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掲示板 件名 最新投稿

「第三回三顧会」(三国志城イベント)ダイジェスト0


  • 2005年8月15日(月) 09:56 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    4,801
場所  山口県光市には三国志の資料館「三国志城」というのがあって、2004年8月15日に三国志ファンを対象として「三顧会」というイベントを開催した。その第二回目として2005年5月4日に再び「三顧会」が開催された。

・「三国志城」公式サイト
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

・第一回三顧会の様子(個人サイトの日記)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w040815.html

・第二回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/115

 第二回が開催されるころにはすでに第三回の開催日程が2005年の8月14日であることに決定していた。

 そして迎えた当日。清岡は前日、三国志城に行って、どんなスケジュールなのか調べていたんだけど、三顧会を充分、楽しもうと思い、開場ぐらいの時間(9時)に行こうとしていた。

 今回のスケジュールとレポート(リンクのところ)は下記のようになる。
-------------------------------
○第三回三顧会 8月14日イベントタイムテーブル

9時      開場
10時     本参加自己紹介(お名前と一言)スタッフも参加
http://cte.main.jp/newsch/article.php/157
10時15分  三国志弓術大会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/159
11時-13時 お食事時間
http://cte.main.jp/newsch/article.php/160
13時     本参加自己紹介(お名前と一言)後から来られた方
13時15分  三国志風水講習会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/161
14時30分  (風水講習会の時間により調整 有)
        英傑群像イベント<三国志トランプ大会>
http://cte.main.jp/newsch/article.php/162

随時開催
http://cte.main.jp/newsch/article.php/158
・三国志玉璽を探せ 印鑑探し&クイズ
・三国志クイズラリー(三国志クイズペーパー試験)
・第二回イベント「三国志陶器をつくろう」完成品展示
-------------------------------


 三国志城の最寄り駅の岩田駅に降りる。そうすると、五人組の人がぞろぞろ歩いていて、何やら、地図をみたり、駅の周辺を歩いていた。もしや三国志城へ?
 初めタクシーは来てなかったんだけど、しばらく待つと現れたんで、それに乗り、いざ三国志城へ。タクシーの運ちゃんの証言によると、2、3日前、早稲田大学の研究会が8人ぐらい三国志城へこられたそうな。「三国志研究会ですか?」ってきいたらわからないとのこと。で、早稲田大学三国志研究会のサイトの掲示板(会員用)で確認したらやっぱり行っていたみたい。
http://www.jggj.net/3594
 そして9時前に到着。スタッフは準備万端。前回と同じく黄色いたすきをつけている。奥のバルコニーには四人ほど座って眠っている人がいた。もしかして三国志の駐車場で眠っていたという、裏黄金パターン? と思って、スタッフの人に聞いてみたら案の定、そうとのこと。それ以外に今回特設された食堂の大テーブル(20人掛けぐらい)に二人が座ってまっていた。一人に声をかけてみて、どこかで会ったことある人だなぁと思っていたら、前回参加した峪村(ガケムラ)さんだった。その後、青春18きっぷを利用して来られていた若杉さんという方と知り合いになり、いろんな話をしていた。峪村さんには三国志シンポジウム(2005年7月31日、大東文化大学)の冊子をみせ、その話をした。若杉さんからは白帝城にいった話をきいていた。9時40分、駅で見かけた5人組が登場。やっぱり歩いてきたようだ。9時45分、そのうち、結構、人があつまるようになってきて、スタッフから食堂の大テーブルの席に座るように指示があり、わらわらと集まってくる。現在16名。これだけで前回の一度に集まった参加人数を超えているような。さらに名札に公表していい名前(ハンドルネームや名字)を書くよう指示がある。9時55分。24名。地元ケーブルテレビ(Kビジョン)の取材陣が3名、来る。去年の第一回目と同じ。
http://www.kvision.ne.jp/
前回参加者はスタッフ以外だと今のところ、私と峪村さん、それに傅僉さんだから、今回、三顧会初参加者が圧倒的に多いってことはある程度、いろんな広報が実っているのかな?

・第三回三顧会ダイジェスト1「本参加自己紹介(お名前と一言)」に続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/157


・2006年5月4日 第四回三顧会ダイジェスト
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329

「第三回三顧会」直前情報


  • 2005年8月13日(土) 19:54 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,969
場所  2005年8月14日に山口県の三国志城で第三回三顧会という三国志ファンの集いがあるんだけど、その前日に食事がてら、三国志城にお邪魔した。
※セットメニューがあったりとメニューが微妙に変わっていた。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/154

 案の定、スタッフ一同、次の日の準備に追われていた(弓術大会の弓の威力を試していたり、玉璽を隠していたり)。それでもう第三回三顧会のタイムスケジュールが張り出されていたので、ここに転載してみる。
 ちなみに地元のケーブルテレビ(kvisionだっけ?)では「第三回三顧会」のCMが流されているとのこと(清岡は三国志城で見せてもらった)

 もちろん、三国志城のサイトならびにサイトの掲示板も要チェックだ。
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

-------------------------------

第三回三顧会

8月14日イベントタイムテーブル

9時      開場
10時     本参加自己紹介(お名前と一言)スタッフも参加
10時15分  三国志弓術大会
11時-13時 お食事時間
13時     本参加自己紹介(お名前と一言)後から来られた方
13時15分  三国志風水講習会
14時30分  (風水講習会の時間により調整 有)
        英傑群像イベント<三国志トランプ大会>

随時開催
・三国志玉璽を探せ 印鑑探し&クイズ
・三国志クイズラリー(三国志クイズペーパー試験)
・第二回イベント「三国志陶器をつくろう」完成品展示

-------------------------------


 なるほど、今回は自己紹介の時間がもうけられているのか。各種企画も趣向を凝らして面白い。三大「随時参加企画」も面白い。毎年やっている「三国志クイズラリー」をはじめ、新規の「三国志玉璽を探せ」。それから前回の三顧会からのながれの「完成品展示」か。
・前回
http://cte.main.jp/newsch/article.php/115

 それから台風被害にあったところがちゃんとなおっていた。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/114

 さらにちなみに三国志資料室に
http://cte.main.jp/newsch/article.php/113
「<三国志烈伝>破龍」1巻を寄贈してきた。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/139



 ちなみにスタッフの一人に三国志シンポジウムの冊子を見せていたんだけど、和田さんを講師として呼びたがっていた。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/153


・「第三回三顧会」(三国志城イベント)ダイジェスト0
http://cte.main.jp/newsch/article.php/156

三国志城食堂メニュー再び


  • 2005年8月13日(土) 19:40 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,445
場所  2005年5月4日に訪れて以来、2005年8月13日に三国志城を訪れたんだけど、三国志にちなんだ食堂のメニューが微妙に追加されていた。

・前回
http://cte.main.jp/newsch/article.php/112

 まず目に付くのが、カウンターのところのメニュー。追加したのは「夏侯惇玉子」。………夏侯惇の玉子って目玉か!?(汗)
 それで地味に書いてあったのが、いろんな二十種類のお茶葉をブレンドしたという「ご自由にお召し上がりください」の薬草茶。なんと、「華佗茶」と名がついていた(元は「秘宝」というお茶)。なんか、いろんな効用がありそうだ!
 それからテーブルにある冊子のメニュー(食品の写真があってわかりやすい)にはセットメニューが登場していた。曰く「赤米の『関羽むすび』2個又は関羽むすび1個とゆで卵付き」。つまり「麺類はすべてセットメニューに出来ます。」とのこと。
 おぉ、これで赤米むすびの関羽と麺類に名付けられた武将たち(典韋とか許チョとか)と自由にコンビができる! まさに夢のコラボレーションといったところだろうか。

※追記 無双シリーズ×チムニーグループ コラボキャンペーン(2012年2月1日-3月25日)

 というわけで、下記にそれらのメニューを示す。
※許チョのチョは実際は漢字で書かれていたが、ここで表示できないのでカタカナで代用する。


-------------------------------
○カウンターのメニュー

ただ今好評!
四川風激辛『赤壁ラーメン』

名物トンコツ
許チョラーメン

曹操ラーメン

孔明チャンメン

名物
周瑜うどん

典韋肉うどん

黄蓋かやくうどん

名物
張飛鍋焼うどん

五斗米道 焼めし

名物赤米
関羽カレー

劉備そば

張遼冷めん

呂布ソーメン

関羽むすび
いなり
いずれも2個入

白眉泡立ちコーヒー

月英冷コーヒー

夏侯惇玉子
野菜サラダ

ビール
自動車
運転される方には
販売できません

コーラ
ジュース

熱 冷
華佗茶
ご自由にお召し上がりください


○冊子のメニュー

・表紙

メニュー
生命力抜群
赤米
カレー・おむすび・いなり

・1ページ目

名物とんこつ『許チョラーメン』
 激辛仕立ての『赤壁ラーメン』もできます。

名物『周瑜うどん』
 牛肉・あげ・ぜんまい入りの具沢山

名物『関羽カレー』
 赤米ご飯にこくのあるカレー

肉うどん『典韋うどん』
かやくうどん『黄蓋うどん』
 小麦粉だけの腰のあるうどんを使用

日本そば『劉備そば』
 具沢山の日本そば

『孔明チャンメン』
キクラゲ・キャベツ・ゴボウ・ニンジンなどの具沢山

セットメニュー
赤米の『関羽むすび』2個又は関羽むすび1個とゆで卵付き


・2ページ目

典韋うどんセット
許チョラーメンセット
など麺類はすべてセットメニューに出来ます。

『曹操ラーメン』
焼き豚・あげ・ぜんまい入りの具沢山

鍋焼き「張飛鍋うどん」

好評「赤壁ラーメン」
 激辛仕立てラーメンで当店の人気メニューです。
『赤壁許チョラーメン』
『赤壁曹操ラーメン』
『赤壁孔明チャンメン』

焼きめし『五斗米道』
 山菜中心の具です。

冷めん『張遼めん』


・3ページ目

冷やしめん
『呂布そーめん』
『呂布そば』
『呂布うどん』

お飲物・その他
泡立ちの『白眉コーヒー』

アイスの『月英コーヒー』

缶ビール(350ミリリットル)

赤米の『関羽あまざけ』
  (11月~2月の季節もの)

赤米の『関羽むすび』(2個)
   『関羽いなり』(2個)
  (お持ち帰り2個入りパックも出来ます。)

『七草雑炊』
 お正月だけの限定メニュー
 詳しい期日は事前に店内およびホームページでご案内いたします。

2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感2


  • 2005年8月13日(土) 14:21 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,683
教育機関 ・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感1からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152


○報告 中川諭(大東文化大学助教授)「『三国志演義』ができるまで」

 司会の中林史朗先生から中川諭先生の紹介がされ報告が始まる。「三国志」と「三国演義」の違い。史書と小説の違いってあたりで一般向け。陳寿の「三国志」編纂話。六朝時代の裴松之の注、成立話。実際にレジュメに現在の「三国志」のコピーが出されていて本文と注の様子を示す。上記二つでとられなかった三国志の物語化(伝説とか歴史事実じゃないこと)は捜神記を初めとする志怪小説、それと世説新語などをあげた後に、金先生の鼓吹曲の話を一言フォロー。唐の時代はまとまった三国志の物語はなく断片的。晩唐の詩人、李商隠の「驕児詩」に張飛のひげ面のことが書かれているから、三国志の物語はある程度、広まっていたって話。宋代になるとまとまった資料が出てくる。講談や演芸が出てくるそうな(東坡志林とか、三国芝居とか、講談師の霍四究とかを例に)。
 元代には劇にして演じようとする「戯曲」、講談を文字にしようとする「平話」(評話)が出てくる。「全相平話三国志」(三国志平話)の話。講談の種本的存在らしい。それで三国志平話の写真を持ってきて聴衆に見せていた。
※余談だけど、清岡はネットでも見れるよ、とノートPCで二階堂善弘先生のサイトを隣の人に見せたら、引かれてしまった(汗)
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/
それで三国志平話に見られる南北の起源の考察。現在に伝わるのは確かに南方で出版されているが、起源は北方、て話。
 さらに三国志平話の訳本の話。自訳本の宣伝(笑)。例の光栄から出ている二階堂善弘先生と中川諭先生の本。パソコン通信で訳をやっていたら、光栄の人の目に止まったそうな。すごい話だ。

※追記 横山光輝三国志おもしろゼミナール(1984年7月)

http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1762
 三国志平話から三国演義へ。どういう関係なのか決定的な資料はないとのこと。三国演義の嘉靖本の話(嘉靖元年、西暦1522年に初めて刊行された本)。スペインに三国志演義の本がのこってるそうな(すげー!)。その後、関索の話が付け足されたとのこと(金先生リスペクト発言有り・笑)。清代、康熙年間(1662~1722年)になると毛宗崗が数ある三国演義を添削し、いわゆる毛宗崗本がでてきた話。清代の終わりには毛宗崗本が主流になったとのこと。

※追記 道教の美術 TAOISM ART(2009年9月15日-10月25日)

※追記 全相三国志平話(2011年3月19日)


○報告 和田幸司(三国志サイトウェッブマスター)「インターネットにおける三国志の世界」

 司会の中林史朗先生から和田幸司先生の紹介がされ報告が始まる。その中で中林先生の発言でインターネット利用が普及したという発言に続き「おかげさまで、余談ですが、私も今やインターネットの世界で、一介の学者と言うよりは骨董品好きのただのおじさんとして知られていいます」という発言で会場をわかせていた。
※以下、タイトル通り、インターネットのサイトでの三国志関連の話(主にファンによる個人サイトやコミニティ)の話になって、まさしく我々の身近なことなので、冷静に見ていられなくなる(気恥ずかしい!)。そのせいか、普段、ネットに馴染みのない人々との温度差が気になって過敏反応をしていたし、あまり発表が頭に入らないでいた。
 以前の発表と異なり、プロジェクターを使うようだ。その変化に聴衆がついていってないようで、目に面白いのが映し出されているにも関わらず反響が薄い。
 まず自己紹介から。自分のサイトの紹介。それからサイトでのおそらく最も古い三国志個人サイトの紹介。
http://www.baobab.or.jp/~matumoto/sangokushi/
 三国志系サイトのサイト数の話。一週間に10サイトぐらいできているとのこと(すごい!)。和田さんからの「三国志サイト、運営している人、手をあげてください」との質問。会場わく。清岡出遅れ、挙げられず仕舞い。
 それから和田さんと三国志ジャンルとの出会い話。ゲームをやっていたときに知った三国志の人物は「張飛と関羽と賈[言羽]」と発言したら会場大受け。それから横山三国志を読み(友だち同士で回し読み)、それから後に「諸葛孔明」という小説を読んだとのこと。それからしばし三国志ジャンルから遠ざかったそうな。
 ウェブ三国志界を文化の視点から、の話(ここらへんからは知識欲を刺激される)。歴史・文学の分野における三国志への興味の深化。「三国志ファンのためのサポート掲示板」の話とか
http://cte.main.jp/
おそらく「OVER LOAD」の掲示板の話(サイトや掲示板の名前出ず、董卓の貨幣の話)が例として出てくる。
http://overload-system.net/
それからネット上での三国志と三国志演義の話(いわゆるネットでの正史派・演義派云々)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=791
 三国志ファンにとってのバイブル、ちくま学芸文庫「正史 三国志」(筑摩書房刊、ちくま学芸文庫、ISBN4-480-08041-4から全8巻)。会場、少しわく。ファンの興味の対象となる歴史書が「後漢書」「三国志」「晋書」「後漢書集解」「三国志集解」と広がっている。サイトでどんな掲載資料があるかって話。→人物辞典、年表、地図、漢籍の日本語訳、三国志データベース。学界発の電子工具書の利用。→電子漢籍文献、漢字辞典・年号変換ツール、三国志目録検索システム(※渡邉義浩先生のサイトにあるやつだ)
http://china.ic.daito.ac.jp/cgi-bin/handy/ftmsw3
http://books.bitway.ne.jp/gakken/kanjigen/club/
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1824
http://cte.main.jp/newsch/article.php/120
 そういったネットでの活動の蓄積の話。三国志研究の専門家の領域と違い、三国志ファン同士によるウェブ三国志界では特に整理されずそして蓄積されないまま、「至る所で同じ様な議論が繰り返される」ということで、一見、無駄なことを繰り返しているようであるけど、「それが故に三国志ファンが逗留されて」おり、ウェブ三国志界が盛んだ、ということをおっしゃられていた。なるほど、すごく納得した!

○休息

 いわゆる昼休み。オープンキャンパスとあって、一階の食堂も二階の食堂も混んでいた。そのせいか、午後の部に遅れることになる(汗)。ちなみに期待されていたんで書くと、「エポックメイキング」という単語の意味を知らない人がいたことをここに記しておこう(内輪ネタ)。


・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感3へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/166

※追記 メモ1:「アクセス集計に見られる現代日本における三国志由来事項の変容と浸透」

2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感1


  • 2005年8月12日(金) 23:08 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    6,785
教育機関  こういうのは読み手にとっても書き手にとっても熱の冷めないうち、当日か翌日に書いてアップするのがいいんだけど、ついつい遅れてしまった。まぁ、その分、他の人への記事へリンクできるからいいんかな。

 さて、大東文化大学では毎年、この時期にオープンキャンパスをやっていて、2004年も中国文学科(現、中国学科)で渡邉義浩先生が「三国志の世界」というタイトルで体験授業講義をやっておられたんだけど、今年度は中国学科へと改称するので、それを記念して「三国志シンポジウム」を行うってことだった。



 この話は四月ぐらいに確定したようだけど、それ以前に噂(というかフライング情報・汗)はチラホラあった。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1641
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1610
http://cte.main.jp/newsch/article.php/59

 まぁ、そういうことが長い間、興味を惹きつけられた要因の一つでもあるんだけど、発表のタイトルなど内容のこともきいて当日を迎える。

 前の日に、ネット上の知り合いにあって会食し(いわゆるオフ会)、ビジネスホテルに泊まり、当日を迎える。

 会場は大東文化大学のオープンキャンパスと同じく、東松山キャンパス。そこの622教室になるそうな。東武東上線に乗って、最寄り駅の高坂駅へ。10時から始まるというのに9時50分高坂駅着。間に合うのか、と焦りながら、電車から降り、無料のスクールバスに乗る。やっぱり電車に合わせてスクールバスがきていて、それに乗り込み、やがて出発(※と後で聞いたら、前の電車で来た人はバスを随分、まったとのこと)。そして、丘の上の大東文化大学へ。
 バスから降りると、オープンキャンパスの看板の前にそこには大きく「三国志シンポジウム」とあった(右上の写真)。その後に学校のパンフレットとか飲み物とかもらえる受付みたいなのがあったけど、もう10時を回っていたので、そこをスルーしていざ会場へ。ソーラーハウスみたいな渡り廊下を通り、階段を下り、レジュメ(白黒の冊子)をもらいいざ会場の教室へ。足を踏み入れると、案の定、午前の司会の中林史朗先生の挨拶がもう始まっていた。

 会場は意外と大きく、大学の大きめの講義室(階段状の教室)といったところだ。発表者は一段高いところでずらりと並んでいて、その中央にいかにも発表するぞ、といった机が用意されている。その前の聴衆の席は向かって左から学習院大学三国志研究会。通路を挟んで、東京大学三国志研究会、早稲田大学三国志研究会、そしてまた通路を挟んで、右は大東文化大学三国志研究会。このプログラムには書いてなかった謎の大東文化大学三国志研究会はシンポジウムが終わった後に何となくその正体がわかるのだが。
 とりあえず、会場の右前へ陣取る。

※これから三国志シンポジウムをあれこれ書くのだけど、下記のリンク先とあわせて読むとわかりやすい。
・宣和堂電網頁の宣和堂遺事(2005年7月31日付け)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xuan-he/
・木の葉のページの寝言(NO.123)
http://www.h2.dion.ne.jp/~konoha/
・民草厨房(女性向けサイトなので注意)のBoyaki(2005年7月31日付け)
http://tamigusa.itigo.jp/
・AKN's三國志図書館の三國志図書館Blog(2005年8月1日付け)
http://akn.to/
・蜀人気質の沈思黙考(2005年8月1日付け)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shuren/
・三国志漂流(2005年8月2日付け)
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040
・東京大学三国志研究会のサイト(2005年7月31日付け)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2832/
・三国志ファンのためのサポート掲示板の感想ツリー
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1871

・三国志シンポジウム
日時 2005年7月31日(日)午前10時~午後3時
会場 大東文化大学東松山校舎622教室
対象 高校生・大学生・一般市民・研究者

総合司会 中林史朗(大東文化大学教授)



○基調報告  金 文京(京都大学人文科学研究所所長)「日中韓三国の三国志」

 司会の中林史朗先生から金文京先生の紹介が始まる。レジュメより副題は「三つの三国志物語」。タイトルから現在の日中韓の三国志系ジャンルをそのまま紹介するのかな、と思ったら、そうではなく源流から紹介している。つまり三国演義の成立までを説明し、そこから日中韓にわかれていくって話の流れだ。
 三国演義の源流、つまり三国志の物語化を「説三分」とかじゃなくて、もっと古い鼓吹曲(当時の軍歌の類。講演では「鼓吹歌」。宋書に載っている)に持ってきているあたりが面白い。実際、物語調になってるしね。蜀の鼓吹曲は現在に伝わってないが、伝わっていれば三国演義の源流になるという。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/149
 次は「三国志平話」に飛ぶ(三国演義関連の政治的な話らしい)。元代。三国演義との違いをまず説明。その大きな違いの二つ、冒頭の転生話と末尾の劉淵の話を紹介。それから成立した元代の時代背景が三国志平話にどう影響を与えているか(正当論、民族論、五行説、宋=漢)に話が移る。「事林広記」だと「元は宋を継承し」みたいな事実と反したことが書かれていることを指摘し、それは当時の願望を反映しているとのこと(政治的、民族的に微妙な問題)。
 それから韓国の話へ。李氏朝鮮時代に三国演義の記録あり(「小説を読むな」とか記述らしい。朱子学の精神に関連)。さらに時代が下って壬申倭乱(豊臣秀吉の朝鮮侵略の時)。明の軍人が関羽廟をつくるから、朝鮮にその資金を要請したとのこと。それで小説への反感が高まったとかで。ソウルの関帝廟の話。韓国人で参拝する人はいないとのこと。でも臥龍廟(諸葛亮)は参拝する人がいるとのこと。今では韓国では日本と同じく小説やらマンガやらゲームやらが流行っているが、今でも知識層の一部では否定的な意見が多いとのこと。日本ではそういった政治的なものが切り離されて三国志ブームが起こっている。

○報告  石井 仁(駒沢大学助教授)「三国時代の軍事制度」

 司会の中林史朗先生から石井仁先生の紹介がされ報告が始まる。三国演義との三国志のギャップを持ってきて、三国演義では一刀のもとにきりすてた、とかいって会場を沸かしてつかんでいる。古代ローマを引き合いに出して(塩野七生先生の「ローマ人の物語」の名がでていた)、実は三国志の軍事はよくわからないとおっしゃっている。但し戦争全体の戦略とか外交はわかるが、バトル(作戦レベル?)はわからないという意味。
 で話は渭水の戦い(曹操軍対韓遂&馬超軍)の話にうつる。長矛の役割(張飛の愛用している蛇矛で形状、つまり長柄を解説)。長矛の例として孫策軍対黄祖軍のときの劉表が黄祖に長矛五千の援軍をおくったという話にとび、さらに歩兵と騎兵の比率の話で、北の公孫[王賛]軍が3:1で袁紹軍が10:1、南の孫策軍が20:1という話(→だからまとまった長矛は歩兵だろう)。長矛はどう使われていたかの話。168年の逢義山の戦いからマケドニア密集軍を引き合いに出していた。
 「虎彪騎」は「鉄騎」で「重装騎兵」(馬もよろいをつけている)だと推測されるそうな。太平御覧に引く「魏武軍策令」に出ている馬鎧を証拠の一つとしている。それを使った軍事のこととして、三国志魏書の武帝紀の渭水の戦いの記述から軍の動きの予想図をレジュメに示している(ほかにも逢義山の戦いも)。つまり当時の中国にも古代ローマのように有機的な統合戦術があった、と。
 曹操の話。孫子研究の第一人者、とのこと(曹操の注釈が残っている)。「通典」に曹操の「軍令」があるとのこと。あと軍律は厳しかったとか、いろいろ。
 武将はおしゃれって話。例の諸葛亮の話とか(レジュメには横山三国志の二コマが載せられていた)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1452
 関羽と張飛の話特集。いろいろと。武人の地位はどうだったかって話とか。

※新規関連記事 メモ:「三国志演義」翻案マンガにおける「明光甲」後考(日本マンガ学会第22回大会2023年7月1日)

○ 休憩時間

 ネットの知り合い二人とは会ったんだけど、残りの知り合いに会えないかときょろきょろしていた。壇上の発表者の一人の和田さんがなにやら携帯で操作をしていた。事前に和田さんとメールのやりとりをしていたんだけど、もしやと思い、ノートPCを見るとメールが来ていた。それで席を立たずにお互い手を振り合う(笑)


・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感2へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/153

※追記 三国志演義の世界 増補版(2010年5月下旬)