com
http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/

 ところが2012年2月15日開催の公開研究会「広がりつつあるマンガ研究 京都精華大学芸術研究科博士後期課程院生による報告会」に、焦凡「連環画は中国特有の『マンガ』なのか?その絵本としての可能性を探って」という研究報告があって、下記関連記事で触れたように前々から興味のあった連環画、しかも少し三国志に関係していた。

※関連記事 リンク:中国の連環画の変遷とその描写技法

 その公開研究会はタイトル通り、京都精華大学芸術研究科博士後期課程院生4名が発表者で、しかも4名とも留学生で4名とも研究だけでなく、マンガや絵本等の何かしらの創作歴があるというユニークなものだった。
 会場は京都国際マンガミュージアムでお馴染みの3階の研究室1だ。京都国際マンガミュージアム自体が小学校を改造した建物であるため、その研究室も元々は教室だったようだ。そこに南向きにイスが並べてあった。
 研究会自体は13時から始まり、件の研究報告は15:50程度からスタートする。事前に連環画が会場に回覧のため回される。またPCとプロジェクターを通じスクリーンに発表資料が映し出される仕組みだ。というわけで以下、それに関するノート。


 連環画は中国固有の「マンガ」なのか、その絵本としての可能性を探っていく。まず連環画の連続性、連環画の先行研究、その具体例、『孫悟空、白骨の妖精と三度闘う(孫悟空三打白骨精)』を見ていく。
 まず連環画は中国の大衆文化だったが、1990年代に入ると日本のアニメやマンガなどにとってかわられ懐メロのようになった。教育的読み物として位置付けられた連環画は過去の物としてコレクションの対象としてしかならない程だ。この連環画についての研究は、少しずつ行われてきたが、1990年代以降、衰退した要因の分析や他の視覚物語との比較からなる研究が未だ充分に行われていない印象が強くある。
 中国文化マンガ研究者の日下翠先生が『漫画学のススメ』(白帝社2000年1月)で「連環画は教育の道具に過ぎない。連環画は政治が変わればお払い箱」(※清岡注。清岡は直接その文献で確認していないので実際と違う可能性あり→※追記。P.238から3ページに渡る部分の小題が「6 教育の道具としての連環画──政治が変わればお払い箱」とある)。先生は中国には子どもの読み物としての連環画があったという視点に対して批判意識があった。

※追記 メモ:漫画学のススメ(2000年1月20日)

 しかし、連環画に熱を込めて、連環画を数多く収集し、表現形式より幾何学的な方法により研究を行っている。1950年から1966年の間、○○政策は一時的に緩和されたため、連環画の題材が多様化し、1980年以降、ビジュアルの多様化を推奨するようになった。今日の中国では連環画を独立した画集だけではなく、中国特有のとみなす場合がある。ストーリー・マンガとの類似点を求めるため、連環画に関する先行研究から連続性、大衆性という要素を選び、また連環画に表れるマンガ的特徴とは何かについて答えを挙げながら、皆様と一緒に考えていきたいと思う。
 まず連環画の連環と大衆性について。連環画は一枚一画を基本とするポケットサイズの読み物で、絵の脇に簡潔な文章を添えられた。これらの絵が繋がっていくという意味で「連環図画」と名付けられた。小説の挿絵より物語の展開を文章ではなく、多くの絵で表そうとし、民国期に表れた。1927年に上海世界書局より陳丹旭の挿絵により『連環図画三国志』が出版された。この時、初めて「連環図画」という名称が用いられた。共和国になると「連環図画」から「連環画」という呼称が一般的になり、装填も糸綴じから洋装に変わり、絵と文の関係も○○から枠の内外へと、しかも文は縦書きから横書きへと変化した。日本の豆本や赤本の類と思う。連続性をもった絵画的なイメージやその他、情報伝達や見る者の感性の本能を刺激することを目的として掲げた、こうしたマンガの概念は、連環画の連環にも当てはまるのではないか、と思う。物語進行や連続性といった概念から壁画やタペストリー、ステンドグラス、そしてストーリーマンガや劇画などの範囲のビジュアルな物語が同じ下へ来られることが可能となる。こういった観点の下、マクラウド(※清岡注。『マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論』の?)は劇画などのマンガの範疇にしている。
 連環画の源流の例を挙げる。中国漢代の墓から出土した柩や画像石が連続性、物語性、脚本性があるというところや、物語進行や連続性に関与し、また南北朝の敦煌莫高窟の仏教壁画にも物語性と絵画の連続性の両方を採用しているとして、マクラウドのマンガ的にも該当する。かつ歴史的にみても価値のある壁天井、タペストリーなどの上で展開されたビジュアルの物語は通常、特定の目的や人物のために描かれたものであって、長い間、限られた人々の目にしか触れられなかったところ、マンガとして認めるには些か異論がある。なぜならば、その場合、文化の重要な側面であって、メディアとしての特徴が脱落しているからだ。大衆性というマンガのメディアの特徴は、印刷が強調した。西洋から紹介された印刷の技術は、20世紀初頭の中国の連環画の発展における重要なステップである。中華民国に大量印刷し、中華共和国に入ると思想や教育などに関わり、1949年から1960年まで全国累計によると一万二千七百を越える種類の連環画が出版され、その印刷数は五億六千万冊に達した。露天の商店や借本という要素を加え人々に親しまれた大衆文化となった。
 『マン美研』において出版史の観点からみたマンガの源流についてはケーン先生が草双紙を研究対象として取り上げ、大衆性がありさらに連続性の物語があることがマンガの構造的特徴だと指摘した。(※シュテファン・ケーン「江戸文学からみた現代マンガの源流――合巻『鬼児島名誉仇討』を具体例に」)

・醍醐書房
http://www1.odn.ne.jp/daigo-shobo/

・マン美研――マンガの美/学的な次元への接近
http://www1.odn.ne.jp/daigo-shobo/contents/books/books02/mannbiken.html

 ビジュアルの連続性をマンガの不可欠とし、現在、マンガと絵物語とが挿絵の理論に基づくビジュアルな連続性を拠り所とし区別されるとし、近世の出版物とビジュアルの連続性を有するものとの大方の分別ができるからだ。国語学において草双紙が現在、マンガと比較されることが多い。「草双紙=マンガの源流」だが、挿絵とテキストといった二種類の媒体の融合に特徴付けられる絵画文学は、マンガ特有の基礎が示されること、連続性という点でもマンガの源流と考えられるのではないか。草双紙の挿絵と融合点が高く、連環画のような特徴にも見受けられる。「草双紙=マンガの源流」であれば連環画もマンガの源流になる。
 1927年の『連環図画三国志』は全三巻、各巻8冊、各巻32枚の図像によって構成された。革命期には所謂、ぎょうかくという外枠が付け、さらに枠内に枠線が与えられ、文章は上の余白に添えられ、図とはっきり区別された。つまり連環画の両枠は現在、マンガのコマにも相当すると言える。
 中華共和国以降になって連環画の図像はコマの外の下に文章が付けられるようになった。民国期の連環画は舞台美術と密接な関係にある。1918年に京劇を何回にも分けて上演するために連続性のある図像が用いられた。連環画と京劇が結交し始めた。コマ内に京劇の舞台そのまま描かれた『連環画三国志』は、連続性が成り立っていた。図は三分の二を占め、文章との
 相互関係が緊密になり、それぞれの場面が舞台劇のように連続した図像に変わっていく。連続性、連続進行、および大衆性といった要素は中国特有のマンガとみなす場合がある。しかし、中国現代美術にも大きな影響を与えた連環画は、今、人々に忘れ去れている。そのため、連環画に関する理論書も出版され始めた。連環画の先行研究については阿英『中國連環圖畫史話』(北京 中國古典藝術1957)、白宇『連環畫學概論』(濟南 山東美術出版社1997)、白純熙『中國連環畫發展圖史』(北京 連環畫出版社1993)、中國連環畫六十、姜維樸『新中國連環畫60年』(人民美術出版社2009)、劉永勝『新中國連環畫圖史1949-1999』(上海 上海人民美術出版社2011)などの理論書があったが、文献においては連環画の特徴をとらえ、経験に基づき作品の方法論が語られた。しかし、絵本、マンガといった視点などは組み込まれていない。○○の分析もほとんどされていない。そのため伝統的な白描で書かれた代表的な作品『孫悟空、白骨の妖精と三度闘う(孫悟空三打白骨精)』をとりあげながら、図と文章の相互関係や連環画に表れるマンガ的特徴とは何かについて皆様と共に考えていきたい(※清岡注。ここでスクリーンに件の連環画が映される)。
  『孫悟空、白骨の妖精と三度闘う(孫悟空三打白骨精)』は、109枚の白描図像によって構成された。『西遊記』の中から関係各章が改変された。この連環画のページは最初と最後の図において右枠と共に3,4ページのコマが相対になっている。連環画の構図はコマの右に文章がつけられ、その完成度が高いため、ページ数が多ければ多いほど、文章の物語が進行するにつれ、挿絵に何かしら連続性を見せることになる。マクラウドの『マンガ学』においてコマとコマとの関係が幾つかに分けられた。まず瞬間から瞬間、動作から動作、主体から主体、場面から場面、局面から局面、関連なしの六つのパターンがあった(※清岡注。清岡は直接その文献で確認していないので実際と違う可能性あり)。『孫悟空、白骨の妖精と三度闘う(孫悟空三打白骨精)』の第一回の闘うを取り上げ見ながら連環画で使われる形式は何かについて考察していく。また物語の進行による図と絵の視線のアングルがどう変わるか見ていく。モノクロの連環画全部が各110枚だが、○○は各27枚、年画連環画全ては各12枚だった。これで場面から場面への意図が見える。ページ数が多ければ多いほど連環画の間の動作が高くなる。次に視線のアングルについて(※スクリーンで示されるのでこの記事中では説明不足になる)。「岩陰から女一人が出てきて」という文で、絵の中の岩と若い女に目が行く。「手が饅頭を入れた籠を指し、口には念仏を唱えて、満面の微笑みを浮かべながら」という文で、読者は若い女の細部の描写に目を走らせ、最後に「彼女は顔と…」という文を読んで、若い女の歩く方向に顔と形があるのを想像するだろう。このように絵と文を交互に見ていくことにより、読者はこの絵の内容を理解していく。この連環画は(格子枠?)があまり見あたらないが、見る順はほとんど上から。1コマを読むのに時間がかかり、経過のスピードは生まれにくいが、連環画のページがめくられていくという、ページから次のページへの過程で大きな横並びの動きを生み出す。登場人物の構造形態も時の流れもめくられる方向へ促される。
 最後に、連環画は中国特有の「マンガ」なのか、について問題提起を行ったが、連環画は確かにマンガの特徴である連続性、物語および大衆性という要素が見られるが、『孫悟空、白骨の妖精と三度闘う(孫悟空三打白骨精)』を見ていくと、コマ割を構成する、タームとなる物語の進行の絵や文字にほとんど頼らず、ダイナミックな動きの絵により主にストーリーが進められるようなマンガと違って、連環画は主に文と共に進行するため、どんな結末が立てられたかはっきり判る。また、文字の媒介、図と絵の媒介、さらに文字と挿絵の構成という視点をとって、文字の構成による図と絵の視線のアングルが変わってくる。今後は、白描のみならず、連環画の様々な描線方法をとりいれながら、文字と図と構成、連環画の図の方向による絵本としての可能性を探っていくことで、マンガに見られるような記号表現の使用についての研究を進めていきたい。


 質疑応答の時間というよりやはり大学院生の発表だから評価よりの時間。

Q. (※前回との報告に比べての評価の後)連環画の形式は絵物語に近い。マンガについても絵物語との連続の中で捉える場合と、今のように独立した形式、日本的なものとの関わりで捉える場合がある。今回の報告で、日本スタイルのマンガを相当、理論的に定義しておかないと、それぞれの比較や意図が有効に機能しないと改めて思った。絵物語に近いということを踏まえてさらに言うなら、二つ質問がある。一つは声の文化と連環画の読みはどう使われるのか。元々、テキストなのか、もしくは多くの人に読み聞かせするテキストとしてあるのか、そういう形跡があるのか。

A. ある。多くの人にきかせるために作り上げたりもある。

Q. 近代読者については日本のマンガ研究でもそのへんが重要な論点だ。例えば、草そうしとマンガとの図像を比較した場合、本当に草そうしをマンガとして捉えて良いのかという中で音読の問題、コミュニティーの問題を含め、この連環画がどうあったのか考えるのが一つ。もう一つはマンガの顔について考えたことがあるが、連環画に登場する顔は類型的な表現なのか個性があるのか。類型的にしか見えないが。

A. 連環画の描き方にもよる。連環画がいくつもあるが、もっとも伝統的な描写だと人の顔は同じ。若い女の子の顔は一緒。

(第三者からのコメント)北海道大学総合博物館の企画展で、連環画に出てくる悪役の顔といい人の顔を集めたパネルがあって、それを見るとやはり悪い人の顔は髭が生えてて目がつり上がっている等、正義の人はどういう顔等、類型的に分かれている。

・北海道大学総合博物館
http://www.museum.hokudai.ac.jp/

・越境するイメージ―メディアにうつる中国 - 北海道大学総合博物館
http://www.museum.hokudai.ac.jp/special/article/7/

Q. ある種のステレオタイプ化していくキャラクターと、それ以前の顔がそれ程、気にされないような時代における図像なのかどうか。近代的表現としてそうした条件と、連環画に描かれる表現がどう関わっているのか、結構、そうした時代背景と連続的に研究することが、実は日本のマンガらしさの中にもまだ研究しなければいけない余地を相対化できるチャンスがある気がする。さらに括弧付けにしないといけないが、もしかすると、日本と中国、韓国あたり、そういうのを繋ぐ可能性があるのかどうか。一般的に漢字を使う問題、フキダシの横広がり等、そういう違いにも敏感になってくる視点ということも、そういう背景と考えていくと見えてくるかもしれない。

(色つきのは何かとの質問で、年画連環画が何かについての確認応答の後)
C. マンガとの関係よりもむしろ中国のいろんなメディアとの関係、白話文学、京劇の話、しゃべる話もそうだが、言葉とどうなるかわからないが、年代的にも広がっていく気がする。
B. これはマンガなのかどうか知りたい。絵物語かどうか。
(しばし発表中のスライドにあった連環画の現在の購買層が中年男性ばかりだという話等になる)
A. 連環画は中国では絵がうまくないと描けない。
C. 画面構成に着目すると、(余白を文字で埋めようとしているのではなくて)あまり無駄がない。余白の使い方は効果的で、基本的に絵を埋めようとしている。表現が俯瞰的になる。風景は風景で引いて入れて、原理的に顔のアップなんか入ってこない。つまりそういう視点で物語を進めていくパターンに形式を修めている。腑に落ちる。消滅していく連環画はむしろメディア的な側面としては豆本などいろいろ行われているが、表現的には受容のあり方は中国の場合、近代的なものに追い付いてきたので、それはそうなるという気がする。
(※清岡メモ。つまり連環画はカメラワークに特徴があると。)

Q. マンガを描く方からの意見だが、フキダシがついていた連環画があったが、それは新しいのか。(※竹宮先生から。もちろんこの記事中では言葉遣い等そのままではなくこちらの都合で改変している。)

A. 新しい。民国時期からあった。映画からの影響があってフキダシをつけた。

Q. それはどこからの影響かわからないか。

A. 映画から。

Q. ちょっと風景が想像できない。子どもたちが街角で読んでいる写真があったが、読み聞かせをするってのは大人が子供へか。近所のおじさんが子どもを集めて聞かせる感じか。

A. そうだ。

Q. いつ頃からそのセリフを書かれたのか。いつ頃から四角いのか。
B. その関係から草そうしに遡った。それは『冒険ダン吉』などの絵物語まで継承される。

Q. 経緯がわかるが、いつごろなのか、日本とどういう関係にあるのか、もう少し知りたい。

A. もしかして日本からの影響を考えたが、でもフキダシは民国期からあった。

C. フキダシは何と呼ばれたか?

A. 話框 huàkuàng

※参照リンク
・中日辞書 北辞郎
http://www.ctrans.org/

D. フキダシが無くても意味は通じるのか

B. 絵の中のフキダシは意味を付け加えてくれないが、ズームインの役割を担う。文は過去形だが、フキダシは現在形。

E. 研究はどこに向かおうとしているのか。もう少し絞った方が良い。それとも総論にするのか。感想としてはパラパラと速読のようにできるのがすごく面白い。このジャンルがあって差別的だし感情的だし、なぜ廃れたのか、そのへんのことを紐解いていくと論文になっていくと思う。

F. (コマ割を多用する絵本についての研究者であると質問者の紹介があった後)気になったのが、連環画というのは最初の表現と最後の表現に変化があったのか。マンガというのは読者を大人に広げることによって、表現を広げた。絵本の方は読者を子どもに限定したが、子どもの方が変わることによって表現が変わった。連環画は何に集中していたのか、それに応じて変化があったのか。

A. 変化があった。特に1949年から今までは中国の社会問題などで変化があった。表現も変化があった。たとえば○○○という連環画は中国の場合は子ども向けといってかわいい子を描いて子どもに見せたが、今の場合は大人向けだ。

F. マンガは読者層の変化があってそれにより表現が変わったが、絵本は子どもに集中しているにもかかわらず表現の変化していった。連環画の読者層は、ページ数が多いので子どもという気がしなかった。

A. 読者層は子どもも含め様々。今日取り上げたのは代表的な連環画だ。

F. 読者層の違いによって表現の違いがあったか。

A. はい

C. 識字率や階級の違いはどうか。

A. 読者層によって変わる。連環画の元々は一般庶民のため。

B. もう一回、どうやった次のページに行くかなどをふくめ視線誘導を調べなおした上で、知りたい。

H. 私ならまず絵をみるので、いきなり文を読まない。

I. (中国の内部から何かないかという振りで)80年代、90年代に連環画を見ると、すごく難しい中国語があった、つまり文学性が高い中国語が書かれていた感じがあった。フキダシは口語的だった。そこで興味を持ったのは本当に一般大衆に受け入れられていたのかという点。(時間的にもあったので、今後の課題に)

※清岡メモ。この記事を書いている最中に連想したが、小松謙『「四大奇書」の研究』(汲古書院2010年11月10日)のP.92にある、毛本では呉観明本(李卓吾本の一つ)にある「斉桓晋文」「趙高王莽」「孫呉」「韜略」といった難解な単語が削られていることについて、「こうした、一見難しげな名称を説明なしに列挙して聞き手を煙に巻くというやり方は、おそらく講釈師の常套手段だったはずであり、明刊諸刊本もその伝統を引きついで、それほど教養の高くない読者への受けをねらったのであろう」という話を思い出した。

※関連記事 「四大奇書」の研究(2010年11月10日)

※追記 リンク:臺灣流行閲讀的上海連環圖畫(1945-1949) (2009年6月)

※追記 中国三大奇書の成立と受容(2006年10月2日-27日)

※追記 アイディア:古物商としての三国志ショップ

※追記 日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

※追記 議事録:三国創作における視覚的研究材についての情報交換会(仮題)(2012年7月5日)

※追記 三国演義連環画と横山三国志

※追記 三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー(2012年9月9日)

※追記 中国動漫新人類(2008年2月12日)

※追記 メモ:第6章 武侠漫画の映画的手法表現の成立をめぐって

※追記 ノート:「連環画」の転変(『月刊しにか』2000年10月)

※追記 知られざる中国〈連環画 (れんかんが) 〉(2015年4月25日-7月5日)

※追記 メモ:知られざる中国〈連環画 (れんかんが) 〉 ~これも「マンガ」?~ (2015年5月24日30日)

※追記 三國志研究第十号(2015年9月5日)

※追記 ノート:四川棒遣い人形展(2015年10月17日)

※追記 東京便り―中国図書情報 第25回(2016年1月)

※新規関連記事 連環図画 三国志(1927年初版 2002年6月印刷物)

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