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第五回三顧会ダイジェスト5「三国志城を旗で飾ろう」


  • 2006年8月22日(火) 22:36 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,719
場所 ・第五回三顧会ダイジェスト4からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/391

 それで次の「三国志城を旗で飾ろう」開始の13時半に近づくと写真のように特別企画展示場を入って左右に、茣蓙の上に長机が用意される。どうやらここで旗づくりが行われるようだ。
 とりあえず清岡は、谷様から旗の材料をもらって入って右の机に陣取る。旗の材料は予め切り込みの入っている大きい絹状のものと小さい絹状のものと棒と紐。谷様から「(大きい絹状のものに)自分の好きなことをかいてください」とのこと。諸葛亮が東南の風を呼ぶときに立てた旗をイメージしていて、風がくるように願いを込めてかくとのこと。ちなみにツルツルの方が表で裏にかくと縁起が悪いとのこと(笑)
 「風を呼ぶように」とピンときた清岡はたまたま持ってきていた三国志シンポジウムのレジュメを鞄から取り出す。そうそう渡邉義浩先生の報告「諸葛亮の兵法」の「四、演義の諸葛亮像」に書かれていた呼風符をそのまま写そうという魂胆。

・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3
http://cte.main.jp/newsch/article.php/381

 それで資料を見ながら、それから清岡は同じ机の右隣に座っておられた劉備コスの撫子さんや諸葛亮コスの飛 翼翔さんたちに、風を呼ぶ「発[火慮]」、「歩[四/正]」や「叩歯」のことを語る。とそれは良いとして肝心の旗の作り方を谷様からきいておらず、飛 翼翔さんにきく始末。しかも飛 翼翔さん、その直前に撫子さんに説明していたので二度手間(汗)
 そのうち左隣に皓さんとはとむ子さんが登場。はとむ子さん、陸遜コスのせいで正座できず(笑) そして飛 翼翔さんに教わったとおりのことをお二人に偉そうに教える(笑) ちゃんと「(諸葛亮コスの飛 翼翔さんをさし)軍師さんの受け売りですけどね」とネタばらししたけど。
 それから前に座るお二方(結局、名前、きかなんだ)が「三国志検定」という本を持ってきておられたのでその話で盛り上がる。いや、単なる本の名前で公式じゃないっすよ(内輪ネタ)
 清岡の旗が桃色なので→桃の天然水→桃園?→「張飛の天然水」(げっ)ってネタが飛び出ていた。
 ちなみに、はとむ子さんは写真のように赤い旗に陸遜を描いてていた
 旗に字を書いていると白樺 亮さんがやってこられて、以前、教えてくださった三国志大戦の馬岱の「ここにいるぞ!」Tシャツを見せてくださる。

 実物を手に取るとすごく面白かった。首の裏に「伏兵」って書いてあるし(笑) ちなみに馬岱の「ここにいるぞ!」のネタ元は三國演義「第一○五回:武侯預伏錦嚢計、魏主拆取承露盤」にある「吾敢殺[イ尓]!」ね。それが三国志大戦でのセリフ等に採用されたそうな。

 それで清岡は絹のようなものに呼風符を書き上げたので旗にしてもらおうと谷様のところへ行く。紐に切り込みの入った竹を挟んで完成とのこと。あと小さい絹状のものには制作者の名前とか書くんだけど、清岡はなぜか「発[火慮]」、「歩[四/正]」、「叩歯」と書く。そしてボンドでその小さい絹状のものを旗に張り付ける。
 ここで気づいたんだけど、なんと英傑群像の岡本さんも呼風符を書いておられた。別に岡本さんは三国志シンポジウムに行ったわけじゃないので、本当に偶然。三国志ファンの高い次元だと行き着くところは同じだと妙に感動していた(笑)。例えるなら「外国で日本人に会ったような……しかも知り合い!」てな感じ。

 それからもう一方の長い机でKJさん&KRさんはそれぞれ横山三国志の劉備と張飛を描いていた。劉備のところには「チャポーン」、張飛のところには「ジャーンジャーン」と描かれているのがポイント高い(笑)

会場の様子。はっきり写らないようにわざと手ぶれさせている(笑)はとむ子さん作、陸遜茶味さん作、関羽

 旗をつくるところは何も茣蓙の長机だけじゃなくて、三国志トランプ大会で使ったテーブルも解放されている。そのテーブルの上に汚れないように新聞紙がひろげてあってそこで旗に絵をかけるようになっている。
 ふと見てみると茶味さんが緑の旗に関羽を描き込んでいる(写真)。茶味さん、「関羽の髭、描き放題、超うれし~」とかいって、すごくテンション高めですごく面白い。勢い余りまくって、敷いている新聞紙にも絵を描きまくる。曹丕、司馬懿、凌統などなど。
 茶味さん、その絵を皓さん(真・三國無双、凌統コス)にプレゼントすると、皓さんが満面の笑みを浮かべながら「ありがと」と言いながら、新聞紙をちぎり凌統だけを奪い去る(笑) さらにその凌統の絵にある目の下のほくろの位置が左右逆なことを「これじゃ前回の私」と指摘していた(笑)
 で、ほくろの位置が左右逆ならば裏写りしまくっている新聞紙を裏表、逆にすれば解決、なんて言っていて、裏返すと新聞紙には何か広告になっていて写真とともに「悩殺必至」とかいう文字が踊っていた(汗) それがみつかったらすぐに皓さんによってその文字はちぎられ捨てられていた(笑)

そしてみなで壁の金具に各自の旗を刺していく

 そして実際、皆で外へ旗を立てに行くことに(写真)。いやー、こうみると爽快だ。何か七夕を彷彿とするなぁ。
 ちなみに清岡は「まさしくこれ」とか言いつつ「奇問遁甲」の看板のところにおいてきた。

 しかしこの企画、文字でも絵でもそれぞれが楽しみめる良い企画だなぁ。



・第五回三顧会ダイジェスト6へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/393


※追記 ワークショップ via 「大三国志展ブログ」

第五回三顧会ダイジェスト4「お食事(各自)」


  • 2006年8月22日(火) 15:33 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,925
場所 ・第五回三顧会ダイジェスト3からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/385


 12時30分。というわけでプログラム上はお昼休み。
 「事前に売店で食券購入必要」ってことだけど時間は11時からでもOKだったようだ。かくゆう私はすっかり食券を買う機会を逸していたし、食堂に行ったら、満席御礼だったので、まぁ朝食食べたし、とりあえずいろんな人とお話しする時間に当てようとした。

 というわけでこの時間帯は食堂と特別企画展示場を往復する清岡
 食堂にいったら某さんが前回の三顧会と同じくゆで卵の黄身だけわたそうとするし(笑)
 それから三国志大戦のUC司馬懿の扮装をしている十希野さんにあって、コスプレの話。それからたまたま三国志大戦の周瑜の扮装をしていた遜瑜懿さんが通りかかってきたので、実際に三国志大戦の周瑜のカードを首から下げているのは素敵なアイディアだ、なんて言っていた。
 そこらへんでKJさん&KRさんと合流し、なぜか「幸福の入口」(トイレのことね)の前でコスプレとか三国志城の印象とかクイズラリーの話とかの話をしていた。
 さらに如月雪さん夫妻や英傑群像の岡本さんがきて、立ち話でよもやま話続行。東京発の三国志城ツアーなんかあって東京山口間の三国志名所を回れればいいなぁ、と夢を話していた。それから三顧会はレイヤーさんのおかげでかなり華やかだな、って話も。「女の子も増えたからそういう意味でもすごく華やかになった」と如月さん。そういえば第一回・第二回に比べれば数としては増えてるなぁ。あ、如月さんは三顧会三回目なので谷様の色紙ゲット。
 それから如月さん、コスプレのことで意気込んで「私も来年しよう!、全身、豹柄で」と言いだし、「なぜ、豹柄?!」と皆を驚かせ(&笑わせ)、すかさず「『蒼天航路』の孫燁夏みたいな格好をして」と言ったので納得。それでも清岡は初めの「豹柄」発言を受けて「何をしはじめるんや! ここは三国志城やで! サファリパークやないで!」と突っ込んだが。

 そこからどこぞの報道機関が来て、英傑群像の岡本さんが取材をうけてた。
 トランプのことや旗のこと(旗づくりは当日これない人のために前日もあったので)を取材されたんだけど、清岡はたまたまもってきていた「漢代の文物」を片手に取材の人に西洋風の旗との違いを説明。もちろん

清岡「あんまり記事になるようなことじゃないんですが、ま、一応、説明を」

と自虐的なことを言いだし、「漢代の文物」に書かれている旗に関する文章を読み、画像石のスケッチを見せる。

清岡「多分、そんな詳しいことを考えながら作っているわけじゃないでしょうけどね」

なんて言いつつ。
 食堂に行ったら、前回と同じくまた某さんたちからアイスをねだられる。「激・無双乱舞、やってくれたら」と言いつつそれをかわす。
 また特別企画展示場へ向かうと、ちょうど第一展示場の中でKJさん&KRさんと如月さん夫妻と涼しいところで立ち話。今回の清岡の講習会について。あぁ、なるほどね。あと今回は清岡がスタッフと間違えられやすいって話(笑)。それからKRさんも如月さんの夫さんも三国志知識が0ってことで、2,3日前にKJさんがKRさんの前でさりげなく真・三國無双2をやったって話だった。
 それで「幸福の入口」前に出ると、はとむ子さんと皓さんがいらっしゃったんで、馬鹿話をしたり、写りがヤバいネタ写真をとったりしてた。

 それから、今回、清岡はレイヤーさん(コスプレをする人)たちの集合写真を撮ってなかったけど(ちょうど講習&トランプ大会のときに全員集合だったようで)、KJさん&KRさんが撮った写真をあてに(汗)、それぞれのレイヤーさんのサイトに載せていいか交渉行脚に出かけた。
 それで言ったのが、食堂奥のテラスの方。そこには横山三国志の劉備コスの撫子さんと諸葛亮コスの飛 翼翔(ふぇい いーしぁん)さんがいらっしゃったので交渉……と思ったら、逆に三国志サイトのことを訊かれたのでここ三国志ニュースのアドレスをさしあげた。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329
↑あ、過去の三顧会の様子はここらへんからたどってください。
 あと中華コスプレ日本大会(in鳥取・燕趙園)の話とか。本当は劉備&諸葛亮コス以外にも徐庶コスの人がくるはずだった話とか。

 それから特別企画展示場へ戻ると、若杉さんたちがクイズラリーへの回答にいそしんでいた。
 次のプログラムを待つことに。


・第五回三顧会ダイジェスト5へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/392

2006年10月7日-12月10日「中国古代の暮らしと夢」(東京・大倉集古館)


  • 2006年8月21日(月) 22:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,673
展覧会 「陶器が語る来世の理想郷 中国古代の暮らしと夢―建築・人・動物―」の展覧会が2006年10月7日(土)~12月10日(日)の期間で大倉集古館(ホテルオークラ東京)で開催するそうです。

・大倉集古館
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/index.html


情報は關尾史郎先生のブログより。

・關尾史郎先生のブログ
http://sekio516.exblog.jp/
・「陶器が語る来世の理想郷:中国古代の暮らしと夢-建築・人・動物-」
http://sekio516.exblog.jp/4024377


↓ちなみに京都でやってたときの雑感
http://cte.main.jp/newsch/article.php/317

2006年7月29日「三国志シンポジウム」便乗オフ会


  • 2006年8月20日(日) 21:42 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,364
ネット 大東文化大学の学舎内にはこうやって「人文科学」が無料配布されている・2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」雑感からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/388


 ここでKJさんの携帯メール情報によると仁雛さんがこちらへ向かっているとのこと。話して合流できるのかね。
 ちなみに如月雪さんは我々が講演会を聴いている間に帰られたとのこと。

 それで下記のリンク先の予定通り、「三国志シンポジウム」の後、ネットの知り合いが集まってオフ会をすることになる。

・「オフ会をやります」(「三国志ファンのためのサポート掲示板」記事)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one;no=2394

 オフ会の会場はKJさんの人脈と、とある先生のご厚意により(名前出していいかわからないので一応伏せる)、ミーティングルームのようなところを貸していただく。そこのテーブルの周り皆が囲む。

 メンバーは清岡KJさん、三口宗さん、ミミまろさん、伊比学さん、げんりゅうさん

 それぞれ持ち込んだお土産を茶菓子としてみなでつまむ
 しばらくはこちらへ向かっている仁雛さん話。伊比学さんの教え子の小学生に仁雛(こちらは「にしな」と読む)という人がいるらしく、清岡、失礼にも「小学生が来るに違いない」とか言っていた。

 それでオフ会といえば恒例の自己紹介。KJさんからスタート。自サイトの話に続き、KJさん曰くオフ会初めて……もとい数回目。去年の三国志シンポジウム後のオフ会が初めてのこと。一回目の三国志シンポジウムの話になる。それから一回目と二回目の比較。今回、前回に比べ高校生が少なかったけど、場所がわかりにくかったかな。
 つづいて向かって左隣にすわる、げんりゅうさん。自ブログの話。やっぱり去年の三国志シンポジウムから縁があってっていう話。それから英傑群像さんにクイズを提供した話。
 自己紹介で伊比学さん、自サイトの話。それからミミまろさんと続く。それからミミまろさんからハンドルネームの話。やっぱりリアルで呼ばれると恥ずかしいとのこと(笑)
 で、話中断し、清岡のノートPCで英傑群像のクイズをみせていた。
 続いて三口宗さんの自己紹介。自サイトの話とよく行くサイトの話。それから清岡の自己紹介。
 そこから派生してNPO三国志フォーラムの話。真・無双検索の登録の話。三国志連環の話。そろそろデッドリンクを整理が始まるという話。登録内容を変えないとそろそろ消されてしまうという話を伊比さんにしていた。
 それから清岡から。過去に真・無双検索で登録サイトをどんどん消して3600サイトから3200サイトぐらいにまでなったって話。げんりゅうさんから「正史三国志原文検索」の母体となるサイトが閉鎖になったって話。みんなでうまくコンテンツを引き継ぎしたかったと話していた。
 学校からのアクセスだと変なページにリンクしているとリンク元のサイト自体、アクセスできないことが発生する。それでアクセスできないサイトに三国検索があがっていたとのこと。そこから恋姫†無双の話になる。
 あと伊比さんが本づくりをしたときの話。編集サイドから軍師100名出せと言われて、がんばって出したという話。とりあえず君主に献策したら軍師、って定義にしたそうだ(笑)
 それから明日の三国志学会にスーツを着ていくかどうかの話をしていた。
 あと清岡が持ち歩いていた英傑群像の三国志地図下敷きを見たり。

 ここで仁雛さんが登場したんだけど、すぐに先生方に連れて行かれた(汗)
 その一瞬の間に強引に「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」で中国の先生に通訳はあるのか、って仁雛さんに質問をする清岡(汗) 通訳はないけど要約する紙はだすとのこと。

 あと出版関係の話。どれぐらい刷れば採算が合うかって話。そこから復刊ドットコムの仕組みの話と三国志研究要覧の話(えぇ、ウェブにあるんすよ)
 そこから論文検索の裏話的な話。そこから今のレポートは手書きかワープロかって話に派生した(ネットからのコピー&ペーストとのかねあいね)。それで清岡がよくアクセス解析でそういういうのを調べているような検索ワードがあるって話になって、各自のサイトの検索ワードの話になった。

 そういう話をしていたら部屋をしめる時間帯になる。18時過ぎ。
 その部屋を片づけ一同、外へ。

 そのまま解散、あるいは二次会と思いきや、めざとく大東文化大学の研究紀要など無料配布のものを見つけ、それをみなであさり始める(笑)。なにかとてつもなく楽しいひとときだった……といいつつ、ゲットした紀要は未だ目を通していない(汗)
 あとしっかり物色している三国志マニアの方々の様子はしっかりKJさんとげんりゅうさんからデジカメで撮影されていた(汗)

 ここで一次会は終了したと言うことで、三口宗さんさんはここでお別れ。
 それ以外のメンバーは池袋の夜の街へと消えることとなる。


・2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノートへ続く。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/395

2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」雑感


  • 2006年8月20日(日) 19:31 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,940
教育機関 虎牢関の場所なんてわからないんで、旋門関で代用・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感4の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/386

 ということで15時30分に同じ教室で一般視聴可能な大学院生向けの講義があるとのことをきいて、それを聞くかどうか迷う我々。中国の先生による講義らしい。
 一つの懸念事項は通訳がつくかどうか。

 とりあえず残って聴く派と他の場所でくつろぐ派に分かれる。それで待ち時間まで如月さんと三国志学会や三顧会の話やらしていた。あとKJさんとげんりゅうさんとNPO三国志フォーラムの話とか。

○大学院特別講演会 曹操殺呂伯奢 ──從陳寿≪三国志≫到羅貫中≪三国志演義≫
                     中国社会科学院教授  劉 世徳

 いよいよ講演会が始まる。予め三枚のレジュメが配られている。レジュメは簡体字だけどここでは便宜上、表示できる字に変えてある。劉先生、今年で75歳になるとのこと。今回は大東文化大学の非常勤講師の人が通訳につくとのこと。名前は失念したが中国の方っぽい。
 講演に入る前に三国演義の四つの初めて(第一)。一つ目は中国古典小説でもっとも読者の多い。直接的な読者と間接的な読者がいるとのこと。日本でも三国演義が古典小説で第一。
 二つ目は中国での初めての長編小説。三つ目は初めての○○小説(ききとれず)。四つ目は初めての歴史長編小説。

 三国演義、中国の西遊記や水滸伝は蓄積的な小説。三国演義やその他の小説は大衆による小説。劉先生はこの二つの考え方に同意しない。劉先生は三国演義を作家の創作によりつくられた作品とみなす。建設的な作家によるある理想にそった偉大な作品(※あまり聞き取れず)。例えば、我々の前にはたくさんの布きれがある。一つの服にするには裁縫する人の考えが反映される。裁縫する人がいなければ所詮、布きれで服にはならない。つまり三国演義が蓄積的な小説であり大衆によって作られた小説であれば、作家の能力は認められない。

 曹操の名言「寧教我負天下人、休教天下人負我。」(三国演義第四回or第八節)。これは曹操の本質を表している。この言葉はいつ話されたか? それは曹操が呂伯奢を殺した後に出た。この物語は蓄積的な経緯がある。まず『三国志』武帝紀より。

卓表太祖為驍騎校尉、欲與計事。太祖乃變易姓名、間行東歸。出關、過中牟、為亭長所疑、執詣縣、邑中或竊識之、為請得解。卓遂殺太后及弘農王。太祖至陳留、散家財、合義兵、將以誅卓。

 ここでこの文章の説明。
 (レジュメには「出關(虎牢關)」ってなっているけど、この時代、虎牢關の記述はないよな)

 このとき、曹操は中牟から直接、陳留に行ったから成皋によってないので、実は呂伯奢に会うことはなかった。
(※講義後、げんりゅうさんは「成皋呂伯奢」の成皋が住んでいるところなのか出身地なのかが肝、とおっしゃっていた。なるほど)
 しかし注の中では呂伯奢という人が出てきた。まず三つの書籍を引用した。王沈の『魏書』、郭頒の『世語』、孫盛の『雑記』。具体的な記載の話にうつる。
 王沈の『魏書』から。

太祖以卓終必覆敗、遂不就拜、逃歸郷里。從數騎過故人成皋呂伯奢;伯奢不在、其子與賓客共劫太祖、取馬及物、太祖手刃撃殺數人。

 これを読んでいく。
 ここでは七つ注意すべき点がある。第一に曹操は何人かつれていた。同行者はどんな人か書いていない。第二に呂伯奢は単なる「故人」(旧友)。それほど親しくない。第三に曹操は呂伯奢本人に会っていない。第四に息子は何人かは書いていない。第五に息子たちがどう招いたかかいていない。第六に息子たちがまず曹操に悪意の行動をとった。第七に曹操は人を殺した。人殺しは仕方なく起こした。曹操が具体的に誰を殺したか、書いてない(息子が殺されたか不明)。

 次に郭頒の『世語』より。

太祖過伯奢。伯奢出行、五子皆在、備賓主禮。太祖自以背卓命、疑其圖己、手劍夜殺八人而去。

 やっぱりまずこれを読む。
 ここでは『魏書』と同じ点が二つある。第一に曹操は呂伯奢にあっていない。第二に人を殺したことは同じだが誰かはわからない。
 ここでは六つの注意する点がある。第一に曹操の同行者がいない。第二に曹操と呂伯奢の関係が不明。第三に呂伯奢の息子が五人居る。第四に息子たちは曹操を好意を持って招待した。第五に曹操は根拠なく疑い、悪意を持った。第六に曹操は全部で八人を殺した。しかし八人の中に息子が入っているかどうか不明。

 次に孫盛の『雑記』より

太祖聞其食器聲、以為圖己、遂夜殺之。既而悽愴曰:「寧我負人、毋人負我!」遂行。

 やっぱりこれを読む。これは前二つの書物を補う形となっている。
 呂伯奢の息子たちはどのように曹操に対して行動をとったか。はっきりした記述はない。どうして曹操は疑うにいたったか等、書かれている。最後の方は曹操の内心や本質が鋭く読者の前へ表した。

 三つの書物は異なる立場を持っている。この三つは共に三国演義の素材。
 比較すれば孫盛の『雑記』が最も良い。鋭く深みがある。郭頒の『世語』がその次で、王沈の『魏書』が一番下。
 『魏書』は曹操の悪いところを隠そうとして呂伯奢に悪意ある中傷をしている。羅貫中はその恣意を参考にしつつ創造的改造をした。創作の課程の中、検証しつつ省いたところもある。羅貫中の創作に三つある。
 第一に羅貫中は名のある人物を付け加えた。それは陳宮。陳宮は二つの役割を持つ。一つは曹操の救援者。もう一つは逃亡中の曹操の同行者。陳宮が質問し曹操が答えるシーンでそこで羅貫中は曹操の内心を見せている。
 第二に羅貫中は曹操と呂伯奢の関係を変えた。呂伯奢は曹操の旧友ではなく、曹操のお父さんの義兄弟にした。これで曹操と呂伯奢がかなり親しい間柄になる。呂伯奢が曹操に悪意を持つことをありえなくした。この設定で曹操の立場をより背徳的にした。呂伯奢がお酒を買いに行く必然性がでる。
 第三に羅貫中は二つの細かいシーンを付け加えた。一つは一家を殺した後に曹操は台所で殺される豚を見るシーン。ここで読者は本当のことを知る。実は一家は曹操を殺すのではなく豚を殺して曹操をもてなそうとしていた。もう一つは、曹操は帰ってくる呂伯奢と会い、呂伯奢を殺した。曹操は間違えて八人を殺し後悔することもなくさらに老人(呂伯奢、父の義兄弟)を殺した。これにより疑い深く、自己主義で、奸心が多くて、毒が多く、残虐な曹操の性格がよく描写された。

 まとめると曹操が呂伯奢を殺したシーンは羅貫中の最も優れた描写であって、羅貫中は曹操という人物の性格を描写するのに最も重要なシーンである。
 劉先生は蓄積的作品であればこれほどすばらしい作品にならないと思い、大衆による作品でも同様に思う。偉大な作品は必ず偉大な作家によるものだ。


 それから司会によるまとめがおわり、大学院生が会場の片づけに入る。
 とりあえず我々はオフ会へと向かった。

・2006年7月29日「三国志シンポジウム」便乗オフ会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/389