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第2回三国志学会大会ノート1


  • 2007年9月 6日(木) 20:46 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,781
研究 <目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/679

 右隣でげんりゅうさんとしずかさんが中国史における降雪の表現みたいな話をしている。

 やはり去年と同じく、金銭の授受がある受付で混んでいる模様。そのため、少し遅れ10時4分スタート。
 駒沢大学の石井仁先生が司会。

○会長挨拶 三国志学会会長 狩野 直禎

 三国志学会の方針みたいなことに言及されていた。歴史だけじゃなく文学・思想などなど幅広い分野があり、また一般にも門戸を広げているってことなど。今回、発行された『三国志研究』2号についても。


○報告(午前10時10分~午後1時)

○「長沙走馬楼呉簡にみえる「限米」――孫呉政権初期の財政についての一考察」 谷口 建速(早稲田大学大学院文学研究科)

●長沙走馬楼呉簡について
 ※小タイトルはレジュメ通り。以下、同じ

 1996年に湖南省長沙市で出土した三国呉代の簡牘。公表されている簡牘の紀年は後漢中平二年(185年)-孫呉嘉禾六年(237年)。但し黄龍年間(229-231)、嘉禾年間(232-)に集中。主な内容は長沙郡ないし臨湘県(侯国)の簿籍・文書。総数は14万点以上。その中で図録本として刊行されているのは「嘉禾吏民田家莂」(以下、田家莂)と題される大型木簡2141枚、竹簡19636枚。

●はじめ

 走馬楼呉簡には倉庫関係の簡牘が多く含まれている
  →倉庫や出嚢や物資の流通など、当時の地方財政システムの理解に寄与する
 谷口先生の今までの研究
  穀倉関係簿の整理・分類の初歩的作業(出土した時点ではバラバラなので)
  地方倉における搬出や移送といった穀物財政の仕組み及び簿籍の作成過程等の検討
 伝世文献中に当時の税制に関する資料は乏しいため、これらの検討で新知見が得られる
  →簿籍簡牘に賦税などとして穀倉に入れられる穀物の名目の一つ「限米」について再検討(その性格を位置づける)
   →孫呉政権初期の穀物財政及び支配のあり方の一端を伺う。

●一、穀倉に収蔵される穀物名目の概観

 公表されている簡牘にもられる穀物名目の概観について。
 (1)田家莂とは納税者台帳であり、田地の面積と租税額、納税の確認などの情報が記されている(レジュメにはその一例の釈文と書き下しが掲載)
 (2)賦税総帳木牘とは納入穀物の総帳。ある期間内に納められた総計と内訳が記される(レジュメにはその一例の釈文が掲載。所々、太字下線部になっていてどこが内訳を示しているかわかりやすくなっている)
 (3)穀倉関係簿(竹簡)。穀物納入の証明書(莂)を編綴して簿としたもの(莂簿)、一ヶ月・三ヶ月ごとの出納帳(それぞれ「月旦簿」、「四時簿」)など。
 →レジュメの別紙に上記の簡牘の写真があり、その紹介。

 続いてレジュメに「走馬楼呉簡中に見える穀物収入名目」がリストアップされている。分類としてa「税米」・「租米」(上記の(1)(2)(3)より)、b「限米」( (2)(3)より)、c官有物売却の代価としての米( (3)より)、d貸与返還米( (3)より)、e折咸米( (3)より)
 「○米」の丘に「禾(アワ)」「粢(キビ)」「麦(大麦)」「豆(大豆)」なども見える。そのため「米」はイネのことと思われる。

先行研究に基づき簡単に分類
 上記aは「田家莂」におると「吏民」(※吏と民以外にも卒なども含む総称)の田に課される米。米の他に布・銭も課されていて、それぞれを米で代納したのが「田畝布米」「田畝銭米」
  →一般吏民に課せられた賦税と考えられる。
 cは塩などの官有物を売却し、代価として得た穀物収入。「鹽(賈)米」
 dは穀倉から貸与されていた穀物を民が返還したもの。「民還貸食米」。新規の収入ではない。帳簿上、他と区別。
 eは輸送の過程などで失われた穀物を後日補填したもの。d同様、新規の収入ではない。
 bの諸「限米」は身分呼称が冠されるのが特徴(例「衛士限米」)。
  三説ある。1)国家の「正戸」でない者に課された米。最初に言われた説。「田家莂]」に記載されているのが「正戸」という理解に基づく。
   2)屯田従事者が納入する米(「屯田限米」という記載があるから)。
   3)「屯田限米」は屯田に関わる地租で、その他の身分は王族などの依附民が納めた地租

 この三説に対するポイント
 ・「屯田限米」以外の「限米」も全て屯田に関係すると考えるか否か
 ・“「正戸」でない”、“依附民”などとされる「限米」納入身分者が名籍中にどうみえるか
 →これを再検討(先行研究があるものはレジュメの後で提示)

●二、「限米」の納入状況と田

 『三国志』にも「限米」の記述があるが、まず走馬楼呉簡でどう見えるか。

●a.「限米」の納入状況
・「税米」・「租米」の納入事例(レジュメに釈文の数例)
 ここでレジュメ別紙の写真3)を使って解説。簡の上から三分の一のところに横線が引かれてあって、これは納入された時に付けられる印。二行に渡って付けられる印で片方を穀倉側、もう片方を納入した者が側に渡されるそうな(写真は穀倉側の方。つまり印に納入証明の意味がある)。この印以外にも下から三分の一に著名があってそれも両側に分かれている。
 →元々は納入の証明書として作成されたが、後で帳簿の形に編綴される。
   →編綴の仕方は各郷ごと。
・「限米」の納入事例(レジュメに釈文の数例かある)。
 ・「限米」の簡は「税米」・「租米」と書式が同じ。簡番号も近い。
  ※ここで簡番号の意味の説明。井戸から簡のいくつもの塊として発掘された。その塊ごとに番号を付ける。簡番号が近いということは同じ塊に入っており、同じような帳簿に入っていたと想定される。
  →「税米」「租米」「限米」の簡は同一簿にまとめられたと考えられる。
   →ここから収入としての性格の近さが伺える(逆に「鹽米」の簡は書式が異なる)
    ・「民還貸食米」は簡番号が特定の部分に集中しており独立の簿として編綴
    ・傍証として「税米」「租米」「限米」をまとめた表現(「税租限米」)がある
 ・納入簡のはじめに郷名が記され、簿に編綴される際も郷ごとにまとめられ、
  「税米」「租米」「限米」も郷に関する収入
  →「限米」の納入者が郷に所属or「限米」を課せられた田が郷に所属
  →「限米」納入者と「税米」「租米」納入者が同一区画(郷)内に散居。

●b.「限米」に課される田
 (レジュメに釈文の例とそれらの書き下し)「~郵卒田~畝々収限米二斛~」
  「~衛士田~畝々収限米二斛~」「~佃卒田~畝々収限米二斛~」
→ある領域内に存在する特定の田(郵卒田)の面積と、そこから徴収される穀物の総数の記録
 ・「郵卒田」「佃卒・衛士田」など納入者の身分呼称を関する田に「限米」が課される
  →「郵卒田」から徴収されたのが「郵卒限米」
 ・「限米」は田1畝ごとに2斛が徴収された
  →「田家莂」によると
    「税米」は1畝ごとに1斛2斗、「租米」は1畝ごとに4斗5升6合(嘉禾四年)
      →「限米」の方が高額なので屯田説の根拠の一つとなっている。

※10時47分。ここで司会の石井先生から講演者に紙が渡されたんだけど、時間、おしているのかな?

・「民田」に関して(レジュメに釈文の一例とその書き下し)
 「民田」全他の面積と徴収額を知るし、「民税田」と「民火種田」の内訳を記す構成。
 書式が「限米」の簡と同じで簡番号も近い。簡の性格が似ている。
 ・「民」は「吏」「卒」に対応する語。「郵卒」と同じく身分の表現
  →「限米」を課される「郵卒田」「佃卒田」「衛士田」
    と「税米」等を課される「民田」と対応関係
   ※孫呉政権では身分ごとに田地を把握。

 ・「租税雑限田」の表記について
  「雑限田」は上記の「郵卒田」「佃卒田」などの総称か
  →ここからも「限田」と「税田」「租田」の近さが伺える
   両者の違いは「屯田←→一般の田」という根本的な違いではなく、
   あくまで田に携わる者の身分の違いと考えられる。

・まとめ
 (1)「限米」に関連してみえる身分は「税米」「租米」納入者の身分と概ね重複しない
 (2)「限米」は「税米」「租米」と書式が同じで収入としての性格が近い
 (3)「限米」は郷に関わる収入。
   「限米」納入者は「税米」「租米」納入者と同様、郷に所属
 (4)「限米」を課される「限田」と
   「税米」「租米」を課される「税田」「租田」「民田」は並列的な位置。
 →「限米」は「税米」「租米」と同性格の賦税目であり、
  「郵卒」「子弟」など特殊身分の者に課せられたと推測。
  →「限米」に関する身分は、専門業務に携わる(「郵卒」)、
   新たに戸籍につけられた(「還民」)、など何らかの形で優遇されてい可能性が高い
    但し、1畝当たりの徴収額の高いことが疑問点
  →走馬楼呉簡中に裏付ける資料はないが、田に布・銭が課されない、
   他の税役面で優遇されている可能性がある。

●c.文献資料に見える「限米」。
 『三国志』呉書孫休伝永安元年(258年)条(その書き下し)がレジュメに引用されている
 第三代皇帝孫休が即位直後に発布したもの。
 諸吏の家で5人の男手のうち3人が役に就くケースがあって、「限米」を供出しなければならないという資料内容。
 →諸吏の家に「限米」が課せられていたことが分かる。

※ここらへん時間が押しているとのことでレジュメの記載より端折った解説

・孫呉政権では、一般吏民の家の田に課す「税米」「租米」の他、特殊な業務に従事する者及び吏の家の田に「限米」を課していた」
 →吏や特殊身分に対する特別な課税方法が制度化。
  「限米」の最も古い紀年は「黄武五年(226年)」であり孫呉政権の最初期から。

●三、郷・里の名籍中に見える「限米」納入身分
「限米」を課せられた身分のうち一部は、名籍中にもみえる(例がレジュメに引用)
→「給田帥」「給子弟」「給習射」「給私學」も「民」が当該身分の役目に従事したことを意味するか。これらの各身分も吏民と同様、郷・里の名籍に登録されていることを確認。
→ここから「限米」納入者が正戸の者でないとか王族などの依附民であるとは言えなくなってくる。
 「給子弟佃客」「給習射及限佃客」に見えるように一部の「限田」については「佃客」が耕作している。
・「限佃客」の名籍が見られる。

・最後に「永安元年詔」に関連し、走馬楼呉簡当時の吏の家の実態を伺う。
 「永安元年詔」に関連するような文書木牘(嘉禾四年八月廿六日、州吏三人家族二十三人の調査記録)の釈文とその書き下しがレジュメに引用されている
 1人が「限佃(限田耕作に従事する意か)」とある。
  →全ての“吏の家”に「限米」が課せられている状況を伺わせる「永安元年詔」と
   齟齬するようにも考えられるが、その他の家族の内訳を見ると
    (1)何らかの疾病を有する、(2)幼少、(3)既に吏役に就いている、ことが分かる。
→疾病や幼少であることを理由に「限佃」を免れていた可能性
・「永安元年詔」からは「限米」が“吏の家”にとって重い負担とも読みとれるが、本木牘からも“吏の家”の厳しい状況が伺える

●おわりに
 レジュメに「限米」のまとめが書かれている(報告中では触れるだけで読まれていない)

 10時54分終了。

 司会の石井先生から報告についてと、あと時間が押しているので手短で報告内容に関わる質問を促される。

質問1
「税米」「租米」との違いについて研究はされているのか。
回答
「田家莂」の研究で詳細な研究がある。「税米」「租米」に関わる田について違う(徴収額が違う)。具体的な田の性格についてはいくつか説がある。

質問2 早稲田大学の渡辺さん
(漢代では衛士は毎年派遣される中央政府の宮殿の兵士?※聞き取れず)衛士は兵士と考えられるのか? 「税米」「租米」に衛士は出てくるのか?
回答
「衛士」については研究されているものはない。「衛士」は○○(※聞き取れず)に派遣されたものではないか。

11時3分終了

 ここで事務局からのお願いということで会場を3号館114号室から1号館301号室に移ってくれとのこと。
 というのもよく見ると後の方でパイプ椅子が出されるぐらいなのにそれでも観客が入り切れていないので、さらに大きな会場に移動するということだ。学術系のイベントで観客150名オーバーってのは素晴らしいね。
 というわけでどういう大きさの会場か清岡は知らないので席が取れなかったら大変とばかりに急ぎ移動する。

<次回>第2回三国志学会大会ノート2
http://cte.main.jp/newsch/article.php/683

※追記 メモ:海外中国史研討会関連

※追記 曹操墓の真相(2011年9月)

※新規関連記事 長沙走馬楼呉簡の研究(2016年11月15日)

※新規関連記事 メモ:三国志学会 第十六回大会 報告(2021年9月5日)

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