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大三国志展(物語でたどる三国志)


  • 2008年6月 7日(土) 20:56 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    12,802
展覧会 ※目次 三サポ板五周年記念オフ会

※前記事 立川中華街

・東京富士美術館
http://www.fujibi.or.jp/
・大三国志展
http://www.fujibi.or.jp/exhibition/sangokushi.html
・大三国志展ブログ
http://www.fujibi.or.jp/3594blog/

※関連記事
 大三国志展(2008年5月3日-7月13日)関連情報
 「大三国志展」の日程 via 「大三国志展ブログ」

※追記 ワークショップ via 「大三国志展ブログ」

※追記 「大三国志展」の映像(CCTV.comより)

※追記 収蔵品にみる三国志(2009年6月20日-7月20日)

※追記 時空をかける三国志(2012年10月18日-11月20日)

※余談。ログを見ていると「三国志展」で検索してくる人が多い。これだと、検索上、「大三国志展」と「安野光雅 繪本 三国志」展が混同するので、前者を検索しようとおもえばきっちり「大三国志展」と入力するのが良いだろう。逆にブログ等で情報発信する場合も「大三国志展」と記述した方が良いんだろうね。※追記。さらに「大三国志」で検索する人も多い。ここにきて志茂田景樹人気が高まったとは考えにくい。

※追記。「前売券」の検索があまりにも多いんで記述しておく。
http://www.fujibi.or.jp/topics/detail.php?id=257
電子チケットぴあ【Pコード688-125】と、ローソンチケット【Lコード33413】
 下でも書いたけど前売券はチラシの割引と同じ度合い。


 2008年6月1日12時前、立川中華街があるグランデュオ立川七階からエスカレータで皆で降りている途中、有り難いことにいささんから「大三国志展」のチラシを頂く。これには「大三国志展」では200円割引券がついている。前売券と同じぐらいの割引となる(※この記事を書いている今、気付いたんだけど、これには『レッドクリフ』の200円割引もついており、ずっとそれを「大三国志展」の割引だと思っていた・汗)

 立川駅から中央本線で西へ。八王子駅へ向かう。道中はやはり自然と「大三国志展」の話をしていた。關尾先生が行ったときのブログ記事とか満田先生のブログが何種類かあって「大三国志展」のブログもあるとかとか。

 一応、「大三国志展ブログ」でアクセス方法を予習していたんだけど、いささんの馴染みの土地だということで、いささん先行でその後を皆で着いていくことに。JR八王子駅を降り二階から北へ出てバス乗り場12番(東京富士美術館行き)へ行く。そうするといきなり行列に遭遇する。皆、同じバス乗り場だ。これは「大三国志展」は混雑しているぞ、と覚悟する。バス停で片道300円の乗車券を買う(買わずにバスの中で降りるときに支払うのでもOK)。
 長い行列ができるぐらいだから当然の如く車内では座れず、伊比さんに『BS熱中夜話』の話題を振ったり、いささんから昨日の「三国志の宴3」のことを聞かれたりしたものの、基本は東京富士美術館までの風景を眺めていた。橋を渡りトンネルを潜り丘を登りといった道程で坂道の途中、美術館前のバス停に着く。

 12時過ぎ。バスの乗客の大半は美術館に向かわずその奥の坂を上っていった。みんなスーツ姿なので、シンポジウムか何かあるのかと思い、それほど美術館は混んでいないのかもと安心する。それでも昨年、同じ時期に行った「馬の博物館」での「春期特別展 三国志をいろどる馬たち」よりはかなり混んでいるのだろうけど、って話を当時、同行した三口宗さんにしていた。
東京富士美術館の入り口「大三国志展」ポスター
 横断歩道を渡り、清岡はブログ写真をデジカメで何枚か撮っていた。そうすると伊比さんから「(清岡に)初めてお会いしたとき、ノートパソコンを歩きながら打っている姿が非常に印象的で…」と言われる。すみません、人目もはばからず、いろんな人から聞かれた終電時間を調べてました(笑)
 といわけで館内へ入る。左手がチケット売場になっていて展示場は入って正面のエスカレータで昇った二階にあるようだ。先ほどいささんから頂いた一枚で最高10名まで使える割引券を使ってチケットを購入し、とりあえず清岡は旅行中で荷物が多かったため一回右奥にあるロッカーへ荷物を預けに行った。
 エスカレータで二階へ上がると、分かれ道。左が前もって電車の中で話していた西洋美術のある常設展示で右が企画展示の「大三国志展」となる。紙の案内図を見ても会場を見ても順路が常設展示に行くようになっていたが、清岡の独断で企画展示への道を選ぶ(※ブログを見て回ると結構、この分岐点が話題に上っていた)。
 清岡は、先にシアター見ようと提案したものの、どうも展示の後で見た方が良いということになり、シアターは後回し。企画展示室入口には無料配布の作品リストの紙(A3両面印刷)が置かれている。そうそう一般的な展覧会にも言えることなんだけど、作品リストは後から思い出すのにとても有り難いんだよね。リストにある作品点数を見ると前半が128点、後半が96点になっていた。

 会場は想像していたより混雑してなく、西洋美術の展覧会(特に印象派関連)にありがちな、自由に見る早さを決められないベルトコンベア状態になることはなさそうだったので、安心する(※むしろ会場では一番じっくり見ていたので人の流れを堰き止めていた・汗)。
 まず入り口にある協力団体を見ていた。吉川英治記念館徳島城博物館、それにもちろん英傑群像三国志城博物館もあり。
 この展覧会の分け方として前半は「物語でたどる三国志」と銘打たれてエリア。入り口入るとまず右手にある明代の青銅製の関羽像(※No.18)が目に付く。作品リストで確認すると、出品No.1というわけではなく番号順に並んでいるのではないんだな、と知る。作品リストによると、どうやら「物語でたどる三国志」の小分類の「第1幕 桃園の誓い」エリアに入っているようだ。一般的な美術展だと時代別、技法別、地域別(流派別)など分け方があるけど、この「物語でたどる三国志」では作られた時代とは無関係に、作品の対象となる『三国演義』のストーリー順に並べているようだね。
 とは言っても入り口近くはどうやら掴みの部分らしく。一般の人に馴染みやすい展示が続いているように思えた。関羽像からそのまま右手の壁伝えに進みショーケースを見る。『絵本通俗三国志』(※No.105)が展示されていた。「江戸・天保7-12年(1836-1841)」と、具体的な年代が表示されているのは理解の助けになって有り難い。次が吉川英治記念館提供の『中外商業新報』(現『日本経済新聞』)の切り抜き(吉川三国志)。挿絵は矢野橋村。これは恐らく「春期特別展 三国志をいろどる馬たち」でみたのと同じだね。一年ぶり。四人で見て回っているものだから、自然と二人ずつに分かれやすく、その時、隣に居た伊比さんは当時の新聞の書き方に注目していた。清岡は矢野橋村の挿絵が『絵本通俗三国志』よりも『三国演義』の挿絵に近い描写になっていることに注目していた。
 一般的な展覧会でも展示についての解説文がそれぞれ着くことがあり、「大三国志展」でも多くのの展示に解説文が着いていた。『中外商業新報』の吉川三国志の解説文を見て驚いたことにちゃんと『三国志』→『三国演義』→吉川三国志の流れが書かれていた。清岡は「今までにないぐらいまともな解説文」と評していた。いささんにその場で聞かれたで清岡は答えたんだけど、反対に、今までによくあるまともでない解説の例として「中国の物語『三国志』を吉川英治が小説化した」というようなダメな文を即興で作り、口に出していた(※しかし、後で気付いたんだけど、「大三国志展」全体を見ると全部、まともな解説文というわけではなかったんだけど。後述)。
 次に目に付いたのが清末期-中華民国初期の戯劇三国人物泥人形「撃鼓罵曹」別名「群臣宴」(曹操・禰衡の土人形)(※No.102)。禰衡だなんて題材がマニアックだな、と言いつつ、そういう禰衡が出てくる劇があったのか、と感心する。そして清岡は「当時のグッズですよ。今の無双フィギュアと同じノリで劇のファンが買ったんですよ」とネタを口にしていた。三口宗さんが注目したのは皮影三国人物(「孔明・関羽・周倉・魯粛・孟獲・馬[しんにょうに貌]」)(※No.103)。作品名には六人も書かれているのに展示されているのは一つの平面的な人形、おまけに顔が描かれていない。これはもしや影絵上、コラージュのようにして使い回しするのかな、と言っていた。ふと気付いたんだけど、ここらへんの解説文はやはりちゃんとしていて「『三国志平話』から引用している」と書かれていたりちゃんとフォローされてあった。
 ようやく一つの壁伝えが終わり、その後向かいの壁のショーケースに行くと思いきや、四人は今回の展覧会に用意された布のオブジェを眺めていた。そこにプロジェクターで裏から様々な作品の関羽像が映し出されており、関羽の横にいるのは周倉じゃなくて張飛?なんて話をしていた。対面の壁に移る。とは言っても入り口近くまで戻ることとなる


■プロローグ 三国志の世界
※「物語でたどる三国志」の小分類タイトル。以下「■」が冒頭にあるのは同じ。

 まず『三国演義』の毛宗崗本(清・順治年間(1643-1661))(※No.1)が目に付く。挿絵のある本。毛宗崗本は現在、通行している『三国演義』なのでやはり入り口近くなのは掴みに相当する部分なんだろうな。混んでいてよく判らないが双方向なオブジェがあるようだね。関羽像を見ながら、いささんと関羽が神格化された話をしていた。


■第1幕 桃園の誓い

 壁の角を曲がると、清岡が足を止め食い付いたのが曹全碑(碑陽)の拓本(※No.3)。2005年10月に「中国 美の十字路展」で見て以来。この碑文に「李儒」(碑陰では字が文優)が出てくるやら、よく張角の乱(黄巾の乱)は八州で起こったとされるが中平二年(紀元185年)の時点では碑文にあるように幽冀[六/兄]豫荊楊の六州だったとか蘊蓄を語っていた。それもあってか他の客と違い、結構、長いこと拓本の前にて四人で語っていた。

※碑に関しての参考記事 2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」午前レポ

 曹全碑の拓本が後半の「出土品でたどる三国志」ではないのは変な感じと思いつつ、その右横からはばっちり「物語でたどる三国志」だった。
 やはり人が大勢居るもんだから、特に耳を傾けなくても自然と他人の会話が耳に入ることがある。先行するカップルの男性が貂蝉の話をしていて、「連環の計というより二虎競食の計が正しい」と得意げに語っていて、清岡は「いやそれは『三国演義』で「第八回:王司徒巧使連環計、董太師大鬧鳳儀亭」とタイトルになっているように連環計で合ってるし」と声に出さず心の中でツッコミを入れていた。ともかく耳に届く会話から判断し、清岡みたいなコア層はむしろ少数派で、ゲームやマンガで三国創作に触れたことは一度はあるといった一般の人々が多数、来場している印象があった。
 次に目に付いたのが三国志人物像─関羽図(清代)(※No.16)。半分に肖像画が描かれており、もう半分簡単な人物紹介が書かれてあって『君臣図像』に構成が似ているな、と思っていた。
 前述したように『三国演義』の場面ごとでおおまかにまとめられているため、肖像画やら絵画やら描かれた時代がバラバラ。例えばちょんまげの人物像が出てきて驚き、解説のプレートを見ると江戸時代に描かれたものだった、ということが結構あり、なかなか面白かった。
 あと気になったのが『人形劇三国志』の諸葛亮、劉備、関羽、張飛の人形(※No.118-121)が飯田市川本喜八郎人形美術館ではなく吉川英治記念館所蔵からのものというのが気になった。清岡は唐代っぽい曹操の鎧より、秦代っぽい劉備、関羽、張飛の鎧の方が好みだということを告げていた。
 展示物に添えられた解説文は相変わらずまともで、例えば「虎牢関は劉備、関羽、張飛が呂布と戦ったとされる場所」というふうに「される」とちゃんとなっているところを清岡は気に入っていた。他にも伊比さんが見かけたものだと「虚偽ではあるが」という断りの一文が入っている解説文など。三口宗さんは学芸員の授業をとってるそうで、こういう解説文は一人が全て書くのではなく複数人で書くものだそうな(※後への伏線)。
 このころになると、いささんが素朴な疑問をし三口宗さんが誠実に回答するという二人質疑応答状態になっていて、少し離れたところでところどころ耳に入り、なんだか微笑ましかった。

■第2幕 三顧の礼

 ここで解説文に異変が。解説文に「小説『三国志』」なる記述が見え始める。言ってみれば従来型の解説文(※ベタなツッコミで申し訳ないが、「『三国志』は歴史書であって小説ではない。それは『三国演義』の間違えではないか」ということ)。その後、解説文で「小説『三国志』」がこれでもかという勢いで出てくる。解説文の執筆者が変わってしまったんだろうね。
 ここで皆で注目したのが、明代の戴進の三顧茅廬図(※No.16)。国家一級文物。ちゃっかり諸葛亮が描かれているあたりが面白い。初め清岡は諸葛亮を曹操と言い間違え「火で炙ったら曹操が出てきたり」とアホなことを言っていた。
(※今、作品リストを見ると白鶴美術館所蔵の円山応挙筆「風雪三顧図襖絵」があったんだね。チェックをわすれている)
 いささんに伊比さんが関羽の赤ら顔について京劇のことを絡めて話していた。
 清岡と伊比さんとがウケていたのが、明・宣徳3年(1428)の武侯高臥図/明の宣徳帝を描いた諸葛亮(※No.38)。諸葛亮が太鼓腹を出して寝ている図。笑った後、清岡は「真面目に言うと、世俗から離れた諸葛亮を表現したかったんでしょうね」とフォローを入れていた。
 それと素人目によくわからない判子がいっぱい押してある清代の帝王名臣像冊(※No.39)。清岡は三口宗さんに向けて、有鄰館で山科さんから聞いた話をしていた。
 現代の「長板坡の戦い」(※No.45)。デジャブ感に襲われたんだけど、解説に「三国志城博物館」とあって納得。行ったことのある伊比さんに向けて「どこかで見たことあるっておもったんですよ」なんて言っていた。

■第3幕 赤壁の戦い

 船の模型があって、三口宗さんが何の文献を元にして作ったのか疑問を呈していて、清岡は歴史に忠実にしたのではなく、近くに展示されている絵画を元にしたのでは?と答えた。
 その後、四人で三国の勢力図を示した地図を囲む。その地図では魏が赤、呉が緑、蜀が青と表現されていた。それを見ていささんがゲームによって色が違って本来は何?って疑問を呈されていたので、サポ板の書き込み(下記URL)を思い出し、清岡は「五行だと蜀漢が赤でそれ以外は黄色ですね。ゲームでは光の三原色に強引に当てはめているんじゃないですか」と答えた。

・国の色
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2702

 そういや「大三国志展」の地図の色って、コーエーともセガとも違う配色だね。

<追記>
 ふと思い出したんだけど下記のリンク先のブログ記事(公式)のように「大三国志展」ではイメージカラーが決まっている。そこでは上記の地図の色とは少し違って魏が赤、呉が黄、蜀が青。

・大三国志展イメージキャラクター発表
http://www.fujibi.or.jp/3594blog/03/2008/04/post_12.html
<追記終了>

 次に清岡が目に付いたのが清代の多色刷り木版画「銅雀台/曹操の武将が銅雀台で弓比べする場面」(※No.48)。李典とか楽進とかがカンフーキッズにしか見えない(笑) デザインが京劇っぽいね。
 それから実際の古戦場を武赤壁と呼び蘇軾が詩を読んだところを文赤壁と呼ぶあたりが興味深かった。

■第4幕 星落秋風五丈原

 ここでの清岡のお気に入りは清代の「水滝七軍」(※No.78)。周倉と[广龍]徳が古いマンガな描写で水の中で戯れているように見えてしまう。(水の中にいる二人)周倉「こいつー」[广龍]徳「やめてよー」 (船の上にいる関羽たち)「二人とも仲が良いですな~」
 それと、いささんが指摘していたが清代の描写では周倉は庇の大きな帽子を被っているんだけど(横山三国志でもお馴染み)、明代の描写ではそういった帽子を被っておらず兜のようなものを付けている。時代変遷を感じる面白い指摘だね。
 伊比さんが見ていたのは明・崇禎年間(1627-1644)の「黄忠箭射紅纓」(※No.73)。関羽の兜のところに矢が刺さっており、清岡は「矢ガモならぬ矢関羽」と呼んでいた。
 「指揮車[復元品]」(三国志城博物館)(※No.97)を見てやはり伊比さんに向けて「懐かしの四輪車ですよ」なんて言っていた。
 ちなみに解説文はここまで来ると「小説『三国志』のフィクション」なんて言い回しも飛び出していた。清岡は「『三国演義』と言いたくないのかもしれない」と一人呟いていた。
 そしてやっぱり「秋風五丈原」ジオラマ模型(三国志城博物館)(※No.94)を見て「懐かしのジオラマですよ」とお約束のように伊比さんに言ったら、忘れていたようで「これも三国志城!」と驚いた様子を見せていた。思わぬ好反応(笑)
 それと気になったのが明・嘉靖年間(1521-1566)の「紅緑彩人物文温碗/諸葛碗と呼ばれる二重底の碗」(※No.98)。そこに書いてある由来エピソードに「五丈原の対陣で司馬懿が孔明の日常の様子を尋ね、孔明の健康状態を探った。そこで孔明は二重底の碗で食事をし、碗一杯の食事がとれることを擬装した…」となっていた。出典が気になるところ(笑)

 次に向かう先は何だか暗い部屋。何か聞き慣れぬ歌が聞こえてくる。入って左に人が群がっている。何の歌だと思ったら土井晩翠(詩人)の長編詩「星落秋風五丈原」を歌ったものらしい。そして人が群がっている先にどうやら、衛星「だいち」撮影写真による地形模型「五丈原」(※No.95)があるようだ。

※長編詩についての参照記事 第3回三国志シンポジウム 雑感1

 地形模型の向かい側の壁にベンチがあるんだけど人が多くて座れそうにないので先を行くことになる。


※次記事 大三国志展(出土品でたどる三国志)

※追記 メモ:第18回三顧会 前夜祭(2013年5月3日)

※新規関連記事 メモ:人形衣裳をつくる―三国志・平家物語―(2016年10月8日)

※新規関連記事 三国志 諸葛孔明の星~秋風五丈原~(大牟田文化会館プラネタリウム2016年9月8日-11月27日)

※新規関連記事 三國志研究第十三号(2018年9月15日)

※新規関連記事 図録 三国志(2019年6月19日)

※新規関連記事 東京富士美術館『大三国志展』の思い出(中国史史料研究会会報第3号2019年11月1日)

※新規関連記事 メモ:三国志大文化祭2021(2021年9月5日)

※新規関連記事 メモ:第29回人形劇三国志 鑑賞オフ友の会(2023年5月20日)

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