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メモ:立正大学大崎キャンパスと大東文化大学板橋キャンパスの往復
※追記
株式会社汲古書院のサイトオープン(2009年1月30日)
上記記事にもあるように、汲古書院から頂いたチラシにある高村武幸/著『漢代の地方官吏と地域社会』(汲古叢書75)が気になって、今月の3日から借りて読んでいた。以前住んでいた近くの図書館は三週間借りれて延長一回だったけど、今住んでいるところの近くの図書館は二週間借りれて延長一回なので、じっくり読むことよりは早く一通り読み終えることを優先させた。
以前、「
三国志ファンのためのサポート掲示板」で話題に出ていた「
秦漢代地方官吏の『日記』について」も収録されていることもあって期待しつつページを手繰っていた(※ちなみに本書「後記」には各章の元となった既発表論考の一覧が示されている)。
資金に余裕があれば購入し手元に置いておきたい書籍だ。
と、このサイトが「三国志ニュース」なものだから『三国志』との関連性を書くと、『三国志』に記された時代、後漢末の官吏に係わる制度や習慣は、当たり前だけど漢代のそれを色濃く引き継いでいるということで。
下記に「部」や「章」の目次を引用してみる。
--引用開始---------------------------------------------------------
『漢代の地方官吏と地域社会』
総序
第一部 漢代官吏の資格について
序
第一章 漢代官吏任用における財産資格の再検討
第二章 漢代の材官・騎士の身分と官吏任用資格
第三章 漢代の官吏任用と文字の知識
終章 漢代官吏の資格からみた漢代社会の性質
第二部 漢代官吏の社会と生活
序
第一章 秦漢代地方官吏の「日記」について
第二章 漢代地方官吏の社会と生活
小結
第三部 秦漢時代の地方行政をめぐる諸問題
序
第一章 秦漢時代の都官
第二章 秦・漢初の郷──湖南里耶秦簡から──
第三章 秦漢時代の県丞
小結
第四部 前漢辺境地域社会の形成と特質
序
第一章 河西における漢と匈奴の攻防──前漢後半期から後漢初の史料分析を通じて──
第二章 前漢西北辺境と関東の戍卒──居延漢簡にみえる兵士出身地の検討を通じて──
第三章 前漢河西地域の社会──辺境防衛組織との関わりを中心に──
小結
結語
--引用終了---------------------------------------------------------
それで以下、個人的なメモ。以下は全然、読まなくても問題なし。
この書籍内のタイトルには冒頭に「●」をつけておく。
●第一部 漢代官吏の資格について
●第一章 漢代官吏任用における財産資格の再検討
漢代において官吏になるには財産資格を要することをよく目にするけど、その意義や具体例については知らなかった。(漢簡に見える、)小吏が衣冠や鞍付馬など職務に必要な物品(身分標識としても機能)を自弁で揃えることを始め、郎官や長吏のことも書かれている。実は財産資格の維持だけでも相当の出費が要るとかで。ここらへん、史書に含まれるフェイクを見極めるためのメスになりそうな予感。
ちなみに時代が後漢へと降るに従い学問が新たな官吏任用として機能するようになるという。
●第二章 漢代の材官・騎士の身分と官吏任用資格
伝世文献史料でも「材官騎士」という単語を見かけ、前々からどうもイメージがわかないな、と思っていた。「六郡良家士」における騎射技術の重視と関連させて、「騎士」の方は出身郡に偏りがあるという説明。従者の同行があるか等を検討し、半官半民的存在だったのではないか、と言う。
●第三章 漢代の官吏任用と文字の知識
ここらへん『
漢代都市機構の研究』にある結果的に小吏が世襲的になったという記述と関連性が高く興味深く読めた。世襲制の強い養成・任用を定めた秦律・漢律のある「史」のことや秦漢で一般庶民に文字知識が広がっている様など興味深い。
●第二部 漢代官吏の社会と生活
●第一章 秦漢代地方官吏の「日記」について
尹湾漢墓簡牘「元延二年日記」と周家台三〇号秦墓竹簡「秦始皇三十四年暦譜」の出土史料を元に秦漢代の地方官吏の出張等の生活を浮き彫りにする。興味深かったのが「舎」「家」「伝舎」等、語句の使い方。あと官吏の休暇(「告」)は周期的なものではなく年間日数のみの規定。出張における一日の移動距離は平均約30-40km。「行道吉凶」「刑徳行時」について清岡は理解できなかったが出発日や時間帯の特定に使えそうなので改めて調べたいね。P.182「伝には所属長官が旅行目的を記し、伝舎・従者が利用出来る旨記されていた」。『三国志』呉書孫破虜討逆伝で孫堅が長史の公仇稱を送るときに「祖道」をした記述があるんだけど、その「祖道」についても書かれている。
※追記。『【中国・本の情報館】Webユーザーのみなさまへ vol.81』(2011年12月2日発行)によると、12月中旬に『占いと中国古代の社会――発掘された古文献が語る』(東方選書42)2100円が発売予定で、それに「尹湾簡牘に残された地方官吏の日記から読み取れる出張と占卜、睡虎地秦簡「日書」などにみられる行旅と占卜の関わりを、具体的な資料を紹介しつつ明らかにする。」があるとのこと。
●第二章 漢代地方官吏の社会と生活
尹湾漢墓簡牘「贈銭名籍」には官吏が出張する際に多くの者らたちから銭が出されている様が見られる(現代語でいうところの餞別)。そういった習慣から官吏の交際への意志を読みとっている。
尹湾漢墓簡牘「名謁」について。当時、名刺の類は何と呼ばれていたか、また現在、どういう風に定義されているかでどうも清岡は把握しきれず混乱をきたしている程だ。ここでは一律、「名謁」としている。
朱然の名刺の様式や現在の名刺の様式と違い、受け取る側の官職や姓名字が書かれているあたり興味深い。名謁自体にも書かれているが、多くの場合は代理の吏を遣って名謁が渡される。
●第三部 秦漢時代の地方行政をめぐる諸問題
●第一章 秦漢時代の都官
「都官」と言うと聞き慣れないが、地方所在の「都官」に鉄官・塩官があると聞けば、イメージしやすい。元々の都官は少府と同じく帝室財政に関わり中央財政機構だったが、後漢に入ると地方郡国所属となった
●第二章 秦・漢初の郷──湖南里耶秦簡から──
郷嗇夫(郷主)の権限や郷の時代変遷。
●第三章 秦漢時代の県丞
県令・県丞・県尉の職務について。令や尉と違い丞はほとんど軍事関連に関与しないが、それ以外の部分で令・丞共同で責任を負うことが多い。居延・敦煌漢簡だと令と丞それぞれ単独で発信する文書の数にほとんど差は見られない。
●第四部 前漢辺境地域社会の形成と特質
●第一章 河西における漢と匈奴の攻防──前漢後半期から後漢初の史料分析を通じて──
漢と匈奴が史書で和平を結んでいる時期では居延漢簡でも戦闘の記録はなく、さらには史書と漢簡とでの戦闘の年代がよく反映されている部分がある。『漢書』で昭帝期以降、主に西域での戦闘が記録され、河西での戦闘の記録はなく、漢簡と矛盾するが、これが河西の戦闘が同時期の西域の戦闘より目立たず『漢書』の編纂段階で省略されたのだろうという。
●第二章 前漢西北辺境と関東の戍卒──居延漢簡にみえる兵士出身地の検討を通じて──
P.406「前漢西北辺戍者に関東出身者が多いのは、関中が関東を支配する、秦以来の前漢の構造を背景とした「関東の民が西北辺戍を担う」慣習ないし制度による。」
●第三章 前漢河西地域の社会──辺境防衛組織との関わりを中心に──
羌族の事例で、通常の郡県民の県・里単位とは別に「種」単位で把握されていた。
「辟」という居住地。徙民が郡県民として入植した場所と推測。
河西四郡はいわゆる「中家」層の経済力を徙民が比較的均一に持つよう特に配慮されたと考える。官民関係は良好。
※次記事
メモ:「党錮の「名士」再考」
※追記
リンク:「漢代における郡県の構造について」
※追記
リンク:「尹湾漢墓簡牘の基礎的研究」
※追記
中国古代家族史研究 秦律・漢律にみる家族形態と家族観(2012年2月)
※2011年11月18日追記。アクセスログを見ると今日に入って新潟大学と弘前大学から「高村武幸」と検索されたが何かあったんだろうか。※21日追記、次は朝日新聞から。何だろう? ※12月13日追記。次は日本学術振興会から。
※追記
メモ:コミックマーケット82 3日目(2012年8月12日)
※追記
メモ2:三国志フェス2013(2013年9月28日)
※追記
地下からの贈り物(2014年6月)
※追記
日本秦漢史研究 第14号(2014年11月29日)
※追記
秦漢簡牘史料研究(2015年10月27日)
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