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清岡的見解:ねこまんまさんについて http://tinyurl.com/nekonomanma3
よくわかるねこまんまさんの問題行動 pdf
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メモ:第6章 武侠漫画の映画的手法表現の成立をめぐって


  • 2013年1月22日(火) 20:49 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,390
研究 ※前回記事 三国志ジョーカー 単行本未収録分(2011年7月6日-11月5日)

※三国と無関係ながら前回の雑記
・22日はボーヤンの日
http://cte.main.jp/calcio/blog.cgi?n=361

 表題の三国に関係があるところに到達するまで、無関係な記述が続くので、先に以前、書き残し損ねた三国関連について書く。

※関連記事 時空をかける三国志(2012年10月18日-11月20日)

 上記関連記事にあるように2012年10月18日木曜日から11月20日火曜日まで第12回関西館小展示「時空をかける三国志―日本・中国における三国志演義の展開」が開催され、下記サイトの下記小展示のページにあるように、三国に関する様々な図書が展示された。

・関西館|国立国会図書館―National Diet Library
http://www.ndl.go.jp/jp/service/kansai/

・関西館小展示「時空をかける三国志」|国立国会図書館―National Diet Library
http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/1195909_1376.html

 それらの中に『潮』2004年2月号があり、そのP.152から「横山『三国志』 語り継がれるおもしろさの秘訣」というインタビュー企画があった。表題通り横山光輝/著『三国志』(マンガ)の横山光輝(1934年6月18日-2004年4月15日、下記公式サイトより)先生へのインタビューだ。

・横山光輝オフィシャルサイト
http://www.yokoyama-mitsuteru.com/

 そのインタビューで重要と思うところを箇所を下記に引用する。P.153。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──『三国志』でも資料のない頃に描かれたところを文庫にするとき、大幅に描き直されたとうかがっています。
横山 最初に描き始めたときと、後半とでは、見た資料が違いすぎましたからね。最初のうちは、日中国交回復の前で中国からの本が入ってきてなかったので、江戸時代に(葛飾)北斎の弟子などが描いたのを参考にして描いていたんです。ところがだんだん中国から本が入ってくるようになると、「あれ、違うぞ」と思うようになりました。
 鎧兜なども初めは明時代の像を参考にしていたんですけど、兵馬俑が発見されて、秦の時代の服装がよくわかってくると、直さなくてはいけないんじゃないかという気がしてきたんですね。新しいことがわかってくるたびに、ああ、これは直さなくちゃいけないと思うんです。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ここで言う「大幅に描き直された」というのは文庫化に当たってのことなのに注意が必要。ただどう変わったのかいつか見比べてみたいね。あと「(葛飾)北斎の弟子などが描いたの」というのは葛飾戴斗二世、つまり『絵本通俗三国志』の挿し絵を参考にした、と考えるのが自然なんだけどどうもまだその証拠を掴めていない気がするし、では『水滸伝』はどうだったのか、とか疑問がわく。

※関連記事 2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2

 「鎧兜なども初めは明時代の像を参考にしていた」というのは一つの証言としては貴重だけど、実際、検証してみたくなるね。

 話を表題に戻し、2013年1月13日日曜日に東京に出かける用事があったので、図書館から借りた書籍を移動中に読み切ってしまおうと思った。12月中には青春18切符の期間内(1月10日まで)の1月5日土曜日に出かけようと思っていたが、思っていた日程が次の日の日曜日にずれ込み、帰りが月曜日になりこちらの日程が合わなくなったので中止にした。その代わり、青春18きっぷの期間外の13日日曜日に足を運びたいのが良い具合に重なり、しかも次の日の月曜日は祝日であるため、思い切って昼特急高速バスを利用することにした。
 ちなみに下記関連記事にあるように、12日土曜日に東京御茶ノ水にて「三国志TERAKOYA1」の開催があるものの、気付いたときにはもう高速バスのチケットを抑えた後だったし、また13日日曜日に東京中野にて京劇「華容道-赤壁・曹操追撃戦-」の上演があるものの経済性と自らの興味に折り合いが着かなかったので見当しなかった。

※関連記事
 三国志TERAKOYA1(2013年1月12日)
 華容道-赤壁・曹操追撃戦-(2013年1月13日)

 ともあれ13日、例によって最寄り駅まで35分歩き到達し、7時過ぎには京都駅に到達し、スターバックス コーヒー 京都タワー店で高速バスの時間まで待機する。

・Starbucks Coffee Japan - スターバックス コーヒー ジャパン
http://store.starbucks.co.jp/

 株主優待券に物を言わし、引き算のグルメを知らないかのように、季節限定のチョコレート ブラウニー モカ ヴェンティサイズ ホット エスプレットショット追加 ホイップクリーム追加 バニラ・シロップ追加 ヘーゼルナッツシロップ追加を注文。ホイップクリームは元から付いているとかで増量扱いで50円追加にならなかった。それとコーヒーだけだと胃腸に良くないと思い、朝飯を食べていたもののスターバックスヨーグルト ブルーベリーを購入。レシートを見ると7:14:20となっていた。
 そこから1時間半弱で、高速バスの発車時間が近付いたので、まだ飲みきっていないコーヒーを手にバス乗り場へと向かう。発車の10分前に到着し、8:40発車。2階の一番前で、通路側にあるので、眠れないだけに、作業するには最適の席だ。早速、メモを用意しつつ、持ち込んだ書籍を読む。流れ行く風景を見ながら、ハードディスクプレイヤーで音楽を聞きつつリラックスした状態。
 まず、夏目房之介『マンガ学への挑戦 進化する批評地図』(NTT出版ライブラリー レゾナント2004年10月28日発行)から。

・トップ|NTT出版
http://www.nttpub.co.jp/

・マンガ学への挑戦 進化する批評地図|書籍出版|NTT出版
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001495

 三国と全く関係なくタイトル通りマンガ批評、マンガ研究関連。以下、箇条書きのメモ。

・P.2 「はじめに」から『BSマンガ夜話』の話がそのままP.17「第一章 マンガの伝わり方」P.18「「BSマンガ夜話」──批評的娯楽番組」へと繋げる。個人的にこの番組のファンだったので分析は楽しく読んでいた、世代間のズレなど。

※関連記事 『BSマンガ夜話』で『蒼天航路』(2008年9月17日)

・P.28「日本マンガ学会の設立」 ここらへん当時の様子を今に伝える貴重な資料だね。

※関連記事 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

・P.54「作家主義と商業主義──『編集王』」 前節の夏目漱石の作家主義と岡田斗司夫の「読者のものとしてのマンガ」をうけての流れ。大槻ケンヂが抱くP.59「あまりにも典型的で古典的な「(良心的な)作家対(汚れた)商業主義」の対立構図の無邪気さに」という件は視聴者として見ていたが、面白さが蘇ってきた。

・P.70「作家と日常の意識──ちばてつや」 力石の亡くなるシーンで作家すら忘れていたことに批評が「気付き」を与えている。

・マンガは批評になれていないという話でP.77「マンガ批評において表現のしくみを扱うために図版引用は不可避だったが、私がそうした批評を本格的に始めた頃は作家も出版社も図版の引用を許諾する無条件かつ全面的な権利が自分たちにあると信じて疑わなかった。」というのがあって、下記関連記事にあるように、『マンガの読み方』(宝島社1995年)のには、図版引用に「著者あるいは出版社等に許可を得ること」という「業界慣例」があると記述されていたが、こういう理由があったんだね。

※関連記事 私的メモ2:三国漫画分析

・P.107の図 佐藤まさあきの作品 1965-67年頃?の作品 「キャスト」として登場人物ごとの作家のクレジットがある。

・P.146「日本での規制問題はほとんど、マンガについての知識のない人々の「善意」がもたらすといっていいが、議論そのものに生かされるほど、マンガについての研究成果が蓄積されているのかどうかも問題だろう。」 つまり最低限はそこは研究がやくに立つ。

・P.147「法的に説明する言語」にて、いがらしゆみこ・水木杏子『キャンディ・キャンディ』についての法廷訴訟にちて夏目氏の見解が興味深い。たしかにマンガに対する無理解が響いている。

・英米的著作権法と大陸欧州系著作権法の二つの話の流れでP.160「現在、我々はコピー・ライトを著作権の訳語としているが、厳密にいうと日本の著作権はオーサーズ・ライト(作家の権利)というべきだろう。」

・P.175 註8-1 山田奨浩「オリジナリティとは何か 日本文化の模倣と創造」(角川選書二〇〇二年)から引用して「要するに「著作隣接権」[人格権以外の権利・翻案権など]は単に「政治力の強い業界」に付与されているものなのだ。つまり、「伝達行為おける工夫や準創作性を評価して……」などという説明自体が、実は学者や専門家の「後付けの理屈」を理解しようとするが、本当は力関係で成立したものだという理解が重要なのである。」

・P.177-「第九章 マンガ批評小史」 世代層の違いが興味深い。たしかに第12回日本マンガ大会での、ここにいらっしゃる方はみんなマンガが好きかと存じますが、という旨の言説もここらへんから来ているのだろうね。
 (後日、竹内オサム先生の著作について追記予定)

※追記。この後に竹内オサム/著『本流!マンガ学 マンガ研究ハンドブック』(晃洋書房2009年4月)を読んだんだけど、その冒頭、P.3に『ふゅーじょんぷろだくと』1982年3月初出の「1 いま分析批評の確立を」という文があり、時代が上記より近いせいもあってより生々しく伝わる。そのせいもあってかPP.5-6「むしろ、アプローチの方法がいまだ未知数であるこの表現ジャンルでは、その未熟さがアナーキーな批評状況と結びついているからこそ、他の科学のレディメイドではなく、批評にも自らオーダーした装置があっていいはずなのだ。」と細かい文の誤りはともかく(「いまだ」→「依然」だね、この書籍から主旨からいって態と訂正せずそのままなのだろうけど)、今でも通じてしまうような(それはそれで反省点だろうが)名言がある。またP.88に『ビランジ』9号2002年4月初出の「3 夏目房之介『マンガ学への挑戦』への疑問」と、この書籍自体について書かれてあるので、併せて読むと良い。同様にP.94に「4 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』への反論」とその著作についての論考が纏められており、両者の著作を併せて読むとマンガ学の動向も含め、大きな学びに繋がりそうだ。

・P.199- 「日本固有論」はある種「あるあるネタ」として見えてしまってうまく消化できないかったが、気に留めておきたい議論だ。

 その次が本題に近付き、大塚英志『まんがはいかにして映画になろうとしたか──映画的手法の研究』(NTT出版2012年2月23日発売、2012年2月29日発行)。以下、箇条書き

・トップ|NTT出版
http://www.nttpub.co.jp/

・まんがはいかにして映画になろうとしたか 映画的手法の研究|書籍出版|NTT出版
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002160

・PP.6-7 「視線誘導論」についての整理。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「見開き」での「カット」=コマのレイヤー的ないしは重層的配置の方法は、十五年戦争下、「グラフ・モンタージュ」の名で写真領域で試みられていることも理由の一つとなっている〔図5〕。「グラフ・モンタージュ」と「視線誘導」の方法の間に直接の歴史的因果関係は見出しにくいが、画面のレイヤー的重層化もまたかつて「モンタージュ」と呼ばれていたことは確認しておいてもよい。いずれ試みることになるが「視線誘導論」は「グラフ・モンタージュ」的な「構成」といて整理可能なのである。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

P.7 (1)は実際「○」に「1」。以下、同じ。そういった表現ならば、前回までの記事で書いたように横山光輝/著『三国志』に限っては見開き単位というよりページ単位だね。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
やや脱線するが、このように日本のまんが表現は、(1)作画水準(2)コマの時系列的接続水準(3)コマの見開き単位の空間的配置水準の三つで「構成」化されている、といえる。これに柄谷行人の指摘する物語水準での極端な「構成」化を加えると四つの水準で高次の「構成」化が進行したのが現在のまんが表現だといえる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

P.7に台湾マンガと海賊版の導入がある。

※関連記事 中国動漫新人類(2008年2月12日)

P.8 留意しておきたいところだね。歴史の流れを俯瞰したいところ(と言っても「現代思想的なターム」を清岡が持ち得ないだけなんだけど)
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 現在のまんが研究は「マンガ学」化、すなわちアカデミズム化を急ぐ余り、テキストの中に検証の対象を限定したり、あるいは、現代思想的なタームに依存したまんが語りという、その点では筆者自身もまたかつて行ったことの繰り返しの中にあり、「つくる」人々の「ふるまい」とその「ふるまい」の位置すべき具体的であると同時に歴史的であるはずの文脈がどうにも見えなくなっている印象を感じる時がある。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

P.11 別にマンガだけが映画的にしようとしたわけでないという事実があるという。前述の「歴史的であるはずの文脈」も受けて映画性について、「このような時代性に規定されている可能性がある」とのことか。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
後述するように映画以外の表現を映画のカットの接続、モンタージュの援用によって「映画的」に見せようとしたこのような試みは一九三〇年代以降の詩や写真などに広く確認することができるもので、旧『新宝島』に見られるカットとモンタージュを基調とする映画性は、このような時代性に規定されている可能性がある、とまず考えるべきである。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

P.81 「めくりの手法」について。横山光輝/著『三国志』にはないことなので、それがどう作品を読む際に、他の作品との違いに表れているのか(表れてないのか)留意しておきたいところ。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 マンガ的な表現手法としてページを結ぶ努力を見出すこともできる。見開きページの左下のコマを裁ち落としとして、読者の視線をページの外部に誘導し、うつろに彷徨う視線が〇・一ミリの厚みを乗り越えるきっかけを期待する方法である(めくりの手法である)。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

P.113 (白土三平『忍者武芸帳』とそこから撮影した大島渚『忍者武芸帳』とを比べ)
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 原作のまんがと映像を見比べると判明するが、映画『忍者武芸帳』では、一八〇度ラインをほとんど越えない。一方、原作では台詞の順番を保つためか、何度かラインを越えている。しかし、その該当個所を映像で確認すると、越えているコマが省かれラインを越えないように編集してある。もちろん台詞の順番は、入れ替えが自由であるため問題ない。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 「一八〇度ライン」(後の記述で「アクションライン」とも)については下記サイトの下記論文を参照。いまいち清岡は「同一化技法」と折り合いつけて理解していないので、整理しないとね。

・神戸芸術工科大学紀要芸術工学
http://kiyou.kobe-du.ac.jp/

・神戸芸術工科大学紀要芸術工学2008|まんがと映画における物語と表現方法の関係
http://kiyou.kobe-du.ac.jp/08/thesis/04-01.html

P.128 (石森章太郎による説明)
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
まんがのコマとコマつなぎにおいて、空間と時間を省略することを前提としており、それを台詞(吹き出し)、枠線の形状、事件やモノにより結合すると説明している。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この前提は留意しておくとコマとコマの繋ぎに注視できてまた新たなものが見えてきそう。

補足:『マンガの読み方』(宝島社1995年)PP.168-183所収の夏目房之介「コマの基本原理を読み解く」のP.170に「石ノ森章太郎は、見開き単位で冒険的な構成を試み、'60年代にコマ割りの可能性を大きく押し広げた先駆者である。彼の見開きやページをめくる瞬間の効果的利用は、ほとんど教科書的ともいえるものだった。」とある。

※追記 知れば知るほど面白い 英雄たちで知る三国志(2013年1月19日)

 それからPP.158-192「第4章 『龍神沼』における映画的手法について」。どんな内容かというと、P.159から下記に引用するようになる。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
本章は「編集」つまりマンガで言うところの「コマ割り」に、映画的手法の取り込みを見出そうとしている。それ以外のアプローチとして(詳細には触れられないが)指摘するならば、カメラ・アングルやカメラワークなど、いわゆる映画用語で言うところの「演出(ミゼンセヌ)」のレベルで検討することもできるだろう(マンガにとっての「フキダシ」の存在はかなり重要なキーポイントだろう)。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 それでPP.160-161に、先に引用したことに関連する、「空間のつながりを保持する法則として「アクションライン(軸)」もしくは「一八〇度システム」として呼ばれるショット転換の技法がある。」とあり、以下のことが「スティーブン・D・キャッツ『映画監督術 SHOT BY SHOT』津谷祐司訳、フィルムアート社、1996年、P.146」から引用される。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
アクションラインは、キャメラ前の空間を横切る“想像上の仕切り”だと捉えることができる。それは元来、あるシーンをいろんなアングルから撮影した場合、スクリーンの左右の空間を逆転混乱しないで編集できるように考えられた方法である。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

・FILM ART | フィルムアート社
http://www.filmart.co.jp/

・映画監督術 / SHOT BY SHOT (FILM ART | フィルムアート社)
http://www.filmart.co.jp/books/index01/_shot_by_shot.php

 PP.186「マンガの文法を利用したモンタージュの活用」 この言い回しはどこかで活用できそう。

 P.193-214に、尹性喆「第5章 韓国SF漫画『ライパイ』の映画的手法に関する考察」。つまり尹性喆さんの論文がまるまる収録されている。

 P.210には下記に引用するように、漫画(Manhwa、つまり韓国固有のものとして)作品の『ライパイ』が下記のような特徴を持つという。確かに異時同画といった様相が『ライパイ』の大ゴマと韓国の風俗画を並べて説明されている。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
しかし、『ライパイ』での大ゴマ表現は、今日の大ゴマ表現とは違う。むしろアメリカン・コミックの大ゴマ表現に近いもので、まるで、朝鮮時代の「風俗画」のように、あたかも複数の「カット」を一つの大ゴマで表現しているのである。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 そしてPP.215-254が本題の蔡錦佳「第6章 武侠漫画の映画的手法表現の成立をめぐって」

 まず武侠漫画の前にマンガの基本的なことをP.216より下記に引用。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
マンガのコマ内は三次元的な空間構成を求め、「アップショット」、「ロングショット」などのブロッキングサイズの概念を使って、マンガのコマ内にカメラワークを仮想し、それらを「モンタージュ」するとともに見開き単位でのコマの「構成」を行っている〔★1〕
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この注の「★1」は「大塚英志『映画式まんが家入門』二〇一〇年アスキー・メディアワークス」にかかっている。

 それで本題の武侠漫画の発生について、PP.218-219から下記に引用するように書いてある。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
武侠漫画と武侠映画の発生は近代武侠小説に基づき展開していったが、このような小説ジャンルは唐宋時代の豪侠小説も清代の侠義小説から変化していったもので、二〇世紀に至って「武侠小説」というジャンルを大衆文学における一つのパターンとして定着されるに至った。この間、一九五〇年には武侠漫画に、一九六〇年代には武侠映画と武侠ドラマに影響を与えることになった。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※「侠義小説」は「狭義小説」ではないことに注意。

 そしてP.219に下記に引用するように、武侠漫画は絵柄の点で連環画からの影響を指摘している。この方は連環画はマンガの一種という捉え方のようだね。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
一九五〇年代、第二次世界大戦後の台湾漫画家は大半が「反共」的政治プロパガンダを中心に創作活動を行う一方、中国民間演劇芝居、民間文芸、民間英雄史劇によって侠義伝奇漫画を創作することがあった。物語の発想は多くが中国伝統歴史物語からの引用であり、キャラクターも中国造形表現であった。一九五八年より、陳海虹の『小侠龍捲風』が『模範少年』誌上で連載を開始〔図1〕、武侠漫画ブームを巻き起こした。その絵柄は中国連環画(連環画とは、中国で清朝末期から一九八〇年代まで流行した掌サイズの絵本の如き漫画本である。一ページに一コマの絵とともに説明文が付き、中国における漫画の先行形式と考えられている。回回図や小人書や公仔書などの名でも呼ばれている。最初に連環画として名前付けられた漫画は一九二七年、上海世界書局の『連環図画三国志』であり、今日に至るまで古典文学名作、神話伝説、外国名作、革命前後期事跡、SF、映画の絵本化…などを素材として発展してきた。)が水墨画のペンタッチを採用する一方、日本式の映画的手法と表現文法も混在したのである。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※関連記事 ノート:連環画は中国特有の『マンガ』なのか?その絵本としての可能性を探って(2012年2月15日)

 さらに具体例がP.219から下記に引用するように書かれてある。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
また、陳定国の『呂四娘』〔図3〕は伝統芝居と「野史」(通俗的歴史)に基づき、中国連環画の書式と絵柄を採用し、特殊古典的なスタイルとして存在していた。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 そしてP.222から下記に引用するように、台湾の鄭問先生について書かれてある。この論文には書かれていないが、三国マンガは描かれたことがないが、三国ゲームのデザインはされたことがあるそうで。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
その一方で八〇年代末には、若い世代の漫画家たちが、日本海賊版漫画から影響を受けることで、新しい表現が生まれた。中でも鄭問の『刺客列傳』〔図12〕は台湾式武侠漫画の新たな後継者として登場し、映画的手法の上に、中国の伝統的な水墨画の実験的な絵柄が新しい表現として注目され、のちに『阿鼻剣』、『東周英雄伝』、『深く美しきアジア』など歴史と侠義をモチーフとする作品を次々発表した。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※関連記事
 『三国志のロマンス』(「越境する カワイイ!可愛い!Kawaii!」内)
 メモ:漫画学のススメ(2000年1月20日)

 あと鄭問先生といえば、『蒼天航路』の曹操の目の隈取りが鄭問作品から来ているのではないかという話を青木朋さんがしていたのを思い出し、それが正しいとすれば両文化圏で三国に関わる文化伝達が結構、行われているのだな、と思った。

※関連記事 メモ:コミックマーケット82 3日目(2012年8月12日)

 台湾の次は香港。PP.223-224から下記に引用するように、香港では子供の人口が急増した歴史背景で、マンガが発展したとのこと。ここでも連環画との関係が述べられ「合流」と表現されている。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
香港の漫画は本来、政治諷刺漫画や一枚絵や挿し絵を中心に発達し、五〇年代の香港に大量に中国内地からの人口流入があったことをきっかけに、子供の人口が急増し、子供向け漫画が発展、それが徐々に中国連環画と合流した。一九五八年に『漫画週刊』が創刊、一九六七年から香港テレビで日本アニメ放送が始まり、地元出版社もビジネスチャンスと感じ、日本漫画を輸入、香港の漫画家もそのように日本化したマーケットの影響に迎合したため、日本漫画キャラクターの絵柄の引用が目立った。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 そして連環画から香港漫画への影響は具体的に挙げられ、陳海虹『小侠龍捲風』(1958年、皇冠)について述べられ、PP.226-227から下記に引用するようになる。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この時期における陳海虹の武侠漫画には武侠小説の文章表現がナレーションの形で残り、その表示の方法は中国連環画の様式〔図17〕〔図18〕が残っているように考えられる。しかも、陳海虹の絵柄は中国連環画の絵柄に近く、この時点での武侠漫画が影響を受けたとも考えられる。このような四角い枠を用いたナレーションの表示は日本式ストーリーマンガでも用いられるが、中国連環画の表現方法は武侠漫画に見られる絵物語的な表現と互換性があったと考えられる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 それとマンガの基本的なことをP.233から下記へ引用する。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
通常理解されるマンガの文法構造は、人物(主体)、セリフ(吹き出し)、背景(客体・風景・状況)、形容(形喩・動き・動作記号などと効果バックと効果線)、擬音(音喩)、コマと「間白」(コマとコマの間の余白)などからなる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 以上のような引用をメモし、後日、PCで入力していた。
 連休の中の日なので渋滞が心配されたが、やはり前後の日よりは少ないということか、高速バスはほぼ予定通り16時過ぎには新宿駅東口に到着。そのまま新宿駅に向かい、中央本線各駅停車に乗り込む

※続き。三国と無関係ながら続きの雑記
・レポ:さねよしいさ子with 山際英樹+鎌田ひろゆき
http://cte.main.jp/sunshi/2013/0113.html

※追記 メモ:錯誤と漢籍(『漢籍はおもしろい』所収)

※追記 横山光輝『三国志』に見られる連環画の再構築 問題意識と目的 初稿

※追記 メモ:レキシズルバー

※追記 ノート:「連環画」の転変(『月刊しにか』2000年10月)

※追記 メモ:2015年、2つの研究テーマ

※新規関連記事 中国のマンガ〈連環画〉の世界(2017年2月24日)

※新規関連記事 メモ:パクリが平常運転化された連環画(パ平連)(マンガ論争18 2017年12月29日)

※新規関連記事 2018年の台湾&香港 マンガと御宅族の現場を振り返る 台湾編(マンガ論争 20号 2018年12月29日)

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