※前記事
メモ3:「アクセス集計に見られる現代日本における三国志由来事項の変容と浸透」
2009年9月5日に「三国志学会 第四回大会」を聴講したんで、いつものように「三国志ニュース」にノートを書いていこうと思うんだけど、その前に今回、私は報告者ということもあり記録の意味でも、当日までの経緯を書こうかと思う。特殊ケースなので誰かの参考になるとは思えないけど、何かの役に立てれば幸い。
・三国志学会
http://www.daito.ac.jp/sangoku/
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三国志学会 第四回大会(2009年9月5日龍谷大学)
2009.2.11.
今回のことと直接は関係しないんだけど、「超級三国志遺跡紹介ホームページ≪三劉≫」のサイト管理人さんが「三国志学会 第三回大会」で発表した体験談をサイトで公開していることを知り合いから聞き、下記のように記事にする。
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残念ながら私は「三国志学会 第三回大会」に一般聴講できなかったので、その分、その体験談を通じ、研究者以外の方が三国志学会大会で発表するという臨場感を無邪気に味わっていた。
2009.2.14.
というようなことを記事にしていたら、三国志学会事務局長の渡邉義浩先生からメールで「三国志学会 第四回大会」(於 龍谷大学)への報告のご依頼を受ける。
(今、気付いたんだけど、ステキなバレンタインプレゼントだったんだね・笑)
正直に書けば、素人の報告だと言うことで少しは大目に見てくれるだろうが、批評に耐えうる報告テーマなんて思い付かないと見なしたものだから、三十秒も考えないうちに断るつもりでいた。ところが、その話をそれぞれ別方面の知り合い二人にしてみると、二人とも依頼を受けるべきだとアドバイスしてくれる。
それで断りのメールを出すのを思いとどまり、当時、別件で映画『三国志』に関する原稿を抱えていたものだから、それを仕上げる後まで判断を先送りにすることにした。
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とは言っても、やはりそういう重要事項はなかなか頭から離れなかったようで、翌日の15日には大体のテーマを思い付いていたようだ。以下、15日16:48の私から知り合いへのメールから引用する。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私が思い付いたテーマで今のところ、いけそうなのは、
「一サイトのアクセス解析に見られる近年における三国志ブームの一側面」
というやつでしょうか。
2004年10月から2008年末までの三国志ニュース(含むサポ板)のアクセス解析の検索ワード等を分類整理して、そこから有意性を見出すというものです。
(※と今、確認すると、2005年3月からしかないので、キリの良いようにそから2009年2月までで良いかもです。)
うまく有意性を見出せれば、「初心者にどうやって三国志の世界に誘うか」という私が知りたいこと(=裏テーマ)を導き出せるかもしれません。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2009.2.17.
前日に別件の原稿を納入し、報告の是非に気を向けることになる。前述したように内容が内容だけに、報告はサブカルチャーについて触れざるを得ないこと、私が忙しい時期に報告の準備期間が重ならないかということの二点が懸念材料だった。その二点さえクリアできれば、発表できるので、その確認の旨と報告内容を書いて先生にメール送信する。その時の報告内容は下記のようになる。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
タイトル:「アクセス解析からみる現代日本における三国志関連の変容と浸透」
アブストラクト:
一つあるいは複数のWebサイトに設置されたアクセス解析により、使用ブラウザ名やアクセス元のホスト名など様々なアクセス情報をページごと時間ごとに知ることができる。それら情報の中でリンク元のURLに着目すると、どのWebページからアクセスされたか以外にも、何のキーワードを使って検索サイトからWebサイトへアクセスしたかを観測することができる。このような条件のアクセス解析において、設置したWebサイト内に検索対象となるキーワードがないとアクセスされないという内的制約のほか、あるキーワードについて他のWebサイトへより多くアクセスされる可能性があること、そもそもワールドワイドウェブを利用する世代に偏りがあることなどの外的制約があり、一般性があるとは言い難いものの、アクセス情報に現れる検索キーワードには多くの人々による関心、引いては社会からの関心が色濃く反映されると期待できる。そこで「三国志」関連を専門に扱う日本語のWebサイト「三国志ニュース」および「三国志ファンのためのサポート掲示板」の全ページに設置したアクセス解析による過去4年間(2005年4月から2009年3月まで)の解析データを元に、そこに現れる検索対象となるキーワードを集計・分類するという定点観測を行うことで、過去4年間における現代の日本人が抱く「三国志」関連への関心の変遷を追い、そこに示唆される現代日本における「三国志」関連自体の変容および社会への浸透とそれらに関わる社会現象を探る。また、この観測方法が持つ前述した様々な制約を緩和するための方法を提言し、産業利用や学術利用への応用を提案する。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
例として、詳しい説明は伴えるつもりはなかったが、『無双OROCHI』や『恋姫†無双』が出ると伝えたが、OKだとのこと。また「三国志学会 第四回大会」の開催日は9月5日だそうで、私の予定とも合いそうだった。
二点の懸念材料がクリアされ、その日のうちに報告することが決まり、当日、プロジェクターを使えることもわかる。
翌日にアクセス集計に備え、下記からフリーウェアの「OpenOffice3.0」をダウンロードする。表計算の部分しか使わないんだけどね。
・OpenOffice.org日本語プロジェクト
http://ja.openoffice.org/
2009.3.7.
この頃に、すでにアクセス集計の作業に取り掛かっていたようで、下記の記事にあるように2005年4月から2005年10月までのアクセス集計を終えていた。
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当時の状況をよく表したのが下記に引用する文。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
作業へのモチベーションを上げるため、勝手に大げさなイメージを広げている。つまり、超新星爆発で生じるニュートリノをスーパーカミオカンデで観測するイメージを、三国志に関する社会現象により生じる多くのネットユーザーの検索活動(関心による行動)をサイトのアクセス解析で観測することに重ね合わせている。つまり、サイト全体を検出器に見立てている。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2009.3.21.
さらに下記の記事で見られるように、アクセス集計をしながらその方法を確立させようとしていたようだ。この記事は報告に組み込まれる。
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メモ:検索ワードの分類
2009.3.27.
下記記事にあるように、2006年のアクセス数が増大し、その分、作業量も増大したものだから、この頃になると作業予定の縮小を考えつつあった。やはり完全な手動だと負担が大きすぎる。この記事も報告に組み込まれることとなる。
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2005年度におけるコーエーとセガの三国製品への関心変遷
2009.4.21.
アクセス集計を行いつつも、下記記事にあるようにどう論を展開させるか見据えていた。結局、そこに書かれていることは、まとまりが付かなかったものだから、報告に組み込まれなかったんだけど。
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2009.5.21.
下記記事にあるように、すでにアクセス集計のノルマが達成できないでいたので、一年短縮しようと決意を固める。
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2009.5.29.
それで今回の報告の落としどころ(オチの部分)をそろそろ気になり始めていた。改良案の提示を考えていた。それが下記の記事にあるような「三国志ワーズネット」だ。案はがっちり決まっていたものの、具体的な構築は特に進んでいなかったので、報告では取り込まれなかったんだけどね。
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メモ:ポータルサイト「三国志ワーズ」構想
ともかく最近では「検索語句の共有化」は重要な指針だと認識している。うまく「NPO三国志フォーラム」の活動とリンクできれば良いんだけど。
2009.6.10.
先生から報告タイトルの確認メールが届けられる。少し変えて、
「アクセス集計に見られる現代日本における三国志由来事項の変容と浸透」
とする。
2009.6.25.
「三国志学会 第四回大会」のプログラムの発表があり、それを見ると、私の報告のタイトルが一番長いと知る。もっと短くても大丈夫だったんだね(汗)
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三国志学会 第四回大会(2009年9月5日龍谷大学)
2009.7.9.
ルーチンワークとしてアクセス集計を進めるだけだと、不安になってきたものだから、下記の記事にあるように、発表にも配付資料(予稿、要旨、レジュメ)にも転用できるような文を書き始める。
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メモ1:「アクセス集計に見られる現代日本における三国志由来事項の変容と浸透」
2009.8.3.
下記記事にあるようにようやくアクセス集計の作業終了の目処がたつ。
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メモ2:「アクセス集計に見られる現代日本における三国志由来事項の変容と浸透」
2009.8.13.
下記記事にあるように、アクセス集計の作業が終了し、データ解析の段階になっても別のアクシデントが生じ時間を浪費する。
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メモ3:「アクセス集計に見られる現代日本における三国志由来事項の変容と浸透」
2009.8.16.
この頃、データ解析の結果に基づく、発表資料(スライド)を作成を開始する。それと並行し報告に関係する作文を進める。その発表資料のデザインが「勝手に「三国志検定」おべんきょう会in東京」のものと似せているので、作者のUSHISUKEさんに許可をとる。
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勝手に「三国志検定」おべんきょう会in東京(2009年6月20日)
2009.8.25.
龍谷大学の竹内先生から当日の使用機器などの確認連絡のメールを頂く。メールをやり取りする過程で配付資料(予稿、要旨、レジュメ)のコピーをしてくださることとなり、配付資料のデータ提出の締切が9月3日に決まる。
2009.8.30.
画用紙で名刺を作成する。使用ソフトはAdobe InDesign CS
2009.8.31.
私がそれまで作っていた配付資料(予稿、要旨、レジュメ)は1、2枚でまとめることが普通だったんだけど、知り合いからの話だと、東洋史の分野では10ページ以上に及ぶことが普通だと聞いたんで、遠慮なく用意していた作文をあまり削ることなく、配付資料作成を行う。
2009.9.2.
配付資料(予稿、要旨、レジュメ)、発表資料完成。前者は14ページに及び、後者は39ページに及ぶ。
元々、発表用の作文を常体を敬体に替えてそのまま読み上げようと思ったが、それだと時間内に収まりそうになかったので、発表資料を見ながら、ほとんど新たに作文することにした。ここらへんの時間への注意は三国志講習会「劉備のデビュー」(2006年8月14日第五回三顧会)に対する反省からのもの。
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第五回三顧会ダイジェスト2 三国志講習会「劉備のデビュー」
2009.9.3.
配付資料(予稿、要旨、レジュメ)をPDFにしてメールに添付し送信した。A4両面コピーで7枚上下ホッチキスとめしてくださる。
2009.9.4.
発表原稿完成。実際に声を出して読み上げ、時間を測定する。そうすると40分程度でちょうど良く、細かいところ以外は修正を行わなかった。その際にレジュメの間違いに気付き、発表の冒頭でまずそれを訂正する必要があると考えると、緊張が解れていた。
※次記事
三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日)
※追記
三國志研究第五号(2010年9月11日)
※追記
日本マンガ学会第13回大会に至るまで(2013年7月4日-)
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