Site Calendar

サイトカレンダをスキップ

2006年 09月
«
»
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

NAVI

ログイン

ログイン

新着情報

記事

新着記事 3件(24時間)

コメント (2日)

-

トラックバック (2日)

-

リンク (2週)

新しいリンクはありません

QRコード

QR code

アンケート

三国志ニュースのレポート系記事

三国志ニュースで書いて欲しいレポート系記事はどれ?

  •  三国志フェス
  •  三国志学会大会
  •  関プチ5全国ツアー
  •  魏晋南北朝史研究会関連
  •  三國夜話
  •  六間道三国志祭
  •  三国志TERAKOYA4
  •  三国志 義兄弟の宴
  •  東アジアの『三国志演義』/ベトナムの『三国志演義』
  •  zip,torrent(トレント),rar,lha,mediafire,pdf,DL(ダウンロード),nyaa等を含む検索語句(違法なフリーライド・無料閲覧関連)、あるいはBD・DVD自作ラベル、カスタムレーベル等を含む検索語句(著作権・肖像権侵害関連)に関する調査・研究

結果
他のアンケートを見る | 79 投票 | 0 コメント

サイトカレンダ - ピックアップ

記事 (19)

2005年『世界古典文学全集24 三国志』(筑摩書房)再版


  • 2006年9月28日(木) 12:46 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    7,744
書籍  三国志関連のコミュニティで結構、見かける質問に三国志(俗に言う「正史」の方)の完訳本(日本語訳)を教えて?ってのがあるけど、そういうとき、私だったら筑摩書房から出ている二種類をあげてみる。いわゆるハードカバー版と文庫版の二種類。下のリンク先参照。

・「正史 三国志の翻訳について」(サポ板内投稿)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=285

 上のリンク先には書いてないんだけど、実はハードカバー版は絶版になったとのこと。

・復刊リクエスト投票ページ(復刊ドットコム内)
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=1942

 まあハードカバー版がほぼそのまま文庫化されたんだし、値段も文庫版の方が安いので、ハードカバー版が売ってなくても問題ないようなに思えるが、個人的にはハードカバー版の方をおすすめする。というのも文庫版8冊に対し、ハードカバー版は3冊で、持ち運ぶには不便な大きさだけど、家で読む場合や何かを探すときには冊数が少ない方が使い勝手がよい。ちなみにハードカバー版の内訳は1冊目が魏書の大半で、2冊目が魏書と蜀書、3冊目まるまるが呉書となっているので、蜀書だけとか呉書だけとか調べたり読んだりするのには便利。呉書の巻末には年表やら官職表やら人名索引がついている(これは文庫版の方にもついているらしい)。
 さらにごく個人的な感想をいえば、ハードカバー版には『正史 三国志』なんて誤解をまねくようなタイトルはついていないところも良い(→参照記事「歴史と小説」

 そんなおりに見かけたのがこのハードカバー、つまり『世界古典文学全集24 三国志』(筑摩書房)の再販のニュース。といってもどうやら2005年のニュースらしい。下記のように於菟先生のブログ記事より。

・中国の文学と美学・人虎窟の世界
http://yellow.ap.teacup.com/kadowaki/
・「日本中国学会報・学界展望2005年「文学」(14)」
http://yellow.ap.teacup.com/kadowaki/428.html
※「(14)」は実際には丸に14が入った文字。機種依存性文字のためここでは書き換えている

 ここではごく端的な部分を紹介したけど「日本中国学会報・学界展望2005年」の記事全体はとても興味深いので、下にリンクはっておく。各記事の数字に直リンクしている。

(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (再修正版)

 話を戻して、実際に筑摩書房のサイトに行って「三国志」と検索するとハードカバー版のばら売りの在庫はないものもあったが三冊セット販売は在庫があった。

・筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/

 ちょいとばら売りも含めデータをあげてみる。

○筑摩世界古典文学全集 三国志3冊セット
刊行年月日:1991年10月29日
定価:21,420円
ISBN:4-480-20399-0

○筑摩世界古典文学全集24A 三国志1
刊行年月日:1977年6月29日
定価:7,140円
ISBN:4-480-20324-9
 今鷹真・井波律子訳/訳

○筑摩世界古典文学全集24B 三国志2
刊行年月日:1982年2月18日
定価:7,140円
ISBN:4-480-20352-4
 今鷹真・小南一郎・井波律子/訳

○筑摩世界古典文学全集24C 三国志3
刊行年月日:1989年4月21日
定価:7,140円
ISBN:4-480-20354-0
 小南一郎/訳

 1冊目が1977年6月29日刊行で三冊目が1989年4月21日というのは驚き。それだけ全訳には労力と時間のかかるものなんだと思った。
 私が買ったのはおそらく3冊セット。学研歴史群像シリーズでそういう訳本があることを知って悩みつつも購入した覚えがある。当時は確か1冊5000円代で3冊セットでも18000円以内で買えたような記憶があるんだけど、消費税の関係上、高くなっている? ちなみに文庫版全8冊セットだと12600円なので、値段的に言えば文庫版の方が購入しやすい。

2006年9月28日ニンテンドーDS版「雀・三國無双」発売


  • 2006年9月26日(火) 18:06 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,146
ゲーム 気付いたら、もう発売日が迫っているのか。
KOEIからニンテンドーDS版「雀・三國無双」が2006年9月28日に発売される。
KOEIの人気シリーズである真・三國無双シリーズのキャラクターが出てくる麻雀ゲーム。2006年3月23日にPS2版の「雀・三國無双」はすでに発売されている。
KOEIも徐々にニンテンドーDSへ自社タイトルを出しているなぁ。
詳しくは下記のリンク先へ。

・KOEI NINTENDO DS PORTAL SITE
http://www.gamecity.ne.jp/ds/
・ニンテンドーDS版 『雀・三國無双』
http://www.gamecity.ne.jp/ds/jmusou/

余談だけど、この「雀・三國無双」に「無双闘牌」モードというのがあって、それは真・三國無双シリーズの無双モード同様、ストーリーをすすめていくモード。
ただ無双モードでは人物を選ぶのに対し、こちらは魏伝、呉伝、蜀伝の三つから選ぶそうな。
しかしこのネーミング、あるゲームを連想してしまう。
そういえば、SEGAのニンテンドーDSのゲーム「三国志大戦DS」は2007年1月25日発売ってことで、KOEIの迎撃とも見て取れるな。

・2006年8月2日 「三国志大戦DS」公式サイトオープン
http://cte.main.jp/newsch/article.php/375

桑原隲蔵/著「支那史上の偉人(孔子と孔明)」


  • 2006年9月26日(火) 17:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,756
書籍  ちょいと自分の文体について悩むことがあって、青空文庫で古典を眺めようかとアクセスしてみる。

・青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/

 私はあまり青空文庫を利用しないので、来るたびに個人的な新たな発見をしてしまうんだけど(前回は捜神記の日本語訳だっけ)、今回も例外にならず、「分野別」ってところを見かけ、クリックする。それでさらに本来の目的を忘れ、「2 歴史」→「22 アジア史.東洋史」→「222 中国」とページを辿ってしまったんだけど、そこで目に付いたのが

・桑原隲蔵/著「支那史上の偉人(孔子と孔明)」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/card3537.html

 これって三国志学会第一回大会で狩野直禎先生が講演でおっしゃっていた文章(下記リンク先参照)だな、と思い出しつつ、読んでいた。

・三国志学会第一回大会ノート6
http://cte.main.jp/newsch/article.php/407

 公演中におっしゃっていた平田篤胤先生のエピソードが「支那史上の偉人(孔子と孔明)」に載っていることを確認。
 桑原隲蔵先生って「東漢の班超」の冒頭にも孔子と孔明のことを書かれているね。

2006年9月17日「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」ノート


  • 2006年9月22日(金) 12:08 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,023
研究

後から撮った会場の様子。開始10分前 2006年9月17日に長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」が開催されること、さらにそれは一般聴講可能だと聞き及び、前日、清岡は関西から東京入りする。
 当日、同じく関西からのしずかさんと共に東京メトロ丸ノ内線で会場となるお茶の水女子大学最寄り駅、茗荷谷駅に向かう。
 茗荷谷駅から歩いて北上し、途中のコンビニで飲料水を買いつつ、やってきたのはお茶の水女子大学の正門。正門近くのお茶の水女子大学附属高等学校で輝鏡祭(学園祭)をやっているようで華やか。
 それを尻目に会場となる理学部3号館へ向かう。前のスーツ姿の人の後をつけて、3号館の2階から入り、エレベータで7階へ。7階についてエレベータを出ると前は汲古書院などの店舗となっていて、そこから会場を探し歩く。
 7階は狭く細長い一本の廊下があるだけなので、少し階段を上がったりしつつそれをずんずん進んでいくと、廊下の突き当たりに受付があったので、受付をすまし、予稿集とレジュメを受け取り、廊下突き当たり左手の701教室へ入る。予稿集は「長沙呉簡研究報告」第1集・第2集と似た構成で、茶色の厚紙が表紙で、表紙が目次代わりとなっている。
 どこに座ろうかと、会場向かって右側の通路を通っていると、不意に仁雛さんに声をかけられ、軽く挨拶する。席を真ん中左寄り、前から四列目を確保。10時開始の10分前だけどまわりにあまり人が座っていないのが気になった。ほとんどの人は後や右の端っこの方に座っている。
 専門外の清岡は全く気付かなかったけど、しずかさんによると、入り口側、つまり会場向かって右側に席には著名な先生方がかたまっているとのこと。前日、同大学で「第6回魏晋南北朝史研究会大会」があったので、その流れかな、と話していた。

・「第6回魏晋南北朝史研究会大会」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/4182734

 当時もそうだけど、上記記事をみると興味深いので聴講しにいけばよかったと後悔。

 会場の様子は右上の写真のようになっている。プログラム等は以下の通り。【直前情報】長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」關尾史郎先生のブログ内記事)のほぼまる写し

----------------------------------------------
○長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」

日時:2006年9月17日日曜日、10:00~17:00
会場:お茶の水女子大学・理学部3号館7階701教室
主催:長沙呉簡研究会

総合司会:三崎良章(早稲田大学)

プログラム:
開会挨拶(10:00~10:10):窪添慶文(お茶の水女子大学)
主旨説明(10:10~10:25):關尾史郎(新潟大学)

報告I(10:30~11:05):阿部幸信(日本女子大学)「嘉禾吏民田家[艸/別]数値データの整理と活用」
 ※文字コードの表示上の都合から[艸/別]は「別」の字にくさかんむりをつけた字という意味、以下、同じ

報告II(11:10~11:45):小嶋茂稔(東京学芸大学)「後漢孫呉交替期における臨湘県の統治機構と在地社会-走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の記述の比較を通して-」

報告III(11:50~12:25):町田隆吉(桜美林大学)「長沙呉簡よりみた戸について-三国呉の家族構成に関する初歩的考察-」

昼食・休憩(12:25~13:30)

報告IV(13:30~14:05):王素(中国・故宮博物院)「中日長沙呉簡研究述評」

報告V(14:10~14:45):宋少華(中国・長沙簡牘博物館)「長沙出土簡牘的調査」

報告VI(14:50~15:25):羅新(中国・北京大学)「従〈呉簡研究〉看呉簡研究所面臨的困難」

・休憩(15:25~15:45)

パネルディスカッション(15:45~16:45)
 コメンテーター:朴漢済(韓国・ソウル大学校)

・閉会挨拶(16:50~17:00):伊藤敏雄(大阪教育大学)

----------------------------------------------
 また以下のリンクは開催後の記事

・長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界―三国志を超えて―」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/4174556


 それにしてもこのシンポジウム、タイトルに「三国志を超えて」とあるんだけど、個人的に史書である『三国志』にない情報がたくさん長沙呉簡に含まれているという意味で「超えて」だと思っていた。シンポジウムが終わった後、幸さんの話によると、三崎良章先生から「(このシンポジウムには)三国志はないですよ」というようなことを言われたとのこと。それをきいて清岡は、『三国志』を飛び「超えて」しまって通り過ぎたという意味で『三国志』はないんだ、なんてアホなことを思っていた。

・「長沙呉簡の世界」ノート1へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/421


※追記 新出魏晋簡牘をめぐる諸問題(2009年9月13日)

※追記 レポート:関プチ5 全国ツアー:6/22特別講座「新発見!三国志と日本」勝手に予習(2014年6月22日)  

2006年9月23日 100人の偉人2 美女編(日本テレビ系列の番組)


  • 2006年9月22日(金) 07:41 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,938
テレビ 日本テレビ系列で2006年9月23日土曜日の21時から2時間半程度にわたって「100人の偉人2 美女編 ニッポン人が好きな美女ベスト100発表」という番組が放送される。

・100人の偉人 美女編~ニッポン人が好きな100人の美人~
http://www.ntv.co.jp/ijin/index.html

前回、5月7日の「ニッポン人が好きな100人の偉人」では三国志に載っている人物として、68位 曹操、44位 卑弥呼、28位 諸葛亮孔明が出てきたけど、今回はどうかな? 案外、三国志平話や三国演義の登場人物、貂蝉が出てきたりしてね。

・2006年5月7日 ニッポン人が好きな100人の偉人(日本テレビ系列の番組)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/355

番組の紹介文をみると三国志の魏書三十 烏丸鮮卑東夷傳第三十にでてくる卑弥呼の登場は確定のようだ。住田裕子弁護士が演じるとのこと。
<追記>
卑弥呼は31位でした。一位は夏目雅子。
第三弾は天才編とのこと。すでに投票ができて選択肢にある三国志の人物は政治家に卑弥呼、武将・軍人・剣豪に諸葛孔明。
http://www.ntv.co.jp/ijin/index.html


・2007年1月5日 100人の偉人 天才編(日本テレビ系列の番組)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/477

2006年9月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン10月号)


  • 2006年9月21日(木) 08:01 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,118
マンガ

漫画雑誌の「月刊少年ガンガン」に「ブレイド三国志」ってのが連載されている。
原案・構成が真壁太陽さんで作画が壱河柳乃助さん
第四回「俺の屍を越えて行け」ね。

表紙には「ブレイド三国志単行本12月発売決定」という文字がある。おぉ、早くも単行本?
そしてもう一つニュースなのが2006年9月30日発売の『ガンガン・カスタム』で「ブレイド三国志外伝 グリフォン・ブレイド」が掲載される。こっちは趙雲ブレイドが主役とのこと。

話の前に物語の人物紹介と人物関係のページ、話の後にに三国志講座のページとバックアップ体制は万全。

・ガンガンNET
http://gangan.square-enix.co.jp/
・2006年8月12日「ブレイド三国志」(月刊少年ガンガン9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/379

以下、ネタバレ含む。
前回に引き続き孫策と公孫[王賛]の戦いの続き。何か、一般人にも見ることができる軍馬の幻影みたいのが出てくる。
それで孫策ブレイドは歌手とのことで声で能力に目覚めることに。

孫策といえば大声っ!! 声で敵将を撃ち破るといわれるほどだった

というような解説じみたセリフが入るんだけど、大声といえば、後漢書公孫[王賛]伝に

為人美姿貌、大音聲、言事辯慧。

とあるようにどちらかというと公孫[王賛]の方なんだけど(汗)

ともあれ孫策が勝ち、孫策の父の孫堅ブレイドの話をからませつつ物語がとんとん拍子にすすむ。途中で張[合β]ブレイドがでてきたりと、物語に膨らみが出て来るんだけど……

これって今回で終わり?

あまり明記されていないけど次回予告もないし三国志講座も終わるし。『ガンガン・カスタム』で移籍ってことでOK?
<追記>
『ガンガン・カスタム』では読み切りなんで、一区切りついたってところだろうか。ジャンプ的にいえば「第一部 完」


・2006年9月30日「グリフォンブレイド」(ガンガンカスタムNo.01)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/432
 

2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売


  • 2006年9月20日(水) 12:12 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,452
マンガ  三国志およびその注に名が出ている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビ中心の漫画。このコンビが奇々怪々な事件を解決するのが話の骨格。特に歴史事実に縛られることなくオリジナリティ豊かに描かれる。少女漫画誌である月刊ミステリーボニータに連載中。
 2006年4月14日の一巻に引き続き、「ふしぎ道士伝 八卦の空」(ボニータコミックスα)というタイトルで第2巻が発売された。
 まだ読んでいない人は今、読み始めるのがお得。2巻の頭が読みきりで登場人物の人間関係や性格もわかりやすいんで、2巻から読んでも充分、話についていけるけど、どうせだったら1巻と2巻まとめ買いして一気にじっくり読んでいきましょう。そうすると「八卦の空」の魅力ある物語世界に引き込まれることでしょう。

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
※2006年9月15日現在、2巻の表紙原画公開中

・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/

・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/

○それから上記二つのサイト内のブログの単行本2巻発売記事
・ふしぎ道士伝 八卦の空 2
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=383508
・書店用POPその1
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=640719
・書店用POPその2
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=641952
・ふしぎ道士伝「八卦の空」コミックス第2巻!!発売中!
http://bluefan.exblog.jp/3814124/

 1巻発売のときは行きつけの月刊ミステリーボニータが置いてある書店で置いてなかったんだけど、今回は人気がどんどん高まっているためか1巻と共に置いてあったので、発売日に購入できる。おかげさまで連休中の旅のお供にさせてもらった♪ 連載時に読んだけど、もう一度、通して読むと一巻の話の流れやら人間関係やらで話の深みを感じることができてさらに面白くなっていた。
 表紙は上記の他のサイトの記事にあるように1巻と同じく玄龍くんピン。前巻より華やかさがアップしてる。裏表紙に一巻と同様、管ちゃんの絵が入る。

・2006年4月14日「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/322

 それで今回の収録作品は最後のページにある「[初出一覧]」によると次のようになる。

[初出一覧]
県庁の怪:'05年ミステリーボニータ9月号掲載
僕の瑞星:'05年ミステリーボニータ10月号掲載
神亀:'05年ミステリーボニータ11月号掲載
書虫子:'05年ミステリーボニータ12月号掲載
巫炎(一)~(六):'06年ミステリーボニータ3月号~8月号掲載

※書虫子は「ほんのむし」と読む

 元々、それぞれの話にはタイトルがついていなかったので、そういうところも単行本化で楽しめるところ。連載時には各話のタイトルのところには「八卦の空」と入っていたんだよね。
 というわけで連載時に三国志ニュースでとりあげた記事にリンクを張っておく。ほとんど『2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売』の記事のまんまだけど。

○県庁の怪 '05年ミステリーボニータ9月号掲載 24p

☆管ちゃん&玄龍くんの子ども時代
○僕の瑞星 05年ミステリーボニータ10月号掲載 24p
○神亀 '05年ミステリーボニータ11月号掲載 24p

○書虫子 '05年ミステリーボニータ12月号掲載 28p

☆巫炎編
○巫炎(一) '06年ミステリーボニータ3月号掲載 32p
○巫炎(二) '06年ミステリーボニータ4月号掲載 32p
○巫炎(三) '06年ミステリーボニータ5月号掲載 32p
○巫炎(四) '06年ミステリーボニータ6月号掲載 32p
○巫炎(五) '06年ミステリーボニータ7月号掲載 32p
○巫炎(六) '06年ミステリーボニータ8月号掲載 32p

 今回、単行本のページの都合上、掲載されなかった話は'06年ミステリーボニータ2月号。3巻のオープニングを飾るのかな?

○ '06年ミステリーボニータ2月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/263

 私は'05年ミステリーボニータ9月号から「八卦の空」を見始めたので、それがまるまるコミックになったのでとても感慨深い。
 それから単行本に挟まれているチラシは何気にアンケートもついているんで、それに八卦の空のことを書いてハガキに貼って出版社に送ると良いかも。

<次巻>『ふしぎ道士伝 八卦の空』3巻発行(2007年6月15日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/626

※追記 イケメン“三国志”特集!!(ミステリーボニータ2010年12月6日)

文物圖象研究資料庫 全文檢索


  • 2006年9月16日(土) 22:22 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    4,631
歴史  9月17日に長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」があってそれに一般聴講しにいくんだけど、それにおつむを無理からにでもあわせるため、最近は暇を見つけて「長沙呉簡研究報告」第1集や第2集に目を通している日々だ。
 そういえばよくよく思い出してみると、こういう出土資料に目を向けるようになったのは、昔からもっと当時の息吹を感じられる資料を欲していたのは確かだけど、決定的になったのは籾山明/著「漢帝国と辺境社会」という本のおかげ。こんな小さく手軽に持ち運べる本なのに得る物が多すぎる。対象となる時代は前漢時代と三国時代より古いけど、三国創作に携わる人は是非、読んで欲しい本。

・籾山明/著「漢帝国と辺境社会」
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=165

 その本でここで多くとりあえられているのが居延漢簡。エチナ河流域で発掘された漢代の木簡。漢代では「居延」と呼ばれる地域で発掘されたので居延漢簡と呼ばれるとのこと。

 その木簡の内容を含め、いくつかの出土資料に書かれた文を検索できるウェブページがあることを思い出す。一度、見かけブックマークしてそのままだったんだけど、今改めてとなかなか面白いページ。中央研究院歴史語言研究所の文物圖象研究室のサイトの一コンテンツだ(下記)。検索元となる文献も検索結果として出てくる。

・中央研究院歴史語言研究所 文物圖象研究室
http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/index.html

・文物圖象研究資料庫 全文檢索
http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/search.htm

 これだけだとわかりにくいんで、このサイトを知るきっかけとなったサイトとそこを紹介したページをあげておく。

・睡人亭
http://www.shuiren.org/

・文物圖象研究資料庫マニュアル
http://www.shuiren.org/chuden/toyoshi/zuzou/index-j.html

 以前、紹介した曹全碑の全文を検索できたり、当時の成人女性の名前の例を知りたければ「大女」というワードで検索をかけたり、あれこれ楽しむことができる。

 長沙呉簡の内容も将来的にこうやって検索できるようになるといいんだけど。


※追記 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)

※追記 リンク:「漢代における郡県の構造について」

※追記 メモ:「功次による昇進制度の形成」

※追記 第24回下鴨納涼古本まつり(京都古書研究会2011年8月11日-16日)

2006年9月16日演劇「徳島三国志」


  • 2006年9月15日(金) 12:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,661
ショー  最近、「徳島三国志」という検索ワードが多くて、てっきり去年の徳島城博物館の「三国志展」を今頃になって検索されていると思って再検索しなかったが、違った!
 徳島ニュービジネス協議会設立10周年記念事業の一環(徳島ビジネスチャレンジメッセ2006の一環)で、協議会の会員有志が2006年9月16日に徳島ビジネスチャレンジメッセ会場で演劇をやるとのこと。詳しくは下記サイトの「設立10周年記念事業」の「徳島三国志」を参照のこと。

・徳島ニュービジネス協議会
http://www.tnbc.or.jp/

以下、演劇情報引用。

--------------------------------------
2006年9月16日(土)
開場:午後1時 開演:午後1時 30分
場所:徳島ビジネスチャレンジメッセ会場
    (アスティとくしま 3階)
--------------------------------------

 それで、ポスターがどこか別の土地、別の時代っぽかったので、そのまんま三国志関連の演劇かと思ったら違った。以下の徳島ニュービジネス協議会のページからの引用のように現代劇とのこと。

--------------------------------------
協議会の会員有志が、経済問題をベースにした演劇を上演します。
※現代劇です
--------------------------------------

 キャスティングをみると、○○社長役とか○○専務役とか女子社員A役(笑)とか見えるんで、もろ現代劇。
 それからあのポスターの拡大画像と制作話とかが下記のブログの記事で見ることが出来る。よく見ると、現代的な物を手に持っているのか。

・【ほぼ日刊】デザインな現場
http://adfahren.jugem.jp/
・【演劇】徳島・三国志
http://adfahren.jugem.jp/?eid=223

2006年9月5日「三国志大戦2」Ver.2.01にバージョンアップ


  • 2006年9月14日(木) 21:56 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,260
ゲーム

 未だに「三国志大戦2」を「三国志対戦2」と誤って検索してくる人が後を絶たないので、啓蒙の意味でも記事を書いておこう。
「三国志対戦2」は微妙に字が間違いってるぞ。早く気づけよ。この情報社会で大きく損してるぞ

さて、三国志大戦公式サイトによると、9月5日より三国志大戦2がVer.2.01にバージョンアップした。群雄伝に董卓伝と袁紹伝が目新しいな。つかますます真・三國無双かその猛将伝の無双モードを連想してしまうんだけど。

・三国志大戦2公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/

・Ver.2.0
http://cte.main.jp/newsch/article.php/343

・DS版
http://cte.main.jp/newsch/article.php/375
 

三国志漫画劉備くんファンブック(仮)


  • 2006年9月14日(木) 21:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,745
ネット  2006年7月27日にサイト「曹洪の三国志」が更新再開しネットでしか読めない漫画、「三国志漫画劉備くん」の連載も再開し、すぐに86話、87話が公開され、現在、もう90話まで公開されている。
 まったくの未見の人は騙されたと思って、先入観なしに読みすすめるのをお勧めする。

・サイト「曹洪の三国志」
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Cell/6435/

・2006年7月27日 「曹洪の三国志」再開
http://cte.main.jp/newsch/article.php/372

 そんな「三国志漫画劉備くん」だけど、実は公式ファンサイトがあるぐらい人気なのだ。

・「三国志漫画劉備くん同盟」
http://f13.aaa.livedoor.jp/~ryubikun/

 そのファンサイトで9月2日に持ち上がった企画が「三国志漫画劉備くんファンブック(仮)」を作ろうって企画。まだ企画が持ち上がったばかりなので、「本のタイトル」やら「本の方向性」やらを公募している段階。掲示板にツリーが立っているので、何かアイディアがあればそこに書き込めば良いかも。

三国志学会第一回大会懇親会


  • 2006年9月13日(水) 22:36 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,286
研究 ・三国志学会第一回大会ノート6の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/407

 三国志学会第一回大会は17時に予定通りに無事終了。
 プログラム通りだと18時から希望者は懇親会だ。
 ここで渡邉義浩先生によるアナウンス。それによると、余裕を持って17時半に終わると考え、その後の予定もその通りに組んだとのこと。懇親会の会場は大東文化大学の板橋キャンパスになるとのことなので、そこまでチャーターしたバスで移動する手順。予想外にきちんと時間通りに終わったので、30分程度、大東文化会館での待ち時間となる。

 とりあえず清岡KJさんやらUSHISUKEさんやらげんりゅうさんやらミミまろさんやらたいがあさんやらそれぞれとしゃべったりしていて時間をつぶしていた。何の話してたっけ? USHISUKEさんとKJさんが全国津々浦々に我々のような三国志ファンの集まりがあるはずって話かな。そういった草の根の集まりと連絡をとりあって連携をとりたいなぁなんて言っていた。それは必ずしもネットにつないでいる集まりではないからどうやって把握しようって話かな。清岡は実現性を考えないと前置きをおいて我々がイベントやら講演やらの巡業をすればいいんじゃない?なんて言ってた。あとミミまろさんとは清岡が手に持つ礼記の訳本を元にした話(殿下、陛下の語源をお聞きしたり)、たいがあさんとはやっぱりテイラー訳の種本の話をしていた。
 時間になって呼びかけがあったんで、地下のバス発着場に降りると、大型のバスが二台きていた。みんなで同じバスへ乗り込む。

 大東文化大学板橋校舎に到着し、案内されたところは食堂みたいなところ。「大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot」とのこと。

○懇親会(18時-) 会 場:大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot

 そこにはテーブルが10ぐらい用意されていて、みなさん、用意された荷物置き場に荷物をおいて、自由にそれぞれのテーブルへ陣取る。
 案の定、我々6人だけが一つのテーブルにかたまった。

 そして懇親会は、沈伯俊先生からの乾杯のご挨拶から始まる。
 一同「乾杯!」、そして満場拍手。
 懇親会のお料理はバイキング形式+立食パーティー形式。こういうときは清岡は話すよりも何よりも真っ先にお料理を取りに行く(汗)

 遠目で岡崎先生を見かけたので、宣和堂電網頁のオフ会の受け売りな上に冗談で、げんりゅうさんに「田中芳樹先生のこと、聞いてきてくださいよぉ」なんて言っていた(私自身、田中芳樹先生のご著作をまとまって読んでいないので実行できなかったが)。
 それから6人であれこれお話。この6人だと三国志関連のネットの話とかネット上の知り合いの話とかの話になりがち。

 それで我々6人専用と化していたテーブルへの初のお客様はKJさんのお知り合いの池田雅典さん(※清岡は初対面だったので初め誰だかわからないでいた)。今回、スタッフをされていて、あれこれ裏方のお話をしてくださる。
 その次のお客さんが11歳の女の子とそのお母さん(と思われる女性)。実は三国志学会第一回大会の会場でこのお二人のすぐ後ろに我々が陣取っていたので、どの講演でもこの女の子が熱心にノートをとっていたのを我々は知っていた。
 それで我々のところへ来た用件というのが、USHISUKEさんが質疑応答で名乗った「NPO三国志フォーラム」についてそれは何の団体かって聞きに来たとのこと。ということで代表者のUSHISUKEさんに説明してもらう……ってまだ団体の実体はほとんどない(汗) それでメンバーのサイトなどを紹介したり。「NPO三国志フォーラム」のお客さん第一号だ。
 その後、その女の子は「三国志の舞台」という本を手に作者の田中靖彦先生の元へサインを貰いに行っていた。

 その後、我々6人のところへ来たお客さんは仁雛さん。清岡とあれこれ話をした。それにしても国際シンポジウムの定義は外国人の方が参加していたらそういうことだとのこと。それから画像石を使う場合の著作権の話とか(まるまるスキャンはその絵の著者や撮影者の著作権に抵触するので駄目だけど、スケッチだとOKだとか)。あと仁雛さんとげんりゅうさんとに意外なつながりがあったことが判明。しばしお二人でローカルトークで盛り上がる。その後、仁雛さんはKJさんと三国時代の地理関連の話をされていた。

 お次のゲスト(?)はビッグなゲスト。USHISUKEさんのところへ澤章敏先生がいらっしゃる。やっぱりこれも質疑応答がきっかけになってるね。場所が遠かったので何を話していたかわからなかったけど、結構、長い間、熱心にUSHISUKEさん、聴いていたなぁ。

 19時ごろ、狩野直禎先生による三国志学会第一回大会に対する総評が入る。おっしゃるとおり会を追うごとに会員が増えると良いなぁ。

 それから誰か確認とってないけど、たいがあさんのところへお客さん。こちらもやっぱり質疑応答がきっかけになってる。
 狩野先生の総評をまたいで、仁雛さんとKJさんと熱心に話していて、さらに清岡が加わり交代し(笑)、結構、長い間、あれこれ話していた。「漢代の文物」が共同研究の成果の本だから市販されていない幻の書だったとか、画像石に異民族はなかなか書かれていないとか、学生を中国に送り込む方式(?)とかあれこれ。

 その後、また6人で話していたんだけど、ここで、たいがあさんからネット関連のビッグニュースをきく。さっそくその夜……というかオフ会への移動最中、三国志ニュースの記事にしたんだけどね。



 20時ごろ、そうこうしている間に懇親会も終了の宣言。
 帰り方の概要が説明された後、石井仁先生から締めの挨拶。
 「この席は三国演義でいうところの桃園結義」とおっしゃり場内をわかせる。満場拍手。
 その後、渡邉義浩先生が「来年は三顧の礼1800年記念でございますから、来年もお会いしたいと」と場内をわかせ、さらに「再来年は赤壁の戦いで」とさらに場内を沸かせ、解散。

 お別れの挨拶をそれぞれの人に言って、スタッフの方が先導してくれる帰り道にそれぞれ別れる。
……とそのまま6人、別れるはずだったんだけど、仁雛さんのこの後、飲みに行くのかって質問になぜか再結集する。USHISUKEさん、げんりゅうさん、KJさん、清岡、ミミまろさん、仁雛さんの6人が池袋で軽く飲みに行くことに(清岡が乗る夜行バスの出発時間がリミット)。
 スタッフの池田雅典さんが先導するままに東武練馬駅行きのバス停へ向かって歩き出し、会場を後にした。


・第3回三国志シンポジウム 雑感(2007年7月28日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/661


<次回>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/679

(中国情報局のコラム)名場面と人物で見る三国志(1)~(8)


  • 2006年9月11日(月) 12:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,317
ネット  サイト「むじん書院」の即席掲示板で気付いたんだけど、ポータルサイトの中国情報局(サーチナ、searchina)で慶應義塾大学非常勤講師の伊藤晋太郎先生による「名場面と人物で見る三国志」というコラムが月一程度のペースで連載されている。ちゃんと歴史上の話をふまえた上で三国演義に込められた意味や時代背景について触れられていて面白い。

・中国情報局
http://searchina.ne.jp/
※リンク規定をみると、トップページ以外のページには連絡しないといけないんで、例のごとくトップページだけはっときます
 上記サイトの検索フォームで「三国志」(ニュースのところ)って入力して検索してください。

○名場面と人物で見る三国志
(1)2006/06/11(日) 14:06 桃園結義と劉備:一貫して「政を為すに徳を以てす」
(2)2006/07/09(日) 14:26 連環の計と貂蝉:悪女から中国四大美女の1人へ
(3)2006/08/13(日) 17:44 千里独行と関羽:死後には神に、顕彰された忠と義
(4)2006/09/10(日) 15:20 三顧の礼と諸葛亮:劉備に指針を与えた天下の奇才


 内輪の話だけど、三国志ニュースで「三国志学会第一回大会ノート5」という記事を書いて以来、http://www.google.com/ とかからやたら「伊藤晋太郎」というワードで検索されてくる方が多かったので、どうしてかな、と思ったら、中国情報局でコラムを連載している先生だったんだね。というか、私、コラムに気付くの遅すぎ(汗)
 あと、コラムの記事中で何気に三国志学会の宣伝をしているのが何だか微笑ましい。


11月15日追記
○名場面と人物で見る三国志
(5)2006/10/08(日) 15:54:01 博望坡の戦いと諸葛亮:デビュー戦で見せた神算
(6)2006/11/12(日) 15:58:00 長坂の戦いと張飛:美男子説もある勇猛な豪傑

 最近、「張飛」とセットで「美人」やら「美女」やらの検索が続いたと思ったら、これが原因ね。

2007年1月22日追記
○名場面と人物で見る三国志
(7)2006/12/10(日) 16:36:01 赤壁の戦いと曹操:文学にも秀でた中原の覇者
(8)2007/01/21(日) 15:58:04 荊州争奪戦と周瑜:小説では割を食った設定に


<2007年5月20日追記>
(9)2007/02/18(日) 12:20 単刀会と周倉:関羽の脇侍として祀られる
(10)2007/03/18(日) 15:32 荊州失陥と関羽:独断で出陣した真の目的
(11)2007/04/22(日) 15:56 諸葛亮の北伐と姜維:小説では諸葛亮を破る
(12)2007/05/20(日) 15:02 夏侯覇の投降と張飛:張飛と曹操は親戚?

「張飛と曹操は親戚」というと三国志ファンの騒動を思い出すけど、そういうダーク面はさすがに触れられていない。当たり前か。。。

※参照記事
・2005年3月28日 別冊宝島1133 三国志 僕たちの英雄伝説
http://cte.main.jp/newsch/article.php/94

「名場面と人物で見る三国志」自体12回で連載終了とのこと。

※関連記事
・(中国情報局のコラム)「名場面と人物で見る三国志」完結
http://cte.main.jp/newsch/article.php/594

三国志学会第一回大会ノート6


  • 2006年9月10日(日) 23:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,653
研究 ・三国志学会第一回大会ノート5の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/405


 司会の渡邉義浩先生から狩野直禎先生の紹介が入る。狩野先生がご著作の『諸葛孔明』を書くに至ったか、のご講演とのこと。

○狩野直禎(三国志学会会長、元京都女子大学学長)「私と三国志」

 レジュメは縦書き手書きの5枚。ある意味、貴重なレジュメ。

 先祖は熊本肥後。(転勤族の)父親が初めて東京に赴任したときに狩野先生がお生まれになったとのこと。大半は京都にいらっしゃったとのこと。
 小学校5年生のときに再び東京へ転勤。夏休みに引っ越し。そういう意味で友達がいなかったので両親が佐藤春夫/著『支那文學選』(新潮社、新日本少年少女文庫14)を買ってくださったとのこと。
 ここで狩野先生が初めて三国志の存在を知ったとのこと。そこのエピソードは「天下の英雄は君と僕だけさ」「五丈原の戦ひ」など。そこの解説では三国時代は我が国の神功皇后の時代、と解説があったそうな。さらに引用した書物の簡単な解説があるとのこと。そこに『三国志演義』と『三国志』の解説があったそうな。狩野先生がこの本で印象に残ったのは「故郷(ふるさと)」と題したもの。魯迅の「故郷」を訳したもの。
 1942年3月に小学校卒業。
 当時は義務教育6年間。狩野先生は東京の中学校進学。当時の主要教科は英数國漢だそうな。現代では考えられないが漢文の授業があった。教科書は簡野道明『新修漢文』。最初は簡単だが(江戸時代に書かれた漢文)、十八史略など入ってきて、曹植「七歩詩」などがあったそうな。歴史(社会の一つじゃなく独立している。)は一年が日本史、二年が東洋史、三年が西洋史、四年がふたたび日本史だったとのこと。そのとき二年の教科書は羽田亨『中等東洋史』とのこと。仏教がらみでインド史が入ってくる程度。三国時代も当然、入ってくるが30分か1時間程度。
 1944年で中学三年生。労働に使われたりしたそうな。狩野先生は防空壕の木材を運んだりしたとのこと。そのため西洋史については勉強する機会がなかったそうな。そのうち空襲が始まる。京都に帰る。京都府立の中学に転校。戦争が終わったら終わったで車掌として労働にかり出されていたとのこと。
 その後、出師表について授業を受けたそうな(教科書、土井晩翠『星落秋風五丈原』)。祖父が手紙で書き下し文を送ってくれたとのこと。後年、狩野先生の『諸葛孔明』でその文をそのまま使ったとのこと。
 京都の高等学校に進学。高等学校の一年生は日本史、二年生は東洋史、三年生は西洋史。東洋史の授業の先生は羽田亨先生のご令息だったそうな。そのときの夏休みの宿題が内藤虎次郎『中國中古の文化』(1927年の授業が本になったものとのこと)を読むようにというもの。当時は紙は悪いし内容が難しいし読みづらいものだったそうな。感想文提出。その中の項目で「曹操の文学趣味」「曹操の矯正策」「諸葛亮の矯正策」というのがあったとのこと。岡崎文夫『魏晋南北朝通史』を読んだそうな。
 大学へ進学(当時は高等学校進学の方が難しいそうな)。狩野先生は哲学に行くか、文学に行くか、史学に行くか迷ったとのこと。結局、東洋史学へ。狩野先生は四川省に興味をもつ。那波利貞「文化史上より観察する四川省成都」(歴史と地理 十二巻五号・六号)、久村因(ちなみ)の諸論文(漢代の地名に詳しい)。大庭脩「秦の蜀地経営」(卒業論文→竜谷史壇33号、1950年)。卒業研究は蜀漢か五代十国がまよったが、結局、その両方を含む○○伝説の研究(※聞き取れず)。三国志の研究に近づく。
 1953年に大学を卒業。そのころに小川環樹・金田純一郎/訳『三国志』(岩波文庫、1953年、※三国演義の訳) 旧制大学院に進学。一切、単位なし。そのころに川勝先生の論文が書かれる。
 川勝義雄「曹操軍団の構成について」(京都大学人文科学研究所創立二十五周年記念)、その中で曹操軍団の構成は任侠的結合である、とかかれていたとのこと。同じ頃に宮川尚志先生が京大に来られる。
 宮川尚志「三国呉の政治と制度」(史林38巻1号、1955年)
 狩野先生はちょうどそのとき史林の編集委員だったとのこと。この論文の構成などをしたとのこと。
 吉川幸次郎「曹氏父子伝」(世界121~132 6回 1956年)。この中の文を読まれる。内容は、我々は曹操を三国演義的な人物像を想像するが、それは正しくない、とかそういう旨。
 1957年に狩野先生はある論文を書き上げる。それが狩野直禎「後漢末の世相と巴蜀の動向」(東洋史研究15巻3号、1957年)。その書き上げた直後に、吉川幸次郎「曹植兄弟」(新潮55巻、1958年)の連載が始まる。その後、1962年に吉川幸次郎「三国志実録」(筑摩書房)刊行。時代区分論争に関連し、「魏晋から中世なのか?」と吉川先生から三ヶ月も質問を受けた、という話。
 その後、五斗米道の話も含めた論文、狩野直禎「蜀漢政権の構造」(史林42-4、1959年)を書き上げたそうな。このころ、狩野先生は京都大学東洋史辞典編纂会『東洋史辞典』(東京創元社、1961年)の出版(下請けの仕事)に携わる。ここでいろんなことを勉強したとのこと。
 そのころから狩野先生は聖心女子大学の小林分校に就職。そこで二年間勉強すると短大の資格が貰えるとのこと。その時期に狩野直禎「華陽国志の成立を廻って」(聖心女子大学論叢21、1963年)を書き上げる。狩野直禎「後漢時代地方豪族の政治生活」(史泉22、1961年)という論文を書く。これは[牛建]為郡の張氏について書かれていて、三国時代から離れて後漢時代だとのこと。
 狩野直禎『両漢學術考』(筑摩書房、1964年)。吉川先生から言われた仕事とのこと。元は1924年の講義。後漢における老荘思想の萌芽。
 宮崎市定先生が定年を迎える。普通は定年記念で論文集ができるが、人物往来社から中国人物叢書の企画があがる。第一回配本は随の煬帝で宮崎市定先生ご自身の著。第二回配本は「諸葛孔明」で狩野先生に割り当てられる。狩野直禎『諸葛孔明』(人物往来社、中国人物叢書2、1966年)。これに書くに当たって参考にした本がレジュメに書かれている。内藤虎次郎『諸葛武侯』(東華堂 1897年)。これは劉備がなくなった時点で終わっている。つまり未完。非常に細かく優れた内容。内藤先生は三顧の礼を否定。杉浦重剛・猪狩又藏『諸葛亮』(博文館、1913年)。古本屋で購入。宮川尚志『諸葛孔明』(富山房、支那歴史地理叢書、1940年)。植村清二『諸葛孔明』(筑摩書房、1964年)。
 桑原隲藏「孔子と孔明」。これは「支那史上の偉人」というタイトルで1923年に大阪の懐徳堂で講演したときの紀要。のちに『東洋史説苑』(弘文堂、1923年)におさめられる。そこには桑原先生が「至誠一貫してその行動に一点の不純をも認めぬ」と断定。その中で中国嫌いの平田篤胤先生が「孔明の生涯の中で尤も感激に堪えぬのは、実に成敗を度外に北伐を実行して義務に殉じた時にある」と紹介されているとのこと。
 その後、狩野先生は森鹿三/編『東洋の歴史』第四巻「分裂の時代」(人物往来社、1967年)で「三国の鼎立」、「西晋から東晋へ」、「民族の大移動」の章を執筆されたとのこと。それと平行して狩野直禎『魏晋學術考』(筑摩書房、1968年、1926年の講義内容)を執筆。狩野直禎『支那文學史』(みすず書房、1970年、1908年の講義内容)を出版。これは六朝文學。狩野直禎「李固と清流派の進出 田村博士頌寿 東洋史論叢」(1968年)を執筆。これはタイトル通り三国時代の前の話。狩野直禎『「三国志」の世界─孔明と仲達─』 清水書院、1971年 人と歴史東洋5。孔明についてそれ以前に書いたので、仲達を入れたとのこと。

○質疑応答

 質疑を呼びかけたものの、特になかったので、「ご講演ということで質疑はなし」ってことで終了。満場拍手。


・三国志学会第一回大会懇親会へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/409

2006年9月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ10月号)


  • 2006年9月 6日(水) 23:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,995
マンガ  月刊の漫画雑誌、ミステリーボニータ(秋田書店)に連載中の「八卦の空」。三国志およびその注に載っている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビがオリジナリティ豊かに漫画で描かれていている。
 前々号で巫炎シリーズが終わり。一区切りついて、前号が休みだったので、二ヶ月ぶりの「八卦の空」。読み切り。

・前回
http://cte.main.jp/newsch/article.php/363

 今月15日に単行本2巻の発売が控えているので単行本情報がミステリーボニータ10月号に散らばっている

・2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/362

 連載の扉絵の1ページ前には単行本情報がある。よく見ると「★厚くて評判の1巻よりさらにもっと厚くなって読みごたえもたっぷり!」とあるんだけど、1巻よりさらに厚くなるんですか?!
 あとミステリーボニータ10月号の裏表紙をめくったところがカラーのコミック最新刊情報。ここに何気なく「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻の表紙絵が描かれてある。これって初公開?!

 で、本編。ネタバレなくご紹介。
 表紙が劉朱姫の絵が大きく出ていて「今回はあたしが主役です!!」とか書かれていたので、おぉ他のサブレギュラーキャラが掘り下げられる?!と思ったら、よく見たらその後に「……ウソ。」って書かれていた(笑)
 とはいっても、劉朱姫は冒頭と末尾で活躍して居るんでキャラに深みがでている感じ(冒頭あたりで一瞬、テレビドラマの「トリック」みたいな展開になるかと思った)。
 初登場の陸 采美、いい味だしているキャラだなぁ。影のある出自だとか。


 本筋とは関係ないけど、それにしても管ちゃんがなぜ椎の木の上のことを知っていたのか、キャラを壊してしまうようなことを想像してしまうんだけど(汗)。まぁ、占いには鋭い観察眼が必要不可欠ってことかな。


※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※ここに、最近、前にもまして活発な「お絵描き掲示板」に描き下ろしイラストあり。

・ミステリーボニータ10月号に「八卦の空」 神女の恋人(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=377841


・2006年10月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ11月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/422

三国志学会第一回大会ノート5


  • 2006年9月 3日(日) 18:19 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,365
研究 ・三国志学会第一回大会ノートお昼休みからの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/402


 14時に定刻通り始まる。


○劉世徳(中国社会科学院教授)、通訳 伊藤晋太郎(慶応義塾大学講師)「『三国志演義』嘉慶七年刊本試論」


 今回はレジュメというより「≪三国志演義≫嘉慶七年刊本試論」という11ページの論文が配られている。それはタイトルも含め簡体字で書かれている。以降、ここで表示できる漢字に置き換える。
 劉世徳先生は中国の三国志演義学会の会長でだそうな。司会の金文京先生によると、中国の古典小説研究の権威とのこと。
 講演のスタイルは前日の劉先生の大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」と同じくまず劉先生が中国語で話し、随時、その後に通訳の伊藤先生が訳されていくというものだ。

 なぜ劉先生が三国演義の版本について研究しているかのお話。三国演義の版本については日本の方が先を行っていて、中国人の方も急いで追いつかないといけないとのこと。そういう考えの元、一人に日本人学生(博士課程)をとったとのこと。もちろんその学生は版本研究。彼の論文は優秀だと評価されたので、研究所では彼を版本研究にとどめようとしたそうな。ところが彼はその研究所から去ることになったとのこと。その理由は彼が結婚することになったんだけど、彼は家を貰えなかったからとのこと。その後、彼は商売替えし、三国演義から完全に離れてしまったとのこと。
 その後、劉先生自ら、版本の研究をすることになったとのこと。

 劉先生が今まで嘉慶七年刊本の研究をしてきた理由。その版本というのは希なものだから。イギリスの学者、アンドリュー・ウエスト(論文の除魏安?)の「三国演義版本考」という本によると、嘉慶七年刊本はアメリカのハーバード大学にしかないとのこと。その版本というのは紹介する価値がある。

 その版本の特徴は福建省の建陽というところで清の時代(嘉慶七年)に刊行されたとのこと。
 嘉慶七年刊本は二つの版本の流れが合流している性質がある。この趨勢は明代の終わりから清代の初めに始まった。福建省の建陽にあった出版社のあるものが南京の方へうつった。本来は上三分の一が絵で残り下三分の二が字だったんですが清代になりその形式を捨て去った。この時代の版本は毛宗崗本にどんどん近づいた。この版本は毛宗崗本についてた絵を移植している。また金[又/土][口又]という有名な文芸評論家の名を勝手に使っている。毛宗崗本に近づいているのに毛宗崗本とは称されていない。福建省の建陽の版本は風下におかれていて絶体絶命の状況にあった。
 嘉慶七年刊本は12幅(12枚)の絵がある(論文にその人物が書かれている。昭烈帝、張飛、諸葛亮、趙雲、姜維、曹操、張遼、許チョ、呉大帝、周瑜、魯粛、司馬懿)。その中に関羽だけ居ない。

 明代、関羽は重きを置かれていた。嘉靖本とその復刻本の区別がある。嘉靖本には関羽がどのように殺されるか詳しく書かれている。復刻本ではそういう場面がない。どう書き換えられたかというと、天から関羽を呼ぶ声(「はやくおいでよ」)がした、というふうに書き換えられている。このように明代には関羽を尊重して書き換えが行われている。同じように関羽の名前もでず「関公」と置き換えられている。それに対し、嘉慶七年刊本では関羽の絵がなくなっている。明代から清代の初めにかけて関羽を神様にする機運が高まっていたが、嘉慶年間になると関羽崇拝のブームが覚めてきた。
 嘉慶七年刊本は簡本(二十巻)であり、福建の本は簡本と繁本の二種類に分かれる。それら簡本は「志伝」と「英雄志伝」の二種類がある。嘉慶七年刊本を劉龍田刊本と黄一鶚刊本とで比較した。論文の比較は全面的ではないかもしれない。

 次に論文の構造と結論についての話。
 論文は八つの部分で構成。一は概況。二はいくつかの注意点。ここで四つの問題について述べている。一つ目は嘉慶七年刊本に書かれた作者の出身地が間違っている。二番目に関羽がいない点。三つ目は誤字が多い。四つ目はコスト削減のため臨機応変的な処置をとっている。
 三番目のテーマはこれが福建省の出版なのかどうか。三つの問題。一つは劉先生は福建省出版と認識している。その理由は書店、序文の作者や巻の構成などから。三つ目は二つの可能性がある。一つの可能性は福建の書店が出版した。二つ目の可能性は余所の書店が福建の古い版本をつかって出版した。
 四番目のテーマは三国演義第240節の題名について述べられている。三つの問題について述べている。一つ目は目次と本文の題名の不一致。二つ目は第139節、本文に関索は出てこないが、本の先頭にある目次には関索の文字が見える。三つ目は節のタイトルに誤字が見られる。→黄一鶚刊本によく似ている。
 五番目のテーマ。一部分をみて全体を判断する、其の一。235節の本文を例にとって述べている。いろんな本を比べ文字を見ると「簡本」に分類。他の簡本に比べてもかなり簡略化されている。
 六番目のテーマ。一部分をみて全体を判断する、其の二。33節と175節の末尾。33節の最後の部分には三つの違いがある。嘉慶七年刊本は明代の黄一鶚刊本の系列の簡略化された本と同じ。
 七番目のテーマ。一部分をみて全体を判断する、其の三。関索の挿話について述べている。結論。嘉慶七年刊本は基本的に黄一鶚刊本、明代の劉龍田刊本と同じ。別の系統にある周曰校刊本とは異なる。
 八番目は終わりに。すでにお話ししたのでここでは繰り返さない。


○質疑応答

 たいがあさんからの質問。三国志演義の版本について、日頃から疑問に思っていたことの質問。三国志演義の英訳(テイラー訳)について。英訳本と和訳本(小川環樹訳)とに内容が食い違う部分がある。例えば三顧の礼のシーンで諸葛亮が吟じる詩のところ。
※ここらへんは「三国志ファンのためのサポート掲示板」で出ていた話題なので以下のリンク先を参照のこと
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2023
これら二つは版本が元々違うのか?

→司会の金文京先生が(和訳の話なので)劉先生には答えることはできないとし、まず話の確認から。小川環樹訳は毛宗崗本とのこと。それから誰がおわかりになるか? と呼びかける。しばし二、三人からの中国語が会場に響き渡る。
(※中国文学のイギリス人の訳と日本人の訳について中国人と韓国人が中国語で話し合っているのを多くの日本人が静かに見守るという何とも国際色豊かなシーンだと清岡は内心思っていた)
司会の金先生は「それは面白い問題ですね」と話す。
→(劉先生の中国語の話を金先生が日本語に訳して)まとめると、結論としてはお答えできない。なぜなら劉先生自体、英訳も和訳も見ていないから。一般的な状況としてそれらは毛宗崗本に基づいて訳されている。毛宗崗本と一言にいってもそれは複雑で毛宗崗本の中でもいろんな違いがある。もしかすると英訳と和訳とでは元にした本が違うのかも。もし同じものに基づいていたら違いは起こらないだろう、と劉先生は信じているとのこと。明らかな例をあげると毛宗崗本では冒頭で詩があげられているが、本来の羅貫中のにはなかったここらへんは{前日の三国志シンポジウムの基調報告にあった話だ)
→さらにここから実際に諸葛亮の詩の違いについての確認。英訳にあたるような版本はない、とのこと。意訳ではないか? この間、やっぱり中国語が飛び交う。
(清岡がたいがあさんにきくと今、英語の文が手元にないとのこと。あとで清岡がノートPCでサポ板のツリーを見せる)

周文業先生からの質問。嘉慶七年刊本を劉先生はどこでみたのか?
→亡くなった方の蔵書の中で見た。

ハーバード大学のものと劉先生のみた本は同じものか?
→同じものであろう

12幅の絵で関羽が居ない理由は? それは単に抜けているだけでは?
→その可能性は小さいだろう。ハーバード大学の方の本でも関羽が居ないから。

周先生の理解では関羽崇拝ブームがどんどん高まっていった。劉先生との考え方以外で説明できることはないか?
→関羽崇拝は文化現象。明代の終わりから清代の初めまで関羽崇拝が高まったことは間違いない。清代中頃、関羽崇拝がさがっていったかどうかは検討の余地がある。劉先生は版本の話だけで述べた。関羽崇拝がどんどん高まっていったという根拠は?

周先生による別の考え方。関羽を崇拝するあまり怖ろしくて絵にもできなくなった(場内笑)。それは証拠があって清代に関羽のお芝居をすることが禁止された例がある。
→劉先生。関羽があるべきところにはあるはずだし、必要なければないはずだ。(何か例が出たけど清岡失念)。お芝居というのは特殊な状況で版本の問題は別。しかし、周先生の解釈も否定できない。

33節の末尾に三つの違いがあるということだけどどれが正しいか?
→字数の調整による違い。区切り方によってそれぞれのテキストに違いがでてきた。(その後、「紅楼夢」の例があげられる。) 話を通すと全部、同じだが、どこで区切るかによって違う。33節の末尾について専門に論文を書いたことがある。建陽で火事が起き出版業がだめになったことがある。数年前に建陽にいったことがあるが出版業が盛んだった時代のいかなる痕跡も残っていなかった。建陽の出版業は時代が下るごとに縮小していった。出版の中心は浙江省の杭州や南京の方へ移っていった。(以下、専門的な話が続く)

司会の金先生からのコメント。こういったテキストの研究というのは必要なものではあるが、非常に退屈なこと。劉先生の講演の冒頭で学生さんが版本の研究を離れるのも当然か、なと(場内笑)。もう一人名前の出ていたイギリスの人も今は銀行員になっていて、刊本研究をやめている。これから版本研究をやる人はご参考に、とのこと(場内笑)

○10分休憩

 ここで清岡は昨日一瞬、会った仁雛さんと会い、挨拶。
 あと清岡はさっきのたいがあさんの質問に関してたいがあさんとあれこれ話す。それからKJさんとUSHISUKEさんとでホールの入り口の外側近くで雑談。三国志シンポジウムって中国語に訳すと三国志座談会なんだ。
 そうするとホールの後ろの方でげんりゅうさんが話している人がいた。あまりにも自然な光景だったので、清岡はてっきりげんりゅうさんの出身大学関連の人(げんりゅうさんの先輩)かな、と思っていたら、渡辺精一先生だった(汗)。あまりにも唐突なことだったので、心の準備ができないまま、結局、清岡は渡辺先生にお話することができず仕舞いだった。その後、USHISUKEさんやKJさんあたりは渡辺先生とお話していたかな。ちなみにげんりゅうさんの話によると、渡辺先生もこちらのことをげんりゅうさんの出身大学関連の人だと思っていたとのこと。


・三国志学会第一回大会ノート6へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/407

2006年9月16日17日プチオフ会


  • 2006年9月 2日(土) 11:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,804
ネット  今回、プチオフ会参加者が集まれば開催という曖昧なことなので、トラックバック送信もせずここに告知しておきます。
 以下、「三国志ファンのためのサポート掲示板」からの引用。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=2483

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2006年9月16日17日プチオフ会 by 清岡美津夫 -06/9/1(金) 19:10-
────────────────────────────────────
 2006年9月17日日曜日にお茶の水大学で、長沙呉簡国際シンポジウムの「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」があるとのことです。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/359

 私はこのシンポジウムに一般聴講しにいく予定です。前日、昼特急高速バスで夜ぐらいに東京入りし、翌日、夜に新幹線で帰る予定です(月曜日は祝日♪ 一応、その日は予定を開けてます)。

 それで日が差し迫っているのに何ですが、またまたプチオフ会を開けたら開こうか、と思ってます。ネットを見ても今回のシンポジウムはあまり三国志ファンの話題になってないんで、今回のプチオフ会は参加者がある程度、あつまりそうだったら、どこか適当なお店になだれ込む、ぐらいの消極的な考えです(汗)

 私は16日に昼特急高速バスで移動し、夕方ぐらいに新宿に到着します。ホテルは池袋です。なので開くとすれば19時スタートぐらいそのあたりでしょうか。17日はシンポジウムの方が17時終了なので、18時ぐらいに新宿・池袋あたりではじめる感じでしょうか。
 今回、集合場所集合時間集合目印(開催決定の場合、個別にメールでお知らせ?)以外、具体的には決めない感じなんですが、参加したいな、って方やこんな案があるぞ、って方はレス、よろしくお願いします。もちろんシンポジウムを見に行かない人やサポ板はROM専だって人も歓迎です。

 それから参加される方でもし清岡に何か三国志関連のものを持ってきて欲しいときはおっしゃってくださいね。例えば、「長江の流れは緩やかに見えて」のパンフレットとか、「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」のレジュメとか、「三国志シンポジウム」の冊子とか、「三国志学会第一回大会」のレジュメとか。
 まぁ、それらの土産話は清岡に標準装備されてますが(笑)

 もしプチオフ会を開くことができたら、2005年7月31日三国志シンポジウムあわせのプチオフ会、2005年9月3日三国志納涼オフ会in東京、2005年12月17日三国志忘年オフ会in東京(仮)、2006年2月18日・19日「長江の流れは緩やかに見えて」あわせのプチオフ会、2006年3月10日・11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」あわせのプチオフ会、2006年7月29日三国志シンポジウムあわせのプチオフ会に続く第7弾ってことになりますね。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

三国志同人イベント情報サイト


  • 2006年9月 2日(土) 10:02 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,717
二次創作 下記のように三国志ニュースで三国志関連の同人誌展示即売会(イベント)をお伝えしてきた。

http://cte.main.jp/newsch/article.php/308
http://cte.main.jp/newsch/article.php/341
http://cte.main.jp/newsch/article.php/376

それらを取り上げていると、同人イベントの情報専用のサイトってあったら便利だなぁと思っていた。
そんなおり、見かけたのが「三国志同人イベント情報サイト」。三国志関連のイベントのみならずコミケやシティなど(あえて略称を使うが)の大規模イベントの情報まで載っている。

・三国志同人イベント情報サイト
http://s594.sakura.ne.jp/event/

しかもサークル参加しようと思っている人に便利なようにそれらのサークル参加締め切り日等の情報もあげられている。
こういうサイトは長いこと続いてくれれば(そして更新はいつでも素早く)、かなり重宝されるよな。
(※あと個人的にはシンプルなバナーなんだから「3594 801 SEARCH」のように小さいバナーもあるとありがたい ※追記→というわけで小さいバナーも追加された。ありがたい♪)

三国志学会第一回大会お昼休み


  • 2006年9月 1日(金) 12:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,292
研究 ・三国志学会第一回大会ノート4からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/401


 我々はアナウンス通り、お昼をとろうと近くのスーパーの最上階を目指す。
 ここで伊比学さんは旧交をあたためた徹夜明けのためそのまま帰宅。KJさんは業務のため昼休み我々と行動を別にする。そのため、USHISUKEさん、げんりゅうさん、清岡、ミミまろさん、たいがあさんの五人で昼飯へ。
 歩きながら、前日の三国志シンポジウムにこれなかったUSHISUKEさんやたいがあさんに前日の会場の様子や客層などを話す。

 スーパーの最上階はレストランを集めた階で、さすがに子供の夏休みの日曜日とあって通路まで大混雑。我々は空いているお店をうろうろ探すと、意外と簡単にみつかる。ジンギスカンのお店。ランチメニューや単品もあるんでそこに決定!

 店に入って、皆、メニューを決めると、やはり午前中の質疑応答でUSHISUKEさんが質問したことが話題になる。やっぱり王平が出るとUSHISUKEさんが質問するんだな(以下のリンク参照)、って話。

・【独占!】王平は南蛮非漢民族出身か!?
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2366658#2366658
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2370072#2370072
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2410665#2410665
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/2422391#2422391

 さらに前日の三国志シンポジウムのパネルディスカッションは去年と違ったのか、って話。そうそう予め質問用紙が配られたり、研究会からの質問が控えめになったりしたんだ。
 メニューをきく人が来る。やはりビビンバとか韓国系のランチが豊富みたいでそれを頼む人も結構居た。清岡は冷麺ランチ。韓国風冷麺ね。

 やがて自己紹介が始まる。
 まず、げんりゅうさんから。唯一、初対面のたいがあさんからあれこれ質問が来る。分かりやすい、げんりゅうさんのブログの行き方は三国志連環の「三国志連環について」のページから。そこから右回りに、お次は、たいがあさんの自己紹介。次、向かいに座っている清岡、その次、向かって右に座るUSHISUKEさん、さらに右に座るミミまろさん。
 それから三国志学会第一回大会の懇親会に出ようか出まいかどうしようって話をしていた。私はKJさんに合わせるといった事を言っていた。

 そのうち徐々に食事が来て、来た順に各人が食べていった。

 また話が昨日の三国志シンポジウムへ。清岡から。USHISUKEさんに{上田先生の報告で発表のあった江戸中期の三国演義を受容した人たちのピラミッドの図の話(下記のリンク先参照)をする。そうそう2月18日にプチオフ会をしたとき、USHISUKEさんとげんりゅうさんと隼鶻さんとで、現代の三国志ファンの話をしていたとき、同じような図(下記のリンク先参照)が出ていたんだよな。プチオフ会のときは上下逆さで下に向かって先細りした図だけど。

・上田望先生の報告「小説『三国志』と日本人」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/377
・2月18日プチオフ会での話
http://cte.main.jp/newsch/article.php/288
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2191

 それから上田先生の報告にあった、歌舞伎役者に挿し絵を似せるのは現代の真・三國無双のキャラのようなものだ、とか。
 次は映画「赤壁之戦」の話。北京オリンピックにあわせて公開されるんで撮影開始がさらに遅れた、など話していた。あと公開後は役者のファンが三国志ジャンルにどっと押し寄せて来るんだろうな、って話をしていた(7月18日の宣和堂電網頁オフ会に出た話題の受け売りなんだけど・笑)。
 あと韓国の三国志映画の話もどうなったんだ、とか。

 時間も時間だったので我々はその店を後に

 それから店の旧名が実は「ジンギスカン フランス人」だった。謎な店名(汗)。ジンギスカン(チンギスハン)はフランス人だった?!とか皆いろんなツッコミをしていた。

 帰り道は中国と日本の三国志研究の活発さの話をしていた。中国語わからないと、理解できないことが多いね、とか。

 13時50分ぐらい。大東文化会館の建物に入ると、KJさんに会う。真っ先に懇親会の話を振ってみたら、KJさん出る予定ということなので、そこの五人全員出ることに。
 あと三国志学会の話になって、普通の会員よりグレードが高い維持会員があるって話をしていた。それから三国志学会のサイトでその前日ぐらいから広報担当の人の所属が「NPO三国志フォーラム」に変わっていたって話もしていた(笑)
 その後、清岡は受付で懇親会に出席する手続きをすませ、ホールに入る。

 さていよいよ午後の部だ。


・三国志学会第一回大会ノート5へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/405

コメント (12)