※前の三国関連の記事
三國志物語(1940)、少年三国志(1955)、羽石光志/絵
2014年3月29日土曜日15時20分頃、国立国会図書館 国際子ども図書館へ到着。前の記事にあるようにメンタル面でダメージを負いつつ、頭を調査へと切り換えようと努める。
・国立国会図書館国際子ども図書館
http://www.kodomo.go.jp/
※関連記事
三国志(1953年6月30日)
上記関連記事にあるように、初めて来た所ではないため、急いでロッカーに荷物を置き、資料室の入室手続きをする。新たにボタンの1個取れたワイシャツに入室許可のバッジをつけ、汗が引かないまま、メインの目的である資料の閲覧申請を出す。
・少年三国志 (寿書房): 1963|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000824166-00
閲覧する資料は上記リンク先にある、伊藤正樹『少年三国志』(寿書房 1963年2月20日発行 A4版)だ(※追記訂正。6月20日→2月20日)。実は『天地を喰らう』(ジャンプ・コミックス デラックス)同様、それも
USHISUKEさんから借りていたのだが、その出版背景がよくわからず、あれこれ当たっていると、貸本マンガ史研究会/編『貸本マンガRETURNS』(ポプラ社2006年3月8日)のpp315-326「貸本マンガ家リスト1000+α」のp.316に「伊藤正樹『二つの明星』(曙)」、p.317に「貝塚ひろし『乞食と殿様』(寿)」とあることから、どうやら貸本流通がメインの作者と出版社の組合せであることが伺えた。そのため、例えば「納本」の判子があったりと、何かしらのヒントがないか、USHISUKEさんから借りた『少年三国志』とは別に閲覧しようとしていた。
そして前の記事で触れた16時開始のイベントの参加を未だ諦めきれずにいたが、やはり普通にその資料が出てくるまで15分ぐらいかかり、初めて行く場所で遅れて参加する訳にはいかないので、心の中でだんだんと自分で自分を説得するようになっていた。朝に新坂を昇って国立国会図書館本館に行き、昼に男坂を降って米沢嘉博記念図書館に赴くというシチュエーションにあこがれたのだが、諦めなくてはいけないのが残念だ。
話を『少年三国志』に戻す。国際子ども図書館所蔵の段階でカバーが外されていたり管理シールが貼られていたり等の見た目が少し異なっていることは想定内だったが、なんと総ページが違っていた。USHISUKEさんから借りたのは96ページであるのに対し、図書館所蔵のは128ページで、32ページも違う(最終ページは共に奥付)。借りる前にUSHISUKEさんとのメールのやり取りで、、目次には118ページまであるのに、そこまでないことが指摘されていて、当時の出版状況のいい加減さに起因するのかなと何となく思っていたのだけど、その謎があっさりと解けた。元々は128ページ、あるのだと。(そういや96ページ版は「定価百円/送料二十四円」となっているが、128ページ版は確認してないや。次の課題。この送料表記が貸本流通の証左になるのかな? 菅大作『三国志』でも確認しないと→※追記、「定価二〇〇円/送料二十四円」と判明。やはり2バージョン?)
ちなみに手塚治虫『漫画教室』(小学館2010円11月14日発行)、『漫画少年』1952年4月号から1954年5月号まで掲載分での「あれこれ問答」によると、マンガのページ数について、それぞれ以下のような説明が登場人物によりなされている。
2ページ「ペラともいう。ざっしなんかで、特べつ読物のまえにこいつをトビラのように、はさむことがある」
4ページ「これが、ふつうざっしの、連載マンガにつかわれるページ数じゃね」
8ページ「ざっしの、長編マンガは、大ていこの、ページ数じゃね。ちょうちょう、ジャングルをみたまえ」
16ページ「四半裁ともいう。この長さが、単行本のもとになるページである」実際は衣のところがふるとり
32ページ「半裁という。16ページのばいである あたりまえじゃ」
64ページ「全紙という。安もののゾッキあんか、たいていこのページである」
96ページ「これがふつう単行本の長さで、全紙に半裁をひとつたしたページ数です」
112ページ「これは全紙に四半裁を三つにたしたものです」
128ページ「すこし長い単行本のページはこのくらいある 全紙をふたつあわせたもの」
160ページ「これは、大長編といった長さで、これだけかけるひとはよっぽど 努力家じゃ!」
つまり当時のフォーマットとして96ページも128ページも有り得ていて、勝手に2バージョンあるのかな、と思っていた。
まずはp.3の目次を下記に引用する。実際は縦書きルビ付き。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
目次
誓の杯……(6)
黄巾の賊……(17)
関羽怒る……………(30)
連合討伐軍…………(43)
徐州の城……………(61)
劉備の決心…………(82)
臆病者………………(92)
敗戦…………………(101)
武将の約束…………(118)
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※これを見て思い出したが、実際にはp.92の「臆病者」の回題はない(※追記、確認したらp.96に「臆病者」の回題があった)。
96ページ版は、p.95の劉備の全景(全身像)で曹操と戦うことを決心するセリフで終わり、128ページ版はp.127で関羽が劉備の奥方を連れて曹操の下を去るところで終わる。どちらも充分に続きがありそうな終わり方となっている。ちなみにフキダシの中のセリフは活字ではなく書き文字。前後の時代の三国志作品と比べるとページ当たりのコマ数が少なく、また、背景を描く負担を減らしているんじゃないかと邪推してしまうぐらい、やたら人物のズームアップにするコマが多い。
それとタイトルにある『少年三国志』の「少年」は張飛のことであり、主人公の役割を担わされていて、おそらくその関係で、関羽に張飛の役割が与えられている。その代表的な場面は、関羽が督郵のところへ怒鳴り込みに行くところだ。またトラ髭の男として描かれている(…とここらへん細かくつついたら影響関係が浮き彫りになりそうだが、未着手)
それと偶然、気付いたのだが、前の記事にあるように、数時間前に野村愛正『三國志物語』(大日本雄辯會講談社1940年)における羽石弘志の挿絵をプリントアウトしたのだけど、そこに描かれる曹操の描像が、鎧の詳細はちがうものの、伊藤『少年三国志』における曹操と、兜のデザインをはじめかなり似ている。それがきっかけとなり、さらに見比べると、野村『三國志物語』の長坂の戦いにおける劉備が腰を下ろし一服する場面の挿絵と、伊藤『少年三国志』における曹操が関羽を説得する場面の構図が同じだと気付く。
前述のように、自らの不注意もあるがその日は不運続きだったが、ようやく上向いてきた心地となっていた。
以前、紹介した、菅大作『三国志』(集英社1953年、おもしろ漫画文庫 1)の桃園結義部分と共に、伊藤『少年三国志』の2ページだけコピーして、16時45分には図書館を出ていた。
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三国志(1953年6月30日)
そして京浜東北線普通55分発に間に合う。一回分2300円相当なので、損するが、使い道がこの先ないので、青春18きっぷ1回分消費する。
※三国と無関係な次の雑記
・22番のユニを求めて・延長
http://cte.main.jp/calcio/blog.cgi?n=858
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