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検索結果

次のキーワードについて検索: 検索文字列 ''. 検索結果 61 - 90 / 649 件 (0.0139 秒). 検索条件の修正

61. 国際学術シンポジウム「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開―魏晋南北朝史像の再構築に向
・關尾史郎先生のブログ http://sekio516.exblog.jp/ ・国際学術シンポジウム「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開―魏晋南北朝史像の再構築に向けて―」 http://sekio516.exblog.jp/8374955/ 上記ブログ記事から下記へ引用。 --引用開始--------------------------------------------------------- 日 時:2008年9月14日(日),午前10時~午後5時30分 会 場:立正大学大崎キャンパス,11号館5階1151番教室 主 催:科学研究費補助金(基盤研究(B))「出土史料による魏晋南北朝史像の再構築」(代表:伊藤敏雄大阪教育大学教授) プログラム:  午前の部(10時~12時15分)   開会の挨拶・趣旨説明:伊藤敏雄氏(大阪教育大学)   福原啓郎氏(京都外国語大学)「西晋の辟雍碑の再検討」   中村圭爾氏(大阪市立大学)「晋南朝石刻と公文書」   李 凭氏(中国・華南師範大学)「与北魏平城京畿城邑相関的石刻史料的整理与研究工作」  午後の部(1時15分~5時30分)   趙水森氏(洛陽師範学院図書館長)「洛陽魏晋南北朝墓誌的発現収蔵与研究」   朴漢済氏(ソウル大学校)「魏晋南北朝時代墓葬制度的変化和墓誌銘的流行」   窪添慶文氏(立正大学)「正史と墓誌」   パネルディスカッション:司会・葭森健介氏(徳島大学)   閉会の挨拶:關尾史郎(新潟大学) 入場無料・事前申し込み不要 --引用終了--------------------------------------------------------- 三国志学会 第三回大会と日程が被る歴史系シンポジウムがあると前々から人伝えに聞いていたけど、これだったんだね。こちらは「入場無料・事前申し込み不要」とのことで、つまり一般でも行けるってこと?。どちらに行くか迷うところ。 ※追記関連記事 公開シンポジウム「東アジアの出土資料と交通論」(2008年10月11日12日) ※追記 「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開」ノート1(2008年9月14日)

62. 株式会社汲古書院のサイトオープン(2009年1月30日)
 昨日、汲古書院からチラシが届いて気付いたんだけど、下記のように2009年1月30日に汲古書院のサイトがオープンしたんだね。RSSもあって良い感じ。 ・株式会社汲古書院 http://www.kyuko.asia/  汲古書院というと、ここ三国志ニュースでは下記のような書籍を取り上げていた。 ※関連記事  『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)  『漢代の地方官吏と地域社会』(汲古叢書75 2008年) ※追記 後漢における「儒教國家」の成立(汲古書院) ※追記 中国古代国家と社会システム(2009年9月25日) ※追記 中國古代の財政と國家(2010年9月17日)  それで今回、来たチラシで気になったのは二点。  一つは中村裕一/著『中国古代の年中行事』(全四巻)。創立40周年記念出版とのこと。  ちょっと前に私は『太平御覧』から三国時代以前の行事を確認しつつ、とある原稿を書いていたんだけど、こういった本は興味が持てそう。ただ『玉燭宝典』『荊楚歳時記』『藝文類聚』などの史料から取材しているようで、「三国志ニュース」が関わる時代から結構、降るんだけどね。  もう一つは小嶋茂稔/著『漢代国家統治の構造と展開─後漢国家論研究序説─』。チラシで添えられた文が「◎戦後の中国古代国家論に学びつつ、今日的立場から「後漢時代」の国家と社会を考察する!」。  買う買わないは別として一通りは目を通したいところ。 ※追記 この著者の方は2006年9月17日に長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」でご報告されていた方だね。 ※関連記事 「長沙呉簡の世界」ノート2 ※追記 メモ:「後漢時代の三公と皇帝権力」 ※追記 三国志学会 第四回大会ノート3 ※追記 メモ:「東洋史研究会大会」出店状況

63. 第2回三国志学会大会ノート4
<目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日) http://cte.main.jp/newsch/article.php/679 <前回>第2回三国志学会大会昼休み http://cte.main.jp/newsch/article.php/685 ○「台湾における関帝信仰の諸相」松本 浩一(筑波大学教授)  雷を伴う集中豪雨により会場への観客の戻りが遅いため予定を遅らせる。  ステージの上にスクリーンが用意されて、14時10分スタート。 ●1. 関帝(関聖帝君):様々な性格を持った神  ※小タイトルはレジュメ通り。以下、同じ  実際、様々な神格を持っている。関羽対する信仰は数種の部面があり、そのうち四つを紹介(増田福太郎『臺灣の宗教』p32の引用がレジュメに記載)。(イ)武神としての関羽。(ロ)仏教の祭神としての関羽。いわゆる伽藍神。お寺の建物の守り神(スクリーンにその関羽像が映し出される。青龍刀を持っている)。(ハ)儒教の祭神としての関羽。「文衡聖帝」として五文昌の一人。家業の神様。入試などで文昌帝君のところに絵馬が並ぶとのこと。(ニ)商業の神としての関羽。華僑の居るところには必ず関帝廟がある。  それぞれについて由来を辿る。 ●2. 国家祭祀の祭神としての関帝  皇帝から称号を授かる歴史。まず宋元時代の加封。レジュメに『[β亥]餘叢考』巻35關壯繆からの引用がある(以下に出てくる文献に関してもほとんどレジュメに引用と訳あり)  宋元時代に王を加封。大觀二年に武安王など。現在、正史に見られないが、このころ、多くの称号を授かったことは間違いない。  ある村民が県尉の李若水に関大王の書を持ってきたエピソード(『古今図書集成』神異典巻37より)。夢の予言でその村民が道士から得たとのこと。これが北宋末の年号。北宋末に王になっていたことは間違いない。  時代を経るにつれてどんどん加封されていき元文宗天歴(暦)元年には顯靈威勇武安英濟王になった(『[β亥]餘叢考』巻35關壯繆より)。  最初は御霊神だった。『三国演義』の中でも曹操・呂蒙へ祟りを起こしに行くので。それを鎮めるために神様に祭られた。唐の咸通年間の乱のあとのエピソードでは霊の一つとして捉えられている(『北夢瑣言』巻11より)。関羽が祭られている祠では「僧侶でここに居住する者は、外の戸をしめないで、財産や絹を思うままにしておいても、敢えて盗む者はない」というほど、恐れられていた神様(『雲渓共友議』巻3より)。  宋元の時代には道教の中にも関羽が神様として出てくる。呪術儀礼の中で、神兵を率いて邪鬼を追い払ったりする元帥神の一人。これは台湾に関係ないため触れない。  多くの文献が(明朝の)萬暦年間に帝号をうけたとする(『三才図絵』人物巻5關羽、『關聖帝君聖跡圖誌』巻3)。王見川氏の考証では関羽が「協天大帝」の称号を受けたのは朝廷からの正式なものではなく民間の「私封」ではないかとしている。萬暦四十二年には三界伏魔大帝神威遠鎭天尊關聖帝君(いわゆる関聖帝君)になっている(『[β亥]餘叢考』巻35關壯繆より)。この年に帝号を受けたことは様々な資料から裏付けられる。 ●2. 仏教の伽藍神としての関帝(※清岡注。レジュメで2.が二回でてくる)  伊藤先生の発表の中にあった唐代の董[イ廷]という人が書いた関帝の廟の記録(董[イ廷]「荊南節度使江陵尹裴公重修玉泉關廟記」(『全唐文』巻684))に、智顗禅師が玉泉寺にやってきたとき関羽が現れてこの地を僧坊として提供したいと申し出て(守護神となった)、とある。この全唐文では将軍になっているが後の時代になると聖帝になっている。帝号を得てから書き替えられたのであろう。張商英「重建當陽武廟記」(『全宋文』巻2231)の方では関羽が帝になっている。 ●3. 商業の神としての関帝  これはお馴染みのところ。  ここまでは増田福太郎さんの言っていることと対応がつく。 ●4. 扶[占し]の神としての関帝  扶[占し](ふうち)とは神様が降りてきて字を書くこと。そうやってお告げをしていく。そういった文献がかなりある。先ほどの(伊藤先生の)発表は関羽について書かれた文献だったが、こちらは関羽が自らお告げを下した書物。  清代には関帝の託した善書が多く出現。大概、良いことをすれは良いことが起こり悪いことをすれば悪いことが起こるといった内容。『関聖帝君明聖経』『救劫新論』『関帝返性図輯要実録』『救生船』『関聖帝君降筆真経』『関聖帝君戒士文』『関聖帝君全書』 などがある。一番有名なのが清朝の初期から中期ごろに成立したといわれる『関聖帝君覚世真経』(レジュメに引用と訳)。大抵は薄い冊子。  清朝の後期になると関帝が降りてきて作るのが多くなる。場所は四川雲南湖南といった宗教結社で多くなる。時代に合わせ世を救うというテーマが強くなる。  恩主公信仰。関聖帝君、孚佑帝君、司命真君が「三恩主」としてセットとして祭られている。  関帝が玉皇大帝(西遊記でお馴染みの玉帝)の譲りを受けて、第十八代目の玉皇大帝に就任。第十七代の玉皇大帝は「玉皇大天尊玄穹高上帝」であり、『西遊記』第一回などにも「高天上聖大慈仁者玉皇大天尊玄穹高上帝」として見えている。第十八代「玉皇大天尊玄霊高上帝」になったという説。王見川氏によると雲南省あたりで発生したとのこと。  王見川氏によると民国の初年中国で作られた善書の中には三つの異なった説がある。『中外普渡皇経』『玉皇普渡尊経』、『洞冥宝記』巻十のそれぞれに説がある(発表では三つ目の説を紹介)。  この説は戦後になって台湾に伝わる。民国六十九年に台中の聖賢堂が印刷し各地に広まったという(レジュメに引用と一部訳がある)。  最後に台湾での信仰を見るということになる。この後、スクリーンへ写真を映し出し順に解説。  関帝を祭った廟として多いのは扶[占し]の神としての廟と商売の神様としての廟。いろんなところに出てきて最後は玉皇大帝になってしまうのは関羽の人気の高さを示している。  14時47分終了。  司会からフォローが入っていたが王見川を発表中「おうみかわ」と読んでいたのは「おうけんせん」だとのこと 質問1 (※清岡注。前置きが長いので略)関羽だけ帝にまでなったのは何故か 回答  芝居や講談などの関羽人気が大きかった。また悲劇的最期を遂げたのも大きい。御霊神としての信仰がかなり広まる要素となっていると思う。 質問2  商業神としての関羽は出身地から考えるのが一般的なのでは? 解県というのは代々、塩の名産地として知られている。解県のイメージからお金や商売がでてきた。 回答 ...

64. 横山光輝『三国志』に見られる連環画の再構築 問題意識と目的 初稿
・日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/  上記サイトにあるように、2013年7月6日7日に北九州市にて「日本マンガ学会 第13回大会」が開催され、それに先立つ同年4月1日が発表要旨の〆切なので、「問題意識と目的」「方法」「結果と考察」「結論」のうち一旦、「問題意識と目的」を書いてみた。しかし、1500-2000文字の範囲なのに、すでにその時点で注抜きで1400文字以上あったので、削りまくる必要に迫られ(例えば文章の流れにうまく乗ってない吉川英治『三国志』の件をばっさりカット)、原型を留めなくなった。そのため初稿を公開しても問題ないだろうと思い、続けて公開する。さらに注には関連する記事へリンクする。あとワールドワイドウェブでの指摘の件もカットしたため、まるで清岡がこの件を発見したみたくなってしまった感じがあるので、もし査読が通ればそこらへんは発表で忘れず触れたいと思う。

65. 三国志研究会(愛知版)(名古屋2017年8月27日)
下記のTwitter Accountの下記のStatusで知ったこと。というか情報源。 ・佐藤ひろお(Hiro_Satoh) on Twitter http://twitter.com/Hiro_Satoh ・Twitter / Hiro_Satoh: 三国志研究会(愛知版)は、8/27(日)午後に名古屋駅周辺でやります。 ... http://twitter.com/Hiro_Satoh/status/879303700073795584 ※リンク追記 ・三国志研究会(愛知版)告知用ページ http://3guozhi.net/p/kn.html ※リンク追記 ・Twitter / Hiro_Satoh: 8/27三国志勉強会(愛知版)お知らせ。 会場:今池ガスビル サファイアルーム(地下鉄今池駅10番出口直結) 待ち合わせ:12:15名古屋駅 銀の時計(名古屋駅の太閤通口=新幹線口)または、12:45今池駅10番出口(現地集合) ... http://twitter.com/Hiro_Satoh/status/888660377566826496 ※リンク追記 ・今池ガスビル | ガスビルネット ~ガスビル総合案内~ http://www.gasbldg.net/hall/imaike/ ※リンク追記 ・Twitter / Hiro_Satoh: 三国志研究会(愛知版)8/27 13:15-14:00佐藤『三国志集解』を読む① 14:10-15:10幾喜三月@楽史舎 @sangatsu_rakshi さん「三国志と日食」 15:20-15:50敎団 @Vitalize3K さん「禅宗寺院における関羽」 15:55- 佐藤② ... http://twitter.com/Hiro_Satoh/status/897614134690402304 ※関連記事 興亡三国志 一(集英社文庫2015年10月20日) もう上記のツイートですべてが書いてあるんだけど、今出ている情報は2017年8月27日日曜日の午後に、愛知県の名古屋駅周辺で「三国志研究会(愛知版)」が開催されるという。文脈的に下記関連記事で触れた三国志研究会(全国版)の愛知県スピンオフ版。※追記。名古屋市千種区今池1-8-8 今池ガスビルにて2017年8月27日日曜日13時-17時。集合場所、参加申込方法は上記の「三国志研究会(愛知版)告知用ページ」へ。 ※関連記事 三国志研究会(全国版) (2016年6月26日より毎月第三日曜日)

66. 三国志学会 第十回大会(2015年9月5日12日土曜日)
・三国志学会 http://sangokushi.gakkaisv.org/ ※前回記事 三国志学会 第九回大会(2014年9月6日13日土曜日)  少なくとも私が把握しているここ数年は、三国志学会大会昼休み中の役員会で来年の三国志学会大会の日程が決められ(もちろん都合により変更されることもあった)、下記関連記事にあるように大会が終わる頃には事務局長等から来場された方々にその日程が告知されていた。昨年は三国志ニュースでのお知らせをすっかり時機を逸していたので忘れぬうちに。 ※関連記事  三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日)  三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日)  三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日) 「三国志学会 第九回大会」でのシンポジウムの司会をされていた竹内真彦先生から早くも来年の三国志学会大会の日程について告知があり、「三国志学会 第十回大会」は2015年9月5日土曜日に、三国志学会会長の狩野直禎先生のお膝元となる京都の龍谷大学にて開催されるという。 ・龍谷大学 You, Unlimited http://www.ryukoku.ac.jp/  また、その一週間後の2015年9月12日土曜日に、「10回記念大会」ということで次回は早稲田大学で開催されるという。 ・早稲田大学 http://www.waseda.jp/  加えての情報として「沈伯俊先生がいらっしゃるご予定です」とのことだ。 ※関連記事 四川省を満喫しよう!(2014年7月26日)

67. 『易緯乾鑿度』上下二巻に附された鄭玄注の真偽(東洋古典學研究 第41集 2016年5月)
※関連記事 メモ:東方書店(2016年7月30日) 上記関連記事で触れたように、東方書店で見かけた学術誌に三国関連が。 ・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店~ http://www.toho-shoten.co.jp/ ・国内書 東洋古典学研究 第41集【中国・本の情報館】東方書店 http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=9900010084&bookType=jp 上記書店ページの上記雑誌ページによると、2016年5月に東洋古典学研究会『東洋古典學研究』第41集(ISBN/ISSN 1346-9428)が刊行されたという。東方書店で2500円。そこに藤田衛「『易緯乾鑿度』上下二巻に附された鄭玄注の真偽」が収録されている。 ・東洋古典學研究 | 広島大学 http://hiroshima-u.jp/bungaku/brochure/publication_magazine/toyoukoten ※関連記事 中國古典定立史(2016年3月30日)

68. 三国志学会 第四回大会懇親会
※目次 三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日) ※前記事 三国志学会 第四回大会ノート5  17:02。三国志学会 第四回大会が終わり、龍谷大学の大宮学舎東黌101教室から聴講者が外へ出始める。  清岡は用事のあるげんりゅうさんを見送り、まず、ぐっこさんと合流して、「三国志ニュース」のシステム面の話をしていた。101教室の南の出口から出ると青空の下、折り畳みの長机6個程度が北側を空け三方を囲み「コ」の字になっていた。その上に書籍やグッズが並んでいる。先ほど教室でアナウンスのあった「英傑群像」の出店だね。結局、最後までいらっしゃったということで。 ・英傑群像(三国志エンターテイメント 情報&グッズ) http://www.chugen.net/ ・三国志学会で英傑群像出店します。  (※上記ブログ記事) http://sangokushi.chugen.net/1282  清岡とぐっこさんはしゃべりつつ、商品を物色していた。ぐっこさんは2009年8月22日23日開催の「第三回三国志祭」での英傑群像のブースで銅製の爵杯を買ったそうな。あと企業ブースにあった「夏侯惇の目玉飴」というグッズは「第三回三国志祭」に留めず卸せば売れるんで勿体ない、なんて話していた。それと清岡からはまた「激突! 三国志武将かるた」のアクセス数増加の話をしていた。 ※関連記事  第三回三国志祭(2009年8月22日23日)  激突! 三国志武将かるた(2009年7月)

69. メモ:鎧 and リンク:東アジアにおける武器・武具の比較研究
※前記事 リンク:中国の連環画の変遷とその描写技法 ※参照記事 ダメ人間の世界史(2010年3月16日)  上記参照記事にあるように、メーラーのEdMaxを使って個人的にチェックしている掲示板に、下記サイト「徹夜城の多趣味の城」の掲示板「史劇的伝言板」がある。 ・徹夜城の多趣味の城 http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/TETUYA.HTML  そこにある投稿#8845が気に掛かる。それは映画『レッドクリフ』(原題『赤壁』)に関する書き込みであり、主にその映画ででてくる「甲冑」が当時のものをどれほど再現しているものかという疑問だ。 ・RED CLIFF 映画『レッドクリフ』公式サイト http://redcliff.jp/ ※関連記事 呉宇森(ジョン・ウー)監督『レッドクリフ(RED CLIFF)』報道まとめ  当時のズバリのものは発掘されていないので、直感的には、ある程度、取り入れているが、映画のようなマントとかローブとか、畫像磚石や明器でも見られないものが平気で出てくる程度の時代考証だと思っていた。しかし、特に何か確証があってそう思っている訳ではないし、これを良い機会だと思い、ある程度、自分や誰かの参照できるものをメモとして残そうと思った。ちょうど下記関連記事のように「虎牢関」、「武冠」や「拝」などについて書いたときのように。前記事で触れたように、視覚的要素を含む現代日本の三国作品の変遷に興味があるものの、当時のデザインでない鎧を見た場合、「腹巻きタイプの鎧」(清岡命名)とか「伝統的なデザイン(≠歴史に忠実なデザイン)」とか個人的には一言で片付けているので、説得力がなく、「ではどんなのが当時のデザインなのか」と聞かれた場合、ぼんやりとしか説明できないからだ。 ※関連記事  メモ:虎牢関って  メモ:武冠のあみあみ  三国創作のための拝メモ  「甲冑」の「冑」はともかく「甲」(よろい)はというと、下記関連記事で触れた2008年10月12日開催の「東アジアの出土資料と交通論」での報告「漢代北方の地域社会と交通―県城遺跡と漢墓の技術から―」を思い出す。 ※関連記事 「東アジアの出土資料と交通論」ノート3

70. 2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノート0
・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/  2006年7月29日土曜日に三国志シンポジウムが大東文化大学の板橋キャンパスで開かれ、その次の日に三国志学会の第一回大会が大東文化大学の板橋キャンパス近くの大東文化会館ホールで開かれるということだった。  ちょうど私は前日の板橋キャンパスへは東武練馬駅から歩き大東文化会館発のスクールバスに乗っていったので、スムーズに三国志学会 第一回大会の会場へ行くことができた。到着したのは開始30分ほど前。会場となるホールの入り口にはすでに何人か人がいて、東方書店の出張店舗で本を物色している人や、立ち話をしている人など様々だった。  受付には前日の三国志シンポジウムで通訳をされていた田中靖彦先生が座っておられて、三国志学会への入会手続き等の担当をされていた。私は予め書いていた入会申込書を手渡し学会費を払い、三国志学会会員となった。今回の大会のレジュメなどを受け取り、ホール内の真ん中あたりの席を確保した。写真のとおりまだ人はほとんど来てなかった。  缶コーヒーを買って待っていると、まずげんりゅうさんが現れ、あれこれ話していたら、そのうち、2005年の三国志シンポジウムでお会いした、たいがあさんに声をかけられ、昨日の三国志シンポジウムの話などをしていた。  そのうち、前日にお会いした、ミミまろさんや伊比学さんがこられ、さらにKJさんとUSHISUKEさんが来られ、私の近くの席に座っていた。  そして開始を待つ。  満場拍手の中、三国志学会の会長の狩野直禎先生が壇上に立たれる。  そして、狩野直禎先生により「三国志学会 設立趣意」が高らかに宣言される。  満場拍手。  以下に当日、もらった「三国志学会 第一回大会」のプログラムを転載しておく。一部、仮題だったのでそこは修正してある。 -------------------------------------------------------------- 三国志学会 第一回大会 日時:2006年7月30日(日) 10時-17時 会場:大東文化大学 大東文化会館ホール(東武東上線、東武練馬駅1分) 報告(10時-12時40分) 石井 仁(駒澤大学助教授) 「呉・蜀の軍事制度に関する覚書」 澤 章敏(関東学院六浦中学校・高等学校) 「五斗米道研究の現状と課題」 和田英信(お茶の水大学助教授) 「建安文学をめぐって」 竹内真彦(龍谷大学助教授) 「呂布には何故ひげがないか-三国志物語の図像と本文の関係について」 お昼休み 講演(14時-17時) 劉世徳(中国社会科学院教授),通訳 伊藤晋太郎(慶応義塾大学講師) 「『三国志演義』嘉慶七年刊本試論」 狩野直禎(三国志学会会長、元京都女子大学学長) 「私と三国志」 懇親会(18時-) 会 場:大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot -------------------------------------------------------------- ・三国志学会第一回大会ノート1へ続く http://cte.main.jp/newsch/article.php/397 ※追記 三国志学会 ...

71. 1980年代日本における「三国志演義」翻案作品のファン層形成(2016年6月25日)
※関連記事 「三国志演義」を翻案した少年マンガの1980年代までの変遷(2014年6月28日)  上記関連記事と同じく2年前と同じく、Twitter内で「"マンガ学会"」と検索している…その間にTwitterのシステムが徐々に変わって積算すれば結構、かわっているだろうけどね、少なくとも検索は。 ・Twitter / 検索 - "マンガ学会" https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=%22%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E5%AD%A6%E4%BC%9A%22&src=typd ※関連記事 三国志 義兄弟の宴(東京都港区 2015年9月13日-)  上記関連記事にある第12回 三国志 義兄弟の宴に参加すべく中野駅近くのスターバックスで待機していた。 ・中野通り店 | スターバックス コーヒー ジャパン http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=229  それで冒頭の通り検索してみると、日本マンガ学会第16回大会のプログラムが発表されていることを知る。 ・日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/ ・日本マンガ学会第16回大会 プログラム - 日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/convention/16_program  それでどこが三国に関係するかというと、2016年6月25日土曜日13時35分から14時5分まで(※時刻はPDFのフライヤーより)に東京工芸大学中野キャンパス(最寄:中野坂上駅) 1号巻2階1203教室・会場3にて清岡美津夫「1980年代日本における「三国志演義」翻案作品のファン層形成:『コミックトム』読者欄を介した質的研究」の口頭発表があるという。 ・東京工芸大学 http://www.t-kougei.ac.jp/index.html ※新規関連記事 打猫-猫狩り-(2019年1月19日)  下記関連記事に前々回会場2室、前回会場3室13報(内ラウンドテーブル1報)で、今回が4室で口頭発表22報(内ラウンドテーブル2報)になって、ポスター発表数が前回4報から2報に減ったといえども、あからさまに規模が大きくなっておりさすがは東京大会ってところだろうか。ちなみに日本マンガ学会大会は年一回で、地方と中央とを交互に開催し、さらに中央は東京と京都の交互で開催されるため、東京での大会は下記関連記事にあるように4年ぶりとなる。いつものように二日目の日曜日(2016年6月26日)にシンポジウムがあって、参加費は一般2000円/日、会員1000円/日、学生初日500円・2日目1000円となる。 ※関連記事 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

72. 「三国志演義」を翻案した少年マンガの1980年代までの変遷(2014年6月28日)
※関連記事 日本マンガ学会第13回大会に至るまで(2013年7月4日-)  上記関連記事で書いたように、2013年7月6日開催の日本マンガ学会第13回大会開催前に、下記リンク先にあるように、Twitter内で「マンガ学会」と検索し、鈴木真吾さんが発表資料の見直ししているというツイート等で、意欲を頂いて以来、ちょくちょくそういった検索をするようになった。 ・Twitter / 検索 - マンガ学会 http://twitter.com/search/realtime?q=%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E5%AD%A6%E4%BC%9A&src=typd  それから十ヶ月経って、2014年5月16日に同じように「マンガ学会」と検索すると、いつもより、多くの人が「マンガ学会」という単語を含むツイートをされていて、下記の日本マンガ学会サイト内の第14回大会のページへのURLを記していた。 ・日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/ ・日本マンガ学会 第14回大会(京都精華大学・京都国際マンガミュージアム) - 日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/convention/14  つまりプログラムが発表されたので、アクセスが増え、その分、ツイッターでつぶやく人も増えたってことか。  それでどこが三国に関係するかというと、2014年6月28日土曜日15時30分から16時までに京都精華大学・会場B(黎明館 L-103 ※5月16日現在、「L-201」となっているが誤りかと)にて清岡美津夫「「三国志演義」を翻案した少年マンガの1980年代までの変遷」の口頭発表があるという。 ・京都精華大学 http://www.kyoto-seika.ac.jp/ ・京都国際マンガミュージアム - えむえむ http://kyotomm.jp/

73. メモ:三国志ジャンルにおけるデータベース消費
<2012年1月28日追記> アクセスログを見ると、ネットで「データベース消費」と検索するだけでリンクを辿ろうとしない、あるいは検索語句を調整しない、ネットリテラシーの低い人が多いので、お節介にも出典とそこからの引用を以下に追記しておく。 東浩紀/著『文学環境論集 東浩紀コレクションL』(講談社)P.570より --引用開始--------------------------------------------------------- 「データベース消費」とは、個々の作品やデザインがさまざまな要素に分解されたうえで、作品という単位への顧慮なしに直接に消費され(たとえば原作は読まれないのにキャラクター商品だけは売れ)、ときに消費者の側で再構成されてしまうような消費様式を意味する。 --引用終了--------------------------------------------------------- ※追記。アクセスログを見ると、2012年07/27 (金) 00:57:14から不特定多数のIPアドレスから「データベース消費 三国志」とか「データベース消費 漫画」とか検索語句があるが、早稲田あたりでレポートでもでているんだろうか。07/30 (月) 16:50:35に「データベース消費と物語消費 についてのレポート」というそのものズバリの短絡的な、知性のかけらもかんじられない検索語句があったし。そんなリテラシーの低さだと、その結果はきっと評価点も低いことだろう。 <追記終了>  以前、メモ的な記事を書いたとき、冒頭で、とあるブログの影響を受けたと書いたけど、そのブログでよく引用されていたのが東浩紀さんの著作。そこで同著の『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生 : 動物化するポストモダン2』『網状言論F改』『波状言論S改』を続けざまに読んでいる(※そういや関係ないけど、第7回三顧会で玄鳳さんが持っていた書籍は『三国志』の訳本以外だと東浩紀さんの著作だったね、確か)。  というわけで以下、その影響を受けつつ三国志ニュースの「公式サイト」の記事を参考にしたメモ。  よく耳にする言い回しとして「三国志という物語」とか「三国志 あらすじ」とか「三国志、その後」とか「三国志の結末」などがあり、『三国志』が一つの「大きな物語」であると誤認されている証左なのだろう。しかし、そもそも今の三国志ジャンルの大元である史書の陳寿撰『三国志』(成立:紀元280年以降)自体、一つの「大きな物語」なのではなく、王や皇帝など君主ごとに記述された本紀と、臣下ごと(一部、民族ごと)に記述された列伝の集合体であり、いってみればデータベース的側面を持っている。また『三国志』は『三国志』魏書袁紹伝に「語在武紀」(語は武帝紀に在る)、または『三国志』魏書呂布伝に「語在卓傳」(語は董卓伝に在る)とあるように他の列伝の箇所に触れることもあって、あたかもあるデータが別のデータへリンクしている箇所があり、その側面を浮き彫りにしている。  『三国志』には本紀と列伝のみだが、他の史書、例えば『史記』には、さらに諸侯ごとに記述された成家、制度ごとに記述された書(他の史書、例えば『後漢書』や『晋書』では志)、年ごとに記述された表があり、データベース的側面が強くなっている。  さらに『三国志』の裴松之の注は言ってみれば関連情報・詳細情報へのリンクなんだろう。また『三国志』と記述されている人物が多く共通する『世説新語』や『捜神記』などの文献はエピソードごとに収録されたデータベースとも言える。  時代が下るとこういった簡牘や紙をメディアにしたもの以外にも、三国志関連の講談や雑劇など、生身の声や動作(楽器演奏も)をメディアとしたものが出てくる。これらはどちらかというとエピソードごとにまとめられている(※講談に関してはほとんど知らないので、こう言い切れる自信はないが)。  さらに時代が下ると紙のメディアの『新刊全相平話三国志』(成立:紀元1321-1323年)や羅貫中/作『三国演義』(成立:14世紀)など、三国志関連を一つの「大きな物語」にまとめる動きが出てくる。  それらの中で『三国演義』は淘汰されず、多くの人によりバージョンが変えられつつ(挿絵も入るようになり)写本あるいは出版し続けられた。  この「大きな物語」の『三国演義』は日本にも輸入され、『三国演義』を日本語に翻訳(?)した湖南文山の『通俗三国志』(成立:紀元1689-1692年)が刊行された。  そのため、江戸時代中期の日本では、輸入された『三国演義』を読む層、『通俗三国志』や『三国演義』のダイジェスト本を読む層、三国演義関連の歌舞伎や浄瑠璃や講談などで物語を楽しむ層の三つの消費形態出てくる。三番目の層の物語を楽しむ層は言ってみれば「大きな物語」からエピソードを切り出す消費形態の走りだといえる。 ※参考記事 2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2  三番目の層の補足として、下記、参考記事によると詩文、川柳、掛け軸などがあったとのこと。エピソード以外にも「大きな物語」からさらに多角的に細分化して切り出し創作を加え消費されている。 ※参考記事 第3回三国志シンポジウム 雑感1  日本では『通俗三国志』が出版され消費され続け(時には挿絵も入るようになる)、それとは別に明治時代に入ると『三国演義』も出版されるようになる(これも上記参考記事の受け売り)。  1939年8月から1943年まで『中外商業新報』(新聞)において、『三国演義』を元にした吉川英治/著『三国志』(小説、以下、吉川『三国志』と表記)が連載され、後に書籍にまとめられ、それが現在に至っても消費されている。  日本人の手で、『三国志』を大元として『三国演義』を日本語でリライトした三国志関連の「大きな物語」としては20世紀の日本において代表的な作品となっている。  これに、三国志関連の小説として1966年から1968年まで『週刊現代』で連載された柴田錬三郎/著『柴錬三国志 英雄ここにあり』(小説)、1974年の陳舜臣/著『秘本三国志』(小説)が続く。  後者の『秘本三国志』は『三国演義』や『三国志』以外にも『後漢書』を参考にしており、『三国演義』の「大きな物語」とは異なる部分が多い。  こういった小説としての「大きな物語」の消費形態から新たに漫画としての消費形態が提示された。それが1972年1月から1987年3月まで連載された横山光輝/著『三国志』(漫画)である。これは吉川『三国志』とストーリーが似ている。  さらには1982年10月2日から1984年3月24日までNHK制作の『人形劇三国志』がTV番組として放送され(人形を使った劇の放送、『三国演義』が原作となる)、三国志関連の消費形態が小説に留まらないことが示された。  横山光輝/著『三国志』および『人形劇三国志』はこの頃の日本(1980年代?)の三国志ブームを支えていた。  このブームの中、それ自体が「大きな物語」という枠組みに収まらない消費形態が出てくる。それは1985年12月に発売された光栄(現コーエー)/制作『三國志』(PC88用シミュレーションゲーム)である。  これはシリーズ化され現在、11作目まで発売されており、そのどれもイベントと呼ばれる断片的なストーリーはあるものの、基本的に幹となるストーリー、つまり「大きな物語」はない。またゲームであるため、登場する人物の特性はパラメータ化されており、その多くは消費者(プレイヤー)に明示されている。その消費形態故に三国志関連の様々な事象をデータベース的に解体する必要があったと言える。  ここに日本の三国志関連において「大きな物語」に頼らなくとも消費できるという構造の始まりを見て取れる。  とは言っても、三国志ブームの盛衰に影響を受けるものの、「大きな物語」の枠組みに収め消費する構造は三国志ジャンルにおいて依然、健在であり、1990年代に入ってもなお、様々なメディアでその多くが『三国演義』を基板とした作品が生産され消費された。  1991年から1992年まで横山光輝/原作『横山光輝三国志』(アニメ)が放送された。  1994年、中国中央電視台/制作『三国演義』(TVドラマ)が制作された。  1994年10月から2005年11月10日まで王欣太/著『蒼天航路』(漫画)が『週刊モーニング』(講談社)で連載された。これは『三国演義』以外にも『三国志』等の史書も参考にされている。  1996年11月から北方謙三/著『三国志』(小説)が発表された。  1998年7月25日から2007年5月28日まで諏訪緑/著『諸葛孔明 時の地平線』(漫画)が『隔月刊プチフラワー』に続き『月刊flowers』(共に小学館)で連載された。  これらは何らかの形で1990年代の三国志ブームを支えたと言える。 ※参考記事 第8回三顧会午前1 ※リンク先のページの終盤にある  これとは違う流れとして別ジャンルの要素を三国志ジャンルに合わせる消費形態がある。例えば、1985年7月25日発売の雑誌『小説June』に掲載された『わが天空の龍は淵にひそみて(前編)』、後の江森備/著『私説三国志 天の華・地の風』(小説)はJune系の要素を三国志ジャンルに導入し(もしくはJune系のジャンルに三国志ジャンルの要素を導入し)、結果的にそれまでの三国志ジャンルの外にあった消費層の需要を開拓した。 ...

74. 鍾繇書の実装―新出の東牌楼後漢簡牘を手がかりとして(2009年1月)
・書羅盤・チャイナブックナビゲーター http://www.mag2.com/m/0000067662.html ※関連記事 書羅盤・チャイナブックナビゲーターの2008年の三国志関連 ・東方書店のホームページ<中国・本の情報館> http://www.toho-shoten.co.jp/  上記、メールマガジン『書羅盤・チャイナブックナビゲーター』2009年第3号(総186号)2009年2月10日発行によると、下記のような情報があった。 --引用開始--------------------------------------------------------- □『書法漢学研究 第4号』 書法漢学研究会 編 アートライフ社 B5 72頁 2009年1月 1,890円 9784990360337 鍾[揺-才系]書の実装―新出の東牌楼後漢簡牘を手がかりとして(大橋修一)、 狩谷[木夜]齋の「轉注説」について(張莉)、「大河内文書」にみる中国文人の 活動実態―その文芸思想と経済活動(中村史朗)ほか。 --引用終了---------------------------------------------------------  この雑誌について、まずネットを当たってみると、下記のような公式サイトが出てくる。 ・アートライフ社「書法漢学研究」 http://www.artlife-sha.co.jp/magazine/

75. 三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日)
・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/ ※関連記事 三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日)  上記関連記事で書いた「三国志学会 第六回大会」にてご講演が終わった後、その直後の懇親会についてのアナウンスの後、三国志学会事務局長の渡邉義浩先生から早くも来年の三国志学会大会の日程について告知があった。  「三国志学会 第七回大会」は2012年9月8日土曜日に、三国志学会会長の狩野直禎先生のお膝元となる京都の龍谷大学大宮キャンパスにて開催されるという。  また、それに先立つ2012年9月1日土曜日に、京都で大会が開催された今年と似たような形で、東京の二松学舎大学にて「三国志学会」の林田愼之助先生の傘寿記念講演会が開催されるという。 ※関連記事 三国志と乱世の詩人(2009年9月29日) ※追記 『三国志』から見る東アジア共同体の可能性(2011年11月19日) ※追記 第30回 春の古書大即売会(京都古書研究会2012年5月1日-5日)

76. メモ:第6章 武侠漫画の映画的手法表現の成立をめぐって
※前回記事 三国志ジョーカー 単行本未収録分(2011年7月6日-11月5日) ※三国と無関係ながら前回の雑記 ・22日はボーヤンの日 http://cte.main.jp/calcio/blog.cgi?n=361  表題の三国に関係があるところに到達するまで、無関係な記述が続くので、先に以前、書き残し損ねた三国関連について書く。

77. ノート:三国志学会 第八回大会(2013年9月14日)
・三国志学会 http://sangokushi.gakkaisv.org/ ※関連記事 三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日)  上記サイトや上記関連記事にあるように、2013年9月14日に京都の龍谷大学大宮学舎東黌103教室にて「三国志学会 第八回大会」が開催された。

78. 三国志学会 第四回大会ノート1
※前記事 三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日)  会場には聴講者が4,50人程度が集まりつつあって、10時になり、司会の石井先生の紹介後、会長の狩野直禎先生が登壇される。 ○開会の辞 (10:00~10:10)  狩野先生から、挨拶に続き、関西での開催、会員数が現在300名程度、さらなる会員数の増加への願いについて触れられる。さらにここ一年の「三国志」に関する動きに触れられる。「大三国志展」や映画『レッドクリフ』など。それを承けて「三国志学会」では一般の人にも門戸を開いていることに言及され、開会の辞を終えられる。 ・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/ ※参照記事  呉宇森(ジョン・ウー)監督『レッドクリフ(RED CLIFF)』報道まとめ  大三国志展(2008年5月3日-7月13日)関連情報 ※追記 リンク:「Google 日本語入力」関連 ※追記 メモ:大半の三国創作と二次創作の相似点 ※追記 リンク:「三国志」の世界(2009年6月20日) ※追記 三国志大戦3 オフィシャルカードバインダー追加リフィルセット(2008年10月23日) ※追記 教科書本文データ集(全国漢文教育学会) ※追記 私的メモ2:三国漫画分析 ※追記 私的メモ1:三国志ワーズネットの展望

79. 三國志研究第五号(2010年9月11日)
・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/ ※関連記事 三国志学会 第五回大会(2010年9月11日土曜日 二松学舎大学) ※新規関連記事 三国志研究第十九号(2024年9月8日発行)  上記関連記事に書いたように、「三国志学会第五回大会」にて例年通り、会員には会費と引き替えに三国志学会機関誌『三国志研究』第五号が渡された。  『三国志研究』は上記サイトにもあるように汲古書院で購入できるそうな。下記の汲古書院のサイトでは今のところその情報はないけど、まぁ問題ないのだろう。 ※追記。 上記三国志学会サイトによると、「A4・198頁/ISSN 1881-3631」とのこと。 ・株式会社汲古書院 古典・学術図書出版 http://www.kyuko.asia/

80. 三国志学会 第九回大会(2014年9月6日13日土曜日)
・三国志学会 http://sangokushi.gakkaisv.org/ ※前回記事  三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日)  ノート:三国志学会 第八回大会(2013年9月14日)  少なくとも私が把握しているここ数年は、三国志学会大会昼休み中の役員会で来年の三国志学会大会の日程が決められ(もちろん都合により変更されることもあった)、下記関連記事にあるように大会が終わる頃には事務局長等から来場された方々にその日程が告知されていた。半月以内ぐらいにこの三国志ニュースでもお伝えしていて、そして今年もそのように三国志学会大会で告知されたのだけど、三国志ニュースではすっかり時機を逸していた。 ※関連記事  三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日)  三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日)  三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日) 「三国志学会 第八回大会」でも渡邉義浩先生から早くも来年の三国志学会大会の日程について告知があり、「三国志学会 第九回大会」は2014年9月13日土曜日に、三国志学会会長の狩野直禎先生のお膝元となる京都の龍谷大学にて開催されるという。 ・龍谷大学 You, Unlimited http://www.ryukoku.ac.jp/ ※新規関連記事 中国古典小説のここが面白い! 第1回 研究者、推し作品を語る(京都市 龍谷大学 2025年3月23日)  また、その一週間前の2014年9月6日土曜日に、京都で大会が開催された今年と似たような形で、東京の二松学舎大学にて一般向けの講演会が開催されるという。 ・二松学舎大学 http://www.nishogakusha-u.ac.jp/

81. 魏晉政治社会史研究(2012年3月)
下記ブログ記事で知ったこと。 ・關尾史郎のブログ http://sekio516.exblog.jp/ ・拝受(12/04/23) (※上記ブログ記事) http://sekio516.exblog.jp/17845576/ 下記サイトの下記書籍ページによると、2012年3月に京都大学学術出版会より福原啓郎/著『魏晉政治社会史研究』(東洋史研究叢刊之七十七(新装版15)、ISBN9784876985357)が7980円で、刊行されたという。 ・京都大学学術出版会:ホーム http://www.kyoto-up.or.jp/ ・京都大学学術出版会:魏晉政治社会史研究 http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1793 ※関連記事 メモ:『西晉の武帝 司馬炎』 ※新規関連記事 リンク:西晋の菅洛墓誌について(研究論叢2013年)

82. 三國志研究 第四号(2009年9月)
※関連記事 三国志学会 第四回大会(2009年9月5日龍谷大学)  上記のように2009年9月5日に「三国志学会 第四回大会」があった。  まぁ、詳しい説明は後日じっくりゆっくりチョビチョビと、ということで、まず自分的に興味深かったことを一点。 ※関連記事 漢魏交替期における社会と文化(2009年5月15日)  以前、上記の2009年5月15日金曜日に開催された「第53回国際東方学者会議 東京会議」シンポジウムVI「漢魏交替期における社会と文化」をまとめたものが三国志学会の方から出ると小耳に挟んだもんだから、下記、三国志学会を結構、こまめにチェックしていた。 ・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/  それで今日、「三国志学会 第四回大会」の会場に行って、例年のように会費を払い、学会誌を貰うと、『三國志研究』第四号(ISSN 1881-3631)が何だか、いつもより分厚い。それでも特に気にせずぱらぱらめくると、なぜか福原先生のコメントが掲載されている。  もしやと思ったら、やはり「漢魏交替期における社会と文化」をまとめたものがまとめてまるっと『三國志研究』第四号の中に入っていた。  もちろんいつもの講演、論考(三劉さんのところも)が入っている。 ※関連記事 三国志学会&BS熱中夜話(三劉)  後で石井先生からの話で知ったんだけど、値段もいつもより1000円高くて2500円。会費は変わらないので、相対的にいつもよりお得になっている(と書くと何かどこかの回し者のようになっているけど、そうでもない・笑)。 ※追記 三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日) ※追記 メモ:「東洋史研究会大会」出店状況 ※追記 歴ドル小日向えりの恋する三国志(2009年3月10日) ※追記 論曹操墓出土的部分文物与歴史文献的関係(2010年5月21日) ※次号 三國志研究第五号(2010年9月11日) ※追記 魏晋南北朝期における貴族制の形成と三教・文学(2011年9月) <9月10日追記>   『三國志研究』第四号を置いていたら、いつの間にか知り合いに読まれていた。その知り合いが印象に残ったことを漏らしていたんだけど、まず「漢魏交替期における社会と文化」のところで、本当に先生方がチェックしているのか?と疑問を持つほど誤字が多いこと、次に、院生が投稿するようになってマシになってきたけど、そもそも学会誌掲載論文としてカウントされるのかな?という疑問、あと、日本語訳された『郁郁たり文若』が面白いと思ったら作家によるものだったことなど。  対する私は最後の話題のところで、そのタイトルから、あるブログを連想していたんだけど、下記のようにやっぱりそうだったようだ。 ・花郁郁たる高陽里 http://gaoyangli.blog79.fc2.com/ ・三国志研究第四号に翻訳が掲載されました http://gaoyangli.blog79.fc2.com/blog-entry-163.html <追記>  『三國志研究』第四号に中川諭先生による『歴ドル小日向えりの恋する三国志』の書評があって、それに対するご当人のブログ記事を下記へリンクする。 ・歴史アイドル(歴ドル)小日向えりの「三国志見聞録」 http://ryo0207.cocolog-nifty.com/blog/ ・「三国志研究」に書評を掲載頂きました! http://ryo0207.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-3786.html ※関連記事 歴ドル小日向えりの恋する三国志(2009年3月10日)

83. 「四大奇書」の研究(2010年11月10日)
・株式会社汲古書院 古典・学術図書出版 http://www.kyuko.asia/ 上記サイトのRSS配信で下記の書籍を知る。 ・「四大奇書」の研究 - 株式会社汲古書院 古典・学術図書出版 http://www.kyuko.asia/book/b80965.html つまり汲古書院から2010年11月10日に小松謙/著『「四大奇書」の研究』(汲古書院、ISBN9784762928857)が8400円で発売したという。 「四大奇書」は上記ページにある内容説明(本書を引用したもの)には下記に引用したように書かれてある。 ━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  「四大奇書」とは、『三國志演義』『水滸傳』『西遊記』『金瓶梅』の總稱である。この名稱自體は、?代前期の書坊が販賣促進用につけたキャッチフレーズにすぎまいが、この四篇をもって明代白話小説の代表作、更にいえば中國長篇小説の最高峯と見なすことには、ほとんど異論はないであろう。 ━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ※引用部分の「?」となっている表示できてない部分は前後関係から恐らく元々は「淸」と書かれてあって「清」のことだろう。 このように一部、『三国演義』について書かれてある書籍であり、上記ページから目次を下記に引用するような内容となっている。 ━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  序 第一部 明代に何が起こったのか 第一期 洪武~天順(1368~1464) 第二期 成化~正徳(1465~1521)  第三期 嘉靖(1522~66) 第二部 『三國志演義』 第一章 「三國」について――なぜこの時代が藝能の題材となるのか――   第二章 三國志物語の變容   第三章 『三國志演義』の成立と展開――嘉靖本と葉逢春本を手がかりに―― ━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

84. 「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開」ノート3(2008年9月14日)
※前記事 メモ:立正大学大崎キャンパスと大東文化大学板橋キャンパスの往復  2008年9月14日15:55、国際学術シンポジウム「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開―魏晋南北朝史像の再構築に向けて―」のパネルディスカッション開始。  ひそかに写真を撮る。分かる人には分かり、知らない人には誰なのか分からないという肖像権の保護的な良い感じの撮れ具合。  以下、清岡の個人的に興味のあるところだけについてのノート。 ●パネルディスカッション:司会・葭森健介氏(徳島大学)  まず司会の葭森先生から今回のそれぞれの発表について大まかに紹介される。  次に全体の発表について、明治大学の氣賀澤保規先生からそれぞれコメントが述べられる。  まずシンポジウムのテーマについて。氣賀澤先生は「魏晋南北朝史像の再構築」という点、何から何を再構築するのか、を意識していたという。  まず「晉辟雍碑の再検討」について。晉辟雍碑は非常に面白い資料。時代的には三世紀後半、年代的に立碑したのが278年、西晉の武帝の時で、碑を立てたのは「皇太子になったところの恵帝をヨイショする」ため。皇太子が辟雍に来て参加することを讃える。後漢の顕彰碑からの流れを持つ。碑陰の方で膨大な人の数が存在する。  氣賀澤先生にとって、もう少し踏み込んで欲しかったことは、その中に後漢時代に門生故吏の関係があり、福原先生の言葉で言うと、それが(晉辟雍碑では)国家、全国レベルの門生故吏の関係がくみ取れるのではないか、ということだが、全国レベルの門生故吏の関係とは何か、どういう構造をしているのか、この辺りのことをもう少し具体的に出してくれれば良かった、とコメント。  もう一つはこの時代において地方名望家から貴族へといった点。貴族制の時代がやってこようとする、そのある種の一面をこの碑が示そうとしている、そこらへんをもう少し具体的に、この碑から何を時代の姿として見て取れることができるのか、そこに「再構築」の問題があるのではないか、ということに関心があった。  辟雍碑という史料というのはいろんなところにあるんだと言われている。最近、碑の敷の部分が見つかったということを知っている。碑は路肩に置かれていると言われるが、考えにくいことなので、きっちりとした所在状況を抑えてみておく必要があるのでは? 一般に売っている史料は模刻の場合が多いので、史料そのものの位置付け性格付けが必要となってくると思った、と。  「両晉南朝墓誌と公文書」について。両晉南朝墓誌の中に「詔」とか「策」とか「札」とか、それに関わる史料が入ってくる。これは貴重な提言。実は東晉のものは見つかっていないという。この問題は実は後の時代、唐代隋代まで波及してくる問題。それをどう受け止めるか。公文書が墓誌の中にどの程度の形で組み込まれてくるのかということまで今後、考えていく問題があるのかな、と思った。その先にどういう見通しを持ったらいいのかということを聞きたい。  (※省略)  16:21。ここで司会から事前に回収した質問用紙からの質問を先に公表し氣賀澤先生の質問と合わせて回答してもらうという主旨が告げられる。  まず金沢大学の安部聰一郎先生から福原先生への質問。辟雍碑の意味について、碑陰の題名のところから門生故吏関係と地域的偏在の二点について注目されていたが、太学という場において例えば涼州出身者を重点的に門生故吏関係に組み入れていくのはどういう意味があったのか。  東北大学の川合先生から中村先生への質問。詔書が墓誌に利用されていることについて。実は墓誌以外に○○○(※清岡注。聞き取れず)の自叙の中にも「○○○○○」(※清岡注。やはり聞き取れず)が引かれているところが気になった。こういうのもどこかに関係するのではないか。自叙の中の公文書と墓誌に使われているものとの関係性は?  大阪市立大学の室山先生からの質問。北朝の墓誌にも詔、制がそのままの文章にでてくるが、墓誌にこういった公文書が記される意味、目的、効果について何か考えはあるか。  福原先生からの回答。今朝掲げた拓本は模刻から(拓を)とったのではないか、という質問だが、絶対違うとも言いがたい。  「ま、四千元もするし」との発言で場内を沸かす。  原拓ではないかと思う。あれが模刻の拓本だとすると、その模刻の碑はどこにあるという疑問もある。  この碑から何が言えるかという質問について。(繰り返しになるかもしれないが)碑を立てるという行為自体が後漢時代に始まって盛んになる。どこが舞台になるかというと郡レベル、地方、郷里というよりか民間というよりか、郡太守などの官吏が関わる。そういうところが受け継がれていた。その一方、「立碑の禁」という形で禁止した。二重性がある。その碑の内容は行礼だが、それ自体も後漢時代に地方で流行した。今日、配布した別紙の「参考文献」に示す呂思勉「郷飲射」(『燕石続札』、上海人民出版社、1958年)に地方官がそういうことをやったということが集められている。そこからヒントを得た。ちょうど内藤湖南が「貴族制の成立」で掲げた、いわゆる郷里から名望家から貴族が誕生した、(表面的かもしれないが)それと類似している。これとイコール貴族制とは直接、結びつかないかもしれないが、貴族制があるとするならば、貴族制が生まれた母体と同じものからこういう構造がでたんではないか。民間から国家へ、しかし郡レベルのところから。そういう意味では後漢と西晉とに繋がりがあるという感じだ。後漢というのは立派なものを作る物質的な時代に対し、西晉とは精神性、つまり表面的にはショボいが内面的には充実させていく、文学とかそういうのが盛んになっていく。共通性はあるが変化していく、そういった繋がりがある。貴族制が誕生した同じ動きがここにも二重に、立碑と行礼という点で見られるんじゃないかと考えた。  それと関連し、また安部さんからの質問に関連し、門生故吏というと極端に言うと、地方にあった先生と学生、あるいは主と属僚、その関係が、「立碑の禁」など禁止する方向だが、この場合だと皇帝皇太子と学生の間で言えるかどうか。後漢の場合でも地方官が親臨するわけであって、実際には先生ではないわけであり、ちょっとズレがある。ただ今日説明しなかった、釈奠礼があって、そういう面があるのかと。  涼州の人について。禿髪樹機能の反乱の地域からは誰も来ていないが、西域、敦煌郡、特に西平郡の人が「散生」という特別枠で来ている。なぜここを重視しているのかよくわからない。なぜここを重視して旧蜀漢を重視しないのか。当時、敵国の呉があるので、蜀漢の方を重視した方が政策として良いのではないか、と思う。ただ西平郡の人が多いということは事実。これから考えていきたいと思う。  中村先生からの回答。元々の問題関心は、詔が出た場合、ありがたく受け取った方がそれをどういうふうに扱うのか、後生大事に置いておくのか、ある種の先祖代々の社会的なあるいは政治的なポジションを証明するものとしてありづづけるのかということで、これが使えないかな、と思った。(※清岡注。自叙に関しての具体名が出ていたが、それ自体、清岡が知らないため、この記事で書けず) そういう文脈で考えることができるならば、西晉や梁の墓誌に詔を引用することに一脈通じるものがあるのかな、と思う。少し話がはずれるが、南朝の宋の元嘉の末から力役に関連し戸籍の偽りが行われるが、偽りの仕方の中に辞令に対し、年号を間違えたり干支を間違えたりする誰が見ても分かるような、そういう誤りをおかしたような形で戸籍を偽造しようとするというのがある。これは民間に関したことだが、そういう話からすると干支の付いた詔というのが各家にはあるということが前提になっているのかなと思う。荀岳のような形の干支から始まる詔が任命の時ではなく、後生大事に家に置いておかれたのかなと思う。  北朝の方がもっと詔を引用するケースが多くて、確認したのはまだ一例だけだが「門下」から始まる詔がそのまま引用されているものがある。「制詔」から始まるのもある。これ自体は公文書からいうと非常に面白い現象だと思う。こういうことは始めたばかりなので今後、傍証みたいなのを探しながら話を詰めていきたいと思う。  (※省略)  辟雍碑の所在地について趙水森先生からの回答(※清岡注。但しこの記事では通訳を通しての記述)。私は洛陽で23年間仕事をしてきたが、あの碑についてよく知っている。あの碑があそこにあるかは元々、太学だったからだ。歴史の中であの碑の存在が忘れられ、民国時代、ほとんど新中国成立に近い時期にようやく再発見された。ただその時にはお金がなかったので、あの碑の保護ができなかった。ただ○○(※清岡注。聞き取れず)の中で保護する形をとった。模刻ではないか、ということだが、あまりその可能性はないのではないか。特にあれが70年代に国家の一級文物になるときに、非常に多くの学者があそこに行って様々な検討を行ったんで、私はそれらの学者の目を信じて良いのではないかと思う。当時の学者は偽刻か真刻かというのを考えたのであって、模刻だったのではということはそれほど考えなかったかもしれないが、しかし、それも問題ないのではと思う。福原先生の拓本がどうなのかという問題についても、私が見た感じでは本物だと思う。ただ現在ではあの碑についての模刻もできており、これから購入される場合は原石か模刻かというのを注意する必要がある。  (※省略)  17:39終了。この会場は18時までに撤収しないといけないということだそうな。 ●閉会の挨拶:關尾史郎(新潟大学)  この科研のプロジェクトは今年度で最終とのこと。  17:43閉会。 ※次記事 「東アジアの出土資料と交通論」ノート1(2008年10月12日)  以下、余談。  というわけで、清岡はそそくさと会場を後にする。  帰りは大崎駅ではなく五反田駅へと向かう。というのもドキュメンタリー番組『ガイアの夜明け』でモスバーガー五反田東口店が紹介されていてそこで食事を摂ろうと思っていたため。 ・日経スペシャル ガイアの夜明け http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/ ・MOS BURGER http://www.mos.co.jp/  そこは24時間営業で、深夜はシニア層の店員を多く雇っているらしく、気遣いの良い接客で「モス・ジーバー(爺婆)」の愛称で好評だそうな。そこで地域限定期間限定のモスの新メニューの岩手県産南部どりバーガーを食べくつろぐ。今日、初めての食事。後日、別の地域限定のマッシュルームバーガーを食べたけど、南部どりバーガーの方が私の好みだね。

85. 愛宕 元 先生、死去(2012年1月2日)
訃報です。 2012年1月2日1時に愛宕 元 (おたぎ はじめ)先生が食道癌のため死去されました。1943年生まれで享年68歳でした。 ・京都新聞 http://www.kyoto-np.co.jp/ ※ここの「地域のニュース」2012年01月05日 13時39分に情報があります。 愛宕 元 先生は、下記関連記事にありますように、文学部教授として帝京大学にご在籍であり、2011年4月21日開催「関野貞資料と都城の世界」(国際シンポジウム)にて「中国の都城」というご講演をされたそうです。帝京大学以前は定年まで京都大学にご在籍でした(京都大学名誉教授)。 ※関連記事 関野貞資料と墳墓の世界(2011年3月2日) 下記参照リンク先でもありますように、愛宕 元 先生と申しますと、一般層には『中国の城郭都市 殷周から明清まで』(中公新書1014 中央公論社1991年3月25日)が知られているかと思います。そのタイトルや前述の関連記事からも判ります通り、中国都城研究の第一人者でしょう。ちなみに『中国の城郭都市』では「唐宋時代専攻」と記述されています。 ※参照リンク ・洛陽の地図について(銅駝街など)   (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」内ツリー) http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1628

86. リンク:「漢代の扁書・壁書」
※前記事 リンク:「漢代における郡県の構造について」  このシリーズで同著者の論文へのリンクが続いたので、別の著者の論文へのリンクを張る。元々は『史林』がオンラインで公開されていないか、確認のため、CiNiiで検索をかけていたときに見かけた論文。 ・The Society of Historical Research http://wwwsoc.nii.ac.jp/shr/  それが下記の論文。「関西学院大学リポジトリ」にも収録されている。 佐藤 達郎「漢代の扁書・壁書──特に地方的教令との関係で──」(『関西学院史学』35号 (200803) pp.83-98 関西学院大学) http://ci.nii.ac.jp/naid/110007153041

87. メモ:「黄巾の亂と傳統の問題」
※前記事 メモ:「前漢後期における中朝と尚書」  下記にある「第33回 秋の古本まつり」で購入した『東洋史研究』7冊のうち、1冊に「黄巾の乱」関連の論文があった。 ※関連記事 第33回 秋の古本まつり(京都古書研究会)  「黄巾の乱」についてある程度、知っていて、1975年と古い論文なので、気軽に読むつもりで掲載されている論文誌を購入していた。  その論文について下記のように、CiNii内のページへのリンクも続けて記す。リンク先で読めるという訳ではないが。※追記。読めるリポジトリのページを下記に追記。 福井 重雅「黄巾の亂と傳統の問題」(『東洋史研究』Vol.34 No.1 (197506) pp.24-57 東洋史研究会 ) http://ci.nii.ac.jp/naid/40002659661 ※リンク追記・Kyoto University Research Information Repository:黄巾の亂と傳統の問題」 https://doi.org/10.14989/153573 ※新規関連記事 三国志ニュース定期便 【論文紹介】黄巾って五行関係なくね?(YouTube2024年6月16日)  この論文が掲載されている『東洋史研究』Vol.34 No.1は下記の東洋史研究会のサイトのバックナンバーでリストアップされていないので、購入できるかどうか不明。 ・東洋史研究会 http://wwwsoc.nii.ac.jp/toyoshi/ ※新規関連記事 福井 重雅 先生、死去(2020年3月13日)

88. 2011年度魏晋南北朝史研究会大会(2011年9月17日)
※関連記事 第9回魏晋南北朝史研究会大会(2009年9月12日) 上記関連記事にある魏晋南北朝史研究会大会の今年の予定が下記サイトの下記記事に出ていたのでリンク。 ・魏晋南北朝史研究会 http://6ch.blog.shinobi.jp/ ・2011年度魏晋南北朝史研究会大会  (※上記記事) http://6ch.blog.shinobi.jp/Entry/126/ 上記記事によると、「2011年度魏晋南北朝史研究会大会」は日本女子大学目白キャンパス,新泉山館大会議室にて2011年9月17日土曜日13時開始(30分前より受付)だという。 ※追記。2012年度魏晋南北朝史研究会大会は9月15日土曜日16日日曜日 日本女子大学 墓誌をテーマとのこと。

89. 「長沙呉簡の世界」ノート7
・「長沙呉簡の世界」ノート6からの続き http://cte.main.jp/newsch/article.php/646 ○パネルディスカッション(15:45~16:45) コメンテーター:朴漢済(韓国・ソウル大学校)  休憩が終わり16時7分、パネルディスカッションが始まるとアナウンスが出る。  始めに韓国から特別に来ていただいた朴漢済先生からのコメントがあるとのこと。経歴の紹介があったあと、外国語でコメントがある。日本語で追って読まれるのではなく、予稿集に日本語訳があるので省略される。 ※『長沙呉簡研究報告』第3集にも載っている  パネルディスカッションに移る。 ※中国の先生からの回答は、中国語の回答→日本語訳といった流れ  阿部先生への質問。1.耕作者の身分は具体的にどのように記されているか。2.身分的集計がされているのか。  回答。1.、圧倒的に多いのは「男子」、その他「大女」。続いて「州吏」「郡吏」「軍吏」、あるいは「州卒」。その他、特定の丘里に見られる身分もあるため、今、すべての身分を掲げることはできない。2.今のところ身分ごとに有義のあることは見いだせない。一つ言えることは「州吏」に関してかかってくる税率が他の身分より低い。旱田の率が極めて低い。全体的に低い。  宋少華先生への質問。1.長沙市の簡牘博物館について長沙呉簡を訪問者が実際に手にとって見ることができるのか。  回答。1.呉簡自体はまだ地下の貯蔵庫にある。そのため初めて来る人は先生にお願いして地下の貯蔵庫から出して貰うという形で見ることができる。まだ取り壊し状態のところが二棟残っており、それが取り壊されると完全に開放される予定。去年の12月には400枚ほどの簡牘を見ていただいた。  王素先生と羅新先生への質問。1.竹簡は一部しか公開されていないが、整理釈読に当たっている先生方は公開済みの竹簡と異なる性質のものをみかけたか。あればそれはどの程度か。  王素先生からの回答。1.現在まで長沙市文物考古研究所・中国文物研究所・北京大学歴史学系走馬楼簡牘整理組編『長沙走馬楼三国呉簡 竹簡〔壹〕』(上、中、下)(文物出版社、2003)が出ているが、今年の年末か来年の初頭には竹簡〔弐〕が出る(※現在では既刊。長沙簡牘博物館・中国文物研究所・北京大学歴史学系走馬楼簡牘整理組(編)『長沙走馬楼三国呉簡 竹簡[弐]』(全3冊),文物出版社,2007年1月,7-5010-1726-3.。リンク先『關尾史郎のブログ』内ページ)。竹簡〔弐〕の中にはわずかであるが形式や内容の異なるものが含まれている。竹簡〔参〕以降になるとそういった異なるものが増えてくる。後になればなるほど内容は豊富で重要なものとなる(ここで場内笑)  東海大の渡部武先生からの質問。1.「常限田」「火種田」について興味がある。それを漢代の史料に出てくる「火耕水耨」と結びつける流れがあるが、四川の西南地方を調査したときに水がかりの良い土地とそうでない周辺の土地がいっぱいある。そういうことを連想し、長沙にもそういった対比があったのではないか、水がかりの良いところは水平で、そうではない所は通常の方式をとらない、そういったことを調査から思い浮かべたが、そういうことを言っている研究者はほとんど居なかった。農学を研究している方面から走馬楼呉簡についての二つの種類の耕地(※「常限田」「火種田」のこと?)への所見はあるのか。  日本側からの回答。1.結論からいうとわからない。一点言うと「常限田」「火種田」とは対比したり二種類として良いものか、というのは問題になっていることの一つだ。今のところ基本的には「常限田」と対比される概念は「餘力田」である。「餘力田」=「火種田」なのか、それとも「餘力田」と「火種田」とは別のカテゴリーなのかというのはまだ想像の範囲だ。そういう段階だから「火種田」をどういう風に理解するかは答えにくい。「餘力」とは何なのかが絡んでくる。  中国側からの回答。1.「火種田」は二つの見方がある。一つは「火耕水耨」。もう一つは阿部先生の指摘通り山地の焼き畑農法。後者は水田ではない。両方のやり方が存在していて、長沙呉簡では収穫してからなので「米」という字を書いていて(※この直後、聞き取れず)、「火種田」は水田と思われる。  宋少華先生からの回答。1.現在の話。水利条件の良いところでは水稲を設け、あとは野菜、トウモロコシなどをつくっている。水利条件の悪い山地的なところではアワ、豆、麻、麦などを現在はつくっている。  伊藤先生からの回答。1.目録を作っているが、今のところ、農学者による論文を見ていない。  質問。1.文献に見えるような豪族の変化の方向性は呉簡で見えるのか(※ここでは清岡はかなり略して書いている)。2.あるいは後漢の研究で碑陰の中に出てくる郷里の門生故吏(で見られるように)同じ姓の人たちが地方で里を占めていくというがあり、呉簡でそういうことが見えてくるのか。3.従来の後漢社会の変化というものと呉簡研究との関係はどうか  回答。2.竹簡〔壹〕でのデータベースを検索していく中で一つの里の中で同じ姓はあまり見られない。今のところ大きな力を持った姓は見られない。  新潟大学の書道史の鶴田先生(今回のシンポジウムの表題なりパネルなりの文字を書いた先生)からのコメント。1.三月に明治大学で研究会があって後漢の史料がかなりあるという話。議論があまり進んでいない状況。みんな盛んにアタックし始めている。鶴田先生は十一月の学会で草書について発表する予定(※現在では発表済。鶴田一雄氏「長沙市東牌楼出土簡牘にみる草書の変遷に関する一考察」。リンク先『關尾史郎のブログ』内ページ)。  王素先生への質問。1.長沙呉簡に書かれる時期の長沙は蜀に対する呉の最前線(軍事的に厳しい状況)だったが、(「邸閣」は日本では軍事施設という理解が強い、あるいは明らかな軍事的な機関の名も見られるが、)その時期の長沙は呉の一地方とみなすのか、それとも前線とみなすのか。  王素先生からの回答。1.まず呉簡は大きく分けて経済方面の史料が多くある。経済方面の史料として戸籍と、税を納める史料が非常に多い。但し軍事関係の史料が全くないというわけではない。こういう方面は羅新先生が知っているので(羅新先生にコメントを求める)。  羅新先生からの回答。1.そういう史料があれば非常に面白い研究になると思うが、現在、(研究するほどには史料が整理されていない)。  關尾先生から朴先生へのお願い。1.朴先生は韓国の呉簡研究について厳しい評価をした。大分前に關尾先生が韓国に行き韓国の若い先生と話をした。その時に日本の学会では社会経済史の研究は停滞気味だが韓国の学会では若い先生方が社会経済史に対し大きな関心を持っていると感じた。長沙呉簡は今日の報告にもあったように社会経済史に関する非常に豊かな宝庫だと思っている。そのため、是非、韓国でも若い研究者の方々を中心に長沙呉簡に関する研究が活発になるよう祈っているし、朴先生にはリーダーとしての立場としてそういった研究を盛り上げてくれるようお願いしたい。  朴先生からのコメント。1.呉簡に関して今、韓国では盛んに研究が行われてないが、○○(※聞き逃し)史に関して若い先生方で新しい研究がされている。社会経済史に関しては若い研究者の間で一所懸命やっている。4,5年前にこちらの方に来たとき、呉簡とあまり関係ない研究をやっていて、今回、この研究会に参加し、多くのものを得て、いろんなものを考えるようになって、これから韓国に帰ったら、若い人たちと一緒に研究をやってみたいと考えてる。そのためいろんな史料をいただけるとありがたい。韓国でこのような研究会があるとすれば、今度はコメンテーターとしてではなく発表者として参加したい。もし韓国でなければ、私がやりたい(主催?)と思う。  パネルディスカッション終了のアナウンスで終了。17時2分。 ○閉会挨拶(16:50~17:00):伊藤敏雄(大阪教育大学)  伊藤先生が日本語でおっしゃった後、中国語で追随する形。今回のシンポジウムで一つ一つ誰がどんな発表したかをいう形。今回の報告内容は『長沙呉簡研究報告』第3集に収録される予定なので、刊行されれば購入してくれるようお願いがあった(場内笑) ○この後  開場は片づけと共に先生方で集合写真を撮っていた。  それを尻目に我々は会場を後にしファミリーレストランで一休み。 ※追記 ノート:六朝建康都城圏的東方―破崗瀆的探討為中心(2014年12月6日)

90. 『東洋史研究』電子版公開開始(2011年3月10日-)
※関連記事 リンク:「胡広伝覚書」  上記関連記事で2009年度東洋史研究会大会の総会で『東洋史研究』のWeb上公開の議案が承認を得たという話について触れた。  下記ブログ記事によると、それがWeb上で公開開始されたという。 ・古代中国箚記 http://ancientchina.blog74.fc2.com/ ・『東洋史研究』PDF版、公開  (※上記ブログ記事) http://ancientchina.blog74.fc2.com/blog-entry-421.html  それは下記サイトの下記ページにリストがあって、そこから各巻各号のページを辿れ、さらに各論文ページとPDF形式の各論文にリンクが張られている。 ・Kyoto University Research Information Repository: ホーム http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/ ※新規関連記事 リンク:魏晉南朝の遷官制度に關する二三の問題(東方學報2006年3月10日) ・Kyoto University Research Information Repository: 東洋史研究 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/138102  上記ページを見ても判るように、下記の「KURENAI update」のページによると、「KURENAIでは、雑誌の発行から3年経った号を公開していきます。現在63-66巻(2004-2007年)のみ公開しておりますが、バックナンバーも順次、登録していく予定です。」とのことで、2011年3月10日から公開開始しているようだ。上記ページで確認をとると、今のところ、さらに1-14巻、26巻1号、26巻3号が公開されている。 ・京都大学図書館機構 - KURENAI update : 『東洋史研究』をKURENAIから提供開始 by dlkyoto http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/wordpress2/index.php?p=102 ※追記 赤壁地名考―孫呉政権と江南の在地勢力(2011年11月3日)