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掲示板 件名 最新投稿

超日本人向け電子漢籍文献!「正史三国志原文検索」


  • 2005年9月 6日(火) 00:29 JST
  • 投稿者:
    KJ
  • 閲覧数
    3,415
ネット す、すごい電子工具書を発見しました!
私にはかなりのビッグニュースなんですが。

「正史三国志原文検索」

中研院の電子漢籍文献テキストをベースとしながらも、
世界書局『新校三国志注』を参考に校正をかけ、
段落・改行は、ちくま訳本に合わせてあるという、
なんとも使いやすいデータベースではありませんか。

直感的に使えます。

ちくま訳本のページで検索すると、それに相当する原文箇所が出てきます。
さらに語検索、つまりキーワードで検索できます。
GoogleやYahooのようにスペースで区切ってアンド検索できます。
ワ、ワ、ワイルドカードも使えます。*と?ですよ。すげー!
さらにさらに異体字にも対応していて、登録済みの異体字は
どちらを使ってもちゃんとヒットしてくれるーーー!

cgiを駆使したデータベースの傑作です。

ちくまのページで!立伝人物を選びながら!検索文字列で!
すばらひい。感動しました!便利なこと極まりない。

と、ここまでホメきっておきながらこの三国志ニュースで既に
紹介されていたら立場ないな・・・

そんなすばらしい「正史三国志原文検索」を公開しているサイトはこちら。
http://www112.sakura.ne.jp/~dokin/quietism/index.html
HINAさんの『QUIETISM』というサイト。

和食料理店「赤坂 魯粛」


  • 2005年9月 4日(日) 23:03 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,063
場所 2005年9月3日に「三国志納涼オフ会in東京」があった。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1897
その一次会の会場が「赤坂 魯粛」という名の創作和食店だった。

名前にあるとおり、赤坂にあるお店。赤坂の一ツ木通りの東に面するビルの二階にある。
階段を上がるとそこは写真のような入口。
和食を連想させるように竹が植えられている。

魯肅(字、子敬)というと三国志呉書に立伝されている人物。
ご存知、呉の重臣だ。
それがなぜ創作和食の店の名になっているのか、一番、興味のあるところ。

今回のオフ会では個室のお座敷に通される。
そこでオフ会の参加者たちがあつまりあれこれ三国志の話をしていたんだけど、やっぱりその中の一つに「赤坂 魯粛」のことが出てくる。
実はすでに「別冊宝島1133 三国志 僕たちの英雄伝説」で取り上げられていたとのこと。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/94
この中の企画の「ニッポン限定」三国志MAPで紹介されてたようだ。

ちなみに「赤坂 魯粛」の姉妹店の名前は列挙すると、Ruwanshon、刀削麺大陸、ルワンション、五籠とおよそ三国志と関係の名前。
では、なぜここだけ三国志と関係する店名、しかも魯粛なんて微妙にはずした名前?
改めて考えると「赤坂 魯粛」という店の名前の語呂は良いけどね。

オフ会の参加者の一人によると店長だった人が三国志が好きでそういう名前をつけたとのこと。今はよそへ異動になったらしい(もちろん情報の裏はとってない。結局、なぜあえて魯粛なのかわかんないし・笑)
異動しなければ、「青山 周瑜」とか「丸の内 曹操」とか「多摩 馬超」とか、三国志にちなんだお店が次々とできていったに違いない、と与太話に花をさかせるオフ会参加者(笑)
もしくは、異動先で「心斎橋 関羽」とか「難波 董卓」とかつくっているというかなり勝手な与太話も(笑)

ちなみに創作和食はおいしい。清岡のお気に入りは鮪トロしゃぶ。
この店はビジネス向けのお店のようで日曜は休みでオフ会をした土曜も結構、すいた様子だった。
(ふとみると契約を交わしているお客さんもいたし。)
なので、土曜祝日にはリーズナブルなお値段なサービスもあって今回はそれをつかっているようだ。

それにしても、この店に行ったあとは魯肅のように倉一つをあげる気前よさになるかも(笑)

肅家有兩[口+禾]米、各三千斛、肅乃指一[口+禾]與周瑜、瑜益知其奇也、遂相親結、定僑・札之分。

「絵に描いた餅」の元祖?


  • 2005年8月30日(火) 23:31 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    4,506
歴史 ・絵に描いた餅
役に立たないたとえ。計画などが実現する可能性のないこと。画餅。
三省堂「大辞林 第二版」より


毎週土曜日19時から三国志討論会(チャット)が開かれていることで時間があれば参加しようと思っていた。
それでなかなか参加できないでいたけど、この間の土曜日にようやく参加した。

・サイト「三国志愛好会」の「三国志討論会」
http://san-gokushi.com/

それで毎回テーマが設定されていて、その時は「三国時代の食物と体型」……だったと思う。
それで三国時代の食物の話題になって、麦を食べていたことはわかるけど麦を何の料理にしたかって話題になっていた。
パン? ナン?って話だったんだけど、そこで出てきた単語が「餅」。
餅の材料というとてっきり餅米からつくるのかと思ったら、そうでもないみたい。
その場で「字通」で調べてみると、麦の粉をまるめ蒸してつくったのが餅だそうな。

それで実際に餅ができる過程が史書に載っていないか、後漢書や三国志を調べる。
そうするとあまり関係ないことが目に付いて気になったのが、三国志魏書の盧毓伝。
盧毓(字、子家)は盧植の息子。
で、時代背景や前後関係の説明を抜いて、いきなりその文を書く。

時舉中書郎、詔曰:「得其人與否、在盧生耳。選舉莫取有名、名如畫地作餅、不可啖也。」

<清岡の適当訳>
(盧毓が)中書郎に登用されたとき、詔(みことのり)でいわれる。「その人を採用するかどうかは、つまり盧毓の生業いかんだ。選挙(登用の選抜)は名声があるから採用するのではない。名声は地に画を描いて餅を作るようなものだから、啖(くら)うことはできない」

詔を出すのは皇帝。このときは魏の明帝。
この人が「絵に描いた餅」という言い回しを使った元祖?
この言葉の由来?

とは言っても、三国志より先行する書物をきっちり調べたわけではないので、元祖がどうかわからないのだった。
なんか、普通に故事でありそうだしね。

2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感3


  • 2005年8月28日(日) 20:59 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,135
教育機関 ・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感2からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/153


○討論会
司会 渡邉義浩(大東文化大学教授)
東京大学三国志研究会・早稲田大学三国志研究会・学習院大学三国志研究会など。

 昼休みの食堂が混んでいたせいで、我々は20分遅れで会場入りする。当たり前だけど、すでに討論会は始まっていた。
 討論会というから、てっきり各大学の三国志研究会同士が何か三国志にまつわることを討論すると思いこんでいたが、どうやら違うようだ。午前の基調報告ならびに報告に関する質問を各大学の三国志研究会が用意していて、それを順次、報告者に質問していくって形式。
※あとで人伝えで聞いたんだけど、どうもコメンテーターがあらかじめレジュメを見て質問を用意していたようで、その質問内容は発表者側にはあらかじめ報せているようなことはなかったようだ。
 我々が到着していたときは早稲田大学三国志研究会の質問がすでに行われていた。
※質問と回答が1対1という単純なものではなかった(そこらへんが討論?)のと私の聞くテンションが下がっていたので、以下、ほとんどメモ書きになっている。さらに聞き間違え・聞き逃しが多数あると思われるのでご注意を。




▽早稲田大学三国志研究会の質問
・早稲田大学三国志研究会のサイト
http://www.jggj.net/3594

◎三国志はいつ頃、日本へ伝わったか(三国演義の方とのこと)。
(金先生)はっきりとは言えないと思うが三国演義の方は、嘉靖本。朝鮮に入ったのが(嘉靖本ができてから)数十年後だからそれと時をあまり隔てずに同じくして入ったのでは。

◎(日本文学か何かの論文で)太平記と三国演義がかなり似てるという表記。同じぐらいの時期(つまり三国演義ができてからすぐ)に日本入ってきた?
(金先生)三国志平話なども伝わった可能性もある。それより前の平家物語で似ている部分があるって話。能で三国志平話と似ている部分がある。

◎史書にみられる「虎豹騎」と「虎騎」の表記の違いと蜀の虎騎監について
(石井先生)「虎賁」(九錫の一つ?)という言葉から説明。
※このとき、渡邉先生が黒板に「虎賁(こほん)」と「九錫(きゅうせき)」とルビ付きで書いていた。以降もたびたび黒板で用語を書いてくれる。

・下記ブログ「げんりゅうの欣喜雀躍」の2005年8月2日の記事を参考にすると、ここは、げんりゅうさんの質問だったようだ。
http://blog.livedoor.jp/genryu_nori/
(※8月29日追記。上のようなことを書いてトラックバック送信したら、げんりゅうさんが上記ブログ、8月29日付けの記事でさらに詳しいことを書いていただく。質問の動機や上の論文の詳しい情報等ある)

◎三国演義における他の通俗小説からの影響で面白い話は何かないか。
(中川先生)ぱっと思い浮かぶのはないが、花関索伝が三国演義(毛宗崗本?)に取り込まれた過程。あと先生が発見したもので資治通鑑の話が三国演義に取り込まれているって話(嘉靖本にはない)。南京あたりで出版された三国演義では資治通鑑の話、特に呉に関する話が取り込まれている。そもそも三国演義より早い長編の白話小説がぱっと思い浮かばないので影響も思い浮かばない。
(金先生)(逆に)三国演義のストーリーが取り込まれることはたくさんある。呂布が劉備をののしる話。花関索の名前がみえるとか。


▽学習院大学三国志研究会の質問

◎曹操の歩戦令(軍令)と魏の兵戸制(軍制)との関係について。軍制が厳しい軍令を可能にしたのか、厳しい軍令を実行化させるために軍制をつくったか。
(石井先生)兵戸制の簡単な説明から。後漢末から南北朝時代の初期ごろまで兵戸という特別な戸籍をつくった(ある一定の兵士を出すための戸籍)。曹操の兵戸制のきっかけの話とか流民や黄巾賊(青州兵)を取り込んだ話とか。

◎青州兵と軍令とのギャップ。青州兵に略奪が多いことから、それらの兵に軍令が適応されていたのか疑問
(石井先生)今の話は先生の著作「曹操」にも書いている。曹操のエピソードから説明。曹操は青州兵を特別扱いしていた?(降伏したんじゃなく協力関係?) 中世の時代区分の話(領主とか私兵とか豪族とか)。このその他の国の中世(鎌倉幕府を例に)と同じでいいのか。

※ここで司会の渡邉先生から注釈。豪族(≠領主)と中世の捉え方で石井先生と渡邉先生は少数派。基本的な京都大学系の話を紹介(豪族=領主)。それから曹操と青州兵の関係の説の紹介

◎武将の軍事能力の位置づけ。合戦の実際のところ(チャンチャンバラバラじゃない?)。
(石井先生)曹操の武将たちへの事細かな指令の話。

◎陣形のこととか、バトル(千人規模ぐらい?)のこと。バトルの実状は?
(石井先生)バトルレベルだとあまりわからない。

◎最後に俗な質問。諸葛亮について。軍事的に優れていないと言われる風潮がありますがが、私はそれに疑問を持っていますが、石井先生はどのようにお考えですか?
(石井先生)おっしゃるとおりだと思います。名将というか

◎中国には政治的な側面がある。日本では政治的な側面がないのはなぜ
(金先生)簡単にいうと、軍事的に日本はほとんど中国と関係を持っていない。日本は中国の政治システムに入ってないから(三国志は中国の政治的背景があることと関係)。

◎日本では三国演義と水滸伝がともにはいってきたが、韓国ではどうか
(金先生)日本と同じ。需要の仕方に違いはあるが。共通点は多い。


▽東京大学三国志研究会の質問
・東京大学三国志研究会のサイト
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2832/
※この顛末は近日中に上記サイトの日記でアップされるとのこと

◎三国志をどういった経緯で研究しているのか
(金先生)三国志を研究しようと思ったことはない(場内わく)。大学二年のときの花関索伝発見で花関索伝に興味を持ち、花関索伝の研究から入った。戯曲の研究家。
(石井先生)三国志の専門家ではない。六朝史など。
(中川先生)小川先生の影響。授業で詩経の話なのにいつのまにか三国志の話になっていた。修士のときに花関索伝の研究会があった。そのとき、金先生のところへおしかけた(場内わく)。
(和田先生)研究家ではなく一ファンとしてしかお答えできない。サイトで日々、一つ一つ積み重ねていく過程が「三国志」だと。
(渡邉先生)科学者希望だったが高二のときに読んだ小説の三国志がきっかけ。大学のはじめ三国志を研究したい、って人は結構、多いが、みんな止めていった。当時(※今もか?)は「(研究対象に)三国志、何いってんの?」っていう風潮が普通だったとのこと。先生はそのままやってしまった。本を書くと儲かるのは(中国史の分野の中で)三国志だけ(場内、笑)。他の分野は本を書けば書くほど貧乏になる。
※司会に質問するのはルール違反だそうな。
(中林先生)子どものときから漢語読み(三国志も読んだ)。出版社と話していて、気付いたことに、三国志関係の出版は当時、関西の先生ばかりだったとのこと。それで「癪」と感じたとのこと(場内、笑)。曰く「一番、儲かるところをなぜ関西にとられないといけないんだ」(場内、爆笑)。その後、関西じゃない先生方に三国志関連の本を書いてもらったとのこと。やっと三国志関係を関東に持ってきたって話。その流れで今回のシンポジウムがあるってことだそうな(場内、笑いっぱなし。金先生から「私は関西」とツッコミがあったような…)。今後、この世界は若い渡邉先生中心に関東で進んでいく、ってことで締め。

◎三国志平話は庶民、三国志は知識層、演義はどういった層に読まれていた?
(中川先生)読者は誰か?はかなり難しいとのこと。本ですから、字を読める層。そうなると上層部?教養人? 小説は卑下されていたが机の下で実はいろんな人が読んでいた? 三国演義と教養人のエピソードを紹介(教養人が三国演義を読んでいることを知られ恥ずかしい思いをしたという)。

◎<延々と質問者の発表になっている質問> 日本における文化資源としての三国志? コミュニケーションツールとしての三国志?
(和田先生)あまり深く考えたことがない(※この質問だと質問の意図がわからないのは当たり前のような…)
(金先生)金先生のスーパー歌舞伎の話。「劉備が女で関羽と恋仲になる」っていう一作目の話。
http://cte.main.jp/sunshi/off/repo10.htm
主演の市川猿之助さんが先生の本をヒントにこの脚本を書いたとのこと。劉備が女性って考え方は中国で昔からあったとのこと(例えば三国演義で劉備だけがそれを暗示する双刀を持っている)。スーパー歌舞伎に協力している中国の雑伎団がこのストーリーに断固反対したが、タイトルに「新」をつけて「新三国志」ってタイトルにしてどうにか折り合いをつけた、とのこと。中国人にとって「三国志」というのは決まっている(三国演義は許容範囲のフィクションが入っている)。日本ではそういうのはありえる。韓国はその真ん中ぐらい。

◎鼓吹曲の話。蜀のが残ってないのは、漢から引き継いだので元々、なかったのでは?って質問。三国平話や三国演義に鼓吹曲の影響はあるのか?
(金先生)それだと蜀は同時代史的なものを作らなかったことになるが、それはそれで面白い。

◎蜀が史官を置かなかったと陳寿は書いているが、これは陳寿が私怨で悪く書いているから、実際は史官は居た?
(金先生)(史官がいたいないに関わらず)常識的に考えて、誰かが歴史(記録)を残したのは当然あったと思っている(今は記録にない)。呉はすんなり降伏したのに対し、蜀は征服された後に反乱が起こり成都が大混乱となるので史料が散逸したのでは。

※ここで、見に来ていた国士舘大学の津田先生に話がふられる。
(津田先生)諸葛亮のときに史官があったかなかったっていうのは本当にわからない。その後に置かれた可能性もある。史官はなにか?って問題にもかかわってくる。歴史編纂官? 天文官? あと、蜀は後漢の制度をそのまま引き継いでいるんで国史編纂をやっていた可能性はあると思う。
※ここで津田先生からの質問
◎漢の鼓吹曲は○○と□□(※ききとれず)の両方ともある?
(金先生)カンジョにあるだけだと思う。

※リンク追記。
・Re:蜀の史官の存在について   (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」内ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=3171

◎六朝期を経て兵書が消えていった理由、豪傑たちが重視されなかったこと、兵法が学問として成立しなかった理由等
(石井先生)バトルはよくわからなかったが、ストラティジーはよくわかる。曹操の兵書は実際の話よりは理論的な話になっている。バトルは職人技→中国では職人の地位は低い。理論をくみたてるのは尊重されるが実践する人は尊重されない。文官が優勢になる。
(金先生)三国時代までは文武のバランスがとれている。六朝期を経た後は圧倒的に文治社会。その理由は難しい。武という文化(武人文化)が消えてしまったわけではなく低層で受け継がれていたのではないか。近代以前の最も大きな組織は官僚組織と軍人組織。(話変わって)芸能というのは軍事と表裏一体。軍隊の中に芸人がいる話。


▽大東文化大学三国志研究会の質問
※残り1分で出番が回ってくる。

◎新三国志の話(劉備が女)と「登場人物があたかも韓国人」というレジュメの記述をふまえ、日本での三国志物語と韓国での三国志物語の中でキャラクターに大きな違いがあって面白いってものを紹介して欲しい。
(金先生)趙雲を題材にしたある小説の話。三国志とは違う話になっている。アドリブ的にかかれた箇所(兵士の会話部分とか)が韓国になっている。

○渡邉先生による討論会、閉会の挨拶。
なかなか難しい質問が多かった。

○中林先生による「三国志シンポジウム」閉会の挨拶
※ここでの冒頭で、先の文武の質疑応答の注釈が少し入る。なぜ文が強くなってきたかは儒教社会の成立が関連。
来年再来年とこういったシンポジウムを開きたいがそれは予算次第ということ(場内、笑)


 というわけで満場拍手で終了。
 振り返ってみるとかなり満足なシンポジウムだった。

・三国志シンポジウムの感想・コメント等は下記のリンク先で
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1871


 個人的なことだけどこの後、ネットの知り合いとでプチオフ会を開くのでした。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w050801.html

 さらに2005年9月3日にオフ会をやろうという話が派生した。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/151

<次回>2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/374

三国志大戦公式大会「覇業への道」(2005年8月20日~9月25日)


  • 2005年8月24日(水) 17:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,544
ゲーム

大会名:三国志大戦公式大会「覇業への道~英傑達の初陣~」
参加費:1人 1000円

2005年8月20日から9月25日の間で全国各地のアミューズメントスペース(主にセガの店舗)で三国志大戦の公式のゲーム大会が行われるとのこと。「全国大会」モードや「先駆け大会 魏限定戦」等の大会モードとは別とのこと。
(公式ではないのは全国でちらほらとあったみたい、下記のURLが一例)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/138

開催店舗、スケジュール等、詳しくは下記のサイトで。

・三国志大戦公式サイト
http://www.sangokushi-taisen.com/
・am.sega.jpイベント情報ページ
http://am.sega.jp/


情報交換等は三国志大戦TBPやファンサイトを利用すると良いかも。

・三国志大戦TBP
http://www.blogpeople.net/TB_People/tbp_3004.html
・ファンサイト「三国志大戦 覇王への道」
http://g-master.org/3taisen/
それにしてもあまりよく知らないんだけど8月の下旬から始まるゲーム大会は普通なのかな。
実は9月まで夏休みの大学生をターゲットにしてたりして。