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張飛の仮装(関口知宏の中国鉄道大紀行)


  • 2007年9月24日(月) 15:59 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,400
テレビ ただのメモ書き。

・関口知宏の中国鉄道大紀行 ~最長片道ルート36,000kmをゆく~
http://www.nhk.or.jp/tabi/

「関口知宏の中国鉄道大紀行」は中継も日めくり版も両方みているつもりなんだけど、今日、BS2で「春の旅・決定版」を見て初めて、重慶駅で途中下車した折りに立ち寄った磁器口にある牛肉店前で張飛の仮装をした人が呼び込みしていることに気付いた。
ちゃんと蛇矛持っているし、店の看板には「品蜀中佳肴張飛牛肉色鮮味…」とか書かれているんだけど、張飛の恰好をしている人があまりにもスマートだったんで、見落としたんだろう。カメラはその張飛の人の足下から上へ映しているんだけど、関口さんは「すごい恰好してるね」と声をかけるしか絡みがなかったってのもあるんだけど。


※追記 三国志「張飛」にも不況直撃!? 重慶の街で串焼き売る(中国情報局)

大三国志展(2008年5月3日-7月13日)関連情報


  • 2007年9月22日(土) 16:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,969
展覧会 初め「大三国志展」と聞いたとき一瞬、志茂田景樹/著『大三国志』の展覧会を想像したが、どうやら違うようで、同美術館の「栄光の大ナポレオン展」と同じく、「三国志展」に「大」をつけたタイトルのようだ。
既にいろんなブログで情報が上がっているようなので、この記事を見ずともトラックバックセンターの三国志ピープルで「大三国志展」に関する情報を見た方が早い気がするが、一応、こちらでも情報中継。

・三国志ピープル(トラックバックピープル)
http://tbp.jp/tbp_1243.html

この展覧会を主催の一つである東京富士美術館のサイトではすでに告知のページができている。そのページには今の段階で結構、情報量が多くて展覧会構成までできていて良い感じ。
それによると会期は2008年5月3日土曜日から7月13日日曜日を予定しており、開館時間は午前10時から午後5時まで(午後4時30分受付終了)。
北京オリンピック開催記念・東京富士美術館<新館>開館記念とのこと。

・東京富士美術館
http://www.fujibi.or.jp/
・大三国志展
http://www.fujibi.or.jp/exhibition/sangokushi.html

<関連記事>大三国志展ブログオープン(2007年11月7日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/731
・「大三国志展」の日程 via 「大三国志展ブログ」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/855

※追記(レポート) 大三国志展(物語でたどる三国志)

※追記 ワークショップ via 「大三国志展ブログ」

※追記 「大三国志展」の映像(CCTV.comより)

展覧会のタイトルは「大三国志展── 悠久の大地と人間のロマン ──」となっており英題が「Great Romance of the Three Kingdoms」となっているが、展覧会構成を見ると別に『三国演義』中心の展覧会というわけではないようだね。

※関連リンク(他のブログ情報)

・英傑群像(三国志エンタメ三国志情報&グッズ)
http://www.chugen.net/
・来年5月より全国美術館「大三国志展」開催(三国志ブログ英傑群像内記事)
http://sangokushi.chugen.net/485/

・三国志―正史と小説の狭間~満田剛のブログ
http://mitsuda.blogtribe.org/
・ご挨拶
http://mitsuda.blogtribe.org/entry-edcc961977816aa00e35fc24e039a4b2.html


※追記
「大三国志展」にはNHKプロモーションも関係しているんだね。

NHKプロモーション
http://www.nhk-p.co.jp/

※6/29追記
ということでNHK教育の番組『新日曜美術館』(2008年6月29日放送分)のアートシーンで「大三国志展」のことが少しだけ紹介してあった。
他の美術展と同じく、巡回のことも出ていた。

三国創作のための『夏小正』メモ


  • 2007年9月21日(金) 22:48 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,946
歴史  経書である戴聖/編『礼記』には孔子と弟子の問答など抽象的な話以外にも冠義(元服)や昏義(婚礼)で具体的に何を行うかの話も記載されている。『礼記』の成立が漢代であるため、それを受け継ぐ後漢や三国のことが書かれてあると考えても差し支えがないと個人的には思っている。そこで、そういった制度や慣習に関する具体的な記述をピックアップし、後でそれを頼りに読み直すことができるメモか何かを残しておけば、小説なり漫画なり三国志関連の創作をするのに役立つんじゃないかと思うようになる。
 実際、『礼記』を見てみると、清岡にとって馴染みない言葉が並んでいて理解が進まないため、通釈と語釈の入った書籍、明治書院の新釈漢文大系シリーズの『礼記』(竹内照夫/著)を図書館から借りてくることに。いざ図書館の本棚に立つと、戴徳/撰『大戴礼記』(栗原圭介/著)も気になり借りていく。
 まず『大戴礼記』を見ていくと「夏小正 第四十七」というところに目が行く。「夏小正は、夏の時に作られ農耕を主とした暦である。」(79ページより)ということで、それぞれの月の具体的な自然のことが記されている。『大戴礼記』と『夏小正』との関係にあれこれ蘊蓄がありそうだけど、ここでは特に取りあげない(詳しくはこの本で)。
 そういうわけで、夏小正に一通り目を通し(傳はほぼ省く)、解らないところがあれば通釈と語釈に当たり括弧付けで記述したメモを下記に置いておく。このメモの使用方法として(と私しか使わないか)、例えば、七月の背景描写をしようとすれば、寒蝉(ひぐらし)が鳴く描写を入れたり、逆に背景描写のように従に使うのではなく、五月の話が欲しければ、梅を煮て梅干しを作ることを主にした創作に使うのもいいかもしれない。

大戴礼記

夏小正 第四十七

夏小正
正月
蟄を啓(ひら)く(隠れ住んでいた虫どもが冬眠を終え動き出す)
鴈(かり)北に郷(むかう)ふ(雁が北に向かい移動)
雉(山雉)震[口句](く)す(けたたましく鳴く)
魚陟(のぼ)りて冰(こおり)を負う(背負う)
農厥(のうそ)の耒(すき)を緯(い)す(農耕に用いる耒をたばねる)
初歳に耒を祭り、始めて暢(ちょう)を用いる
[口+有](いう、にわ、苑を垣で囲んだ所)に韭(にら)を見る有り
時に俊風(大風、南風)有り
寒日凍塗(どろどろの道)を[シ條](あら)ふ(冬の日に氷りついた路を水で洗い流す)
田鼠(もぐらもち、土竜)出づ(田鼠が地上に出て活動を始める。猫は田鼠捕らえては食う)
農均田に率(したが)ふ(農耕に従っている人々は田をくさぎることに従っている)
獺(かわうそ)魚を獻ず(献じて祭りをする)
鷹則ち鳩と為る(鷹は変じて鳩となる)
農雪澤に及ぶ(農夫は春の雪解けを待って、農耕に着手する)
初めに公田に服す(初めに公田の農耕に服する)
藝(うん、香草)を采る(これを寝廟に供えて先祖を祀る)
鞠([口蜀]という名の星)則ち見ゆ
初昏(夕暮れ時)に參中す(参という西方に輝く白虎に宿る星が中する)
斗柄(北斗七星の杓形の柄にあたる部分)縣かりて下に在り(北方の上空)
梅杏[木也]桃([木也]・桃は山桃の類)則ち華さく(華は木に花咲くをいう)。
縞(きぬ)に[糸是](あかぎぬ)あり
鶏桴(孚卵)粥(しゃく、養)す(鶏が卵を養う)

二月
往きて黍(もちきび)を[耒憂](いう)す([耒憂]を用いて土ならしし種子をまく)。襌(単衣)なり
初めて俊羔厥の母の粥を助く(俊羔(大きな羊の子)はその母羊を助け養う)
多くの女士を綏(やす)んず(仲春の吉辰(吉日)、嫁娶や加冠の儀礼には心の安まる思いでいる)
丁亥、萬用ひて學に入る(学(大学)の初めの教学は丁亥の日)
鮪(巨大なまぐろ)を祭る
菫(すみれではなく、あおい)を栄えしめ、繁(しろよもぎ)を采る。
昆(衆)として小蟲(小さな虫が集まって動く)。[虫(氏/一)](ありの卵。食用)を抵(お)す
來降して燕乃ち睇す(降りてきた燕を流し目で見る。同じ屋根の下)
[魚單](うなぎの一種)を剥ぐ(→鼓を作る)
鳴く倉庚(こうらいうぐいす)有り
榮芸(正月の采芸が花咲く)
時有[禾弟]を見て始めて収める(成長した[禾弟]を採取)

三月
参則ち伏す((三月)には参宿という星が隠れて見えない)
桑を攝る(桑の葉をもぎ取る、蚕を飼うのがにわかに忙しくなる様子)
委たる楊(やなぎ)あり(委委…のびのびと葉が茂って下に垂れているさま)
[羊韋](羊がむれあつまる、羊は暖かくなると群集まる)たる羊あり
[(士/冖/虫)殳](けら、すくもむし)は則ち鳴く
冰を頒かつ(氷を氷室より取り出す。凌人職が氷を分けて大夫に授ける)
識([艸/職]の仮借時、葉はほおずきに似て花は小さく白く中心は黄)を采る
妾子始めて蠶(かひこ)かふ(妾とその子は始めて蚕を飼う。妾は卑いが子は尊い)
宮事(家庭のこと、家事)を執養す(ここでは蚕を飼うこと)
麥實を祈る(麦が実ることを天に祈る、殻を包んでいる皮のままだと保存がきき貴ばれた、前年の秋に種を蒔き翌年の晩春には実る。麦は穀の始め)
越(ここ、時を表す)に小旱有り
田鼠化して[如/鳥](ふなしうずら)と為る
桐芭(桐の花)を[才弗]う(払として細かくやわらかでしっとりした潤いがあり空にぽっかり浮かぶ風情がある)
鳴く鳩あり

四月
昴(星の名、白虎の宿星)則ち見る。初昏(夕暮れ時)に南門(星の名)正す
鳴く札(せみ)
囿(園の名)に杏(あんず)を見る有り
鳴く[虫或](よく、いさごむし)あり
王[艸/刀/貝](王瓜)秀づ(孟夏の月に生ず)
荼(と、のげし、けしあざみ、君の敷物を作る材料。花は菊に似て味は苦い)を取る
秀づる幽([艸/要](ひめはぎ)という草の名、根は薬用)あり
越(ここ、時を表す)に大旱(大きなひでり)有り
陟る(おすうまに乗る)を執り(母馬から引き離し)駒(おすうまの二歳)を攻む(順うように教育する)

五月
參(伐星)則ち見る(日を距てること三十度、東方)
浮游(かげろう)殷(さか)んなること有り(朝に生まれ日暮れに死ぬ)
[夬鳥](ふくろう、百舌?)則ち鳴く
時に養日(最も長い日)有り
乃ち瓜あり(今年始めて瓜を食う喜び)
良蜩(五采を備えた蝉)鳴く
[匚+(日/女)](せみ)の興るや、五日にして翕まる(羽を合わせ活動ができる)、望にして乃ち伏す(十五日にして鳴き、十五日にして伏して亡くなる)
灌(群がり生ずる)たる藍蓼(前者が染料、後者が食料)を啓つ(長大になるので分植する)
鳩鷹と為る(鳩が化として鷹となる)
唐蜩(夏ぜみをいう)鳴く
初昏(夕暮れ時)に大火(心星(火星)が南方に)中す(このときに黍を種える)
梅を煮る(梅を煮て日に曝し乾[木尞](梅干し)にする)
蘭を蓄ふなり(香草にして薬用に供せられている)
菽(しゃく、豆類の総称)の糜(うすいかゆ)あり(菽を用いて糜を作る)
馬を頒かつ(夫婦の駒を分かつ)
將に諸(こ)れ則を間(閑)せんとす

六月
初昏(夕暮れ時)に、斗柄(北斗七星の杓形の柄にあたる部分)正に上に在り(南方の上空)
桃(やまもも)を煮る(桃を煮て乾桃として保存)
鷹始めて摯(し)す(鳥を殺す意)

七月
秀(ここでは花さく意味)づる[艸/(口口)/隹](おぎ)葦(あし、この材は席を織る)あり([艸/(口口)/隹]葦はあしの花の咲いた以後の名)
狸子(たぬきの幼子)肇(はじ)めて肆(と)ぐ(始めてほしいままにふるまう、小動物を狙っては追い回し捕殺する)
湟潦(土の低い所の水たまり。大雨であふれる雨水)苹(よもぎ)を生ず
爽(水辺に生ずる草)死す(臭気を発し枯死する)
苹(よもぎ)秀づ(繁茂して花を開いている)
漢(天の川)戸を案ず(家の正面(南)に南北の順い天の川が位している)
寒蝉(ひぐらし)鳴く
初昏(夕暮れ時)に織女正しく東郷す(織女の三星が正しく東に向いている)
時に霖雨(長雨、三日以上降る雨)有り
灌(あつ、聚の意)める荼(と)あり
斗柄(北斗七星の杓形の柄にあたる部分)懸かりて下に在り(北方の上空)、則ち旦(日が出る直前)なり。

八月
瓜を剥ぐ(上皮を剥ぎ取って、祭祀や賓客用に供するためひたしつけtけものにする。瓜を蓄える時期)
玄(赤みを帯びた黒色)校(もえぎ色のしぼりぞめの衣、未婚婦人の衣)なり
棗を剥ぐ(祭祀や賓客に供する豆実とする)
栗零(お)つる(栗の熟し収穫する時期。零つるは栗のいがが自然に割れ落ちる意)
丹鳥(蛍)白鳥(蚊)を羞(すす、食べる意)む(蛍が蚊を食べる)
辰(房星)は則ち伏す(地上から見えなくなる)
鹿人のごとく從う(つき随って行動する、群に随って行動する)
[如/鳥](ふなしうずら)鼠と為る
參(伐星)中すれば則ち旦(明け方)なり(參は昏に東に見える)(※語釈より。「中する」を否定している説が多い)

九月
火(大火、火星のこと)を内(い)る(伏して見えなくなること)
[しんにょうに帯](わた)る(北より南へ空を渡り行く)鴻鴈(おおいなるかり)あり
主夫(火を司る夫、古代の火の出納の重要な職)火を出だす
陟(のぼ)る(去り行く意)玄鳥(元鳥、燕)ありて蟄(かく)る(冬眠に備え静かな所に隠れる)
熊(くま)、羆(ひぐま)、[けものへんに百](驢馬の一種)、狢(むしな)、[鯱の魚が鼠](いたち)、鼬(いたち)、則ち穴にす(あなごもりし冬季には冬眠する)
榮(花を開いている)鞠あり
王始めて裘(かわごろも)きる
辰(房星)日に繋(か)かる
雀海に入りて蛤と為る

十月
犲(やまいぬ)獣を祭る(性が猛悪で羊や豚を斗耐えては祭ることを生き甲斐を示す)
初昏(夕暮れ時→朝旦の間違い)に南門(南北の二つの大星)に見る
黒鳥(からす)浴す(さながら羽毛を洗浴でもしているかのように高く飛び上がり低く下がり、鳥の待っているのが見える)
時に養夜(夜が長い)有り
玄雉(きじ)淮(淮水)に入りて蜃(大蛤)と為る
織女正しく北郷す(北に向かう)。則ち旦(夜明け方)なり

十有一月
王狩りす(冬期の一時を武にあてる)
筋(弓)革(鎧、共に古代の兵器の代表)を陳(つら)ぬ(使用に耐えられると王に報告する儀礼)
嗇人(身分の低い官)從はず(狩りには行かない)
麋(鹿の一種)角に隕(お)とす

十有二月
鳴く弋(よく、いぐるみ)あり(いぐるみに自由を縛られて鳴いている禽(とり)がいる)
玄駒(おおあり)賁(はし)る
卵蒜(大蒜(にんにく)、小蒜のこと)を納る(君に献上する)
虞人(山林沼沢を掌る役人)梁(水をせき止めて魚を捕るところ)に入る(漁をする)
麋(鹿の一種)角を隕(お)とす(※十一月に同文)

第7回三顧会午後2


  • 2007年9月20日(木) 12:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,669
場所 15時40分<前回>第7回三顧会午後1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/696

○参加型イベント「孔明灯をつくろう」

 14時スタート。
 特別企画展示場の茣蓙の上には長机が用意されていて、四人一組になれと指示。清岡が右奥に行って、他の人を集める。
 清岡、玄鳳さん、USHISUKEさん、十一月兎亭さんの四人。

 まず四人一組で一つの孔明灯をつくるとのこと。
 ここで司会のノッチさんと英傑群像岡本さん、それから谷館長による孔明灯の説明。熱気球の原理と同じで、袋にロウソクなり綿なりを固定し、それを燃やし、熱しられた空気により、袋が火ごと浮遊し、それが空飛ぶ灯籠みたいになるって仕組み。
 火が飛んでいくと危ないので今回は熱気で飛ばすとのこと。飛ばすと熱でビニルが溶けて変形したり煤で黒っぽくなるので、作った孔明灯を綺麗に残したい人は飛ばさずに置いておけば良いとのことで、飛ばすか飛ばさないかは組それぞれで決めて良いらしい。
 スタッフが予めつくると成功率は三割ぐらいだったとのこと。

 材料は半透明のビニル袋と竹の棒。まず半透明のビニルに何か絵なり文字なりをつくる時間帯となる。

 ここで何書くかアイディアにつまり四人とも考え込んでいた。これが一人の手によるものだと、責任は自分なんで思い付くまま作れば良いんだけど、四人の手だと良いアイディアにしようと思い付かず。ビニル袋に小さく思いつきを書いて貰うも今ひとつ。
 そこに十一月兎亭さんが横山三国志の絵を入れれば良いんじゃないかってアイディアが出ていたので、清岡はすぐに孔明灯だけに「孔明の罠」と口にする。いやピーターラビットの手提げカバン以来、清岡の周りでほのかなブームだったもので(笑) 文字としては「孔明の罠」と決まり、絵としては横山三国志だけど、どれ使おうって話になった。
 何か参照になる横光の絵をUSHISUKEさんが三国志城の三国志ファン文庫から探してくる。待たされた面々は「そのままマンガに熱中し帰ってこなかったりして」とか冗談を言っていた。
 そこには横山光輝三国志のマンガがあって、案外早く三冊とってくる。でもUSHISUKEさん曰く「こっちで読もうかと思って」と(笑)。それで皆で「孔明の罠」的絵を探すことに。と言っても案の定、みんな読み込んでしまう(汗)。玄鳳さんも言ってたんだけど、意外と横山光輝の漫画で「孔明の罠」というフレーズが出てこないという理由もあるんだけどね。十一月兎亭さん曰く「やっぱり司馬懿のイラスト」とのこと。
 そういやこの間、ラジオの取材が入っていて、レコーダーとマイクを持った人がいろんな人にインタビューしていた。
 結局、十一月兎亭さんの案で58巻の表紙の司馬懿の絵が採用される。見事に「げげっ」絵。で、誰が絵を描くかって話になって、前回の三顧会での「三国志武将をつくろう!」で横光絵の張松の絵を見事かききった玄鳳さんにお願いすることとなる。思い切って大きく描いたのでインパクト大。玄鳳さんの巧い模写の時点ですでに大うけ。清岡曰く「次回は紙芝居講習会で(笑)」
 その次にUSHISUKEさんに字を入れて貰う。文字は玄鳳さんの案で「待て/孔明の罠だ!!」で。うーんインパクトある字だ(笑) ちなみに字を書いている最中、

「『わな』ってどういう漢字でした?」
「『四』に『非ず』って字ぃちゃいましたっけ?」
「それ『罪』(つみ)ですよ(笑)」
「『孔明の罪』(笑)」

というアホ会話も在ったのは秘密(笑)
 ここで会場に向けて見せてみると大うけだった。

 次の作業として竹の棒を輪にし袋の入り口につけ、セロハンテープで固定、さらに入り口に針金を十字につけ(綿の固定場所)、完成。

 15時。皆の孔明灯を飛ばすためにテラスの奥へ移動。
 今日は風が強いようで四方を壁で囲まれた場所といっても、風が舞い込んでくる。そのためか火は安定せず、熱気が孔明灯の中に溜まっても安定して上へ上昇しない。
 我々のグループの孔明灯とばしはトリを飾る。飛んでいってしまうのも、失敗しビニルが燃えてもおいしいなぁ、とグループ内で言いつつ。しかし、他の孔明灯と同じくちょっと浮くだけで、「飛ぶ」までは行かなかった。

 とりあえず使用後の孔明灯の写真を右上にアップしておこう(ここまで黒ずんだら元の絵がわからないだろうから)。

○三顧会 閉会式

 16時頃、閉会式が行われ、谷館長の挨拶でしめられ(孔明灯は袋の角を丸くして浮力を上へ上へともっていくとか細かいテクニックの話とか)、満場拍手。
 英傑群像の岡本さんから孔明灯については対応策を考えて後日、飛ばしてみたいとのこと。

 この直後、三国志トランプ大会が行われる。
 清岡は疲れて(なんせ4時起床なので)、食堂でくつろいでいたら、後から十一月兎亭さんがやって来て、優勝した旨を告げる。また買ったなんて素晴らしい!

 ここでUSHISUKEさんとはお別れ。次、会うのは三国志プロジェクトぐらい後(来年2月?)かもしれないと言ったら、また関東で忘年会開きましょう、なんて話をしていた。清岡は青春18きっぷ期間の12月10日以降で会場は赤坂 魯粛を希望していた。

 この後、三国志城で夕食を頂き、泊まり場所となる特別企画展示場へ赴く。
 清岡も玄鳳さんも13日の続きを話そう、なんて息巻いていたが、さすがに玄鳳さんはムーンライト二連泊だったのですぐ御入眠(次の日、「三国志講習会でよっぽど神経をつかっていたとか」と清岡が茶化したら、一秒以下で否定・笑)。割り切って、清岡はノートPCで個人作業していたら、すっかり他に泊まっているお三方(コスプレ大会エントリー10から12の方々)と話す機会を逸してしまう。24時ぐらいに消灯。

 翌日はやっぱり6時ぐらいと早くに目覚めてしまう。
 朝食を頂いて、谷館長にお別れの挨拶をする。玄鳳さんは今回講師だったということでお土産をもらっており、玄鳳さんを紹介したということで清岡もお土産(三国志城煎餅)を頂く。これ、美味しいんだよな。
 須賀社のバス停8時59分発のバスに乗れるよう急ぎ三国志城を後にする。途中、車に乗った傅僉さんと会い、ご厚意で駅まで送っていただくことになる。
 玄鳳さんは下関方面に行くとのことで9時20分に岩田駅で別れた。

<次回>第8、9回三顧会(2008年3月23日、8月16日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/758

※追記 サイト「同人用語の基礎知識」で三国志関連

第7回三顧会午後1


  • 2007年9月19日(水) 23:50 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,015
場所 12時30分<前回>第7回三顧会午前(2007年8月14日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/695

 三国志城を順路通りに見ていくと最終的に食堂に出る。そのままアナウンス通り、特別企画展示場に戻ると、舞台設定がなされていて、入って右奥にスクリーンが用意されていて(右の写真)、右奥の壁の前に長机と座布団が用意されていてそこに講師が座るようになっている。机の上にはノートPCが用意されているがそれは持ち込まれた原稿用で、実際には左手のノートPCでノッチさんが操作し発表資料を順にスクリーンへ映し出す。

○三国志講習会

 英傑群像岡本さんの開始のアナウンス。
 すでにスクリーンには今回のタイトルとなる「ひとくち三国志会話」と出ていた。

 まず「NPO三国志フォーラムというところに所属してます」と講師の玄鳳さんが自己紹介し、三国志城に来るのは五回目(三顧会は二回目)という話をしていた。
 三顧会といった場ではいろんな三国志ファンが集まるんで中にはコアな話題も出たりするが、日常生活では三国志の話はなかなかできないのではないか、という出だしから入る(但し、近くに三国志好きの友達がいるとか、近くの友達を三国志好きにしてしまったとかは別として)。今回は三国志に詳しくない人とでも日常会話で三国志の話題ができるんじゃないか、というテーマでの話とのこと。
 まず玄鳳さんの三国志ファン歴。小学校ころの三国志好きの友人が玄鳳さんに向けて毎日三国志話をし、中学校のときに吉川三国志を読んで、ちょくちょくゲームをし、大学では三国志研究会に入った。現在はフラッシュやPHPなどをつかった三国志関連のコンテンツをつくれないかな、と模索中。好きな人物は龐統、賈詡、郭嘉、と知将が好きとのこと。最近は張松、管輅に注目。あと自サイトの紹介(下記)。

・三国志の話でもしようか
http://genhou394.blog79.fc2.com/

※追記 勝手に「三国志検定」おべんきょう会in東京(2009年6月20日)

 今回のテーマはこのサイトと同じコンセプトとのこと。

玄鳳さん「実際、三国志に詳しくない人とでも日常会話で三国志の話題ができるのか、と思いますよね?」

玄鳳さん「そう思った人は正解です!」
(場内笑)

という感じで掴み、「中には三国志の話をして引かれてしまった人もこの中には居るんじゃないか」、と話を続ける。さらにこの例としてお笑い芸人の長井秀和さんのネタ「初めてのデートで三国志の話はするな!」(物まね込み)を引用し、さらに場内わく。

(※以下、このブログ記事の書き方を少々、解りやすい方へ変える)

 三国志ジャンルは『三国演義』という古典で昔から日本で親しまれていたという背景を持っているので、三国志に限らず歴史が好きって人(特に年輩の男性の方)は結構、多い。そういう人には結構、うける。そこらへんを糸口に三国志の話題ができるのではないか。また三国志に由来する言葉が日本へ輸入されておりそれも話の糸口に使える。
 具体的には普段から三国志ファンを自称しておけば、切欠があれば三国志ネタを振ってくれるのではないか、とか、饅頭は(『事物紀原』では)諸葛亮が発明したなど語れるのではないか、と結構、良いネタになるかもしれない。
 実際、日本へ輸入されている言葉として(※スクリーンに映し出される)、「三顧の礼」「泣いて馬謖を斬る」などはよく知られている。あと時代は下るが「白眼視」などもある(※ここでこの言葉の説明。下記リンク先参照)。

・泣いて馬謖を斬る (ブログ「三国志の話でもしようか」内。以下、同じ)
http://genhou394.blog79.fc2.com/blog-entry-19.html

・白眼視
http://genhou394.blog79.fc2.com/blog-entry-26.html

 後は「苦肉の計」、「破竹の勢い」(※講演ではこれを説明)、「髀肉の嘆」。

・苦肉の計
http://genhou394.blog79.fc2.com/blog-entry-37.html

 日常ではまずないが、「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」、「鶏肋」、「七歩詩」(※これを説明)

・死せる諸葛、生ける仲達を走らす
http://genhou394.blog79.fc2.com/blog-entry-46.html
・鶏肋
http://genhou394.blog79.fc2.com/blog-entry-57.html

 このように三国志に関係する話があるが、この中で孟宗竹という竹がある。ポピュラーな竹。これは三国時代の孟宗という人物に由来。

※ここで谷館長からのお話。三国志城の近くにも孟宗竹があるとのことで。あと「破竹」という竹の種類もあり、こちらは「破竹の勢い」の語源かと勘違いするほど、すごく蔓延るとのこと。

 孟宗は呉の國の人で親孝行ものとして知られている。母親が筍を食べたいということで、孟宗が探しに行ったが冬なので生えていない。それを嘆いていたら筍がみるみる生えてきたというエピソード。

 ここで一つのエピソードを紹介。
 三国時代なので現在とはまったく違った価値観のため現代人には納得できないエピソードが多々あるが、ここでは納得あるエピソードを紹介。華[音欠]のエピソード(詳しくは下記リンク先)。

・最後まで責任を持て
http://genhou394.blog79.fc2.com/blog-entry-56.html

 今の我々にも教訓になる話。その次が龐統の話(※『三国志』蜀書龐統伝の冒頭)。龐統は人を評価する時、実際より褒める傾向にあって、人からその理由を聞かれたときに龐統はどう答えたかというと、世の中というのは乱れていて道義が廃れ、善人が少なく悪人が多い。乱世で志を持って貰うには少々大げさに言わないと、いろんな困難が襲ってきて志が挫けてしまうので敢えて大げさに言う。それが過大評価だったろうとしても、評価が正しくなかったろうとしても例えば十人抜擢して、そのうち五人が使えなかったとしても半分が使えれば、それが世を正すということでは非常に有効ではないのか、と龐統は言った。今は乱世ともいえなくないので、褒めて伸ばそうとする龐統の考え方は現代にも通じるのではないか。

 三つ目が時事問題を三国志で知るという話。ブログを書くために歴史書を読んでいるが、その中で面白い話をみつけた。今年の初めの方のある事件と合致する話をみつけた。郤倹、甘始、左慈の三人の話(下記、リンク先)

・くれくれ大辞典
http://genhou394.blog79.fc2.com/blog-entry-38.html

 現代にも我々にも通じる話。なぜウソの番組が作られたか、というのは実は騙されやすい一般消費者に元凶があるのかな、と思っている。
 こういったように1800年も昔の人と実はあんまり変わっていないのかな、とそういったところから学ぶところが多いのかな、と感じるところ。

 三国志というのはマニアックな世界でもあるが、うまくこういったエピソードを知っておくと、たまに話を振られたときに三国志好き以外の人にも話ができるのではないかということで、今回、エピソードを紹介していった。但し、話をするときは空気を読みながら(※ここで笑いが起こる)、話をしていくと良い。


 というわけで1時25分講演終了。
 谷館長からのコメント。龐統の話には感心したとのこと。
 ここから質問コーナー。この講演以外の質問でも良いとのこと。

質問1 (※前回の「連弩で武将を倒そう!」で二位になったアムロ・レイさん
水木しげる先生が書いた『水木しげるの中国妖怪事典』を見ていると、中国のろくろっ首が出てきて、そこに呉の将軍の妻がその妖怪だと出ていたが何か知っているか?

回答
※ここで清岡がお節介にも『捜神記』に載っている旨を伝え、さらに傅僉さんが載っているとお墨付き。

・捜神記の日本語訳
http://cte.main.jp/newsch/article.php/225

 今、上記リンク先を見ると『搜神記』卷十二だね。朱桓の妻。

質問2
杜甫の詩は諸葛亮に関する詩が多く、中国ではかなりの三国志好きだと思うが、日本での一番の三国志好きは誰?

回答
ここで玄鳳さんは湖南文山の『通俗三国志』や杜甫の話に関連づけて土井晩翠の長編詩『星落秋風五丈原』の話をする。後で聞いたらやっぱり第3回三国志シンポジウムでの中林先生の受け売りとのこと(笑)

・第3回三国志シンポジウム 雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/665

質問3
『三国志』の「志」は「史」ではなく「志」である意味は?

回答
玄鳳さんは「紀伝体」の「志」を絡め説明しようとしていたが、うまく伝わってなかった。清岡は単純に「志」は「記録」という意味があるで済ませば良かったのかなぁなんて思っていた。

 1時30分終了。
 個人的には三顧会での講演では過去最高の面白さと内容の良さだなぁ、と思っていた。

 次の14時開始の企画まで休憩時間とのこと。
 その時間、まず玄鳳さんやUSHISUKEさんと講演の話をしていた。USHISUKEさんが帰省を利用して講演してくれないかな、とかも話していた。

 あと清岡はピーターラビットの手提げカバンにノートPCを入れて持っていたら、「かわいらしいカバン」と言われたんで、きっちり「諸葛亮の罠」のエピソードを伝える。

 それから玄鳳さんの元へ質問に来ていた人が居た。『コミック三国志マガジン』での「三国志名言譚」シリーズ(漫画→『三国志に聞け! 名言の誕生編』として文庫化)を持ってきて、そこで漫画化されなかった名言についての質問。
「危急存亡の秋」については玄鳳さんが答え、「画餅」については清岡が下記のリンク先を思い出しつつ答えていた。『三国志』魏書盧毓伝に載っているやつね。

・「絵に描いた餅」の元祖?
http://cte.main.jp/newsch/article.php/167

<次回>第7回三顧会午後2
http://cte.main.jp/newsch/article.php/697