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掲示板 件名 最新投稿

三國相承展トリニティ「呉-wu-」10月10日に延期


  • 2008年6月11日(水) 22:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,783
ネット ・三國相承展
http://359s.net/

すっかりチェックし忘れていたけど、上記サイトにあるように、三國相承展トリニティ「呉-wu-」は2008年6月6日の開催を予定していたが、映画『レッドクリフ』の日本公開(2008年10月)に合わせ、2008年10月10日に延期したとのこと。
それに合わせ「蜀-shu-」の開催は10月10日から未定になった。


※関連記事
 三國相承展トリニティ「魏-wei-」今秋開催決定
 呉宇森(ジョン・ウー)監督『レッドクリフ(RED CLIFF)』報道まとめ

※追記 三國相承展 今展中止及び凍結休止

三サポ板五周年記念オフ会二次会


  • 2008年6月11日(水) 22:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,284
ネット ※目次 三サポ板五周年記念オフ会

※前記事 大三国志展(出土品でたどる三国志)


 2008年6月1日17時15分、清岡三口宗さん、伊比 学さんの三人は東京富士美術館から戻ってきてJR八王子駅から中央本線で立川駅へ向かう。道中、三口宗さんから『Mobile真・三國無双』を見せて貰っていた。あと伊比さんから論文から和訳をかき集めて一つの訳本にするという技法(例『華陽国志』)の話を聞く。それとコピーの話。三口宗さんの話によるとコピーにも機種によって劣化しやすさがあるそうな。
 17時半、立川駅西口でUSHISUKEさんと合流。この中で清岡だけはUSHISUKEさんと昨日、会っていた。南側のカラオケルームに行くことに(いつもの如く歌わず話し込むために使用)。
 カラオケルームの受付前にはすでに何人か客が待っており、どうやら18時ぐらいまで待つとのこと。どうも法律の影響で16歳未満は18時以降、カラオケルームに居れないとかで(保護者同伴だと時間が変わるとか)、そこで一斉に空くんだろうなんて言っていた。
 待っている間、清岡は伊比さんに昨日、USHISUKEさんと話していたことを語っていた。その話の流れで第7回三顧会での玄鳳さんの発表についての話を聞いていた。伊比さん曰く、一般に向けての発表の極意は知識をなるべく出さないこと、と。なるほど。
 カラオケルームに移動し、下記のような席位置になる。


 清岡  | テ ー ブ ル | →東、出入り口

 三口宗さん  伊比さん  USHISUKEさん


 まずはUSHISUKEさんに「大三国志展」を見に行った時の様子を報告していた。それからワンドリンク制なので各自、注文する。

 清岡「じゃ自己紹介から始めましょうか……我々三人は昼すでにやりましたんで(笑)」

と言ってUSHISUKEさんに自己紹介を振る。そうすると何、話せばいいか聞き返されたので、三国志との出会いと、好きな人物と答える。USHISUKEさん曰く「水境先生(司馬徽)」。そこで昨日の「三国志の宴3」のアンケートでも水境先生と書いていたそうな。特に好きな人物は決めてなくて昨日はたまたま水境先生だったとのこと。

 ここで各人がUSHISUKEさんといつ初めて会ったかという話。清岡は第1回三国志シンポジウムのとき。三口宗さんは去年の第2回三国志学会大会のとき。伊比さんは2005年の忘年会のとき。てな感じで少し思い出話に花が咲く。そういや忘年会のときはUSHISUKEさんと清岡を含む計四人で早朝の寒い中、東京駅周辺を彷徨って結局新宿に行った、って話をしていた。

 USHISUKEさんは「(今日、オフ会に参加した四人は)それぞれ今日の前に会っているわけですよね」と言うと清岡は「それぞれ四人の対応図を作ります?」とボケたら、USHISUKEさんはさらに「こことここは『敵対』!」とボケを重ねる。
 ここでドリンクが来たので「お疲れ~」と。ここでしばしmixi内の三国志関連のコミュニティについて話していた。
 その流れでサイト「AKN'S図書館」だったドメイン、akn.toが今、サイト「アルバイト求人ネット」になっているってことを清岡が伝えたら、「AKN'S図書館」は三国志関連の刊行情報がバッチリ載っていて素晴らしいサイトだったという話になった。三口宗さんは他のサイトも含めそういったネット上の三国志関連コンテンツが失われることは恐いので今からログをとっていた方が良いのではと言って、伊比さんはInternet Archiveでログを拾っていくしかないのでは、と返す。そういえば、昔、tRTK CHATの管理人のKz-8さんが三国志サイト専門のアーカイブサイトを作っていたと話す。あとサイト「英傑群像」で閉鎖されたサイト「Angel Fish」の旅行記コンテンツを譲り受けたという事例も伝えた。アーカイブする人が自分のサーバーを持たないといけないとUSHISUKEさんが疑問を呈する。そうです、と答える一同。伊比さんは自らのサイトは旧式なので、ドメインが無くなったら、ローカルで保存しているデータをそのまま別のドメインへ挙げるだけ、と言う。ここで伊比さんの疑問からブログのデータ構造の話。無料ブログサービスのサイトだと、大元が無くなったら消えてしまうな、って話していた。

※追記 tRTK CHAT閉鎖(2009年6月10日)

 ここでまたmixiの話に戻って、普通のサイトだと消してもgoogleのキャッシュやInternet Archiveに残っていることが多々あるが、mixiは消すと痕跡を残さず消えるんで、勿体ないな、という話を清岡が振る。さらに言えばマイミクが消えた(あるいは切られた)痕跡も残さないって話になって、USHISUKEさんから「マイミクを切るという機能があるなんて知らなかったな」という何だかほっとするセリフを聞くことができた。

 USHISUKEさんから、「三国志の宴3」でもそうだったが(※同じイベントに参加していた清岡は気付かなかった・汗)、最近、張遼に人気があるのはなぜだろう、って話を振られる。そうすると三口宗さんは『蒼天航路』の影響と言って、伊比さんは『三国志大戦』は言う。三口宗さんによると『三国志大戦』で張遼は使いやすいそうな。そこでDSで新発売されるソフトの話になった。知らない間にあれこれ変わっているんだね。武器とかもあるらしい。

※関連記事 2008年8月7日『三国志大戦・天』(ニンテンドーDS版)

 実はUSHISUKEさんが持っているニンテンドーDSで『三国志大戦DS』をしようとするとアンチウィルスソフトにシャットアウトされて一度も他人と対戦したことないそうな。「いつでも自分との戦い」というフレーズをおっしゃっていたのが妙に可笑しかった。
 その後、清岡は三国伝の話を振ったり。部隊兵は売ってない。
 あとみんなで『21世紀エジソン』を見たり。この番組で出ていた横山三国志の『三国志占い』についての話の流れで、三口宗さん曰く「三国志関連の出版は出せば売れる」に対し清岡&USHISUKEさん曰く「全然、売れている感じじゃない」と意見の対立を見る。ここで三口宗さんが具体的な例としてマンガ関連が増えていることを挙げた後に、三国志関連の書籍も近頃、次々と目にすることを挙げ、さらにはそれらの書籍の内容について言及する。曰く、見ると内容がショボくて買う価値がない、と。清岡が「初心者にはそれぐらいが良いのでは?」と言うと、三口宗さん曰く「初心者にあれを見せてはいけない」とのこと。その理由として、そういった書籍を初心者に見せると誤った知識を与えてしまい、それを訂正するのに膨大な時間がかかるという。なるほど。伊比さんは初心者こそがそういう本の購買層だ、とコメント。三口宗さんが挙げた具体的な中身の例は、『三国志』などの歴史や『三国演義』などの創作をごっちゃまぜにした内容とのこと。三口宗さんは立ち読みで前と後を見て判別するとのこと。
 伊比さんからの話で、そういった書籍で自分が知らないネタに遭遇すると、それは完璧にネタなのか、(その書籍の)誤解なのか、ひょっとしたら新手の話なのか、と三種類に分けられ、今日の「大三国志展」でも諸葛亮が発案した「まきびし」があったが、それも判断に迷うという。清岡は「提供元の博物館が主張したら誰もツッコミを入れられない」、三口宗さんは「要するにでっちあげ」とコメント。さらに伊比さんは「もしくはどこかしらの民間伝承?」と発言。
 ここで伊比さんから三国志城にあった諸葛亮の一族の家系図の話になる。そこにあった謎の娘の話(※その場でネットにあるんじゃないの、と調べたが見つからず)。出典のところを見ると明だか清だかの文献になっているんだそうな(※8/17追記。ここらへん清岡の記憶違い。さらに三国志城で確認すると出典の表記はない)。その文献自体、ネタなのではないか、もしくはそういった話はどこからわいてきたのか、民間伝承ならば民間伝承で文学的な価値はあるだろうとか、おっしゃっていた。三国志城自体、撮影禁止なので、伊比さんはその家系図をノートに写し取ったそうな。そういった話を清岡は第8回三顧会に参加した人のブログあたりで見かけた、と告げ、実際、その場で家系図に言及した記事を二例ほど見ていた。後の例の記事について三口宗さんはちゃんと調べていることについて絶賛していた。
 そういった出典のわかりにくいって話で、馬岱の字の話がありますね、と清岡が話を振り、さらに「三国志ニュース」のコメント欄で話していた地方志の年代について三口宗さんに聞く。どうやら明清時代にまとめられた地方志らしい。「とりあえず私は『明清時代』に作られたものと聞けば満足」、「地方志でもせめて唐代ぐらいまで遡れれば良いんですが」と清岡。さらに三口宗さんによるとその地方志は清代のものという。サイト「後漢書家頁」の管理人さんによると、その地方志には出典が明記されていないので、清代までしか辿れないと結論(※とは言ってもちゃんと自分で確認しないととやかく言えないのが残念)。一応、清岡から「ファン層によっては出典の確かさは問題にならず、ともかく字(あざな)があることで盛り上がることができれば良いんでしょうね。その思いをも否定したらかわいそうですよ」(※話しながら子義祭りの話を思い出していた)とフォローを入れておいた。(※清岡のノートPCをテーブルに置き、該当する記事を皆で見ながら話をしていた)
 そして清岡からこの話のオチとして、2008年6月28日29日公演の「鋼鉄三国志 歌劇舞台~深紅の魂よみがえりしとき~」に「馬岱伯瞻」が出る、と告げると、大うけだった。これを聞いて三口宗さんは見に行こうかな、とおっしゃっていた(笑) 「こういった社会現象は面白いですね。二、三年経てば情報源が判らなくなって我々がしたり顔で語るんでしょうね」と清岡。

 ここで三口宗さんからネタとして『まじかる無双天使 突き刺せ!! 呂布子ちゃん』の単行本と『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』の単行本が場に出された。DRAGON SISTER!って張角三兄弟だったんだ、と伊比さん。すごいですよ、呂布子ちゃん、とUSHISUKEさん。実はUSHISUKEさんは『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』の単行本1巻を「早稲田祭2005」で早稲田大学三国志研究会からもらったそうな。ここで呂布子ちゃんのアニメの話をしていた。単行本にアニメに関することがマンガで書かれてある。
 そして三口宗さんは「お金が持てば三国志図書館、実際作ってみようかな」とおっしゃっていた。そして清岡から冗談で「三国志城の三国志文庫が競合相手になりますね」なんて言っていた。伊比さんが三国志城を訪れたのは三国志文庫がまだない2004年以前であるため、それは今、どれぐらいあるって話になる。伊比さんが三国志城に言ったときは『三国志研究要覧』が定価で売られていたという話から、それは復刊ドットコムで今も投票を募っている話や、その役割が『三国志研究入門』になったのではという話などをしていた。三口宗さんは『三国志研究要覧』を古本で探しているそうな。
 ここで三国志城や三顧会の話をしていた。実際、その場で、ネットから孔明灯が上がった写真や食堂のメニューなどを見ていた。ここで三口宗さんに話を振られ、経験者の伊比さんから東京から青春18きっぷで三国志城へ行く方法を話していた。
 ここで中国の民間伝承の話になり、伊比さんによると、曹操が太史慈に薬草の「当帰」を送ったエピソード(『三国志』呉書太史慈伝)が、民間伝承では姜維と姜維の母との話になっているそうな。姜維が魏の領土になってしまった故郷の母を案じ、薬草を送ると返答として「帰ってくるな」という意味の薬草が返ってきたとのこと。
 「大三国志展」の話になり、朱然の刺の話曹全碑の話をしていた。曹全碑の話→李儒の話→やっぱり牛輔の話。USHISUKEさん曰く「三度の飯より牛輔好き」。
 牛輔の話→昨日の抽選会の話→『アレ国志』の話→『コミック三国志マガジンWeb版』の話→以上の話を昨日の夜に、近頃の三国志ものとして清岡がUSHISUKEさんに話したという話、と続いて、USHISUKEさんは昨日の夜に、教えてもらったブログ「古代中国箚記」をブックマークした、とのこと。他の人も知らなかったようなので、(清岡から)紹介できてよかった。

・古代中国箚記
http://ancientchina.blog74.fc2.com/

 そこから『廿二史箚記』の話→三口宗さんがコピーを持ってきていた『三国職官表』の話になり、サイト「むじん書院」の話になって、ブログの話(下記)をしたら、三口宗さんは知らなかったんで、(清岡から)伝えられてよかった。

・思いて学ばざれば
http://d.hatena.ne.jp/mujin/

 その流れでUSHISUKEさんがサイト「三国志博物館」(下記)は携帯で見やすいって話から(実際、USHISUKEさんは手元の携帯で見ていた)、

・三国志博物館
http://359kk.nobody.jp/

mixiが携帯でも見れることからもネットを見る主流はPCから携帯に移ってきているんでしょうね、と清岡。
 ここで三口宗さんも携帯でいろんなサイトを見ていて、三国志ニュース、三サポ板孫氏三代を実際、見せて貰う。ここで清岡は気付いたんだけど、携帯の機種か何かの提供で、PC用のサイトを携帯で見ることができるようにするサービスがあるんだね。画像の表示を制限したり全角カタカナを半角に変えたりするスクリプトを挟むようだ(※ちょうどページごと変換する翻訳エンジンみたいな感じ)。USHISUKEさんも三口宗さんもこの日、清岡が書いたブログ記事を読んでいた。

 というわけで、21時になったのでカラオケルームを出る。立川駅で解散となる。
 皆様、お疲れさまでした。

 この後、清岡はやはり新宿の24時間営業モスで夜行バスの発車時間まで待っていた。


※次記事 第2回三国志祭(三国志コレクション)

孔ピー!周ピー!


映画

10月公開予定のレッドクリフの前売り券に
孔ピー!周ピー!が付いてくるそうです。
どっちも欲しい・・・!

↓情報元です。
なんで三国志の孔明と周瑜がキューピーに?その名も孔ピー!周ピー!… - goo 映画
 

大三国志展(出土品でたどる三国志)


  • 2008年6月10日(火) 18:48 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    4,829
展覧会 ※目次 三サポ板五周年記念オフ会

※前記事 大三国志展(物語でたどる三国志)

・東京富士美術館
http://www.fujibi.or.jp/
・大三国志展
http://www.fujibi.or.jp/exhibition/sangokushi.html
・大三国志展ブログ
http://www.fujibi.or.jp/3594blog/

※関連記事
 大三国志展(2008年5月3日-7月13日)関連情報
 「大三国志展」の日程 via 「大三国志展ブログ」


 2008年6月1日14時過ぎ、暗がりの部屋を抜けるとそこには騎士俑がテーブルの高さのショーケースにたくさん並んでいた。


■パート1 戦う -軍雄の足跡-

 ここからが後半の「出土品でたどる三国志」エリアのようで、出品番号もリセットされている。
 作品リストを見ると、ショーケースの中に馬や馬車を合わせると8体、並んでいる。例えば、国家一級文物の漢代の「銅車馬儀仗隊:銅主騎/車馬儀仗俑群:主力の馬」(1969年甘粛省武威市雷台漢墓 出土)(※No.10)。この種類の俑は2005年10月に「よみがえる中国歴代王朝展」、「中国 美の十字路展」と立て続けに見ていたので思わず「懐かしい」と声に出してしまう。そして後者の展覧会で展示場入り口近くあった俑の隊列を中年男性が写メを撮るという禁止行為をしていたことを思い出していた。デフォルメされているといっても人と長柄の武器の比率(人の高さぐらい?)や馬車の上では正座して乗っている、皆、[巾責]を被っている、が表現されていない等、参考になる点は多い。いささんから質問され、引っかける武器の戈(か)との突く武器の矛の二つの要素を合わせた戟(げき)がこれ、というような説明をする。あと伊比さんが馬上での戈や戟を使うとき馬首によって妨げられるのでは、とコメントしたのに対し、馬上で片側しか攻撃しない無双馬超とボケる清岡(※前日のさくら剛さんからのパクリ)。その直後、清岡は画像石で戟を両手で持って馬上から正面の馬上の者を引っかけ攻撃しているところが描かれているとフォローを入れておいた(※『漢代の文物』挿図10-24)。あと、いささんが馬の頭の上に乗っている角のような飾りが何か疑問を持っていた。後ほど別の展示の解説に飾りであると説明があった(※今、『漢代の文物』を見てもしっくり該当するものが見あたらないな)。
(※ちなみに林巳奈夫/著『中国古代の生活史』の100ページにこの種の騎士俑のスケッチが載っている)
 同じショーケースにある二台の馬車。パラソルのある「銅車馬儀仗隊:銅[車召]車/車馬儀仗俑群:官吏用の軽馬車」(※No.10)と何も覆いがない「銅車馬儀仗隊:銅輦車/車馬儀仗俑群:遠征時に官吏の家族が乗る馬車」(※No.10)。後者を指して伊比さんが実際は覆いがあるんでしょうね、と言ってて、実際、馬車の両側には引っかけるような穴が三対あった(※今、『漢代の文物』P.348を見ると「輦車」は『釋名』で「人の引くもの」となっている。元のネーミングが間違っているのか、日本語訳が間違っているのかどっちだろ。まぁ当時の言葉と昔の言葉の違いってのもあるが)

※追記 TDSで騎士俑

 次は一旦、「■パート2」のところを見ていて、注目していたのは国家一級文物の三国代の「陶猪圏/豚小屋の模型」(※No.10)。小屋の下に豚が居る明器だ。清岡は同じモチーフの明器を2006年4月に「中国古代の暮らしと夢」で見たことある[口+豕]だけど、つまり小屋が便所でその排泄物を豚が処理する構造…というようなことを、いささんに説明していた。どの階層までこういったものを使っていたのだろう、と清岡は疑問を口にしていた。
 三国・蜀の「「太平百銭」銅範/太平百銭の銅鋳型」(※No.48)。鋳型なんだけどここに流し込むのか逆に押し込むのか、イマイチ使い方が判らず、四人の意見が一致しなかった。銭に書いている太平は線対称であるためそこからネガなのかポジなのか糸口を掴めずに居た。
 その次が銅銭の数々。例えば三国・呉の「銅銭「大泉当千」/呉の貨幣」(※No.47)。貨幣で魏(漢)、蜀漢、呉が揃っている。どれも円盤に四角い穴が空いていて、その周りには文字が書かれている。魏からの展示は「五銖」、呉からの展示は「大泉五百」「大泉当千」、蜀からの展示は「直百五銖」「直百」「五銖」「太平百銭」「定平一百」となっている。後漢の貨幣は五銖銭であり魏の貨幣はそれを受け継いだ五銖銭だけが展示されおり、蜀にも五銖銭があった。これを見て伊比さんは蜀の制度について細かく残っていないのは、蜀自身は漢であり(漢の制度を受け継ぎ)蜀独自の制度を記録に残さなかったという話がありましたねとおっしゃっていた。この時、清岡は三国志シンポジウムの討論会での鼓吹曲に関することを思い出していた。

 「■パート1」のところに戻ってきて、国家一級文物の三国・呉の「環首鉄刀/鉄製の刀」(※No.1)。やはり鉄なのでさびさび。
 1980年に漢中の定軍山から出土した三国・蜀の「銅扎馬釘/馬用のまきびし」(※No.5)。解説文では「まきびしを発明した」とあって清岡は伊比さんと出典不明と言い合ってた。諸葛亮と関係あるんだろうか。それに単に定軍山から出たというだけで用途不明のような気がしていた。
 共に国家一級品の三国・呉の「鉄戟/鉄製の戟」(※No.2)、「鉄矛/鉄製の矛」(※No.3)。固定する部分があるため大きさはどんなものだろうと語っていた。赤壁山、南屏山、金鸞山出土の三国の「四[稜のきへん」形鉄箭鏃/赤壁古戦場より出土した鏃」(※No.4)。三国時代のものと、どう同定したのか気になった。
 国家一級文物の三国・呉・黄武元年(222)の銅製の「「黄武元年」銅弩[臂部複製]/黄武元年の銘が入った石弓」(※No.6)。清岡が「木の部分が残っているなんて珍しいですね」と言ったらすぐ伊比さんから「いや、複製です」と指摘された(笑)
 南京市博物館の「連弩[複製品]/諸葛亮が発明したと伝えられる連射可能な石弓」(※No.8)。これも何に基づいて複製したのか気になるところ。「開運なんでも鑑定団」で撃っているところを思い出し清岡は「おもちゃみたいに機械的に矢が飛びだすんですよね」と言っていた。
 国家一級文物の後漢の「銅馬、牽馬俑/馬と馬を引く人物の像」(※No.9)。解説文によると馬はリアルだが人はデフォルメされているそうな。確かにそんな感じ。

 いささんから「虎戦車の元になったのは何なんでしょうね?」と聞かれ、清岡は「『三国演義』じゃないんですかね」と素っ気なく答えてしまった(※今、『三国演義』を見ると「第九十回:驅巨獸六破蠻兵、燒藤甲七擒孟獲」に出てくる「仮獣」ってやつだね)。いささんからさらに「じゃあれは何ですかね、『虎彪騎』ってのは?」と聞かれ、清岡はうろ覚えながら「三国志シンポジウム」を思い出しつつ自信なさげに「馬に鎧をつけたものという説がありましたね」と話していた。あと伊比さんは「親衛隊ですかね?」とコメント。ここで三口宗さんに話を投げた。

 三国・呉の「青磁跪姿持盾俑/跪いて盾を構える兵士の像」(※No.13)。解説文には帽子とあるが兜のような気がする。
 よくムックで見かける「転射」があった。漢代の「木転射/砦の石弓射撃用枠」(※No.15)。41cm×41cmという大きさ。複製ではなく出土したもの。
 漢代の「「[各隹]城」磚、「[各隹]官城塹」磚/[各隹]城の名が刻まれた煉瓦」。伊比さんは「[各隹]城から『[各隹]城』と書かれたものが出たら本物だと思いますね。わかりやすいけど逆に疑いますね」とコメントし清岡は「たまに偽刻ってあるようですよ」と返す。
 三国・魏、石刻建立の「「袞雪」拓片/曹操の筆と伝えられる石刻文字の拓本」(※No.22)。魏王という書名入り。石刻は1970年に出土したとのこと。ご丁寧に漢中市博物館でこの石刻が飾られている様子の写真もあって反射的に「本当か?」と笑いながら言ってしまった。
 「「三台」模型/曹操が建造した金虎台・銅雀台、冰井台の模型」(※No.21)。何を元にした模型か気になるところ。
 国家一級文物の後漢の「四神柱石台座/受禅台の柱の礎石」(※No.23)。玄武の蛇の巻かれ具合を見ていた。


■パート2 治める -政治・経済-

 後漢の明器「五層連閣式彩絵陶倉楼/5階建ての連結した楼閣」(※No.24)。楼の中にいる人形と高さ的に目があってしまう、と伊比さん(笑) 説明で清岡「(人形を指し)あそこから見張っていて……つまりこの展示物から見て我々が敵!」と言う。
 そして清岡のお目当ての三国・呉の「木刺/呉の将軍・朱然の名刺」。三つあるものの、「問起居」と書かれたやつ(いわゆる「刺」)。「持節右軍師左大司馬当陽侯朱然再拜」と書かれた「謁」は今回、ないようだ。清岡が気になったのは大きさ。作品リストにばっちり書いていることに気付かず、ショーケースの前でずっと「大きさどれぐらいでしょうね」と言っていた。作品リストによると長24.8cm、幅3.4cm、厚0.6cm。やはり長さは一尺ぐらいなんだね。三つとも「字義封」の文字が少し左寄りになっているところが気になった。こういうフォーマットなのかな(※今、『漢代の文物』挿図11-39を見ると一例、「南昌字子遠」の文字が左寄りになっているように見えなくもない)。後は始まりの文字と終わりの文字がかなり木簡のギリギリに書かれている。

※参考記事 三国時代あたりの名刺(謁、刺)

※追記 京都で哲舟さんを囲む会(2013年2月5日)

 ここらへんの一角はどうやら「■パート1」とかの区分に無関係で朱然墓特集の様相を呈しているようだ。
 朱然墓の「漆盤[複製品]」/季札と徐王の故事が描かれた漆塗の大皿」(※No.26)。伊比さんと清岡は複製品であることに気付かず「新し過ぎ」と疑ってしまう(清岡はおまけに「漆器だから劣化しにくい?」とコメントしていた)。描かれてる人物の服装は馬王堆の導引図に似ているので納得するが確かに新しい(笑)。あとその漆盤や朱然墓の「木履[複製品]」/漆塗の下駄」(※No.71)の横にあった「木履横にあった朱然墓の「漆砂硯[複製品]/漆塗の硯箱」(※No.41)はかなり古ぼけた感じだったので、清岡は「あれは本物ですよね?」なんて言っていたら同じく複製品だった。伊比さん曰く「古ぼけ具合を複製しているんですよ」
 それと気になったのが朱然墓の「漆匕[複製品]/漆塗のさじ」(※No.60)。匕(さじ)と銘打たれているものの、見ると長12.4cm、幅4.1cm、厚0.75cmで立体的な湾曲があまりない板状に近いもの。一端が四角く、もう一端が円い。これでは少なくとも現代のレンゲやスプーンみたいな使い方は出来そうになく、どういった物に対し使っていたんだろう、と疑問を持つ(※この後のオフ会でその旨を話したら、冷静に考えればアイスクリームを食べるときに使うスプーンも板状と言われる)。ここらへんは『礼記』あたりと照合すれば良いかな。
 それから三国・呉の「木牘/呉の名籍、身分関連文書」(※No.37)。いわゆる長沙走馬楼呉簡。肉眼で見るのは初めてだった。
 次が国家一級文物の後漢~西晋代の六つの印(※No.31-36)。印面の大きさは、2cm強四方。西晋の記の「晋帰義羌侯」の文字を見て、体制に逆らえば「叛羌」、従えば「義羌」かということで妙に納得していた。あと印の頭にある動物はそれぞれ駱駝([氏/一]族の印)やら蛇やらと表現されていて、解説文も西方には駱駝、南方には蛇となっていた。何か方位に意味があるのかな?、と伊比さん。
 その次が国家一級文物の三国・魏・正始年間(240-249)の「魏 正始三体石経/魏の正始年間に3種類の書体で彫られた書の石刻」(※No.38)。有鄰館で見た正始三体石経は結構、小さかったがこれは38×32cmというかなりの大きさ。それと合わせ壁の上の方に「清拓魏正始石経軸/正始三体石経の拓本」(※No.39)が展示されていて判りやすかった。解説文を見ると三体は古篆体、小篆体、隸体。当時の字典みたいなものかな、と言っていた。

 部屋の中央のガラスケースに行列ができている後漢の「銀縷玉衣(附玉枕)/曹操一族の墓から出土した玉片を銀糸で綴った葬衣と玉製枕」(※No.18)へ意を決して皆で見に行く。他の展示物にも気になっていたんだけど、これにも貼ってある分類シールが目立つ。清岡は「よみがえる中国歴代王朝展」で見て以来かな、銀縷玉衣は。

※追記 関野貞資料と墳墓の世界(2011年3月2日)


■パート3 生きる -生活・文化-

 画像石磚を見ながら、男女とも右衽(えりが右)であることを確認する。画像磚は画像石と違って色が付いていて服の色が判って良い、なんて口走っていた(画像磚でも拓本だと色はわからないが)。
 それと国家一級文物の三国・魏・黄初2年(221)「「黄初2年」銅鏡/黄初2年の銘が刻まれた神獣鏡」(※No.66)。銅鏡の右側の縁に沿って文字が「黄初二年十一月二十七日癸巳揚州會稽山陰」と書かれてあって、日付と十干十二支が並んで表記される事例もあるのかと感心していた(※清岡自身の趣味の小説書きで、分かりやすさと時代性を表現するため日付と十干十二支を並べて表記することがあって、前々から正しい表記なのか疑問に思っていた)。左隣に伊比さんが居て、文字について話していたら、右隣の知らない人から「文字が書いてあるのか」というような旨を聞かれ、どこに何が書いてあるのか説明したら、親子共々感心された。
 墓から出た黄金シリーズ。清岡は、埋葬品だから必ずしも金ピカそのままで使われていたわけではないのでは、とコメント。
 次に朱然墓の「漆案[複製品]/宮廷の宴会の様子を書いた漆塗のテーブル」(※No.77)。高3.8cm、56.5×82.0cm。まず席に膝をついたままお尻をあげている描写に目が行き、こういう恰好もありなんだと感心していた。また描かれている人物に(複製元の段階で)それぞれに「夫人」とか細かく文字が書かれてあって、解説文によると左上の一段高いところに座る人が皇帝・皇后のようで「あの奥に居る偉い人は何なんですかね…もしかして孫権ですか?!」なんて言っていた。
(※この時、うっすらと記憶にあって、今、確認してみると、下記のサイト「睡人亭」の「三国志のページ」の「朱然墓」のページの「これは孫權?」の項目で、この漆案について触れられているね。陸遜も居たんだ・笑)

・睡人亭
http://www.shuiren.org/
・朱然墓
http://www.shuiren.org/sangoku/syuzen.htm

 その左に判りやすく山田卓司/作「三国志の風景「酒宴の宴」/出品No.77≪漆案≫の図柄を元に制作したジオラマ」(※No.78)。清岡は「ちゃんと(敷物の)『席』が再現されている」なんて言っていたら、他の三人に説明する流れになって、以前、三サポ板で出てきた「同席」の話(下記リンク先参照)を伊比さんから振られたのでそれも説明していた。

・座るときの敷物の呼称
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2959

 次に共に国家一級文物で後漢の「彩絵陶説唱俑/物語を歌い語る芸人の像」(※No.74)と「彩絵陶説唱俑/物語を歌い語る芸人の像」(※No.75)。伊比さんが両方とも腕輪みたいなのが表現されていると言い、服の袖を表現しているかもしれないと清岡は返答。モンゴル相撲の服みたいなのをイメージしたんだけどどうだろ。それと清岡は解説文の見たまんまの表現を面白がっていた。最後に「滑稽みあふれる」と著者の感想も述べられているし(まぁ西洋美術の解説でも見たまんまなものも多いが)。
 次に国家一級文物の漢代の「彩絵六博木俑/六博[中国古代の囲碁]で遊ぶ人の像」(※No.82)。ここで清岡は「六博(りくはく)で『中国古代の囲碁』とするのはおかしいやろ!」と日本語タイトルにツッコミを入れていた。
 国家一級文物の後漢の「銅羽人/羽人像」(※No.88)。伊比さん曰く「西洋の妖怪みたい」。確かにそんな感じ。
 国家一級文物の三国・呉の「青磁羽人文仏飾盤口壺/羽人や仏像が描かれた青磁の壺」(※No.88)を見て伊比さんから仏教が伝わった形跡は呉ばかりあるのは何故だろうと疑問を呈していた。
 国家一級文物の後漢の「緑釉陶座銅揺銭樹/墓に副葬する銭のなる木」(※No.88)。ちゃんと銭一つ一つに「五銖」と描かれてある芸の細かさに感心した。
 どの展示か忘れたが、最後にようやく武冠発見。


■トピックス 魏志倭人伝の世界

 1976年、安徽省亳州市元玉坑1号墓から出土した後漢の「「有倭人」銘文磚/倭人と記す銘文が刻まれた煉瓦」(※No.94)。「有倭人以時盟不」と書かれているところが見える。素人目にさっぱり背景がわからないな。

<2010年3月31日追記>
アクセス集計作業中、ひょんなことから教えて貰ったんだけど、『中国の歴史【上】-古代・中世』(昭和堂2005年)での愛宕 元 先生の「総論」で、安徽省亳県で曹操の宗族墓から出土した磚の一つの説明として、P.23に下記に引用することが書かれていた。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
また「倭人」と書かれたものが見つかり、170年頃に倭人が中国に渡来していたとして日本では大騒ぎとなったが、「壁人」の誤読であることが判明して沙汰止みとなった。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
<追記終了>

※追記 愛宕 元 先生、死去(2012年1月2日)


 企画展示室を出ると、どこかでみた木製のものが置いてあった。三国志城博物館所蔵の「木牛[復元品]」(※前半のNo.90)。思わず驚き「どこかで見たことあるな」と含みながら言ってしまう。その右隣には南京市博物館所蔵の「木戦車[複製品]/機械仕掛けで常に一定の方角を指す指南車」(※後半のNo.17)。「磁石を使わず、機械的に南を指すようにできているんですよね」なんて言っていた。

 そしてある意味、今回の目的の一つである「BB戦士三国伝/三国志をモチーフとした、BB戦士生誕20周年記念作品」(※前半のNo.128)が建物の出口の右隣に展示されていた(※むしろ「『三国演義』をモチーフ」とした方が近いのかな)。ひたすら中国語版も含む数種類のPVをながすモニターの前には機駕、轟、翔の三軍が入り乱れて戦うジオラマがある(何の戦いがさっぱりわからないが・笑)。各軍の部隊兵がちゃんとどころか、大量に居て、呂布トールギスも曹操ガンダムも孔明リ・ガズィも各主要キャラがバッチリ居る。
 清岡は初見の『BB戦士三国伝 英雄激突編』第2弾PV機駕の章を食い入るように見ていた。第1弾と同じく『三璃紗伝説 - The Brave Legend -』(「Ko-saku」氏による歌)が流れていて、キャラクターのセリフは字幕で表現されている。そこで曹操ガンダムが劉備ガンダムに向けて「君だ」と言っている。これは『三国志』蜀書先主伝にある、

是時曹公從容謂先主曰:「今天下英雄、唯使君與操耳。本初之徒、不足數也。」

ってやつをモチーフにしているんだね。それと第1弾にあった「夏候惇ギロス」という誤字は第2弾では正しく「夏侯惇ギロス」となっていた。

※参考記事
 三国伝キャラクター人気投票2008(2008年1月25日-3月25日)
 『BB戦士三国伝 英雄激突編』第2弾PV機駕の章(2008年2月)
 BB戦士三国伝 PVを公開(2007年12月20日)
 三国伝年表公開(2007年11月9日)

 清岡の手元のアクセスログだと「大三国志展 三国伝」という検索ワードがちょくちょくあって日頃から『BB戦士三国伝』への関心の高さを実感していた(※ここ三国志ニュースでは現在、最新トラックバックのリストに「大三国志展」「三国伝」も両方あるので、原理的にはあらゆる三国志ニュースの記事が検索で引っかかる)。
 ちなみによく「BB戦士」と「SDガンダム」が混同された上に、「BB三国伝」とか「SD三国伝」とか誤った検索ワードをよく見かけるので認識に注意が必要。あと「BB戦士三国伝」であって「BB戦士三国志」や「SDガンダム三国志」ではなく、ましてや「三国志ガンダム」でもないことに注意。
 
 それで四人はシアターに向かう。
 かなり混んでいて座って見られるのかな、と思っていたが、一区切りついたらほとんどの人が退席したので、前の席4名分を確保する。
 初めはテレビアニメ『三国演義』の予告VTR。日中合作。デザインはタイトル通り「三国演義」で、遠近感の出た描写など結構、クオリティが高い。

※追記 アニメ『三国演義』2009年10月NHKで放送

※追記 最強武将伝・三国演義(2010年4月4日)

 まず魏・曹操の紹介VTR(約6分)。やはり今回のイメージキャラクター以外は中国中央電視台制作『三国演義』の映像が大量に使われていた。終わりの「制作 NHKエンタープライズ」の文字を見て納得。NHKは昔、BSで中国中央電視台制作『三国演義』を放送したこともあるので。蜀・劉備(約6分)、呉・孫権(約6分)と続く。何か孫権のところだけが冒頭で現在の古戦場を訪れたり、孫権の独白があったりと違った構成になっていたのが面白かった。あと孫権のVTRなのに呉の紹介になっておらず、何故か劉備・諸葛亮中心ってあたりが妙に可笑しい。孫権の紹介なのに諸葛亮の死にクローズアップしたり「民衆のための政治を志す」とか言っているあたり、さすが『その時歴史が動いた 第64回三国志英雄伝』を世に送り出したNHKクオリティ。
 次が映画『レッドクリフ』の予告編。公式サイトにあるやつと同じ。ここで伊比さんが「ここから40分あるんですね」と言い出し、そんなわけないんじゃないですか、と言い返したら、どうやらシアター入り口に書いてあった「40秒」を「40分」と勘違いしていたようだ(笑)
 シアターのすぐ外にはアニメ『三国演義』のポスターがあって、人物が十数人描かれていた。それを囲んで四人で「これは張遼かな?」なんて言い合っていた。

 『BB戦士三国伝』のジオラマを展示しているフロアはいろんなお店が多数あった(『BB戦士三国伝』も売られている)。伊比さんと三口宗さんは「大三国志展」の図録を購入していた。展示にあった解説文もバッチリ収録されているため、ツッコミを入れたりできるとおっしゃっていた。まぁ冗談はともかく金文京先生、立間祥介先生、満田剛先生が寄稿されているのでお買い得。清岡は残念ながら金欠のため購入できず。
※追記。あと横山光輝/著『三国志』(漫画)の絵入りの人物伝がある。

 皆がショッピングに興じている間、清岡は二次会参加表明されているUSHISUKEさんにメールを送る。送信時間は16:24。何故か清岡は一時間勘違いして現時刻を15:20ぐらいと思っており、素っ頓狂なメールを送った上でしばし「16時ぐらいに立川に着きますよね」とのたまっていた(※それじゃタイムスリップしている)。
 ともかくロッカーから荷物を回収し、USHISUKEさんと合流する立川駅に向かう。
 振り返ると四時間も展示品を見ていたんだ、と四人とも驚いていた。

 ずっと立ちっぱなし見続けで肉体的に疲れたんだけど、精神的にはすっきりしていた。どうも前日が良くも悪くも関係なくインプットしつづけていたので、精神的にアウトプットを欲していたようで、この日はしゃべりながらの閲覧だったんでそれが満たされていたようだった。

 バス停で先に乗車券を買ってバスを待っていると、いささんの問い掛けで、ようやく清岡は一時間ほど勘違いしていることに気付き、あわててノートPCを取り出し17時ぐらいに立川駅に到着しそうだと、その場でUSHISUKEさんにメールを送信する。送信時間は16:40。また伊比さんに立ちながらのノートPC操作を見せてしまった(笑)

 帰りのバスはバラバラながら全員座れることができる。
 JR八王子駅前にて、いささんとはここでお別れ。皆で挨拶する。いささんから三サポ板では次はいつ集まるか、って聞かれたので、第三回三国志学会大会あたりか、開催されるのであれば三国志シンポジウムでしょうね、って言っていた。この話の流れでしばしmixiのコミュニティの話をしていた。清岡はコミュニティ「総合三国志同盟」の話を出していた。やはりオフ会だと参加してみないと実際のノリやテンションがわからないな、という話題になり、いささんにとってはどうやら今回のオフ会はちょうど良かったようだね。どうやら、いささんはオフ会自体、初めての参加のようで、清岡は「初回からいきなりハードでしたね、数時間にもわたって」とコメント。

 というわけで残り三人は中央本線で再び立川駅に向かうこととなる。


※次記事 三サポ板五周年記念オフ会二次会

大三国志展(物語でたどる三国志)


  • 2008年6月 7日(土) 20:56 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    12,125
展覧会 ※目次 三サポ板五周年記念オフ会

※前記事 立川中華街

・東京富士美術館
http://www.fujibi.or.jp/
・大三国志展
http://www.fujibi.or.jp/exhibition/sangokushi.html
・大三国志展ブログ
http://www.fujibi.or.jp/3594blog/

※関連記事
 大三国志展(2008年5月3日-7月13日)関連情報
 「大三国志展」の日程 via 「大三国志展ブログ」

※追記 ワークショップ via 「大三国志展ブログ」

※追記 「大三国志展」の映像(CCTV.comより)

※追記 収蔵品にみる三国志(2009年6月20日-7月20日)

※追記 時空をかける三国志(2012年10月18日-11月20日)

※余談。ログを見ていると「三国志展」で検索してくる人が多い。これだと、検索上、「大三国志展」と「安野光雅 繪本 三国志」展が混同するので、前者を検索しようとおもえばきっちり「大三国志展」と入力するのが良いだろう。逆にブログ等で情報発信する場合も「大三国志展」と記述した方が良いんだろうね。※追記。さらに「大三国志」で検索する人も多い。ここにきて志茂田景樹人気が高まったとは考えにくい。

※追記。「前売券」の検索があまりにも多いんで記述しておく。
http://www.fujibi.or.jp/topics/detail.php?id=257
電子チケットぴあ【Pコード688-125】と、ローソンチケット【Lコード33413】
 下でも書いたけど前売券はチラシの割引と同じ度合い。


 2008年6月1日12時前、立川中華街があるグランデュオ立川七階からエスカレータで皆で降りている途中、有り難いことにいささんから「大三国志展」のチラシを頂く。これには「大三国志展」では200円割引券がついている。前売券と同じぐらいの割引となる(※この記事を書いている今、気付いたんだけど、これには『レッドクリフ』の200円割引もついており、ずっとそれを「大三国志展」の割引だと思っていた・汗)

 立川駅から中央本線で西へ。八王子駅へ向かう。道中はやはり自然と「大三国志展」の話をしていた。關尾先生が行ったときのブログ記事とか満田先生のブログが何種類かあって「大三国志展」のブログもあるとかとか。

 一応、「大三国志展ブログ」でアクセス方法を予習していたんだけど、いささんの馴染みの土地だということで、いささん先行でその後を皆で着いていくことに。JR八王子駅を降り二階から北へ出てバス乗り場12番(東京富士美術館行き)へ行く。そうするといきなり行列に遭遇する。皆、同じバス乗り場だ。これは「大三国志展」は混雑しているぞ、と覚悟する。バス停で片道300円の乗車券を買う(買わずにバスの中で降りるときに支払うのでもOK)。
 長い行列ができるぐらいだから当然の如く車内では座れず、伊比さんに『BS熱中夜話』の話題を振ったり、いささんから昨日の「三国志の宴3」のことを聞かれたりしたものの、基本は東京富士美術館までの風景を眺めていた。橋を渡りトンネルを潜り丘を登りといった道程で坂道の途中、美術館前のバス停に着く。

 12時過ぎ。バスの乗客の大半は美術館に向かわずその奥の坂を上っていった。みんなスーツ姿なので、シンポジウムか何かあるのかと思い、それほど美術館は混んでいないのかもと安心する。それでも昨年、同じ時期に行った「馬の博物館」での「春期特別展 三国志をいろどる馬たち」よりはかなり混んでいるのだろうけど、って話を当時、同行した三口宗さんにしていた。
東京富士美術館の入り口「大三国志展」ポスター
 横断歩道を渡り、清岡はブログ写真をデジカメで何枚か撮っていた。そうすると伊比さんから「(清岡に)初めてお会いしたとき、ノートパソコンを歩きながら打っている姿が非常に印象的で…」と言われる。すみません、人目もはばからず、いろんな人から聞かれた終電時間を調べてました(笑)
 といわけで館内へ入る。左手がチケット売場になっていて展示場は入って正面のエスカレータで昇った二階にあるようだ。先ほどいささんから頂いた一枚で最高10名まで使える割引券を使ってチケットを購入し、とりあえず清岡は旅行中で荷物が多かったため一回右奥にあるロッカーへ荷物を預けに行った。
 エスカレータで二階へ上がると、分かれ道。左が前もって電車の中で話していた西洋美術のある常設展示で右が企画展示の「大三国志展」となる。紙の案内図を見ても会場を見ても順路が常設展示に行くようになっていたが、清岡の独断で企画展示への道を選ぶ(※ブログを見て回ると結構、この分岐点が話題に上っていた)。
 清岡は、先にシアター見ようと提案したものの、どうも展示の後で見た方が良いということになり、シアターは後回し。企画展示室入口には無料配布の作品リストの紙(A3両面印刷)が置かれている。そうそう一般的な展覧会にも言えることなんだけど、作品リストは後から思い出すのにとても有り難いんだよね。リストにある作品点数を見ると前半が128点、後半が96点になっていた。

 会場は想像していたより混雑してなく、西洋美術の展覧会(特に印象派関連)にありがちな、自由に見る早さを決められないベルトコンベア状態になることはなさそうだったので、安心する(※むしろ会場では一番じっくり見ていたので人の流れを堰き止めていた・汗)。
 まず入り口にある協力団体を見ていた。吉川英治記念館徳島城博物館、それにもちろん英傑群像三国志城博物館もあり。
 この展覧会の分け方として前半は「物語でたどる三国志」と銘打たれてエリア。入り口入るとまず右手にある明代の青銅製の関羽像(※No.18)が目に付く。作品リストで確認すると、出品No.1というわけではなく番号順に並んでいるのではないんだな、と知る。作品リストによると、どうやら「物語でたどる三国志」の小分類の「第1幕 桃園の誓い」エリアに入っているようだ。一般的な美術展だと時代別、技法別、地域別(流派別)など分け方があるけど、この「物語でたどる三国志」では作られた時代とは無関係に、作品の対象となる『三国演義』のストーリー順に並べているようだね。
 とは言っても入り口近くはどうやら掴みの部分らしく。一般の人に馴染みやすい展示が続いているように思えた。関羽像からそのまま右手の壁伝えに進みショーケースを見る。『絵本通俗三国志』(※No.105)が展示されていた。「江戸・天保7-12年(1836-1841)」と、具体的な年代が表示されているのは理解の助けになって有り難い。次が吉川英治記念館提供の『中外商業新報』(現『日本経済新聞』)の切り抜き(吉川三国志)。挿絵は矢野橋村。これは恐らく「春期特別展 三国志をいろどる馬たち」でみたのと同じだね。一年ぶり。四人で見て回っているものだから、自然と二人ずつに分かれやすく、その時、隣に居た伊比さんは当時の新聞の書き方に注目していた。清岡は矢野橋村の挿絵が『絵本通俗三国志』よりも『三国演義』の挿絵に近い描写になっていることに注目していた。
 一般的な展覧会でも展示についての解説文がそれぞれ着くことがあり、「大三国志展」でも多くのの展示に解説文が着いていた。『中外商業新報』の吉川三国志の解説文を見て驚いたことにちゃんと『三国志』→『三国演義』→吉川三国志の流れが書かれていた。清岡は「今までにないぐらいまともな解説文」と評していた。いささんにその場で聞かれたで清岡は答えたんだけど、反対に、今までによくあるまともでない解説の例として「中国の物語『三国志』を吉川英治が小説化した」というようなダメな文を即興で作り、口に出していた(※しかし、後で気付いたんだけど、「大三国志展」全体を見ると全部、まともな解説文というわけではなかったんだけど。後述)。
 次に目に付いたのが清末期-中華民国初期の戯劇三国人物泥人形「撃鼓罵曹」別名「群臣宴」(曹操・禰衡の土人形)(※No.102)。禰衡だなんて題材がマニアックだな、と言いつつ、そういう禰衡が出てくる劇があったのか、と感心する。そして清岡は「当時のグッズですよ。今の無双フィギュアと同じノリで劇のファンが買ったんですよ」とネタを口にしていた。三口宗さんが注目したのは皮影三国人物(「孔明・関羽・周倉・魯粛・孟獲・馬[しんにょうに貌]」)(※No.103)。作品名には六人も書かれているのに展示されているのは一つの平面的な人形、おまけに顔が描かれていない。これはもしや影絵上、コラージュのようにして使い回しするのかな、と言っていた。ふと気付いたんだけど、ここらへんの解説文はやはりちゃんとしていて「『三国志平話』から引用している」と書かれていたりちゃんとフォローされてあった。
 ようやく一つの壁伝えが終わり、その後向かいの壁のショーケースに行くと思いきや、四人は今回の展覧会に用意された布のオブジェを眺めていた。そこにプロジェクターで裏から様々な作品の関羽像が映し出されており、関羽の横にいるのは周倉じゃなくて張飛?なんて話をしていた。対面の壁に移る。とは言っても入り口近くまで戻ることとなる


■プロローグ 三国志の世界
※「物語でたどる三国志」の小分類タイトル。以下「■」が冒頭にあるのは同じ。

 まず『三国演義』の毛宗崗本(清・順治年間(1643-1661))(※No.1)が目に付く。挿絵のある本。毛宗崗本は現在、通行している『三国演義』なのでやはり入り口近くなのは掴みに相当する部分なんだろうな。混んでいてよく判らないが双方向なオブジェがあるようだね。関羽像を見ながら、いささんと関羽が神格化された話をしていた。


■第1幕 桃園の誓い

 壁の角を曲がると、清岡が足を止め食い付いたのが曹全碑(碑陽)の拓本(※No.3)。2005年10月に「中国 美の十字路展」で見て以来。この碑文に「李儒」(碑陰では字が文優)が出てくるやら、よく張角の乱(黄巾の乱)は八州で起こったとされるが中平二年(紀元185年)の時点では碑文にあるように幽冀[六/兄]豫荊楊の六州だったとか蘊蓄を語っていた。それもあってか他の客と違い、結構、長いこと拓本の前にて四人で語っていた。

※碑に関しての参考記事 2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」午前レポ

 曹全碑の拓本が後半の「出土品でたどる三国志」ではないのは変な感じと思いつつ、その右横からはばっちり「物語でたどる三国志」だった。
 やはり人が大勢居るもんだから、特に耳を傾けなくても自然と他人の会話が耳に入ることがある。先行するカップルの男性が貂蝉の話をしていて、「連環の計というより二虎競食の計が正しい」と得意げに語っていて、清岡は「いやそれは『三国演義』で「第八回:王司徒巧使連環計、董太師大鬧鳳儀亭」とタイトルになっているように連環計で合ってるし」と声に出さず心の中でツッコミを入れていた。ともかく耳に届く会話から判断し、清岡みたいなコア層はむしろ少数派で、ゲームやマンガで三国創作に触れたことは一度はあるといった一般の人々が多数、来場している印象があった。
 次に目に付いたのが三国志人物像─関羽図(清代)(※No.16)。半分に肖像画が描かれており、もう半分簡単な人物紹介が書かれてあって『君臣図像』に構成が似ているな、と思っていた。
 前述したように『三国演義』の場面ごとでおおまかにまとめられているため、肖像画やら絵画やら描かれた時代がバラバラ。例えばちょんまげの人物像が出てきて驚き、解説のプレートを見ると江戸時代に描かれたものだった、ということが結構あり、なかなか面白かった。
 あと気になったのが『人形劇三国志』の諸葛亮、劉備、関羽、張飛の人形(※No.118-121)が飯田市川本喜八郎人形美術館ではなく吉川英治記念館所蔵からのものというのが気になった。清岡は唐代っぽい曹操の鎧より、秦代っぽい劉備、関羽、張飛の鎧の方が好みだということを告げていた。
 展示物に添えられた解説文は相変わらずまともで、例えば「虎牢関は劉備、関羽、張飛が呂布と戦ったとされる場所」というふうに「される」とちゃんとなっているところを清岡は気に入っていた。他にも伊比さんが見かけたものだと「虚偽ではあるが」という断りの一文が入っている解説文など。三口宗さんは学芸員の授業をとってるそうで、こういう解説文は一人が全て書くのではなく複数人で書くものだそうな(※後への伏線)。
 このころになると、いささんが素朴な疑問をし三口宗さんが誠実に回答するという二人質疑応答状態になっていて、少し離れたところでところどころ耳に入り、なんだか微笑ましかった。

■第2幕 三顧の礼

 ここで解説文に異変が。解説文に「小説『三国志』」なる記述が見え始める。言ってみれば従来型の解説文(※ベタなツッコミで申し訳ないが、「『三国志』は歴史書であって小説ではない。それは『三国演義』の間違えではないか」ということ)。その後、解説文で「小説『三国志』」がこれでもかという勢いで出てくる。解説文の執筆者が変わってしまったんだろうね。
 ここで皆で注目したのが、明代の戴進の三顧茅廬図(※No.16)。国家一級文物。ちゃっかり諸葛亮が描かれているあたりが面白い。初め清岡は諸葛亮を曹操と言い間違え「火で炙ったら曹操が出てきたり」とアホなことを言っていた。
(※今、作品リストを見ると白鶴美術館所蔵の円山応挙筆「風雪三顧図襖絵」があったんだね。チェックをわすれている)
 いささんに伊比さんが関羽の赤ら顔について京劇のことを絡めて話していた。
 清岡と伊比さんとがウケていたのが、明・宣徳3年(1428)の武侯高臥図/明の宣徳帝を描いた諸葛亮(※No.38)。諸葛亮が太鼓腹を出して寝ている図。笑った後、清岡は「真面目に言うと、世俗から離れた諸葛亮を表現したかったんでしょうね」とフォローを入れていた。
 それと素人目によくわからない判子がいっぱい押してある清代の帝王名臣像冊(※No.39)。清岡は三口宗さんに向けて、有鄰館で山科さんから聞いた話をしていた。
 現代の「長板坡の戦い」(※No.45)。デジャブ感に襲われたんだけど、解説に「三国志城博物館」とあって納得。行ったことのある伊比さんに向けて「どこかで見たことあるっておもったんですよ」なんて言っていた。

■第3幕 赤壁の戦い

 船の模型があって、三口宗さんが何の文献を元にして作ったのか疑問を呈していて、清岡は歴史に忠実にしたのではなく、近くに展示されている絵画を元にしたのでは?と答えた。
 その後、四人で三国の勢力図を示した地図を囲む。その地図では魏が赤、呉が緑、蜀が青と表現されていた。それを見ていささんがゲームによって色が違って本来は何?って疑問を呈されていたので、サポ板の書き込み(下記URL)を思い出し、清岡は「五行だと蜀漢が赤でそれ以外は黄色ですね。ゲームでは光の三原色に強引に当てはめているんじゃないですか」と答えた。

・国の色
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2702

 そういや「大三国志展」の地図の色って、コーエーともセガとも違う配色だね。

<追記>
 ふと思い出したんだけど下記のリンク先のブログ記事(公式)のように「大三国志展」ではイメージカラーが決まっている。そこでは上記の地図の色とは少し違って魏が赤、呉が黄、蜀が青。

・大三国志展イメージキャラクター発表
http://www.fujibi.or.jp/3594blog/03/2008/04/post_12.html
<追記終了>

 次に清岡が目に付いたのが清代の多色刷り木版画「銅雀台/曹操の武将が銅雀台で弓比べする場面」(※No.48)。李典とか楽進とかがカンフーキッズにしか見えない(笑) デザインが京劇っぽいね。
 それから実際の古戦場を武赤壁と呼び蘇軾が詩を読んだところを文赤壁と呼ぶあたりが興味深かった。

■第4幕 星落秋風五丈原

 ここでの清岡のお気に入りは清代の「水滝七軍」(※No.78)。周倉と[广龍]徳が古いマンガな描写で水の中で戯れているように見えてしまう。(水の中にいる二人)周倉「こいつー」[广龍]徳「やめてよー」 (船の上にいる関羽たち)「二人とも仲が良いですな~」
 それと、いささんが指摘していたが清代の描写では周倉は庇の大きな帽子を被っているんだけど(横山三国志でもお馴染み)、明代の描写ではそういった帽子を被っておらず兜のようなものを付けている。時代変遷を感じる面白い指摘だね。
 伊比さんが見ていたのは明・崇禎年間(1627-1644)の「黄忠箭射紅纓」(※No.73)。関羽の兜のところに矢が刺さっており、清岡は「矢ガモならぬ矢関羽」と呼んでいた。
 「指揮車[復元品]」(三国志城博物館)(※No.97)を見てやはり伊比さんに向けて「懐かしの四輪車ですよ」なんて言っていた。
 ちなみに解説文はここまで来ると「小説『三国志』のフィクション」なんて言い回しも飛び出していた。清岡は「『三国演義』と言いたくないのかもしれない」と一人呟いていた。
 そしてやっぱり「秋風五丈原」ジオラマ模型(三国志城博物館)(※No.94)を見て「懐かしのジオラマですよ」とお約束のように伊比さんに言ったら、忘れていたようで「これも三国志城!」と驚いた様子を見せていた。思わぬ好反応(笑)
 それと気になったのが明・嘉靖年間(1521-1566)の「紅緑彩人物文温碗/諸葛碗と呼ばれる二重底の碗」(※No.98)。そこに書いてある由来エピソードに「五丈原の対陣で司馬懿が孔明の日常の様子を尋ね、孔明の健康状態を探った。そこで孔明は二重底の碗で食事をし、碗一杯の食事がとれることを擬装した…」となっていた。出典が気になるところ(笑)

 次に向かう先は何だか暗い部屋。何か聞き慣れぬ歌が聞こえてくる。入って左に人が群がっている。何の歌だと思ったら土井晩翠(詩人)の長編詩「星落秋風五丈原」を歌ったものらしい。そして人が群がっている先にどうやら、衛星「だいち」撮影写真による地形模型「五丈原」(※No.95)があるようだ。

※長編詩についての参照記事 第3回三国志シンポジウム 雑感1

 地形模型の向かい側の壁にベンチがあるんだけど人が多くて座れそうにないので先を行くことになる。


※次記事 大三国志展(出土品でたどる三国志)