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トラが語る中国史(2002年7月20日)


  • 2013年12月21日(土) 00:42 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,217
書籍  後漢末や三国時代の気候はどうだったかという疑問・質問で、よく上田信『トラが語る中国史 エコロジカル・ヒストリーの可能性』(ヒストリア005、山川出版社2002年7月20日)が話題に出る。下記ブログ記事でもその書籍について触れられている。

・青木朋HP++青青
http://aoki.moo.jp/



・ミステリーボニータ2月号に「八卦の空」 虎嘯 (※上記サイトのブログ記事)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=467964‎

 以前から気になっていたものの、なかなか読む機会がなくて、図書館に行ったおり、急に思い立ち、他の無関係な書籍と共に借りることにした。

 それでいきなり読まずに先に返す必要のある増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社2011年9月30日)を読んでいた。もちろん三国とは無関係で、そのタイトルとは裏腹に力道山がメイン・テーマではなく木村政彦の伝記みたいな内容だった(※追記。半分ぐらいまで読むと木村政彦とエリオ・グレイシーとの試合に触れられるので、グレイシー一族についての詳しいことが書かれるし、また力道山についても同様に詳しいことが書かれているようだ)。

・新潮社
http://www.shinchosha.co.jp/‎

・増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』|新潮社
http://www.shinchosha.co.jp/book/330071/

 導入部分はタイトルに関連したことを小説調に記述されており、それより後の時代の場面としてジャイアント馬場さんもプロモータとして登場している。途中で小説調の文章が混じるものの、伝記的になっている。冒頭の少ない力道山についての話で、「空手チョップ」がアメリカでは「柔道チョップ」「柔術チョップ」と呼ばれているそうだ。著者は、掌の横でなく平手を体に当てていて、前者に比べ威力は弱いが音は派手な見せ技と断言しているのが妙に印象に残った。もっともこの話は本来の柔道、古流柔術には当て身(打撃)が含まれるという話の流れにあり、そういった力道山の話だけで終わるわけではない。
 途中まで読むと「事実は小説より奇なり」を地でいく驚きエピソードの連続で、仮に小説で書くと逆に嘘っぽくなってしまうぐらい想像の外にあるものだった。それでも危なくて載せられなかったエピソードもたくさんあったそうな。そういう豪快な本当の話という面では創作の参考になりそうだった。
 その書籍は縦書きで1ページ二段組で小さい字でぎっしり書き込まれてあって、700ページを越えているので、一通り読むのに長丁場になりそうだったので、キリの良いところで一旦、読むのを止めて、別の書籍を読むことにした。
 それはもちろん冒頭で触れた上田信『トラが語る中国史 エコロジカル・ヒストリーの可能性』(ヒストリア005、山川出版社2002年7月20日)だ。前述のとは対照的に大きい文字でページも200ページ足らずとお手頃な印象がある。前述の気分転換にはちょうど良かったので、それを選んだ。それに学術系のみならず、当時の気候というのは創作に臨んで何かと便利だと思ったので。

・歴史と教科書の山川出版社
http://www.yamakawa.co.jp/‎

・トラが語る中国史 | 歴史と教科書の山川出版社
http://www.yamakawa.co.jp/‎

 それで文献史料以外にどうやって当時の気候を調べるかというと、花粉を調べることがスタンダードのようだ。

p.31
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 花粉分析の方法は、湖沼の沼に堆積した地層をボーリングによって抜き取り、各層に含まれている花粉を調べるという地道な作業である。花粉は堅い殻に覆われているために、形をとどめている。顕微鏡で覗けば、どの植物の花粉であるか明かとなる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ゾウの生息地の話の流れで、少し魏晋時代について触れられる。

p.34
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 そののちはヒトの活動が活発になり、ゾウ生息域の北限は時代とともに南に下がる。魏晋南北朝から随唐時代にかけては、それでも長江流域にゾウはいた。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 三国関連で象といえば曹沖の逸話だね。漢文の教材によく使われるので、むしろ三国志ファン以外で有名かも。

※関連記事 ザ!鉄腕!DASH!!(NTV2008年11月2日放送分)

 p.36では『詩経』で出てくる植物について、鄭玄や陸機の注疏が取り上げられている。そこで「この記述から、「梅」が梅[Prunus mume]ではなく、「豫樟」すなわちクスノキ[Cinnamomum camphora]に近い常緑樹である可能性があることが明かとなる」とあり、前漢にまとめられた『詩経』の内容が作られた春秋戦国時代の「梅」が今の梅の意味と違うことが挙げられている。
 p.44からの「越」や「百越」の記述はどうしても『三国志』にある「山越」を連想させる。本のコンセプトはトラが著者の体を借りて記述するというもので、以下のような越についての記述がある。

pp.48-49
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 私たちの祖先が親しく接した越のヒトの居住地が渓谷のあいだにあるという記述も、遺跡の発掘の成果と符合する。河川に臨む丘陵や高地に集落を構えた。河川に臨む土地を選んだ理由の一つは、魚や貝を常食にしていたので漁をしやすい場所が好まれたことがある。遺跡からは漁網などの道具が発掘されている。さらに、交通手段がほとんど河川によっていたことも、重要な理由である。河川のどこに難所があるのか、船をどのようにすすめれば座礁しないのか、越の住民は自らの掌を知るように熟知していたに違いない。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 p.65で花粉分析について。「おおざっぱな議論になるが、それぞれの温量指数の幅の中間点で比較すると、アラカシが栄えていた時期は、クヌギが優勢であった時期よりも、温量指数として三〇度あまり高いことになる。月別平均気温としては三度の違いである。」とあり、第一の時期を紀元前850年から紀元後150年として、

p.65
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 このときには、アラカシが圧倒的に優勢で、木本の花粉のじつに三四%を占める。クヌギは一五%程度であり、この期間が温暖であったことを示す。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

とあり、第二の時期を紀元後150年から550年までとして、

pp.65-66
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 この時期には、クヌギがアラカシを押さえ、木本の三〇%以上を維持する。アラカシばかりでなく常緑樹の花粉が第一期に比べると著しく減少しており、気温が下がり植生も落葉広葉樹が優勢となっていたことを読み取ることができる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

とあり、150年を境に温暖な気候から寒冷な気候へと変わる様が記される。
 あと、p.62から竺可楨(「チュークーチェン」とルビ)氏の1972年(文革時)の論文に触れ、それは考古学的な遺物と文献史料から気候変動を調べたそうな。その一例として「ツバメ[Hirundo rustica]]が飛来する時期を調べたそうな。確かに『大戴礼記』の「夏小正」の「二月」に「來降燕。」とあって、季節と関連性のある事象だ。この書籍では前述の花粉についての他の研究と比較し、ずれていることを指摘し、その理由として「気候変動のずれ」と称した節の冒頭で以下に引用することを挙げていた。

p.67
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 花粉分析と竺氏の研究を比較してみると、温暖期と寒冷期とが切り替わる時期について一世紀ほどのずれがあるが、おおよそ対応している。このずれは竺氏が文献史料の記述に依拠しているために生じるのかも知れない。ヒトは一時的な変化には敏感であるが、ヒトの世代をまたぐような長期な変容には以外と鈍感なものである。植生はまだ変化していないが、ヒトはこの気候変動の予兆を敏感に察知することがある。暖かな時期があたりまえのときに、突然、異例な寒波が襲えば、ヒトは驚き記録に残す。逆に寒冷期から温暖期に移るときには、まず春から秋にかけて植物が成長する時期に平均気温がゆるやかに上昇する。暑い時期がより暖かくなったとしても、ヒトはなかなか察知できない
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 この短期・長期の感覚の違いというのは腑に落ちる説明に思えた。ちょっとずれるが「最近の若いもんは…」という言動は、自分の若いときからの長期的な変化を差し置いて、今の自分と目の前に現れた、つまり短期的に現れた「若いもん」との比較によって生じるからかもしれない。それと「どこどこの川が凍った」という記録は過去、場合によってはそれより未来にない事情で、珍しいから記録するというのは考えてみると面白い理屈だ。

p.71
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 中国の歴史のかなで、魏晋南北朝と呼ばれる時期に、南へと人口の比重が移りはじめる理由として、まず気温の寒冷化を挙げることができる。漢代にはモンゴル高原に押し上げられていた北方のヒトは、寒冷化のために南下して黄河流域へと進出、玉突き的に華北の漢族が南に進まざるを得なかった。江南の地も漢代には亜熱帯気候で、さまざまな感染症のために低地に居住地を定めることが難しかった。寒冷化はこうした土地に、低地志向の漢族が入植することを可能にしたのである。もともと南にいた越のヒトは、漢族に同化されるか、同化を拒んで低地の耕地を捨てて山地に登るか、選択を迫られることとなった。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ここの「山地に登るか」というあたり山越のルーツみたいなのを感じ取っていた。ちょうど山越が文献で登場するのは『後漢書』では紀元170年あたりだし。

・来たれ、丹陽軍団!(孫氏からみた三国志7)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w030201.html

 p.86が「3 ヒトに畏れられる」の「小説にみるトラとヒト」ではもちろん(?)『捜神記』があり、以下のフィクションのエピソードが訳されて紹介されていた。

長沙所屬蠻縣東高居民、曾作檻捕虎、檻發、明日眾人共往格之、見一亭長、赤幘、大冠、在檻中坐。因問「君何以入此中?」亨長大怒曰:「昨忽被縣召、夜避雨、遂誤入此中。急出我。」曰:「君見召、不當有文書耶?」即出懷中召文書。於是即出之。尋視、乃化為虎、上山走。

 「赤幘、大冠」はp.87で「赤い頭巾の上から冠をかぶった」と訳されているが、下記関連記事にあるように普通に武冠の描写だね。

※関連記事 メモ:武冠のあみあみ

 あと下記のように越のエピソードも取り上げられていた。

越地深山中有鳥、大如鳩、青色、名曰「冶鳥、」穿大樹、作巣、如五六升器、戸口徑數寸:周飾以土埡、赤白相分、状如射侯。伐木者見此樹、即避之去;或夜冥不見鳥、鳥亦知人不見、便鳴喚曰:「咄咄上去!」明日便宜急上;「咄咄下去!」明日便宜急下;若不使去、但言笑而不已者、人可止伐也。若有穢惡及其所止者、則有虎通夕來守、人不去、便傷害人。此鳥、白日見其形、是鳥也;夜聽其鳴、亦鳥也;時有觀樂者、便作人形、長三尺、至澗中取石蟹;就人炙之、人不可犯也。越人謂此鳥是「越覡」之祖也。

 この二つを以下に引用するように説明される。

p.88
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 この二つの物語は、もともと常緑広葉樹の森の近くで生活していた先住民たちが、新たに入ってきた漢族に対して語った話であったと考えられる。トラと部族の祖先とするヒトも、先住民のなかにはいた。こうした先住民がトラに姿を変えられると考えられていたとしても、不思議はない。また越の冶鳥は、越のヒトが自然が与える兆候を読み取り、未来を予想することを教えてくれる。越では鳥が神聖なものと考えられてきた。その伝統は古く、河姆渡遺跡などでも、鳥をかたどった祭祀具とみられるものが発掘されている。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 p.89からの「トラがヒトを襲う理由」の冒頭では『異苑』に載る晋代の会稽のエピソードが取り上げられていた。

※追記 地政学的視点から見た『三国志』(2014年1月17日-3月7日金曜日)

※追記 三国志ファン、コア層こわそう、再燃

※追記 レポ:7/26北九州 兀突骨で酒池肉林?! ラウンド1(2014年7月26日)

※追記 少年三国志(1953年6月-1954年7月)

※追記 『捜神記』研究(2015年1月)

※追記 メモ:国会図書館から米沢嘉博記念図書館へ(2016年1月9日)

※新規関連記事 中国王朝 英雄たちの伝説 反逆者 三国志の真相(NHK BSプレミアム2018年3月7日)

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