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メモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」


  • 2007年7月 8日(日) 15:09 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    6,115
研究  このまま日にちが経つと、私にとって「興味深かった」という印象が残るだけなので、自分向けにメモを残しておこう。何かというと、2007年5月26日に東方書店で買った『西北出土文献研究』第5号。それに収録されている小林 聡先生/著「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓―絵画資料における進賢冠と朝服の分析の試み―」という論文について。

・メモ:二つの学術刊行物
http://cte.main.jp/newsch/article.php/561
・神保町
http://cte.main.jp/newsch/article.php/608

 といっても私は専門にはほど遠い立場のまったくの素人で、しかも単に「進賢冠の梁の数はどう数えるの?」という素朴な疑問を知りたいだけなので、まったく論文の主旨とは外れたメモになると思う。

 とその前に、このブログは「三国志ニュース」と銘打たれているので、一応、三国志との関わり合いを説明。漫画なり映像作品なり三国志に関係する創作物のそのほとんどはどうも三国時代より後代の『三国演義』の挿し絵などを参考にしているようで、三国時代前後の画像史料に馴染んだ人にとってはおそらく違和感が残るものとなっている。違和感が出るものに服飾(服装)、鎧や座具なんてのがあるが、そのうちの一つに人物がかぶる冠があって、創作するに当たり何を参考にしているか顕著に現れる箇所であろう。

※参考リンク
・三国時代の建物など(「三国志ファンのためのサポート掲示板」内ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;id=;tree=2443
・三国志学会第一回大会ノート4
http://cte.main.jp/newsch/article.php/401
・メモ:三才圖會と三禮圖
http://cte.main.jp/newsch/article.php/480

※追記 「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容―出土文物中の服飾資料を題材として―」(2008年度 東洋史研究会大会)

 別に「正史三国志ベースのマンガです」とセールスポイントを喧伝しつつ、冠が『三国演義』の挿し絵ベースであっても、作品の本質には関係ないんで良いような気がするが、ごく個人的な話だと表紙でそういった冠を見掛けると手にとって見ようとも思わなくなってしまったことが多々あった。あとマンガに限らず、ビジネス書や解説書の類で、「三国志正史が書かれている」とあっても表紙で当時の冠じゃないイラストなんかが描かれている上、人物がしていたら内容と無関係に購買意欲が完全になくなるかな……もちろんごく個人的な話ね。
※その前に「正史三国志」という用語を使っている時点で買わないか…こちらもごく個人的な話。

 それで、話を戻し当時の冠はどんなものがあるかというと、折角なんで論文から引用すると、

小林 聡2007「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓―絵画資料における進賢冠と朝服の分析の試み―」(『西北出土文献研究』第5号,90頁)
--引用開始---------------------------------------------------------
冠の場合,皇太子・諸王のための遠遊冠,主として文官のための進賢冠,主として武官のための武冠,監察官のための法冠,謁者のための高山冠などがあるが,官人の着用者数で言えば,進賢冠と武冠が圧倒的多数を占めたであろう.
--引用終了---------------------------------------------------------

とのこと。これを漫画など三国創作の話に強引に話題を持っていくと、最低限、進賢冠と武冠が描かれていればリアリティが増すのかなぁ、と個人的に思い続けているところ。作品の本質とはあまり関係ないことを書いていて恥ずかしくなってくるんだけど、恥かきついでに書くと、『八卦の空』では進賢冠がたくさん描かれていて、『江南行』では武冠がたくさん描かれている。
 それでそれらは実際、どんな冠かって話だけど、まず今回、触れない武冠については下記の記事参照。リンク先の絵はスケッチのスケッチなのであみあみ部分がかなり荒くなってしまっているが。

・メモ:武冠のあみあみ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/502

 その次が本題の進賢冠。冠の形としては下記のリンク先のイラストみたいなものなんだけど、「梁」については今回、触れる話なのでそこは保留して読んでいただけると幸い。

・一梁?メモ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/365

 話を戻し、今回のメモの主題となるのは「梁」の数え方。「梁」とは進賢冠の上部に縦に立っている線の部分。何の予備知識もなく、三つの線が縦に立っているのを見れば、素直に「三梁」(三つの梁)とカウントしてしまうんだけど、論文によると周錫保『中国古代服飾史』(中国戯劇出版社,1984)では


小林 聡2007「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓―絵画資料における進賢冠と朝服の分析の試み―」(『西北出土文献研究』第5号,93頁)
--引用開始---------------------------------------------------------
周氏は後漢時代の画像石や壁画に見られる進賢冠を多数挙げた上で,三梁冠を着用する官吏が広範に存在するのは文献史料と符合しないとし,両側の2本は「梁」でないと考え,これらは一梁冠であろうとしている(22).
--引用終了---------------------------------------------------------
(22) 周錫保『中国古代服飾史』(中国戯劇出版社,1984)

としている。
※以後、「本」と「梁」では意味(単位)が違うとする。

 これを裏付けることとして論文中では、後漢後期に属する河北望都所薬村1号壁画墓の前室西壁壁画を挿図(出典:河北省文物研究所編『河北古代墓葬壁画』(文物出版社,2000))と共に取りあげている。その壁画には「門下功曹」(挿図では「門」が削れている)という文字と共に三本の進賢冠を着けている人物が描かれてる。実際、文献と照らし合わせると、「門下功曹」は三梁ではないという理由から、「三本」≠「三梁」であり「三本」=「一梁」ということだ。その他の同様の例として遼陽三道壕張君墓の右耳室壁画の墓主像を挿図(□□支令という文字があり、つまり図中の三本の進賢冠をかぶった人は県令の身分)と共に取りあげている。
 この説に準じてか、作品として中国中央電視台製作/制作『三国演義』(TVドラマ)、前述の『江南行』(漫画)、『八卦の空』(漫画)では四本の進賢冠を見ることが出来る。

 ただ個人的には現時点でこの説に強い違和感を感じる。というのも五本や四本の進賢冠を出土史料関連で見たことがないし、それに対し、二本の進賢冠はいろんな文献に見られる出土史料のスケッチや拓本の写真(京都大学人文科学研究所所蔵の石刻拓本資料。ごくわずかながら)で見られるからだ。
 尤も今後、出土史料で五本と四本の進賢冠を見た上で、二本の進賢冠と思っていたものが、単なる写した際の情報損失だったというオチになる可能性はありうる。
 それに現時点では上記の「門下功曹」の例の説明はできないしね(「妄想」では文字では嘘をつけないが、絵では嘘をつけるとし、墓をつくった人が見栄で三本にしたのかな、とかあるけど・笑)

 話を論文に戻し、この流れで、一本の進賢冠の例が挿図付きで取りあげている。それが西溝7号墓の「騎導」画像磚(出典:馬建華編『甘粛酒泉西溝魏晋墓―中国古代壁画精華叢書―』(重慶出版社,2000))。つまり一梁進賢冠はこの一本の進賢冠ではないか、ということ。ただ画像が荒すぎてよくわからないのが残念。
 この挿図では進賢冠をかぶった人が騎乗しても、西晋の礼制に反しないという例として、長沙市金盆嶺9号晋墓の青磁騎馬俑が挿図(出典:富田哲雄編著『中国の陶磁 陶俑』第2巻(平凡社,1998))と共に取りあげられている。これも画像が荒いんだけど、個人的に図録(多分)からのカラーのスキャン画像を持っているんで、それを見ることが出来る。
※ちなみにこの騎馬俑は鞍に鐙がある最古の例(その墓から「永寧二年五月十日作」との紀年銘磚が出土したとのこと。永寧二年は西暦302年)として有名だったもの。
 この進賢冠の梁の部分を見ると、線や管ではなく面、つまり板のように表現されている。その面を写真でみると線あるいは管を表現しようとしているような凹凸が見られない。そこで私はこういった板状の梁を持つ冠が一梁進賢冠ではないか、と思って居るんだけどね。


※関連記事 佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)

※追記 メモ:漢中興士人皆冠葛巾

※追記 メモ:三国創作のための扶助会


※次記事 メモ:「党錮の「名士」再考」

※追記 メモ:「晋南朝における冠服制度の変遷と官爵体系」

※追記 画像資料に見る魏晋時代の武器―河西地域を中心として―(2012年3月)

※追記 リンク:模範解答でいいのか(ニュースな史点2012/4/30の記事)

※追記 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

※追記 議事録:三国創作における視覚的研究材についての情報交換会(仮題)(2012年7月5日)

2007年7月6日『八卦の空』(ミステリーボニータ8月号)


  • 2007年7月 6日(金) 21:02 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,793
マンガ  中国三国時代を舞台とし、紀玄龍や管公明のコンビが神秘的な事件を解決していく漫画、青木朋先生/著『八卦の空』。先月の15日に単行本三巻が出て(下記リンク先)、良い感じで盛り上がってる。

・『ふしぎ道士伝 八卦の空』3巻発行(2007年6月15日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/626

 現在、月刊の漫画雑誌『ミステリーボニータ』(秋田書店)で連載している方は続き物の2話目。今回は巻頭カラー(扉絵がカラー)の40ページ。扉絵の玄龍の戎服姿は格好良い。あとボニータギャラリーという読者投稿コーナーに玄龍くんのイラストがあった。

※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/

・ミステリーボニータ8月号に「八卦の空」(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=686250

<前回>2007年6月6日『八卦の空』(ミステリーボニータ7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/618
<次回>2007年8月6日『八卦の空』(ミステリーボニータ9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/663


 いつものようにネタバレ気味に。


 前回、寒食散の影響で、朱親方が石化してしまったんだけど、その寒食散の謎を追うのが話の一つの軸。材料の石髄の謎とかね。
 やっぱり魏伯陽の正体は単行本3巻の玄龍くんと管ちゃんの若い話に出てきた五石先生。玄龍くんがそのときのことを「黒歴史」と言及するところが妙に受ける(五石散で操られ管ちゃんの首を絞めてしまったってことなんだけど、縛られたり、その他でも「黒歴史」なんだよな、きっと)
 それから見開きで一気に五星将が公開される。土星将のマークは馬のマーク。何の獣だろ? 土星将は目の細い青年で地面を泳ぐ能力がある。それから金星将は女の子。

土星将 山子路
木星将 嵆木蘭
金星将 王金鈴
水星将 洪秀水
火星将 朱火煙

 こんなに一気に出したらキャラのインフレになっちゃうんじゃ、と余計な心配していたけど、それは杞憂だった。今回は朱火煙と洪秀水とを掘り下げされていて面白い。朱火煙の妙に無邪気なところ(行動とか)が魅力的だね(ナイフへの英語のネーミングセンス笑った)。秀水(オカッパ)の気持ちの揺れは感動もの。総じてこの二人の出自も含めた対比も面白い。次回も楽しみ。
 そういや紀玄龍は単行本3巻の話を引き継いで「水星将」属性なんだね。「龍」より「玄」をとったってことか。
 あと寒食散の正体は肉骨粉ってことで。

ツリー別閲覧ランキング(2005/4-2007/6)


  • 2007年7月 5日(木) 22:49 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,421
ネット  「三国志ファンのためのサポート掲示板」の管理メンバーをやっているんだけど、フロントページに「ツリー別閲覧ランキング」というのを設けていた。記事ごとに閲覧ランキングが出る仕組みなので、それを参考によく閲覧されている記事をツリーの代表として捉え、ツリーごとのランキングに書き直したものだ。
 こうすると初訪問者にもどんな話題が掲示板にあるか判りやすいと思ったので。

・三国志ファンのためのサポート掲示板
http://cte.main.jp/

 サイト移転した2005年4月から先月までカウントしていたんだけど、ランクが固定化されていたので、今はランクをリセットし「ツリー別閲覧ランキング」の表示を外している。20位までランクを表示していたんだけど、いろんな話題があるね。

☆ツリー別閲覧ランキング(2005/4-2007/6)
※イベント告知系は外してます。

 1. 正史の陸遜
 2. NHK「その時歴史が動いた」
 3. 馬氏の五常
 4. 貂蝉は実在した?
 5. 陸遜の流罪について
 6. 宦官について
 7. 遼来々の出典
 8. 洛陽の地図について
 9. 字で呼ぶこと
 10.三国志の時代の服装について
 11.三國漫画より
 12.髪の毛。
 13.五徳説-それぞれの王朝は何徳?
 14.三國漫画お気に入りの一コマ
 15.孫堅が劉表を攻めた理由について
 16.三国志を取り巻く現状を憂う
 17.周瑜の命日について
 18.蜀科がわからない…
 19.三国志の人々の意識
 20.お初です

中国歴史ドラマ『三国志』の冒頭


  • 2007年7月 4日(水) 19:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,434
テレビ  今、中国歴史ドラマ『三国志』というのがKBS京都、チバテレビで放送していて、おそらくこれは1994年に放送された中国中央電視台製作のテレビドラマ『三国演義』を元にした編集版『眞説・三国志』の一話を二回に分けて放送しているんだろうな、と勝手に予想を立てている。
 現在、KBS京都では「長坂坡の趙雲、長坂橋の張飛[後]」まで放送している。それに対しチバテレビでは放送時間が土曜20時とあって特番やスポーツ中継でよく放送されないため、遅れており、「曹操対袁紹の官渡決戦[後]」まで放送している。
 余談だけどチバテレビのウェブサイトを見ると「衰紹」とか「緒葛孔明」とか酷い誤字が目立つ(正しくは「袁紹」「諸葛孔明」ね、検索対策に書くけど)。

・中国歴史ドラマ『三国志』放送(KBS京都、チバテレビ)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/552


※追記 三国志「張飛」にも不況直撃!? 重慶の街で串焼き売る(中国情報局)

※追記 三国志外伝(2009年4月20日)

 この中国歴史ドラマ『三国志』の冒頭、劉備、関羽、張飛の出会いは原作の『三国演義』とは違う展開となっている。以下、記憶を辿った説明(そのため記憶違いで間違いがあるかも)
 まず市井に劉備が居て、しばらく彼は傍観者。張飛は肉を売っていたんだけど、部下に店番をまかす。張飛は肉を井戸の中へ置いておき、それに大きな石を被せていたんだけど、その石を動かせたものには肉をやる、って放言し、張飛は肉屋から離れる。張飛の居ない間、関羽が肉屋にやって来て店員とあれこれやりとりがあった後、関羽は石を動かし、張飛の言葉を楯に、肉を全部、奪い取り、すべて街の人にあげてしまう。それを聞いて慌てて肉屋に戻ってきた張飛は関羽ととっくみあいの喧嘩になり(日本人の私にはカンフー映画の一場面に見えた・笑)、それまで傍観していた劉備が仲裁し、三人意気投合し、三人で飲むことになる。
 原作の『三国演義』(「第一回:宴桃園豪傑三結義、斬黄巾英雄首立功」)では、はしょって説明すると、募兵の看板を見た劉備が嘆いていて、それを見た張飛が劉備にそのわけを聞いて意気投合し、店で飲んでいたら、そこに関羽が現れてやっぱり意気投合したって流れ。
 その三人の出会いの部分を『三国演義』に忠実に再現すると、今のドラマとしては辛いと判断したため、中国歴史ドラマ『三国志』オリジナルの展開にしたのかな、と勝手に思っていた。
 ちょうど吉川英治/著『三国志』(小説)の冒頭で先祖伝来の剣を佩した劉備がお茶を買いに行ったり、北方謙三/著『三国志』(小説)の冒頭で劉備、関羽、張飛が馬の護衛の同僚だったりとそれぞれオリジナルストーリーを持ってきたようなものなのかなぁ、と思っていた。
 ところが中国歴史ドラマ『三国志』の元ネタを見掛ける。それが下記のブログ「封神日報。」の2004年11月1日分の「異説・桃園の盟。」というところ。

・封神日報。
http://moon.ap.teacup.com/fengshen/

 そこには『中国神話・伝説大事典』という本の「桃園之盟」という項目の引用があるんだけど、これが中国歴史ドラマ『三国志』によく似ている。肉を売っていた張飛と石を持ち上げた関羽が相撲をし、草鞋を売りながら通りかかった劉備が相撲をやめさせたそうな。

※追記 「四大奇書」の研究(2010年11月10日)
 ※こちらでは雑劇「桃園三結義」(内府本)や『京戯大鑑』第一冊(上海大文書局1938)所収「三結義」から引いており、つまり雑劇由来だと。

中国歴史・文化地理図冊


  • 2007年7月 3日(火) 23:31 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,059
書籍 『中国歴史・文化地理図冊』(右側)。ご覧のように大きい本なのだ。 三国志関連の地理を見ようとして役立つ定番なのが、譚其驤/主編『中国歴史地図集』の第二冊(秦・西漢・東漢時期)、第三冊(三国・西晋時期)。当時の川の位置まで書かれているんだけど、道の位置は現在の中国のが描かれているが当時のは描かれていない。

・三国志 地図
http://cte.main.jp/newsch/article.php/242

 それで四年ぐらい前に当時の道の位置が知りたい、なんて話していたら、白崎ゆきとさんが「三国志ファンのためのサポート掲示板」で教えてくれた。それが下記のツリー…とツリーの本題から逸れて居るんだけど、私にとってとてもありがたい話。

・正史 三国志の翻訳について
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=285

それで教えて貰ったのは

中国歴史・文化地理図冊
陳正祥
原書房
昭和57年
定価28,000円

という本。秦や前漢の交通路(関や県城の位置含む)以外にも水系や前漢の塩・鉄・工官が描かれている地図もあったりする。

 上記ツリーにも書かれているように当時は呉会あたりの交通路が知りたかったんだけど、呉→銭唐→山陰(会稽)と一本道と単純だったので役に立たず、とりあえず個人的にスキャン画像として保管していた。
 最近、皇甫嵩の黄巾討伐や韓遂の三輔侵攻などがでてくる趣味の小説を書いていて、その際、この本が参考になったのでここで紹介してみる。ただこの本がどういう研究をバックボーンにしているとか全然、知らないんだけどね。