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中国古典文学と挿画文化(2014年2月)
下記のTwitter Accountの下記のStatusで知ったこと。 ・敎団 (Vitalize3K) on Twitter http://twitter.com/Vitalize3K ・Twitter / Vitalize3K: @sangokushiforum ... http://twitter.com/Vitalize3K/status/431857827091476480 下記の出版社サイトの下記書籍ページによると、勉誠出版より2014年2月刊行予定で瀧本弘之・大塚秀高/編『中国古典文学と挿画文化』(アジア遊学 171、ISBN978-4-585-22637-6)が2400円(税別)で発売するという。もちろんタイトル通り『三国志演義』を含めた三国小説の挿絵文化についての論文も含まれている。 ・勉誠出版 --HOME http://bensei.jp/ ・中国古典文学と挿画文化 : 勉誠出版 http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100312
: 清岡美津夫
2014年2月23日(日) 06:16 JST
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リンク:漢字文献情報処理研究会
『電脳中国学II』の編纂団体として、またサイト「Kanhoo!東洋学サーチ」の運営団体として、著名な学術団体「漢字文献情報処理研究会」には、下記に示すように1998年10月13日開設のサイトがある。 ・漢字文献情報処理研究会 http://www.jaet.gr.jp/ この研究会は名前の通り東洋学分野における情報処理の研究に関連した会であり、年一回、会誌発行と大会開催を行っている。『漢字文献情報処理研究』は第1号から第7号までネット上にPDF形式で公開されている。今年2009年の第12回大会は12月20日に京都の花園大学で行われるとのこと。 この会は直接的に「三国志」に関係なく、強いて言えば会誌『漢字文献情報処理研究』第5号に『《三国演義》電子資料庫』という学術ソフトを紹介しているぐらいである。ではなぜ「三国志ニュース」で取り上げるかというと、研究会の取り扱う対象が東洋学に関わる文字コード、データベース、知的財産、語学教育と、ネットにおける「三国志」関連と切っても切れない関係だからだ。
: 清岡美津夫
2009年11月24日(火) 18:35 JST
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横山光輝『三国志』に見られる連環画の再構築(2013年7月6日)
※関連記事 横山光輝『三国志』に見られる連環画の再構築 問題意識と目的 初稿 龍路ツーリング(メロディ2000年2月号) 上記関連記事に少し触れたように日本マンガ学会第13回大会に向けてキンコーズでPCを借りる等して発表要旨を作成し、締切日の2013年4月1日にメールで提出した。 ・日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/ ・日本マンガ学会 第13回大会 http://www.jsscc.net/taikai/13 そこから数日後、予定通り、担当者が査読の結果をメールで知らせて下さる。 査読が通ったため、2013年7月6日土曜日もしくは7日日曜日のいずれかの時間に、清岡美津夫が福岡県北九州市の北九州市漫画ミュージアムで開催予定の日本マンガ学会第13回大会にて「横山光輝『三国志』に見られる連環画の再構築」というタイトルで口頭発表することが決まった。 ・北九州市漫画ミュージアム http://www.ktqmm.jp/
: 清岡美津夫
2013年4月12日(金) 00:35 JST
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第2回三国志学会大会懇親会
<目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日) http://cte.main.jp/newsch/article.php/679 <前回>第2回三国志学会大会ノート6 http://cte.main.jp/newsch/article.php/690 17時35分、第2回三国志学会大会終了。 その後、清岡はピーターラビットの手提げカバンを貰い、早速、ノートPCを入れてみる。そうするとちょうど(というかギリギリ)入ったのでこれから活用するという予感を持った。 懇親会は18時開始とのことでまだ20分程度余裕があったため、知り合い皆で一階下の書店へ立ち寄る。 その後、懇親会行く組と行かない組に分かれたので、組同士互いに別れの挨拶をし、地下の懇親会会場へと向かう。 知り合いで懇親会に行く組は清岡、KJさん、USHISUKEさん、すでに会場に来ていた、しずかさん。今回は前回の懇親会に比べ知り合いが少ない。 <参照>三国志学会第一回大会懇親会 http://cte.main.jp/newsch/article.php/409 前回、初めのうちは知り合い同士で固まって話をして、場に慣れてきたら、徐々に交流を広げていたが、今回は人数的にそのパターンができそうにないんで、清岡はKJさんの後に着いていく宣言をしていた(笑) そうすると何故か清岡、KJさん、USHISUKEさんで作戦会議みたいな感じになる(なぜ?・笑) あと去年の小学生は今年は来てないのかな、なんて話していた(後で聞いた話だと今年も来ていたとの話。その持続力は素晴らしい) それから三国志学会のサイトで前回の大会の様子が写真で出ていたとか話していた。 ・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/ ※今、見に行ったら、第2回三国志学会大会の写真もアップされている。初めの発表の会場の写真で150名ぎっしり人が詰まっている様子がわかる。 18時になると、石井先生から食事の場所へ入るように呼び掛け。あと乾杯のための飲み物の準備に対しても。 前回の懇親会と同じくバイキング形式+立食パーティー形式。 清岡たちが着いたテーブルには知り合い以外には、中林先生や福原先生がいらっしゃった。 ○懇親会(午後6時~) そして懇親会は、狩野直禎先生からの乾杯のご挨拶から始まる。 一同「乾杯!」、そして満場拍手。 早速、清岡は料理を取りに向かっていた。 テーブルに戻るとKJさん、福原先生、しずかさん、USHISUKEさんが話していて、それに耳を傾けていた。KJさんからの地理の話から、福原先生が実際に南陽→新野→襄陽をバスに乗っていったとき、ちょうど新野が中間地点にあったとか、実際に言ってみると土地の実感がわくという話になっていた。さらにしずかさんの大河の意味合い的な話、区切るものか人の流れを促すものかとか。それからKJさんからNPO三国志フォーラムの紹介。 福原先生から『西晋の武帝 司馬炎』(中国歴史人物選3、白帝社)の執筆話。冗談っぽく「書かされた」って表現をされたんで思わず「書かされたんですか?」とツッコミを入れてしまった。どうも司馬炎の伝記を頼まれたそうなんだけど、それだけでは一冊は書けないと思われたらしく(関西弁で「書けるんかな、と思って…」)、結局、司馬懿から書いて、「ポスト三国志」の流れになった。それから(今の)中国のお酒の話からUSHISUKEさんが中国に旅行した話。 ※追記 メモ:『西晉の武帝 司馬炎』 その後はしばし清岡、KJさん、USHISUKEさんでローカルトーク。ウェブと出版とのコラボレーションで成功している事例があるのかな、って話などをしていた。 ここで石井先生からアナウンス。折角、韓国から来て下さったということで李先生からのお話を伺う場となる。 李先生が韓国語がおっしゃって、金先生がそれを日本語に訳すって流れ。 ローカルトークをしていたら、しずかさんがKJさんに客人を連れてくる。どうも「三国検索」を結構、活用している方で、KJさんのことをネットで一方的に知っている方らしい。 その後、中林先生からお酒で倒れた時の武勇伝(?)を伺う。面白すぎ。 『三国志研究入門』を出版している日外アソシエーツ株式会社の小森さんと名刺交換。 その後、会場行脚から戻ってきた、しずかさんを捕まえ、その報告を伺う。 USHISUKEさんは昨年と同様、澤先生とマンツーマン状態で話し込んで居るんで、清岡はKJさんとローカルトーク続行。 そうすると、その二人の元へ石井先生が見知らぬ二人を連れて来る。どうやらサイト「徳本商会」の徳本さんとその知り合いの簡俊さんとのこと。しばしサイト管理の話やネット動向の話、ファン層の興味の移り変わりの話で盛り上がる。サイト管理の話ではサイトの寿命の話をしていたっけ。以前の話題を提供した。 その流れでKJさんから清岡の紹介があって、「長沙走馬楼呉簡 丘について」の課題ネタを振られた。いやさすがに初対面の人にこのネタは引かれるだろうと思いつつ言ってみるとやっぱり引かれ気味だった(笑)。 ここで会長の狩野先生がお帰りというアナウンスがあったので拍手。 サイト管理の話を再開する。簡俊さんから最近の三国志ファン層の興味深い話を伺う。やっぱり三国志大戦がメジャーだよな。 とりあえずKJさんが「NPO三国志フォーラム」はまだNPO法人化されていないんで、「NPO法人三国志フォーラム」ではないので間違わないように、と徳本さんに主張していたところにはなんか妙に笑ってしまった。その流れで「三国志連環」の話。やはりデッドリンクが多いと感じられていると徳本さん。そうだよな、あれはなかなか。 話の流れで簡俊さんとUSHISUKEさんを引き合わせる。そうすると、マンツーマン状態でその後も話していた。 ※追記 ノート6:三国志学会 第五回大会 その後、分かれ、再び会場行脚から戻ってきた、しずかさんを捕まえ、その報告を伺っていた。清岡とKJさんからはネットの知り合いに会った話をする。 てな感じで時計は20時近く。ここで石井先生のアナウンスがあって、最後は福原啓郎先生から締めの挨拶。 最後は第三回に向けてということで一同乾杯と満場拍手で終える。
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: 清岡美津夫
2007年9月15日(土) 14:21 JST
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「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開」ノート2(2008年9月14日)
※前記事 「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開」ノート1(2008年9月14日) 前記事に引き続き、以下、清岡によるノート。 会場の前に掲げられていた辟雍碑の拓本がその役目を終えたということで外される。 ●中村圭爾氏(大阪市立大学)「晋南朝石刻と公文書」 10:49スタート。予稿集のタイトルは「両晉南朝墓誌と公文書」。 予稿集に記した「史料」には二種類ある。取り上げる「墓誌」の該当部分とそれの「関連史料」。それに「西晉南朝墓誌一覧表」。 ○はじめに 南朝において公文書がどういう役割を果たすか考えている。一般的に文献史料に引用される公文書ではなく墓誌に引用される公文書(策、詔、札)。策は一般的には引用されない。 現実的にどういう意味をもつか考える。文献史料の中では現実的な役割が見えにくく、墓誌に引用されておれば、少しはわかるのではないか、と。 南朝の墓誌において引用される公文書は策、詔、札しかないため、たくさんある公文書の中のごく一部に限った分析。 問題の所在。墓誌が公文書を引用する意味、同時に公文書が引用されている墓誌と引用されていない墓誌の違い。引用の仕方(直接引用、文献史料的に)、両者の差。 ○1. 両晉南朝墓誌にみえる公文書 両晉南朝墓誌にみえる公文書は予稿集の23,24ページの「西晉南朝墓誌一覧表」にまとめてある。確認できているのが90件。直接引用しているのはさらに少ない。東晉の墓誌には今のところ、詔などの引用は一切ない。劉宋で詔引用する墓誌が現れ、梁の詔引用の墓誌が再びはっきり出てくる。墓誌の引用のし方の偏りと墓誌の定式等を含めた発展の経過に何か関連がないかが現在の関心。東晉の墓誌は逆の意味でのヒントになるのでは、と考えている。 内容だけでなく墓誌について形式、文字の書かれ方、文章の完成度など分析し結論を出す必要がある。 ○2. 墓誌引用公文書の内容 まず西晉の墓誌。詔という形で引用されているのは『荀岳墓誌』しかない(※その後、「西晉南朝墓誌一覧表」を見ていく)。 『荀岳墓誌』の制作時期。「史料」/「墓誌」の該当部分を見ていく。陽と思われる部分に「君以元康五年七月乙丑朔八日丙申、歳在乙卯、疾病卒(中略)其年十月戊午朔廿二日庚辰葬…」とあるが、誌側の部分に別途「永安五年」の文字が見え、いつ制作されたかわからない。 (※清岡の感想。本筋とは関係ないが、『禮記』王制に「大夫士庶人三日而殯.三月而葬」とあって、実際に三ヶ月後に葬った記録が残っていることに感動を覚えた) 馬衡先生だと、元康五(295)年10月に作られ、九年経って、側面に書かれている奥さんの劉氏が死んで、そのとき附葬したときに加わったのであって、息子が自分で書いたんだろう、としている。福原先生は「墓誌が元康五年に制作され、永安元年に刻み加えられたのか、あるいは永安元年に始めて制作されたのか、よくわからない。」と慎重に述べている。 墓誌でどちらが陽か陰かわかりにくい。普通、陰と呼ばれるところに「年月日」と「詔」、詔によって任命された官職が書かれている(※予稿集に具体的な記述が列挙されている)。ここで先生が注目しているのは、例えば「二年(281)正月廿日(壬寅)、被戊戌(正月16日)詔書、除中郎」となっているところの16日に詔書を受けて20日に任命されたということ。このことに関し参考資料に、少し時代は下るが、『隋書』巻二十六百官志上 其用官式(※予稿集の「関連史料」に抜粋してある)に、詔の時間的な経緯が数日間の差として出てきている。同じようなに、八月二十五日に詔書があり、二十七日に太子舎人に除するという記載がある。具体的に公文書がどういう風に動いているか知ることができる。他には例のない事例として面白い。中郎や太子舎人に除するときには詔があるが、尚書左中兵郎、山陽令、中書侍郎には詔書の記録がない。府・州郡佐に詔書がないのは説明できるが(辟召されている)、それ以外のものには説明できない。もしかして典拠となる大事な辞令を失った? 文献中との詔の比較。『晉書』巻三 武帝紀に「武帝泰始三年九月甲申(中略)司空荀顗為司徒」とあり、『晉書』巻三十九 荀顗傳に詔の本文が記されている。同時に『北堂書鈔』巻五十二『晉起居注』に引用されており、荀顗へのこの詔は九月甲申詔書であろう。司徒とか司空とかの立場だから『晉起居注』に書かれるのはあるいは当然だけど、荀顗が亡くなった時の官職と同じである中書郎に起家した王濟について、起家したときの詔だと思われるものが『北堂書鈔』巻五十二『晉起居注』に引用されている。 わざわざそういう形で官職名を引用している墓誌の役割はどういったものなのか(※こういうことを考えている最中とのこと)。 梁王の墓誌。かなり出ているはずだが実物として読めるのは桂陽王の蕭融とその妃の墓誌。それから永陽王蕭敷とその妃の墓誌(但し原物が残っていない)。 (※ここで「文献史料」に抜粋する『梁書』巻二十二太祖五王や巻五十一梁宋室上の話)亡くなった時の記録。梁が出来る前に桂陽王も永陽王も二人とも亡くなっている。しかしそれらの墓誌にはその年号が残っている。しかも永陽王敷の墓誌は亡くなって二十年経って作られた墓誌。桂陽王融の墓誌は実物がある。三年ほど差がある。詳しい詔がある(※「史料」の「墓誌」のところに抜粋)。興味深い点は、『藝文類聚』のところに「追封衡陽王桂陽王詔」があって、それとまったく同じ部分が桂陽王の墓誌に出てくる(※予稿で二重下線と下線で対応させている)。但し『藝文類聚』では衡陽王暢として出てくる。こういうふうに文献と墓誌で同じ言葉が引用されているが、そういう齟齬が起こっている。墓誌の詔と『藝文類聚』の詔の関係、と原作者であるの任昉、それらはどうなんだろうか。公文書というのを手掛かりにして、その当時の著名人の文集、墓誌、『藝文類聚』の関係について、意味があるのではないか、と。 公文書の長期保存。文書発給日時と墓誌作成された年月日との時間差がかなりある。『荀岳墓誌』の場合、二(281)年から元康五(295)年または永安元(304)年までで実際には十数年、場合によっては二十年以上、公文書が保存されている。こういうことは文献ではなかなか見れない現象。梁王墓誌の場合、天監元(502)年から普通元(520)年まで。約二十年の期間がある。このケースは梁王の家に詔が保存されたのか、任昉の文集に残されたものを墓誌作成時に引用されたのかという問題があるが、ともかく詔が長期にわたって下された家で保管されているということをこれで実感できる。文献ではなかなか見れない。 ○3. 各文書の書式等について 策の書式。蔡邕『獨断』では「起年月日、稱皇帝、曰以命諸侯王三公、」とあり、このまま書式が桂陽王太妃の墓誌にある(※予稿に抜粋してある)。天監二年。他に天監三年の策は書式が省略されている。策の書式について、文献でいうと(※こちらも予稿に抜粋してある)、いくつか見えるが、年月日から起こしたものは残っていない。そういう意味で天監二年の策は『獨断』の書式をそのまま受け入れたいへん興味深い。 詔の書式。先ほどの荀岳の場合にはそのまま残っているわけではないが、梁王の場合には追悼で出てくる。それについてはすでに大庭先生が書いている。西晉について『北堂書鈔』巻五十二『晉起居注』に「(制詔)某官某某、云々、某以某為某官」と出てくる。南齊に下ると「門下、某官某某、云々、可某官、」という形に変わる。これは『文苑英華』巻三百八十沈約「沈文季加」などの文献だけでなく墓誌でもみることができる。 札の書式。時間の関係で省略。 ○おわりに 詔や策を直接引用する場合にはやはりこれは実物が横にないとそのまま引用することは不可能なので、それを保管し、それをそのまま墓誌の上に書き写すということは一般的に亡くなった後の特権や身分保障をするという要素が大きいと思う。文書保管の時期も含め何か他に意味があるのだろうか。 (今回は省略したが)直接引用ではなくて、詔によってどこそこに遠征を行ったとかいう文言がいくつかでてくる(※予稿の「西晉南朝墓誌一覧表」において「●」でマークされている)。こういうのは命令を出された本人が詔を手元に保管していたのか、そうではなくて一般的な列伝の記載の形によって残していたのか、未だ見極めがつかない。もし直接引用するのではなくその人の事跡の中に「詔によってこういう行動した」と記されている場合、その墓誌は一般的な墓誌とは少し違う。いささか第三者的な叙述の性格を帯びているのではないか。 そういう西晉と梁以降の墓誌と、そういうのが現れない東晉の墓誌との間にそれなりに性格の違いがあるということは大まかな見通しとしては言える。 11:30終了。 ※次記事 メモ:立正大学大崎キャンパスと大東文化大学板橋キャンパスの往復 ※追記 六朝政治社会史研究(2013年2月5日) ※追記 中国都市論への挑動(2016年3月31日)
: 清岡美津夫
2008年9月23日(火) 11:32 JST
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新出魏晋簡牘をめぐる諸問題(2009年9月13日)
2009年9月12日に開催される「第9回魏晋南北朝研究大会」の案内に同封されていたという、2009年9月13日開催の国際ワークショップ「新出魏晋簡牘をめぐる諸問題」のプリントの情報を手に入れたので下記へプログラム等を転載。 ━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 国際ワークショップ「新出魏晋簡牘をめぐる諸問題」 日 時:2009年9月13日(日),午後1時30分~5時 会 場:立正大学大崎キャンパス,9号館地階9B11教室 プログラム 開 場:午後1時 開 会:午後1時30分 開会の挨拶(13:30~13:40) 第1部 報 告I(13:45~14:15)─關尾史郎氏(新潟大学,科研費プロジェクト代表) 「魏晋簡牘研究への一視点」 報 告II(14:15~14:45)─伊藤敏雄氏(大阪教育大学,三菱プロジェクト代表) 「魏晋簡牘の調査と課題」(仮題) 休憩(14:45~15:15) 第2部 講 演(15:15~16:15)─侯旭東氏(中国・清華大学,呉簡研討班) 「長沙走馬楼三国呉簡所見給吏与吏子弟─兼論漢代的給事」 質疑・討論(16:15~16:50) 閉会の挨拶(16:55~17:00) 主 催:長沙呉簡研究会 ━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
: 清岡美津夫
2009年8月 7日(金) 23:24 JST
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東アジア人文情報学研究センター(2009年4月)
※関連記事 メモ:三国志関連のネット上地理感覚 石刻拓本資料(京都大学人文科学研究所所蔵) 曹全を追え 上記関連記事にあるように、主にデータベース「京都大学人文科学研究所所蔵 石刻拓本資料」について「三国志ニュース」で度々、京都大学人文科学研究所漢字情報研究センターに触れてきた。 下記、東アジア人文情報学研究センターのサイトによると、「今春4月に漢字情報研究センターは、東アジア人文情報学研究センターに改組」したという。というわけで「三国志ニュース」内のリンクページを修正。 ・Center for Informatics in East Asian Studies, Kyoto University http://www.kita.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ ※関連記事 京大人文研漢籍セミナー2 三国鼎立から統一へ 史書と碑文をあわせ読む 2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」午前レポ ※追記 十大三国志ニュース2010 前編 ※追記 中国古代刑制史の研究(2011年1月) また、漢字情報研究センターと言えば、上記関連記事にあるように毎年三月に開催されている「TOKYO漢籍SEMINAR」を思い出すんだけど、それに関するページも東アジア人文情報学研究センターのサイトに引き継がれているね。
: 清岡美津夫
2009年10月18日(日) 12:48 JST
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三国志演義の世界 増補版(2010年5月下旬)
東方書店のメールマガジン「【中国・本の情報館】Webユーザーのみなさまへ」vol.67(2010年5月14日発行)によると、東方書店より金文京/著『三国志演義の世界 増補版』が2010年5月下旬に1890円で発売するとのこと。ISBN 9784497210098。 ・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店 http://www.toho-shoten.co.jp/ ・国内書 三国志演義の世界 増補版 【5月下旬刊行予定】【中国・本の情報館】東方書店 http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=4497210098&bookType=jp ※新規関連記事 中国の歴史4 三国志の世界 後漢 三国時代(講談社学術文庫2020年11月12日)
: 清岡美津夫
2010年5月19日(水) 23:07 JST
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リンク:張家山漢簡「史律」に見える任用規定について
※前記事 リンク:『法制史研究』『書学書道史研究』 ※関連記事 メモ:「功次による昇進制度の形成」 前々回の記事や上記関連記事で触れたように官吏の昇進について見てきたんだけど、そもそもどうやって官吏になるかというのにも興味が出てくる。そういったことで読んだのが下記論文。対象となる張家山漢簡の二年律令は、一般的に呂后の二年(紀元前186年)と考えられるという。三国時代からは随分、遡るんだけど、制度的に繋がりが深く参考になることが多いと見なし読み進める。 西川 利文「張家山漢簡「史律」に見える任用規定について」(『文学部論集』第93号 (20090301) pp.107-116 佛教大学 ) http://ci.nii.ac.jp/naid/40016598277 現在、全文PDFへのリンクが切れているが、実は下記「佛教大学論文目録リポジトリ」の「文学部論集」から論文の中身が読めるようになっている。 ・佛教大学論文目録リポジトリ http://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/index.htm
: 清岡美津夫
2010年5月23日(日) 23:48 JST
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後漢における「儒教國家」の成立(汲古書院)
※関連記事 株式会社汲古書院のサイトオープン(2009年1月30日) 上記の記事の時と同様、昨日、汲古書院からチラシが届いて知る。 ・株式会社汲古書院 http://www.kyuko.asia/ ※関係ないが「学会・研究会出店予定」はそれぞれの詳細ページへのリンクが張ってあって便利。 渡邉義浩/著『後漢における「儒教國家」の成立』(8400円、ISBN978-4-7629-2865-9)が2009年3月に汲古書院から刊行されたという。そのチラシで添えられた文が「◎中国思想史研究者との共同研究に基づき「儒教の国教化」を論証する!」。
: 清岡美津夫
2009年4月11日(土) 11:58 JST
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曹丕、曹植の詩文における押韻状況について(2014年12月)
※関連記事 卑弥呼 1話2話(『まんが日本史』9、10回1992年6月1日?-15日) 上記関連記事と同様、2015年3月21日土曜日は朝から国立国会図書館に籠もって、午後に下記関連記事の「(仮)三国志街道の集い」に参加しようとしていて、青春18きっぷの期間内だったので、前日の20日金曜日にできるだけ東京に、近付き東海道沿線のどこかで一泊して臨むつもりだった。 ※関連記事 (仮)三国志街道の集い(2015年3月21日) ところが計画を立てて掛川駅近くのビジネスホテルも予約した後、よくよく考えたら21日は春分の日で国立国会図書館は休みということに気付き、急遽予定を変更する。まず代々木駅近くの高速バス乗り場で次に来るときの帰りの高速バスチケットを購入し、そのまま中央線で御茶ノ水駅へ。そこから歩いて神田神保町へ行く。まず内山書店に足を運んだが、開店時間じゃなかった。今、下記サイトを見ると休業日だったようだね。 ・内山書店 http://www.uchiyama-shoten.co.jp/ それで予定通り、下記サイトの東方書店へ行く。 ・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店~ http://www.toho-shoten.co.jp/ ・中国学志 坎号(第29号)【中国・本の情報館】東方書店 http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=9900009643&bookType=jp まず学術雑誌のコーナーにいくとすぐに目に付いたのが「曹丕、曹植」の文字。上記ページにある、大阪市立大学中国学会より2014年12月に出版の『中国学志』坎号(第29号)(ISSN0913-3151)所収の田婧「曹丕、曹植の詩文における押韻状況について―附:二曹韻譜」だ。その雑誌自体は2000円とのこと。 ・市大中国学会 - 大阪市立大学大学院文学研究科・文学部 http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/chn/
: 清岡美津夫
2015年3月22日(日) 01:15 JST
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三国志学会第一回大会ノート3
・三国志学会第一回大会ノート2からの続き http://cte.main.jp/newsch/article.php/399 時間がおしているので休憩なしでそのまま。会場のホールでの空調の調子は悪いが、皮肉なことに一階上の控え室はガンガンにクーラーが効いている、と渡邉先生の小粋なアナウンスが入る。 お次は文学の研究とのこと。建安文学がどういう位置づけかとのこと。あと和田先生のご紹介。 ○和田英信(お茶の水大学助教授)「建安文学をめぐって」 レジュメは縦書きの2ページ。丸で囲った数字が全部で16あり、それぞれの数字の下に引用した文が載せられている。建安は後漢の年号。建安期を代表する文学者、曹操、その息子、曹丕、曹植、その周りに集まった王粲といった詩人たち。 (1)李白の詩で建安のことが詩でうたわれている。建安は中国の文学の中で特別な位置。建安はその他の時代と異なる。 建安期以前の詩とはどのようなもの? そのほとんどが古詩あるいは樂府と呼ばれる作者不詳の詩。 (2)(3)現在見られるものの例、『文選』にある「古詩」十九首など。 (4)樂府とは音楽と共にうたわれたもの。例として『宋書』樂志にのっているもの。 古詩あるいは樂府はいつどのようなにつくられたか、はここでは論じないが、建安の詩人たちの土俵になったことは間違いない。曹操の作品は現在、樂府にカテゴリーに分類される。 古詩・樂府と建安を隔てる大きな違いは作品に署名があるかどうか。 (5)(6) なぜ建安期によってかわったか。どのようにかわったか 建安期以降、歴史時代にはいったという考え(※漢字あってるかな) 具体例。(7)古詩と(8)曹植の詩の比較。 (7)「古詩十九首」其三。洛陽がにぎやかな代名詞としてあげられている。ここではかならずしも実在の洛陽でもなくてもよい。 (8)曹植「送應氏」二首其一。應氏が実在の人物。作者と作品とが関係。董卓の時代(190年)に宮室が焼かれた洛陽が描写される。ここでは洛陽を他の場所におきかえることができない。 人物に関して(3)古詩と(9)曹植の詩の比較。古詩の中に描き込まれる人物は神仙、神話上の人物など特殊な人物がほとんど。 (3)「古詩」十九首其十五。仙人がでてくるが不老不死の代名詞として出てくる。 (9)曹植「贈丁儀王粲」。二人の人物がでてくる。その人そのものを指す。具体的背景のその人たちへのメッセージ。作者と作品の関係は署名だけではなく詩のうたい方にも現れている。詩のあり方がかわったから、作者の署名が加わるようになったと考え方もできる。 建安以降、あらゆる詩がこうなったというわけではない。 (10)曹植「贈徐幹」。(個性を有した)徐幹を生き生きと描くのみならず、そういったメッセージを贈った作者そのものも生き生きと表現されているようだ。 建安以降、文学は個を表現するようになった。 建安期以降、詩が極めて具体的な政治状況で詩がくみ出されること。 (11)曹丕「令詩」。詩は明らかに政治的な文脈で書かれている。 (12)曹丕「至廣陵於馬上作詩」 曹操も政治的な作品をつくっている。政治的アピール。(13)曹操「短歌行」(14)「苦寒行」 (12)と(14)に東山詩が組み込まれている。 →そういう意味では文学は政治に従属するようになった? (15)典論論文の文学至上主義はそういう文脈でみると… (16)『文選』にみられる建安期の詩人 ○質疑応答 ※清岡が失念。文学と政治の話が司会と報告者で延々と応酬される。その後、質問者が一人。 ・三国志学会第一回大会ノート4へ続く http://cte.main.jp/newsch/article.php/401
: 清岡美津夫
2006年8月29日(火) 00:00 JST
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三国志学会 第十二回大会(2017年9月9日土曜日)
・三国志学会 http://sangokushi.gakkaisv.org/ ※前回記事 三国志学会 第十一回大会(2016年9月3日10日土曜日) 少なくとも私が把握しているここ数年は、三国志学会大会昼休み中の役員会で来年の三国志学会大会の日程が決められ(もちろん都合により変更されることもあった)、大会が終わる頃には事務局長等から来場された方々にその日程が告知されていた。 今回も2016年9月10日土曜日開催の「三国志学会 第十一回京都大会」にて早くも来年の三国志学会大会の日程について告知があり、「三国志学会 第十二回大会」は2017年9月2日土曜日にまず京都の龍谷大学にて開催され(とれれば2016年と同じく京都駅前の響都ホールとのこと)、その一週間後の9月9日土曜日に東京の二松学舎大学にて開催されるという。 ・龍谷大学 You, Unlimited http://www.ryukoku.ac.jp/ ・二松學舍大学 http://www.nishogakusha-u.ac.jp/ 12年目ってことで一周まわってきた感じ。
: 清岡美津夫
2016年9月10日(土) 23:00 JST
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国際シンポジウム「三国時代・魏の世界―曹操高陵の発見とその意義―」(2010年11月27日28日)
「毎日新聞 愛媛大学 曹操」という検索語句があったんで、何かと思って再検索すると、毎日新聞で下記の記事が出てきた。 ・シンポジウム:曹操、そうなの? 「墓」の真偽、愛媛大で中国人研究者交え論争 - 毎日jp(毎日新聞) http://mainichi.jp/kansai/news/20100904ddf041040008000c.html ・毎日jp - 毎日新聞のニュース・情報サイト http://mainichi.jp/ ※余談だけど、毎日新聞は記事のページにリンクを張ることを下記のように明言していて良い感じ。 ・Q.毎日jpのトップページや記事にリンクをはりたい http://mainichi.jp/info/etc/arukikata.html#Q9 しかし記事自体は、「多くの偽墓を作らせたという伝承もあり」とあって、『三国演義』「第七十八回 治風疾神醫身死、傳遺命奸雄數終」に「又遺命於彰德府講武城外、設立疑塚七十二、勿令後人知吾葬處:恐為人所發掘故也。」とある創作由来の話を、それを調べた気配も見せず乱暴にも「伝承」の一言で片付けてあってダメな感じなんだけど、それよりそこに書かれてある本題だ。 つまり、2010年11月27日土曜日28日日曜日に愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センターで国際シンポジウム「三国時代・魏の世界―曹操高陵の発見とその意義―」が開催されるという。 ※追記。会場は「愛媛大学南加記念ホール」とのこと。 ・愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センター -トップ- http://www.ccr.ehime-u.ac.jp/aic/ 入場無料ということなんで専門外の方もいらっしゃるとは思うけど、前述の創作由来の話を持ち出すような質問をして貴重な時間を不意にする行為はご遠慮してもらいたいところだろうね。 上記サイトのシンポジウムのページから下記へ講演者を引用する。招聘される講演者は河南省文物考古研究所関係者ばかりだから、曹操の墓と断定するのに疑問を呈する研究者による発表は期待できないんだろうね(下手をすればそれが曹操の墓だという結論ありきの議論になる)。もし聴講されるのだったら、そこらへんを念頭に置く必要があるだろう。 ※追記。無料でメールでの事前申込で先着順230人ということで、さらに各講演タイトルも発表されたので、下記引用部分に追加しておく。あと一般向けを意識してか「通訳あり」とのこと。 ━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 講演者 村上恭通(愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センター長) 「『三国志 魏の世界』開催にあたって」 白 雲翔(中国社会科学院考古研究所副所長) 「巻末・三国時代考古およびその新展開」 潘 偉斌(河南省文物考古研究所研究員) 「曹操高陵の発見と発掘および初歩研究」 郝 本性(河南省文物考古研究所研究員) 「曹操高陵出土文物の研究」 張 志清(河南省文物考古研究所副所長) 「漢代陵墓考古と曹操高陵」 パネル展示「魏曹操墓発掘成果特別展」見学会 in 愛媛大学博物館(愛大ミュージアム) ━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ※該当ページから下記へ引用の追記。 ━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ プログラム 11月27日(土)12:00~ 受け付け開始 13:00~ 開会 13:15~13:45 村上恭通『「三国志 魏の世界」開催にあたって』 13:45~15:15 白雲翔『漢末・三国時代考古およびその新展開』
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: 清岡美津夫
2010年9月 6日(月) 12:56 JST
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孫呉政権と国史『呉書』の編纂(2014年3月)
※関連記事 関プチ5 全国ツアー:8/9三国志納涼オフ会in東京2014(2014年8月9日) 上記関連記事にあるオフ会は人数が揃わず催行されなかったんだけど、清岡は予定通り国立国会図書館へ赴く。大した効果は得られないだろうけど、そろそろ気持ちを三国志学会第九回京都大会へ持っていきたいためだ。 ※関連記事 三国志学会 第九回大会(2014年9月6日13日土曜日) メインの目的は横山光輝『三国志』の雑誌掲載時のページ数と単行本のページ数とが手元の記録でズレが生じていたため、両者を照合するためなんだけど、想定していたところにズレがなかったため、解決が先送りとなった。もう一つの目的は横山光輝『三国志』の雑誌掲載時の「第一部 完」を複写しようと思っていたが、どうやらその号は複写禁止だったためこちらも目的を果たせず終いだった。 そんな消化不良の状況で閉館の17時前には図書館を出て、次の目的地を目指す。 永田町駅から東京メトロ半蔵門線(押上行)に乗り神保町駅で降りA7出口から、すずらん通りを東に進む。お馴染みの東方書店に行く予定だったがその前、その手前の内山書店に寄る。 ・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店~ http://www.toho-shoten.co.jp/ ・内山書店 http://www.uchiyama-shoten.co.jp/ ※新規関連記事 神保町ブックフリマ(2020年10月30日11月1日) 結論から書くと、下記関連記事で触れたお目当ての雑誌は両店ともに置いてなかった。とりあえず地元の図書館で閲覧してみるか。 ※関連記事 歴史評論 2014年5月号 3世紀の東アジア――卑弥呼と『三国志』の世紀(2014年5月10日) 話を戻し、内山書店の文学のところで、『三國志研究』三号、六号、七号、八号を見かけ、歴史のところでもいつくか見られた。 ※関連記事 メモ:立正大学大崎キャンパスと大東文化大学板橋キャンパスの往復 三國志研究第六号(2011年8月27日) 三國志研究第七号(2012年9月1日) 三國志研究第八号(2013年9月14日) その歴史のところに平積みで分厚い『明大アジア史論集』第18号「氣賀澤保規先生退休記念号」(2014年3月、3000円税別)があって、氣賀澤先生に関する記念号だから唐代の論考ばかりかと思いつつも気になって手に取っていた。 ・明治大学アジア史専攻 http://www.kisc.meiji.ac.jp/~asiashi/ ・『明大アジア史論集』総目次 http://www.kisc.meiji.ac.jp/~asiashi/ronshuu.html 氣賀澤先生は愛宕元先生と同学年だっけ? ※関連記事 愛宕 元 先生、死去(2012年1月2日) そこの目次で三国関連を見かける。菊地大「孫呉政権と国史『呉書』の編纂」という論考だ。三国志ニュースで著者名で検索すると下記関連記事が引っかかる。専攻は三国時代? ※関連記事 リンク:曹操と殊礼(2012年6月)
: 清岡美津夫
2014年8月 9日(土) 23:58 JST
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『コミックトム』をM-GTA 1st step(2015年8月下旬)
※前の三国関連の記事 メモ:CafeBar曹操(広島県広島市中区流川町) 2015年8月28日金曜日夕方、dutyを終え、京都から新快速で西に向かう。ちょうど青春18きっぷの期間で個人的にはラスト2回目となった。やはり通勤・通学(後者はあまりないか)でいきなりは座れず。座れたら菓子パンのハムマヨを食べて、ラムネ風スコールを飲む。米原駅の手前のヤンマー中央研究所の電光掲示板によると気温が25℃だそうな。18時55分到着。乗り換え時間10分なんで、すでに次の列車、7番ホームで人が並んでいた。列車が着たら、後ろのばばあに順番抜かしされる。でも結果は同じくクロスシートの通路側なのにね。あと列車自体は東海道本線(東海)新快速(浜松行)ね。 ようやく落ち着けたので、先も長いので、木下康仁『グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践』(弘文堂2003年8月15日発行)にある、木下先生考案のM-GTAに取り掛かる。といっても分析ワークシートに具体例を書き込んでいる段階だけど。 ・グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践 質的研究への誘い | 弘文堂 http://www.koubundou.co.jp/book/b156903.html 横山光輝『別冊コミックトム 三国志』第一期配本(1-18巻、1980-82年)の大体、奇数巻に「お便り紹介コーナー」があり文字通り読者からのお便りが紹介され、まずはそれを分析対象に選んだ。やっぱり『エレ片のコント太郎』ポッドキャストを聞きながら作業を進める。 ※関連記事 『エレ片のコント太郎』ポッドキャストで三国志ネタ
: 清岡美津夫
2015年9月 4日(金) 23:31 JST
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メモ:「三国志演義」翻案マンガにおける「明光甲」考(2019年6月22日)
昨年の下記の関連記事と同様に、日本マンガ学会大会での清岡が数日前から研究報告するまでのレポートというか奮闘記。下記は昨年6月京都での第18回大会で、今回は今年2019年6月熊本での第19回大会だ。記事番号は記念の5000。 ※新規関連記事 後漢の相見儀制(『集刊東洋学』第121号、2019年6月28日) ※新規関連記事 第8回古書会館de古本まつり(京都古書研究会2022年2月11日-13日) ※新規関連記事 三国志ニュース20周年記念配信(YouTube2024年10月26日19時) ・日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/ ※関連記事 メモ:日本マンガにおける秦始皇帝兵馬俑鎧甲デザインの伝播(2018年6月23日) ・日本マンガ学会第19回大会 プログラム - 日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/convention/19 ※前の記事 映画 三国志 パンフレット(1990年7月28日発行) ※新規関連記事 立命館大学の世界史入試で三国志関連2020(2月2日) ※新規関連記事 日本マンガ学会 2020年度大会中止(2020年7月4日5日) ※次回報告の記事 メモ:「三国志演義」翻案マンガにおける「明光甲」後考(日本マンガ学会第22回大会2023年7月1日) ※新規関連記事 三国志研究第十九号(2024年9月8日発行) 2019年6月17日月曜日。知人からの『コミック三国志マガジン』がとどいた。だけど結局、そこまで新しい年代まで議論が及びそうにないので、来年回しかな、と。その旨先方に伝えているが。 ※関連記事 『コミック三国志マガジン』今回発行されず(2007年7月28日分) 6月18日火曜日3時30分目覚まし時計4時起床。今日も朝からスキャン作業。「原稿で文でみせようとするか情報でみせようとするかの意識」というメモ。6月19日水曜日5時前に目が覚める。下記ブログ記事を読む。最後にブログ主が「三国志の劉備とかもこのテンプレを備えたキャラですよ。曹操に英雄がどうこうと言われたときに、雷に驚いて箸を落としたフリをするのなんかはまさにこれです」と三国ネタを放り込んでいる。次にあげるのも最後に三国ネタ ・「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む http://blog.livedoor.jp/kashikou/ ※関連記事 リンク:「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む(2005年11月9日-) ・中国国産アニメの主人公はなぜブタに扮するのか http://blog.livedoor.jp/kashikou/archives/cat_50017926.html ※2016年07月23日19:05 ※関連記事 らじおちゃ100回記念!(2019年6月4日) ・中国オタク「東離劍遊紀の日本での反応について」 http://blog.livedoor.jp/kashikou/archives/52054893.html
: 清岡美津夫
2019年6月29日(土) 07:04 JST
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魏晋南北朝史研究会 第12回大会(2012年9月15日)
※関連記事 第9回魏晋南北朝史研究会大会(2009年9月12日) 上記関連記事にある魏晋南北朝史研究会大会の今年の予定とその次の日の国際学術シンポジウムが2012年8月11日にネット出たんだけど、すっかり紹介する機会を逸してしまって(自主的なスクリーニングのために、わざとという話もあるが)、今頃になって下記サイトとそれら下記ブログ記事をそれぞれリンクする。タイトルだけ見るに、今回は全体から見れば少々、三国魏や西晋にかかっている。 ・魏晋南北朝史研究会 http://6ch.blog.shinobi.jp/ ・魏晉南北朝史研究会 第12回大会のご案内 (※上記ブログ記事) http://6ch.blog.shinobi.jp/Entry/144/ ・国際学術シンポジウム案内 (※上記ブログ記事) http://6ch.blog.shinobi.jp/Entry/145/ ※リンク追記 ・お願い (※上記ブログ記事) http://6ch.blog.shinobi.jp/Entry/150/ 上記ブログ記事(上の方)によると、「魏晉南北朝史研究会 第12回大会」は日本女子大学目白キャンパス新泉山館大会議室にて2012年9月15日土曜日13時開始だという。上記ブログ記事(下の方)によると、国際学術シンポジウム「墓誌を通した魏晋南北朝史研究の新たな可能性」は日本女子大学目白キャンパス新泉山館大会議室にて2012年9月16日日曜日9時半開始だという。 ※追記 六朝政治社会史研究(2013年2月5日)
: 清岡美津夫
2012年9月15日(土) 00:17 JST
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第2回三国志学会大会ノート6
<目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日) http://cte.main.jp/newsch/article.php/679 <前回>第2回三国志学会大会ノート5 http://cte.main.jp/newsch/article.php/688 (※清岡注、最後の発表とあって疲れて清岡の気力が殆どなくなっており、またレジュメ等で後日補間できなかったため、以下、かなり端折ったレポート内容となっている) 16時15分に紹介開始。 二松学舎大学の竹下先生から林田先生のご紹介がある。略歴や著作等。三国時代の文学がご専門だそうな。 ○「私の中の三国志」林田 愼之助(神戸女子大学名誉教授) 16時20分に開始。 最近、講談社から『史記・貨殖列伝を読み解く』という本を出した。そこで金文京先生の『三国志の世界』の本を頂いた。その本で林田先生が疑問に思ったところがある。卑弥呼が景初二年に使者を魏の明帝に送ったくだりで、「景初二年」と陳寿が『三国志』魏書東夷伝ではっきり書いており、(その使者が)帶方郡に着いたのは景初二年六月であると書いている。明帝は景初三年正月に亡くなるわけだから、景初二年十二月にすでに重体である(※「十二月乙丑、帝寢疾不豫。」『三国志』魏書明帝紀)。 そこでなぜ(卑弥呼の使者が来たのは)景初三年になるのか。京都学派では景初三年になっていたり、今の教科書では景初三年になっているものもある。景初三年の理由がいろいろあるが、一つは明帝が亡くなった、一つは景初二年の六月から遼東半島で司馬懿と公孫淵が戦を初め八月には鎮圧した、というのがある。卑弥呼の使者は景初二年六月に帶方郡につき三ヶ月足止めを喰らっていた。そして戦が鎮まった景初二年八月に少し時間をおいて出発したとしても、遼東半島とそして洛陽まで大体、三ヶ月強ぐらいだ。なぜならば、(『三国志』魏書明帝紀の注に引く『干竇晉紀』で)明帝の問いにはっきりと司馬懿が百日と答えている(「往百日、攻百日;還百日、以六十日為休息、如此、一年足矣。」)。 曹操と荀[或〃]の話、文学の話など(※清岡注、この辺りの下りがほとんど清岡の頭に入らず)。 漢代の辞賦作品。詩経などだいたい儒教の教理に適っている。また教理に沿いながら詩経などを解釈する。しかし曹丕は違う。「文以氣為主」(「典論論文」)としている。文には個性がある。それまで、政治的なものが入ってきて文学が形成された。例えばヨーロッパでは19世紀の末、ある人物(※清岡注、名前失念)が初めてヨーロッパ文学は(カソリックの教理から)自立したといった。(三世紀の中国の文学で自立性が確立して)それがあったからこそより内在的になった(※清岡注、この後の下りがほとんど清岡の頭に入らず) 集英社の企画で、「中国の英傑」という伝記のシリーズがあって、林田先生は曹操の伝記を書きたかったとのこと。編集サイドとしては諸葛亮を書いて欲しかったとのこと。諸葛亮を精神的思想的な啓蒙型に位置づけた書き方をしようとおもったとのこと(※→中国の英傑(5)『諸葛孔明 泣いて馬謖を斬る』)。(司馬徳操など荊州での話) 三国時代というのは三国が争ったが、国境を越えて文学というのがある。 ※ここでA4一枚のレジュメにある話にうつる。レジュメには四つの引用があって、まず初めの二つについて。下記。 (1)胡沖呉歴曰、帝以素書所著典論及詩賦餉孫權、又以紙寫一通與張昭。 (『三國志』卷二 文帝紀 注引『呉歴』) (2)呉歴曰、權以使聘魏、具上破備獲印綬及首級、所得土地、並表將吏功勤宜加爵賞之意。文帝報使、致[鼠軍]子裘、明光鎧・[馬非]馬、又以素書所作典論及詩賦與權。 (『三國志』卷四十七 呉主傳 注引『呉歴』) 素書の素は絹の意味。絹に典論や詩賦を書いて孫権に贈った。やはり孫権に知ってもらいためにわざわざこういうものを贈ったんだろう。(「以紙寫一通與張昭」に触れて孫権だけじゃなく張昭にも贈った、とし、張昭の話、陸機の話。血縁関係から陸機は張昭の書を見たんじゃないかとし、張昭が陸機に与えた文学的影響の話) ※レジュメの三番目についての解説に移る。 (3)呉書曰、紘見[木冉]榴枕、愛其文、為作賦。陳琳在北見之、以示人曰、此吾郷里張子綱所作也。後紘見陳琳作武庫賦・應機論、與琳書深歎美之。琳答曰、自僕在河北、與天下隔、此間率少於文章、易為雄伯、故使僕受此過差之譚、非其實也。今景興在此、足下與子布在彼、所謂小巫見大巫、神氣盡矣。紘既好文學、又善楷篆、與孔融書、自書。融遺紘書曰、前勞手筆、多篆書。毎舉篇見字、欣然獨笑、如復睹其人也。 (『三國志』卷五十三 張紘傳 注引『呉書』) それぞれ観賞したり、自分の書いたものを贈りつけたり褒められたりして、また喜ぶ、またそれが国境を越えていたというのは面白い。 ※レジュメの四番目についての解説に移る。 (4)翻與少府孔融書、并示以所著易注。融答書曰、聞延陵之理樂、睹吾子之治易、乃知東南之美者、非徒會稽之竹箭也。又觀象雲物、察應寒温、原其禍福、與神合契、可謂探[頤の頁が責]窮通者也。會稽東部都尉張紘又與融書曰、虞仲翔前頗為論者所侵、美寶為質、彫摩益光、不足以損。 (『三國志』卷五十七 虞翻傳) 17時27分終了 質問と回答(例の如く頭に入らなかったので略) 17時29分終了 事務局長から来年の開催日についてアナウンス。来年の三国志学会大会は9月14日。 <参照>第3回 三国志学会大会は2008年9月14日日曜日開催 http://cte.main.jp/newsch/article.php/658 ※追記 三国志と乱世の詩人(2009年9月29日) ※追記 より深く理解するための「三国志」講座(2010年10月15日-12月24日) ※追記 図説 三国志の世界(2011年5月23日) ※追記 三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日) あと帰路についてのアナウンス。スクールバスは終わっているが普通のバスはあるとのこと。三点目として懇親会のこと。会場は前もったお知らせにあるグリーンスポットであったが、急遽変更し一号館の地下の食堂になったとのこと。四点目は二階で出店しているまだ書店が営業しているとのこと。
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: 清岡美津夫
2007年9月14日(金) 12:25 JST
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魏晋南北朝史のいま(2017年9月)
※前の記事 教科書では読めない中国史(2006年3月) 2017年10月28日土曜日16時ごろ、前の記事やその前の記事ににあるように東京の神保町の東方書店の中に入ってすぐのところの平積みのものを見ていた。 ・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店~ http://www.toho-shoten.co.jp/ 相変わらず楽史舎さんの同人誌が立てかけられているなと思いつつ。 ・楽史舎index http://www.diced.jp/~rakushi/ ※関連記事 メモ:東方書店(2016年7月30日) 次に手に取ったのがひだ積み右奥の書籍。以前から気になっていたのだけど、三国がどれくらいあるか確認したかったのを思い出した。それは勉誠出版より2017年9月に発売の窪添慶文/編『魏晋南北朝史のいま』(アジア遊学 213、ISBN978-4-585-22679-6)だ。2800円(税別)とのこと。下記に目次を引用するのだけど、開いたらいきなり田中靖彦の曹丕についての文だったんで、こりゃ三国志にもろ関係すると。 ・勉誠出版 --HOME http://bensei.jp/ ・魏晋南北朝史のいま http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_14_40&products_id=100791 ※関連記事 中国古代都城の設計と思想(勉誠出版2016年2月) 中国知識人の三国志像(2015年7月) 「湖南出土魏晋簡牘をめぐる諸問題」「出土資料からみた魏晋時代の河西」(2012年2月19日20日) ※新規関連記事 中国古典小説研究の未来(2018年5月) ※新規関連記事 サブカルチャーとしての三国志(現代中国のポピュラーカルチャー 勉誠出版2007年3月)
: 清岡美津夫
2017年11月 5日(日) 08:19 JST
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三國志研究第十三号(2018年9月15日)
※関連記事 日本マンガにおける秦始皇帝兵馬俑鎧甲デザインの伝播(京都2018年6月23日) ※新規関連記事 Fate/Grand Order Lostbelt No.3 人智統合真国 シン 紅の月下美人(2018年11月27日-) このサイト「三国志ニュース」を読んでいる人にはあまり目に触れることがないけど、記事番号4700の今回の記事は学会誌『三國志研究』第十三号について。ちなみに4600は上記関連記事。日記部分は後回しで。 ・三国志学会 http://sangokushi.gakkaisv.org/ ※関連記事 三国志学会 第十三回大会(2018年9月15日土曜日) ※新規関連記事 三国志研究第十九号(2024年9月8日発行) 上記関連記事で触れた2018年9月15日土曜日開催の「三国志学会第十三回大会」にて会員には会費と引き替えに三国志学会機関誌『三国志研究』第十三号(180ページ、ISSN 1881-3631)が渡された。 『三國志研究』は上記サイトにもあるように汲古書院で購入できるそうな。 ・株式会社汲古書院 古典・学術図書出版 http://www.kyuko.asia/ ※前号記事 三國志研究第十二号(2017年9月9日) ※次号記事 三國志研究第十四号(2019年9月14日) ※新規関連記事 三国志研究第十九号(2024年9月8日発行)
: 清岡美津夫
2018年9月15日(土) 23:37 JST
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ノート1:三国志学会 第五回大会
※前記事&目次 ノート:三国志学会 第五回大会(2010年9月11日) ○開会の辞 (10:00~10:10) ※頭に「○」を冠する場合はプログラムより。以下同じ。 10時を過ぎると牧角悦子先生から開始のアナウンスが入るも、会長の狩野直禎先生のご体調が優れないとのことで(今年2010年の暑さの影響とのことで)、代わりに渡邉義浩先生から開会の辞で、そういった経緯を話されていた。牧角先生によると、渡邉先生もご体調が優れないそうな。そのため、来年は狩野先生のお膝元の京都で三国志学会大会が開催される旨が告げられる。 ○研究報告 10:10~11:00「蜀漢の南中政策と「西南シルクロード」」
: 清岡美津夫
2012年7月24日(火) 00:01 JST
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メモ:「魏晋南北朝時代における地方長官の発令「教」について」
※前記事 メモ:「功次による昇進制度の形成」 手元に一つの論文のコピーがある。冨谷至/編『東アジアにおける儀礼と刑罰』(日本学術振興会 科学研究費基盤研究(S)「東アジアにおける儀礼と刑罰」研究組織、2011年3月20日発行)のP.21-55に収録された佐藤達郎「魏晋南北朝時代における地方長官の発令「教」について」だ。前記事や下記関連記事と同じ著者となる。 ※関連記事 リンク:「漢代の扁書・壁書」 この『東アジアにおける儀礼と刑罰』は、ネットを見ると下記ブログ記事等にその書名が見える。 ・關尾史郎のブログ http://sekio516.exblog.jp/ ・拝受(11/04/11) (※上記ブログ記事) http://sekio516.exblog.jp/14592822/ ・拝受(11/04/28) (※上記ブログ記事) http://sekio516.exblog.jp/14694439/
: 清岡美津夫
2011年8月17日(水) 21:05 JST
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「東アジアの出土資料と交通論」ノート3
※前記事 「東アジアの出土資料と交通論」ノート2 ノートPCの入れ替え中、司会による次の発表の紹介が入る。 10:17。次の発表が始まる。予め配られたレジュメはA3の3枚、6ページ分。 ●上野祥史氏(国立歴史民俗博物館)「漢代北方の地域社会と交通―県城遺跡と漢墓の技術から―」 科研の採択を受けて2005年から7年までの三年間、中国の北方地域を対象に地理学、政治史、環境史、考古学の四者で共同研究をおこなったとのことで、その成果が今回の発表だという。 ○はじめに 出土資料から交通論のアプローチが今回のシンポジウムのテーマ。この発表では交通路が結びつけるものは何かという視点で入る。人・情報ではなくハードウェアである地域を結ぶと考え見ていく。交通路に結びつけられる地域と地域がどのような関係にあるのか、すなわち地域と地域の関係から交通路をあぶり出していく。対象となるのは前漢代の北方地域。 ○1. 漢代の北方地域とは まず前提部分(※スクリーンに現在の地図が映し出される)。現在の山西省北部、内蒙古中南部、河北省北部を対象とする(※スクリーンの地図上、赤で示される)。この地域は歴代王朝が北方の諸民族と抗争した場であり、漢代も例にもれず、匈奴・鮮卑との抗争の場であった。 他の視点から北方地域がどう見えるか紹介。考古学をやっているが、昨年の中国考古学会で発表したのは、お墓の構築技術によって地域と地域がどのような関係にあるか、どう地域区分ができるか、というもの。前漢代(の華北)にはこのように八つの地域に分けることができる(※スクリーンに航空写真で映し出さ示される。またレジュメにはより単純な地図がある)。今回対象となるのはE地域、このような北方地域になる(※八つの地域の地図上最北地域)。造墓技術と漢代の地域区分を結論だけ示したが、プロセスを少し説明。前漢の後半期にどのような墓がどこで作られたかがこの図(※スクリーンに地図と共に説明が入る)。木築墓、木材が主な構築材料。磚築墓、煉瓦が主な構築材料。木築墓は今回対象にする北方地域、東シナ海沿岸の山東省東部、江蘇省に分布している。平たく言えば当時の周緑地域、辺境。磚築墓は中央地域、いわゆる王朝の中央地域に広がったのに対し、伝統的な木築墓は周辺地域に残ったと通常、解釈される。 今日の発表で二つの視点を提唱したい。一つはマクロな視点。県城と県城との関係を検討し、王朝の地域経営の戦略を復元する、あるいはそれを接近していこうというもの。もう一つはミクロな視点。お墓を対象として県城を中心とする一つの地域社会、その中における集団関係がどうであるか、これを検討していくもの。入れ物同士の関係がマクロな視点、そして入れ物の中に入っている人の構成がミクロな視点となる。 ○2. 地域社会のマクロな視点:県城遺跡 ○(1)北方領域の二つの姿 城郭とは、一つは地域社会の結節点となる。先ほどの金先生の発表にもあったように、漢代の行政区分として県の下には里、亭、郷といった下部組織、構造があり、一つの地域の結節点として県、県城がある。王朝の側からするとこの県城を掌握することにより、地域経営を進めていく、その拠点となる。科研の方で実際、その遺跡を見てきた(※スクリーンにだだっ広い草原の中に盛り上がっている写真などが映し出されており、それらが広武県故城や雲中県故城の写真。それをあれこれ説明)。広武県故城について。現状に残っているものでも10メートルを越えるだろうという城壁を確認。雲中県故城について。写真の内側が400メートルの城壁、外側に1.2キロメートルの城壁が回っている。 現在出ている遺跡地図集、考古学の報告書などからお城の情報を集めた。衛星写真を使って地理学の先生に依頼して地形利用というのを合わせた。地形利用図と考古等高を重ねるとどのように北方地域を復元できるか(※スクリーンに図が映し出される)。緑の部分が氾濫原、川の流域。川の流れを示すために青い線を入れるようお願いしたが、無理と言われた。つまり川の流れは常に動くものだということ。これが農耕が出来る可耕地、肥沃な土壌になる。その周辺にある黄色い部分、これが扇状地になる。山から川が流れてきて平原に降りてくる、その出口に扇状地が形成される。そこではやや水の利用が難しいと聞く。黒い部分が山塊になる。 ちなみにこの地形図からどのような交通路が復元できるか線を引くと(※スクリーンの地図に線が足される)、たくさんの線ができる。というのも河川の流れによる渓谷(※地図中、白い線)が重要な交通路になるだろう、ということで地理学の先生に線を引いて貰うとこのような図が返ってきた。 図において、中塗りの四角が県との対応がつく城郭になる。そういった城郭は交通路の結節点に当たる。 今回は二つの地域について。一つは河套平原。黄河が東に向かって流れる部分から南に流れを変える部分、まさにそこで形成された巨大な平原。南側に大同盆地と(※スクリーンの地図に)書いたが、こちらも地形図を見る限り、やや広域に広がる氾濫原を持つ盆地ということで、この二つの関係を見ていく。 まず城の立地環境。ここでは三つあげている。レジュメにあるように平地型、盆地型、谷筋型。平地型というのは扇状地も含めた平原のふちにお城を築く。それに対し非常に狭い谷筋に、やや可耕地、氾濫原が見える、一部分に城を築くのが盆地型。氾濫原を持たない谷筋に拠点を築くものを谷筋型とする。 次に城と城との関係。分布状況は二つの類型がある。一つは相互の関係が非常に密に、ある地域に密集すると、これを拠点密集型と呼ぶ。もう一つを等距離分散型と呼ぶ。大同盆地では城郭と城郭の距離が比較的等距離と見て取れる。 これらの三つの立地環境の分類、二つの分布状況の分類、これら二つの次元をよりどころにして河套平原と大同盆地の関係を整理していく。 大同盆地では平地型で等距離分散型。この状況は、王朝の視点からすると、広域ネットワークを構築し面的に地域を掌握することを意図した地域経営戦略。一方、河套平原は同じ平地型だが拠点密集型。これは王朝の視点からすると局地的に地域開発をする、あるいは拠点防衛を目的とした地域経営戦略。これが小タイトルにある「二つの姿」となる。 ○(2)雲中郡と定襄郡 縮尺を上げて、河套平原の内実を詳しく取り上げる。(※スクリーン上の地図において、またレジュメの図3において)中塗りの四角が県城との対応がついている城郭、白抜きの四角が城郭は確認されるが県城との対比が現状では難しいあるいは対比がなされていない城郭。 雲中郡の属県、定襄郡の属県それぞれがどのようなものかがこの図。雲中郡の属県が実線の黒で結んでいる。黒の点線が定襄郡の属県を示している。雲中郡の場合、その郡治(雲中県)に対し、東北側と東南側に城郭が密集する区域がある。それらを結びつけるのが郡治。それに対し郡治(成楽県)を中心とした定襄郡のネットワークは南の谷筋沿いに広がっていくネットワーク、あるいは北側に谷筋沿いに広がっていくネットワークを見ることができる。 先ほど、拠点開発・拠点防衛を目的とした河套平原と言ったんですが、その中にも県城のネットワークとして二つの要素が見える。雲中郡の場合は、郡治を河套平原の氾濫原のど真ん中に置いており、その郡治は拠点に必要な城郭群の結節点として機能している。それに対し定襄郡は、河套平原に出てくる出口、山麓・扇状地縁辺に郡治を置く。その郡治を中心に結びつけられる県城は谷筋を利用する線上に伸びるネットワーク。 それらを王朝の地域経営という視点で再整理すると、雲中郡はフロンティアを開発することを目的とした開発型のシステムと言える。拠点を開発していこうということで密集型に城郭を置いたのではないかと考えられる。それに対し定襄郡は開発すべきフロンティア(河套平原)の後背地にある交通要衝を掌握することを目的としたシステムである。裏を返せば軍事型、または交通路型といったネットワークだったのではないかと考えられる。 ○(3)「安陶丞印」封泥 この中にある一つの城郭で封泥が数多く出ている。文字を記したものが約100件、文字を持たないものが370件余り。安陶県の県城と考えられる城郭の二十家子城址から出てきた。 断片的に情報が報告されているため、総合的に復元することは難しいが、[内蒙古自治区文物工作隊 1961]をベースにして再整理をする(※まずスクリーンに二十家子城址の平面図が映し出される)。穀物を貯蔵するための貯蔵穴で穀物と封泥とが一緒に出てきている。 封泥は具体的にはこのようなものがある(※スクリーンやレジュメに写真が出てくる。それぞれ説明が入る)。 (※以下、レジュメより釈文) 安陶丞印 定襄丞印 武進丞印 平城丞印 駱□□□ □□太□章 都武□印 安□左□ 武□右□ 東郷 西郷 倉 □□庫□ 「□□太□章」は「定襄太守章」となり太守の章とのこと。「倉」や「庫」は軍事関連で「左□」「右□」はそれぞれ「左尉」「右尉」という軍事的官職か。 『漢書』地理志との対照する(※スクリーンに図がいくつか出てくる)。出ている地名と件数を対応させる(※表が出てくる)。先ほどのお城の結びつき地形との関係によって復元した地域間のネットワークを傍証するような封泥がある。 「左尉」「右尉」等、武官の関係を示す封泥があったが、実はこの二十家子城址は別の点でも重要な城になっている(※スクリーンに二十家子城址出土の鎧のスケッチが出てくる。林 巳奈夫/編『漢代の文物』挿図10-74でスケッチされるのと同じ鎧)。前漢の武帝紀の甲冑の構造を知ることができる史料はほとんどないが、考古学で武装の話をするときに必ず引かれる史料。 ○3. 地域社会へのミクロな視点:漢墓葬 墓を使って地域社会の階層構造、構成を見ていく。まず史料の着目点と何が明らかになるかという点を整理。 一つ目は、墓の構造や規模、副葬品や葬制に格差が存在。入れ物の墓、入れる物に格差を見出すことができる。格差を元にして被葬者の関係性ということで地域社会の集団関係あるいは階層構造を検討することが可能。地域社会の状況を現地の写真で説明(※スクリーンに漢墓やそれら群の写真が出てくる)。現地へ同行した仏教大学の杉本先生に「じゃ漢代というのはお城から外を見ると墓山だらけだったんですかね?」と言うと「んー、多分、そうに違いない」とのこと。県城の周りにはその被葬者を葬るべきお墓が周辺に相当数存在したと言える(※さらにスクリーンに漢墓やそれら群の写真が出てくる)。 被葬者を葬って副葬品を添える空間があり、その構造がどうであるか整理。北方領域では上位階層が木築墓。格差を示す副葬品としては青銅器、漆器等。お墓の大きさで上位と決めた。規模が大きな墓は木築墓。これは河套平原でも大同盆地でも同じ現象。ところが両地域で違ってくるのは磚築墓の存在。現状では磚築墓が出てくるのは北方地域では河套平原に限られる。 あと、お墓がいつごろから作られるのか? 我々の共通認識では、この点で河套平原と大同盆地とで差がある(※スクリーンでそれをまとめた図表が出てくる)。大同盆地では前漢を通じて造墓が増加している。前漢期の磚築墓はなし。一方、河套平原では前漢の後半期に造墓が盛んになる。造墓が始まった頃から磚築墓がある。 その背景を史書を見ながら考える。大同盆地では在地系の集団が地域社会を運営していた。だから伝統的な木築墓を使い続けた。上位階層もそういった墓葬を選択し続けた。一方、河套平原では上位階層が在地の伝統(価値)を引く集団。磚築墓の下位階層は外来系の集団の反映と考える。磚築墓とは長安、洛陽などの黄河流域、その辺りで出現し前漢の後半期には普及する。北方領域では磚築墓は自発的に現れる形式ではないので外来系の集団を想定。史書の開発の記事と対応すると、例えば王朝による徙民政策を反映すると考えられる。 ○4. まとめ
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2008年11月 9日(日) 14:16 JST
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三国志学会 第五回大会(2010年9月11日土曜日 二松学舎大学)
※関連記事 三国志学会 第四回大会(2009年9月5日龍谷大学) 三国志学会 公開講演会(2009年9月6日) 三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日) 三国志フェス2010(2010年8月21日土曜日) ※追記 三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日) ※追記 三國志研究第五号(2010年9月11日) ※追記 非常之人 三国志の覇者・曹操の人物像(2010年10月31日) ※追記 十大三国志ニュース2010 前編 ※追記 第30回 春の古書大即売会(京都古書研究会2012年5月1日-5日) ・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/ 上記サイトの「大会ご案内」のページで昨年の大会プログラムが残っていて、当然、清岡の名前もあるもんだから、有り難くも恐縮していたので、いつ今年の分へ変わるのか結構、頻繁にチェックしていた。 今日、見てみると、昨年と違い、日時、会場、プログラム共々、今年の分へ一気に更新されていた。 というわけで、「三国志学会 第五回大会」は2010年9月11日土曜日に二松学舎大学 九段キャンパス3号館 3021教室(東京都千代田区)にて開催されるという。昨年、「三国志学会 公開講演会」が行われた所と同じ大学のキャンパス。あと大会に合わせて機関誌『三国志研究』が発行され、今回は第五号だね。(個人的な話だけど、日程的に往路は青春18きっぷを利用できそうだ)。 ・二松学舎大学 http://www.nishogakusha-u.ac.jp/
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2010年7月20日(火) 12:06 JST
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176.
魏晋南朝の遷官制度(2013年3月)
・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店~ http://www.toho-shoten.co.jp/ ・メルマガ登録 http://www.toho-shoten.co.jp/mailmag/ 上記の書店サイトの上記ページにあるように東方書店が発行するメールマガジン『書羅盤:チャイナブックナビゲーター』2013年第4号(総260号その2)(2013年5月30日発行)により知ったことで、下記の出版社サイトの書籍ページによると、京都大学学術出版会より2013年3月に藤井律之/著『魏晋南朝の遷官制度』(プリミエ・コレクション 32、ISBN9784876982752)が3990円で刊行されたという。 ・京都大学学術出版会:ホーム http://www.kyoto-up.or.jp/ ・京都大学学術出版会:魏晋南朝の遷官制度 http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1886 ※関連記事 魏晉政治社会史研究(2012年3月)
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2013年9月 7日(土) 00:31 JST
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井波 律子 先生、死去(2020年5月13日)
訃報です。 2020年5月13日20時2分に井波 律子 (いなみ りつこ)先生が肺炎のため死去されました。享年76歳でした。下記記事によると「今年3月に転倒で頭を強く打って入院していたが、肺炎を併発したという。」とのことです。 ・京都新聞 http://www.kyoto-np.co.jp/ ・井波律子氏死去 「三国志」研究で知られる中国文学者、76歳 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/amp/250158 井波 律子 先生は、日本初の『三国志』全訳本の翻訳者の一人として知られております。その『筑摩世界古典文学全集24A 三国志1』の刊行年月日が1977年6月29日ですので、井波先生33,4歳の業績でしょう。 ※関連記事 2005年『世界古典文学全集24 三国志』(筑摩書房)再版 三国志演義 全四冊合本版(2015年1月16日)
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2020年5月18日(月) 21:37 JST
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第2回三国志学会大会ノート1
<目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日) http://cte.main.jp/newsch/article.php/679 右隣でげんりゅうさんとしずかさんが中国史における降雪の表現みたいな話をしている。 やはり去年と同じく、金銭の授受がある受付で混んでいる模様。そのため、少し遅れ10時4分スタート。 駒沢大学の石井仁先生が司会。 ○会長挨拶 三国志学会会長 狩野 直禎 三国志学会の方針みたいなことに言及されていた。歴史だけじゃなく文学・思想などなど幅広い分野があり、また一般にも門戸を広げているってことなど。今回、発行された『三国志研究』2号についても。 ○報告(午前10時10分~午後1時) ○「長沙走馬楼呉簡にみえる「限米」――孫呉政権初期の財政についての一考察」 谷口 建速(早稲田大学大学院文学研究科) ●長沙走馬楼呉簡について ※小タイトルはレジュメ通り。以下、同じ 1996年に湖南省長沙市で出土した三国呉代の簡牘。公表されている簡牘の紀年は後漢中平二年(185年)-孫呉嘉禾六年(237年)。但し黄龍年間(229-231)、嘉禾年間(232-)に集中。主な内容は長沙郡ないし臨湘県(侯国)の簿籍・文書。総数は14万点以上。その中で図録本として刊行されているのは「嘉禾吏民田家莂」(以下、田家莂)と題される大型木簡2141枚、竹簡19636枚。 ●はじめ 走馬楼呉簡には倉庫関係の簡牘が多く含まれている →倉庫や出嚢や物資の流通など、当時の地方財政システムの理解に寄与する 谷口先生の今までの研究 穀倉関係簿の整理・分類の初歩的作業(出土した時点ではバラバラなので) 地方倉における搬出や移送といった穀物財政の仕組み及び簿籍の作成過程等の検討 伝世文献中に当時の税制に関する資料は乏しいため、これらの検討で新知見が得られる →簿籍簡牘に賦税などとして穀倉に入れられる穀物の名目の一つ「限米」について再検討(その性格を位置づける) →孫呉政権初期の穀物財政及び支配のあり方の一端を伺う。 ●一、穀倉に収蔵される穀物名目の概観 公表されている簡牘にもられる穀物名目の概観について。 (1)田家莂とは納税者台帳であり、田地の面積と租税額、納税の確認などの情報が記されている(レジュメにはその一例の釈文と書き下しが掲載) (2)賦税総帳木牘とは納入穀物の総帳。ある期間内に納められた総計と内訳が記される(レジュメにはその一例の釈文が掲載。所々、太字下線部になっていてどこが内訳を示しているかわかりやすくなっている) (3)穀倉関係簿(竹簡)。穀物納入の証明書(莂)を編綴して簿としたもの(莂簿)、一ヶ月・三ヶ月ごとの出納帳(それぞれ「月旦簿」、「四時簿」)など。 →レジュメの別紙に上記の簡牘の写真があり、その紹介。 続いてレジュメに「走馬楼呉簡中に見える穀物収入名目」がリストアップされている。分類としてa「税米」・「租米」(上記の(1)(2)(3)より)、b「限米」( (2)(3)より)、c官有物売却の代価としての米( (3)より)、d貸与返還米( (3)より)、e折咸米( (3)より) 「○米」の丘に「禾(アワ)」「粢(キビ)」「麦(大麦)」「豆(大豆)」なども見える。そのため「米」はイネのことと思われる。 先行研究に基づき簡単に分類 上記aは「田家莂」におると「吏民」(※吏と民以外にも卒なども含む総称)の田に課される米。米の他に布・銭も課されていて、それぞれを米で代納したのが「田畝布米」「田畝銭米」 →一般吏民に課せられた賦税と考えられる。 cは塩などの官有物を売却し、代価として得た穀物収入。「鹽(賈)米」 dは穀倉から貸与されていた穀物を民が返還したもの。「民還貸食米」。新規の収入ではない。帳簿上、他と区別。 eは輸送の過程などで失われた穀物を後日補填したもの。d同様、新規の収入ではない。 bの諸「限米」は身分呼称が冠されるのが特徴(例「衛士限米」)。 三説ある。1)国家の「正戸」でない者に課された米。最初に言われた説。「田家莂]」に記載されているのが「正戸」という理解に基づく。 2)屯田従事者が納入する米(「屯田限米」という記載があるから)。 3)「屯田限米」は屯田に関わる地租で、その他の身分は王族などの依附民が納めた地租 この三説に対するポイント ・「屯田限米」以外の「限米」も全て屯田に関係すると考えるか否か ・“「正戸」でない”、“依附民”などとされる「限米」納入身分者が名籍中にどうみえるか →これを再検討(先行研究があるものはレジュメの後で提示) ●二、「限米」の納入状況と田
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: 清岡美津夫
2007年9月 6日(木) 20:46 JST
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179.
唐代史研究 第21号(2018年8月)
下記のTwitter AccountのStatusで知ったこと。 ・東方書店 東京店(神田神保町) (toho_jimbocho) on Twitter https://twitter.com/toho_jimbocho ・Twitter /toho_jimbocho: 【国内書新刊】 『唐代史研究 第21号』 唐代史研究会/2018年8月/税込3,240円 ... https://twitter.com/toho_jimbocho/status/1052517232155062273 ※関連記事 中国古代車馬研究(2018年10月19日) ・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店~ http://www.toho-shoten.co.jp/ ※関連記事 中国版画散策 第44回(東方 451号2018年9月5日発行) ・国内書 唐代史研究 第21号 https://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=9900010465&bookType=jp ※新規関連記事 唐代史研究第27号(2024年8月出版) 発行元の唐代史研究会のサイトが見当たらないので上記の書店のページにあるように2018年8月に『唐代史研究』第21号(唐代史研究会)が出版され、東方書店では3240円で売られている。その学会誌の「新刊紹介」に「窪添慶文編『アジア遊学213 魏晋南北朝史のいま』(峰雪幸人)」がある。つまり下記リンク先にある勉誠出版より2017年9月に発売の窪添慶文/編『魏晋南北朝史のいま』(アジア遊学 213、ISBN978-4-585-22679-6)の峰雪幸人氏による紹介ね。「新刊紹介」以外に「書評」があって、別々なんだね。 ・勉誠出版 --HOME http://bensei.jp/ ・魏晋南北朝史のいま http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_14_40&products_id=100791 ※関連記事 魏晋南北朝史のいま(2017年9月)
: 清岡美津夫
2018年11月18日(日) 21:21 JST
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非常之人 三国志の覇者・曹操の人物像(2010年10月31日)
※関連記事 三国志学会 第五回大会(2010年9月11日土曜日 二松学舎大学) 上記関連記事で触れた「三国志学会 第五回大会」でレジュメと供にチラシが並べられていて、それによりとあるシンポジウムが開催されることを知る。 2010年10月31日13時から17時まで二松学舎大学九段キャンパス1号館地下二階 中洲記念講堂にて二松學舎大学文学部シンポジウム2010「非常之人 三国志の覇者・曹操の人物像」が開催されるという。 ・二松学舎大学 http://www.nishogakusha-u.ac.jp/ ※10月15日リンク追記 ・非常之人~三国志の覇者・曹操の人物像|二松学舎大学 http://www.nishogakusha-u.ac.jp/sangokushi/ ※開催半月前にしてようやく公式ページができた。申込方法を探している方をアクセスログで多数みたけど、予想通り「入場無料(先着順・申込不要)」とのこと。進行・コーディネーターは伊藤晋太郎先生。 そのフライヤーには下記に引用するような出演者や講演タイトル(?)の記載があった。 ━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 鈴木 厚氏 (BSジャパン「覇王・曹操の墓は語る!」ディレクター) 曹操の実像をたずねて 渡邉 義浩氏 (大東文化大学教授・三国志学会事務局長) 英雄? 姦雄? ゆれる曹操像 葉口 英子氏 (静岡産業大学准教授) ゲーム空間の曹操像 ━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ※リンク追記 ・大東文化大学 中国学科 渡邉義浩研究室 http://www.ic.daito.ac.jp/~y-wata/ 引用箇所中にある「BSジャパン~」については下記関連記事参照。 ※関連記事 三国志ミステリー 覇王・曹操の墓は語る!(2010年6月12日) ちなみにフライヤーの文には「曹操の墓」発見のニュースや『蒼天航路』アニメ化について触れられる。 ※関連記事 リンク:曹操高陵在河南得到考古確認(2009年12月27日) 蒼天航路(2009年8月21日- DVD&Blu-ray) ※追記 東アジア王墓フォーラム(2010年11月3日奈良県橿原市) ※追記 十大三国志ニュース2010 前編 ※追記 リンク:非常之人~三国志の覇者・曹操の人物像レポート ※追記 三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日) ※追記 ノート4:三国志学会 第五回大会
: 清岡美津夫
2010年9月18日(土) 13:44 JST
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