※三国関連の前記事
メモ:青春カップ10(東京ビッグサイト2013年3月31日)
※三国と無関連の前雑記
・メモ:ミラクルゲーム!!2 (2013年3月31日の雑記)
http://cte.main.jp/calcio/blog.cgi?n=503
まず上記の記事や雑記から一週間経った2013年4月7日日曜日から始まる。
その日は青春18きっぷの最後の二回分、つまり最後の足掛け二日の往復分を使い切ろうと、京都から東京へ向かう(応援しているサッカーチームが勝ち抜いてくれたら、三日後に使っていたのにと思いつつ)。夜に用事があったため、遅くに出発しても良かったんだけど、スターバックスにでもくつろごうと思い、いつものように始発で東海道線を鈍行列車で乗り継ぐ。日曜日とあって、下記関連記事にあるように国立国会図書館も開館しておらず、折角なのでどこか寄ろうと考える。
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そうすると思い出したのか下記関連記事で触れた東京都渋谷区の渋谷ヒカリエ8階2012年6月4日開設「川本喜八郎人形ギャラリー」。渋谷区の予算で設立された。
・渋谷ヒカリエ/Shibuya Hikarie
http://www.hikarie.jp/
・渋谷区/川本喜八郎人形ギャラリー
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kihachiro_gallery.html
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川本喜八郎人形ギャラリー(渋谷ヒカリエ2012年6月4日)
下記関連記事にあるように、ちょうど展示替え前であり、展示替え直後に関東に向かう用事があり、前後の比較もできるなと思っていた。
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それで14時40分にJR渋谷駅に到着。もっとでかでかと渋谷ヒカリエへの案内があるのかと思うとそうでもなく、やはりJR構内だとそんなもんかと思いつつも頭の中にある地図を頼りに階段を上り下りする。そうするとようやく道案内が見られ、結果的に迷うことなく渋谷ヒカリエ2階へ入る。そこからエスカレータを昇りつつ、それは途中までで、結局、南側のエスカレータで8階へ行く。外に出て見ると、北側に目的の川本喜八郎人形ギャラリーの入口が見える。川本先生の写真のディスプレイがあり、その右手に奥へ続く道の角があり、その角に人形が展示されてある。そしてそこのガラスには展示替えの旨が貼り紙で掲示されてある。
角を北へ曲がり、数歩歩いて、自動ドアを通じ中へ入ると、北側に壁掛けのモニターがあって、そこで川本先生のビデオが流されてあった。南西へ折り返すように進んだ所が少し広いフロアになっており、部屋の真ん中に人形の制作過程を解説した三つのパネルが立てかけられており、壁には平井徹先生による『三国演義』の解説等数枚のパネルが懸けられてあった。
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それでメインの人形についてなんだけど、南東の角を挟んだディスプレイにはNHK番組『平家物語』関連の展示、そして、北西の角を挟んだディスプレイにはNHK『人形劇 三国志』(※正確な表記は人形劇『三国志』だろうが、『三国志』と区別しにくくなるので、個人的にはこの表記をよく使う。あと検索語句からいうと、番組内でそうコールせいか「読み切り三国志」と番組名を誤解するケースもある)関連の展示がある。当然、北西方面ばかり見ていた。展示内容は下記の通り。
「天の時」-時代を拓く覇者曹操-:曹操、夏侯淵、郭嘉
「人の和」-玄徳の旗挙げ-:劉備、関羽、張飛、趙雲
「地の利」-赤壁に智を闘わす-:孫権、周瑜、魯粛、諸葛亮、龐統
密かなる謀-連環の計-:董卓、李儒、貂蝉、王允、呂布、赤兎、陳宮
やはり目立つのはちょうど北西の角に展示されてある赤兎馬に乗った呂布だ。いわゆる方天戟を持つ。その呂布を初め多くの鎧が唐代っぽいデザインなのに対し(小札がほとんどない)、呂布の右隣にある展示されてある劉備、関羽&張飛はどうも兵馬俑の鎧が参考にしてあるらしく秦代の鎧っぽかった。つまりは作劇において主役たちについて他との差別化を図っているのだろう。ちゃんと肩部分は「上下方向に伸縮性を有する可動綴」の小札の重ね方だったし。※追記。後日ビデオで見たが、2013年4月5日よりBSジャパンにて放送の中国歴史人形劇『項羽と劉邦 はるかなる大地』ではばっちり小札の重ね方が逆だった。如何に川本先生の観察眼が優れているととらえるか、あるいは単に○○クオリティと一言で片付けるか…
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メモ:鎧 and リンク:東アジアにおける武器・武具の比較研究
あと張飛が持つ武器は、ギザギザの、所謂「蛇矛」を持っていた。ふと放送当時もこの武器だったのかなと思っていた。そうだとしても千里行で蛇矛初登場の横山光輝『三国志』(マンガ)の方が早いだろうし、放送開始時の横山三国志は落鳳坡あたりなので。
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メモ:おえかきの森(2020年10月23日視聴)
そういうようなことを思いつつまじまじと人形を見ていると、隣の恋人同士らしき男女の会話が聞こえてくる。
女性「『三国志』って実話?」
男性「実話だよ!…(弱い声で)少し脚色があるだろけど」
数メートル右に平井徹先生による解説があるやろ、と心の中でツッコミを入れてしまった。まぁ、世の中の認識としての貴重なサンプルだと心に留めておこう。
次の予定があったので、その場を早々に後にしたのだけど、帰り際に真ん中の制作過程のパネルをさらっと読む。急いでいたせいか手足がラバー製と確認できたが、顔が何製か確認できず、なぜか「石膏製?」と記憶にあった。それは制作過程で使うのであって、材質は薄紙を貼り重ねたものであると後日、確認する。
渋谷駅から山手線、中央本線と乗り継ぎ、阿佐ヶ谷駅に到着し、いつも夕方は座れずしばしばし待つ必要のあるスターバックスにて、しばし待ち、席を確保し、ホワイトモカのトールサイズとチェリー&カスタードマフィンを注文し、英気を養う。
・Starbucks Coffee Japan - スターバックス コーヒー ジャパン
http://www.starbucks.co.jp/
そして待ち時間、作業していたのが、『三国演義連環画』と横山光輝『三国志』とに見られる接写表現に関して、レフ・クレショフの分類に基づく竹内オサム先生の分析方法を用いて調査していた。といってもやっていることは両作品を見比べて、メモ用紙代わりのレシートの束の裏に「B62 F B U U M L63 F M CU L L B L」てな感じでひたすら書いていくという地味な作業だった。
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それで次の目的地の開店時間である18時になったのでその店を出る。
※三国と無関連の次雑記
・上位三連戦の初めはアウェイから (2013年4月7日の雑記)
http://cte.main.jp/calcio/blog.cgi?n=510
※2013年大型連休目次的ページ
・メモ:亜種一周片道乗車券
http://cte.main.jp/sunshi/2013/0426.html
それで三国に関係する日に移す。2013年4月26日金曜日。その日は上空に寒気が到来しており、大荒れの天気になると朝のTV番組で行っていたので、終電16時京都駅発のところ保険をかけて30分程度早くなるよう出発した。ちなみに下記関連記事の末に書いたとおり、一周片道乗車券(亜種)利用のため、京都駅ではなく、その二駅東隣の大津駅の改札を一旦出てからのスタートとなった。
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大型連休の三国志情報(2013年4月27日-5月6日)
三国と関係ないことを長々と書いても仕方がないので、要約して書くと、今回、関係のない湖西線は止まっていたが、乗車中の路線は遅れもなく順調で、東海道線を鈍行列車で乗り継いたんだけど、静岡駅で結局、終電の列車に追い付かれ、東京への到着も終電と同じになっていた。
道中は図書館から借りてきた、濱野智史・佐々木博/著『日本的ソーシャルメディアの未来』(技術評論社2011年3月1日)を読んでいた。その書籍ではまず、コミュニティ(共同体、地域共同体、家族共同体など)とソサエティ(社会、都市、市場、国民国家など)とのそれぞれの定義を明確にしたところから始まり、ネットでの集まりはこれらの定義ではどちらかというとソサエティが多いとした上で、Twitterを含んで、タイトルのソーシャルメディアについて書かれてあった。ちょうど次の日の集まりはどれもTwitterが普段の媒体として活用された結果となっており、そういった調査、というより後々に語るための「実感」を持つために、この書籍を前もって読んでおいて良かったと感じていた。
それで行きつけの阿佐ヶ谷のスポーツバーに始発までくつろぎ(今、思い出してみると、4月に営業時間が変わってので、通常27時(3時)閉店に速まり、始発の4時41分まで粘るのは迷惑だった。次回から気を付けよう)、そこから5時から17時までのデイユース格安プランのあるカプセルホテルを利用し、睡眠をとる。
10時に目覚ましをセットしたものの、9時半には目覚めてしまい、身支度して、渋谷駅に向かう。渋谷ヒカリエの8階には10時40分には到達していた。入口を見ると、すでにopenの文字があって、まだ開館時間を見て開いてないと言いつつ1組の中年女性が入ってた。土曜日だからそこらへん曖昧にして一人でも多くの人に見て貰おうという配慮なのかな、とも思っていた。
暇なんで同じ階に何があるか見て回ると、防災センターがあって、中に入ると普通に役所の施設で、「何かご用でしょうか?」と案内されかけたので、右手を上げて制止するという無愛想な態度をとってしまった。
というわけで、川本喜八郎人形ギャラリーのディスプレイ前で待つ。しばらくすると歴史を連想させるような服装の方が来られていたので、消去法でもしかすると、あれがTwitter上で哲舟さんの呼び掛けに応えていた白鉢巻さんなのかな、と思っていた。
そこのフロアには時計は無かったんだけど、西の外を見ると、遠くの方に温度と時間を交互に表示する電子看板があり、11時前だと判った。ちなみに19℃だった。
そして哲舟さんが登場。今回の、イベント前に展示替えの川本喜八郎人形ギャラリーを見ておこうというツアー(?)の主催者様だ。
・哲舟の呑む喰う浸かる、歴史に憩う
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/
・川本喜八郎人形ギャラリー・三国志街道の集い・三国志TERAKOYA2で、三国志ざんまいな日。 (※上記ブログ記事)
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/archives/65772154.html
清岡と哲舟さんは2月の京都以来。それは文字通り「京都で哲舟さんを囲む会」で……ってこの会合名は後で清岡が勝手に名付けたんだった。
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京都で哲舟さんを囲む会二次会三次会(2013年2月5日)
哲舟さんが現れて清岡と同時に前に出たのが、推定、白鉢巻さん。やはりその方だったようで、前述の通り清岡とは初対面。あとで話を聴くと、レキシズルバーの常連さんとのことだ。
・レキシズル|歴史好き同士の交流活性プロジェクト
http://www.rekisizzle.com/
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2011春節前夜 三国志ナイト(2011年2月2日)
というわけで、まず入口から少し離れた位置にあるディスプレイを見る。渋谷区の予算で設立されただの、川本先生が亡くなる直前に制作されたのが含まれるだの、本来は150体ぐらいだっただの、哲舟さんと二人で白鉢巻さんに「川本喜八郎人形ギャラリー」について解説していた。
※関連記事
川本喜八郎人形ギャラリー(渋谷ヒカリエ2012年6月4日)
哲舟さんによると今回のディスプレイは展示替え前より凝っているそうで(※清岡も見たんだけどほとんど覚えてない)、写真だけでなく、裁縫道具など制作道具や『人形劇 三国志』の台本が展示されている。特に台本は貴重な資料だと言い合っていた。なにせ川本先生のお名前が入っており、先生用の台本みたいだし。清岡からは劇団影法師が全国で公演する『大型人形劇「三国志」総集編』の脚本はジェームス三木さんだけど、この台本のクレジットを見ると、毎回、脚本は変わっていたんだとコメントする。
・劇団影法師 KAGEBOUSHI THEATRE COMPANY
http://www.kageboushi.com/
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大型人形劇「三国志」総集編(2011年11月2日昭和第一学園高等学校)
哲舟さんによるとあと一人の参加者である、マコさんはすでに来られていて、このフロアを見て回っているそうな…と説明を受けていた矢先にマコさんが東から現れ、挨拶タイム。マコさんとはおそらく2013年10月のMini三国志フェス以来だ。その時もそうだったんだけど、知り合いの知り合いに対してどうも清岡は二人の人物を一人の人物と混同してしまう癖があるようで、がんばって頭の中で、マコさんについての認識を整理していた。
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ノート1:Mini三国志フェス in レキシズルスペース
そしてディスプレイのプチ撮影会。中は撮影禁止なので、余計、熱が入る。清岡は待ち時間の間に済ませていたんだけど、6000円ぐらいの安物のカメラなんで接写ができないって話を振っていた。今の携帯やスマホの方が高性能だということで。
中にはいると、入口近くには前回もあった感想等を書き込めるノートと、あと前回もあったかどうか覚えてない、タッチパネルのPC(薄型モニター)が置いてあって、飯田市川本喜八郎人形美術館のサイトを見れるようになっていた。
・飯田市川本喜八郎人形美術館
http://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/
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人形劇「三国志」~秋風五丈原~中心展示(飯田市川本喜八郎人形美術館2012年12月1日-)
それで何やら映像が流れていたモニターは部屋の南西の南壁にある関係者用扉の東隣に移されていて、何が映されるのかと思ったら「調整中」の貼り紙が付けられていた。
人形の展示だけど、今回は展示前と『平家物語』と『人形劇 三国志』の位置が逆になっており、北西に前者、南東に後者となっていた。
まず『平家物語』の人形を見る。三国と無関係なので、解説は避けるのだけど、一つだけ書くとすると、北西の角にある源為朝が馬に乗っている所が印象的だった。展示前の赤兎馬に乗る呂布と同じ位置だ。清岡は『平家物語』を知らないのだけど、そこらへんはお三方がやさしく教えて下さる。その展示位置が暗示するように、どうも同じNHK番組の『人形劇 三国志』の呂布的キャラクターだそうで、数々の武勇の伝説が残されているとのこと。それらの中の一つに弓矢だけで船を沈めたことがあって、昨年の大河ドラマ『平清盛』では映像化されていたそうで。さらにディスプレイの右の端には流刑にあったときのザンバラ髪の源為朝の人形が展示されており、同じ人物が二体も展示されているだなんて破格の待遇となっていた。
そして『人形劇 三国志』の方を見る。全14体。右から張飛、劉備、関羽、張宝、張角、張梁(張宝と位置が逆かもしれない)、角を曲がって許攸、袁紹、何后、弘農王、陳留王、趙忠、蹇碩、段珪。白鉢巻さん曰く「マニアックなラインナップ」
まず、劉備、関羽、張飛について。中央に劉備という配置で三人とも鎧姿ではなく普段着で四角い杯を持っていて、後ろに花が咲いた桃の木々が描かれた布が懸けられており、それを見て哲舟さんは展示前はそんな演出はなく、凝っているという旨をおっしゃっていた。また哲舟さんによると、この劉備、関羽、張飛は個人蔵とのことだ。家に置いておきたいと一同。実際に持っていても結構、大きいので、ちゃんち展示できる置き場所ないという意見も。清岡曰く、高さを利用して神棚にして展示しておこうと。そこから白鉢巻さんからの質問が切欠で、哲舟さんによる人形の解説があって、一体100万ぐらいだとか、
個人蔵が何体かあるとか、興味深いお話を伺っていた。もちろん三国志フェス2011での若荀彧人形の話も。
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白鉢巻さんが指摘するに爵の形ではないと。これに対し、やはり庶民だからと。清岡はその時、デザインでの影響関係の有無を確認するため『三国演義連環画』を何冊か持ってきており、そこでも四角い杯だったんで、そこらへんは影響を受けていたのか、あるいは日中の認識は一致しているのだと感心していた。それと一旦は数年前と言い誤ったのだけど、『人形劇 三国志』の放送より10年ぐらい横山光輝『三国志』の連載が先行していると。
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次に黄巾のお三方。三人とも唐代系鎧や秦代系鎧デザイン、どちらにも寄らず、デフォルトのデザインじゃなく、しかも三人ともバラバラなデザイン。哲舟さん曰く「川本先生、(デザインで)遊んでいたんでしょう」、マコさん曰く(多分)「黄色の使い方が三人それぞれ」。清岡曰く「張角の兜にある『黄』の文字が笑える」
それで角を曲がって許攸。白鉢巻さんも清岡も、許攸って誰だっけ?ってことになっていて、哲舟さんが「官渡の戦いで兵糧の場所を曹操に教え、袁紹を裏切った人物」と的確な説明を下さる。なるほど。総轄すると今回の目玉人物の一人だろ、ってことに。
次が袁紹。哲舟さん曰く、鎧の胸の当たりは曹操にそっくりとのことで、そこで清岡が蘊蓄を述べていた。あと冠が妙に豪華って話。主体が黄金で、『三国演義』の挿絵における獬豸冠(かいちかん、別名、法冠)の角が付いている。ここらへんは『三国演義連環画』の兜とは大きく異なる。あとで思わずツッコミを入れてしまったんだけど、顔にはドジョウのような口ひげが描かれている。
次に何后。かんざしは若干、『三国演義連環画』に似ているかな、って程度。マコさんより「女性はこれだけ?」ってコメントに対し「元々、女性の登場人物は少ない」と哲舟さん。その話から発展し、『人形劇 三国志』にはなんでも、張飛の妻というオリキャラがいたそうで。清岡が質問するに、どうやらその妻は夏侯家とは関係ないらしい。
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もっとも不思議な世界史ミステリー画像(2009年1月9日)
次が弘農王と陳留王。横山光輝『三国志』(マンガ)では子どもらしく総角(そうかく)だったお二人だったが、ここでは伝統的デザインの小さい冠を戴いており、その点でも『三国演義連環画』と似ている。影響関係があるのかも、と思っていた。
次に趙忠、蹇碩、段珪。これも張角らも劉備らもそうなんだけど、三人一組になると、左右二人が手前、奥の中央に格の高い一人を配置するという基本があるようだね。ここでは十常侍筆頭の蹇碩が奥中央に位置する。そこでも清岡が言及していたが、蹇碩は(歴史上では)西園八校尉の筆頭の上軍校尉であるためか、冠が豪華で、しかも武官っぽい、いかつい表情をしていると。
・西園八校尉と無上将軍(孫氏からみた三国志42)
http://cte.main.jp/sunshi/2007/1002.html
他の二人の冠はシルエットだと武冠ぽいと清岡。後漢の『三国演義連環画』では武冠だったので、ついついそれと比較してしまう。ちなみに歴史上でも『続漢書』志三十輿服志下に「武冠、一曰武弁大冠、諸武官冠之。侍中・中常侍加黄金璫、附蟬為文、貂尾為飾、謂之「趙惠文冠」。」とあるように中常侍は武冠を戴いているので、そこから創作で派生した十常侍(というより『後漢書』での誤写からか)も武冠を戴いているのだろう。
実際、番組では十常侍は十人出ていたのかという白鉢巻さんの質問に、この三人が話を回していたと哲舟さん。その理由を哲舟さんが推測するに、テレビの画面におさめるために登場人物を絞っていたのだろうと。なるほど。その話から派生して、夏侯惇より夏侯淵をかっこよくキャラ立ちさせて登場回数もより多くなっていたとおっしゃっていた。
そんな感じで静かな所なんで他の来場者の耳障りにならないように抑えめでみんなで話しつつも、また別個で観賞しつつも、まったりとした時間が過ぎる。清岡は『三国演義連環画』との比較を中心に見ていたのだけど、ふと思い立って思わず哲舟さんに「スケジュール管理して下さい。放っておくといつまでもここに居てしまいそうなので」と言ってしまう。
時計を見ると11時半ぐらいでまだまだ時間があるとのことだった。しばらくして11時40分ぐらい、哲舟さんに電話のようで、外に行かれ、何やらやりとりをされていた。それがまさか、今回の企画への参加者さんからだとは思わなかったんだけど、戻ってきた哲舟さんによると、うさこさんが11時50分ぐらいにここに到達するとのことで、10分でも良いんで見ていきたいとのことだった。うさこさんはMini三国志フェスに一般参加されていた方のようなんだけど、余談ながらまたも清岡は別の人と混同していた。
・うさこのレキシ日記
http://ameblo.jp/mksweetheart/
・川本喜八郎人形ギャラリー (※上記ブログ記事)
http://ameblo.jp/mksweetheart/entry-11520767973.html
それだったら、四人で四方を囲って、今までの解説をしようという清岡に対し、嫌がられるとツッコミを入れる哲舟さん。そしてホントに11時50分にうさこさん登場。挨拶より先に見て回って下さい、ってことで、早速、三国の方へ。もちろん何か今までの会話のダイジェストのような豆知識を皆でうさこさんへ吹き込んでいた。
そこで、うさこさん、黄巾が本当の兄弟かどうかって質問をされていた。何か皆の返しがまとまらない感じだったんだけど、今、思うに歴史書の『後漢書』伝六十一皇甫嵩伝に
角稱「天公將軍」、角弟寶稱「地公將軍」、寶弟梁稱「人公將軍」、所在燔燒官府、劫略聚邑、州郡失據、長吏多逃亡。
と三人が兄弟である旨が書かれてあると答えればよかったんだろうかな。
ともかく先程、言っていたネタをダイジェスト的に、うさこさんにお伝えできて良かった。
12時前にはその場を出て、次の目的地に向かう。道中、清岡は、白鉢巻さんとうさこさんとに続けざま、別々に京都話をしていて、前者は京都にそれほど馴染みがなく後者は一昔前、京都に足繁く観光されていた方だったので、その対照的な様子に個人的にはとても楽しんでいた。
※次記事
メモ:第35回 三国志街道の集い(2013年4月27日)
※追記
新・三国志英雄列伝序章(飯田市川本喜八郎人形美術館2013年6月1日-)
※追記
メモ:第18回三顧会 前夜祭(2013年5月3日)
※追記
メモ:レキシズルバー
※追記
メモ:赤壁 ─苦肉の計(川本喜八郎人形ギャラリー2014年4月25日-11月4日)
※追記
レポ3:九州三国志忘年会(2013年12月29日)
※追記
メモ;三国志TERAKOYA4が始まるまで(2013年12月13日)
※追記
三國志研究第十号(2015年9月5日)
※追記
メモ:三国志―赤壁大戦(2015年5月16日)
※追記
メモ:飯田市川本喜八郎人形美術館(2016年4月2日訪問)
※追記
メモ:三国志・君主と軍師・謀臣たち(川本喜八郎人形ギャラリー 2016年7月30日)
※追記
読みきり「三国志」(NHK文化センターさいたまアリーナ教室2016年10月1日-2017年3月4日)
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サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。
こんばんはー。先日はありがとうございました!!
お待たせしてしまってごめんなさい。でもみなさんと一緒に見れてよかったです。桃園で爵持ってない、とか一人ではわからなかったので。
わたしが来るまでの間のことが詳しく書かれていて、興味深く読ませていただきました。また次の機会を楽しみにしてます☆
どうもコメントを書いていただき、ありがとうございます。そしてこちらこそ27日はありがとうございました、おかげで楽しめました。
当日、哲舟さんもおっしゃられていたように、全然、待ったという感覚はありませんでした。
むしろ、放っておくといつまでもそこに居るような感じでしたよ(笑)
当日は申してませんでしたが、(庶民はどうか知りませんが)さらに後漢末や三国時代に忠実にしようとするといわゆる耳杯になるんでしょうね。
※参照記事 第四回三顧会ダイジェスト2「中国酒盃を作ろう」
それとこの記事を楽しんでいただきお役に立てたようで幸いです。読んで下さってありがとうございます。
次はお会いできそうなのは、多分、三国志フェス2013でしょうかね、まあ、都合が付けば私は8月か9月かの三国志街道の集いに参加しようとは思いますが。ともかくまた皆で相手して下さると嬉しいです。