<出来次第、ここに第23回 三顧会関連の記事へのリンク予定>
2015年8月14日金曜日17時前、山口県光市の石城の里 三国志城のイベント「第23回 三顧会」を楽しんだ後、みんなで三国志城についてのお手伝いをして、特別展示室で威月さんのお土産(多分)の「アルテマ」と称されていた「アルテナ」を美味しくいただき、食堂で赤兎馬むすびを美味しくいただいた後、解散の時刻になっていた。だけど、清岡はその後、どうするか決めかねていて、教団さんと広島のCafeBar曹操に行くという話だったんだけど、どうも別行動になりそうだったので、その中止を口にしていた。ところが英傑群像岡本さんの車の後部座席に詰めれば乗れるとのことだったので、ご厚意に甘え、広島駅まで乗せてもらうことになった。
・英傑群像(三国志エンターテイメント 情報&グッズ)
http://www.chugen.net/
それでまとめると上が前方とすれば車内は下記のような席になっていた。荷物はなるべく後部座席の後ろのところに入れ込む形。
威月さん 岡本さん
教団さん
清岡 小雪さん
さすがに三顧会が終わった後なので、さすがにお疲れのようで、いつものように元気いっぱい小雪さんが話されていたと思ったら(『三国志大戦』のカードを多量に飛熊さんから頂いた話、忌憚のない三国志祭についての質問等)、急に静かになったんで、自然と眼差しを向けると、入眠されていた。
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それで話題はやはり過去分も含め三顧会の話になっていて、威月さんの話の中で「たけ兄」と呼ばれる方がいらっしゃって、てっきり清岡の知らない方かな、と思ってそのまま流して伺っていたのだけど、その数分後、それはたけたつるさんの「たけ」だと知りうる。
・南飛烏鵲楼
http://taketaturu.blog68.fc2.com/
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第12、13回三顧会(2010年5月4日、8月14日)
それから威月さんが都合でKOBE三国志ガーデンや三国志祭になかなか行けないとう話題で、清岡が思い出したかのように、そしたら最後に竹内真彦先生にお会いしたのはいつ?と尋ねると、メールでのやりとりはあるものの、思い出せないぐらい、って話だった。その質問に岡本さんも答えて下さって、一週間ぐらい前、とおっしゃった。そういえば8月8日土曜日に竹内先生の講座「三国志事件簿」があったばかりだとすぐに思い出し、ニヤニヤしながら「寄寓ですね!私も一週間ぐらい前に竹内先生と会ったんですよね」と申し上げる。
清岡はその講座に一般参加したので。そして、左の教団さんの方も向いて答えを促すと、その回の講座に教団さんは行っていないので、残念ながら3タテならず終いだった。
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高速道路を走っていて、さすがにこの時期は広島市の中心地に近づくとだんだんと渋滞してきたんだけど、幸運にもそれほど時間をかけず下道に入る。清岡は今晩、CafeBar曹操に向かう旨を岡本さんに伝えていたので、広島駅に着く前にその近くに通るものだから、そこで下ろしても良い旨をおっしゃって下さる。でも他の方がいち早く広島駅に着くことが優先なので、辞退し、CafeBar曹操に行く前にまずお好み村(てっきり「お好み焼き村」と思っていたら「お好み村」だそうで)で腹ごしらえする旨を申し上げる。だけど、岡本さんによると、そこは観光地なので(その上、CafeBar曹操の近く)、地元の人はそこだったら、むしろ広島駅で食べるとのことだった。それをうけてまずは広島駅で腹こしらえをすることに変更する。それから一ヶ月半ほど前の夜中にお好み焼きを求めさまよい歩いてお好み村に到達した旨を申し上げてた。
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原爆ドーム(小雪さんは生で初めて見たと)、広島城を通って、18時30分ぐらいに広島駅新幹線口に到着。送って下さった岡本さんにみなでお礼を申し上げて、お別れに。まず四人でおみやげ売り場に足を運び、そこで威月さんはお別れとなった。残された三人でお好み焼きを食べることになる。
小雪さんの出発時刻が迫っていたので、早さ優先で、(そのときたまたま)一番、行列が少ないところを選ぶ。広島風お好み焼・鉄板居食家 徳兵衛 広島駅新幹線口店だと思う。
・お好み焼・鉄板居食家 徳兵衛
http://www.tokugawa.jp/web/tokube/
さらに先に空いたカウンター席に通され(壁に向かってのカウンター席)、左から教団さん、清岡、小雪さんの並び。空調の関係で、気をつけないとおしぼりの袋やら、鰹節やらが手前にとんでくる場所だった。待ち時間、小雪さんのカメラが目に付いたので、今回の三顧会の写真を見せてもらおうとしたら、実は写す機会を逸し、一枚もないことにそこで判明していた。
清岡は810円(税別)のイカ天入りのお好み焼き。そばが硬くなるまで焼くタイプのもの。日本マンガ学会ときにそれほどそばを焼かないタイプで、ちょうど硬くなるまで焼くのを食べたかったので、満足して食していた。食べ終わり店を後にする。その前に気づいたのだが、実は店内は通路が蛇行して一本しかできないような机の配置で、それは効率的なのか?と少し考えてしまった。まぁ、商売なのだから理論的にせよ経験的にせよ、効率的なのだろう。後ろで店員さんが三人、それぞれ椅子を一席抱えて運んで通っていたのが、印象的だったが。教団さんはやはり大阪のお好み焼きとくらべてしまうようで、ぜんぜん生地が薄くて食べた気がしないとおっしゃっていて、その気持ちもわかると思っていた。モダン焼きと比べるとかなり厚さに差があると語り合っていたっけ。
そのまま北口近くの新幹線の改札前へ。19時30分ぐらいで、てっきり改札の中しかベンチがないと思い込んでいたので、突っ立っていて、ただただ通路の北側のお土産屋さんと南側のお土産屋さんにふらふらと足を運ぶ小雪さんについていってその様を観察するのみだった。広島カープのコーナーに同じ色合いの大和ミュージアムのお土産もあったとかそれぐらいのネタどころだろうか。あと教団さんと同じくお土産屋さんの書籍関連のコーナーで三国ネタを探し出そうとしたが、せいぜい横山光輝『項羽と劉邦』のコンビニコミックスぐらいで、一年前ぐらいだったら横山光輝『三国志』のコンビニコミックスが並んでいたのに、と申し上げる。
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結局、小雪さんは自分用にもみじ饅頭のバリエーションの一つを買っておられた。改札前の柱近くで三人立ち話をして(小雪さんが三国志城の英傑群像出張店舗で買ったという『三國志 武将大名鑑』をその場で読んでいたのが印象的だった)19時50分ぐらいに別れる。
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教団さんが見つけてくださったのだけど、実は二階の改札の少し歩いたところにベンチのコーナーがあったというオチ。そこでくつろぐ。少し前に教団さんが(SNS「
mixi」のメッセージを通じて)3時間前まで三国志城でご一緒していた遥架さんと連絡をとって下さっていて、電話がつながる。鉄道で広島駅に向かっている途中で、そこから我々に地下連絡道を通って南口に向かう指示をして下さる。その通り地下連絡道を歩いていると、向かってくる遥架さんと再会する。そのまま案内してくださって、160円の市電(広島電鉄)で行くことになる。
・ひろでんアベニュー
http://www.hiroden.co.jp/
遥架さんに言われるまま、市電に乗り込んだものだから何系統かは全然、覚えてないのだけど、比治山に行く便のことをおっしゃられていて、清岡は一ヵ月半前のことを思い出し広島市まんが図書館があるところですね、なんて申し上げていたっけ。
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二両編成の列車に入るとすぐに両替して、おしゃべりしていると、あっという間に胡町駅に到着し、160円を払って降りる。そこから教団さんや遥架さんに導かれるまま、流川通に入る。「スラダン(『SLAM DUNK』)的に『るかわどおり』って読むんじゃないんですね?」「じゃ『楓通り』で」とか申し上げてたっけ。
いわゆる「無料案内所」がところどころで見られる通りを南下しつつ、見覚えのある概観の建物に到達する。しかし残念なことに看板に灯りがともっておらず、一瞬、盆休み?とその場の三人は思ったのだけど、清岡は「(FACEBOOKにて)24時間表記で開店時間が『9時』ってなってたのは21時の誤りで、もしかしてまだ開店時間になってないんじゃないですか?」と申し上げる。遥架さんは「まぁここら近辺で朝9時から開いている店はないわな」という旨をおっしゃっていた。営業日だとしてもそうじゃなくても、とりあえず4階に上がろうと。
・【曹操】 cafe bar | Facebook
http://www.facebook.com/pages/%E6%9B%B9%E6%93%8D-cafe-bar/323152091215786
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CafeBar曹操
エレベータで上がり通路を左(東か)に向かった突き当たったところが右の写真(教団さん撮影)のようなところ。その右脇で張り合わせたチラシによると、やはり21時からの営業とのことだった。その時は20時30分だったので、周りに少し落ち着ける店もなく、お好み村に足を運んで時間をつぶすという案もあったものの、結局は建物の外に出て突っ立って開店時刻まで時間をつぶすこととなった。教団さんによると中から音が聞こえたので、今日が休みということはないそうで。
やはり夜の街の中なので、派手な格好をした人とか凄みのある格好をした人とかなぜか家族連れ(曹操の入る建物を伺って引き返して行った)とかが通り過ぎていく。清岡的にはパリ・サンジェルマン(PSG)のユニフォームのシャツを着た中年男性が気になった…三国とは無関係だけど。下記のstatusにもあるように、その5日前ぐらいまえに金印さんがカフェバー曹操に行ったそうで、三顧会に金印さんが参加していたものだからその様子を伺っていた(残念ながら今回は用事で来店できないとのことで)。その中で帰り道にそういう夜のお店(具体的に聞いたが具体的には書かないが)のキャッチに遭ったそうで、そういうこともうなずける街の雰囲気だった。
・金印 (rubu192rubui) on Twitter
http://twitter.com/rubu192rubui
・Twitter / rubu192rubui: 広島市の中区・流川のメインストリート薬研掘にある
カフェバー・曹操 ...
http://twitter.com/rubu192rubui/status/630392723757858816
20時45分ごろ、建物の外のCafeBar曹操の看板に灯りがともり、遥架さんと教団さんが店に行くことを決意し、エレベータに入って再び4階へと向かう。入店を躊躇していると遥架さんが扉を開け、入っていいか訊いていらっしゃった。
そうすると良いようで、右(南)のカウンター席を通り過ぎて、奥(東)の北側のテーブル席へと着く。奥の窓にはスクリーンが下ろされてあって、そこにカラオケの字幕(当時はそれがカラオケ用と意識していなかったが)と共に歌の映像が流されてある。プロジェクターはカウンターのテーブルのすぐ下にあるしスクリーンのすぐ傍に席があるし、真ん中の席は映写の光とかぶることになってしまう。席は下記のようになる。清岡はソファーに座る。
スクリーン
清岡 テーブル 遥架さん
テーブル
教団さん
料金システムがあれこれあって、マスターにお酒を多く飲むのだったら3000円の飲み放題がお得だと説明を受ける。単品セットは1000円となっていて、つまりチャージは1000円で、遥架さんの終バスの関係でどうやらこれになりそうだと理解する。遥架さんが「生」、教団さんがハイボール、清岡がジンジャエールを注文する。500円。参考として、そして量は無視して、同じジンジャエールの他店での価格を書くと、東京都の江古田の
「すいばら」で250円、
三国志フェス2015の決起集会の二次会で連れて行かれた新宿の地下のショットバーで800円だった。チャージは通常数百円なんだけどね。
マスターが話しに来てくださって、華人で後で名詞を貰うに山本博さんを名乗っておられるそうで。まずマスターから誰かの紹介でいらっしゃったのか?と質問が来る。一瞬、金印さんの紹介と言ってしまったのだけど、よくよく考えたら、前述の関連記事にあるとおりでネットを通じてしったことで、それに教団さんも違った理由でご自身が作成されるマップ「グルメ三国志」の関係で知ったそうで。遥架さんは数時間前の三顧会で始めてこの店のことを我々から聞いたそうな。
・グルメ三国志
http://www.google.com/maps/d/viewer?mid=z-QrTLLn8FiE.kMWHYvZ7Q39k
ともかくその流れで金印さんの話になる。マスター曰く「中国人より『三国志』に詳しい人だった」とのことだった。一回の訪問でそういう印象を与える金印さんは偉大だな、と思っていた。それからマスターに、実はこの三人は今日、三国志のイベントに行ってきたと明かし、うち二人は大阪と京都から来ていると告げる。そうするとやはり(金印さんみたいに)三国志に詳しいのかと聞かれて、そうでもない、と清岡。
飲み物が届いて乾杯。そういえば、清岡と教団さんはお好み焼きを食べたから良いのだけど、遥架さんは三国志城から来たばかりで夕飯を食べていないのでは?と思い、伺ってみるとやっぱりそうで、メニューでフードを探したが特にめぼしいものが見当たらず、どうしようかと思ってたら、マスターがサービスでおつまみを出してくださる。グミ、揚げ菓子、銀紙にくるまれたチョコ、そしてパイナップルの四種もある豪華なものだった。清岡はパイナップルを気に入ってた。
マスターが気を利かせて下がろうとされていたので、まだ開店したばかりで他のお客さんもいないことだし、もう少し話そうと引き止める。マスターが曹操は中国であまりイメージが良くないとおっしゃっていた。そこで教団さんが、どうして店名を「曹操」にしたか、を尋ねる。さらに遥架さんが「三国志」とつくお店だったら、広島にも「やきとり三国志」や「お好み焼き三國志」といろいろあって、どうして「三国志」にしなかったかと質問を投げかける。答えて曰く、「三国志」だと店のイメージと違った、ってことで、そういう意味で「曹操」は好きな人物だしイメージに合ったとのことで。あとさらに聞くに、マスターは『真・三國無双』で遊んでいたそうで、それだったら「曹操」は無双の曹操のイメージでもあるんだ、と申し上げる。
好きな人物などを尋ねられ、趙雲をはじめ遥架さんはあれこれ人物を出していたのだけど、そもそも日本語読みだとなかなか通じない。でも遥架さんは「曹丕」をすかさず中国語読みでおっしゃる。なにか「pī」が印象的で覚えたそうな。
他にも三国志の名前のついたバーはあるかマスターに尋ねられた。居酒屋や飯屋はあれこれあるけど、バーと言われると結構、思いつかない。強いて言えば東京の歴史酒場「銅雀台」ってことをみなで申し上げる。
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ところがまたも日本語読みだと通じないので、漢字を書いて見せた方が早いと申し上げると、教団さんがメモ帳とペンを用意してくださる。その間、マスターがカウンターの方に戻ってなにやら持って来てくださる。一瞬、同じくメモ帳と思ったが、それより素敵なものだった。それはプラスチックの半透明で綺麗な名刺だった。三人に下さる。その名刺が綺麗とみなで申し上げ、さらには店の雰囲気もおしゃれで素敵だと申し上げる。清岡は「これで前の店からの居ぬきだったらビックリだ」と茶々を入れつつ伺うに、どうやらマスターがあれこれ中国から取り寄せ、時間をかけて用意したご自慢の内装だそうで、そういわれてとても納得できるお店の雰囲気だった。
それから三国志にちなんだバーの流で、強いて言うなら北九州の「兀突骨」と申し上げ、再び字を書いてもらいそれを見せ、ご存知なさそうだったので、教団さんが説明されるが、ここでマスターに電話がかかりしばし中断。
帰ってきたところで、清岡が思い出したように、そういえば「曹操」という歌がありますね、と申し上げると、よく知ってますね、とマスターが感心してくださる。遥架さんはその歌の名は聞いたことがあってカラオケでも歌えないのに、曲だけ聴きたくて流してみたことはあるけど、ちゃんと聴いたことがないとおっしゃる。
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そうするとマスターが流してくださるとのことで、遥架さんと清岡は拍手で歓迎する。そしてスクリーンに映し出された、林俊傑(リン・ジュンジエ)/歌「曹操」。ちょうど遥架さんが一部プロジェクターの光をさえぎっていたので、後ろに下がってベストポジションをとる。映像はおそらく林さんが派手なステージ衣装で出ていた。つまりはプロモーション・ヴィデオってことだね。あとすんなり受け止めてしまったが、画面の下には歌詞が出ていて、カラオケのように曲に合わせて文字の色が順に変わっていた。
普通の現代衣装に身を包んでの歌う映像かと思ったら、途中からなぜか周りを囲んだ大勢の男たちを吹き飛ばし、そして三国時代っぽい衣装に身を包んだ兵卒の映像がオーバーラップするようになり、視覚的にも盛り上げていってた。
映像が終わり大満足で、マスターに感想とお礼を申し上げようと思ったら、ちょうど我々以外のお客さん(女性、華人)がやってきてカウンター席に座り、そちらに応対していた。そこからそのお連れさんの華人の男性がやってきて、気づけばカウンター席が埋まっていて、さらには別の華人の女性の三人組がやってきて北側のテーブル席に座り、気づけば我々以外、華人のお客さんで埋まっていた。そしてそのうち男性がスクリーンの映像を見てマイクで歌いだしていて、つまりはCafeBar曹操は華人コミュニティの役割を担っているのだな、と納得していた。
話を林俊傑/歌「曹操」のPVを見終わった直後に戻し、結局、「兀突骨」の話はマスターにできなかったな、と清岡。
その間に教団さんが思い出したかのように、なにやらメモを書いて遥架さんに渡していた。それは今回の三顧会での企画の一つ「お勧め三国志作品を皆に紹介しよう!」で、教団さんがいくつか紹介していた書籍の書かれたリストだった。確か金文京『三国志演義の世界』や『中国社会風俗史』が含まれていたっけ。
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中国社会風俗史
その企画での教団さんのご発表は解説書の類をいくつか紹介するものだった。そういう知識の詰まった書籍を紹介する場合、どうしてもいわゆる「上から目線」になってしまいがちだけど、教団さんのはそうではなくて、同じ高さから興味を引き出すように話されていた、と清岡。それには遥架さんも同意。
三顧会でのはじめの自己紹介を思い出していらっしゃったのか、遥架さんは教団さんと同じく一週回って、『三国志』の人物はみんな好きで嫌いな人物はいないとおっしゃっていた。でも昔は玄徳(劉備)が嫌いだったらしく、その理由ってのは玄徳をやたら貶める解説書があったそうな。それにより玄徳嫌いになったどころか解説書嫌いにもなったそうで。
そんな時にいつかの三顧会で傅僉さんの発表を聞いて、劉備を見直すようになったそうな。傅僉さんは三国志ファンの鑑だな、と思った。当時、よりわかりやすいように対照的な三国志ファンを具体的に挙げていたっけかな。つまりは玄徳嫌いを傅僉さんにより解決されたように、解説書嫌いを教団さんによって解決されたい、ってことなんだろうね。あと民間伝承(※この書き方だとあたかも当時から今まで伝承されたように誤解されるので「民間発生伝承」が正確なんだろうか。個人的には「説話」って呼ぶけど)もお好きとのことだそうな。
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そんな話をしていると、前述のように他のお客さんがスクリーンを見ながら歌い始め、ちょうどカラオケの字幕が遥架さんの座る位置と被るので、はじめ遥架さんは前かがみになりテーブルに伏して字幕を見えるようにしていた。だけどカラオケがやみそうにないので、教団さんの右隣へと移動する。
それもありそろそろ遥架さんの終バスとのことなので、22時ごろに会計を済ませて、店を出る。遥架さんは、また来ます、とマスターに告げていた。その後、清岡からは金印さんと今度、一緒に来てください、と言ってたっけ。にしも華人コミュニティになっているのだったら、竹内真彦先生や
あんちょさんさんなど今度は中国語がわかる人を連れて行きたいね。
CafeBar曹操が開店する前の待ち時間に、教団さんがスマホで安いカラオケルームを調べてくださっていて、結局、ジャンカラ中央通り店に行くことになっていた。無料ドリンクがあるし。
・カラオケ | ジャンカラ (ジャンボカラオケ広場)
http://jankara.ne.jp/
・中央通り店 | ジャンカラ (ジャンボカラオケ広場)
http://jankara.ne.jp/shop/159/
というわけで中央通りまで遥架さんに案内してもらって、遥架さんとはそこでお別れとなる。街では北から赤い服を着た人が結構、歩いてきていた。そんな時間か(あ、広島カープのユニフォームのことね、球場に応援しに行ったファンが着ているってことで)。
ジャンカラ中央通り店に到着。さすがに金曜日の夜ってことで15分程度、待つことになる。22時30分に322の部屋に通される。最近のカラオケルームでは電源タップが用意されているのだな、と感心したり。
セキュリティ上、一人が残るというシチュエーションで、清岡がドリンクをとりにいくことに。教団さんから暖かいものだったらなんでも、といわれたので、エスプレッソを。清岡はカフェオレ。
結構、眠る気満々だったけど、三国志城のサイトにある三顧会のページをノートPCで見せつつ、三顧会を順々に振り返っていた。
・三国志城博物館
http://www.3594castle.com/
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石城の里 三国志城 休館(2015年4月22日-)
第17回三顧会 前夜祭(2012年8月13日)
まずは二人の共通する話題になりやすい、ここ数年の三顧会について。今日、お会いした
伊比 学さんとはそれ以前にいつ会ったかと三国志ニュースの記事を辿ると、意外と一年前に会ってたり。
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メモ:第20回三顧会 前夜祭(2014年5月3日)
今回の三顧会は意外とツイッターで話題にされないってことで、三顧会が終わってからどうなっているか、教団さんに見てもらうと、やはり大して盛り上がってなかった。ただイベントの最中の三国志城の写真をともなうツイートが気になった。その時刻は三顧会の真っ最中だけど、このツイート主はそれは気にならなかったのかな、と。
・ちさぺす (pesu_) on Twitter
http://twitter.com/pesu_
・Twitter / pesu_: 山口県になぜかある三国志城に行ってきました ...
http://twitter.com/pesu_/status/632048579100540928
一転して第一回三顧会のことを話していた。ちょうど手元のメーラーに三国志城の掲示板のログを溜めていたので、三顧会に設立までの流をみていた。やはり2013年年末あたりの羽鳥士元さんと、今日、会うことができた、ていやさんとのやり取りの流れで出された企画、2004年1月3日開催の「三国志城突発オフ会」がその七ヵ月後の三顧会につながっているのだろうね。そういう意味でその場で、ていやさんが三顧会の創始者の一人になると清岡は断定していた。
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三顧会ダイジェスト5「木牛を皆でいっしょに作ってみよう」(三国志城イベント)
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第三回 桃園の智会(KOBE鉄人三国志ギャラリー2023年1月8日)
日付が変わる前に清岡はソファーにもたれ掛かって眠る体制に入っていた。
2015年8月15日土曜日、5時前に目が覚める。とりあえず6時前のJRの始発に乗りたかったので、コーヒーを飲んで目を覚まそうと、2階の無料ドリンクコーナーへといく。そこで気づいたのだけど、ずっとカフェオレと思っていたらカフェモカだった。道理であからさまなココアだと思った。眠る前に教団さんがドリンクをとりにいく番のときにカフェオレ(ホット)を頼んだら、やっぱりカフェモカがきたんでおかしいな、となんとなく思っていたんだけどね。そこにはカフェオレは存在せずカフェモカしかなかったというオチ。
部屋に電灯をともし、教団さんが起きて、5時30分ごろに部屋を後にする。教団さんが会員になってくれたようで、一人1880円で済んだ。
5時46分胡町駅発の市電に乗る。これから先のイベント、三国志学会大会やら三国志祭とかの話もしていたのだけど、そこでも三顧会の話をしていて、他のイベントと比較するとやはり(前夜祭からの参加前提で)三国志ファン同士の交流が貴重だったんだな、と結論付けていた。ネットで事前に知り合ってなければ交流は難しいので。かといって三国志学会大会の懇親会で、事前に何らかのつながりがなく交流をもとうとするのは難しい、と。
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2015年三国志祭(2015年10月12日祝日)
ちなみに市電は2両編成でバックパッカーの欧米人ばかりで、広島駅直前で、一旦停止して前に進むというアナウンスがあったんだけど、欧米人に通じなかったようで、バックパッカーが一旦停止でみんな立って、そして再前進でみんなよろめくというネタ・シーンをバッチリ見れてしまった。
さすがに時間通りに到着せず、JRの始発には十分間に合わなかった。広島駅につくと教団さんが新幹線のチケットを購入し、そして構内の7番乗り場でお別れした。早くて三国志学会大会、遅くて三国志祭に再会できるだろうってことで。
7番乗り場には6時3分糸崎行がすでに来ていて……と思ったら発車間際でそれに飛び乗った。車内ではここ2日間のことを思い出しつつメモ書き。やはり時刻の近い方から順になってしまう。
7時17分、安芸川尻駅で呉線に乗っていたことに気付いた。心の奥底に潜む鉄ちゃん魂が無意識のうちに呉線を選んだとか? 妙に窓から見える太陽の方角が変わると思った、Red Wingのクロスシートの左側を選んだのに何度も太陽がのぞいたので。途中で乗り込んできた、パリ・サンジェルマン(PSG)のシャツを着た女子が気になったが。多分それがフットボールのクラブのシャツと知らないんだろうな、と思いつつ。
8時46分糸崎駅着。9時発の岡山行に乗る。サンライナーの車両でクロスシートの左側に座る。10時28分、岡山駅3番線着。3番線の△5-6に50分ぐらいに、播州赤穂線(播州赤穂行、ワンマンカー)が来る。始発なんで充分座れる。後発の山陽本線が20分ぐらい後なので、逆算すると、相生に同じぐらいに到着するので、座れる播州赤穂線に乗る。
10時56分発(マリンライナー待ちの3分遅れ)→11時発。
播州赤穂駅を12時10分ぐらい発。3分おくれだそうな。対面乗り換えでクロスシート。順調。
12時45分ぐらい 姫路駅発新快速 左への対面乗り換え。車両数が一気に座れるのでいつもどおり余裕で座れる。そして余裕で居眠り。やはりソファーで熟睡できるわけなく疲れがかなり残っているようだ。
14時17分に京都駅到着。JRの始発に乗れていたら12時29分到着予定だったが、まぁ、呉線と播州赤穂線に乗れたんで良い思い出としておこう。
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※追記
十大三国志ニュース2015
※追記
博多人形 卑弥呼(川崎幸子作、2011年2月18日)
※追記
レポ:8/6北九州 兀突骨で酒池肉林?!(2016年8月6日)
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メモ3:六間道三国志祭(2016年10月2日)
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