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第3回三国志シンポジウム 雑感(2007年7月28日)


  • 2007年8月 4日(土) 09:40 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,864
教育機関 開演30分前ぐらいの様子。準備中。 今年も大東文化大学のオープンキャンパスの一環として「三国志シンポジウム」が開催されるということで一般聴講しにいざ東京へ。

・大東文化大学
http://www.daito.ac.jp

・第三回 三国志シンポジウムのプログラム発表
http://cte.main.jp/newsch/article.php/630

 いつもホテルは、(1)会場から近く都心にすぐ出られるところ、(2)バストイレ付き、(3)とにかく安い、三つの条件で決めているんだけど、毎回、何故か定番のところができず、今回は山手線の大塚駅近くのビジネスホテル。今まで泊まったホテルの中で一番狭く、納得の安さだった。
 2007年7月28日土曜日当日の朝、次の日の三国志学会大会はスーツの予定で、差別化するため(笑)にカジュアルな格好でGo。まず近くのMOSで朝食をとる。創業35周年とかで500円ごとにスタンプ1個を貰え4個貯まるとバーガー1個貰えるんで、そのバーガー1個とあと500円分の商品券があったんで黒胡椒モスチキンと炭火アイスコーヒーLサイズを頼む。さすがにLサイズは飲みきれず、それを片手に大東文化大学板橋キャンパスへ向かう。
 大塚駅-(山手線)→池袋駅-(東武東上線)→東武練馬駅という乗換で、さらに駅近くの大東文化会館から無料のスクールバスが出ている。去年も来ているので迷わず大東文化大学板橋キャンパスに到着。まず3号館に行き、教室名を指さし確認しながら、到着したのが114号室。初めて来る教室。30分以上前と早く来すぎたのでレジュメも用意されていない。
 会場は初めの講演用の装いで掛け軸などが展示されている(写真)。ざっと座席数を数えると、1列につき、横に5席、5席、5席とあり、それが10列あるので150席といったところ。Lサイズのアイスコーヒーを持ち込んで前から5列目に座っていると、いつものように顔なじみが集まってくる。舞台に向かって左から、おりふさん、げんりゅうさん、清岡KJさん、玄鳳さん、それから離れたところにSuさん、三口宗さん、伊比学さん。それからようやく入り口で今回のレジュメが置かれたので清岡が取りに行く。
 やがて席が埋まりつつあって、いつの間にかほぼ満席となっていた。前回より狭い教室だけど、人数としては前回より多いようだ。客層も変化があって、高校生も居るけどやたら初老の人が多い。例えば、我々の前列は引率の人と男子高校生が席を占めて居るんだけど、後列は初老の女性が席を占めて居る。高校生の方はオープンキャンパスの影響だとわかるんだけど(いや本来の目的だけど)、初老の女性男性の客層は今までにないパターンなので疑問に思っていた。後で気付いたんだけど、二番目の授業でやたら後の初老の女性が小声でツッコミを入れていたことと、午後のパネルディスカッションの質問内容から、どうやら「「三国志」と書道」の授業目当てに集まっているご様子。つまり、いわゆる三国志ジャンル書道ファン層(と今、名付けたが)が大挙して押し寄せているようだ。もしかすると、団塊の世代が次々と退職し余暇ができる中、その層をターゲットにする三国志ものは「書道」がキーワードになるのかもしれない。
 それで今回の内容を以下に引用。雑感を書いたら、各々にリンクを張る予定。

--引用開始---------------------------------------------------------
内容

総合司会・・・渡邊義浩(大東文化大學中國學科教授)

《午前の部・・・10:05~12:25》
學科主任挨拶・・・門脇廣文 10:00~10:05

「三國志」についての公開授業形式(一人40分)で行います

一限目・・・中林 史朗(大東文化大學中國學科教授) 10:05~10:45
日本人にとって三國志とは何じゃいな? ~見るのか、讀むのか、掛け軸から『ストップ劉備くん』まで~

二限目・・・中川 諭(大東文化大學中國學科準教授) 10:55~11:35
「三國志」と書道

三限目・・・三浦 國雄(大東文化大學中國學科教授) 11:45~12:25
名醫華佗と動物のストレッチング

休息・・・12:25~13:30

《午後の部・・・13:30~15:00》

討論會・・・コメンテーター(以下の各大學)

大東大三國志研究會・東大三國志研究會・早大三國志研究會
--引用終了---------------------------------------------------------

※前々回、前回の雑感
・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152
・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/374

 というわけで顔なじみとお互いの近況を話しつつ、10時の開始を待つことになる。


<次記事>第3回三国志シンポジウム 雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/665


<2008年7月8日追記>
三国志シンポジウムは2007年度で終了とのこと(つまり、2008年度は開催されない)。

※関連記事 大東文化大学オープンキャンパス体験授業DAYS

第三回 三国志シンポジウムのプログラム発表


  • 2007年6月24日(日) 12:53 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,460
教育機関 先ほど、黄虎洞先生より「三国志ファンのためのサポート掲示板」の方で2007年7月28日土曜日に大東文化大学で開催される、第三回 三国志シンポジウムのお知らせがあったので、以下に引用し(掲示板のメールお知らせ機能のまま)、告知しておきます。
毎回、三国志ジャンルへの視野がより広がる感覚があるので、今回もとても楽しみです。

--引用開始---------------------------------------------------------
三国志ファンのためのサポート掲示板に以下の書き込みがありました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■三国志シンポのご案内 by 黄虎洞 -07/6/24(日) 11:02-
────────────────────────────────

皆様、またまた飽きもせず、今年も開きます。ご興味とお時間の有る方は、ご参加下さい。無料ですから。
内容は以下の如くです。

日時と会場

日時・・・2007年7月28日(土)

会場・・・東京都板橋區高島平1-9-1

大東文化大學板橋キャンパス3號館1階114教室

内容

総合司会・・・渡邊義浩(大東文化大學中國學科教授)

《午前の部・・・10:05~12:25》

學科主任挨拶・・・門脇廣文 10:00~10:05

「三國志」についての公開授業形式(一人40分)で行います

一限目・・・中林 史朗(大東文化大學中國學科教授) 10:05~10:45

日本人にとって三國志とは何じゃいな?

~見るのか、讀むのか、掛け軸から『ストップ劉備くん』まで~

二限目・・・中川 諭(大東文化大學中國學科準教授) 10:55~11:35

「三國志」と書道

三限目・・・三浦 國雄(大東文化大學中國學科教授) 11:45~12:25

名醫華佗と動物のストレッチング

休息・・・12:25~13:30

《午後の部・・・13:30~15:00》

討論會・・・コメンテーター(以下の各大學)

大東大三國志研究會・東大三國志研究會・早大三國志研究會

對象

中學生・高校生・大學生・一般市民

參加費無料ですので、自由に勝手に御參加下さい。多數の御來場をお待ち申し上げております。

問い合わせ先

大東文化大學文學部中國學科事務室、TEL03-5399-7360
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=2844&id=

--引用終了---------------------------------------------------------

※過去の告知
・三国志シンポ
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one;no=2350
・三国志シンポ開催決定
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=1641

※関連記事
・2007年7月28日 第三回 三国志シンポジウム(大東文化大学)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/549

・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/374
・2006年7月29日 三国志シンポジウム(大東文化大学)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/342

・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152
・2005年7月31日 三国志シンポジウム開催決定
http://cte.main.jp/newsch/article.php/98


<当日>第3回三国志シンポジウム 雑感(2007年7月28日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/661


<7月12日追記>
大東文化大学のサイトでトピックスとしてでていた。

・2007年度 三国志シンポジウム開催
http://www2.daito.ac.jp/jp/modules/topics/index.php/J01-01-4860-01

ここで気になるのが一限目のタイトル。小説ジュネで連載されていた『STOP劉備くん!』、あるいは隔月刊の漫画雑誌『コミック三国志マガジン』で連載されている『STOP! 劉備くん!』のことだと思うんだけど、上のタイトルと大東文化大学のサイトのトピックスでは変化している。
まとめると

STOP劉備くん! ※正式
 ↓
ストップ劉備くん ※サポ板での書き込み
 ↓
ストップ、ザ劉備君 ※大東文化大学のサイトのトピックス

よく間違った単語の検索で「STOP劉備君」なんてのがあるけど、ここではさらに一歩も二歩も間違って「ストップ、ザ劉備君」とは……と、もしかして『STOP劉備くん!』とは無関係なこういう作品や何かがあるのかもしれない。当日はここら辺も忘れず要チェック。

※参照
・2007年1月23日 劉備くん!リターンズ!
http://cte.main.jp/newsch/article.php/489

2007年7月28日 第三回 三国志シンポジウム(大東文化大学)


  • 2007年3月31日(土) 14:38 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,721
教育機関 ふと気になって大東文化大学のサイトで「入試情報」→「オープンキャンパス・進学相談会」→「オープンキャンパス」と辿ると、気になっていた情報があった。

・大東文化大学
http://www.daito.ac.jp/

何かというと、三国志シンポジウムが今年も開催されるかどうかの情報。下記に該当部分を引用する。

---------------<引用開始>---------------
2007年オープンキャンパスは全16回開催
---------------< 中略 >---------------
【学科相談DAYS】
東松山キャンパス日程:8月25日(土)
板橋キャンパス日程:7月28日(土)・29日(日)・8月9日(木)

(注)7月28日(土)は中国学科主催『三国志シンポジウム』同時開催
---------------<引用終了>---------------

ということで大東文化大学文学部中国学科主催の「三国志シンポジウム」は2007年7月28日土曜日に行われるようだ。すでに三国志学会第二回大会が2007年7月29日に行われる予定があるので(下記)、今年も去年同様、7月末は連日三国志漬けになりそうだ。

<6月24日追記>
・第三回 三国志シンポジウムのプログラム発表
http://cte.main.jp/newsch/article.php/630
<追記終了>

・2007年7月29日三国志学会第二回大会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/474

※参照、今までの「三国志シンポジウム」と「三国志学会 大会」

・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152
・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/374
・2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノート0
http://cte.main.jp/newsch/article.php/395

 ついで去年の三国志シンポジウムの告知ニュース。去年より早い時期に察知している。

・2006年7月29日 三国志シンポジウム(大東文化大学)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/342

黄巾inセンター試験


  • 2007年1月20日(土) 23:59 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,713
教育機関 今日は青春18きっぷの今シーズンの最終日だったもので、結構、遠出して夜、電車に乗っていたら、高校生らしき集団がなだれ込んでいて、何やらテストについて立ち話をしていた。漢文の話。
そうか今日はセンター試験があったんだ、席に座っていた手元のノートPCで密かに下記のサイトへアクセス。

・大学入試速報(読売新聞
http://nyushi.yomiuri.co.jp/nyushi/

答えを確認しながら話を聞いていて、「4」が連続で出たとか言っていたけど、「4」は一つしか出てないよな(トホホ)

それで漢文に三国志関連は出ていなかったので、世界史Bをみてみるとほんの少しだけ出てくる。24ページ。しかも問題には無関係なところだ(その後、文が宋代に飛ぶ)。以下、引用。

中国には、後漢末に黄巾の乱を起こした太平道をはじめ、宗教を中核とする秘密結社が多い。


<次回>センター試験での三国志関連
http://cte.main.jp/newsch/article.php/800

2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」雑感


  • 2006年8月20日(日) 19:31 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,959
教育機関 虎牢関の場所なんてわからないんで、旋門関で代用・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感4の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/386

 ということで15時30分に同じ教室で一般視聴可能な大学院生向けの講義があるとのことをきいて、それを聞くかどうか迷う我々。中国の先生による講義らしい。
 一つの懸念事項は通訳がつくかどうか。

 とりあえず残って聴く派と他の場所でくつろぐ派に分かれる。それで待ち時間まで如月さんと三国志学会や三顧会の話やらしていた。あとKJさんとげんりゅうさんとNPO三国志フォーラムの話とか。

○大学院特別講演会 曹操殺呂伯奢 ──從陳寿≪三国志≫到羅貫中≪三国志演義≫
                     中国社会科学院教授  劉 世徳

 いよいよ講演会が始まる。予め三枚のレジュメが配られている。レジュメは簡体字だけどここでは便宜上、表示できる字に変えてある。劉先生、今年で75歳になるとのこと。今回は大東文化大学の非常勤講師の人が通訳につくとのこと。名前は失念したが中国の方っぽい。
 講演に入る前に三国演義の四つの初めて(第一)。一つ目は中国古典小説でもっとも読者の多い。直接的な読者と間接的な読者がいるとのこと。日本でも三国演義が古典小説で第一。
 二つ目は中国での初めての長編小説。三つ目は初めての○○小説(ききとれず)。四つ目は初めての歴史長編小説。

 三国演義、中国の西遊記や水滸伝は蓄積的な小説。三国演義やその他の小説は大衆による小説。劉先生はこの二つの考え方に同意しない。劉先生は三国演義を作家の創作によりつくられた作品とみなす。建設的な作家によるある理想にそった偉大な作品(※あまり聞き取れず)。例えば、我々の前にはたくさんの布きれがある。一つの服にするには裁縫する人の考えが反映される。裁縫する人がいなければ所詮、布きれで服にはならない。つまり三国演義が蓄積的な小説であり大衆によって作られた小説であれば、作家の能力は認められない。

 曹操の名言「寧教我負天下人、休教天下人負我。」(三国演義第四回or第八節)。これは曹操の本質を表している。この言葉はいつ話されたか? それは曹操が呂伯奢を殺した後に出た。この物語は蓄積的な経緯がある。まず『三国志』武帝紀より。

卓表太祖為驍騎校尉、欲與計事。太祖乃變易姓名、間行東歸。出關、過中牟、為亭長所疑、執詣縣、邑中或竊識之、為請得解。卓遂殺太后及弘農王。太祖至陳留、散家財、合義兵、將以誅卓。

 ここでこの文章の説明。
 (レジュメには「出關(虎牢關)」ってなっているけど、この時代、虎牢關の記述はないよな)

 このとき、曹操は中牟から直接、陳留に行ったから成皋によってないので、実は呂伯奢に会うことはなかった。
(※講義後、げんりゅうさんは「成皋呂伯奢」の成皋が住んでいるところなのか出身地なのかが肝、とおっしゃっていた。なるほど)
 しかし注の中では呂伯奢という人が出てきた。まず三つの書籍を引用した。王沈の『魏書』、郭頒の『世語』、孫盛の『雑記』。具体的な記載の話にうつる。
 王沈の『魏書』から。

太祖以卓終必覆敗、遂不就拜、逃歸郷里。從數騎過故人成皋呂伯奢;伯奢不在、其子與賓客共劫太祖、取馬及物、太祖手刃撃殺數人。

 これを読んでいく。
 ここでは七つ注意すべき点がある。第一に曹操は何人かつれていた。同行者はどんな人か書いていない。第二に呂伯奢は単なる「故人」(旧友)。それほど親しくない。第三に曹操は呂伯奢本人に会っていない。第四に息子は何人かは書いていない。第五に息子たちがどう招いたかかいていない。第六に息子たちがまず曹操に悪意の行動をとった。第七に曹操は人を殺した。人殺しは仕方なく起こした。曹操が具体的に誰を殺したか、書いてない(息子が殺されたか不明)。

 次に郭頒の『世語』より。

太祖過伯奢。伯奢出行、五子皆在、備賓主禮。太祖自以背卓命、疑其圖己、手劍夜殺八人而去。

 やっぱりまずこれを読む。
 ここでは『魏書』と同じ点が二つある。第一に曹操は呂伯奢にあっていない。第二に人を殺したことは同じだが誰かはわからない。
 ここでは六つの注意する点がある。第一に曹操の同行者がいない。第二に曹操と呂伯奢の関係が不明。第三に呂伯奢の息子が五人居る。第四に息子たちは曹操を好意を持って招待した。第五に曹操は根拠なく疑い、悪意を持った。第六に曹操は全部で八人を殺した。しかし八人の中に息子が入っているかどうか不明。

 次に孫盛の『雑記』より

太祖聞其食器聲、以為圖己、遂夜殺之。既而悽愴曰:「寧我負人、毋人負我!」遂行。

 やっぱりこれを読む。これは前二つの書物を補う形となっている。
 呂伯奢の息子たちはどのように曹操に対して行動をとったか。はっきりした記述はない。どうして曹操は疑うにいたったか等、書かれている。最後の方は曹操の内心や本質が鋭く読者の前へ表した。

 三つの書物は異なる立場を持っている。この三つは共に三国演義の素材。
 比較すれば孫盛の『雑記』が最も良い。鋭く深みがある。郭頒の『世語』がその次で、王沈の『魏書』が一番下。
 『魏書』は曹操の悪いところを隠そうとして呂伯奢に悪意ある中傷をしている。羅貫中はその恣意を参考にしつつ創造的改造をした。創作の課程の中、検証しつつ省いたところもある。羅貫中の創作に三つある。
 第一に羅貫中は名のある人物を付け加えた。それは陳宮。陳宮は二つの役割を持つ。一つは曹操の救援者。もう一つは逃亡中の曹操の同行者。陳宮が質問し曹操が答えるシーンでそこで羅貫中は曹操の内心を見せている。
 第二に羅貫中は曹操と呂伯奢の関係を変えた。呂伯奢は曹操の旧友ではなく、曹操のお父さんの義兄弟にした。これで曹操と呂伯奢がかなり親しい間柄になる。呂伯奢が曹操に悪意を持つことをありえなくした。この設定で曹操の立場をより背徳的にした。呂伯奢がお酒を買いに行く必然性がでる。
 第三に羅貫中は二つの細かいシーンを付け加えた。一つは一家を殺した後に曹操は台所で殺される豚を見るシーン。ここで読者は本当のことを知る。実は一家は曹操を殺すのではなく豚を殺して曹操をもてなそうとしていた。もう一つは、曹操は帰ってくる呂伯奢と会い、呂伯奢を殺した。曹操は間違えて八人を殺し後悔することもなくさらに老人(呂伯奢、父の義兄弟)を殺した。これにより疑い深く、自己主義で、奸心が多くて、毒が多く、残虐な曹操の性格がよく描写された。

 まとめると曹操が呂伯奢を殺したシーンは羅貫中の最も優れた描写であって、羅貫中は曹操という人物の性格を描写するのに最も重要なシーンである。
 劉先生は蓄積的作品であればこれほどすばらしい作品にならないと思い、大衆による作品でも同様に思う。偉大な作品は必ず偉大な作家によるものだ。


 それから司会によるまとめがおわり、大学院生が会場の片づけに入る。
 とりあえず我々はオフ会へと向かった。

・2006年7月29日「三国志シンポジウム」便乗オフ会
http://cte.main.jp/newsch/article.php/389

2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感4


  • 2006年8月19日(土) 18:49 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,707
教育機関 見にくい写真だけど張り出された今回のプログラム・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/381


 みなさまのおかげで今年はパネルディスカッションのスタートに間に合って良かったよかった。
 まだ始まるまで時間があったので立ち話。ここで如月雪さんと会う。どうやら渡邉義浩先生の報告には間に合ったとのこと。そこから新妻・如月雪さんの近況をきいたり、KJさんからUSHISUKEさんの近況をきいたり、清岡からしずかさんの近況をはなしたりと。
 それからどうやら如月さん、次の日に三国志学会の第一回大会があることを知らなかったようだ。でも学会には入るとのこと。

 それで13時30分になる。少し遅れてスタート。

○第二部 パネルディスカッション
     司会 大東文化大学文学部中国学科助教授  中川 諭
          コメンテーター   東京大学三国志研究会
          コメンテーター  学習院大学三国志研究会
          コメンテーター 大東文化大学三国志研究会

 司会の中川先生からアナウンス。午前中の報告への質問をする時間帯のようだ。質問者は主に前に並んでいる各大学の三国志研究会のみなさま。まず各研究会から簡単に一つずつ質問していく。ここらへん前回のパネルディスカッションで各三国志研究会からの質問がマニアックになりすぎて一般視聴者をおいてけぼりにしたことに対する反省を踏まえているとのこと。

 まず向かって右の学習院大学三国志研究会から。沈先生への質問。三国演義が中華民族精神への影響が第一だ、とおっしゃったことに対して、三国演義以外の水滸伝からの影響は位置づけ的にどうなのか? って質問。ここで通訳を交えるのでしばし待つ。
 まず沈先生は三国演義も水滸伝も研究されているとのこと。それまでの考え方だと人物描写・言葉遣いが深い。三国演義の方が理想がなされていて社会に対する影響はより強いものがある。報告で述べたように四つの要素がある。今のような正常な社会から見た場合、プラスに影響が働くのは三国演義の方がより強い。
※沈先生の発言→通訳→清岡の文でかなり元の情報が変質していることをご了承ください。以下、同様です。

 次が真ん中の東京大学三国志研究会から渡邉先生への質問。荊州学に関する質問。荊州学は兵法にどのような役割があるのか? 春秋左氏伝には戦いの記述があり、諸葛亮の行動へ反映されていることがわかるということを具体的な例をあげて渡邉先生が説明。兵の交代のエピソードだけど具体的なところは清岡失念。

 その次が大東文化大学三国志研究会から上田先生への質問。吉川英治が、劉備に自分の妻の肉を差し出すエピソードを嫌ったとのことだけど、葛飾戴斗二世の残虐性は当時の日本人(江戸の人)は受容していたのか? 戴斗が描いていたから読まざるをえなかったのか、それとも好んで読んだのか?
 上田先生は授業で戴斗のそのシーンを見せると女子学生が「キャー」といっていやがるとのこと。江戸時代の人でも評判がわるかったんだろうとのこと。一方、江戸時代、好まれる風潮もある。一概には言えないが嫌われて居たのだろうとのこと。

 ここで観衆からの質問タイム。今回初でうれしい試み。
 まず会場から質問を募ったが、さすがに誰も手を挙げなかったので、ここで質問用紙から中川先生が質問を読み上げる。
 羅貫中が理想を求める余り三国演義には三国志にはない記述がでてくるが、それに関して何か考えはあるか? これは沈先生への質問へとなる。
※以下、回答は箇条書き
 確かに三国演義は細かい部分では三国志に合致しない部分がある。三国演義には沈先生が思う600あまりの暗号がある。600あまりの暗号は三国志との食い違いに関するもの。情景に関して130の項目を設けている。小説の中の情景というのはどうしても虚構が入る。精彩を放つものほど虚構が入る。しかし、このどれも基本的な史実をかえているわけではない。相対的にみると三国時代の姿をよく反映しているのではないか。反映されている部分は国家統一への願い。これは三国時代の人々の願いと一致する。三国演義に見られる劉備集団に対する賞賛は唐代以降見られるようになる漢族政権による国家統一の願望が反映されている。まとめる国家統一への願望に関しては三国志と三国演義は一致する。劉備集団への賞賛は必ずしも事実と一致しない。というのも三国の争いはいずれも漢族だから。羅貫中の時代は漢族でない民族の支配が始まる時代なので、そういうのが劉備たちへの賞賛に反映される。小説を書く人の時代の影響を受けることは免れることができない。

 ここで観客席にいらっしゃった周文業先生からの渡邉先生への質問。もちろん通訳が入る。諸葛亮の軍事に二つの見方がある。三国演義では軍事的成功がある。三国志ではそれほど成功をおさめていない。(三国志での)赤壁の戦いでは、戦いは周瑜で、荊州をとったのも劉備・ホウ統で、諸葛亮は何もやっていない。南征は成果でありますが、それは単に南蛮の人たちが弱かった(会場、笑)。漢中を奪ったのでも劉備・法正で、諸葛亮は何もやっていない。
 中国でもこういった二つの見方がある(大衆は小説から諸葛亮を軍事に優れているとおもっているとのこと)。渡邉先生ご自身は史実の諸葛亮をどう評価するか。
 回答。「『一流である』と言い張ることに」(場内笑)。おっしゃるとおり負けてばかりだけど「負けっぷりが良い」とのこと(場内爆笑)。諸葛亮は負けるときには兵を損なわないという兵法において最も難しいことを実践している。曹操に勝てないのは仕方ない。曹操は超一流だから(場内爆笑)。諸葛亮が超一流に勝てないからといって諸葛亮が一流でない証明にはならない。諸葛亮を徹底的に擁護した人に朱子がいる。大東文化大学は朱子学の大学なので朱子に反することはできないという政治的立場かある(場内爆笑)。
 さらに質問。諸葛亮は確かに軍事的に優れていたが、蜀という国の力が劣っていたという見方もあるが、渡邉先生はどう見るか
 ※回答。沈先生は成都からいらっしゃっている。その先生の前で四川は国力で劣っているなんて言えない(場内爆笑)。

 簡単な質問。先生方の一番好きな登場人物は誰ですか?
 沈先生から。私だけでなく中国の絶対多数の人々の代弁をし、諸葛亮とのこと。なぜならば歴史人物としての諸葛亮は当時の知識文士の優秀な担い手。三国演義での諸葛亮の描写によりさらに人物の魅力が高まる。諸葛亮というのは現在の中国人民の心の中で最も優れた軍事家でもある。忠義なる人物で尽きることのない知恵、中国の人も外国の人もかわることのなくいずれも尊敬する不朽の人物。元々、歴史人物として優れていてさらに小説として高められた。ここで沈先生の著作の紹介。
 ここで上田先生にいくまえに周先生からの反論。大体、同意するが、別の人物も中国の人から好かれてる。まず関羽。影響の面から。つまり中国国内のみならず海外どこへ行っても中国人のいるところには必ず関帝廟があるから。次、曹操。今日において多くの歴史家が曹操の名誉回復につとめている。中国中央電視台製作のテレビドラマ「三国演義」(ここで全87話説と全84話説がでて場内をわかせる)でこのシーンは誰が主役か論じられた。監督は曹操こそ主役と述べていた。三つ目、趙雲。タイで「三国演義」が放送されたとき、国王の叔父さんがテレビで全国に向けて「趙雲にはかなわない」と呼びかけたそうな。それでタイでは趙雲だとのこと。

 それから上田先生の回答。10年前の同じ質問で関羽と答えていた。留学の時に中国での関羽の影響力に感銘を受け、それ以来、関羽グッズの収集家になったそうな。特定人物が好きだというか場面場面が好き。吉川三国志での長板坡の趙雲の活躍が好きだけど、それは場面が好きなのか趙雲が好きなのか未だによくわからないとのこと。

 渡邉先生の回答。日本では曹操の再評価というより学術的な話じゃなくて変な漫画?(場内笑)の影響で曹操ファンが増えていたり(暗に田中先生のことをさす?)、呉のファンがいたり(暗にゼミの学生をさす?)するので、いつも肩身の狭い思いをしていたが、今回は心強い味方がいる。三国志学会会長の狩野直禎先生も「諸葛孔明」を書いているし、渡邉先生も「諸葛亮孔明」を書いているし真っ当に読めば諸葛亮がナンバーワンってのはゆるがない。三国演義だと趙雲。

 あえて司会の中川先生からの回答。版本(はんぽん)研究やっている人だと関索とのこと(花関索伝)。なぜなら関索によってずいぶんネタを提供してくれた。

 ここから再び各三国志研究会からの質問
 学習院大学三国志研究会から沈先生への質問。レジュメから「このような考え方は、清代康熙年間に毛宗崗が改訂した『三国演義』のテキストの冒頭にある…」とあるが、このように変化があったことはどういう思想的なものが入っているのか?
 回答。毛宗崗本にならないとそういう表現はでてこないので、この表現を持って羅貫中の考えとすることはできない。長いこと統一されていたからそろそろ分裂だ、というような単なる循環的な考えではない。羅貫中の考えはどうしても分裂してしまうかもしれないが、それを乗り越えて統一したいというの羅貫中の本質的な考えである。毛宗崗本のこの記述は清代の一部の知識層の考え方を反映したもの。元々、羅貫中が書いたものと思われるものは、魏呉蜀の英雄に対する態度はまだ比較的公平。三国演義嘉靖本の典型的な話。嘉靖本では初登場の曹操は「英雄」と表現。ところが毛宗崗本では「英雄」という表現が削除されている。二つ目の例。嘉靖本では諸葛亮が馬岱に責任を押しつけるシーンがあるが毛宗崗本ではめでたくそのシーンがぬけている(場内、笑)。こういう変化はそれなりの合理性が出てくるが、曹操に関しては描写の豊かさが減ってしまっている。その他、挿し絵が入ってきたり様式が変わってきてる。知識層向けと一般人向けの版本に分かれていく。前者を通俗演義系統、後者を三国志伝系統と呼び、中川先生によると後者はさらに繁本系統と簡本系統に分かれる。これは難しい問題なので版本に関するシンポジウムが過去二回あった。さらに専門的な話を知ろうとすれば、金文京先生、上田先生、中川先生の論文を読むことをおすすめする。

 周文業先生も版本に関する研究をしていて明後日(第五回中国古代小説文献与数字化研討会)で発表するとアナウンス。さらに周先生から上田先生への質問。日本と中国の挿し絵の変化について何か考えがあるか? 
 回答。とっさに言えないが、簡単にいうと、初め模倣したが、自分たちオリジナルなものになっていた。中国での挿し絵は1ページごとに挿し絵がつく本(三国志伝系統)と、何ページかごとに緻密なものが一つつく本(通俗演義系統)に分類される。日本には両方とも輸入されていた。日本人が参考にしたのは主に後者。日本人は緻密なものを好んだ。そこらへんが日本と中国の違い。

※新規関連記事 メモ2:三国志学会 第十七回大会(2022年9月4日)

 東京大学三国志研究会から上田先生への質問。なぜ毛宗崗本の訳がすくでなかったか? なぜ湖南の文山の通俗三国志が長く読まれていたか?
 回答。水滸伝の版本から推測。滝沢馬琴の言葉から想像。儒教寄りの毛宗崗本の翻訳は日本人の肌に合わなかった。<湖南の文山の通俗三国志について> 原文より訳本の方がよく流通されていたし(需要があったし)、よく読まれやすかった。これを渡辺精一先生の言葉を借りて三国志の筑摩の全訳本がでてから『三国志』がよく読まれるようになったことに似ていると解説。

 質問用紙から沈先生への質問。大東文化大学の留学システムについて。回答。大東文化大学と四川大学には交流協定があるそうな。四川大学への留学を歓迎している。
 質問用紙から渡邉先生への質問。大東文化大学のカリキュラムについて。回答。漢文読解重視。三国志と三国演義、軍事史など三国関係を専門としている先生がそろっている。何よりも大きな顔をして大学を歩ける。なぜなら中国学が看板の大学だから。三国志を学びたい人は是非、大東文化大学へ。

 そして15時に三国志シンポジウムの終了が宣言され、これからの予定がアナウンスされる。なんでもこの後、15時半から一般視聴可能な大学院生向けの講義があるとのことだ。あと明日は三国志学会第一回大会があって、明後日は第五回中国古代小説文献与数字化研討会があるとのこと。

・2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」雑感へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/388

2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3


  • 2006年8月17日(木) 15:51 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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教育機関 この報告に感銘を受け、16日後に三国志城でレジュメに載っている呼風符を写してみる。なんだか形が崩れたが、大方、こんな感じ。・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/377

 10分間の休憩を終え、11:45、次の報告が始まる。

 司会の中川先生から「渡邉先生は三国志の歴史学のご専門家」というような紹介がありスタート。

○報告 諸葛亮の兵法
    大東文化大学文学部中国学科教授  渡邉 義浩

 渡邉義浩先生から
「わたくし、上田先生と違いまして大東文化大学を背負わなければいけませんので、大東文化大学の宣伝をいろんなところで入れながらお話をさせていこうかと考えています」
 とおっしゃってのっけから会場をわかしている。
 それから諸葛亮の兵法についてははっきりいってよくわからない、と断りつつ、こんなようなことがいえるんじゃないかというお話でも少ないそうな。だから歴史以外にも4番目には三国演義の話もでるとのこと

はじめに

 三国志では諸葛亮の兵法は興味深いけど、よくわからない、ってこと。『三国演義』では大軍師だけど、まず歴史(『三国志』)での有名な陳寿の評の紹介。「諸葛亮って人は臨機応変の戦術は得意じゃなかった」と書かれているとのこと。
 それから晋書の記述。司馬昭って人は蜀漢が滅びた後、諸葛亮の陣形、用法の方法、軍隊の統制方法といったことを陳[劦思](ちんきょう)って人に勉強させたそうな。陳[劦思]はそれを全部暗記したとのこと。そこで渡邉先生、(記述が少ないから?)「たいした内容じゃなかったんじゃないかな?」と突っ込み(場内笑)。そこで何か継承されたのではないか、と。
 南北朝期には「八陣図」を採用したり(当時はわかっていた)、「木牛・流馬」を制作した国もあるそうな。話しながら、午後のパネルディスカッションを見越して、前列の各大学の三国志研究会に「こんなこと聞くなよ」ってプレッシャーをあたえ笑わしている。
 唐代には諸葛亮は中国を代表する十人の良将に選ばれたとのこと。
 そこから今回の報告のアウトラインを小ネタを入れつつ述べていた。

一、諸葛亮の兵法の基本、荊州学

 諸葛亮が学んだ学問は荊州学と呼ばれている。荊州で学ばれた学問だから荊州学。司馬徽・宗忠たち中心。荊州学は渡邉先生の先生の一人が名付けたそうな。
 どんな学問かというと儒教。儒教から大東文化大学の宣伝が入れるが、あまり高校生が居ないことを自己突っ込み(笑)。温故知新をキーワードに『春秋』『詩経』『論語』に注をつけるという学問行為の丁寧な解説→訓詁学の説明。たとえば最初の四文字を説明するのに二万字がついていると解説。
 荊州学は簡単な注が特徴とのこと。それから学問を世の中に生かしていくことを目指したことが特徴とのこと。
 司馬徽は自らを儒者と区別し「俊傑」と称していたほど、学問を世の中へ生かすことを目指していたとのこと。諸葛亮は政治家として将軍として(管仲や楽毅に比し)国家の経営を抱負として学問を生かしていたとのこと。→つまり諸葛亮は軍事も勉強していた。
 荊州学は春秋左氏伝を中心に今までの経典をまとめなおしたいた。

二、兵法家としての諸葛亮

 陳寿は諸葛亮オタクで『諸葛氏集』というのを編纂。ここに諸葛亮が書いたものが載っているとのこと。これは散逸。唐代にはすでにかき集めているぐらい。後世に復元されたけど宋代の偽作が含まれありする。たとえば『心書』『将苑』。この二つは完全に偽物。現代に発売されたある本でこの二つが含まれていた、とかおっしゃって場内をわかせる。
 偽物とされるものにもわずかに本物が含まれている。太平御覧の引用と一致するところは本物だろう、と判断。具体的には『便宜十六策』。ここで『便宜十六策』治軍第九を引用。→あまり面白くない。主に孫子での常識的なことが書いているため。ここで大東文化大学の宣伝が入るが、実はその専門の先生が今年御定年ということで学べないという自己突っ込み(笑)
 『便宜十六策』斬断第十四の説明。主に戦いの地形の話。そこで渡邉先生が夷陵の戦いを例に出し、劉備はここに書かれていること(つまり諸葛亮が「やってはいけませんよ」と言っていること)に反したことを全部やっていると指摘した上で「そこらへんが劉備のかっこいいところ」と言い、場内をわかせる。「負けるべきして負けるわけです」
 『便宜十六策』斬断第十四にある七つの禁止事項が書かれている。
 それでこの項のまとめ、現在残っている諸葛亮の兵法はわかっている範囲ではそんなにおもしろくなく、軍隊を管理して運営していくものが多い。陳寿が評どおり、臨機応変の戦術からほど遠い印象を受ける、とのこと。確かに。
 あと、八陣図は「道蔵輯要」という本にあって、それは陸遜を退けた八陣の遺跡からうつしとったもので、そこから諸葛亮の兵法を考えることはできないそうな。

三、兵陰陽家としての諸葛亮

 前近代の戦いは合理的なものばかりではなく占いなどの呪術も含まれている。『漢書』芸文志によると、『孫子』などの兵法とは別に呪術などをふくむのは「兵陰陽家」と呼ぶそうだ。具体的には日時の吉兆、天体の方角などを占うとのこと。
 これらのことと諸葛亮の関係をきっちり資料からあげることはできないが、荊州学に『荊州占』という本がある(現在は残っていない)。
 仕方ないのでここから天文占の一般的な話になる。占星術が個人の運勢を占うのに対し天文占は国家の運命を占う。三垣・二十八宿の説明。それぞれ天の官僚。
 さらに『晋書』天文志の紹介。諸葛亮が陣没した話が載っているそうな。占文のとおり諸葛亮は死んだ、と記録されている、とのこと
 諸葛亮はどんな「兵陰陽家」か? 後世に偽物の書がたくさんある。

四、演義の諸葛亮像

 諸葛亮の『八門・遁甲の法』の話。『三国演義』において司馬懿との戦いで『八門・遁甲の法』の秘術を会得した諸葛亮が六丁・六甲の神兵を使った「縮地の法」を行ったとのこと。道教に『八門・遁甲の法』の話があるんじゃないかということで道教を調べる。
 明代には『秘蔵通玄変化六陰洞微遁甲真経』を会得すると六丁・六甲の神兵を使い「縮地の法」を行えるとされていたそうな。そこから道教の符[竹/録](ふろく、おふだの意)の効用の説明。レジュメのところには諸葛亮が風を呼んだ符[竹/録]が印刷されている。
 現行の三国演義は道教のお経を嫌っていたようでそういった記述は少なくなっている。「縮地の法」も同じ造りの三両の四輪車を交互に見せることで「縮地の法」にみせかけたそうな。
 ここで一例として赤壁の戦いで諸葛亮が風を呼んだ話が出てくる。三国演義中で諸葛亮は『奇門遁甲天書』を伝授された、と書かれている。そこで『秘蔵通玄変化六陰洞微遁甲真経』の流れをくみであろう『奇門遁甲天書』の中身の風を呼ぶ箇所の話になる。まず符[竹/録]を使う。それがレジュメでかいてあるやつ(写真参照)。それから「発[火慮](左手の中指を押し神を呼ぶ動作)」をするとのことだけど、実際、渡邉先生が左手で狐のような手でそれをやってくださる。さらにこのポーズで「歩罡(北斗七星の形にステップを踏む足運び)」をするそうだけど、実際、これも渡邉先生がその場でやって場内をかなりわかせていた。さらに「叩歯(上下の歯をカチカチとかみ合わせること)」をやるそうだけど、これも渡邉先生が実践。しかも金縛りにあったとき叩歯をやって(魔をうち破る効果があるそうな)それがとけたってエピソードを添えてさらに会場をわかせていた。
 それから二十八宿の旗を立て、天を祈っているから、天文占にあたると、天文占にあるように星をあやつれば大風が吹くが、天文占では星が動かないので、やっぱり道教の秘術を用いたことになるとのこと。

※追記 大津祭 孔明祈水山(2012年10月6日7日)

おわりに

 撤退したときに兵を損ねたことはなかったことを指摘し諸葛亮は名将だと評する。つまり「出でては将、入りては相」となる儒将だということでまとめ。
 報告終了。

 司会の中川先生は「大東文化大学に入るとこんなすばらしい講義がきける」と宣伝を入れつつ、次はお昼休みだということのアナウンスを入れる。
 あと今回はパネルディスカッションで一般視聴の人の質問も受け付けるそうで、何か質問があれば事前に配っていた質問用紙に質問を書いて、提出すれば良いとのこと。

○昼休み

 それで昼休みは学食に行こうと思ったら、前回、それでパネルディスカッションに遅刻したって実績(?)があったんで、大学の外に行くことに。
 幸い正門を出て道の向こう側にファミレスがあるのでそこへ行く。
 メンバーは清岡KJさん、三口宗さん、げんりゅうさん、げんりゅうさんの後輩さん、ミミまろさん、伊比学さん。やはり七人が座れるテーブルは混雑時期にはないということで前者3名と後者4名に分かれて食す。
 こっちの話題はもちろん三国志シンポジウムの方向の他、確かサイト運営の話をしていたかな。あと大学の研究会の話とか三国志関連のデータベースの話とか。


・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感4へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/386

2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2


  • 2006年8月 8日(火) 23:52 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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教育機関 江戸中期、三国演義を受容した人たちのヒエラルキー真似図。しかし、現在の三国志ファンを連想してしまうなぁ・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1の続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/374


 司会の中川先生から上田先生の紹介。三国演義の専門家であり、会場に来ている東京大学三国志研究会の先輩(東大の先輩? 研究会の先輩?)と紹介される。


○報告 小説『三国志』と日本人
    金沢大学文学部助教授  上田 望

 発表形式は向かって左のスクリーンへパソコンから発表資料が映し出される。なるほど去年のシンポジウムでは和田先生がやっていた発表形式ね。

 そこに今回の報告をタイトルが映し出される。その日付が「2006年7月26日 午後11時-11時30分」となっていたことをここに記しておこう。
 上田先生は口べたで御夫人から(三国志シンポジウムはオープンキャンパスの一環なので)「あんたなんか口べたな人が話したら大東文化大学の生徒がへっちゃうよ」と言われた、という出だしから会場をわかす。
 あと子供の幼稚園児に中国の小説を読ませているそうな。

 はじめに

 この報告では日本人と三国演義との話をするそうな。

一、江戸時代の『三国志』(一)─『三国志』の輸入と完訳『通俗三国志』誕生まで

 まず江戸時代から。この時代、中国でいうところの明代、清代とのこと。中国では白話小説(口語体)が勃興している。タイムラグなしに江戸時代に輸入され、大きな影響を与えた。
 受け入れ方は、原文で読む→訳注が作られる→部分訳が作られる→完訳が作られる→ダイジェスト・絵本が作られる→挿図付き完訳本が作られる(ここらへんがスクリーンに出る)、という流れがあるのとのこと。
 で、まず原文。日本で最初に三国演義を読んだ人は誰だ? ってことでそれはおそらく儒学者の林羅山とのこと。羅山が読んだ本の目録に入っていたらしい(1604年)。もう一人は天海僧正の蔵書の中にあるそうな(1643年没)。天海が持っていた挿し絵がスクリーンに映し出される。
 次が徳川将軍家。紅葉山文庫に入っているとのこと。あと長崎の商人たち。これは『二刻英雄譜』。1673~1676。原文を読む人は儒学者、僧、大名クラス、通訳、徳川将軍家、将軍のブレーンなどに限られていたそうな。
 その次が部分訳。陽明学者、中江藤樹だそうな。1662年。
 次が『通俗三国志』の登場。世界で二番目に早い三国演義の完訳だそうな。翻訳した人は「湖南の文山」。謎の人。湖南は姓じゃなくて場所だそうな。なるほど、初耳。
 文山は『李卓吾批評三国志』を底本としているそうな。当時、すでに毛評本がでていたけど、あえて李卓吾本を訳している。
 『通俗三国志』の功罪。プラス面は多くの人が読めるようになったこと。水滸伝は1784年だし西遊記は1837年とぬきんでて早く訳されている。マイナス面。超訳が多く、原文の妙味が失われているとか、俗語の小説を翻訳するという意識の欠如がある。それを実際に長板橋の下りを例にとって、どこが省略されているか解説。
 逆に文山が適当に訳したからこそ三国演義は文山訳をみないとだめという主張もある。

二、江戸時代の『三国志』(二)─絵本の創作と『三国志』の大衆化

 江戸時代中期。正徳年間から享保にかけて日本では空前の中国ブーム。中国趣味は大流行。受容の形態は(1)中国語を学び、その学習課程で三国演義の原文を読む人。(2)中国語は学ばないが三国演義の原文なら読む人。(3)中国ブームに即発されて通俗三国志やダイジェスト本を読む人(当然中国語は読めない)。(4)字は読めない。歌舞伎や浄瑠璃や講談などで三国の物語を楽しむ人。(スクリーンに映し出される。)
 こういうふうに階層分化してきた。
 (1)と(2)の人のために中国から三国演義を輸入。(3)の人向けに通俗三国志が出版され続ける。絵本がたくさん出てくる。それから絵本の一覧がスクリーンに出される。絵本の絵はなるべく中国に似せようとしている(しかし少し変だ、とコメント)。中国の絵をまねているところを実際にスクリーンに映し出される。それから幕末の絵。とても中国の絵に見えない。関羽の絵だけど当時の歌舞伎役者の絵にかわっている(※清岡注。ん? どっかできいた話だな)
 それから話が元にもどって絵をそっくりぱくっている例が出される。
 江戸中期では、人々の間に、原作になるべく忠実に、という規範意識が芽生えたのではないかと。原作と違うとそれおかしいよ、と思う読者層が育ったとのこと。(※清岡注。これもどっかできいた話だな)
 この例外は浮世絵や浄瑠璃の世界。浄瑠璃につけられた絵の話。最後は孫権と劉備と曹操が三人仲良く終わるとのこと(場内爆笑)。歌舞伎の関羽→浮世絵化したものの例。
 それでスクリーンに映し出されるのは階層化されたファン層(ちょっと真似してここの記事の絵に載せてみる。真似版では三国志を三国演義と書きかけている。)
 中国からの舶来文学→日本の大衆文化。


三、江戸時代の『三国志』(三)─『絵本通俗三国志』の登場


 江戸後期。『絵本通俗三国志』刊行(1836~1841年、八編七十五冊)。この時代のエポックメイキングなできごと。元禄に『通俗三国志』の本文、それから草双紙、絵本、歌舞伎、浮世絵、そういったところで三国演義の絵がたくさんつくられ、そっちの挿し絵を元にした一種のコラボレーションと思うと説明。
 これは校訂をしている。カタカナをひらがなにすると大分、読みやすくなったと遊女か誰かが言っていたとのこと。挿図が葛飾戴斗二世で四百葉を越える。戴斗という画号は北斎(北斎はこの画号を使っていたことがあったそうな)から1809年に譲り受けている。だから二世とのこと(なるほど)
 戴斗二世の絵の特徴。正確な遠近法。桂宗信画『絵本三国志』を意識して、先行する異なる画像を敢えて取り上げているそうな。これは渡辺由美子氏の卒業研究だそうな(上田先生、すごいと思います、と賞賛)。遠近法は葛飾北斎も最初できなかったと解説。
 他の特徴は残虐性。残虐なシーンの数を読み上げる。残虐なのは幕末の流行だそうな。北斎も残虐な絵を描いている。
 もう一つの特徴は和風化。北斎は和風趣味だったそうな。あと登場人物は人気役者の似顔絵で描かれているとのこと。これを江戸中期の模倣の時代から江戸後期のパロディー化の時代と解説(※清岡注、なんかきいたことある話だ)
 まとめると、『絵本通俗三国志』は三国演義のネガティブな面を徹底的に図像化している、とのこと。

四、明治、大正、昭和初期における『三国志』

 近代出版技術が導入されて洋装本、活字本が出てくる。明治の最初の十年は木版本の絵本が出回っていた。明治10年(1877年)日本で初めての活字印刷された三国演義が世に出る(永井徳鄰和解『通俗演義三国志』)。毛評本の挿し絵を取り込んでいる。
 明治における三国演義と水滸伝のブーム。高島俊男氏の『水滸伝と日本人』で述べられている明治の水滸伝のブームと三国演義も当てはまると解説。出版社の傾向が似通っているから。
 第一期。明治10年代後半。二十種類の翻訳が出版。通俗三国志の活字本。リライト、絵本などバラエティに富んでいる。ここで日本初の洋装本の写真や浮世絵を映し出す。明治14年に政府が儒教道徳の復活をはかり、そのために中国の古典籍の復刻ブームがおきたので、その流れに便乗したとえば『絵本三国志』がよく売れたそうな。
 第二期。明治20年代後半。明治を代表する書店、博文館が帝国文庫シリーズとして『校訂通俗三国志』(活字本洋装本)を出す。昭和15年まで出版されつづける。上田先生は昭和15年に『吉川三国志』が出版されるんで、それにとって変わられたと推理。この時代、浮世絵がすられたと紹介。実際にスクリーンに映し出していた。講談(桃川燕林とか、明治31年)。参考書にも三国演義が取り入れられていた。明治前半が上田先生のいうところの三国演義受容のピークとのこと。
 第三期。明治40年代。日露戦争後、日本フィーバーで中国古典も活気づく。この時代の特徴は多様化。小説研究が出版に影響(幸田露伴の仕事など)。久保天随『三国志演義』(明治39年)を出版。妙訳だが日本初の毛評本の翻訳。日本での本格的な三国演義の研究の始まり。幸田露伴『通俗三国志』(明治44年)を出版。幸田は絵本三国志が李卓吾本に似ていると指摘。久保天随『新譯演義三国志』を出版(明治45年)(※清岡注。吉川英治が少年の頃、熟読していたやつね)。日本初の毛評本の完訳だそうな。深い考察付き(露伴の説をうけて李卓吾本と毛評本の優劣を論じている)。久保天随は毛評本の定着を願っていた。
 明治時代に識字率が向上。読者がレベルアップ。価格が低下(活字本の普及により)。上田先生「一家に一冊『三国志』」と説明。もう一つ大きな変化。音読から黙読への変化(明治30年代)。「読書の内省化」と説明。その逆の影響で講談や歌舞伎での三国演義ものが停滞。明治末年、幸田露伴と久保天随の輝かしい功績
 その後、大正から昭和初期。翻訳本という観点からは不毛の時代。昭和15年、吉川三国志出版。これ以外、特筆することはない時代。毛評本は定着せず。
 それからまとめ。日本と中国の違い。どちらも変わる部分と変わらない部分があるが、中国ではある程度、定着したテキストはそれ以上、いじらない。日本では原作があまり読まれなくなる。ここで金沢大学の教え子の話が例に出る。
 それからスクリーンには日本と中国の流れのまとめ図(フローチャート)が出る。中国では李卓吾本が読まれず毛評本が読まれるようになる。
 中国では三国演義に権威性がでる(文化ナショナリズム? 政治と文学)。日本ではそういうものがない。中国からきた娯楽として楽しむ。「日本の古典として三国志を読みなさい」と自分の学生に言っている。

 ここで10分ほど、休憩と中川先生からアナウンス。それから中国語のアナウンスも。

 10分の間、上田先生の講演でいっていた江戸時代の話は現代の三国志ファンと似ていて面白い、と清岡は話していた。

・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感3へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/381

2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1


  • 2006年8月 3日(木) 23:32 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
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教育機関 会場の一番後ろからとった写真。 今年も三国志シンポジウムがあるということで、大東文化大学に出かける。前回は東松山キャンパスだったけど、今回は板橋キャンパス。前回より都心に近い。

・告知ニュース
http://cte.main.jp/newsch/article.php/342
・前回の雑感
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152

 今回は土曜日開催とということで金曜の夜から夜行バスで東京入りし、新宿で時間をつぶし、池袋に行き、東武東上線で最寄り駅の東武練馬駅で降りる。
 前回の高坂駅と違って、少し離れたところでスクールバスがあったようで、たまたま通っていた大学関係者らしき人に聞き、先を急ぐ。
 スクールバスがちょうどきていたけど、満員だったので次のバスを待つ。おかげで座れた。バスの中は高校の制服の人が多い。会話の内容も塾のテスト勉強をしているとかしていないとか初々しい。
 9時45分ぐらいに板橋キャンパス到着。場所を一号館101教室と覚えていたので急ぐ。
 101教室の外にKJさんを見かけたので手を振り、合流する。
 入り口で三国シンポジウムの冊子(以下、レジュメと表記)や中国学科のパンフレット、アンケート用紙、質問用紙など貰う。

 101教室は前回のところより、面積にして四分の一程度に縮小されたような感じで、人数もそれに合っているような感じだった。やはり去年は中国学科設立記念という意味合いもあって勢いはすごかったんだなぁ、と。
 あと高校生の制服も前回よりかなり少なくなっているような印象があった。

 それからKJさんのとなりの席におじゃまし、荷物をそこへ置く。
 その後、初対面の三口宗さんと顔合わせし、げんりゅうさんに挨拶し、開演を待つ。


○学科主任挨拶 大東文化大学文学部中国学科主任 門脇 廣文

 開演の10時。まず大東文化大学文学部中国学科主任の門脇廣文先生からの挨拶。この日は三国志シンポジウム、次の日は三国志学会第一回大会、さらに次の日は第五回中国古代小説文献与数字化研討会があるということでほぼ三日間、三国志づくしで楽しんでくださいということをおっしゃっていた。
 ここでマイクは司会の大東文化大学文学部中国学科助教授の中川諭先生にバトンタッチし、三国志シンポジウムに大学院生向けの講義があることが知らされ、一般視聴が可能であることが告げられた。

 そして壇上には基調報告をされる四川省社会科学院・四川大学教授の沈伯俊先生と通訳をされる田中靖彦先生が立たれる。

○第一部 報告

○基調講演「小説『三国志』の主要な内容」
    四川省社会科学院・四川大学教授  沈 伯俊

 何やら沈先生が中国語でおっしゃった後、田中先生が「みなさん、おはようございます」と通訳される。それに合わせ会場も「おはようございます」と挨拶。さらに中国語とその訳の挨拶があって、今回の報告の概要が述べられる。どうやらその都度、訳すのではなく翻訳原稿を田中先生が読み上げる形のようだ。確かにそっちの方が時間の短縮になる。ちなみに内容はほとんどレジュメのまま。
 あと私的に残念なのは『三国演義』を小説『三国志』とすべて言い換えているところ。とっさに他の報告のタイトルもみたけど、それはどうやらこの報告だけじゃなく三国志シンポジウム内の他の報告にも当てはまるようだ。この後の講演ではこういった小説『三国志』のみならず陳寿の『三国志』からも引用されていたため混同されかねない箇所が何度か出ていた。個人的には余計な親切心を出さずにそのまま『三国演義』にした方が余計な誤解が生じず良いのではないかと思っていた(むしろ憤りを感じていたぐらいだけど)。そのためさらにややこしいんだけど、この記事やこれ以降の記事では小説『三国志』を『三国演義』と言い換えている。

 発表の内容は三国演義の内容とそれがどう人々に影響を与えたかなどを論じてある。
 まず三国演義に見られる6つの「第一」(→一番)をあげる。以下、要約列挙。

・成立から600年経つ、十分に成熟した長編小説の第一の作品
・登場人物の多さ第一。1200人以上
・これをベースとして作られた作品のジャンルの広さ・数の多さとも第一
・関係する名所・旧跡の数第一。数百カ所
・関連する伝説物語の数、そして広範囲で第一
・中華民族の精神と生活に対する影響第一。

 三国演義自体、古い時代の考え方に基づいているから当然、封建思想の考え方が残されているのはやむを得ないが、全体的に中国伝統文化の優れたところが現れている、と説明。それにより「人々は国家のため、民族のため、理想のために突き進んでいくことができる。」とのこと。※「」内はレジュメの引用。以下、たびたびその様式を使う。

 その後、話がより詳しいものとなっていく。そのひとつひとつの流れは、まず一般的な認識を出しておいて、それに対する反論や同意などを交え解説していく流れが多い。

 その始まりが三国演義の重要な部分について。多くの人々はそれは「謀略」と思うとのこと。沈先生はそれが全面的なものではなく、戦争描写の優れたところが最も印象強いとのこと。それは作者の考えが色濃く出ている。
 それから三国演義と「道」の関係の話。「道」に次ぐものは「術」。三国演義は「道」に即して書かれており、作者の理想を代表する諸葛亮は計略にたけたすばらしい人物。曹操の謀略も優れているが、謀略により描かれ方が違うと解説。「国家の統一や社会の進歩に役立つような」謀略は肯定的に描き、「人を傷つけ己を利」する謀略には容赦なく批判し攻撃するとのこと。
(ここで読み上げるだけの田中先生からのコメント。田中先生は自身が曹操ファンだと告白し、耳が痛いと・笑)
 そのため三国演義は「はっきりとした道徳性を持ち、人民を根本とするという思想を規準している」とのこと。こうした三国演義の優れた点を四つあげられるそうな。それら四つが個別に解説されていく。

一、国家統一へのあこがれ

 作者が時代の脈拍を感じ、「多くの人民が国家統一を追求しようとする強烈な願望をはっきりと表現した」そうな。
 そんな三国演義だが、一般的にその内容は合久必分、分久必合(合して久しければ必ず分かれ、分かれて久しければ必ず合す)という言葉でよくまとめられる。沈先生はこれを安易な意見にすぎないと解説。それは明代の三国演義にはその言葉がないからこれで作者の創作意図を述べることができないからだそうな。
 作者は「分裂」の時期をひどく悲しみ、特に力を入れて描いているのは「英雄豪傑たちが再び全国を統一しようと戦いに苦しみ奮闘している偉大な姿」とのこと。

二、政治と政治家に対する選択

 三国演義は「“尊劉貶曹”(劉備を尊び曹操を貶める)」という考え方で論じられることが多いと切り出す。それに対し、三国演義成立以前の宋代にはこの考え方が存在すると説明。例の蘇軾の『東坡志林』の訳文を引用している。
 「尊劉」は姓が劉だからというわけではないとのことで、劉表、劉璋、霊帝を例に出して、劉備集団が「上報國家、下安黎庶」(「国家に報い、庶民を安らかにする」)という目標に向かって努力をおしまないと解説。さらにこの集団は劉備の「仁」、諸葛亮の「智」、関羽の「義」は羅貫中の道徳観に一致すると解説(しかし礼記にある四徳が「礼」以外、全部そろっているなぁ)。一方、「貶曹」。曹操が「奸雄」の典型で、漢に忠誠せず、たびたび民衆を殺戮し、優れた人物を虐げるからだそうな。その一方、大胆で巧妙な計略は肯定的に表現されている。歴史的な合理性があると説明。

三、歴史的経験についての総括

 三国演義は三国時代をまとめたもので、「人心を得ること、有能な人材を招くこと、謀略を重視することと言う三つ」が重要。それを軽視した人物、董卓、袁術、袁紹を紹介。それに対し劉備、曹操、孫権の優れた点を紹介。

四、理想的な道徳の追求

 「羅貫中は「忠義」という観点を道徳的規準」にしている。そこには多くの人々が三国演義に対し二つの誤解を持っていて、それを紹介している。

(一) 「桃園の誓い」の中心的価値は何か?

 「桃園の誓い」といえば多くの人が「不求同年同月同日生、但願同年同月同日死。」(「同年同月同日に生まれることを求めずとも、同年同月同日に死ぬことを願う」)を連想し、中心的価値と考えるが、実はこれは表面的。
 「則同心協力、救困扶危;上報國家、下安黎庶」(「心を同じくして協力し、国を救い危うきを扶(たす)け、上は国家に報い、下は黎庶(一般民衆)を安んじる」)に価値があり、特に「上報國家、下安黎庶」に劉備、関羽、張飛の政治目標があるとのこと。ここらへんが「一般的な通俗文芸を超越し、新しい精神世界に到達することができた」とのこと。
 「不求同年同月同日生、但願同年同月同日死。」はよく民間で真似され、「時にある種の民間結社や犯罪組織の間で」使われるが、それは「桃園の誓い」の目標に反する。

(二) 諸葛亮は「愚忠」(愚かな忠義)か?

 諸葛亮の「忠」を常に「愚忠」という人がいるがそれは一方的な見方だ、と。三国演義を注意深く読むと諸葛亮は「愚忠」などではなく、「帝王の師」という身分。「諸葛亮は劉備の主たる補佐役であるとともに、また劉備の心の指導者でもあった」とのこと。→諫めの言葉を拒んで失敗したのが呉の討伐。

おわりに

 三国演義の主題を一言でまとめるならば、「国家統一へのあこがれと忠義の英雄の賞賛」とのこと。国家統一へのあこがれ(政治思想)が縦糸、忠義の英雄の賞賛(道徳的基準)が横糸となり、座標軸を作り上げている。


 「…といった内容です」と田中先生が読み上げ終え、それから沈先生が中国語でなにやら言った後、田中先生が訳すというスタイルに戻る。
 どうしてこういう文(レジュメ)をしたかというと、長年、研究する中で、深く感じることがあったそうな。中国人はよく知っているだけでなくたいへん詳しいが、にも関わらず誤解というものもあり、こういった誤解は日本にもあったのではないか、と述べられる。
 あらぬ誤解を消したいという願いからこういう文を書いたそうな。この問題をみなさんが議論することを願っているとのこと。

 というわけで10:40ごろ終了。そこから司会の中川先生のコメント。感じ方、捉え方は人それぞれで、それから我々日本人は中国人の本質に迫るのは難しいなどなど。


・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2に続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/377

※追記 三国志飴(2010年9月16日)

※追記 週刊 三国志 ~芸術鑑賞会にむけて~(2010年10月15日-12月17日)

2006年7月29日 三国志シンポジウム(大東文化大学)


  • 2006年5月22日(月) 23:30 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,680
教育機関 今年も大東文化大学文学部中国学科で「三国志シンポジウム」をやるようだ。2006年7月29日土曜日10時~15時。詳細不明。今年は板橋キャンパスで、やはりオープンキャンパスの一環のようだ。下記サイトによると「リアル体験!in板橋」って企画の「体験授業」のところにカテゴライズされている。

・大東文化大学オープンキャンパス2006
http://www.daito-bunka.com/open_cam/index.html
※ここの「リアル体験in板橋」のところに少し情報あり。

ちなみに2005年の三国志シンポジウムは下記のリンク先参照。
・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152

またイベントあわせのオフ会やる?
http://cte.main.jp/sunshi/w/w050801.html

またシンポジウムの内容が入り次第、この記事に追記していく予定。

<追記>
三国検索の三国志サプリメントにシンポジウムの内容があったので転載しておく。

・三国検索
http://sangoku.lib.net/
・夏の三国志イベント!7月29日三国志シンポジウム
http://sangoku.lib.net/apl/blog/?no=144

日時:2006年7月29日(土)10:00~15:00
会場:大東文化大学 板橋キャンパス1号館101
主催:大東文化大学文学部中国学科
対象:高校生・大学生・一般市民
参加費:無料 (事前申込は不要)

シンポジウムの内容
■第一部:報告
基調報告:沈伯俊(四川省社会科学院・四川大学教授)
     「小説『三国志』の主要な内容」
報  告:上田望(金沢大学文学部助教授)
     「小説『三国志』と日本人」
     渡邉義浩(大東文化大学文学部中国学科教授)
     「諸葛亮の兵法」
■第二部:パネルディスカッション
コメンテーター:東京大学三国志研究会、学習院大学三国志研究会、大東文化大学三国志研究会など
司会:中川諭(大東文化大学文学部中国学科助教授)
■問合わせ先:大東文化大学文学部中国学科事務室 TEL 03-5399-7360

<さらに追記と会場変更>
多目的ホールだったのが、1号館101に変更になったとのこと。上のはすでに訂正済み。
あと、ポスターを下記サイトで2006年6月15日現在、見ることができる。

・大東文化大学 中国学科 渡邉研究室
http://www.daito.ac.jp/~y-wata/