※目次的雑記
・メモ:大型連休での一周片道乗車券後半
http://cte.main.jp/sunshi/2014/0502.html
※前の記事
第32回 春の古書大即売会(京都古書研究会2014年5月1日-5日)
上記記事の次の日は丸一日、山陰線を鉄道で走り、次の日は島根県益田駅から山口線、山陽線と伝って、2014年5月3日10時18分に山口県の岩田駅へ到達していた。それまでの列車内で、「編集中」だった記事「
プレ1 関プチ5 全国ツアー(2014年4月26日)」を書き終えたので、「
第32回 春の古書大即売会(京都古書研究会2014年5月1日-5日)」に着手していた。ちなみにその日は前の記事と同様、赤い長袖のアンダーシャツにサッカーのイタリア代表のホーム・ユニフォームを着ていた。
※追記
繪本 三國志(安野光雅美術館2014年3月14日-6月11日)
駅を東に出ると、まず正面東を道なりに進み、二つ目の角を左に曲がったところにある、コンビニエンス・ストア「セブンイレブン」に入り、「日本マンガ学会第14回大会」の一回校正の入った、プリントアウトした要旨(A4紙2枚)をA5紙で6部刷る。特に誰に差し上げるかは決めてなかったが、数に余裕を持たせていた。当然60円。五百円玉を入れ、お釣り目当てでもあった。
いつの間にやらベンチが撤去されているな、と思いつつ、バス停で突っ立って待っていると、地元の方に話し掛けられる。10時39分には光市営バスが来て、乗り込む。
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光市営バス塩田線で三国志城へ
バスの運転手の方にも「里帰り?」と話し掛けられ、三国志城に行く旨を告げる。京都から来ている旨を話し、それと明日が全国から集まってくる三顧会だということも出ていた。
いつものように須賀社で降りて、700m歩いて谷を横断し、11時頃、「石城の里 三国志城」へ到着する。
・三国志城博物館
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/
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第20、21回三顧会(2014年5月4日、8月14日)
館長に挨拶すると、未だ誰も来ていないそうで、特別展示室に荷物を置きにいき帰ってくると、お茶とお茶菓子を出して下さる。朝飯を食べてない旨を告げつつ、昼飯を注文する。それは五斗米道やきめしだ。よく見たら「趙雲冷うどん」ってあるけど、昔からあったっけ? ともかく美味しく頂く。食べ終わり40分に支払いするも、メニューの550円ではなく三顧会会員割引で495円とのこと。思わぬ得した気分。
その後、特別展示室の三国志ファン文庫と書かれた本棚の三国志関連の書籍をあさる。園田光慶/画・久保田千太郎/作『三国志』1(講談社1995年4月12日発行)にてカバーの作者の言に下記に引用するような、その時代のマンガ家のその方面の資料集めの様が描写されているという貴重なことが書かれていた。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
園田光慶………そのだ・みつよし
私がこの三国志を書き始めたのは、一九七八年、今から十七年前のことだった。作品の前例が日本にないことはなかったが、昔の中国の風俗については資料もすくなくて、まいってしまった。神田の古本屋をあさったり、編集者にとりよせてもらったりしたことをおぼえている。しかし話は、西暦二世紀から始まっている。
私の想像力で、エイヤッとばかりおぎなわなければならないことも多かったことを、ここで正直に告白しておかなければならない。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あと最近は1980年代までの『三国志演義』を翻案した少年マンガを研究対象にしているが、数ヶ月前までは、それほど積極的ではなかったものの横山光輝『三国志』から後代の『三国志演義』マンガ作品をとりあげようとしていた。ところが日本マンガ学会会員だと下記の戦後日本 少年少女雑誌データベースを利用できることから、「三国志」と検索すると、横山『三国志』以前にも『三国志演義』マンガ作品があったので、それだったらと探しだした作品を積極的にテーマとして扱った。
・戦後日本 少年少女雑誌データベース
http://manga-db.jugemu-tech.co.jp/bgmag/
積極的でなかった頃に候補として上がっていたのが、石森プロ/著『諸葛孔明 不世出の名軍師』(マンガ中国大人物伝 1 世界文化社1996年12月15日発行)だ。数々のマンガ表現を創出した石ノ森章太郎先生のプロダクションが書くのなら、横山光輝『三国志』と好対照となって面白いと思っていたからだ。読んでみると、「石ノ森章太郎/総監督・石森プロ」と評価されていて、マンガ部分はpp.9-212であり、p.225に「本書は石ノ森章太郎氏総指揮のもと、同氏が主宰する石森プロとシュガー佐藤氏らによる総合プロジェクトで制作されたものです。」とある。シュガー佐藤氏は下記関連記事で触れたように、後年の分冊百科『ビジュアル三国志』に連載していたマンガの作者だ。
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決定版 三国志 上下巻(2013年1月18日)
そういった前提でパラパラとめくると、周瑜の描像がどこかで見たことのあるもので、それだけでなく人物のポーズや構図にデジャブを感じるようになっていて、すぐに思い当たる先は『三国演義連環画』(上海人民美術出版社1956-64年)だった。
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三国演義連環画(1956-1964年)
しかも横山光輝『三国志』のようなカメラ・アングルやズームを変えたりするといった職人の技は見られない。よく見ると、p.224に《参考文献》があり、20件あるうちの1つが「「中国劇画 三国志」第一~四巻 陳舜臣 監・訳 中央公論社」」で、つまりは『画本 三国志』と同じく『三国演義連環画』の訳本で、穿った目をすると免罪符的にそこに書かれているような気がしていた。
そんなタイミングで、13時ぐらいには
教団さんがいらっしゃって、思わず、『諸葛孔明 不世出の名軍師』のひねりの無さに苛立ちが乗ってしまった形で報告してしまう。それに比して『ビジュアル三国志』での作品はあれこれ工夫が見られるのはやはり年月の成せる業なんだろうか。
※追記
「三国志演義」を翻案した少年マンガの1980年代までの変遷(2014年6月28日)
教団さんが食堂で谷館長に挨拶しお土産を渡した後、特別展示室に戻り積もる話をしまくっていた。清岡からはとりあえず先ほどコピーした要旨を一部、渡した。教団さんからは近頃、ツイッターで話題に出していた小説『乱世三國志』と、『小学六年生』1953年8月号の付録の畑純太郎/文、永松健夫/画『三国志物語 燃える大平原』だ。教団さんは『乱世三國志』推しなんだけど、まるでその意に反するかのように清岡は後者の『燃える大平原』ばかり気になっていた。というのも前者は挿絵がなく後者はほぼ全ページに挿絵があった。基本は1ページ四分割。右上が文、左上が絵、右下が絵、左下が文なんだけど、時には半ページが絵になったり、見開き2ページが絵になったりしていて、挿絵の役割が大きく絵の点数が通常の小説より圧倒的に多くマンガの次を行く。ネットを通じた別の情報ソースだとどうやらこれは「絵物語」というジャンルだ。言い換えれば『三国志演義』を翻案した絵物語作品だ。
同じようにどの段階か、またはそれらの順番を忘れたけど、前述の積もる話の流れで、篠山城大書院での展覧会の話が出てくる。
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前期 三国志の英雄たち(篠山城大書院2014年3月25日-8月3日)
そうすると教団さんは「今日、土曜日でしたっけ?」と確認をとってから、その場でおもむろに電話をかける。どうやらその展覧会について篠山城大書院に電話をかけているようだった。どうも電話の片側の話を聞くに三国関連の書籍はどのように展示されているか、ということで、書籍の中を閲覧できるかどうかが教団さん的にポイントだったようだ。その結果、どうやらガラスケースの中にあるようで教団さんにとってこの展覧会に足を運ぶ優先順位が大きく下がったそうで。あとこれっていわゆる「電凸」ってやつじゃないかと思ったりもした。
続けて教団さんは大興寺に「電凸」。そこには日本最古とも言われる関羽像があるのだけど、公開していないとのことだ。そこで教団さんは拝観できるかどうか質問されていた。そうすると、事前に連絡があれば対応してくれるそうな。通話後、という訳で、京都での三国志学会大会の翌日に皆で拝観するプチオフ会をしよう、なんて話になっていた。
※追記
関プチ5 全国ツアー:9/14京都 大興寺関帝像拝観(2014年9月14日)
どの段階か忘れたけど、実は清岡は明日の朝、発つ、つまり三顧会に参加しないので、話すことがあれば今の内に話しましょう、なんて申し上げていた。あと教団さんが最近、興味があってあれこれ調べていることを伺っていた。ライトノベルでの三国作品。その流れで出てきたのが、諸葛亮主役マンガ『青春のしっぽ』は『GORO』連載の1970年代のマンガだそうな。
話しているうちに、度々、清岡からは「ネットで調べれば」という言葉が出ていたのだけど、三国志城で以前から三顧会開催日前後に開通する無線LANが未だ起動されていなかった。それはツクダさんが担当なんだけど、肝心のツクダさんが来られるのか、そうでないのか、来られるのだったらいつ来るのか把握してなかった。谷館長に尋ねてもいつの間にか「傅僉さんは15時ぐらいに来る」という話にすげ替わるし。
そんな状況の14時30分ぐらいにタイミング良くツクダさんが現れる。まるでエスパーのようにいきなり無線LANの話をし始めるツクダさん。まず館長に許可を頂く必要があるらしくて食堂にいくとお取り込み中だった。そのため、清岡が個人的にお願いしたかったことをすかさずツクダさんに申し上げる。
それはデジカメのUSB接続がノートPCで認識しないことだ。そのため、撮る一方でどんどんデジカメにデータが溜まっていく。さっそくツクダさんに渡すとあれこれ見て下さる。途中で、マルチタスクになり、無線LAN「黄巾のLAN」の設置も始めていて、当然、先にそちらが終わる。15時44分だ。
その間にワタさんや
傅僉さんらが現れ、会場設営が始まっていた。もちろん英傑群像岡本さんも。
・英傑群像(三国志エンターテイメント 情報&グッズ)
http://www.chugen.net/
それで清岡のデジカメのことだけど、ツクダさんの経験上、USBケーブルの不具合ではないかと言われる。替えのUSBケーブルがどこかにあれば、その推論が正しいかどうかすぐにわかるのだけど、生憎、コネクタA to コネクタAという珍しいタイプで三国志城にはなかった。
あとどのタイミングで話したか忘れたので、このタイミングで入れるのだけど、話題が小保方さん問題のことになって、清岡曰く、方法がどうあれ、レポートを仕上げればいいや、という学生ノリでそのまま来たのだろう、と。さらに『捜神記』や「長沙呉簡の世界」の記事についての事例を出していたっけ。
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「捜神記」で検索される訳
「長沙呉簡の世界」ノート6
その間、コウさん、みさきさん、それに初顔のお二人と中部勢がやってきていた。やがて恒例の近くの銭湯に皆が車に乗り出発していた。その後、それとは別に、ツクダさんのご厚意で、17時半ぐらいに車で連れて行って下さることになる。断線していたらUSBケーブルを購入するのが自然なので、デジカメとUSBケーブルを持っていくことにする。片道30分ぐらいの下松に到達する。
そこらには二件、電器店があったのだけど、まずより大きくて品揃えが良いところに行き、探した上で店員に尋ねるに、両方ともAコネクタのUSBケーブルはなかった。これで諦めていたんだけど、念のためより小さい店に行くと、目的のUSBケーブルがいきなり見つかる。だけど、USBケーブルが原因とは限らないので、店員さんに事情を説明すると、ノートPCのあるところに案内して下さり、まず既存のケーブルとカメラで実際に店のノートPCが認識するかどうか試して下さる。繋げるが同じように認識しない。この時点で店員さんはカメラが壊れているだろう、と思っている感じで、ツクダさんもその可能性があると指摘し、売り物のUSBケーブルで一度試したいことを告げる。そうすると店員さんが箱を開けて試して下さる。ケーブルをノートPCとデジカメに繋げると見事に認識する。思わず清岡はツクダさんを指差して「正解」といっちゃう。
というわけで、レシートによると、18時18分に906円のUSBケーブルを購入した。
帰りの車の中での話題は放送大学に博士後期課程が新設されたおちうものだった。ちゃんと入学試験があるそうだけど、結局は担当教官の専門分野とのマッチングで受かる受からないがきまるのでは?と沿い即されていた。ツクダさん曰く、分野によっては(清岡が持ってきていた)こういった要旨も研究実績に含まれるので、博士号につなげれば、と清岡へ無茶振り。
当初、二人ともお腹が空いていたので、持って帰っても食べられるものを買うついでにUSBケーブルも見てくる予定だったが、結局、時間もないし、夕食ももうすぐだしということで、そのまま帰り、19時に三国志城に到着する。
特別展示室に行くと、そこには
伊比 学さんがいらっしゃっていた。てっきり清岡は下記関連記事にある、大三国志展や三顧会で会って以来だと思っていたが、どうもそれは誤解で三国志学会大会等で結構、会っているようだ。
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大三国志展(出土品でたどる三国志)
第9回三顧会前夜祭(2008年8月15日)
しばらく待つと銭湯から多くの人が帰ってきて、そうすると、教団さん経由で情報が来ていたのだけど、京都で合流し、車で来ていた、馬承さん、曹彪さんら四名が到着していた。住んでいる所がバラバラの三国志ファンが一緒に三国志城に来るだなんて十年前の三顧会初参加を思い出していた。
・三国志城紀行 三顧会の日 (※個人サイトの日記)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w040815.html
※2015年10月8日追記。ここに書いてない2人がこうさんとモリスさんで、共に三国志フェス2015のスタッフとして再会するのだけど、三顧会前夜祭でお会いしたことなんてすっかり忘れていて、おまけにこうさんに至っては、三国志フェス2015のウェブサイトの打ち合わせを何度かしてもなお気づかないでいた。気付いたのは下記関連記事で少し触れた2014年11月下旬の三国志フェス2015の決起集会で、たまたま前にモリスさんが座っていらっしゃって、話題が三国志城の話になって、そういえば4人で車で来た人がいらっしゃった→それ自分とこうさんも居た→じゃ、会っている!って流れ。
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メモ:恋愛ドラマとケータイ(2014年1月22日)
三国志大戦3 WAR BEGINS ネットワークサービス終了(2015年1月16日)
アシカさんもいらっしゃり、気付けば15名ほどそこには居て、いつもにもまして盛況だった。夕食はいつものようにバイキング形式で、清岡は肉じゃがとポテトサラダとジャガイモ料理が気に入っていた。
手元のメモによると20時20分からは「孔明の罠ゲーム」。英傑群像岡本さん企画。横山光輝三国志トランプを一枚ずつ引いて孔明が出たら当たりというゲーム。
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横山光輝三国志トランプ(2009年8月25日)
いきなり孔明を引くミラクルの傅僉さん。三回目でツクダさんが当たり。
さらに手元のメモによると、特別展示室に移動し、21時、東側で7名宴会で、西側で9人がカードゲーム『三国殺』プレー。アシカさんが持ち込んだ、パイナップルを食べた。うまい! 来る時に三国志城の近くの果物屋で買ってきてくださったとのこと。気が利くね。
22時過ぎ。『三国殺』側が一旦、終了。それで4人ぐらい帰宅。教団さんのところの『三国殺』と馬承マンさんところの『三国志大戦トレーディングカードゲーム』側に分かれていて、南東では宴会続き。
清岡は基本、北側に引いていたのだけど、偶に宴会のところに出ては伊比さんやアシカさんとで話してたっけ。多分、そのタイミングで馬承さんと話していた。清岡のイタリアのユニフォームを見て、馬承さんは馬超も好きだけど、サッカーではイタリアの選手(レジェンド!)のロベルト・バッジョが好きだそうな。「ばちょうも好きだけど、バッ……ジョも」と掛け言葉が印象的。
・前哨戦はOB戦 (※三国と無関係な2013年6月9日のカルチョ雑記)
http://cte.main.jp/calcio/blog.cgi?n=620
でも清岡は朝早く起きての深夜だったせいか、しばしバッジョのことを、現イタリア代表選手でもあるマッジョと思い込んでいて(しかもポジションもフォワードとサイドバックと違うし)、「えらくマニアが好みそうな選手が好きなんだな」と思っていて、しばし話が合わなかった。
・ようやくファラオ先発だが最終節 (※三国と無関係な2013年7月1日のカルチョ雑記)
http://cte.main.jp/calcio/blog.cgi?n=573
まぁ、その誤解も解けてしましサッカートークをしていた。でも馬承さんは今のカルチョを知らないそうで。
メモによると、2014年5月3日0時30分から2時47分まで睡眠。確か北側のところでのソファーをつなげて眠ってたっけ。
起きて特別展示室を見渡すと、6名のうち2名がダウンしていて、残り4名が三国志カルタをされていた。「横山光輝「三国志」武将かるた」じゃなくて、「激突! 三国志武将かるた」の方だ。
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横山光輝「三国志」武将かるた(2011年11月1日)
激突! 三国志武将かるた(2009年7月)
深夜のりなのか、そのかるたに描かれた図像を見て、キャッキャッとウケてらした。ワタさん、曹豹さん、こうさんあたりだっけ?あと一人は思い出せないが。
そんな中でツクダさんが目覚める。
手元のメモによると、4時ぐらいでそのかるたも終了。ほとんどの方が睡眠に向かわれていたのだけど、京都つながり(何が京都なのか敢えて詳しく書かないが)で曹豹さんに日本マンガ学会第14回大会での要旨を渡すもあまり反応して下さらず。
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どうもその日は別に用事があるそうで、行けない旨をおっしゃり返されてしまう。となりに座られてウトウトされていたので、(面白がって・笑)しばらく引き留めるようなトークをツクダさんと教団さんとを巻き込んで展開する。実はマンガ・リテラシーが乏しいことが判明し、しばしそれで「現代の日本においては貴重な被験者だ」とかなんとか言って間を持たせる。それを練り過ぎて、実は意外とマンガを読んでいることが判明していた。『曹植系男子』とか。そのためマンガ・リテラシーがないってのは単なるキャラ疑惑も出ていた。ともかく曹豹さんはマンガよりは中国の歴史ドラマをかなりたくさん視聴しているそうな。
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もう引き止めるネタもなくなりつつあったので、清岡が自分のファイルを持ち出して、それを適当に見せていた。結果的に小林聡先生の「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容―出土文物中の服飾資料を題材として―」のレジュメにとびついたので、「エサやり成功」とのたまっていた。
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ちなみに、一旦、目覚めてからは清岡がコーヒーを飲んでいたので、結構な頻度でトイレに行っていたんだけど、その都度、ツッコミをいれる曹彪さん。面倒なので教団さんへ説明を丸投げする清岡。コーヒーの利尿作用ってやつ。
話しつつも清岡はノートPCで作業していてツクダさんも似たような状況だったらしく、4時46分に、ツクダ氏曰く「(マルチタスクといっても)結局、タスクの切り替えしかやってない」という名言を残されていた。確かにね、切り替えだけで作業をした気になってしまうし。
もちろん三国関連の話もしていて、清岡からは「十常侍」という記述は『後漢書』列伝六十八宦者列伝や『後漢紀』巻二十四孝霊皇帝紀中巻中平元年六月条にある張鈞(張均)の上書にしか見られないし「十」である根拠もないので、史書の伝写の過程で、官職の「中常侍」の「中」が「十」と誤写されたのだろうと申し上げていたっけ。
あと「席」は元々の意味、あるいは三国時代での意味は、複数人が座る(正座する)敷物を指すので、「同席」はまさしくその一つの敷物に複数人が座る意味とか申していたっけかな。
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あとメモに「小さい張飛」と謎の数字があるが、いまや何のことだかさっぱりわからないや。
そんな感じで朝を迎え、谷館長の朝食を皆でおいしくいただき、三顧会が始まる40分前には清岡だけは別の用事のためその場から立ち去った。ツクダさんに岩田駅まで車で送ってもらったんだけどね
※目次的雑記
・メモ:大型連休での一周片道乗車券後半
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