Site Calendar

サイトカレンダをスキップ

2024年 08月
«
»
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

NAVI

ログイン

ログイン

新着情報

記事

-

コメント (2日)

-

トラックバック (2日)

-

リンク (2週)

新しいリンクはありません

QRコード

QR code

アンケート

三国志ニュースのレポート系記事

三国志ニュースで書いて欲しいレポート系記事はどれ?

  •  三国志フェス
  •  三国志学会大会
  •  関プチ5全国ツアー
  •  魏晋南北朝史研究会関連
  •  三國夜話
  •  六間道三国志祭
  •  三国志TERAKOYA4
  •  三国志 義兄弟の宴
  •  東アジアの『三国志演義』/ベトナムの『三国志演義』
  •  zip,torrent(トレント),rar,lha,mediafire,pdf,DL(ダウンロード),nyaa等を含む検索語句(違法なフリーライド・無料閲覧関連)、あるいはBD・DVD自作ラベル、カスタムレーベル等を含む検索語句(著作権・肖像権侵害関連)に関する調査・研究

結果
他のアンケートを見る | 79 投票 | 0 コメント

掲示板 件名 最新投稿

第五回三顧会ダイジェスト6 「三国志巨大パズル大会」


  • 2006年8月22日(火) 23:21 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,598
場所 関羽の巨大パズル・第五回三顧会ダイジェスト5からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/392


 15時。
 旗を飾りおえ特別企画展示場へ帰ってくると、早速、「三国志巨大パズル大会」が始まる。さっきと配置が同じで、茣蓙の上に左右に長机があって、まずどちらに座るか決めるらしい。
 清岡は入って、右の机に。実はこの時点で勝負が決まっていたような(汗)

 つまり入って、右の長机と左の長机であわせて二つのチームがあり、左の机は趙雲のジグソーパズル、右の机は関羽のジグソーパズルをそれぞれ仕上げるとのこと。
 つまり清岡のチームは関羽の巨大ジグソーパズルを仕上げればよい(写真が完成したやつ)。お手本はちょうど入って左の壁にありそういう意味で地の利はこちらにない……って思っている間に、趙雲のジグソーパズルが仕上がってしまう(笑)
 とりあえずこちらの関羽のジグシーパズルが仕上がるまでまってくれるとのこと。その間、趙雲チームは記念撮影にいそしんでいた(汗)

 あまりにも力の差があったので、同じチームで別のジグソーパズルで再戦。
 高順さんのあおるような実況が入る(笑)

 そして見事、我々のチームは早々に趙雲を仕上げることに。やっぱり勝負は机を選んだ時点で決まっていた。趙雲のパズルの方が圧倒的に簡単なのだ(汗)

 でもマニアックな例えながら同チームの傅僉さんと、武藤敬司と高田延彦の頂上対決の高田延彦の気分なんてことを話していた(笑)

 というわけでこの「三国志巨大パズル大会」は20分程度で終了。なかなか白熱した戦いだった。

 15時半。谷様による閉会の挨拶。満場拍手。
 次は来年の5月ということだけど、待ちきれない感じ。かなり楽しかったなぁ。


 それから清岡はこの後、二次会と称してカラオケへ連れていってもらうことに。
 しかしそこは特に三国志ネタはなかったかな。
 あ、十一月兎亭さんが「横山光輝三国志」(アニメ)のオープニングテーマ二連発と真・三國無双2のエンディングテーマを歌っていたぐらいかな。


・2007年5月4日 第六回三顧会(1)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/578

第五回三顧会ダイジェスト5「三国志城を旗で飾ろう」


  • 2006年8月22日(火) 22:36 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,772
場所 ・第五回三顧会ダイジェスト4からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/391

 それで次の「三国志城を旗で飾ろう」開始の13時半に近づくと写真のように特別企画展示場を入って左右に、茣蓙の上に長机が用意される。どうやらここで旗づくりが行われるようだ。
 とりあえず清岡は、谷様から旗の材料をもらって入って右の机に陣取る。旗の材料は予め切り込みの入っている大きい絹状のものと小さい絹状のものと棒と紐。谷様から「(大きい絹状のものに)自分の好きなことをかいてください」とのこと。諸葛亮が東南の風を呼ぶときに立てた旗をイメージしていて、風がくるように願いを込めてかくとのこと。ちなみにツルツルの方が表で裏にかくと縁起が悪いとのこと(笑)
 「風を呼ぶように」とピンときた清岡はたまたま持ってきていた三国志シンポジウムのレジュメを鞄から取り出す。そうそう渡邉義浩先生の報告「諸葛亮の兵法」の「四、演義の諸葛亮像」に書かれていた呼風符をそのまま写そうという魂胆。

・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3
http://cte.main.jp/newsch/article.php/381

 それで資料を見ながら、それから清岡は同じ机の右隣に座っておられた劉備コスの撫子さんや諸葛亮コスの飛 翼翔さんたちに、風を呼ぶ「発[火慮]」、「歩[四/正]」や「叩歯」のことを語る。とそれは良いとして肝心の旗の作り方を谷様からきいておらず、飛 翼翔さんにきく始末。しかも飛 翼翔さん、その直前に撫子さんに説明していたので二度手間(汗)
 そのうち左隣に皓さんとはとむ子さんが登場。はとむ子さん、陸遜コスのせいで正座できず(笑) そして飛 翼翔さんに教わったとおりのことをお二人に偉そうに教える(笑) ちゃんと「(諸葛亮コスの飛 翼翔さんをさし)軍師さんの受け売りですけどね」とネタばらししたけど。
 それから前に座るお二方(結局、名前、きかなんだ)が「三国志検定」という本を持ってきておられたのでその話で盛り上がる。いや、単なる本の名前で公式じゃないっすよ(内輪ネタ)
 清岡の旗が桃色なので→桃の天然水→桃園?→「張飛の天然水」(げっ)ってネタが飛び出ていた。
 ちなみに、はとむ子さんは写真のように赤い旗に陸遜を描いてていた
 旗に字を書いていると白樺 亮さんがやってこられて、以前、教えてくださった三国志大戦の馬岱の「ここにいるぞ!」Tシャツを見せてくださる。

 実物を手に取るとすごく面白かった。首の裏に「伏兵」って書いてあるし(笑) ちなみに馬岱の「ここにいるぞ!」のネタ元は三國演義「第一○五回:武侯預伏錦嚢計、魏主拆取承露盤」にある「吾敢殺[イ尓]!」ね。それが三国志大戦でのセリフ等に採用されたそうな。

 それで清岡は絹のようなものに呼風符を書き上げたので旗にしてもらおうと谷様のところへ行く。紐に切り込みの入った竹を挟んで完成とのこと。あと小さい絹状のものには制作者の名前とか書くんだけど、清岡はなぜか「発[火慮]」、「歩[四/正]」、「叩歯」と書く。そしてボンドでその小さい絹状のものを旗に張り付ける。
 ここで気づいたんだけど、なんと英傑群像の岡本さんも呼風符を書いておられた。別に岡本さんは三国志シンポジウムに行ったわけじゃないので、本当に偶然。三国志ファンの高い次元だと行き着くところは同じだと妙に感動していた(笑)。例えるなら「外国で日本人に会ったような……しかも知り合い!」てな感じ。

 それからもう一方の長い机でKJさん&KRさんはそれぞれ横山三国志の劉備と張飛を描いていた。劉備のところには「チャポーン」、張飛のところには「ジャーンジャーン」と描かれているのがポイント高い(笑)

会場の様子。はっきり写らないようにわざと手ぶれさせている(笑)はとむ子さん作、陸遜茶味さん作、関羽

 旗をつくるところは何も茣蓙の長机だけじゃなくて、三国志トランプ大会で使ったテーブルも解放されている。そのテーブルの上に汚れないように新聞紙がひろげてあってそこで旗に絵をかけるようになっている。
 ふと見てみると茶味さんが緑の旗に関羽を描き込んでいる(写真)。茶味さん、「関羽の髭、描き放題、超うれし~」とかいって、すごくテンション高めですごく面白い。勢い余りまくって、敷いている新聞紙にも絵を描きまくる。曹丕、司馬懿、凌統などなど。
 茶味さん、その絵を皓さん(真・三國無双、凌統コス)にプレゼントすると、皓さんが満面の笑みを浮かべながら「ありがと」と言いながら、新聞紙をちぎり凌統だけを奪い去る(笑) さらにその凌統の絵にある目の下のほくろの位置が左右逆なことを「これじゃ前回の私」と指摘していた(笑)
 で、ほくろの位置が左右逆ならば裏写りしまくっている新聞紙を裏表、逆にすれば解決、なんて言っていて、裏返すと新聞紙には何か広告になっていて写真とともに「悩殺必至」とかいう文字が踊っていた(汗) それがみつかったらすぐに皓さんによってその文字はちぎられ捨てられていた(笑)

そしてみなで壁の金具に各自の旗を刺していく

 そして実際、皆で外へ旗を立てに行くことに(写真)。いやー、こうみると爽快だ。何か七夕を彷彿とするなぁ。
 ちなみに清岡は「まさしくこれ」とか言いつつ「奇問遁甲」の看板のところにおいてきた。

 しかしこの企画、文字でも絵でもそれぞれが楽しみめる良い企画だなぁ。



・第五回三顧会ダイジェスト6へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/393


※追記 ワークショップ via 「大三国志展ブログ」

第五回三顧会ダイジェスト4「お食事(各自)」


  • 2006年8月22日(火) 15:33 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,995
場所 ・第五回三顧会ダイジェスト3からの流れ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/385


 12時30分。というわけでプログラム上はお昼休み。
 「事前に売店で食券購入必要」ってことだけど時間は11時からでもOKだったようだ。かくゆう私はすっかり食券を買う機会を逸していたし、食堂に行ったら、満席御礼だったので、まぁ朝食食べたし、とりあえずいろんな人とお話しする時間に当てようとした。

 というわけでこの時間帯は食堂と特別企画展示場を往復する清岡
 食堂にいったら某さんが前回の三顧会と同じくゆで卵の黄身だけわたそうとするし(笑)
 それから三国志大戦のUC司馬懿の扮装をしている十希野さんにあって、コスプレの話。それからたまたま三国志大戦の周瑜の扮装をしていた遜瑜懿さんが通りかかってきたので、実際に三国志大戦の周瑜のカードを首から下げているのは素敵なアイディアだ、なんて言っていた。
 そこらへんでKJさん&KRさんと合流し、なぜか「幸福の入口」(トイレのことね)の前でコスプレとか三国志城の印象とかクイズラリーの話とかの話をしていた。
 さらに如月雪さん夫妻や英傑群像の岡本さんがきて、立ち話でよもやま話続行。東京発の三国志城ツアーなんかあって東京山口間の三国志名所を回れればいいなぁ、と夢を話していた。それから三顧会はレイヤーさんのおかげでかなり華やかだな、って話も。「女の子も増えたからそういう意味でもすごく華やかになった」と如月さん。そういえば第一回・第二回に比べれば数としては増えてるなぁ。あ、如月さんは三顧会三回目なので谷様の色紙ゲット。
 それから如月さん、コスプレのことで意気込んで「私も来年しよう!、全身、豹柄で」と言いだし、「なぜ、豹柄?!」と皆を驚かせ(&笑わせ)、すかさず「『蒼天航路』の孫燁夏みたいな格好をして」と言ったので納得。それでも清岡は初めの「豹柄」発言を受けて「何をしはじめるんや! ここは三国志城やで! サファリパークやないで!」と突っ込んだが。

 そこからどこぞの報道機関が来て、英傑群像の岡本さんが取材をうけてた。
 トランプのことや旗のこと(旗づくりは当日これない人のために前日もあったので)を取材されたんだけど、清岡はたまたまもってきていた「漢代の文物」を片手に取材の人に西洋風の旗との違いを説明。もちろん

清岡「あんまり記事になるようなことじゃないんですが、ま、一応、説明を」

と自虐的なことを言いだし、「漢代の文物」に書かれている旗に関する文章を読み、画像石のスケッチを見せる。

清岡「多分、そんな詳しいことを考えながら作っているわけじゃないでしょうけどね」

なんて言いつつ。
 食堂に行ったら、前回と同じくまた某さんたちからアイスをねだられる。「激・無双乱舞、やってくれたら」と言いつつそれをかわす。
 また特別企画展示場へ向かうと、ちょうど第一展示場の中でKJさん&KRさんと如月さん夫妻と涼しいところで立ち話。今回の清岡の講習会について。あぁ、なるほどね。あと今回は清岡がスタッフと間違えられやすいって話(笑)。それからKRさんも如月さんの夫さんも三国志知識が0ってことで、2,3日前にKJさんがKRさんの前でさりげなく真・三國無双2をやったって話だった。
 それで「幸福の入口」前に出ると、はとむ子さんと皓さんがいらっしゃったんで、馬鹿話をしたり、写りがヤバいネタ写真をとったりしてた。

 それから、今回、清岡はレイヤーさん(コスプレをする人)たちの集合写真を撮ってなかったけど(ちょうど講習&トランプ大会のときに全員集合だったようで)、KJさん&KRさんが撮った写真をあてに(汗)、それぞれのレイヤーさんのサイトに載せていいか交渉行脚に出かけた。
 それで言ったのが、食堂奥のテラスの方。そこには横山三国志の劉備コスの撫子さんと諸葛亮コスの飛 翼翔(ふぇい いーしぁん)さんがいらっしゃったので交渉……と思ったら、逆に三国志サイトのことを訊かれたのでここ三国志ニュースのアドレスをさしあげた。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/329
↑あ、過去の三顧会の様子はここらへんからたどってください。
 あと中華コスプレ日本大会(in鳥取・燕趙園)の話とか。本当は劉備&諸葛亮コス以外にも徐庶コスの人がくるはずだった話とか。

 それから特別企画展示場へ戻ると、若杉さんたちがクイズラリーへの回答にいそしんでいた。
 次のプログラムを待つことに。


・第五回三顧会ダイジェスト5へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/392

2006年10月7日-12月10日「中国古代の暮らしと夢」(東京・大倉集古館)


  • 2006年8月21日(月) 22:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,705
展覧会 「陶器が語る来世の理想郷 中国古代の暮らしと夢―建築・人・動物―」の展覧会が2006年10月7日(土)~12月10日(日)の期間で大倉集古館(ホテルオークラ東京)で開催するそうです。

・大倉集古館
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/index.html


情報は關尾史郎先生のブログより。

・關尾史郎先生のブログ
http://sekio516.exblog.jp/
・「陶器が語る来世の理想郷:中国古代の暮らしと夢-建築・人・動物-」
http://sekio516.exblog.jp/4024377


↓ちなみに京都でやってたときの雑感
http://cte.main.jp/newsch/article.php/317

2006年7月29日「三国志シンポジウム」便乗オフ会


  • 2006年8月20日(日) 21:42 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,426
ネット 大東文化大学の学舎内にはこうやって「人文科学」が無料配布されている・2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」雑感からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/388


 ここでKJさんの携帯メール情報によると仁雛さんがこちらへ向かっているとのこと。話して合流できるのかね。
 ちなみに如月雪さんは我々が講演会を聴いている間に帰られたとのこと。

 それで下記のリンク先の予定通り、「三国志シンポジウム」の後、ネットの知り合いが集まってオフ会をすることになる。

・「オフ会をやります」(「三国志ファンのためのサポート掲示板」記事)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one;no=2394

 オフ会の会場はKJさんの人脈と、とある先生のご厚意により(名前出していいかわからないので一応伏せる)、ミーティングルームのようなところを貸していただく。そこのテーブルの周り皆が囲む。

 メンバーは清岡KJさん、三口宗さん、ミミまろさん、伊比学さん、げんりゅうさん

 それぞれ持ち込んだお土産を茶菓子としてみなでつまむ
 しばらくはこちらへ向かっている仁雛さん話。伊比学さんの教え子の小学生に仁雛(こちらは「にしな」と読む)という人がいるらしく、清岡、失礼にも「小学生が来るに違いない」とか言っていた。

 それでオフ会といえば恒例の自己紹介。KJさんからスタート。自サイトの話に続き、KJさん曰くオフ会初めて……もとい数回目。去年の三国志シンポジウム後のオフ会が初めてのこと。一回目の三国志シンポジウムの話になる。それから一回目と二回目の比較。今回、前回に比べ高校生が少なかったけど、場所がわかりにくかったかな。
 つづいて向かって左隣にすわる、げんりゅうさん。自ブログの話。やっぱり去年の三国志シンポジウムから縁があってっていう話。それから英傑群像さんにクイズを提供した話。
 自己紹介で伊比学さん、自サイトの話。それからミミまろさんと続く。それからミミまろさんからハンドルネームの話。やっぱりリアルで呼ばれると恥ずかしいとのこと(笑)
 で、話中断し、清岡のノートPCで英傑群像のクイズをみせていた。
 続いて三口宗さんの自己紹介。自サイトの話とよく行くサイトの話。それから清岡の自己紹介。
 そこから派生してNPO三国志フォーラムの話。真・無双検索の登録の話。三国志連環の話。そろそろデッドリンクを整理が始まるという話。登録内容を変えないとそろそろ消されてしまうという話を伊比さんにしていた。
 それから清岡から。過去に真・無双検索で登録サイトをどんどん消して3600サイトから3200サイトぐらいにまでなったって話。げんりゅうさんから「正史三国志原文検索」の母体となるサイトが閉鎖になったって話。みんなでうまくコンテンツを引き継ぎしたかったと話していた。
 学校からのアクセスだと変なページにリンクしているとリンク元のサイト自体、アクセスできないことが発生する。それでアクセスできないサイトに三国検索があがっていたとのこと。そこから恋姫†無双の話になる。
 あと伊比さんが本づくりをしたときの話。編集サイドから軍師100名出せと言われて、がんばって出したという話。とりあえず君主に献策したら軍師、って定義にしたそうだ(笑)
 それから明日の三国志学会にスーツを着ていくかどうかの話をしていた。
 あと清岡が持ち歩いていた英傑群像の三国志地図下敷きを見たり。

 ここで仁雛さんが登場したんだけど、すぐに先生方に連れて行かれた(汗)
 その一瞬の間に強引に「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」で中国の先生に通訳はあるのか、って仁雛さんに質問をする清岡(汗) 通訳はないけど要約する紙はだすとのこと。

 あと出版関係の話。どれぐらい刷れば採算が合うかって話。そこから復刊ドットコムの仕組みの話と三国志研究要覧の話(えぇ、ウェブにあるんすよ)
 そこから論文検索の裏話的な話。そこから今のレポートは手書きかワープロかって話に派生した(ネットからのコピー&ペーストとのかねあいね)。それで清岡がよくアクセス解析でそういういうのを調べているような検索ワードがあるって話になって、各自のサイトの検索ワードの話になった。

 そういう話をしていたら部屋をしめる時間帯になる。18時過ぎ。
 その部屋を片づけ一同、外へ。

 そのまま解散、あるいは二次会と思いきや、めざとく大東文化大学の研究紀要など無料配布のものを見つけ、それをみなであさり始める(笑)。なにかとてつもなく楽しいひとときだった……といいつつ、ゲットした紀要は未だ目を通していない(汗)
 あとしっかり物色している三国志マニアの方々の様子はしっかりKJさんとげんりゅうさんからデジカメで撮影されていた(汗)

 ここで一次会は終了したと言うことで、三口宗さんさんはここでお別れ。
 それ以外のメンバーは池袋の夜の街へと消えることとなる。


・2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノートへ続く。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/395