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2006年5月4日 第四回三顧会ダイジェスト0


  • 2006年5月 5日(金) 09:29 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,576
場所  山口県光市には三国志の資料館「三国志城」というのがあって、2004年8月15日に三国志ファンを対象として「三顧会」というイベントが開催された。その第二回が2005年5月4日、第三回が2005年8月14日に開催された。

・「三国志城」公式サイト
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

・第一回三顧会の様子(個人サイトの日記)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w040815.html
・第二回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/115
・第三回三顧会の様子
http://cte.main.jp/newsch/article.php/156

 そして2006年5月4日に第四回が開催された。今回のプログラムを以下にしめす。

-------------------------------
【2006/5/4 プログラム】

 10時~ ご挨拶&簡単な自己紹介など
 11時~ 中国酒盃を作ろう(三国志を陶器にしよう第二弾)
 13時~ 三国志ビンゴ大会
 14時~ 三国志トランプ大会 (協力:英傑群像

 その他
  三国志コスプレ大歓迎 (着替える場所をご用意いたします)
-------------------------------


 迎えた当日。
 今回は交通費を節約するため、早い目にホテルを出て最寄り駅の岩田駅から歩くことに。地図で見ると3.3kmもある。カバンは一澤帆布の武骨な感じのリュックだけど(最近できた一澤信三郎帆布ではない)、服装はMICHEL KLEINでネタみたいな状態で歩いていた。天気も良く、三国志城は遠くから見るとカラフルな幟がたっていてわかりやすいってことを確認。7:50に駅を出たのについたのは8:40ぐらい。さすが3.3kmだ。
 三国志城の売店&食堂にはすでに何人か来ていて、食堂のところではなぜかアニメの横山光輝三国志の赤壁の戦前のエピソードが流されていた。私はそれを背に「漢代の文物」を読んだり、朝早くから三顧会とは無関係に見に来ている親子や老夫婦を後目に、三国志城の第四展示場に一枚一枚、展示されている、四川畫像磚の拓本を見て、三顧会開始まで時間をつぶしていた。見るたびに新たな発見があって面白い。きっと見る方の知識がかなりゆっくりと増えていっている証だな。榻の上に坐る人が膝を潜らせる几(つくえ)と榻の前に置く几の違いをみたり、堂の上でお互いに坐って向かい合っている様をみたり、車に先行する馬上の男が旄のようなのを持っているのをみたり。
 それから三国志資料室に「三国志烈伝 破龍」2巻「ふしぎ道士伝 八卦の空」1巻(また自分用に買います)、それから三国志シンポジウムの冊子と第二回 TOKYO 漢籍 SEMINARの配布物一式を置いていく。三国志シンポジウムの冊子はちゃんと「三国志研究要覧」の横に置いてきた。

・三国志資料室
http://cte.main.jp/newsch/article.php/113

 売店&食堂には顔見知りもそうでない人もまばらに集まってくる。いよいよ始まりそうな雰囲気。


・三国志コスプレ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/330


・2006年8月14日 第五回三顧会ダイジェスト
http://cte.main.jp/newsch/article.php/380

リュービ十五歳ダッシュ


  • 2006年5月 4日(木) 00:24 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,429
歴史  ほとんどメモ書きだけど。
 下記の記事関連。

・リュウビ十五歳
http://cte.main.jp/newsch/article.php/276

 劉備(字、玄徳)が一体全体、何を目指して遊学してたか、想像してみる。盧植(字、子幹)に師事していたのは良いとして、このことがこれ以降のことにつながっていない。
 同じ盧植門下の公孫瓚(字、伯珪)は盧植の元で学ぶ前に一度、郡の門下書佐になっている(三国志魏書公孫瓚伝)といえども、盧植の元を離れた後、ちゃんと上計吏へ就職している(後漢書公孫瓚伝)。
 以前書いた記事(下記リンク先)に従うなら劉備は27歳頃まで職らしい職についていないので、遊学の目的がわからない。

・リュウビ二十七歳
http://cte.main.jp/newsch/article.php/278
・孫氏からみた三国志39(別サイト)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w060412.html

 27歳頃に従軍したことが盧植から軍事について教えてもらったとか就職を斡旋して貰ったとか盧植が関係するとは想像しにくいしね。
 それで遊学中の人、つまり当時の学生がどうだったか、たまたま見かけたのであげてみる。見かけた文献(というかネット上にあった電子文献。恥ずかしながらちゃんとした底本で確認していない)は唐の杜佑撰「通典」。その選舉典 通典卷第十三 選舉一のところ。

桓帝建和初、詔:「諸學生年十六以上、比郡國明經、試、次第上名。高第十五人・
上第十六人為中郎、中第十七人為太子舍人、下第十七人為王家郎。」

<以下、あやしい訳>
桓帝の建和年間(西暦147~149年)の初め、詔で告げる。「学生たち十六歳以上で、郡国の明経科から選び試験し、上から順に名をあげる。高の及第者十五人、上の及第者十六人を中郎にし、中の及第者十七人を太子舍人にし、下の及第者十七人を王家郎にする」

 そうか試験をやって成績に応じて、中郎(宮中の郎?)が31名、太子舍人(皇太子付きの宮中の官?)が17名、王家郎(皇帝ではなく王の郎?)が17名にするってことなのか。劉備はこういうことを目指していたのかな、と想像する。さらに通典の記述は以下のように続く。

永壽二年甲午、詔復課試諸生、補郎・舍人。其後復制:「學生滿二歳、試通二經者、補文學掌故;其不能通二經者、須後試復隨輩試、試通二經者、亦得為文學掌故。其已為文學掌故者、滿二歳、試能通三經者、擢其高第、為太子舍人;其不得第者、後試復隨輩試、第復高者、亦得為太子舍人。已為太子舍人、滿二歳、試能通四經者、擢其高第、為郎中;其不得第者、後試復隨輩試、第復高者、亦得為郎中。已為郎中、滿二歳、試能通五經者、擢其高第、補吏、隨才而用;其不得第者、後試復隨輩試、第復高、亦得補吏。」

<以下、あやしい訳>
永壽二年(西暦156年)の甲午の日、ふたたび諸生(学生)を課試し、郎・舍人としてたすよう詔で告げる。その後、再び制定する。「学生が二年間を満たすと、二経(易、書、詩、礼、春秋の五経のうち二つ?)に通じるか者か試験し、文学掌故の定員として足す。その二経に通じない者すべては後に再び共同で二経に通じるか者か試験し、また文学掌故になることができる。そのすでに文学掌故とした者が二年経つと、三経に通じる者か試験し、その高い及第者を引き抜き、太子舍人とする。それ以外の者は後にふたたび共同試験し、高い者をふたたび及第とし、また太子舍人となることができる。すでに太子舍人になり二年経つと四経に通じる者か試験し、その高い及第者を引き抜き、郎中とする。それ以外の者は後にふたたび共同試験し、高い者をふたたび及第とし、また郎中となることができる。すでに郎中になり二年経つと五経に通じる者か試験し、その高い及第者を引き抜き、吏(役人)として足し、才能に応じ用いる。それ以外の者は後にふたたび共同試験し、高い者をふたたび及第とし、また吏となることができる。」

 ということでつまり試験に受かり続けると、学生2年→文学掌故2年→太子舍人2年→郎中2年→吏という流れ。最短で8年で吏になれるってことだろうか。この例に近いのが、王郎(字、景興)の「以通經、拜郎中、除菑丘長。」(経に通じていたことで、郎中に拝命され、菑丘長に任官される。三国志魏書王郎伝)。 もちろん、茂才や孝廉にあげらえると、一気に吏(県令とか)や郎中になったりできるんだろう(後漢書臧洪伝の注によると「漢法、孝廉試經者拜為郎。」とのこと)。
 ちなみに誰かに師事し、その後、孝廉にあげられる流れの人は、傅燮(字、南容)の「少師事太尉劉寬。再舉孝廉。」(後漢書傅燮伝)、周防(字、偉公)の「師事徐州刺史蓋豫、受古文尚書。經明、舉孝廉、拜郎中。」(後漢書儒林列傳)、潁容(字、子嚴)の「博學多通、善春秋左氏、師事太尉楊賜。郡舉孝廉、」、王郎(字、景興)の「師太尉楊賜、賜薨、棄官行服。舉孝廉、辟公府、不應。」(三国志魏書王郎伝)などがあげられる。コネクションとまでは言わないものの孝廉に挙げられるにはその人に関する情報がある程度、伝わらないといけないかな、と。

 劉備がこういうことを目指していたかどうかなんてわからないことだけど、想像するとあれこれ創作の種になりそうで楽しい。というか書いているうちに、「行學」している人=「學生」 ってわけじゃないような気がしてきたが。

 ちなみに十六歳未満では、童子郎という官職がある。司馬朗(字、伯達)の「十二、試經為童子郎」(三国志魏書司馬朗伝)、「洪年十五、以父功拜童子郎、知名太學」(後漢書臧洪伝)などがあげられる。通典にも「年始十二、各能通經、雄並奏拜童子郎」とある(前後をちゃんと読んでいないので何かって私にはわからないけど)

趙雲子龍(マッスル)


  • 2006年4月28日(金) 22:55 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,802
ショー

よくみにいくプロレス関連の個人ブログで見かけたんだけど。
マッスルという団体(なのか??)に趙雲子龍というレスラーがいらっしゃるそうな。

・『マッスル』オフィシャルウェブサイト
http://www.ddttec.com/muscle/index.html
※ddttec official web site内 http://www.ddttec.com/

上記サイトの「戦士紹介」のところで見ることができる。
出身地は中国、バックボーンは北京学院大学学生プロレスとのこと。しかし「トピックス」に書いてある「ジャイアント馬謖」の存在が気になるなぁ(笑)
あと「ストーリー」のところも要チェック。

趙雲子龍選手は5月5日にKAIENTAI DOJOに参戦するんだけど、過去、赤兎ちゃんかマスクド三国と組んだり戦ったりしたことがあるんだろうか?

・参考:2005年9月17日 赤兎ちゃん&マスクド三国 プロレスデビュー
http://cte.main.jp/newsch/article.php/177 

4月25日は夏侯惇の命日


  • 2006年4月25日(火) 18:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,052
歴史 ・4月24日は劉備の命日
http://cte.main.jp/newsch/article.php/325

上の続き、かな?

 というか、ブログ「蓬莱の夢」の記事を見て初めて気付いた。命日のわかる三国志の人物は貴重。

・ブログ「蓬莱の夢」
http://blog.goo.ne.jp/hourainoyume
・記事「夏侯惇の命日によせて2006」
http://blog.goo.ne.jp/hourainoyume/e/26d1e23d0b402d23a7cec4c1d3ab493a

 上記記事のとおり、確かに三国志魏書夏侯惇伝にはなくなった月日の記述はない。そのため、手元の電子文献で試しに「惇 薨」で検索をかけるとあっさりみつかる。三国志の本紀。三国志魏書文帝紀の記述ね

三國志卷二 魏書二 文帝紀第二

(延康元年)夏四月丁巳、饒安縣言白雉見。庚午、大將軍夏侯惇薨。

 というわけで、延康元年(紀元220年)の夏四月庚午に大将軍の夏侯惇が薨去した。
 庚午は何日かというと、それはネットの「中央研究院兩千年中西暦轉換」を使えば良い。それがどこにあるか、使い方はどうか、は以下のリンク先を参照。

・「三国志ファンのためのサポート掲示板」のツリー1824
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one;no=1824

 つまり、4月25日は夏侯惇の命日。ちなみに丁巳は12日ね。ついで書くとその庚午は「中央研究院兩千年中西暦轉換」によると新暦でいうところの6月13日。

 あと、やたら「○○、命日」って検索ワードが多く、三国志関連においてそんなの滅多に歴史上、残ってないよって意味で以下に参照リンクあげとく。

・8月23日は三国演義での諸葛亮の命日
http://cte.main.jp/newsch/article.php/164
・周瑜の命日について
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1899
・太史慈の命日について
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2244

※追記
 閏1月28日は司馬師の命日
 4月25日は蹇碩の忌日


※追記 4月26日は三国呉の大皇帝崩御の日

4月24日は劉備の命日


  • 2006年4月24日(月) 21:31 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,023
歴史 ・4月4日は孫策の命日
http://cte.main.jp/newsch/article.php/311

上の続き、かな?

三国志蜀書先主伝によると、

(章武三年)夏四月癸巳、先主殂于永安宮、時年六十三。

というふうに章武三年(紀元223年)の夏四月癸巳、先主(劉備)は永安宮において63歳のとき亡くなった。しかしながらこの年の四月に癸巳の日はない(「癸巳」にあわせると命日は3月5日?)。これに続く文の諸葛亮の上言によると

亮上言於後主曰:「伏惟大行皇帝邁仁樹徳、覆燾無疆、昊天不弔、寢疾彌留、今月二十四日奄忽升遐、臣妾號咷、若喪考妣。

と、今月の二十四日、たちまち天に昇った、とあるので劉備の命日は4月24日。

・参照
http://cte.main.jp/newsch/article.php/276

※追記 4月25日は夏侯惇の命日


※追記 4月26日は三国呉の大皇帝崩御の日