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赤兎馬Presents「三国志の宴3」第1部レポ


  • 2008年6月 4日(水) 12:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    4,136
ショー ・三国志ブランド「赤兎馬」
http://www.plastic-rouge.com/souten/
・赤兎馬 Presens「三国志の宴3」三国志イベント情報
http://www.plastic-rouge.com/souten/saito/ibe/utage_2008.htm

※目次 赤兎馬Presents「三国志の宴3」レポ

 まず右手奥の控え室からステージに登場したのはMCのDJ急行さんとセラチェン春山さん。
 DJ急行さんから、赤兎馬Presents「三国志の宴3」、とタイトルコール。

DJ急行さん「下(一階)、Hey! Say! JUMP、いるらしいですからね」


と場内の笑いを誘う。その次にMCの松本キックさん登場。

松本キックさん「出てきて早々、皆様にお詫びがあります…下に居るのはHey! Say! JUMPじゃないそうです。急行くんがおもしろ三国志にガセネタを掴まされたそうです」


とさらに場に爆笑を重ねる。トークは会場のこと(地上に出たとかお台場とか)や二日でソールドアウトしたことなど言及し、場を暖める。

 そして今回のイベントの主催者である赤兎馬の柄沢さん登場。

 そして好例の「桃園結義」を模した乾杯へ。
 スクリーン三つにその文言が映し出される。これを皆で読み上げた後、乾杯(カンペイ)するといった流れ。ちなみにBGMはアニメの『横山光輝 三国志』のオープニングテーマ「時の河」(アーティスト名:FENCE OF DEFENSE)。

 「我ら天に誓う」/「我ら生まれた日は違えども」/「死す時は同じ日同じ時を願わん」/「乾杯(カンペイ)」


 前回と少し文言が違った感じ。
 えぇ、補足する必要はないと思うけど、『三国演義』「第一回 宴桃園豪傑三結義、斬黄巾英雄首立功」の「念劉備・關羽・張飛、雖然異姓、既結為兄弟、則同心協力、救困扶危;上報國家、下安黎庶;不求同年同月同日生、但願同年同月同日死。皇天后土、實鑒此心。背義忘恩、天人共戮。」ってやつね、元ネタは(とここは前回のレポのコピペ)。

 MCが好きな国を観衆に向け聞く。呉、魏、蜀、南蛮と順に聞いていく。清岡は孫堅ファンで後漢なのでどれも手を挙げず終い。それからおもしろ三国志さんへのいじりトーク。
 そして、MCにより長野剛先生の紹介がありステージへ登場。


●第1部 長野剛先生のお話

 先生の登場で、満場拍手で会場のテンションが一気に上がる感じ。

長野先生「どうも初めまして、イラストレータの長野です。宜しくお願い致します」


 その後、ステージに用意されたイスに皆、座る。
 ここでMCにより長野先生のお仕事の紹介。スクリーンに現れた『三國志』シリーズの絵を指しながら、その人物画やパッケージのイラストを描かれたと紹介。
 ここでスクリーンにおいてその絵に左から覆い被さるように出てきたのはなんとWikipediaの長野剛の項目。これには場内大爆笑! 松本キックさん「笑いすぎやぞ!」とツッコミ。ともかくそれが読み上げられお仕事が紹介される。すべて油絵だそうな。
(※今、この項目を見ると三國志V及び三國志VII以降なんだね。MCで1977年から1980年生まれと年代を限定した理由がわかった気が)

 ここでMCから質問。一番最初(※重語のまま)に描かれた「三国志」は何かというもの。長野先生曰く、○○書店(※名前失念)の三国志関係の本の表紙で劉備と諸葛亮を描いたとのこと。とにかく人物画を描きたかったとのこと。
 ここでスクリーンに長野先生のイラストが映し出されて、それを中心にトークが進む。
 初めは諸葛亮。実際の大きさはB2サイズ。(※ここでMCの人がおそらく今回、唯一コスプレしてきていた横光諸葛亮について言及していた)
 描き方はまず簡単な鉛筆のスケッチを描いてそこから資料を集めるとのこと。あくまでもリアルな絵を描くため様々なモデルとなる写真を集めるという(手のモデルとか顔のモデルとか)。集めてトレーシングペーパーに元となる輪郭を書き、クライアントに見せ、OKが出たら、そこから描いていくとのこと。
 (顔の)モデルは居たか?の質問で、例えばスクリーンに映っている諸葛亮は誰か?との問いに長野先生曰く「忘れました」。そこからタイプ別にモデルがあってという話になる。諸葛亮は優男モデルという。
 長野先生が好きな人物は関羽とのこと。その理由が三国志占いで関羽だったから、とのことで場内をわかせる。というわけでスクリーンに関羽の絵が出てくる。

MC「歯並びもすごい良いですね」
長野先生「それはこの絵を納品したときに出版社の方も言ってました」
(場内爆笑)


 勢いのある絵は気分を高めるので、描いている時の表情もそういった表情になるそうな。
 それから次々とスクリーンに絵を出していく。劉備。その絵はどうやら分冊百科『週刊ビジュアル三国志』(全50巻)(世界文化社)の表紙絵からという(※清岡は、昔、ジョージ真壁さんがその表紙をえらく気に入っていたことを思い出していた)。ここで表紙の裏話。ポスターにも使うとのこと(※さらに後年発売された『ROMAN COMICS 三国志 1 桃園の誓い』の表紙にも使い回しされていた)。
 中国の連環画を参考にしているとのこと(※道理で腹巻きタイプの鎧や小さくて堅そうな冠など『三国演義』の挿絵に出てきそうな伝統的なデザインになる訳だ、と清岡は妙に納得していた)
 コーエーさんから注文の流れは、デザイナーさんが描いた簡単なスケッチをまずコーエーの社内で確認し、そのスケッチを元に描くとのこと。
 さらにスクリーンに曹操が映し出される。長野先生は馬を描くの好きとのこと。次が夏侯惇。基本的に中国人を描くときは中国系の俳優さんをモデルにするそうな。
 次が呂布。MCから「安岡力也さんがモデルですか?」と聞かれ長野先生曰く、違うとのこと。やはり赤兎馬が迫力ある、とMC。
 次が貂蝉と董卓。MCが「これこそ安岡力也さん?」と聞いたら、

長野先生「実は安岡力也さんです」


ってことで場内爆笑と拍手。董卓だけ描いてくれと言われたが、それじゃ絵にならないんで、逆に長野先生から貂蝉を描かせて欲しいといったとのこと。しかし、『週刊ビジュアル三国志』編集側では女の人を表紙に描かない方針だったらしい(読者層に男性を考えていたため。しかし女性も多い)。結局、長野先生の提案を納得したとのこと。
 女性のモデルは複数人を合成するとのこと。ここでMCが(理想の女性を)合成することは男性誰しもあって目は広末とか、と言って笑いを誘う。その次が孫尚香。
 スクリーンには黄忠、張飛、趙雲、陸遜、典偉と続く。その都度、格好良さに歓声がわく。
 ここで『信長の野望』や『三國志』などの先代のパッケージイラストを描かれた生頼範義先生(イベント中は「生頼(おうらい)さん」と呼称)との違いの話。生頼先生の信長は無骨な感じだったが、長野先生も最初、生頼先生のイメージを踏襲していたが、コーエーさんの要望により変えていったそうな。
 顔良、孫堅。ここで馬の描き方の話。さらに長野先生の幼少時代の話。小学生のころから絵を描いていて、ある日、父親から絵の描き方の本を貰ったという。ここでMCは、お父さんがもし絵の本を渡さず藤子不二雄Aの『まんが道』を渡していたら違う方向に行っていたと言って笑いを取る。長野先生はマンガは読んでいたが池上遼一先生などの劇画を読んでいたそうな。
 仕事とは別に何か描きたいものはというMCの質問に、女性が描きたい、と長野先生。仕事で男ばかり描いているからと。ここ最近、オリジナル作品で女性をお描きになっているそうな。
 馬謖。馬謖感が出てかなり味わい深い絵。次、馬超。やはり獅子兜のやつ。連環画をベースにしているので、この兜。張遼、徐晃、[广龍]徳、袁紹と続く。その都度、場内に歓声が湧く。
 ここで長野先生が初めてコーエーさんの仕事を受けたときの話。初めは出版部。『超・三國志』の小説のカバー絵だったとのこと(※清岡は、今、発売しているGAMECITY文庫『超・三國志』のイラストとはすごいギャップで販売戦略が明確だな、と思い興味深かった)。その頃ちょうど生頼先生がパッケージイラストを降りられたので出版部から推薦もあって就任されたとのこと。
 やはり『信長の野望』と『三國志』は二本柱で、『三國志』はどちらかというと時代がかなり過去なのでアレンジのし甲斐があるという。
 関平、張苞と続く。若々しい絵。
 今はスターウォーズの仕事が多いらしい。
 そして抽選会で長野先生のサイン付きポストカードがでると告知。満場拍手。長野先生退場。14時前、第一部終了。


※次記事 赤兎馬Presents「三国志の宴3」第2部レポ


※追記 自衛隊三国志(世界文化社)

※追記 戦略と義の壮大なドラマ 三国志(2010年3月1日)

※追記 私的メモ2:三国漫画分析

※追記 リンク:中国の連環画の変遷とその描写技法

※追記 三国志英傑群像伝(2011年4月-)

※追記 長野剛「原画・イラストパネル展」(2011年10月14日-16日)

※追記 まんが劇画ゼミ 7巻(1980年2月25日)

※追記 生頼 範義 氏、死去(2015年10月27日)

※追記 アートコレクション 複製原画 三國志(受注期間2016年3月6日-10日)


(※自称「リアル」なわけだけど、清岡はどちらかというとIlya Efimovich Repinや Norman Rockwellの絵画のように一場面を切り取ったような人物配置や各人の豊かな表情に想像力を刺激されドラマ性を感じる絵を好む。そのため、『週刊ビジュアル三国志』を全冊揃えるほど長野先生のファンなRiangさんのリアクションをチラ見てしつつ脳内補正をかけていた。また衣裳や(のある)馬具を見ても、連環画をベースにしているためかリアリティを感じなかったのでやはり脳内補正)

赤兎馬Presents「三国志の宴3」レポ


  • 2008年6月 3日(火) 18:45 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,250
ショー ※前記事 第8回三顧会午後2


 2008年5月31日土曜日に赤兎馬Presents「三国志の宴3」という三国志関連のイベントが行われた。会場は東京お台場にある「Zepp東京」二階の「TOKYO CULTURE CULTURE」で前回、前々回とは違う場所。

・三国志ブランド「赤兎馬」
http://www.plastic-rouge.com/souten/
・赤兎馬 Presens「三国志の宴3」三国志イベント情報
http://www.plastic-rouge.com/souten/saito/ibe/utage_2008.htm

・[ ZEPP INFORMATION SITE ]
http://www.zepp.co.jp/

・TOKYO CULTURE CULTURE:@nifty
http://tcc.nifty.com/

※関連記事 2008年5月31日 赤兎馬Presents「三国志の宴3」開催

※追記 赤兎馬×レッドクリフ 三国志の宴スペシャル!(2008年10月10日)


●三国志ニュースでの目次

 第1部 長野剛先生のお話

 第2部 おもしろ三国志氏スーパーライブ!!

 第3部 さくら剛氏(三国志男)


ゆりかもめの新橋駅フジテレビ「Zepp東京」二階の「TOKYO CULTURE CULTURE」

 清岡は前日から夜行バスに乗り、早朝、東京入りしていた。大塚のモスでくつろいでブログ記事を書いてから、山手線→ゆりかもめで会場に向かう。ゆりかもめに乗るのは初めて。ランダム選曲のHDDプレイヤーがちょうどKRAFTWERK「AUTOBAHN」を流しており良い感じなレトロフューチャー感。
 前に座っていたカップルの女性がモノレールという単語を忘れており、ゆりかもめをリニアモーターカーと言い間違え、男性が超伝導のマイスナー効果が云々とリニアモーターカーの説明をした上でそれを否定(※そもそも新交通システムであってモノレールでもない)。女性が自らの言い誤りに気付き、すごく速いモノレールをテレビで見たから勘違いしたと言っていた(上海磁浮列車のことか?)。

※追記 メモ:コミックマーケット82 3日目(2012年8月12日)

※新規関連記事 三国志 水魚之交 リアル展示(神戸ファッション美術館2022年1月29日-2月5日)

 ゆりかもめからの風景を楽しんだ後、11時40分ごろ、青海駅を降ると、そこは小雨混じりの寒い浜風が吹く場だった。幸い黒っぽい長袖の冬服を着ていた。会場のサイトによると「「青海駅」前」と書かれていたので、すぐ辿り着けるだろうと思っていたが見事に迷う(汗)。仕方ないのでその場でノートPCで確認しようやくZepp東京に到着…と思ったら実はZepp東京の事務所がある裏側だったので表側に回り込み、ようやく(パレットタウンの)大観覧車のあるような華やかな場所に出る。そこがZepp東京2階TOKYO CULTURE CULTUREだ(写真)。
 私事ながら、ちょうどイベントの一週間前にデジタルカメラが壊れ、仕方なくお古の安物のデジタルカメラを持ってきており、さらに前回、知り合いが観客席に7人も居たんだけど(下記、参照記事)、今回は販売二日でチケットが売り切れたこともあって、知り合いで誰か一般参加するとは聞いておらず、一人で見るだろうということもありテンションが下がりまくりだった。

※参照記事 「三国志の宴2」が始まるまで

 会場前で気を取り直そうと、すでにできあがっていた行列に混じろうとしていると、後から「清岡さん!」と声をかけられる。誰だと思って声の主の方を見ると、そこには知り合いのRiangさん。確か、チケット販売日に国内には居ないと聞いていてチケットを取れていないとばかり思っていたが、どうやらRiangさんの知り合いのぱっつんさんがチケットを余分に押さえていたそうな。その場にはさらにぱっつんさんの知り合いの闇月さんがいらっしゃって、そのグループに参加させて貰うことになる。
 12時に開場するもスタッフの事前の説明通り整理番号順に会場入りすることとなった。先行し36番の清岡と40番のRiangさんが場所取りをすることとなる。会場は真ん中の北側が出入り口でその向かい側の南側にステージがある。東西に長細い会場で、南側の壁に三つのスクリーンがある(ここらへんは上記TOKYO CULTURE CULTUREのサイト参照)。そんな構造なものだから、ステージに真っ正面の席はない。それでなるべく正面に近いところに陣取ろうとするものの、すでに向かって右側はほとんど埋まっていたが、幸い左側が空いていた。なるべく正面に近い角度にしようと、Riangさんと共に左すぐのテーブルの一番、北側の四席をとる。下記のような配置。

窓        闇月さん   清岡
窓 
窓  Riangさん | テ ー ブ ル | →ステージのある南側

柱        ぱっつんさん

 前回は地下の会場だったので、暗く落ち着いたイメージがあったんで、清岡は黒っぽい服を着てたんだけど、実は今回の会場は北側がすべて大きな窓になっており明るい会場となっていた。
 テーブルには伝票とそのホルダーやチラシがあり、ワンドリンク制とのこと。とりあえず清岡は金欠だったので、アップルジュースを頼み、食べ物を特に頼まなかった。
 チラシの中にはフリーペーパーの『三国志新聞』(月一発行の第二号)があって、事前に知っていたとおり、傅僉さんの記事「三国志に学ぶビジネス処世術」を確認。あと発行元のサンクチュアリ出版がこの新聞への寄稿を求めているので興味ある方はどうぞ。サンクチュアリ出版へのメールでも受け付けている。

・英傑群像(三国志エンターテイメント 情報&グッズ)
http://www.chugen.net/
・「三国志新聞」第二号発行  (※ブログ記事)
http://sangokushi.chugen.net/633/index.html

※関連記事 さくら剛/著『三国志男』(2008年5月12日)

 あと映画『レッドクリフ』のチラシがあって、それを見たRiangさんが2008年10月の公開日に場所は別々でもみんなで見に行って、一斉にブログで感想を書くというアイディアを披露していた。
 あと好例のイベントのアンケートがあって、今回の質問は「1 何がきっかけで三国志を好きになりましたか?」/「2 一番好きな人物は誰ですか?(理由も)」/「3 父親にしたい三国志の人物は?(理由も)」/「4 行ってみたい三国志の史跡はどこですか?(理由も)」/「5 三国志が好きで得した事は?または損した事は?」/「6 赤兎馬に期待する事は何ですか?(出して欲しいアイテムなど)」/「7 「三国志の宴」に呼んで欲しいゲストはだれですか?」/「8 ご意見その他メッセージなどございましたらお書き下さい。」となっていて、前回、アンケートを出しそびれたので、忘れた漢字を手元のノートPCで調べるほど、今回は気合い入れて書いていた。だけど、できあがったアンケートの回答があまりにも空気読めない感アリアリのイタい出来だったので、残念ながらそのまま畳んでカバンに収納する。例えば6の回答が「三梁の進賢冠武冠などのアイテムを出して欲しい」とか(汗)

 そうやって開演の13時までくつろいでいると、知り合いのUSHISUKEさん来場(※清岡とは2007年8月14日の第7回三顧会以来)。おぉ、チケットとれたんだ。来るとは知らないものだから特に近くに席をとっておらず残念ながらUSHISUKEさんは舞台向かって左奥へ離れて座ることとなる。しばし挨拶。
 会場は前回と違って席がナンバリングされてあり、きっちり決められているようで、こりゃTOKYO CULTURE CULTUREのサイトにあるように、定員が118名ぐらいなのかな、という印象を受けた。

 会場の三つのスクリーンには『中国歴史ドラマ 関羽』っぽい映像が流されており、その中で出てきた張遼に皆、笑い声と共に騒然となっていた(イメージと違ったようだ・笑)。
 13時前になるとスタッフが大きな窓すべてをカーテンで塞ぎ、大音量の音楽が流れいよいよ開演といった雰囲気となる。


※次記事 赤兎馬Presents「三国志の宴3」第1部レポ

DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱- 5(2008年5月10日)


  • 2008年6月 3日(火) 18:23 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,511
マンガ 気付かずスルーしていたんだけど、nini/著『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』5巻(590円)が2008年5月10日に発売していた。
このマンガは月刊の『コミックブレイド』(株式会社マッグガーデン)で連載されている「関羽が張飛が女の子!?三國志のネオスタンダード!」というマンガ。
以下、作者サイト、掲載誌サイトを続けて紹介。


・DELTA_online
http://nini.sakura.ne.jp/
※作者のサイト

・コミックブレイドオンライン
http://www.mag-garden.co.jp/comic-blade/top.html

それとコミックブレイドオンラインの2008年7月号(2008年5月30日)の次号予告ページ(つまり2008年8月号のこと)を見ると
--引用開始---------------------------------------------------------
 ■美少女三国志の結末や如何に!!!
   動乱の物語の結末は!? ラストまで目が離せない!!!
    巻中カラー!
  DRAGON SISTER!-三國志百花繚乱-
                          /nini
--引用終了---------------------------------------------------------
となっており、もしかして、もうすぐで終わるの?

※関連記事
 『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』情報

※追記 『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』最終回(2008年7月30日)

※追記 DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱- 6(2008年10月10日)

扶助会構想


  • 2008年6月 1日(日) 10:30 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,324
ネット  昨日、イベントが終わった後、清岡はUSHISUKEさんと二人で清岡の行きつけ(?)の新宿の24時間営業モスで話し込んでいた。
 まぁ馴染みの二人が揃うと大体、話題が三種類ぐらいに収束する。一つ目が近頃の三国志ファン層の動き、二つ目が自分達でこういうことをやれば面白いんじゃないかという(実現性はともかくとした)アイディアの話、三つ目が自分達各人が日常生活において、うまく趣味に時間を割く方法やいかに趣味へのモチベーションを維持していくかといった足元の話となる。大抵、三つ目の話題は(結果的に)結論の出ない発展性のないテーマだと自覚し口に出すほどなんで(そして互いの近況報告に終始する・笑)、一つ目と二つ目に話題が集中する。

(※あと三つ目について、たまたま清岡が最近読んだ、岡田斗司夫/著『プチクリ 好き=才能!』を読むことを薦めた)

 一つ目の話題で出ていた一つに、招待制で会員を募るSNSである「mixi」の中にあるコミュニティの三国志関連について。三国志関連で活発で規模が大きいコミュニティが(一つの作品のファンに限定しても)結構、多い。その代表例として「総合三国志同盟」というコミュニティを話題に取り上げていた。
(例によって清岡はノートPCを持っているのでその場で、このコミュニティを二人で見ていた)

・総合三国志同盟 (mixi内。会員でないと見ることすらできない)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=695478

<9/24追記>

・総合三国志同盟WEB
http://s-sangokushi-d.com/


※追記 mixiコミュ「総合三国志同盟」の勉強会

<追記終了>

 清岡は2005年ぐらいに、これから先はPCブラウジングより携帯の方が活用され、相対的にPCブラウジングでファンが交流することはメジャーではなくなるのではないか、と思っていたが、まさかSNSが台頭してくるとは思っていなかった。ここで話題に出しているmixiはPCブラウジングだけではなく携帯もフォローしているし。

 話を戻し、コミュニティ「総合三国志同盟」に参加していない私から見ると、常に大人数の集まるオフ会を年に何度も開いていること、中には有名な先生を呼ぶオフ会もあること、それだけではなく「勉強会」と称する筑摩書房の『三国志』訳本(コミュニティでは「正史」と呼んでいる)をみんなで読む催しがあるなどに目が行き、かなり活動的なコミュニティに思えていた。
 中でも「勉強会」は何か想像力を刺激されるような心地で面白いと感じていた。

※追記 三国志フェス2010(2010年8月21日土曜日)

(※ただ「正史原理主義」というような単語が頭に過ぎるような、ヒエラルキーができる素地あるいは権威主義に行き着くんじゃないかという危険性を感じたけど、それは過剰な自戒から来る穿った私の視点により目に映る像をゆがませてしまったためだろう)

(※余談だけど、一晩眠ってふと思い付いたんだけど、素人目に見て、有名な先生を呼ぶオフ会もしくは勉強会は『BS熱中夜話』の取材対象に似合いそうだね。VTRでその様子を流した後、スタジオにはゲストとしてその先生とオフ会あるいは勉強会の参加者が居てコメントを言っている光景が目に浮かぶ)

 ここで具体的な話題から一旦、離れ一般的な話になる(先の話とは無関係)。
 ファン同士が交流しグループを形成した場合、そのグループ内で交流が活発になればなるほど、一見さんお断りみたいな雰囲気になり(参加しても文脈を読めず疎外感を感じる)、グループ外からの新規のファンがそのグループへ参加しづらくなる(いやこれを回避しているグループはあると思うけどあくまでも一般的な話ね)。新しいメンバーができなければ、グループ全体が老化していく一方になり(徐々にグループ内のファン一人一人が飽きてそのジャンルから離れていく)、やがてそのグループは自然消滅していく。そういう光景は、ネットでは結構ありがちだな、という話をしていた(良い悪いとは関係なく)。

(※この話題の背景に、昨日一日でどうも私は三国志ファンのマジョリティ層と三国志について意志疎通ができなくなってしまっているのではないか、という自覚が生じたことがある。つまり私自身は新規のファンを迎え入れる姿勢ができていないという自覚すらなかった・汗)

 ここで少し具体性を取り戻し、例えば初めてオフ会に参加するケースを想定する。
 何もきっかけがない状態でオフ会に初めて参加することは敷居が高い、という話になる。言われてみれば、USHISUKEさんは三国志シンポジウムの後にあったオフ会で初めてオフ会に参加したということで、そういう意味では三国志シンポジウムという大きなイベントはオフ会に参加する良いきっかけになっていた。別ジャンル、例えばあるアーティストのファンのオフ会というと、清岡の経験上、そのアーティストのライブが終わった後、みんなで飲みに行くといった流れ(オフ会のことを前もって知らなくても顔馴染みが居ればそれに付いていける)のオフ会があるので、そこではライブが良いきっかけとなっている。
 だとすれば、こういう何か良いきっかけがあれば、グループにある新規参入しづらい雰囲気をある程度、緩和できるんじゃないか、という話になる。初めはその良いきっかけを例えば映画「レッドクリフ」など既存のものに求めていたけど(そういや、藤井斉成会有鄰館オフで聞いた腸詰めの話を今、思い出した)、よくよく考えたら先の「勉強会」のように自分たちで何か催すのもありだなという流れになる。

 ここからはオフ会のためのきっかけという話は忘れ去られ、自分たちで何か催すというテーマになる。つまり冒頭にある一つ目から二つ目に遷ったということ。別ジャンル、例えばある海外ドラマのファンやプロレスファンのグループだと、結構、上映会みたいなものが開かれている。オフ会のような双方向なやりとりではなく、「上映会」の多くは一方向的なもので観客に徹することができるだろうから(私自身、一回しか参加したことがないのでここらへん想像)、オフ会に比べ気兼ねせず参加しやすいだろう。これを三国志ジャンルへ導入するとなると、既存の三国志関連の映像作品を流すことになるんだけど、著作権や版権の問題をクリアすることは難しいだろう。それに替わるコンテンツは何だ?って話になる(そういや先の「勉強会」は言ってみれば『三国志』の訳本がコンテンツに相当するよな、という話もしていた)
 そうすると、講演をしてくださる先生を招聘すれば良いってことに行き着くんだけど、非営利だし規模的に講演料みたいなのは払えないし、そういうコネクションもないし難しいと話す(冗談で、参加者が地元から地酒を持ちあって、先生にプレゼントすればOK、なんて言ってた・笑)。また、先生じゃなくとも、毎回、講演できる三国志ファンが毎回、順繰りに講演していくのもいいかもしれないが、発表者の人数と各自が持つネタが限られさらには発表者に負担がかかるので、それだけだとすぐ停滞してしまいそうに思えた。

 そこで思い付いたのが本題の「扶助会」。参加者が三国志に関する疑問や課題を持ちあって(予めネットで示しておく。当日持ち込みもあり)、順々に解決していく催しだ(とまるで「三国志ファンのためのサポート掲示板」のオフライン版だ、と自己ツッコミしたが・笑)。それは各自バラバラに行うのではなくて、誰か司会を立てて意見を集めながら進める。予め疑問や課題にあった文献を用意し持ち込むことは歓迎するけど、基本的に予習は禁止。「扶助会」外で拘束し時間的な負担をかけさせたくないし、その場のライブ感を味わって貰う。解決するにこしたことはないが解決が目的というよりその過程や手段を見せる感じ。もちろん「○○が亡くなった日は?」→「知られていない」というような過程を見せる間もないほどの即答ということはありうるが、それは○○が亡くなった記述を示したりとフォローする過程で見せる。
 これだと参加への敷居が高いので、観客席(ROM席?)みたいなのを用意し、気兼ねなく参加できる場をつくる(気が向けばその場で観客席からのコメントやツッコミもOK)。会場は郊外の場所代が安い会議室(地方自治体系?)を使えばよいかな。初期のころの参加費はその場所代や飲み物代の割り勘になるだろうね。
 また箇条書きで簡単な議事録をつくって参加者のお土産に持って帰って貰う。別のところで話のネタにもなるだろうし、次への持ち越しネタへの復習にもなる。
 先のmixiのコミュニティのように、mixiという大きな消費母体があるわけでもないので、この「扶助会」はプロモーションの困難さが予想される(「扶助会」オンリーというより冒頭で発表を入れるのもいいかも)。初めは首都圏で開催し軌道に乗れば全国展開もありだね。
 何回かに一回、は誰か著名な先生を招聘し講演して貰い、「扶助会スペシャル」を行うのもよいかもね。

 あと以下は個人的な考えだけど、「過程を見せる」としたのは、知識を蓄えることよりノウハウや技能を重視し、「扶助会」の外で、似たような疑問や課題が生じた場合、議事録を参考にし自己解決できるようになれば良いなという思いからだ。

(※ネットのコミュニティを見てまわると、自分で調べようとまったくせず、質問だけ掲示板に書き込み、その回答書き込みに関しても簡素なお礼書き込みだけで理解の進度を表明せず、結果、次回への回答者のやる気を殺ぎ、まるで質問者が自らのエゴで回答者を振り回しているような光景をみかける。知識の蓄積(結果を求めること)を重視すれば「扶助会」もこういうことに陥るのかな、と思ってしまう)


※2008年6月1日10時29分、中央特快にて。オフ会参加前なのでお粗末ながら慌てて一通り書き終える。後で書き直しや書き足しをする予定。

※追記 メモ:三国創作のための扶助会


※以下、この記事の本編に影響することない一発ネタ。
「扶助会」にさらに専門分野に特化した支部会を作る。そこでは参加者が疑問に感じる三国志の人物を持ちあって、順々にその人物が演算子の前にくる人物なのか、後にくる人物なのか、あるいは演算子の前と後での可換性があるか論じ合い、解決させるというよりその過程を見せることを重視する。題して「扶助支会」。

メモ:三国志ジャンルにおけるデータベース消費


  • 2008年5月31日(土) 10:38 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,800
研究 <2012年1月28日追記>
アクセスログを見ると、ネットで「データベース消費」と検索するだけでリンクを辿ろうとしない、あるいは検索語句を調整しない、ネットリテラシーの低い人が多いので、お節介にも出典とそこからの引用を以下に追記しておく。

東浩紀/著『文学環境論集 東浩紀コレクションL』(講談社)P.570より
--引用開始---------------------------------------------------------
「データベース消費」とは、個々の作品やデザインがさまざまな要素に分解されたうえで、作品という単位への顧慮なしに直接に消費され(たとえば原作は読まれないのにキャラクター商品だけは売れ)、ときに消費者の側で再構成されてしまうような消費様式を意味する。
--引用終了---------------------------------------------------------

※追記。アクセスログを見ると、2012年07/27 (金) 00:57:14から不特定多数のIPアドレスから「データベース消費 三国志」とか「データベース消費 漫画」とか検索語句があるが、早稲田あたりでレポートでもでているんだろうか。07/30 (月) 16:50:35に「データベース消費と物語消費 についてのレポート」というそのものズバリの短絡的な、知性のかけらもかんじられない検索語句があったし。そんなリテラシーの低さだと、その結果はきっと評価点も低いことだろう。
<追記終了>

 以前、メモ的な記事を書いたとき、冒頭で、とあるブログの影響を受けたと書いたけど、そのブログでよく引用されていたのが東浩紀さんの著作。そこで同著の『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生 : 動物化するポストモダン2』『網状言論F改』『波状言論S改』を続けざまに読んでいる(※そういや関係ないけど、第7回三顧会で玄鳳さんが持っていた書籍は『三国志』の訳本以外だと東浩紀さんの著作だったね、確か)。
 というわけで以下、その影響を受けつつ三国志ニュースの「公式サイト」の記事を参考にしたメモ。


 よく耳にする言い回しとして「三国志という物語」とか「三国志 あらすじ」とか「三国志、その後」とか「三国志の結末」などがあり、『三国志』が一つの「大きな物語」であると誤認されている証左なのだろう。しかし、そもそも今の三国志ジャンルの大元である史書の陳寿撰『三国志』(成立:紀元280年以降)自体、一つの「大きな物語」なのではなく、王や皇帝など君主ごとに記述された本紀と、臣下ごと(一部、民族ごと)に記述された列伝の集合体であり、いってみればデータベース的側面を持っている。また『三国志』は『三国志』魏書袁紹伝に「語在武紀」(語は武帝紀に在る)、または『三国志』魏書呂布伝に「語在卓傳」(語は董卓伝に在る)とあるように他の列伝の箇所に触れることもあって、あたかもあるデータが別のデータへリンクしている箇所があり、その側面を浮き彫りにしている。
 『三国志』には本紀と列伝のみだが、他の史書、例えば『史記』には、さらに諸侯ごとに記述された成家、制度ごとに記述された書(他の史書、例えば『後漢書』や『晋書』では志)、年ごとに記述された表があり、データベース的側面が強くなっている。
 さらに『三国志』の裴松之の注は言ってみれば関連情報・詳細情報へのリンクなんだろう。また『三国志』と記述されている人物が多く共通する『世説新語』や『捜神記』などの文献はエピソードごとに収録されたデータベースとも言える。

 時代が下るとこういった簡牘や紙をメディアにしたもの以外にも、三国志関連の講談や雑劇など、生身の声や動作(楽器演奏も)をメディアとしたものが出てくる。これらはどちらかというとエピソードごとにまとめられている(※講談に関してはほとんど知らないので、こう言い切れる自信はないが)。

 さらに時代が下ると紙のメディアの『新刊全相平話三国志』(成立:紀元1321-1323年)や羅貫中/作『三国演義』(成立:14世紀)など、三国志関連を一つの「大きな物語」にまとめる動きが出てくる。
 それらの中で『三国演義』は淘汰されず、多くの人によりバージョンが変えられつつ(挿絵も入るようになり)写本あるいは出版し続けられた。

 この「大きな物語」の『三国演義』は日本にも輸入され、『三国演義』を日本語に翻訳(?)した湖南文山の『通俗三国志』(成立:紀元1689-1692年)が刊行された。
 そのため、江戸時代中期の日本では、輸入された『三国演義』を読む層、『通俗三国志』や『三国演義』のダイジェスト本を読む層、三国演義関連の歌舞伎や浄瑠璃や講談などで物語を楽しむ層の三つの消費形態出てくる。三番目の層の物語を楽しむ層は言ってみれば「大きな物語」からエピソードを切り出す消費形態の走りだといえる。

※参考記事 2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2

 三番目の層の補足として、下記、参考記事によると詩文、川柳、掛け軸などがあったとのこと。エピソード以外にも「大きな物語」からさらに多角的に細分化して切り出し創作を加え消費されている。

※参考記事 第3回三国志シンポジウム 雑感1

 日本では『通俗三国志』が出版され消費され続け(時には挿絵も入るようになる)、それとは別に明治時代に入ると『三国演義』も出版されるようになる(これも上記参考記事の受け売り)。

 1939年8月から1943年まで『中外商業新報』(新聞)において、『三国演義』を元にした吉川英治/著『三国志』(小説、以下、吉川『三国志』と表記)が連載され、後に書籍にまとめられ、それが現在に至っても消費されている。
 日本人の手で、『三国志』を大元として『三国演義』を日本語でリライトした三国志関連の「大きな物語」としては20世紀の日本において代表的な作品となっている。
 これに、三国志関連の小説として1966年から1968年まで『週刊現代』で連載された柴田錬三郎/著『柴錬三国志 英雄ここにあり』(小説)、1974年の陳舜臣/著『秘本三国志』(小説)が続く。
 後者の『秘本三国志』は『三国演義』や『三国志』以外にも『後漢書』を参考にしており、『三国演義』の「大きな物語」とは異なる部分が多い。

 こういった小説としての「大きな物語」の消費形態から新たに漫画としての消費形態が提示された。それが1972年1月から1987年3月まで連載された横山光輝/著『三国志』(漫画)である。これは吉川『三国志』とストーリーが似ている。
 さらには1982年10月2日から1984年3月24日までNHK制作の『人形劇三国志』がTV番組として放送され(人形を使った劇の放送、『三国演義』が原作となる)、三国志関連の消費形態が小説に留まらないことが示された。
 横山光輝/著『三国志』および『人形劇三国志』はこの頃の日本(1980年代?)の三国志ブームを支えていた。

 このブームの中、それ自体が「大きな物語」という枠組みに収まらない消費形態が出てくる。それは1985年12月に発売された光栄(現コーエー)/制作『三國志』(PC88用シミュレーションゲーム)である。
 これはシリーズ化され現在、11作目まで発売されており、そのどれもイベントと呼ばれる断片的なストーリーはあるものの、基本的に幹となるストーリー、つまり「大きな物語」はない。またゲームであるため、登場する人物の特性はパラメータ化されており、その多くは消費者(プレイヤー)に明示されている。その消費形態故に三国志関連の様々な事象をデータベース的に解体する必要があったと言える。
 ここに日本の三国志関連において「大きな物語」に頼らなくとも消費できるという構造の始まりを見て取れる。

 とは言っても、三国志ブームの盛衰に影響を受けるものの、「大きな物語」の枠組みに収め消費する構造は三国志ジャンルにおいて依然、健在であり、1990年代に入ってもなお、様々なメディアでその多くが『三国演義』を基板とした作品が生産され消費された。
 1991年から1992年まで横山光輝/原作『横山光輝三国志』(アニメ)が放送された。
 1994年、中国中央電視台/制作『三国演義』(TVドラマ)が制作された。
 1994年10月から2005年11月10日まで王欣太/著『蒼天航路』(漫画)が『週刊モーニング』(講談社)で連載された。これは『三国演義』以外にも『三国志』等の史書も参考にされている。
 1996年11月から北方謙三/著『三国志』(小説)が発表された。
 1998年7月25日から2007年5月28日まで諏訪緑/著『諸葛孔明 時の地平線』(漫画)が『隔月刊プチフラワー』に続き『月刊flowers』(共に小学館)で連載された。
 これらは何らかの形で1990年代の三国志ブームを支えたと言える。

※参考記事 第8回三顧会午前1 ※リンク先のページの終盤にある


 これとは違う流れとして別ジャンルの要素を三国志ジャンルに合わせる消費形態がある。例えば、1985年7月25日発売の雑誌『小説June』に掲載された『わが天空の龍は淵にひそみて(前編)』、後の江森備/著『私説三国志 天の華・地の風』(小説)はJune系の要素を三国志ジャンルに導入し(もしくはJune系のジャンルに三国志ジャンルの要素を導入し)、結果的にそれまでの三国志ジャンルの外にあった消費層の需要を開拓した。
 もう一例としてスーパー歌舞伎の要素と三国志ジャンルの要素を合わせた作品に1999年4月に初演された松竹/制作『スーパー歌舞伎 新・三国志』を挙げておく。

 さらには1990年代に流行した対戦格闘ゲームの要素を三国志ジャンルに導入した作品が1997年2月28日に発売されたコーエーのオメガフォース/制作『三國無双』(プレイステーション用ゲーム)であり、対戦格闘ゲーム由来と思われるキャラクターを特徴付ける要素が大きく導入されている。さらに言えば、ゲーム上のキャラクター(もちろん歴史上の人物と同名)に『三国志』や『三国演義』等の伝統的な由来の要素(武器に諸葛亮が羽扇や関羽が青竜偃月刀を持つ等)以外にもオリジナルの要素もしくは他のジャンルから影響を受けた要素(降ろした長髪の周瑜や各人の服装等)を組み入れており、あたかもキャラクターごとのデータベースを構築しそれを消費させるという形態をとっている。

※参考記事 「ビジネスにおけるキャラクター活用」にて1

 この『三國無双』は1対1の対戦格闘ゲームの枠内から多人数対多人数のタクティカルアクションゲームに進化し、戦場(ステージ)の概念を取り入れ2000年8月3日に発売されたコーエーのオメガフォース/制作『真・三國無双』(プレイステーション2用ゲーム)になる。これはステージごとのデータベース的側面を有していると言え、やはりゲームの特性上、伝統的な由来の要素以外にもオリジナルな要素が加わっている。これが流行し2000年代前半の三国志ブームの支えとなった。

 かといってデータベース消費がメジャーになったというわけではなく、「大きな物語」という形でも作られており、例えば、従来のように『三国演義』を基板にしたものではなく『後漢書』や『三国志』などの史書を基板とした作品として、2001年4月10日から『文藝春秋』で連載が始まった宮城谷昌光/著『三国志』(小説)が挙げられる。この小説は地の文で(著者視点で)たびたび『後漢書』や『三国志』を引用するといった、まるでデータベースにアクセスしリンクするというような手法がとられている。尤も『三国志』と銘打たれた作品内で、同名の『三国志』から引用することは不可解な現象には違いないが。

 1990年代から流行している分冊百科に三国志ジャンルの要素(主に『三国演義』)を導入したのが、2004年3月25日から2005年3月17日まで週刊で発売された分冊百科『週刊ビジュアル三国志』(全50巻)(世界文化社)である。実質はともかく(雑誌と区別がつきにくい)、分冊百科と銘打っているため、分冊に百科(各コーナー)を入れていくという手法はまさにデータベース消費的な枠組みに入っているだろう。

 漫画においても「大きな物語」という形で作られており、2004年9月10日から『ビッグコミックスペリオール』(小学館)で連載が始まった武論尊/原作・池上遼一/作画『覇-LORD-』(漫画)が挙げられる。これは『三国演義』を基本の流れとし各所で奇抜な設定(例えば、主人公の倭人が劉備に成りすますことや、呂布と趙雲(作中では女性)との子が関平とか出てくる。)を導入している。

※参考記事 第3回三国志シンポジウム 雑感11


 また2005年1月28日から2007年5月28日まで三国志漫画専門誌の隔月刊『コミック三国志マガジン』(全15冊)(メディアファクトリー)が発売される。掲載作品がすべて三国志関連であるため、必然的な結果として各作品は互いに差別化を図り特色を出すため、他のジャンル(対象は主に漫画内ジャンル)から様々な要素を取り入れるようになっていた。時事ギャグ漫画、スタイリッシュなギャグ漫画、学習漫画、劇画、水墨画調漫画、ファンタジー漫画等。「大きな物語」の形を為そうとした漫画は少ないため、全体として様々な他ジャンルから輸入したデータベース消費的側面が強い。

 2005年3月15日からセガ/制作『三国志大戦』(アーケードゲーム、リアルタイムカードアクション)の稼働が始まる。三国志の人物(キャラクター)一人一人がそれぞれカードになっており、筐体上で手持ちのカードを実際に動かし、画面上(ゲーム上、ソフト上)の対応した人物に指示を与える仕組みになっており、ネットワークを通じ全国の誰かと対戦できるようになっている。『三国志大戦』に先んじて同社よりサッカーのトレーディングカード『ワールドクラブ チャンピオンフットボール ヨーロピアンクラブス 2005-2006』が出ているため、三国志ジャンルにこのサッカーゲームのシステム(要素)を導入したともいえる。
 『三国志大戦』において、人物のカードに『三国志』や『三国演義』に由来する人物紹介文以外にゲーム特有のパラメータの他、様々なイラストレータによる人物の肖像画(というよりイラスト)が載せられている。複数のイラストレータの手によるため全体として統一感はないものの、、様々な他のジャンルの要素を各々取り込まれカード一枚一枚(キャラクター一人一人)が特徴付けされているため、もはや『三国志』や『三国演義』由来の特徴(要素)が希薄になっているキャラクターも多い。さらには各キャラクター固有の音質でゲーム上(ソフト上)の動作に応じ内容の異なるセリフが再生され、そのキャラクターのイメージが補足され拡張されている。
 ここで特筆することとして、『三国志大戦』がキャラクターごとでデータベース消費されていること以外にも、従来の三国志関連ゲームではあくまでもソフト上のことだったデータベース的側面が、カードという形でキャラクターごとに顕在化(物質化)したことが挙げられる。これによりソフト(ゲーム。ここでは筐体)を介さない消費が可能となり(例えばカードのトレード)また消費意欲を刺激し、総じて従来のゲームよりデータベース消費を促進させている。
 さらに『三国志大戦』の続編の『三国志大戦2』から既存の三国志関連作品からのキャラクターを導入し、まさに既存作品をデータベースに取り込み、該当する作品の消費層の需要を開拓している。
 こういった商業的成功(大量に消費された)により『三国志大戦』は2000年代後半の三国志ブームを支えていると言える。
 もっとも『三国志大戦』に先んじ、コンピュータを介さないものであれば、やのまんの『三國志 赤壁大戦』『マジック・ザ・ギャザリング』の「ポータル三国志 日本語版」などトレーディングカードゲームは存在していたものの、商業的成功という点では『三国志大戦』ほど有意とは言えない。

 こういった三国志ジャンルにおけるデータベース消費の例として、他には2007年6月15日からキャラクターごとに製品として発売されている『BB戦士 三国伝』(玩具、プラモデル)が挙げられる(キャラクターを複数同包させたセット販売もある)。これはBB戦士(あるいはSDガンダム)という「大きな物語」からデータベース的に取り出した様々な要素と、三国志ジャンルという「大きな物語」からデータベース的に取り出した様々な要素とを各々、合わせ形成されている。具体的にはBB戦士(あるいはSDガンダム)のキャラクターをあたかも役者として扱い、それぞれ三国志ジャンルのキャラクターを役として演じさせる構造となっている。例えば、ZZガンダムが関羽を演じ、サザビーが司馬懿を演じている。『BB戦士 三国伝』の製品としてのキャラクターは、さらに武器、鎧、さらには手足を分離させることができ、さらには他のキャラクターと融合させ新たなキャラクターを自由に創造することもできる。それはあたかもデータベース(データ群)からデータを取り出し新たなデータベース(データ群)を作り出す過程に似ており、それがソフト上のことではなく顕在化(物質化)したものであるため、さらなる消費意欲を刺激するものであろう(※メーカーの狙いはともかく、私は対象となる消費者に聞いたわけではないため実際は不明)。
 またこれらの消費形態のイメージを補佐し拡張する販売戦略としてメディアミックスの手法が用いられている。具体的には雑誌でマンガを連載させたり、インターネットの公式サイトや各種ホビー雑誌で様々な情報を載せたり、店頭で主題歌付きのアニメーションを流したりすることが挙げられる。

※関連記事 三国伝年表公開(2007年11月9日)


※2008年5月31日10時39分、モス大塚駅北口店にて。イベントに一般参加する前なのでお粗末ながら慌てて一通り書き終える。後で書き直しや書き足しをする予定(少なくともリンクは足す)。


※追記 メモ:三国志ジャンルと消費2