※目次
ノート:三国志学会 第五回大会(2010年9月11日)
※前記事
ノート5:三国志学会 第五回大会
KJさんと共に、研究報告のあった二松学舎大学 九段キャンパス3号館 3021教室から外に出て、道路の東側から西側へ渡り、そこから南下していったところが二松学舎大学 九段キャンパス1号館だ。朝来たところ。エレベーターで13階まで行く。
○懇親会(17:30~19:30)
遅れてきたものだからすでに会場には人が詰まっていた。そういえばNPO三国志フォーラムのメンバーとしては、他に
USHISUKEさんや
おさっちさんがいらっしゃり、懇親会でこれだけ揃うのは三国志学会第一回大会以来かもしれない。
※関連記事
三国志学会第一回大会懇親会
18時頃、アナウンスが入り、皆、コップを持つよう呼び掛けられ、それぞれにビール中心で飲物が注がれる。もちろん清岡はソフトドリンクだ。
乾杯の挨拶は福島大学名誉教授の大久保先生。
そして乾杯のあとは会談。
立食バイキング形式であるため、まずは腹ごしらえとばかりに料理を小皿に盛っていく。
伊比 学さんからちょっとした頼まれごとをしたので、後日メールで送るってことで。その流れで、今回の研究報告の話をしていた。
それからUSHISUKEさんとおさっちさんとの会話の輪に入りつつ、そこで明日の予定を聞かれたんで、高速バスで帰る旨を告げる。mixiで呼び掛けられていた明日開催の「三国志中級者の集い」(確か
徳本さんが主催だっけ)に興味はあったものの時間が合わないことを言ってた。かたせんさんが福原先生にマンツーマンで話している光景を遠くに見つつ。
清岡からは今年の夏のネタとして「三国志 読書感想文」の話。
※関連記事
「三国志 読書感想文」or「三国志を読んで」
それから徳本さんと魏晋南北朝研究会の話。清岡は昨年行ったが、今年は特に興味のあるのがなかったんで、行かないってことで。
※関連記事
第9回魏晋南北朝史研究会大会ノート(2009年9月12日)
ここで、実は、
にゃもさんと初対面。三国志予備校のスタッフと自己紹介されていた。
※関連記事
三国志予備校(2010年7月28日より毎週水曜日)
そこから徳本さんから、最近、みんな初めから原文読んでいる層が出てきたという話題。確か、清岡からはそれを二極化と捉えるか、我々の目の届かないSNS、Twitter等で中間の層が形成されつつあるのか、そこらへん面白いかもしれない、って言ったんだっけ。
そこらへんからネット中心での三国志ファン層の昔話。流れ的には、むじんさんや孫ぽこさんが源流ではないのかな、と。とりあえず1998年に三国志サーチができて、「呉書見聞」やら「むじん書院」やら「偽黒武堂の三国志探訪」やらができて、といった清岡から年寄りじみた昔話を言ってた。
※関連記事
サイト「真・無双検索」の開設日っていつ?
呉書見聞移転(2011年10月)
「むじん書院」更新再開の兆し
漢帝国統治白書について
あとこの時、「漢文訓読会」の芽を目の当たりにしていた。
※関連記事
漢文訓読会(2010年10月8日より毎週金曜21時)
そこから三国志ファン層の話。それと今日の牧角先生から渡邉先生への「まずあなたは休みなさい」発言の格好良さの話。そしてやはり研究報告の話に戻る。
ここで東京大学三国志研究会のワジマヌリさんと初対面。
・東大三国志研究会Blog
http://toudaisanken.blog66.fc2.com/
『三国演義』毛宗崗本の評にある「為後孟達説劉封伏線」ではないけど、まさかこの2年後に夏コミでワジマヌリさんの後輩の前で、ワジマヌリさんの文にクスリとさせられるとは思わなかった。
※関連記事
メモ:コミックマーケット82 3日目(2012年8月12日)
しばしワジマヌリさんの学生生活についてあれこれお話を伺っていた。
あと三国志学会第二回大会の懇親会で石井先生の紹介で徳本さんと初対面した話とか。
※関連記事
第2回三国志学会大会懇親会
どうやら福原先生がお帰りなられたので、それまでマンツーマンだったかたせんさんが一人きりになっていらっしゃたので、すかさず清岡は何を話していたのか聞き出したり、何の研究報告を目当てに来たか聞いていた(興膳先生の講演が目当てだったとのこと)。
さらにたまたま近くで一人きりだった池田雅典さんも話の輪に入って貰って何やら昨年の懇親会の再現みたくなっていた。
※関連記事
三国志学会 第四回大会懇親会
池田さんから「李典の駄目な人生が溜まらない」という話などをおっしゃっていた。あと禅譲の話や三国志学会大会の話。
この時は18:50ぐらいで(昨年と違いすでに料理が無くなっていて)、今(2012年9月5日)、手元の資料を見返すと、当時、NPO三国志フォーラムの資料として重要だと感じて取った会話のメモが残ってた(断片的なメモを後で辻褄があうよう補完したものなのでもちろん正確ではない)。そこで伺ったNPO三国志フォーラムや三国志学会以外の他団体の企画についてであり、どうやらその企画は2年たった今でも実行されていないが、その団体は現存するため伏せ字にした上で、当時の様子を伝える貴重な記録であるため、公開してみよう。
・NPO三国志フォーラム
http://www.sangokushi-forum.com/
池田さん「◆◆ってまったくどう考えても役に立たないものがあるね、▲▲▲◆◆とか」
清岡「▲▲▲◆◆、(開催の)目処立たないですね」
池田さん「まだ、やる気はあるんだろうけどね……というか、三国志エキスポ開いて、三国志コスプレイヤーその辺を招いていろいろイベントを企画したり…イベントを企画しているって話は聞きました?」
清岡「▲▲▲◆◆の(グループ)ですか?」
池田さん「▲▲▲◆◆の…グループの人たちが何かしら三国志関係の…」
清岡「イベントをやりたい?」
池田さん「イベントですかね。えらい計画があって…三国志コスプレイヤーって人口700人ぐらい、そんなにいんの?!」
かたせんさん「そんなに居るんだ?!」
池田さん「三国志で? 三国志限定で700人っておかしくねぇ? そんなに居なくない?って」
清岡「限定ってのは語弊があって、三國無双とかも(含めるんじゃないですか)?」
池田さん「まぁ無双も(含めるかと)」
清岡「(言葉を遮るように)(三国志)限定だったらホントに私が見に行きますよ! 進賢冠着けて、ちゃんと拝礼して! 佩玉付けて!」
池田さん「そのへんは進賢冠とかああいうところで拘ると、金かかるらしくて、だからコスプレイヤー的には三国志コスプレはレベルが一段上という意識があったりなかったりするらしくて…三国志やんないときは結局、戦国にいったりするらしくて、三国志コスプレイヤーはコーエーコスプレイヤーじゃねぇかと。そう思ったら戦国コスプレイヤーは最近、BASARA派と無双派に分かれていて派閥争いをしているらしくて、だから三国志だとそういう派閥争いがないから楽だとそういう話を聞いて、そうなんだ、と思って」
清岡「(三国志系にも)大戦と無双があるんじゃないかと」
池田さん「大戦と無双系だとどっちがあれなのかな」
清岡「戦う必要がないからという話も」
池田さん「BASARAほど、はっちゃけてないんで、そこらへんが分かれ目なんでしょうね…そんないらん話を聞くとコスプレの人も大変なんだなぁって」
清岡「でも企画した側から言わせて貰うと、コスプレは別に一般人に見せたいと言うわけではなくて、コスプレイヤー同士で見せたいというのがあるんで、別にそういうイベントは出ないような気がします」
池田さん「企画した側って何か聞き捨てならないことを」
清岡「8月21日に三国志フェスってイベントがあったんですよ」
お二人「あぁ~」
・三国志フェス2010
http://sangokushi-festival2010.sangokushi-forum.com/
※関連記事
三国志フェス2010(2010年8月21日土曜日)
結局、この後、「三国志フェス2010」に向けてコスプレ企画を検討した際の知識を清岡から披露していた訳だけど、よくよく思い出したら、8日後にメーカー公認の「「真・三國無双」10周年記念 コスプレコンテスト」が開催されていた。当時はすっかり忘れていたが。
※関連記事
「真・三國無双」10周年記念 コスプレコンテスト(2010年9月19日)
あと同名だけど下記関連記事の同人誌展示即売会とは当然、無関係なんだろう。
※関連記事
「三国志エキスポ2008」中止
その流れで、時代考証をしっかりやったコスプレがあったら面白い、って話で盛り上がっていた。印綬を帯びたり版を持たせたり。そこからなぜか、おもしろ三国志さんの話。
・おもしろ三国志の諸葛孔明 IN THE HOUSE!
http://ameblo.jp/omoshirosangokushi/
※関連記事
速報:おもしろ三国志、サマソニ出陣!
池田さん曰く「日本で冕冠つけるってことは陛下に弓引くことで、それどうなっているだ?ってどうでも良いことが気になって」とおっしゃっていたのが印象に残った。確かに。この後、旒は何本とか、『レッドクリフ』の話とか、下記のツリーを思い出しつつ話をしていた。そもそも祭祀でもないのに普段から冕冠をつけないよ、とか。
※参照リンク
・『レッドクリフ』見る人、いる? (「
三国志ファンのためのサポート掲示板」内ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3235
※関連記事
「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容―出土文物中の服飾資料を題材として―」(20
その流れで画像石の話で、清岡曰く「結論としてはレイヤーさんに頑張って欲しい」。
そこから池田末利/訳註『儀礼』(東海大学古典叢書)の「自序」の話を思い出し、人形を使って礼を再現するのもありって話をふったら、例の、『儀礼』を再現したVTRの話を池田さんがおっしゃって、中林先生がご所蔵だそうで。
※関連記事
三国創作のための『儀礼』メモ
というわけで、清岡からは「来年の三国志学会で(『儀礼』や『礼記』の再現を)してくださいよ」と(もちろん冗談で)お願いした。『三国演義』毛宗崗本の評にある「為後孟達説劉封伏線」ではないけど、次の年はともかくその次の年(つまり二年後)に池田さんの研究報告が三国志学会大会であるので、それは叶えられるのかどうか今から楽しみだ(これを書いているのがその研究報告の数日前)。
※関連記事
三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日)
そこから池田さんより博士論文ぐらいの時の学会で、(漢の武帝や光武帝の)封禅の箱か何かを再現したら、大爆笑されたって話をされていた。よく見たら史書に書かれているそうで。それと吉川英治『三国志』(小説)の冒頭のお茶の話やら宮城谷作品(光武帝の小説だっけ)の話に行って、また礼制の話(王莽含む)に戻ったり。
途中、
ひろおさんが加わって、池田さんと熱いトークを繰り広げられていた(礼制の話の続きで鄭玄・蔡邕、緯書含む)。
ここでうろちょろしていたら、USHISUKEさんと、清岡から見て誰か判らなかった、
まいこさんとが(結構、長い間、)話してらして、近付くとUSHISUKEさんから紹介して貰った。清岡が70歳ぐらいの人だと思われていたようで、その返しとして、例のオフ会で会うときに清岡について「母親連れの高校生か、ネックレスとか指輪とか装飾品をじゃらじゃらさした悪徳不動産屋か」を想像されていたという旨を話していた。
※参照リンク
・三国志城紀行初日 (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/w/w040814.html
あと、
梨奈さんへも紹介してもらった。主に三国要素のポップカルチャーについて(「サブカル」は使っても「サブカルチャー」は使わない方向で)。
※参照リンク
・やたらテンパったって話他 (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2011/0601.html#10
ご両人ともブログをもってらして、それらの一読者としては互いのブログを知っておられるのか、またそれ以上の交流があるのか知り得て良かった。まぁ、少なくともこの懇親会の場で会っていることは確かってことで。
途中、USHISUKEさんとまいこさんとが離れられて、入れ替わるように
三口宗さんが来られ話していたら、牧角先生から懇親会終了のアナウンスが入る。気付けば20時前だった。
場内拍手。
すでに福原先生が帰られていたので(さらにいえば石井先生が来られていないので)、昨年みたいな機会はないと判断し、USHISUKEさん、おさっちさん、KJさんのNPO三国志フォーラムのメンバーに、伊比さんを加え、九段下駅近くの飲み屋で飲むことに。途中、
あんちょさんが合流し(当時はまだNPO三国志フォーラムの「真・無双検索の登録審査及び管理スタッフ」)、ゴシップ話、メタ的な話や前世紀の昔話も含めいろんな話をしていた。オープンな場ではないけど、逆にそれが私にフィットしているようで、多分、三国関連ではしゃべるには今まで一番面白い面子だね。
終電が近付くと、新宿に移動し、USHISUKEさん、おさっちさん、あんちょさ、伊比さんの5人で遅くまで開いている飲み屋に移動。そこはたまたま配水管の工事が入っていて27時までで閉店で、その後、24時間開いているファーストフードに移動し、始発までまったりしていた。
そこのどこかのタイミングで話していたが、またNPO三国志フォーラムの総会、やりましょうってことで、その数ヶ月後に結局、2011年1月8日に第3回総会を東京で開催できて良かった。もちろんクローズドな会合だけど。その後の飲み会もこの時と同じようにとても楽しかった。
・NPO 三国志フォーラム ~沿革~
http://www.sangokushi-forum.com/history.html
それで話を戻し、朝早い電車で、すっかり声質が変わってしまうぐらい話した清岡はJRと地下鉄を乗り継ぎウィクリーマンションに戻り着替え、荷物を引き上げる。こんなことだったら、二泊で取るんじゃなかったと思いつつも高速バスの乗り場となる東京駅に急ぐ。この経験が後に生かされ、催事の次の日まではあまりホテルを取らなくなったんだよな。というわけで来年に続く。
※追記
「三國志」×横浜市交通局/神奈川県港北警察署タイアップ(2015年12月10日-2016年1月11日)
※新規関連記事
はじめての即位 別冊(封禅)(2018年12月29日)
サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。