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メモ:KURA(金沢大学学術情報リポジトリ)
上記関連記事で触れた、上田望「日本における『三国演義』の受容(前篇)―翻訳と挿図を中心に―」『金沢大学中国語学中国文学教室紀要』、Vol.9、2006年3月、pp.1-43を読んでいて、ふと気になってその注で出されていた論文を当たる。
それが鈴木重三『絵本と浮世絵 江戸出版文化の考察』(美術出版社1979年3月31日発行)のpp.239-243にある同著者の「日本における三国志の挿絵本」だ。短いながら江戸時代に脈々と出版されていた「三国志の挿絵本」についてよく纏まっている。図書館から借りてきた。
導入は岩波書店の『図書』の『少年三国志』について触れることから入る。下記に引用する通りだ。
p.239
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
岩波書店の『図書』に、少年向きに要を摘んだ「少年三国志」が連載されたことがあり、それに江戸時代刊行の三国志の抄訳や俗解本の挿絵を載せていた。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
これは下記関連記事でふれたように、目を通していたのだけど、やはり既存の挿絵の寄せ集めだったんだね。
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日中における中国四大名著のマンガ比較研究(同志社大学2013年3月21日)
そこから本題の挿絵本について、赤本の羽川珍重/画『三国志』(1721年)、黒本の鳥居清満/画「通俗三国志」(1760年)、桂宗信/画『絵本三国志』(1788年)が挙げられていた。『絵本三国志』(1788年)についての論考は前述の上田先生の論文でツッコミが入り、さらに下記関連記事で触れた梁さんの博士論文で詳細に検討されてある。ここらへんの並びは前述の上田先生の論文と同じで、合巻(ごうかん)本として十返舎一九/作、歌川国安/画『三国志画伝』(1830年)に触れられ、それから印象に残ったのは「女に書きかえた『傾城三国志』合巻、墨川亭雪麿作・歌川国貞画、文政十三年)があり、」ってところか。それから『世話字綴三国誌』(1804年)についても下記関連記事で触れた論文と同様の説明がされていた。
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メモ:江戸文学における『三国志演義』の受容 (東京大学2010年10月28日)
あとメモとして「読本」は「よみほん」と読む。最後の2ページで葛飾戴斗二世/画『絵本通俗三国志』(1836-1841年)について。その流れで最後は下記に引用するように閉める。
p.243
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
宗信と戴斗の、いわば柔剛二様の三国志の挿絵を見る時、単に流派の差異を感じるだけでなく、絵師に求める当時の同社層の好尚の推移変化とでもいったものをまざまざと受け取らされるような気がする。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ちなみに挿絵本、というより赤本とか黒本とか黄表紙とか草双紙の分類については同じく上田先生の論文の注で触れられていた、水谷不倒『水谷不倒著作集 第二巻』(中央公論社1973年12月10日発行)が参考になる。
※追記
正史「三国志」からひもとく ~英雄たちの蹄跡(2014年7月13日-9月28日)
※追記
『三国志画伝』における『通俗三国志』の理解(2007年3月)
※追記
リンク:歌舞伎の世界における関羽の受容(2011年3月31日)
※追記
墨川亭雪麿『傾城三国志』翻刻(2015年1月30日、2016年3月30日)
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メモ2:江戸文学における『三国志演義』の受容 (東京大学2010年10月28日)
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リンク:世話字綴三国誌 6巻(1831年)
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