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2006年5月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ6月号)


  • 2006年5月 9日(火) 19:05 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,897
マンガ  月刊のミステリーボニータに連載中の「八卦の空」。三国志およびその注に載っている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)が主役の漫画だ。3号前からの続き物なので、今号で巫炎シリーズは4回目。すっかり連載が板に付いた感じ。

・前回
http://cte.main.jp/newsch/article.php/316

 今回は冒頭で管ちゃんが巫炎の霊珠を拾い、そこから過去の出来事を読みとるシーンから始まり、後は巫炎視点で200年前のエピソードが描かれることになる。
 巫炎の生い立ちの話、東方朔との出会い、漢の武帝の登場、宮廷に行く経緯、姉との出会い、そして今回の事件に至る因縁が次々と語られていき、誌面に目が釘つけになる。他にも天漿やら玄牝やら神秘的なキーワードが盛りだくさん。ここらへんのことがどう発展していくのか(収束するのか)、次号以降、楽しみ。

・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
※ミステリーボニータの出版社。ミステリーボニータの情報あり。

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
※「八卦の空」の作者様のサイト。サイトでしか見れない漫画あり。
・サイト内ブログの記事『「ミステリーボニータ」6月号に「八卦の空」』
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=235659

・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※ここの「お絵描き掲示板」に書き下ろしイラストあり。


 ちなみにさすが単行本1巻がでたとあって、単行本の告知ページ(1ページまるまる)や欄外に単行本の告知があったりしている。それで売れて2巻も無事出てくれると良いなぁ。

・2006年4月14日「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/322

・2006年6月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/348

第四回三顧会ダイジェスト3「三国志ビンゴ大会」


  • 2006年5月 7日(日) 14:03 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,298
場所 ・第四回三顧会ダイジェスト2からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/333

 13:15。三国志ビンゴ大会の会場となる特別展示室へ移動。
 入って、左の壁に映写スクリーンがあって、そこに何やら映写されている。左奥にはテーブルがあって、カードが裏返しになって何十枚か規則正しく四角く並べられている。左の壁の前に映写機兼カメラがおいてあって、カメラの先には左奥のテーブルがあり、あぁ、テーブル上のカードを写して、その場でスクリーンに映し出して居るんだと納得する。
 特別展示室には座ってスクリーンが見えるように椅子がいくつか置かれていた。私は椅子に座るのを遠慮して突っ立っていた。
 三国志ビンゴ大会の司会進行役の英傑群像・岡本さんが今から三国志ビンゴ大会を行う旨をつげられ、それから前のテーブルのところに出て「神経衰弱」をする人4名の参加の募集があった。で、神経衰弱をする人は、向かって右から横山光輝モデルの劉備扮するきり丸さん、清岡、少年(名前聞きそびれ)、傅僉さん。少年以外3名は口々に神経衰弱は苦手って言っていた。
 それから司会進行役からマイクでルール説明。あらかじめ配られたビンゴ用紙にも書いてあるんだけど、三顧会の初めに三顧会参加者にビンゴ用紙が配られていて、ビンゴ大会前にリストアップされた三国志の武将35名(用紙の左側)から一人ずつ選び、5×5のマス目(用紙の右側)に一マスずつ埋めていき、全部、埋めたら三顧会スタッフに不正がないことを確認してもらい、判子を押してもらう。ビンゴ大会中では、前で神経衰弱をやる。神経衰弱のカードには武将名が書かれてあって、神経衰弱で場から撮られたカードの武将名が前に張り出される。その武将名がビンゴ大会参加者各自の手元の用紙マス目のどこかに書かれていれば、そのマス目にチェックを入れる。チェックがタテ、ヨコ、ナナメいずれか、5マス揃ったら、5マス分、線を引き、その線が4本そろったらいわゆる「ビンゴ」。「ビンゴ」した参加者は早い順に何人か(10人ぐらい?)、賞品がもらえるって流れだ。
 神経衰弱参加の4名でジャンケンをした勝者・清岡から向かって左の方へ順に神経衰弱が行われる。初めの方だから、まずはどこに何があるかの把握といったところ。全然、ペアにならない妙な間が観客をわかせる。途中で司会進行役を岡本さんから飛熊さんへマイクと一緒にバトンタッチ。して三週目にして少年がようやく貂蝉をペアにする。そこから次々とカードのペアが場から出されていって、どんどん壁に武将名が張り出されている。ちなみに少年が一番、ペアをそろえている。飛熊さんの小気味の良い司会っぷりでテンポよく神経衰弱が行われていく。神経衰弱をしている面々もそれ自体を楽しんでいる様子。がんばってペアを作ろうとしている。ちなみに清岡は神経衰弱をやりつつ、ビンゴ用紙にチェックを入れていったんだけど、途中で「袁紹」を二つ書いていることに気付き、あきらめて神経衰弱に集中する。神経衰弱にありがちで、同じカードを何回もひいてしまう光景もみられた。呂布とか。
 22番目の「袁紹」でついにビンゴがでる。賞品は関羽の銅像と三国志大戦のケースだ。続けて23番目の「孫尚香」でビンゴが何人かでる。24番目「周瑜」、25番目「趙雲」。賞品は三国志城の本とポストカード。それから次々とビンゴ者がでてくる。賞品はカレンダー&ポストカード。
 それで最前列に座っていた曹操扮するせいがさんがリーチで、神経衰弱をしている劉備扮するきり丸さんに「張飛」を引くよう要求していた。劉備が義弟の張飛を引くことを命じる曹操だなんて面白い構図。それで結果的に清岡が「賈[言羽]」(26番目)を引いてそれを阻止してしまう(汗)。27番目に「張飛」が来たんだけど、賞品のカレンダーは残り一つ。いっぱいいるビンゴ者7名でジャンケンが行われていた。結局、せいがさんが賞品のカレンダーを手に入れられたかどうかはここでは書かないでおこう(汗)
 ちなみに神経衰弱参加者4名にはそれぞれ三国演義のポストカード3枚をもらうことに。
 13:50。司会の飛熊さんによりビンゴ大会終了が宣言される。

 それから食堂に戻りまったりする。ちなみに次の企画まで間がなさそうだったので清岡は食事をとらないでいた。食堂は繁盛していて注文がさっとうしていたしね。

・三国志コスプレ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/330


・第四回三顧会ダイジェスト4「三国志トランプ大会」へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/336

第四回三顧会ダイジェスト2「中国酒盃を作ろう」


  • 2006年5月 6日(土) 02:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,422
場所 ・第四回三顧会ダイジェスト1からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/331

 11時頃。次のプログラム「中国酒盃を作ろう(三国志を陶器にしよう第二弾)」開始。ただ三国志を陶器にしよう第一弾のときに比べ人数が圧倒的に多いため、8人ぐらいに分けて順繰りで始めていくとのこと。場所は第一弾のときと同様(第二回三顧会)、バルコニーと中庭の両方。清岡は初めのグループよりすこし出遅れて参加したって状態。そのため自らを「1.5期生」なんて言っていた。
 1期生にはちゃんとレクチャーがあったようだけど1.5期生の私は言われたとおりとりあえず送り先の住所氏名電話番号を書いて、こねた粘土を岡村先生から授かり1期生のまねごとを始める。この方法が大失敗で全然、お椀型の形が保てず、机におくと、すぐ杯の縁が重力にまけて広がって行くし、ひび割れだらけのものになったりしていた。後でレクチャーしてもらったんだけど、やり方は粘土の固まりの真ん中から指で押さえていき、底が丸くなるよう真ん中から広げていくとのこと。厚さは5~7mmとのこと。粘土が乾いてひび割れたら手に水をつけてそれを埋める。ひび割れがひどけりゃ、やり直し(焼いたら割れるし)。つくっていくうちに縁の方がひび割れていくんだけど、そういうときは思い切って、糸ようじみたいなので切断するとのこと。私はなかなかコツがつかめず、ずっと粘土をこねくり回していた。
 少し話を戻して、今回の酒盃のデザインについて。私は始まるまで「どうせゲームやマンガにでてくるような虚構の杯をお手本にするんだろうな」と決めつけていたので、あらかじめ「漢代の文物」を読んだり展覧会「中国古代の暮らしと夢」で見たり「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻を見たりして自分の手でできるかどうかはともかく頭の中でイメージを固めていた。当時の杯は楕円形のお椀で、長い方の曲面の縁の両サイドに耳がついているのが特徴だ。そのため今は「耳杯」なんて言われている。そう思いながらいざ粘土をこねくりまわす机の前に立つと、真ん中にお手本としてプリントアウトした写真が置いてあった。そこには虚構の杯ではなく紛れもない「耳杯」があった。この写真は今、第三展示場に置いてある展示物をとったものということを耳にする。それであわてて見に行くとあった。確かに耳杯だ。イメージ通りの色彩の漆器がそこにあった。それが右上の写真だ。こりゃ本格的だ、と俄然テンションがあがる。もちろん漆器をお手本に陶器をつくるなんてなんだかシュール、という自嘲を心の中では忘れない(笑)
 しかしやる気と成果は世の中、比例関係にならないもので、なかなか良い形にならない。楕円のお椀型にするのは良いが、耳をつくる段でひび割れだらけになっちまう。
 別に耳杯にする必要はなく好きな形にしてもいいとのことなんで、私が何度も何度も手元の粘土をこねくり回している間に1期生はとっくの昔に卒業し2期生は色を塗り始め、3期生は高座をつけていて(とそんな明確な期生はなかったが)、バルコニーでは昼食を取り始める人が次から次へと現れ始め(そうかもう12時過ぎたんだ!)、まるで嫌いな食べ物を給食時間内で食べられず掃除の時間まで嫌いな食べ物と睨めっこしてるって気分を思い出していた。
 とすこし時間を戻して、そんな懸命なところへ中国新聞の記者がやってきて(ちなみに複数人じゃなくてカメラマンも兼ね一人)、作っている我々に「もうちょっと立ち位置を寄せてください」とか次々と指示を出し始め、写真をばしゃばしゃ取り始める。いや悪い気分ってわけじゃなくやる気を持ち直してくる。

 記者「真剣ですねぇ」
 傅僉さん「真剣です……仕事より真剣です」
 (笑)

 それから記者さんとぶっちゃけトーク(というかメモとっていたから取材の一環だな)。取材はするけど、紙面に載るか載らないか、載るとしたらいつ載るか、とか取材する記者にはわからないとのこと(「いつ載るんだ?」と問い合わせの電話がきたこともあるそうな)。取材した人の本名が載るんで迂闊なことは書けないそうな。

 記者「三国志読んでいて杯が出てくるシーンって多いんですか?」
 (一同、笑いながら首をかしげる。)
 記者「この杯できたらこういうことやってみたいってありますか?」
 傅僉さん「そうですねぇ……酒が冷める前に誰かの首を斬ってきます」
 (一同、爆笑)
 誰か「かけねーなー。それ記事にかけねーなー」
 清岡「あ、今の、犯行予告です(笑)」

 わからない人に説明すると「三国演義」の「第五回:發矯詔諸鎮應曹公、破關兵三英戰呂布」のエピソードで酒が暖かいうちに関羽が華雄を斬ったというエピソード(野暮でも説明するがこれはフィクションね)が元ネタね。さすが、三顧会、近くにいる人はネタをわかってらっしゃる!

 記者「なんかこういうことイメージしながら今、つくっているとか、ありますか?」
 傅僉さん「いやぁ、それ考えていたんですけど、やってみるとそれだけの余裕がないですね。ただもうどうやって形にするとか」
 誰か「そりゃそうだ」

 記者「実際、形にならなくても作る前にこういうイメージでって何かイメージありました? 何かシーンとかありました? こういう場面の杯をつくろう、とか」
 誰か「やっぱり首斬るところ(笑)」
 傅僉さん「ありますね……劉備って人と曹操って人が英雄を論じ合うところがあるんですよ」
 清岡「あぁ…」
 記者「何を論じ合うんですか?」
 傅僉さん「その当時に、割拠していた、群雄について、論じ合うんですよ」
 清岡「漢字変換が難しい(笑)」
 記者「全部、ひらがなで書いたんですよ(清岡、大うけ)。群雄割拠? について語り合うシーンがある?」
 傅僉さん「そうです」
 記者「でも、わかんないんですよ。あそこ(第三展示室)に展示してあるのは諸葛孔明が使ったとされる酒杯じゃないですか?」
 傅僉さん「えぇ」
 記者「わかんないんですけど、劉備と曹操は……諸葛孔明と……??」
 傅僉さん「諸葛孔明が仕えていた人は劉備です」
 記者「諸葛孔明が……つかえていた?(メモる」
 傅僉さん「(傅僉さん丁寧に言葉をあわせる)劉備です」
 記者「この曹操って人は……どこの国の人ですか?」
 傅僉さん「魏の人です」
 記者「劉備って人はどこの国ですか?」
 傅僉さん「蜀の人です」
(後ろで清岡は「全部、中国で」とか「全部、後漢で」とか、いらぬ茶々を小声で入れている)
 記者「すごくわかりやすいです」

 記者「その武将のシーンを……酒を酌み交わしながらやるというシーンはなぜ有名なんですか?」
 傅僉さん「『なんで』?」
 記者「えぇ、なんか、その後に大きな事件があったとか?」
 傅僉さん「うーん、結局、その劉備と曹操が…論議をふっかけたのは曹操なんですが、結局、その当時、活躍していた武将を挙げてみるんですけど、大した武将はいないって結論になるんですよ。結局、曹操っていう人が結局、『英雄と呼べる人のは自分と君だけだよ』みたいな」
 記者「すごいやつらですね。その話ってのは結局、『おれら二人が英雄だ』ということですね」

 後で元ネタを確認すると、三国志蜀書先主伝の

是時曹公從容謂先主曰:「今天下英雄、唯使君與操耳。本初之徒、不足數也。」

 ってやつね。多分、横山光輝三国志の影響で「君と予だ」って曹操が言うってのが三顧会での共通認識だったけど、細かくいうと、ルーツでは使君(牧相手の敬称。劉備は当時、豫州牧)と操(当時、一人称は自らの名をいう場合もある)だね。おまけに酒の記述はとくにない。…蛇足はともかく話戻す。

 記者「そこらへんのシーンを(頭で)描きながら、一回、酒を飲みたいと?」

 それから記者は傅僉さんの個人情報をくわしく聞いていた。年齢を聞いた後に記者は「若くみえますね」とコメント。あとファン歴とか(20年とのこと)、好きな人物とか。傅僉さんが好きな人物、劉備のことをあれこれきいていた。

 記者「なんかこういう……例えば夜、酒をのみたいとか、月みながらこの杯で酒のみたいとか? どうですか?」
 傅僉さん「そうですね。月下独酌という言葉が中国にはありますけど…」
 記者「三国志の中でも月の下で酒を飲むというシーンというのはあるのですか?」
 傅僉さん「あぁ、具体的にはないですね。ないと思います」
 記者「うーん、うーん…」

 記者「なんかこう僕としてはできれば三国志ファンの方ならではの、杯を作ってこういうふうにして飲みたいってのが、20年来のファンとしての思いを伝えられればと…」
 傅僉さん「なるほど……難しいですね……」

 この後、傅僉さんが三国時代から時代を下った中国の風習を紹介するが、あまり食いつかなかった。

 で、こういうやりとりでできあがった記事中のコメントは

「群雄割拠していた当時を想像しながら、月下で酒を飲んでみたい」

となっていた。いやはや取材する様子を間近に見て、その結果としての記事をみるととても面白いね。結局、傅僉さんオリジナルな部分は「群雄割拠」だけのような。しかし、取材が終わった後、全部、コスプレに持って行かれて傅僉さんの話は採用されない、なんて言ってたんだけど、ばっちり載っていた。

・中国新聞に三顧会の記事
http://cte.main.jp/newsch/article.php/332

 さて清岡の杯はというと何度もやりなおしたり、新たに粘土を貰ったり、岡村先生に何度かレクチャーしてもらって、それでも耳杯の壁は大きく厚くうまくできずほとんどあきらめていたんだけど、岡村先生の助けもあって何とか形になりつつあった。
 岡村先生によると、耳をつける手順のコツみたいなのがあるようだ。まず普通に楕円のお椀状に形をととのえ、耳部分以外の縁を切り落とし、その後、耳の部分の縁を徐々に曲げていって耳をつくっていけば良いとのこと。
 すでに13時を越えていて次のプログラムの時間になっていたので、とりあえず作りかけをおいてその場を後にする。

・三国志ビンゴ大会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/334

 その後、16時ぐらいに戻ってきたら、岡村先生が形をかなりととのえてくださっていて、高座をつけ、絵付けをして(杯の内側を赤く塗った)完成。それが右上の写真の左下隅のやつだ。
 後はみんなの杯と一緒に焼いて貰って、完成とのこと。出来上がりが楽しみ。

中国新聞に三顧会の記事


  • 2006年5月 5日(金) 17:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,236
新聞 2006年5月4日に山口県光市の三国志の資料館「三国志城」で行われたイベント「三顧会」に中国新聞(中国地方の新聞ね)の記者が来ていたんだけど、無事、記事として採用されたようだ。

・中国新聞
http://www.chugoku-np.co.jp
・中国新聞地域ニュース「三国志ロマン、杯作りに挑戦 光」
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200605050061.html

・「三国志城」公式サイト
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/
・2006年5月4日 第四回三顧会ダイジェスト(三国志ニュース)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329

中国新聞の記事の最後にあるファンのコメントはちょうど間近で取材を聞いていたんだけど、その誘導っぷりを知っているだけに、記事を読むと思わずほほえんでしまう。
記者の方は、モデルになっている杯が漆器なのに陶器をつくることを初めの方で指摘したり(ちなみにモデルにしていたやつはいわれはあやしいながらもちゃんとした当時の耳杯デザインのレプリカ)、ほとんど三国志についてほとんど知らない感じだったのに数々の質問を駆使してあれだけ立派な記事を書き上げるあたり、結構、有能な気がした。
記者からあらかじめ取材はするが、新聞に載るかどうかはわからない、と言われていたので、私自身、期待してないどころか、より派手なコスプレの方が記事になるのかな、と予想していた。
まぁ、取材の詳細は別に書こうとしよう。
<追記>
というわけで、以下のURLで詳しく書いてみる。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/333


また中国新聞以外にも読売新聞(どこの支社だろ?)からも取材が来ていたけど、そちらは記事になるのかな。

※関連リンク
・中国新聞に三顧会の記事2007
http://cte.main.jp/newsch/article.php/579

第四回三顧会ダイジェスト1「ご挨拶&簡単な自己紹介など」


  • 2006年5月 5日(金) 15:35 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,385
場所 ・第四回三顧会ダイジェストαからの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/330

 10時10分ごろ。食堂には第三回三顧会ほどではないにせよたくさんの人が集まっていた。今回、第三回のころに比べ、テーブルが一つ多くなって、ゆったり座れるようになっている。ちょうど展示場へいく自動ドアのそば。レジ側のところ。あと、今回、マイク&スピーカーが導入されていた。聞き取りやすく良い感じ。
 まず谷館長の挨拶からはじまり、その後、英傑群像の岡本さんから今回のプログラムの説明。あらかじめ参加者に名札とプリントを配られたんだけど、プリントは三国志ビンゴ大会用とのこと。プリントの上半分には三国志ビンゴ大会のルールが書かれていて、下半分の左側に「選べる武将」35人の名前がピックアップされていて、下半分の右側に5×5の升目がある。なるほど、ビンゴが始まる前にこの升目を武将の名前で埋めて、スタッフにチェックして貰うって方式か。
 その後は自己紹介のコーナー。名前(HN可)、どこから来たか、好きな武将等をいうとのこと。まず売店のところで立っている三顧会スタッフたちの自己紹介。今回も黄色いたすきを身につけている。中村さん、中野さん、武末さん、傅僉さん、飛熊さん、高順さん。
 そして参加者の自己紹介(以下、聞き間違いや聞き損じ、漢字がわからないのでカタカナにした等、表記に混乱がある)。カウンター近くの売店側の席からぐるっとテーブルを回るようにマイクがまわっていく。前回も参加された渡辺さん。森本さん、塚本さん、南さん親子(息子さんの後に「父です」と自己紹介はうけた)。友里さん、ユキさん、はとむ子さん、さん、、亮明さん、森山さん、○○さん(聞き取れず)。ここでテーブル変わって、○○さん(聞き取れず)、長岡さん姉弟。○○さん(聞き取れず)。
 後から入ってきた四人組。きり丸さん、せいがさん、でこさん、ヨシトミさん。前者三名は前回も参加。
 それから一番、展示室側の壁側のテーブルの奥から。前回も参加した三人組。谷口さん、本川さん(修道大学のとあるサークルの会誌を紹介していた)、吉澤さん。そして前回参加した清岡美津夫。遅れてやってきたアリモトさん、ナガタさん。で自己紹介は終了。
 次のプログラムの準備期間ってことで一旦解散。

・中国酒盃を作ろう
http://cte.main.jp/newsch/article.php/333