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美術鑑賞メモ「メトロポリタン美術館展」
021117
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展覧会名:ニューヨーク   メトロポリタン美術館展   ピカソとエコール・ド・パリ
開催場所:京都市美術館
開催期間:2002年9月14日〜11月24日
鑑賞日:11月17日


   はい、前回、ハシゴしようとしていた、もう一つの展覧会にようやく行くことができました。つまり、平安神宮の大鳥居(>>参考写真)に向かって右側の京都市美術館の展覧会です。
   実はこの日、私の頭の中には「メトロポリタン」という言葉しか頭にインプットされておらず、その他の展覧会の情報が入っていませんでした……あ、これが後の伏線となります(笑)

   さて、○○美術館展ってのは、過去にオルセー美術館展神戸市立博物館)、オランジェリー美術館展京都国立近代美術館)ってのが印象に残ってます。何で、印象に残っているかというと、人で混みまくっていたからです。もう、ベルトコンベアに乗せられて、ただ美術品を点検するような心地でした。良いと思った絵をじっくり見たり、点描を近くからと遠くからと見比べたりするようなことはできません。
   それでなるべく人混みを避けるため、開館近くに美術館に着くように出かけました。

   京都市美術館の特徴は、たまに美術館の前にブースが建てられ、そこで当日券がうられることです。私はブースが立つときは大きな企画展だと勝手に考えてます(笑)。
   今回、そのブースが建っていました。上の写真を見てもらうとわかるんですが、思いっきりブースに「メトロポリタン」の文字が踊っています。
   「混んでないかな」ってやや緊張しながら、チケットを買って、館内へと足を踏み入れました。
   そしたら、予想通りの混みようで、その時点で「自由に見れない」と覚悟を決めました。

   入ってすぐはどこの美術展でも定番の「あいさつ」です。パネルに「あいさつ」と名付けられた文章が展示されてます。そこで私は初めて気付いたのですが、「メトロポリタン美術館」ってニューヨークにあるんですね。てっきり、フランスあたりかと思ってました(無知)。

   それとこの展覧会で嬉しいのが、入り口で作品名一覧の書いたチラシをもらえることです。これがあれば、展覧会全体の状況を見渡せますし、後日、どんな作品があったか確認できますし。

   で、この展覧会は、どうやらメトロポリタン美術館のいくつかの作品を年代順に紹介しているようでした。はじめは「19世紀から20世紀」とタイトルが付けられたゾーンです。目に付いたのがオディロン・ルドンの「アポロンの馬車」です。空に馬車が浮いている不思議な絵です。「あれ?   どこかで見たことあるな」って思って、さきほどのチラシをみたら、「日本初公開」とのことでした。おそらく、この画家、同じ主題で何枚か描いているのでしょうかね。
   で、次のゾーン「フォーヴの画家たち」をこえて、その次のゾーン「キュビスムの画家たち」になります。キュビスムというと、パブロ・ピカソの絵に代表されるように、物質のいろんな角度からの見え方を一度に描く技法ですけど(かなり簡略化した説明)、私はどうも動きのない絵ばかりでつまらない印象をキュビスムにもっていいました。ところが今回、その印象を拭う絵に出会いました。それはジーノ・セヴェリーエの「踊り子・飛行機のプロペラ・海」です。直線と曲線、寒色と暖色、それぞれのグラデーション、たくみな構造と配色の絵です。まさに「踊り子」のような躍動感があって気に入りました。ちなみに後の飛行機のプロペラや海は私には感じられませんでした。というか、これって絵を描いてから、どう見えたかで題名をつけたのでしょうか?(笑)   ちなみにこれも日本初公開だそうです。
   このあたりから、さっきまでの人混みが嘘のようになくなりました。混雑していたのは入り口付近だけだったようです。

   次のゾーンは「伝統と変革」です。この中ではマルク・シャガールの「恋人たち」とアメデオ・モディリアーニの「横たわる裸婦」が気に入りました。シャガールは恋人同士が抱擁し接吻する姿を幻想的な色彩で描いています。ほんと、二人が溶け合っているような、甘い感じです。私が抱く、モディリアーニの絵の印象は、失礼な話ですが、人物画の「鼻筋の直線」です。ところが今回の絵は裸婦の体の曲面がとても綺麗だという印象を抱きました。

   次のゾーンの「1920年代」に移ります。チラシを見ると、このゾーンの作品数が一番、多いようです。この中ではパブロ・ピカソの「眠る女」、ジュール・パスキンの「子猫を抱く少女」が気に入りました。あと、ゾーンのはじめには「1920年代」といったタイトルの他に説明文がありまして、そこにはこのゾーンは少し古典的技法へ原点回帰した、とありました(うろ覚えですが・汗)。なので、パブロ・ピカソの「眠る女」が、キュビスム的な絵ではなく、白を基調とした人物画であることがとても印象的でした。対象は題名の通りで、そのポーズや視線、表情などから、私はとりとめのないいろんなことを連想していました。単純な人物画なのですが、いろいろな情感を見る者に与えるという意味で、奥が深い絵画ということでしょうか。
   私の中でピカソというと、晩年に撮影された映画のイメージが強烈すぎます。その映画で、髪の毛のない老人が上半身裸で何やら奇妙な絵を描いている映像が流れていました。その老人というのが晩年のピカソです。だから、正直、心の中で「あの爺さん、こんな絵も描くのか」と失礼な感心の仕方をしていました。

   ここで、「そういえば、今回、どのゾーンにも結構、ピカソの絵がある」とか気付いて、何気なくチラシを見てみると、展覧会の副題が「ピカソとエコール・ド・パリ」とあるのに気付きました。今まで、妙にピカソの絵が要所要所にあるな、と思っていたんですが、そう言うことだったんですね(汗)

   次が「1930年代」です。
   ここではがらりと変わって、描像のはっきりした絵が多いです。気になったのがバルテュスという画家です。「夏」という絵では、少女が草原で横になっている絵なのに対し、すぐ横にある「山」は、その絵からズームアウトしたような構図です。少女のまわりにはその家族とおぼしき、大人の人物が三名います。だけど、そのポーズや視線が私にはどこか「嘘っぽく」感じました。これはねらってなんでしょうかね。
   でも、次の同画家の「目を覚ましたテレーズ」は良い感じです。対象は先ほどの少女と同一人物です。椅子の上でくつろいでいます。私が見て、こちらは日常の一瞬のきりとりに成功したように思えます。全然、「嘘っぽく」ありません。画家からの対象となる人物への愛情も感じることができました。

   あとはタマラ・ド・レンピッカの「腕組みをする女」を気に入りました。表題通り、腕組みをしている女性の絵です。ただ、目を引かれたのが女性の着ている服です。白のシンプルな服です。ぴっちりした服ではなく、ゆとりのある服です。だから服のひだがあります。その白いシンプルな服と女性の一見、無表情な感じが、とても神秘的なのものに感じました。

   次のゾーンが「エピローグ」です。名前のとおり、それが最後でした。二作品だけありました。

   それで、再入場できなくなる出口があります。名残惜しいので、もう一度、入り口まで戻って、さらっと各作品を見てきました。
   そこで気付いたのですか、今回、いつもに比べ、作品数が少ないように思えました。まあ、そこそこ面白い絵画があったから良いか、と思って、出口を通ると、少し驚くことがありました。

   普通、展覧会会場を過ぎると、その展覧会にあわせた商品が売っているスペースがあります。
   今回もあったのですが、その規模が違います。
   展覧会スペースの半分ぐらいの大きなスペースです。そのスペースすべてを販売スペースに使うのはさすがに商品が足りなかったのか、持て余し気味のようで、椅子をたくさん並べて、休憩スペースを設けたりしてました。
   それに、展覧会スペースは美術品のこともあってか、暗めの照明なのですが、販売スペースはそんなことないので、とても明るいところです。展覧会スペースとはまるで別世界の様相を呈してました(笑)

   相変わらず、気に入った絵画のポストカードがないな、と思いながら、京都市美術館を後にしました。




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