Site Calendar

サイトカレンダをスキップ

2024年 10月
«
»
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

NAVI

ログイン

ログイン

新着情報

記事

新着記事 2件(24時間)

コメント (2日)

-

トラックバック (2日)

-

リンク (2週)

新しいリンクはありません

QRコード

QR code

アンケート

三国志ニュースのレポート系記事

三国志ニュースで書いて欲しいレポート系記事はどれ?

  •  三国志フェス
  •  三国志学会大会
  •  関プチ5全国ツアー
  •  魏晋南北朝史研究会関連
  •  三國夜話
  •  六間道三国志祭
  •  三国志TERAKOYA4
  •  三国志 義兄弟の宴
  •  東アジアの『三国志演義』/ベトナムの『三国志演義』
  •  zip,torrent(トレント),rar,lha,mediafire,pdf,DL(ダウンロード),nyaa等を含む検索語句(違法なフリーライド・無料閲覧関連)、あるいはBD・DVD自作ラベル、カスタムレーベル等を含む検索語句(著作権・肖像権侵害関連)に関する調査・研究

結果
他のアンケートを見る | 79 投票 | 0 コメント

掲示板 件名 最新投稿

メモ:コスプレと新聞記事


  • 2006年8月20日(日) 11:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,043
新聞  2006年8月14日に山口県の三国志城で三顧会というイベントが行われて毎回、大小さまざまないろんな報道機関がくる。それで毎回、取材されるがそれが報道されるかどうかは別の話で、毎回、どれが取り上げられるんだろう、なんて話をしていた。
 5月4日に行われた前回では中国新聞の地域ニュース(2006年5月5日)に「三国志ロマン、杯作りに挑戦 光」という記事で紹介されていた。

・中国新聞に三顧会の記事
http://cte.main.jp/newsch/article.php/332

 上記リンク先を見てもらうとわかるんだけど、コスプレ(あるキャラクターの姿に扮装する行為、コスチュームプレイの略)の方が記事になりやすいとか言ってたんだけど、やっぱり今回、コスプレの方が記事となった。
 読売新聞の九州発(2006年8月15日)、「三国志ファンの女性10人、英傑の衣装着用しイベント…山口」という記事。詳しくは下記の英傑群像のブログの記事で。

・三国志エンタメ三国志情報&グッズ「英傑群像」
http://www.chugen.net/
・三国志ブログ英傑群像通信「読売新聞三顧会イベントの記事」
http://sangokushi.chugen.net/?eid=547454

 当日のコスプレは横山三国志系が劉備、諸葛亮、三国無双系が、凌統、4陸遜、司馬懿、3陸遜、関平(→月英)、三国志大戦系が、周瑜、司馬懿の計9名で約10名か、なるほど。
 (あと内輪ネタだとカンフー服とチャイナドレスとか)


 その二日後に日本海新聞の記事(2006年8月17日)で「燕趙園に集え中華英雄 来月コスプレ日本大会」というのがあった。こちらは鳥取の燕趙園で2006年9月24日に2006年度中華コスプレ日本大会をやるって記事。下記の記事参照。100名あつまるかな。参加申し込み締め切りは9月10日とのこと

・2006年9月24日 中華コスプレ日本大会(in鳥取・燕趙園)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/371

 そういえば、コスプレ大会のサイトの写真がポスター用の写真に差し替えられていた。イメージ統一でいよいよ開催って感が強まっている。

2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感4


  • 2006年8月19日(土) 18:49 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,828
教育機関 見にくい写真だけど張り出された今回のプログラム・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/381


 みなさまのおかげで今年はパネルディスカッションのスタートに間に合って良かったよかった。
 まだ始まるまで時間があったので立ち話。ここで如月雪さんと会う。どうやら渡邉義浩先生の報告には間に合ったとのこと。そこから新妻・如月雪さんの近況をきいたり、KJさんからUSHISUKEさんの近況をきいたり、清岡からしずかさんの近況をはなしたりと。
 それからどうやら如月さん、次の日に三国志学会の第一回大会があることを知らなかったようだ。でも学会には入るとのこと。

 それで13時30分になる。少し遅れてスタート。

○第二部 パネルディスカッション
     司会 大東文化大学文学部中国学科助教授  中川 諭
          コメンテーター   東京大学三国志研究会
          コメンテーター  学習院大学三国志研究会
          コメンテーター 大東文化大学三国志研究会

 司会の中川先生からアナウンス。午前中の報告への質問をする時間帯のようだ。質問者は主に前に並んでいる各大学の三国志研究会のみなさま。まず各研究会から簡単に一つずつ質問していく。ここらへん前回のパネルディスカッションで各三国志研究会からの質問がマニアックになりすぎて一般視聴者をおいてけぼりにしたことに対する反省を踏まえているとのこと。

 まず向かって右の学習院大学三国志研究会から。沈先生への質問。三国演義が中華民族精神への影響が第一だ、とおっしゃったことに対して、三国演義以外の水滸伝からの影響は位置づけ的にどうなのか? って質問。ここで通訳を交えるのでしばし待つ。
 まず沈先生は三国演義も水滸伝も研究されているとのこと。それまでの考え方だと人物描写・言葉遣いが深い。三国演義の方が理想がなされていて社会に対する影響はより強いものがある。報告で述べたように四つの要素がある。今のような正常な社会から見た場合、プラスに影響が働くのは三国演義の方がより強い。
※沈先生の発言→通訳→清岡の文でかなり元の情報が変質していることをご了承ください。以下、同様です。

 次が真ん中の東京大学三国志研究会から渡邉先生への質問。荊州学に関する質問。荊州学は兵法にどのような役割があるのか? 春秋左氏伝には戦いの記述があり、諸葛亮の行動へ反映されていることがわかるということを具体的な例をあげて渡邉先生が説明。兵の交代のエピソードだけど具体的なところは清岡失念。

 その次が大東文化大学三国志研究会から上田先生への質問。吉川英治が、劉備に自分の妻の肉を差し出すエピソードを嫌ったとのことだけど、葛飾戴斗二世の残虐性は当時の日本人(江戸の人)は受容していたのか? 戴斗が描いていたから読まざるをえなかったのか、それとも好んで読んだのか?
 上田先生は授業で戴斗のそのシーンを見せると女子学生が「キャー」といっていやがるとのこと。江戸時代の人でも評判がわるかったんだろうとのこと。一方、江戸時代、好まれる風潮もある。一概には言えないが嫌われて居たのだろうとのこと。

 ここで観衆からの質問タイム。今回初でうれしい試み。
 まず会場から質問を募ったが、さすがに誰も手を挙げなかったので、ここで質問用紙から中川先生が質問を読み上げる。
 羅貫中が理想を求める余り三国演義には三国志にはない記述がでてくるが、それに関して何か考えはあるか? これは沈先生への質問へとなる。
※以下、回答は箇条書き
 確かに三国演義は細かい部分では三国志に合致しない部分がある。三国演義には沈先生が思う600あまりの暗号がある。600あまりの暗号は三国志との食い違いに関するもの。情景に関して130の項目を設けている。小説の中の情景というのはどうしても虚構が入る。精彩を放つものほど虚構が入る。しかし、このどれも基本的な史実をかえているわけではない。相対的にみると三国時代の姿をよく反映しているのではないか。反映されている部分は国家統一への願い。これは三国時代の人々の願いと一致する。三国演義に見られる劉備集団に対する賞賛は唐代以降見られるようになる漢族政権による国家統一の願望が反映されている。まとめる国家統一への願望に関しては三国志と三国演義は一致する。劉備集団への賞賛は必ずしも事実と一致しない。というのも三国の争いはいずれも漢族だから。羅貫中の時代は漢族でない民族の支配が始まる時代なので、そういうのが劉備たちへの賞賛に反映される。小説を書く人の時代の影響を受けることは免れることができない。

 ここで観客席にいらっしゃった周文業先生からの渡邉先生への質問。もちろん通訳が入る。諸葛亮の軍事に二つの見方がある。三国演義では軍事的成功がある。三国志ではそれほど成功をおさめていない。(三国志での)赤壁の戦いでは、戦いは周瑜で、荊州をとったのも劉備・ホウ統で、諸葛亮は何もやっていない。南征は成果でありますが、それは単に南蛮の人たちが弱かった(会場、笑)。漢中を奪ったのでも劉備・法正で、諸葛亮は何もやっていない。
 中国でもこういった二つの見方がある(大衆は小説から諸葛亮を軍事に優れているとおもっているとのこと)。渡邉先生ご自身は史実の諸葛亮をどう評価するか。
 回答。「『一流である』と言い張ることに」(場内笑)。おっしゃるとおり負けてばかりだけど「負けっぷりが良い」とのこと(場内爆笑)。諸葛亮は負けるときには兵を損なわないという兵法において最も難しいことを実践している。曹操に勝てないのは仕方ない。曹操は超一流だから(場内爆笑)。諸葛亮が超一流に勝てないからといって諸葛亮が一流でない証明にはならない。諸葛亮を徹底的に擁護した人に朱子がいる。大東文化大学は朱子学の大学なので朱子に反することはできないという政治的立場かある(場内爆笑)。
 さらに質問。諸葛亮は確かに軍事的に優れていたが、蜀という国の力が劣っていたという見方もあるが、渡邉先生はどう見るか
 ※回答。沈先生は成都からいらっしゃっている。その先生の前で四川は国力で劣っているなんて言えない(場内爆笑)。

 簡単な質問。先生方の一番好きな登場人物は誰ですか?
 沈先生から。私だけでなく中国の絶対多数の人々の代弁をし、諸葛亮とのこと。なぜならば歴史人物としての諸葛亮は当時の知識文士の優秀な担い手。三国演義での諸葛亮の描写によりさらに人物の魅力が高まる。諸葛亮というのは現在の中国人民の心の中で最も優れた軍事家でもある。忠義なる人物で尽きることのない知恵、中国の人も外国の人もかわることのなくいずれも尊敬する不朽の人物。元々、歴史人物として優れていてさらに小説として高められた。ここで沈先生の著作の紹介。
 ここで上田先生にいくまえに周先生からの反論。大体、同意するが、別の人物も中国の人から好かれてる。まず関羽。影響の面から。つまり中国国内のみならず海外どこへ行っても中国人のいるところには必ず関帝廟があるから。次、曹操。今日において多くの歴史家が曹操の名誉回復につとめている。中国中央電視台製作のテレビドラマ「三国演義」(ここで全87話説と全84話説がでて場内をわかせる)でこのシーンは誰が主役か論じられた。監督は曹操こそ主役と述べていた。三つ目、趙雲。タイで「三国演義」が放送されたとき、国王の叔父さんがテレビで全国に向けて「趙雲にはかなわない」と呼びかけたそうな。それでタイでは趙雲だとのこと。

 それから上田先生の回答。10年前の同じ質問で関羽と答えていた。留学の時に中国での関羽の影響力に感銘を受け、それ以来、関羽グッズの収集家になったそうな。特定人物が好きだというか場面場面が好き。吉川三国志での長板坡の趙雲の活躍が好きだけど、それは場面が好きなのか趙雲が好きなのか未だによくわからないとのこと。

 渡邉先生の回答。日本では曹操の再評価というより学術的な話じゃなくて変な漫画?(場内笑)の影響で曹操ファンが増えていたり(暗に田中先生のことをさす?)、呉のファンがいたり(暗にゼミの学生をさす?)するので、いつも肩身の狭い思いをしていたが、今回は心強い味方がいる。三国志学会会長の狩野直禎先生も「諸葛孔明」を書いているし、渡邉先生も「諸葛亮孔明」を書いているし真っ当に読めば諸葛亮がナンバーワンってのはゆるがない。三国演義だと趙雲。

※新規関連記事 別巻 その時歴史が動いた 三国志英雄伝(2002年9月3日発売)

 あえて司会の中川先生からの回答。版本(はんぽん)研究やっている人だと関索とのこと(花関索伝)。なぜなら関索によってずいぶんネタを提供してくれた。

 ここから再び各三国志研究会からの質問
 学習院大学三国志研究会から沈先生への質問。レジュメから「このような考え方は、清代康熙年間に毛宗崗が改訂した『三国演義』のテキストの冒頭にある…」とあるが、このように変化があったことはどういう思想的なものが入っているのか?
 回答。毛宗崗本にならないとそういう表現はでてこないので、この表現を持って羅貫中の考えとすることはできない。長いこと統一されていたからそろそろ分裂だ、というような単なる循環的な考えではない。羅貫中の考えはどうしても分裂してしまうかもしれないが、それを乗り越えて統一したいというの羅貫中の本質的な考えである。毛宗崗本のこの記述は清代の一部の知識層の考え方を反映したもの。元々、羅貫中が書いたものと思われるものは、魏呉蜀の英雄に対する態度はまだ比較的公平。三国演義嘉靖本の典型的な話。嘉靖本では初登場の曹操は「英雄」と表現。ところが毛宗崗本では「英雄」という表現が削除されている。二つ目の例。嘉靖本では諸葛亮が馬岱に責任を押しつけるシーンがあるが毛宗崗本ではめでたくそのシーンがぬけている(場内、笑)。こういう変化はそれなりの合理性が出てくるが、曹操に関しては描写の豊かさが減ってしまっている。その他、挿し絵が入ってきたり様式が変わってきてる。知識層向けと一般人向けの版本に分かれていく。前者を通俗演義系統、後者を三国志伝系統と呼び、中川先生によると後者はさらに繁本系統と簡本系統に分かれる。これは難しい問題なので版本に関するシンポジウムが過去二回あった。さらに専門的な話を知ろうとすれば、金文京先生、上田先生、中川先生の論文を読むことをおすすめする。

 周文業先生も版本に関する研究をしていて明後日(第五回中国古代小説文献与数字化研討会)で発表するとアナウンス。さらに周先生から上田先生への質問。日本と中国の挿し絵の変化について何か考えがあるか? 
 回答。とっさに言えないが、簡単にいうと、初め模倣したが、自分たちオリジナルなものになっていた。中国での挿し絵は1ページごとに挿し絵がつく本(三国志伝系統)と、何ページかごとに緻密なものが一つつく本(通俗演義系統)に分類される。日本には両方とも輸入されていた。日本人が参考にしたのは主に後者。日本人は緻密なものを好んだ。そこらへんが日本と中国の違い。

※新規関連記事 メモ2:三国志学会 第十七回大会(2022年9月4日)

 東京大学三国志研究会から上田先生への質問。なぜ毛宗崗本の訳がすくでなかったか? なぜ湖南の文山の通俗三国志が長く読まれていたか?
 回答。水滸伝の版本から推測。滝沢馬琴の言葉から想像。儒教寄りの毛宗崗本の翻訳は日本人の肌に合わなかった。<湖南の文山の通俗三国志について> 原文より訳本の方がよく流通されていたし(需要があったし)、よく読まれやすかった。これを渡辺精一先生の言葉を借りて三国志の筑摩の全訳本がでてから『三国志』がよく読まれるようになったことに似ていると解説。

 質問用紙から沈先生への質問。大東文化大学の留学システムについて。回答。大東文化大学と四川大学には交流協定があるそうな。四川大学への留学を歓迎している。
 質問用紙から渡邉先生への質問。大東文化大学のカリキュラムについて。回答。漢文読解重視。三国志と三国演義、軍事史など三国関係を専門としている先生がそろっている。何よりも大きな顔をして大学を歩ける。なぜなら中国学が看板の大学だから。三国志を学びたい人は是非、大東文化大学へ。

 そして15時に三国志シンポジウムの終了が宣言され、これからの予定がアナウンスされる。なんでもこの後、15時半から一般視聴可能な大学院生向けの講義があるとのことだ。あと明日は三国志学会第一回大会があって、明後日は第五回中国古代小説文献与数字化研討会があるとのこと。

・2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」雑感へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/388

第五回三顧会ダイジェスト3「三国志トランプ大会チーム戦」


  • 2006年8月18日(金) 19:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,331
場所 前日とった写真だけど、同じ配置。・第五回三顧会ダイジェスト2からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/384


 それで時間が30分押していたこともあってすぐに「三国志トランプ大会チーム戦」に移るとのこと。
 司会は英傑群像・岡本&飛熊さん。

 準備している間、入り口あたりをふらふらしていたら、如月雪さん夫妻や第二回のころからの知り合いの十一月兎亭(ノーヴェンバー・ラビット)さんに会う。三人とも結局、私の発表を聞けなかったとのことで、残念。

 そうこうしている間に、英傑群像の岡本さんから三人一組になるように言われる。そこで清岡は十一月兎亭さんと塚本さん(※多分)と組んでCチームになることに。
 まず1チーム一人ずつが入り口入って右奥のテーブル(写真の向かって右のところ)の奥のところへチーム名のアルファベット順に並ぶ。
 それで司会の二人は先ほど清岡が居た机(写真の向かって左のところ)に陣取る。机の上には何枚もカードが裏返しに置かれている。

 それで岡本さんからルール説明があった後、スタート。
 まず「所属国は何?」というテロップが出された後、机の上のカード1枚が司会によりめくられる。そうすると京劇の顔デザインのカードが出てきて、「程普」と読み上げられる。カードはビデオカメラで写され、そのままスクリーンに映し出され、観客がそれをみれるようになっている。
 そうするとテーブルのそばにたつ人たちが魏、呉、蜀と書かれたテロップのうちどれかをあげるって流れ。これは「呉」が正解で十一月兎亭さんは正解。意外と何人か間違っていたなぁ(「程普」って意外とマイナー?・笑)。その正解者に応じ、遜瑜懿さんが壁に掛かっている表に点数を書き入れる。それで一人三問ずつなので、続けて、カードがめくられる。次は周泰。これも「呉」が正解。その次が黄忠。「蜀」が正解。ここで一人、三問出されたので選手交代。

 二番手の人がテーブルに並ぶ。
 そして同じようにカードがめくられるその次は夏侯惇。「魏」が正解。で、ここで問題の種類が変わって「子供の名前」。カードが何回がめくられるが、誰も答えられないものばかりなので流れる。そして答えられそうな出たのが「孫権」。ここで白紙のテロップにみなマジックで書き込む。出た答えは「孫休」やら「孫昭」(チームCの答えだ)やら「孫亮」やら。正解は「孫休」と「孫亮」ね。一応、ここで十一月兎亭さんが三国志資料室から何かの本をとってきて確認をとってくれる。
 それから次も問題の種類が変わって「参加した戦い」。ここでカードがめくられ出たのが「司馬懿」。ほとんどの答えが「五丈原の戦い」。そこで岡本さんから「難しいの書いたらポイントアップ」とアナウンスされるが、特にそれ以上、出ず。なるほど答えによって点数が違ってくるのか。三問出たのでここで選手交代。

 チームCの三番手、清岡登場。
 ここで岡本さんから「最後の人は難しく…」とアナウンスされ、清岡、思わず「えっ?!」と言ってしまう。
 まず恒例の「所属国は何?」で、めくられたカードは「曹洪」。「呉かなぁ」とかとぼけながら清岡は「魏」を出す。全員正解で2ポイント。その次が「親の名前」。初め「徐晃」とかめくられるがもちろん誰も答えられないからスルーで次、出てきたのが「孫尚香」。「お母さんも書いたらポイントアップ」と事前にアナウンスされる。それで清岡は「孫文台、呉夫人、呉国太」と書く。呉国太は創作キャラだから一応、呉夫人も付け足す。他の人は「孫堅」「孫堅、呉夫人」「孫堅」「孫堅」。全員正解ながら、呉夫人と書いた2チームはポイントが高い。次の問題は「簡単な説明」。で、カードがめくられると「文醜」が出てくる。岡本さんが「袁紹の部下とか…」というと飛熊さんから「言っちゃだめです」とツッコミが入る(笑) で、出てきた答えは「袁紹の部下」「関羽に討たれた」「袁紹の部下、顔良と並び称される」(これは清岡の解答)「袁紹の部下、関羽に討たれた」「袁紹の部下、関羽に斬られた」「袁紹の武将、官途の戦い参加」など。「袁紹の部下」だけだと点数は低い。ちなみに官途の戦い参加は不正解ってことに(その前に斬られたんだっけ)。

 それで三人目も三問出たのでチーム戦終了、壁に掛けられている表を見ると、Cチームが1ポイントの僅差で勝利! Cチームの三人は賞品をもらうことに。
 清岡は三国志城煎餅、三国志トランプ(というか「三国演義高級撲克」)、豪剣三国志列伝(何かキーホルダーぐらいの長柄の武器3つ)、孔明のブロマイド(成都武侯祠の像の写真ね)。ちなみに十一月兎亭さんは前々回も三国志トランプ大会で優勝したから連覇だね。それとは関係ないんだけど、三国志トランプ80cmぐらいの槍をもらっていた。すげー。

 そしてお昼からのスケジュールのアナウンスがあって昼休みへ。


・第五回三顧会ダイジェスト4へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/391

第五回三顧会ダイジェスト2 三国志講習会「劉備のデビュー」


  • 2006年8月18日(金) 13:27 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,652
場所 会場のスクリーンには初めこのようなのが映し出されていた・第五回三顧会ダイジェスト1からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/382

 予定時間を10分押しで10時40分ほどからスタート。
  三国志講習会「劉備のデビュー」ということで、発表者は清岡美津夫(NPO三国志フォーラム)。
 特別企画展示場を入って右奥の壁にスクリーンがあって、そこには写真のような画面が映し出されている。その手前に机がその上にノートPCがあってそこから発表者がスクリーンに映し出される資料を変えていくって方式。観客は茣蓙にすわっているか、壁沿いや入り口付近のイスに座っている

 これで私が聞き手だったら第三回三顧会の「三国志風水講習会」のようにメモに応じてそれを書き出せば良いんだけど、何せ送り手だから、いくらでも詳しくかけるし、発表してないことまで書くことができて、「三国志ニュース全10回スペシャル」とかできてしまうので、それは遠慮し概略だけ以下に記す。

 三顧会参加者には予めA4サイズの年表を配っている。その年表はひそかに自サイトで更新していた、下記のリンク先とほぼ同じ。

・第五回三顧会の清岡的副産物
http://cte.main.jp/sunshi/2006/0715.html

 違うところは年表には関連リンクがないところ、それから年表には[]付きの数字が打ってある。
 たとえば、

>[1] 1939年 吉川英治/著『三国志』(小説)、執筆される
とか
>[3] 1321~1323年 『新刊全相平話三国志』(三国志平話)(元の至治年間)

と書かれてある。
 これは1番目に『吉川三国志』、それから三番目に『三国志平話』でそれぞれ創作されている「劉備のデビュー」を紹介するって流れ。
 それぞれの作品を紹介した後に、「劉備のデビュー」に関わる描写から見える作品の特徴をあげてまとめている。
 ちなみにここでいう「劉備のデビュー」は劉備の初陣あたりまで。
 「劉備のデビュー」を紹介してなくても作品の概要を話すときは小数で番号を打っている。で、どの作品の「劉備のデビュー」を発表で触れたかというと

[1] 1939年 吉川英治/著『三国志』(小説)、執筆される
[1.5] 1689~1692年 羅貫中/原作、湖南文山/翻訳『通俗三国志』刊行(元禄時代)
[1.6] 1839~1841年 羅貫中/原作、湖南文山/翻訳、葛飾戴斗/挿画『絵本通俗三国志』刊行(天保時代)
[2] 14世紀? 羅貫中/作『三国演義』
[3] 1321~1323年 『新刊全相平話三国志』(三国志平話)(元の至治年間)
[4] 1974年 陳舜臣/著『秘本三国志』(小説)発表
[4.3] 1982年 10月2日 NHK/制作『人形劇三国志』放送開始
[4.6] 1985年 光栄(現コーエー)/制作『三國志』(PC88用シミュレーションゲーム)発売
[5] 1991年 『横山光輝三国志』(アニメ)放送開始
[6] 1994年 王欣太/著『蒼天航路』(漫画)連載開始(掲載誌:週刊モーニング、当時は原作に途中まで原作・李学仁)
[7] 1996年11月 北方謙三/著『三国志』(小説)発表
[7.5] 1999年 松竹/制作『スーパー歌舞伎 新・三国志』(演劇)初演
[8] 2000年8月3日 コーエー(オメガフォース)/制作『真・三國無双』(プレイステーション2用アクションゲーム)発売
[8.5] 2001年4月10日 宮城谷昌光/著『三国志』(小説)連載開始(掲載誌:文藝春秋)
[9] 2005年3月15日 セガ/制作『三国志大戦』(アーケードゲーム、リアルタイムカードアクション)稼働
[10] 161年 劉備生まれる

という主要10項目になる。一つ一つストーリーの流れを説明していると、さすがに時間が足りなくなってきて、11時30分に終わるところを気づいたら、12時前だったので、[8.5]の『宮城谷三国志』と[10]の史書のパートを発表せずそこでまとめを入れ終了した。

 当日、聞いてくださったみなさま、どうもありがとうございます。

 発表直後、ありがたいことに紹介した『三国志平話』に興味をもったとおっしゃってくれた方がいらっしゃったので発表した甲斐があったな、と思った。『三国志平話』の天界裁判の部分に興味を持たれたとのこと。
 あと三国演義での劉備の血筋をいっただけで、って部分やら酒の勢いでトントン拍子に話が進むあたりが印象深かったとか。

 元々、「劉備のデビュー」について史書のことは結構、前に調べていたので、それを織り込めば発表の準備も楽だなぁ、と思っていたんだけど、結局、史書の部分を使わなかったというオチ(笑)。
 せっかくだから、下にリストアップした上、リンク張っておこう。

リュウビ十五歳
リュウビ二十七歳
孫氏からみた三国志39「両頭共身」
リュービ十五歳ダッシュ
鄒靖



・第五回三顧会ダイジェスト2へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/385

2005年12月 『三国志城に「三顧会」なる会が出来て』(山口県博物館協会 会報第30号)


  • 2006年8月18日(金) 08:13 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,021
雑誌  第五回三顧会のことを書いているときに何気なく「三顧会」で検索すると関連文章が見つかるのでご紹介。

・山口県博物館協会
http://www.da.rs1.on.tiki.ne.jp/

 上記サイトの「会報」のところをクリックすると「山口県博物館協会 会報」を一部、PDFファイルでみることができる。
 その見ることの出来る中で三国志城関連を見かける。
 それは第30号(2005年12月発行)の「館園だより」というコーナーに

   三国志城に「三顧会」なる会が出来て
      三国志城 館長 谷 千寿子

という銘打たれたページを見かける。
 そこには2005年9月13日までの三顧会員数(270名超だって)と過去三回のイベントの方の三顧会の紹介が写真入りでなされている。あと三国志城の見取り図が貴重。


 それで失礼ながら注を入れると、

>平成15年9月13日に立ち上げ

 あれは第一回の三顧会のイベントと同時という記憶があるので平成16年8月15日が正解? それか、記念日的なものなので、三国志城開館五周年記念日に設立日を合わせなおしたんだろうね、きっと。

>●第1回三顧会 (平成16年5月)

 前述したように平成16年8月15日。ちなみに当日に第一展示場の入り口前に運動会で使うようなテントが設置されていたので、写真は当日の写真ではない。

>劉備玄徳、諸葛孔明、関羽、張飛に扮装して大会に参加され

 劉備玄徳、曹操、関羽、張飛が正解。ちなみに諸葛亮の扮装者は第五回三顧会で初めて登場。


 それとこの会報、26号(平成13年度)の「館園だより」に当時館長だった小山正典さんが「三周年を迎えて」という文を寄稿している。三国志城開館当時の様子(山口できらら博やっていたそうな)や一周年記念で始まった「三国志クイズラリー」のことなど書かれていて興味深い。