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メモ:武冠のあみあみ


  • 2007年2月 8日(木) 21:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    5,938
歴史
透彫香炉のパターンのスケッチ武冠のスケッチ。色はテキトー
 ここ三国志ニュースでは複数人でブログ記事を書き込めるようになっていて、一人一人がそれぞれプロフィールを書き込むことができる。プロフィールにはいろんな項目があるんだけど、その中に画像を入れるところがある。ここに顔写真とか個性的な絵とかを入れるってこと。
 以前まで上の二つの画像のうち左の方をつかっていた。これは2005年1月に大阪であった中国国宝展に展示されていた「透彫香炉」(前5-前3世紀)の透かし彫りパターンの一つを抜き出してスケッチしたもの。元が青銅なのでこんな色にしてみた。

・中国国宝展(他サイトのレポート)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w050923.html

 ごく一部ですごく好評だったこの画像もそろそろ飽きてきたんで、変更となる。それが下の方の画像。Adobe Illustrator CSで描いている。
 この元ネタは林巳奈夫/著『漢代の文物』に載っている、「人文研寫眞」から引く陶俑のスケッチ。つまりスケッチのスケッチってところだろうか。但し、「漢代の文物」は同じスケッチが二カ所、載っていて両者とも白黒だが、片方の[巾責]の部分(私のスケッチでいうところの赤い部分)はグレーで着色が施されている。そのグレーは印刷がもともと白黒だからなんだけど、カラー印刷だとそこは赤色になるんだろう。
 実際、私は似たような陶俑を何体も、京都でやっていた特別展「陶器が語る来世の理想郷 中国古代の暮らしと夢─建築・人・動物」で2006年4月に見ている。

・中国古代の暮らしと夢
http://cte.main.jp/newsch/article.php/317

 赤い[巾責]は漢代の武吏の標準的なかぶりものであることが沈従文ら/著「中国古代の服飾研究 増補版」で指摘されており、以前、別のサイトの掲示板に書き込んだ。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=72

 プロフィールの画像の[巾責]は良いとして、その上にのっているあみあみ。一体これはどんな材質でできているの? とか疑問がわいてくる。まず基本となる続漢書の輿服志をあたる。

 続漢書の輿服志に書かれてある、

武冠、一曰武弁大冠、諸武官冠之。侍中・中常侍加黄金[王當]、附蝉為文、貂尾為飾、謂之「趙惠文冠」。

<テキトー訳>
武冠は一に武弁大冠と言われ、諸々の武官がこれを冠する。侍中と中常侍は(これに)黄金の[王當](みみだま)を加え、蝉をつけて文様とし、貂尾を飾りとし、これは「趙惠文冠」といわれる。

 さらに晋書の輿服志をあたると

武冠、一名武弁、一名大冠、一名繁冠、一名建冠、一名籠冠、即古之惠文冠。

<テキトー訳>
武冠は一に武弁と名付け、一に大冠と名付け、一に繁冠と名付け、一に建冠に名付け、一に籠冠に名付け、古の惠文冠に近い。

とあり、「籠冠」ってあたりが[巾責]の上に乗っている冠の「あみあみ」な形状をよく表している。と、「籠冠」のくだりは「漢代の文物」の受け売り(笑) しかし『漢代の文物』では特にこの籠部分が何で出来ているとかは書かれていない。
 確か、漢代の進賢冠の実物は出土していないんだけど、『漢代の文物』にもスケッチが載っているように武冠(※追記。正確には武冠の籠部分)は武威磨嘴子や馬王堆漢墓から出土している。そのため、材質等は調べればわかる話だ。

※冠関連の関連リンク
・一梁?メモ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/365
・メモ:三才圖會と三禮圖
http://cte.main.jp/newsch/article.php/480

※追記 メモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」

※追記 メモ:三国創作のための扶助会

 そこでとりあえず手元の本をあたってみることにする。それは『漢代物質文化資料図説』という本。

・孫機/著「漢代物質文化資料図説」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/351

 この書籍の233ページからはじまる「58 服飾II 武士的弁、冠与頭飾」にバッチリのってそうだ。しかし、この書籍の本文は私が理解できない中国語でしかも慣れない簡体字のため、内容を理解するのが困難であり無理を押すと間違った解釈をしてしまう怖れがあった。
 でも一体、武冠のあみあみ部分は何でできているんだろう、という好奇心には勝てず中国語の文法を少しも知らず無理して訳してしまう(汗)
(※これは大げさな表現ではなく、実際に昨日、私が簡体字の「頭」と「興」の区別がつかない程、中国語を理解していなかったので)

 まずは本文の引用から。簡体字では表示できないことが多いので、その都度、EmEditorのプラグインを使って繁体字へ変換しており、それでも表示できないものは[]付きの合成文字で代用しているという何とも中途半端な字体になってしまっている。

 将弁和平上[巾責]組合在一起、与進賢冠和介[巾責]組合在一起的情況相似、所以它又得名為“武弁大冠”或“武冠”。雖然從根本上説、它并不是冠、但在流行過程中、它却被加以種種冠類的称謂。≪晋書・輿服志≫説:“武冠一名武弁、一名大冠、一名繁冠、一名建冠、即古之惠文冠。或曰趙惠文王所造、因以為名。亦云、惠者[虫惠]也、其冠文輕細如蝉翼、故名惠文。”其實惠文冠与趙惠文王并無関係、将惠文解釋為[虫惠](蝉)文、亦嫌遷闊。按≪礼記・喪服≫鄭注:“凡布細而疏者謂之[糸惠]。”武弁正是用細疏的[糸惠]布制作的。也有時在制弁的織物上[シ余]漆、馬王堆3号西漢墓与武威磨嘴子62号新莽墓均曾出漆[糸麗]紗弁(58-3・4);前者放置在一個漆[匚+算](86-4)、後者還戴在男尸頭上。磨嘴子弁周圍裹細竹筋、頂部用竹圈架支[才掌]、内襯赤[巾責]、清楚地反映出武弁的實際状況。這些弁的[糸麗]紗均孔眼分明。不僅實物如此、画像石中的武弁、也常特地刻画出網紋来、表示原物的質地是細疏的織物。但当弁[シ余]漆以後、変得堅硬起来、成為一頂籠状的甲殼、即所謂籠冠。籠冠偶見有直接戴在頭上的(58-11)、多数是将它嵌在[巾責]上。
 先秦時的書弁是浅紅色的、直到漢代、紅色仍是武士冠服的主要色調。這時在武弁之下用紅[巾責]。上述武威磨嘴子62号墓中襯[執/土]武弁的[巾責]就是紅色的。望都1号漢墓壁画之“門下游徼”所戴的武弁下也透出紅[巾責]。這和≪東観漢記≫所称:“詔賜段[匕/火頁]赤[巾責]大冠一具”(≪御覧≫卷六八七引)正相合。由于漢代的軍官和士兵穿[糸是](黄赤色)衣或[糸熏](暗赤色)衣、戴赤[巾責]、所以紅色成了代表軍人的顔色。≪漢書・尹賞伝≫説:“探赤丸、斫武吏;探黒丸、斫文吏。”≪論衡・商虫篇≫説:“虫食谷……夫頭赤則謂武吏、頭黒則謂文吏所致也。”也正是基于此種原因。

※ここの(58-3・4)などの()付きの数字は『漢代物質文化資料図説』の挿図に対応している。(58-3・4)がそれぞれ武威磨嘴子62号新莽墓と馬王堆3号西漢墓の漆[糸麗]紗弁のスケッチで、(58-11)が漆[匚+算]という箱のスケッチ、(58-11)が籠冠を直接頭に載せている画像。また、上記の文中に「晋書・輿服志」からの引用部分があるが、「一名籠冠」という記述が抜けている。

 それでこれを訳そうと、以前、買った中日辞書を探したんだけど、見つからない(誰かに貸した?)。そのため、以前、掲示板で教えて貰ったオンライン日⇔中辞書「北辞郎」を使うことになる。

・「北辞郎」に三国志の単語を入れてみる(三国志ファンのためのサポート掲示板の書き込み)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=2034
・オンライン日⇔中辞書「北辞郎」
http://www.ctrans.org/cjdic/index.php

 そもそも文法を知らない私がどんな辞書を使おうとも変な訳文にしかなりえないので、以下に続く訳文が変なのは決してこの辞書のせいではない(笑)。
 というわけで、以下に訳文(と言える代物でもないが)。


 弁と平上[巾責]とを一緒にする組み合わせは、進賢冠と介[巾責]を一緒にする組み合わせの状態に似ていて、そのため“武弁大冠”あるいは“武冠”という名となる。根本は説明したとおりだといっても、それは決して冠ではないが、流行の過程の中では、それは返って様々な冠類の名称へと加えられる。『晋書・輿服志』によると、「武冠は一名を武弁、一名を大冠、一名を繁冠、一名を建冠といい、古の惠文冠に近い。あるいは趙惠文王によって作られたと言い、そのためその名となる。一方、惠というものは[虫惠](せみ、つくつくぼうし)であり、その冠の文(文様、かざり)は蝉の翼のように軽く細く、そのため惠文となづけられたと言われる」その実際の惠文冠と趙惠文王とを並べるのは関係がなく、必ず惠文は[虫惠](蝉)文となると解釈され、また広く変移することを嫌う。『礼記・喪服』鄭注とつきあわせる:「およそ布が細かいとあらい目になりこれを[糸惠]と言う」 武弁はまさしく細疏(細かくあらい目)の[糸惠]の布を用いて制作された。時には弁の織物の表面に漆が塗られており、以前に馬王堆3号西漢墓と武威磨嘴子62号新莽墓との両方から漆が塗られた[糸麗]紗弁(綺麗な目のあらい弁)が出現した(58-3・4);前者は一個の漆が塗られた[匚+算](86-4)に放置されており、後者は依然として男の屍の頭上に被さっていた。磨嘴子の弁の周囲には細い竹筋でくるんでおり、頂部には竹の囲いの架を用い支えており、内側の下には赤[巾責]があり、明晰に武弁の実際の状況を反映している。これら弁の[糸麗]紗はすべてはっきりと目がある。実物はそればかりか、画像石の中での武弁に常にもっぱら網の模様が描き出されていて、現物の性質が細疏(細かくあらい目)の織物であることを意味する。ところが弁に漆を塗ったときから後、堅くなり起きあがり、一つの頂点が籠状の甲殼となり、すなわち籠冠と言われるところとなる。籠冠は、時々、頭上に直接のせるように見られ(58-11)、多くは[巾責]の上に必ずそれがはめこまれる。
 先の秦の時の書の弁は浅い紅色で、漢代になるまで紅色は依然として武士の冠と服の主要色調だった。当時武弁の下に紅い[巾責]があった。上述のように武威磨嘴子62号墓のあて布の武弁の[巾責]は紅色だった。望都1号漢墓壁画の「門下游徼」でのるところでは武弁の下から紅[巾責]が透き出ていた。これと『東観漢記』とにあげられる:「詔令で段[匕/火頁]に赤[巾責]と大冠の一式を賜った」(『御覧』卷六八七に引く)とちょうど一致する。漢代の軍官と士兵が[糸是](黄赤色)の衣あるいは[糸熏](暗赤色)の衣を身につけ赤[巾責]をかぶることによって、したがって紅色は軍人の色合いを代表するようになった。『漢書・尹賞伝』説:「赤丸を探り、武吏を切り;黒丸を探し、文吏を切る。」 『論衡・商虫篇』説:「虫食谷……大人の頭が赤いのはすなわち武吏、頭が黒いのがすなわち文吏のいきつくところだ。」ちょうどこの種の原因に基づいている。


 というわけで武冠のあみあみ(上の文では「弁」)は漆をぬった細疏(細かくあらい目)の織物であり、竹で形を整えているものというのが正解っぽい。あと赤[巾責]のこともここで再確認できた。今、google等の検索サイトにて「麗紗弁」(これを簡体字にする)という単語で検索をかけるといくつかひっかかり、中には大きさ等が書かれているものもある。
 やはり実物があると説得力があるなぁ。漢代の進賢冠もこの調子でどこからか出てこないのかしら。


※関連記事 佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)

※追記 メモ:漢中興士人皆冠葛巾

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