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次のキーワードについて検索: 検索文字列 ''. 検索結果 121 - 150 / 607 件 (0.0109 秒). 検索条件の修正

121. 「東アジアの出土資料と交通論」ノート1(2008年10月12日)
※前記事 「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開」ノート3(2008年9月14日) ※関連記事 公開シンポジウム「東アジアの出土資料と交通論」(2008年10月11日12日) ※追記 国際シンポジウム「三国時代・魏の世界―曹操高陵の発見とその意義―」(2010年11月27日28日)  上記の関連記事にあるように2008年10月11日12日に愛媛大学で公開シンポジウム「東アジアの出土資料と交通論」が行われるということで足を運ぶ。  当日はちょうど「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の利用期間なので、12日の午前中を狙って11日丸一日かけて愛媛大学のある愛媛県松山市へと向かう。初めて行く土地で、車窓を楽しんでいたので、 図書館から借りた『漢代の地方官吏と地域社会』をほとんど読み進められなかったが。  松山はコンパクトにまとまった街で、市電と徒歩でホテル、観光地や繁華街などほとんどカバーできた。しかも市電はどこでも150円で一日券が300円という安さ。ただ市電の終電が早いことは玉にきずだけどね。  12日朝、市電に乗り込み、いざ会場となる愛媛大学へ向かう。 ・愛媛大学 http://www.ehime-u.ac.jp/  9時前、会場となる建物の愛媛大学法文学部に到着する。その出入り口のど真ん中には写真のように犬がうつ伏せに寝そべって、こちらに無関心な様子で建物の入口の前でくつろいでいた(笑)。  エレベータに乗り込み8階に上がり、東側にある大会議室へ。西の入口でレジュメを貰う。  東の壁にスクリーンがあって、そこが演壇となる。席が東に向かって配置されているのではなく、写真にあるように会議室の名の通り、南北で交互に向かい合わせになるような席と机の配置となっている。清岡はスクリーンが見えるように北側南向きの席に座り、開始を待つ。 ●10月12日:研究発表―午前の部(午前9時~12時)  ※以下、頭に「●」をつけた一行はプログラムからの写し  9:06開始。  前日「中国古代の簡牘と記録簡―日本古代木簡との比較―」のご講演をされていた藤田勝久先生が司会として立たれる。ここで王子今先生は渡航手続の関係上、来日できなかったとアナウンスされる。その代わり、三番目に黄 暁芬先生の「秦直道の調査と研究」というご報告をされるそうな。 ※追記 中国古代国家と社会システム(2009年9月25日) ●王子今氏(中国・中国人民大学)「中国古代交通システムの特徴―秦漢出土資料を中心として―」  藤田先生が急遽、作成した資料「中国古代の出土資料と交通論」を元に簡単な説明がされるとのこと。 ○1、中国古代交通史の研究  ※以下、頭に「○」をつけた一行はレジュメからの写し  白寿彝『中国交通史』(1975)は交通区域とか都会とか道路とか、制度史のような形で書かれた。その他、いくつか書かれ漢代だと譚宗義『漢代国内陸路交通考』(1967)、唐代だと厳耕望『唐代交通図考』(1985-1986)など交通路線の問題、それから交通施設の問題など、文献学を中心とした研究。  王子今『秦漢交通史考』(1994)は手に入るものの中で、一番、ベーシックなもの(レジュメでは目次が書かれている)。王子今先生の考えによると交通システムは統一国家を維持するためのものとのこと。秦漢時代に空前の発達を遂げた。秦漢交通史に重要性がある。社会生産の発展は交通の発達と維持を必要とする。交通網の分布、密度、効率は文化圏の範囲と規模を決定する。『秦漢交通史考』はこの当時、発見された出土史料画像史料をも含め概説されている。考察の対象としては狭い意味では人と物の空間、広い意味では通信など伝達方式も意識されている。考察の対象として、交通発展の現象と規律、社会文化面に対する作用を扱う。実際には制度、交通路とか橋とか乗り物とかが社会にどのように関わるか網羅的に扱う。  今回、王子今先生が発表するにあたり、予めどのような内容なのか聴いており、それがレジュメに書かれている「1交通条件と皇帝権、2交通施設と国家の政治、3交通路と国家の建設、4交通道路と軍事化」という目次に当たる。王子今先生には機会を改めて松山で発表してもらう予定とのこと。 ○2、人びとの移動と出土資料:文字資料と口頭伝達  人びとの移動としてどんな資料があるか。藤田先生は昔、『司馬遷の旅』(中公新書、2003)という本を書き、司馬遷は武帝と巡行したりと中国の三分の二を旅行している。交通史の研究が少ないので実際、どうかわからない、と。その本では「余論」として「漢代の旅行事情」として書いて、その時に調べてわかったことがある。つまり中国の交通史の研究は進んでなくて、よくわからないということがよくわかった。  レジュメの右側にいくつか項目を挙げている。それらは中国ではどんな人々が移動しているか、そんな移動を示す出土資料にはどういったものがあるか、そういったものを対象として研究を進んでいけば貢献できるのではないか。  「1)皇帝の巡狩」。一番有名なのに秦始皇帝の天下巡行がある。それを示すものに「刻石」がある。「2)中央の官僚、官吏」「3)地方の官僚、官吏」。従来から研究されている。「4)軍隊とその組織」。王子今先生も注目されている。軍事目的で移動したり辺境の防衛や徙民に関連する資料もある。「5)公的な労働」。単に物資を輸送させるだけではなく、土木建設、例えば皇帝陵墓作るためかり出されるとか。各地への軍需物資の移動の資料の一つに、今日、発表で触れられる「里耶秦漢」などがある。「6)学者、客、一般民など」。思想家、占いをする者、技術者など。 ○3、交通の施設と交通システム  一番考えられるのは「1)公的な城郭、交通・軍事の施設」、こういうハード面がある。出土資料そのものだけではなく近年、遺跡の調査もある。「2)交通システムと規定」について例えば睡虎地秦簡や張家山漢簡には「行書律」「伝食律」などの職業規定が出てきている。また通行書に当たるもの(符、伝、伝信)も資料として増えてきた。  ここで今回の報告の概要が藤田先生により説明される。今回の発表は全て日本語だそうな。 ※次記事 「東アジアの出土資料と交通論」ノート2 ※追記 東アジア出土資料と情報伝達(2011年5月25日) ※追記 日本マンガ学会第13回大会に至るまで(2013年7月4日-) ※追記 中国の歴史をたどる―『三国志』(2014年10月14日-2015年3月10日全6回)

122. メモ:大半の三国創作と二次創作の相似点
※前記事 メモ:歴史漫画における少年漫画と少女漫画との違い  上記記事の続き。  前置きはやはり長くて、主にマンガ/コミックスの国際学術会議について。 ・京都国際マンガミュージアム http://www.kyotomm.jp/ ・国際学術会議「世界のコミックスとコミックスの世界」| 京都国際マンガミュージアム http://www.kyotomm.jp/event/study/isc01.php  前記事のように、2009年12月18日から20日まで京都国際マンガミュージアムにて国際学術会議「世界のコミックスとコミックスの世界」が開催された。  この国際学術会議の主催は「京都国際マンガミュージアム/京都精華大学国際マンガ研究センター」ということなんだけど、共催は「国際交流基金、女性MANGA研究プロジェクト、ドイツ文化センター」ということで、独日の「国際交流」という名目で予算を引っ張ってくる方式は実現の可否はともかく何かと使えそうだ。「三国志」だと中日交流なわけだけど、清岡の狭い見識ではこういう予算の方式はあまり聞いたことがない。「中国文化」全般だと日本の大学にいくつかある孔子学院が真っ先に思い付くのだが。 ・京都国際マンガミュージアムへ。最終日  (※清岡個人の日記) http://cte.main.jp/sunshi/2009/1209.html#20  上記日記にも書いたように、2009年12月20日にはこの国際学術会議以外にも「漢字文献情報処理研究会第十二回大会」という学術催事があって、両者を比較してみると、スタイルの特徴が明確になって興味深いものだった。 ・漢字文献情報処理研究会 ホームページ http://www.jaet.gr.jp/

123. 漢魏交替期における社会と文化(2009年5月15日)
 小耳に挟んだんで記事にしてみる。  会議のタイトル通り、私を含めた一般人は立ち入りできないから、あまりここで記事にしても意味はなさそうだけど、前回2008年5月24日に開催された「第53回国際東方学者会議 東京会議」シンポジウムVI「両漢における「天」の文化」─思想史と歴史学の連携による」の内容は、下記のリンク先に情報を示す『両漢儒教の新研究』(汲古書院2009年1月刊行、ISBN978-4-7629-2850-5)にまとめられているから、今回も何らかの形で刊行される可能性はないとは言えないので、ここに記しておこう ・株式会社汲古書院 http://www.kyuko.asia/ ・両漢儒教の新研究 - 株式会社汲古書院      古典・学術図書出版 http://www.kyuko.asia/book/b12176.html ※追記 三國志研究 第四号(2009年9月) ※追記 論曹操墓出土的部分文物与歴史文献的関係(2010年5月21日)  それで何かというと下記のリンク先にあるように、2009年5月15日金曜日に「第53回国際東方学者会議 東京会議」が日本教育会館(7・8階)で開催され、その中の部会にシンポジウムVI「漢魏交替期における社会と文化」があるという。 ・財團法人東方學會 http://www.tohogakkai.com/ ・54th ICES SYMPOSIUM VI http://www.tohogakkai.com/ICES-program.html#sympo6 ※URLから判断するに、時間が経てばページの内容が差し替えられるかも。

124. メモ:「東洋史研究会大会」出店状況
・東洋史研究会 http://wwwsoc.nii.ac.jp/toyoshi/ ・2009年度東洋史研究会大会 http://wwwsoc.nii.ac.jp/toyoshi/contents/taikai2009.html ※関連記事 「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容」ノート  上記サイトのページにあるように2009年11月3日火曜祝日に「2009年度 東洋史研究会大会」があって、上記関連記事の昨年と違って、今回は個人的に興味のある発表がなかったものだから、行かないつもりだったけど、知人とその話をしていたら、(本人は否定するだろうが)誘われた形になったものだから、足を運ぶことになった。結果的に漢代と南朝に関する三報は自分の興味範囲に入っていて興味深く聴けたんで良かったんだけどね。  それでもそれらの発表についてノートなり何なりこのサイトに情報を残すことはサイトの主旨に大きく逸脱しそうなので、どうするかは保留する。それよりサイトの主旨に近いと思われる、書店の出店についてメモを残す。この記事から『三国志』関連の専門書をネットを通じ探す際に活用してくれると幸い。

125. ノート:六朝建康都城圏的東方―破崗瀆的探討為中心(2014年12月6日)
※関連記事 魏晋南北朝の主要都城と都城圏社会(2014年12月6日)  上記関連記事で紹介したように、2014年12月6日土曜日10時より大阪府松原市 阪南大学本キャンパス50周年記念館3階会議室にて国際研究集会「魏晋南北朝の主要都城と都城圏社会」が開催された。その日、清岡は午前中に別の用事があって、その後、できるだけ早く会場に赴き、何とか昼休み前に会場入りできた。 ・魏晋南北朝史研究会 http://6ch.blog.shinobi.jp/ ・国際研究集会「魏晋南北朝の主要都城と都城圏社会」(12月6日)のご案内 http://6ch.blog.shinobi.jp/開催案内/国際研究集会「魏晋南北朝の主要都城と都城圏社会」(1 ※新規関連記事 メモ:三国志学会 第十六回大会 報告(2021年9月5日)  その部屋に入る前の廊下にて資料としてA4の冊子とA4のプリント(佐川先生報告分)が配られてあって、それを受け取り、部屋に入ると、ラウンドテーブルみたく、机を輪の形に並べてあって…それは比喩表現で実際には四角く並べてあって、ほぼ満席でどこか空いてないかと見回すと、四角の形の角に当たる部分、机ではない箇所が空いてあって、そのうちの一つの席に座る。ちなみに対角線上にある角の席は、清岡より遅れていらっしゃった福原啓郎先生が座られていた。 ※関連記事 三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー(2012年9月9日)

126. 第9回魏晋南北朝史研究会大会ノート(2009年9月12日)
※関連記事 第9回魏晋南北朝史研究会大会(2009年9月12日)  上記関連記事で書いたように、2009年9月12日に第9回魏晋南北朝史研究会大会が駒澤大学深沢校舎1-2講義室で開催された。 ・魏晋南北朝史研究会 http://6ch.blog.shinobi.jp/  初めていく大学だが、事前に駒澤大学深沢校舎は駅から結構、離れていると知ったんで、なるべく歩かないようにと、最寄りのバス停がないかネット上の地図で探す。そうすると、会場の目の前にバス停があると知る。渋谷駅から出る東急バス渋82(等々力行)の路線で駒大深沢キャンパス前というバス停があるそうな。

127. ベトナムの『三国志演義』(2014年10月25日)
メールにて教えていただいたこと。 ・京都大学アジア研究教育ユニット http://www.kuasu.cpier.kyoto-u.ac.jp/ ・【お知らせ】公開セミナー「ベトナムの『三国志演義』」10月25日(土)┃京都大学アジア研究教育ユニット http://www.kuasu.cpier.kyoto-u.ac.jp/2014/10/15/jinbunken/ 上記サイトの上記お知らせページによると、2014年10月25日土曜日11時から12時30分まで京都府京都市左京区の京都大学人文科学研究所本館1階第1セミナー室にてDr.Lan NguyenTo「ベトナムの『三国志演義』」という公開セミナーがあるという。講師の方は「ベトナム社会科学院研究員 ・ ハーバード大学客員研究員・京都大学人文科学研究所招へい学者」とのことだ。中国語の発表だが日本語の適宜訳あり。 ・京都大学人文科学研究所 http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ ※関連記事 高校生のための夏期セミナー ~漢字文化への誘い~ 第一回(2013年8月9日)

128. 『コミックトム』をM-GTA 1st step(2015年8月下旬)
※前の三国関連の記事 メモ:CafeBar曹操(広島県広島市中区流川町)  2015年8月28日金曜日夕方、dutyを終え、京都から新快速で西に向かう。ちょうど青春18きっぷの期間で個人的にはラスト2回目となった。やはり通勤・通学(後者はあまりないか)でいきなりは座れず。座れたら菓子パンのハムマヨを食べて、ラムネ風スコールを飲む。米原駅の手前のヤンマー中央研究所の電光掲示板によると気温が25℃だそうな。18時55分到着。乗り換え時間10分なんで、すでに次の列車、7番ホームで人が並んでいた。列車が着たら、後ろのばばあに順番抜かしされる。でも結果は同じくクロスシートの通路側なのにね。あと列車自体は東海道本線(東海)新快速(浜松行)ね。  ようやく落ち着けたので、先も長いので、木下康仁『グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践』(弘文堂2003年8月15日発行)にある、木下先生考案のM-GTAに取り掛かる。といっても分析ワークシートに具体例を書き込んでいる段階だけど。 ・グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践 質的研究への誘い | 弘文堂 http://www.koubundou.co.jp/book/b156903.html  横山光輝『別冊コミックトム 三国志』第一期配本(1-18巻、1980-82年)の大体、奇数巻に「お便り紹介コーナー」があり文字通り読者からのお便りが紹介され、まずはそれを分析対象に選んだ。やっぱり『エレ片のコント太郎』ポッドキャストを聞きながら作業を進める。 ※関連記事 『エレ片のコント太郎』ポッドキャストで三国志ネタ

129. 後漢における「儒教國家」の成立(汲古書院)
※関連記事 株式会社汲古書院のサイトオープン(2009年1月30日)  上記の記事の時と同様、昨日、汲古書院からチラシが届いて知る。 ・株式会社汲古書院 http://www.kyuko.asia/ ※関係ないが「学会・研究会出店予定」はそれぞれの詳細ページへのリンクが張ってあって便利。  渡邉義浩/著『後漢における「儒教國家」の成立』(8400円、ISBN978-4-7629-2865-9)が2009年3月に汲古書院から刊行されたという。そのチラシで添えられた文が「◎中国思想史研究者との共同研究に基づき「儒教の国教化」を論証する!」。

130. 三國志研究第十号(2015年9月5日)
・三国志学会 http://sangokushi.gakkaisv.org/ ※関連記事 三国志学会 第十回大会(2015年9月5日12日土曜日)  上記関連記事で触れた2015年9月5日土曜日開催の「三国志学会 第十回 京都大会」、あるいは同年同月12日土曜日開催の「三国志学会 東京講演会」にて会員には会費と引き替えに三国志学会機関誌『三国志研究』第十号(178ページ、ISSN 1881-3631)が渡された。  『三國志研究』は上記サイトにもあるように汲古書院で購入できるそうな。 ・株式会社汲古書院 古典・学術図書出版 http://www.kyuko.asia/

131. メモ3:「アクセス集計に見られる現代日本における三国志由来事項の変容と浸透」
※前記事 メモ2:「アクセス集計に見られる現代日本における三国志由来事項の変容と浸透」  2009年8月8日にようやく2005年3月1日から2007年12月31日までのアクセス集計のルーチンワークを終え、データ解析の部分は創造的かつスムーズに行えると思ったら、しょっぱなでつまづく。  何かというと、小分類を加算し中分類ごとに合計する作業だ。手元の環境だと、表計算ソフトの動作が遅くフリーズしやすく、またそれを緩和するためにこまめに保存するも、保存する最中にフリーズする状況だった。これで待ち時間ばかりの9日、10日と丸々二日費やし、絶望感を漂わしていたんだけど、10日の深夜にあるアイディアを思い付く。  今まで計算に際し、集計結果とリンクさせていたわけだけど、それを「形式を選択して貼り付け」し、リンクを切断すれば負担が軽くなるんじゃないかと気付く。機転の効く人だったら二日も費やさずに一瞬で気付くんだろうな、と自分をイヤになりつつ、そのアイディアを実行してみると、表計算ソフトの動作は速くなり、かつフリーズ頻度が激減し、ようやくデータ解析の作業を進められることに。  11日、12日は計算に誤りがないかチェックしつつ、グラフ作成をしていた。そういう苦労は発表で出るわけはないので、この際だからメモとして出そうとしたのが、今回の記事の本題というわけだ。

132. 中国古代家族史研究 秦律・漢律にみる家族形態と家族観(2012年2月)
・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店~ http://www.toho-shoten.co.jp/ ・メルマガ登録 http://www.toho-shoten.co.jp/mailmag/ 上記の書店サイトの上記ページにあるように東方書店が発行するメールマガジン『書羅盤:チャイナブックナビゲーター』2012年第4号-2(総245号)(2012年3月29日発行)によると、刀水書房より2012年2月に鈴木直美/著『中国古代家族史研究 秦律・漢律にみる家族形態と家族観』(ISBN978-4-88708-401-8)が6090円で発売されたという。 ・刀水書房ホームページ・創業34周年 http://www.tousuishobou.com/ ※新規関連記事 中国明末のメディア革命(2009年9月) ・中国古代家族史研究、刀水書房 http://www.tousuishobou.com/kenkyusyo/4-88708-401-8.htm

133. リンク:「盧植とその『礼記解詁』」
※関連記事 リンク:『魏晉石刻資料選注』  上記、リンク先の記事で紹介した京都大学学術情報リポジトリ(KURENAI = Kyoto University Research Information Repository)を紹介したんだけど、別件でKURENAIを見ていたら、下記、論文、池田秀三「盧植とその『礼記解詁』」の(上)(下)を見かけたんで、まだ目を通していないけど続けてリンクを張っておく。それぞれ『京都大學文學部研究紀要』29巻(1990年3月31日発行)、同紀要30巻(1991年3月29日発行)収録。 ・Kyoto University Research Information Repository http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/ ・Kyoto University Research Information Repository: 盧植とその『礼記解詁』(上) http://hdl.handle.net/2433/73047 ・Kyoto University Research Information Repository: 盧植とその『礼記解詁』(下) http://hdl.handle.net/2433/73051 ※次記事 リンク:「胡広伝覚書」 ※追記 三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日)

134. メモ:「漢代明經考」
※前記事 メモ:「両漢時代の商業と市」  旧年の11月頃、官吏の登用制度が気になっていて、下記関連記事のように「2009年度 東洋史研究会大会」で各100円で購入した『東洋史研究』14冊にあった、この記事で紹介する論文を読んでいた。 ※関連記事 メモ:「東洋史研究会大会」出店状況  結局、下記の関連記事のようにそこから辿って読んだ同著者の論文で孝廉の一側面について知ることができた。 ※関連記事 リンク:「胡広伝覚書」  登用制度全体は下記に示す論文であれこれ知ることができた。常科と制科の区別とか。CiNii(国立情報学研究所提供サービス)内のページへのリンクも続けて記す。リンク先で読めるという訳ではないが。 西川 利文「漢代明經考」(『東洋史研究』Vol.54 No.4 (199603) pp.583-609 東洋史研究会 ) http://ci.nii.ac.jp/naid/40002660276  この論文が掲載されている『東洋史研究』Vol.54 No.4は下記の東洋史研究会のサイトによると、1200円で購入できるようだ。 ・東洋史研究会 http://wwwsoc.nii.ac.jp/toyoshi/

135. 関野貞資料と墳墓の世界(2011年3月2日)
開催が一週間後に迫っているため早さ優先で端的に。 ・称猫庵 http://syoubyouan.blogspot.com/ ・関野貞資料と墳墓の世界  (※上記ブログ記事) http://syoubyouan.blogspot.com/2011/02/blog-post_23.html 上記ブログ記事で知ったこと。 ・東京大学東洋文化研究所 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/ ※新規関連記事 リンク:漢代察挙制度の研究(東洋文化研究所紀要1983年11月) ・国際シンポジウム「関野貞資料と墳墓の世界」が開催されます  (※上記サイトのお知らせ) http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/news/news.php?id=FriFeb1818:55:412011 上記お知らせにあるように、東京大学東洋文化研究所人間文化研究機構主催(近畿日本ツーリスト株式会社協力)で世界遺産に向き合い価値の共有を夢見た男 関野 貞 プロジェクト 「関野貞資料と墳墓の世界」(国際シンポジウム)が2011年3月2日水曜日13時から東京大学総合図書館三階大会議室にて参加費無料事前申し込み不要で開催されるという。 その中のプログラムで下記に引用するのが目に付く。 ━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 鮮卑族の系譜  復旦大学 韓 昇 (墓葬のDNA鑑定 付:曹操一族の検討) ━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

136. リンク:漢字文献情報処理研究会
 『電脳中国学II』の編纂団体として、またサイト「Kanhoo!東洋学サーチ」の運営団体として、著名な学術団体「漢字文献情報処理研究会」には、下記に示すように1998年10月13日開設のサイトがある。 ・漢字文献情報処理研究会 http://www.jaet.gr.jp/  この研究会は名前の通り東洋学分野における情報処理の研究に関連した会であり、年一回、会誌発行と大会開催を行っている。『漢字文献情報処理研究』は第1号から第7号までネット上にPDF形式で公開されている。今年2009年の第12回大会は12月20日に京都の花園大学で行われるとのこと。  この会は直接的に「三国志」に関係なく、強いて言えば会誌『漢字文献情報処理研究』第5号に『《三国演義》電子資料庫』という学術ソフトを紹介しているぐらいである。ではなぜ「三国志ニュース」で取り上げるかというと、研究会の取り扱う対象が東洋学に関わる文字コード、データベース、知的財産、語学教育と、ネットにおける「三国志」関連と切っても切れない関係だからだ。

137. メモ:日本の「三国志演義」翻案作品における作画資料としての「三国演義連環画」(2017年6月24日)
※関連記事 メモ:三国志研究会(全国版)第7回例会(2016年12月25日)  上記の関連記事に続き、きりのいい記事番号の記念記事。今回のNo.4300は日本マンガ学会第17回大会での清岡が数日前から研究報告するまでのレポートというか奮闘記。 ※前の記事 真・三國無双 15th Anniversary キャラクター設定画集(2016年8月3日)  前の記事の次の金曜日、6月16日。例によって夕方から鈍行で出発。コンビニでお菓子と明日の朝食を買い、三国志ニュースの記事「昨日までを、超えてゆけ #4 日食(Galaxy CM 2017年5月23日)」を書いて、18時31分には「長野剛原画展2017(東京会場2017年6月16日-18日、愛知会場23日-25日)」を書き終える。そこからようやく次の週の土曜日にせまった日本マンガ学会第17回大会のレジュメにとりかかる。今回の報告は自分的にサイト「三国志ニュース」スペシャルの位置づけで、というのも大まかな流れとしては断片としての「三国志ニュース」の記事をつなげたりまとめたりすることが多いからだ。 ・日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/ ・日本マンガ学会第17回大会 プログラム - 日本マンガ学会 http://www.jsscc.net/convention/17 ※関連記事 日本の「三国志演義」翻案作品における作画資料としての「三国演義連環画」(2017年6月24日) ※新規関連記事 メモ:日本マンガにおける秦始皇帝兵馬俑鎧甲デザインの伝播(2018年6月23日)

138. リンク:現代日本の大衆文化にみる「三国志」の受容(2016年)
下記のTwitter Accountの下記のStatusで知ったこと。 ・おもも (omomo_u) on Twitter http://twitter.com/omomo_u ・Twitter / omomo_u: 地元で三国志とエンタメの研究してる先生がいらっしゃるとは。 ... https://twitter.com/omomo_u/status/837966088373620736 ※関連記事 三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日) ※前記事 リンク:『太平記』・『三国志演義』・"Le Morte d'Arthur"における語り手のスタンス(2015年9月) なにかというと、下記のサイトの下記紀要ページにあるように、『静岡産業大学情報学部研究紀要』第18号(静岡産業大学情報学部2016年)の59ページから76ページまでの葉口英子「現代日本の大衆文化にみる「三国志」の受容」が同所でPDFファイルとして公開されている。 ・静岡産業大学 http://www.ssu.ac.jp/ ・第18号(2016) | 大学案内 | 静岡産業大学 http://www.ssu.ac.jp/guide/study-bulletin/information/infor-news1/ ※4月9日修正。前述のstatusにあるURLが変わったのは、清岡がサイトマスターの情報リテラシーについて言及したからと一瞬思ったけど、単に年度が変わったからなんだろうね。

139. ノート1:三国志学会 第五回大会
※前記事&目次 ノート:三国志学会 第五回大会(2010年9月11日) ○開会の辞 (10:00~10:10)  ※頭に「○」を冠する場合はプログラムより。以下同じ。  10時を過ぎると牧角悦子先生から開始のアナウンスが入るも、会長の狩野直禎先生のご体調が優れないとのことで(今年2010年の暑さの影響とのことで)、代わりに渡邉義浩先生から開会の辞で、そういった経緯を話されていた。牧角先生によると、渡邉先生もご体調が優れないそうな。そのため、来年は狩野先生のお膝元の京都で三国志学会大会が開催される旨が告げられる。 ○研究報告 10:10~11:00「蜀漢の南中政策と「西南シルクロード」」

140. 「東アジアの出土資料と交通論」ノート3
※前記事 「東アジアの出土資料と交通論」ノート2  ノートPCの入れ替え中、司会による次の発表の紹介が入る。  10:17。次の発表が始まる。予め配られたレジュメはA3の3枚、6ページ分。 ●上野祥史氏(国立歴史民俗博物館)「漢代北方の地域社会と交通―県城遺跡と漢墓の技術から―」  科研の採択を受けて2005年から7年までの三年間、中国の北方地域を対象に地理学、政治史、環境史、考古学の四者で共同研究をおこなったとのことで、その成果が今回の発表だという。 ○はじめに  出土資料から交通論のアプローチが今回のシンポジウムのテーマ。この発表では交通路が結びつけるものは何かという視点で入る。人・情報ではなくハードウェアである地域を結ぶと考え見ていく。交通路に結びつけられる地域と地域がどのような関係にあるのか、すなわち地域と地域の関係から交通路をあぶり出していく。対象となるのは前漢代の北方地域。 ○1. 漢代の北方地域とは  まず前提部分(※スクリーンに現在の地図が映し出される)。現在の山西省北部、内蒙古中南部、河北省北部を対象とする(※スクリーンの地図上、赤で示される)。この地域は歴代王朝が北方の諸民族と抗争した場であり、漢代も例にもれず、匈奴・鮮卑との抗争の場であった。  他の視点から北方地域がどう見えるか紹介。考古学をやっているが、昨年の中国考古学会で発表したのは、お墓の構築技術によって地域と地域がどのような関係にあるか、どう地域区分ができるか、というもの。前漢代(の華北)にはこのように八つの地域に分けることができる(※スクリーンに航空写真で映し出さ示される。またレジュメにはより単純な地図がある)。今回対象となるのはE地域、このような北方地域になる(※八つの地域の地図上最北地域)。造墓技術と漢代の地域区分を結論だけ示したが、プロセスを少し説明。前漢の後半期にどのような墓がどこで作られたかがこの図(※スクリーンに地図と共に説明が入る)。木築墓、木材が主な構築材料。磚築墓、煉瓦が主な構築材料。木築墓は今回対象にする北方地域、東シナ海沿岸の山東省東部、江蘇省に分布している。平たく言えば当時の周緑地域、辺境。磚築墓は中央地域、いわゆる王朝の中央地域に広がったのに対し、伝統的な木築墓は周辺地域に残ったと通常、解釈される。  今日の発表で二つの視点を提唱したい。一つはマクロな視点。県城と県城との関係を検討し、王朝の地域経営の戦略を復元する、あるいはそれを接近していこうというもの。もう一つはミクロな視点。お墓を対象として県城を中心とする一つの地域社会、その中における集団関係がどうであるか、これを検討していくもの。入れ物同士の関係がマクロな視点、そして入れ物の中に入っている人の構成がミクロな視点となる。 ○2. 地域社会のマクロな視点:県城遺跡 ○(1)北方領域の二つの姿  城郭とは、一つは地域社会の結節点となる。先ほどの金先生の発表にもあったように、漢代の行政区分として県の下には里、亭、郷といった下部組織、構造があり、一つの地域の結節点として県、県城がある。王朝の側からするとこの県城を掌握することにより、地域経営を進めていく、その拠点となる。科研の方で実際、その遺跡を見てきた(※スクリーンにだだっ広い草原の中に盛り上がっている写真などが映し出されており、それらが広武県故城や雲中県故城の写真。それをあれこれ説明)。広武県故城について。現状に残っているものでも10メートルを越えるだろうという城壁を確認。雲中県故城について。写真の内側が400メートルの城壁、外側に1.2キロメートルの城壁が回っている。  現在出ている遺跡地図集、考古学の報告書などからお城の情報を集めた。衛星写真を使って地理学の先生に依頼して地形利用というのを合わせた。地形利用図と考古等高を重ねるとどのように北方地域を復元できるか(※スクリーンに図が映し出される)。緑の部分が氾濫原、川の流域。川の流れを示すために青い線を入れるようお願いしたが、無理と言われた。つまり川の流れは常に動くものだということ。これが農耕が出来る可耕地、肥沃な土壌になる。その周辺にある黄色い部分、これが扇状地になる。山から川が流れてきて平原に降りてくる、その出口に扇状地が形成される。そこではやや水の利用が難しいと聞く。黒い部分が山塊になる。  ちなみにこの地形図からどのような交通路が復元できるか線を引くと(※スクリーンの地図に線が足される)、たくさんの線ができる。というのも河川の流れによる渓谷(※地図中、白い線)が重要な交通路になるだろう、ということで地理学の先生に線を引いて貰うとこのような図が返ってきた。  図において、中塗りの四角が県との対応がつく城郭になる。そういった城郭は交通路の結節点に当たる。  今回は二つの地域について。一つは河套平原。黄河が東に向かって流れる部分から南に流れを変える部分、まさにそこで形成された巨大な平原。南側に大同盆地と(※スクリーンの地図に)書いたが、こちらも地形図を見る限り、やや広域に広がる氾濫原を持つ盆地ということで、この二つの関係を見ていく。  まず城の立地環境。ここでは三つあげている。レジュメにあるように平地型、盆地型、谷筋型。平地型というのは扇状地も含めた平原のふちにお城を築く。それに対し非常に狭い谷筋に、やや可耕地、氾濫原が見える、一部分に城を築くのが盆地型。氾濫原を持たない谷筋に拠点を築くものを谷筋型とする。  次に城と城との関係。分布状況は二つの類型がある。一つは相互の関係が非常に密に、ある地域に密集すると、これを拠点密集型と呼ぶ。もう一つを等距離分散型と呼ぶ。大同盆地では城郭と城郭の距離が比較的等距離と見て取れる。  これらの三つの立地環境の分類、二つの分布状況の分類、これら二つの次元をよりどころにして河套平原と大同盆地の関係を整理していく。  大同盆地では平地型で等距離分散型。この状況は、王朝の視点からすると、広域ネットワークを構築し面的に地域を掌握することを意図した地域経営戦略。一方、河套平原は同じ平地型だが拠点密集型。これは王朝の視点からすると局地的に地域開発をする、あるいは拠点防衛を目的とした地域経営戦略。これが小タイトルにある「二つの姿」となる。 ○(2)雲中郡と定襄郡  縮尺を上げて、河套平原の内実を詳しく取り上げる。(※スクリーン上の地図において、またレジュメの図3において)中塗りの四角が県城との対応がついている城郭、白抜きの四角が城郭は確認されるが県城との対比が現状では難しいあるいは対比がなされていない城郭。  雲中郡の属県、定襄郡の属県それぞれがどのようなものかがこの図。雲中郡の属県が実線の黒で結んでいる。黒の点線が定襄郡の属県を示している。雲中郡の場合、その郡治(雲中県)に対し、東北側と東南側に城郭が密集する区域がある。それらを結びつけるのが郡治。それに対し郡治(成楽県)を中心とした定襄郡のネットワークは南の谷筋沿いに広がっていくネットワーク、あるいは北側に谷筋沿いに広がっていくネットワークを見ることができる。  先ほど、拠点開発・拠点防衛を目的とした河套平原と言ったんですが、その中にも県城のネットワークとして二つの要素が見える。雲中郡の場合は、郡治を河套平原の氾濫原のど真ん中に置いており、その郡治は拠点に必要な城郭群の結節点として機能している。それに対し定襄郡は、河套平原に出てくる出口、山麓・扇状地縁辺に郡治を置く。その郡治を中心に結びつけられる県城は谷筋を利用する線上に伸びるネットワーク。  それらを王朝の地域経営という視点で再整理すると、雲中郡はフロンティアを開発することを目的とした開発型のシステムと言える。拠点を開発していこうということで密集型に城郭を置いたのではないかと考えられる。それに対し定襄郡は開発すべきフロンティア(河套平原)の後背地にある交通要衝を掌握することを目的としたシステムである。裏を返せば軍事型、または交通路型といったネットワークだったのではないかと考えられる。 ○(3)「安陶丞印」封泥  この中にある一つの城郭で封泥が数多く出ている。文字を記したものが約100件、文字を持たないものが370件余り。安陶県の県城と考えられる城郭の二十家子城址から出てきた。  断片的に情報が報告されているため、総合的に復元することは難しいが、[内蒙古自治区文物工作隊 1961]をベースにして再整理をする(※まずスクリーンに二十家子城址の平面図が映し出される)。穀物を貯蔵するための貯蔵穴で穀物と封泥とが一緒に出てきている。  封泥は具体的にはこのようなものがある(※スクリーンやレジュメに写真が出てくる。それぞれ説明が入る)。  (※以下、レジュメより釈文)   安陶丞印 定襄丞印 武進丞印 平城丞印 駱□□□ □□太□章   都武□印 安□左□ 武□右□ 東郷 西郷 倉 □□庫□  「□□太□章」は「定襄太守章」となり太守の章とのこと。「倉」や「庫」は軍事関連で「左□」「右□」はそれぞれ「左尉」「右尉」という軍事的官職か。  『漢書』地理志との対照する(※スクリーンに図がいくつか出てくる)。出ている地名と件数を対応させる(※表が出てくる)。先ほどのお城の結びつき地形との関係によって復元した地域間のネットワークを傍証するような封泥がある。  「左尉」「右尉」等、武官の関係を示す封泥があったが、実はこの二十家子城址は別の点でも重要な城になっている(※スクリーンに二十家子城址出土の鎧のスケッチが出てくる。林 巳奈夫/編『漢代の文物』挿図10-74でスケッチされるのと同じ鎧)。前漢の武帝紀の甲冑の構造を知ることができる史料はほとんどないが、考古学で武装の話をするときに必ず引かれる史料。 ○3. 地域社会へのミクロな視点:漢墓葬  墓を使って地域社会の階層構造、構成を見ていく。まず史料の着目点と何が明らかになるかという点を整理。  一つ目は、墓の構造や規模、副葬品や葬制に格差が存在。入れ物の墓、入れる物に格差を見出すことができる。格差を元にして被葬者の関係性ということで地域社会の集団関係あるいは階層構造を検討することが可能。地域社会の状況を現地の写真で説明(※スクリーンに漢墓やそれら群の写真が出てくる)。現地へ同行した仏教大学の杉本先生に「じゃ漢代というのはお城から外を見ると墓山だらけだったんですかね?」と言うと「んー、多分、そうに違いない」とのこと。県城の周りにはその被葬者を葬るべきお墓が周辺に相当数存在したと言える(※さらにスクリーンに漢墓やそれら群の写真が出てくる)。  被葬者を葬って副葬品を添える空間があり、その構造がどうであるか整理。北方領域では上位階層が木築墓。格差を示す副葬品としては青銅器、漆器等。お墓の大きさで上位と決めた。規模が大きな墓は木築墓。これは河套平原でも大同盆地でも同じ現象。ところが両地域で違ってくるのは磚築墓の存在。現状では磚築墓が出てくるのは北方地域では河套平原に限られる。  あと、お墓がいつごろから作られるのか? 我々の共通認識では、この点で河套平原と大同盆地とで差がある(※スクリーンでそれをまとめた図表が出てくる)。大同盆地では前漢を通じて造墓が増加している。前漢期の磚築墓はなし。一方、河套平原では前漢の後半期に造墓が盛んになる。造墓が始まった頃から磚築墓がある。  その背景を史書を見ながら考える。大同盆地では在地系の集団が地域社会を運営していた。だから伝統的な木築墓を使い続けた。上位階層もそういった墓葬を選択し続けた。一方、河套平原では上位階層が在地の伝統(価値)を引く集団。磚築墓の下位階層は外来系の集団の反映と考える。磚築墓とは長安、洛陽などの黄河流域、その辺りで出現し前漢の後半期には普及する。北方領域では磚築墓は自発的に現れる形式ではないので外来系の集団を想定。史書の開発の記事と対応すると、例えば王朝による徙民政策を反映すると考えられる。 ○4. まとめ ...

141. ノート:「連環画」の転変(『月刊しにか』2000年10月)
※前の記事 ノート:六朝建康都城圏的東方―破崗瀆的探討為中心(2014年12月6日) 前の記事で久々に学術の場に触れたのだけど、それでもなかなか手元の研究に気が向かないでいた。2014年12月20日土曜日に三国と無関係に関東へ行く用事があったので、どうせだったらやる気のてこ入れにひとまず国立国会図書館に行こうと思っていた。  移動は青春18きっぷを利用したJRの鈍行列車だ。ちょうど冬季の利用期間中なので。 ・青春 18きっぷ - おトクなきっぷ:JR東日本 http://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?GoodsCd=2125 ※関連記事 兀突骨(福岡県北九州市)  列車の中では、下記の三国志ニュースの記事を書いたり、デイヴィッド・A・プライス/著、櫻井祐子/訳『メイキング・オブ・ピクサー 創造力をつくった人々』(早川書房2009年3月25日発行)の読書に当てたりしていた。 ※関連記事  呉書見聞 復活の兆し(2014年12月9日)  レッドクリフ PartI&II(イマジカBS2014年12月2015年1月)

142. 中国における墓主図像の研究(神戸大学2002年9月30日)
※関連記事 日中における中国四大名著のマンガ比較研究(同志社大学2013年3月21日)  上記関連記事と同じように…というより引き続き、2014年5月17日土曜日に博士論文を読みに行ったという話。

143. 中国古典文学と挿画文化(2014年2月)
下記のTwitter Accountの下記のStatusで知ったこと。 ・敎団 (Vitalize3K) on Twitter http://twitter.com/Vitalize3K ・Twitter / Vitalize3K: @sangokushiforum ... http://twitter.com/Vitalize3K/status/431857827091476480 下記の出版社サイトの下記書籍ページによると、勉誠出版より2014年2月刊行予定で瀧本弘之・大塚秀高/編『中国古典文学と挿画文化』(アジア遊学 171、ISBN978-4-585-22637-6)が2400円(税別)で発売するという。もちろんタイトル通り『三国志演義』を含めた三国小説の挿絵文化についての論文も含まれている。 ・勉誠出版 --HOME http://bensei.jp/ ・中国古典文学と挿画文化 : 勉誠出版 http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100312

144. 「古典中國」における文學と儒教(2015年4月)
汲古書院より送られてきたチラシで知ったこと。 ・株式会社汲古書院 古典・学術図書出版 http://www.kyuko.asia/ ※リンク追記 ・「古典中國」における文學と儒教 http://www.kyuko.asia/book/b196250.html そのチラシによると上記サイトの汲古書院より、(早稲田大学教授)渡邉義浩/著『「古典中國」における文學と儒教』(ISBN978-4-7629-6546-3)が8000円(税別)で2015年4月に刊行したという。チラシでの煽り文は「◎中国文学史上における六朝文学の位置を儒教との関わりの中で明らかにする」とのことだ。 ・渡邉義浩ホームページ http://ywata.gakkaisv.org/ ※関連記事 英雄たちの「志」 三国志の魅力(2015年4月) ※新規関連記事 六朝文評価の研究(2017年1月27日)

145. 三国志学会第一回大会ノート3
・三国志学会第一回大会ノート2からの続き http://cte.main.jp/newsch/article.php/399  時間がおしているので休憩なしでそのまま。会場のホールでの空調の調子は悪いが、皮肉なことに一階上の控え室はガンガンにクーラーが効いている、と渡邉先生の小粋なアナウンスが入る。  お次は文学の研究とのこと。建安文学がどういう位置づけかとのこと。あと和田先生のご紹介。 ○和田英信(お茶の水大学助教授)「建安文学をめぐって」  レジュメは縦書きの2ページ。丸で囲った数字が全部で16あり、それぞれの数字の下に引用した文が載せられている。建安は後漢の年号。建安期を代表する文学者、曹操、その息子、曹丕、曹植、その周りに集まった王粲といった詩人たち。 (1)李白の詩で建安のことが詩でうたわれている。建安は中国の文学の中で特別な位置。建安はその他の時代と異なる。  建安期以前の詩とはどのようなもの? そのほとんどが古詩あるいは樂府と呼ばれる作者不詳の詩。 (2)(3)現在見られるものの例、『文選』にある「古詩」十九首など。 (4)樂府とは音楽と共にうたわれたもの。例として『宋書』樂志にのっているもの。  古詩あるいは樂府はいつどのようなにつくられたか、はここでは論じないが、建安の詩人たちの土俵になったことは間違いない。曹操の作品は現在、樂府にカテゴリーに分類される。  古詩・樂府と建安を隔てる大きな違いは作品に署名があるかどうか。 (5)(6)  なぜ建安期によってかわったか。どのようにかわったか  建安期以降、歴史時代にはいったという考え(※漢字あってるかな)  具体例。(7)古詩と(8)曹植の詩の比較。 (7)「古詩十九首」其三。洛陽がにぎやかな代名詞としてあげられている。ここではかならずしも実在の洛陽でもなくてもよい。 (8)曹植「送應氏」二首其一。應氏が実在の人物。作者と作品とが関係。董卓の時代(190年)に宮室が焼かれた洛陽が描写される。ここでは洛陽を他の場所におきかえることができない。  人物に関して(3)古詩と(9)曹植の詩の比較。古詩の中に描き込まれる人物は神仙、神話上の人物など特殊な人物がほとんど。 (3)「古詩」十九首其十五。仙人がでてくるが不老不死の代名詞として出てくる。 (9)曹植「贈丁儀王粲」。二人の人物がでてくる。その人そのものを指す。具体的背景のその人たちへのメッセージ。作者と作品の関係は署名だけではなく詩のうたい方にも現れている。詩のあり方がかわったから、作者の署名が加わるようになったと考え方もできる。  建安以降、あらゆる詩がこうなったというわけではない。 (10)曹植「贈徐幹」。(個性を有した)徐幹を生き生きと描くのみならず、そういったメッセージを贈った作者そのものも生き生きと表現されているようだ。  建安以降、文学は個を表現するようになった。  建安期以降、詩が極めて具体的な政治状況で詩がくみ出されること。 (11)曹丕「令詩」。詩は明らかに政治的な文脈で書かれている。 (12)曹丕「至廣陵於馬上作詩」  曹操も政治的な作品をつくっている。政治的アピール。(13)曹操「短歌行」(14)「苦寒行」  (12)と(14)に東山詩が組み込まれている。 →そういう意味では文学は政治に従属するようになった? (15)典論論文の文学至上主義はそういう文脈でみると… (16)『文選』にみられる建安期の詩人 ○質疑応答 ※清岡が失念。文学と政治の話が司会と報告者で延々と応酬される。その後、質問者が一人。 ・三国志学会第一回大会ノート4へ続く http://cte.main.jp/newsch/article.php/401

146. 第2回三国志学会大会ノート6
<目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日) http://cte.main.jp/newsch/article.php/679 <前回>第2回三国志学会大会ノート5 http://cte.main.jp/newsch/article.php/688 (※清岡注、最後の発表とあって疲れて清岡の気力が殆どなくなっており、またレジュメ等で後日補間できなかったため、以下、かなり端折ったレポート内容となっている)  16時15分に紹介開始。  二松学舎大学の竹下先生から林田先生のご紹介がある。略歴や著作等。三国時代の文学がご専門だそうな。 ○「私の中の三国志」林田 愼之助(神戸女子大学名誉教授)  16時20分に開始。  最近、講談社から『史記・貨殖列伝を読み解く』という本を出した。そこで金文京先生の『三国志の世界』の本を頂いた。その本で林田先生が疑問に思ったところがある。卑弥呼が景初二年に使者を魏の明帝に送ったくだりで、「景初二年」と陳寿が『三国志』魏書東夷伝ではっきり書いており、(その使者が)帶方郡に着いたのは景初二年六月であると書いている。明帝は景初三年正月に亡くなるわけだから、景初二年十二月にすでに重体である(※「十二月乙丑、帝寢疾不豫。」『三国志』魏書明帝紀)。  そこでなぜ(卑弥呼の使者が来たのは)景初三年になるのか。京都学派では景初三年になっていたり、今の教科書では景初三年になっているものもある。景初三年の理由がいろいろあるが、一つは明帝が亡くなった、一つは景初二年の六月から遼東半島で司馬懿と公孫淵が戦を初め八月には鎮圧した、というのがある。卑弥呼の使者は景初二年六月に帶方郡につき三ヶ月足止めを喰らっていた。そして戦が鎮まった景初二年八月に少し時間をおいて出発したとしても、遼東半島とそして洛陽まで大体、三ヶ月強ぐらいだ。なぜならば、(『三国志』魏書明帝紀の注に引く『干竇晉紀』で)明帝の問いにはっきりと司馬懿が百日と答えている(「往百日、攻百日;還百日、以六十日為休息、如此、一年足矣。」)。  曹操と荀[或〃]の話、文学の話など(※清岡注、この辺りの下りがほとんど清岡の頭に入らず)。  漢代の辞賦作品。詩経などだいたい儒教の教理に適っている。また教理に沿いながら詩経などを解釈する。しかし曹丕は違う。「文以氣為主」(「典論論文」)としている。文には個性がある。それまで、政治的なものが入ってきて文学が形成された。例えばヨーロッパでは19世紀の末、ある人物(※清岡注、名前失念)が初めてヨーロッパ文学は(カソリックの教理から)自立したといった。(三世紀の中国の文学で自立性が確立して)それがあったからこそより内在的になった(※清岡注、この後の下りがほとんど清岡の頭に入らず)  集英社の企画で、「中国の英傑」という伝記のシリーズがあって、林田先生は曹操の伝記を書きたかったとのこと。編集サイドとしては諸葛亮を書いて欲しかったとのこと。諸葛亮を精神的思想的な啓蒙型に位置づけた書き方をしようとおもったとのこと(※→中国の英傑(5)『諸葛孔明 泣いて馬謖を斬る』)。(司馬徳操など荊州での話)  三国時代というのは三国が争ったが、国境を越えて文学というのがある。 ※ここでA4一枚のレジュメにある話にうつる。レジュメには四つの引用があって、まず初めの二つについて。下記。 (1)胡沖呉歴曰、帝以素書所著典論及詩賦餉孫權、又以紙寫一通與張昭。                        (『三國志』卷二 文帝紀 注引『呉歴』) (2)呉歴曰、權以使聘魏、具上破備獲印綬及首級、所得土地、並表將吏功勤宜加爵賞之意。文帝報使、致[鼠軍]子裘、明光鎧・[馬非]馬、又以素書所作典論及詩賦與權。                      (『三國志』卷四十七 呉主傳 注引『呉歴』)  素書の素は絹の意味。絹に典論や詩賦を書いて孫権に贈った。やはり孫権に知ってもらいためにわざわざこういうものを贈ったんだろう。(「以紙寫一通與張昭」に触れて孫権だけじゃなく張昭にも贈った、とし、張昭の話、陸機の話。血縁関係から陸機は張昭の書を見たんじゃないかとし、張昭が陸機に与えた文学的影響の話) ※レジュメの三番目についての解説に移る。 (3)呉書曰、紘見[木冉]榴枕、愛其文、為作賦。陳琳在北見之、以示人曰、此吾郷里張子綱所作也。後紘見陳琳作武庫賦・應機論、與琳書深歎美之。琳答曰、自僕在河北、與天下隔、此間率少於文章、易為雄伯、故使僕受此過差之譚、非其實也。今景興在此、足下與子布在彼、所謂小巫見大巫、神氣盡矣。紘既好文學、又善楷篆、與孔融書、自書。融遺紘書曰、前勞手筆、多篆書。毎舉篇見字、欣然獨笑、如復睹其人也。                      (『三國志』卷五十三 張紘傳 注引『呉書』)  それぞれ観賞したり、自分の書いたものを贈りつけたり褒められたりして、また喜ぶ、またそれが国境を越えていたというのは面白い。 ※レジュメの四番目についての解説に移る。 (4)翻與少府孔融書、并示以所著易注。融答書曰、聞延陵之理樂、睹吾子之治易、乃知東南之美者、非徒會稽之竹箭也。又觀象雲物、察應寒温、原其禍福、與神合契、可謂探[頤の頁が責]窮通者也。會稽東部都尉張紘又與融書曰、虞仲翔前頗為論者所侵、美寶為質、彫摩益光、不足以損。                            (『三國志』卷五十七 虞翻傳)  17時27分終了  質問と回答(例の如く頭に入らなかったので略)  17時29分終了  事務局長から来年の開催日についてアナウンス。来年の三国志学会大会は9月14日。 <参照>第3回 三国志学会大会は2008年9月14日日曜日開催 http://cte.main.jp/newsch/article.php/658 ※追記 三国志と乱世の詩人(2009年9月29日) ※追記 より深く理解するための「三国志」講座(2010年10月15日-12月24日) ※追記 図説 三国志の世界(2011年5月23日) ※追記 三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日)  あと帰路についてのアナウンス。スクールバスは終わっているが普通のバスはあるとのこと。三点目として懇親会のこと。会場は前もったお知らせにあるグリーンスポットであったが、急遽変更し一号館の地下の食堂になったとのこと。四点目は二階で出店しているまだ書店が営業しているとのこと。 ...

147. 孫呉政権と国史『呉書』の編纂(2014年3月)
※関連記事 関プチ5 全国ツアー:8/9三国志納涼オフ会in東京2014(2014年8月9日)  上記関連記事にあるオフ会は人数が揃わず催行されなかったんだけど、清岡は予定通り国立国会図書館へ赴く。大した効果は得られないだろうけど、そろそろ気持ちを三国志学会第九回京都大会へ持っていきたいためだ。 ※関連記事 三国志学会 第九回大会(2014年9月6日13日土曜日)  メインの目的は横山光輝『三国志』の雑誌掲載時のページ数と単行本のページ数とが手元の記録でズレが生じていたため、両者を照合するためなんだけど、想定していたところにズレがなかったため、解決が先送りとなった。もう一つの目的は横山光輝『三国志』の雑誌掲載時の「第一部 完」を複写しようと思っていたが、どうやらその号は複写禁止だったためこちらも目的を果たせず終いだった。  そんな消化不良の状況で閉館の17時前には図書館を出て、次の目的地を目指す。  永田町駅から東京メトロ半蔵門線(押上行)に乗り神保町駅で降りA7出口から、すずらん通りを東に進む。お馴染みの東方書店に行く予定だったがその前、その手前の内山書店に寄る。 ・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店~ http://www.toho-shoten.co.jp/ ・内山書店 http://www.uchiyama-shoten.co.jp/ ※新規関連記事 神保町ブックフリマ(2020年10月30日11月1日)  結論から書くと、下記関連記事で触れたお目当ての雑誌は両店ともに置いてなかった。とりあえず地元の図書館で閲覧してみるか。 ※関連記事 歴史評論 2014年5月号 3世紀の東アジア――卑弥呼と『三国志』の世紀(2014年5月10日)  話を戻し、内山書店の文学のところで、『三國志研究』三号、六号、七号、八号を見かけ、歴史のところでもいつくか見られた。 ※関連記事  メモ:立正大学大崎キャンパスと大東文化大学板橋キャンパスの往復  三國志研究第六号(2011年8月27日)  三國志研究第七号(2012年9月1日)  三國志研究第八号(2013年9月14日)  その歴史のところに平積みで分厚い『明大アジア史論集』第18号「氣賀澤保規先生退休記念号」(2014年3月、3000円税別)があって、氣賀澤先生に関する記念号だから唐代の論考ばかりかと思いつつも気になって手に取っていた。 ・明治大学アジア史専攻 http://www.kisc.meiji.ac.jp/~asiashi/ ・『明大アジア史論集』総目次 http://www.kisc.meiji.ac.jp/~asiashi/ronshuu.html  氣賀澤先生は愛宕元先生と同学年だっけ? ※関連記事 愛宕 元 先生、死去(2012年1月2日)  そこの目次で三国関連を見かける。菊地大「孫呉政権と国史『呉書』の編纂」という論考だ。三国志ニュースで著者名で検索すると下記関連記事が引っかかる。専攻は三国時代? ※関連記事 リンク:曹操と殊礼(2012年6月)

148. 東アジア人文情報学研究センター(2009年4月)
※関連記事  メモ:三国志関連のネット上地理感覚  石刻拓本資料(京都大学人文科学研究所所蔵)  曹全を追え  上記関連記事にあるように、主にデータベース「京都大学人文科学研究所所蔵 石刻拓本資料」について「三国志ニュース」で度々、京都大学人文科学研究所漢字情報研究センターに触れてきた。  下記、東アジア人文情報学研究センターのサイトによると、「今春4月に漢字情報研究センターは、東アジア人文情報学研究センターに改組」したという。というわけで「三国志ニュース」内のリンクページを修正。 ・Center for Informatics in East Asian Studies, Kyoto University http://www.kita.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ ※関連記事  京大人文研漢籍セミナー2 三国鼎立から統一へ 史書と碑文をあわせ読む  2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」午前レポ ※追記 十大三国志ニュース2010 前編 ※追記 中国古代刑制史の研究(2011年1月)  また、漢字情報研究センターと言えば、上記関連記事にあるように毎年三月に開催されている「TOKYO漢籍SEMINAR」を思い出すんだけど、それに関するページも東アジア人文情報学研究センターのサイトに引き継がれているね。

149. 三国志学会 第十二回大会(2017年9月9日土曜日)
・三国志学会 http://sangokushi.gakkaisv.org/ ※前回記事 三国志学会 第十一回大会(2016年9月3日10日土曜日)  少なくとも私が把握しているここ数年は、三国志学会大会昼休み中の役員会で来年の三国志学会大会の日程が決められ(もちろん都合により変更されることもあった)、大会が終わる頃には事務局長等から来場された方々にその日程が告知されていた。  今回も2016年9月10日土曜日開催の「三国志学会 第十一回京都大会」にて早くも来年の三国志学会大会の日程について告知があり、「三国志学会 第十二回大会」は2017年9月2日土曜日にまず京都の龍谷大学にて開催され(とれれば2016年と同じく京都駅前の響都ホールとのこと)、その一週間後の9月9日土曜日に東京の二松学舎大学にて開催されるという。 ・龍谷大学 You, Unlimited http://www.ryukoku.ac.jp/ ・二松學舍大学 http://www.nishogakusha-u.ac.jp/  12年目ってことで一周まわってきた感じ。

150. 公開シンポジウム「東アジアの出土資料と交通論」(2008年10月11日12日)
・關尾史郎先生のブログ http://sekio516.exblog.jp/ ・2008年公開シンポジウム「東アジアの出土資料と交通論」 http://sekio516.exblog.jp/8583706/ 上記ブログ記事から下記へ引用。 ※但し他のソースを参照しつつ日付を一部訂正。 --引用開始--------------------------------------------------------- 日 時:2008年10月11日(土),12日(日) 会 場:愛媛大学法文学部,8階大会議室 日 程:  10月11日:公開講演(愛媛大学法文学部人文学会との共催)―午後3時~6時   藤田勝久氏(愛媛大学)「中国古代の簡牘と記録簡―日本古代木簡との比較―」   今津勝紀氏(岡山大学)「古代の荷札木簡について」 ミニシンポジウム  10月12日:研究発表―午前の部(午前9時~12時)   王子今氏(中国・中国人民大学)「中国古代交通システムの特徴―秦漢出土資料を中心として―」   金秉駿氏(韓国・翰林大学校)「古代中国南方地区の水運」   上野祥史氏(国立歴史民俗博物館)「漢代北方の地域社会と交通―県城遺跡と漢墓の技術から―」 10月12日:研究発表―午後の部(午後1時30分~5時)   松原弘宣氏(愛媛大学)「古代交通研究の現状」   佐藤 信氏(東京大学)「日本古代の交通と出土木簡」   近江俊秀氏(橿原考古学研究所)「考古学よりみた古代道路研究」   シンポジウム「古代交通と出土文字資料について」   コメンテーター:角谷常子氏(奈良大学),谷口 満氏(東北学院大学) 入場無料・事前申し込み不要 主 催:愛媛大学「資料学」研究会,愛媛大学研究開発支援経費・特別推進研究プロジェクト,新潟大学超域研究機構プロジェクト,東北学院大学アジア流域文化研究所 共 催:愛媛大学法文学部人文学会  --引用終了--------------------------------------------------------- ・愛媛大学 http://www.ehime-u.ac.jp/ ここが「三国志ニュース」なもんだから、お見苦しいながらもいちいち関連性を説明しないといけないんだけど、シンポジウムの発表の取り扱う範囲に三国時代の前の漢代が含まれており、交通に関し共通することは多いのだろう。 というわけで、私が興味のあるのは12日午前中に集中している。 JRからの正式発表はまだだけど、例年であれば「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の利用期間なので、今年もあるのだったら、それを利用して行くのもいいかも。土曜日を往路に当てて、日曜日に午前の発表を聴講しおえたら、すぐに復路に着くという方法。私の住居から片道10時間程度。 <9/11追記> というわけで下記のサイトによると、「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」は1枚3回分で9180円。利用期間は2008年10月4日-19日。 ・JR西日本 http://www.westjr.co.jp/ <追記終了> ※関連記事  国際学術シンポジウム「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開―魏晋南北朝史像の再構築に向けて―」(2008年9月14日)  三国志学会 第三回大会 ※追記 「東アジアの出土資料と交通論」ノート1(2008年10月12日) ※追記 資料学の方法を探る(2011年11月26日)