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2010年6月の雑記
2010.06.01.
<<2010年5月の雑記


このページは?
   このページは日記コンテンツです。本サイトでは全然、ジャンル違いなので注意です。


6/1   線とかコマとか言われても

>>私的メモ2:三国漫画分析

   上記の「三国志ニュース」の記事で触れていた『マンガの読み方』(宝島社1995年)を読了。この本は四部構成になっていて複数人による論考が連なる。PART 1「マンガは「線」である」、PART 2「マンガという「記号」」、PART 3「「言葉」がマンガを規定する」、PART 4「マンガをマンガにしているのは「コマ」である」の四部。全体的には、実際にマンガを描いている人の方がより興味を持て理解が深まるのかな、と感じた。個人的に興味深かったのは、竹熊健太郎「マンガに「デッサン」は必要か?」、近藤隆史「原作はいかにマンガに変換されるか?」、杉本綾子「少女マンガと「少女小説」の表現」。後者二つはやはりマンガと文章との関係に元から興味があるからなんだろうね。「原作~」の方の『巨人の星』の絵付きのたとえ話の影響で、当時、坂本龍馬が泥の中で前のめりになって亡くなったと勘違いする青少年が多かったと逸話は、物語の力を感じさせるエピソードとして興味深いね。前者の画家は見たままを描く能力が要求されるが、漫画家は観念で描いたり記号として描いたりする能力が要求されるというあたりすごく納得した。
   というわけで、今、手元にあって並行して読んでいるのは濱野智史/著『アーキテクチャの生態系 情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版、2008年10月)、伊藤剛/著『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版、2005年9月)、大澤真幸/編、森達也/ほか著『アキハバラ発 <00年代>への問い』(岩波書店、2008年9月)。


6/2   界橋の戦い

というわけで予告通り「孫氏からみた三国志」更新。今回こそこれから書こうとしている小説関連。公孫瓚。

>>界橋の戦い


6/4   初志貫徹されず

   中野晴行/著『マンガ産業論』(筑摩書房2004年7月)、ティエリ・グルンステン/著『マンガのシステム コマはなぜ物語になる』(青土社2009年11月)を図書館で借りようと思ったが、結局、冊数制限もあって、それらを借りずにホイチョイ・プロダクションズ/著『気まぐれコンセプトクロニクル』(小学館2007年2月)、大城房美/編『マンガは越境する!』(世界思想社2010年2月)を借りる。『気まぐれコンセプトクロニクル』は映画『バブルへGO!!~タイムマシンはドラム式~』公開時に宣伝していて読みたかったマンガ。まさかこのマンガが図書館にあるとは思わなかった。

<<バブルへGO!!~タイムマシンはドラム式~(2007年2月12日の雑記)


6/11   三大サブカル本の二冊か?

   返却日に間に合うように濱野智史/著『アーキテクチャの生態系 情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版、2008年10月)、伊藤剛/著『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版、2005年9月)を読了。共にNTT出版で、そういうのに強い出版社なんだろうか。
   『アーキテクチャの生態系』はその名のとおりブログやmixi、twitterなどのアーキテクチャを生態系に見立てて論じていく書籍で、もうそのコンセプトだけでワクワクするんだけど、さすがにその興味や関心は最後まで持続しない。まぁ、第六章と第七章が下記のブログが元になっていて既読だったというのが大きいのだけど。

>>濱野智史の「情報環境研究ノート」

<<同期的と非同期的のネットのコミュニケーション(2007年11月24日の雑記)

   あと2008年の書籍とあって、今のtwitterのブームなのか浸透・定着なのかよく分からない段階を想像し切れてないのはご愛敬だろう。と悪いことを先に書いたけど、基本的にはどの章も興味深く読めて、特に日米SNSの相違、ファイル交換型とファイル共有型との技術およびそれに伴う規範の違いが面白かった。それとブログが流行った理由がGoogleの特性にマッチしていたというのも納得できるところとか。

   『テヅカ・イズ・デッド』では作品の表裏に位置する作者・読者のマンガ表現総体のモデルはあれこれ考えさせて良かった。それより注目したのは「手塚起源神話」を巡る論。以前からおそらく『BSマンガ夜話』等で、手塚治虫は戦前の技法等の流れを受け継いでいる部分があると耳にした覚えがあったので、そこらへんの論の流れを知ることができた。キーワードは「同一化技法」。あと「伝説は後世に作られる」なんてのも連想した。ともかくこれについて忘れればまたこの書籍を読めば良いってことで。


6/12   twitterが浸透している様。

      ブログがかつて高機能日記と言われたように、ツイッターが高機能チャットにしか見えない。あれは過去ログを読むことは可能なのか、もしくは簡単にアクセスできて系統立てて読めることは可能なのだろうか。不可能だとすればなんと勿体ないメディアだことか。ブログの方がアーカイブとして使い勝手が良い。
というより、少なくとも日本では最近、twitterSNSとして比重が大きいようで、それによる軋轢があれこれ既に生まれているようだね。

>>マンガ家Sのブログ

>>ツイッター2ヵ月ほどやってみての感想(上記ブログ記事)


6/13   みっさっわっ! みっさっわっ!

   なんか今日一日、日付を見て何か忘れている気がしたんだけど、思い出した。
   それは知人に、「三択」というタイトルでメールを送ったら、本文で「三沢かと思った」と返ってきた時に思い出し、肝心な日に忘れていた己を恥じる。

   2009年6月13日22時10分。

   今日は三沢光晴選手の命日だ。

   全日本プロレスプロレスリング・ノアのビデオは家の奥深くにあって、すぐに見れないけど、2009年7月6日1:55にオンエアされた日テレ(実際見たのは読売テレビの分)の特別追悼番組はHDDレコーダーに残している。
   今からそれを見て、一人、哀悼の意を示しておこう。


6/18   マンガ関連本を読み進め

   明日の「日本マンガ学会第10回大会」へ頭と気持ちを持っていくためもあって、『マンガは越境する!』(世界思想社2010年2月)を読み終える。論文集ということもあって、内容はバラエティに富んでいて、あれこれ考えさせられるものが多く、ヒントを貰ったような気がした。個人的には他の書籍を読むガイドにもなっているし。興味深かったのはP.5の「研究施設である当館(正確には、当館の研究部門を担う「京都精華大学国際マンガ研究センター」)に補助金を投入している文部科学省はもちろん、「コンテンツ」としてのマンガの「ソフト・パワー」に期待する経済産業省、観光資源としてのマンガ(施設)の活用を考えている国土交通省、マンガを通じた国際交流を促進したい外務省、などなど。」というところ。マンガには現在、様々な導線があって、まだまだ開拓の余地があるのかな、と思った。
   それから読んでいて、この書籍のことをどこかで知っているような気がしたが、下記のブログ記事だね。

>>小田切博の「キャラクターのランドスケープ」

>>自戒と韜晦(上記ブログ記事)


6/19   そんなところにも出版コード

>>私的メモ2:三国漫画分析

   上記記事で書いたように、2010年6月19日20日開催の「日本マンガ学会第10回大会」の初日に一般参加するため、京都精華大学に行って来る。

>>日本マンガ学会

   全体としては、主に社会学、心理学、教育学、女性学等の学問分野からの支持から成り立っている領域なんだな、という印象があった。最も興味深かったことの一つは、「マンガにおけるオノマトペ表現」の質疑応答の際、『ゲームセンターあらし』の作者でお馴染みで、現在は早稲田大学で社会人学生をしておられる菅谷充(すがやみつる)さんのコメントで、擬声語や擬態語には昔、出版社独自のコードのようなものがあって例えば1970年代の講談社では擬声語がひらがな、擬態語はカタカナと決まっていたということだ(※2013年10月6日追記。すがやみつる『仮面ライダー青春譜 もうひとつの昭和マンガ史』(ポット出版2011年8月18日発売)によると擬声語がカタカナ、擬態語がひらがなとのこと。)。元の発表の出来はともかく、これだけでも、えぇ話が聴けた、と思えた。

>>Mitsuru Sugaya Homepage

>>復刻版『悪魔くん』(水木しげる/小学館クリエイティブ)を読む(※上記ブログ記事)
※『ゲゲゲの女房』について書かれているのでついでにリンクする。


6/20   補完と共感

>>日本マンガ学会

   前日に続き、「日本マンガ学会第10回大会」に一般参加するため、会場かわって京都国際マンガミュージアムへ足を運ぶ。

>>京都国際マンガミュージアム

   多目的ホールが会場として使われ、後の壁際三方がポスターセッションに使われている。この日のオーラルはシンポジウム形式で、午前中が第1部 「<女子>が読んだゼロ年代」、午後からが第2部「マンガのゼロ年代、その「想像力」をめぐる冒険」ということで、午前の司会&パネリストが全員女性、それと対照的に午後のは全員男性という構成で、それが内容にもハッキリと反映されていた。午後で印象に残ったことに、尾田栄一郎ONE PIECE』は作者のアシスタント先だった和月伸宏さんが言うように勧善懲悪マンガではなく少年マンガの王道である番長モノであると泉信行さんがおっしゃっていたことだ。つまりキャラの行動原理が正義とか悪とかではなく、かっこいい番長に着いていくという構図だとのこと。『テニスの王子様』もその要素があると解説されていた。午前で印象にのこったことを端的なキーワードで表すと「補完と共感」(音で聞いているわけだから「補間」の可能性あり)だ。まず「共感」は女性のマンガ受容層の中での話。男性読者同士の語りは議論に発展しやすいが、女性読者同士の語りは共感がベースになっていると。これはマンガに限らず少なくとも日本では全般的な話に適合できるかな、と感じた。いや、シンポジウム内の一人一人の報告の後のそれぞれのディスカッション自体が、午前の女子の部が生産的な「共感」で、午後の男子の部が分析的な「議論」といった印象があって、まるで自らのことを語っているような構造になっていて、ユーモラスな印象があった。「補完」の方は、読み手が対象となる作品をいろんな形で勝手に補完するとのこと。その一般的な例え話として、アイドルが挙げられていた。アイドルは煌びやかだが、実力が伴わないこともあり、そのギャップをファンは応援という形で補完するというわけだ。これが形となったのが二次創作。例えで出ていたのが『SLAM DUNK』。高校生によるバスケットを描くという意味で完璧なマンガだか、日常生活がほとんど描かれておらず、そこに読者による補完の余地があるとのこと。ここらへんの説明で、さすがお菓子研究家とあって、福田里香さんによる例えが「部活帰りの買い食い」「大会に向かう新幹線の中の弁当」等、すべて食べ物だったのが妙に面白かった。補完が形になるもの/ならないものに関わらず、女性の受け手に人気の出るもののこの補完の余地が重要であるという話題で、野中モモさん曰く『テニスの王子様』はダメな『SLAM DUNK』と思っていたが、(補完の余地が要所にあるという点で、悪く言えば稚拙、)実はすごい『聖闘士星矢』、すごい『美少女戦士セーラームーン』だと気付いたというのがとても印象的だった。納得。


6/22   今月のテレビで映画鑑賞

   今月のNHK-BS2での映画は(送り手が狙っていたんだろうけど)女性の伝記物が多かった。6月7日『ココ・シャネル』、6月14日『マザー・テレサ』、6月15日『ミス・ポター』、6月22日『ドリームガールズ』。最後の22日の映画はミュージカル映画なんだけど、モデルとなった女性シンガーグループがいたとのことで、伝記物の範疇に入るだろう。後二つは特に虚実が混じるらしいんだけど、返ってそれも含めどれも面白かった。

>>BSシネマオンライン

   民放だけど6月18日の映画『デジャブ』も面白い。以前、テレビで見た映画『バタフライ・エフェクト』についてネットで見てみると、引き合いに出される映画。

<<メタフィクション(2010年2月11日の日記)

   同じくタイムスリップものだけど、こちらは数日のタイプスリップで事件を阻止するというもの。タイムスリップするのは物語の終盤だし、それが可能とするのも後の方で、徐々に明かされる情報がSFらしくセンス・オブ・ワンダーで見所だった。


6/23   教育テレビで馴染みのマンガ

   結構、NHK教育の平日20時の番組を見ている。

>>NHK福祉ネットワーク

   『福祉ネットワーク』キラキラ40’を見ていると、「コミックエッセイ劇場」でお馴染みの『ごぶさた日記 子育て世代夫婦の寝室事情コミックエッセイ』のたかせシホさんが出演されていた。夫さんの方は顔が隠されていたけど、作者さんは顔出し。美人の部類だと思う。

>>コミックエッセイ劇場


6/29   ゲゲゲ

   NHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で(原稿紛失事件を伴って)入院していた貸本出版社の社長が『ガロ』っぽい雑誌を作るという話があって、曖昧な記憶ながら当時のマンガ史をうまく取り込んだシナリオだな、と思って試しにネットを見ていたら、史実をモデルにしていたんだね。

>>連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」




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