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ノート5:三国志学会 第五回大会


研究 ※目次 ノート:三国志学会 第五回大会(2010年9月11日)

※前記事 ノート4:三国志学会 第五回大会

 15:57に司会から興膳 宏 先生(京都大学名誉教授・東方学会理事長)の紹介が入る。さまざまな会の会長をされているとのこと。ご著作の紹介で、『乱世を生きる詩人たち―六朝詩人論』(研文出版2009年8月)や最近の『漢語日暦』 (岩波新書、岩波書店2010年7月22日)が挙げられていた。ご専門は中国古典一般。
 司会の開始のアナウンスで、場内拍手で応じる。
 レジュメはA3用紙2枚でA4横書き7ページ。以下、その時のノート。

○講演(15:30 ~ 17:00)「人物評価における「清」字」

 文化的問題の一つの話。「清」という字は三国時代、六朝時代を通じた評価として非常によく使われる。「清」という字に関心をもった、気がかりであったのは、早い頃で、劉勰『文心雕龍』を翻訳していた頃、この字が何度も出てくる。「清」+何とかという二字の評で出てくる。これが訳しようのない。例えば「清貧」という言葉があるが、「清くて貧しい」と訳しても間違いではないが、しかし様々な解釈がある。「貧しいが清らか」なのか「清らかで貧しい」のか、あるいは「清」「貧」の関係が足し算の関係ではなく、掛け算の関係になっているのか。以上のことが非常に気になる。
 漢語といえば、現在の私たちの言語生活、中でもこの「清」というのを頭に持つ未知の単語というのは、かなりたくさんある。このことをまず知っていただくために、『広辞苑』(第六版)の中の「清」という字を抜き出すとレジュメのような字がある。固有名詞を除く。例えば清水寺等。「清」という字を頭にくる単語は86ある。アンダーラインを引くのは「清」+名詞の関係になる。そういう字は対象外。そうすると『広辞苑』での単語は49になる。
 現在出版される一番大型の辞書『漢語大詞典』の中で、「清」字を片っ端からリストアップしていくと、レジュメのようになる。ここでは「清」+名詞のものは初めから除外している。「清」+形容詞だけのものをリストアップすると、293あった。レジュメにて網掛けしたものが『広辞苑』と同じもの、四角い枠で囲んだのが『白水社中国語辞典』と同じもの。このように日本語として中国語では多い「清」+形容詞の構造を持つ言葉が存在している。
 こういう風に「清」を頭に持つ二字の形容語が注目されるのは、おそらく後漢の中期以降における人材交流のあり方、そこに出発点があるように思える。つまり選挙のあり方について様々な議論が起こって、それが『三国志』の魏の時代になって文帝の時代に九品官人法というものが作られる。つまりこれは人材の登用について一つの制度化を行った。後漢の時代に選挙のあり方に関する議論として、いろいろやかましく言われたのがいわゆる清議だ。どうしてそういうことが議論されたかは、レジュメにある(以下)。

・『抱朴子』外篇・審舉
靈・獻之世、 閹官用事、羣奸秉權、危害忠良。臺閣失選用於上、州郡輕貢舉於下。夫選用失於上, 則牧守非其人矣、貢舉輕於下、則秀・孝不得賢矣。故時人語曰、“舉秀才、不知書。察孝廉、父別居。寒素清白濁如泥、高第良將怯如雞。”

 官吏の登用に関してしかるべき才能のある人がその地位に登用されなければおかしい。そういうことができなくなってしまった。そのため秀才に挙げられたが書をしらず孝廉だが、父と別居していた(親不孝)という。ここで「寒素清白」が出てくる。
 それが魏の時代になって「九品官人法」によって制度化された。「清談」についてレジュメに『広辞苑』から引いている。「清」字というのは制度上の問題点からその概念を考えた方が良い。
 九品官人法というのは各地方に中正という、人の才能を透過する役人を置いて、地方から推挙されてくる人材をこの中正が判断して然るべき結論を下す。この中正の判断のための資料として清談という議論が行われる。大きな参考となった。その際に重要なテクニカルタームとして用いられたのが、頭に「清」という字を置く二字の単語だったと思われる。
 そのことを歴史的に探索するために『漢書』の中で「清」の字がどういう使われ方をするかというと、レジュメのようになる。一言で申すと、『漢書』の中で「清」の字が使われるのは比較的少ない。具体的には「台灣中央研究院漢籍電子文獻」で検索した。

※関連記事 「台灣中央研究院漢籍電子文獻」リニューアル?

 これにより検索すると『漢書』で「清」の字が使われるのは209件あった。その中から「清」+形容詞がどれだけあるか。多くは三つある。清静、清廉、清虚の三つ。一番多いのが清静、静かなありさま。必ずしもある人の心の状態、性格についてではなく、「天気清静」といった自然現象のもある。また『漢書』曹参伝「治道貴清静而民自定」といった、世の中の穏やかで安定しているという意味でも使われる。それに対し『漢書』楚元王伝「清静少欲」の場合、世俗的な欲が少ないという個人の心情あるいは性格を示している。清廉は清廉潔白とほぼ同じ。清虚は世俗的なことが少ないという意味で使われる。総じて言えば、清静、清廉、清虚の三つの言葉は世俗的な欲望の少なさを言う。『漢書』ではこのように「清」が頭にくる形容語は極めてその種類が限られるが、これは以後の歴史を見渡すために、かなり重要な問題点を提起している。
 これらは老荘系の言葉だ。レジュメに『老子』の用例を挙げる。

・『老子』第十五章
孰能濁以静之徐清

・『老子』第十六章
致虚極、守静篤。

・『老子』第三十九章
昔之得一者、天得一以清、地得一以寧、神得一以靈。

・『老子』第四十五章
躁勝寒、静勝熱、清静為天下正。

・『老子』第五十七章
我無為而民自化、我好静而民自正。

というように清、静、虚、これが一体の関係をもつ形で出てくる。『荘子』においても

・『荘子』刻意
必静必清、無労女形、無揺女精、乃可以長生。

・『荘子』知北遊
澹而静乎、漠而清乎

・『荘子』天下
其動若水、其静若鏡、其応若響。芴乎若亡、寂乎若清、同焉者和、得焉者失。

・『荘子』天道
夫虚静恬淡寂漠無為者、天地之平、而道徳之至

・『荘子』天道
以虚静推於天地、通於万物

という言葉がある。このように、清、静、虚の三つの言葉はしばしば一体の関係を持つ形で総じて使われる。それらが清静、清虚という言葉の連有になっている。世俗的な欲望をもたないというのは『老子』や『荘子』に起源することによってそういった言葉になだれこんでいる。
 『後漢書』からいよいよ本番になる。後漢の後半になって人物評価のキーワードとして出てくる。『後漢書』は「清」の字の出てくる箇所は「台灣中央研究院漢籍電子文獻」によると583件となる。それをさらに使い方によって整理してまとめたのが、レジュメにあげた資料となる。
 (3)までは清静、清廉、清虚となり、(4)以下は『後漢書』になって初めて見える語彙だ。『漢書』と同じように清静、清廉、清虚の三つは人物評価に使われる。清静はほぼ同じ意味でプラス評価の意味だ。ここでは個人の性格についてだけ挙げている。清廉も同じ。清虚については、『後漢書』襄楷伝に「此道清虚、貴尚無為。」とあり、これは個人の人物評価ではなく、仏教の教えについて評価したもので、除く必要があるのかもしれない。(4)以下の清潔、清倹、清平、清方、清亮、清貧等といった語彙も初めてここで生まれる。清白、清簡、清高、清淳、清約、清苦(というのは清貧に近い言葉)。これはいずれもプラス価値のものだ。さらに(16)以下は見出されたその他の言葉だ。清貧、清苦というのは貧乏だということ、これがプラス価値の評価として使われている。今でも中国の汚職問題がやかましく取り扱われ、今に始まったわけではなく根深い問題だ。貧乏でも節を曲げないというのは優れた資質であると選挙、清議において高く評価された。
 こういう評価を与えられた人たちは、後漢後期、清議がやかましく言われた時期の人たちが多い。こういう清議が人材登用の制度として確立していった時期となる九品官人法の施行後、すなわち三国の魏の時代においてもこの『後漢書』に書かれたような「清」の字+一字の形容語によって人の特性を評価することは引き続き行われたと考えて良い。『三国志』に使われた「清」の字のリストをレジュメに挙げる。280件程度で『後漢書』に及ばない。陳寿の『三国志』だけでなく裴松之の注も含まれる。(4)の清潔や(11)の清簡のように『後漢書』にあって『三国志』にない言葉はあるが、大体は『後漢書』に使われていたような人物評価の語彙が『三国志』でも使われているということがわかる。そして(16)の清公までは『後漢書』の語彙を同じ順序で並べている。(17)清忠は『三国志』では重きをなす。「忠清」という言葉も見られる。(18)がその他の「清」の字の語彙で『後漢書』より幅が広がるのが判る。一つ注目しておきたいのが、(19)清慎だ。この言葉は『三国志』李通伝注所引王隱『晋書』所引李秉『家誡』にある。子どもに誡めた文章だ。

・『三国志』巻十八魏書李通伝注所引王隱『晋書』所引李秉『家誡』
上(司馬昭)曰:『為官長當清、當慎、當勤、修此三者、何患不治乎?』並受詔。既出、上顧謂吾等曰:『相誡敕正當爾不?』侍坐眾賢、莫不贊善。上又問曰:『必不得已、於斯三者何先?』或對曰:『清固為本。』次復問吾、對曰:『清慎之道、相須而成、必不得已、慎乃為大。夫清者不必慎、慎者必自清

 この頃、人材を登用するにあたり「清」というのは必須の条件と考えられていた。それまで社会的にこの清を重んじる概念が浸透していたと考えてもよろしいと思われる。三国魏の時代には九品官人法が行われるようになり、人物評価の批准が大切になる。この時代に表された劉邵『人物志』というのがある。この本はその評価をする際にどう考えたらよいかというのを理論的に考察した書物だ。この本がこの時代に表されたということは社会的背景としてこういう人物評価の基準というのが利用されたと考えてもよいと思う。

・劉邵『人物志』流業篇
 蓋人流之業、十有二焉:有清節家、有法家、有術家、有國體、有器能、有臧否、有
伎倆、有智意、有文章、有儒學、有口辨、有雄傑。
 若夫德行高妙、容止可法、是謂清節之家、延陵・晏嬰是也。

 第一にあげているのが清節家だ。これはどういう人か簡単に説明している。しっかりした清節を持った人が当時、重んじだれた、と。
 魏の後の西晋の時代になる。九品官人法の定着にともない清議はさらに普及していったと考えられる。ただしそれと同時に官吏登用のための理論である清議に背を向けた清談の風潮も盛んになる。この清議と清談の関係を説明するために、先程の清議の説明では清談の源流という説明が『広辞苑』ではされている。それはそれで良いが、清議が移行して清談になったというわけではないと思う。つまり清議は清議で西晋の時代にも依然として存在していた。しかし、官僚登用という現実問題を離れた、背を向けた清談というのがもう一つの議論としてそこに含まれていた、と解釈すべきだと思う。つまり清議と清談とは併存していた。
 そのことが『晋書』の中の「清」字を検討する上での大きな意味をなしてくる。レジュメに資料を挙げる。現在行われている正史の『晋書』は唐の太宗の時代に再編したものだ。厳密にいうとこの書物は唐の初めにできたものではあるが、それに先立って六朝の時代に表された様々な『晋書』にならって、それらを議論して再編したのが太宗御撰の『晋書』だ。これは先行する旧『晋書』を加味している考えて良い。同じ事は『後漢書』に関しても考えて良い。
 そこで『晋書』の中の「清」字について用例を整理した。「清」の字の出てくる箇所は「台灣中央研究院漢籍電子文獻」によると721件となる。この並べた順序は『後漢書』(の時)の順序に従う。『後漢書』に出てくる表現が引き続き『晋書』に出てくるのが確認できる。ただその中で注目することがある。(3)清虚のこと。『三国志』では仏教についてのべたことだが、『晋書』ではかなり沢山の用例がある。(11)清簡はあまり細かいことまで考えない、大きく物事をとらえるとそう考えるとよいだろうか。西晋の時代では尊ばれた資質だ。(17)清遠・清達、(18)清通、(19)清沖というのがあり、これらはその一部は『後漢書』や『三国志』にも見られたが、晋の時代に大きな意味を持つようになる。というのは清談との関係だ。清談の中で、その虚とか簡とか達とか沖とかは重んじられた概念だ。それを理解するには『世説新語』の「清」の字の使われ方が参考になる。
 『世説新語』の中から(1)清遠、(2)清通、(3)清虚の例をレジュメに挙げた。まず清遠について徳行篇では「理中清遠」とあり、次の言語篇では「體識清遠」、さらに賞誉篇では「清遠雅正」とある。清通については文学篇では「清通簡要」、それから識鑒篇の「清通於多士之世」、賞誉篇の「裴楷清通、王戎簡要」、同篇の「戎尚約、楷清通」、同篇の「清通簡暢」。清虚は言語篇の「吾無所憂、直是清虚日來」。この清虚というのも清談の中で、あるいはいわゆる玄学の中で用いられる言葉だ。だから通と同様に簡というのも大きな価値を認めていた。このように『晋書』になると「清」の表現がより幅を広げる。どの方向に広がったというと主として清談にみられるような当時の重きを反映するように広がった。その他としても(20)に挙げた、こういう多様な「清」を頭に持つ用語が用いられる。
 そのように後漢以来、三国、西晋と時代を経るに従い、「清」の用語は多様性を持ち幅を広げ、その他に、文学理論の中にも「清」の使用が異常に頻繁になる。レジュメにあげた代表的な理論書『文心雕龍』や『詩品』にその傾向が伺える。その文学評論の中では16文字で用いられた「清」の評語を転用することももちろんある。人物論では用いられていない新たな造語を行っている。そうした例も少なくない。レジュメにあげたのが代表的な例だ。陸機「文賦」の「箴頓挫而清壮」、同書の「清麗千眠」、同書の「或清虚以婉約」「同朱絃之清氾」。ここに挙げられた清麗、清氾という言葉は人物像には出てこない。劉勰『文心雕龍』誄碑の「莫非清允」、『文心雕龍』声律の「率多清切」、『文心雕龍』明詩の「清典可味」、「只嵆志清峻」、「清麗居宗」、『文心雕龍』銘箴の「其才清采」、『文心雕龍』裁鎔の「而雅好清省」、『文心雕龍』書記の「清美以惠其才」、『文心雕龍』章句の「句之清英」、『文心雕龍』才略の「洋洋清綺」、そういった例がある。その中の「清」を持つ用語は○○で見られない。鍾嶸『詩品』上の「故務其清浅」、『詩品』中の「而長於清怨」、『詩品』下の「往往嶃絶清巧」、「祏詩猗猗清潤」、「奇句清抜」などの例がある。「清」を頭に置いた用語をよく使う。文学論は書論からの刺激をうけて盛んになったというところが多分にある。『詩品』は書論の影響を受けている。詩論ではこれだけ使われているのに、書論においては「清」をもちいた評語が見られない。理由は未だに説明できない。
 「清」を用いた用語は、このように人物論から文学論まで幅を広げて盛んに用いられるようになった。その時代が後漢後期以降六朝の400年にわたる期間にある。最初に挙げた辞書での用語の起源はこの時期であるに違いない。それがめざましく一つの現象として展開したのはこの時期だと言える。
 付け加えると、「清談」といってもそう簡単ではない。広辞苑では説明しきれないことがある。「清談」は『三国志』やその注にある。

・『三国志』巻一魏書武帝紀注所引『英雄記』
孔公緒能清談高論、噓枯吹生

・『三国志』巻七魏書臧洪伝注所引『九州春秋』
入見其清談干雲、出則渾亂、命不可知

 これは通常の清談をイメージしたのではあわない。この清談というのは弁舌爽やかな有様の意味だろう。その意味で出てくるのは『晋書』が初め。

・『晋書』巻九簡文帝紀
帝雖神識恬暢、而無濟世大略、故謝安稱為惠帝之流、清談差勝耳。

・『晋書』巻六十七郗超伝
又沙門支遁以清談著名于時、風流勝貴、莫不崇敬、以為造微之功、足參諸正始。

 ところが『晋書』が資料にしたはずの『世説新語』には「清談」という用語はただの一回も出てこない。しかし「清談」という現象についてはいくらでも記述がある。「清言」といっている。

・『世説新語』言語
謝答曰:「秦任商鞅、二世而亡、豈清言致患邪?」

・『世説新語』文学
樂令善於清言、而不長於手筆。

 もう一つ加えると「清」字は次のように許慎『説文解字』で定義している。

・『説文解字』
清、朖(朗)也。澂(澄)水之皃。

 これは清の本義である。ここのところは記憶しておく必要がある。「清」という文字は特性として澄み切った明るさというのがある。だから水に伴う冷たい感覚、冷感と縁が深い。そこで清淡、清寒、清白といった、水とか冷たい涼しいといった感覚と容易に結合する。その反対に熱した濃厚な、暑いといった文字とは相性が悪い。それらはレジュメに纏めている。例えば淡とくっつくが濃とはくっつかない、苦とはくっつくが楽とはくっつかない。清がくっつくのとくっつかないのがあって、それを考えると面白い。
 清貧があるが清富という言葉はあるかというとそれはない。いわば「貧」を浄化するという役割はするが、「富」という本来プラス価値の上に「清」を付けプラスに増大するのは少なくとも一般には行わない。清富という言葉を使った例は中野好夫さんという評論家がおられ、戦後まもなく評論家に徹する宣言を出され、中野さん曰く「私は聖人でないから、清貧を憎む」「清富は立派な貴族だと信じている」という文を『大学教授始末記』に書いてある。

 17:35終了。場内拍手

 渡邉先生の司会が入り、18時からの懇親会のアナウンスが入る。会場の1号館13階の案内。

※この研究報告と関連し、この一年後の2011年8月27日発行の『三國志研究』第六号に興膳 宏「人物評価における「清」字」という講演が収録されている。

※関連記事 三國志研究第六号(2011年8月27日)


 さらに渡邉先生のアナウンスで来年の三国志学会大会について。三国志学会会長の狩野直禎先生のお膝元となる、京都大学か龍谷大学か京都で2011年9月3日土曜日に行うという。その一週間前の8月27日土曜日に東京で一般向けの講演会を行う。さらに三国志学会大会は年一回しか行わなかったが、(立間祥介先生の下で漢文を読んでいると聞くので、)例会や勉強会をやって還元できれば良いと考えているという。それに加え会則や投稿規定が改正されるとのこと。

※関連記事 mixiコミュ「総合三国志同盟」の勉強会

 このアナウンスで来年の日程の方に気が向きすぎて、当時はすっかり気が回っていなかったのだが、まずのそちらの方から触れていく。何かというとここの「例会や勉強会」について、この記事を書いている2012年9月3日現在に気付いたのだが、三国志学会サイトにある会則を見ると、2010年9月11日の改正(つまり三国志学会 第五回大会開催当日)により「第3条(事業)」に「3.例会および勉強会の開催」が加わっている。未だそれっぽい会合が実現されている気配がないのだけど(特に情報公開されるであろう後者)、期待してしまうね。回数が多いといろんなニーズに対応できそうだし(例えば大会に比べより一般向けになるとか)。

・三国志学会
http://www.daito.ac.jp/sangoku/

 それから気が向きすぎてしまった来年の日程について。『三国演義』毛宗崗本の評にある「為後孟達説劉封伏線」ではないけど、実は2011年8月27日土曜日に東京で「三国志フェス2011」を開催予定をしていて、会場も押さえていて、何もしなければ、三国志学会の一般講演会と日程が被り、おそらく一部は被るであろう客を取り合うことになり(むしろ三国志フェスが取られる方だろうけど)、三国志フェスの出演者の都合が着かなくなる可能性が高くなる。三国志学会 第五回大会が終わり、懇親会の待ち時間のときに慌てて、USHISUKEさん、おさっちさん、KJさん等と話し合っていた。結局、下記関連記事にあるように、2011年9月10日土曜日に「三国志フェス2011」の日程をずらし、下記関連記事にあるように三国志学会の方は登壇者都合で8月27日に京都での大会、9月3日に東京での一般講演会となったわけで、両日とも「三国志フェス2011」のチラシを置かせて頂き結果的には良かったんだけどね。

※関連記事
 三国志フェス2011(2011年9月10日)
 三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日)


※次記事 ノート6:三国志学会 第五回大会

※追記 中国逍遥(2014年5月20日)

※追記 関西大学の入試で三国志関連2016

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