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掲示板 件名 最新投稿

「石城の里 三国志城」設立10周年


  • 2008年9月13日(土) 00:07 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,061
場所  山口県光市で「石城の里 三国志城」という資料館が1998年9月13日に設立された。名前の通り、『三国志』や『三国演義』に関する資料を展示する施設であり、そればかりではなく「三国志クイズラリー」、「年忘れ餅つき大会」や「三顧会」など各種イベントも開催されている。
 というわけで今日で「石城の里 三国志城」は設立10周年を迎える。

・石城の里 三国志城
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

 途中、熊毛郡の旧大和町と旧光市が2004年10月4日に合併し、新しい光市になったため三国志城の住所も変わったぐらいで、この10年色あせることなく健在のようだ。
 余談だけど、三国志城近くの看板の類の中には「三国志館」となっているものもあって、「もしかして名前途中で変わったのかな? それとも単なる誤り?」とあれこれ想像してしまう。

 私自身は三国志城へ2004年8月15日に初めて訪れたので、その歴史の半分も知らないわけなんだけど、それでも過去、三国志ニュースで様々な記事として取り上げた。

○過去の三国志城参考記事
 中国新聞で三国志コラム
 三国志系サイトのオフ会を考えてみた
 三国志城食堂メニュー
 三国志資料室(山口県の三国志城)(※現三国志ファン文庫)
 三国志城の台風災害
 三国志城食堂メニュー再び
 『三國相承展(さんごくそうしょうてん)』 今秋開催
 2005年11月1日「三國相承展」三国志城展示開始
 2005年12月 『三国志城に「三顧会」なる会が出来て』(山口県博物館協会 会報第30号)
 メモ:コスプレと新聞記事
 メモ:三顧会の企画を分類
 「JR発足20周年・青春18きっぷ」特別価格8千円(2007.3.1-4.10)
 「石城の里 三国志城」最寄りのバス停
 光市営バス塩田線で三国志城へ
 中国新聞に三顧会の記事2007
 山口県三国志城に行くまで(2007年8月13日→14日)
 『21世紀エジソン』で三国志ネタ(2007年11月13日放送)
 光市営バス束荷線で三国志城へ
 朝日新聞に三国志城の記事(2008年6月2日)
 毎日新聞地方版に三国志城の記事(2008年7月5日)
 ワークショップ via 「大三国志展ブログ」

 もちろん三顧会関連の記事も書いている。

○過去の三顧会参考記事
 2004年8月15日 第1回三顧会 ※個人サイトの日記
 2005年5月4日 第2回三顧会
 2005年8月14日 第3回三顧会
 2006年5月4日 第4回三顧会
 2006年8月14日 第5回三顧会
 2007年5月4日 第6回三顧会
 2007年8月14日 第7回三顧会
 2008年3月23日 第8回三顧会
 2008年8月16日 第9回三顧会

※追記 第三回三国志祭(2009年8月22日23日)

※追記 三国志館プレオープン(2009年8月23日)

※追記 十大三国志ニュース2011 前編

メモ:漢中興士人皆冠葛巾


  • 2008年9月12日(金) 23:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,278
歴史  私の記憶で、袁紹か袁術かを例にして当時の身分の高い人でも物資の乏しさ故に冠を被れないってのがあったんだけど、何で見かけたのか、すぐに思い出す。下記。

 沈従文/編著、古田真一/訳『中国古代の服飾研究』(京都書院1995年)※原書1980年

・三国志ファンのためのサポート掲示板
http://cte.main.jp/
・やっぱり「中国古代の服飾研究」 (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」投稿)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=64

 この『中国古代の服飾研究』だけど、そういえば豊富な挿図に目が行き、ある程度、通して読んでなかったなと思い、この期に図書館から借り興味のあるところを一通り読んでみる。

※関連記事 前漢に鐙はあった?!

※追記 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)


 典拠があまり明示されていなかったり、語句が主に現在のもので当時の呼ばれ方が判りにくかったりするものの、あれこれ新たに発見することも多かった。綬を納めるためのものが「虎頭[般/革]嚢」と呼ばれ、その画像もあったりと(※ここでいう画像は畫像磚石・俑などの出土物の写真やスケッチのことね)。あと出土した武冠の漆紗部分の写真とか。進賢冠の梁は鉄製だとか(※出典不明。探せばありそう)

※関連記事 メモ:武冠のあみあみ

 それで読んでいくと記憶にある箇所を見つける。それを下記に引用。

P144
「このような状態であったので、将軍の身分であった者、例えば袁紹や崔鈞でさえも、ただ頭巾で頭を包むことができただけで、冠を戴くことは難しかったわけであり、ましてや他は推して知るべしであろう。」


 「このような状態」というのは天下の荒廃ぶりを示した文であるが、特に典拠が書かれていない。しかし、冠ってそんな物資が要るかな? 進賢冠の梁ぐらいのような。

※関連記事 メモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」

 ちなみに崔鈞といえば、下記のように袁紹と共に山東で反董卓のため兵を起こした人なので、上記のこともこれぐらいの時期の出来事を指しているのかな?

・『後漢書』崔[馬因]列傳

鈞少交結英豪、有名稱、為西河太守。獻帝初、鈞與袁紹倶起兵山東、董卓以是收烈付[眉β]獄、錮之、[金良]鐺鐵鎖。


 それで「崔鈞」をキーワードに典拠を探してみるとあっさり見つかる。『三国志』魏書武帝紀の注に引く『傅子』だ。似たような記述は『晋書』や『宋書』にも見られる。


・三国志』魏書武帝紀の注に引く『傅子』

漢末王公、多委王服、以幅巾為雅、是以袁紹・崔鈞之徒、雖為將帥、皆著[糸兼]巾。魏太祖以天下凶荒、資財乏匱、擬古皮弁、裁[糸兼]帛以為[巾合]、合于簡易隨時之義、以色別其貴賤、于今施行、可謂軍容、非國容也。

<清岡による訳>
漢末の王公は王服を多くまねて、幅巾をもって雅として、これにより袁紹・崔鈞の徒は將帥だといえども、皆、[糸兼]巾をつけた。魏太祖は天下の凶荒をもって、資財が乏しく尽き、古の皮弁をまね、[糸兼]帛(白いかとりぎぬ)を裁つことで[巾合]にし、簡易に随時の義において合わせ、色をもってその貴賎を分かち、今において施行し、軍容(軍の儀容)というべきで、国容(国の儀節)ではない。


 後半部分の魏太祖(曹操)はまさしく『中国古代の服飾研究』の言うとおりなんだけど、個人的には、前半部分だけだと、特に袁紹や崔鈞が資財に乏しいだけで[糸兼]巾を着けていたわけじゃなく、「冠を戴くことは難しかった」と言い切れないような気がする。

 『三国志集解』によると、上記「非國容也」の後に次のように書かれている。

博物志漢中興士人皆冠葛巾建安中魏武造白[巾合]於是遂廢惟二學書生猶
著也中華古今注軍[巾(匚+夾)]魏武所制以軍中服之輕便又作五色[巾(匚+夾)]以表方面也

<清岡による訳>※うまく訳せてない。
博物志に言う。
漢の中興の士人は皆、葛巾を冠し、建安中、魏武は白[巾合]を造り、このため、遂に(葛巾を)廃し、ただ二学書生は(葛巾を)著した。(※追記。二学は太学と国子学)
中華古今注に言う。
軍[巾(匚+夾)]は魏武の制するところであり、これにより軍中でこれを軽便(手軽)に服し、また五色の[巾(匚+夾)]を作ることにより方面を表した。


 これと合わせて考えると、袁紹や崔鈞の時期というより、建安中あたりから冠を戴くことは難しかったのかな? とは言っても袁紹や崔鈞の時期と建安中は重なる部分はあるだろうけど。

 あと「葛巾」と言えば諸葛亮を連想することをメモとして残しておこう。

・諸葛亮の羽扇について。 (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」投稿)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1452

宮城谷昌光/著『三国志』第七巻(2008年9月13日)


  • 2008年9月11日(木) 12:49 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,321
小説

・文藝春秋
http://www.bunshun.co.jp/

歴史書の陳寿撰『三国志』と同じ名前が付けられ、『文藝春秋』に連載中の歴史小説である宮城谷昌光/著『三国志』なんだけど、その七巻が2008年9月13日発売とのこと。1700円。
ちなみに作中の地の文で陳寿撰『三国志』が出てきたりすることもあるので、両者の区別に注意が必要。

上記サイト「文藝春秋」から以下に内容を引用する。

--引用開始---------------------------------------------------------
劉備、蜀を平定す
劉備は荊州四郡を押さえ、戦力は巨大化する。孫権、曹操と睨み合いながら、劉璋との戦いへ……。宮城谷版「三国志」怒濤の第7巻
--引用終了---------------------------------------------------------

スタートがスタートだけに、どこでエンドになるのか今から楽しみ。

あとまだ上記サイトでは情報がなく、未確認情報だけど、来月、文春文庫で発売されるようだね。
※追記。上記「文藝春秋」のサイトによると文春文庫の『三国志 第一巻』『三国志 第二巻』は2008年10月10日発売、各630円。

※関連記事 宮城谷昌光/著『三国志 第六巻』

※次巻 宮城谷昌光/著『三国志』第八巻(2009年9月16日)

※追記 三国志第三巻第四巻(2009年10月9日)
 

公開シンポジウム「東アジアの出土資料と交通論」(2008年10月11日12日)


  • 2008年9月 8日(月) 22:21 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,813
研究

・關尾史郎先生のブログ
http://sekio516.exblog.jp/
・2008年公開シンポジウム「東アジアの出土資料と交通論」
http://sekio516.exblog.jp/8583706/

上記ブログ記事から下記へ引用。
※但し他のソースを参照しつつ日付を一部訂正。

--引用開始---------------------------------------------------------
日 時:2008年10月11日(土),12日(日)
会 場:愛媛大学法文学部,8階大会議室
日 程:
 10月11日:公開講演(愛媛大学法文学部人文学会との共催)―午後3時~6時
  藤田勝久氏(愛媛大学)「中国古代の簡牘と記録簡―日本古代木簡との比較―」
  今津勝紀氏(岡山大学)「古代の荷札木簡について」
ミニシンポジウム
 10月12日:研究発表―午前の部(午前9時~12時)
  王子今氏(中国・中国人民大学)「中国古代交通システムの特徴―秦漢出土資料を中心として―」
  金秉駿氏(韓国・翰林大学校)「古代中国南方地区の水運」
  上野祥史氏(国立歴史民俗博物館)「漢代北方の地域社会と交通―県城遺跡と漢墓の技術から―」
10月12日:研究発表―午後の部(午後1時30分~5時)
  松原弘宣氏(愛媛大学)「古代交通研究の現状」
  佐藤 信氏(東京大学)「日本古代の交通と出土木簡」
  近江俊秀氏(橿原考古学研究所)「考古学よりみた古代道路研究」
  シンポジウム「古代交通と出土文字資料について」
  コメンテーター:角谷常子氏(奈良大学),谷口 満氏(東北学院大学)
入場無料・事前申し込み不要
主 催:愛媛大学「資料学」研究会,愛媛大学研究開発支援経費・特別推進研究プロジェクト,新潟大学超域研究機構プロジェクト,東北学院大学アジア流域文化研究所
共 催:愛媛大学法文学部人文学会 
--引用終了---------------------------------------------------------

・愛媛大学
http://www.ehime-u.ac.jp/

ここが「三国志ニュース」なもんだから、お見苦しいながらもいちいち関連性を説明しないといけないんだけど、シンポジウムの発表の取り扱う範囲に三国時代の前の漢代が含まれており、交通に関し共通することは多いのだろう。
というわけで、私が興味のあるのは12日午前中に集中している。
JRからの正式発表はまだだけど、例年であれば「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の利用期間なので、今年もあるのだったら、それを利用して行くのもいいかも。土曜日を往路に当てて、日曜日に午前の発表を聴講しおえたら、すぐに復路に着くという方法。私の住居から片道10時間程度。

<9/11追記>
というわけで下記のサイトによると、「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」は1枚3回分で9180円。利用期間は2008年10月4日-19日。

・JR西日本
http://www.westjr.co.jp/

<追記終了>

※関連記事
 国際学術シンポジウム「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開―魏晋南北朝史像の再構築に向けて―」(2008年9月14日)
 三国志学会 第三回大会

※追記 「東アジアの出土資料と交通論」ノート1(2008年10月12日)


※追記 資料学の方法を探る(2011年11月26日)  

第9回三顧会(2008年8月16日午後2)


  • 2008年9月 8日(月) 00:07 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,828
場所 ・石城の里 三国志城
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/


※前記事 第9回三顧会(2008年8月16日午後1)


●11時40分 映像試写 三国志祭り&映画レッドクリフ
 ※会場に貼っていたタイムテーブルより。

 14:30。
 スタッフの英傑群像岡本さんのアナウンスによると、休憩も兼ねて、スクリーンに「第2回 三国志祭」の映像を流すとのこと。BGMと共に清岡にとっては懐かしの映像が流れる。少し英傑群像岡本さんから解説が入る。

※関連記事 第2回三国志祭(三国志コレクション)

 清岡が映っていないかと探していたけど、映っていないようだ。

<9/9追記>
下記の「三国志祭オフィシャルサイト」でその映像が公開された模様。ファイルはwmv形式。

・三国志祭オフィシャルサイト
http://sangoku-maturi.com/
<追記終了>

 上映終了。

英傑群像岡本さん「私も入っていたんですけど、どこか映っているかな?と見ていると映っていなかったので、意図的に隠されたのかな、と思います」(場内笑)

 すかさずKOBE鉄人PROJECTの方から否定するツッコミが入る(笑)

 それから映画『レッドクリフ』関連の上映。
 まずよく見かける2分程度の予告編映像。
 続けて2分程度の映像が上映。ちゃんとは見比べてないけど台湾公式サイトで公開されているやつに字幕がついたような感じかな。


●14時30分 お遊びイベント『三国志ダーツ大会』
 ※会場に貼っていたタイムテーブルより。

 14:42。
 先ほど映像が流されている間にスタッフの方が準備されていたようで、演壇の右の壁にマトが設置されている。
 ダーツのマトは中国の地図。同じものが横に並べて二枚用意されている。魏蜀呉と分かれている。それぞれの都を中心に同心円上に得点分布がある。もちろん都に近いほど高得点。他にも主要都市には高得点が配されている。塞外は0点。
 英傑群像岡本さんによると魏、蜀、呉、後漢の4チームに分かれたチーム戦とのこと。ルールは自国以外の国にダーツを当てれば得点になるが、自国に誤って当てると逆にマイナス得点になるそうな。後漢はどこ当てても得点になるが、半分しか入らないというルール。想像力を刺激されるなかなか面白いルールだ。

 清岡はもちろん後漢のチームに入る。同じチームに「三国志の宴2」「三国志の宴3」に参加されていた(らしい)明加さんがいらっしゃったので、「お久しぶりです、義兄弟」と声を掛ける。一年越しの念願が叶って良かった(笑)。これも前から気になっていたことだけど、三顧会閉会後に、曹全碑(碑陽・碑陰共に)に「李儒」の姓名が見えることをお伝えできて良かった。

※追記 三国志フェス2010(2010年8月21日土曜日)

※追記 メモ:コミックマーケット82 3日目(2012年8月12日)

 それで話戻して、順繰りに順番が回っていく。清岡はダーツを投げるのは初めて。そのため重みで落ちる様になれず、結局、一回も当てることができなかった(汗)
 最後は一発勝負の得点五倍になる大将戦ならぬ皇帝戦(?)で他のチームがマイナスに当てたこともあって、後漢チームが優勝。商品として三国志城瓦煎餅を全員に配られる。これが美味しいんだよな。

※追記 第17回三顧会 午後(2012年8月14日)

※追記 メモ:曹豹さんを囲む会(仮)(2013年5月4日)


●15時30分 館長  閉会の挨拶
 ※会場に貼っていたタイムテーブルより。

 15:05
 傅僉さんの司会により終了の旨が告げられ、谷館長の閉会の挨拶がなされる。

 というわけで一応、解散。
 参加者のみなさん、それぞれおしゃべりをしていたり、ダーツをやったりとまだまだ盛り上がっている様子だった。
 清岡もいろんな方と話していた。ただ疲れがピークに来ていたので、頭の回転と口がおぼつかなかったが(笑)。
 清岡からは『クイズマジックアカデミー5』三国志検定の話や三国志検定の話をしていた。


 それから「BS熱中夜話」の制作会社の方が三顧会参加者に番組のアンケートを配ったり、三顧会参加者に対し個別に三顧会についてインタビューされていたりしていた。

 そして人がどんどん帰っていく時間帯。
 清岡は前々回、前回と同じくそのまま三国志城に泊まるので、見送る立場となる。今回は泊まり組は四名とのこと。

 かなり疲れが溜まっていたけど、三丘温泉(みつおおんせん)に連れていって貰ってさっぱりして回復。

●17時頃 三国志城クローズ
 ※会場に貼っていたタイムテーブルより。

 それで泊まり組が居るもんだから、毎度、いつクローズになったかわかんない(笑)

 夕食を頂いた後、泊まり組の三名と地元の三名が、ニンテンドーDSやPSPなどで『三国志大戦・天』や『モンスターハンター』をプレイし27時まで盛り上げっていた。清岡は疲れて熟睡していた。



※次記事 プチオフ会「諸葛亭へ一顧しよう!」1(2008年9月13日)