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『三国志画伝』における『通俗三国志』の理解(2007年3月)
上記関連記事を書く際に、そこでふれた論文がCiNiiでないか検索したときに気付いた論文。
・UTokyo Repository: 歌舞伎の世界における関羽の受容
http://hdl.handle.net/2261/51602
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『三国志演義』における日本語の翻訳(比較文学・文化論集 第36号2019年3月31日発行)
上記の東京大学のリポジトリのページにあるように、梁蘊嫻「歌舞伎の世界における関羽の受容」(『比較文学・文化論集』28号, 2011.3.31, pp. 1-10, 東京大学比較文学・文化研究会2011年3月31日)という論文があって、それが上記リンク先にてPDFファイルとして読めるという。
読んでみると、途中、三国から離れ景清の詳しく丁寧な解説になり、下記関連記事でふれた『源平討魔伝』以来の景清ファンだったんで(というかあとは図書館で戯曲の『出世景清』を借りたぐらいしかないミーハーぷりだが・汗)、そのルーツをちゃんとした学術の文法で記されていてウハウハ(死語)で読んでいた。そしてやはり景清が扮したのは関羽じゃなくて張飛だね。もちろんその後は歌舞伎での関羽がどう表象されるかについて詳しい解説がある。
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壽三升景清(2014年1月2日-26日)
それはどうしてか、の説明でp.6の「つまり、関羽や張飛に変身させたことで景清における新たな形象を浮かび上がらせたのである」とあり、江戸の文化で関羽・張飛がどう扱われたかの一端が見える。
「黄表紙『通俗三国志』(刊年不明)」の本文についての説明で、p.9に「三国志演義」では、関羽が悪魔を退治する神として扱われていないので、このような認識は『三国志演義』というテクストを通じての受容ではなく、ほかのルート、つまり宗教のレベルで伝わってきたと考えられる」とあって、「明末清初の動乱を避けた文人や黄檗僧」が情報の担い手である可能性が示唆されており、三国に関する文化の伝達に深みがあると示されていて興味深い。
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日本における三国志の挿絵本(1979年3月31日)
というわけで目次を下記にまとめてみる。
p.1a 一、『三国志演義』における関羽
p.1a 1)「義」に厚い
p.2a 2)武勇
p.2b 3)怨霊顕現
p.3a 4)驕る性格
p.3b 二、歌舞伎における関羽
p.3b 1)荒事
p.8a 2)関羽信仰
p.9a 三、結び
p.9b 注
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リンク:日本に於ける周瑜像についての一考察(2013年7月)
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