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掲示板 件名 最新投稿

三国志漫画劉備くんファンブック(仮)


  • 2006年9月14日(木) 21:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,741
ネット  2006年7月27日にサイト「曹洪の三国志」が更新再開しネットでしか読めない漫画、「三国志漫画劉備くん」の連載も再開し、すぐに86話、87話が公開され、現在、もう90話まで公開されている。
 まったくの未見の人は騙されたと思って、先入観なしに読みすすめるのをお勧めする。

・サイト「曹洪の三国志」
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Cell/6435/

・2006年7月27日 「曹洪の三国志」再開
http://cte.main.jp/newsch/article.php/372

 そんな「三国志漫画劉備くん」だけど、実は公式ファンサイトがあるぐらい人気なのだ。

・「三国志漫画劉備くん同盟」
http://f13.aaa.livedoor.jp/~ryubikun/

 そのファンサイトで9月2日に持ち上がった企画が「三国志漫画劉備くんファンブック(仮)」を作ろうって企画。まだ企画が持ち上がったばかりなので、「本のタイトル」やら「本の方向性」やらを公募している段階。掲示板にツリーが立っているので、何かアイディアがあればそこに書き込めば良いかも。

三国志学会第一回大会懇親会


  • 2006年9月13日(水) 22:36 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,278
研究 ・三国志学会第一回大会ノート6の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/407

 三国志学会第一回大会は17時に予定通りに無事終了。
 プログラム通りだと18時から希望者は懇親会だ。
 ここで渡邉義浩先生によるアナウンス。それによると、余裕を持って17時半に終わると考え、その後の予定もその通りに組んだとのこと。懇親会の会場は大東文化大学の板橋キャンパスになるとのことなので、そこまでチャーターしたバスで移動する手順。予想外にきちんと時間通りに終わったので、30分程度、大東文化会館での待ち時間となる。

 とりあえず清岡KJさんやらUSHISUKEさんやらげんりゅうさんやらミミまろさんやらたいがあさんやらそれぞれとしゃべったりしていて時間をつぶしていた。何の話してたっけ? USHISUKEさんとKJさんが全国津々浦々に我々のような三国志ファンの集まりがあるはずって話かな。そういった草の根の集まりと連絡をとりあって連携をとりたいなぁなんて言っていた。それは必ずしもネットにつないでいる集まりではないからどうやって把握しようって話かな。清岡は実現性を考えないと前置きをおいて我々がイベントやら講演やらの巡業をすればいいんじゃない?なんて言ってた。あとミミまろさんとは清岡が手に持つ礼記の訳本を元にした話(殿下、陛下の語源をお聞きしたり)、たいがあさんとはやっぱりテイラー訳の種本の話をしていた。
 時間になって呼びかけがあったんで、地下のバス発着場に降りると、大型のバスが二台きていた。みんなで同じバスへ乗り込む。

 大東文化大学板橋校舎に到着し、案内されたところは食堂みたいなところ。「大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot」とのこと。

○懇親会(18時-) 会 場:大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot

 そこにはテーブルが10ぐらい用意されていて、みなさん、用意された荷物置き場に荷物をおいて、自由にそれぞれのテーブルへ陣取る。
 案の定、我々6人だけが一つのテーブルにかたまった。

 そして懇親会は、沈伯俊先生からの乾杯のご挨拶から始まる。
 一同「乾杯!」、そして満場拍手。
 懇親会のお料理はバイキング形式+立食パーティー形式。こういうときは清岡は話すよりも何よりも真っ先にお料理を取りに行く(汗)

 遠目で岡崎先生を見かけたので、宣和堂電網頁のオフ会の受け売りな上に冗談で、げんりゅうさんに「田中芳樹先生のこと、聞いてきてくださいよぉ」なんて言っていた(私自身、田中芳樹先生のご著作をまとまって読んでいないので実行できなかったが)。
 それから6人であれこれお話。この6人だと三国志関連のネットの話とかネット上の知り合いの話とかの話になりがち。

 それで我々6人専用と化していたテーブルへの初のお客様はKJさんのお知り合いの池田雅典さん(※清岡は初対面だったので初め誰だかわからないでいた)。今回、スタッフをされていて、あれこれ裏方のお話をしてくださる。
 その次のお客さんが11歳の女の子とそのお母さん(と思われる女性)。実は三国志学会第一回大会の会場でこのお二人のすぐ後ろに我々が陣取っていたので、どの講演でもこの女の子が熱心にノートをとっていたのを我々は知っていた。
 それで我々のところへ来た用件というのが、USHISUKEさんが質疑応答で名乗った「NPO三国志フォーラム」についてそれは何の団体かって聞きに来たとのこと。ということで代表者のUSHISUKEさんに説明してもらう……ってまだ団体の実体はほとんどない(汗) それでメンバーのサイトなどを紹介したり。「NPO三国志フォーラム」のお客さん第一号だ。
 その後、その女の子は「三国志の舞台」という本を手に作者の田中靖彦先生の元へサインを貰いに行っていた。

 その後、我々6人のところへ来たお客さんは仁雛さん。清岡とあれこれ話をした。それにしても国際シンポジウムの定義は外国人の方が参加していたらそういうことだとのこと。それから画像石を使う場合の著作権の話とか(まるまるスキャンはその絵の著者や撮影者の著作権に抵触するので駄目だけど、スケッチだとOKだとか)。あと仁雛さんとげんりゅうさんとに意外なつながりがあったことが判明。しばしお二人でローカルトークで盛り上がる。その後、仁雛さんはKJさんと三国時代の地理関連の話をされていた。

 お次のゲスト(?)はビッグなゲスト。USHISUKEさんのところへ澤章敏先生がいらっしゃる。やっぱりこれも質疑応答がきっかけになってるね。場所が遠かったので何を話していたかわからなかったけど、結構、長い間、熱心にUSHISUKEさん、聴いていたなぁ。

 19時ごろ、狩野直禎先生による三国志学会第一回大会に対する総評が入る。おっしゃるとおり会を追うごとに会員が増えると良いなぁ。

 それから誰か確認とってないけど、たいがあさんのところへお客さん。こちらもやっぱり質疑応答がきっかけになってる。
 狩野先生の総評をまたいで、仁雛さんとKJさんと熱心に話していて、さらに清岡が加わり交代し(笑)、結構、長い間、あれこれ話していた。「漢代の文物」が共同研究の成果の本だから市販されていない幻の書だったとか、画像石に異民族はなかなか書かれていないとか、学生を中国に送り込む方式(?)とかあれこれ。

 その後、また6人で話していたんだけど、ここで、たいがあさんからネット関連のビッグニュースをきく。さっそくその夜……というかオフ会への移動最中、三国志ニュースの記事にしたんだけどね。



 20時ごろ、そうこうしている間に懇親会も終了の宣言。
 帰り方の概要が説明された後、石井仁先生から締めの挨拶。
 「この席は三国演義でいうところの桃園結義」とおっしゃり場内をわかせる。満場拍手。
 その後、渡邉義浩先生が「来年は三顧の礼1800年記念でございますから、来年もお会いしたいと」と場内をわかせ、さらに「再来年は赤壁の戦いで」とさらに場内を沸かせ、解散。

 お別れの挨拶をそれぞれの人に言って、スタッフの方が先導してくれる帰り道にそれぞれ別れる。
……とそのまま6人、別れるはずだったんだけど、仁雛さんのこの後、飲みに行くのかって質問になぜか再結集する。USHISUKEさん、げんりゅうさん、KJさん、清岡、ミミまろさん、仁雛さんの6人が池袋で軽く飲みに行くことに(清岡が乗る夜行バスの出発時間がリミット)。
 スタッフの池田雅典さんが先導するままに東武練馬駅行きのバス停へ向かって歩き出し、会場を後にした。


・第3回三国志シンポジウム 雑感(2007年7月28日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/661


<次回>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/679

(中国情報局のコラム)名場面と人物で見る三国志(1)~(8)


  • 2006年9月11日(月) 12:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,306
ネット  サイト「むじん書院」の即席掲示板で気付いたんだけど、ポータルサイトの中国情報局(サーチナ、searchina)で慶應義塾大学非常勤講師の伊藤晋太郎先生による「名場面と人物で見る三国志」というコラムが月一程度のペースで連載されている。ちゃんと歴史上の話をふまえた上で三国演義に込められた意味や時代背景について触れられていて面白い。

・中国情報局
http://searchina.ne.jp/
※リンク規定をみると、トップページ以外のページには連絡しないといけないんで、例のごとくトップページだけはっときます
 上記サイトの検索フォームで「三国志」(ニュースのところ)って入力して検索してください。

○名場面と人物で見る三国志
(1)2006/06/11(日) 14:06 桃園結義と劉備:一貫して「政を為すに徳を以てす」
(2)2006/07/09(日) 14:26 連環の計と貂蝉:悪女から中国四大美女の1人へ
(3)2006/08/13(日) 17:44 千里独行と関羽:死後には神に、顕彰された忠と義
(4)2006/09/10(日) 15:20 三顧の礼と諸葛亮:劉備に指針を与えた天下の奇才


 内輪の話だけど、三国志ニュースで「三国志学会第一回大会ノート5」という記事を書いて以来、http://www.google.com/ とかからやたら「伊藤晋太郎」というワードで検索されてくる方が多かったので、どうしてかな、と思ったら、中国情報局でコラムを連載している先生だったんだね。というか、私、コラムに気付くの遅すぎ(汗)
 あと、コラムの記事中で何気に三国志学会の宣伝をしているのが何だか微笑ましい。


11月15日追記
○名場面と人物で見る三国志
(5)2006/10/08(日) 15:54:01 博望坡の戦いと諸葛亮:デビュー戦で見せた神算
(6)2006/11/12(日) 15:58:00 長坂の戦いと張飛:美男子説もある勇猛な豪傑

 最近、「張飛」とセットで「美人」やら「美女」やらの検索が続いたと思ったら、これが原因ね。

2007年1月22日追記
○名場面と人物で見る三国志
(7)2006/12/10(日) 16:36:01 赤壁の戦いと曹操:文学にも秀でた中原の覇者
(8)2007/01/21(日) 15:58:04 荊州争奪戦と周瑜:小説では割を食った設定に


<2007年5月20日追記>
(9)2007/02/18(日) 12:20 単刀会と周倉:関羽の脇侍として祀られる
(10)2007/03/18(日) 15:32 荊州失陥と関羽:独断で出陣した真の目的
(11)2007/04/22(日) 15:56 諸葛亮の北伐と姜維:小説では諸葛亮を破る
(12)2007/05/20(日) 15:02 夏侯覇の投降と張飛:張飛と曹操は親戚?

「張飛と曹操は親戚」というと三国志ファンの騒動を思い出すけど、そういうダーク面はさすがに触れられていない。当たり前か。。。

※参照記事
・2005年3月28日 別冊宝島1133 三国志 僕たちの英雄伝説
http://cte.main.jp/newsch/article.php/94

「名場面と人物で見る三国志」自体12回で連載終了とのこと。

※関連記事
・(中国情報局のコラム)「名場面と人物で見る三国志」完結
http://cte.main.jp/newsch/article.php/594

三国志学会第一回大会ノート6


  • 2006年9月10日(日) 23:34 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,640
研究 ・三国志学会第一回大会ノート5の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/405


 司会の渡邉義浩先生から狩野直禎先生の紹介が入る。狩野先生がご著作の『諸葛孔明』を書くに至ったか、のご講演とのこと。

○狩野直禎(三国志学会会長、元京都女子大学学長)「私と三国志」

 レジュメは縦書き手書きの5枚。ある意味、貴重なレジュメ。

 先祖は熊本肥後。(転勤族の)父親が初めて東京に赴任したときに狩野先生がお生まれになったとのこと。大半は京都にいらっしゃったとのこと。
 小学校5年生のときに再び東京へ転勤。夏休みに引っ越し。そういう意味で友達がいなかったので両親が佐藤春夫/著『支那文學選』(新潮社、新日本少年少女文庫14)を買ってくださったとのこと。
 ここで狩野先生が初めて三国志の存在を知ったとのこと。そこのエピソードは「天下の英雄は君と僕だけさ」「五丈原の戦ひ」など。そこの解説では三国時代は我が国の神功皇后の時代、と解説があったそうな。さらに引用した書物の簡単な解説があるとのこと。そこに『三国志演義』と『三国志』の解説があったそうな。狩野先生がこの本で印象に残ったのは「故郷(ふるさと)」と題したもの。魯迅の「故郷」を訳したもの。
 1942年3月に小学校卒業。
 当時は義務教育6年間。狩野先生は東京の中学校進学。当時の主要教科は英数國漢だそうな。現代では考えられないが漢文の授業があった。教科書は簡野道明『新修漢文』。最初は簡単だが(江戸時代に書かれた漢文)、十八史略など入ってきて、曹植「七歩詩」などがあったそうな。歴史(社会の一つじゃなく独立している。)は一年が日本史、二年が東洋史、三年が西洋史、四年がふたたび日本史だったとのこと。そのとき二年の教科書は羽田亨『中等東洋史』とのこと。仏教がらみでインド史が入ってくる程度。三国時代も当然、入ってくるが30分か1時間程度。
 1944年で中学三年生。労働に使われたりしたそうな。狩野先生は防空壕の木材を運んだりしたとのこと。そのため西洋史については勉強する機会がなかったそうな。そのうち空襲が始まる。京都に帰る。京都府立の中学に転校。戦争が終わったら終わったで車掌として労働にかり出されていたとのこと。
 その後、出師表について授業を受けたそうな(教科書、土井晩翠『星落秋風五丈原』)。祖父が手紙で書き下し文を送ってくれたとのこと。後年、狩野先生の『諸葛孔明』でその文をそのまま使ったとのこと。
 京都の高等学校に進学。高等学校の一年生は日本史、二年生は東洋史、三年生は西洋史。東洋史の授業の先生は羽田亨先生のご令息だったそうな。そのときの夏休みの宿題が内藤虎次郎『中國中古の文化』(1927年の授業が本になったものとのこと)を読むようにというもの。当時は紙は悪いし内容が難しいし読みづらいものだったそうな。感想文提出。その中の項目で「曹操の文学趣味」「曹操の矯正策」「諸葛亮の矯正策」というのがあったとのこと。岡崎文夫『魏晋南北朝通史』を読んだそうな。
 大学へ進学(当時は高等学校進学の方が難しいそうな)。狩野先生は哲学に行くか、文学に行くか、史学に行くか迷ったとのこと。結局、東洋史学へ。狩野先生は四川省に興味をもつ。那波利貞「文化史上より観察する四川省成都」(歴史と地理 十二巻五号・六号)、久村因(ちなみ)の諸論文(漢代の地名に詳しい)。大庭脩「秦の蜀地経営」(卒業論文→竜谷史壇33号、1950年)。卒業研究は蜀漢か五代十国がまよったが、結局、その両方を含む○○伝説の研究(※聞き取れず)。三国志の研究に近づく。
 1953年に大学を卒業。そのころに小川環樹・金田純一郎/訳『三国志』(岩波文庫、1953年、※三国演義の訳) 旧制大学院に進学。一切、単位なし。そのころに川勝先生の論文が書かれる。
 川勝義雄「曹操軍団の構成について」(京都大学人文科学研究所創立二十五周年記念)、その中で曹操軍団の構成は任侠的結合である、とかかれていたとのこと。同じ頃に宮川尚志先生が京大に来られる。
 宮川尚志「三国呉の政治と制度」(史林38巻1号、1955年)
 狩野先生はちょうどそのとき史林の編集委員だったとのこと。この論文の構成などをしたとのこと。
 吉川幸次郎「曹氏父子伝」(世界121~132 6回 1956年)。この中の文を読まれる。内容は、我々は曹操を三国演義的な人物像を想像するが、それは正しくない、とかそういう旨。
 1957年に狩野先生はある論文を書き上げる。それが狩野直禎「後漢末の世相と巴蜀の動向」(東洋史研究15巻3号、1957年)。その書き上げた直後に、吉川幸次郎「曹植兄弟」(新潮55巻、1958年)の連載が始まる。その後、1962年に吉川幸次郎「三国志実録」(筑摩書房)刊行。時代区分論争に関連し、「魏晋から中世なのか?」と吉川先生から三ヶ月も質問を受けた、という話。
 その後、五斗米道の話も含めた論文、狩野直禎「蜀漢政権の構造」(史林42-4、1959年)を書き上げたそうな。このころ、狩野先生は京都大学東洋史辞典編纂会『東洋史辞典』(東京創元社、1961年)の出版(下請けの仕事)に携わる。ここでいろんなことを勉強したとのこと。
 そのころから狩野先生は聖心女子大学の小林分校に就職。そこで二年間勉強すると短大の資格が貰えるとのこと。その時期に狩野直禎「華陽国志の成立を廻って」(聖心女子大学論叢21、1963年)を書き上げる。狩野直禎「後漢時代地方豪族の政治生活」(史泉22、1961年)という論文を書く。これは[牛建]為郡の張氏について書かれていて、三国時代から離れて後漢時代だとのこと。
 狩野直禎『両漢學術考』(筑摩書房、1964年)。吉川先生から言われた仕事とのこと。元は1924年の講義。後漢における老荘思想の萌芽。
 宮崎市定先生が定年を迎える。普通は定年記念で論文集ができるが、人物往来社から中国人物叢書の企画があがる。第一回配本は随の煬帝で宮崎市定先生ご自身の著。第二回配本は「諸葛孔明」で狩野先生に割り当てられる。狩野直禎『諸葛孔明』(人物往来社、中国人物叢書2、1966年)。これに書くに当たって参考にした本がレジュメに書かれている。内藤虎次郎『諸葛武侯』(東華堂 1897年)。これは劉備がなくなった時点で終わっている。つまり未完。非常に細かく優れた内容。内藤先生は三顧の礼を否定。杉浦重剛・猪狩又藏『諸葛亮』(博文館、1913年)。古本屋で購入。宮川尚志『諸葛孔明』(富山房、支那歴史地理叢書、1940年)。植村清二『諸葛孔明』(筑摩書房、1964年)。
 桑原隲藏「孔子と孔明」。これは「支那史上の偉人」というタイトルで1923年に大阪の懐徳堂で講演したときの紀要。のちに『東洋史説苑』(弘文堂、1923年)におさめられる。そこには桑原先生が「至誠一貫してその行動に一点の不純をも認めぬ」と断定。その中で中国嫌いの平田篤胤先生が「孔明の生涯の中で尤も感激に堪えぬのは、実に成敗を度外に北伐を実行して義務に殉じた時にある」と紹介されているとのこと。
 その後、狩野先生は森鹿三/編『東洋の歴史』第四巻「分裂の時代」(人物往来社、1967年)で「三国の鼎立」、「西晋から東晋へ」、「民族の大移動」の章を執筆されたとのこと。それと平行して狩野直禎『魏晋學術考』(筑摩書房、1968年、1926年の講義内容)を執筆。狩野直禎『支那文學史』(みすず書房、1970年、1908年の講義内容)を出版。これは六朝文學。狩野直禎「李固と清流派の進出 田村博士頌寿 東洋史論叢」(1968年)を執筆。これはタイトル通り三国時代の前の話。狩野直禎『「三国志」の世界─孔明と仲達─』 清水書院、1971年 人と歴史東洋5。孔明についてそれ以前に書いたので、仲達を入れたとのこと。

○質疑応答

 質疑を呼びかけたものの、特になかったので、「ご講演ということで質疑はなし」ってことで終了。満場拍手。


・三国志学会第一回大会懇親会へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/409

2006年9月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ10月号)


  • 2006年9月 6日(水) 23:16 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,989
マンガ  月刊の漫画雑誌、ミステリーボニータ(秋田書店)に連載中の「八卦の空」。三国志およびその注に載っている人物、紀玄龍や管輅(字、公明)のコンビがオリジナリティ豊かに漫画で描かれていている。
 前々号で巫炎シリーズが終わり。一区切りついて、前号が休みだったので、二ヶ月ぶりの「八卦の空」。読み切り。

・前回
http://cte.main.jp/newsch/article.php/363

 今月15日に単行本2巻の発売が控えているので単行本情報がミステリーボニータ10月号に散らばっている

・2006年9月15日「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻発売
http://cte.main.jp/newsch/article.php/362

 連載の扉絵の1ページ前には単行本情報がある。よく見ると「★厚くて評判の1巻よりさらにもっと厚くなって読みごたえもたっぷり!」とあるんだけど、1巻よりさらに厚くなるんですか?!
 あとミステリーボニータ10月号の裏表紙をめくったところがカラーのコミック最新刊情報。ここに何気なく「ふしぎ道士伝 八卦の空」2巻の表紙絵が描かれてある。これって初公開?!

 で、本編。ネタバレなくご紹介。
 表紙が劉朱姫の絵が大きく出ていて「今回はあたしが主役です!!」とか書かれていたので、おぉ他のサブレギュラーキャラが掘り下げられる?!と思ったら、よく見たらその後に「……ウソ。」って書かれていた(笑)
 とはいっても、劉朱姫は冒頭と末尾で活躍して居るんでキャラに深みがでている感じ(冒頭あたりで一瞬、テレビドラマの「トリック」みたいな展開になるかと思った)。
 初登場の陸 采美、いい味だしているキャラだなぁ。影のある出自だとか。


 本筋とは関係ないけど、それにしても管ちゃんがなぜ椎の木の上のことを知っていたのか、キャラを壊してしまうようなことを想像してしまうんだけど(汗)。まぁ、占いには鋭い観察眼が必要不可欠ってことかな。


※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/
※ここに、最近、前にもまして活発な「お絵描き掲示板」に描き下ろしイラストあり。

・ミステリーボニータ10月号に「八卦の空」 神女の恋人(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=377841


・2006年10月6日「八卦の空」(ミステリーボニータ11月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/422