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メモ:三国志―赤壁大戦(2015年5月16日)


  • 2015年5月22日(金) 00:35 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,534
展覧会 ※関連記事 メモ:三国志フェス2015 水魚の交わりが始まるまで(2015年1月30日)

 あまり読む方は気付きにくいだろうけど、記念すべき記事番号3500を迎える。上記記事で事前に触れていた「三国志フェス2015 水魚の交わり」のレポにいきたいところだけど、現在の需要により先に下記関連記事の2015年5月16日土曜日の三国志プチオフ会「関プチ2015」のレポにいく。

※関連記事 メモ:はじめての京劇V~三国志「古城会」(2015年4月18日)

※追記 メモ1:三国志フェス2015 水魚の交わり(2015年1月30日)

 実はその一週間前の5月9日土曜日にもプチオフ会の募集をかけていたんだけど、最少催行人数2名に満たなかったんで、そしてそれを予期して設定していた予備日、つまり16日開催で募集をかけたら、あんちょさんがすかさず参加表明して下さったので、開催が決定する。

・関プチ2015
http://cte.main.jp/kanpetit/

・5/16渋谷・川本喜八郎人形ギャラリーへ
http://cte.main.jp/kanpetit/20150516/kprof.cgi

 さらにうさこさんがTwitterを通じて参加表明してくださって、参加者は3名となる。振り返れば、二年前のオフ会と昨年のオフ会メンバーの混成になっていて、さらに清岡を除けば、ほぼ面識がないお二人の参加ということでかなり楽しみにしていた。

※関連記事
 メモ:川本喜八郎人形ギャラリー(2013年4月7日27日)
 メモ:赤壁 ─苦肉の計(川本喜八郎人形ギャラリー2014年4月25日-11月4日)

 迎えた当日の2015年5月16日土曜日。前日は23時30分頃に眠って、3時間睡眠を狙っていたが、2時前に目が覚めてしまう。ひたすらビデオ消化。BS日テレのアニメ『寄生獣』を録画しそこねていたが、遅れての地上波放送分を撮っていて、それが他のアニメとセット放送だったので、30分視聴なのに1時間分消化できた。図書館から借りていた書籍をネット上で延長する。その中に「大判三国志」が含まれていて、5巻と23巻を調子に乗って今回の旅に持って行ってしまうことに。

※関連記事 メモ:はじめての京劇V~三国志「古城会」(2015年4月18日)

 ともかく日曜日のカルチョ観戦に備えユニフォームを着てその上に白の七分丈シャツを羽織り、家を4時46分に出たのだけど、外は大雨でダッシュができなかったが5時15分に最寄駅に到着する。始発の6分前でいつもどおりなんだけど、大雨の後で列車が1分遅れとなった。京都駅5時30分発で、車内ではいつもどおりラジオ番組『エレ片のコント太郎』のポッドキャストを聴きながらダラダラしつつ、下記関連記事(2番目以降)を書いていた。順調にいつもどおりの乗り継ぎで、たまに睡眠とったりと。

※関連記事
 『エレ片のコント太郎』ポッドキャストで三国志ネタ
 石城の里 三国志城 休館(2015年4月22日-)
 三国志パズル大戦 公式アートブック(2015年4月14日)

 10時34分、島田駅到着し、いつものように3番→1番乗り換え。でもやはり青春18きっぷのオフ期間なので、すいていて余裕で座れるし、列車はトイレなしの3両だし。10時44分発。すぐに木曜日にスーパーマーケットで買った菓子パンを食す。ヤマザキのホットドックと第一パンの黒豚カレーパン(どこが黒豚なのかわからず)、それとヤマザキの高級クリームパン。ヤマザキに軍配が上がるね。東海大学フットボールクラブの女子二人、清水エスパルスの17KAWAIを着たおっさん。みんな清水駅でおりてった。
 14:30ごろ、人形鑑賞に備え、付け焼刃的に『三国志』巻五十四呉書周瑜伝を読む。新橋駅で東京メトロ銀座線に乗り換え、14時54分に赤坂見附駅に到着する。そこのWi-Fiを浸かって、ネットをチェックすると、どうやら追加の参加者はいらっしゃらないようだった。
 16時41分発で同じく銀座線で16時49分に渋谷駅に到着する。東京メトロと言っても銀座線の渋谷駅は高架上にあって、そのためすんなりと渋谷ヒカリエの二階部分にいける。そこからエレベータで8階までいき川本喜八郎人形ギャラリーに到達する。

・渋谷区/川本喜八郎人形ギャラリー
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kihachiro_gallery.html

・川本喜八郎 Official Web Site
http://chirok.jp/

・渋谷ヒカリエ8F「川本喜八郎人形ギャラリー」2015年 第1回展示替え
http://chirok.jp/news_detail/00000000177.html

※関連記事 三国志―赤壁大戦(川本喜八郎人形ギャラリー2015年4月24日-)

 未だ誰もいらっしゃらなかったようなので、ギャラリー内は写真撮影できないし外のディスプレイ部分の撮影にいそしんでいた。三国部分の写真は曹操と関羽。やはりそこに意味を見出してしまう。そして川本喜八郎先生の関羽コレクション。さらには『人形劇三国志』のDVDが並べられていた。



 そうするとまずあんちょさんがいらっしゃる。よくよく考えたら、三国志フェス2015以来だな、と。早速、パネルの写真について、清岡が関羽と曹操って話をしたら、あんちょさんは誰だかわからないぐらい『人形劇三国志』は知らないってなって、清岡も見たことないと申した直後に、「昨年の会話の繰り返し」という自己ツッコミを行っていた。
 うさこさんのお姿が見えないので、早い目に来ているかもと事前にきいていたため、一旦、中を覗くとそれらしい人物はいらっしゃらなかった。そのおりに何種類か冊子があるのを見かけていた。
 とりあえずあんちょさんと立ち話しつつしばし待つことになった。そうすると、雅な着物姿のうさこさん登場。三国のグッズを持ってきていて、やる気を見せていた。あんちょさんも呉のキーフォルダーも見せ、清岡は前述した「大判三国志」を見せていた。
 昨年11月末の「三国志フェス2015 黄巾党決起集会」にあんちょさんとうさこさんは同じ会場にいらっしゃったのだけど、ほぼ初対面ってことで、清岡は事前にお二人の共通点に思いをめぐらせていたのだけど、それは中国歴史ドラマ視聴者ということに思い当たり、それに言及していた。それから二人ともブロガーだと。それから2年前のときは哲舟さんがいらっしゃって、『人形劇三国志』や『平家物語』のことを尋ねまくっていたが今回はそういうご意見番的な存在がいない、って言ってた。
 再び、なぜパネルの写真はこの二人かって話をしていた。やはりテーマの「三国志―赤壁大戦」から華容道の二人なのかな、と。
 今回の外側(つまり写真撮影可能)なスペースに展示されてあるのは小喬。写真撮影の時間。着物が綺麗だと口々に言い合っていた。中に入ると以前来たときとどう変わったかとか話していた。
 まず入って、左手のコーナーにある『平家物語』のところを見ていたのだけど、以前と目立つところで変わったのは、人形の展示の仕方が、何か1シーンを彷彿ととさせるようなもので、一つ一つの人形にドラマが込められているように感じられた。その変更に関してはとても満足していて、「前からこうやっていれば良かったのに」とのたまっていた。あまりにも1シーンを切り取ったような展示にしているせいか、1つの人物名なのに2体展示しているのがあった。それは片方があんちょさん曰く「マンガのキャラのような」顔なので、おそらくもう片方がその人物なのだな、と。こんな感じで語っていても、基本的に誰も『平家物語』のことに詳しくないので、とりあえず解説文を読むことから始めていた。さっぱり頭に入らなかったのでこの辺は割愛。
 そして『人形劇三国志』は入って右手のコーナーの所に展示されてある。今回のテーマは「赤壁大戦」だ。二年前は初期の頃の展示だったと話題に出す。

※関連記事 メモ:川本喜八郎人形ギャラリー(2013年4月7日27日)

 それでまず中央の孫権らの面々に目がいく。闞沢、黄蓋、周瑜、孫権、諸葛瑾、魯粛だ。魯粛だけ諸葛亮の方を向いているんですけど。あんちょさん曰く「売国奴っぽい」と。それで各作品の魯粛の描き方の話になって、清岡は「ちなみに合格の魯粛は居るんですか?」と尋ねると、あんちょさんは『捜神後記』や『江表伝』の魯粛を挙げていらっしゃった。ここで清岡は『秘本三国志』の魯粛の話をあんちょさんにふる。きっちり覚えていらした。
 孫権と一緒のところに立っているだなんて諸葛瑾はえらい出世したなと清岡。あと清岡からは魏で重臣が217年で亡くなっていることが多く、そこからその年に何か流行り病があったのかもとよく言われているって話を出した、そうだ建安七子だった。

※関連記事 第2回三国志学会大会ノート3

 そう話している間も、オフ会の主催者として、参加者同士、ちょっとでも交流を持ってもらいたいと、うさこさんが趙雲好きだとあんちょさんに教えていた。清岡があんちょさんとうさこさんの共通点を小出しにして「互いにブロガーですよ」と申し上げる。
 ここであんちょさんのブログの話。中国とダイエットで、後者について体脂肪率何%とか、その測定は時間帯にもよるとかあれこれ。
 ここで目の前の人形の話に戻り、闞沢の服についての話題となる。まず腹巻に描かれた鶏について何か意味があるんだろうか、ってなってた。清岡から木簡にも「鶏鳴時」と表現されるように、鶏は時間をつかさどる、と。
 その後が服にある模様、鹿の図案について。それは、うさこさんによると「有栖川裂」と呼ばれるものらしい。ここでどういう模様かのレクチャーをうさこさんからうける。あんちょさんはすかさずネットで調べて納得されていた。その名前ですぐに検索結果に出てくるそうで、その場で見せてくださる。
 きっと他の人形の衣服についてもこういった模様があるのだな、ということで、清岡は「誰かマニアに頼んで、柄一覧表とか同人誌で出してほしいですね」とのたまっていた。
 そこから博物館の話になって大関ヶ原展の話をしていて、『刀剣乱舞』で刀が人気だという話になったんだけど、元々、刀マニアだ、って話になっていた。
 ここで再び、対面の『平家物語』の方に移ったんだけど、説明文を読んで思わず清岡は「やばり、そっち(三国)と頭の入り方が違う」とのたまっていた。

 あと川本喜八郎人形ギャラリーの展示自体、それぞれドラマのワンシーンを髣髴とさせるような演出でとてもよくなっていたと再び申していた。特に曹操についてはポーズは元より表情がついていて今回一番の見所なのかもしれない。バックが炎になっているし。おそらく赤壁の役での火計成功直後なのだろう。
 同じく曹操についてあんちょさん曰く「胸が痛いのかな?」 さらに清岡がかぶせて「なんか曹操にきょちょが迫っている、みたいな(笑)」
 そこでまたも曹操の服の柄の話になる。うさこさんによると、青海波と呼ばれるものらしい。昔のいきおいを表現している曹操軍、と清岡。うさこさんはそれに同意しつつ、同名のを光源氏が舞ったと指摘されていた。なんだか模様とか柄とかでどんどん話が深まって心地よい。
 あと郭嘉は左の端に居て、あたかも曹操配下の面々とは独立した場所にいるようだった。まるで作者みたいなポジションと茶化していた。それ自体、やっぱワンシーンなっている。劉備らはシーンを造ろうとするやる気を感じられないが、こっち(曹操)はやる気がある、と清岡。
 清岡曰く「程昱って参謀なんですかね? 列伝の最初しか読んでないので」と。それで下記のリンク先にある程昱のエピソードを語っていた。

・それぞれの道へ(孫氏からみた三国志22)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w031202.html

 あと清岡からは曹操の鎧が唐代ので、劉備ら三兄弟が兵馬俑をイメージしていると申し上げていた。
 その前後で劉備たちの方、向かって右に移っていた。なぜかみな、関羽が乗る赤兎馬をいじり始める。鬣(たてがみ)が真っ赤なんで、パンクな赤兎馬とか、それを受けて清岡は「ちょっとやっちゃった系。高校デビュー的な?」とかのたまっていた。
 ちょうどとなりの劉備の馬の顔がかっこいい、とあんちょさん。知的な感じ、頭がよさそう、と。清岡もそれに釣られて、「というより素材が違う。フェルト?」と申し上げる。 手綱について、うさこさんが話を振ってそこから話を膨らませたり。
 ちなみに諸葛亮は七星壇を想定してか高いところに置かれてある。

 再び呉に戻ってくる。闞沢話。『三国志演義』でいつわりの書簡を曹操に持っていく流れだっけ。清岡曰く「この格好(鎧)で曹操に持っていったんですよね?」 あんちょさん曰く「そんなのバレますよ」
 あと清岡からはここに来るまで周瑜伝を少し読んできたことを申し上げてきた。

 あんちょさんが問うて曰く「顔の白さに意味があるんでしょうか?」と。すぐに清岡は「京劇から?」と申し上げるに、あからさまに役割が違うので、すぐに否定される。結局、知性を現すのではないかとその場の結論になった。

 今回のことも三国志ニュースに書くかどうかの話題で、最近、レポート系はかなり遅れているので、一年遅れになるかも、と申し上げていた。あといつもレシートの裏にメモを残していて、そしてよくなくすパターンとも申し上げていた。
 ここから近況や予定の話になったんだけど、うさこさんは2015年5月24日の満田剛先生の講座「世界史から見た日中外交史」に参加されるそうな。

※関連記事 世界史から見た日中外交史(2015年5月24日)

 あと同日、2015年5月24日開催の「交地ニハ絶ツコトナカレ 二十三」について。思わず「コーチ」と略してしまって、それだとあんちょさんと清岡には通じるものの、うさこさんには通じないと思い、説明いたしていた。さらにて『三国志大戦トレーディングカードゲーム』のイベント「覇業への道2015 全国決勝大会」も同日にあると申し上げていたっけ。

※関連記事
 交地ニハ絶ツコトナカレ 二十三(2015年5月24日東京流通センター(TRC))
 覇業への道2015 全国決勝大会(2015年5月24日)

 ここで出口に向かう三人。出口付近には訪問ノートがあって、最新の分に、あんちょさんが何やら書いていた。清岡も何を書いたか確認してないので、気になる方は現地で見てみよう。
 その間、うさこさんに向かって清岡は、入って真正面にある川本先生と諸葛亮人形との写真について、遠近法で川本先生と諸葛亮をワンフレームでおさめたという与太話をしていたっけ。直後に実際は合成だろう、とも。
 あと近くに『川本喜八郎人形ギャラリー瓦版』Vol.5があったんだけど、それについて、うさこさん曰く「夏侯惇の「侯」が違う」と指摘してあった。清岡は「それ、そんなに気に入ったんですか? 結構、やりがちな間違いですね」と応じる。
 ここであんちょさんが書き終えたので、清岡は「(ノートに)知り合いとかいました?」と聞くと、あんちょさんは「いません」と答えていた

<続く>

※追記 ノート:四川棒遣い人形展(2015年10月17日)

※追記 メモ1:三国志フェス2015 水魚の交わり(2015年1月30日)

※追記 メモ:飯田市川本喜八郎人形美術館(2016年4月2日訪問)

※追記 川本プロダクション、川本喜八郎人形ギャラリー展示委託業務終了(2016年3月31日)

※追記 川本喜八郎人形ギャラリー新展示(2016年7月10日-)

※追記 メモ:三国志・君主と軍師・謀臣たち(川本喜八郎人形ギャラリー 2016年7月30日)

※新規関連記事 山手線西の思い出巡り(2017年1月21日)

※新規関連記事 三国志ニュース16周年(2020年10月22日)

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