Site Calendar

サイトカレンダをスキップ

2019年 08月
«
»
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

NAVI

ログイン

ログイン

新着情報

記事

-

コメント (2日)

-

トラックバック (2日)

-

リンク (2週)

新しいリンクはありません

QRコード

QR code

アンケート

三国志ニュースのレポート系記事

三国志ニュースで書いて欲しいレポート系記事はどれ?

  •  三国志フェス
  •  三国志学会大会
  •  関プチ5全国ツアー
  •  魏晋南北朝史研究会関連
  •  三國夜話
  •  六間道三国志祭
  •  三国志TERAKOYA4
  •  三国志 義兄弟の宴
  •  東アジアの『三国志演義』/ベトナムの『三国志演義』
  •  zip,torrent(トレント),rar,lha,mediafire,pdf,DL(ダウンロード),nyaa等を含む検索語句(違法なフリーライド・無料閲覧関連)、あるいはBD・DVD自作ラベル、カスタムレーベル等を含む検索語句(著作権・肖像権侵害関連)に関する調査・研究

結果
他のアンケートを見る | 50 投票 | 0 コメント

PR

清岡的見解:ねこまんまさんについて http://tinyurl.com/nekonomanma3
よくわかるねこまんまさんの問題行動 pdf
gif

少年三国志(1953年6月-1954年7月)


  • 2014年9月 8日(月) 22:09 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,425
マンガ ※関連記事 SD三国志(1992年8月15日-1993年1月15日)

 手元のメモによると上記関連記事で触れた『SD三国志』と同日に別のメモを残している。上記関連記事でも触れたように、それは学術目的で、下記のデータベース利用で知ったことなんで、安易な情報公開は躊躇していた。

・戦後日本 少年少女雑誌データベース
http://manga-db.jugemu-tech.co.jp/bgmag/

 当時は研究報告する当てがなかったものの、その後、下記関連記事にあるように、それを研究材に日本マンガ学会第14回大会で発表した。すでに公表した情報なものだから、ようやっと「三国志ニュース」で記事にできる。

※関連記事 「三国志演義」を翻案した少年マンガの1980年代までの変遷(2014年6月28日)

 上記で触れた研究報告のレジュメでは下記にあるように、まず作者名やタイトル、掲載誌を挙げていた。

[1] 福井英一『少年三国志』(小学館『中学生の友』1953年7月号-1954年8月号初出 A5版)

 ちなみに下記関連記事にあるように、『中学生の友』1953年7月号に集英社の「おもしろ漫画文庫」の広告があり、「今月の新刊」に『三銃士』『西遊記』があり近刊に菅大作『三国誌』(『三国志』の誤り)があるため、菅大作『三国志』より福井英一『少年三国志』の方が(制作時期は判らないものの発表時期は)古いマンガだと言える。さらに言えば管見の及ぶ限りでは、マンガの定義にもよるだろうが、世界最古の三国マンガと言える。

※関連記事 三国志(1953年6月30日)

 それでレジュメではそのマンガをどのように位置付けたかというと、下記に引用する通りだ。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 [1]は月刊の学習誌に連載された、人気ストーリー・マンガ家による毎回8ページの作品である。前作の月間6ページでの日本の中世を舞台とした『足軽ガル平』と同様、主人公に、タイトルにもある「少年」を据え、原案の「三国志演義」にない人物であり「中友」(ちゅうゆう)という名前が付けられる。これは雑誌名の『中学生の友』由来からの名前と考えられ、つまり雑誌読者を仮託した主人公なのであろう。ストーリーのほとんどが創作であり、『中学生の友』1954年1月号のp.126 2コマ目の「コマのそとへでもきえてなくなれっ」という張飛のセリフや同コマの「張飛だ いつもちょうしがいいんだ」のセリフに象徴されるように、全体的にコミカルに描写される。作者が1954年6月26日に急逝するため、遺作の一つとなり、1954年に太平洋文庫から単行本が出版される。全120回の『三国志演義』毛宗崗本と照合すると第2回途中で終わる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 前述の研究報告は2014年6月28日にあったので、ちょうど福井先生が亡くなって、60年(十干十二支で一周!)と2日だったので、一人で何か記念的なものを感じ盛り上がって発表に臨んでいた。
 それで話を戻し、手元のメモには下記のように内容について号ごとにあれこれ書いていた。

『中学生の友』1953年7月号 pp.284-291
少年が黄巾賊に捕まる。コマにノンブルが振られている。三段組
p.289 「楼桑村」の名が出てくる(36コマ目)。コメディータッチ ドタバタ
p.290 劉備の声 p.291 少年が劉備を助ける。
少年の名は「中友」(ちゅうゆう)。そのまま雑誌名から来ているのだろう。

『中学生の友』1953年8月号 国立国会図書館のデータベースにはなし。

『中学生の友』1953年9月号 pp.122-129
劉備と黄巾の班長との戦い。「張飛卒」が出てくる。p.124k8で剣を張飛にあげる。
p.129k3「主人が黄巾賊に/ころされ」

『中学生の友』1953年10月号 pp.122-129
中友が商売中、黄巾の班長と再会
バトル→張飛が現れ助ける。

『中学生の友』1953年11月号 pp.124-131
p.127k3(k15) 関羽(尺八の先生)登場

『中学生の友』1953年12月号 No.6 pp.120-127
張飛の胴「飛」 桃園結義
ドラの音を伴い襲撃。劉備の胴は「備」 地中に金の延べ棒作戦

『中学生の友』1954年1月号 No.7 pp.126-133
p.127で中友がさらわれる。銀角大将のところ
p.67 中友のイラスト。

『中学生の友』1954年2月号 No.8 pp.128-135
劉備が義勇軍を率いる。ドラで前進。この号はそれまでの手書きじゃなく活字

『中学生の友』1954年3月号 pp.118-125
右翼張飛、左翼関羽 中友救出へ。黄巾を破る

『中学生の友』1954年4月号 No.10 pp.132-139
緒触(おしょく)という役人「触」の胴
中友が都へ。

『中学生の友』1954年5月号 連載第11回 pp.132-139
福龍丸が中友から馬を借りる。役人の桂登場
バトル。怒龍とのバトル。ガケからおちる中友。拾われる。

『中学生の友』1954年6月号 No.12 pp.130-135
桂との戦いで、漁師の子に助けられる。

『中学生の友』1954年7月号 データ欠損

『中学生の友』1954年8月号 No.12 pp.254-
「黄布賊」の誤字
うその宝石をカミングアウトで大量の兵が来る。9月号の予告あり


 ちなみに竹内オサム『戦後マンガ50年史』(ちくまライブラリー101 筑摩書房1995年3月30日)のp.51には下記に引用する説明がある。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「月光仮面」は、頭に三日月をいただく正義の使者の物語で、桑田次郎(現・桑田二郎)のシャープで冷ややかな描線が魅力となっていた。「赤胴鈴之助」は、連載の初回は福井英一によるが、作者急逝のため武内が引き継ぎヒットした剣劇ものである。江戸の千葉道場に入門した少年剣士鈴之助は、きわめてストイックな少年であるが、アクションはハデであるが、アクションはハデで、特に真空斬りという得意技が、読者の興味をひきつけた。当時のスターだったプロレスのスター力道山の空手チョップにも通じる切り札といえよう。「イガグリくん」は、当時手塚の最大のライバルとなった福井の代表作で、ストーリー・マンガの技法を駆使しながら、武道における勝負の世界が展開されていた。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 福井先生をご存じでない人は上記引用部分の「当時手塚の最大のライバルとなった福井」だけでも覚えておくと良いかも。
 ちなみに全然関係ないが、上記引用中の「空手チョップ」については下記関連記事参照のこと。

※関連記事 トラが語る中国史(2002年7月20日)

※追記 ノート:「連環画」の転変(『月刊しにか』2000年10月)

※追記 メモ:三国志フェス2015 水魚の交わりが始まるまで(2015年1月30日)

※追記 レポ:兀突骨に行くまで(2015年8月1日)

※追記 三國志研究第十号(2015年9月5日)

※追記 中国の歴史 4 英雄たちの時代 ―孔明と三国志―(1986年8月20日発行)

※新規関連記事 少年三国志(太平洋文庫1954年10月25日発行)

※新規関連記事 久慈秋まつり 巽町山車組(2017年9月15日-17日)

※新規関連記事 メモ:京都国際マンガミュージアム 見学ツアー(2018年6月24日)

※新規関連記事 メモ:神怪ワールドを堪能させる『西遊記』(中)(2017年9月10日)

トラックバック

このエントリのトラックバックURL:
http://cte.main.jp/newsch/trackback.php/3243
表示形式
コメント投稿

サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。